04/19/2008

映画「Sweet Rain 死神の精度」

監督:筧昌也
日本/2007年/113分
原作:伊坂幸太郎「死神の精度」

「死なない=生きること」を知らない死神が、対象の人物の才能に触れて人生をみつめる良作。光っているのは「こにたん」と「金城武」だけじゃなく他の俳優たちも。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
死神の千葉の仕事は、不慮の事故で亡くなる予定の人間の近くに現れ、7日間観察して「死を実行」するか「生の見送り」するかを決めること。

千葉は3つの時代でそれぞれ対象となった人間の前に現れて、その判定をする。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△千葉
死神。おだやかな性格で天然。

▽藤木一恵
OL

▽かずえ
理髪店店主。

△藤田敏之
ヤクザ

△阿久津伸二
チンピラ。藤田の舎弟。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
「死なない=生きること」を知らない死神が、対象の人物の才能に触れて人生をみつめる良作。光っているのは「こにたん」と「金城武」だけじゃなく他の俳優たちも。

■「浮いてる」死神

死神と聞けば、大きな鎌を持った骸骨というイメージを思い浮かべるでしょう。

しかし、今作の死神の外見は普通の人間と同じです。

たとえば葬儀の参列者の中に、見知らぬ人がいとしてもたいして不思議には思わないでしょう。

人生。どこでどんな人に出会い、どんなひと時を過ごしたかのすべては、故人にしかわかりません。

葬儀に見知らぬ人が参列しても、黒っぽい服装をしていれば故人となんらかの付き合いがあった人だとみなされるのが普通です。

でも、故人が亡くなる数日前からその見知らぬ人をちょくちょくみかけるようだと……。

その見知らぬ人は、もしかしたら「死神」かもしれません。

死神が現れたら近いうちに死ぬ。

そう思われているけれども、かならずしもそうともかぎりません。

死神は不慮の事故で死ぬ予定(不慮なのに予定? というツッコミは無しで)の人物の近くに現れて、その「死」を実行するか見送るかの最終判断を任されています。

とはいえ、ほとんどの場合は「実行」であるけれどれども……。

電器製品を販売している会社の苦情処理受付係の女性・藤木一恵の前にその男が現れたのは、ある雨の日でした。

主人公の死神・千葉は雨男です。いまだかつて青い空をみたことがない死神です。

千葉の口癖は「君は死ぬことについてどう思う?」というもの。

そんなことを唐突に訊かれても……。

そんなことを出会って間もない相手に尋ねるなんて、ちょっと変わっている人だと思われることでしょう。

そのとおり。変わっています。なぜなら、死神ですから。それも天然のオマケ付の死神です。

死神だから天然なのかと思いきやそうではありません。なぜなら他の死神たちはけっこう割り切って普通(?)に仕事をしているからです。

おそらく対象者に「君は死ぬことについてどう思う?」なんて尋ねません。

だだし、死神たちには共通点があります。

それは音楽が好きなこと。千葉は音楽のことを「ミュージック」と言います。ちょっと「浮いてる」言い方ですが、千葉は天然の死神ですから、そのぐらい「浮いている」ほうがいいんですね。


■ 塩忘れるな?

ラテン語で「メメント・モリ」。

塩重ぇ。塩忘れるな。

そんな訳は誤りで、より正確には「死を想え」「死を忘れるな」。

(↑またダジャレかいッ!)

キリスト教では主に、死を意識することによって生きているときによい行いをして天国に宝を蓄えるように、という意味で使われます。

つまり、人間はいつか死ぬのだから、生きている間に好き勝手思う存分楽しめ、というとらえ方をすべきではないということです。

「Sweet Rain 死神の精度」の原作は日本人作家、伊坂幸太郎の「死神の精度」です。原作者がキリスト教と関連がある人物かどうかは不明ですが、死を想うことは生を想うことでもあり「生と死は表裏一体」であることについては誰しもうなづくでしょう。


■ 数歩離れて人生をみつめる

死神の対象となる人物は、近いうちに自分が死ぬとはおもっていません。不慮の事故によって亡くなる予定だからです(不慮なのに予定ってやっぱおかしくねぇ?笑)。

私たちのうち、多くの人もそうです。

病気でもなく、自殺を考えているわけでもない自分がまさか近日中に死ぬことになるなんて思ってもいないでしょう。
でも、生きることは死を想うことと一体なわけです。

意識・無意識の違いこそあれ、人は死と隣り合わせで、死と共に歩んでいます。

人間にとってもっとも身近な死。避けられない死。

そこに焦点を合わせる作品は数多いけれども、どこかしらユーモラスでありつつ、じっくりと人生に向き合うかのような作品はまだまだ少ないですね。

「Sweet Rain 死神の精度」は死神という視点で数歩離れたところから「人生」を見つめる作品です。


■ その他

3つの時代のパートから構成されています。

主題歌を歌う歌手役でもある「こにたん」こと小西真奈美さんは、1番目のパートに出演します。

こにたんファンのハートをまずはがっちりキャッチする狙いもあるのですが、各パートの順番には意味があります。

皆さんの予想どおり3つのパートは別々の時代の別々の物語であるようで、ラストへ向かって収束していく構造になっています。

そういった物語構成法はけっしてめずらしいものではなく、どちらかといえばよくあるもの。

ですから謎解きや意外性を期待するような作品ではありません。

作品の魅力は「雰囲気」と、それを作り出す役者さんたちにあります。

こにたんのキュートさのほかに天然の死神役の金城武に注目が集まりがちですが、2番目のパートに登場するチンピラ阿久津伸二役の石田卓也さんもいい味をだしています。

阿久津と千葉がはじめて出会う土砂降りのシーンはそこらへんの漫才よりも数倍面白くて笑えます。いま思い出したただけでも笑えます(^^)。

3番目のパートで千葉は老女に会いにいきます。老女は町はずれの海沿いで、家事手伝いのロボットを使いながら理髪店を経営しています。

老女は千葉に願いことをします。ある期日に小学生の男の子たちを店にたくさん呼んでほしいというのです。

なぜ子供たちを呼んでほしいのか?

その謎の答えを知ったとき、あなたは心を揺さぶられるでしょう。

映像をみるかぎりではところどころ学園祭の劇の大道具を使ったみたい(例:ロボット充電装置)だと思われるかもしれません。でもそれはおそらく意図的でしょう。凝るべきところにはしっかり映像効果をきかせています。

そうそう「わたしって醜いですから」という藤木一恵。それに対して千葉は間近でまじまじと彼女の顔をみつめ「しっかり見えていますよ」というボケのシーン。

ボケがどうのこうのよりも、こにたんが醜いって説得力ありませんからッ!

……オホン。つい個人的な感情がこもってしまいました。

ええ、そうです。私も「こにたん」きっかけで映画館に足を運んだひとりです。

ってそれだけじゃないですよ。ストーリー構築上の着眼点とキャラクターのインナーコンフリクツ(内的葛藤)が……。って必死にフォローしようとするほど……ですよね。

「こにたん」だけでなく、出演している役者さんたちは皆どこか憎めないというかあいくるしい感じなんですよね(富司純子さんには貫禄もあります)。

「役者さんたち」と「雰囲気」を期待して観る。すると、じわぁ~と人生に思いをはせることができる。そんな作品です。

いかにもなお涙頂戴っぽくないところがいいですヨ。

ちなみに千葉の上司という黒い犬は、実際にはメス。女の子だそうです。雨にずぶ濡れのシーンがあって、風邪をひかないかと心配になってしまいました。


デート      ○ 
フラッと     ○
演出       △ 
キャラクター   ◎ 
映像       ○
ボケ       ○
ファミリー    △
アクション    -
感慨       ○
人生       ○


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映画「ガチ☆ボーイ」

監督:小泉徳宏
日本/2007年/120分
原作:モダンスイマーズ「五十嵐伝 ~五十嵐ハ燃エテイルカ~」(作・演出:蓬莱竜太)

☆青春はガチンコだ☆欲をいえば優等生的で上手な出来を突き抜ける、いい意味での灰汁がほしい。人生はプロレス。ときにガチでいこう!チャットモンチーの主題歌がすばらしい。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
ひと眠りすると目が覚めていたときのことをほとんど忘れてしまう高次脳機能障害を負った青年・五十嵐良一が、大学のプロレス研究会に入部する。

プロレスの段取りを覚えられない五十嵐は、デビュー戦でガチンコ(本気で戦う)に突入。それが観客に大ウケして、五十嵐(マリリン仮面)は人気レスラーになる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△五十嵐良一(マリリン仮面)
大学生。

▽朝岡麻子
大学生。プロレス研究会マネージャー。

△奥寺千尋(レッドタイフーン)
大学生。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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☆青春はガチンコだ☆欲をいえば優等生的で上手な出来を突き抜ける、いい意味での灰汁がほしい。人生はプロレス。ときにガチでいこう!チャットモンチーの主題歌がすばらしい。

■ 青春世代による青春映画

青春映画の多くはオジさんやオバさんが作っている。

ところが「ガチ☆ボーイ」の小泉徳宏監督は1980年生まれ。主演の佐藤隆太と同い年の27歳。脚本家も30代前半だ。

青春を10代後半から20代に特有のものとするなら、ドンピシャリの青春映画をつくれるとみられているのが小泉監督というわけだ。

小泉徳宏監督といえば「タイヨウのうた」で劇場長編映画デビューした若手監督だ。作品の主要登場人物と歳が近いためか、彼が撮る青春映画はナチュラルな作風という印象がある。

自分たちの世代の話という感覚で映画をつくるので、肩肘張らずに青春の1ページを自然に切り取ってみせることができるのだろう。

いうまでもないが映画はつくりものだ。だが「つくりもの感」が出すぎるとワザとらしくなる。

だから、オジさんやオバさんが観客に自然だと感じてもらえるよう苦心するよりも、青春そのものである若いスタッフが映画をつくるほうが、より自然に近くなるというわけだ。

青春の中の青春。それを得意とするのが小泉監督だ。


■ 身体は記憶する

記憶の積み重ねによって、人は生きている実感を得る。

写真を撮ったり、写真アルバムをつくったり、ブログ記事を更新したりすること。それらは自分が生きてきた「記憶」を「記録」によって補完する作業でもある。

ひと眠りすると、目が覚めていたときの記憶をほとんどを失う五十嵐は、生きている実感を得ることができないと感じる。

そこでプロレスにのめり込む。たとえ記憶には残らなくても、プロレスで受けた傷や全身の筋肉痛は、自分が生きてきた証になるからだ。

「メメント」の主人公レナードは10分しか記憶が保てない。ポラロイド写真を撮ってメモを書き込み、追っている事件の大事な事柄を自分の身体にタトゥーで彫り込んでいる。

「ガチ☆ボーイ」の五十嵐も「メメント」のレナードも、一番確実なのは自身の身体に刻み込むものだというのを実感しているのだ。

歳をとってからスキーをはじめても、うまく滑れるようにはなかなかならない。もしも若いときにスキーが滑れるようになっていれば、歳をとってからもそこそこ滑れる。

このように、身体は慣れ親しんだ動きを記憶しているのだ。

身体に記憶させるものが多ければ多いほど、記憶の量は増える。脳に刻まれる記憶は、記憶違いや記憶の薄れなどによよってときに「ウソをつく」が、身体の記憶は驚くほど正直だ。

だから五十嵐はプロレスをつづけるのだ。


■ ガリガリ五十嵐は日本の姿?

現代日本社会は「身体」を感じることが難しい。日本のみならず、世界中の映画の世界でもCG技術を用いてどんなアクションシーンもコンピューターで作れてしまうことから「身体」を感じる作品はますます少なくなっている。

コンピューターを駆使した、脳にとって気持ちいい映画作品といえば「スター・ウォーズ」シリーズだが、マヤ文明を題材に身体を感じさせる映画作品といえば「アポカリプト」だ。

世界の国々の人々にとっての日本は、アキハバラに代表される電脳社会をイメージを喚起する。「脳で作り出した世界」を想像させる。

しかし日本も「アポカリプト」といった、身体を感じさせる作品をつくりだせる可能性がある。なぜなら、脳に支配された社会の特徴が日本には顕著だからだ。

その特徴とは、脳に支配された反動による「身体への渇望」である。

日本はいまや格闘技大国といわれている。世界中の格闘家たちが日本の格闘技トーナメントでの優勝をめざす。

五十嵐もまた、身長はそこそこあるものの、その身体はガリガリだ。とてもプロレスをやるような身体にはみえない。それにもかかわらず、マリリン仮面としてリングに上がり、体格のいいプロレスラーを相手に戦う姿に、現代日本の姿が重なるかのようだ。


■ 人生はプロレス。ときにガチでいこう!

ストーリーアナリシス(物語分析)や物語構造がどうのという話をしている割には、いままでほとんど語らなかったことがある。

それはプロレスだ。

プロレスの歴史はけっこう複雑なので詳細は避けるが、たとえばアメリカのプロレス団体のWWEは、シナリオがあのショープロレスであり、物語に重点が置かれれいるといっていい。

WWEほどまでとはいかなくても、日本でプロレスというときは、学生プロレスもふくめて段取りがあるのが基本だ。つまりガチンコではない。

「ガチ☆ボーイ」のプロレス研究会もガチンコではない。安全第一をモットーにしているので、レスラーたちには段取りをきっちり覚えてもらわなくてはならない。

仮にプロレスを人生に例えてみよう。

人生には段取りがある。みんなが段取りを守ることで社会が存続していく。だがときに段取りに縛られるあまりに、自分らしさを見失ってしまうことがある。

ときにはガチでいこう!

たとえそれにリスクがあるとしても、ときに人はリスクを承知で「愛すべきバカ」をしたくなるもの。そんなバカをすることを「青春を謳歌する」ともいう。

段取りを覚えようとしても覚えられない五十嵐(マリリン仮面)は、青春を謳歌しようにもなかなかできない観客たちに代わって、ひたむきにガチでリングに上がる。

毎日を生きた証を筋肉痛や傷として身体に刻み、たとえ自分の記憶に残らなくても他人の記憶に残る男になる五十嵐(マリリン仮面)は、こうしてヒーローになるのだ。


■ その他

親子、仲間、恋愛、青春、笑い、汗、涙。……よくまとまっているなぁ。上手だわ、コレ。

期待を裏切らない。でも、できることなら期待を裏切ってほしかった。

組み合わせは上手だけど、どこかで観たことがあるシーンを上手につなぎ合わせたようでもある。

欲をいえば、優等生的で上手な出来を突き破るような、いい意味での灰汁がほしい。

なにをどこまで期待するかは人によってだけど、予告編を見て予想したとおりのままを好印象として良しとするか、またはもうひと味ほしいと思うか。

私は佐藤隆太くんがお気に入りの俳優なのでけっこう楽しめた。けれど、もしも主人公が他の俳優さんだったらどうだろうと思ってしまう。

それに、テレビのスペシャルドラマでこれが放映されていたら、もっと満足度は高くなっていたと思う。

記憶を題材にした物語はたくさんあるなかで「記憶」と「青春」と「プロレス(身体)」という組み合わせは、なかなかグー!(エド・はるみ)。

「タイヨウのうた」とは違って「キャラクターが作られすぎた感」があるのは、プロレス研究会のマネージャー役のサエコさんの演技に顕著に出ている。

観ているこっちがハズカしくなる演技だが、男はああいうキャラクターに弱いんだよね。それを見透かすかのような素振りの演技を得意とするサエコさん。ハズカシさが青春につきものだとしたら……。サエコさんは青春映画に貢献しているということになる。

青春ばんざい!(なんのこっちゃ)。

おっと。書き忘れるところだった。主題歌はチャットモンチーの「ヒラヒラヒラク秘密の扉」。

この曲を小耳に挟むどころか、この局が小耳に突き刺さり、さらに佐藤隆太くんが主演と小耳に挟んで、映画を観にいく決心をした。

それほど耳に残る曲だ。もしかしたら作品よりも主題歌のほうがインパクトが強いかもしれない。

映画を観て作品レビューをいろいろ書いていると、映画の予告編や作品の冒頭を観ただけで、なんとなくだけど「これはスゴいぞ」というオーラのようなものを感じとれるようになる。

音楽でもそういうことがあるもので、チャットモンチーはすでに人気のガールズロックバンドだけど、彼女らの曲には、JUDY ANDMARYの曲をはじめて聴いたときのようなオーラを感じるヨ。

主題歌に惹かれて映画を観にいくのは稀だけど、それもまたいいものだネ。


デート      ○ 無難
フラッと     ○ めっけもん
演出       △ 
キャラクター   △ 
映像       △
笑い       △ 程よいがキレはイマイチ
ファミリー    △
アクション    ○ 
青春       ○ 青春の教科書みたい
主題歌      ◎ チャットモンチーはホンモノ!


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02/18/2008

映画「KIDS」

監督:荻島達也
日本/2007年/109分
原作:乙一『傷 -KIZ/KIDS-』(「失はれる物語」「きみにしか聞こえない」角川文庫収録)

原作の良さに映画化が追いつけていないのに、けっこうイイ作品にみえるのは、原作がスゴすぎるから。頼むからフツーにカレーを作ってMr.オクレ。再びもったいないお化けが! ホントウにもったいない……。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
工場で働くタケオは、街の食堂で不思議な能力を持つアサトと出会う。
食堂の店員シオも含めた3人は仲良くなるが、アサトの能力をめぐってそれぞれに変化が起き、試練が立ちふさがる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△アサト
男性。

△タケオ
男性。工場の工員。

▽シホ
女性。アメリカンダイナーの店員。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
原作の良さに映画化が追いつけていないのに、けっこうイイ作品にみえるのは、原作がスゴすぎるから。頼むからフツーにカレーを作ってMr.オクレ。再びもったいないお化けが! ホントウにもったいない……。

■ 翻訳家になろう

乙一さんの『傷 -KIZ/KIDS-』を読んだのはいつだったろう。原作の細部は思い出せない。

しかし短編にもかかわらず、いや短編だからこそ凝縮された内容とテーマの深さをヒシヒシと感じたことだけは覚えている。

その『傷 -KIZ/KIDS-』の映画化ときいて、今度こそは! と期待した。

というのは、あの映画作品を思い出したからだ。

乙一さん原作というすばらしいモノのみならず、成海璃子さんという魅力的な女優さんをキャスティング、さらには主題歌にDREAMS COME TRUEという好材料が揃ったにもかかわず、それらの魅力を映像でじゅうぶんに発揮できなかった映画「きみにしか聞こえない」を思い出したからだ。

誤解のないようにいっておきたいが、映画「きみにしか聞こえない」はいい作品だ。観ようかどうか迷っている人がいたら、ぜひ観るようオススメする。

とはいえ、小説と映画では表現形式が違うことを改めて意識させられたのが映画「きみにしか聞こえない」だ。

優れた原作小説を映画化するとは、表現形式の違いをしっかりとふまえたうえで本質を正確に伝えることが大事だ。言葉でいうところの翻訳作業が必要なのだ。

直訳ならだれでもできる。大事なのは翻訳元言語のいわんとする本質を、翻訳先言語できちんと伝えることだ。

元言語→●→先言語

この「●」の部分が翻訳作業である。翻訳ではたしかな技術を持った翻訳家が必要だ。

原作小説→●→映画

この場合の「●」部分はいうまでもなく監督だ。原作小説がある作品を映画化する場合、監督は小説と映画の間を取り持つ、いわば優れた翻訳家にならなければならない。

カレーライスをつくるとしよう。だれが作ってもけっこうおいしくできるのがカレーライスだ。

普通に作りさえすれば、ふつうにおいしい。いや、かなりおいしいカレーライスができるだろう。

もしも、なんじゃこりゃぁぁ、というカレーライスが出来上がったら、逆に聞いてみたい。どうやったらカレーライスでこんな味になるのか? ――と。

新鮮な野菜。高級肉。大好評ロングセラーのカレー粉。炊きたてふっくらご飯。

これらをどうやったらこんな味(あんな味)にできるのか。

原作はすばらしい。キャスティングもすばらしい。主題歌だってイイ。

これらをどうやったらこんな作品(あんな作品)にできるのか――。


■ だれでもカレーならおいしく作れそうなものだが

誤解のないようにいっておきたいが「KIDS」はいい作品だ。小池徹平くんと玉木宏くんが出演とあって、劇場も制服姿の学生や大学生ぐらいのワカモノがけっこうたくさん観にきていた。

それはけっしてアイドルを「見たい」だけでなく、作品を「観たい」という思いがあってのことだろう。そうでなければ、劇場を後にする観客たちの、あのような満足気な空気を感じられないだろう(←KYじゃないといいたい?)。

だからこそだ。

だからこそ、フツーにカレーライスを作りさえすればなぁ、と思わずにはいられない。

フツーにとはいえ、どんな作品を作るにせよ知的・肉体的にもたいへんな労力を要する。作品を作るだけでもスゴいことだ。だからけっしてフツーではないのだが、作品を作ろうとする人はどんなたいへんな労力も覚悟の上で挑むのであろうから、あえてフツーにという言葉を使わせてもらおう。

そんなこんなで、フツーにカレーライスを作ってくれればいいのだが……この監督……もしかして、天然なのか?


■ 天然なのか?

天然の監督がもっとも威力を発揮できる分野がある。

それは、おバカ作品だ。

天才とは究極の天然ともいわれる。天然はけっして悪いことではない。むしろ、一般人が喉から手が出るほどほしくても手に入らないものだ。

最近になって天然(天才)監督ではないかといわれはじめたのが映画「XX エクスクロス 魔境伝説」の監督だ。

それはさておき「KIDS」の監督は、映画「きみにしか聞こえない」の監督でもある。

映画「きみにしか聞こえない」では、映像の特性をよぉくわかっているかのような演出を施してみたりする一方で、せっかく映像の特性を活かせるところなのにそれをまったく使わなかったりもする。観ているほうとしては頭の中が「??????」でいっぱいになってしまった。

映画「きみにしか聞こえない」を観ている最中は、もしかしたらとんでもない演出を用意しているのでは? とも思ったが、なぁんにもなかった。ならばそれまでの意味不明に思える部分は、特になにも考えていなかったのかと思わずにはいられない。

――天然なのか?

いや、ちょっと慣れていないだけ。もしくはたまたま制作関係者のだれも指摘してくれなかっただけ。そう思いたかった。

そして今回も乙一作品を映画化する監督に選ばれたということで、原作者乙一さんは映画「きみにしか聞こえない」を観ただろうから、それなりの映像化作品としては満足されているのかもしれない。

とはいえひとりの観客としては、もう少しなんとかできたんじゃないかと思ったのが映画「きみにしか聞こえない」であった。


■ そのわざとらしさはなに? 

では次に映画「KIDS」について。

映画「KIDS」は、全体的にはいい意味でフツーに撮っている。だが、やはり気になる点はある。2つに絞って話そう。

ひとつは音楽。

作品のセットアップ。アサトはさびれた工場地帯にほどちかい道を走っている路線バスに乗っている。タケオは廃材置き場のような場所で街のゴロツキと喧嘩をはじめる。

そんな映像に「スタンド・バイ・ミー」の曲が流れる。

物語の主要登場キャラクターのシホが働く店がアメリカンダイナーとはいえ、なぜスタンド・バイ・ミーなのか?

「KIDS」の主なロケ地は千葉・木更津。

さびれた街の象徴として木更津でロケします。はいどうぞ。そんなやり取りがあったかどうかはわからないが「木更津キャッツアイ」をはじめ「気志団」などで文化活動(?)に積極的な姿勢を見せている木更津には、いい味わいがある。

その味を、なぜメリケンの歌で薄めてしまうのか?

原作に登場するのがアメリカンダイナーかどうかは忘れてしまったが、たとえそうだとしてもせっかくの木更津の味を無理矢理気味にメリケンの田舎の味にしまうかのようで、たいへんもったいない。

日本のちょっと(?)さびれた風景をしっかり描くことで、主人公たち、とくにタケオの心の風景を浮き彫りにすることができたのに……。

ふたつめは演出。

例によって原作はどうだったか忘れてしまったが、映画でタケオがアサトの不思議な能力に気づくきっかけが、塩の小瓶を念力で引き寄せるというものだ。

ちょっと手を伸ばせば届く塩の小瓶を、わざわざ念力を使ってテーブル上を滑らせるアサト。

フツーなら、どうしてもあとほんのちょっとだけ届かないから、だれにも気づかれないように念力を使うのを、偶然タケオに見られたとするのがよくある。

ほんのちょっとだけでいい。「どうしても届かない状況」を作ってほしかった。

ほかにもこんなシーンがある。

人の気配がまったくない住宅地の、長い間だれにも利用されずにゴミが散乱して草も伸び放題の荒れ果てた公園をきれいに掃除し終わったアサトとタケオとシホ。満足気に公園をみつめる3人。

そこへ「今だ!」と待ち構えていたかのように子供たちが、わぁ~いきれいな公園だぁ~、といったふうに喜んで遊具で遊びはじめる。

そのわざとらしさはなに? 

せめて、主要キャラクターの誰かが通勤・通学などの帰り道に子供の楽しそうな声がしてふとみると、例の公園で子供たちが遊んでいた、ぐらいのシーンを別に用意してはどうだろう。

ほかにもこんなシーンがある。

タケオがアサトに、子供のころに親父に付けられたアイロンの火傷痕が肩の後ろにあると話すシーンがある。ひと通りその話が終わると、アサトがふざけた様子を装ってその火傷痕にタッチする。

シーンが切り替わって翌朝。タケオは朝の着替えのときに、鏡に映った自分の肩にあるはずの火傷痕が消えていることに気づく。

いやいやいや。火傷の痕が消えていることに気づくのは、フツーにもうひとつふたつシーンをはさんだ後にしてはどうだろう。そうすれば場面転換に使えるから、わざとらしくなくスムーズに物語をつなげていくことができると思うのだが……。

公園に駆け寄って遊ぶ子供たちにしても、火傷の痕が消えていることに気づくタケオにしても、わざとらしさが出てしまっている。

そんなわざとらしさは、フツーに取り除くことができる。

それをしていないのは、フツーなら特別にワケや狙いがある場合に限られる。だが、結論からいえばそんな特別なワケや狙いはなかった……!

またしても頭の中に「?????」が浮かぶ。

監督はテレビの演出家出身らしいから、小説や映画では勝手が違うのかもしれない。

そうだとしても監督は映画「きみにしか聞こえない」を撮って何を得た(学習した)のだろう?

せめて、天然でなければ怠慢か、と思われないことを願う次第である。

映画「きみにしか聞こえない」にしても今回の映画「KIDS」にしても、F1に例えるなら、こんな会話が聞こえてきそうだ。

最高の整備チームスタッフをそろえたF1カーのドライバーが「ひとりじゃ運転できない」と言う。

「ラリーカーじゃないんだから、助手席もないし、ナビゲーター乗せるわけにもいかないからひとりで運転しろよ」

「できましぇん」

よくよくきいたら仮免中だっていうじゃないか。

「オイオイ。芸人じゃないんだから、笑えんよ。おいだれか、フツーのF1ドライバーを手配してくれ。フツーに運転できるならテストドライバーだっていいぞ」


■ 原作のスゴさ 

アサトは特別な能力を持っている。物体を動かすことができるという能力だ。

それを応用すると、人の傷を移動させることができる。それは外傷としての傷を引き受けるだけなく、傷に付随する心の傷をも受け止めることを意味する。

タケオの肩の火傷痕は、ただの火傷ではない。父親に受けた虐待の痕である。それでも父親を憎むことはできずにむしろ……という心の葛藤を含んだ父親とのつながりがその傷痕に込めらている。

だからタケオは火傷痕をアサトが取り除いたと知ったとき、怒ったのだ。

それでもタケオはアサトが自分が背負ってきた傷を肩代わりしようとしてくれたことに、心のどこかではうれしくも感じていた。

だからタケオは後にボロボロになった瀕死の状態のアサトに、負傷したうちの半分をよこせと言ったのだ。

傷を分かち合うことは、他人の傷に深く関わることを意味する。

そこにはリスクがつきまとう。だれも他人の傷をいくらかでも背負おうとはしないもの。

なぜなら、他人の傷を背負うことで、自分が傷つくことがあるからだ。

深く心が傷ついたアサトは、死にたいと願う。それでもただ死ぬではなく、死ぬなら他人の傷をできるだけ背負って死にたいと願う。そうして瀕死の重傷を負うアサト。

そこにタケオが駆けつける。かつてアサトが自分の火傷という心の傷を癒そうとしてくれた。だからタケオは、今度はアサトの傷の半分を引き受けようと申し出る。

こうして、お互い友によって生きる道をみつけたふたり。

はっきりいって、ちょっとやそっと物語づくりを勉強したからといって、こんな短編は書けない。技術がスゴいことはいうまでもないが、もちろん技術だけでは無理だ。そこに「魂」が入っていなければ書けない作品である。


■ その他

もったいない――。原作も配役もいいのに、ホントウにもったいない。

またしても、もったいないオバケが出てしまいました。

原作小説が深すぎるのかもしれません。深すぎるがゆえに、原作が良ければ良いほどに映画化は難しいのだから、なるべく厳しいようなことは書きたくはないのですが、たぶんそこそこフツーにちゃんとやればそんなもんフツーにおいしいカレーライスできるでしょ、ってなカンジなのでちょっと(カレーだけに)辛口にしました。

ジャガイモの芽をきちんと取る。ジャガイモを均等の大きさに切る。その程度のことを当たり前にちゃんとやるだけでいいんです。そうやってフツーに作ればおいしいカレーライスができるのは間違いないんだからサ。

父と息子。母と息子。友情。恋。

傷つけ合い、傷を分かち合う、人間の弱さと強さ。

切なさの達人と言われる原作者乙一さんは、人間の負の部分もしっかりと見据え、計り知れないあたたかさで包み込む。だから、ホラーでも切なさを醸し出せるのですね。というかホラーだからこそというのが正確かもしれないですね。

「KIDS」も、ある意味で『Yeah! めっちゃホリディ』(松浦亜弥)ならぬ「めっちゃホラー」ですから!

繰り返しますが映画「KIDS」はけっこうイイ作品ですヨ。小池徹平くんも玉木宏くんも栗山千明さんも適役だと思います。主題歌も耳に残りやすいイイ曲ですね。ロケ地も今をときめく(?)木更津です(病院の屋上のシーン。あれは木更津市役所の屋上ですね)。

ワカモノ向け映画というと、なにかと東京を舞台としたおしゃれ風な作品にしたがたるところを、いい意味でビミョーな辺りを舞台にするのはGOODですね。

なぜって、日本の9割以上は田舎ですから。身近なところにこそドラマがある。

アメリカ映画だって、田舎を舞台にした映画作品に名作が多いのはそのためです。

ちなみに、乙一さん原作小説の映画化作品では「暗いところで待ち合わせ」が特にオススメです。
(「↑田中麗奈さんが主演だからでしょ」「ギグッ。てそれだけじゃないよー」)


映画「きみにしか聞こえない」作品レビューもったいないお化け一族総出じゃ。

▼映画「暗いところで待ち合わせ」作品レビュー他者とのコミュニケーションを欲する者たちが「変化という恐怖」に立ち向かい、一歩を踏み出す物語。常人では考えつかない設定と、それを形にする技術と勢いに原作者のホンモノの力量さえ感じる。


デート      ○ 
フラっと     ○ 
原作       ◎ 
演出       △ チョイとわざとらしさが目立つ
キャラクター   ○ 栗山さんはマスクしても美人
映像       △ 
お涙       ◎ 
笑い       - 
ファミリー    -
アクション    △
人間ドラマ    ◎


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02/06/2008

映画「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」

監督:北村拓司
日本/2007年/109分
原作:滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』

魂の叫びを聞き取れるかどうかが分かれ道の現代版青春物語。心の内に秘められた葛藤をビジュアル化。耳を澄ませばきっと聞こえるはず。キミはシンクロできるか。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
高校生の山本陽介はある日、公園にひとりでいる女子高生雪崎絵理に出会う。すると天からチェーンソー男が降ってくる。絵理とチェーンソー男は超人的な身体能力で死闘を繰り広げる。陽介は毎夜、チェーンソー男と戦う絵理に付き添うことにする。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△山本陽介
男子高校生。寮生活をするふつうの高校生。

▽雪崎絵理
女子高校生。毎夜チェーンソー男と戦う。

▽渡辺
男子高校生。陽介の友人。

△能登
男子高校生。陽介の友人。バイク事故で亡くなった。

∵チェーンソー男
チェーンソーを持った大柄の男。毎夜、雪崎絵理の前に現れ、死闘を繰り広げる。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
魂の叫びを聞き取れるかどうかが分かれ道の現代版青春物語。心の内に秘められた葛藤をビジュアル化。耳を澄ませばきっと聞こえるはず。キミはシンクロできるか。 

■ ある教師のヒトリゴト

私は高校教師。(森田童子「ぼくたちの失敗」が頭の中で流れたキミはおそらくR35世代)

担任のクラスの生徒たちもそうだが、最近のワカモノはどうにもやりにくい。

昔はわかりやすかった。教師に突っかかってくるような骨のある熱~いワカモノがいたからだ。

ところが最近のワカモノは叱っても、場合によっては叱る前から空気を察して「すみません」とすぐに謝る。反抗どころか弁解しようとさえしない。そんなことをしても無駄だとわかっているから、何を言ってものらりくらりと受け流す。そんなヤツラばかりだ。

山本陽介。

この生徒もいまどきのワカモノらしく、呼び出して説教しようにも暖簾に腕押しだ。
仲のよかった友人の能登がバイク事故死したことだって、山本にショックを与えただろう。だから多少のやんちゃぶりはわからんでもない。俺だって若いときは無茶もしたさ。バイクが好きで今でも乗ってる。もちろん安全運転でな。
とはいえ山本は下宿先の学生寮にはいつもおらず、噂では毎夜のように他校の女子生徒と出歩いているらしい。

ほんまに最近のワカモノは何を考えてるんやら……。いうてもわるい輩やないんやけどな……。


■ ある男子高校生のヒトリゴト(1)

写真、絵描き、小説、バンド活動、作曲。

どれをやっても中途半場。いろいろと手を出してみても、そこそこやるとわかっちまう。自分にはたいした才能もないってことが――。

どこかに自分の居場所があると信じたい。だからいろんなものに挑戦する。挑戦すればするほど、あれもダメ、これもダメと現実を突きつけられる。それでもやりつづけるしかない。止まってしまうのがこわいから。


■ ある男子高校生のヒトリゴト(2)

なんだかわからねぇけど、俺は焦ってる。

高級肉をいくら万引きしたところで、能登との距離は縮まらねぇ。

そんなことはわかってる。けれど、なにかをしてなくちゃ気がおかしくなりそうだ。

能登の野郎。俺より先に逝っちまいやがって。完全に先を越された。死んじまったら追いつけねぇじゃねぇか。

それにしてもあの絵理ってコ。カワいかったな。

絵理ちゃんはひとりで必死に戦っていた。毎晩ひとりで。1ヶ月前からずっとだ。

俺はやっとみつけたんだ。能登に追いつく方法を。能登を追い越す方法を。

ひとりで戦う女の子を助ける。最高に格好よく意味のあることをして死ねたら、能登を越えられる。

だから俺は今晩も絵理ちゃんと共にいる。どこまでも一緒に戦うぞ。


■ ある女子高校生のヒトリゴト

毎夜、ひとりで戦ってきた。

彼が現れたときには、邪魔しないでって思った。

けれど、いつの間にか彼……山本陽介がいてくれるだけで、夜を乗り切れるようになった。

陽介がいなかったら、きっと私はずっと前に朝日を見ることはできなくなっていたかもしれない。

けれど、陽介が離れて行ってしまう。

陽介にはひとりで戦って勝つと強がってみせたけど、きっと今夜でわたしの戦いは終わる……。


■ シンクロ

毎夜、ふたりは思い出の地をめぐります。公園。プール。水族館。遊園地。時代劇テーマパーク……。

楽しい思い出が蘇ると同時に、それが二度と手に入らないという現実を突きつけられるたびに絵理は、生きる希望を見出せないまま迫りくる衝動との戦いを余儀なくされます。

あの日から毎夜、孤独な戦いを続けてきた絵理。ひとりで戦いつづけなくてはならないと思っていた。そこへ陽介が現れます。

陽介もまた、ひとりで戦いつづけていました。

絵理の戦いは生死を賭けたものです。陽介の戦いも生死を賭けたものです。

今夜死ぬかもしれない。明日をどう迎えたらいいのか。そんな思いでひとりで毎日を過ごしてきたふたり。

だからふたりはシンクロします。

もし、ある教師がふたりを見かけたら「こんな夜更けにふたりでおる。青春やなぁ。ってあの若い男のほうはウチの生徒やないか。なんや毎夜他校の女子生徒と逢引してるって噂はホンマやったんか」と思うかもしれません。

端から見れば夜の公園でなにをするわけでもなくふたりでいるワカモノ。そんな景色はありがち。そんな景色の数だけ戦いが行われています。

将来の不安。自分の居場所。愛する者を失った悲しみ。生きる意味……迫りくる苦悩という敵に押しつぶされそうになりながら日々戦いつづけています。

今夜で終わりにしよう。

そう思いながら毎日をなんとか生き抜いている若者たち。

彼らは特別ではありません。どこにでもいる普通の若者なのです。


■ ベースがあるのでぶっ飛べる

若者だったころの気持ちを忘れてしまった人には、当然ながらシンクロしません。

なんでチェーンソー男が空から降ってくんねん。なんでチェーンソー男と絵理は超人的な身体能力発揮して戦ってんねん。わけわからん。そう思ってはシンクロできません。

でも、若者や若者だった頃を思い出せる人は、チェーンソー男との死闘が何を表しているのかすぐにわかります。

若者の心の葛藤や心の叫びをチェーンソー男との戦いを通して描き出す発想は、あっぱれなぶっ飛び具合でGOODです。

題名に「ネガティブ」とありますね。人間の頭の中って若者にかぎらずたいていネガティブ思考になりがちです。みんなネガティブ。だからといってネガティブな内容をそのまま作品化してもますます暗く内(INにIN)に入っていきがち。

そういう作品が持てはやされた時代もありました。私小説が人気だったときみたいに。いえむしろ現代のほうが私小説は人気かもしれません。

若者の心境を綴ったとされるケータイ小説が次々にヒットする時代ですから。

「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」の原作は小説です。現代の私小説でもありますが、心境を表現するためにチェーンソー男を登場させるところに妙味があります。

チェーンソー男といえばジェイソン。毎夜現るというと、夢に出てくるフレディが思い起こされます。また、雪が降ると時間と空間が止まった異次元世界になるかのようなところは漫画「ウィングマン」(桂正和)で登場人物がディメンジョンパワーで異次元空間を作るところを彷彿とさせます。

いろいろな作品からヒント得て、戦いをどんなビジュアルで表現するか考えた。その結果、かなりぶっ飛んだ設定にしています。

これは若者の心の葛藤を、陽介の男性担任教師の視点を挟んで、ありがちな日常の風景と対比させるためにぶっ飛んでみせているのですね。

どこにでもある日常がしっかりとベースにある。だからチェーンソー男が空から降ってくるビジュアルでも、シンクロできる人にはかえってピンとくる、という仕掛けなのです。


■ 耳を澄ませば

若者の心の叫び。魂の叫び。

昔はバンドしたり、ツッパリしたり、大学に集まって機動隊とおしくらまんじゅうしたりと、たいへんわかりやすかった。

でも現代は特に若者の声を聞きとりづらいと感じる人たちが増えてきたのは間違いなさそうです。

……耳を澄ましてみてください。

ちょっと耳を傾けてみるだけで、若者や若者だった頃の心を持っている人の心の叫びは聞こえてくるはずです。

空からチェーンソー男が降ってきて女子高校生と戦う? 意味不明だな……と処理してしまっては時代の声は聞きとれません。

最近のワカモノはのらりくらりと覇気がなく何を考えているのかさっぱりわからんと感じるのもいたしかたないかもしれません。

現代は多種多様の分野に枝分かれして、昔ほどストレートでわかりやすくはありませんから。

現代の若者は、群れて暴走をしたり、みんなでおしくらまんじゅうをしたりといった「集団ごっこ」をほとんどしません。

個々で戦っているのです。それにシンクロするのはひとりやふたりぐらいかもしれません。集団といえるものまで大きくなれる時代ではないのです。

個々で戦うのは、昔の集団よりもたいへんかもしれません。集団であれば、それに容易に気づいた大人たちがそれとなく不安や葛藤を解消する助け船を出してくれます。

ところが現代は個々で戦わなければなりません。だから、ひとりひとりの心の叫びにそっと耳を傾けてください。

そうやってたとえひとりでもシンクロすればふたりになります。たとえふたりだけでも、乗り越えられる強さを最近のワカモノは持っていますから。


■ 実は真っ直ぐわかりやすい

あらゆる物語の主人公は葛藤を通して成長します。

葛藤こそがキャラクターに深みを与え、立体的にします。

まさに、葛藤と戦う主人公たち。

「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」はシンクロできない人に与えてしまいかねない「わかりにくさ」と反比例しているかのように物語の大通りをわかりやすく真っ直ぐに突き進んでいます。


■ その他

特殊映像効果もけっこうありますよ。

プールでの戦いのシーンの水の描写がみどころかな。

それと、セットアップがいいですね。

アレレ劇場間違えちゃったかな、と一瞬思っちゃいましたヨ。そんなちょっとしたハズし具合もわるくないですよ。むしろ惹きつける小技としてオモシロイ。

戦う女子高校生役の関めぐみさんは、どうしても「モー娘。」初期の頃の飯田佳織さんに見えてしまいます。関さんも飯田さんもただの美人さんではなく、得たいの知れないインパクトがあります。そうでなければ飯田佳織さんはとんねるずのタカさんに「ジェイソン」なんておいしい呼び名を付けてもらえなかったでしょう。

そうそう、飯田佳織さんは男児を出産されたそうですね。おめでとうございます☆

映画作品としてはもうひとつふたつ物語を煮詰めてグツグツさせてほしいですが、わるくないですよ。原作がいいからでしょうか「気持ち」が伝わってきます。

アクションだけを期待して観にいくと(アクションシーンもがんばってますが)ちょっと違うなぁと感じるでしょう。

これは青春物語です。

だれもが苦悩するあの頃のお話です。

青春作品は、多少無理をしてでもシンクロしなければ楽しめません。

たとえば、少年・少女の心を持って素直な気持ちで「現役」の空想に共振できればその波にノレる青春物語といえばこれです。
▼「キャッチ ア ウェーブ(CATCH A WAVE)」作品レビュー

そうそう、タイトルが長いカタカナで一度見ただけでは正確に言えないので何度も音読したくなるのがまたいいですネ。
ほら、チェーンソーの、えっとネガティブなんだけどハッピーみたいな作品あったやん。

なーんやそれ! と気になるでしょ☆


デート      ○ 若者(と若者の心を忘れない人)向き
フラっと     △ 
脚本勉強    ○ 
脚本       △ 主人公と能登との関係が描ききれてない
演出       ○ セットアップは意外性アリ
キャラクター   △ 130R板尾さんに味アリ
映像       ○ 
お涙       ○ 感受性による
笑い       △ 
ファミリー    -
アクション    △ アクション作品じゃないけどイイ線いってる
シンクロ     ○ きみはシンクロできるか
青春       ◎


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01/20/2008

映画「銀色のシーズン」

監督:羽住英一郎
日本/2007年/108分

ホイチョイのスゴさをあらためて認識させる作品。牧場の魚もおだてりゃ雪山滑る!? 漠然とした題名で30点取り損ねてる。赤点突破の攻略法を活用しよう。挑戦する箇所や焦点がズレてるゾ。ひとりだけ光ってる田中麗奈さんはゴーグル必須のまぶしさ。でも、もっと輝けたハズ。もったいナイ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
スキー客が減った白馬・桃山町営スキー場で、雪山の何でも屋をやっている若い男3人。

好き放題やっている彼らは地元住民たちからは雪山のバカ3人組といわている。

町営スキー場再興のための雪山ウェディングのプロジェクト第1号として、3日後の結婚式の準備で桃山町営スキー場にやってきた花嫁の綾瀬七海は全くスキーができない。

そこで七海は銀にスキーレッスンをしてもらうことにする。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△城山銀
雪山のなんでも屋。元モーグル全日本エース。

▽綾瀬七海
花嫁。三日後の雪山での結婚式のために、城山銀にスキーレッスンを頼む。

△小鳩祐次
城山銀の友人。元競技スキー選手。世界中の階段の手摺をスキーで滑ることが目標。

△神沼次郎
城山銀の友人。川をスキーで横断することが目標。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
ホイチョイのスゴさをあらためて認識させる作品。牧場の魚もおだてりゃ雪山滑る!? 漠然とした題名で30点取り損ねてる。赤点突破の攻略法を活用しよう。挑戦する箇所や焦点がズレてるゾ。ひとりだけ光ってる田中麗奈さんはゴーグル必須のまぶしさ。でも、もっと輝けたハズ。もったいナイ。

■ アノ名作に挑戦?

「銀色のシーズン」のテーマは挑戦だそうです。

自然環境の厳しい雪山で撮影したり、10トントラック7000台分の雪で撮影用モーグルコースを設営したり、ハリウッドの空中移動撮影カメラを使った「スパイダーカム」クルーが日本映画に初参加したりしたのだとか。

でも、ほんとうの挑戦はこういったことではありません。

では何に挑戦したか。日本映画のアノ名作に挑戦したのです。


■ 題名を聞いただけでヤバイっス☆

「私をスキーに連れてって」

これは1987年公開の、ホイチョイ・プロダクションズ3部作の第1作でスキーブームの火付け役となった作品です。

題名を聞いただけで、ユーミン(松任谷由実)の「サーフ天国、スキー天国」「BLIZZARD」が頭の中に流れ、車の運転前には地面をさわり「凍ってるね」といわずにいられない。写真を撮るときは「とりあえず」と言ってシャッターをきる。久しぶりにスキー場に行ってゲレンデで友人とはぐれて携帯電話がつながらないと「だめだ、あいつら山向こうだよ」といってしまう。

遠距離恋愛をする決心をして告白のために新幹線や車に乗ったら「5時間かけてフラれに行くんじゃバカだよな」とつぶやかずにはいられない。

10代20代の皆様のなかには、私がなぁにを言っているのかサッパリわからん、という人もいらっしゃるでしょう。

でも、30オーバーの方々は、うんうんと頷いているのでは?

さて、数々の名セリフを残した「私をスキーに連れてって」の題名に注目しましょう。

はい、これから今日の大事なポイントをいいます。試験に出ますからしっかり聞いてくださいね(先生キャラ?)


■ 赤点突破の攻略法

情景がイメージしやすく、リアクションしやすい題名をつける。

はい、これだけ抑えればヒット確率3割増しは間違いなし!

試験でこれだけ書ければ30点もらえます。ほか3割30点分はしっかり自分で勉強してください。そうすれば我が校の赤点ライン60点は余裕を持って超えられます。

挑戦するっていうなら、せめて赤点突破を目指さないといけませんよ。みんなやればできる子なんだから、もらえるポイントはしっかりもらっておく。コレ大事です。


■ 30点ちゃっかりしっかりゲットしなきゃ!

「私をスキーに連れてって」

は~い☆喜んで☆

スキー行くならやっぱ4WDだよね。宿はゲレンデ前のプリンスホテルを予約しなきゃ。あと、防水カメラに無線機も用意してと。出発前はユーミンのカセットテープを車のカセットデッキにかけていざ出発!

ちなみに無線とは、ここではアマチュア無線のこと。免許が必要でほかに開局手続きも必要。電磁層に反射して電波を飛ばすため、地球の裏側とも交信できる。「私をスキーに連れてって」に登場したのはパーソナル無線だったのか、そのあたりはよくわかりません。

さらにちなみにカセットテープとは、MD、CDより以前に流行していたオーディオ用磁気記録テープ媒体の規格のの俗称のこと。

スキーに行くなら4WDで、泊まるならプリンスホテルっていうのは映画「わたしをスキーに連れてって」公開とヒットによってできた流行を通り越して、ひとつのお約束となりました。

映画の題名を聞いた(見た)だけで、情景がイメージしやすく、好きな女の子にそんなこと言われたら喜んで連れていってあげちゃうよ、とリアクションをとりやすい。

題名だけで3割30点をチャッカリシッカリ取っちゃってるのが、よぉ~くわかりますネ。


■ ある男女の会話

銀色のシーズンって知ってる?

未来人とか宇宙人とかの衣装やろ? 

それいうなら銀色の「ジーンズ」でしょ!

そうそう、ブルーでもブラックでもない、シルバーのGパンやろ?

Gパンって……。せめてジーンズっていってよ。できればデニムっていってほしいわ。

銀色のGパンを履くと超人になる変身ヒーロー作品なんやな。

違うよぉ。銀色のシーズン。つまり、一面雪景色のウィンターシーズンのこと。スキーやスノボができるシーズンのことよ。

あぁ、そなんや。で、その雪の季節がどないしたって?

えっと、ウィンターシーズンでお客が減った白馬の桃山町営スキー場がもう一度町を盛り上げようと雪山ウェディングを企画して、それでそのスキー場にはバカやってる男3人組がいてさ、そのうちふたりは元競技スキー選手なんだけど、そこに結婚3日前の花嫁がきて……。

「フラガール」みたいな地元復興の感動ドラマなんやな。

違うよぉ。あ、でもそうともいえるかな。でも、主人公たちが華麗なスキーテクニックをみせてくれるのよ。

スポーツ競技アクションなんやな。

違うよぅ。あ、でもそうともいえるかな。でも、結婚前のヒロインが登場するのよ。

結婚前の花嫁に手ぇ出したらアカンやろ。不倫予備軍養成所なんやな。

違うよぅ。あ、でも結果的にそうなるかな。でも、そこにはちょっとした仕掛けというかサプライズがあるのよ。

略奪愛のドロドロ不倫ものなんやな。

だぁかぁらぁ。違うってば! 銀くんがさ、瑛太くんがカッコいいんだってば。

あぁ~いったい何やねん。そんなことより腹減ったわ。なんか食いにいこか。


■ 漠然としている

「銀色のシーズン」という題名からはこんな男女の会話がイメージできますが、それはまさのこの作品のわかりづらさを表しています。

早い話が漠然としているんですね。地域復興感動ドラマなのか、スポ根アクションなのか、恋愛ドラマなのか。題名からイメージできるのは、冬とか雪ぐらいのもの。もしかしたら奇抜なGパンをイメージしてしまうかも。

「私をスキーに連れてって」という題名からは、冬の雪山ゲレンデが主な舞台で、そこに女の子が登場して、おそらく男性にスキーに連れてってといってるぐらいだから、ふたりの関係はいいカンジなんじゃないのぉ~、とイメージが広がります。

スキー場を舞台とした恋愛物語だというのがスグにピンときますね。

題名だけで3割30点チャッカリシッカリ稼いでいるというのは、こういう意味なのです。


■ 必要なリアル

SF作品だって、ひとつのウソをつくために他は徹底してリアルにするもの。

都合良すぎでも、それが恋愛モノなら観客も大目にみてくれます。

でもね。砲台かっ! っていう装置で巨大花火ロケットを撃って雪崩起こしたり(そもそも勝手に雪崩起こしちゃアカンやろ)、悪天候で雪山に取り残された白いロングコートを着た七海を、上空からパラグライダーで降りてきた銀がピンポイントで見つけたり……。せめて、一生懸命に七海を探すシーンをいくつか入れてほしいナ。

探しても探してもみつからない。でも、ちょっとしたキッカケで偶然に七海がみつかった! そんな些細な偶然なら観客だって大歓迎です。

それなのに、悪天候のなか雪山で白いコートを着て横たわる七海を上空からイキナリみつけて降りてくるって。手抜き通り越してこれヤバイっしょ(わるい意味で)。


■ バカさ加減がむずかしい

銀をはじめとする雪山の3人組は、スキー場のレストハウスの屋根をスキー板で滑ったり、パラグライダーで上空から大量の「なんでも屋」のビラを配ったり、道路の上空をスキーで飛んで走行中の車に急ブレーキかけさせたり、町中の手摺をスキー板で滑ったり、滑走禁止コースの看板をスキー板で蹴り飛ばして(当たっちゃっただけ?)滑ったり、スキー場で金持ちそうな人をターゲットに当り屋をしたりと、やんちゃの域を通り越してもはや悪質な犯罪行為を繰り返しています。

そんな銀たちならず者たちを、町民たち(時代劇みたいな呼び方だにゃ?)は大目にみています。その理由は町の人々と銀との両方にある「甘え」に基づくものでした。

そのあたりの話をすると長くなりますのでやめておきますが、同じバカをするにも加減というものが必要です。

「私をスキーに連れてって」では、若者たちのグループの皆はいわゆるサラリーマンです。医者もいますが、ほとんどが会社などに勤めている人たちで、冬に休みがあればすぐにスキーに行っちゃうスキーバカ(ほめ言葉)です。

ゲレンデではトレイン走行(最近みないね)したり、多少スピードを出して滑ったりしてるぐらいなもの。唯一といっていいルール破りは、春まで滑走禁止で夜もダメな志賀万座ルートにやむをえない(と思える)事情で突入したこと。
ほかに車でスキー場をカッ飛ばして走行するイケナイシーンもちょいとありますが、基本的に緊急事態(物語におけるヤマ場)でなければ、皆スキー場のルールや人間としてのルールを守って雪山で楽しんでいる若者たちでありました。

観客としても、なんかいいネ、と思えるやんちゃぶり。それを青春といいます。

しか~し「銀色のシーズン」の銀くんたちの好き勝手し放題の有様は、青春ちゃいますもん。それに、銀たちのバカやってる理由が「甘え」って……気持ちはわからないでもありませんが、チョット主人公を応援しずらいデスね。


■ 無理やり青春か

世界中の階段の手摺をスキーで滑るぞ。川をスキーで横断するぞ。

どちらも無意味っていえばそのとおり。でもそもそもスキーだってゴンドラやリフトで上へ行って滑って降りてきて、またゴンドラやリフトに乗ってまた滑って降りてきて……の繰り返し。

無意味の範疇でいえば、同じようなものです。

無意味こそ人生。無意味こそ青春。

そこで青春の象徴の、仲間とワイワイ騒ぐシーンがあります。

金儲けのために温泉を掘り当てようと雪の地面に鍬みたいのを入れたら液体が頭上高く吹き上がります。

わぁー! わぁー! やったぁ掘り当てたぁ! とシャワーを浴びるようにずぶ濡れになって喜び合う男たち。でも待って。冷てぇぞ。これって水じゃん(出た東京・横浜弁?)

――無理やり青春。……寒っ。風邪ひくぞぃ。

観客は、かぁなぁり置いてきぼりをくらいます。


■ 挑戦する箇所や焦点がズレてる!?

監督は「LIMIT OF LOVE 海猿」でヒットを飛ばし、その勢いにのって今度は山猿だぁ! と意気込んで、名作「私をスキーに連れてって」に挑戦したのでしょう。

結果は「銀色のシーズン」を見てもらえれば一目瞭然です。

ヒットして資金が増えてズレちゃたんですね。なにがズレたかというと、挑戦するためにやるべきことの焦点がズレちゃったんです。きっと。

自然環境の厳しい雪山で撮影というのは、雪山を舞台にした作品ですからそういうものです。

熱帯雨林のジャングルを舞台にした作品だったら、暑いジャングルで撮影といわれればそういうものです。

だから場所は気候は別にしても、10トントラック7000台分の雪で撮影用モーグルコースを設営したり、ハリウッドの空中移動撮影カメラを使った「スパイダーカム」クルーが日本映画に初参加したりというのは、金をかけたというのであって、挑戦ではありません。

挑戦というのは、名作「私をスキーに連れてって」を研究して物語をしっかりつくることです。フィクションの割合とリアルさの割合を検証する。観客に納得してもらえるような登場人物の内的葛藤を絵(画)で表現し、それを克服するプロットをつくる。物語展開のテンポを調整し、粋な演出を施す等々。ほかにもやることはいっぱいあります。

ピクサーは作品をつくるのに、その多くをキャラクターづくりとストーリーの検証に費やすといいます。

名作に挑戦するには、そういった物語づくりに精を出さなければなりません。お金を費やすのは、物語づくりの結果として必要だということで、それを挑戦とはいいません。

挑戦したといえるレベルにあるかないかは「銀色のシーズン」を観た観客が判断することですが、タカは作品を観て、挑戦する箇所や焦点がズレていると思いました。

ちなみに同じ監督作の「海猿 ウミザル」はなかなかよかったです。それもそのはず、原作漫画がすばらしいからですね。

そのすばらしい原作漫画があったにもかかわらず同じ監督作「LIMIT OF LOVE 海猿」をコントにしてしまったのはスゴい!(皮肉ですヨ)。

それでも「海猿ブランド」のおかげで「LIMIT OF LOVE 海猿」はかなりヒットしました。

じゃぁ今度はオリジナルストーリーでやってやろうじゃないの。やるならあの名作に挑戦しておもいっきりぶつけてやろうよ。

――で、ぶつかってどうなったかは、観てのおたのしみ。

牧場の魚もおだてりゃ雪山滑る!?


■ 最大にして唯一(といっていい)のすばらしいみどころ

田中麗奈さんを観にいく。そのためだけにあってもいいと思える作品です。

もしも綾瀬七海役が他の女優だったら。いったい何を期待して観にいけばいいのかわからなくなってしまうでしょう。
3日後に結婚式をひかえた花嫁役の田中麗奈さんの出番が多いのがいいですね。

温泉入浴シーンがある(ナヌッ!)。雪山に映える白いコート姿がある。もちろんスキーウェア姿もある。彼女がスクリーンに映っただけで画面が華やかになり、深みも出る。

そんな魅力的な女優さんだからこそ、もしも物語がもっとしっかりしていたら? もしもヒロイン田中麗奈バージョンの「私をスキーに連れてって」があったら? もしも彼女が水着にきがえたら?(笑)と考えると、もっともっと魅力的な作品にできたであろうに。田中麗奈さんをせっかくキャスティングしたのに、もったいナイ。

そもそも七海は、かなり不安定な精神状態にあった超お騒がせなキャラクターとも受け止められられかねない設定になっています。

きれいでかわいい人じゃなかったら、現実ならいくら事情が事情でもブーブー非難ゴーゴーですよ。そんな中途半場な役どころになってしまったのも、俳優の魅力を活かせない力量の表れなのでしょう。

けれど、そんなの関係ねぇとばかりに田中麗奈さんは魅力的でしたけどネ。

ちなみに田中麗奈さんの魅力を堪能できるのがコチラ。どちらもオススメです。

「夕凪の街 桜の国」作品レビュー

「暗いところで待ち合わせ」作品レビュー


■ その他

普通に観れば、そこそこ楽しめる作品です。

欲をいえば、雪山が舞台とはいえ要所で雪山をはずしてくるテクニックやセンスがほしいですね。

「私をスキーに連れてって」のセットアップはたしか会社のオフィス。隠れるようにスキー板を持って出勤する主人公が現れるところだったように思います(違ったかな?)。ほかにもスキー場ではないシーンが挟み込まれていました。

あえて雪山以外のシーンを入れれば、ゲレンデの雰囲気を際立たせて、ストーリー展開にもメリハリを出せます。空間的な奥行きも出せます。

そんな技術やセンスが「銀色のシーズン」には見当たらない。

「銀色のシーズン」の狙いや、やりたいことはなんとなく伝わってきます。

スノボじゃなくてあえてスキーっていうのも、意気込みを感じます。

でも、元競技スキー選手の小鳩祐次のエピソードも知りきれトンボだし、銀と七海の心の交流を描くシーンも停滞気味だし。

記憶に残るシーンやセリフや音楽(曲)がないんですよね。

こうしたい、ああしたいという気持ちはあるんでしょうけれど、それが空回りしている印象を受けました。

お金のかけ方はオトナレベルでも、物語のつくり方は映画研究会の習作ガクセイレベルですね。

また辛口になってるぅ。

それもしかたないか。あの名作に挑戦しようっていうんだから。ハードルは当然高くなりますヨ。

もしか、あの名作に挑戦する気はまったくなかったらチンプンカンプンなレビューになってしまいますが、スノボじゃなくてスキーをメインにした雪山青春モノとくれば、あの名作を思い出さずにはいらませんよね。

「私をスキーに連れてって」をもう一度観たくなったちゃったナ。指で作ったピストルでバーン! で優(原田知世)の気持ちを表現する演出。ニクイですねぇ。実生活でもされてみたいですなぁ。

ホイチョイ・プロダクションズがなぜ映画作品を立て続けに量産しないのか。なぜなら、良作をつくろうと思ったら、ストーリーづくりにある程度の時間がかかるからです。

ホイチョイのスゴさをあらためて認識させられました。


〈ホイチョイ関連作品〉

▼「私をスキーに連れてって」

▼「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」作品レビュー
題名だけで60点超えてるヨ!


デート      × 彼氏が田中麗奈に夢中になってしまう(>_<)
フラっと     × 物足りない
脚本勉強    ○ よい教材に。名作と比較しよう。
脚本       × 
演出       × 
キャラクター   × パンチがほしい
映像       △ 
お涙       △ 
笑い       △ 
ファミリー    × 
アクション    △
挑戦       × 挑戦箇所がズレてる
田中麗奈ファン ○ もっと活かせるハズ

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01/19/2008

映画「武士の一分」

監督:山田洋次
日本/2006年/121分
原作:藤沢周平『盲目剣谺返し』(『隠し剣秋風抄』収録)

またまた出た! 骨抜き侍見参! 真タイトルは「怨み屋本店復讐編」!? 似てそうで本質が違う「モンテ・クリスト伯」と観比べよう。名作と一般作・駄作との違いとは? めざせ100作! ガス抜き用水戸黄門系作品。っていうてる場合か(笑)テレビ時代劇でじゅうぶん。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
海坂藩の下級武士である三村新之丞は気のすすまない毒見役をしている。
そんなある日、貝の毒にあたって失明する。

道場を開く夢を絶たれ、絶望に打ちひしがれるも、妻・加世の支えで生きる気力を取り戻す新之丞。

そんな折り、加世と番頭・島田藤弥との不貞を知る。さらに島田が卑怯な手を使ったことが判明し、新之丞は武士の一分をもって島田に果たし合いを挑む。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△三村新之丞
海坂藩の下級武士(30石)。藩主の毒見役。剣術は城下の木部道場の免許皆伝の腕前。
 
▽加世
三村新之丞の妻

△島田藤弥
海坂藩番頭。三村新之丞の上司。剣の使い手。

△徳平
三村新之丞に仕える中間。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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またまた出た! 骨抜き侍見参! 真タイトルは「怨み屋本店復讐編」!? 似てそうで本質が違う「モンテ・クリスト伯」と観比べよう。名作と一般作・駄作との違いとは? めざせ100作! ガス抜き用水戸黄門系作品。っていうてる場合か(笑)テレビ時代劇でじゅうぶん。

■ 不運な男

剣の腕がたち、勉学も秀才。そんでもって男前。

能力は高くとも一族・親戚に有力武士がいないため30石取りの平侍。

そんな三村新之丞のお役目は藩主の毒見役。台所の隣の部屋で殿様に出される料理の毒見をする日々だ。

自分の能力を活かせる仕事がしたいと思いつつも、どうでもいいような、つまらないと感じる仕事をしなければならない。

新之丞は思う(たぶん)。――おれはなんと不運な男よ。

とはいえ愛する妻もいるし、早く隠居して、剣の腕を活かせることをしたい。暮らしは厳しくなるかもしれないが妻の加世と助け合って自分の道場を持ちたい。そんな夢を持っていた。

その新之丞が毒見で貝の毒にあたって失明する。

同僚たちはいう。――三村殿はなんと不運な男よ。

不運な男(女)……それって僕(私)のこと? と観客は思わずにはいられない。

傍から見ればなんとラッキーで幸せな人だと思われていても、当の本人は「自分はなんて不運なんだ」と思っていることはよくある。

ラッキーかアンラッキーかは当人の感じ方次第だからだ。


■ 限りなく高くできるハードル

そもそも人間は幸せのハードルをいくらでも高くできる。

一流ブランドバッグを10個しかもっていない。最低でも50個持っていなければ不幸だと思えば、その人は自分はなんと不幸だろうと思っている。

50個持っても、次には100個持たなければ幸せではないと思いはじめる。

不幸や不運を考えはじめたらキリがない。

50石取りの平侍。お役目は単調。やりがいを感じない。自分の能力を活かせる仕事をしたい。だが、それができずにいる。

それは三村新之丞だけのことではない。多くに観客にあてはまることだ。

観客は新之丞の境遇に自分を容易に重ね合わせることができる。

そこへ、貝の毒にあたるというさらなる不運が襲う! 


■ 似ているが本質は違う「モンテ・クリスト伯」

貝の毒で失明して絶望した新之丞に自害を思いとどまらせたのは妻・加世の存在だ。

その加世が番頭・島田藤弥に騙され、弄ばれた。

新之丞は武士の一分をもって島田藤弥に果し合いを挑む。

果し合いを挑むといえば格好いいが、要するに復讐である。

これに似ているが本質は違う話に「モンテ・クリスト伯」がある。

「モンテ・クリスト伯」の悪役的な役割をもつキャラクターのフェルナンは伯爵子息だが長男ではない。爵位を正式に継ぐことはできず、愛する女・メルセデスも手に入れることができない。

フェルナンは愛する人を手に入れたいと思いながら、現状ではかなわぬ愛の悲しみはやがて友人エドモンへの憎しみに変わっていく。

フェルナンの√二乗、って違った。フェルナンの事情だってわからんでもない。

一方の主人公エドモンは愛する人メルセデスを取り戻したい(=自分を取り戻すため)。愛を失ったことで、愛を奪った者=フェルナンへの憎しみが生じる。

フェルナンとエドモンは、どちらも愛の力で動いている。違うのはその作用の方向であり、たどり着くのはかつての友人への憎しみの感情だ。

元友人同士。愛の力によって引き裂かれ、憎しみが生じる。

フェルナンとエドモン。どちらの気持ちも理解できるからこそ観客はいたたまれない。物語はエドモン(モンテ・クリスト伯)寄りで進むので、感情移入の割合は主人公側が大きくなるが、仇役のフェルナンだって只の悪者とは思えない。それが「モンテ・クリスト伯」が名作といわれる所以のひとつだ。

では「武士の一分」はどうか。

主人公・三村新之丞はもちろん愛の力で生きる気力をとりもどしたのだが、その愛の源である妻の加世を離縁する。

侍の風習や当時の考え方や武士の面子、愛してるが故にとはいえ、愛する人を遠ざけてしまう。

仇役の島田藤弥はどうか? 島田の事情だってわからんでもないと思えるだろうか?

そもそも、島田の事情なんて描かれない。加世が新之丞に嫁ぐ前からの知り合いで、今でいえば学生時代に学校の帰り道で見かけて一方的に恋心を抱いた島田。その後、親や親戚のコネで入社して重役に。部下の妻となった加世の不運に、権力をチラつかせて付け込んで手篭めにしてしまおう、イヒヒッ。

ってそんな男にいったい誰が、島田の事情だってわからんでもない、と思えるだろうか?

はじめから、島田の事情を描こうなんて気はさらさらないのだ。悪役が必要なだけ。復讐すべき相手を作り上げただけである。

悪役がいると楽だ。悪としての存在があれば、主人公はそれを倒すことだけに専念すればいい。だが、楽であるかわりに、深みはなくなる。

物語には悪役が必要な場合がある。とはいえ、悪役にも事情があるところをいかに丹念に巧く織り交ぜるか。それが名作と一般作・駄作との違いだ。

だから「武士の一分」は「モンテ・クリスト伯」と似ているようで、全く違う。

「モンテ・クリスト伯」作品レビュー

次に「復讐」について考えてみよう。


■ 武士道とは? そんなのわかるワケねぇ!?

武士道とは? 

現代に生きる日本人だって、それにはっきり答えられる人は少ない。なんとなく武士の精神、侍の気質といったものがぼんやりと浮かぶぐらいだ。

「武士の一分」といわれれば「あぁそういうことね」となんとなぁ~くうなづいてしまう。

では「武士の一分」とはなんなのか。それは新之丞の行動から推測するしかない。

新之丞がしたのは愛する人を遠ざけて、怨む相手に復讐したことだ。

新之丞はこんな意味のことをいっている。「島田に俺の怨みの一太刀をあびせてやりたいんだ」(台詞は正確ではありません)

はっきり「怨み」といっている。

やったことは「怨みによる復讐」。それを「武士の一分」という、なんとなく格好よさげで致し方ない事のように思わせる言葉にすりかえてみせる。

作品のタイトルが「怨みます。復讐します」「怨み屋本店復讐編」だったらどうだろう? それじゃぁ格好つかない。そこで「武士の一分」ときた。どうなんだ? このタイトル……。


■ げにおそろしきは……いつのまにか骨抜きに

「モンテ・クリスト伯」は憎悪にとりつかれそうなった男が寸でのところでとどまり、再び愛に生きようとする話だ。
「武士の一分」は、怨みと復讐にとりつかれた男の話だ。

「スパイダーマンシリーズ」や「ゲゲゲの鬼太郎」が復讐を重要なキーワードに新時代のヒーローを必死に描こうとしているのと正反対に「武士の一分」は実直なまでに庶民のガズ抜き用水戸黄門系作品の道を忠実に歩んでいる。

日本にかぎらず復讐モノは庶民の願望を形にしたポピュラーなもので、古今東西で娯楽としての需要がある。

日本では平日の夕方や毎週どこかの曜日のゴールデンタイムに「水戸黄門」を放映しつづけているのがその証だ。いうなれば鉄板である。

そんな鉄板作品があったっていい。だが、そういうガス抜き用鉄板作品は、それが「ガス抜き用鉄板作品」だとはっきりその姿を晒していなければいけない。

「武士の一分」は、ヘタこくと「愛のすばらしさを謳う感動作品」と思われてしまいそうである。

なぜなら、日本で生まれ育った人たちの涙腺を刺激するツボを知り尽くし、最も効果的にツボを押す技術を持ったベテラン職人が監督だからだ。

この監督にかかったら、どんな日本人も骨抜きにされてしまう。例えるなら歴代にわたり宮廷に仕える特別な専属料理人みたいなものだ。この料理人は王のために料理をつくるのではなく、庶民にどんな料理を作ってやればいいかを知り尽くしていて、庶民のために料理をつくる。たとえ王が交代しても、この専属料理人がいればしばらく国は安泰だと思わせられる。そんな料理人だ。そうこうしている間に国の政治は腐敗しつづけ、気がついたときには手のつけようがない状態になってしまった……なんてことにも。

げにおそろしきは……本質を巧みな技ですりかえようとすること。そしていつのまにか骨抜きにされてしまうことかもしれない。


■ その他

これもヤバイ(上記の意味で)。

「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」「武士の一分」……。

このまま100作めざすのかな?

キムタクは三村新之丞役が一番合っているようにみえました。

一番合っている役がコレって! キムタク主演の「HERO」も似たようなものだし、彼は新時代のヒーローにはなれそうにありませんね……。

「武士の一分」を観終わって、あぁスッキリしたぁ、といって3歩あるくと、さて何食べようかな、と切り替えが早くて済みます。

「モンテ・クリスト伯」を観終わると……深いのぉ、といろいろ思いをめぐらして考えさせられる。これを「余韻が残る」といいます。

私は日本人ですから「武士の一分」を観ているときはけっこうハマッてるんですヨ。だからこそオソロシくもなる。

観終わると、マジこれ(パリコレではない)ヤバイっしょ。ってことになる。だってこういうのは、平日の夕方や週に1度、テレビでさんざん放映してるやん。そんなの皆わかってる。まぁたまにはいっか。っていいながら映画でも同じことずぅっとやっていくつもり……なんだろうなぁ。その予算の10分の1でもいいから若手監督に与えて好きにやらせてあげてほしいナ。

テレビ時代劇でじゅうぶん間に合って……というか間に合わせてほしいものデス。

デート      △ 
フラっと     △ 
脚本勉強    × パターンはどれも同じ
演出       ◎ 職人技アリ
キャラクター   ○ 定番キャラ
映像       ○
お約束      ◎ 
安心       ◎ 期待どおり予定どおりで安心
お涙       ○ 狙いすぎちゃう?
おバカ      × まじめ
笑い       △ チョイあり
ファミリー    - 
アクション    ○ 
ワクワク     × お約束の展開
びっくり     × 
余韻       ×
時代       × 時代劇だけに時代におもいっきり逆行!?
ガス抜き用   ◎

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11/22/2007

映画「クローズ ZERO」

監督:三池崇史
日本/2007年/130分
原作:高橋『クローズ』

男って、いくつになっても子どもよね。男子高校生もおっちゃんもジィちゃんも、みんな大好き「数のゲーム」。いつものことながら山田孝之が存在感アリアリ。

ストーリー(概要)
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不良学生が集まる鈴蘭高等学校。鈴蘭制覇を目的に転校してきた源治は、めっぽう強い。
やがて源治は鈴蘭高校で一大勢力をつくりあげ、最大規模を誇る芹沢グループに戦いを挑む。


主な登場人物の紹介
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△滝谷源治
男子学生。

△片桐拳
鈴蘭OBのチンピラ。

▽逢沢ルカ
八百屋の娘。

△芹沢多摩雄
男子学生。芹沢軍団のボス。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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男って、いくつになっても子どもよね。男子高校生もおっちゃんもジィちゃんも、みんな大好き「数のゲーム」。いつものことながら山田孝之が存在感アリアリ。

■ 鈴蘭制覇がみんなの願いになるまで

鈴蘭時代には名も無き男だった片桐。鈴蘭卒業後、組に入っても後輩に顎で使われる名も無き(に等しい)チンピラ。
どの世界でも名を轟かすことができない男。それが片桐だ。

小栗旬くんのカッコいいところが見たぁ~い、という黄色い声援のなか、片桐というキャラクターの出番は源治(小栗旬)の次に多いぐらいだ。