12/18/2008

ほんとうはクリスマスに観るべき映画


クリスマス特集第2回

▼クリスマスのほんとうの意味に思いをはせて、深くじっくりと感動したいあなたへ贈る
「ほんとうはクリスマスに観るべき映画」
~映画史に残る名シーンだといわれるほんとうの意味~


この作品をクリスマス映画としてとりあげる人は、まずめったにいないでしょう。

一見しただけではクリスマスと関係しているとはとうてい思えないような映画作品をご紹介します。

その前に、クリスマス特集第1回にも目を通していただくと、よりわかりやすくなりますのでどうぞ。。


「クリスマスのほんとうの意味」
<あなたは他に見たことがあるだろうか?
冒頭に人名が次々につづく系図が載っている物語の本を――。>
知っているようで知らないイエス・キリスト誕生の意味。


ではクリスマス特集第2回は、イエス・キリストの誕生の物語を映画作品と共にご紹介します。


■ イエスの誕生~飼い葉桶に寝かされる~

■ なぜ羊飼いが最初にやってきたのか

■ ふたつの資質をもつ指導者たち

■ もうひとりの指導者

■ 暗闇の時代に現れた守護者・指導者
  ~「ブラインドネス」「ダークナイト」でわかる闇と光~

 牛舎とサンダル
  ~なぜ主人公はサンダルを「選んで」履くのか~

■ 映画史に残るシーンだといわれるほんとうの意味

■ ほんとうはクリスマスに観るべき映画

■ 「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」はなぜ題名だけで結末が予想できてしまうのか
  ~題名に秘められた大いなる意味とは~

▼クリスマスのほんとうの意味に思いをはせて、深くじっくりと感動したいあなたへ贈る
 「ほんとうはクリスマスに観るべき映画」
 ~映画史に残る名シーンだといわれるほんとうの意味~

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07/08/2008

カスピアン王子の「もうひとつの物語」

≪ミラース王が敗れた理由は「物語力」にあった!≫

■ ハリウッドが映画を作り続けるのはなぜでしょう

莫大な資金を投じて映画を作り続けるのは、それが商売だからという以外にも大きな意味があります。

いうなれば、国家を存続させていくためには「物語らずにはいられない」のです。

米国は様々な問題を抱えているからこそ「物語る」ことの必要性とその力をよく認識している。

だから映画という形で物語り続けるのです。

「物語る力」を強く認識しているのは米国だけではありません。

どんな国の指導者も少なからず物語の力を利用しています。

「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」でも物語の力の大きさが描かれています。


■ 人間以外の種族の痕跡を消そうとするテルマール朝

テルマール人がどこからきたか。

彼らの伝承によると南太平洋の島からやってきたといいます。おそらく先祖は海賊であったと思われます。

そんな彼らがナルニアを占領した後は、人間族以外の種族が言葉を発することが禁じたり、人間族以外の種が虐殺されたりしました

生き残った人間族以外の種族たちは森に逃れ、レジスタンスとして地下にもぐります。

こうしてテルマール人たちは、人間以外の種族の存在の痕跡さえも消し去ってしまいうのです。

人間以外の種族の存在や魔法や言葉を話す動物の話はお伽噺の世界の話にすぎないとして、ナルニアの歴史物語を紐解いたり人に話したりすることを禁じるのです。

さらに、森に入ってはいけないと民に言い聞かせることで、人間以外の種族たちとの接点を完全に断ち切ろうとします。


■ 森は異世界

さて、西欧の童話の数々にはよく「森」を舞台として描かれる作品があります。

たとえば、グリム童話にある白雪姫の物語もそうですね。

王妃の怒りを買った白雪姫が連れていかれたのは「森」です。

森で白雪姫を殺せ、という命令を守らなかった猟師によって生きながらえた白雪姫は、森ので7人の小人(ドワーフ)たちと出会って暮らすようになります。

なぜ王妃は白雪姫を森へ連れて行って殺せと命令したのでしょうか。

魔法の鏡に「世界で一番美しい女性は?」ときいたら……という理由ではなく、ここでは「なぜ森へ」なのかに注目しましょう。

森は日常の世界とは別の世界だとされていたからです。森は人間の支配が及ばない未知の世界であり、ひとたびその地に足を踏み入れれば何が起るともわからないとされていました。

現代では市街地と森は違うとはいえ、別の次元の世界であるとは考えられていません。同じ世界の中の場所の種類の違いという認識ですね。

ところが童話の世界や中世ヨーロッパの世界では、森は日常とはかけ離れた別世界として位置づけられていたと考えられています。

だから姫の暗殺に森という場所が選ばれたのです。だから暗殺を逃れたカスピアン王子は命からがら森へと逃げ込んだのです。

森は人間の支配が及ばない異世界の象徴なのです。

これをふまえて「カスピアン王子の角笛」を観れば「森」に関するたいへん興味深い事柄が浮かんできます。


■ 利用される森

人間の支配が及ばない恐ろしい世界である「森」という概念を利用して安泰を図ってきたのは、なにをかくそう人間族が支配するテルマール朝であったのです。

テルマール朝にとって森は制御できない異世界ではなく「森は異世界」という概念を利用した便利な道具であったわけです。

森に入ってはいけないというテルマール朝の教えは、ナルニア国の種族をはじめ、魔法の国ナルニアの存在さえもお伽噺にするための方策のひとつだったのです。

言葉を発するのは人間だけ。人間以外の種族は存在しない。そういう世界を作り上げたのがテルマール朝なのです。そうやってテルマール朝は数百年続きます。


■ なぜあの人は偉大な指導者になれたのか?

世界を作り上げるとはすなわち「物語る」ことです。

自身に都合のよい物語をつくって民にきかせることで、自身の世界を作り上げて支配する。

ミラース王にかぎらず、どの国の指導者も物語ります。

物語は選挙演説の形をとることもありますし、マニュフェストの形をとることもあります。

歴史上有名な指導者たちは皆、物語ることに長けていたといっていいでしょう。

なぜあの人は偉大な指導者になれたのか? という問いの答えとして最もシンプルで明確な答えは、彼ら彼女らが物語ることの力の大きさを認識するだけなく実感してそれを実行していたからに他なりません。

テルマール朝、とくに最後の王ミラースは国の指導者になる野心を持つだけのことはあります。

王座を手中に入れるために、言葉を発するのは人間だけで人間以外の種族は存在ぜず、まして魔法など存在しないという物語をしっかり守り通してきました。

だからこそ、王位継承権を持つカスピアン王子の暗殺に失敗しても、心のどこかでこう思ったのではないでしょうか。

森に逃げ込んだカスピアン王子は、テルマール人を憎む種族たちにみつかれば即、殺されるだろう――と。

自身が作り、守り、利用してきた物語に自信を持っていたからこそ、人間族以外の種族と遭遇したカスピアン王子が生き残るとはとうてい思えなかったのではないでしょうか。

ところがカスピアン王子は短期間で人間族以外のナルニアの種族たちと手を組むことに成功します。

これには、さすがのミラース王もびっくりしたことでしょう。

物語の力をじゅうぶん過ぎるほどに知り尽くしている自分。そしてテルマールの物語を守って利用してきた自信が、音を立てて崩れ去るかのように感じたことでしょう。


■ カスピアン王子が生きのびることができたワケとは

ではなぜ、森に入ったカスピアン王子は生きのびることができたのみならず、ナルニアの戦士たちと手を組むことができたのでしょうか?

なぜなら、カスピアン王子は家庭教師(コウネリウス博士)からナルニアの物語をひそかにずっと聞いて育ったからです。

カスピアン王子はそれをおとぎ話だと思ってきいていましたが、テルマール朝が示す物語とは別にもうひとつの物語、つまりナルニアの物語も吸収していたのです。

だからこそ自分が暗殺されそうになり、命からがら馬で逃走し、追っ手が迫ったときに森に逃げ込むことができたのです。

さらに追っ手が迫り、いよいよピンチというときに「角笛」を吹くことができたのです。

もし、ナルニアの物語を知っていなかったらいくら自分の命を救って逃してくれた家庭教師が渡してくれた角笛とはいえ、それを吹いてどうなるものでもないと思ったことでしょう。

でもカスピアン王子は家庭教師のコウネリウス博士の言葉を信じ、ピンチのときに角笛を吹いたのです。

森に入り、角笛を吹いた。

それができたのは、ナルニアの物語を、たとえそれがおとぎ話と思っていたとしても、自身の中に持っていたからなのです。

もしカスピアン王子がナルニアの物語を知らなかったら、言葉をしゃべる動物や人間以外の種族に遭遇してわけがわからないまま戦って命を落としていたことでしょう。

数日前までおとぎ話だと思っていた世界が目の前に広がったとき、はじめは驚いても、カスピアン王子はかなり早い段階でそれまでとは違う現実(物語)を受け入れることができました。

ミラース王がもたらす世界=物語だけでなく、家庭教師を通してもたらされた世界=物語も持っていた。

だからこそ「イザ!」というときに命を落とすことがないばかりか、後に王座につくことができたのです。


■ 半径8メートルの世界

わたしたちが生きる世界にも物語があります。

わたしたちが現実だと思っている範囲は、たとえるならば「半径6メートルの世界」です。

自分と自分を取り巻く環境とそれによって把握する世界=物語は意外と狭いものです。

狭いことはいたし方ありませんが、狭いながらももうひとつの物語を持ちましょう。

受身の物語だけでは、イザというときに脆いからです。

月並みな例としては、親がすすめる学校に進み、教師が進める大学に進み、よい会社としてランキング上位に入る大手企業に入るという道を受け身で進んでいて途中のどこかでつまづくと、親のせい、教師のせい、社会のせい、というように半径6メートルの世界をうらむようになってしまうかもしれません。

「半径6メートルの世界=物語」は自身をとりまく大切なものです、大切な「半径6メートルの世界=物語」だからこそ、それを守るためにも「もうひとつの世界=物語」を持ちましょう。


■ もうひとつの世界=物語

では「もうひとつの世界=物語」を持つにはどうしたらいいのでしょう。

想像力を働かせるのです。

人間に与えられたもので最も偉大なものがあります。それは想像力です。

大人になると想像力を空想力として、またときには妄想力として軽んじる傾向があるかもしれません。

くだらない空想や妄想をしてないで現実をみろよ、という人もいるでしょう。

しかし現実を見据え、半径6メートルの現実という名の世界を生き抜くためにも、もうひとつの世界を想像して創造(ダジャレじゃないよ)することが大切なのです。


■ 物語をつくるとは?

では、もうひとつの世界=物語をつくるとはどういうことでしょうか?

人はそれを「自分の価値観を持つ」とか「自分のモノサシを持つ」ともいいます。

ひとりで物語を作るのがたいへんだと思うなら、無理せずに大切なだれかと一緒に作ってもいいのです。

カスピアン王子が暗殺されそうになり城(国)を追われることになっても後に王になることができたのは、現実とされるテルマール物語だけでなく、空想と思われていた(思っていた)ナルニアの物語もしっかり持っていたからです。

空想のナルニアとされていた物語に想像力を働かせてきたからこそ、森で人間族以外の種族に出会ってもそれを受け止めることができ、それによって自分の価値観をもってどうすべきかの判断と決断を下すことができたのです。


■ 物語にはふたつある

物語には大きく分けてふたつあります。

与えられる物語とつくりだす物語です。

与えられる物語とはここではテルマール朝のミラース王の支配を指します。

与えられる物語を現実として受け止めなければならない一方で、もうひとつの物語も平行して持ち続けましょう。それがいずれ現実となるときのために持ち続けるのです。

もうひとつの物語とは、ここではナルニアの物語を指します。

地位も国も失い、命さえも失いかけたカスピアン王子は悲観して自暴自棄になって無差別に刀を振り回したでしょうか。悲観して自殺したでしょうか。

そうはしませんでしたね。父王カスピアン9世の死の真相を確かめ、家庭教師のコーネリアス博士を救い出そうとします。それができるのもふたつめの物語を持っていたからです。

ふたつめの物語は「希望」ともいいます。

コーネリアス博士が禁じられたナルニアの話をカスピアン王子にしていたのは、いずれ訪れるであろう危機に備えて生き残るためであり、王位を奪還する希望を持たせるためだったのではないでしょうか。

森でたったひとりになったカスピアン王子は「もうひとつの物語」によって救われたともいえます。


■ 幼子が同じ絵本を何度も読んでもらいたがるワケ

さて、アナタは就寝前のこどもに絵本の物語を読み聞かせると次の晩も同じ絵本を読み聞かせてくれとせがまれたことありませんか?

昨晩読み聞かせたのと同じ絵本を今晩もだなんてなぜ? と思うことでしょう。

なぜなら、こどもは絵本の物語をベースに自分の物語をいくつもつくって楽しみます。そういった物語る想像力を持っているのです。

大人になっても想像力を持ち続けることはできます。想像力を用いてふたつめの物語、すなわち自分の物語をもち、やがて他人が楽しめる、共感してもらえる物語をつくりだしたとき、あらたな家族の物語が生まれるのです。

それは「自分と自分が大切に思う人と歩む人生」ともいいます。

「カスピアン王子」から学びとってほしいもの。

それは「物語の力の大きさ」と「もうひとつの物語の大切さ」です。

そういった意味でも「カスピアン王子の角笛」はたいへん有意義な物語なのです。

物語る力の大きさと重要性をぜひ心に留めておいてくださいね。


▼「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説
  ~これを知れば7倍楽しめる~
 「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」


▼「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」
  キリスト教・聖書大解説

信仰」の物語。ナルニア国物語のキリスト教文化を聖書のエピソードを例に大解説。
アスランがなかなか姿を現さないワケとは? 
アスランは姿を消したのではない、そうではなく……。
ダビデにみる物語の定石「王は帰還する」。「少年ダビデと巨人ゴリアテ」でわかるテルマール
軍とナルニア軍の戦力差。
カスピアンだけではない? イケメン王子は聖書の中にも登場する。


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06/08/2008

「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」キリスト教・聖書大解説

「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛(THE CHRONICLES OF NARNIA: PRINCE CASPIAN)」

監督:アンドリュー・アダムソン
アメリカ/2008/年150分
原作:C・S・ルイス 『ナルニア国物語(The Chronicles of Narnia)』


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「信仰」の物語。ナルニア国物語のキリスト教文化を聖書のエピソードを例に大解説。アスランは姿を消したのではない。ダビデにみる物語の定石「王は帰還する」。「少年ダビデと巨人ゴリアテ」でわかるテルマール軍とナルニア軍の戦力差。カスピアンだけではない? イケメン王子は聖書の中にも登場する。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
テルマール王国で摂政ミラースによるカスピアン王子の暗殺未遂が発生。

コウネリウス博士の手引きでかろうじて暗殺を逃れたカスピアン王子は、博士から角笛を受け取って城から脱出するもミラースの部下の追っ手が迫り、とっさに角笛を吹いた。

角笛の音に呼ばれてペベンシー4兄妹が戻ってきたそこは、かつての平和で美しいナルニア国ではなかった。

ペベンシー4兄妹が王と王女になった黄金時代からすでに約1300年の時が経過しており、テルマール人によってナルニアの民は迫害され、生き残った者たちは森の奥深くに隠れ住んでいた。

ペベンシー4兄妹はやがてカスピアン王子と合流。共にミラースの軍と戦う。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ピーター・ペベンシー(一の王)
ペベンシー4兄妹の長男

△エドマンド・ペベンシー(正義王)
ペベンシー4兄妹の次男

▽スーザン・ペベンシー
ペベンシー4兄妹の長女。弓の名手。

▽ルーシー・ペベンシー
ペベンシー4兄妹の次女

-------------------
〔テルマール人(人間)〕

△カスピアン
テルマール王国の王子

△ミラース
カスピアン王子のおじ。亡き王の弟。王位を欲し、カスピアン王子の暗殺を企てる。

△コウネリウス博士
カスピアン王子の家庭教師。禁じられているナルニアの歴史を王子に伝え、角笛を渡す。

△グロゼール卿
ミラースの側近

-------------------
〔ナルニア〕

△アスラン(ライオンの姿)
ナルニアの創造主。ナルニアの民の前から姿を消して数百年経つ。

△松露とり
アナグマ。

△トランプキン(赤ドワーフ)
ペベンシー4兄弟に助けられ、行動を共にする。

△ニカブリク(黒ドワーフ)
トランプキンの親友。ナルニアのために闇の力にすがろうとする。

△アステリウス
ナルニアの戦士。セントール(半身半馬)。ナルニア軍を指揮。

△グレンストーム
ナルニアの戦士。ミノタウロス

△リーピ・チープ
ナルニアの戦士。ネズミの騎士。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
「信仰」の物語。ナルニア国物語のキリスト教文化を聖書のエピソードを例に大解説。アスランは姿を消したのではない。ダビデにみる物語の定石「王は帰還する」。「少年ダビデと巨人ゴリアテ」でわかるテルマール軍とナルニア軍の戦力差。カスピアンだけではない? イケメン王子は聖書の中にも登場する。

■ はじめに

ここでは主に、ナルニア国物語の物語を聖書のエピソードとの対比によってその魅力を浮き彫りにしようと試みます。

映画「カスピアン王子の角笛」を未見の方は、ナルニアの話なのか聖書の話なのかの区別がつきにくくなるかもしれません。

そこで以下の「単語、名称、名前」を含む文については聖書のエピソードだと見当を付けていただければと思います。

「イスラエル」「サウル」「ダビデ」「ヤコブ」「ヨセフ」
「モーセ」「ゴリアテ」「ギデオン」「ヨシュア」「バラム」
「アブサロム」「預言者サムエル」「エリコの城壁」「エデンの園」

また「カスピアン王子の角笛」のレビューの前にこちらを一読することをお勧めします。
▼「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説
  ~これを知れば7倍楽しめる~
 「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」


■ 第1章からおよそ1300年後のお話
  ~ほんとうはスーザンの角笛!?~

「カスピアン王子の角笛」の舞台となる時代は、ナルニアの歴史のどのあたりでしょうか。

映画化第1作「第1章ライオンと魔女」においてペベンシー4兄妹が衣装タンスからナルニア国にやってきて白い魔女を倒したのはナルニア暦1000年。

これによりペベンシー4兄妹はナルニアの王と王女になり、黄金時代が訪れます。

それからの後のナルニア暦1998年。テルマール人(人間)がナルニアに侵攻・征服。テルマール人によってナルニアの民は迫害され、生き残った者たちは森の奥深くに隠れ住みます。

自然や魔法の力をおそれたテルマール人は、ナルニアの歴史を語ることを禁止します。

時は流れ、ナルニアの存在はお伽話として囁かれる程度のものになっていました。

そしてテルマール人によるナルニア征服から約300年後のナルニア暦2303年。

テルマール王国でミラース摂政によるカスピアン王子の暗殺未遂が発生。カスピアン王子はコウネリウス博士の手引きでかろうじて暗殺を逃れ、博士から角笛を受け取って城から脱出します。

ほんとうにピンチのときに使ってください、と渡されたこの角笛こそ、1300年前にペベンシー4兄妹の長女スーザンがサンタクロースから贈られた「魔法の角笛」であったのです。


■ アスランの姿を見たルーシー

ナルニア国にやってきたペベンシー4兄妹たちが深い谷を挟んだ向こう側へ渡ろうと道を探しているときのことです。

ペベンシー4兄妹の末っ子ルーシーだけが、ナルニア国で数百年姿を見せないといわれるアスランの姿を、深い谷を挟んだ向こう側に見たといいます。

アスランの姿を見たその場所から谷を下って向こう側へ行こうと提案するルーシーですが、他の兄妹たちも含めて誰もその姿が見えなかったため、深い谷を避けて川の浅瀬のある場所へと迂回することになります。

思い出してください。「第1章ライオンと魔女」で衣装タンスからナルニア国にはじめてやってきたのはルーシーです。

新約聖書マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあり、15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。

そのためでしょう、ナルニア国物語においてもアスラン(イエス・キリスト・神)のことを最も慕っており、より深い絆で結ばれているとされているのはルーシーとなっています。

だからルーシーだけが深い谷を挟んだ向こう側にアスランの姿を見ることができたのです。


■ アスランは姿を消したのではない
  ~信仰~見ないで信じる者はさいわいである

ナルニアからアスランが姿を消して数百年。ナルニアの民でさえアスランの存在を実感できなくなっていた時代。
ナルニアの民はアスランが姿を消したと思っていました。けれども、アスランは姿を消したわけではないのです。
いったいどういうことなのでしょう。

それを説明するにはまず「信仰」について話さなければなりません。

新約聖書の4福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)のうちマタイ、マルコ、ヨハネそれぞれの福音書に「水上を歩く」というエピソードが記されています。

湖に漕ぎ出した舟に乗ったイエスの弟子たちに逆風が吹きつけます。一生懸命に漕いでも舟は進みません。その様子を見たイエスは、夜明けの4時頃に弟子たちのところに向かいます。

月光の中、湖の上を歩いてこちらにやってくる人影を見た弟子たちは、それを幽霊だと思って恐れます。しかしそれがイエスだとわかると、弟子のペテロは「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」と願います。

イエスに「おいでなさい」と言われたペテロは舟から降りて水の上を歩いてイエスのところに行きます。しかし風に恐れをなしておぼれかけます。

ペテロはイエスに手をつかまれて救われ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。

そしてふたりが舟に乗り込むと風はやんでしまいます。

ちなみにペベンシー4兄妹の長男ピーターは、新約聖書に登場するイエスの12弟子のひとり、ペトロ(ペテロ)に由来する英語圏の人名です。ペテロはイエスの12弟子のリーダー格で、本名はシモン。自分も水の上を歩かせてくださいとイエスにお願いしたのはこのペテロです。

水の上を歩くというのは、常識では考えられません。でもこれは、信じる者にはそれができるということを伝える「信仰」についてのエピソードなのです。

もうひとつ「信仰」に関する聖書のエピソードをご紹介しましょう。

これは、末っ子ルーシーがアスランを見たと言ったときに、それを信じることができなかった兄妹たちの様子を彷彿とさせるエピソードです。

十字架にかかり亡くなって後によみがったイエスの姿を見た弟子たちがいる一方で、未だその姿を見ていない弟子がいました。――彼の名はトマスといいます。

他の弟子たちがイエスにお会いしたと言ってもトマスは信じません。

それから8日の後、トマスを含めた弟子たちが鍵のかかった家の中にいると、イエスが姿を現して言われました。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。

トマスはイエスを見てこれに答えて言います。「わが主よ、わが神よ」。

イエスは「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」といわれました。

水の上を歩くことは普通は考えられません。でも目の前でイエスが水の上を歩くのを見たペテロは自分も歩けると信じて一歩を踏み出します。見て信じたペテロも「風」に怯えておぼれかけます。

それほど人間とは弱いもの。

まして亡くなった者が生きかえったと聞いても、それを見るまでは信じられないのは致し方ないと思われるでしょう。

でも、トマスはイエスの弟子です。イエスと共に時間を過ごし、イエスの数々の奇跡を見てきた弟子です。ナルニア国物語でいえば、かつてアスランとともに白い魔女を打ち破ってナルニア黄金時代を切り開いたペベンシー4兄妹でしょう。

そんな弟子(ペベンシー兄妹)でさえ、その姿を見るまでは信じることができなかったのです。

ナルニア暦2303年当時には、アスランの姿を見た者はルーシーだけ。その見たという話を他のペベンシー兄妹たちでさえ信じることができません。

人は目に見えないものを信じることを難しいと感じます。イスラエルの民はその歴史上、幾度も形ある物=偶像を作ってこれを拝みます。

イスラエルに王が誕生したのも、民の強い要望によるものです。他の国に王がいるように、自分たちも王がほしいと望んだのです。目に見えない神では不安で、目に見える王を欲したのです。

王の話が出ところで、次に「カスピアン王子の角笛」のストーリーから想起されるイスラエルの王についての話をしましょう。

(「アスランは姿を消したのではない」については後ほど)


■ 羊飼いの少年が巨人兵を倒す

巨人兵です。巨神兵(「風の谷のナウシカ」に登場)ではありません。

イスラエルの初代の王はサウルといいます。サウル王が神の言葉に従わなくなってきた折り、神の言葉を人間に仲介するた預言者サムエルによって次の王が選ばれます。

選ばれたといってもすぐに王になるわけではありません。選ばれた者は預言者サムエルによって頭に油を数滴落とされて神の旨(次の王となる)をそっと告げられるのです。

次の王となる少年の名をダビデといいます。彼はエッセイという人の息子で末っ子です。

ほら、ここでも末っ子が登場しましたね。旧約聖書の時代も現代の日本も、基本として長男が重んじられるのはよくあることです。

でも神のために働く者として選ばれる人たちには、次男や末っ子がけっこういました。ヤコブは双子の弟。ヨセフは12人兄弟の11番目。イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセにも兄がいました。

ナルニア国物語でもアスランと最も強い結びつきを持っているのは末っ子のルーシーですね。

話を戻しましょう。

ダビデは羊を飼っていました。いわゆる羊飼いです。ダビデの兄たちはペリシテ人の軍隊と谷を挟んで対峙するイスラエルのサウル王の軍にいました。

父のいいつけて兄たちの様子を見に行ったダビデは、敵のペリシテ軍のひとりの大男の兵士・ゴリアテがイスラエル軍に一対一の戦いを挑むのを目の当たりにします。

しかしイスラエルのサウル軍のなかに、完全武装したこの巨人に立ち向かおうという者はだれひとりいませんでした。

さて、この一対一の戦いで軍隊全体の勝敗を決めようという申し出は「カスピアン王子の角笛」では「逆」に使われています。

つまり、川を渡って進軍してきたテルマールの大軍を前に窮地に陥った少数のナルニア軍が、ルーシーを使いに立ててアスランに援軍を求めにいく間の時間稼ぎに「一対一の決闘」を申し出るところです。

聖書では敵軍(ペリシテ軍の巨人ゴリアテ)が申し出た一対一の決闘を、ナルニア国物語では自軍(ナルニア軍)が時間稼ぎのために申し出たのです。

ダビデは神が付いているのだからと、巨人ゴリアテの挑戦を受ける決心をします。ダビデはいつもの羊飼いの格好で巨人ゴリアテに挑みます。持ち物といえば小石5つと革製の投石具と羊飼い用の杖だけです。

対するゴリアテは鎧に巨大な盾に刀と槍と完全武装しています。

この二人の武装の差はそのまま、少数のナルニア軍とテルマールの大軍を、さらにその強大な軍事力を背景とした年配のミラースと、ロンドンでは学生である若いピーターとの一対一の決闘の構図を表しています。

つまり、ダビデもナルニア軍も圧倒的に不利なのです。とうてい勝ち目はないと思える状況です。

ちなみにテルマール軍に一対一の決闘を申し込みに行ったのは次男のエドマンド(正義王)です。

敵の大将ミラースと決闘するのはエドマンドではなく、その兄のピーターです。それにもかかわらず決闘の申し込みのために敵陣に行ったのはピーターよりも若いエドマンドです。

一対一の決闘の申し出があればミラースは断らないだろうという計算があるにしても、念には念を入れて年長のピーターではなく、もっと若い次男のエドモンドを申し込みに行ったのは、相手の自己顕示欲と虚栄心を突いて決闘の申し出を断らせないためであると同時に、相手を油断させる狙いもあるのです。

巨人ゴリアテもテルマール人のミラースも、その軍事力の優位性から隙が生じます。

ゴリアテはダビデを見くびり、兜のフェイスガードを使いませんでした。そのため、ダビデが投石具を使って頭上でぐるぐる回して放った小石は巨人ゴリアテの額に命中。ゴリアテはばったりと地面に倒れます。

ではナルニア軍のピーターはテルマール軍のミラースを打ち破れるのか。それは観てのお楽しみに。


■ イケメン王子といえば

カスピアン王子はイケメンですね。実は聖書にもイケメン王子が登場します。アブサロムという王子です。

テルマール人の国の王位継承者であるカスピアン王子が、身内のごたごたで城を追われることになったのと同じように、イスラエルのダビデ王の家庭にもごたごたがありました。

旧約聖書の時代、たいていは長男が家督を継ぎますが、王の場合はそのときの王が望むようにすることができました。

そのため、ダビデ王の息子たちの間に次の王にだれがなるのかという「競争心」と「ねたみ」が生まれて渦巻いていたのです

ダビデの息子たちの間でごたごたがあり、ついに兄弟間で殺人が起こります。そのため、殺人の首謀者アブサロム王子はイスラエルから逃れます。

このアブサロム王子は姿かたちが良く、長い金髪を自慢にしていました。王座への野望を強く持ち続けており、逃亡中も立派な馬車を買い、立派な身なりをして民たちに親しく話しかけ、困っている人がいれば助けて人気上昇を図ります。

テルマールのカスピアン王子はおじのミラースに暗殺されかけるのでアブサロムとは事情が違いますが、自国や自分の城から逃れなくてはならない状況になるのは同じです。イケメンであることも共通しています。そしてなにより、どちらも王座を狙っています。

カスピアン王子は正統な王位継承者のように描かれていますが、どの時代のどんな国の王家でも、だれが王にふさわしいとか、だれが正統な王位継承者かというごたごたは、よくあることです。

ダビデさえ、かつてはゴリアテを倒してイスラエルの民の英雄となったことから、サウル王に妬まれ、命の危険に晒されて逃亡したことあります。その後いろいろあってサウル王の死後にダビデはイスラエルに帰還します。

ナルニア国物語の原作者C・S・ルイスの知り合いのJ・R・R・トールキンの「指輪物語」3巻のうちのひとつが『王の帰還』というタイトルからもわかるとおり、物語の定石に「王や王子がやむをえず逃亡したら、やがては帰還する」というのがあります。

ダビデ王が逃亡して後に帰還したように、カスピアン王子も逃亡した後に帰還する。そういった定石どおりの物語構造のなかに「信仰」をテーマに数々の聖書のエピソードを散りばめた作品。それが「カスピアン王子の角笛」なのです。


■ 吹けば「何か」がおきるラッパ

カスピアン王子の角笛をラッパと置き換えてみれば、聖書にはラッパを吹いて圧倒的多数の敵を撃破したエピソードが思い当たります。

イスラエルの指導者ギデオンは、土器のつぼとたいまつと雄羊角でつくったラッパを使い、わずか300人の軍隊でミデアン人の大部隊に勝利しました。

イスラエルの指導者ヨシュアは、エリコという町の堅固な城壁を打ち破るために祭司たちを集め、そのうち7人にラッパを持たて吹かせ、そのうしろに押し黙った兵士たちを行進させて城壁の周りを回るよう指示します。

これを6日繰り返し、7日目には城壁を7回まわり、7回目にラッパが響くや兵士たちが腹の底から力強い叫び声を上げると、エリコの城壁が揺れて崩れ落ちました。

ラッパを吹けば何かが起きる。それは勝利への合図といってもいいでしょう。

そういうわけで、カスピアン王子が吹いた角笛の音はナルニアの勝利を予感させるものでもあるのですね。


■ アスランはずっとそこにいた

では最後に、アスランは姿を消したのではないというのはどういうことか、についてお話しましょう。

川を渡って進軍してきたテルマールの大軍を前に窮地に陥った少数のナルニア軍。援軍を求めに森に入ったルーシーはアスランに出会います。

けっこうあっさりアスランがみつかりましたね。

それもそのはず、ルーシーはアスランの存在をずっと信じていたからです。さらにそれまで存在を信じきれていなかった他のペベンシー兄妹たちやナルニアの戦士・民たちも、窮地に陥ってやっとアスランに頼るしかないことを悟り、その存在を強く信じるようになったからです。

「苦しいときの神頼み」とうのは人間の弱さをあわしている言葉でもあるでしょう。

それでも人間(自分)は弱いものと認識して助けを求めさえすれば、湖で溺れかけたペテロを救う手を差し伸べたイエスのように、神は助けの手を差し伸べてくださる。そんなメッセージが「カスピアン王子の角笛」には込められているのですね。

ナルニアの民がほんとうに助けを求めたとき、アスランは助けてくれます。

アスランはけっして姿を消していたわけではなく、ずっとナルニアの民の身近にいたのです。

ほんとうに追い詰められてもう駄目だと思って心から信じて助けを求めたとき、アスランの姿をみることができたのです。

次のような話をきいたことがあります。

人生という名の砂浜を振り返ったとき、一番辛く助けを必要としていた時期にひとつの足跡しかなかったのを見たある人が、神に尋ねました。「私が最も辛くて大変だったときにどうして共にいてくださらなかったのですか」――と。

すると神は、そのひとつの足跡はあなたを背負って歩いた私のものだ、と答えられました。


■ その他

他にも聖書のエピソードを彷彿とさせる箇所やキリスト教文化の片鱗がいくつもありますが、以上の大まかなところを頭の片隅に入れていただければ、きっと作品の魅力をさらに感じてもらうことができると思います。

半身半馬のナルニア戦士が登場したり、ねずみがしゃべったりと、聖書のエピソードがちりばめられれいるというわりには、そのあたりはさすがに子供騙しみたいな登場キャラクターだと思われるかもしれません。

ところが、実は聖書にも動物が話すエピソードがあります。

有名なところではエデンの園で「へび」が女にしゃべり、善悪を知る木の実を食べさせたエピソードがありますね。

ほかにも旧約聖書の民数記には占い師バラムがのった「ろば」がしゃべるエピソードがあります。静かで我慢強い「ろば」が鞭打つ主人バラムにむかって「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」と言ったとあります。

ちなみにカスピアン王子が暗殺から逃れて森を馬で走っていたときに、追っ手を確認しようと振り返り、それが原因で前方の木の枝に当たって落馬しましたね。

聖書に登場する例のイケメン王子アブサロムも森を騾馬に乗って走っているときに、垂れ下がっている樫の木の枝に突っ込み、長い髪が枝にひっかかります。騾馬はアブサロムを宙吊りにしたまま走り去ってしまいます。その後アブサロムはどうなったのかは……知りたい人は聖書を紐解いてみましょう。

さて、ファンタジー作品ときくとすぐに「子供だましだ」という人もいるかもしれませんが、有名なファンタジー作品にはたいてい、しっかりしたテーマや力強いメッセージがあります。

そういった作品は子供だましどころか、人生の教科書といってもいいでしょう。

有名ファンタジー作品にかぎらずどんな作品でも、そこから何を感じ、何を学ぶかは人それぞれです。

見ようと思わなければアスランの姿がみえないのと同じように、感じて学ぼうとしなければ作品のテーマやメッセージを知ることはできません。

もちろん、子供だましだと思って映画「ナルニア国物語」観ようと思わなければ「ナルニア国物語」は観ることができません。

あたりまえのように聞こえるでしょうが、これこそ「カスピアン王子の角笛」のメッセージなのかもしれません。

それと、軍隊の戦闘シーンが多めです。迫力がスゴいです。

聖書ときくと「許しと癒しの物語」をイメージされる人が多いかもしれません。たしかにそのとおりなのですが、それは主に新約聖書のエピソードや、イエスの例え話にその傾向が顕著にみられます。

一方の旧約聖書は戒めとそれを破った者への罰といったエピソードがけっこうあります。

旧約聖書を少しでも紐解けば、イスラエルの歴史は軍隊による戦いの歴史といってもいいことがおわかりいだけると思います。

「カスピアン王子の角笛」は、こういった聖書に記述された戦いの凄まじさといったものも併せてイメージさせるものとなっています。

親子連れでご覧になる方はそのあたりもお知りおきを。


デート      ○ イケメンはなぜか長髪。でも彼氏は短髪?
フラッと     ○ キリスト教文化関係なしでもOK。話はシンプル。
演出       ○ 
キャラクター   ○ ねずみ戦士が人気?
映像       ○ 
ファミリー    ○ 戦闘シーンが多めを知りおきを
アクション    ○ 一対一の決闘をはじめ戦闘シーンが迫力アリ
歴史       ○ 
社会       ○
文化       ◎ キリスト教文化。聖書のエピソード多数織り込み。


カスピアン王子の「もうひとつの物語」
≪ミラース王が敗れた理由は「物語力」にあった!≫


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06/01/2008

「ナルニア国物語」のキリスト教文化を大解説

「ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛」の公開が5月21日(水)から公開しています。

そこで今回は「ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女」のキリスト教文化の背景をお話ししましょう。

これからお話する内容は、「『ナルニア国物語』に秘められたキリスト教文化を大解説~これを知れば7倍楽しめる~」というレポートにまとめたものの一部を編集したものです。

すでにお読みになった方々もあらためて目を通していただき、第2章を鑑賞する準備を整えてくださいネ。

ナルニア国物語のキリスト教文化の背景をこれほどわかりやすく丁寧に解説したものは他にはまずありません。

なるほど! と少しでも思われた人は、ぜひ友人知人へナルニア国物語の魅力をお伝えしたり、私が発行している映画メールマガジンを紹介したりするなどしていただければと思います。(このサイトのサイドバーに映画メルマガの読者無料登録フォームがあります)

ではさっそくはじめましょう! 


【「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説~これを知れば7倍楽しめる~】

日本で生まれ育った人にとって、欧米の文化のなかでは特にキリスト教文化については馴染みが薄いでしょう。

クリスチャン家庭で育ったわけでもなく、ミッション系の学校え学んだわけでもない、ごく普通に日本で生まれ育った人にとっては、欧米の映画に込められた聖書のモチーフやメッセージを読み取ることはなかなか大変です。

そこで今回は、映画に込められたキリスト教文化や聖書物語を映画「ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女」を例にご紹介します。

これを読めば、あのシーンにはそんな意味があったのか! という他にも、なんとなく観ていただけだったけどあの登場人物の行動にはなるほどそういう経緯があったのか! ということがわかることでしょう。

では、さっそくはじめましょう。

「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」
監督:アンドリュー・アダムソン  アメリカ/200年/140分
原作:C.S.ルイス「ナルニア国ものがたり」

■ 原作者は神学者 

ナルニア国物語の著者C.S.ルイスは神学者です。著書に『キリスト教の真髄』や『悪魔の手紙』があります。

ルイスは第1次世界大戦に兵士として参加しました。多くの友人を戦争で亡くし、自身も塹壕で負傷しました。

その後、英国のオックスフォード大学で教えます。そして第2次世界大戦でロンドンから疎開してきた子供たちを家に迎え入れて世話をします。

「ナルニア国物語」はこのときの子供たちに喜んでもらおうと書かれた物語なのです。

ペベンシー兄妹たちも空爆が激しくなった都会から田舎の屋敷に疎開します。屋敷の主は教授で、そこを取り仕切るのは気難しそうな女性です。

そしてペベンシー兄妹たちは屋敷のとある部屋の「衣装だんす」からナルニア国へと足を踏み入れるのです。


■ アスラン(ライオン)は誰を表している?

さて、原作者のルイスは「ナルニア国物語」に登場するアスラン(ライオン)を使って、ある人物を表しています。

その人物とはキリスト教において最も有名な人物です。

それはつまり、ライオン姿のアスランは、イエス・キリストを表しているのです。


■ アスランが裏切りの人間の身代わりになる

ペベンシー家の4兄妹の次男・エドマンドが裏切りによって白い魔女の手に落ちそうなところを救うのがアスランです。

「裏切りのエドマンド=人間」の身代わりになって一度死ぬアスランは、まさにイエス・キリストの生涯そのままなのです。

「エデンの園」で蛇にそそのかされて「善悪を知る木の実」を取って食べたイヴ。その実を持ってイブはアダムにも食べさせました。

これによって罪人となった人間の身代わりとなる救世主がやがて現れることが聖書には予言されています。

その予言はナルニアでいうところの「二人のアダムの息子と二人のイブの娘が、ケア・パラベル城の4つの王座を満たすとき白い魔女の支配は終わる…」にあてはまります。

しかし人間の身代わりになる救世主とは実は、ライオンの姿をしたアスランなのです。


■ 身代わりになる前の晩~ゲッセマネの園での苦しみと悩み~

次男エドモントの救出に成功したのも束の間、アスランの陣地に白い魔女が現れ、裏切りのエドモンドを引き渡すようアスランに要求します。

このときアスランは白い魔女とふたりだけで話して、裏切りのエドモンドを救います。

その夜のことです。アスランが自軍からそっと離れて、暗闇の森をひとりで歩いていきます。

それに気づいたスーザンとルーシーはアスランの後を追います。

ふたりが付いてきたことに途中で気づいたアスランは、彼女らに「しばらく一緒に歩こう。ありがとう」といった意味のことを言います。

いったいアスランはどこに行くのでしょうか。

暗闇の森をスーザンとルーシーと共に無言で歩くことにわざわざ「ありがとう」と礼を言うアスラン。

そしてある場所までくるとアスランは「ここからは私ひとりでいかなれければならない」という意味のことを言ってスーザンとルーシーと別れてひとりで歩いていきます。

暗闇の森をアスランとスーザンとルーシーが共に歩くだけのこのシーンは、はたしての必要なのかな、と思う方もいらっしゃるかもしれません。

たしかに何が起こるわけでもなく、ただどこかの目的地へ向かう途中の暗闇の森を歩くだけなのです。

しかし、このシーンで涙が溢れてしかたながない観客が大勢いるのです。

では、ただ暗闇の森を共に歩くだけでなぜ涙が止まらないのでしょうか。

なぜならこのシーンは、イエスが十字架にかかる前の晩のゲッセマネの園での出来事を示しているからです。

イエスはその晩、ゲッセマネと呼ばれる園で弟子たちから少し離れて祈っていました。

イエスは人間の罪の身代わりになって自分が十字架に架からなくてはならないことはわかっていましたが、弟子たちの支えをこのときこそ必要としているときはなかったかもしれません。

しかしペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子はイエスが苦しみと悩みの中におられることを知っていましたが、疲れていたので眠ってしまいました。

先にご紹介したとおり、原作者C.S.ルイスはキリスト教の本も執筆している神学者です。

彼はもちろんゲッセマネの園でイエスが苦しみと悩みの中におられて一番支えが必要だったときに弟子たちが眠ってしまったことを知っています。

自分を弟子に重ね合わせつつ、いたたまれない思いでいたことでしょう。

そこで「ナルニア国物語」ではスーザンとナンシーがアスランと共に歩くというシーンを書くことで、イエスの苦しみを少しでも取り除く助けになりたい。

――そんな願いがこもったシーンだと観てとれるのです。

だからこそアスランは二人に「ありがとう」と言ったのです。


■ 長男ピーターは、イエスの12弟子のリーダー・ペトロ(ペテロ)

ピーターは、新約聖書に登場するイエスの12弟子のひとり、ペトロ(ペテロ)に由来する英語圏の人名です。

ペテロはイエスの12弟子のリーダー格で、本名はシモン。

兄弟と一緒にガリラヤ湖で漁をしているとことをイエスに声をかけられ、一切を捨てて弟子となった人です。

さて、イエスの十字架よりずっと後のこと。使徒ペトロが迫害が激しくなったローマから避難しようとアッピア街道を歩いていたときのことです。

ふとみると反対側からイエスが歩いてくるではありませんか。

「主よ、どこへいかれるのですか?」と訊くとイエスは「もう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えました。

ペテロはそれを聞いてローマへ戻ったといいます。

ナルニア国物語でも、ペベンジー家の長男ピーターがこれと似たような状況に直面したます。

ピーターは冒険心と指導力というタラント(授かった能力)を持っていますが、そうはいっても軍を率いるなんてことは初めてです。

それでもピーターは白い魔女の軍団と戦うために軍を統率する立場におかれます。

アスラン陣地(ピーターが率いる軍)では軍勢が戦の準備を整えて、いつでも出陣できる体勢になっています。

しかしアスランの姿が見当たりません。アスランが身代わりに白い魔女のもとへ行たことをピーターは知らないのです。

ピーターは戦いが迫っているなかでどうすべきか決められないでいます。

そこへ知らせが着ます。アスランが亡くなり、白い魔女の軍勢が迫っているというのです。

ピーターは、使徒ペテロが迫害の激しいローマへ再び戻る固い決心をしたかのように、アスラン軍に出陣の号令を出すのです。


■ ピーター(ペテロ)の弱さはフォーンにも投影されている

4兄妹のなかではじめにナルニアにやってきたのは少女ルーシーです。

すぐにフォーンのタムナスに会ったルーシーは、家に招かれて暖をとらせてもらいます。

ところがそれはフォーンが仕掛けた罠だったのです。

――森で人間をみつけたら白い魔女に知らせること。

そんな御触れが出回っていたのです。

白い魔女が支配する100年の冬が続くナルニアで、ひとりのフォーンにすぎないタムナスはその弱さのために白い魔女のいいつけに逆らうことができませんでした。

しかしタムナスは自分がしたことを後悔します。そして白い魔女に知らせが届かないうちにルーシーを助けようと改心して、彼女を無事にもとの世界へ送り届けます。

タムナスの弱い心はペテロにも共通します(人間全体にも)。

新約聖書にこんなエピソードがあります。

弟子ユダの裏切りによってゲッセマネの園で捕らわれたイエスが心配でたまらないペテロは、捕らわれているところ(大祭司カヤパの家)まで行き、中庭の真ん中にたかれた火にあたる人々のなかに紛れ込んで座りました。

するとある女中が、この人もイエスと一緒にいた、と言うのです。

ペテロはそれを打ち消して、わたしはその人を知らない、と言います。

その後、同じようなことがもう2回あり、3回目も知らないとペテロが言い終わらないうちに鶏が鳴きました。

実は、事前にペテロはイエスにこう言われていたのです。

「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」――と。

ペテロはこの言葉を思い出して、外へ出て激しく泣きました。

タムナスはルーシーのことを白い魔女に知らせたことを激しく後悔します。急いでふたりが出会った場所までルーシーを連れて戻ったタムナスは、涙を流して弱い自分を赦してくれといった意味のことをいいます。

これにたいしてルーシーは、自分のハンカチーフでタムナスの涙を拭いてあげるのでした。

これはたとえ自分のことを知らないと言った者であっても受け入れてくださる慈悲深い神の愛を表しているのです。


■ ナルニアへ入るには、幼な子のようでなければならない。

新約聖書には「幼な子」という言葉が登場します。

マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあります。

また「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」(15節)ともあります。

さて、衣装箪笥からナルニアに初めて足を踏み入れるのは末っ子の少女ルーシーです。

兄妹のなかでももっとも幼いルーシーがはじめにナルニアへ足を踏み入れたこと。

そしてルーシーが兄妹たちにナルニアの存在を訴えかけたことは、神の国(ナルニア)に入るにはどうすればいいかのヒントを私たちに与えてくれているのです。


■ エドマンド~善悪を知る木・エサウとヤコブ・ユダ・使途パウロ~

次男エドマンドには、聖書の登場人物の様々な要素を垣間見ることができます。

ナルニアに初めてやってきたエドマンドが白い魔女に会ったときのことです。

エイドモンドは白い魔女から、あなたは兄よりも偉大な王になる、といった意味のことを言われてお菓子を貰います。

このシーンは旧約聖書でいえば、エデンの園で蛇(サタン=白い魔女)にそそのかされて善悪を知る木の実を食べたイヴとアダムの物語があてはまります。

また、兄よりも偉大な王に、というところは「長子の特権」をめぐる兄エソウとヤコブの物語(創世記25章)にあてはまります。

これは弟のヤコブが長子の特権をほしさに、お腹を空かした兄エソウからスープと引換えに長子の特権を手に入れたという話です。

ヤコブは「長子の特権」――家督と祝福――を得るために兄エソウを出し抜き、これがもとで逃亡生活をします。

罪深い自分の赦しを請い、そのまま荒野で石を枕に眠ってしまったときに夢をみます。それは地から天の頂きに達した梯子が立っていて、神の使いたちがそれを上り下りしているというものでした。

ちなみにこのシーンは映画作品「炎のメモリアル(Ladder 49)」のモチーフになっているそうです。

「Ladder 49」とは「第49号梯子車」という意味でしょうが、そこには聖書のキーワードも含まれています。それがヤコブの梯子(Ladder)であり、49は創世記の49章にヒントがある! ということらしいのです。

さて、エドマンドに話を戻しましょう。

エドマンドは新約聖書では、イエスを裏切った弟子のユダに重ねられます。

また鶏が鳴く前に3回知らないと言ったペテロが後に偉大な伝道者となっったあたりをも彷彿とさせます。(エドモンドが白い魔女への恐怖(ローマで激化する迫害)に打ち勝って兄を守ろうとしたあたりです)。


■ ゴルゴダの丘・イエスの復活

ほかにも石舞台(ゴルゴダの丘) へ向かうアスランを左右から白い魔女の手下たちが挟んで群れるシーンは、イエスがゴルゴダの丘へ十字架を背負って歩くシーンを思い起こさせます。

また白い魔女の石包丁(ロンギヌスの槍)によって命を落としたアスランの許に駆け寄るスーザンとルーシーが女性なのも、イエスが葬られた場所を見とどけたのが女性であったのと一致しています。

さらに復活したイエスに最初に会ったのはマグダラのマリヤという女性でした。(アスランが復活したときにはじめに会ったのもスーザンとルーシーです)


■ペベンシー兄妹とタレント

ペベンシー4兄妹にはそれぞれに能力があります。

長男ピーターには冒険心と指導力。

長女のスーザンは実践力。

ルーシーは受容力。

そして次男のエドモンドは自己中心的でちょっと意地悪なところがありますが、大きな可能性を秘めています。

それはまさしく私たち人間の姿そのままではないでしょうか。

この「能力」について聖書にはタラントのたとえ話があります。


「タラントのたとえ話」~マタイによる福音書25章14節から30節~~

ある人が旅に出るとき、3人の僕(しもべ)にそれぞれの能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントを預けた。

5タラントと2タラントを渡された者はそれで商売をして倍にした。1タラントを渡された者は地を掘って主人の金を隠しておいた。

僕(しもべ)の主人が帰ってきた。5タラントと2タラントを渡されていた者はそれぞれ倍に増やしたことで主人に「良い忠実な僕よ」と、多くのものを管理するよう言われた。

1タラントを渡されていた者は地に埋めておいたことで主人に「悪い怠惰な僕よ」と言われた。1タラントは取り上げられ、10タラント持っている者に与えられた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
                             
自分の能力を活かして家族を友を仲間を助け、力を合わせて困難に立ち向かうというのは物語の基本です。

たとえばピクサーのアニメーション作品「Mr. インクレディブル( THEINCREDIBLES)」には特殊能力を持ったスーパーヒーローたちが登場して大活躍します。

これは「タラント」を使った作品としてはわかりやすい例ですね。


■ キリスト教にみる数字

今回のお話のタイトルは「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説」です。

そして副題は「これを知れば7倍楽しめる」となっています。

実はこの数字の「7」にも、キリスト教においては意味があります。

旧約聖書の創世記には、すべてのはじまりが記されています。

「はじめに神は天と地とを創造された」ではじまり、第1日から第6日までの間に天と地と、その万象とが完成しました。

そのすべての作業を終わって休まれたのが第7日目なのです。

そして第7日を祝福して、これを聖別されました。

さて週のはじめは何曜日でしょう。現在の日本のカレンダーには2種類あるかと思います。

ひとつは日曜日が第一日目。

もうひとつは月曜日が第一日目です。

日曜を第一日目とすると、第7日目は土曜日です。

しかしカトリックでは教会に行く聖日となっているのは日曜日です。

これはカトリック教会がイエスの復活の日である日曜日を聖日にしたことによります。

そういうわけで、現在では聖書のとおりに土曜日を聖日としているのは、プロテスタントの一部の宗派とユダヤ教(安息日『シャバット』)となっています。

なにはともあれ「7」という数字はキリスト教と、その元となるユダヤ教にとって、特別な意味を持つ数字なのです。

キリスト教ではほかに「12」と「3」という数字も特別な意味をもっています。

12という数字には「イエスの12弟子」「イスラエル12部族」などがあり、3という数字には「三位一体」「ヨハネ黙示録3天使の使命」などがあります。


いかがでしたか?

「ナルニア国物語」には聖書の物語がいたるところにちりばめられているのがおわかりいただけたかと思います。

ですが、今回ご紹介したのはまだほんの一部に過ぎません。ほかにどんなところに聖書のモチーフがあるのは、皆さんがもう一度作品をご覧になってみつける楽しみにとっておきましょう。

「ナルニア国物語~第1章ライオンと魔女」は特にキリスト教との関連がとてもわかりやすい作品のひとつですので、他の作品に比べればみつけやすいでしょう。

なぜなら原作者ルイスは子供たちに物語の形式を通して聖書を身近に感じて学んでほしいと思って書いたのが「ナルニア国物語」だからです。

日本においては「ナルニア国物語」は他のファンタジー系の作品、例えば「ロード・オブ・ザ・リング」等のブームに乗せて、特殊メイクやSFX、VFXを前面に押し出してファンタジーワールドを強調した宣伝をされているようです。

おそらく宗教色を匂わせないほうが観客を動員しやすいと考えたからでしょう。

もちろんファンタジー作品としてだけでも楽しめる作品ですが、キリスト教や聖書の基本知識があるとさらに楽しめる作品であることはたしかです。

ちなみに「ナルニア国物語」の原作者と「ロード・オブ・ザ・リング」の原作者は知り合いです。

「ナルニア国物語」に限らず、欧米で制作される映画作品のなかには、聖書の物語をモチーフにしたものが数多くあります。

本誌で紹介したことがある作品だけパッと思いつくものだけでも以下のようなものがあります。


アフリカのロトともいえる男の物語。
「ホテル・ルワンダ(HOTEL RWANDA)」

雷ではじまるサウロの回心。ルターの修道士の誓い。
「宇宙戦争(WAR OF THE WORLDS)」

ノアの箱舟。ヨセフの物語。
「サハラ 死の砂漠を脱出せよ(SAHARA)」

ソドムとゴモラ。ロト。タラントのたとえ。ヤコブの井戸。「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」

ロンギヌスの槍。ヨハネの黙示録。ルシファー。蛇。蝿(虫)。
「コンスタンティン(CONSTANTINE)」

信仰。長血(病気)をわずらっている女。
「ポーラー・エクスプレス(THE POLAR EXPRESS)」

過越し。ノアの箱舟。アダムとイヴ。ソドムとゴモラ。ロトの救出。
「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」


「ナルニア国物語」のキリスト教文化の背景を探る航海はまだはじまったばかりです。

今回のお話は航海の地図にすぎません。

ぜひ「ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛」をご覧になって楽しい旅を続けてみてくださいね。


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03/04/2008

映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤(THE GOLDEN COMPASS)」

監督:クリス・ワイツ
アメリカ/2007年/112分
原作:フィリップ・プルマン『黄金の羅針盤 Northern Lights』

白クマ版「王の帰還」。「ダスト」と「真理計」が象徴するアノ木とソノ実。「ナルニア国物語」の少女とは対照的なライラ。彼女の外見のアンバランスさの意味とは? 雪を溶かすほどの熱戦「白クマ横綱決定戦!」が最大のみどころ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
すべての人間に「ダイモン」という守護精霊がいる世界。

子どもの誘拐事件が多発するイギリスで、オックスフォードの寄宿生の少女ライラの親友ロジャーが行方不明になる。

誘拐された子供たちは北の大地に連れて行かれるとの情報を得たライラの前にコールター夫人が現れ、一緒に北の地へ行こうと持ちかけられる。

コールター婦人と共に出発する直前にライラは、学寮長から黄金に輝く真理計「アレシオメーター」を手渡される。

コールター婦人としばらく生活するうちにライラは誘拐事件の首謀者を知る。それはコールター婦人だった。

ライラはコールター婦人から離れ、親友のロジャーを助けるためにジプシャン族の船で北の大地をめざす。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽ライラ・ベラクア
少女。12歳。オックスフォードの寄宿生。ダイモンはパンタライモン。

▽コールター夫人
上流階級に属する女性。教権とのコネクションを持つ。ダイモンはゴールデンモンキー。

△アスリエル卿
冒険家。学者。ライラの叔父。北の大地に空から舞い降りる「ダスト」を調査する。ダイモンはステルマリア(豹)

▽セラフィナ・ペカーラ
魔女。魔女一族の女王。ダイモンとの距離が離れても行動できる。

△リー・スコーズビー
飛行船乗り。ダイモンはヘスター。

∵イオレク・バーニソン
よろいグマ。元よろいグマの王。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
白クマ版「王の帰還」。「ダスト」と「真理計」が象徴するアノ木とソノ実。「ナルニア国物語」の少女とは対照的なライラ。彼女の外見のアンバランスさの意味とは? 雪を溶かすほどの熱戦「白クマ横綱決定戦!」が最大のみどころ。

■ 第1作の舞台とは

「ライラの冒険」シリーズは3部作から成ります。

第1作の舞台は、すべての人間に守護精霊「ダイモン」がいるパラレルワールド

第2作の舞台は、わたしたちが生きる世界。

第3作の舞台は、パラレルワールドとわたしたちが生きる世界とを行き来します。

まずは第1作「ライラの冒険 黄金の羅針盤」の世界がどのようなものかを簡単にご紹介しましょう。

私たちが生きる世界と似ているけれども、ちょっと違います。

違うのはすべての人間に「ダイモン」が付いているところです。これは守護精霊で、動物や昆虫などの生き物の姿形をしています。「ダイモン」が亡くなると、そのダイモンを持つ人間も亡くなります。他人のダイモンを許可なく触ることは無作法とされています。

ライラが生きるパラレルワールドでは教権(マジステリアム)という機関が強大な力を持っています。教権はすべての人間を支配しようとしています。

教権に対抗する勢力には大学などの教育機関、学者、ジプシャン族、魔女たちなどがいます。

そんな対抗勢力に属するアスリエル卿は北の大地で「ダスト」を発見します。

空から舞い降りる「ダスト」はダイモンを通じて人間に吸収される、とアスリエル卿は説明します。「ダスト」は異世界と通じており「ダスト」を知ることは世界の真理を知ることにつながると大学関係者や有力諸侯に呼びかけて、北の大地の探検費用を集めます。

そんなアリエル卿はライラの叔父にあたります。アリエル卿は自分が世界を飛びまわっている間はライラに危険が及ばないようオックスフォードの寄宿寮に入れています。

イギリスの上流階級の子息令嬢はオックスフォードのような全寮制の教育機関で学びますから、ライラもその例にもれず寄宿生活をおくっているというわけです。

そもそもアリエル卿が学者であることや、中世以来のヨーロッパの伝統に学問の自由があり、そこには大学の自治の観念も含まれるとされていることからも、すべての人間の支配を目指す教権からライラを守るには、両親をなくしている彼女にとっての考えられる限り安全な場所は大学なのです。

しかし大学でもライラを守りきれるとはかぎりません。有力者の圧力によってライラは大学を離れることになります。

ライラは北の大地への好奇心によってコールター夫人に付いて行くことにします。このとき大学関係者はライラの身が危険にさらされるかもしれないとわかっているにもかかわらず、コールター婦人の力に屈してしまったのです。

こうしてライラの冒険がはじまります。


■ ボイコットを呼びかけられる「ライラの冒険」

海外では「ライラの冒険」がカトリック教会や信者たちから非難されています。

子供たちに無神論を植えつけるというのがその理由です。

映画作品では宗教に関する部分を控えめにしましたが、それでも北米のカトリック連盟は「ライラの冒険」のボイコットを呼びかけています。

では「ライラの冒険」のどのあたりが問題視されているのでしょうか。

「ライタの冒険」では神や天国への反乱が重要なテーマとなっているあたりに強い非難が浴びせられています。

「ライラの冒険」第1作において神や天国を象徴するものは「教権」です。厳密には神や天国というよりも、カトリック教会ですね。

教権は強大な権力を持っており、人間が世界の真理を知ることをおそれています。なにが正しいかは教権が決める。人間は教権に従えばそれでいい。それが教権の教えとされています。

宗教にかぎらずあらゆる支配階級・支配層は情報をコントロールしようとします。一般人が知ることができる情報を制限できれば、支配に支障をきたす考えを持つ人間の出現を減らすことができると考えるからです。

さすがに現代の多くの国と地域では一般人が知り得る情報を大幅に制限することは困難ですが、世界には国民に知らされる情報が大幅に制限されている国々もあります。

そこで「ライラの冒険」では現代ではなく、古い時代が舞台となっています。馬車が走り、気球が活躍する時代が物語世界として設定されています。

支配のために必要な情報の制限を行いやすい時代背景。それがちょっと昔のイギリスというわけです。

いつの時代にも支配に屈することのない主人公が活躍する物語がつくられます。

それが庶民の願望だからです。庶民の望みを形にしたもの。それが物語の一形態なのです。

「ライラの冒険」では支配層の象徴が「教権」です。教権のモデルとなったであろうものがカトリック教会なのです。

だから海外では「ライラの冒険」がカトリック教会や信者たちから非難されているのですね。


■「ダスト」と「真理計」が象徴するもの

では具体的に「ライラの冒険」のどこがカトリック教会や信者たちに問題視されているのでしょうか。

キリスト教に関連すると思われる箇所をいくつかご紹介しましょう。

「ライラの冒険」で忘れてならないのは「真理計(アレシオメーター)」です。真理計の別名を「黄金の羅針盤」といいます。

真理計を手に入れるだけでなく真理計を読める者は、あらゆる真理を知ることができるとされます。その象徴が「ダスト」であり「ダスト」へ辿り着く道を示すであろうものが真理計です。

「ダスト」や「真理計」は聖書のなかに登場する有名なものを連想させます。それは「善悪を知る木」と「その木の実」です。

人類最初の人間はアダムという男性です。アダムはエデンの園に住んでいました。神はアダムのあばら骨を1本取って女性を創りました。それがイヴです

イヴはある日、その実をとってたべてはいけないと神にいわれていた善悪を知る木に近づきます。木にいた蛇にそそのかされ、イヴはその実を取って食べます。そしてイヴはアダムにも実を食べさせます。

実を食べたときからアダムとイヴは自分たちが裸であることに気づき、はずかしくなってそばにあった木の葉で体を隠します。

罪の結果、はずかしさを感じるようになったのです。

ちなみに、は野の生き物のなかで最も狡猾で美しい生き物でしたが、イヴをそそのかしたために地を這う生き物にされました。

このように「ダスト」と「真理計」は、善悪を知る木とその実を象徴していることはおわかりいただけたと思います。


■ ライラは女性

真理計を読む力を持つライラは少女(女性)です。女性であるライラが真理計を手に入れてそれを使い「ダスト」へ近づく。

それはまさにエデンの園のイヴが善悪の知る木に近づく様子を連想させます。

そもそもライラという女性が主人公であることがカトリック教会にとっては歓迎できないでしょう。

「ダ・ヴィンチ・コード」でも「M」、つまりマグダラのマリアという女性が重要なキーワードとなっていたことからも、カトリック教会において女性が中心となって活躍する物語というのは例外中の例外でなければならないのです。

ローマ帝国はキリスト教を弾圧していました。それにもかかわらず313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ寛容令を発してキリスト教を公認します。

なぜキリスト教を公認したのでしょうか。

なぜなら、キリスト教を弾圧するよりも公認したほうが統治しやすいと判断したからです。

ただ公認するのではなく、統治しやすいようアレンジした。そのときに女性に関する部分をごっそり抜かしたという説があります。

「ダ・ヴィンチ・コード」は謎・ミステリーという手法で聖書における女性をクローズアップします。「ナルニア国物語」は児童文学という手法で聖書における女性の偉大さを伝えようとします。

「ライラの冒険」シリーズの著者は宗教に批判的な言及があるそうです。宗教的な意図はさておいたとしても「ライラの冒険」の主人公が少女・女性というのは、それだけでもじゅうぶんにカトリック教会にとっては受け入れられないものなのでしょう。


■ ライラは少女

マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあります。また15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。

「ナルニア国物語」でナルニアに初めて足を踏み入れるのはペベンシー兄妹の末っ子の少女ルーシーです。このように「ナルニア国物語」では少女がナルニアに一歩踏み入れることから物語がはじまります。

一方「ライラの冒険」の少女ライラは幼な子ではあるけれども「ナルニア国物語」の末っ子少女ルーシーとは違います。

ライラが一歩を踏み入れようとするのは北の大地です。

北の大地には世界の真理を示す「ダスト」が舞い降りるとされています。

ダストへの道をも示すであろう真理計を使う幼な子は、神の国を受け入れるような意味での幼な子というイメージではなく、どちらかというと善悪の知る木の実をとって食べ、アダムにもその実をたべさせたイヴのイメージです。

善悪を知る木の実をたべるようアダムに言葉巧みに勧めるイヴ。そこには知略・謀略家のイメージとしての女性が重なります。

原作シェイクスピア、監督黒澤明の「蜘蛛巣城」では女性が重要な役割を担って登場します。武将が森で出会った物の怪は老婆の姿であり、また言葉巧みに武将を動かそうとする妻はもちろん女性です。

「蜘蛛巣城」でも観ることができるように、ときに女性は知略・策略をもって言葉巧みに男性を動かします。ドラマや映画の「大奥」が人気なのも、歴史は女性が動かしてきたとする話に多くの人がうなづく表れではないでしょうか。

こういった女性のイメージを12歳の少女(幼な子)に投影させたのが「ライラの冒険」です。


■ ライラの外見のアンバランスが象徴するもの

ライラは「よろいグマ」のイオレクの命を救う方策として言葉巧みに、よろいグマ同士の1対1の決闘をセッティングします。

イオレクの命を救うためといえば聞こえはいいですが、その(?)にはよろいグマの軍団を味方にしたい思惑も当然あるでしょう。

見た目は少女(幼な子)でも、ライラの知略・謀略ぶりは、知性あふれるコールター夫人を出し抜くほどです。

もう一度ライラをよく見てください。全身をみると少女(幼な子)ですね。でも、顔のアップだけをみると……大人の女性の顔立ちです。

顔だけをみると、まったくといっていいほど幼さが感じられません。ライラのダイモンの姿がまだひとつに定まらないのと対照的に、ライタの顔は大人のそれにしっかりと定まっているかのようです。

幼な子なのに幼な子ではない。幼な子の容姿は世を欺く仮の姿とでもいうのでしょうか。「幼な子」という記号を逆手に取ったかのような配役の妙というのは「ライラの冒険」がどんな物語かを象徴しているかのようでもあります。

ライラ役の少女は約1万5千人の候補者の中からライラ役に大抜てきされた新人ですが、よくぞこれほど「幼な子」と「女性」が同居した人物を選べたなと思います。

ライラが少女(幼な子)なのは「ナルニア国物語」のルーシーが少女(幼な子)なのと対照的です。

ある人々にとっては、ナルニア国(神の国)へ初めに足を踏み入れるのが少女ならいいけれども、教権(カトリック教)の支配を脅かすダストを探求する重要な鍵を握るのが少女というのはよくない。さらに主人公が女性だけでなく少女(幼な子)というのは、とうてい受け入れることはできない。

だから「ライラの冒険」は、ボイコットを呼びかけられているのですね。


■ その他

女性・幼な子のほかにも、教権に対抗する勢力に放浪の民ジプシャンや魔女たちがいます。

ジプシャン族は教権の支配から自由になろうとする、いうなれば海賊みたいなものとして描かれています。

魔女たちはそのものズバリですね。中世の魔女といえば西洋キリスト教史では有名ですね。

「ダ・ヴィンチ・コード」「ナルニア国物語」「テラビシアにかける橋」といった作品にはキリスト教文化が深く反映されていますが、知的ミステリーや冒険ファンタジーや友情物語という「体」で包まれているといっていいでしょう。

もちろん隠すために包んでいるのではなく、興味を持ってもらうため、わかりやすくするための潤滑油といった意味で包んでいるのでしょう。

ところが「ライラの冒険」は「教権」がそのものズバリ! カトリック教会を指すことは誰の目にも明らかです。

日本では冒険ファンタジーとして宣伝されている「ライラの冒険」。けれども冒険ファンタジーという「体」で包まれているとは、欧米ではいえないでしょう。

それだけストレートで、それだけ露骨なんです。包もうなんて気はさらさら無くて、開き直る以前に開いちゃってるみたいな。

ちょっとは包んでよ。ちょっとは気を使ってよ。そんな声がきこえてきそうです。

映画化にあたって宗教色はだいぶ抑えたそうですから、原作はもっと露骨なのでしょうね。

キリスト教文化的視点から観ると「ライラの冒険」はけっしてお気楽ファンタジー作品とはいえず、むしろテーマが深く、ストレートな風刺系作品です。

「ライラの冒険」を観ると、カトリック教会や信者たちから非難されるのもいたしかたないかなぁと……。

「ライラの冒険」がなぜボイコットを呼びかけられているのか。

そんなことを頭の片隅に置きならが観れば、お気楽ファンタジー以上の発見と楽しみを得られるでしょう。

みどころは、白クマさん同士の一騎打ちです。(←よろいグマと呼んでちょうだい。あらいぐまじゃないヨ。だれだ?いまラスカルとつぶやいたのは?)

王子だったクマさんが、卑劣な手を使ったライバルに負けて投げやり飲んだくれ人生、いやクマ生をおくっていたけど、ライラに出会ってもう一度王座を目指してタイマン勝負を挑む。これって白クマ版「王の帰還」みたいだゾ。

よろいが無いと「投げやりな飲んだくれのクマさん」になっちゃうって、人間でも似たようなのいそうだよネ。


デート       △ 
フラっと      × 
演出       △
キャラクター   ○
映像       ○
笑い       -
ファミリー     △ 
アクション    ○ 白クマさん横綱決定戦!
白クマドラマ   ○ 白クマ版「王の帰還」 
キリスト教文化 ○ 反キリスト教?


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01/15/2008

「アイ・アム・レジェンド」をキリスト教で読み解く~主人公の一見すると不可解に思える反応のワケ~

映画「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」作品レビュー


「アイ・アム・レジェンド」を既に観た人も増えてきただろう。そこで今回は主人公の科学者ロバート・ネビルの、一見すると不可解に思える反応について詳しくお話しよう。

作品中で、田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないという情報を得たときのロバートのリアクションが意味不明に感じた人も多いという。

ロバートは毎日、すべてのラジオ放送周波数からメッセージを流している。生存者がいたら食糧と安全を保障しようという内容のものだ。

自分は毎日昼間の決まった時間に決まった場所(埠頭)にいるから、この放送を聞いた生存者はそこに来てくれとラジオを通して呼びかけつづけている。

それにもかかわらずだ。

それにもかかわらず、ロバートは実際に生存者に出会って(ネタバレっス)、田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないという情報を教えてもらっても、せっかくの料理を台無しにして思わず相手が身の危険を感じる程までに、人類はほかにだれも生き残っていないと何度も頑なに言い放つロバートであった。

あんなに生存者を心待ちにしていたのに、なんでそんなに頑なに? 

その謎に思えるリアクションのワケがわからないと、ワケわからなくなってしまうワケである(←ダジャレ?)。


■ ふたつの意味

まずは「人類はだれも生き残っていない」の意味について考えてみよう。

この言葉には、ふたつの意味がある。

ひとつは、ロバートの愛する家族が亡くなってしまったことを指す。

人は自分と自分をとりまく人々ともう会えない状況になると、たとえ他にたくさんの人々がいたとしても「自分と自分を取り巻く世界」が無くなってしまったように感じることがある。

自分を取り巻く世界の住人の中でも、最も大事でかけがえなのないもの。それは家族である。

愛する家族を失ったロバートは、自分と自分を取り巻く世界の中心=家族=人類はだれも生き残っていないと言っているのだ。

もうひとつは、人類は人類でも、善なる人類はだれも生き残っていないということを指す。

気をつけてもらいたいのは、紫外線に極端に弱いダーク・シーカーズ以外の、生き残りが善なる人間という意味ではないところだ。

たとえウィルスに感染していない人間(生き残り)がいたとしても、それが善なる人間ではない。

性善説や性悪説というとわかりやすいかもしれないが、聖書によるとエデンの園でアダムとイヴが善悪を知る木の実をとって食べたそのときから、人類は労働と産みの苦しみと死から逃れることができない罪深い人間となった。

つまり、エデンの園をアダムとイヴが追放されたそのときから、人類は罪に染まった悪人ととらえることができる。すると、人は生まれながらにして罪深い生き物ということになる。


■ 人類が救われる方法

そんな罪深い人間が救われる方法はないのか。

ひとつだけある。

それは犠牲を捧げること。

旧約聖書には祭壇で羊を神に捧げる話がよく登場する。羊を、罪を購う犠牲として捧げたのである。

そんななかでも、犠牲を捧げる有名な話がこれだ。

アブラハムは息子のイサクをとてもかわいがった。ところがある日、神はアブラハムに息子のイサクを遠くに山に連れて行き、私に犠牲として捧げるよういった。

アブラハムは山の頂で祭壇をつくり、イサクをそこにのせると、ナイフを手にとり突き刺さそうとした。

その瞬間、その子を傷つけてはいけないという神の声がした。

これは神がアブラハムに、彼の信仰が本物かどうかの試練を与えたという話である。

愛するわが子を犠牲に捧げなくてはならないアブラハムは、山への道中はどんなに辛かったろう。

イサクは助かった。しかし子なるイエスを人類の罪のために地上に遣わして犠牲にした神の愛は、はかりようもなく深いことがアブラハムとイサクのエピソードからも想像できるだろう。

さて、罪の赦しを得るために犠牲を捧げるといった、旧約聖書の時代に行われていたのは、主に羊を犠牲として捧げるというものだった。

これは、あるときから必要がなくなる。

あるときとは、イエス・キリストの十字架である。

イエスが人類の罪のために十字架にかけられたことによって、人類が救われる道が開けたのだ。


■ 絶望の暗闇に一筋の光

エデンの園をアダムとイヴが追放されたそのときから、人類は深い絶望の中にあった。

だが、一筋に光が射し込んだ。

光とは、人類の罪を購うために子を地上に使わすという神の言葉だ。

絶望の中にある唯一の希望。

それが人類を救う使命を持ったイエス・キリストなのである。

だからキリスト教ではイエスの誕生を祝うのだ。

というわけで、夜景の綺麗なレストランやホテルでカップルがイチャつくのがクリスマスだと思わされてきたのは、ごく一部なのだ。

米国では多くの人がホリディシーズンは家族で過ごす。もしもホリディシーズンに彼の家族の家に招待されたら、それは家族も同然ということ。婚約間近かそれに近い、将来家族の一員になってほしい相手だと思われていると思っていいだろう。

映画「幸せのポートレート(the family stone)」は、クリスマス休暇に彼の家の招待されたキャリアウーマンの話で、ファミリードラマとして性別問わず楽しめるようになっている。

ほかに女性向け作品では「ホリディ」もまさにこのシーズンの話だ。


■ だれも生き残っていない、のほんとうの意味

さて、イエスが地上に遣わされた使命は人類を罪の淵から救うこと。イエスの時代にも地上には人間はたくさんいたが、罪に染まっている人間しかいなかった。

エデンの園で生活していたアダムとイヴのような人間はひとりもいない。皆、エデンの園を追放されたあとの人間たちだ。

では、ロバートをイエスだとしてみよう。

ロバートが、人類(善なる人間)は(エデンの園追放以来)ほかにだれも生き残っていない、と何度も頑なに言い放った意味がご理解いただけたと思う。

ロバートは自分が人類を救うワクチンを開発しなければならないという強い使命感を持って、ひとりで黙々と研究を続けているのは、自分がウィルスに象徴される罪深い人類を救う者だと信じている、または思い込んでいるからである。

長い間、相棒のサムはいたけれど、人間は自分ひとりでずっと夜はダーク・シーカーズ襲撃の恐怖に耐えて生き延びてきたロバート。

ウィルスの発生源のNYにいた科学者で軍人の彼は、ウィルスに免疫がある自分が生き残った意味を探し求めていた。

そんななかで、自分がウィルスに対して免疫がある意味を模索しつづけていた。そしてたどりついた「使命」――。

自分には「使命」がある。そう思わずにはとてもひとりでは生きていけない。いわば、自分の存在理由と生きる意味を「使命」という形に昇華した。

または「使命」に取り込まれたとでもいおうか、強い自己暗示に近いような状態にロバートはなっていたのかもしれない。


■ 相棒を失う

ロバートには相棒がいる。サムだ。

サムの正式名はサマンサ。男じゃなく、たぶん女の子なのかもしれない。

そんなサムもウィルスに空気感染はしないが、噛まれて感染してしまう。すると主人のロバートに襲い掛かろうと豹変してしまうのだ。

さて、人類を救うために地上に遣わされたイエスは、たったひとりでその使命を果たさなければならなかった。とはいえイエスには12人の弟子がいた。

しかし、弟子たちのリーダー格のペテロ(ペトロ)でさえ、死の恐怖からイエスのことを知らないと言ってしまった。

それは、弟子ユダの裏切りによってゲッセマネの園で捕らわれたイエスが心配でたまらないペテロは、捕らわれているところ(大祭司カヤパの家)まで行き、中庭の真ん中にたかれた火にあたる人々のなかに紛れ込んで座っていたときのことである。

ある女中が、この人もイエスと一緒にいた、と言う。ペテロはそれを打ち消して、わたしはその人を知らない、と言った。

その後、同じようなことがもう2回あり、3回目も知らないとペテロが言い終わらないうちに鶏が鳴いた。

実は、事前にペテロはイエスにこう言われていたのだ。「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」――と。

ペテロはこの言葉を思い出して、外へ出て激しく泣いた。

悪(の象徴)のウィルスや死の恐怖にとらわれた生き物は、裏切りの行動をとってしまう。たとえそれが犬の相棒だろうと、弟子であろうと――。それほど人間とは弱いものであることを教えてくれる。

相棒のサムがウィルスに感染して豹変していく。それでもロバートは使命を果たすためにひとりになっても研究を続けていかなくてはならない様は、弟子のユダの裏切りによってゲッセマネの園以降に弟子たちから離れ、ひとりで十字架にかからなくてはならくなったイエスを連想させもする。

ちなみにサマンサがメス犬だとすると、人間では女性ということになる。

ある説によると、イエスの最も身近にいた人物はペテロでもヨハネでもなく、マグダラのマリアだったいう。

彼女は聖書に登場する女性でり、諸説あるが中にはイエスの妻だったのではないかという声もある。

実は、聖書において女性は重要な場面にしばしば登場する。

そのあたりを題材にした有名な作品が「ダ・ヴィンチ・コード」だったのは比較的記憶に新しい。

この詳細は以下のレポートに。


■ 誘惑

田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないから一緒に行こうと誘われたロバートは、人類はほかにだれも生き残っていないと言ってNYを離れようとしない。

夜はダーク・シーカーズの襲撃に備えて恐怖の中でNYでひとりでいるより、田舎へ行って生き残りの人々と一緒に暮らしたほうが安全で安心できるにちがいない。だれだってそう思うだろう。

NYにひとりで居続けるより、田舎へ行って生き残りの人々と生活したほうが楽に違いない。

なんとも甘い誘惑であろう。誘惑という言い方は適切ではないかもしれない。

しかし、罪深い人類を救うという使命からしてみれば、その使命から逃れる甘い誘惑ということになる。

新約聖書にはイエスが荒野で40日間断食されたエピソードが登場する。

空腹のときにサタン(悪魔)が現れ、神の子なら石をパンに変えて食べればいいと誘惑する。

それにたいしてイエスは、人はパンだけで生きるものではない、と言ってサタンを退けた。

聖書には「滅びに至る門は大きく、その道は広い」とあることからも、楽な道への誘惑に打ち勝つことは人間にはたいへん難しいことを教えてくれる。

田舎に行って生き残りの人々と生活したほうがどんなに楽だろう。ロバートだって普通ならならそうしたいと思ったハズだ。

しかし、自分には使命がある。それを成し遂げるには、楽(に思える)な道を選択することはできないのである。

だからロバートは頑なにNYにとどまって研究を続けようとするのだ。


■ その他

聖書には「3」という数字がよく登場します。

イエス誕生を祝いにかけつけた3人の博士。

十字架にかかって3日目によみがえったイエス。

「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」

ヨハネの黙示録3天使の使命(週末・世の終わりについての預言)

数字に注目して映画を観て「3」や「7」という数字がちりばめられていたら、キリスト教となにかしらの関連のあるバッググラウンドを持ったストーリーなのかもしれないな、思ってみるのもいいでしょう。新しい発見があるかもしれませんヨ。

「アイ・アム・レジェンド」は題名からしてもそうだし、内容にしてもストレートすぎるぐらいにキリスト教のテーマや題材を使っているので、ちょっとヒネリがないといえるかも。

ヒネリがないとは、主人公ロバートの最期に象徴されていますね。

自分が犠牲になることで人類を救う伝説となった。

イエスになぞらえたそのままの最期をロバートが迎えるからです。

なんというか「アイ・アム・レジェンド」はちょっと気恥ずかしくなるようなストレートでそのまんまな作りでありました。

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02/23/2007

バビルの塔に住んでいるのは?

映画「バベル」は、第79回アカデミー賞の作品賞、監督賞、助演女優賞、脚本賞、作曲賞、編集賞にノミネートされています。

このうち、助演女優賞にノミネートされているのが菊地凛子さんですね。

ゴールデングローブ賞作品賞受賞作「バベル」は、3大陸4言語で構成されたヒューマンドラマですが、そもそもバベルってなに? ということで、今回はこのあたりをサラッと紹介しましょう。


■ バベルとは

「バベル」とは、旧約聖書の創世記に登場する塔の名前。

「バベルの塔」のエピソードを簡略にいうとこうです。

それまで人々は同じひとつの言葉を話していました。あるとき、人々は天にまで届く塔を建てて神に近づこうとします。

これに怒った神は、人々の言葉をバラバラにして、バベルの塔の建設をできなくしたのでした。

このエピソードから、驕り高ぶった人間たちの行く末を表現する場合に「バベルの塔」が引き合いに出されることがあります。

比較的記憶が新しいところでは、六本木ヒルズに住むことが成功者の証だと刷り込まれ、こぞってヒルズ族になりたがり、そういう人たちがもてはやされ、そして一連の証券事件によって没落(?)していく様を、ある人はバベルの塔のエピソードのようだといったかもしれませんね。


■ 言葉をバラバラにした意味

言葉をバラバラにした目的のひとつは、人々を広くいろいろな土地に散らせるためでした。

「バベルの塔」は、人々が一箇所に過度に集中することによるマイナスの力を教えてくれます。

例えば、バブル経済。

資産の価格上昇がさらなる上昇をよんで投機を呼び込むという状態を、精神的な一極集中による妄信的状況としてみると、だれもかれもが価格が上昇しつづけると思い込み続けたことは、まるで天まで届く塔を作れば神に近づけると考えた人々と大差ないかのようでもあります。

みんなが「右向け進め」のときに必要なのは、左を向いている人です。さらにいいのは上を向いている人です。

右だから左。だけではなく「上」でも「下」でも「斜め右上」でもいいわけです(笑)。

一転集中は大きな力を発揮しますが、それが良い方向にあるときはいいけれども、悪い方向にあるときは、その力を止めることは難しくなります。

だから、広く全地に散らせることがリスクを減らすことになるのです。


■ バラバラだからダメではない

すべてをひとつに。一丸となって。一億一心火の玉。

ひとつの目的を達成するためにバラバラだったみんながひとつになる瞬間というものはいいものです。

でも、あくまで「瞬間」です。目的のためにひとつになる「瞬間」がいいのであって、それが継続的な時間となると「戦時一億一心火の玉」となる危険性をはらんできます。


■ 精神的支柱

バラバラのみんながひとつになるのは難しい。だから、より大きな精神的支柱をもとに、ひとつになることができます。

精神的支柱は、スローガンだったり、宗教だったり、道徳だったり、良心だったりします。


■ バビルの塔に住んでいるのは?

ところで「バベル」ときいて「バビルの塔~♪に住んでいるぅ~♪」というフレーズの歌が頭をよぎったアナタ。

それは、昭和40年代後半に放映されたテレビアニメ「バビル2世」ですね(^^)。(原作は横山光輝作の漫画)

ここでいう「バビル2世」の「バビル」とはつまり「バベル」のことを指していると考えていいでしょう。

「バビル2世」のストーリーとは、かつて地球に不時着して故郷に帰れなくなった宇宙人バビル1世がバビルの塔と三つのしもべを遺した。それを受け継いだバビル2世が、悪の超能力者と戦うというもの。

そういえば「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」に登場する塔には悪役が巣食っていましたね。

ほかに、映画「ブラザーズ・グリム」で、森の塔に住んでいたのは魔女です。

このように、漫画やアニメや童話や文学のなかにも、バベルの塔に想像のヒントを得たものをいろいろとみつけることができます。


■ その他

さてさて、映画「バベル」ははたしてアカデミー賞受賞なるか。

(映画「バベル」は、日本では2007年4月GWに公開予定です)


▼映画「バベル(BABEL)」作品レビュー
やるせなくも心の琴線に触れる物語。言葉だけがすれ違いの要因ではない。


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08/28/2006

スーパーマン リターンズ(SUPERMAN RETURNS)

監督:ブライアン・シンガー
アメリカ/2006年/154分

「赤マントの全身タイツ男 病院に担ぎ込まれる」の巻。父と子。ルーツ探し。新秩序の台頭の恐怖。アメリカ合衆国がよくわかる作品。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
故郷のクリプトン星を探して宇宙へ旅立ったスーパーマンが5年ぶりに地球に戻ってくると、かつての恋人ロイスは婚約しており、子供もいた。
そんななか、宿敵レックス・ルーサーが動きはじめる。
世界を救うためスーパーマンが立ち上がる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△スーパーマン
 クリプトン星の生き残り。

△ロイス
女性。新聞記者。スーパーマンの元恋人。

△レックス・ルーサー
男性。新秩序確立を目指す。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
「赤マントの全身タイツ男 病院に担ぎ込まれる」の巻。父と子。ルーツ探し。新秩序の台頭の恐怖。アメリカ合衆国がよくわかる作品。

■ 父と子

スーパーマンはクリプトン星の唯一の生き残りです。クリプトン星の消滅のときに赤ん坊だったスーパーマンは父によって地球へ送られます。

父にとってはかけがえないのない唯一の息子を地球に遣わしたのです。

この設定はほぼそのまま聖書と同じですね。

父なる神が、子なるイエスを地上に遣わされたというものです。

人間を救うために地上に遣わされたイエスも苦悩して父なる神に祈ります(ゲッセマネの園での祈り)。

またイエスは荒野で40日40家断食して悪魔による誘惑にあいます(マタイによる福音書第4章1節~11節)。
聖書によると、神の子であるイエスは数々の奇跡を行いましたが、様々な試練にあわれて苦悩もしたのです。

スーパーマンは透視能力や怪力や空を飛ぶ能力などを持ったいわば超人ですが、自分のルーツを探したり、地球でどう生きるか、何をすべきかを考え・悩みます。

これは人間だれしもあることですが、特に様々な民族やコミュニティから成るアメリカ国民は、自分のルーツ探しというものにたいへん高い興味と関心を持っているといいます。

故郷のクリプトン星を探しに宇宙へ旅に出たことからわかることは、地球にあって異星人であるスーパーマンではるけれども、その気質や行動においてはアメリカ国民に近いものがあるこということです。

アメリカ国民的要素を併せ持ったスーパーマンは一度に無数の声・音を同時に聞き分ける能力もあります。自分の生き方に悩みつつも、助けを求める声を放っておくことはできないと助けに世界を飛び回ります。こうした行動はアメリカ合衆国の国際社会での振る舞いを表現しているといっていいでしょう。


■ 人は何によっていきるか

荒野で断食中に、空腹ならば石をパンに変えればいいと誘惑者に言われたイエスは「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」(新約聖書マタイによる福音書第4章4節)と言いました。

さて、超能力を持ったスーパーマンの地球での生活はバラ色かというと、そうでもありません。

5年ぶりに地球に戻ってみると、変わらないと思っていたものまで変ってしまっていました。結婚して主婦するなんて考えられないと言っていた元恋人ロイスが、社内の同僚と婚約して男の子まで誕生していたのです。

常人にはできないことができるスーパーマンでも、愛する人との関係はなかなか思い通りにはできないのです。スーパーマンは地球でどう生きるべきかを悩みます。

どんなに高い能力を持っていたとしても、スーパーマンは何によって生きるのか。そして私は、あなたは何よって生きるのか。

これが「スーパーマンリターンズ」のテーマであり、観客への問いかけです。


■ ヒーローを必要としていない?

なぜいまスーパーマンなのでしょうか?

スーパーマンをアメリカ合衆国と例えてみると、世界はもうスーパーマンを必要としていないのでしょうか?

こんな疑問をアメリカ国民の多くが持っているからこそ、今も世界はスーパーマンのようなヒーロー=強いアメリカ合衆国を必要としているのだという物語で皆を鼓舞したいし、そういう話をアメリカ国民も求めている。だからこそ、いまスーパーマンなのですね。


■ 自虐コントネタを真面目に

悪役レックス・ルーサーが海上に新たな大陸を出現させて、これまであった大陸を沈めてしまおうというのは、早い話が新しい勢力地図を作るということです。これを阻止するのがスーパーマンですね。

新秩序の出現。
従来の秩序を守る側にとっては、事の善悪は関係なく、問題・驚異なのは新秩序の台頭です。

悪役がアメリカ合衆国の海岸線の一部を沈めることで、それまでタダ同然だった土地に新たな付加価値をつけて金儲けしようとしたぐらいの規模なら、スーパーマンの程よい活躍の場ができるといったものです。

しかし今回、レックス・ルーサーが作り出そうとしていい新しい土地は「島」とった規模ではなく「大陸」の規模です。

大陸ともなれば、それは新秩序の誕生を意味します。しかもそれを作り出す元のクリスタルは、そもそもスーパーマンが地球にもたらしたものです。

レックス・ルーサーは、土地を作り出すクリスタルの存在を知らなければ、そもそもクリスタルが存在しなければ、大陸を出現させるという壮大(?)な計画を実行しようとまではしないでしょう。悪役といえども、頭脳明晰という設定ですからね。

レックス・ルーサーが世界を少し乱す程度の小悪党であるうちは、たまにスーパーマンに懲らしめられるぐらいでちょうど良かったのです。

なぜなら、世界が危機に陥らなければ、だれも助けを求めないので、スーパーマンの活躍の場もないのですから。

5年ぶりに帰ってきたスーパーマンが、墜落していく飛行機を救って野球場に不時着させることに成功したとき、球場の観客は大きな拍手で彼の帰還を称えます。

たしかに飛行機の惨事を引き起こした原因を作り出したのはレックスルーサーなのですが……。でもね、惨事の大元へとさかのぼって考えてみると、彼がスーパーマンのクリスタルを手に入れなければこの惨事は起きなかったのです。

スーパーマンがもたらした「力の元=クリスタル」を小悪党が手に入れたことで、もっと大きな悪事を引き起こし、それをスーパーマンが退治する。すると、やはり世界はスーパーマンを必要としているのだ、と声高らかにいう。

世界最大の武器輸出大国が世界に火種を撒き散らし、それを正義の名のもとに火消しに世界を飛び回る。そんな、どこかのお国そのままといったようにもみえますね。

こんな自虐コントみたいなネタを、けっこう真面目に表立ってやっているのが「スーパーマンリターンズ」なのです。

では、表があれば裏があるということで、裏でいうとどんな作品が?

実は有名なアニメショーン作品がこういった意味で「スーパーマン」と表裏一体なんですね。

で、それはどんなアニメ作品か?

これについては長くなりそうなのでまたの機会に。


■ スーパーマンを知っている人向き

スーパーマン? 
それってペンギン村の梅干大好きなコスプレおじさんのことでしょ。

スーパーマン? 
それって「Mr.インクレディブル」でおっきなマントを羽織って空を飛んでいたスーパーヒーローが飛行機のエンジンにマントが絡まって亡くなったっていう話の、その元になったヒーローのことでしょ。

こんな認識を持っている方は、いきなり「スーパーマンリターンズ」を観にいってもイマイチ盛り上がらないでしょう。

「スーパーマン」シリーズを全く観ていないならば「赤マントの全身タイツ男が病院に担ぎ込まれた154分にわたる物話」ときいたならば、それってどうなの? と思ってしまうかもしれませんね。

とはいえ、ペンギン村のスッパマンを知っているアナタは、もちろんスーパーマンもよぉ~く知っているでしょうけれど(笑)


■ ひとこと

「赤マントの全身タイツ男 病院に担ぎ込まれる」

「入院中のスーパーマンはナースコールを押すのか」

「ナースが脱がす!?スーパーマンの全身タイツ」

こんなキャッチフレーズなら、もっとお客さんを呼べそうですネ。


俳優ファン △
ファミリー △ 
デート   △
フラっと  △
脚本勉強 ○
演出    ○
笑い    ◎ 笑える目線で見ればかなり笑える
リアル   - 風刺ならマル。 
謎解き   - 
人間ドラマ ○ スーパーマンですが……。
社会    ◎ 
CG     ○    


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03/17/2006

ヒストリー・オブ・バイオレンス(A HISTORY OF VIOLENCE)

監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
アメリカ・カナダ/2005年/96分
原作:『A HISTORY OF VIOLENCE』(ジョン・ワグナー作 ヴィンス・ロック画)

放蕩息子をモチーフに「愛」を描くサスペンスミステリー。家族や友から離れた者が再び戻ってきたとき、それを受け入れることができるか。ヴィゴ・モーテンセンの演技が凄い。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
米インディアナ州の田舎町。ある晩、トムが経営するダイナー(食堂)が拳銃を持った二人組みの強盗に襲われる。
素早い身のこなしで強盗を倒し、店の従業員と客を救ったトムは、一躍全米のヒーローとなる。
そんなある日、店に男がやってきた。男はトムをジョーイと呼び、一家につきまとうようになる。
やがて家族に危機が迫り、トムの妻エデが夫の過去を知ったとき、それまで愛と信頼に包まれていた家族の暮らしが崩れていく。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△トム・ストール
 男性。田舎町のダイナーのオーナー

△エディ・ストール
 女性。トムの妻。弁護士。

△カール・フォガティ
 男性。マフィアの構成員

△リーチー・キューザック
 男性。マフィアのボス。

△ジャック・ストール
 少年。トムの息子。

△サラ・ストール
 少女。トムの娘。

コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
放蕩息子をモチーフに「愛」を描くサスペンスミステリー。家族や友から離れた者が再び戻ってきたとき、それを受け入れることができるか。ヴィゴ・モーテンセンの演技が凄い。

■ 巧みなセットアップ

作品の冒頭、男二人がモーテルを出発する長回しのシーンがある。
ひとりの男は、ダルそうにこんな意味のことを言う。
「こんな毎日にマジでうんざりだぜ」。
もうひとりの男は、おれだってそうだ、といったふうに答える。

このセットアップの冒頭シーンで読み取るべきキーワードはこれだ。

「田舎(中西部のインディアナ州)」「暑い」「田舎を点々とする毎日にうんざり」

つまり、男二人は毎日にうんざりしているということだ。これは主人公トムの過去の心情の一部をあらわしてるといっていいだろう。
昔はこの男たちとたいして変わらない心情で毎日を過ごしていた男が、その後どうなったのか。それを観客に予測させる予告編の役割をも持っているのがこのセットアップ(冒頭シーン)なのである。

■ 故障中の車はトムの心情を表す

トムは自分の車が調子悪いので、妻に車で職場(ダイナー)まで送ってくれと頼む。妻はもちろんよと答えて仲良く出勤する。
トムが住む町はインディアナ州の田舎町だ。当然のように車はひとり一台ないことには不便である。

アメリカ合衆国は車社会だからアメリカ人はみな車を持っていると思いがちだが、もちろん車を持っていない人もたくさんいる。だがアメリカ合衆国に限らず日本でも、一部の都市部を除くほとんどの地域では車がないと不便だ。とくに田舎では車は下駄代わりである。

というわけで、トムには自分専用の古いピックアップトラックみたいな車があるのだが、エンジンの調子が悪いらしく故障中だ。すぐにでも直せばいいのだが、トムは急いで直そうとはしていないようだ。いざとなれば歩いて職場までいけるし(おそらく徒歩1~2時間程)、とりあえずは愛する妻の車に乗せてもらえばいい。

つまり、トムは自分の家と職場のある街へ行き来できればそれでいいのだ。ほかにどこへ行く予定もないし、ほかのどこかへいくつもりもない。これはトムがこの街で愛する家族と共に素朴でも幸せな生活をいつまでも続けたいという思いを表しているのである。

また、ダイナーにいたトムが胸騒ぎがして家族を守るために急いで家に戻る際、怪我をした足で家まで走るのだ。。車が使えないから走るしかないのだが、このシーンはトムがいかに家族を大事に思っているかを動き(アクション)で表現する演出効果を狙ったものだろう。

しかも、走って家についてからの演出もしっかりしている。街からずっと必死に走ってきたので、汗だくなだけでなく、呼吸がゼィゼィとなってうなく話せない。それでも家族の安全を確認して事情を説明しようとするのだが、呼吸が苦しくてソファに座ったまましばらくはまともに話せない有様なのだ。

そんなになりながらも必死に走りつづけて(足を怪我しているのに)帰ってきたトムの姿に、観客は過去の冷酷な男から家族思いの男にほんとうに変わったことをいつのまにか受け入れてしまうのである。これはリアルかつ感情移入というダブルの効果がある演出法である。

ちなみにトムは自分の車をいつ使うのか。それは自分の過去に立ち向かうべく出発するときに使うことになるのである。

■ 10代の頃に出会いたかった

トムと妻のエディの夫婦関係はとても良好だ。ふたりはいわゆる「ラブラブ」である。
エディはトムに、あなたと10代の頃に出会いたかった、という意味のことを言う。これは、いったいいままであなたはどこにいたのよ、もっと早く私をみつけて早くから私の側にいてくれたらよかったのに(実際は10代の頃には出会えなかったのだが)、という英語の授業の仮定法の例文に出てきそうな心情をあらわしたセリフがある。

エディにとってトムとのマッチングは最高なので、出会いというタイミングがもっと早かったら最高の日々をもっと早くから送ることができたのに、という思いが詰まったこの言葉は、二人の愛の深さと相性の良さを観客に素早く感じ取ってもらう言葉の演出だ。

そしてこのセリフのあと、二人の子供の「おかん」であるエディは、ハイスクール時代のチアガールの衣装を着て夫の前に登場するのである。
こうしてセリフ(言葉)とアクション(行動)でて夫婦の仲の良さを知らせると同時に1回目のセックスシーンによって、後の2回目のセックスシーンとの対比を通して夫婦関係の変化を表現する布石にもなっているのである。

■ 過去を知っても受け入れられるか~放蕩息子の例え~

田舎町ではトムはみんなから慕われる良き人である。ダイナーで強盗を倒して従業員と客を救ったことで、ヒーローとしてますます町の人々に愛されるようになる(店のお客も増えた)。

しかし、トムがかつて強盗やマフィアだったとしら?
たとえそれが過去のことであり、今は良き父であり良き夫であったとしても、妻は彼を受けれることができるのか。
さて、新約聖書にはキリスト教圏で生まれ育った者は一度は聞く放蕩息子のたとえ話がある。(ルカによる福音書第15章11節~32節)

-------------------------------------
あるところに二人の兄弟がいた。弟が父親から財産の半分をもらうと遠いところに行って放蕩に身を持ちくずして財産を使い果たしてしまった。飢饉が襲って食べることにも窮して豚の世話人になり、豚の餌で腹を満たしたいと思うほどになって本心に立ち返り、父の元に戻り、雇い人のひとりと同様にしてもらう決心をする。
父はまだ遠く離れているのに彼をみとめ、走り寄ってその首を抱いて接吻した。こうして盛大に祝宴がはじまったのであった。

-------------------------------------

「放蕩(Prodigal)」には、むだづかいする、浪費するといった意味のほかに「家族や友から離れていたものが戻ってくる」という意味がある。

妻エディが出会ったトムは良き人だったが、実は過去にマフィアの一員だったことがわかる。

放蕩息子の話では、父親は神をあらわし、放蕩息子は人間をあらわす。エディは人間なので「放蕩息子の話」での父親のようにまだ遠くに離れている息子(トム)をみとめ、走り寄ることはできない。

作品のラストシーン。ダイニングのテーブルで夕食をとるエディ、息子ジャック、娘サラ。そこへ戻ってきたトムが家に入ってくる。
果たしてジャックは、サラは、そしてエディは、自分の過去に立ち向って後に家に戻ってきたトムを受け入れることができるのか。

監督らしいというべきなのか、ありきたりなハリウッド映画のエンディングとは違うものとなっている。

夕食。父親がかえってくる。この何気ない日常のシーンをじっくと観せてくれる作品はなかなかない。
派手な映像ばかりが映画ではない。何気ない日常のふとしたシーンをいかに劇的にできるか。それが映画の醍醐味である。

ちなみに、何気ない日常のシーンを小道具を用いて劇的する試みがみられる作品はこちら。
(だたし、この↓作品の効果は、頭で考えた仕掛けの粋を出てはいない)

「愛してる、愛してない...(A la folie…pas du tout…)」作品レビュー

■ ひとこと

主人公トム・ストール役の俳優は『ロード・オブ・ザ・リング』で正義の勇者アラゴルン役だったヴィゴ・モーテンセンだ。
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」での彼を観ていると、真の役者とはこういうものか! と鳥肌が立つすごい演技をしている。トムの表情とジョーイの表情。こういった変化の演じ分けが見どころである。

俳優ファン ◎エド・ハリス、ウィリアム・ハートも出演
ファミリー  ×
デート    ×
フラっと   ○  
脚本勉強  ◎ラストシーンのつくりかたに真鍋(学べ) 
笑い     × 
リアル追求 ○ 
謎解き   △
人間ドラマ ◎ 

▼おすすめレビュー
クローネンバーグ監督の特徴と、父と息子の描写について知りたいならこちら↓
「ラムの大通り」さんの『『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

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03/10/2006

ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女

監督:アンドリュー・アダムソン
アメリカ/200年/140分
原作:C.S.ルイス「ナルニア国ものがたり」

聖書のエピソードが豊富にちりばめられた物語。イエス。ピーター(使徒ペテロ)。善悪を知る木の実。裏切りのユダ。エソウとヤコブ。ゲッセマネの園。マグダラのマリア等。これらを知らないでも楽しめるが、知っていればさらに楽しめる。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
第二次大戦中のイギリス。ペベンシー家の4兄妹は田舎へ疎開する。
疎開先の屋敷の部屋にある大きな衣装箪笥はナルニア国に繋がっていた。
ナルニアは偉大な王アスランが去り、白い魔女の支配によって百年の冬が続いていた。ナルニアの住人は古い予言を信じて4人の人間が現れ、再び春が訪れるのを待っていた。
衣装箪笥からナルニアにやってきたペベンシー兄妹はアスランと共にナルニアに春をもたらす。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ピーター
 ペベンシー家の長男《英雄王》

△エドマンド
 次男《正義王》

△スーザン
 長女《優しの君》

△ルーシー
 次女《頼もしの君》

△アスラン
 ナルニア最初の王

△白い魔女
 ナルニアを支配する女王

コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
聖書のエピソードが豊富にちりばめられた物語。イエス。ピーター(使徒ペテロ)。善悪を知る木の実。裏切りのユダ。エソウとヤコブ。ゲッセマネの園。マグダラのマリア等。これらを知らないでも楽しめるが、知っていればさらに楽しめる。

■ ナルニア国物語とキリスト教

「ナルニア国物語」キリスト教的(聖書)な観方ができるのは有名です。作品の中に聖書のエピソードがちりばめらています。いえ、聖書の物語そのまんまと言ってもいいかもしれません。

ですが、日本公開にあたってはではこのあたりことを全くといっていいほど宣伝に使っていません。
日本ではおそらくキリスト教との関連を意図的に排除した宣伝をしているのでしょう。

欧米ならばキリスト教徒やその文化を持つ人々に向けてキャンペーンを行い、劇場に足を運んでもらうということもしているかもしれませんが、日本では他のファンタジー系の作品、例えば「ロード・オブ・ザ・リング」等のブームに乗せて、特殊メイクやSFX、VFXを前面に押し出してファンタジーワールドを強調した宣伝にしたようです。(ちなみに「ナルニア国物語の原作者と「ロード・オブ・ザ・リング」の原作者は友人同士です)

そのため「ナルニア国物語」をふつうのファンタジー物語として認識さてている方が多いでしょう。聖書のことを全く知らなくてもファンタジー作品として楽しめるようになっていますのでご心配なく。

もちろん、キリスト教文化を知っている方や、聖書に馴染みのある方は、あらゆるシーンが聖書と重なっているのがとてもわかりやすく描かれていますので一層「ナルニア国物語」を楽しめることでしょう。

では、どこがキリスト教と関係しているとみてとれるのでしょう。

それについての詳しいことは無料レポートにまとめましたので「ナルニア国物語」のキリスト教的な意味や背景を知ってさらに作品をたのしみたい方はぜひダウンロードしてお読みください。

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聖書について知りたい方はこちら

「ナルニア国物語」のほかに、キリスト教文化や聖書の予備知識があるとより一層楽しめる映画作品はこちら。

アフリカのロトともいえる男の物語。
「ホテル・ルワンダ(HOTEL RWANDA)」

雷ではじまるサウロの回心。ルターの修道士の誓い。
「宇宙戦争(WAR OF THE WORLDS)」

ノアの箱舟。ヨセフの物語。
「サハラ 死の砂漠を脱出せよ(SAHARA)」

ソドムとゴモラ。ロト。タラントのたとえ。ヤコブの井戸。
「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」

ロンギヌスの槍。ヨハネの黙示録。ルシファー。蛇。蝿(虫)。
「コンスタンティン(CONSTANTINE)」

信仰。長血(病気)をわずらっている女。
「ポーラー・エクスプレス(THE POLAR EXPRESS)」

過越し。ノアの箱舟。アダムとイヴ。ソドムとゴモラ。ロトの救出。
「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」

他にも映画にみる聖書・キリスト教文化はいろいろあります

俳優ファン △
ファミリー  ◎ 
デート    ◎ 
フラっと   ○  
脚本勉強  ○ 
笑い     × 
リアル追求 △ 
謎解き   ×
人間ドラマ ◎ 

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