だれも教えてくれない「20世紀少年」の秘密
▼だれも教えてくれない「20世紀少年」の秘密
「よげんの書」はなぜ「よげん」が「ひらがな」なのか。
これほどわかりやすく●●●●●文化の影響がみてとれるのは「崖の上のポニョ」と同等か、それ以上です。
「ともだち」は誰か? というのに多くの人々の興味が集まっていますが、これはあくまで読者や観客の興味を持続させて宙吊り状態にさせておくという意味での「サスペンス」の手法のひとつにすぎず、作品の本質は別のところにあります(たぶん)。
▼だれも教えてくれない「20世紀少年」の秘密
「よげんの書」はなぜ「よげん」が「ひらがな」なのか。
これほどわかりやすく●●●●●文化の影響がみてとれるのは「崖の上のポニョ」と同等か、それ以上です。
「ともだち」は誰か? というのに多くの人々の興味が集まっていますが、これはあくまで読者や観客の興味を持続させて宙吊り状態にさせておくという意味での「サスペンス」の手法のひとつにすぎず、作品の本質は別のところにあります(たぶん)。
「崖の上のポニョ」謎だらけの迷宮を脱出せよ!
『ポニョはなぜ魚の子なのか』
~宮崎駿監督が払拭したがるキリスト教色とは?~
ミステリー(1)【宗介はなぜ大人びているのか】
宮崎駿監督作品は民話や伝説や文化や歴史、それに神話といったものが織り込まれていて、幅広くて深い解釈ができることで有名です。
そんな宮崎駿監督作品のなかでも「崖の上のポニョ」には、特徴があります。
それは、監督自身が「崖の上のポニョ」の公式サイトでわざわざ「キリスト教色を払拭して」と記していることからもわかるように、観方によってはたいへんキリスト教文化色が色濃い作品となっていることにあります。
それまでの宮崎駿監督作品に日本の伝承、民話、伝説、神話といったものに影響を受けているであろうことは数多く指摘されてきましたが、かといって監督自らそれらを特別に否定するコメントを発表していたでしょうか。
もしかしたらしていたかもしれませんが「崖の上のポニョ」もさまざまな伝承、民話、伝説、神話の影響をうかがわせるなかで、わざわざ「キリスト教」たったひとつに絞って言及しています。
これは逆にいえば、キリスト教や聖書の影響を受けたことを躍起になって否定しているようでもありながら、キリスト教やキリスト教文化や聖書に影響されていますよ、と観客に言っているようなものではないでしょうか。
なぜわざわざ「キリスト教色を払拭して」とコメントしたかについては諸般の事情があるのでしょうけれど、そもそも監督がわざわざ言及する「崖の上のポニョ」のキリスト教色とは具体的にどの部分なのか。
ご存知のように宮崎駿監督作品は、小さなお子さんから大人までたのしめる一方で、非常に深い世界観とそこに秘められたメッセージを読み解くという楽しみもあるアニメーションです。
ならば監督がわざわざ言及するキリスト教色がどこにどのようにみてとれるのかを知らずにいることは、宮崎駿アニメの楽しみをじゅうぶんに堪能しきってはいないことになるのです。
親切(?)にも、監督自らキリスト教というヒントを出してくれているですから、いったいどこにどのようにキリスト教色がみてとれるのかを知って「崖の上のポニョ」をもっともっと楽しみましょう。
☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆
「崖の上のポニョ」謎だらけの迷宮を脱出せよ!
『ポニョはなぜ魚の子なのか』
~宮崎駿監督が払拭したがるキリスト教色とは?~
ミステリー(1)【宗介はなぜ大人びているのか】
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このコンテンツは書籍化の企画のひとつでもあります。
出版関係の方々、お気軽にご連絡ください。
クリスマス特集第2回
▼クリスマスのほんとうの意味に思いをはせて、深くじっくりと感動したいあなたへ贈る
「ほんとうはクリスマスに観るべき映画」
~映画史に残る名シーンだといわれるほんとうの意味~
この作品をクリスマス映画としてとりあげる人は、まずめったにいないでしょう。
一見しただけではクリスマスと関係しているとはとうてい思えないような映画作品をご紹介します。
その前に、クリスマス特集第1回にも目を通していただくと、よりわかりやすくなりますのでどうぞ。。
「クリスマスのほんとうの意味」
<あなたは他に見たことがあるだろうか?
冒頭に人名が次々につづく系図が載っている物語の本を――。>
知っているようで知らないイエス・キリスト誕生の意味。
ではクリスマス特集第2回は、イエス・キリストの誕生の物語を映画作品と共にご紹介します。
■ イエスの誕生~飼い葉桶に寝かされる~
■ なぜ羊飼いが最初にやってきたのか
■ ふたつの資質をもつ指導者たち
■ もうひとりの指導者
■ 暗闇の時代に現れた守護者・指導者
~「ブラインドネス」「ダークナイト」でわかる闇と光~
■ 牛舎とサンダル
~なぜ主人公はサンダルを「選んで」履くのか~
■ 映画史に残るシーンだといわれるほんとうの意味
■ ほんとうはクリスマスに観るべき映画
■ 「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」はなぜ題名だけで結末が予想できてしまうのか
~題名に秘められた大いなる意味とは~
▼クリスマスのほんとうの意味に思いをはせて、深くじっくりと感動したいあなたへ贈る
「ほんとうはクリスマスに観るべき映画」
~映画史に残る名シーンだといわれるほんとうの意味~
「崖の上のポニョ」
原作・脚本・監督:宮崎駿
日本/2008年/101分
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話「人魚姫」をモチーフにしている。
●「まんまキリスト教の影響受けまくりのド真ん中直球勝負作」「オトン涙!不良家出娘の嫁入り珍道記」キリスト教色をカラフルにベタ塗りか? 日本の事情(?)を考慮して関係各所に配慮すると共に、観客にはしっかりと「その旨(キリスト教の影響)」を伝えることにした? そのたりの布石の打ち方はさすが「年の功とスタジオジブリ」。ひとつ違えば超ホラー。鳥肌ものの鳥足が生えた、しゃべる肉食人面魚がどこまでも追いかけくるぅ、きっとくるぅ!(>_<)
ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
さかなの子ポニョと5歳の少年宗介の出会いと愛の物語。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽ポニョ(ブリュンヒルデ)
魚。半漁人。
△宗介
男の子。5歳。幼稚園児。
▽リサ
女性。宗介の母親。デイケアサービスセンターで働く。
△耕一
男性。宗介の父親。貨物船「小金井丸」の船長。
△フジモト
男性。ポニョの父親。海の住人。魔法使い。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
「まんまキリスト教の影響受けまくりのド真ん中直球勝負作」「オトン涙!不良家出娘の嫁入り珍道記」キリスト教色をカラフルにベタ塗りか? 日本の事情(?)を考慮して関係各所に配慮すると共に、観客にはしっかりと「その旨(キリスト教の影響)」を伝えることにした? そのたりの布石の打ち方はさすが「年の功とスタジオジブリ」。ひとつ違えば超ホラー。鳥肌ものの鳥足が生えた、しゃべる肉食人面魚がどこまでも追いかけくるぅ、きっとくるぅ!(>_<)
■ キリスト教色を「払拭」?
払拭という言葉があります。
払拭とは、汚れなどをすっかりぬぐい去ること、除き去ってきれいにすること。よくないものをぬぐい去る場合に使われる言葉です。
日本では「ナルニア国物語」を「ロード・オブ・ザ・リング」系として宣伝したり、「ライラの冒険 黄金の羅針盤」をお笑い芸人コンビの藤崎マーケットのラララライ体操にかけて宣伝したりすることからもわかるとおり、たとえその作品が西欧キリスト教文化の背景を抜きに語れない種類の作品であったとしても、宗教色が付きそうなものは極力排除しようとする傾向がみてとれます。
特定の宗教をにおわせることに強い抵抗を感じているであろうテレビ局にヘソを曲げられたら、映画の宣伝もまままならないとなればいたしかたないかもしれません。
とはいえキリスト教は西欧社会・文化に深く関係していることは誰もが知っていることです。それなのにまったくといっていいほどそれを無視するかのような宣伝方法というのは、観客をないがしろにしているといわれてもいたしかたないでしょう。
日本でよくみられるこういった宣伝の仕方は、特定の宗教色が付かないようそれらしきものを「払拭」しているのでしょうか。
もしそうなら、払拭には「よくないもの」をぬぐい去るという意味がありますから、宗教そのものをはじめとして宗教に関連する文化・芸術・文学などもよくないものとしてとらえているということにもなりかねません。
日本には神社仏閣が各地にあり、それらは日本の歴史に影響を与えてきました。もしも、そういうものをすべて「払拭」するとなれば、現代日本につながる歴史の道の地図を手放してしまうことになるのは誰でも容易に想像できるでしょう。
――それで、なんの話でしたっけ?
あ、そうそうポニョでしたネ。
そんな日本の事情(?)を考慮してか「崖の上のポニョ」の公式サイトにはわざわざ「キリスト教色を払拭して」と記しています。これって逆にいえば、キリスト教や聖書の影響を受けたことを躍起になって否定しているようでもありながら、キリスト教やキリスト教文化や聖書に影響されていますよ、と観客に言っているようなもの。
ただ、なにも言わないおいて「キリスト教の影響が色濃くみてとれる」と誰かに指摘されてから「キリスト教とかそういうの関係ありません」と声明を出してゴタゴタするぐらいなら、先に「キリスト教色を払拭して」と明記したほうが、テレビ局も安心して宣伝できますし、たとえ作品を観た人からキリスト教の影響を指摘されても「キリスト教色を払拭して」という形であらかじめその影響を匂わせているのだから「それがなにか?」という体(てい)でやりすごすことができるというわけです。
このあたりの布石の打ち方はさすが「年の功とスタジオジブリ」だなぁと思います。
■ キリスト教の影響受けまくりのド真ん中直球勝負
そんなわけで、暗に(?)キリスト教の影響を示唆していると勝手に解釈するまでもなく「崖の上のポニョ」は「まんまキリスト教の影響受けまくりのド真ん中直球勝負作」とみてとれます。
「アイ・アム・レジェンド」も「トゥモロー・ワールド」も直球すぎるぐらいのキリスト教文化直球勝負作ですから、なにも恥ずかしがったり謙遜したりする必要はありません。
とはいえ宮崎駿監督はすばらしい人格者で礼儀正しい方なのでしょう。キリスト教の影響を受けた箇所がモロにいくつもある「崖の上のポニョ」になることが明らかであるとわかっていたので、日本の事情(?)を考慮して関係各所になるべく迷惑がかからぬよう配慮すると同時に、観客にはしっかりと「その旨(キリスト教の影響)」を伝えることにした。そのひとつの方法が「キリスト教色を払拭して」という文なのだろうと思います。
おそらく宮崎駿監督がキリスト教に特別の思い入れや関係があるわけではないと思います。古今東西の膨大な量と種類の神話・逸話・伝説・伝承を研究して知っているのでしょう。そのなかで自分と向き合い、自分の世界を表現しようとする葛藤を通して結果的に浮かんできたのが、キリスト教関連のものばかりだったのではないでしょうか。
今回はたまたまキリスト教的なモチーフやストーリーが多かった、ということなのかもしれませんね。
以上は推測にすぎませんが、そのあたりの「事情」のようなものをヒシヒシと感じられる作品であります。。
――ここで終わってはいけませんね。ではどこがキリスト教的な要素をイメージさせるのだ? という声にお応えしましょう。
■「父なる神」「ノアの洪水」
フジモトはポニョの父親です。そこでフジモトを父なる神と置き換えてみましょう。
旧約聖書の神(父なる神)は厳しい神として知られています。神との約束を破った人間にはきびしい罰が与えられるといったエピソードは旧約聖書にはいくつもあります。
そんな旧約聖書のなかで、神が腐敗した人間たちをみて一部の人間以外を一度滅ぼそうとされたエピソードがあります。それが「ノアの洪水」です。
「崖の上のポニョ」では、人間に愛想をつかしたフジモトが魔法で海水を浄化して「生命の水」を作ります。それを井戸に貯め、これがすべていっぱいに貯まった暁には「生命の水」の力を使い、世界をデボン紀をおもわせる「海の時代」にする計画を進めています。
「命の水」と「井戸」。これは聖書の「ヤコブの井戸」そのまんまですね。
■ ヤコブの井戸
新約聖書ヨハネによる福音書4章5節~にある有名な「ヤコブの井戸」とは、こんな話です。
イエスが弟子を連れてサマリヤのスカルという町にやってきたとき、そこにヤコブの井戸がありました。
イエスが井戸のそばにすわっていると、ひとりのサマリヤの女が水を汲みにきました。イエスはこの女に「水を飲ませてください」と言われました。そしてあなたに生ける水を与えようとも言います。
このヤコブの井戸というのは、土地から染み出す溜め水で、その深さは30メートルはあったといいます。
これとは別のいわゆる涌き水というのは「生ける水」とも言われ、清めの儀式に使わる罪や汚れを清める効力があるともいわれていました。
サマリヤの女は、溜め井戸のそばにすわっている、くむ物ももたない男が涌き水を与えようというので、不思議に思います。そもそもユダヤ人がサマリヤ人に水を飲ませてくれと頼むこと自体が奇妙に思えました。というのは当時ユダヤ人とサマリヤ人は仲が悪くて交際していなかったからです。
(ユダヤ人とサマリヤ人との関係を表す話に「良きサマリヤ人」〈ルカによる福音書10章30節~〉があります)
そこで女はイエスに、あなたはこの井戸をくださったわたしの偉大な先祖のヤコブよりも偉いかたなのですかとききます。
イエスが言ったのは「永遠の命にいたる水」「罪を清める水」という意味だったのですが、サマリヤの女が涌き水と勘違いすることをお見通しだったようです。
それによってサマリヤの女のヤコブへの尊敬の念を引き出すためだったとも受け取れます。
さて、この「ヤコブの井戸」のエピソードでいうところの「永遠の命にいたる水」「罪を清める水」が「崖の上のポニョ」でフジモトが井戸に貯めている「命の水」であるのは明白ですね。
フジモトは「命の水」を使って世界をデボン紀をおもわせる「海の時代」にしようというのですから、罪深い人間の「罪を清める水」として、フジモトは「命の水」を使おうとしているのはほぼ間違いないでしょう。
増えすぎた人口を減らすためウィルスその他で「人類大量間引き計画を進行中」というのはSF作品でよく使われるネタですね。
そこに水とくれば、しかも地球上の悪いものを水によって一度滅ぼそうというのであれば、真っ先に思い浮かぶのは「ノアの洪水」となります。
ノアの洪水では雨が40日40夜降り、地上の一番たかい山の頂さえ水に沈みました。そして水は150日のあいだ地上にみなぎりました。やがて箱舟はアララテの山(MOUNTAINS OF ARARAT)にとどまり、水が引いてノアたちは外へ出ました。
「崖の上のポニョ」では海沿いの街を海水が覆います。水に浸かっていないのは高台の公園らしきところぐらいなもの。そこにフジモトの潜水艦が横付けします。潜水艦? それって箱舟みたいですね。しかも潜水艦からは、デイケアサービスセンターに通っていた車椅子のお婆ちゃんたちが出てきてます。みんな歩けようになって元気ハツラツです。
聖書にはベデスダの池について記されています。ときおり天使が舞い降りて水面を揺らすときに、真っ先に池に入ると願いがかなうという池です。池の周りには病を患ったひとたちがたくさん集まっています。
水が動く。そこに願い叶う=癒しがある。「崖の上のポニョ」の車椅子のおばあちゃんが洪水がきっかけで歩けるようになるというシーンにつながるものがありますね。
さらに思い出していただきたいのが「おっきな魚の形をした波」に乗ったポニョが、再び宗介に会いにきたことです。
注目すべきは「おっきな魚の形をした波」です。
■ 魚にのまれたヨナ
「大きな波=大きな魚」にのまれた街のデイケサービスセンターで、それまで車椅子生活だったおばあちゃんたちは再び歩けるようになります。
大きな魚にのまれたことで、新たな道を歩みだす。つまり生まれ変わることを意味します。これは聖書の「ヨナの物語」そのままですね。
「魚にのまれたヨナ」として有名なこの聖書のエピソードは、ピクサーの「ファインディング・ニモ」でも使われています。ニモがおっきな魚にのまれて、外に出たときには目的地のシドニーに到着していたという、あのシーンです。
魚にのまれたヨナの話も簡略にご紹介しましょう。神の命令に背いて本来の行き先とは違う行き先の船に乗り、嵐にあいます。船員たちに自分を海に放り込むようお願いするヨナ。船員たちがその願いどおりにするとピタリと嵐がおさまります。魚にのまれたヨナはそこで悔い改め、再び地上に出たときにはもう迷うことなく神に従って生きていく決心をして一歩を踏み出すのです(生まれ変わる・洗礼)。
ほかに水関係ではポニョが水の上を歩くシーンがあります。聖書にはガラリヤ湖で水上を歩いたイエスのエピソードがあります。
■ 水上を歩くイエス
マタイ、マルコ、ヨハネそれぞれの福音書に「水上を歩く」というエピソードが記されています。
湖に漕ぎ出した舟に乗ったイエスの弟子たちに逆風が吹きつけます。一生懸命に漕いでも舟は進みません。その様子を見たイエスは、夜明けの4時頃に弟子たちのところに向かいます。
月光の中、湖の上を歩いてこちらにやってくる人影を見た弟子たちは、それを幽霊だと思って恐れます。しかしそれがイエスだとわかると、弟子のペテロは「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」と願います。
イエスに「おいでなさい」と言われたペテロは舟から降りて水の上を歩いてイエスのところに行きます。しかし風に恐れをなしておぼれかけます。
ペテロはイエスに手をつかまれて救われ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。
そしてふたりが舟に乗り込むと風はやんでしまいます。
水の上を歩けるのはイエス・キリストか、そのイエスを信じる者だけ。となれば「逆風」や「嵐」のなか、水の上を歩くポニョはそのものズバリ、イエス・キリストをモチーフとしていることがわかります。
■ ポニョが人間になりたいわけ
人間になりたいポニョ。
海の中の安全なところを脱出してわざわざ汚染された海の外、陸の人間の世界へやってきたポニョ。
聖書に置き換えると、天井から罪深い人間がいる地上にやってきたイエス・キリストですね。
イエスが地上にやってきたのは人類を救うためです。
ポニョが陸にやってきたのは人間になるため(イエスは人間の子として地上に使わされた)ですが、いろいろあっても結果的に父フジモトの「世界をデボン紀をおもわせる海の時代にする計画=人類の危機」を阻止することになったのですから、ポニョも人類を救うのです。
それから、救世主といえば「復活」ですね。
聖書によるとイエスは十字架に架かって3日後に蘇りました。
ポニョも魔法の力が弱まって眠くなってグッタリしてしまいます。宗介からみればポニョが死んでしまったかのように感じたことでしょう。
ところが、いなくなっていた娘ポニョが魔法(お金)を使い果たして弱って父フジモトのもとに戻ってきたときに、すべてを受け入れる宗介の愛によって蘇る=復活するのです。ほら、ポニョも復活を思わせるシーンがありますね。
「いなくなっていた娘ポニョが魔法(お金)を使い果たして弱って戻ってきた」というのは聖書の「放蕩息子」のエピソードをなぞっているようにもみえます。
■ 幼子ポニョ
「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」で、ナルニア国で数百年姿を見せないといわれるアスランの姿を、深い谷を挟んだ向こう側に見ることができたのは、ペベンシー4兄妹の末っ子ルーシーだけでした。
「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」でも衣装タンスからナルニア国にはじめてやってきたのは、末っ子のルーシーです。
新約聖書マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあり、15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。
ルーシーは小学校低学年ぐらい。ポニョは宗介と同じ5歳ぐらい。どちらも同じぐらいの年齢の幼子です。。
キリスト教の背景が読み取れる「テラビシアにかける橋」の主人公のひとりの少女は小学生。日本でいうと小学4,5年生ぐらい。
「ライラの冒険 黄金の羅針盤」の主人公の少女は12歳ぐらいですが、大人に比べればじゅうぶん幼子といえるでしょう。
しかもみんな女の子です。
「 ダ・ヴィンチ・コード」の謎を解く重要な鍵は「M」。すなわちマグダラのマリアという女性です。
幼い女の子が主人公。これもキリスト教の背景を色濃く持った作品の典型パターンですね。
■ 崖の上・岩の上に家を建てる
「崖の上のポニョ」。崖の上といえば、新約聖書のマタイによる福音書7章には「岩の上に家を建てた賢い人」の話があります。
岩の上に家を建てれば「雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない(マタイによる福音書7章25節)」のです。
宗介とミサは嵐の中、崖の上の自宅に戻ります。自宅に着いたときにはポニョも一緒です。宗介とポニョは崖の上の家で洪水と嵐をやりすごします。
崖の上の家を、岩の上の堅固な土台をもった家としましょう。洪水や嵐にあっても、賢い者が建てた岩の上の家は倒れることはないのです。
床ギリギリまで海水が上昇しますが、宗介の家は倒れません。町全体が海水に沈んだ中で、宗介の家はまるでノアの洪水でアララテの山頂についた箱舟のようです。
つまり崖の上=岩の上に家を建てた(住んでいる)賢い人=宗介は、洪水から守られたノア=よき人という構図が浮かび上がるのです。
■ オトン応援歌
宮崎駿監督はオトンです。オトン(父親)の愛というのは特に現代日本でクローズアップされることは稀です。
宗介の父親である耕一は貨物船の船長。仕事のために予定していた帰宅ができなくなります。光を使ったモールス信号で、ごめん愛している、といったメッセージをおくる耕一ですが、それに対して妻リサは「バカバカバカ」と連発します。
これは夫婦のベタな愛情表現ですが、父耕一はいつも仕事で宗介たちのそばにいません。これってどこにである日本の家庭のありがちな日常の風景です。
もうひとりのオトンであるフジモトは娘への愛情にあふれ、家出して他所の男に熱をあげる娘を家に連れ戻そうと苦手な陸にさえ上がります。
やがて娘の幸せを考え、もう海(家)に戻ってこないと悟ると、今度は娘を愛する最高の保護者を世話します。それはもちろん宗介のことですね。
「オトン涙!不良家出娘の嫁入り珍道記」みたいで、全国のオトンは仕事で家族との時間がつくれない身の上を耕一に重ね合わせ、やんちゃな愛娘の嫁入りのときをフジモトに重ね合わせ、目頭を熱くするのです。
まさにオトン応援歌。宮崎駿監督の「全国のオトンたちへのエール」なのです。
ほら「崖の上のポニョ」の主題歌を歌っているのは「藤岡藤巻と大橋のぞみ」です。「藤岡藤巻」のふたりは、藤岡孝章と藤巻直哉。
ふたりともオトンを思わせるオジサンですね。
このように、主題歌でも娘とオトンをイメージさせるビジュアルを意識して用いているのです。
■ ピクサーを意識?
アニメーションといえばピクサー・アニメーション・スタジオ。CG技術だけでなくストーリー作りもズバ抜けています。
ピクサー・アニメーション・スタジオとスタジオ・ジブリのアニメ制作方式は違いますので、どちらがいいわるいということではありません。でも、ひとりに集中して負担がかかりやすいのはスタジオ・ジブリです。
そのひとりとは宮崎駿監督であり、近年はとくにまるで命を削るかのようにアニメ作品を作っています。ひとりの世界をスタッフみんなでアニメーションという作品にしていく。だからこそ人間の深い描写と物語世界を表現できる一方で、ひとりよがりになりやすかったり、わかりにくい箇所も出てきたりします。
だからスタジオジブリ作品のいくつかはテーマが難解すぎてわかりにくいものがあるのです。しかしそれがジブリや宮崎駿監督の「味」や「世界観」として箔がついたりもしています。
そういった作品づくりをずっとしてきたので、今更ピクサー方式に変更することはまず不可能でしょうけれど、やはりアニメーションという土俵でヒットの常勝軍として君臨しているピクサーの作品は、宮崎駿監督といえども気になるでしょう。
そりゃそうです。アニメやCGでは難しいといわれていた水の描写にガッツリ取り組んでヒット作「ファインディング・ニモ」を世に送り出したピクサーですから。
そりゃそうです。アニメやCGでは難しいといわれていた料理の描写にガッツリ取り組んでヒット作「レミーのおいしいレストラン」を世に送り出したピクサーですから。
しかもストーリーはだれが観てもわかるシンプル設計でありながら、その背景にはキリスト教のエピソードもしっかり織り込まれており、家族みんなで見れるエンタテイメント作品として作る作品はみなヒットしています。
とくに料理や食事のシーンい力を入れてきた宮崎駿監督にとって「レミーのおいしいレストラン」には、やられちまったぁ! と思ったのではないでしょうか。
CGでピクサーと張り合っても無理となれば、自ずとCGを一切使わずずに手書きによって作画する方法をとることになったのはうなづけるところです。
そうして出来た新作の蓋を開けてみれば「キリスト教色カラフルにベタ塗り」になっていたというのはたいへん興味深い現象ですね。
年を取って自分の描きたい事をとことんつきつめてきた、そのたどり着いた深層心理の底の普遍的な部分あったのは、世界のベストセラーといわれる聖書のエピソードを彷彿とさせるものばかりだったのですから。
先に書いたとおり、これは推測にすぎませんが、宮崎駿監督は出来た新作があまりにキリスト教色が色濃いことにハッとして、あわてたわけではないでしょうが勢い余って「キリスト教色を払拭して」というようにわざわさ明記したのではないでしょうか。「払拭して」という言葉を使ったところに宮崎駿監督の気持ちが表れているのではないでしょうか。
■ その他
ひとつ違えばかなり怖い話です。
ある日、少年は深海のしゃべる肉食(ハム)人面魚に一目惚れされます。嵐を起こしてまでしつこく迫りくる人面魚。やがて人面魚に「鳥肌ものの鳥足」が生え、陸さえも走ってどこまでも追いかけてくるぅ! きっとぉくるぅ!(>_<)
ひとつ違えば、キモ怖い立派なホラーですね……。
さて、キリスト教の背景を持つといわれる欧米の映画作品であっても、使っている聖書のエピソードは2、3個です。
ところが「崖の上のポニョ」はなにからなにまで聖書のエピソードやイエスのたとえ話を取り入れているようにみえます。
もしも、キリスト教や聖書のエピソードの百貨店を目指したのだ、といわれれば「なるほど」とうなづくことでしょう。
もしも「崖の上のポニョ」みたいな作品が欧米のスタッフによって制作・上映されたら、キリスト教のモチーフを使うのはいいけれど、ちょっと使いすぎかもしれないね、それらをベースにしつつ、もうちょっとオリジナリティを持たせたらもっとよかっただろうよ、という意見が聞けるかもしれません。
言い方はよくないかもしれませんが「ヘタすると」キリスト教会やキリスト教関連団体の布教活動用アニメ作品として使えそうであるばかりか、布教・伝道用に作られた作品といわれても、だれも疑わないかもしれません。
とはいえキリスト教色のことなど何も意識せずに観ても楽しめます。細かく観ればいろいろな解釈ができる深ぃ~作品ですが、シンプルな物語としても楽しめるようになっています。
深読みファンも、シンプルに楽しみたいファンも、その両方を意識した作品づくりの「さじ加減」が「崖の上のポニョ」の最大のアピールポイントですね。
今回はとくにオトンの涙が止まりませんヨ。
オトンも含めた家族みんなでご覧になるのがよいでしょう。
笑えたのは、車に乗って移動中の宗介を、ポニョが大波にのって追いかけるシーンです。映画「エスケープ・フロム・LA」で主人公スネークが大波にのってサーフィンするシーンとそっくりでした(笑)。
デート ○
フラッと ○
演出 ○
キャラクター ○
映像 ○
ファミリー ○
映画メルマガ発行しています。
ズバッと映画紹介や濃い~映画批評ならこのメルマガ。ドラマ、演劇、小説と多肢にわたる物語解説は他ではちょっと読めないゾ。日本ではほとんど知らされない映画に込められたキリスト教文化や歴史を解き明かす、巷で噂のまぐまぐ!殿堂入り映画レビューマガジンがこれ!
まぐまぐ!殿堂入りマガジン
▼「基本3分!映画レビュー わかりやすい映画案内」
≪ミラース王が敗れた理由は「物語力」にあった!≫
■ ハリウッドが映画を作り続けるのはなぜでしょう
莫大な資金を投じて映画を作り続けるのは、それが商売だからという以外にも大きな意味があります。
いうなれば、国家を存続させていくためには「物語らずにはいられない」のです。
米国は様々な問題を抱えているからこそ「物語る」ことの必要性とその力をよく認識している。
だから映画という形で物語り続けるのです。
「物語る力」を強く認識しているのは米国だけではありません。
どんな国の指導者も少なからず物語の力を利用しています。
「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」でも物語の力の大きさが描かれています。
■ 人間以外の種族の痕跡を消そうとするテルマール朝
テルマール人がどこからきたか。
彼らの伝承によると南太平洋の島からやってきたといいます。おそらく先祖は海賊であったと思われます。
そんな彼らがナルニアを占領した後は、人間族以外の種族が言葉を発することが禁じたり、人間族以外の種が虐殺されたりしました
生き残った人間族以外の種族たちは森に逃れ、レジスタンスとして地下にもぐります。
こうしてテルマール人たちは、人間以外の種族の存在の痕跡さえも消し去ってしまいうのです。
人間以外の種族の存在や魔法や言葉を話す動物の話はお伽噺の世界の話にすぎないとして、ナルニアの歴史物語を紐解いたり人に話したりすることを禁じるのです。
さらに、森に入ってはいけないと民に言い聞かせることで、人間以外の種族たちとの接点を完全に断ち切ろうとします。
■ 森は異世界
さて、西欧の童話の数々にはよく「森」を舞台として描かれる作品があります。
たとえば、グリム童話にある白雪姫の物語もそうですね。
王妃の怒りを買った白雪姫が連れていかれたのは「森」です。
森で白雪姫を殺せ、という命令を守らなかった猟師によって生きながらえた白雪姫は、森ので7人の小人(ドワーフ)たちと出会って暮らすようになります。
なぜ王妃は白雪姫を森へ連れて行って殺せと命令したのでしょうか。
魔法の鏡に「世界で一番美しい女性は?」ときいたら……という理由ではなく、ここでは「なぜ森へ」なのかに注目しましょう。
森は日常の世界とは別の世界だとされていたからです。森は人間の支配が及ばない未知の世界であり、ひとたびその地に足を踏み入れれば何が起るともわからないとされていました。
現代では市街地と森は違うとはいえ、別の次元の世界であるとは考えられていません。同じ世界の中の場所の種類の違いという認識ですね。
ところが童話の世界や中世ヨーロッパの世界では、森は日常とはかけ離れた別世界として位置づけられていたと考えられています。
だから姫の暗殺に森という場所が選ばれたのです。だから暗殺を逃れたカスピアン王子は命からがら森へと逃げ込んだのです。
森は人間の支配が及ばない異世界の象徴なのです。
これをふまえて「カスピアン王子の角笛」を観れば「森」に関するたいへん興味深い事柄が浮かんできます。
■ 利用される森
人間の支配が及ばない恐ろしい世界である「森」という概念を利用して安泰を図ってきたのは、なにをかくそう人間族が支配するテルマール朝であったのです。
テルマール朝にとって森は制御できない異世界ではなく「森は異世界」という概念を利用した便利な道具であったわけです。
森に入ってはいけないというテルマール朝の教えは、ナルニア国の種族をはじめ、魔法の国ナルニアの存在さえもお伽噺にするための方策のひとつだったのです。
言葉を発するのは人間だけ。人間以外の種族は存在しない。そういう世界を作り上げたのがテルマール朝なのです。そうやってテルマール朝は数百年続きます。
■ なぜあの人は偉大な指導者になれたのか?
世界を作り上げるとはすなわち「物語る」ことです。
自身に都合のよい物語をつくって民にきかせることで、自身の世界を作り上げて支配する。
ミラース王にかぎらず、どの国の指導者も物語ります。
物語は選挙演説の形をとることもありますし、マニュフェストの形をとることもあります。
歴史上有名な指導者たちは皆、物語ることに長けていたといっていいでしょう。
なぜあの人は偉大な指導者になれたのか? という問いの答えとして最もシンプルで明確な答えは、彼ら彼女らが物語ることの力の大きさを認識するだけなく実感してそれを実行していたからに他なりません。
テルマール朝、とくに最後の王ミラースは国の指導者になる野心を持つだけのことはあります。
王座を手中に入れるために、言葉を発するのは人間だけで人間以外の種族は存在ぜず、まして魔法など存在しないという物語をしっかり守り通してきました。
だからこそ、王位継承権を持つカスピアン王子の暗殺に失敗しても、心のどこかでこう思ったのではないでしょうか。
森に逃げ込んだカスピアン王子は、テルマール人を憎む種族たちにみつかれば即、殺されるだろう――と。
自身が作り、守り、利用してきた物語に自信を持っていたからこそ、人間族以外の種族と遭遇したカスピアン王子が生き残るとはとうてい思えなかったのではないでしょうか。
ところがカスピアン王子は短期間で人間族以外のナルニアの種族たちと手を組むことに成功します。
これには、さすがのミラース王もびっくりしたことでしょう。
物語の力をじゅうぶん過ぎるほどに知り尽くしている自分。そしてテルマールの物語を守って利用してきた自信が、音を立てて崩れ去るかのように感じたことでしょう。
■ カスピアン王子が生きのびることができたワケとは
ではなぜ、森に入ったカスピアン王子は生きのびることができたのみならず、ナルニアの戦士たちと手を組むことができたのでしょうか?
なぜなら、カスピアン王子は家庭教師(コウネリウス博士)からナルニアの物語をひそかにずっと聞いて育ったからです。
カスピアン王子はそれをおとぎ話だと思ってきいていましたが、テルマール朝が示す物語とは別にもうひとつの物語、つまりナルニアの物語も吸収していたのです。
だからこそ自分が暗殺されそうになり、命からがら馬で逃走し、追っ手が迫ったときに森に逃げ込むことができたのです。
さらに追っ手が迫り、いよいよピンチというときに「角笛」を吹くことができたのです。
もし、ナルニアの物語を知っていなかったらいくら自分の命を救って逃してくれた家庭教師が渡してくれた角笛とはいえ、それを吹いてどうなるものでもないと思ったことでしょう。
でもカスピアン王子は家庭教師のコウネリウス博士の言葉を信じ、ピンチのときに角笛を吹いたのです。
森に入り、角笛を吹いた。
それができたのは、ナルニアの物語を、たとえそれがおとぎ話と思っていたとしても、自身の中に持っていたからなのです。
もしカスピアン王子がナルニアの物語を知らなかったら、言葉をしゃべる動物や人間以外の種族に遭遇してわけがわからないまま戦って命を落としていたことでしょう。
数日前までおとぎ話だと思っていた世界が目の前に広がったとき、はじめは驚いても、カスピアン王子はかなり早い段階でそれまでとは違う現実(物語)を受け入れることができました。
ミラース王がもたらす世界=物語だけでなく、家庭教師を通してもたらされた世界=物語も持っていた。
だからこそ「イザ!」というときに命を落とすことがないばかりか、後に王座につくことができたのです。
■ 半径8メートルの世界
わたしたちが生きる世界にも物語があります。
わたしたちが現実だと思っている範囲は、たとえるならば「半径6メートルの世界」です。
自分と自分を取り巻く環境とそれによって把握する世界=物語は意外と狭いものです。
狭いことはいたし方ありませんが、狭いながらももうひとつの物語を持ちましょう。
受身の物語だけでは、イザというときに脆いからです。
月並みな例としては、親がすすめる学校に進み、教師が進める大学に進み、よい会社としてランキング上位に入る大手企業に入るという道を受け身で進んでいて途中のどこかでつまづくと、親のせい、教師のせい、社会のせい、というように半径6メートルの世界をうらむようになってしまうかもしれません。
「半径6メートルの世界=物語」は自身をとりまく大切なものです、大切な「半径6メートルの世界=物語」だからこそ、それを守るためにも「もうひとつの世界=物語」を持ちましょう。
■ もうひとつの世界=物語
では「もうひとつの世界=物語」を持つにはどうしたらいいのでしょう。
想像力を働かせるのです。
人間に与えられたもので最も偉大なものがあります。それは想像力です。
大人になると想像力を空想力として、またときには妄想力として軽んじる傾向があるかもしれません。
くだらない空想や妄想をしてないで現実をみろよ、という人もいるでしょう。
しかし現実を見据え、半径6メートルの現実という名の世界を生き抜くためにも、もうひとつの世界を想像して創造(ダジャレじゃないよ)することが大切なのです。
■ 物語をつくるとは?
では、もうひとつの世界=物語をつくるとはどういうことでしょうか?
人はそれを「自分の価値観を持つ」とか「自分のモノサシを持つ」ともいいます。
ひとりで物語を作るのがたいへんだと思うなら、無理せずに大切なだれかと一緒に作ってもいいのです。
カスピアン王子が暗殺されそうになり城(国)を追われることになっても後に王になることができたのは、現実とされるテルマール物語だけでなく、空想と思われていた(思っていた)ナルニアの物語もしっかり持っていたからです。
空想のナルニアとされていた物語に想像力を働かせてきたからこそ、森で人間族以外の種族に出会ってもそれを受け止めることができ、それによって自分の価値観をもってどうすべきかの判断と決断を下すことができたのです。
■ 物語にはふたつある
物語には大きく分けてふたつあります。
与えられる物語とつくりだす物語です。
与えられる物語とはここではテルマール朝のミラース王の支配を指します。
与えられる物語を現実として受け止めなければならない一方で、もうひとつの物語も平行して持ち続けましょう。それがいずれ現実となるときのために持ち続けるのです。
もうひとつの物語とは、ここではナルニアの物語を指します。
地位も国も失い、命さえも失いかけたカスピアン王子は悲観して自暴自棄になって無差別に刀を振り回したでしょうか。悲観して自殺したでしょうか。
そうはしませんでしたね。父王カスピアン9世の死の真相を確かめ、家庭教師のコーネリアス博士を救い出そうとします。それができるのもふたつめの物語を持っていたからです。
ふたつめの物語は「希望」ともいいます。
コーネリアス博士が禁じられたナルニアの話をカスピアン王子にしていたのは、いずれ訪れるであろう危機に備えて生き残るためであり、王位を奪還する希望を持たせるためだったのではないでしょうか。
森でたったひとりになったカスピアン王子は「もうひとつの物語」によって救われたともいえます。
■ 幼子が同じ絵本を何度も読んでもらいたがるワケ
さて、アナタは就寝前のこどもに絵本の物語を読み聞かせると次の晩も同じ絵本を読み聞かせてくれとせがまれたことありませんか?
昨晩読み聞かせたのと同じ絵本を今晩もだなんてなぜ? と思うことでしょう。
なぜなら、こどもは絵本の物語をベースに自分の物語をいくつもつくって楽しみます。そういった物語る想像力を持っているのです。
大人になっても想像力を持ち続けることはできます。想像力を用いてふたつめの物語、すなわち自分の物語をもち、やがて他人が楽しめる、共感してもらえる物語をつくりだしたとき、あらたな家族の物語が生まれるのです。
それは「自分と自分が大切に思う人と歩む人生」ともいいます。
「カスピアン王子」から学びとってほしいもの。
それは「物語の力の大きさ」と「もうひとつの物語の大切さ」です。
そういった意味でも「カスピアン王子の角笛」はたいへん有意義な物語なのです。
物語る力の大きさと重要性をぜひ心に留めておいてくださいね。
▼「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説
~これを知れば7倍楽しめる~
「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」
▼「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」
キリスト教・聖書大解説
信仰」の物語。ナルニア国物語のキリスト教文化を聖書のエピソードを例に大解説。
アスランがなかなか姿を現さないワケとは?
アスランは姿を消したのではない、そうではなく……。
ダビデにみる物語の定石「王は帰還する」。「少年ダビデと巨人ゴリアテ」でわかるテルマール
軍とナルニア軍の戦力差。
カスピアンだけではない? イケメン王子は聖書の中にも登場する。
「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛(THE CHRONICLES OF NARNIA: PRINCE CASPIAN)」
監督:アンドリュー・アダムソン
アメリカ/2008/年150分
原作:C・S・ルイス 『ナルニア国物語(The Chronicles of Narnia)』
「信仰」の物語。ナルニア国物語のキリスト教文化を聖書のエピソードを例に大解説。アスランは姿を消したのではない。ダビデにみる物語の定石「王は帰還する」。「少年ダビデと巨人ゴリアテ」でわかるテルマール軍とナルニア軍の戦力差。カスピアンだけではない? イケメン王子は聖書の中にも登場する。
ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
テルマール王国で摂政ミラースによるカスピアン王子の暗殺未遂が発生。
コウネリウス博士の手引きでかろうじて暗殺を逃れたカスピアン王子は、博士から角笛を受け取って城から脱出するもミラースの部下の追っ手が迫り、とっさに角笛を吹いた。
角笛の音に呼ばれてペベンシー4兄妹が戻ってきたそこは、かつての平和で美しいナルニア国ではなかった。
ペベンシー4兄妹が王と王女になった黄金時代からすでに約1300年の時が経過しており、テルマール人によってナルニアの民は迫害され、生き残った者たちは森の奥深くに隠れ住んでいた。
ペベンシー4兄妹はやがてカスピアン王子と合流。共にミラースの軍と戦う。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ピーター・ペベンシー(一の王)
ペベンシー4兄妹の長男
△エドマンド・ペベンシー(正義王)
ペベンシー4兄妹の次男
▽スーザン・ペベンシー
ペベンシー4兄妹の長女。弓の名手。
▽ルーシー・ペベンシー
ペベンシー4兄妹の次女
-------------------
〔テルマール人(人間)〕
△カスピアン
テルマール王国の王子
△ミラース
カスピアン王子のおじ。亡き王の弟。王位を欲し、カスピアン王子の暗殺を企てる。
△コウネリウス博士
カスピアン王子の家庭教師。禁じられているナルニアの歴史を王子に伝え、角笛を渡す。
△グロゼール卿
ミラースの側近
-------------------
〔ナルニア〕
△アスラン(ライオンの姿)
ナルニアの創造主。ナルニアの民の前から姿を消して数百年経つ。
△松露とり
アナグマ。
△トランプキン(赤ドワーフ)
ペベンシー4兄弟に助けられ、行動を共にする。
△ニカブリク(黒ドワーフ)
トランプキンの親友。ナルニアのために闇の力にすがろうとする。
△アステリウス
ナルニアの戦士。セントール(半身半馬)。ナルニア軍を指揮。
△グレンストーム
ナルニアの戦士。ミノタウロス
△リーピ・チープ
ナルニアの戦士。ネズミの騎士。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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「信仰」の物語。ナルニア国物語のキリスト教文化を聖書のエピソードを例に大解説。アスランは姿を消したのではない。ダビデにみる物語の定石「王は帰還する」。「少年ダビデと巨人ゴリアテ」でわかるテルマール軍とナルニア軍の戦力差。カスピアンだけではない? イケメン王子は聖書の中にも登場する。
■ はじめに
ここでは主に、ナルニア国物語の物語を聖書のエピソードとの対比によってその魅力を浮き彫りにしようと試みます。
映画「カスピアン王子の角笛」を未見の方は、ナルニアの話なのか聖書の話なのかの区別がつきにくくなるかもしれません。
そこで以下の「単語、名称、名前」を含む文については聖書のエピソードだと見当を付けていただければと思います。
「イスラエル」「サウル」「ダビデ」「ヤコブ」「ヨセフ」
「モーセ」「ゴリアテ」「ギデオン」「ヨシュア」「バラム」
「アブサロム」「預言者サムエル」「エリコの城壁」「エデンの園」
また「カスピアン王子の角笛」のレビューの前にこちらを一読することをお勧めします。
▼「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説
~これを知れば7倍楽しめる~
「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」
■ 第1章からおよそ1300年後のお話
~ほんとうはスーザンの角笛!?~
「カスピアン王子の角笛」の舞台となる時代は、ナルニアの歴史のどのあたりでしょうか。
映画化第1作「第1章ライオンと魔女」においてペベンシー4兄妹が衣装タンスからナルニア国にやってきて白い魔女を倒したのはナルニア暦1000年。
これによりペベンシー4兄妹はナルニアの王と王女になり、黄金時代が訪れます。
それからの後のナルニア暦1998年。テルマール人(人間)がナルニアに侵攻・征服。テルマール人によってナルニアの民は迫害され、生き残った者たちは森の奥深くに隠れ住みます。
自然や魔法の力をおそれたテルマール人は、ナルニアの歴史を語ることを禁止します。
時は流れ、ナルニアの存在はお伽話として囁かれる程度のものになっていました。
そしてテルマール人によるナルニア征服から約300年後のナルニア暦2303年。
テルマール王国でミラース摂政によるカスピアン王子の暗殺未遂が発生。カスピアン王子はコウネリウス博士の手引きでかろうじて暗殺を逃れ、博士から角笛を受け取って城から脱出します。
ほんとうにピンチのときに使ってください、と渡されたこの角笛こそ、1300年前にペベンシー4兄妹の長女スーザンがサンタクロースから贈られた「魔法の角笛」であったのです。
■ アスランの姿を見たルーシー
ナルニア国にやってきたペベンシー4兄妹たちが深い谷を挟んだ向こう側へ渡ろうと道を探しているときのことです。
ペベンシー4兄妹の末っ子ルーシーだけが、ナルニア国で数百年姿を見せないといわれるアスランの姿を、深い谷を挟んだ向こう側に見たといいます。
アスランの姿を見たその場所から谷を下って向こう側へ行こうと提案するルーシーですが、他の兄妹たちも含めて誰もその姿が見えなかったため、深い谷を避けて川の浅瀬のある場所へと迂回することになります。
思い出してください。「第1章ライオンと魔女」で衣装タンスからナルニア国にはじめてやってきたのはルーシーです。
新約聖書マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあり、15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。
そのためでしょう、ナルニア国物語においてもアスラン(イエス・キリスト・神)のことを最も慕っており、より深い絆で結ばれているとされているのはルーシーとなっています。
だからルーシーだけが深い谷を挟んだ向こう側にアスランの姿を見ることができたのです。
■ アスランは姿を消したのではない
~信仰~見ないで信じる者はさいわいである
ナルニアからアスランが姿を消して数百年。ナルニアの民でさえアスランの存在を実感できなくなっていた時代。
ナルニアの民はアスランが姿を消したと思っていました。けれども、アスランは姿を消したわけではないのです。
いったいどういうことなのでしょう。
それを説明するにはまず「信仰」について話さなければなりません。
新約聖書の4福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)のうちマタイ、マルコ、ヨハネそれぞれの福音書に「水上を歩く」というエピソードが記されています。
湖に漕ぎ出した舟に乗ったイエスの弟子たちに逆風が吹きつけます。一生懸命に漕いでも舟は進みません。その様子を見たイエスは、夜明けの4時頃に弟子たちのところに向かいます。
月光の中、湖の上を歩いてこちらにやってくる人影を見た弟子たちは、それを幽霊だと思って恐れます。しかしそれがイエスだとわかると、弟子のペテロは「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」と願います。
イエスに「おいでなさい」と言われたペテロは舟から降りて水の上を歩いてイエスのところに行きます。しかし風に恐れをなしておぼれかけます。
ペテロはイエスに手をつかまれて救われ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。
そしてふたりが舟に乗り込むと風はやんでしまいます。
ちなみにペベンシー4兄妹の長男ピーターは、新約聖書に登場するイエスの12弟子のひとり、ペトロ(ペテロ)に由来する英語圏の人名です。ペテロはイエスの12弟子のリーダー格で、本名はシモン。自分も水の上を歩かせてくださいとイエスにお願いしたのはこのペテロです。
水の上を歩くというのは、常識では考えられません。でもこれは、信じる者にはそれができるということを伝える「信仰」についてのエピソードなのです。
もうひとつ「信仰」に関する聖書のエピソードをご紹介しましょう。
これは、末っ子ルーシーがアスランを見たと言ったときに、それを信じることができなかった兄妹たちの様子を彷彿とさせるエピソードです。
十字架にかかり亡くなって後によみがったイエスの姿を見た弟子たちがいる一方で、未だその姿を見ていない弟子がいました。――彼の名はトマスといいます。
他の弟子たちがイエスにお会いしたと言ってもトマスは信じません。
それから8日の後、トマスを含めた弟子たちが鍵のかかった家の中にいると、イエスが姿を現して言われました。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
トマスはイエスを見てこれに答えて言います。「わが主よ、わが神よ」。
イエスは「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」といわれました。
水の上を歩くことは普通は考えられません。でも目の前でイエスが水の上を歩くのを見たペテロは自分も歩けると信じて一歩を踏み出します。見て信じたペテロも「風」に怯えておぼれかけます。
それほど人間とは弱いもの。
まして亡くなった者が生きかえったと聞いても、それを見るまでは信じられないのは致し方ないと思われるでしょう。
でも、トマスはイエスの弟子です。イエスと共に時間を過ごし、イエスの数々の奇跡を見てきた弟子です。ナルニア国物語でいえば、かつてアスランとともに白い魔女を打ち破ってナルニア黄金時代を切り開いたペベンシー4兄妹でしょう。
そんな弟子(ペベンシー兄妹)でさえ、その姿を見るまでは信じることができなかったのです。
ナルニア暦2303年当時には、アスランの姿を見た者はルーシーだけ。その見たという話を他のペベンシー兄妹たちでさえ信じることができません。
人は目に見えないものを信じることを難しいと感じます。イスラエルの民はその歴史上、幾度も形ある物=偶像を作ってこれを拝みます。
イスラエルに王が誕生したのも、民の強い要望によるものです。他の国に王がいるように、自分たちも王がほしいと望んだのです。目に見えない神では不安で、目に見える王を欲したのです。
王の話が出ところで、次に「カスピアン王子の角笛」のストーリーから想起されるイスラエルの王についての話をしましょう。
(「アスランは姿を消したのではない」については後ほど)
■ 羊飼いの少年が巨人兵を倒す
巨人兵です。巨神兵(「風の谷のナウシカ」に登場)ではありません。
イスラエルの初代の王はサウルといいます。サウル王が神の言葉に従わなくなってきた折り、神の言葉を人間に仲介するた預言者サムエルによって次の王が選ばれます。
選ばれたといってもすぐに王になるわけではありません。選ばれた者は預言者サムエルによって頭に油を数滴落とされて神の旨(次の王となる)をそっと告げられるのです。
次の王となる少年の名をダビデといいます。彼はエッセイという人の息子で末っ子です。
ほら、ここでも末っ子が登場しましたね。旧約聖書の時代も現代の日本も、基本として長男が重んじられるのはよくあることです。
でも神のために働く者として選ばれる人たちには、次男や末っ子がけっこういました。ヤコブは双子の弟。ヨセフは12人兄弟の11番目。イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセにも兄がいました。
ナルニア国物語でもアスランと最も強い結びつきを持っているのは末っ子のルーシーですね。
話を戻しましょう。
ダビデは羊を飼っていました。いわゆる羊飼いです。ダビデの兄たちはペリシテ人の軍隊と谷を挟んで対峙するイスラエルのサウル王の軍にいました。
父のいいつけて兄たちの様子を見に行ったダビデは、敵のペリシテ軍のひとりの大男の兵士・ゴリアテがイスラエル軍に一対一の戦いを挑むのを目の当たりにします。
しかしイスラエルのサウル軍のなかに、完全武装したこの巨人に立ち向かおうという者はだれひとりいませんでした。
さて、この一対一の戦いで軍隊全体の勝敗を決めようという申し出は「カスピアン王子の角笛」では「逆」に使われています。
つまり、川を渡って進軍してきたテルマールの大軍を前に窮地に陥った少数のナルニア軍が、ルーシーを使いに立ててアスランに援軍を求めにいく間の時間稼ぎに「一対一の決闘」を申し出るところです。
聖書では敵軍(ペリシテ軍の巨人ゴリアテ)が申し出た一対一の決闘を、ナルニア国物語では自軍(ナルニア軍)が時間稼ぎのために申し出たのです。
ダビデは神が付いているのだからと、巨人ゴリアテの挑戦を受ける決心をします。ダビデはいつもの羊飼いの格好で巨人ゴリアテに挑みます。持ち物といえば小石5つと革製の投石具と羊飼い用の杖だけです。
対するゴリアテは鎧に巨大な盾に刀と槍と完全武装しています。
この二人の武装の差はそのまま、少数のナルニア軍とテルマールの大軍を、さらにその強大な軍事力を背景とした年配のミラースと、ロンドンでは学生である若いピーターとの一対一の決闘の構図を表しています。
つまり、ダビデもナルニア軍も圧倒的に不利なのです。とうてい勝ち目はないと思える状況です。
ちなみにテルマール軍に一対一の決闘を申し込みに行ったのは次男のエドマンド(正義王)です。
敵の大将ミラースと決闘するのはエドマンドではなく、その兄のピーターです。それにもかかわらず決闘の申し込みのために敵陣に行ったのはピーターよりも若いエドマンドです。
一対一の決闘の申し出があればミラースは断らないだろうという計算があるにしても、念には念を入れて年長のピーターではなく、もっと若い次男のエドモンドを申し込みに行ったのは、相手の自己顕示欲と虚栄心を突いて決闘の申し出を断らせないためであると同時に、相手を油断させる狙いもあるのです。
巨人ゴリアテもテルマール人のミラースも、その軍事力の優位性から隙が生じます。
ゴリアテはダビデを見くびり、兜のフェイスガードを使いませんでした。そのため、ダビデが投石具を使って頭上でぐるぐる回して放った小石は巨人ゴリアテの額に命中。ゴリアテはばったりと地面に倒れます。
ではナルニア軍のピーターはテルマール軍のミラースを打ち破れるのか。それは観てのお楽しみに。
■ イケメン王子といえば
カスピアン王子はイケメンですね。実は聖書にもイケメン王子が登場します。アブサロムという王子です。
テルマール人の国の王位継承者であるカスピアン王子が、身内のごたごたで城を追われることになったのと同じように、イスラエルのダビデ王の家庭にもごたごたがありました。
旧約聖書の時代、たいていは長男が家督を継ぎますが、王の場合はそのときの王が望むようにすることができました。
そのため、ダビデ王の息子たちの間に次の王にだれがなるのかという「競争心」と「ねたみ」が生まれて渦巻いていたのです
ダビデの息子たちの間でごたごたがあり、ついに兄弟間で殺人が起こります。そのため、殺人の首謀者アブサロム王子はイスラエルから逃れます。
このアブサロム王子は姿かたちが良く、長い金髪を自慢にしていました。王座への野望を強く持ち続けており、逃亡中も立派な馬車を買い、立派な身なりをして民たちに親しく話しかけ、困っている人がいれば助けて人気上昇を図ります。
テルマールのカスピアン王子はおじのミラースに暗殺されかけるのでアブサロムとは事情が違いますが、自国や自分の城から逃れなくてはならない状況になるのは同じです。イケメンであることも共通しています。そしてなにより、どちらも王座を狙っています。
カスピアン王子は正統な王位継承者のように描かれていますが、どの時代のどんな国の王家でも、だれが王にふさわしいとか、だれが正統な王位継承者かというごたごたは、よくあることです。
ダビデさえ、かつてはゴリアテを倒してイスラエルの民の英雄となったことから、サウル王に妬まれ、命の危険に晒されて逃亡したことあります。その後いろいろあってサウル王の死後にダビデはイスラエルに帰還します。
ナルニア国物語の原作者C・S・ルイスの知り合いのJ・R・R・トールキンの「指輪物語」3巻のうちのひとつが『王の帰還』というタイトルからもわかるとおり、物語の定石に「王や王子がやむをえず逃亡したら、やがては帰還する」というのがあります。
ダビデ王が逃亡して後に帰還したように、カスピアン王子も逃亡した後に帰還する。そういった定石どおりの物語構造のなかに「信仰」をテーマに数々の聖書のエピソードを散りばめた作品。それが「カスピアン王子の角笛」なのです。
■ 吹けば「何か」がおきるラッパ
カスピアン王子の角笛をラッパと置き換えてみれば、聖書にはラッパを吹いて圧倒的多数の敵を撃破したエピソードが思い当たります。
イスラエルの指導者ギデオンは、土器のつぼとたいまつと雄羊角でつくったラッパを使い、わずか300人の軍隊でミデアン人の大部隊に勝利しました。
イスラエルの指導者ヨシュアは、エリコという町の堅固な城壁を打ち破るために祭司たちを集め、そのうち7人にラッパを持たて吹かせ、そのうしろに押し黙った兵士たちを行進させて城壁の周りを回るよう指示します。
これを6日繰り返し、7日目には城壁を7回まわり、7回目にラッパが響くや兵士たちが腹の底から力強い叫び声を上げると、エリコの城壁が揺れて崩れ落ちました。
ラッパを吹けば何かが起きる。それは勝利への合図といってもいいでしょう。
そういうわけで、カスピアン王子が吹いた角笛の音はナルニアの勝利を予感させるものでもあるのですね。
■ アスランはずっとそこにいた
では最後に、アスランは姿を消したのではないというのはどういうことか、についてお話しましょう。
川を渡って進軍してきたテルマールの大軍を前に窮地に陥った少数のナルニア軍。援軍を求めに森に入ったルーシーはアスランに出会います。
けっこうあっさりアスランがみつかりましたね。
それもそのはず、ルーシーはアスランの存在をずっと信じていたからです。さらにそれまで存在を信じきれていなかった他のペベンシー兄妹たちやナルニアの戦士・民たちも、窮地に陥ってやっとアスランに頼るしかないことを悟り、その存在を強く信じるようになったからです。
「苦しいときの神頼み」とうのは人間の弱さをあわしている言葉でもあるでしょう。
それでも人間(自分)は弱いものと認識して助けを求めさえすれば、湖で溺れかけたペテロを救う手を差し伸べたイエスのように、神は助けの手を差し伸べてくださる。そんなメッセージが「カスピアン王子の角笛」には込められているのですね。
ナルニアの民がほんとうに助けを求めたとき、アスランは助けてくれます。
アスランはけっして姿を消していたわけではなく、ずっとナルニアの民の身近にいたのです。
ほんとうに追い詰められてもう駄目だと思って心から信じて助けを求めたとき、アスランの姿をみることができたのです。
次のような話をきいたことがあります。
人生という名の砂浜を振り返ったとき、一番辛く助けを必要としていた時期にひとつの足跡しかなかったのを見たある人が、神に尋ねました。「私が最も辛くて大変だったときにどうして共にいてくださらなかったのですか」――と。
すると神は、そのひとつの足跡はあなたを背負って歩いた私のものだ、と答えられました。
■ その他
他にも聖書のエピソードを彷彿とさせる箇所やキリスト教文化の片鱗がいくつもありますが、以上の大まかなところを頭の片隅に入れていただければ、きっと作品の魅力をさらに感じてもらうことができると思います。
半身半馬のナルニア戦士が登場したり、ねずみがしゃべったりと、聖書のエピソードがちりばめられれいるというわりには、そのあたりはさすがに子供騙しみたいな登場キャラクターだと思われるかもしれません。
ところが、実は聖書にも動物が話すエピソードがあります。
有名なところではエデンの園で「へび」が女にしゃべり、善悪を知る木の実を食べさせたエピソードがありますね。
ほかにも旧約聖書の民数記には占い師バラムがのった「ろば」がしゃべるエピソードがあります。静かで我慢強い「ろば」が鞭打つ主人バラムにむかって「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」と言ったとあります。
ちなみにカスピアン王子が暗殺から逃れて森を馬で走っていたときに、追っ手を確認しようと振り返り、それが原因で前方の木の枝に当たって落馬しましたね。
聖書に登場する例のイケメン王子アブサロムも森を騾馬に乗って走っているときに、垂れ下がっている樫の木の枝に突っ込み、長い髪が枝にひっかかります。騾馬はアブサロムを宙吊りにしたまま走り去ってしまいます。その後アブサロムはどうなったのかは……知りたい人は聖書を紐解いてみましょう。
さて、ファンタジー作品ときくとすぐに「子供だましだ」という人もいるかもしれませんが、有名なファンタジー作品にはたいてい、しっかりしたテーマや力強いメッセージがあります。
そういった作品は子供だましどころか、人生の教科書といってもいいでしょう。
有名ファンタジー作品にかぎらずどんな作品でも、そこから何を感じ、何を学ぶかは人それぞれです。
見ようと思わなければアスランの姿がみえないのと同じように、感じて学ぼうとしなければ作品のテーマやメッセージを知ることはできません。
もちろん、子供だましだと思って映画「ナルニア国物語」観ようと思わなければ「ナルニア国物語」は観ることができません。
あたりまえのように聞こえるでしょうが、これこそ「カスピアン王子の角笛」のメッセージなのかもしれません。
それと、軍隊の戦闘シーンが多めです。迫力がスゴいです。
聖書ときくと「許しと癒しの物語」をイメージされる人が多いかもしれません。たしかにそのとおりなのですが、それは主に新約聖書のエピソードや、イエスの例え話にその傾向が顕著にみられます。
一方の旧約聖書は戒めとそれを破った者への罰といったエピソードがけっこうあります。
旧約聖書を少しでも紐解けば、イスラエルの歴史は軍隊による戦いの歴史といってもいいことがおわかりいだけると思います。
「カスピアン王子の角笛」は、こういった聖書に記述された戦いの凄まじさといったものも併せてイメージさせるものとなっています。
親子連れでご覧になる方はそのあたりもお知りおきを。
デート ○ イケメンはなぜか長髪。でも彼氏は短髪?
フラッと ○ キリスト教文化関係なしでもOK。話はシンプル。
演出 ○
キャラクター ○ ねずみ戦士が人気?
映像 ○
ファミリー ○ 戦闘シーンが多めを知りおきを
アクション ○ 一対一の決闘をはじめ戦闘シーンが迫力アリ
歴史 ○
社会 ○
文化 ◎ キリスト教文化。聖書のエピソード多数織り込み。
▼カスピアン王子の「もうひとつの物語」
≪ミラース王が敗れた理由は「物語力」にあった!≫
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「ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛」の公開が5月21日(水)から公開しています。
そこで今回は「ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女」のキリスト教文化の背景をお話ししましょう。
これからお話する内容は、「『ナルニア国物語』に秘められたキリスト教文化を大解説~これを知れば7倍楽しめる~」というレポートにまとめたものの一部を編集したものです。
すでにお読みになった方々もあらためて目を通していただき、第2章を鑑賞する準備を整えてくださいネ。
ナルニア国物語のキリスト教文化の背景をこれほどわかりやすく丁寧に解説したものは他にはまずありません。
なるほど! と少しでも思われた人は、ぜひ友人知人へナルニア国物語の魅力をお伝えしたり、私が発行している映画メールマガジンを紹介したりするなどしていただければと思います。(このサイトのサイドバーに映画メルマガの読者無料登録フォームがあります)
ではさっそくはじめましょう!
【「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説~これを知れば7倍楽しめる~】
日本で生まれ育った人にとって、欧米の文化のなかでは特にキリスト教文化については馴染みが薄いでしょう。
クリスチャン家庭で育ったわけでもなく、ミッション系の学校え学んだわけでもない、ごく普通に日本で生まれ育った人にとっては、欧米の映画に込められた聖書のモチーフやメッセージを読み取ることはなかなか大変です。
そこで今回は、映画に込められたキリスト教文化や聖書物語を映画「ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女」を例にご紹介します。
これを読めば、あのシーンにはそんな意味があったのか! という他にも、なんとなく観ていただけだったけどあの登場人物の行動にはなるほどそういう経緯があったのか! ということがわかることでしょう。
では、さっそくはじめましょう。
「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」
監督:アンドリュー・アダムソン アメリカ/200年/140分
原作:C.S.ルイス「ナルニア国ものがたり」
■ 原作者は神学者
ナルニア国物語の著者C.S.ルイスは神学者です。著書に『キリスト教の真髄』や『悪魔の手紙』があります。
ルイスは第1次世界大戦に兵士として参加しました。多くの友人を戦争で亡くし、自身も塹壕で負傷しました。
その後、英国のオックスフォード大学で教えます。そして第2次世界大戦でロンドンから疎開してきた子供たちを家に迎え入れて世話をします。
「ナルニア国物語」はこのときの子供たちに喜んでもらおうと書かれた物語なのです。
ペベンシー兄妹たちも空爆が激しくなった都会から田舎の屋敷に疎開します。屋敷の主は教授で、そこを取り仕切るのは気難しそうな女性です。
そしてペベンシー兄妹たちは屋敷のとある部屋の「衣装だんす」からナルニア国へと足を踏み入れるのです。
■ アスラン(ライオン)は誰を表している?
さて、原作者のルイスは「ナルニア国物語」に登場するアスラン(ライオン)を使って、ある人物を表しています。
その人物とはキリスト教において最も有名な人物です。
それはつまり、ライオン姿のアスランは、イエス・キリストを表しているのです。
■ アスランが裏切りの人間の身代わりになる
ペベンシー家の4兄妹の次男・エドマンドが裏切りによって白い魔女の手に落ちそうなところを救うのがアスランです。
「裏切りのエドマンド=人間」の身代わりになって一度死ぬアスランは、まさにイエス・キリストの生涯そのままなのです。
「エデンの園」で蛇にそそのかされて「善悪を知る木の実」を取って食べたイヴ。その実を持ってイブはアダムにも食べさせました。
これによって罪人となった人間の身代わりとなる救世主がやがて現れることが聖書には予言されています。
その予言はナルニアでいうところの「二人のアダムの息子と二人のイブの娘が、ケア・パラベル城の4つの王座を満たすとき白い魔女の支配は終わる…」にあてはまります。
しかし人間の身代わりになる救世主とは実は、ライオンの姿をしたアスランなのです。
■ 身代わりになる前の晩~ゲッセマネの園での苦しみと悩み~
次男エドモントの救出に成功したのも束の間、アスランの陣地に白い魔女が現れ、裏切りのエドモンドを引き渡すようアスランに要求します。
このときアスランは白い魔女とふたりだけで話して、裏切りのエドモンドを救います。
その夜のことです。アスランが自軍からそっと離れて、暗闇の森をひとりで歩いていきます。
それに気づいたスーザンとルーシーはアスランの後を追います。
ふたりが付いてきたことに途中で気づいたアスランは、彼女らに「しばらく一緒に歩こう。ありがとう」といった意味のことを言います。
いったいアスランはどこに行くのでしょうか。
暗闇の森をスーザンとルーシーと共に無言で歩くことにわざわざ「ありがとう」と礼を言うアスラン。
そしてある場所までくるとアスランは「ここからは私ひとりでいかなれければならない」という意味のことを言ってスーザンとルーシーと別れてひとりで歩いていきます。
暗闇の森をアスランとスーザンとルーシーが共に歩くだけのこのシーンは、はたしての必要なのかな、と思う方もいらっしゃるかもしれません。
たしかに何が起こるわけでもなく、ただどこかの目的地へ向かう途中の暗闇の森を歩くだけなのです。
しかし、このシーンで涙が溢れてしかたながない観客が大勢いるのです。
では、ただ暗闇の森を共に歩くだけでなぜ涙が止まらないのでしょうか。
なぜならこのシーンは、イエスが十字架にかかる前の晩のゲッセマネの園での出来事を示しているからです。
イエスはその晩、ゲッセマネと呼ばれる園で弟子たちから少し離れて祈っていました。
イエスは人間の罪の身代わりになって自分が十字架に架からなくてはならないことはわかっていましたが、弟子たちの支えをこのときこそ必要としているときはなかったかもしれません。
しかしペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子はイエスが苦しみと悩みの中におられることを知っていましたが、疲れていたので眠ってしまいました。
先にご紹介したとおり、原作者C.S.ルイスはキリスト教の本も執筆している神学者です。
彼はもちろんゲッセマネの園でイエスが苦しみと悩みの中におられて一番支えが必要だったときに弟子たちが眠ってしまったことを知っています。
自分を弟子に重ね合わせつつ、いたたまれない思いでいたことでしょう。
そこで「ナルニア国物語」ではスーザンとナンシーがアスランと共に歩くというシーンを書くことで、イエスの苦しみを少しでも取り除く助けになりたい。
――そんな願いがこもったシーンだと観てとれるのです。
だからこそアスランは二人に「ありがとう」と言ったのです。
■ 長男ピーターは、イエスの12弟子のリーダー・ペトロ(ペテロ)
ピーターは、新約聖書に登場するイエスの12弟子のひとり、ペトロ(ペテロ)に由来する英語圏の人名です。
ペテロはイエスの12弟子のリーダー格で、本名はシモン。
兄弟と一緒にガリラヤ湖で漁をしているとことをイエスに声をかけられ、一切を捨てて弟子となった人です。
さて、イエスの十字架よりずっと後のこと。使徒ペトロが迫害が激しくなったローマから避難しようとアッピア街道を歩いていたときのことです。
ふとみると反対側からイエスが歩いてくるではありませんか。
「主よ、どこへいかれるのですか?」と訊くとイエスは「もう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えました。
ペテロはそれを聞いてローマへ戻ったといいます。
ナルニア国物語でも、ペベンジー家の長男ピーターがこれと似たような状況に直面したます。
ピーターは冒険心と指導力というタラント(授かった能力)を持っていますが、そうはいっても軍を率いるなんてことは初めてです。
それでもピーターは白い魔女の軍団と戦うために軍を統率する立場におかれます。
アスラン陣地(ピーターが率いる軍)では軍勢が戦の準備を整えて、いつでも出陣できる体勢になっています。
しかしアスランの姿が見当たりません。アスランが身代わりに白い魔女のもとへ行たことをピーターは知らないのです。
ピーターは戦いが迫っているなかでどうすべきか決められないでいます。
そこへ知らせが着ます。アスランが亡くなり、白い魔女の軍勢が迫っているというのです。
ピーターは、使徒ペテロが迫害の激しいローマへ再び戻る固い決心をしたかのように、アスラン軍に出陣の号令を出すのです。
■ ピーター(ペテロ)の弱さはフォーンにも投影されている
4兄妹のなかではじめにナルニアにやってきたのは少女ルーシーです。
すぐにフォーンのタムナスに会ったルーシーは、家に招かれて暖をとらせてもらいます。
ところがそれはフォーンが仕掛けた罠だったのです。
――森で人間をみつけたら白い魔女に知らせること。
そんな御触れが出回っていたのです。
白い魔女が支配する100年の冬が続くナルニアで、ひとりのフォーンにすぎないタムナスはその弱さのために白い魔女のいいつけに逆らうことができませんでした。
しかしタムナスは自分がしたことを後悔します。そして白い魔女に知らせが届かないうちにルーシーを助けようと改心して、彼女を無事にもとの世界へ送り届けます。
タムナスの弱い心はペテロにも共通します(人間全体にも)。
新約聖書にこんなエピソードがあります。
弟子ユダの裏切りによってゲッセマネの園で捕らわれたイエスが心配でたまらないペテロは、捕らわれているところ(大祭司カヤパの家)まで行き、中庭の真ん中にたかれた火にあたる人々のなかに紛れ込んで座りました。
するとある女中が、この人もイエスと一緒にいた、と言うのです。
ペテロはそれを打ち消して、わたしはその人を知らない、と言います。
その後、同じようなことがもう2回あり、3回目も知らないとペテロが言い終わらないうちに鶏が鳴きました。
実は、事前にペテロはイエスにこう言われていたのです。
「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」――と。
ペテロはこの言葉を思い出して、外へ出て激しく泣きました。
タムナスはルーシーのことを白い魔女に知らせたことを激しく後悔します。急いでふたりが出会った場所までルーシーを連れて戻ったタムナスは、涙を流して弱い自分を赦してくれといった意味のことをいいます。
これにたいしてルーシーは、自分のハンカチーフでタムナスの涙を拭いてあげるのでした。
これはたとえ自分のことを知らないと言った者であっても受け入れてくださる慈悲深い神の愛を表しているのです。
■ ナルニアへ入るには、幼な子のようでなければならない。
新約聖書には「幼な子」という言葉が登場します。
マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあります。
また「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」(15節)ともあります。
さて、衣装箪笥からナルニアに初めて足を踏み入れるのは末っ子の少女ルーシーです。
兄妹のなかでももっとも幼いルーシーがはじめにナルニアへ足を踏み入れたこと。
そしてルーシーが兄妹たちにナルニアの存在を訴えかけたことは、神の国(ナルニア)に入るにはどうすればいいかのヒントを私たちに与えてくれているのです。
■ エドマンド~善悪を知る木・エサウとヤコブ・ユダ・使途パウロ~
次男エドマンドには、聖書の登場人物の様々な要素を垣間見ることができます。
ナルニアに初めてやってきたエドマンドが白い魔女に会ったときのことです。
エイドモンドは白い魔女から、あなたは兄よりも偉大な王になる、といった意味のことを言われてお菓子を貰います。
このシーンは旧約聖書でいえば、エデンの園で蛇(サタン=白い魔女)にそそのかされて善悪を知る木の実を食べたイヴとアダムの物語があてはまります。
また、兄よりも偉大な王に、というところは「長子の特権」をめぐる兄エソウとヤコブの物語(創世記25章)にあてはまります。
これは弟のヤコブが長子の特権をほしさに、お腹を空かした兄エソウからスープと引換えに長子の特権を手に入れたという話です。
ヤコブは「長子の特権」――家督と祝福――を得るために兄エソウを出し抜き、これがもとで逃亡生活をします。
罪深い自分の赦しを請い、そのまま荒野で石を枕に眠ってしまったときに夢をみます。それは地から天の頂きに達した梯子が立っていて、神の使いたちがそれを上り下りしているというものでした。
ちなみにこのシーンは映画作品「炎のメモリアル(Ladder 49)」のモチーフになっているそうです。
「Ladder 49」とは「第49号梯子車」という意味でしょうが、そこには聖書のキーワードも含まれています。それがヤコブの梯子(Ladder)であり、49は創世記の49章にヒントがある! ということらしいのです。
さて、エドマンドに話を戻しましょう。
エドマンドは新約聖書では、イエスを裏切った弟子のユダに重ねられます。
また鶏が鳴く前に3回知らないと言ったペテロが後に偉大な伝道者となっったあたりをも彷彿とさせます。(エドモンドが白い魔女への恐怖(ローマで激化する迫害)に打ち勝って兄を守ろうとしたあたりです)。
■ ゴルゴダの丘・イエスの復活
ほかにも石舞台(ゴルゴダの丘) へ向かうアスランを左右から白い魔女の手下たちが挟んで群れるシーンは、イエスがゴルゴダの丘へ十字架を背負って歩くシーンを思い起こさせます。
また白い魔女の石包丁(ロンギヌスの槍)によって命を落としたアスランの許に駆け寄るスーザンとルーシーが女性なのも、イエスが葬られた場所を見とどけたのが女性であったのと一致しています。
さらに復活したイエスに最初に会ったのはマグダラのマリヤという女性でした。(アスランが復活したときにはじめに会ったのもスーザンとルーシーです)
■ペベンシー兄妹とタレント
ペベンシー4兄妹にはそれぞれに能力があります。
長男ピーターには冒険心と指導力。
長女のスーザンは実践力。
ルーシーは受容力。
そして次男のエドモンドは自己中心的でちょっと意地悪なところがありますが、大きな可能性を秘めています。
それはまさしく私たち人間の姿そのままではないでしょうか。
この「能力」について聖書にはタラントのたとえ話があります。
「タラントのたとえ話」~マタイによる福音書25章14節から30節~~
ある人が旅に出るとき、3人の僕(しもべ)にそれぞれの能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントを預けた。
5タラントと2タラントを渡された者はそれで商売をして倍にした。1タラントを渡された者は地を掘って主人の金を隠しておいた。
僕(しもべ)の主人が帰ってきた。5タラントと2タラントを渡されていた者はそれぞれ倍に増やしたことで主人に「良い忠実な僕よ」と、多くのものを管理するよう言われた。
1タラントを渡されていた者は地に埋めておいたことで主人に「悪い怠惰な僕よ」と言われた。1タラントは取り上げられ、10タラント持っている者に与えられた。
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自分の能力を活かして家族を友を仲間を助け、力を合わせて困難に立ち向かうというのは物語の基本です。
たとえばピクサーのアニメーション作品「Mr. インクレディブル( THEINCREDIBLES)」には特殊能力を持ったスーパーヒーローたちが登場して大活躍します。
これは「タラント」を使った作品としてはわかりやすい例ですね。
■ キリスト教にみる数字
今回のお話のタイトルは「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説」です。
そして副題は「これを知れば7倍楽しめる」となっています。
実はこの数字の「7」にも、キリスト教においては意味があります。
旧約聖書の創世記には、すべてのはじまりが記されています。
「はじめに神は天と地とを創造された」ではじまり、第1日から第6日までの間に天と地と、その万象とが完成しました。
そのすべての作業を終わって休まれたのが第7日目なのです。
そして第7日を祝福して、これを聖別されました。
さて週のはじめは何曜日でしょう。現在の日本のカレンダーには2種類あるかと思います。
ひとつは日曜日が第一日目。
もうひとつは月曜日が第一日目です。
日曜を第一日目とすると、第7日目は土曜日です。
しかしカトリックでは教会に行く聖日となっているのは日曜日です。
これはカトリック教会がイエスの復活の日である日曜日を聖日にしたことによります。
そういうわけで、現在では聖書のとおりに土曜日を聖日としているのは、プロテスタントの一部の宗派とユダヤ教(安息日『シャバット』)となっています。
なにはともあれ「7」という数字はキリスト教と、その元となるユダヤ教にとって、特別な意味を持つ数字なのです。
キリスト教ではほかに「12」と「3」という数字も特別な意味をもっています。
12という数字には「イエスの12弟子」「イスラエル12部族」などがあり、3という数字には「三位一体」「ヨハネ黙示録3天使の使命」などがあります。
いかがでしたか?
「ナルニア国物語」には聖書の物語がいたるところにちりばめられているのがおわかりいただけたかと思います。
ですが、今回ご紹介したのはまだほんの一部に過ぎません。ほかにどんなところに聖書のモチーフがあるのは、皆さんがもう一度作品をご覧になってみつける楽しみにとっておきましょう。
「ナルニア国物語~第1章ライオンと魔女」は特にキリスト教との関連がとてもわかりやすい作品のひとつですので、他の作品に比べればみつけやすいでしょう。
なぜなら原作者ルイスは子供たちに物語の形式を通して聖書を身近に感じて学んでほしいと思って書いたのが「ナルニア国物語」だからです。
日本においては「ナルニア国物語」は他のファンタジー系の作品、例えば「ロード・オブ・ザ・リング」等のブームに乗せて、特殊メイクやSFX、VFXを前面に押し出してファンタジーワールドを強調した宣伝をされているようです。
おそらく宗教色を匂わせないほうが観客を動員しやすいと考えたからでしょう。
もちろんファンタジー作品としてだけでも楽しめる作品ですが、キリスト教や聖書の基本知識があるとさらに楽しめる作品であることはたしかです。
ちなみに「ナルニア国物語」の原作者と「ロード・オブ・ザ・リング」の原作者は知り合いです。
「ナルニア国物語」に限らず、欧米で制作される映画作品のなかには、聖書の物語をモチーフにしたものが数多くあります。
本誌で紹介したことがある作品だけパッと思いつくものだけでも以下のようなものがあります。
アフリカのロトともいえる男の物語。
「ホテル・ルワンダ(HOTEL RWANDA)」
雷ではじまるサウロの回心。ルターの修道士の誓い。
「宇宙戦争(WAR OF THE WORLDS)」
ノアの箱舟。ヨセフの物語。
「サハラ 死の砂漠を脱出せよ(SAHARA)」
ソドムとゴモラ。ロト。タラントのたとえ。ヤコブの井戸。「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」
ロンギヌスの槍。ヨハネの黙示録。ルシファー。蛇。蝿(虫)。
「コンスタンティン(CONSTANTINE)」
信仰。長血(病気)をわずらっている女。
「ポーラー・エクスプレス(THE POLAR EXPRESS)」
過越し。ノアの箱舟。アダムとイヴ。ソドムとゴモラ。ロトの救出。
「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」
「ナルニア国物語」のキリスト教文化の背景を探る航海はまだはじまったばかりです。
今回のお話は航海の地図にすぎません。
ぜひ「ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛」をご覧になって楽しい旅を続けてみてくださいね。
監督:クリス・ワイツ
アメリカ/2007年/112分
原作:フィリップ・プルマン『黄金の羅針盤 Northern Lights』
白クマ版「王の帰還」。「ダスト」と「真理計」が象徴するアノ木とソノ実。「ナルニア国物語」の少女とは対照的なライラ。彼女の外見のアンバランスさの意味とは? 雪を溶かすほどの熱戦「白クマ横綱決定戦!」が最大のみどころ。
ストーリー(概要)
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すべての人間に「ダイモン」という守護精霊がいる世界。
子どもの誘拐事件が多発するイギリスで、オックスフォードの寄宿生の少女ライラの親友ロジャーが行方不明になる。
誘拐された子供たちは北の大地に連れて行かれるとの情報を得たライラの前にコールター夫人が現れ、一緒に北の地へ行こうと持ちかけられる。
コールター婦人と共に出発する直前にライラは、学寮長から黄金に輝く真理計「アレシオメーター」を手渡される。
コールター婦人としばらく生活するうちにライラは誘拐事件の首謀者を知る。それはコールター婦人だった。
ライラはコールター婦人から離れ、親友のロジャーを助けるためにジプシャン族の船で北の大地をめざす。
主な登場人物の紹介
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▽ライラ・ベラクア
少女。12歳。オックスフォードの寄宿生。ダイモンはパンタライモン。
▽コールター夫人
上流階級に属する女性。教権とのコネクションを持つ。ダイモンはゴールデンモンキー。
△アスリエル卿
冒険家。学者。ライラの叔父。北の大地に空から舞い降りる「ダスト」を調査する。ダイモンはステルマリア(豹)
▽セラフィナ・ペカーラ
魔女。魔女一族の女王。ダイモンとの距離が離れても行動できる。
△リー・スコーズビー
飛行船乗り。ダイモンはヘスター。
∵イオレク・バーニソン
よろいグマ。元よろいグマの王。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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白クマ版「王の帰還」。「ダスト」と「真理計」が象徴するアノ木とソノ実。「ナルニア国物語」の少女とは対照的なライラ。彼女の外見のアンバランスさの意味とは? 雪を溶かすほどの熱戦「白クマ横綱決定戦!」が最大のみどころ。
■ 第1作の舞台とは
「ライラの冒険」シリーズは3部作から成ります。
第1作の舞台は、すべての人間に守護精霊「ダイモン」がいるパラレルワールド。
第2作の舞台は、わたしたちが生きる世界。
第3作の舞台は、パラレルワールドとわたしたちが生きる世界とを行き来します。
まずは第1作「ライラの冒険 黄金の羅針盤」の世界がどのようなものかを簡単にご紹介しましょう。
私たちが生きる世界と似ているけれども、ちょっと違います。
違うのはすべての人間に「ダイモン」が付いているところです。これは守護精霊で、動物や昆虫などの生き物の姿形をしています。「ダイモン」が亡くなると、そのダイモンを持つ人間も亡くなります。他人のダイモンを許可なく触ることは無作法とされています。
ライラが生きるパラレルワールドでは教権(マジステリアム)という機関が強大な力を持っています。教権はすべての人間を支配しようとしています。
教権に対抗する勢力には大学などの教育機関、学者、ジプシャン族、魔女たちなどがいます。
そんな対抗勢力に属するアスリエル卿は北の大地で「ダスト」を発見します。
空から舞い降りる「ダスト」はダイモンを通じて人間に吸収される、とアスリエル卿は説明します。「ダスト」は異世界と通じており「ダスト」を知ることは世界の真理を知ることにつながると大学関係者や有力諸侯に呼びかけて、北の大地の探検費用を集めます。
そんなアリエル卿はライラの叔父にあたります。アリエル卿は自分が世界を飛びまわっている間はライラに危険が及ばないようオックスフォードの寄宿寮に入れています。
イギリスの上流階級の子息令嬢はオックスフォードのような全寮制の教育機関で学びますから、ライラもその例にもれず寄宿生活をおくっているというわけです。
そもそもアリエル卿が学者であることや、中世以来のヨーロッパの伝統に学問の自由があり、そこには大学の自治の観念も含まれるとされていることからも、すべての人間の支配を目指す教権からライラを守るには、両親をなくしている彼女にとっての考えられる限り安全な場所は大学なのです。
しかし大学でもライラを守りきれるとはかぎりません。有力者の圧力によってライラは大学を離れることになります。
ライラは北の大地への好奇心によってコールター夫人に付いて行くことにします。このとき大学関係者はライラの身が危険にさらされるかもしれないとわかっているにもかかわらず、コールター婦人の力に屈してしまったのです。
こうしてライラの冒険がはじまります。
■ ボイコットを呼びかけられる「ライラの冒険」
海外では「ライラの冒険」がカトリック教会や信者たちから非難されています。
子供たちに無神論を植えつけるというのがその理由です。
映画作品では宗教に関する部分を控えめにしましたが、それでも北米のカトリック連盟は「ライラの冒険」のボイコットを呼びかけています。
では「ライラの冒険」のどのあたりが問題視されているのでしょうか。
「ライタの冒険」では神や天国への反乱が重要なテーマとなっているあたりに強い非難が浴びせられています。
「ライラの冒険」第1作において神や天国を象徴するものは「教権」です。厳密には神や天国というよりも、カトリック教会ですね。
教権は強大な権力を持っており、人間が世界の真理を知ることをおそれています。なにが正しいかは教権が決める。人間は教権に従えばそれでいい。それが教権の教えとされています。
宗教にかぎらずあらゆる支配階級・支配層は情報をコントロールしようとします。一般人が知ることができる情報を制限できれば、支配に支障をきたす考えを持つ人間の出現を減らすことができると考えるからです。
さすがに現代の多くの国と地域では一般人が知り得る情報を大幅に制限することは困難ですが、世界には国民に知らされる情報が大幅に制限されている国々もあります。
そこで「ライラの冒険」では現代ではなく、古い時代が舞台となっています。馬車が走り、気球が活躍する時代が物語世界として設定されています。
支配のために必要な情報の制限を行いやすい時代背景。それがちょっと昔のイギリスというわけです。
いつの時代にも支配に屈することのない主人公が活躍する物語がつくられます。
それが庶民の願望だからです。庶民の望みを形にしたもの。それが物語の一形態なのです。
「ライラの冒険」では支配層の象徴が「教権」です。教権のモデルとなったであろうものがカトリック教会なのです。
だから海外では「ライラの冒険」がカトリック教会や信者たちから非難されているのですね。
■「ダスト」と「真理計」が象徴するもの
では具体的に「ライラの冒険」のどこがカトリック教会や信者たちに問題視されているのでしょうか。
キリスト教に関連すると思われる箇所をいくつかご紹介しましょう。
「ライラの冒険」で忘れてならないのは「真理計(アレシオメーター)」です。真理計の別名を「黄金の羅針盤」といいます。
真理計を手に入れるだけでなく真理計を読める者は、あらゆる真理を知ることができるとされます。その象徴が「ダスト」であり「ダスト」へ辿り着く道を示すであろうものが真理計です。
「ダスト」や「真理計」は聖書のなかに登場する有名なものを連想させます。それは「善悪を知る木」と「その木の実」です。
人類最初の人間はアダムという男性です。アダムはエデンの園に住んでいました。神はアダムのあばら骨を1本取って女性を創りました。それがイヴです
イヴはある日、その実をとってたべてはいけないと神にいわれていた善悪を知る木に近づきます。木にいた蛇にそそのかされ、イヴはその実を取って食べます。そしてイヴはアダムにも実を食べさせます。
実を食べたときからアダムとイヴは自分たちが裸であることに気づき、はずかしくなってそばにあった木の葉で体を隠します。
罪の結果、はずかしさを感じるようになったのです。
ちなみに、蛇は野の生き物のなかで最も狡猾で美しい生き物でしたが、イヴをそそのかしたために地を這う生き物にされました。
このように「ダスト」と「真理計」は、善悪を知る木とその実を象徴していることはおわかりいただけたと思います。
■ ライラは女性
真理計を読む力を持つライラは少女(女性)です。女性であるライラが真理計を手に入れてそれを使い「ダスト」へ近づく。
それはまさにエデンの園のイヴが善悪の知る木に近づく様子を連想させます。
そもそもライラという女性が主人公であることがカトリック教会にとっては歓迎できないでしょう。
「ダ・ヴィンチ・コード」でも「M」、つまりマグダラのマリアという女性が重要なキーワードとなっていたことからも、カトリック教会において女性が中心となって活躍する物語というのは例外中の例外でなければならないのです。
ローマ帝国はキリスト教を弾圧していました。それにもかかわらず313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ寛容令を発してキリスト教を公認します。
なぜキリスト教を公認したのでしょうか。
なぜなら、キリスト教を弾圧するよりも公認したほうが統治しやすいと判断したからです。
ただ公認するのではなく、統治しやすいようアレンジした。そのときに女性に関する部分をごっそり抜かしたという説があります。
「ダ・ヴィンチ・コード」は謎・ミステリーという手法で聖書における女性をクローズアップします。「ナルニア国物語」は児童文学という手法で聖書における女性の偉大さを伝えようとします。
「ライラの冒険」シリーズの著者は宗教に批判的な言及があるそうです。宗教的な意図はさておいたとしても「ライラの冒険」の主人公が少女・女性というのは、それだけでもじゅうぶんにカトリック教会にとっては受け入れられないものなのでしょう。
■ ライラは少女
マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあります。また15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。
「ナルニア国物語」でナルニアに初めて足を踏み入れるのはペベンシー兄妹の末っ子の少女ルーシーです。このように「ナルニア国物語」では少女がナルニアに一歩踏み入れることから物語がはじまります。
一方「ライラの冒険」の少女ライラは幼な子ではあるけれども「ナルニア国物語」の末っ子少女ルーシーとは違います。
ライラが一歩を踏み入れようとするのは北の大地です。
北の大地には世界の真理を示す「ダスト」が舞い降りるとされています。
ダストへの道をも示すであろう真理計を使う幼な子は、神の国を受け入れるような意味での幼な子というイメージではなく、どちらかというと善悪の知る木の実をとって食べ、アダムにもその実をたべさせたイヴのイメージです。
善悪を知る木の実をたべるようアダムに言葉巧みに勧めるイヴ。そこには知略・謀略家のイメージとしての女性が重なります。
原作シェイクスピア、監督黒澤明の「蜘蛛巣城」では女性が重要な役割を担って登場します。武将が森で出会った物の怪は老婆の姿であり、また言葉巧みに武将を動かそうとする妻はもちろん女性です。
「蜘蛛巣城」でも観ることができるように、ときに女性は知略・策略をもって言葉巧みに男性を動かします。ドラマや映画の「大奥」が人気なのも、歴史は女性が動かしてきたとする話に多くの人がうなづく表れではないでしょうか。
こういった女性のイメージを12歳の少女(幼な子)に投影させたのが「ライラの冒険」です。
■ ライラの外見のアンバランスが象徴するもの
ライラは「よろいグマ」のイオレクの命を救う方策として言葉巧みに、よろいグマ同士の1対1の決闘をセッティングします。
イオレクの命を救うためといえば聞こえはいいですが、その裏(?)にはよろいグマの軍団を味方にしたい思惑も当然あるでしょう。
見た目は少女(幼な子)でも、ライラの知略・謀略ぶりは、知性あふれるコールター夫人を出し抜くほどです。
もう一度ライラをよく見てください。全身をみると少女(幼な子)ですね。でも、顔のアップだけをみると……大人の女性の顔立ちです。
顔だけをみると、まったくといっていいほど幼さが感じられません。ライラのダイモンの姿がまだひとつに定まらないのと対照的に、ライタの顔は大人のそれにしっかりと定まっているかのようです。
幼な子なのに幼な子ではない。幼な子の容姿は世を欺く仮の姿とでもいうのでしょうか。「幼な子」という記号を逆手に取ったかのような配役の妙というのは「ライラの冒険」がどんな物語かを象徴しているかのようでもあります。
ライラ役の少女は約1万5千人の候補者の中からライラ役に大抜てきされた新人ですが、よくぞこれほど「幼な子」と「女性」が同居した人物を選べたなと思います。
ライラが少女(幼な子)なのは「ナルニア国物語」のルーシーが少女(幼な子)なのと対照的です。
ある人々にとっては、ナルニア国(神の国)へ初めに足を踏み入れるのが少女ならいいけれども、教権(カトリック教)の支配を脅かすダストを探求する重要な鍵を握るのが少女というのはよくない。さらに主人公が女性だけでなく少女(幼な子)というのは、とうてい受け入れることはできない。
だから「ライラの冒険」は、ボイコットを呼びかけられているのですね。
■ その他
女性・幼な子のほかにも、教権に対抗する勢力に放浪の民ジプシャンや魔女たちがいます。
ジプシャン族は教権の支配から自由になろうとする、いうなれば海賊みたいなものとして描かれています。
魔女たちはそのものズバリですね。中世の魔女といえば西洋キリスト教史では有名ですね。
「ダ・ヴィンチ・コード」「ナルニア国物語」「テラビシアにかける橋」といった作品にはキリスト教文化が深く反映されていますが、知的ミステリーや冒険ファンタジーや友情物語という「体」で包まれているといっていいでしょう。
もちろん隠すために包んでいるのではなく、興味を持ってもらうため、わかりやすくするための潤滑油といった意味で包んでいるのでしょう。
ところが「ライラの冒険」は「教権」がそのものズバリ! カトリック教会を指すことは誰の目にも明らかです。
日本では冒険ファンタジーとして宣伝されている「ライラの冒険」。けれども冒険ファンタジーという「体」で包まれているとは、欧米ではいえないでしょう。
それだけストレートで、それだけ露骨なんです。包もうなんて気はさらさら無くて、開き直る以前に開いちゃってるみたいな。
ちょっとは包んでよ。ちょっとは気を使ってよ。そんな声がきこえてきそうです。
映画化にあたって宗教色はだいぶ抑えたそうですから、原作はもっと露骨なのでしょうね。
キリスト教文化的視点から観ると「ライラの冒険」はけっしてお気楽ファンタジー作品とはいえず、むしろテーマが深く、ストレートな風刺系作品です。
「ライラの冒険」を観ると、カトリック教会や信者たちから非難されるのもいたしかたないかなぁと……。
「ライラの冒険」がなぜボイコットを呼びかけられているのか。
そんなことを頭の片隅に置きならが観れば、お気楽ファンタジー以上の発見と楽しみを得られるでしょう。
みどころは、白クマさん同士の一騎打ちです。(←よろいグマと呼んでちょうだい。あらいぐまじゃないヨ。だれだ?いまラスカルとつぶやいたのは?)
王子だったクマさんが、卑劣な手を使ったライバルに負けて投げやり飲んだくれ人生、いやクマ生をおくっていたけど、ライラに出会ってもう一度王座を目指してタイマン勝負を挑む。これって白クマ版「王の帰還」みたいだゾ。
よろいが無いと「投げやりな飲んだくれのクマさん」になっちゃうって、人間でも似たようなのいそうだよネ。
デート △
フラっと ×
演出 △
キャラクター ○
映像 ○
笑い -
ファミリー △
アクション ○ 白クマさん横綱決定戦!
白クマドラマ ○ 白クマ版「王の帰還」
キリスト教文化 ○ 反キリスト教?
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▼映画「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」作品レビュー
「アイ・アム・レジェンド」を既に観た人も増えてきただろう。そこで今回は主人公の科学者ロバート・ネビルの、一見すると不可解に思える反応について詳しくお話しよう。
作品中で、田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないという情報を得たときのロバートのリアクションが意味不明に感じた人も多いという。
ロバートは毎日、すべてのラジオ放送周波数からメッセージを流している。生存者がいたら食糧と安全を保障しようという内容のものだ。
自分は毎日昼間の決まった時間に決まった場所(埠頭)にいるから、この放送を聞いた生存者はそこに来てくれとラジオを通して呼びかけつづけている。
それにもかかわらずだ。
それにもかかわらず、ロバートは実際に生存者に出会って(ネタバレっス)、田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないという情報を教えてもらっても、せっかくの料理を台無しにして思わず相手が身の危険を感じる程までに、人類はほかにだれも生き残っていないと何度も頑なに言い放つロバートであった。
あんなに生存者を心待ちにしていたのに、なんでそんなに頑なに?
その謎に思えるリアクションのワケがわからないと、ワケわからなくなってしまうワケである(←ダジャレ?)。
■ ふたつの意味
まずは「人類はだれも生き残っていない」の意味について考えてみよう。
この言葉には、ふたつの意味がある。
ひとつは、ロバートの愛する家族が亡くなってしまったことを指す。
人は自分と自分をとりまく人々ともう会えない状況になると、たとえ他にたくさんの人々がいたとしても「自分と自分を取り巻く世界」が無くなってしまったように感じることがある。
自分を取り巻く世界の住人の中でも、最も大事でかけがえなのないもの。それは家族である。
愛する家族を失ったロバートは、自分と自分を取り巻く世界の中心=家族=人類はだれも生き残っていないと言っているのだ。
もうひとつは、人類は人類でも、善なる人類はだれも生き残っていないということを指す。
気をつけてもらいたいのは、紫外線に極端に弱いダーク・シーカーズ以外の、生き残りが善なる人間という意味ではないところだ。
たとえウィルスに感染していない人間(生き残り)がいたとしても、それが善なる人間ではない。
性善説や性悪説というとわかりやすいかもしれないが、聖書によるとエデンの園でアダムとイヴが善悪を知る木の実をとって食べたそのときから、人類は労働と産みの苦しみと死から逃れることができない罪深い人間となった。
つまり、エデンの園をアダムとイヴが追放されたそのときから、人類は罪に染まった悪人ととらえることができる。すると、人は生まれながらにして罪深い生き物ということになる。
■ 人類が救われる方法
そんな罪深い人間が救われる方法はないのか。
ひとつだけある。
それは犠牲を捧げること。
旧約聖書には祭壇で羊を神に捧げる話がよく登場する。羊を、罪を購う犠牲として捧げたのである。
そんななかでも、犠牲を捧げる有名な話がこれだ。
アブラハムは息子のイサクをとてもかわいがった。ところがある日、神はアブラハムに息子のイサクを遠くに山に連れて行き、私に犠牲として捧げるよういった。
アブラハムは山の頂で祭壇をつくり、イサクをそこにのせると、ナイフを手にとり突き刺さそうとした。
その瞬間、その子を傷つけてはいけないという神の声がした。
これは神がアブラハムに、彼の信仰が本物かどうかの試練を与えたという話である。
愛するわが子を犠牲に捧げなくてはならないアブラハムは、山への道中はどんなに辛かったろう。
イサクは助かった。しかし子なるイエスを人類の罪のために地上に遣わして犠牲にした神の愛は、はかりようもなく深いことがアブラハムとイサクのエピソードからも想像できるだろう。
さて、罪の赦しを得るために犠牲を捧げるといった、旧約聖書の時代に行われていたのは、主に羊を犠牲として捧げるというものだった。
これは、あるときから必要がなくなる。
あるときとは、イエス・キリストの十字架である。
イエスが人類の罪のために十字架にかけられたことによって、人類が救われる道が開けたのだ。
■ 絶望の暗闇に一筋の光
エデンの園をアダムとイヴが追放されたそのときから、人類は深い絶望の中にあった。
だが、一筋に光が射し込んだ。
光とは、人類の罪を購うために子を地上に使わすという神の言葉だ。
絶望の中にある唯一の希望。
それが人類を救う使命を持ったイエス・キリストなのである。
だからキリスト教ではイエスの誕生を祝うのだ。
というわけで、夜景の綺麗なレストランやホテルでカップルがイチャつくのがクリスマスだと思わされてきたのは、ごく一部なのだ。
米国では多くの人がホリディシーズンは家族で過ごす。もしもホリディシーズンに彼の家族の家に招待されたら、それは家族も同然ということ。婚約間近かそれに近い、将来家族の一員になってほしい相手だと思われていると思っていいだろう。
映画「幸せのポートレート(the family stone)」は、クリスマス休暇に彼の家の招待されたキャリアウーマンの話で、ファミリードラマとして性別問わず楽しめるようになっている。
ほかに女性向け作品では「ホリディ」もまさにこのシーズンの話だ。
■ だれも生き残っていない、のほんとうの意味
さて、イエスが地上に遣わされた使命は人類を罪の淵から救うこと。イエスの時代にも地上には人間はたくさんいたが、罪に染まっている人間しかいなかった。
エデンの園で生活していたアダムとイヴのような人間はひとりもいない。皆、エデンの園を追放されたあとの人間たちだ。
では、ロバートをイエスだとしてみよう。
ロバートが、人類(善なる人間)は(エデンの園追放以来)ほかにだれも生き残っていない、と何度も頑なに言い放った意味がご理解いただけたと思う。
ロバートは自分が人類を救うワクチンを開発しなければならないという強い使命感を持って、ひとりで黙々と研究を続けているのは、自分がウィルスに象徴される罪深い人類を救う者だと信じている、または思い込んでいるからである。
長い間、相棒のサムはいたけれど、人間は自分ひとりでずっと夜はダーク・シーカーズ襲撃の恐怖に耐えて生き延びてきたロバート。
ウィルスの発生源のNYにいた科学者で軍人の彼は、ウィルスに免疫がある自分が生き残った意味を探し求めていた。
そんななかで、自分がウィルスに対して免疫がある意味を模索しつづけていた。そしてたどりついた「使命」――。
自分には「使命」がある。そう思わずにはとてもひとりでは生きていけない。いわば、自分の存在理由と生きる意味を「使命」という形に昇華した。
または「使命」に取り込まれたとでもいおうか、強い自己暗示に近いような状態にロバートはなっていたのかもしれない。
■ 相棒を失う
ロバートには相棒がいる。サムだ。
サムの正式名はサマンサ。男じゃなく、たぶん女の子なのかもしれない。
そんなサムもウィルスに空気感染はしないが、噛まれて感染してしまう。すると主人のロバートに襲い掛かろうと豹変してしまうのだ。
さて、人類を救うために地上に遣わされたイエスは、たったひとりでその使命を果たさなければならなかった。とはいえイエスには12人の弟子がいた。
しかし、弟子たちのリーダー格のペテロ(ペトロ)でさえ、死の恐怖からイエスのことを知らないと言ってしまった。
それは、弟子ユダの裏切りによってゲッセマネの園で捕らわれたイエスが心配でたまらないペテロは、捕らわれているところ(大祭司カヤパの家)まで行き、中庭の真ん中にたかれた火にあたる人々のなかに紛れ込んで座っていたときのことである。
ある女中が、この人もイエスと一緒にいた、と言う。ペテロはそれを打ち消して、わたしはその人を知らない、と言った。
その後、同じようなことがもう2回あり、3回目も知らないとペテロが言い終わらないうちに鶏が鳴いた。
実は、事前にペテロはイエスにこう言われていたのだ。「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」――と。
ペテロはこの言葉を思い出して、外へ出て激しく泣いた。
悪(の象徴)のウィルスや死の恐怖にとらわれた生き物は、裏切りの行動をとってしまう。たとえそれが犬の相棒だろうと、弟子であろうと――。それほど人間とは弱いものであることを教えてくれる。
相棒のサムがウィルスに感染して豹変していく。それでもロバートは使命を果たすためにひとりになっても研究を続けていかなくてはならない様は、弟子のユダの裏切りによってゲッセマネの園以降に弟子たちから離れ、ひとりで十字架にかからなくてはならくなったイエスを連想させもする。
ちなみにサマンサがメス犬だとすると、人間では女性ということになる。
ある説によると、イエスの最も身近にいた人物はペテロでもヨハネでもなく、マグダラのマリアだったいう。
彼女は聖書に登場する女性でり、諸説あるが中にはイエスの妻だったのではないかという声もある。
実は、聖書において女性は重要な場面にしばしば登場する。
そのあたりを題材にした有名な作品が「ダ・ヴィンチ・コード」だったのは比較的記憶に新しい。
この詳細は以下のレポートに。
■ 誘惑
田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないから一緒に行こうと誘われたロバートは、人類はほかにだれも生き残っていないと言ってNYを離れようとしない。
夜はダーク・シーカーズの襲撃に備えて恐怖の中でNYでひとりでいるより、田舎へ行って生き残りの人々と一緒に暮らしたほうが安全で安心できるにちがいない。だれだってそう思うだろう。
NYにひとりで居続けるより、田舎へ行って生き残りの人々と生活したほうが楽に違いない。
なんとも甘い誘惑であろう。誘惑という言い方は適切ではないかもしれない。
しかし、罪深い人類を救うという使命からしてみれば、その使命から逃れる甘い誘惑ということになる。
新約聖書にはイエスが荒野で40日間断食されたエピソードが登場する。
空腹のときにサタン(悪魔)が現れ、神の子なら石をパンに変えて食べればいいと誘惑する。
それにたいしてイエスは、人はパンだけで生きるものではない、と言ってサタンを退けた。
聖書には「滅びに至る門は大きく、その道は広い」とあることからも、楽な道への誘惑に打ち勝つことは人間にはたいへん難しいことを教えてくれる。
田舎に行って生き残りの人々と生活したほうがどんなに楽だろう。ロバートだって普通ならならそうしたいと思ったハズだ。
しかし、自分には使命がある。それを成し遂げるには、楽(に思える)な道を選択することはできないのである。
だからロバートは頑なにNYにとどまって研究を続けようとするのだ。
■ その他
聖書には「3」という数字がよく登場します。
イエス誕生を祝いにかけつけた3人の博士。
十字架にかかって3日目によみがえったイエス。
「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」
ヨハネの黙示録3天使の使命(週末・世の終わりについての預言)
数字に注目して映画を観て「3」や「7」という数字がちりばめられていたら、キリスト教となにかしらの関連のあるバッググラウンドを持ったストーリーなのかもしれないな、思ってみるのもいいでしょう。新しい発見があるかもしれませんヨ。
「アイ・アム・レジェンド」は題名からしてもそうだし、内容にしてもストレートすぎるぐらいにキリスト教のテーマや題材を使っているので、ちょっとヒネリがないといえるかも。
ヒネリがないとは、主人公ロバートの最期に象徴されていますね。
自分が犠牲になることで人類を救う伝説となった。
イエスになぞらえたそのままの最期をロバートが迎えるからです。
なんというか「アイ・アム・レジェンド」はちょっと気恥ずかしくなるようなストレートでそのまんまな作りでありました。
映画「バベル」は、第79回アカデミー賞の作品賞、監督賞、助演女優賞、脚本賞、作曲賞、編集賞にノミネートされています。
このうち、助演女優賞にノミネートされているのが菊地凛子さんですね。
ゴールデングローブ賞作品賞受賞作「バベル」は、3大陸4言語で構成されたヒューマンドラマですが、そもそもバベルってなに? ということで、今回はこのあたりをサラッと紹介しましょう。
■ バベルとは
「バベル」とは、旧約聖書の創世記に登場する塔の名前。
「バベルの塔」のエピソードを簡略にいうとこうです。
それまで人々は同じひとつの言葉を話していました。あるとき、人々は天にまで届く塔を建てて神に近づこうとします。
これに怒った神は、人々の言葉をバラバラにして、バベルの塔の建設をできなくしたのでした。
このエピソードから、驕り高ぶった人間たちの行く末を表現する場合に「バベルの塔」が引き合いに出されることがあります。
比較的記憶が新しいところでは、六本木ヒルズに住むことが成功者の証だと刷り込まれ、こぞってヒルズ族になりたがり、そういう人たちがもてはやされ、そして一連の証券事件によって没落(?)していく様を、ある人はバベルの塔のエピソードのようだといったかもしれませんね。
■ 言葉をバラバラにした意味
言葉をバラバラにした目的のひとつは、人々を広くいろいろな土地に散らせるためでした。
「バベルの塔」は、人々が一箇所に過度に集中することによるマイナスの力を教えてくれます。
例えば、バブル経済。
資産の価格上昇がさらなる上昇をよんで投機を呼び込むという状態を、精神的な一極集中による妄信的状況としてみると、だれもかれもが価格が上昇しつづけると思い込み続けたことは、まるで天まで届く塔を作れば神に近づけると考えた人々と大差ないかのようでもあります。
みんなが「右向け進め」のときに必要なのは、左を向いている人です。さらにいいのは上を向いている人です。
右だから左。だけではなく「上」でも「下」でも「斜め右上」でもいいわけです(笑)。
一転集中は大きな力を発揮しますが、それが良い方向にあるときはいいけれども、悪い方向にあるときは、その力を止めることは難しくなります。
だから、広く全地に散らせることがリスクを減らすことになるのです。
■ バラバラだからダメではない
すべてをひとつに。一丸となって。一億一心火の玉。
ひとつの目的を達成するためにバラバラだったみんながひとつになる瞬間というものはいいものです。
でも、あくまで「瞬間」です。目的のためにひとつになる「瞬間」がいいのであって、それが継続的な時間となると「戦時一億一心火の玉」となる危険性をはらんできます。
■ 精神的支柱
バラバラのみんながひとつになるのは難しい。だから、より大きな精神的支柱をもとに、ひとつになることができます。
精神的支柱は、スローガンだったり、宗教だったり、道徳だったり、良心だったりします。
■ バビルの塔に住んでいるのは?
ところで「バベル」ときいて「バビルの塔~♪に住んでいるぅ~♪」というフレーズの歌が頭をよぎったアナタ。
それは、昭和40年代後半に放映されたテレビアニメ「バビル2世」ですね(^^)。(原作は横山光輝作の漫画)
ここでいう「バビル2世」の「バビル」とはつまり「バベル」のことを指していると考えていいでしょう。
「バビル2世」のストーリーとは、かつて地球に不時着して故郷に帰れなくなった宇宙人バビル1世がバビルの塔と三つのしもべを遺した。それを受け継いだバビル2世が、悪の超能力者と戦うというもの。
そういえば「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」に登場する塔には悪役が巣食っていましたね。
ほかに、映画「ブラザースズ・グリム」で、森の塔に住んでいたのは魔女です。
このように、漫画やアニメや童話や文学のなかにも、バベルの塔に想像のヒントを得たものをいろいろとみつけることができます。
■ その他
さてさて、映画「バベル」ははたしてアカデミー賞受賞なるか。
(映画「バベル」は、日本では2007年4月GWに公開予定です)
監督:ブライアン・シンガー
アメリカ/2006年/154分
「赤マントの全身タイツ男 病院に担ぎ込まれる」の巻。父と子。ルーツ探し。新秩序の台頭の恐怖。アメリカ合衆国がよくわかる作品。
ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
故郷のクリプトン星を探して宇宙へ旅立ったスーパーマンが5年ぶりに地球に戻ってくると、かつての恋人ロイスは婚約しており、子供もいた。
そんななか、宿敵レックス・ルーサーが動きはじめる。
世界を救うためスーパーマンが立ち上がる。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△スーパーマン
クリプトン星の生き残り。
△ロイス
女性。新聞記者。スーパーマンの元恋人。
△レックス・ルーサー
男性。新秩序確立を目指す。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
「赤マントの全身タイツ男 病院に担ぎ込まれる」の巻。父と子。ルーツ探し。新秩序の台頭の恐怖。アメリカ合衆国がよくわかる作品。
■ 父と子
スーパーマンはクリプトン星の唯一の生き残りです。クリプトン星の消滅のときに赤ん坊だったスーパーマンは父によって地球へ送られます。
父にとってはかけがえないのない唯一の息子を地球に遣わしたのです。
この設定はほぼそのまま聖書と同じですね。
父なる神が、子なるイエスを地上に遣わされたというものです。
人間を救うために地上に遣わされたイエスも苦悩して父なる神に祈ります(ゲッセマネの園での祈り)。
またイエスは荒野で40日40家断食して悪魔による誘惑にあいます(マタイによる福音書第4章1節~11節)。
聖書によると、神の子であるイエスは数々の奇跡を行いましたが、様々な試練にあわれて苦悩もしたのです。
スーパーマンは透視能力や怪力や空を飛ぶ能力などを持ったいわば超人ですが、自分のルーツを探したり、地球でどう生きるか、何をすべきかを考え・悩みます。
これは人間だれしもあることですが、特に様々な民族やコミュニティから成るアメリカ国民は、自分のルーツ探しというものにたいへん高い興味と関心を持っているといいます。
故郷のクリプトン星を探しに宇宙へ旅に出たことからわかることは、地球にあって異星人であるスーパーマンではるけれども、その気質や行動においてはアメリカ国民に近いものがあるこということです。
アメリカ国民的要素を併せ持ったスーパーマンは一度に無数の声・音を同時に聞き分ける能力もあります。自分の生き方に悩みつつも、助けを求める声を放っておくことはできないと助けに世界を飛び回ります。こうした行動はアメリカ合衆国の国際社会での振る舞いを表現しているといっていいでしょう。
■ 人は何によっていきるか
荒野で断食中に、空腹ならば石をパンに変えればいいと誘惑者に言われたイエスは「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」(新約聖書マタイによる福音書第4章4節)と言いました。
さて、超能力を持ったスーパーマンの地球での生活はバラ色かというと、そうでもありません。
5年ぶりに地球に戻ってみると、変わらないと思っていたものまで変ってしまっていました。結婚して主婦するなんて考えられないと言っていた元恋人ロイスが、社内の同僚と婚約して男の子まで誕生していたのです。
常人にはできないことができるスーパーマンでも、愛する人との関係はなかなか思い通りにはできないのです。スーパーマンは地球でどう生きるべきかを悩みます。
どんなに高い能力を持っていたとしても、スーパーマンは何によって生きるのか。そして私は、あなたは何よって生きるのか。
これが「スーパーマンリターンズ」のテーマであり、観客への問いかけです。
■ ヒーローを必要としていない?
なぜいまスーパーマンなのでしょうか?
スーパーマンをアメリカ合衆国と例えてみると、世界はもうスーパーマンを必要としていないのでしょうか?
こんな疑問をアメリカ国民の多くが持っているからこそ、今も世界はスーパーマンのようなヒーロー=強いアメリカ合衆国を必要としているのだという物語で皆を鼓舞したいし、そういう話をアメリカ国民も求めている。だからこそ、いまスーパーマンなのですね。
■ 自虐コントネタを真面目に
悪役レックス・ルーサーが海上に新たな大陸を出現させて、これまであった大陸を沈めてしまおうというのは、早い話が新しい勢力地図を作るということです。これを阻止するのがスーパーマンですね。
新秩序の出現。
従来の秩序を守る側にとっては、事の善悪は関係なく、問題・驚異なのは新秩序の台頭です。
悪役がアメリカ合衆国の海岸線の一部を沈めることで、それまでタダ同然だった土地に新たな付加価値をつけて金儲けしようとしたぐらいの規模なら、スーパーマンの程よい活躍の場ができるといったものです。
しかし今回、レックス・ルーサーが作り出そうとしていい新しい土地は「島」とった規模ではなく「大陸」の規模です。
大陸ともなれば、それは新秩序の誕生を意味します。しかもそれを作り出す元のクリスタルは、そもそもスーパーマンが地球にもたらしたものです。
レックス・ルーサーは、土地を作り出すクリスタルの存在を知らなければ、そもそもクリスタルが存在しなければ、大陸を出現させるという壮大(?)な計画を実行しようとまではしないでしょう。悪役といえども、頭脳明晰という設定ですからね。
レックス・ルーサーが世界を少し乱す程度の小悪党であるうちは、たまにスーパーマンに懲らしめられるぐらいでちょうど良かったのです。
なぜなら、世界が危機に陥らなければ、だれも助けを求めないので、スーパーマンの活躍の場もないのですから。
5年ぶりに帰ってきたスーパーマンが、墜落していく飛行機を救って野球場に不時着させることに成功したとき、球場の観客は大きな拍手で彼の帰還を称えます。
たしかに飛行機の惨事を引き起こした原因を作り出したのはレックスルーサーなのですが……。でもね、惨事の大元へとさかのぼって考えてみると、彼がスーパーマンのクリスタルを手に入れなければこの惨事は起きなかったのです。
スーパーマンがもたらした「力の元=クリスタル」を小悪党が手に入れたことで、もっと大きな悪事を引き起こし、それをスーパーマンが退治する。すると、やはり世界はスーパーマンを必要としているのだ、と声高らかにいう。
世界最大の武器輸出大国が世界に火種を撒き散らし、それを正義の名のもとに火消しに世界を飛び回る。そんな、どこかのお国そのままといったようにもみえますね。
こんな自虐コントみたいなネタを、けっこう真面目に表立ってやっているのが「スーパーマンリターンズ」なのです。
では、表があれば裏があるということで、裏でいうとどんな作品が?
実は有名なアニメショーン作品がこういった意味で「スーパーマン」と表裏一体なんですね。
で、それはどんなアニメ作品か?
これについては長くなりそうなのでまたの機会に。
■ スーパーマンを知っている人向き
スーパーマン?
それってペンギン村の梅干大好きなコスプレおじさんのことでしょ。
スーパーマン?
それって「Mr.インクレディブル」でおっきなマントを羽織って空を飛んでいたスーパーヒーローが飛行機のエンジンにマントが絡まって亡くなったっていう話の、その元になったヒーローのことでしょ。
こんな認識を持っている方は、いきなり「スーパーマンリターンズ」を観にいってもイマイチ盛り上がらないでしょう。
「スーパーマン」シリーズを全く観ていないならば「赤マントの全身タイツ男が病院に担ぎ込まれた154分にわたる物話」ときいたならば、それってどうなの? と思ってしまうかもしれませんね。
とはいえ、ペンギン村のスッパマンを知っているアナタは、もちろんスーパーマンもよぉ~く知っているでしょうけれど(笑)
■ ひとこと
「赤マントの全身タイツ男 病院に担ぎ込まれる」
「入院中のスーパーマンはナースコールを押すのか」
「ナースが脱がす!?スーパーマンの全身タイツ」
こんなキャッチフレーズなら、もっとお客さんを呼べそうですネ。
俳優ファン △
ファミリー △
デート △
フラっと △
脚本勉強 ○
演出 ○
笑い ◎ 笑える目線で見ればかなり笑える
リアル - 風刺ならマル。
謎解き -
人間ドラマ ○ スーパーマンですが……。
社会 ◎
CG ○
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
アメリカ・カナダ/2005年/96分
原作:『A HISTORY OF VIOLENCE』(ジョン・ワグナー作 ヴィンス・ロック画)
放蕩息子をモチーフに「愛」を描くサスペンスミステリー。家族や友から離れた者が再び戻ってきたとき、それを受け入れることができるか。ヴィゴ・モーテンセンの演技が凄い。
ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
米インディアナ州の田舎町。ある晩、トムが経営するダイナー(食堂)が拳銃を持った二人組みの強盗に襲われる。
素早い身のこなしで強盗を倒し、店の従業員と客を救ったトムは、一躍全米のヒーローとなる。
そんなある日、店に男がやってきた。男はトムをジョーイと呼び、一家につきまとうようになる。
やがて家族に危機が迫り、トムの妻エデが夫の過去を知ったとき、それまで愛と信頼に包まれていた家族の暮らしが崩れていく。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△トム・ストール
男性。田舎町のダイナーのオーナー
△エディ・ストール
女性。トムの妻。弁護士。
△カール・フォガティ
男性。マフィアの構成員
△リーチー・キューザック
男性。マフィアのボス。
△ジャック・ストール
少年。トムの息子。
△サラ・ストール
少女。トムの娘。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
放蕩息子をモチーフに「愛」を描くサスペンスミステリー。家族や友から離れた者が再び戻ってきたとき、それを受け入れることができるか。ヴィゴ・モーテンセンの演技が凄い。
■ 巧みなセットアップ
作品の冒頭、男二人がモーテルを出発する長回しのシーンがある。
ひとりの男は、ダルそうにこんな意味のことを言う。
「こんな毎日にマジでうんざりだぜ」。
もうひとりの男は、おれだってそうだ、といったふうに答える。
このセットアップの冒頭シーンで読み取るべきキーワードはこれだ。
「田舎(中西部のインディアナ州)」「暑い」「田舎を点々とする毎日にうんざり」
つまり、男二人は毎日にうんざりしているということだ。これは主人公トムの過去の心情の一部をあらわしてるといっていいだろう。
昔はこの男たちとたいして変わらない心情で毎日を過ごしていた男が、その後どうなったのか。それを観客に予測させる予告編の役割をも持っているのがこのセットアップ(冒頭シーン)なのである。
■ 故障中の車はトムの心情を表す
トムは自分の車が調子悪いので、妻に車で職場(ダイナー)まで送ってくれと頼む。妻はもちろんよと答えて仲良く出勤する。
トムが住む町はインディアナ州の田舎町だ。当然のように車はひとり一台ないことには不便である。
アメリカ合衆国は車社会だからアメリカ人はみな車を持っていると思いがちだが、もちろん車を持っていない人もたくさんいる。だがアメリカ合衆国に限らず日本でも、一部の都市部を除くほとんどの地域では車がないと不便だ。とくに田舎では車は下駄代わりである。
というわけで、トムには自分専用の古いピックアップトラックみたいな車があるのだが、エンジンの調子が悪いらしく故障中だ。すぐにでも直せばいいのだが、トムは急いで直そうとはしていないようだ。いざとなれば歩いて職場までいけるし(おそらく徒歩1~2時間程)、とりあえずは愛する妻の車に乗せてもらえばいい。
つまり、トムは自分の家と職場のある街へ行き来できればそれでいいのだ。ほかにどこへ行く予定もないし、ほかのどこかへいくつもりもない。これはトムがこの街で愛する家族と共に素朴でも幸せな生活をいつまでも続けたいという思いを表しているのである。
また、ダイナーにいたトムが胸騒ぎがして家族を守るために急いで家に戻る際、怪我をした足で家まで走るのだ。。車が使えないから走るしかないのだが、このシーンはトムがいかに家族を大事に思っているかを動き(アクション)で表現する演出効果を狙ったものだろう。
しかも、走って家についてからの演出もしっかりしている。街からずっと必死に走ってきたので、汗だくなだけでなく、呼吸がゼィゼィとなってうなく話せない。それでも家族の安全を確認して事情を説明しようとするのだが、呼吸が苦しくてソファに座ったまましばらくはまともに話せない有様なのだ。
そんなになりながらも必死に走りつづけて(足を怪我しているのに)帰ってきたトムの姿に、観客は過去の冷酷な男から家族思いの男にほんとうに変わったことをいつのまにか受け入れてしまうのである。これはリアルかつ感情移入というダブルの効果がある演出法である。
ちなみにトムは自分の車をいつ使うのか。それは自分の過去に立ち向かうべく出発するときに使うことになるのである。
■ 10代の頃に出会いたかった
トムと妻のエディの夫婦関係はとても良好だ。ふたりはいわゆる「ラブラブ」である。
エディはトムに、あなたと10代の頃に出会いたかった、という意味のことを言う。これは、いったいいままであなたはどこにいたのよ、もっと早く私をみつけて早くから私の側にいてくれたらよかったのに(実際は10代の頃には出会えなかったのだが)、という英語の授業の仮定法の例文に出てきそうな心情をあらわしたセリフがある。
エディにとってトムとのマッチングは最高なので、出会いというタイミングがもっと早かったら最高の日々をもっと早くから送ることができたのに、という思いが詰まったこの言葉は、二人の愛の深さと相性の良さを観客に素早く感じ取ってもらう言葉の演出だ。
そしてこのセリフのあと、二人の子供の「おかん」であるエディは、ハイスクール時代のチアガールの衣装を着て夫の前に登場するのである。
こうしてセリフ(言葉)とアクション(行動)でて夫婦の仲の良さを知らせると同時に1回目のセックスシーンによって、後の2回目のセックスシーンとの対比を通して夫婦関係の変化を表現する布石にもなっているのである。
■ 過去を知っても受け入れられるか~放蕩息子の例え~
田舎町ではトムはみんなから慕われる良き人である。ダイナーで強盗を倒して従業員と客を救ったことで、ヒーローとしてますます町の人々に愛されるようになる(店のお客も増えた)。
しかし、トムがかつて強盗やマフィアだったとしら?
たとえそれが過去のことであり、今は良き父であり良き夫であったとしても、妻は彼を受けれることができるのか。
さて、新約聖書にはキリスト教圏で生まれ育った者は一度は聞く放蕩息子のたとえ話がある。(ルカによる福音書第15章11節~32節)
-------------------------------------
あるところに二人の兄弟がいた。弟が父親から財産の半分をもらうと遠いところに行って放蕩に身を持ちくずして財産を使い果たしてしまった。飢饉が襲って食べることにも窮して豚の世話人になり、豚の餌で腹を満たしたいと思うほどになって本心に立ち返り、父の元に戻り、雇い人のひとりと同様にしてもらう決心をする。
父はまだ遠く離れているのに彼をみとめ、走り寄ってその首を抱いて接吻した。こうして盛大に祝宴がはじまったのであった。
-------------------------------------
「放蕩(Prodigal)」には、むだづかいする、浪費するといった意味のほかに「家族や友から離れていたものが戻ってくる」という意味がある。
妻エディが出会ったトムは良き人だったが、実は過去にマフィアの一員だったことがわかる。
放蕩息子の話では、父親は神をあらわし、放蕩息子は人間をあらわす。エディは人間なので「放蕩息子の話」での父親のようにまだ遠くに離れている息子(トム)をみとめ、走り寄ることはできない。
作品のラストシーン。ダイニングのテーブルで夕食をとるエディ、息子ジャック、娘サラ。そこへ戻ってきたトムが家に入ってくる。
果たしてジャックは、サラは、そしてエディは、自分の過去に立ち向って後に家に戻ってきたトムを受け入れることができるのか。
監督らしいというべきなのか、ありきたりなハリウッド映画のエンディングとは違うものとなっている。
夕食。父親がかえってくる。この何気ない日常のシーンをじっくと観せてくれる作品はなかなかない。
派手な映像ばかりが映画ではない。何気ない日常のふとしたシーンをいかに劇的にできるか。それが映画の醍醐味である。
ちなみに、何気ない日常のシーンを小道具を用いて劇的する試みがみられる作品はこちら。
(だたし、この↓作品の効果は、頭で考えた仕掛けの粋を出てはいない)
「愛してる、愛してない...(A la folie…pas du tout…)」作品レビュー
■ ひとこと
主人公トム・ストール役の俳優は『ロード・オブ・ザ・リング』で正義の勇者アラゴルン役だったヴィゴ・モーテンセンだ。
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」での彼を観ていると、真の役者とはこういうものか! と鳥肌が立つすごい演技をしている。トムの表情とジョーイの表情。こういった変化の演じ分けが見どころである。
俳優ファン ◎エド・ハリス、ウィリアム・ハートも出演
ファミリー ×
デート ×
フラっと ○
脚本勉強 ◎ラストシーンのつくりかたに真鍋(学べ)
笑い ×
リアル追求 ○
謎解き △
人間ドラマ ◎
▼おすすめレビュー
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監督:アンドリュー・アダムソン
アメリカ/200年/140分
原作:C.S.ルイス「ナルニア国ものがたり」
聖書のエピソードが豊富にちりばめられた物語。イエス。ピーター(使徒ペテロ)。善悪を知る木の実。裏切りのユダ。エソウとヤコブ。ゲッセマネの園。マグダラのマリア等。これらを知らないでも楽しめるが、知っていればさらに楽しめる。
ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
第二次大戦中のイギリス。ペベンシー家の4兄妹は田舎へ疎開する。
疎開先の屋敷の部屋にある大きな衣装箪笥はナルニア国に繋がっていた。
ナルニアは偉大な王アスランが去り、白い魔女の支配によって百年の冬が続いていた。ナルニアの住人は古い予言を信じて4人の人間が現れ、再び春が訪れるのを待っていた。
衣装箪笥からナルニアにやってきたペベンシー兄妹はアスランと共にナルニアに春をもたらす。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ピーター
ペベンシー家の長男《英雄王》
△エドマンド
次男《正義王》
△スーザン
長女《優しの君》
△ルーシー
次女《頼もしの君》
△アスラン
ナルニア最初の王
△白い魔女
ナルニアを支配する女王
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
聖書のエピソードが豊富にちりばめられた物語。イエス。ピーター(使徒ペテロ)。善悪を知る木の実。裏切りのユダ。エソウとヤコブ。ゲッセマネの園。マグダラのマリア等。これらを知らないでも楽しめるが、知っていればさらに楽しめる。
■ ナルニア国物語とキリスト教
「ナルニア国物語」がキリスト教的(聖書)な観方ができるのは有名です。作品の中に聖書のエピソードがちりばめらています。いえ、聖書の物語そのまんまと言ってもいいかもしれません。
ですが、日本公開にあたってはではこのあたりことを全くといっていいほど宣伝に使っていません。
日本ではおそらくキリスト教との関連を意図的に排除した宣伝をしているのでしょう。
欧米ならばキリスト教徒やその文化を持つ人々に向けてキャンペーンを行い、劇場に足を運んでもらうということもしているかもしれませんが、日本では他のファンタジー系の作品、例えば「ロード・オブ・ザ・リング」等のブームに乗せて、特殊メイクやSFX、VFXを前面に押し出してファンタジーワールドを強調した宣伝にしたようです。(ちなみに「ナルニア国物語の原作者と「ロード・オブ・ザ・リング」の原作者は友人同士です)
そのため「ナルニア国物語」をふつうのファンタジー物語として認識さてている方が多いでしょう。聖書のことを全く知らなくてもファンタジー作品として楽しめるようになっていますのでご心配なく。
もちろん、キリスト教文化を知っている方や、聖書に馴染みのある方は、あらゆるシーンが聖書と重なっているのがとてもわかりやすく描かれていますので一層「ナルニア国物語」を楽しめることでしょう。
では、どこがキリスト教と関係しているとみてとれるのでしょう。
それについての詳しいことは無料レポートにまとめましたので「ナルニア国物語」のキリスト教的な意味や背景を知ってさらに作品をたのしみたい方はぜひダウンロードしてお読みください。
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「ナルニア国物語」のほかに、キリスト教文化や聖書の予備知識があるとより一層楽しめる映画作品はこちら。
アフリカのロトともいえる男の物語。
「ホテル・ルワンダ(HOTEL RWANDA)」
雷ではじまるサウロの回心。ルターの修道士の誓い。
「宇宙戦争(WAR OF THE WORLDS)」
ノアの箱舟。ヨセフの物語。
「サハラ 死の砂漠を脱出せよ(SAHARA)」
ソドムとゴモラ。ロト。タラントのたとえ。ヤコブの井戸。
「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」
ロンギヌスの槍。ヨハネの黙示録。ルシファー。蛇。蝿(虫)。
「コンスタンティン(CONSTANTINE)」
信仰。長血(病気)をわずらっている女。
「ポーラー・エクスプレス(THE POLAR EXPRESS)」
過越し。ノアの箱舟。アダムとイヴ。ソドムとゴモラ。ロトの救出。
「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」
俳優ファン △
ファミリー ◎
デート ◎
フラっと ○
脚本勉強 ○
笑い ×
リアル追求 △
謎解き ×
人間ドラマ ◎
▼おすすめレビュー
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「『ファインディング・ニモ』が教えてくれる、わかりやすくする7つの方法」
監督:チェン・カイコー
中国・日本・韓国/2005年/124分
古今東西の歴史・民話・物語等の一部を取り入れ、サービス精神満載の漫画ちっくな映像と哲学的な深いテーマの融合で独特の作品世界を構築している。
ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
少女・傾城は運命の神・満神に出会い、すべての男の寵愛を受けることと引き換えに、決して真実の愛を手に入れることはできないという運命を受け入れる。
数年後、英雄の将軍・光明と俊足の奴隷・昆崙と謀反を企てる公爵と出会い、運命に翻弄される。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△光明
大将軍
△昆崙
奴隷。雪国の者
△傾城
王妃
△無歓
公爵
△鬼狼
刺客。雪国の者
△満神
運営をつかさどる神
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
古今東西の歴史・民話・物語等の一部を取り入れ、サービス精神満載の漫画ちっくな映像と哲学的な深いテーマの融合で独特の作品世界を構築している。
■ 水上の決断
古今東西の民話・伝説・物語等には水上または水辺で決断するシーンがよくあります。
例えば、木こりが使い古した斧を湖に落としてしまって、現れた女神に落としたのは金の斧か銀の斧か訊かれて、そのどちらでもないと答えた「金の斧・銀の斧」の話は有名ですね。
新約聖書のルカによる福音書5章にはガリラヤ湖で漁師をしていたシモンがイエスに「人間をとる漁師にしてあげよう」と言われて弟子になったという話があります。
長年漁師をしていたシモンは夜通し働いても魚一匹獲れませんでしたが、イエスの言葉どおりに網を下ろしてみると、網が破れそうな大漁となったのでした。
シモンはそこで「いっさいを捨てて」イエスに従っていく決心をして弟子になるのです。シモンはこうしてイエスの12弟子のリーダーといわれた「ペテロ」となったのです。
「プロミス」の傾城は少女の頃に水上に張り出した幹か枝の上を歩いて湖か海の上を渡たろうとしているときに、運命をつかさどる満神に出会います。
そこで決断を迫られます。すべての男の寵愛を受けてなに不自由ない暮らしを約束されることと引き換えに、決して真実の愛を手に入れることはできない、という運命を受け入れかどうか――。
■ ファーストプライオリティ
少女・傾城は満神の提示したこの運命を受け入れます。
実はこのとき傾城は死人が握っていた饅頭を奪って母のところに戻る途中でした。饅頭は母に与えるつもりでしたが、満神がもう母は亡くなったことを告られた瞬間、傾城は饅頭にかぶりついて食べます。傾城は幼い少女ながらも、今一番しなければならないこと=ファーストプライオリティをしっかりと持っていたのです。
母を無くした幼い少女にとって、戦乱が絶えない世にあって生きること=サバイバルがファーストプライオリティであるのはごく当然のことであり、傾城の決断は妥当なものであると見てとれるでしょう。
■ 生きるとは?
すべての男の寵愛を受けてなに不自由ない暮らしを約束された女は、たしかに「生きる」ことに成功しています。
しかし、だれからも愛されて食べ物も着るものも住む所にも不自由しない人生を、はたしてほんとうに「生きて」いるといえるのか。
もちろん「生きる」定義は人それぞれですが、ある人はこういうでしょう。真実の愛を得られないならば生きているとはいえない――と。
聖書にはイエスの言葉で「人はパンだけで生きるのではない」(マタイによる福音書4章)という言葉もあります
「プロミス」のテーマのひとつはズバリこれです↓
――生きるとは?
■ 女が歴史をつくる?
歴史は女で作られる、と言われることもあるように世の中は女で動いているともいえるでしょう。
レストランの特別メニューも旅行ツアーも女性に参加してもらうように企画されていることが多いことからもわかるように、女性の関心を集めればそれに引っ張られて男性もやってくるという基本の方程式(?)があるのです。
そしてときには女に関わることによって直接・間接的に命を落としていく者もいます(もちろんその逆、男に関わっることよって…もあるでしょう)。
例えば新約聖書に登場する預言者のパプテスマのヨハネは、預言者の中で最も偉大な者だとも言われていますが、彼の首をほしがった女・サロメの願いによって首をはねられてしまいます。
他に有名なところではクレオパトラとシーザーの話がありますね。
■ 出会いこそすべて(出会い系?笑)
(旧約聖書(士師記7章)にはギデオンの勝利という話があります。300人のイスラエル人が、13万5千人のミデアン人を打ち負かしたというものです。
ギデオンの勝利ほど戦力に開きはありませんが「プロミス」の冒頭の戦いでは将軍・光明の軍隊は敵よりも数が少ないにもかかわらず勝利を収めます。このあたりはギデオンの大勝利を彷彿とさせて、光明がいかに英雄であるかを知らしめているとも見てとれます(勝利にいたる方法は両者では違っています)。
そして、勝利のためには冷酷非情に徹する光明ですが、傾城と出会うことで変化が生まれます。
同じく奴隷の昆崙も傾城と出会って変化していきます。
「出会い系」ではありませんが、どんな物語でも出会いが大事です。だれかがだれかと出会うことで変化が生まれる。その過程がドラマであり、多くの観客はそこに共感して拍手をおくるのです。
■ ひとこと
真田広之さんはすっかり国際派俳優の仲間入りですね。「写楽」「たそがれ清兵衛」と海外でも上映される機会があった作品に出演したり、ハリウッド映画「ラスト・サムライ」にも出演してセリフは少ないながらも存在感をアピールしたりしましたので、注目度も高かったようです。そのためか「プロミス」では一番はじめにクレジットされています。華鎧を着た英雄の大将軍役できれいな服を着たシーンが多いので、かなりよい待遇でのお仕事だったのではないでしょうか。
傾城役のセシリア・チャンはやはり綺麗な方ですね。城を傾かせるほどの美貌という名に負けない容姿の持ち主です。でも本作では彼女の声は吹き替えだとか。セシリアはものすごいハスキーボイスらしいですよ。
この作品は西洋・東洋のさまざなま物語を研究して作られています。哲学的な深いテーマがいろいろとちりばめられていますので、特殊効果などの漫画ちっくな映像を予告編で観て、子供向けだと思って観ないというのはちょっともったいですよ。
俳優ファン ◎
ファミリー ○
デート ○
フラっと ○
脚本勉強 ◎
笑い △ 観ようによっては前編コントで笑い満載
リアル追求 ×
謎解き ×
人間ドラマ △
哲学 ◎
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わかりやすくるする技術を、例文を使って解説!
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大ヒットにはワケがある! 『NANA』大ヒットの秘密を解き明かす特別緊急レポート!
「『NANA』と『下妻物語』(+「R2-D2」)に共通する大ヒットの秘密とは?」
ピクサーのヒット作に秘められた「わかりやすくする」エッセンスを抽出したレポート
「『ファインディング・ニモ』が教えてくれる、わかりやすくする7つの方法」
監督:テリー・ジョージ
イギリス・イタリア・南アフリカ/2004年/122分
●ひとりの男が家族を守る「アフリカのロト」ともいえる人間ドラマ
ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
1994年ルワンダ。首都キガリ。高級ホテル「ミル・コリン・ホテル」の支配人ポールは、内紛による大量虐殺の危機から人々を救う。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ポール・ルセサバギナ
高級ホテルの支配人
△タチアナ・ルセサバギナ
ポールの妻
△オリバー大佐
国連軍大佐
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
ひとりの男が家族を守る「アフリカのロト」ともいえる人間ドラマ
■ 人間ドラマ
この作品は、ルワンダのフツ族とツチ族の内紛によって起こった虐殺のなかにあって、ひとりのホテル支配人の行動が1200人もの命を救った内容の人間ドラマです。
フツ族とツチ族の対立の原因のいくつかは、第1次世界大戦後の戦後処理とそれに伴う植民地統治の政策によるところが大きいのですが、そのあたりの歴史的な背景を詳しく知らなくても、だれでもわかるようにやさしく丁寧にストーリーの進行と共にわかりように作られています。
歴史ものという性格の作品ではなく、あくまでひとりの男が家族を守る物語なのです。
■ 「アフリカのシンドラー」「アフリカのロト」
4つ星ホテル支配人ポールは自分を頼ってやってきた人々を見捨てることができずにホテルに迎え入れます。少数ではありますが国連軍兵士がガードする高級ホテルにはフツ族の民兵もうかつに手出しができませんが、それも微妙な情勢のなかで綱渡りのような情勢でそうなっているだけで、民兵がなだれ込んで来るのは時間の問題ともいる状況です。
フツ族民兵のリーダーからは、ホテルにいる裏切り者を渡せば身内だけは助けてやるといわれますが、ポールはホテルにやってきた人たちを守ろうと知恵を絞って奔走します。
さて、旧約聖書にソドムとゴモラという街が登場します。悪がはびこったため、その街に10人の良き人がいたら滅ぼさないと約束された神は、良き人ロトの家に天使2人を遣わします。
ロトは旅人に扮した天使たちを自分の家でもてなしますが、街の住人が大勢、旅人を出せ乱暴してやる、と言って押し寄せてきます。それでもロトは旅人をかくまうのです。
ロトにとってははじめて会った旅人にすぎないにもかかわらず(もちろん天使だとも知りません)それでも良き人ロトは旅人を守ろうとしたのです。
そこで天使たちはロトの家族を連れ出して街を離れさせます。街から逃げていくその背後では天からの火によって街は焼かれてていきました。
高級ホテルの支配人ポールは、自分の家族を守るだけで精一杯です。しかし、ポールを頼ってやってくる近所の人たち、そしてホテルに避難してくる人々を見捨てることはできませんでした。その結果1200人もの人々の命を救うことになったのです。
ポールは「アフリカのシンドラー」とも言われていますが、その行いからは「アフリカのロト」とも言えます。
■ 賢く機転が利いて優秀とはどういうこかを教えてくれる
支配人ポールはホテルマンとして培った話術と物資調達の顔の広さと機転と行動力によって1200名もの人々を救いました。国の有力者に付け届けをして顔を広げたり、高級な酒や葉巻を手配して客をもてなしたりしていたポールは、虐殺の危険にさらされている人たちを守るために本国のホテル経営者に電話をかけたり、「物」や「金」を渡して軍人にホテルをガードしてもらったりします。
武力を持たないポールはあらゆる手段を使って家族を、そしてホテルの人々を助けようとします。
商売人のたくましさと、人間としての大切なものを併せ持った主人公ポールが多くの観客に応援されることには十分にうなづけます。
■ ひとこと
この作品、渋谷の上映館が大盛況のため、一度目に訪れたときは観れませんでした。
その一週間後にやっと観ることができましが、それでも上映開始2時間以上前に受付をして整理番号をもらわなければなりませんでした。
渋谷の上映館は座席数120ぐらいですから(会議室ぐらいの広さ?)。
実は2月4日あたりから上映館が拡大して、ウチの近所でも観れるようにっていたんですよね。
もし他の上映館で観ることにしたら、混み混み渋谷で前の座席の人の頭(よッ! 座高チャンピオン!(>_<))なんて気にせずに観れただろうに……。
でも、すでに渋谷上映館の名前が入った前売り券を買ってしまっていたので、渋谷以外でも上映館ができたのわかっていたましたが、たまには若者の街もいいかなと……。
おそるべし渋谷!
昔は人の数なんてたいして気にならなかったのに、人混みがすごかった!
(最近は電車の乗り換えや車で通り過ぎるだけでしたから)
映画館も混み混み。評判がいい作品だからなおさら。
ひさしぶりに他人の座高が気になりながら映画を観ました。(懐かしい感覚!)
∇「~族」という呼称は、わかりやすくするために使用しました。
俳優ファン △
ファミリー △
デート △
フラっと △
脚本勉強 ○
笑い ×
リアル追求 ○
謎解き ×
人間ドラマ ◎
∇無料レポート限定配布中
子供の才能を限りなく伸ばす秘訣を紹介!
『Mr.インクレディブル』が教えてくれる、子供の才能を限りなく伸ばす方法
わかりやすくるする技術を、例文を使って解説!
今日から使える!みるみる「わかりやすい文」になる12のリライト術(文章チェックリスト〈70項目〉付)
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「『NANA』と『下妻物語』(+「R2-D2」)に共通する大ヒットの秘密とは?」
ピクサーのヒット作に秘められた「わかりやすくする」エッセンスを抽出したレポート
「『ファインディング・ニモ』が教えてくれる、わかりやすくする7つの方法」
ひとりでも多くの方に知ってもらいたい。
ひとりでも多くの方に来店してもらいたい。
ひとりでも多くの方に買ってもらいたい。
でもその前に「中心となるもの」があるでしょうか。
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「アイランド(THE ISLAND) 」
マイケル・ベイ監督/アメリカ/2005年/127分
放射能に汚染されていない最後の楽園・アイランドへいつの日か抽選にたって行くことを、無菌室のような建物待ち望みながら集団生活をしている人々がいる。
そのなかのひとりのリンカーンは、アイランドが存在しないことを知り、ジョーダンを連れて生存のために脱出する。
作品レビューはこちら
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「アイランド」には様々な要素が詰め込まれています。
○SF
近未来。クローン。空中滑走バイク。
○宗教・文化
・アダムとイブ
聖書では、はじめのヒトはアダム。つぎにアダムのあばらの骨のひとつを取って作ったのがイブ。「アイランド」ではリンカーンとジョーダンのことをさす。
・蛇
エデンの園でアダムとイブを禁断の果実で誘惑した生き物は蛇。「アイランド」では脱出したリンカーンとジョーダンがはじめに出会う生き物が蛇。
・約束の地
旧約聖書ではカナンの地のこと。「アイランド」では唯一汚染されていない島のこと。
・選ばれし民
聖書ではユダヤ民族のこと。「アイランド」では無菌室のような住宅棟で臓器移植用に生かされているクローンたちのこと。
・出エジプト
聖書ではモーセが、虐げれているイスラエル民族をエジプトから連れ出して約束の地であるカナンに向けて出発することをいう。「アイランド」では、一度脱出したリンカーンがふたたび住宅棟に戻り、ほかのクローンたちを解放することをさす。
さらに「アイランド」には派手なアクションシーンもあります。
これは、SFファンの心もくすぐり、キリスト教文化になぞらえて普遍性をもたせ、派手なアクションシーンで観客に楽しんでもらおうというものでしょう。
SFならSFの命題、たとえば「ロボットに心はあるか」「タイムとラベルで過去と未来を変えられるか」といったことを深く掘り下げていくといった方向ではないようです。
またキリスト教文化を背景に人間の苦悩・成長といったドラマを深く描くといった方向でもないようです。
さらに、単純にアクションを楽しむといった方向でもないようです。
いろいろな要素を詰め込むというよりも、いろいろと付けてみましたといったほうがいいでしょう。
そういうわけで「斬新さ」や「キレの良さ」といったものは感じられません。
それでも作品としてそこそこな出来だと思わせてしまうのは、派手なアクションシーンにその秘密(というほどのものでもないかな)があります。
最近の映像効果技術の発達と、ハリウッドの豊富な資金力によって、他の国や地域ではなかなか作れない映像を見せてくれるのです。
いろいろ具が入っていて、何鍋といえばいいのかわらないけど、とりあえず秘伝のタレをかけて食べればOK。この秘伝のタレがかなり「高価」だけど、とりあえずどんな具材でもそれらしい味にしてしまう「効果」があります。
たくさんの人に観てもらいたい。そのためについ広く浅くしてしまいがちです。広く浅くというのはつまり「これだ!」という中心・特徴・色がないということです。
必要なのは中心・特徴・色です。これらの周りにSF・宗教・文化・心理・ユーモア・ジョークといった肉付けをしていくのがベストです。
【要点】
●広く浅くは、どこにも引っ掛からない可能性があることを心得よう。
●いろいろな味の鍋を食べてもらいたくても、ごった煮ではそれぞれの味を楽しめない。
●カレーが食べたいお客さんがラーメン屋にいく?
●寿司とカレーとピザのメニューがあるラーメン屋を想像してみよう。
![]() | 宇宙戦争 トム・クルーズ H.G.ウェルズ スティーブン・スピルバーグ パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2005-11-09 by G-Tools |
原作:H・G・ウェルズ「宇宙戦争」
サウロの回心(目から鱗が落ちる)とルターの修道士の誓いを象徴するかのような「回心」を促がす「雷」ではじまる、家族を守る男のヒーロー物語。真に恐ろしいのはトライポッドでも宇宙人でもなく、人間の心理と行動。
物語の紹介
―――――――――――――――――――――
アメリカ合衆国のある町。磁気嵐が起きて幾度も同じ場所に落雷したその地下から巨大なトライポッドが出現。町と人を焼き尽くしていく。
港湾労働者のレイは息子と娘を連れて危機を逃れようとする。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△レイ
港湾労働者
△レイチェル
レイの娘(10歳ぐらい)
△ロビー
レイの息子(17歳ぐらい)
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
サウロの回心(目から鱗が落ちる)とルターの修道士の誓いを象徴するかのような「回心」を促がす「雷」ではじまる、家族を守る男のヒーロー物語。真に恐ろしいのはトライポッドでも宇宙人でもなく、人間の心理と行動。
‡ トルネード(竜巻)? ‡
全米各地で電磁嵐が発生しているというニュースがテレビで流れるなか、主人公レイは仕事から戻り、子供たちを迎えます。
しばらくすると、空が渦巻き状の雲に覆われ、雷が落ちまます。それもほぼ同じ場所に幾度も落ちるのです。
アメリカ合衆国の土地と気象にとける特徴のひとつは、トルネード tornado(竜巻)です。ツイスター(twister)ともいいます。
(大リーガー野茂投手のトルネード投法っていうのもありますね)
アメリカ合衆国のニュースではよく、○○でトルネードが発生して○○州を襲い、○人が死亡。建物を破壊して云々といったものがよく流れます。
映画では「ツイスター」(ヤン・デ・ボン監督/1997/アメリカ)という竜巻パニック・スペクタクル作品があります。
というわけで、アメリカ合衆国在住の方々にとって、トルネードという単語はニュースでよく聞いて身近なものとなっています。
レイの住む地域がよくトルネードが発生するところなのかはよくわかりませんが、レイは「ちょっとしたおもしろいものがあるぞ」と言った意味のことを言って子供と共に空を見上げます。
空には分厚い雲が渦巻いています。強い風が吹き、雷が幾度も落ちて、レイは、これは只事ではないと感じます。
‡ 雷 サウロの回心 ルターの修道士の誓い ‡
雷と共に空から「だれか」が落ちてきて、あらかじめ地中に埋っていた「あるもの」を操縦します。
その巨大な物体――トライポッドの出現によって、人類は地上の支配者としての自負とおごりが打ち砕かれます。
ここで「パウロの回心」という話をご紹介しましょう。
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「サウロ(パウロ)の回心」(新約聖書使徒行伝第9章)
パリサイ人でローマ市民権を持ち、高水準の教育を受けたサウロ(パウロ)はある日、イエスの弟子たちを捕らえるために、ダマスコへ出発しました。
(聖書におけるパリサイ人は、律法学者、宗教の理論的な指導者として高い地位にあるとされていた人々です)
その道の途中で、突然、天から光がさしてサウロをめぐり照らしました。地に倒れたサウロは天からの声をききました。起き上がって目を開いてみましたが、何も見えませんでした。
サウロは天の声のとおりにダマスコの町へ行き、そこで3日間、目が見えず、飲まことも食べることもしませんでした。
やがてサウロのもとにイエスの弟子アナニヤがやってきました。アナニヤは自分たちを迫害してきたリーダーであるサウロの肩に手をのせて、「兄弟サウロよ」と語りかけはじめました。するとサウロの目から魚のうろこのようなものが落ち、もう一度みえるようになりました。
サウロは洗礼を受け、主に異邦人にイエスのことを伝える伝道者になりました。
--------------------
天から光がさして、というのは雷だとも受けとれます。旧約聖書では神の言葉は雷のようであり、民衆は神の声を直接聞くことを恐れていたともいいます。
旧約聖書出エジプト記第19章16節には「かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた」とあります。
また同章19節には「ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた」とあります。
民は恐れおののき、神の声をきく役目をモーセに頼みました。
またドイツの宗教改革者マルティン・ルターも目前に落ちた雷を恐れて修道士になる誓いをたてたといいます。これがサウロの回心をなぞった作り話なのか、伝説なのかはわかりませんが、キリスト教文化圏の人々にとって「雷」といえば、なにかを悔い改めさせたり、回心させるものであるという認識がすくなからずあるのです。
「宇宙戦争」においても、地球の支配者としておごり、たかぶっていた人類の目をさまさせるという役割としての雷によって物語がはじまります。
‡ 車に群がる群衆 ‡
嵐によって電子機器が動かなくなった状況では車も動きません。しかしレイはいち早く車を修理させました。そのおかげで、唯一といってもいい「動く車」で移動しています。
日が暮れてレイの乗った車はいつのまにか群衆の真ん中に入り込んでました。すると、車を止めろ! 俺も乗せろ! もっと乗るはずだ! という群衆によって、車は次第に身動きがとれなくなっていきます。
やがて暴徒のようになった群衆は車の窓を割ってレイやロビーを引きずり出します。
これが「ゾンビ」シリーズにおける車やトラックでの脱出シーンを思い起こさせます。
ゾンビを登場させなくても、ゾンビ襲撃と同じような「画」を見せることができています。
この車襲撃にトライポッドや宇宙人は登場しませんが、ある意味「宇宙戦争」で最も緊張感のあるシーンになっています。
というのは、もちろんトライポッド襲撃のシーンは迫力がありますが、それは映像として作られた「画」であり、ビーム光線はどこかコミカルでさえありますが、これに対して車襲撃のシーンは、環境や状況によって変化する人間の心理状態と行動を端的に表した生身の「画」となっているからです。
‡ 大阪人は勇敢? ‡
大阪ではトライポッドを倒したらしい。日本人にできておれらにできないはずはねぇ。みたいなセリフがあります。
親日家としても知られているトム・クルーズ。興行的にも日本は大事なお客様マーケット。。サービス精神半分、冗談まじりにおちゃらけ半分といったところでしょう。
名古屋もでなく、九州でもなく、ましてや東京でもなく大阪というのがいいツボおさえてますネ。
【その他】
ストーリーらしきものはほとんどありません。宇宙からの危機を逃れようとするある家族の物語であり、スタートからゴールまでに様々な困難と危険が襲いかかるというものです。
ラストで家族が再び揃うところも出来すぎています。
「宇宙戦争」は家族を守るヒーロー像のひとつをみせてくれる作品です。
| 宇宙戦争 | |
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ブレック・アイズナー監督/アメリカ/2005年/127分
Rated PG-13 for action violence.
原作:「死のサハラを脱出せよ」クライブ・カッスラー著
信仰によって箱舟を探す者・ダーク(ノア)と、民を救うために井戸で命を危険に晒して生き延びた者・エヴァ(ヨセフ)。ふたりは共に力を合わせてアフリカの人々と海の生物たちを救う物語。
物語の紹介
―――――――――――――――――――――
NUMA(米海洋機関)エージェントのダーク・ピットは米南北戦争時に消息を絶った南軍の装甲戦艦テキサス(The Texas)をアフリカで探していた。
その頃、ナイジェリアで疫病が発生する。WHO(世界保健機関)の博士・医師のエヴァはマリにその原因があると確信。MUMAに協力を求め、ダークたちと共にマリへ向かう。
マリに着くとダークたちとエヴァたちは別れて行動するが、その後ふたりは再開する。
やがて疫病は川に赤潮を発生させ、それは海に出て世界中に広まって水中の生物を絶滅させる恐れがあることがわかる。
ダーク、エヴァ、アルは汚染の広がりを食い止めようとする。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ダーク・ピット
海の冒険家。NUMA(米海洋機関)エージェント。
△エヴァ・ロハス
博士。医師。WHO(世界保健機関)の仕事をする。
△アル・ジョルディーノ
ダーク・ピットの相棒。NUMA(米海洋機関)のエージェント。
射撃の名手。
△サンデッカー提督
NUMA(米海洋機関)の提督
△カジム将軍
マリの権力者。軍隊を持つ。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
信仰によって箱舟を探す者・ダーク(ノア)と、民を救うために井戸で命を危険に晒して生き延びた者・エヴァ(ヨセフ)。ふたりは共に力を合わせてアフリカの人々と海の生物たちを救う物語。
‡ ノアの箱舟 ‡
主人公ダークはNUMA(米海洋機関)のエージェントです。そしてダークは長いこと船を探しています。アメリカ南北戦争時の南軍の装甲戦艦テキサスです。この船は行方不明になっており、ダークが調べたところによると、アフリカにやってきて海から川を遡ったまま戻ってこなかったことがわかっています。
南北戦争時の軍艦がアフリカにあるはず! という話に、上司であるサンデッカー提督や相棒のアルにさえ、またその話か……というふうにちょっぴり思われています。
まして一般人にとっては、昔のアメリカ船を捜してアフリカに! なんていうと、沈没船とか引き上げる仕事をしてる人の中にはそんなロマンを持ちつづけている人もいるかもねぇ、と思ってくれればいいほうで、なかには、あいつはちょっと頭がおかしいんじゃないか、ぐらいの陰口をたたかれるかもしれません。
そんなダークってだれかに似てませんか?
聖書の登場人物でいうと、ノアさんです。そう、「箱舟のノア」です。
∇「ノアの物語」(旧約聖書創世記第6章~8章)
腐敗・堕落した人間が溢れる世界に洪水を起こして何もかも滅ぼしてしまおうと計画された神は、正しい行いをする男・ノアとその家族だけは守ることにしました。
神はノアに洪水でも壊れない箱舟の作り方を詳しく教えます。
ノアはその教えどうりに水辺から遠く離れた場所で箱舟をつくりはじめます。箱舟には大小の動物たちがそれぞれ‘ひとつがい’づつ入れる部屋も作りました。洪水から動物を守るためです。
箱舟づくりには長い年月がかかりました。近所の人々はそれをみて、おかしなことをしている人だと不思議に思ったり、水もないところに船を作ろうなんて頭おかしいんじゃないかとからかったりしました。
ノアは箱舟を作りながら洪水が起こることを伝え、悪い行いをやめるように説得をつづけましたが、誰も聞こうとしませんでした。
ついに箱舟が完成しました。食糧を用意して必要な物をすべて船に積み込みました。最後に動物たちがやってきて、ノアの家族とともに箱舟に乗り込みます。そして神は箱舟の戸をお閉めになりました。
雨がふりはじめました。その雨は降り続き、川の水はみるみる増えていきます。やがて水が箱舟を押し上げました。
雨は40日40夜降り、地上の一番たかい山の頂さえ水に沈みました。そして水は150日のあいだ地上にみなぎりました。
やがて箱舟はアララテの山(MOUNTAINS OF ARARAT)にとどまり、水が引いて外へ出ました。
ノアの箱舟はどこにあるのか。アララテ山のおける箱舟発見という報告は多数あります。最近では1959年にトルコ空軍の報告があり、1960年代には冷戦の影響でこの地域に入ることができなくなりましたが、駐トルコのアメリカ空軍が船影らしきものを確認しています。
アララテ山付近の箱舟目撃地点はおおきく2つに別れており、一方はノアの箱舟で、もう一方はカインの箱舟だという説もあります。
さて、ダークが探している装甲艦をノアの箱舟に重ねてみましょう。水辺から離れた丘の上で船を作っていたノアを、近所の人々は笑ました。
一方ダークは昔のアメリカ軍艦がアフリカの奥地にあると信じていることで、周りからは少し冷たい目で見られています。
あるかどうかもわからない装甲艦をまるで「信仰」に導かれて探すダークは、船をみつけて一儲けしようというだけではないようです。
儲け心というよりも、知的好奇心と冒険心と信仰にも似た信じる心を持ったダークは、たとえ自分にとっての宝探しの途中であっても、医師のエヴァの危機や現地の人々の危機(水が汚染されている)を救おうと行動します。
これもノアが箱舟を作りながら人々に洪水のことを知らせて、悪い行いをやめるように説得して皆を助けようとしたことに共通しますね。
‡ 砂漠・井戸・水 ‡
「サハラ」では水がキーワードです。
砂漠で水といえば、オアシスに井戸。「サハラ」にも井戸が登場します。
エヴァはWHOの派遣員として疫病の調査をしています。危険地帯だと言われたマリにやってきたエヴァたちは、ある村にやってきます。村民は亡くなっており、村の井戸を調査することにします。
井戸は空井戸で、だれかが土を入れて埋めたようです。ロープを使って井戸の底に下りたエヴァは、土を掘り、滲み出てきた水をサンプルとして採取します。このとき、地上のWHO職員が何者かに襲撃されます。
エヴァは疫病の調査を通してアフリカで病に倒れた人々と、これからその影響を受けるであろう人々を助けようとしています。そして実際にエヴァはダークと共に疫病からアフリカの人々だけでなく、世界の生物を救うことになるのです。
これをヨセフの物語と重ねてみましょう。
「ヨセフの物語」(創世記第37章)
旧約聖書の創世記に登場するアブラハムの子孫(アブラハム→イサク→ヤコブ[イスラエル]→ヨセフ)であるヨセフは12人兄弟のなかで、父ヤコブの寵愛を一番に受けていた。なぜならヤコブが一番愛していた妻ラケル(当時、妻が複数いることは普通だった)の長男がヨセフだったからである。
ヤコブは長男だけが着る特別な上着をヨセフに着せた。またヨセフも自分が見たを家族に話した。その夢とは「畑で麦刈りをしていると、急にぼくが刈り入れた麦の束が立ちあがり、兄さんたちの束がぼくの束を取りまいておじぎしんだ」というもので、ほかの夢では「太陽と月と十一の星が皆ぼくにおじぎした」というものだった。(太陽と月はヨセフの父と母を表す。十一の星はヨセフの兄弟たちを表す)
当然、ヨセフは兄たちから妬まれ、憎まれた。ある日、ヨセフは兄たちによってエジプト行きの商人の一隊に銀二十枚で売られてしまう。エジプトで奴隷として売られた先はエジプト王朝の役人の家であった。ヨセフはよく働き、仕事の管理を任されるようになったが、役人の妻の逆恨みで投獄されてしまう。
獄中でヨセフは王の給仕役長と料理役長の夢の意味を解いてみせた。そのことがきっかけで、2年後に王が見た夢(七年の豊作の後、七年の飢饉になる)を解き、ヨセフはエジプトの総理大臣になった。
やがて飢饉となって、ヤコブの息子たちはエジプトへ食料を買いにやってきた。ヨセフは兄弟たちと再会するが、自分がヨセフだとは明かさずに、はたして昔のままの兄たちかどうか知ろうとする。兄たちは善き人となっていたことがわかり、ヨセフは真実を打ち明けた。そして、一族をエジプトのゴセンの地に呼び寄せ、家族揃って飢饉を乗り越えることができた。
それから数百年後、イスラエルの民の子孫は増えて、多くの数になった。これに危機感をもった王は、イスラエルの民を虐げるようになる。
ヨセフが兄たちによってエジプト行きの商人の一隊に銀二十枚で売られてしまうところで井戸が登場します。
兄たちの後を追ってきたヨセフは、兄たちによって井戸に投げ入れられます。このときの兄たちのはじめの計画では、ヨセフを殺して穴に投げ入れ、悪い獣が彼を食べたということにしようというものでした。そのとき兄のひとりのルベンは彼に手を下さずに穴に投げ入れようと言いました。ヨセフを救おうとしたのです。ほかの兄たちはこれに従い、ヨセフを井戸に投げ入れました。その井戸はからで、中に水はありませんでした。
しばらくするとイシマエル人の商隊がやってきたので、ヨセフを穴から引き上げて銀20シケルで売りました。商隊はヨセフをエジプトに連れて行って売りました。
こうした苦難の道のりがあった後、ヨセフはやがてエジプトの総理大臣となって、飢饉が起きたときには一族を呼び寄せてイスラエル民族を救うことになるのです。
「サハラ」のエヴァ(ヨセフ)も空井戸に入ります。そのときカジム将軍の軍隊(兄たち)がやってきて命の危険に晒されます。
そのとき、ダークとアル(ルベン)がやってきてエヴァを救い出します。
エヴァはその後も困難と危機にあいながらも、やがてはアフリカの人々と海の生物たちを救います(イスラエル民族を救う)。
イスラエルの民にとってカナン(パレスチナ、イスラエル)の地とは、神が与えたもうた約束の地であり、乳と蜜の流れる場所なのですが、水は貴重なものでした。
サハラにおいても水は大事です。ナイジェリアの疫病が水の汚染によるものだと確信したエヴァは、マリの水源のひとつにその原因があるとつきとめます。
このようにすべては水に関わる冒険なのです。
信仰によって箱舟を探す者と、民を救うために井戸で命を危険に晒して生き延びた者。ふたりは共に力を合わせて正しい者(アフリカの人々、海の生物)を救うのです。
‡ クライマックスの盛り上げ方 ‡
フォーシャドゥイングとペイオフ。
なにやら聞き慣れない用語が出てきましたが簡単です。
フォーシャドゥイングとは、出来事をセットアップするときに使う視覚的手がかりやセリフや情報などのことです。
これらが後のストーリーでペイオフ(Pay Off)=はじめに使われて後に劇的に使われるわけです。
では「サハラ」におけるとフォーシャドウイングは、装甲艦テキサスです。
映画のはじまりは南北戦争のシーンです。南軍の装甲艦テキサスが出航して北軍の激しい砲撃にあいます。テキサスも大砲を撃ってこれに反撃しながら進んでいきます。
このシーンが作品のクライマックスでペイオフされます。
カジム将軍の軍隊に追いつめられ、砂漠の真ん中でみつけた装甲艦に避難するダークたち。しかし敵のヘリコプターの弾は装甲を突き破る特殊弾でした。(あぶない! ダーク)
ハチの巣のように撃たれまくる装甲艦。そのとき、思いもしない宝の存在が明らかになるのですが、ダークたちを襲う危険はますます高まっていくばかりです。
そんなとき、装甲艦の大砲で反撃することにしたダークたちは、敵の攻撃の合間を縫って手分けして発射板を解放したり(ヘリコプターが旋回して攻撃してくる前に早く!アル!)、信管を探したり(ボロボロの艦内と外からの攻撃の中、はやく信管をみつけてエヴァ!)します。いざ準備が整った! でも敵のボスはヘリコプターに乗って攻撃してきます。さらに地上からは戦車部隊も!
敵の大将を討てとばかりに、博物館に展示されてもおかしくない年代物で長いこと砂の下に埋もれていた大砲の照準をヘリコプターに定めます。相手は飛び回っているので、なかなか命中しそうもありません(ハラハラドキドキ)。
やっとめぐってきたチャンス! よぉ~く狙いを定めていざ発射! 砲弾は見事にヘリコプターに命中! でも操縦席のガラスを突き破って砲弾が入ってきただけで、床にコロコロと転がるだけ。古すぎて火薬に引火しないのです!(なんてこったぁもうダメだぁ)
でも、よく見ると砲弾の内部はフツフツと赤くなっているではいですか! そのままコロコロとカジム将軍のほうへ転がっていきます……。
とまぁ作品のセットアップからクライマックス、さらにそこでの最大の危機の中での新発見。発見に喜ぶ隙もなく危機がますます迫り、苦労して成功したと思ったら不発弾か? でも実は……。
というようにあの手この手で幾重にもめぐらされた仕掛けと展開でクライマックスを盛り上げてくれます。
こういう手法はハリウッド映画の得意とするところですね。
日本映画「戦国自衛隊1549」の見せ場になっていない「見せ場」を思い出すと、比べてはいけないとは思いつつ、いつかは比べるられるだけのレベルに達してほしいなとしみじみと思うのでありました。
‡ アフリカ ‡
川が汚染されて下流の国の町に広がってしまうといわれたカジム将軍は、次のような意味のことを言います。
それがどうした? どうってことない。アフリカのことなんていったい誰が気にするんだ?
とんでもない言葉ですが、なんとも考えさせられる言葉でもあります。
アフリカには貧困や疫病で苦しむ人々がたくさんいます。
先進国の人々はいったいどのくらいそれらに関心や注意を向けているでしょう。、できるかぎりそういった人々を助けたい気持はあっても、ではなにをすればいいのかということになると、行き詰まってしまうこともあるでしょう。
どうしても、自分とは違う遠い世界の話として受けとめてしまいがちでもあります。
ニュースサイトを見ても、たいていは国内、国外、政治・経済、ビジネス、テクノロジー・サイエンス、健康、教育、天気、スポーツ、エンタテインメントといったカテゴリーはありますが、世界で起こっている危機のカテゴリーがあるところは少ないようです。
世界の危機やアフリカについてのニュースカテゴリーがある有名なところはこちら。
↓ ↓ ↓
∇Reuters World Crises
「ザ・インタープリター」(作品レビュー)でもアフリカの独裁者によって行われた虐殺の話が出てきます。
グレンイーグルスサミットでは気候変動やアフリカ問題がメインテーマです。
一見すると「サハラ」はお気楽ハリウッド娯楽大作と思われがちです。実際そうでもありますが、水、疫病、貧困、紛争といったアフリカ問題に焦点を当てる役割も持っているといってもいいでしょう。
世界の貧困をなくすために、あなたにできることがあります
「このキャンペーンのゴール(目的)は、寄付を募ることでなく、啓発活動だけでもなく、啓発活動の結果として『貧困をなくす政策をみんなで選択する』ことです」(引用元:ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン)
【その他】
冒険モノでダークとエヴァのロマンスもあるのですが、キスシーンひとつありません。それがかえって新鮮に映るかもしれません。
でもマシュー・マコノヒーとペネロペ・クルスは熱愛がささやかれているとか。
また、砂漠ときいて日本人一般がイメージする砂漠は、いわゆる砂砂漠ですが、サハラ砂漠の約70%は礫砂漠です。残りが砂砂漠と山岳・岩石砂漠です。
西部劇の列車強盗みたいなシーンもあり、大冒険活劇という名にふさわしい作品となっています。
意外性のあるひねりやビックリな仕掛けなどを期待する方には向きません。
探検、発見、冒険。これらのキーワードを聞いただけでワクワクする方は十分に楽しめるでしょう。
∇無料レポート
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クリストファー・ノーラン監督/アメリカ/2005年/134分
井戸で一時的に乾きを癒すのではなく、恐れと罪の象徴(コウモリ)を受け入れ、タラントを活かした「行動」を通してゴッサムシティ(ソドム)の正しい人(ロト)を助ける男――それがバットマン。
物語の紹介
―――――――――――――――――――――
幼い頃に古い枯井戸に落ちた少年ブルースはそこに巣くっていたコウモリを恐れるようになる。
ある夜、強盗に両親を殺害されたブルース。青年になった彼は旅に出ます。闇から闇へと渡り歩いて悪の知識と手口を習得します。
やがてヒマラヤである男に出会い、武術、柔術、剣術等を身につけます。
故郷ゴッサムシティに戻ってきたブルースは、表向きは大富豪のプレイボーイを演じならが、裏ではバットマンとして悪を罰して退治します。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ブルース・ウェイン/バットマン
大富豪。
△デュカード
ブルースの師
△アルフレッド・ペニーワース
ウェイン家の執事
△レイチェル・ドッドソン
検事。ブルースの幼馴染の女性。
△ラーズ・アル・グール
ヒマラヤの組織のボス
△ジム・ゴードン
警官。バットマンと協力する。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
井戸で一時的に乾きを癒すのではなく、恐れと罪の象徴(コウモリ)を受け入れ、タラントを活かした「行動」を通してゴッサムシティ(ソドム)の正しい人(ロト)を助ける男――それがバットマン。
‡ タラントの活かし方 ‡
主人公ブルース(バットマン)は生身の人間です。特別な能力があるわけではありません。
でも、生まれも育ちも才能のひとつ、というならば、ブルースは他の多くの人々にはない才能をもっています。
それは、両親から譲り受けた膨大な財産と大会社です。つまり富をもっているのです。
新約聖書マタイによる福音書25章14節に「タレントの譬え(たとえ)」話があります。
「タラントの譬え話」
ある人が旅に出るとき、3人の僕(しもべ)にそれぞれの能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントを預けた。
5タラントと2タラントを渡された者はそれで商売をして倍にした。1タラントを渡された者は地を掘って主人の金を隠しておいた。
僕(しもべ)の主人が帰ってきた。5タラントと2タラントを渡されていた者はそれぞれ倍に増やしたことで主人に「良い忠実な僕よ」と、多くのものを管理するよう言われた。1タラントを渡されていた者は地に埋めておいたことで主人に「悪い怠惰な僕よ」と言われた。1タラントは取り上げられ、10タラント持っている者に与えられた。
ここで「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」の登場人物シンドロム(バディ・パイン)に登場してもらいましょう。彼は発明王であり、元スーパー・ヒーローオタクでもあります。
「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」作品レビュー
シンドロムは発明という才能を用いて、テクノロジーで大きく儲けてロボットやグッズを作ります。それらを使ってヒーローになろうとします。
一方、ブルースは膨大な財産を持つという才能を用いて、バットモービルに乗ったり、バットマングッズを使ったりして悪を懲らしめます。
シンドロムもブルースも与えられた「才能」を最大限活かしているのです。違うのは「才能の用い方・目的」です。
シンドロムの発明やブルースの膨大な財産とまではいかなくても、だれにだってその人ならではの「タラント」があるはずです。
10タラント与えられる者もいれば、1タラント与えられる者もいます。それぞれのタラントに応じてその才能を活かすことが求められているのです。
ブルースはバットマンという正体を隠すために「プレイボーイの富豪」というキャラクターを演じています。
タラントを活かして自分にできること(悪を懲らしめる)を一生懸命行っているブルースは、その正体を明かすこともできずに孤独な戦いをつづけています。
そんなブルースの支えとなるのは執事のアルフレッドです。アフルレッドはウェイン家の執事です。彼はブルースを見守っていますが、ひとつだけブルース坊ちゃんにお願いします。家名を汚すことだけはおやめください――と。
しかしブルースは屋敷で開いた自分の誕生パーティで、人々を守るために家名を貶めるようなことを言います。
そして屋敷は焼け落ち、命からがらに急ごしらえの地下の秘密基地に逃れたブルースとアルフレッド。
ブルースは、(家名を汚してしまったこんな俺だけど)それでもおれを見捨てないでいてくれるか? といった意味のことをアルフレッドに言います。
アルフレッドは、私は坊ちゃんをいつでもサポートします、といった意味のことを言います。
‡ ソドムとゴモラ ‡
旧約聖書創世記18章16節~にソドムとゴモラの話があります。
「ソドムとゴモラ」
腐敗したソドムとゴモラを滅ぼすことにした神にアブラハムがお願いします。もし50人の正しい者がいたらあの街を滅ぼさないように――と。そして45人、40人、30人、20人と数を減らしてお願いし、ついに10人の正しい人がいたら滅ぼさないという言葉をいただくことができました。
ふたりの天使はソドムの町に行き、ロトの家に入りました。するとソドムの町の人々が押し掛けてきて、戸を叩いたり叫んだり無礼なことを言ったりしました。天使たちは戸を破ろうとした者たちを打って目をくらませ、ロトに家族を連れて町を出るように言いました。
天使たちはロトと妻とふたりの娘の手をとって町の外へ連れ出しました。町を離れる際に走っていたロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になりました。
腐敗したゴッサムシティを見捨てずに正義を行おうとするブルースは、家名を汚してしまったこんな自分をゆるしてくれるか、と執事のアルフレッドに尋ねます。
家名の評判は落ち、立派だった屋敷は焼け落ち、命からがら崩れそうな秘密地下基地にたどりついたアルフレッドは、それでもブルースの傍を離れれずにサポートするといいます。
また腐敗したゴッサムシティには幾人かの正しい者がいます。レイチェル・ドッドソンやジム・ゴードン、それに旧市街の子供たちなどです。
これらは、ソドムにたとえ50人の正しい者がいても、いえ10人の正しい者がいても滅ぼさないと約束され、しかし実際はロトひとり(ロトの妻とその娘ふたり)しか正しい者がいなかったので、これを救い出した聖書の話に重ねてみることができるでしょう。
また橋が上がられて閉鎖地域とされた旧市街にブルース(バットマン)とジム・ゴートンが乗り込んでいくのは、ふたりの天使がソドムにロトを救いにやってくる話に重ねて観ることもできます。
聖書にはソドムとゴモラが硫黄と火によって滅ぼされたあとには「地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた」(創世記19章28節)とあります。
ゴッサムシティのいたるところから垂直に高く噴き出す水蒸気の様子はこれを真似たものでしょう。
‡ 井戸と罪の意識と生ける水 ‡
幼い頃に古い空井戸に落ちたことからブルースの物語がはじまります。
あのときなぜ井戸に落ちたのか。それは這い上がるためだとブルースの父は言います。
新約聖書ヨハネによる福音書4章5節~には有名な「ヤコブの井戸」の話があります。
イエスが弟子を連れてサマリヤのスカルという町にやってきたとき、そこにヤコブの井戸がありました。
イエスが井戸のそばにすわっていると、ひとりのサマリヤの女が水を汲みにきました。イエスはこの女に「水を飲ませてください」と言われました。そしてあなたに生ける水を与えようとも言います。
このヤコブの井戸というのは、土地から染み出す溜め水で、その深さは30メートルはあったといいます。
これとは別のいわゆる涌き水というのは「生ける水」とも言われ、清めの儀式に使わる罪や汚れを清める効力があるともいわれていました。
サマリヤの女は、溜め井戸のそばにすわっている、くむ物ももたない男が涌き水を与えようというので、不思議に思います。そもそもユダヤ人がサマリヤ人に水を飲ませてくれと頼むこと自体が奇妙に思えました。というのは当時ユダヤ人とサマリヤ人は仲が悪くて交際していなかったからです。
(ユダヤ人とサマリヤ人との関係を表す話に「良きサマリヤ人」〈ルカによる福音書10章30節~〉があります)
そこで女はイエスに、あなたはこの井戸をくださったわたしの偉大な先祖のヤコブよりも偉いかたなのですかとききます。
イエスが言ったのは「永遠の命にいたる水」「罪を清める水」という意味だったのですが、サマリヤの女が涌き水と勘違いすることをお見通しだったようです。
それによってサマリヤの女のヤコブへの尊敬の念を引き出すためだったとも受け取れます。
ヤコブの井戸。ではヤコブとはどんな人なのでしょう。
ヤコブとはイサクの子です。イサクの息子は双子で、兄がエソウで弟がヤコブです。
ヤコブは「長子の特権」――家督と祝福――を得るために兄エソウを出し抜き、これがもとで逃亡生活をします。罪深い自分の赦しを請い、そのまま荒野で石を枕に眠ってしまったときに夢をみます。それは地から天の頂きに達した梯子が立っていて、神の使いたちがそれを上り下りしているというものでした。
ちなみにこのシーンは映画作品「炎のメモリアル(Ladder 49)」のモチーフになっているそうです「Ladder 49」とは「第49号梯子車」という意味でしょうが、そこには聖書のキーワードも含まれています。それがヤコブの梯子(Ladder)であり、49は創世記の49章にヒントがある! ということらしいです(作品未見のため詳細不明)。これについては「シカゴ発 映画の精神医学」さんが詳しく丁寧に解説されています。
さて、そんな罪深きヤコブに自分を重ねあわせているのがサマリヤの女です。彼女にはかつて5人の夫がいましが今はいません。愛や心が満たされることがないために癒しを求めて、ヤコブに梯子の救いが差しのべらたのと同じようにいつしか自分にも救いがもたらされるのではないかとう願いが彼女にはあったのかもしれません。
そう考えるとサマリヤの女が、他の井戸よりも遠くにあり、汲むのにより多くの労力が要り、涌き水でもないヤコブの井戸にやってくるのがわかるような気がします。
そんなサマリヤの女にイエスは、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがない~といいます。
空井戸に落ちたブルースは、水がなかったために全身を打ちつけます。さらにそこに巣くっていたコウモリの大群に遭遇して恐怖で気を失います。
やがて父がロープを使って井戸の底に下りてきて助けてくれました。
その後、町に両親と一緒にオペラを観にいったブルース少年は、劇の演出効果でコウモリに襲われたような錯覚で気分がわるくなり、両親と共に劇場を出ます。そこで強盗に両親を殺されてしまいます。
ブルースは両親が殺されたのはコウモリを怖がったからだと自分を責めて苦悩します。罪の許しを求め、また悪とは、正義とはなにかという真理を求めて旅に出ます。
その旅はまるでサマリヤの女が救いを求めて遠い井戸に水を汲みに通いつづけた日々のようです。
なぜ井戸に落ちたか?
それは這い上がるため。
なぜ空井戸で水がなかったのか?
それは一時的な乾き(癒し)を得ることを繰り返さないため。
レイチェルは言います。
「人は中身じゃなくて、行動で決まるのよ」――と。
キリスト教でいうと、ローマ・カトリックは救いのためには信仰にくわえて「よい行い(業)」が必要だとする立場をとっています。
罪の意識に苦悩しながら救いをもとめて旅した男が、与えれたタラントを活かして、ゴッサムシティの正しい人々のために(その数が限りなく少なく思えても)行動する。
コウモリという名の恐怖=罪の意識を受け入れ、これをもって「行動」することによって永遠の命にいたる水、生ける水、かわくことがない水を得るために行動しつづける男――それがバットマンではないでしょうか。
【その他】
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![]() | コンスタンティン キアヌ・リーブス フランシス・ローレンス レイチェル・ワイズ ワーナー・ホーム・ビデオ 2005-09-02 by G-Tools |
フランシス・ローレンス監督/2005年/121分
原作:DCコミックのアメコミ「ヘルブレイザー(Hellblazer)」
戦う自己チューエクソシスト探偵の冒険物語。他人には見えない険しい「山」を登ってきた男。頂上まであと1年。そこに待っているのは絶望。暗闇の山道に一筋の光。「山」が見えるという相棒を得て登り続ける男が頂上で遭遇する、この世の均衡を破る秘密の計画とは?
Story(ストーリー)
―――――――――――――――――――――
超常現象専門の探偵コンスタンティンは仕事を片付けていきます。でも今回はいつもとなにかが違う。異変を感じ取ったコンスタンティンは、地獄の住人が人間の体を媒介にして地上に進出しようとしていることを
知ります。
そんなとき、妹の自殺の謎を解明しようとする刑事・アンジェラと出会います。アンジェラこそ、この異変の鍵を握る女性だったのです。
Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△ジョン・コンスタンティン
超常現象専門の探偵。進行性末期肺ガンで余命1年。ヘビースモーカ
ー。小さな頃からこの世に属さない者の姿が見える。
自殺を試みたことから地獄行きが決定済み。だが地獄行きを逃れるた
めに悪魔退治をする。
△アンジェラ・ドッドソン/イザベル
LAの女性刑事。双子の妹イザベルの自殺が不自然と感じ、コンス
タンティンに調査を依頼する。
△チャズ
コンスタンティンの助手。LAのタクシー運転手
△ヘネシー神父
アルコール中毒の神父。コンスタンティンの仲間。
△バルサザール
ハーフ・ブリード。地獄からの使者。
△ガブリエル
ハーフ・ブリード。天国からの使者。マリアに受胎告知した天使とは名前が同じなだけで別。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
戦う自己チューエクソシスト探偵の冒険物語。他人には見えない険しい「山」を登ってきた男。頂上まであと1年。そこに待っているのは絶望。暗闇の山道に一筋の光。「山」が見えるという相棒を得て登り続ける男が頂上で遭遇する、この世の均衡を破る秘密の計画とは?
‡ アンチヒーロー! コンスタンティン ‡
映画におけるヒーローの変遷。これを辿っていくとおもしろいことが見えてきます。映画におけるヒーロー像は、作品が作られた国と時代の雰囲気を反映するからです。
コンスタンティンはオーソドックスなヒーロー像とはかけ離れています。ジェントルマンの対極のような男です。
先にエレベータに乗っていたコンスタンティン。ドアが閉まりかけたときにアンジェラが、すみません乗りまぁす、ってかんじでやってくるのですが、コンスタンティンは乗せてあげません。
欧米社会でちゃんとした男性はジェントルマンとして振舞うようにと子どものときから教えられます。いわゆるレディーファーストみたいな精神ですね。
映画でこんなシーンを観たことはありませんか。エレベーターに男ばかりが4,5人乗っていてみんな帽子をかぶっています。途中の階から女性がひとり乗ってきました。すると男たちは帽子をとるのです。
そんな社会にあって、女性をエレベーターに乗せてあげないばかりか毒づきます。
信じられない! ちょ~かんじ悪い奴ぅ。とアンジェラは思ったことでしょう。
‡ 弱さをもった主人公 ‡
では、なんでそんなコンスタンティンがヒーローなのでしょう?自己チュ―でシニカルで毒舌なコンスタンティン。実際にそんな人が身近にいたら、友達になりたいとは思わないけど、距離をとってみるぶんにはちょっと気になります。
ほら、危険な香りのする男(女)ほど魅力があるというでしょ? ファミリアでやってきたグレーの背広の男より、アルファロメオでやってきた革ジャンの男(←これもどうかと思うけど……笑)。どっちが気になる(おもしろそう)かっていうと……。
革ジャンの男はけっこう男前。もしそれがキアヌ・リーブスならなおさらですね。
コンスタンティンは子供の頃からこの世に属さない者の姿が見えちゃうんです。
「シックス・センス」の「I See Dead People」じゃありませんが、この世に属さない者の姿が見えちゃうと、他人と共感することができません。
だって他人は、自分が見えているものが見えないんですから。境遇が違いすぎると、共感ができないんですね。
ほら、山登りの道ですれ違う人と挨拶することってあるでしょ。全くしらない人だけど、共通の場(山)で共通の体験(山登り)をすると、自然と共感という感情が芽生えるんです。
コンスタンティンが登っている山って、他人には絶対見えませんから。しかもその山って超険しい。とてもひとりでは登りつづけることはできない、そんな山です。
かつて、この険しく辛い登山の途中でコンスタンティンは足を止めてしまいます。その2分後、またすぐに山登りしなくてはならなくなりました(自殺と蘇生)。
しかも! それまでは頂上まで行けば救われるかもしれないという望みがありました。
でも1度足を止めてしまったコンスタンティンを頂上で待っているのはは「山々の絶景」や「水」や「休息」や「達成感」ではありません。
待っているのは……1枚の切符。それには「GTH」と書かれています。
Go To Hell!
そりゃあやってられないでしょう。死の原因の煙草の本数だってちっとも減りません。日常でジェントルマンに振舞ったって、地獄行きが取り消しになるわけでもなし。
それでも辛く険しい山登りを続けなきゃならない。それも頂上まであと1年で辿り着くこともわかっている。そして、たどり着いたらGTH。
そんな暗闇の山道に一筋の光が!
この世にまぎれ込んだ悪の使者を地獄に送り返すことで、天国への切符を手に入れることができるかもしれない。
コンスタンティンは自分が救われるために、せっせと悪の使者を地獄へ送り返しつづけているのです。
‡ 共感しあう二人 ‡
アンジェラの双子の妹イザベルはコンスタンティンのようにこの世のものではない姿が見えたといいます。
イザベルの自殺の謎を解いてほしいとアンジェラに依頼されたコンスタンティンは、はじめはそれを冷たくあしらいます。
でも、悪魔の手先たちが狙っているのが自分ではなくアンジェラだとわかると、最近感じていた「異変」と関連がありそうだとピンときて彼女と行動を共にするようになります。
コンスタンティンは異変の謎を解くという目的でアンジェラと一緒にいるうちに、今までには経験したことのない共感という感覚を味わっていきます。
なぜならアンジェラも実はこの世のものではない姿を観ることができる人だったからです。
コンスタンティンは地獄を行ったり来たりします。そしてアンジェラもコンスタンティンの手助けで地獄をみてくるのです。
コンスタンティンに山登りの連れができました。しかも頂上にいけばなにかが変わるかもしれないという希望もできました。
それに、調べていくうちに、たいへん恐ろしいことが起ころうとしていることをつきとめるのです。
‡ 世界観を理解するするための予備知識 ‡
では世界観(登場キャラクター、物、その他)を解説しましょう。
▽ロンギヌスの槍(運命の槍)
十字架にかけれれたイエスの脇腹を刺したとされる槍。この槍を持つ者は世界の運命を握ることができるとされる。
▽地獄の聖書
地獄版の聖書。
▽黙示録
新約聖書の最後に収められているヨハネの黙示録のこと。旧約聖書のダニエル書とともに予言の書といわれる。この世の終わり(週末)についての予言が書かれている(3天使の使命等)。予言は難解で、その解読にはいろいろな説がある。
▽マモンの印
ルシファーの子マモンの印
▽ルシファー
サタン。元は天使の長。神に嫉妬して反乱を企て、地に投げ落とされた。さらに地獄の底へと落とされた。
▽蛇
サタンを象徴するもの。エデンの園でアダムとイヴに禁断の木の実をたべるようにすすめたのは蛇。蛇はきれいで空も飛べたが、人間を誘惑したため地を這いずる生物とされた。
▽蝿(虫)
サタンを象徴するもの。蝿の王ベルゼブブ。キリスト教の7つの大罪では暴食を象徴する。7つの大罪(憤怒・嫉妬・高慢・肉欲・怠慢・強欲・大食)については映画「セブン(デヴィッド・フィンチャー監督)」の冒頭シーンにも「暴食」を象徴するシーンがある。
▽ハーフ・ブリード
天使でも悪魔でもない。天国と地獄からの使者。人間の耳元で囁き掛け間接的にそれぞれの道へ導こうとする。
人間の世界に入り込んでいる。悪魔のハーフ・ブリードは聖水を浴びると力が弱まる。そのため、コンスタンティンの部屋の窓際には聖水が入ったボトルがたくさん置かれている。
▽ドラゴンの息
コンスタンティンが使う武器。炎を噴き出す。
▽聖なるショットガン
コンスタンティンが使う武器。十字架像から作られたショットガン。悪魔や悪魔のハーフ・ブリードを蒸発させて地獄へ送り返す効果がある。
▽悪魔祓いの封印
コンスタンティンが悪魔祓いの儀式に使う紋章
‡ キアヌのファンならとりあえず観てOK ‡
キアヌ・リーブスのファンなら予備知識なしで観ても楽しめるでしょう。
ミュージックビデオ出身の監督作品ということもあって、映像によって作り上げた世界は雰囲気が統一しています。独特の世界観や映像が好きな方にも向いています。
俳優に思い入れはないし、キリスト教のこともたいして興味ないという方。「マトリックス」風のスケール感を期待する方。「マトリックス」を読み解くように深く哲学的に分析・解析したい方。これらの方々にはあまり向かないでしょう。
原作は「スーパーマン」「バットマン」で有名なDCコミックのアメコミ「ヘルブレイザー(Hellblazer)」です。
【注】登山の部分は「例え」です。実際の作品内容ではありません。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
おすすめレビュー
(まつさんの映画伝道師)「コンスタンティン」
マジ必見です↑
(三畳間の全世界見聞録)さん
「コンスタンティン(2回目):これから見る人のための予習編」
(映画レビュー~防人城Blog丸)さん 「コンスタンティン」
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ロバート・ゼメキス監督/アメリカ合衆国/2004年/100分
原作: クリス・ヴァン・オールズバーグの名作絵本 『急行「北極号」』
![]() | ポーラー・エクスプレス トム・ハンクス ロバート・ゼメキス ノーナ・ゲイ ワーナー・ホーム・ビデオ 2005-11-25 by G-Tools |
●物語に最適な映像表現方法をつかった、信じることのすばらしさを伝える
クリスマスファンタジー
Story(ストーリー)
―――――――――――――――――――――
クリスマスイブの夜。窓の外には雪が降り積もっている。サンタの正体は父親ではないかと疑いはじめていたヒーロー・ボーイは、夜中に突然の大きな音に目が覚める。窓の外をみると、家の前に機関車が止まっていた。
パジャマにガウンを羽織ったヒーロー・ボーイはサンタクロースに会いに機関車ポーラー・エクスプレス(急行北極号)に乗って北極点へ向かう。
Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△ヒーロー・ボーイ(HERO BOY)
少年。サンタの存在を少し疑いはじめている年頃。
△車掌(CONDUCTOR)
機関車ポーラー・エクスプレスの車掌。北極点への案内人(ガイド)
△ホーボー(HOBO)
ポーラー・エクスプレスの屋根の上にいる謎の男。自らを「北極点の王」
と名乗る。
△ロンリー・ボーイ(LONELY BOY)
少年。ほかの少年少女とは離れてひとりでいることが多い。
△ヒーロー・ガール(HERO GIRL)
少女。積極性と行動力があり、引率力もある。
Comments(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
●物語に最適な映像表現方法をつかった、信じることのすばらしさを伝える
クリスマスファンタジー
「ポーラー・エクスプレス」で使っている方法は、モーション・キャプチャーの進化形ともいえるパフォーマンス・キャプチャーだ。
パフォーマンス・キャプチャーでは、俳優は全身にセンサーをつけており、体だけでなく動きや顔の表情までキャプチャーすることが可能だ。そのため俳優の演技が作品を作り上げていく際の重要な要素になっている。
3Dを使って人間そっくりな登場人物が活躍すると聞いて、よい印象を受けない方もいらっしゃるだろう。
なぜなら、デフォルメされたアニメーションではない、リアルな人間が登場するとなると、なんだか気持悪いと感じる方もいるかもしれない。リアルな人間を登場させるなら、本物の俳優でよいではないかと思うのが普通だ。
また、ふと例の作品が頭をよぎる方もいるだろう。そう、スクウェアが制作した全編フル3DCG映画作品「ファイナルファンタジー」のことだ。見事にコケたこの作品は、人間そっくりな登場人物を作る必要があるのか? という問
いを投げ掛けたという意味で、意義のある1作だった。(スクェアエニックスは映画事業から撤退したが、大きな失敗からはとてつもなく多くのことを学べるはずだ。いつの日か映画制作に挑戦してもらいたい)
私は「ポーラー・エクスプレス」を観る前は疑問に思っていた。『急行「北極号」』の映画化にあたり、当然に「ファイナルファンタジー」という作品のことは知っていたであろう制作者たちは、なぜまたリアルな人間を登場させる作品を作る気になったのか――と。
「ポーラー・エクスプレス」を観るとすぐに答えがわかった。それはこういうことだ。まず、伝えたい物語がある。原作絵本の油絵の世界を映像化する最適な方法はなにかと考える。そうしてみつけた方法がパフォーマンスキャプチャーなのだということだ。
日本のアニメーション作品やCG作品や特殊効果を使った作品を観てよく思うるのはこの逆だ。特殊効果や特殊技術や最新技術を使いたくて(表現)したくてストーリーを付けてみたのではないかと思うことがあるのだ。つまり、技術が先でストーリーは表現のためにとって付けただけということだ。
だが「ポーラー・エクスプレス」は物語ありきなのだ。物語があって、それを表現するための特殊効果なのだ。
では作品のみどころを紹介しよう++++++++++++++++++++
〈言葉〉
ポーラーエクスプレスの乗客の子供たちはそれぞれ自分の乗車チケットを持っている。車掌はチケットにパンチで文字を刻む。アルファベット2文字ほどの文字がいったいなにを意味するのか? そこにはそれぞれの子供へのメッセージが込められている。
アメリカ合衆国ではクロスワードパズルに人気があるという。ちょっとした空き時間などに、雑誌に載っているパズルを解いてみたりする。言葉遊びの楽しみがある仕掛けだ。
〈視点・カメラワーク〉
チケットが風に飛ばされて宙を舞って作品の世界を飛び回る。登場人物さえも見ることができない自然の風景を観客は楽しむことができる。また、モノに反射して映る映像や、鍵穴から覗いた映像などもみどころだ。
〈鈴〉
信じることのすばらしさを教えてくれる小道具。
〈キリスト教文化〉
鈴が関係するシーンは、信じることの力をスマートに表現している。これは新約聖書ルカによる福音書8章43節から48節に載っている話に近いだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12年間長血(病気)をわずらっている女が、群衆のなかのイエスに、後ろから近寄ってその衣のふさに触った。すると病気がたちまち治ってしまった。
イエスは、わたしにさわったのはだれか、と言われた。群衆がひしめきあっていたのでだれが触れてもおかしくなかったが、イエスは、力がわたしから出て行ったのを感じたのだ、と言われた。
女は震えながら進み出てひれ伏して、さわった訳と、さわるとたちまちなおったことをみんなの前で話した。
イエスは女に言われた。あなたの信仰があなたを救ったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〈ジェットコースターかのようなスリリングな展開〉
ポーラー・エクスプレスでの北極点までの旅は観客をまったく飽きさせない。トナカイの群れ、列車の屋根にいる謎の男など。とくに氷上ドリフトシーンについては、いままであんなシーンは見たことがない。
〈雪〉
しんしんと降る雪。そんな表現がぴったりな雪の描写がすばらしい。私はかつてある知人から、雪というものは綿のようにふわふわと降るというのををきいたが、にわかには信じられなかった。だが北海道に行ったとき、ほんとうに綿のような雪がキラキラと光りながら舞い降りる雪を見て、知人の言ったことはほんとうだったと思ったものだ。
そんなことをふと思い出させてくれる、そんな雪の描写であった。
〈ホットチョコレート(ココア)〉
ポーラー・エクスプレス車内でふるまわれるホットチョコレートの給仕シーンでのダンスと音楽は、これぞショータイム! いうものになっている。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
作品公開時期が「ハウルの動く城」(レビューはこちら)と「Mr.インクレデ
ィブル」(レビューはこちら)と近いためなのか、作品の良さのわりには話題
になっていないようだ。
またCG等の特殊映像技術を使った人間が主人公の作品ということで、過去のよくない印象が残っているのかもしれない。
だが「ポーラー・エクスプレス」は子供だけでなく、大人こそ観て楽しめる作品だ。
ぐいぐいと引きこんでいくテンポの良さと、キャラクター造形と配置の巧さ。エルフの顔がちょっと怖いがそれもまた愛嬌だ。
おすすめである。
―――――――――――――――――――――
![]() | 急行「北極号」 クリス・ヴァン・オールズバーグ 村上 春樹 あすなろ書房 2003-11-10 by G-Tools |
ポーラー・エクスプレス サントラ
―――――――――――――――――――――
∇参考・用語引用図書
「ストーリーアナリスト」
1999フィルム アンド メディア研究所 愛育社
「ハリウッド・リライティング・バイブル」
2000 フィルム アンド メディア研究所 愛育社
![]() | Mr.インクレディブル ジョン・ウォーカー, 三浦友和, 渡辺美佐, ジェイソン・リー ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2005-06-15 by G-Tools |
ブラッド・バード監督/アメリカ合衆国/2004年/115分
●アメリカ社会を映し出す魔法の鏡。映像技術、ストーリー、キャラクター、世界観構築をバランス良くまとめるストーリーテラーとしての卓越した技術。これを例えるなら「魔法」です。魔法で作ったエンタティメント作品であるとともにドキュメンタリーとしての映画の効力も併せ持っている、アメリカ社会を描く作品です。
Story(ストーリー)
―――――――――――――――――――――
スーパー・ヒローとしての活動が禁じられて15年、世界有数のスーパー・ヒーローだったMr.インクレディブルは妻と子供たちと一般市民として生活しています。
元ヒーローたちが次々と行方不明になっていたある日、Mr.インクレディブル宛に1通の手紙が届きました。スーパー・ヒーローとしての能力を必要としてるというその手紙に応え、Mr.インクレディブルは再びスーパースーツを身に
まといます。しかしそれはスーパー・ヒーローを滅ぼそうとする者の罠だったのです。エラスティガール(インクレディブル夫人)と子供たちは、夫(父親)の危機を救おうとします。やがてインクレディブル一家は世界を救うために力
を合わせてたたかいます。
Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△Mr.インクレディブル(ボブ・パール)
家族を愛する、元スーパー・ヒーロー。家庭では夫であり父親。
△エラスティガール(Elastigirl)(ヘレン・パール)インクレディブル夫人
普通の暮らしを望む、伸縮自在のボディを持つ元スーパー・レディ。家庭にでは妻であり母親。
△ヴァイオレット
長女。特殊なバリアーで身を守り、透明にもなれるスーパー・ガール。
△ダッシュ
長男。時速300kmで走り抜ける、スーパー・ランナー。
△ジャック・ジャック
次男。赤ん坊。スーパー・パワーはまだ不明。
△フロゾン
Mr.インクレディブルの元相棒。氷を自由に操る。
△エドナ・モード
特殊(スーパー)スーツ・デザイナー。
△シンドロム(バディ・パイン)
発明王。元スーパー・ヒーローオタク。
△ミラージュ
謎の女性。Mr.インクレディブルに仕事を依頼する。
▽オムニドロイド9000”
シンドロムが生み出したロボット
Comments(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
アメリカ社会を映し出す魔法の鏡。映像技術、ストーリー、キャラクター、世界観構築をバランス良くまとめるストーリーテラーとしての卓越した技術。これを例えるなら「魔法」です。魔法で作ったエンタティメント作品であるとともにドキュメンタリーとしての映画の効力も併せ持っている、アメリカ社会を描く作品です。
ピクサー初の人間(スーパー・ヒーロー)が主人公の作品です(過去の作品はモンスター、魚などが主人公でした)。
過去のピクサー作品とはちょっと雰囲気が違います。アクション描写もどちらかというと過激なほう。上映時間も過去最長です。なぜなら、新しい監督を外から招き入れたからです。その人はブラッド・バー
ド監督です。彼の過去の作品には「アイアン・ジャイアント」(1999) (The Iron Giant)」 スペシャル・エディション(※1)があります。
「Mr.インクレディブル」では人間(スーパー・ヒーロー)が主人公といっても、その造形や質感は適度にアニメちっくです。世界屈指のCGアニメーションスタジオのピクサーは、本物の人間そっくりなCGを作ることもできるでしょう。けれどもあえて1960代のテレビアニメのようなキャラクターにしています。なぜって、せっかくアニメーションなんですから、わざわざ人間そっくりにする必要はないからです。人間そっくりにするなら、本物の人間(俳優さん)を起用すればいいのですから。
アニメちっくだと言っても本物の人間と同じぐらい、あるいはそれ以上に人間味あふれるキャラクターが登場します。特にエラスティガールは色気があってなんだかエロちっくな雰囲気さえ漂わせ、ときには不安になりながらも妻として母親として、そしてスーパー・ヒロインとして大活躍します。
スーパー・ヒーローが主人公なので、それぞれに特殊能力があります。Mr.インクレディブルは怪力、エラスティガールは伸縮自在のボディ(漫画「ワンピース」のルフィみたいな、もしくは「怪物くん」の伸びる手足)、ヴァイオレットは特殊バリアーと透明になれるボディ、ダッシュは目にもとまらぬ動きです。
アニメーションに限りませんが、映画はたいていフィクション(つくりもの)なので、なんでもアリです。でも、なんでもアリであるからこそ範囲をきっちり決めたほうがよいのです。
インクレディブル一家やほかのヒーローでも、一人でなんでもできる万能ヒーローはいません。みんなそれぞれ特殊能力を持っていますが、それ以外は普通の一般市民と同じなのです。
そして、ひとりひとりのヒーローについて、どんな特殊能力を持っていて、どんな人柄なのかをわかりやすくちゃんと教えてくれます(紹介と説明がわかりやすい)。その役割を持っているのが特殊スーツデザイナーのエドナ・モードです。彼女はスーパー・ヒーローのための特殊スーツをデザインして作っています。エド
ナ・モードが、自分が作ったスーツをエラスティガールに紹介するシーンがあります。これは特殊スーツの性能を観客に説明すると同時に、特殊能力についてここであらためてまとめて紹介するという役割を持ったシーンなのです。(エドナ・モードは「ヘルパー」という役割を持ったキャラクターです)
主人公はスーパー・ヒーローの一家ですが、彼らは日常でだれもが経験するような問題(ヴァリオレットの恋、ダッシュが自分の能力を活かせないもどかしさを感じている)を抱え、ひとりの人間として悩んだり考えたり行動したりしています。
そんな姉弟が父親を助ける過程で自分の能力を発揮して、新しい能力を発見します。自分の新たな可能性を見い出して自信を持てるようになるのです。
各キャラクターが内的葛藤(Internal Conflicts)を持っています。使うことを禁じられていた特殊能力(タレント)を思いっきり使って自信を持つことで内的葛藤を解消していく様子が、各キャラクターの「見せ場(ヴァイオレットの特殊バリアー、ダッシュのスーパーダッシュ)」を通して楽しめます。
また「Mr.インクレディブル」はアメリカ社会を映す鏡になっています。スーパー・ヒーローたちは生まれながらにして特殊能力を持っています。これに対してシンドロムは一般人です。自ら発明した機械でお金を儲けています。
アメリカ合衆国は独立戦争によってグレートブリテン王国(イギリス)から独立した歴史があるので自由と平等を謳っていますが、現実にはワスプ(WASP)――アングロサクソン系白人プロテスタント――といわれる一部のアメリカン・エリートが、自分たちが特権を享受してきたという後ろめたさのようなものを持ちつつも、政治をはじめとする重要な分野で富と権力を独占しています。
これをスーパー・ヒーロー(世襲の特権階級)と捉えてみると、一般人のシンドロムは発明した機械(テクノロジー)を信じ、自らの才覚で道を切り開いていくフロンティアスピリットをも併せ持った、アメリカ合衆国の建前を具現化
したキャラクターだと言えます。
どちらが良い悪いというよりも、どちもアメリカ合衆国をよく表しているといえるでしょう。
シンドロムのセリフに、自分がヒーローになって充分満足したら、今度は発明品をみんなに売るのだ、みんなヒーローになったらもうヒーローはいらなくなるんだ、という意味のものがあります。
生まれながらの特権と、ほかの人がもっていないテクノロジーは使い方によっては世界を危機に陥らせます。
シンドロムはテクノロジーで儲けて自分で「悪(敵)」という対象をつくり、これを自ら倒すことでヒーローになろうとしますが、作った機械の制御ができなくってしまいます。
制御できなくなった「悪(敵)」を倒すのはスーパー・ヒーローの一家です。タレント(能力)持った個人が家族というチームワークで、作られた「悪(敵)」を倒します。
スーパー・ヒーローは活躍の場がなければその特殊能力をもてあましてしまいます。特殊能力を活かせないイライラから個々はばらばらです。必要なのは危機です。危機に対処するためには一致団結できるのです。そして危機をつくりだすのは「悪(敵)」です。
するとまた「悪(敵)」が必要になる。作品の最後のレゾリューション(解決)では、地底人が巨大メカに乗って現れて世界征服を宣言します(新たな「悪(敵)」の出現)。とまぁこの繰り返しなのです。人間(シンドロム)の次は地底人。その次は宇宙人でしょう(たぶん)。
特権階級とテクノロジー。作られた「悪」。アメリカ社会を映し出す鏡となっています。
こうしてみると「Mr.インクレディブル」はアメリカ合衆国のパロディ、または風刺といえるかもしれませんね。
世界屈指のCGアニメーション技術とバランスのとれた最高のストーリー構築技術との融合で一流のエンタティメントパロディを作る。ダッシュだったら「Cool!!(ダッシュが使う若者言葉。意味はカッコイイ! いかしてる! センスいいじゃん!」)と言うかもしれませんね。
他のピクサー作品のレビューでも触れていますが、コンピュータ技術の進歩だけでなく、柔軟で瞬発力のあるひらめき(発想)をバランスのとれたシナリオで作品に仕上げるといった、ソフトの合理的でシステマチックな進化が日本ににおいては必要です。
では作品の見所を紹介しましょう。
まずはテンポ。時代のスピードを反映するかのように、次から次にテンポよくストーリーが進んでいきます。どのシーンも複数の役割を持っていて無駄がなく、よく考えて練られたシナリオだということがわかります。
スピード感。ダッシュのスーパーダッシュのスピード感は見事です。あまりの早さに、ダッシュは自分でも気がつかなかった能力を発見してしまうほどです。ミサイルをかわそうとする飛行機のシーンは手に汗握る迫力です。ピクサーは車を主人公とする作品を制作しているようですが、CGとスピードの相性の良さという新たな題材をみつけたようですね。
視点。Mr.インクレディブルが一般人の生活に適応しなきゃと思いつつも、能力を使って活躍したい思いを、隣人の子供という視点をとり入れて表現しています。インクレディブルの隣の家のちいさな男の子は、なにかおもしろいすごい事がみれないかなぁっと、いつもMr.インクレディブルを見ています。彼との短いやりとりは、Mr.インクレディブルの心境を一言でうまく表現しています。
脂肪。一般人としての生活が長かったために、昔のヒーロー・スーツを着たMr.インクレディブルはお腹が出てしまっています。このあたりの細部も丁寧にとり入れています。
ユーモア・笑い。コントちっくな展開や、お約束の展開。思わず笑ってしまう小ネタの数々。笑いのスパイスも効いています。
キャラクター。Mr.インクレディブルが勤める保険会社での上司は、会社の利益を最優先する嫌味な役どころです。この上司は、正義がなんだ、そんなものよりも会社の利益、株主の利益だ! 歯車のひとつとして会社のために働け! とMr.インクレディブルを怒鳴りつけます。彼は背が低くて黒髪で眼鏡をかけています。ん? それっていかにも……そう、マイナスなイメージでの日本人のステレオタイプ(型にはまった画一的なイメージ)そのものですね。
キリスト教文化。ヴァイオレットとダッシュがタレントを活かすというのは、欧米の人々に新約聖書のマタイによる福音書25章14節から30節に乗っているタラントのたとえ話の教えを思い出させるでしょう。
「タラントのたとえ話」~~~
ある人が旅に出るとき、3人の僕(しもべ)にそれぞれの能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントを預けた。5タラントと2タラントを渡された者はそれで商売をして倍にした。1タラントを渡された者は地を掘って主人の金を隠し
ておいた。
僕(しもべ)の主人が帰ってきた。5タラントと2タラントを渡されていた者はそれぞれ倍に増やしたことで主人に「良い忠実な僕よ」と、多くのものを管理するよう言われた。1タラントを渡されていた者は地に埋めておいたことで主
人に「悪い怠惰な僕よ」と言われた。1タラントは取り上げられ、10タラント持っている者に与えられた。
~~~~~~~~~~~~
題名とキャラクター名の日米の違いについて。
邦題は「Mr.インクレディブル」ですが、原題は「THE INCREDIBLES」です。原題は「すばらしき人々」もしくは「インクレディブル家の人々」といったかんじです。つまり、インクレディブル家を中心として、相棒のフロゾンをも含めたすばらしき人々の物語という意味です。
邦題では、Mr.インクレディブルというひとりのスーパー・ヒーローの伝記みたいに思えてしまうかもしれないですね。
またエラスティガールも、日本版のパンフレットなどでは「インクレディブル夫人」となっています。エラスティガールは大活躍しています。Mr.インクレディブルと同じぐらいか、もしかしたらそれ以上に☆ アメリカ合衆国では夫婦とは対等な男女が結婚という契約に基づいて一緒になるという考えが一般的ですので、エラスティガールはインクレディブル夫人であり、子供たちの母親なのですが、あくまでエラスティガールなのです。作品では一般人の生活に適応しようと家事に子育てに忙しくしているうちに、スーパー・ヒロインとしての積極性と行動力を忘れていましたが、デザイナーのエドナ・モードの言葉でエラスティガールとして、また妻として母親として立派に大活躍します☆
わかりやすさ、ストーリー構築技術、ひらめき、発想、ユーモア、テンポ、すべてにおいて独走状態です。
一方、アニメーションにかぎらずですが日本はソフトが弱い。ピクサー作品を観ると、つくづくそう思います。
「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」――必見です。
∇無料レポート
「『ファインディング・ニモ』が教えてくれる、わかりやすくする7つの方法」
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∇「Mr.インクレディブル」には死や暴力が一部含まれています。米国ではPG
指定(大人と一緒に観賞するのが望ましい)です。
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※1「アイアン・ジャイアント(The Iron Giant)」1999 アメリカ合衆国
宇宙からやってきた巨大ロボットと少年が出会うアニメ作品。
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![]() | Mr.インクレディブル アイリーン トリンブル Irene Trimble 橘高 弓枝 by G-Tools |
![]() | the art of Mr.インクレディブル マーク・コッタ・ヴァズ スタジオジブリ 那波 かおり by G-Tools |
![]() | シービスケット プレミアム・エディション ゲイリー・ロス ポニーキャニオン 2004-08-18 by G-Tools |
ゲイリー・ロス監督/2003年/アメリカ/141分
原作:ローラ・ヒレンブランド
「シービスケット――あるアメリカ競走馬の伝説 Seabiscuit;An American Legend」
●希望と再生の物語
〔1〕テーマ(Theme)
―――――――――――――――――――――
絶望と希望
〔2〕ストーリー(Story)
―――――――――――――――――――――
大恐慌時代(※1)のアメリカ合衆国。人々は一頭の競走馬に希望を見い出した。それぞれに大事なものを失った3人の男たちが、その競走馬(シービスケット)を中心に集まる。様々なハンディを乗り越え、シービスケットは数々のレースで勝利する。
〔3〕Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△ジョニー‘レッド‘ポラード
青年騎手。
△チャールズ・ハワード
シービスケットの馬主。
△トム・スミス
調教師
△マルセラ・ザバラ
ハワードの再婚相手。
△ジョージ・ウルフ(ジ・アイスマン)
騎手。レッド・ポラードの友人。
▲シービスケット
競走馬。
▲ウォー・アドミラル
競走馬。シービスケットのライバル。
〔4〕・1 バリア(障壁)
―――――――――――――――――――――
⇒レッド・ポラードの落馬による重傷
⇒シービスケットのケガ
共に牧場で療養する。やがて新しい行動を試みようという決断によって、シービスケットとレッド・ポラードは奇跡の復活を果す。
これは恐慌と重なっているともいえる。1929年の恐慌で大事な人や物・事を失った3人が集まり、様々な問題を克服してシービスケットがレースに勝つ。だがレッド・ポラードが落馬による重傷を負ったり、シービスケットがケガをしたりしてしまう(←1937年に再び恐慌が起きることと重なる部分)。
それにもかかわらず奇跡の復活を果した(1940年)シービスケットはまさに人々の希望であった。
〔5〕Comments(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
●希望と再生の物語
それぞれに大事なものを失った男たち――。チャールズ・ハワードは息子を自動車で亡くして妻とも別れ失意のなかにいた。トム・スミスは腕のいいカウボーイだったが、西部開拓時代の遺物のように時代にとり残されたかのように感じていた。そしてジョニー・ボラードは大恐慌で家族を失い、騎手とボクサーで生き延びていた。
やがて彼らは一頭の競走馬――気難しくて小柄で栗毛――を中心に集まる。だれもが扱いに手を焼いており、だれもがその走りの才能を知ろうと注意を向けなかった一頭の競走馬に、トム・スミスが目をとめたのだ。そして彼は、同じく荒くれでスランプ中の騎手――ジョニー・ポラードにも目をとめた。
こうした主なキャラクター達のバックグラウンドがダイアニサイアック(Dionysiac)――夢中になる、主人公に共感を得る――の効果をもたらしている。
大恐慌時代のアメリカ合衆国の人々は絶望と喪失のうちにあった。それぞれに大事なものや大切なものを失った馬主と調教師と騎手、そして一頭の競走馬に人々は自分の境遇を重ね合わせたのだ。
ジョニー・ポラードはアイルランド移民の家に生まれ、幼い頃から本に親しんでいた。大恐慌で家族と離れなければならなくなったとき、彼に残されたのは馬に乗ることと、数十冊の本だった。
こうしてジョニー・ポラードは騎手やボクサーとしてひとりで必死に生きてきたが、幼い頃から本を読んで培った文学の教養があり、さまざまな場面で自分の心境について文学上の有名な句を引用して表現している。
こういった、有名な句を引用するというのは、例えば政治家などの有名人が演説やスピーチでよくしているのをテレビや映画で観た事があるだろう。
これらはキリスト教文化や有名な文学の教養があることを示して、自分がいかに優秀で有能であるかを人々にアピールする狙いがある。
ジョニー・ポラードが有名な句を引用するのは、たとえ貧しく一人で生きてきたとしても、しっかりした教養を持っていることを示している。
貧しくて学がない青年が、勉強や訓練を積み重ねて立派になっていく(シンデレラ型[例]→『マイ・フェア・レディ』)というのも人気があるが、貧しいながらもしっかりとした教養を持っている青年というのも応援したくなるものだ(だが、ジョニー・ポラードが有名な句をマイナスな意味で使う場面もある)。
ほかにもシービスケットの宿敵馬となるウォー・アドミラルの馬主が「ダビデとゴリアテ」という表現をする場面がある。これは自分の馬とシービスケットを比べて言ったときのセリフだ。
「ダビデとゴリアテ」は旧約聖書サムエル記上16章に載っている話だ。当時イスラエル人はペリシテ人と戦争をしていた。イスラエルの王サウルの軍にいた兄たちの様子をみにいった羊飼いのダビデ(後のイスラエル王)は、戦場で巨人ゴリアテを見る。
その大きさにイスラエル兵はだれも彼と戦おうとしなかった。そこでダビデはいつも使っている革製の投石器と羊飼い用の杖を持ってゴリアテに戦いを挑んだ。ダビデが投石器で飛ばした小石はゴリアテの額に命中する。ダビデは走り寄り、ゴリアテの刀で彼の首をはねた。これをみたペリシテ兵士たちは逃げて行った。
ウォー・アドミラルの馬主は東海岸の支配者(金持ち)であり、ここで聖書の物語を引用しているのは、自らの権力と教養をひけらかしたいという気持の表れとみることができる。しかし、巨人ゴリアテはダビデに倒されるので、これは単にウォー・アドミラルとシービスケットの体の大きさと実力の差を例えたにすぎないのだろう。
これにたいしてジョン・ハワードは、自らの境遇をアピールして、絶望の淵にある大衆の心を掴んでいく。
虐げられ絶望している人々が強大な力(支配者層・金持ち)に勝つ、という希望の星――それがシービスケットの活躍なのだ。
これはサッカー(フットボール)と似ている。複雑なシステムをもつサッカーというスポーツは強い意志をもって戦略と戦術を駆使し、ゴールという明確な目標を達成しようとする。そのためには、正確なパスとシュートという個人技
を基本とするチームワークが必要だ。気の遠くなるような訓練と練習の量をこなし、選手の高いモチベーションと、完璧な戦略と戦術があっても、試合ではなにが起こるかわらない。弱小といわれるチームでも、王者といわれるチームに勝つことがあるのだ。
弱者が強者に勝つという奇跡が起きるスポーツ――それがサッカーだ。南米の貧しい国々でサッカーが盛んなのには充分に頷けるだろう。
アメリカ合衆国においてはサッカーは盛んなスポーツではない。なぜなのか。それを考えてみることは、アメリカ合衆国の特殊性を理解する助けになるだろう。
大恐慌時代のアメリカ合衆国では、虐げられ絶望の淵にある人々が一頭の競走馬に希望を見い出した。当時の大衆に対立するものは東海岸の支配者層(金持ち)だった。その後のアメリカ合衆国は国外の脅威(ソビエト連邦)と自国民の希望(宇宙・アポロ計画)等で国内の結束を固めて高い目標を掲げてきた。
アメリカ合衆国が政策として大衆に希望を提供したのではない、大恐慌という時代に大衆の中から出てきた希望――それが「シービスケット」だ。
――――
※1 大恐慌時代(1929-41)
1929年秋、アメリカ・ニューヨーク株式市場が大暴落して恐慌が始まる。アメリカ合衆国は32代大統領フランクリン・ルーズベルトによってニューデイ―ル(新規まき直し)政策を実行する。これはフーバーの自由放任に代わり、国家の干渉によって資本主義を修正することにより恐慌を克服しようとするものだったが、国家と結合した独占企業が利潤を得るなどして37年に再び恐慌が起こった。
――――
∇「シービスケット」(DVD)
∇「シービスケット―あるアメリカ競走馬の伝説」
ローラ ヒレンブランド (著), Laura Hillenbrand (原著),
奥田 祐士 (翻訳)
∇「シービスケット」 オリジナル・サウンドトラック
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∇参考・用語引用図書
「ストーリーアナリスト」
1999フィルム アンド メディア研究所 愛育社
「ハリウッド・リライティング・バイブル」
2000 フィルム アンド メディア研究所 愛育社
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M・ナイト・シャマラン監督/アメリカ/2004年
![]() | ヴィレッジ ホアキン・フェニックス M.ナイト・シャマラン エイドリアン・ブロディ ポニーキャニオン 2005-04-22 by G-Tools |
●愛とジェラシーの物語
テーマ(Theme)
―――――――――――――――――――――
愛
Story(ストーリー)
―――――――――――――――――――――
深い森に囲まれた外界から隔絶した村。森に生息する「彼ら」との和解によっ
て村の人々は永遠の平和を手に入れた。しかし、和解はある日突然に破り去ら
れる。
Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△ルシアス・ハント
青年。物静かであるが内なる情熱を秘めている。幼馴染のアイヴィーに思い
を寄せる。
△アイヴィー・ウォーカー
女性。ルシアスの幼馴染。村の指導者エドワード・ウォーカーの次女。
幼い頃の病気で視力を失う。深い洞察力を持つ。勇敢で、男の子のように活
発。
△ノア・パーシー
青年。ルシアスとアイヴィーの幼馴染。子供の純粋無垢な心を持つ。
△エドワード・ウォーカー
男性。村の指導者。教師。村の評議会のメンバー。アイヴィーの父親。
△アリス・ハント
女性。ルシアスの母。村の評議会のメンバー。早くに夫を亡くす。
▽口に出してはならない存在(Those We Don't Speak Of)
村を取り囲む森に住む「彼ら」。
時代背景、場所
―――――――――――――――――――――
1897年、ペンシルヴァニア州の村。この村は深い森に囲まれて外界から完全に
隔絶している。
作品と宗教
―――――――――――――――――――――
作品を読み解くヒント。または、作品を作る上で参考にしたと思われる聖書の
物語。
・「赤いマーク」~過越し~(出エジプト記第12章)
・「ノア・パーシー」~ノアの箱舟~(創世記第6章)
・「誘惑の木の実と楽園からの追放」~アダムとイヴ~(創世記第3章)
・「都市と農村」~ソドムとゴモラ、ロトの救出~(創世記第19章)
この他、参考になる映画作品↓
「刑事ジョン・ブック/目撃者(WITNESS)」
この作品には、アーミッシュ(Amish)というキリスト教の一派が登場する。
アーミッシュの人々は、農村で穏和な人々がお互いに助け合いながら共同体を
営んでいる。平和主義者で、電気、水道、自動車などを使わない、大地に根ざ
した生活をしている。
小道具―――――――――――――――――――――
色(赤、黄色)。椅子。
Comments(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
●愛とジェラシーの物語
おそらく、シャラマン監督の作品のを観た人々の感想や評価は、おおまかに2
つに分かれるだろう。――良いか悪いかだ。
両極端の感想を持つ人々がいるというのは、その作品が力(影響力、魅力等)
を持っていることを表してる。作品についてのリアクションの結果が「おもし
ろかった」または「おもしろくなかった」といった感想になるからだ。
そういった意味で「ヴィレッジ」も両極端な感想を持たれる作品だ。
シャラマン監督はインドで医師の家系に生まれ、幼少期にアメリカ合衆国のフ
ィラデルフィアの高級住宅地に移住している。いわゆる裕福層であり、当然に
キリスト教の教養を持っている。
そういうわけで作品においても、聖書の物語から刺激やヒントを得たと思われ
る要素が数多くみることができる。
これまでのシャラマン監督の作品は、西欧キリスト教の素養や、オカルトネタ
(死者、宇宙人)といったものを巧みに融合させた。そして「ヴィレッジ」で
もそうだが、作品の演出と宣伝にいたるまで計算しつくしている。
つまり、一見すると奇抜な作品に思われがちだが、そうではなく、むしろみん
なが良くって知るいる事柄(欧米人にとってのキリスト教の素養)と、興味を
引く事柄(オカルトネタ)を組み合わせるという、いたってまっとうで地道な
作業を行っているのだ。地味な作業は脚本から演出、宣伝方法に至るまで考え
つくされている。それは「ヴィレッジ」において、自らの過去の作品と似たも
のを期待しているであろう観客の目線を巧みにシフトさせることで、超常現象
の意味と、その力の大きさとすばらしさを表現していることからもわかる。
この「超常現象の意味」についてどう感じるかが、観客の感想を分けるポイン
トだ。
超常現象とは言いかえると「奇跡」だ。聖書には数々の「奇跡」が登場する。
上記「作品と宗教」で紹介した聖書の物語のように、多くの「奇跡」の物語を
読んでみるとよいだろう(聖書は永遠のベストセラーといわれている)。
シャラマン監督の作品は、その結末や内容についてくわしく書くと「ネタバレ」
になってしまうので、ストーリーについてコメントできないが、注目するとよ
いキーワードはこれだ。
・都市と農村
・椅子
・第1世代と第2世代
また、演出上の巧さで光るのは、アイヴィーが視力を失っているという設定に
していることだ。
盲目であるがゆえに、アイヴィーはみんなとは違う方法で世界が見えるという。
作品中でもアイヴィーは中心的キャラクターで、彼女の視線で物語が進行する
ことが多い。例えばある村人は知っている事柄を、アイヴィーがはじめて知る
シーンがある。そのとき、アイヴィーが「あるモノ」を前にしても、すぐにそ
れがなんなのかはわからない。視力を失っているので、なにかの気配は感じて
も、それがなんなのかはわからないからだ。このシーンで観客は完全にアイヴ
ィの立場になりきっているので、彼女と共に「あるモノ」がなんなのかに興味
を持ちつつも、なかなかその正体がわからずにハラハラドキドキするといった
仕掛けになっている。
また、アイヴィーが「彼ら」に遭遇するシーンがある。観客には「彼ら」が見
えていている。しかしアイヴィーはその「気配」を感じていても、見えてはい
ない。そのとき観客は、自分には見えている状況と、アイヴィーの状況の2つ
を感じることができる。こうした2つの視点をもたせることで、そのシーンが
より緊迫したものになっている。
愛によって支えられた勇気と行動力によって、アイヴィーは文字どうり、みん
な(第2世代)とは違う世界を垣間見ることになる。
物語の結末は一応ハッピーエンドではあるのだが、いくつもの余韻を残すもの
となっている。アイヴィーが垣間見た真実の一部と村の未来……。
(「余韻」とは、作品が終わっても、その先に思いが走る(イメージしたくな
る、知りたくなる)ということだ。)
「ヴィレッジ」の超常現象を受け入れられるかどうかが、観客の評価や感想の
分かれ目だろう。
話題性、宣伝、演出等、見どころが満載である。
映画制作にかぎらず、イベントやマーケティングや商品開発や顧客サービスな
どに、とても参考になるだろう。
「ヴィレッジ」は愛の物語である。
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∇参考・用語引用図書
「ストーリーアナリスト」
1999フィルム アンド メディア研究所 愛育社
「ハリウッド・リライティング・バイブル」
2000 フィルム アンド メディア研究所 愛育社
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リドリー・スコット監督/2000年/アメリカ
●宗教的、歴史的ストーリーを根底に、最新のCG映像技術を駆使して再現した
コロシアムで、迫力の戦闘シーンをみせる
〔1〕ログライン(Log line)(ストーリーを述べてある一文)
―――――――――――――――――――――
奴隷剣闘士となった元将軍が、家族の復讐のため、コロシアムで勝ちつづけて
仇の皇帝を追いつめる。
〔2〕ストーリー(Story)簡略に
―――――――――――――――――――――
時の皇帝に信頼されていたマキシマス将軍は、コモドゥスの陰謀により妻と子
を失い、奴隷となる。剣闘士として闘いながら、ローマのコロシアムに乗り込
む。そこで、皇帝となったコモドゥスと再会し、復讐を誓う。
〔3〕Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△アエリウス・マキシマス将軍
ローマ帝国将軍
△マルクス・アウレリウス・アントニウス(Marcus Aurelius Antoninus)
ローマ皇帝。五賢帝最後の皇帝。
△コモドゥス
マルクス・アウレリウス帝の息子
△ルシラ
コモドゥスの姉
△プロキシモ
奴隷商人。剣闘士を養成している。
〔4〕宗教と映画作品
―――――――――――――――――――――
旧約聖書「ヨセフの物語」
「ヨセフの物語」とは?
旧約聖書の創世記に登場するアブラハムの子孫(アブラハム→イサク→ヤコブ
[イスラエル]→ヨセフ)であるヨセフは12人兄弟のなかで、父ヤコブの寵
愛を一番に受けていた。なぜならヤコブが一番愛していた妻ラケル(当時、妻
が複数いることは普通だった)の長男がヨセフだったからである。
ヤコブは長男だけが着る特別な上着をヨセフに着せた。またヨセフも自分が見
た夢を家族に話した。その夢とは「畑で麦刈りをしていると、急にぼくが刈り
入れた麦の束が立ちあがり、兄さんたちの束がぼくの束を取りまいておじぎし
んだ」というもので、ほかの夢では「太陽と月と十一の星が皆ぼくにおじぎし
た」というものだった。
(太陽と月はヨセフの父と母を表す。十一の星はヨセフの兄弟たちを表す)
当然、ヨセフは兄たちから妬まれ、憎まれた。ある日、ヨセフは兄たちによっ
てエジプト行きの商人の一隊に銀二十枚で売られてしまう。
エジプトで奴隷として売られた先はエジプト王朝の役人の家であった。ヨセフ
はよく働き、仕事の管理を任されるようになったが、役人の妻の逆恨みで投獄
されてしまう。
獄中でヨセフは王の給仕役長と料理役長の夢の意味を解いてみせた。そのこと
がきっかけで、2年後に王が見た夢(七年の豊作の後、七年の飢饉になる)を
解き、ヨセフはエジプトの総理大臣になった。
やがて飢饉となって、ヤコブの息子たちはエジプトへ食料を買いにやってきた。
ヨセフは兄弟たちと再会するが、自分がヨセフだとは明かさずに、はたして昔
のままの兄たちかどうか知ろうとする。兄たちは善き人となっていたことがわ
かり、ヨセフは真実を打ち明けた。そして、一族をエジプトのゴセンの地に呼
び寄せ、家族揃って飢饉を乗り越えることができた。
それから数百年後、イスラエルの民の子孫は増えて、多くの数になった。これ
に危機感をもった王は、イスラエルの民を虐げるようになる(※)。
〔5〕Comments(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
宗教的、歴史的ストーリーを根底に、最新のCG映像技術を駆使して再現した
コロシアムで、迫力の戦闘シーンをみせる。
西暦180年、ローマ帝国――。
マキシマス将軍は優秀な武将で、部下から信頼されている。時の皇帝マルクス
・アウレリウス帝からも信頼され、次期皇帝の座につくように勧められる。
これを知った、アウレリウス帝の息子コモドゥスは父を亡き者として、マキシ
マス将軍を抹殺しようとする。
こうして将軍の座を追われ、愛する妻と子を失ったマキシマスは、奴隷として
売られる。奴隷剣闘士(グラディエーター)として勝ちつづけ、観衆から声援
を受けるようになる。
ローマ帝国の最盛期には、ローマ市民権をもつ人々は、かなりの特権階級であ
った。ローマ市民には「パンと見世物」が与えられることになっていた。
皇帝は市民に「見世物」を提供して、皇帝への支持をとりつける――こうした
「見世物」の最も人気のあるもののひとつが剣闘士たちによる決闘だった。
マキシマスはひとりの剣闘士として小さなコロシアムで、家族の復讐を果すた
め、生き延びるため(サバイバル)に闘い、勝ちつづけてゆく。
将軍から奴隷剣闘士へ、というのは「ベン・ハー」に似ている。また、マキシ
マスが嫉妬や妬みによって将軍の座を追われ、奴隷になるというのは、旧約聖
書のヨセフの物語と似ている。(マキシマスが商人隊に連れられ、砂漠を進む
シーンは、まさにヨセフが商人の一隊に売られるという話をなぞらえたものだ)
ストーリーラインに目新しさはなく、むしろ、過去の有名なストーリーの骨格
を忠実に作品に取り入れている。そうすることで、キリスト教徒やユダヤ教徒
や、歴史に興味ある者が知っているヨセフの物語を重ねることで、幼い頃から
繰り返し聞かされてきた物語を聞くように、自然と馴染んで観ることができる
ようになっている。
作品の特徴は、迫力と緊張感ある戦闘・決闘シーンだ。「ベン・ハー」では騎
馬戦車レースのシーンがあるが、「グラディエーター」では、10人程の奴隷剣
闘士と騎馬戦車隊の戦闘シーンがある。見世物としての目的は、騎馬戦車隊が
奴隷剣闘士たちをなぶり殺しにする、というものだったが、兵士の経験がある
奴隷剣士たちは、マキシマスの卓越した戦闘能力を知っており、マキシマスの
戦術指揮で一致協力して陣形を整え、騎馬戦車隊を撃破する。
観衆はこの快挙に大歓声を送り、皇帝となったコモドゥスは民衆の意向に逆ら
えずに、マキシマスを生かすよう指示する。
この騎馬戦車隊との戦闘シーンは圧巻である。戦況によって一瞬で陣形を変え、
騎馬戦車の急所に攻撃をしかける。馬が疾走する蹄――。轟音を響かせる戦車
の車輪――。
黒澤明監督の「七人の侍」でも、野武士の集団が村に攻めてくるやってくるシ
ーンで、疾走する馬たちが土をける蹄の音が、迫りくる危機感と恐怖感を存分
に表現していた。
「グラディエーター」や「七人の侍」を観ると、馬の蹄の音は人に独特の恐怖
感を与えるものだというのがよくわかる。
どちらの作品もストーリーはシンプルである。
日米の騎馬戦闘シーンを見比べてみるのもいいだろう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
(※)この時期にモーゼが現れ、イスラエルの民を約束の地カナンへ導く。
(旧約聖書出エジプト記)
このモーゼの物語を元にした作品が、「十戒」(セシル・B・デミル監督)
である。他にドリームワークス作品「プリンス・オブ・エジプト
(The Prince ofEgypt)」もある。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
∇「グラディエーター」 ソニー・マガジンズ文庫
デューイ グラム (著), 大野 晶子 (翻訳)
∇「モア・ミュージック from グラディエーター」 サントラ
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∇参考・用語引用図書
「ストーリーアナリスト」
1999フィルム アンド メディア研究所 愛育社
「ハリウッド・リライティング・バイブル」
2000 フィルム アンド メディア研究所 愛育社
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ネットでかりてポストでかえす「オンラインDVDレンタル」ぽすれん
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メールマガジン→「ストーリー・アナリシス (Story Analysis)」
![]() | ファインディング・ニモ 小山力也 郷里大輔 山路和弘 アルバート・ブルックス トーマス・ニューマン 二又一成 ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2004-06-18 by G-Tools |
アンドリュー・スタントン監督 ジョン・ラセッター製作総指揮
2003年 アメリカ
○CGアニメーションだからこそ表現できる世界で繰り広げられる、親子愛と
冒険の物語
〔1〕テーマ(Theme)
―――――――――――――――――――――
親子愛
〔2〕ストーリー(Story)簡略に
―――――――――――――――――――――
オーストラリア・グレートバリアリーフ。魚(カクレクマノミ)の子供(ニモ)
が人間にさらわれる。父(マーリン)はニモを探しに冒険に旅立つ。
〔3〕Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△マーリン
カクレクマノミ。心配性。ニモの父親。
△ドリー
ナンヨウ・ハギ。お人好し。物忘れがヒドイ
△ニモ
カクレクマノミ。マーリンの子。元気いっぱい
△ジル
ツノダシ。ニモが入れられた鑑賞用水槽のボス
-------------------------------------------
その他登場生き物一覧
△サメ
△アンコウ
△マグロ・カツオ
△クラゲ
△亀
△ペリカン
△鯨
[4]・1 プロット・ドリヴン(Plot Driven)
―――――――――――――――――――――
外的なコンフリクト(葛藤)や敵を克服することによって進展していく
ストーリー。
父マーリンが息子ニモを探すためにさまざまなコンフリクトを克服していく。
こうして相棒ドリーと冒険するうちに、マーリンの子供に対する考え方や接
し方が変化していく。
〔5〕Comments(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
CGアニメーションだからこそ表現できる世界で繰り広げられる、親子愛と
冒険の物語。
人は何に感動するか。映画作品では物語に感動するのだ。物語に感動するに
はキャラクター(登場人物等)が確立していなければならない。キャラクタ
ーの造形色彩美に心を奪われても、それは一瞬の出来事である場合が多い。
完璧なプロモーションをもつといわれるマネキン人形を1時間、2時間と眺
めて感動する人は……少数派だろう。
テレビゲームソフトに「ドラゴンクエスト」という作品がある。当初、任天
堂の初期ファミリーコンピューター用ゲームソフトであり、大ヒットした冒
険モノである。当時のテレビゲーム機の描画能力では、ゲームのキャラクタ
ーは粗いドットの集合体であり、かろうじて人の形をしているのがわかる程
度だった。それでも多くのTVゲームプレイヤーは「ドラゴンクエスト」の
冒険にハラハラドキドキしたという。
つまり、綺麗でリアルな人間を描けるに越したことはないが、それだけでは
キャラクターは確立しない。逆を言うと、ゴムボールにマジックで目と口を
書いただけでも、動機や行動をしっかり描くことでキャラクターが確立し、
観客に感動を与えることができるのだ。
「ファインディング・ニモ」の主人公は魚だ。ほかの登場キャラクターは魚
類等がほとんどで、ほかに鳥類、それに哺乳類も登場する。魚なんて表情が
ないし、まったく話にならないんじゃないかと思うのが普通だろう。しかし
CGアニメーションで描き、しっかりと動機をもって行動する魚たちには、
表情豊かで感情深いキャラクター像をみることができる。
過保護な父マーリン。過保護なのには理由がある。愛する妻と卵たちをカマ
スに食べられてしまい、ひとつだけ残ったのがニモだから。
ニモは過保護な父の下で育った。小学校に初登校した日、新しくできた友人
たちと、人間のボートにタッチできるかと競い合う。そのとき、父マーリン
に頭ごなしに思われるような強い命令口調で、ボートから離れて今すぐ戻っ
て戻って来い、と言われたニモは、父を嫌ってボートにタッチする。そこに
人間のダイバーが現れて……!
というように、父マーリンの過保護にはその理由となるバックグランドが存
在している。またニモがボートに近づき、人間にさらわれるいきさつにも、
ちゃんとバックグランドが存在する。こうした出来事(プロット)が、キャ
ラクターの反応(父マリーンはニモを探す冒険に出る。ニモは鑑賞用水槽に
入れられ、ジル(水槽のボス)の下で一人でやりとげることを学ぶ)に繋が
っていく。
ニモを探しに出たマーリンには相棒ができる。それはドリーだ。お人(魚)
しで物忘れがヒドいドリーはバディ(相棒)であると同時にマーリンを助け
るヘルパーでもある。
〈1〉ニモを探し出す手助けをする。
〈2〉ドリーはマーリンに、他人(他魚)を信じることの大切さを教える
(無意識ではあるが)
〈2〉番は大切なポイントだ。つまり、相手がたとえ子共(ニモ)でも、ひ
とりの人間(魚)として信頼し、ときには物事を任せることの大切さを実感
として教えてくれるのがドリーなのだ。
「ファインディング・ニモ」はアメリカ合衆国のCGアニメーションスタジ
オであるピクサー(※1)の作品だ。なので当然にアメリカ合衆国的な「ノ
リ」や「考え」が反映さてれている。例えば、息子をみつけるためにサメに
もアンコウにもクラゲにも負けずにがんばるマリーンは、いつしかほかの魚
類や鳥類たちの間で噂話になる。これのおかげで、マリーンがニモがいるシ
ドニーに到着したときには、見ず知らずの鳥たちの協力を得ることができる
のだ。だれか困った人がいるときはできるかぎりのことをしてたすけてあげ
よう。そういったメッセージは世界共通だ。こうしたことはできそうでなか
なかできないからこそ、美談として語られるときはより大きく広く知れ渡っ
て感動の物語となる――。特にアメリカ合衆国は様々な人種、民族、宗教を
もった人々の集まりなので、友人・知人・仲間を助けるというときに一致団
結する、という話が格別に好きであり、またそれを必要としているのだろう。
また、マーリンとドリーが鯨に呑まれ、もうダメだと思っていたら無事に目
的地に着いたというのは、旧約聖書のヨナ書に倣ったものだろう。
こうした、聖書にまつわる有名な話をモチーフにすることはアメリカ映画には
よくあることだ。
しかしながら、「親子の愛」というのは万国共通だ。ひろい観客層をとり込
みつつ、アメリカ合衆国的な「ノリ」や「考え方」を観ることができる。
ドキュメンタリーとしての映画といった観方もちゃんとできるようになって
いる。
ストーリーの構成は2視点(マーリンとニモ)で交互に進行する。マーリン
はニモを助けるためにサメやアンコウやクラゲといった障害(オブスタクル)
を克服していく。ニモは鑑賞用水槽から脱出する方法を模索する。それも水
槽の持ち主(人間)の、姪の女の子・ダラがやってくるまでに脱出しなけれ
ばならない。なぜなら、ニモはダラへのプレゼントになる予定だからだ。ダ
ラはもらった魚が入ったビニール袋をぐるぐる振りまわして魚を死なせてし
まったことがあるのだ。
マーリンは次から次に連なる障害(オブスタクル)を克服していき、ニモは
タイムリミットが近づくなか、水槽の仲間と協力して脱出を試みる。
マーリンだけでなく、ニモにもクリアしなければならないハードルが設定さ
れる。こうしてマーリンとニモの場面それぞれアクションが豊富に起こるの
で、ストーリーが停滞することはない。
ピクサーの作品はどれも実写では撮影が困難な世界を舞台としている。おも
ちゃの世界。蟻の世界。モンスターの世界。そして海の世界――実写よりも
CGアニメーションのほうが有利な土俵を選んでいる。
「ファインディング・ニモ」では海が舞台だ。CGで水を描くのは難しいと
いわれるが、コンピュータの性能の向上と、高度なCG技術が、新たな海の
世界を我々に披露してくれた。
ピクサーがひとつの作品を完成させる期間は4年間。そのうち半分の2年間
をストーリーとキャラクターづくりに費やすという。ハード(高性能のコン
ピュータと高度なCGアニメーション技術)とソフト(ストーリーとキャラ
クターづくり)を併せ持ったこのスタジオの作品がヒットするのには充分に
頷ける。
日本のアニメーションスタジオであるスタジオジブリについては、大雑把な
言い方をするならこうだ。自分たちの好きな作品づくりをずっと続けていた
ら、時代がやっと追いついてきて大ヒットした――と。「トトロ」でキャラ
クターの力をあらためて実感し、「千と千尋の神隠し」は世界戦略を大き
く意識した、といった印象だ。「千と千尋の神隠し」は主人公のキャラクタ
ーについて、それまでのスタジオジブリ作品とは明かに違う点がある。それ
は、多くの観客に身近なものとして受け入れられやすいように主人公のキャ
ラクター設定をしている、ということである。これが、それまでのジブリ作
品と違とは違う点だ。
人間以外を中心とした世界観のなかで人間を描く場合には、どのように人間
を登場させるかがポイントだ。例えば子供の世界だけの作品では、大人は声
だけの出演だったり、手や足許だけの出演だったりという場合がある。
「ファインディング・ニモ」といった、人間以外の生物が中心の世界で人間
の姿をハッキリ描くと、視点のズレが生じる。というのは、人間の視点はす
でに観客の視点として存在しており、観客の感情移入は魚(マーリンやニモ)
に移っている。そこにCGで描かれた人間がはっきりとした形で登場すると、
観客はたとえ一瞬でもそのCGで描かれた人間に意識が奪われる。これが声
や影や手や足だけならば、生物のひとつの種としての人間というレベルにと
どまるが、はっきりと顔が出てしまうとそうもいかない。魚の視点で感情移
入していたのが一瞬、人間の視点に戻されて違和感を覚えることがある。
姿を表さない演出のほうがよい場合がある。そのほうが想像力を刺激するか
らだ。「ファインディング・ニモ」といった作品では、人間の姿をはっきり
描かないほうがよかっただろう。
ヒットの法則
○親子で楽しめること
○わかりやすいこと
○新たな世界を披露すること
○血がかよったイキイキとしたキャラクターが登場すること
親が子供につきあって映画館に行って、観客席でイビキをかいてしまうので
はなく、親も楽しめること――これがキーポイントだ。
ピクサーのテーマは「友情」から「親子愛」へ。
ピクサー作品はハードとソフトがバランス良く融合した傑作ぞろいだ。
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※1 ピクサー
ピクサー・アニメーション・スタジオ。CGアニメーションスタジオで、前身
はルーカスフィルムのコンピュータ部門。これまで短編CGアニメーショ
ンを8本製作。長編CGアニメーションを5本製作( 『トイ・ストーリー』
『バグズ・ライフ』 『トイ・ストーリー2』 『モンスターズ・インク』 『ファインディン
グ・ニモ』)。長編作品すべて全米年間興収ランキングTOP5に入っている。
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![]() | ファインディング・ニモ ゲイル ハーマン Gail Herman 橘高 弓枝 偕成社 2003-11 by G-Tools |
![]() | ファインディング・ニモ 森 はるな 講談社 2003-11 by G-Tools |
![]() | ファインディング・ニモ オリジナル・サウンドトラック(CCCD) サントラ エイベックス・ディストリビューション 2003-11-27 by G-Tools |
![]() | ファインディング・ニモ ユークス 2003-12-06 by G-Tools |
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∇参考・用語引用図書
「ストーリーアナリスト」
1999フィルム アンド メディア研究所 愛育社
「ハリウッド・リライティング・バイブル」
2000 フィルム アンド メディア研究所 愛育社
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ネットでかりてポストでかえす「オンラインDVDレンタル」ぽすれん
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メールマガジン→「ストーリー・アナリシス (Story Analysis)」
「サイモン・バーチ(SIMON BIRCH)」
マーク・スティーヴン・ジョンソン監督 1998年 アメリカ
○生まれてきた意味を探す少年の物語
〔1〕ログライン(Log Line)ストーリーがを述べてある一文
―――――――――――――――――――――
記録的に小さな赤ん坊が生まれた。彼(サイモン・バーチ)と親友のジョーと
の少年時代の物語。
〔2〕ストーリー(Story)簡略に
―――――――――――――――――――――
記録的に小さな赤ん坊が生まれた。12歳になったサイモン・バーチは親友の
ジョーの父親探しを手伝う。ジョーの父親がわかったとき、子供達を乗せたバ
スが事故にあう。サイモンは子供達を救う。
〔3〕Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△サイモン・バーチ
メイン州グレイヴスタウンで記録的に小さい赤ん坊として生まれる。
△ジョー
サイモンの親友。父親がだれか知らない。
△ウェントワース(レベッカ)
ジョーの母親。町一番の美人。サイモンに母親のように接する。
△ベン・グッドリッチ
ウェントワースの新恋人。演劇教師。
△ラッセル司祭
街の司祭
〔4〕・1 セントラル・コンフリクト(Central Conflicts)
(外面的/内面的)物語の中心的問題
―――――――――――――――――――――
サイモンは運命を信じている。生まれたのには理由があるはずだ。神の計画を
実行するための道具であり、そのときがきたら合図をくれる。十戒の燃える茂
みのように(旧約聖書出エジプト記 モーセが燃えるしばをみつけ――燃えて
いるのにそのしばなくらななかった――イスラエルの民をエジプトから、約束
の地であるカナンへ連れていくという使命を受けたこと)。
〔4〕・2 ダイアニサイアック(Dionysiac)
―――――――――――――――――――――
(夢中になる主人公に共感を得る)
サイモンは自分が生まれてきた理由を知りたいと思っている。だが、なかなか
わからない。これは、すべての人に共通する普遍的な事柄である。
〔4〕・3 ミッドポイント(Midpoint)
―――――――――――――――――――――
(中間あたりに位置する非常に重要なターニングポイント)
サイモンはベースボールが好き。ある日、打席に立ったサイモンはボールを打
った。球は思わぬ方向へ飛んでいく。それが原因で、ジョーは父親探しに本腰
を入れる。
〔4〕・4 ペイオフ(Pay off)初めに提供されて後に劇的に使われる情報
―――――――――――――――――――――
サイモンが打ったベースボール。ジョーの父親が持ってる可能性が高い。つま
り、このボールを持ってる者がジョーの父親と考えられる。(父親をみつける
手がかりになる)
〔5〕Comments(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
〔状況設定〕
サイモンは記録的に小さな赤ん坊として生まれたため、両親は失望してサイモ
ンを無視することにしている。
生まれて1日もたないだろうと医者に言われて生きのびたサイモンは、生まれ
てきたのには理由があるはずだと考え、信仰心は人一倍つよい。そのため、ラ
ッセル司祭と議論をするなどして、町のみんなからはあまり快く思われていな
い。だが、ジョーの母親ウェントワースはわが子のように可愛がってくれる。
シンデレラも最初は継母たちにこき使われていた(きびしい悲惨な状況=サイ
モンを取り巻く状況)だが魔法使いが現れて魔法をかけてくる(サポート・理
解者=ジョンとウェントワースとベン)。
〔目的〕
サイモンは生まれてきた理由を探す。
ジョーは父親を探す。
生まれてきた理由を探すという目的にたいして、単純でわかりやすい答えを提
示することはむずかしい。こういった普遍的な疑問を抱いても、たいていの人
は日々の生活に追われるため、じっくり考えることは稀である。
だがサイモンは特別な生い立ちをしているため、真剣に答えをみつけようとし
ている。そこにジョンの父親探しが加わる(ミステリーの要素)ことによって、
ストーリーが動き出し、クライマックスの事故でサイモンはアクションを起こ
す。これによってサイモンは自分が生まれてきた理由を知る。
この作品には「偶然」が2つ使われている。あまりにもたくさんの偶然が起き
ると、ご都合主義と受けとめられてしまう。だがこの作品ではこの2つの「偶
然の事故」がきっかけになって、登場人物たちが決心・行動に移るのである。
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∇参考・用語引用図書
「ストーリーアナリスト」
1999フィルム アンド メディア研究所 愛育社
「ハリウッド・リライティング・バイブル」
2000 フィルム アンド メディア研究所 愛育社
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