02/15/2009

「ナイツ」に学ぶわかりやすい文章術

「ナイツ」に学ぶわかりやすい文章術
~「人気お笑い芸人」に学ぶ、わかりやすくする文章術~


文部科学省が日本漢字能力検定協会(通称「漢検」)本部の立ち入り調査をはじめました。


漢検が公益事業では認められない巨額の利益を得ていたというのがその理由です。


日本漢字能力検定協会は公益法人です。


公益法人としてはちょっとおかしいんじゃないの? と思われるのではないか。


もしもそんなふうに感じることができたなら、今回のような事態にはならなかったでしょう。


「公益法人としてまっとう」というラインがわかっていれば、ラインから離れていってしまうことはなかったはずです。


「ラインを見極める目を持つ」ことが大事です。


これはお笑いと似ています。


一般的にみておかしいんじゃないか、という「ボケ」ができるのは、一般的にみてまっとうなラインをわかっているからです。


まっとうなラインを離れてボケる。そしてツッコム。


観客もまっとうなラインがわかっているからボケに気づく。ツッコミにうなづきながらまっとうなラインに戻る様子に安心できるから笑えるのです。


日本のお笑い芸人の多くがコンビを組んでいるのは、ふたりでまともなラインを確認し合えるという意味で、とても良いことなのです。


もちろん、ひとりだってOKです。


ラインを見極める目を持つために、一般的にみておかしいかな? とちょっと想像してみればいいのですから。


日本語力を高めるにはどうすればいいか。


わかりやすい文を書くにはどうすればいいか。


その答えのひとつは、お笑い芸人の感性と技術を真似することです。

「ナイツ」というお笑い芸人コンビがいます。


ナイツは2008年のM-1グランプリで第3位になった実力派のお笑いコンビです。


ナイツの塙宣之(はなわ のぶゆき)さんは「ガッツ伝説」などでお馴染みの、ベースギターを使った歌のネタで有名な「はなわ」の弟さんとうのも知られるようになりました。


ナイツのネタは、だれにでも非常にわかりやすい題材を使い、数十個のボケをちりばめます。


はじめはたいしたボケじゃないなぁ、なんだか小粒なボケだなぁと思わせておいて、その小粒なボケがだんだん笑いのボディブローのように効いてきます。


漫才の理想のカタチとして後半に向かってどんどん面白くなっていくのが良いというのがありますが、ナイツの漫才はまさに小粒のボケのなかにも後半になるとさらに笑いを誘うボケをチョイチョイとしっかり仕込んでいます。


しかもひじょうにテンポがいい。リズム感が心地いい。


普段は寄席で活躍しているからなのか、いわゆる若者向けのパッと見の派手さやフレッシュさといったものは感じられませんが、おそらくあえてそれらを封印して地味そうにみせることが彼らの狙いなのでしょう。


地味そうだなぁという印象で笑いのメーターをマイナスにもっていかせておいて、漫才が終盤にさしかかるころには笑いのメーターはプラスへ一気に振り切れるようにしているのではないでしょうか。


そんなナイツのネタはヤフーをヤホーと言い違えるという有名なボケを筆頭に、話題のキーワードを軸にそれに関連した情報やエピソードの随所に駄洒落っぽいボケをいくつも仕込んでいくというものです。


一言でいえばオヤジの駄洒落なのですが、あるキーワードに語感が近くて置き換えるとおかしな意味にとれる絶妙なワードをボケとしてテンポよく連発していく様子は、まるで音楽を聴いているかのようです。

ナイツのネタづくりはこうです。


まず、ボケ担当の塙さんが話題のキーワードに関する紹介文の原稿のなかにボケを次々に書き込んでいきます。


次に、その原稿を受け取った相方の土屋さんがボケに対するツッコミを考えていきます。


正しい情報をズラしてボケる。ボケに反応して気の利いた一言を添えてツッコム。


ツッコミは「おかしなことを言うボケ」に対し、その間違いを素早く指摘して訂正する役割があります。


ツッコミは、それがどんなふうにおかしいかをわかりやすくしつつ、その間違いを素早く指摘して訂正します。


訂正して、本来の正しいとされるラインに引き戻します。

いかがですか?


これはわかりにくい箇所(ボケ)に気づき、それがどんなふうにわかりにくいかを分析し、指摘して訂正する「わかりやすくするためのリライト術」と基本は同じだとおわかりいたけたと思います。


メルマガでお伝えしてきた「わかりやすくするためのリライト術」は、ずっと昔からお笑いの世界で行われてきたことにたいへん似ています。


日本語の勉強や文章の勉強というと、机に向かって真面目にやらなければならないと思いがちです。


いやいや、そうではありませんね。


楽しみながら学んだっておおいに結構。


真面目はいいことですが、真面目すぎる話を聞いているとたいていあくびが出てしまいますよね。


人を楽しませることができれば、自然とあなたの話に耳に傾けてくれ人は増えていきます。


それに、人を楽しませるには自分が楽しむことが基本です。


お笑い芸人たちは、嫌々に芸人をやっているのでしょうか。


もちろん、芸人をやっていれば辛いこともあるでしょう。


でも、芸人をやっているのが楽しくてしょうがないから続けていけるのだとおもいます。


ナイツの漫才は言葉を使う芸の本質を表していますので、たいへん興味深く、楽しませてもらっています。


ぜひ、皆さんもナイツのネタをご覧になってみてくださいね。


ナイツの漫才「宮崎駿」

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現代日本における国語力の目安とは

麻生首相が世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」の特別講演で、以下のように漢字の読み違えをしました。

「決然」を「けんぜん」

「見地」を「かんか」

「基盤」を「きはん」

麻生首相は以前にも「踏襲」を「ふしゅう」、「頻繁」を「はんざつ」、「未曾有」を「みぞゆう」と読み違えていましたね。


ダボス会議での漢字の読み違えは、また誤読するんじゃないの? という国民の期待(?)にこたえたのでしょうか。


お笑い芸人ならそんなボケも大歓迎でしょうけれど……。


正しくは以下のように読みます。

「決然」→ けつぜん

「見地」→ けんち

「基盤」→ きばん

一般的にみてもけっして難読とはいえないような漢字の読み間違いを繰り返しては、国語の基礎や基本ができていないのではないかと疑われるのもいたし方ないのかなとも思います。


それこそ日本語の使い方の基盤が固まっていないということなのでしょうか。


この影響なのか、こんな本がたいへん売れているそうです。


「読めそうで読めない間違いやすい漢字」

本屋だけでなくコンビニでもワンコインで買えるのが好評の理由だとか。


パソコンの普及によって漢字が書けないのは致し方ないとしても、漢字が読めければキーボードで漢字を入力・表示することもできません。


漢字が読めるかどうかは、現代日本においてその人の国語力をはかる基準になっているといってもいいでしょう


まずは基本となる漢字の読み方と意味を学習することからはじめてみるのも良いですね。


読めそうで読めない間違いやすい漢字読めそうで読めない間違いやすい漢字
出口 宗和

読めないと恥ずかしい漢字1500 -日本人なら、これくらいは知らなくちゃ! そんな言葉づかいでは大恥をかく―常識知らず、とバカにされないために 書けそうで書けない漢字2000―あいまい書き・うっかり書き実例集 (講談社プラスアルファ文庫) 間違えると恥ずかしい日本語500 知らないと恥をかく常識な日本語700問―あなたの日本語チェックと、言葉力アップが同時にできる本 (KAWADE夢新書)

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01/31/2009

東国原知事の「力」の出どころ


あるとき東京に来ていた東国原知事が皇居の近く(おそらく麹町あたり)をランニングしたていたときに偶然、ロケ中の女優で元妻のかとうかずこさんに遭遇しました。


ふたりともおもいがけない急な再会におどろき、二言三言ことばを交わしてその場で別れる様子がテレビで紹介されていました。


この再会はテレビ制作サイドが仕込んだものではなく、まったくの偶然だったそうです。


東国原知事のマラソン・ジョギング好きは有名で、時間をみつけてよく走っているとか。


皇居の周りは都心のランナーたちのジョギングやランニングの代表的なコースとして知られていますから、毎日のようにそこをランニングしていれば東国原知事をみかけるかもしれませんね。


宮崎県知事に就任してから2年。知事としてマニフェストの達成状況などを検証した早大マニフェスト研究所の事務局長は東国原知事を「総合評価は84点。したたかなマネジメント」と採点しました。


一部では厳しい意見もあるなか、ある県民アンケートでは支持率が91,8%だそうですから、すごい数字ですね。


お笑い芸人から政治家へ転向すると決めてそれを口にしたとき、おそらく多くの人が「なにをバカなことを言っているんだ」と相手にしなかったでしょう。


お笑い芸人として知名度は高くても、ゴールデンタイムに冠番組を持てるようなタレントではなく、不祥事もあって芸能活動を謹慎。さらに妻と離婚。そんな男の決意表明にほとんどの人が「政治家なんかになれるわけがない」と思ったことでしょう。


それでも彼はやりつづけ、宮崎県知事になりました。


継続は力なり。という言葉があります。


継続するのは大変という印象を抱くかもしれませんが、実はそれほど難しくはありません。


人はよっぽどのことがないかぎり、変化を好まないからです。


たとえ現状に満足していなくても、周囲に人々がそのままで良しと言うなならば、毎日の生活のリズムを崩したいとは思わないもの。


だから、現状のままでいるのは、実はそれほそ難しくはないのです。


ほんとうに難しいのは「やめる」ことです。


わかりやすく言えば、目の前に立ち塞がる現状という壁を打破することです。


「壁」を打破することに周囲のだれも賛成していないように思えても、「壁」そのものがそもそも存在しないとだれもが口をそろえたとしても、己の信念と決断に従って我が道を歩みつづけること。


そういう道を歩みつづける「継続」はたいへんな困難を伴いますが、必ず「力」となります。


そのまんま東がお笑いタレントを辞めて政治家になろうと決意して、その道を歩み始めたとき、周囲はなんといったでしょうか。


一番身近にいたはずの妻はどうしたでしょうか。


我が道を突き進む「継続」を遂行できる人間は、残念ながらひとにぎり、いや、ひとつまみです。


最近でこそ健康や環境に配慮するとして、ジョギングやマラソンだけでなくウォーキングもブームになり、それがカッコいいライフスタイルだといわれてもてはやされるようになりましたが、ひとむかし前までは「走っている」といえば、ちょっと変わり者みたいな目でみられることもあったでしょう。


いまではある人は健康のため、ある人はマラソン大会に出場するため、またある人は趣味でなど、人それぞれの理由と目的でジョギングやマラソンをします。


これらすべてに共通しているのは、だれかにそれをしなさいといわれてしているのではないことです。


なかには学校の体育の授業で走らされている人もいるかもしれませんが、継続して走りつづけるには、授業に関係なく自らの意思で決定し、それを実行し続けなくてはなりません。


だれからも強制されることなく、たとえ周囲の人間の賛同を得られなくても、己が決めた道を歩み、走りつづける。


そこに「継続は力なり」という言葉のほんとうの意味があるのではないでしょうか。


日本で生まれ育った多くの人は、特別に意識しなくても日本語を話したり書いたりできます。


しかしそれらがより多くの人々にとって魅力的で、簡潔でわかりやすいとは限りません。


自分で気をつけていろいろと配慮しなければ、文章技術を磨くことはできません。


ジョギングで例えれば、よほどの「メタボ」ちっくでなければ、ジョギングをしないからといってそれではダメとは、まず言われないでしょう。


それでも自分の考えと決断によってジョギングをはじめ、それを続けるならば、やがてそれがより良い生き方を引き寄せる力となるのです。


継続は力なり。


この意味を今一度じっくり、骨となり肉となるまで吟味してみてくだい。


あなたの人生を豊かにする「力」を得るきっかけになるに違いありません。

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07/07/2006

中田英寿引退-伝えるむずかしさを知ることからはじめる-

サッカー日本代表選手の中田英寿さんが現役引退を発表しました。

まず、「Hide's Mail」の全文を転載します。


--ここから-----


“人生とは旅であり、旅とは人生である”2006.07.03

~1985年12月1日 - 2006年6月22日~

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”


ひで 


転載元 「nakata.net - 中田英寿オフィシャルホームページ」「Hide's Mail」

(中田英寿オフィシャルホームページ制作プロジェクトチーム様より転載・引用許諾を受けています)


--ここまで-----


さて、特に注目していただきたい箇所は以下です。


------

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

引用元 「nakata.net - 中田英寿オフィシャルホームページ」「Hide's Mail」

----


なにを上手に伝えることができなかったかといえば、日本代表選手たちが自分達の実力を100%出す術を知らなかったこと、それに気づいてもらおうとしたが最後まで上手に伝えることができなかった、というのです。

日本代表選手個人の技術レベルはとても高いといいながらも、実力を100%出す術を知らなかった。

これはとても注目すべき言葉です。

これは、ある人がとてもよいセンスと技術を持っていても、それを100%出す術を知らなければ世界では通用しないことを教えてくれます。

例えば、○○さんにサッカーをやらせたら世界中のどのサッカー選手よりも上手くなる運動神経とセンスと可能性を大いに秘めていますが、○○さんはコンビニエンスストアの店員だったとします。

こういった場合、まずは自分が何に向いているかを知ることからはじめなければなりません。

自分がサッカーというスポーツに向いていることを知って、一生懸命練習してサッカーの技術を身につける。ここまで到達できる者はごく一部でしょう。

しかしそれだけでは「サッカーが上手な人」にすぎません。

実力を100%出す術を知らなければ世界で勝ち抜いていくことはできないのです。


サッカーに限らず、あらゆる仕事においても基本は同じです。能力が高くてもそれを100%活かす術を知らなければならないのです。

100%生かす術を知らないということがどういったときにわかってしまうのか。

それは主に仕様書やEメールや連絡文といった「伝達文」によって明らかになります。

例えば、とあるプロジェクトAでの連絡メールの内容を1度読んだだけでは意味がわからずにもう一度読み直すといった経験はないでしょうか。

プロジェクトAに関する連絡メールを一度読んだあなたは、おそらくこれこれといったことを伝えたいのだろうな、ということはおぼろげながら推測できたとします。

次にしなければならないことは、自分の推測を検証するためにさらにもう一度読み直すことです。するとさらにもうひとつの推測も成り立つことに気が付くかもしれません。つまり幾通りにも解釈できる内容になっている場合があるのです。

こういった連絡メールでは、プロジェクトはいっこうには進みません。

サッカーでいうならば、選手個人の技術は高いのに、選手同士のパスがつながらないようなものです。

ではどうすればわかりやすい伝達文を書くことができるか。実はその前にしなければならない大事なことがあります。

それは技術を身に付けるまえに「知らなければならないこと・気づかなければならないこと」をしっかりと認識することです。

それを具体的にいうと、自分の能力・技術を100%活かす術を知らない、ということを知ることです。

ほかに、自分の能力・技術を100%生かす術を知らないかもしれないという可能性に気づくことです。

そして「知らないということを知ってもらうよう伝えること」がいかに大変かを実感することが大事なのです。


中田英寿さんはメールの中でこう書いています。


----

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

引用元 「nakata.net - 中田英寿オフィシャルホームページ」「Hide's Mail」

----


中田英寿さんでさえ、伝えることやコミュニケーションに自信がなかったといっているのです。

逆にいえば、絶えず「自分は何を伝えることができるだろう」「どのように伝えることができるだろう」と考え抜いていたからこそ、サッカーというフィールドで選手として活躍することができたのです。

まず知るべきこと、まず気づくべきことが何なのか。そして、何かを伝えるむずかしさを実感する大切さを知ることからはじめなければなりません(自戒を込めて)。

中田英寿さんの今後の更なるご活躍をお祈り申し上げます。

そして、こちらこそありがとう。


▼引用・転載元
「nakata.net - 中田英寿オフィシャルホームページ」「Hide's Mail」
(中田英寿オフィシャルホームページ制作プロジェクトチーム様より転載・引用許諾を受けています)

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03/24/2006

日本語で美しくなる

きょうはとっておきのお勧め本をご紹介しましょう。

やさしい気持になる、ほっとする、日常に潤いを与える670の言葉…読むだけで心が綺麗になる日本語の本です。

美人のいろは美人のいろは
山下 景子


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一日一語+&、370の素敵な言葉がつまった本です

4344007514美人の日本語
山下 景子
幻冬舎 2005-03

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これらの本の著者は山下景子さん。
通称「夢子さん」といえば、文章系メルマガ分野ではとても有名な方です。

夢子さんが発行するメルマガ

『センスを磨き、幸せを呼ぶ~夢の言の葉~』

を読むと「言葉」の美しさを感じることができます。

ほんとうに「言の葉」をすくいあげて内面から輝いていくような「透き通る力」が込められてる、そんなマガジンです。

夢子さんは「家庭画報」「関西ゼクシィ」などの雑誌でも活躍されています。

文章に興味がある方にとっては、はずせないマガジンですヨ。

もちろん私もこのマガジンの読者です。

『センスを磨き、幸せを呼ぶ~夢の言の葉~』

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02/10/2006

広告マン(ウーマン)になったつもりで


〈例文〉

「新商品を発売します。商品名は「ひと拭きキラリン」。いままでのお掃除はなにかとたいへんでした。まず汚れを落としてから水拭きして、それからワックスを塗って、乾拭きして磨く。そんなたいへんな作業をしなくてはなりませんでした。でも新発売となる「ひと拭きキラリン」ならそんな面倒な作業は必要ありません。なぜなら、このたび新開発された特殊な布を使えば汚れを落とすためにゴシゴシとこすらなくてもいいのです。 ではこの新開発した布についてご説明いたしましょう、まず ~~~」


これは新商品発表にありがちな商品アピールですね。発表している側、つまり製造・発売するほうにとってみれば、新製品がいかに画期的で便利なものかを知ってもらいたいという思いがあるでしょう。

だって研究開発にお金をたくさんかけて、研究員は睡眠不足になりながらも一生懸命開発したんですから。

でも「買うかもしれない側」にとってはそんなことはどうでもいいのです。それよりも、知りたいことは例えばこんなことです。


それは必要か?

それは使いやすいか?

それを使えば従来の品と比べてなにが有利(得)になるのか?

それは買う価値があるか?

    ↓

よし「買うぞ」または「買わないよ」(決意)


決意までの時間は人それぞれです。買うか買わないかを考えるときに知りたいのは、例えばこんなことです。


それで、いつ発売するの?

それで、値段はいくらなの?

それで、一袋に何枚入っているの?

それで、どこで売るの?(どこで買えるの?)


これらは基本情報です。新商品発表の際には、配布される資料に書いてある事柄です。


でも、資料に目を通さずに発表会だけを見る(聞く)人もいるでしょう。その方々のために、基本情報をスクリーンに映し出しておきましょう。

広告では、あえて発売日や値段を知らせないことがあります。詳細はこちらのウェブサイトへ。という方法で、興味を持ってくれた人にだけ情報を提供したり、お得なキャンペーン価格を適用したりといったことをします。

このように広告では「人が知りたいこと」を予測して、それをあえて伝えないことで、興味をもってくれた人(買いそうな人)を集めているのです。

たとえみなさんが商品を売ろうとしておらず、持っている情報を正確にわかりやすく相手に伝えたいだけだとしても、この広告の「視点・考え方」を利用しましょう。

なぜなら「相手が当然に知りたいと思うこと」を予測できるようになれば、的確なタイミングでその情報を提供することができるからです。


知りたいと思ったときにすぐに知ることができないと、人はそれを後回しにすることが多いでしょう。「あとで」としたものが、どうしても必要ならば「もう一度」ということになりますが、重要度や必要度や関心度が低いものなら「もう一度」(つまり二度目)はないでしょう。

ほとんどの「あとで」は「もうこれ以上いらない」だと考えていいのです。

知りたい事柄とタイミングは人によってさまざまです。どんな人のどんなタイミングにも対応できるよう、基本情報はひと目でわかりようにまとめて、目立つところに提示しておきましょう。


★広告の視点・考え方を持つ

★相手の「知りたい」を予測する

★基本情報は、ひと目でわかるようにまとめる

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付加情報を活用しよう


〈例文〉

「猫がゴミ袋をあさり、中身が散乱して汚れて困っています。ここはゴミ収集場所ではありません。ここの場所に家庭ゴミを捨てないでください」


この文章は「現状」→ 「場所の説明」 → 「お願い」という順序になっています。

言いたいことはわかりますが、もっとシンプルに、ストレートに書き換えてみましょう。

そのためには順序を変えます。

「お願い」→「場所の説明」→「現状」→「付加情報」としましょう。

また「ここの場所に」は「ここ」と「場所」が重複しています、どちらかひとつでOKです。

「家庭ゴミを捨てないでください」にすると、ならば「業務ゴミならいいのか」と考える人もいないとも限りません。「家庭ゴミ」とわざわざ限定する必要はありません。「ゴミを捨てないでください」だけでOKです。


「付加情報」も効果的です。「ここにゴミを捨てないでください。捨てるなら○○でどうぞ」とすることで、いままでそこをゴミ捨て場と思い込んでいた人に、正しいゴミ捨て場所を教えてあげることができるからです。

つまり「ここのゴミを捨てないでください」だけでなく「○○へ捨ててください」とさりげなく誘導することができるのです。

ここはダメ、といわれた人は、ではどうすれば? と思います。そんなこと自分で考えてよ、と思うかもしれませんが、方向(道しるべ)を提示してあげるとよいのです。


人は予期していない状況に直面したとき、自分で考えるよりも、より信頼できると思える人の指示があれば、それに従いたいとおもう傾向があります。

「付加情報」は大事です。「付加情報」によって道しるべを与えることで、信頼される確率が高くなります。

知らない町に観光に行って道を訊いたときを想像してみてください。

「○○寺へ行きたいのですが……」
「さぁ知らないね」

こう答えられて終わりなのと、次のように答えてもらうのとどちらがよいでしょう。

「○○寺へ行きたいのですが……」

「さぁ知らないね。でもこの先の団子屋のオヤジならなんでも知ってるから訊いてごらん」

後者のほうがよいですね。たとえ訊かれた自分は○○寺なんて知らなくても、○○寺についての情報を得られそうな場所や人を教えてあげれば、きっと感謝されるでしょう。


「付加情報」で道しるべを与える。
この方法の例としては、話の中で「ちなみに○○は△△です」とさりげなく付け足しておく、というものがあります。

「ちなみに」で話しておいたことを、後の話題への伏線にするのです。


「付加情報」は「道しるべ」

「付加情報」は「ちなみに」ではじめる「豆知識と息き抜き」

「付加情報」は「予告」


いきなり本題に入るよりも、あらかじめ「予告編」があったほうが、聞き手にも余裕ができて受け入れらやすくなります。


★「付加情報」を使ってみましょう。


〈リライト例〉

「この場所にゴミを捨てないでください。ここはゴミ収集場所ではありません。猫がゴミ袋をあさり、中身が散乱して汚れて困っています。この地域の家庭ごみ収集場所はこの先の公民館の裏です」

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02/09/2006

「なりきって」みよう

文章を書くのが苦手だ。

そう思っている方もいるでしょう。でも、それがいいのです。

苦手意識を持っていれば慎重になります。慎重に注意深くなります。

例えば知らない場所に行くとき。
一度も訪れたことがない場所に行くときは、住所を確認したり地図を見たりするでしょう。なぜそんなことをするのか? それは目的地にちゃんと辿り着けるか不安だからです。不安だからいろいろ調べるんです。

文章を書くのが苦手だ。

苦手だったらどう書けばいいのかいろいろ調べてみましょう。もちろん、皆さんはいろいろと調べたり勉強したりなさっているでしょう。そういう方にこそぜひ、たまにはやってもらいたいことがあります。

それは「文章の達人になりきって」みることです。

自分は達人だとイメージして、なんでもいいから書いてみるのです。文章にどこか間違いがあるんじゃないだろうか。言い回しがおかしくないだろうか。そんなことは考えなくていいのです。なぜならアナタは達人だから(笑)。

こうしてたまに「文章の達人になりきって」書いてみることは、目標とする自分に近づくために大いに役立ちます。

文章を書くのが苦手だ。だから勉強する。

それはとてもいいことです。でも、いつまでも勉強ばかりしていては「いつも勉強している人」にしかなれません。

アナタの目的は、文章がうまく書ける人、またはうまく話せる人になることではないですか?

そのためには、現在の自分と、なりたい自分との差を埋める必要があります。埋めるための訓練をするのはもちろんですが、ときには差が埋まった状態の自分になりきってみるのです。

理想とする自分にちゃんとなりきれれば、それは自信へとつながります。

自信をもつと格段に技術が上達します。精神的な足かせがなくなることで、思い切った変化を受け入れることができるようになるからです。

文章を書くのが苦手だ。という自分に対するイメージを持ちつづけたままでは、いつまでたっても変われないのです。

たまには、理想とする人物になりきってみることです。なりきって好きなように書いてみてください。

書いたものはそのまま数日寝かしておきましょう。

そして数日後、今度は苦手意識を持った元の状態で読み直してみるのです。すると、ここもあそこも書き直したいという箇所が出てくるでしょう。

これが推敲です。
時間を置いて行う推敲のほかに「なりきり」による「違う自分」の視点を意識して持ち込むことによって、推敲の精度を上げることができます。

「なりきる」には目標をしっかりと定めて想像力を働かせる必要があります。こうして「なりきった」自分が書いたものを推敲すると、書き直したい箇所がみつかりますが、それだけではありません。

苦手意識だけだったときにはとうてい書けないであろう魅力的な文がみつかることがあります。そういうときは、おもいっきり誉めてあげてください。

自分で自分を誉めるなんて。と思われるかもしれませんが、自分の長所を見つけてそれを伸ばすには思いっきり誉めるのが効果的なのです。

そうすれば自信が持てるようになります。自信が持てれば、目標とする自分と今の自分との距離がどんどん埋まっていきます。


★苦手意識があるから成長できる

★達人になりきる

★「なりきり」によって推敲の精度を上げる

★長所を見つけて誉める

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02/08/2006

ページ番号を入れる


レポートや資料を作って印刷する場合を考えてみましょう。

こんなとき、どんなことに気を配るでしょうか。


文字を大きくする。

図を多く使う。

目次を作成する。

難しい用語には注釈をつける。


こられについてはじゅうぶんに配慮している人が多いと思います。

さて、じゅうぶんに配慮しすぎて、最後にひとつ忘れてしまいやすいことがあります。

それは「ページ番号を入れる」ということです。

なぁ~んだそんなことか。と思われるかもしれませんが、これがけっう忘れやすいのです。

なぜなら、資料やレポートを作るにの労力を使いきってしまい、印刷するときにはページ番号のことなど考える余裕がなくなっていることがあるからです。

例えば10ページに及ぶ資料を印刷した場合、クリップや紐でひとまとめにすることでしょう。

しかし、なにかのはずみでクリップがはずれたり、紐が解けたりして紙が散乱したら?

ページ番号が書かれていない、バラバラになった10枚の紙を順番どうりに揃えるのはたいへんです。

もしこういった状況になったら、たとえ資料の内容が良かったとしても、ページ番号が入っていないだけで読み手をイライラさせてしまいます。

資料を束ねていたクリップがはずれ(紐が解けた)て資料が散乱するという想定外のアクシデントに遭遇した人は、なるべく少ない労力で早く確実に元の状態に戻りたいと願います。

そんなとき、かき集めた紙を元通りにする唯一の手がかりといっていいものがページ番号なのです。

たとえ資料が散乱しなくても、例えばプレゼンテーション中にプレゼンターが「お手元の資料の5ページを参照ください」と言ったら?

このとき、もし資料にページ番号が入っていないと、資料の中の目的の場所をみつけることは難しくなります。

というわけで、ページ番号を入れることを忘れずに。


また、ページ番号と一緒に資料の題名も入れておきましょう。他の似たような資料とごっちゃになったときに、題名がすべてのページにページ番号と併記してあれば、それが何の資料かひと目でわかるからです。


さて、たまに目次があるのにページ番号が入っていない資料にお目にかかることがあります。

資料の作り方を山登りで例えれば明快です。

目次は、登山口の案内図。

ページ番号は、登山道の途中に看板(現在何合目か書かれている)。

10合目が頂上であることは皆わかっていますから、仮に5合目と書かれている看板をみれば、いま半分まで登ってきたことがわかりますね。

これを資料作成に活かすには、ページ番号を入れる際にページ総数と現在のページ数の両方がわかる書き方をすればよいのです。

具体的にどんなかんじになるかは、こちらの無料レポートを参考にどうぞ

 ↓ ↓ ↓

無料レポート

「『Mr.インクレディブル』が教えてくれる、子供の才能を限りなく伸ばす方法」

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01/27/2006

カタカナ英語をモノにするには

日本語のなかには、いわゆる「和製英語」と言われるものがあります。


例(括弧内が英語の正確な表記)

●「字幕スーパー(subtitles)」

●「サークル(club)」

●「ゴールデンアワー(prime time)」


日本で生まれ育った人にだけわかればそれでいいのなら、これでもよいでしょう。

しかし、英語っぽく聞こえるこれらの「和製英語」を「英語」だと思い込んで使っていると、思わぬ誤解のもとになることがあります。


広い意味でいうところのこういった「カタカナ英語」にはいくつかの種類があります。

ある方によりますと、以下のように分類できるそうです。


●「ジャパ英語」
  いわゆる和製英語。

●「ヘタ英語」  
  本来の英語とは異なった意味で使われているために誤解されやすい。

●「ニセ英語」
  英語ではないのに、英語だと思われている外来語。


カタカナ語は現代の日本に溢れています。カタカナ英語を使う際は、対応する本来の英語はなんというのかを知っておくとよいでしょう。


あるカタカナ語を使う際に、それが和製英語だとわかっていて使うのと、英語だと思い込んで使うのとでは大きな違いがあります。


和製英語だとわかって使う場合というのはつまり、和製英語のほうが相手により正確に伝わるであろうことを予想できた、ということです。


和製英語だとわからずに(知らずに)使う場合というのはつまり、どんな言葉を使えば相手により正確に伝わるであろうか、ということを予想しない(考えもしない)ということです。


相手の立場になって考える(想像する)ことが、わかりやすくする秘訣です。


カタカナ英語を使う場合でいうと、相手の立場になるとはつまり、それが和製英語かどうかをわかっているかどうか、ということなのです。


カタカナ英語については、ひとつひとつを検証して知識として身に付けるようにしましょう。


とはいっても、巷に溢れるカタカナ英語をどのように攻略すればいいのでしょうか。


そこで、先ほど「カタカナ英語」の3つの分類をした「ある方」にその秘訣を教えてもらいましょう。


巷にあふれるカタカナ英語の中には、外国人には通じないものがたくさんあります。


カタカナ英語の中には、本当の意味を知ったら思わず赤面の●●●や、発音に気をつけないと、とんでもない誤解を招く▲▲▲などがあります。


世界を舞台に活躍したいあなたにも、海外旅行が趣味のあなたにも、外国人とお付き合いしたいあなたにも、失敗談を元にして楽しくアドバイスしてくれているものがあります。


多くのサイト管理者が、間違って使っている●●●●●●の本当の意味とは?


【仕事・学校編】【買い物・旅行編】【身近な道具編】など、場面ごとに誤解しやすいカタカナ英語を抽出して解説してくれています。


∇無料レポート

『知らなきゃ赤恥!カタカナ英語のミステイク』


和製英語だとわかって使うのと、わからないで使うのとでは大きな違いがありますよ。
普段はだれも気にしなくても、イザというときに正確な英語を知っていると、きちんと「使い分け」ができます。


より正確な言葉を選ぶ、というのはわかりやすくする基本技術なのです。

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