06/14/2007

海外ドラマ「スーパーナチュラル」


日本テレビで放映せれている海外ドラマに「スーパーナチュラル(SUPERNATURAL)」というのがあります。

これは超常現象を題材にしたドラマです。

私はたまに観るぐらいなのですが、兄弟二人が失踪した父を探す旅に出て、行く先々で出会う人々の家族の問題に関連する超常現象を解明、もしくは超常現象から人々を救うという話です。

超常現象を題材にしているから子供だましという人もいるかもしれませんが、1話でも観れば(私は2・3話ぐらいしか観ていませんが)家族をテーマにした人間ドラマだということがすぐにわかります。

超常現象はあくまで題材です。描き出すのは家族のドラマ。とくに父と子の関係です。

幼いころから父の悪霊狩りを手伝ってきた兄ディーンと、悪魔ハンターの父とは距離を置き、普通の生活を求めて父や兄から距離を置いていた弟サム。

そんな兄弟だから父親探しをはじめても、どこかギクシャクしています。

自分は父親に愛されていなかったのではないか。

自分よりも兄のほうが、自分よりも弟のほうが、愛されていたのではないか。

そんな思いを秘めたまた旅は続くわけです。

それは旧約聖書においてヨセフの物語に通じるものがあります。ヨセフが父親ヤコブの寵愛を受けていたことについて、兄たちは快く思っていませんでした。そのためあるきっかけで兄たちは怒り、ヨセフを商人の一隊に銀二十枚で売ってしまうエピソードがあることを思い出させます。

また長子の特権をめぐるエソウとヤコブの話や、人類初の殺人が行われたカインとアベルの話を思い出させます。

どれも兄弟に関する話です。

実はこれら兄弟に関する話には共通点があります。それは、父親との関係です。

父親との関係を軸に、兄弟間の問題が起きるのです。

長子の特権(エソウとヤコブ)は、神へのささげもの(カインとアベル)、そしてヨセフが商人に売られたことにも、父親と息子たちの関係によって生じたことです。

聖書に登場する父と息子、兄弟のエピソードを軸に、視聴者の興味をひくための題材を組み合わせる。

ということは「スーパーナチュラル」での題材は超常現象ですね。

だから物語づくりにおいての軸は、長年にわたって知られているものでいいのです。

聖書の話だったり、ギリシャ神話だったり。

そうした「軸」がしっかりあれば、あとは時代や状況を見極めて「題材」を汲みわせればいいのです。

相撲がブームだから。サッカーがブームだから。アキバがブームだから。有名な歴史上の人物がブームだから。昭和がブームだから……等々は「題材」にすぎません。

「題材」は重要です。でも、題材を組み合わせる「軸」をしっかり持っていなければ、題材だけがフラフラと浮遊してなんとも落ち着かないものとなってしまいます。

▼日本テレビ「スーパーナチュラル」サイト


ちなみに海外ドラマのことなら超くわしいこのサイトがおすすめ
▼TVグルーヴ・ドット・コム
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01/06/2007

【のだめ式】キャラクターの作り方

ドラマ「のだめカンタービレ」(以下「のだめ」)を観たかな?

けっこう評判が良くて、視聴率も高かったようですね。

そこで今回は「のだめ」を例に、主要キャラクターの作り方をみてみましょう。

ドラマ「のだめカンタービレ」の主要キャラクターはふたり。

千秋真一と野田恵。

千秋真一は、いわゆるイケメンで、音大の女学生のアイドルで「千秋さまぁ~」なんて呼ばれてます。

野田恵は、くいしんぼうな変わり者で、友達から「のだめ~」なんて呼ばれています。


そもそも物語の舞台は音大。登場人物たちも音大生や音楽評論家や著名音楽家など、音楽に関わる人たちばかりです。

音楽の世界って、一般からしたらちょっと特殊な世界にみえますよね。

音大生というだけで、どこかゲイジュツの匂いを感じたり、アタイらパンピー(一般人)とは住む世界が違うお坊ちゃまお嬢ちゃまの集まりだろう? なんていう人もいるかもしれません。

音大を卒業してもプロのオーケストラに入れるのは一握りだというし、楽器の先生になったり、調律師になったりして音楽に関わる仕事に就ける者さえごく一部ともいいます。

短大や4大の経済系の学部を卒業するよりずっと就職には向いていないのが音大生というワケ。

それに有名な音楽の先生にレッスンをつけてもらうと、かなりの高額とか。新幹線や飛行機をつかってレッスンを受けに行くなんてよくあることだとか。

そんな知られざる音大生の生態とは? うーん、なかなか興味をそそられますね~。

そんなわけで「のだめ」にかなり変わり者のキャラクターが登場したとしても、パンピー(一般人)は、ある程度は納得してくれます。

だってあたいらとは住む世界が違うから(笑)というわけでもないですが、いわゆる一般人からしてみれば、音楽大学に通うというだけで、かなり普通ではないと思っているところがすくなからずあるからです。

それで、千秋さまは学園のアイドル「千秋さま」なんです。「千秋くん」ではありません。「千秋さま」です。

超イケメンでピアノが超上手の千秋さまは女学生たちの超人気者。でもそれは所詮、大学内でのお話。

学外ではちょっとうわさになっても、海外の留学経験もコンクール入賞経験もない千秋さまは、カッコイイ以外はほぼ無名の状態。

実は千秋さまはピアノだけでなく、ヴァイオリンも超上手で、目指しているのは指揮者なのです。そのため、もとからの音楽の才能はもちろんのことだけど、それに加えて幼い頃から猛勉強してきました。

超イケメンで音楽の才能がある千秋さまも、実は勉強の虫だったわけです。さらに、千秋さまには秘密があります。

それは飛行機恐怖症。
そのため海外に留学することができません。だったら船と鉄道で留学すれば? というツッコミはさておき、大事なことは音楽の才能に恵まれた者でも、弱点があるということです。

無名と飛行機恐怖症。この2つの弱点を克服するための強力なヘルパーが、世界的な指揮者フランツ・シュトレーゼマンとのだめです。

では野田恵こと「のだめ」はどうでしょう? 彼女はいつも友人のおべんとうを盗み食いしている、ピアノ科のおちこぼれだとみなされています。

愛嬌はありますが才色兼備とはいえず、部屋はゴミだらけでお風呂にはあまり入らず髪が臭う不潔系の天然娘といったかんじです。

千秋さまが完璧にみえる一方で、のだめはダメダメにみえるようになっています。

ところが、のだめは一度聴いた曲はすぐに暗譜して弾けてしまうという才能を持っています。


千秋さまは完璧(あこがれ)だけどひとつだけ弱点がある。

のだめはダメダメ(共感)だけどひとつだけ強点(?)がある。


ほら、主要キャラクターのふたりはそれぞれに視聴者が求める要素、つまり「あこがれ」「共感」する面をもっているのがわるでしょう。


千秋さまへの……あこがれ8 共感2

のだめへの ……共感8 あこがれ2


千秋さまとのだめがお互いに足りない部分を補なっていく。その過程が物語となっています。

あこがれだけの完璧なキャラクターには共感しずらい。

共感だけのダメダメキャラクターにはあこがれることはできない。

だからちょっとずつアンバランスにして、ふたつのキャラクターでお互いを支え合ってバランスがとれるようにします。

バランスがとれる状態とは「調和」ともいいます。

調和をもたらすキャラクターを置くという方法もありますが、主要なキャラクターの関係性によって調和をもたらすよう物語っていく方法は青春モノや恋愛モノとは相性がいいのです。

ドラマ「のだめカンタービレ」は音大生が主人公です。それぞれの「音色」を持ったキャラクターたちがオーケストラによって交わり、物語に「調和」をもたらす音楽を奏でる。

う~む、なかなかうまいことできていますな☆

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09/16/2006

ドラマ「下北サンデーズ」だれをターゲットにした?

テレビ朝日のドラマ「下北サンデーズ」(原作:石田衣良『下北サンデーズ』幻冬舎)が放送終了した。


全10話の予定が、シンクロナイズドスイミングの放送のため1話繰上げで打ち切りとなったとしている。


――が、視聴率が良ければそんなことはしないだろうから(最終公演、つまり最終回の視聴率は6.3%)、一般的に見ても資料率低迷の影響だと推測される。


そんな全9話になった「下北サンデーズ」をすべて観たという方はいらっしゃるだろうか。


私は第1話だけを見逃しただけで、ほかはすべて観た。


はじめてこのドラマを観たときの感想は、題材(下北沢・演劇)がマニアックで、キャラクターが濃い味で、ノリにくいといったものだった。


早い話が深夜向きだと感じた。深夜枠、例えば23時台や0時台に30分から40分ほどの尺のドラマならば、一部のコアなファンを獲得できたかもしれない。


しかしゴールデンタイムであの作風はツライ。


たかはなんとな~く観つづけているうちに、これをゴールデンで放送する思い切ったジャレンジ精神が、回が重ねるごとにいったいどうなっていくのかちょっぴり興味が出てきて「下北サンデーズ」を観つづけた。


結論からいうと、どうにもならなかった。


ゴールデンらしからぬノリと雰囲気は新鮮味があってよかったが、なぜ下北沢なのか、なぜ演劇なのか、がイマイチ伝わってこなかった。


下北沢がワカモノに人気がある街だから。原作が売れっ子作家の小説だから。そこで上戸彩と藤井フミヤをキャスティングして、勢いだけで走り出してしまったかのようだ。


そもそも、下北沢はなぜ人気があるのだろう。


地方在住の中高生のなかには、吉祥寺、三軒茶屋、下北沢という街に憧れをもっている者がすくなくないという。


ではそれらの街に行ってなにがしたいのかというと、ある地方在住の少女は下北沢に行って道端のガードレールかなにかに一日中腰掛けて道ゆく人々をを眺めているだけで、あぁここが私の居場所なんだなぁ、とホッとするのだというのをテレビのインタビューかなにかで見たことがある。


それって街のホットステーション? 


ならば下北沢でなくても、地元にもあるかもしれないぞ(笑)


なぜ下北沢の道端でホッとするのか。それは使い古された言い方をするならば「カタログ文化の申し子」とでもいえよう。


テレビや雑誌でいつも見ている下北沢は、たとえそこに1度も行ったことがなくても、よく知っている馴染みの場所に思えてしまう。


テレビでよく見る芸能人を街で見かけておもわず親しげに話し掛けたAさん。芸能人にしてみれば、当然にAさんのことなど知らない。


これと同じことが下北沢にも当てはまる。
下北沢という街はAさんのことなど知らないが、Aさんは下北沢をよく知っていて(と思っている)、親しみを持っている。


では、なぜ地方のワカモノは下北沢に憧れを持つのだろうか。


自分の地元が、自分がよく見るテレビや雑誌にとりあげられることはめったにないが、下北沢はよくとりあげられる。


つまり、自分の地元にはないものが下北沢にはあるというわけだ。


地元になくて下北沢にあるもの。それが何なのか。


具体的なものである必要はない。地元ではない、他人がうらやむ場所や雰囲気に自分も参加できていると感じるだけで充足感を得られるのである。


だから、下北沢にやってきた地方のワカモノはそこでなにをするわけでもなく街をブラブラする。それでいいのだ。なぜなら彼ら(彼女ら)は、なにかをするために下北沢にやってきたのではなく、下北沢という街にいることが目的なのだから。


それは、ひとむかしもふたむかしまえの「アメリカ合衆国に行ってきました。ニューヨークに住んでいました」というだけで「おぉ!」と思われたあの感覚とたいして変らない。


ニューヨークに、東京に、下北沢にいるだけで自分がなにかすごいことをしている、すごい状況にいると感じることができる。これはある意味で特権である。


ニューヨークで、東京で、下北沢で生まれ育った人にとっては、その街は日常である。


ニューヨークにいるから、東京にいるから、下北沢にいるから、ということは日常であって、そこに特別な意味を見出すことはない。


しかし地方・地元を持つ者は、地方・地元との比較・対比によって下北沢で過ごす時間を特別なものとすることができる。


だから「下北沢でなにもする必要はない」のである。ましてけっしてもうワカモノとはいえない者が貧乏をしながら演劇を続ける苦労話なんぞに、地方のワカモノは興味がないどころか、そういうものはなるべく見たくはないのだ。


カタログ文化で醸成された、自分によって居心地のいい場所に、泥臭く貧乏く、まるで地元の共同体を彷彿とさせるかのような小さな劇団という集団生活なんぞを混ぜたくはないのである。


六本木や銀座で派手な暮らしをすることははじめからあきらめているが、下北沢あたりの雰囲気を味わいながらまったりのんびりと暮らしたい(とはいっても下北沢あたりは家賃高いゾ)。


そんな夢の世界に、貧乏やしがらみのある小さな共同体はいらないのである。


では、都市部に生まれ育った人たちにとって下北沢はどうかというと、夜遅くまで営業している飲み屋が多いといった利用価値としての評価が多い。


ではでは、下北沢あたりで実際に演劇をしている人たちにとってはどうか。


ドラマのように本多劇場で芝居をできる劇団はそうそうないだろうし、芝居をすればするほど金がかかる。そんな状況をおもしろおかしくテレビドラマ化されたところで、あまりいい気はしないだろう。


小劇団で演劇をするというのは、ある意味お金と時間をかけた趣味ともいえる。趣味についてとやかく言う人はいないのだし、好きでやっていて本人が満足ならそれでいいのである。


趣味の基本は自己満足や自己完結なので、趣味という枠の外のことについては、はっきり言ってどうでもいいのである。


さて、以上のように考察してみてふと思う。


「下北サンデーズ」はいったいだれが観ればいいのだろうか?


テレビドラマ好きだろうか?
しかし、主人公里中ゆいかはテレビドラマというメジャーの世界を選ばずに、劇団というマイナーの世界に戻っていった。


テレビドラマを否定したのである。そして戻っていた先は劇団という小さな世界。


これではテレビドラマ好きな人は、まるで自分を否定されたかのように感じてしまうだろうし「下北サンデーズ」というテレビドラマを作ってるあなたたちは、こうしたテレビドラマの世界の描かれ方が笑いにもなっていないことについてどう思っているのか、自分たちの仕事に誇りはないの? と首を傾げてしまうだろう。


また、夢をかなえるとか夢をあきらめないとか、そういったありきたりなフレーズがたくさん使われた「下北サンデーズ」だが「夢」という言葉さえ連呼しておけばワカモノ向きでいいだろうという安易さが露骨に出てしまったところもイマドキのワカモノを小馬鹿にしているのではいかと思われるリスクがある。


かわいいアイドルとして人気の上戸彩も、前髪そろえたおかっぱ頭にジャージ姿が多い。それもまたかわいいといえばかわいいが、やはりアイドルが綺麗でかわいい服で登場するシーンをある程度用意しておいたほうがいい。


ということで、いったいだれがどこをどう楽しめばいいのかさっぱりわからないドラマになってしまった。


こういったハチャメチャ破滅系とでもいうドラマの味は、深夜でこそ味わい深くなる。


深夜向けのドラマをあえてゴールデンにもってきたところに何か秘策があるのかもと思ったが、どうやらノープランだったようである……。


それで「下北サンデーズ」から学べることはなにかといえば、それは日本のほとんどのワカモノは地方在住であり、進学や就職を機会に都会にやってくるという点をあらためて認識することだ。


地方のワカモノが「カタログ文化」によって地元との対比でで思い描くまだ見ぬ世界(例:ニューヨーク、東京、下北沢)でどうしたいのか? を読み取ることができれば、あとはそれに合致するものをチラ見(下北沢で演劇をみせる必要はない。だた道端に座らせる)させるだけでいいのだ。


ニーズを読み違えるな、ということである。


≪ひとりごと≫
こんな記事を書けるネタを提供してくれたし、個人的にはけっこう楽しめたぞ「下北サンデーズ」!

ちなみに私は駅前劇場では観劇したことがある。劇団新感線の若手の役者さん(中谷さとみ・タイソン大屋)を中心としたユニットの演劇を観た。

そうえば「下北サンデーズ」には劇団新線の所属俳優・古田新太さんが、サンデーズにスタジオを貸しているオーナー・下馬伸朗役で出演していたなぁ。

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07/15/2006

ドラマ「タイヨウのうた」

TBSドラマ「タイヨウのうた」金曜日22時放送

映画版では女性目線の作品作りだと感じたけど、ドラマ版は男性目線の作品づくりのようですね。

というのは藤代孝治(山田孝之)のキャラクター設定に深みが出ていたから。

映画『タイヨウのうた』作品レビュー

映画版では孝治クン高校生だったがドラマ版では19歳のフリーターになっていた。

住み込みでお弁当工場で働く孝治クンはタコ型ウィンナーを作り続けてウン年。でも、突然解雇されてしまいます。業績悪化によるリストラの対象になったのです。

中年男性社員によると、君は若いし夢があるだろうからこんなところでバイトなんてちまちまやってちゃいかんというのです。

「マッドシティ」という映画があります。これはジョン・トラボルタとダスティン・ホフマンによる社会派ドラマです。この作品では、博物館の警備員のサム(ジョン・トラボルタ)はリストラで解雇されます。

警備員をひとり解雇しなければならなくなったのでサム(ジョン・トラボルタ)が選ばれた理由(タテマエみたいなもの)は、彼が白人だから。たしかもうひとりいた警備員はアフリカン・アメリカンだったような気がしたけど、とにかく白人ではないので、解雇されたら再就職はたいへんだろう。だから白人のサム(ジョン・トラボルタ)を解雇するというものでした。

白人にだって貧しい人はいる。いわゆるプァホワイトといわれる人たちのなかには、低賃金で働くアフリカンアメリカンが自分たちの職を奪っていると怒っている人もいます。

さて、ドラマ「タイヨウのうた」では、孝治クンは19歳という若さのために解雇されます。弁当工場の中年男性社員が言う、君は若くて夢があるだろうから、というタテマエは実際にありそうなところが現代日本をよく表しているかも。

こうして孝治クンは学生でもなく、成人でもなく、フリーターでもなくなってしまいます。

若い女性の青春モノってけっこうありますが、若い男の青春モノって少ないかも。そこで孝治クン役に山田孝之さんを抜擢。彼はイケメンですが ただのイケメンではありません。影があるイケメンです。演技も上手ですのでいい配役だと思います。

がしかーし。雨音薫役の沢尻エリカさんはどぅなんでしょう……?

映画版のYUIと比べてしまうからなのかもしれないけど、沢尻エリカさんはという雰囲気をうまく醸し出せていないようです。タイヨウに当れないで夜にひとりで公園(駅前)で歌ってきた孤独感が薄いのです。

これはイメージに過ぎませんが、夜はクラブ通いでブイブイいわせ、もしもバブル期ならジュリアナお立ち台よ~ってなかんじ、もしくは今夜の集会ビシっとキメるんでそこんところ四露死苦ぅ! みたいな雰囲気が沢尻エリカさんからはプンプンしてます。

そもそも彼女はスタイルもよくて綺麗だし、沢尻エリカさん演じるところの雨音薫ちゃんが住んでる家も映画版の庶民系からリッチ系に、まるでトレンディドラマ(死語?)に出てきそうな部屋になっているしで、ちょっと感情移入しにくいんです。

そして、他の登場キャラクター。特に女性陣がみな同じ人にみえるのは私だけ……? 系が似ているんですよね。もちろんみんな綺麗なんです。

あ、ベッキーはすぐわかりましたヨ。

映画版の岸谷五郎みたいな、パンチのある俳優さんを起用してほしかったな。

とはいっても、まだドラマ1回目。回を重ねるほどにうまくはまっていくかもしれないですね。

それにしても沢尻エリカさんって、矢田亜希子さんに似てませんか?

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コスタ・ガブラス ダスティン・ホフマン ジョン・トラボルタ
ワーナー・ホーム・ビデオ 2000-04-21

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