04/05/2014

映画「LIFE!(THE SECRET LIFE OF WALTER MITTY)」

▼「LIFE!(THE SECRET LIFE OF WALTER MITTY)」

監督: ベン・スティラー
2013年/114分


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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■ 変わらない日常。平凡な毎日。


大冒険できるわけない。誰もがそう思い込んでいる。だからヒーローになって活躍する空想をする。オジさんだってそうだ。


雑誌「LIFE」の写真管理部で働く中年男ウォルター・ミティは、密かに想いをよせている経理部のシェリルに話しかけることさえなかなかできないでいる。


しかし空想の中では勇ましいヒーローになってシャリルのために大活躍をしたり、嫌味な新ボスに気の利いたジョークを言ってやりこめたりする。


ウォルターは中年男という設定だが、それは誰でもない。観客のことでもある。


人は自分とかけ離れたキャラにはなかなか感情移入できないもの。あのスーパーマンでさえ普段は冴えない男であり、人並みに、いやそれ以上に繊細に悩み葛藤する。だから観客はそこに自分と同じようなものを感じて応援できるのだ。


ウォルターも観客が共通点を発見しやすいキャラクターだ。


地味だから?


いや、そうではない。「いい奴」だからだ。空想モードに突入するとボぉーとしてしまうとはいえ、ぼんやりしていることなんて誰にだってある。自分と似ているところもある憎めない奴。それを人は「いい奴」という。

■ 語るより見せろ


空想の内容を観客に映像で見せることで、ウォルターの気持ちをいわば追体験できるようになっているのはとてもいい。


「語るより見せろ」の基本どおり、映像作品ではセリフで気持ちを説明したりナレーションを入れたりするよりも、行動でそれを表したほうがいい。


気持ちを伝えるアクションを空想で行うことで、主人公は動きを止めたままなのにアクションでそれを観客に伝えることができている。これはけっこうな高等表現技術だ。


ジッとしてしゃべりも動きもしないのに観客に感情を伝え、物語内の他の登場キャラクターたちからウォルターがどう見られているかも表現できている。しかも現実と空想の境界線が観客にわかるよう絶妙な線引きもできている。


もういちど言うが、これはけっこうな高等表現技術だ。

■ 旅立つまでが正念場


さて、主人公は物語の初めと終わりでは変化しているのが物語の基本。これがしっり貫かれているのも良い。


その変化のためには主人公は冒険に出る必要がある。冒険とは心の旅でもあるのだがここはあえてニューヨークからグリーンランド、アイスランド、ヒマラヤへと主人公を冒険に行かせている。その思いッきりが清々しい。


しかも主人公がなかなか旅立たないのもまた良い。「スター・ウォーズ」エピソード4でもルークはなかなか旅立たない。なぜなら旅立つための理由がしっかり伝わらなければ、観客は冒険に納得できないからだ。腑に落ちない、という言い方のほうがいいかもしれない。そんな状態のままでは主人公がどんなに壮大な冒険をしようとも空回りしてしてしまう。


だから冒険に旅立つだけの理由に主人公と観客の双方が頷けるそのときまでじっくり描くのだ。冒険そのものよりも、むしろそこへ至るまでのほうが作品としては大事なのだから。


ウォルターが実際に旅立つ象徴的なタイミングは、ニューヨークを離れたときではなく、グリーンランドでヘリコプターに乗るときだ。このシーンがなにより良い。その決意へ至る心の葛藤を表現した一連の映像は物語ることの基本と素晴らしさを教えてくれる。

■ いちいちおもしろい

どのシーンでも、観客が思わずニヤリとしてしまう演出が絶妙な塩梅で差し込まれている。


そうなのだ。いちいちおもしろいのだ。どのシーンだって「小粋」なのだ。例えば想いを寄せるシェリルの息子にウォルターがスケボーを教えるシーンや、ヘリコプターの操縦士に「一緒に来るか」と誘われるシーンなど、ほかにも思わずニヤリとしてしまう箇所が絶妙な加減で挿入されている。全編にちりばめられていると言ってもいい。

■ あらゆるものがつながっている


どの会話も小道具も出来事もすべてがヒントとなってつながって物語を先へ先へと押し進めていく。そのさり気ない提示の仕方は抑制が効いている。これまたあとになってみれば「なるほどねぇ」とニヤリとさせられる。


誰とも接点がない人間に、いきなりつながりはできない。当人は突然とおもっても「訪れる」だけの背景がある。自分から積極的に動いたつもりがなくても「縁」はつながっていた。


そういうことは誰の人生にだってありうる。そんな「つながり」を小道具や会話や出来事を組み合わせて一本の線を浮かび上がらせ、導線をつくって観客をそっとガイドする。


つなげ方がスマートで無理がない。これまたけっこうな高等表現技術である。

■ その他


観終わってしばらくしてもジワジワとおもしろい。やっぱ映画っていいな、と思わせてくれる作品だ。


表面的なことだけを見れば、物語の冒頭では会社員だった主人公がラストでは職を失っている。けれど、人生では「得て」いる。というよりも「取り戻している」。さらにシェリルとの距離も変化している。


表面的な結果と内面的なそれは、かならずしも同じではない。どこにでもありそうな平凡な風景に観客が感動するのは、その背景の物語によって心を動かされたから。


だから作品の冒頭とラストはよくある日常の風景のシーンとなっている。もちろんその意味するところは大きく変化しており、他人から見たら同じような(むしろリストラ等で悪くなっている)風景でありながら、そうではない。


何気ない日常のワンシーンが作品の冒頭とラストでは全く違って見える。それは傑作の条件のひとつである。


さて、終わりにひとつ。ウォルターがしていた空想はわるいことか。そして空想する回数が減ったとしたらそれはよいことか。


いいわるいではなく、それはつながっているのだ。空想があったから変わらない日常を生きてこられたし、それがあったから冒険に旅立てた。


ウォルターが真の意味で旅立ちを決意したのはグリーンランドでヘリコプターに乗るときだ。あのとき決意を後押ししたのは空想だ。


そして想像力によって気を遣い、一旦はシェリルと距離を置いたウォルターだったが、彼女に想いを伝えるきっかけになったのも空想がきっかけだ。(空想していたのを明かすことで気持ちが伝わる)


空想を「妄想」と捉えるか。「想像力」と捉えるか。たったそれだけでも人生は大きく変わる。


空想=想像力は本作のみならずあらゆる作品にとって表現であるとともに、人生を生き抜く力でもある。


それを知っているからこそ観客は空想する男に感情移入する。


だからウォルター・ミティは誰でもない。あなた自身なのだ。


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03/29/2014

映画「ローン・サバイバー(LONE SURVIVOR)」

「ローン・サバイバー(LONE SURVIVOR)」

監督:ピーター・バーグ
2013年/121分


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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米海軍特殊部隊ネイビーシールズ史上最悪の惨事といわれるレッドウィング作戦を描いた本作は実話に基づく物語である。


2005年。タリバン幹部の居場所を特定するため、アフガニスタンの山岳地帯に偵察に入ったネイビーシールズの隊員4名。


任務は2日ほどで終了するはずだった。しかし作戦中に山羊飼いに遭遇し拘束するも彼らを解放したことで200人を超えるタリバン兵に追われ、攻撃を受けることになる。


本作ではアフガニスタンの村人やタリバン兵の言葉に字幕が出ない。声の調子や大きさや仕草や表情や状況から何を言っているのか推測するしかない。観客はまるでその場に自分がいるかのような感覚にもなる。


この演出と相まって、戦場で窮地に陥った米軍兵士たちの極限に次ぐ極限がこれでもかというほどに続く。


山、山、山。そして岩、岩、岩。撃たれてしまうから自ら崖から落ちるしかない。その先には岩、岩、岩。幾度も身体を打ちつけられ、身体ひとつを安全に横たえる隙間さえない。


休む間もなく追手は迫る。そして再び銃声。さらにロケット砲弾を次々に撃ち込まれる。


いったい何度転落しただろうか。硬い岩に体を打ち付けボロボロになりながらも、また転落しなければならない極限が続く。


救援ヘリの音とその姿をみつけたときの兵士たちの歓喜もわずかひと時でしかなかった。ロケット砲によってヘリは撃墜されてしまうのだ。


唯一の生き残りとなった兵士に差し伸べられた手さえも、相手の言葉がわからないからそれを信じていいかわからない。散々攻撃されて満身創痍の兵士は村に連れていかれても気が休まることはない。


身振り手振りで現在地と米軍の位置を地図で伝えようとしたり、自身の傷を手当てするために必要な物を欲しいと村人に訴えるのだが、それさえもなかなか伝わらない。


必死に伝えようとしても、伝わらない。


言葉が伝わらなければ行動で。しかし戦闘という行為によって満身創痍で仲間も失った孤独な兵士にはその伝える手段にさえたいへんな苦労をする。


それでも兵士は伝えることを最後まであきらめようとはしない。村人たちだってそうだ。彼らの決死の行動によって孤独な兵士もその真意を徐々に理解するようになる。


激闘、孤立無援。そして傷の痛み。さらに、わからない・伝わらない不安と恐怖。


壮絶な戦闘シーンもさることながら、その根底には伝わらない恐ろしさがある。


実話を元にしている作品なので、どこで何がどうなるかは予告編その他でほぼ明かされているだろう。


物語の流れや結末がどうなるのかではなく、兵士たちはどう生きようとしたのかを、その壮絶なシーンの連続と向き合って観ていただきたい。


『ローンサバイバー』は、ほんとうにおそろしい映画である。


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12/12/2013

映画「キャプテン・フィリップス(CAPTAIN PHILLIPS)」


▼「キャプテン・フィリップス(CAPTAIN PHILLIPS)」

監督:ポール・グリーングラス
2013年/134分


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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ソマリア海域。コンテナ船が海賊に襲撃される。

海賊ときくと「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズみたいに海賊船が大砲を撃ったりしながら襲ってくるイメージが浮かぶかもしれないが、本作ではボートに乗った海賊が襲ってくる。

海賊たちが小さなボートで大きなコンテナ船を追いかけてくる初めの襲撃シーン。ここからラストまで一瞬も気が抜けない。

ボートから、海面から壁のよう伸びるコンテナ船体をどうやって登るのかと思ったら方法はとてもシンプルだった。いわば城攻めで城壁を登るそのままといっていい。

コンテナ船の強みはスピードと船体の大きさと、そして消火栓だ。

船の出力を上げて大きな波を起こして追尾ボートをかく乱することや、ボートからコンテナ船に乗り込まれにくいその高さ(大きさ)については、なるほど! とすぐにピンときても、消火栓とはなんだろう? 

その謎はボートの海賊がコンテナ船に乗り込もうとする際に明らかになる。

それでも、コンテナ船の防衛策はこれらスピードと高さ(大きさ)と消火栓だけである。

護衛の船があるわけでもなく、セキュリティ要員が乗船しているわけでもない。銃などの武器もない。船長のフィリップスが、近づいてきたボートの海賊に向けて発射したのは信号弾ぐらいなものだ。あとはコンテナ船を左右に舵をとらせてボートをひきなさそうとするぐらいしか海賊たちの乗船を阻止する術はない。

抵抗するもいよいよ武装した海賊4人にコンテナ船に乗り込まれてしまう。それでもフィリップス船長は事前の準備と機転と度胸と覚悟で乗組員の命を守るため、その力の限りを尽くそうとする。

やがて船員の救出と引き換えに海賊の人質となったフィリップス船長。ここから海軍特殊部隊ネイビーシールズなどによる救出までが描かれることになる。

さて、海賊といっても彼らは普段は漁師である。しかも海賊行為をやりたくてやっている者ばかりではない。強制されて気がすすまないながらもやらなければならない者がいたり、やるからにはそれなりの成果を出さなければならないとプレッシャーに押しつぶされそうな者もいる。

だからどの船を襲うかにしても下調べをして計画を立てているわけでもない。レーダーをみてなんとなくこの船が襲撃しやすそうだからと安易に決めたりもする。

だから襲ってみてはじめて積荷が何であるかを知ろうとしたり、そもそもどこの国の船かも知らなかったりする。

計画が無いに等しい海賊と、海賊対策を普段から強く意識しているフィリップス船長。

それでも武装しているのとそうでないとのは圧倒的な差がある。そんな危機的状況は人質となってからも続く。

本作は134分という映画としては比較的長めの上映時間だが、物語の初めから終わりまであくびをするような「間」はない。

特に、コンテナ船に急接近するボートをはじめてレーダーに捉えたその瞬間から、観客もあたかもその場に居合わせたかのような緊張感に包まれる。

この圧倒的な迫力とリアル感のおおきな理由は、なんといってもフィリップス船長役のトム・ハンクスだ。

演技がうまいとか、そういうのを超越した「魂の表現」をする役者だとあらためて思わせてくれる。とくにクライマックスの救出シーンから救出後にかけては彼の独壇場だ。

海上。船。救命艇。そういった場所や空間を限定されたいわば「圧力釜」効果もあって緊迫感もハンパない。そこに迫真の演技が加われば……。

とにかくスゴいものを観た。そう言える映画に出会えるのはめったにあるものじゃない。

今年はあまり印象に残る映画を観なかったなぁという人は、ぜひ観たらいいだろう。

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09/28/2013

映画「ウルヴァリン:SAMURAI」

「ウルヴァリン:SAMURAI(THE WOLVERINE)」

監督:ジェームズ・マンゴールド
2013年/125分


外国人から見たニッポン。


日本で生まれ育った日本人から見た「日本」と、いわゆる外国人から見た「ニッポン」とではズレがある。


だからハリウッド映画に登場する日本の風景や日本人の描写には違和感がハンパないのはありがちだ。


では「ウルヴァリン:SAMURAI」ではどうなのか?


日本人キャストとして参加した真田広之は、おかしな「ニッポン描写」を修正すべくけっこう口を出したという。それは海外の映画出演で培われた実績と信頼のある真田広之だからこそできたことで、スタッフたちからはそのアドヴァイスを感謝されたという。


そんな甲斐あってか「違和感」はだいぶ抑えられてはいる。それでもこれが日本の風景そのままかといえばもちろんそうではない。(とはいえ映画は作り物だからそれもまた作品の味であっていい)


それでも良い点がある。それは日本人役の役者が日本語を話すこと。あたりまのように思えるかもしれないが、例えばフランスを舞台にしたフランス人が主役の映画でも登場キャラがすべて英語で話すというようなケースはハリウッド映画ではありがちだ。


ところが「ウルヴァリン:SAMURAI」では日本人役の俳優は、日本人同士のやりとりでは日本語を話す。とはいえ一部の俳優は、外見はいわゆる日本人風なのだが明らかに日本語ネイティブではないのが丸わかりの日本語を話すのだが、そのぐらいは致し方ない。


さらに忍者だけはどうしようもない。外国人がイメージする忍者がまっくといっていいほど「忍んでいない感」がバリバリなのは、これまた愛嬌である。


ほぼ舞台は日本なのでそのあたりの違和感は早々にそういうものだと割り切ってしまうのがいい。


さてミュータントの能力者の数も他のシリーズ作品と比べると極端に少ない。そもそもローガンの話であり舞台も日本なので他のミュータントはあまり出てこない。能力自体も物理的なものではないケースもある。


今回もローガンの「心の旅」である。だからといって物静かな作品かというと、そうでもない。


ローガンも、彼と行動を共にするユキオ(福島リラ)も暴れまくっていいる。アクションシーンだけをとればシリーズの中でもかなり多いほうに属するだろう。


特筆すべきはそこで描かれる日本のヤクザの精神力の強さだ。走行中の新幹線の屋根の上でローガンと対峙するヤクザの男は、いったいどれほどの強靭な精神力の持ち主だろう。


ローガンは治癒能力があるから危険な目に遭っても痛いだけで死にはしないことが自身でわかっている。だから走行中の新幹線の屋根に上がって無茶もできる。


一方のヤクザは、気合は入っているがふつうの男である。死をもおそれないサムライの精神をそこに投影したといえばカッコイイが、このシーンはマンガの世界だ。


「ニッポン」が誇る文化といえばマンガである。最もニッポンらしいともいえるそれを取り入れたのがこの新幹線のシーンだ。


遊び心満載の、いい意味での「マンガ的アクション」をあのローガンがやってのけるのだからたまらない。しかも対戦相手は生身の人間(日本人)である。舞台も日本。そして新幹線。「マンガ=日本」へのオマージュといったかんじかな。


さて本作で注目はなんといってもふたりの日本人ファッションモデルであるTAO(矢志田の孫娘・マリコ役)と福島リラ(矢志田の部下ユキオ)だ。


どちらも現代の日本人のふたつの面を象徴するキャラクターとなっており、ローガンを軸に複雑な心の機微も描かれる。


ふたりとも本作が本格的な女優デビューらしいが、存在感のある繊細で力強い演技をみせている。


ローガンの物語。それは無数に存在する。そう思わせるだけの魅力的なキャラクターはそうそうあるものではない。なにせ不死身だから、見た目と実年齢はまったく違うのだから、どんな時代でどんな活躍をしてそれが現代にどうつながるのか。まだまだ知られざる物語があると思わせてくれるそんな彼の日本での物語。


日本に行ったことがない人も、日本で生まれ育った人も「ニッポン」でのローガンの活躍と「心の旅」にしばし付き合ってみてはいかだろう。


新幹線、パチンコ、そして忍者。


どうやらこれだけはどうしても「ニッポン」の描写には欠かせないようである。

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映画「エリジウム(ELYSIUM)」

▼映画「エリジウム(ELYSIUM)」

監督:ニール・ブロムカンプ
2013年/109分


マット・デイモン主演のSFアクション。


近未来。富裕層はスペースコロニー「エリジウム」に住んでいる。そこには高度な医療技術があり、人類のあらゆる病気を瞬時に感知して治療・完治させる装置がある。


一方の貧困層は荒廃した地球に住むことを余儀なくされ、劣悪な住環境で搾取や病気に苦しめられている。


地球に住むマックスは勤務先のロボット組み立て工場で事故に遭い、余命5日を宣告される。助かる道はひとつしかない。どんな病気でも治療できる医療装置があるエリジウムへ行くことだ。


そこで地球のレジスタンス組織と接触したマックスは、エリジウムに行くためにリスクの高い取引をする。


この主人公マックスが、物語の結末でどうなるかはキリスト教文化に少しばかりの馴染みがある人ならすぐにピンとくるだろう。


それがわかるのは、幼いマックスが天空のエリジウムのほうを見上げるシーンだ。修道女らしき女性がマックスに「あなたは特別な使命がある」みたいなことを言う(セリフは正確ではありません。だいたいそういったようなかんじの意味です)のがポイントだ。


ピンとくるポイントは他にもある。マックスには幼馴染の親しい女性がいる。久しぶりに再会した彼女には娘がいることがわかるのだが、その子は病にかかっている。地球の医療設備や技術では完治できない難病である。


その子だけではない。地上の誰がもエリジウムの恩恵を受けたいと願っている。どんな病気でも治せる医療装置を使えるようになりたいと願っていいるのだ。


あらゆる病からの開放。これを言い換えるならば「苦しみからの解放」。つまり「救い」を意味する。


地球の人類は救いを求めている。日々天を見上げ、そこに救い(医療装置)があるとわかっているのに手が届かない。


誰もが救いを求めているのに、そこへ至る道へ仲介してくれる者はいない。「救い」への橋渡しをしてくれる者がいないのだ。


ここまでくればもうピンとくる理由は明白だ。物語におけるキーワード「救い」と「仲介・橋渡し」といえば……。


すぐに思い浮かぶのはイエス・キリストである。


さて「神の国は近づいている。悔い改めよ」というメッセージはキリスト教の宣教活動においてよく耳する言葉だろう。とはいえ多くの人々は差し迫った危機がないとなかなか「神の国=救い」を求める具体的な行動をはじめようとはしないものである。


そこで映画「エリジウム」では主人公マックスに今すぐにでも「救い」が必要な差し迫った危機を用意した。それが余命5日だ。


当初の動機は自分が助かりたいからとはいえマックスはレジスタンス組織のリーダーとリスクの高い取引をする。それは自らの体を改造する手術によって実現することとなる。


余命5日と肉体改造。前者は「動機づけ」、後者は「犠牲」を象徴しているが、どちらも人類の救いというキーワードを通して見ると「神の国は近づいている=余命5日」と「救い(には犠牲が必要)」という構図が浮かび上がってくることがわかるだろう。


特に「救いには犠牲が」という部分は、旧約聖書の時代においては、身代わりの犠牲に動物がほふられることによって人の罪が赦されるとされいたことを思い出させる。これが新約聖書の時代になると動物の犠牲は不要になる。なぜならイエス・キリストが身代わりとなったから。


こうしてみるとマックスが自らの身をいわば「犠牲」にしてエリジウムに潜入する道を切り開き、やがて希望の場所にたどり着いたときに彼がどのような働きしてどうなるのか。それはすぐにピンとくるというわけだ。


マックスの働きによって救われるべき者たちの範囲が「更新」され、その「救い」は天空より地上へ舞い降りる。「新約聖書のイエスと再臨」をSF世界に当てはめた典型例ともいえる本作の物語の「型」の基本は「アイ・ア・レジェンド」と同じである。同じだからどうのということではなく、物語の典型・基本をしっかりおさえているから、あとはそれをどう観客にみせるかというのが大事だ。


この点では『第9地区』でもわかるようにニール・ブロムカンプ監督は荒廃した近未来を描くことを得意としていることからも、その独特の世界観は折り紙つきだ。


そしてなにより主人公マックス役はマット・デイモンだ。坊主頭もアクションも意外とハマっている。


ありがちなSFアクションとして鑑賞するとそれまでに感じるかもしれないが「救済」「犠牲」といったキーワードを軸にすれば作品をよりよく楽しめるだろう。


そもそもSF作品というのはキリスト教文化とは相性がいい。「ターミネーター4(TERMINATOR SALVATION)」も「救済」と「犠牲」がこれでもかというぐらいわかりやすいテーマとなっている作品だ。未見ならぜ大いにおすすめしておこう。


そして『第9地区』がおもしろかったとう人は『エリジウム』も楽しめるだろう。キリスト教文化の背景を知ったならなおさらである。


▼「ターミネーター4」作品レビュー


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05/13/2013

映画「アイアンマン3(IRON MAN 3)」

「アイアンマン3(IRON MAN 3)」

監督:シェーン・ブラック
アメリカ/2013年/133分


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【注】以下には物語の内容を一部明かすものが含まれます。あくまで一部ですが、まっさらの状態で作品を楽しみたい場合は、作品鑑賞後に読まれることをおすすめします。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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本作は『アイアンマン2』の、というよりは『アベンジャーズ』の続編と捉えるといい。


『アベンジャーズ』においてエイリアンとの戦いで精神的なトラウマを負い、不眠症に悩まされ続けるトニー・スターク。


エイリアンとの戦いを思い起こしたり、ちょっとしたきっかけがあったりするとパニック障害の症状が出たりするトニーは、観客が感情移入しやすい「弱さを持った主人公」の条件をよりクリアにしている。


強いだけではヒーローにはなれない。観客の多くが共感できるような弱さをもつからこそ応援される。だからヒーローなのだ。


ただでさえひとクセもふたクセもあるキャラで人気のトニーが、観客に共感されるような弱さを手に入れたとき、彼は物語における最強のキャラとなる……。


■ 相棒交代?


さて、トニーがよく話す相手は誰だろうか。


ペッパー? たしかにそうだが他にトニーの身近にいる話し相手を忘れていないだろうか。


それは人工知能のJ.A.R.V.I.S.だ。


パワードスーツ(通称「アーマー」)を着たときはもちろん、そうでないときも通信機器を使っていつもJARVISと話している。


戦闘状況の確認、アーマーの充電状況・損傷箇所と程度、作戦実行可能性……等。


「それはおすすめできません」など、控えめ(?)ながらもトニーにとって最善の方法を伝えるJARVISはかけがえのない相棒だ。


だからこそJARVISがシャットダウンしてアーマーがただの鉄(正確には鉄ではない)の塊になったときもトニーはそれを引きずって町まで行った。


そして再び話せるようになるまでの間は、新たな相棒と組むことになる。それは町に住む少年だ。


かくしていつも的確なアドヴァイスをしてくれる頼れるJARVISではなく、頼りないように思いがちな人間の少年との交流を通じてトニーはエイリアンとの戦いで負ったトラウマとパニック障害を乗り越えるきっかけを得るのだ。


■ 「絆」をアクションで魅せる


JARVISがシャットダウンしている間、トニーは町の公衆電話からアクセスしてペッパーにメッセージを残した。


ペッパーはそのメッセージをどうやって受信することができたか? 


敵の襲撃によって破壊されたスターク邸に佇むペッパーが、バラバラになったアーマーの一部(頭部)を拾って被ってみたときにトニーからのメッセージを受信することができたのだ。


そもそもトニー邸が襲撃される前のことだ。帰宅したペッパーをリビングで迎えたのはトニーであって実はトニーではなかった。つまり本人は階下のラボにいて、リビングに置いたアーマーに自身のフリをさせて遠隔操作していたのだ。


このいわば「前フリのシーン」があるからこそ、のちに襲撃を受けて行方不明になったトニーの安否を知ることができたメッセージがそのアーマーの一部(頭部)によるものであったことは、一見すると同じアーマーを通したコミュニケーションでありながら、以前のそれとはまったく違うことを表現する象徴的なシーンとなっている。


なぜならトニーはJARVISを介して自身の安否をただ伝えたのではなく、自ら公衆電話からペッパーに、危険な目にあわせてしまった謝罪と、愛する人を守る約束を再びするためにメッセージを残したのであるから。


■ 女性ウケがいい理由


さぁスターク邸が襲撃されたときにもう一度戻ってみよう。トニーは真っ先にアーマーをペッパーに装着させて爆風や衝撃などから彼女を守った。そしてアーマーを装着したペッパーは自ら盾となって生身のトニーを守った。


エイリアンとの戦い以後のすれ違いによって広がった溝を埋める機会がなかなかつくれなかったふたりだが、お互いに気持ちは根底ではしっかりつながっていたことをアクションを通してズバッと提示したのがこのシーンだ。


スターク邸襲撃という危機によって、根底ではしっかりつながっていることを観客にしっかり提示してみせて、今後の物語展開におけるふたりの「絆」を象徴的なものとしたのである。


こういった気持ちのやりとりの表現がとてもうまい。だからこれはただのヒーロー物語ではなく、女性が楽しめる作品にも仕上がっているのである。


■ 男も女もトニーに夢中


「アイアンマン3」ではアーマーの脱着がとても多い。しかもアーマーの一部だけ装着して戦ったりもする。さらにすべて装着しているようで実は遠隔操作だった……ということも。


アーマーを着たからアイアンマンなのではなく、一部を装着しても全く装着しなくてもトニースタークである。


アイアンマンであることとトニースタークであることはひとつなのだが、アーマーの力が強大であればあるほど、それに没頭したり依存したりもする。さらにはその力を恐れられたりもする。


そしていつしかそんな「力」はどんどん数を増してより増大・強力になっていく。


だからこそトニーは一度アーマーから離れる事態になったことで、自らの原点に立ち返り、自身の頭と生身の肉体を駆使して敵陣に乗り込んでみせたりもする。


「力」の象徴であり自身そのものでもあるアーマーから一旦離れるといういわば「自分を見つめなおす旅」をする男。


それは愛するペッパーとの関係がアクションを通して描かれる魂の物語でもある。


だから男も女もトニーに夢中になるのだ。


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02/17/2013

映画「アウトロー(JACK REACHER)」

▼「アウトロー(JACK REACHER)」

監督:クリストファー・マッカリー
アメリカ/2012年/130分


ネットやらない。ケータイ持たない。もしもそんな人がいたら新鮮かもしれない。


実際そういう人がいてもいいし、どう生きるかはその人が決めればいい。


ところが映画の主人公がそうだったら?


ジャック・リーチャーは最先端の真逆にいるような、古いタイプのキャラだ。


これは突拍子もない設定ではなく、刑事ドラマなんかではよく使われるものだ。いわゆる最新プロファイリングを駆使する捜査よりも足で捜査を地道に重ねるような、長年の「勘」で動くタイプの刑事が主人公の例を思い出してみればうなづけるだろう。


人は数々のしがらみから逃れられない、と思い込んでいる。そのため、まとわりつくものに呑み込まれてしまって見えなくなってしまう。見ようとさえしなくなることさえある。


何を見ないのか。――事実だ。


ジャック・リーチャーは事実のみを追求する。しがらみによって見えなくなっていた面を浮き彫りにするのだ。


それらの点と点を合わせて容疑者の立場で想像すれば、数々の疑問点が明確になっていく。


こういった作業は誰でもできるわけではない。しがらみの中にどっぷり浸っていては無理だ。


それができるのはエッジに立つ者だけ。人はそれをアウトローと呼ぶ。


アウトローが主人公の映画は数多い。観客の多くがアウトローを通して暴かれる真実を求めているからだ。


ジャック・リーチャーはネットが使えない(使わない)。だから捜査線上で浮かんだ物事を誰かに調べてもらわなくてはならない。


つまり相棒が要るということ。そこで登場するのが弁護士ヘレンだ。彼女の父親は事件の担当検事であり、父娘の関には確執がある。


親子関係を絡めてくる手法はまるで脚本づくりの教科書のようでもあり、目新しさはないと思えるかもしれない。


だが、基本がきっちりできなくれはその先はないのだから、むしろありちな設定をしっかり使うのはスマートなやり方だ。。


そしてジャック・リーチャーが古いタイプのキャラであるように、物語もまたそうだ。裏を返せば目新しいものや奇抜なものは無い。


だからいいのだ。いまどきの映画で主人公が公衆電話を使い、受話器を投げ捨てるようにガシャンと置くシーンを見たことがあるだろうか?


一匹狼で融通が利かない。世間の皆は彼を評してそう言うかもしれない。それでも心のどこかではそういう人間に憧れている。


そんな願望を解消する映画はめっきり減ってしまった。


よく考えてみてほしい。映画を観るのは若者ばかりではない。むしろ年配者が映画館に行くケースは米国なんかでは多いだろう。日本だってそうだ。


若者だって古いタイプのヒーローだからってそっぽ向くとはかぎらない。かえって新鮮にみえるかもしれない。そもそもそういったヒーロー像が長く愛され続けてきた背景には世代を超えた憧れがある。


「アウトロー」をアクション大作と宣伝する例もあるようだ。間違ってはいないがちょっとズレている。


派手なアクションの連続で勢いでなんとなしちゃおう、みたいな映画とは全く違う。


アクションシーンはそこで何がどう起きたのかが観客にわかるように撮っている。


アクションが売りだとうありがちな映画だと、アクションシーンでやたら細かいカットをいくつもつなぎ合わせてスピード感を出そうとして、あたかもスゴいアクションが起きているかのように見せたがるものだ。あとで編集でうまいことやろうというお決まりのパターンである。


「アウトロー」はそうではない。役者の演技とカメラワークがものをいう骨太の撮影をしている。


まるで映画づくりもジャック・リーチャーが行っているかのような気さえする。


骨太。実直。それでいてニヤリと笑えたり、クスッと頬がゆるむ「間」もしっかりある。


こんなヒーロー映画が観たかったんだ! と思わせてくれる作品だ。

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12/12/2012

映画「007 スカイフォール(SKYFALL)」

▼「007 スカイフォール(SKYFALL)」

監督: サム・メンデス
イギリス/アメリカ/2012年/143分


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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007シリーズ誕生50周年記念作。それが第23作『007 スカイフォール』だ。。


ダニエル・クレイグが抜擢された当初は従来のジェームズ・ボンドのイメージに合わないと一部では言われたというが、いまでは歴代のボンド役のなかでも高い人気を誇るまでになっている。


そんな主演のダニエル・クレイグは1968年生まれというから44歳。一般的にいっても、もちろん年寄りではない。


本作の諜報員としての年齢設定はよくわからないが、それでもMI6の諜報員としては若手ではない。どちらかというと古参。


そんなボンドは本作品で殉職する。もちろん彼は生きていたわけだが、ブランクを経て諜報員復帰のテスト受けるも結果は散々たるものだった。早い話が落第レベルなのだ。


そこであえてわかりやすく言おう。


老いぼれボンド。


そんな烙印を押されかねないのだ。おまけに今回の敵はハイテク機器を自在にこなしてクリックひとつでなんでもできちゃういわばデジタル人間である。


一方のボンドはどちらかというと古きアナログ人間で、敵のほうが計画も作戦も上手で翻弄されてしまい後手にまわる一方だ。


これは敵が元MI6諜報員だから手の内は読まれやすいという理由はあるとはいえ、どうしても「やっぱ老いぼれちゃったの?」と思わずにはいられないかのような気分にさせられる。


とはいえ、だからいいのだ。


人間的な弱さを垣間見せるのがダニエル・クレイグ演じるボンドの特徴であり、そこが観客に愛される最大のポイントだからだ。


もしも完璧すぎる主人公だったら観客は感情移入する隙がないので応援しにくいだろう。


人間的な弱さ。そこに肉体的弱さも加わったとき、さてどうなるのか。


ここでフォーカスされるのは、ボンドの強さとは何なのか? ということ。


諜報員復帰テストに落第するレベルだからボンドははたして弱いのか。


そんなことはない。たしかに体力勝負の場面では苦しそうな表情もみせるし射撃だって的を外す。


だからって弱いわけではない。むしろ強くなっているようにも見える。


その鍵を握っているのが上司Mとの関係だ。


ボンドが殉職(じつは生きてのだが)したきっけは上司Mによる狙撃命令だったのだが、それでもボンドはMI6の危機(Mの危機)を知ると駆けつけて自らの復帰を願い出た。


やがて追い詰められたボンドはMを連れて故郷スコットランドへ。


物語をとおして描かれるのは祖国、家、家族、信頼の崩壊と再生だ。


誰だって弱さを持っているし、誰だって歳をとる。


ジェームズ・ボンドは凄腕の諜報員だけれども、ひとりの人間(キャラ)としては、わたしたち観客の誰かであってもおかしくはないと感じさせてくれる。


早い話がやってること(任務遂行)は特別だが、そこには自分をリンクさせやすいドラマがあるのだ。


だからこそイギリスでは公開週(7日間)歴代1位を記録したのだろう。


昔からの007シリーズのファンも思わずニヤリとするシーンもあったりと、いい意味での「いい大人」が楽しめる数少ないアクション作品である。


ちなみにボンドの敵となるシルヴァのアジトの島という設定で、長崎県の端島(通称:軍艦島)がモデルとなってロケも行われたそうだ。


作品観ればそれはすぐにわかるとおもう。これまでにもミュージシャンのMVや、各種ドラマでも度々登場してきた軍艦島なのでその存在をご存知の方も多いだろう。


映画本編がはじまる前にも軍艦島がモデルになったことが観客に知らされるので該当する本編シーンにすぐに気づくにちがいない。


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▼ダニエル・クレイグ主演の007シリーズ


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10/11/2012

ボーンとは戦い方が違う 映画「ボーン・レガシー」

▼「ボーン・レガシー(THE BOURNE LEGACY)」

監督:トニー・ギルロイ
アメリカ/2012年/135分


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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ジェイソン・ボーンは登場しません。


ボーンとは別の暗殺者アーロン・クロスの物語です。とはいえボーン3部作と同じ世界と時系列で描かれており、具体的には第3作「ボーン・アルティメイタム」のはじまりの部分(CIAの極秘情報を取材中の新聞記者が射殺される)からスタートします。


アーロンは強靭な肉体と強い精神力を持っていますが、それは人為的に染色体から強化されたものです。そのため定期的に2種の薬を服用しなければなりません。


彼の他にも強化された暗殺者たちが世界各国にいるのですが、組織の都合で彼らは不要となり、次々と始末(暗殺)されます。


極寒の山奥で訓練中だったアーロンも例外ではありません。でもね、彼は生き残ります。そして女性科学者マルタ(レイチェル・ワイズ)に会いにいく。


このあたりまでの経緯はボーン3部作との兼ね合いの話などが合わさって進行しますから、やはりボーンシリーズを観ていたほうが断然わかりやすいでしょう。


とはいえボーン3部作を観たことがなくても、細かいことを気にせずにアーロンのサバイバル物語として楽しむこともできますのでご安心を。


私はボーン3部作を観ていますので、どうしてもアーロンとボーンとを比較してしまいます。そこで共通するのは暗殺者でありながら人間味に溢れているということです。


むしろ暗殺者だからこそ描き方によっては人間味を強く表現できるというのはありますが、自分を探す旅であったり、生き残る戦いであったりしたときに出会った人を守るためにも行動する彼らの姿に、観客の多くは冷酷な暗殺者という印象よりも、過酷な状況にありながら大事な人のために戦う男の姿をそこにみるのです。


一方でふたりには違いもあります。それは能力です。もって生まれた素材といってもいいでしょう。そういう意味ではボーンよりもアーロンのほうが観客の共感を得やすいでしょう。


ボーンはいわば天才です。そもそも暗殺者養成候補としてリストアップされるということは、もともと身体・頭脳ともに優れた特別な者なのですが、その中でもボーンはズバ抜けています。


ひとりの暗殺者としてだけでなく、CIAのチームを率いる立場だとしても類いまれな指揮力を発揮するでしょう。とにかく天才なのです。


一方のアーロンはたしかに素質はあるのだけど、暗殺者養成候補として選出される過程にちょっとした「裏」があります。


そのあたりは作品中で明かされますからここでは詳しく述べませんが、つまり素質はあるけどけっして天才肌ではないということです。


格闘だってたしかにアーロンは強い。でも彼は自身満々に自ら格闘を仕掛けていくというタイプには見えません。


今回のストーリーは巻き込まれ型ですから必然的に逃亡がメインになるという理由はあるにしても、積極的に戦いを仕掛けるのではなく、むしろ避けられるならそのほうがいいというような雰囲気さえ垣間見れます。(でもアクションシーン満載ですけどね)


これは私の感じ方にすぎないのですが、数人の敵を倒そうとするときもボーンならもっと少ない時間と手間でスマートに倒せたんじゃないかと思えるシーンもあります。


アーロンも高度な戦闘技術を駆使して戦いますが、できることなら仲間の力を借りて協力して倒す方法を選びます。


ひとりの超人が圧倒的な力で数人の敵を倒すというのではなく、より現実的と思える方法(協力・連携)を用いて戦う。


このあたりのいい意味での「泥臭さ」がかえってアクションを際立たせているように感じました。


そんなわけでアーロンはどちらかというと、めっちゃ努力の人。それも落ちこぼれないよう必死にがんばってきたほう。それを普段は隠していますが、ふとしたときに明らかになる。このシーンのところまでくれば観客はほぼ完全にアーロンに感情移入できます。


こういったストーリーの運び方はやはり巧いですね。ボーン3部作の脚本を書いたトニー・ギルロイが本作では脚本・監督を担当していますからこのあたりの技術はバッチリです。


さて、あなたが会社員や公務員だとします。それら組織の一員でなくなってもひとりで歩いていけるでしょうか?


組織の肩書きがなければどこも相手にされないとイヤというほど身にしみた矢先に、かつて属していた組織から社会的に亡き者にさせられそうになったら?


あんなに残業して長年尽くしてきたのに……などと嘆いている間もなく生ごみを処理するかのようにテキパキとやってしまおうと次々と手が下される。


使い捨て。――捨てるときは迅速・確実・完璧に。


そんなことは自分の身におきるはずはない、ときっぱり言えるなら「ボーン・レガシー」を観ても何も感じないでしょう。ボーン3部作を観ても同じです。


もしかしたら自分にも起こるかもしれない。命までは狙われなくても、それと同じと思えるような目にあうかもしれない。そんな危機感を誰でも少しは持っているでしょう。


だからボーンシリーズはヒット作なのです。そして「ボーン・レガシー」では観客との距離がさらにグッと縮まった。


これは終盤のチェイスシーンに表れています。アメリカ合衆国とかヨーロッパとかの町じゃない。アジアのマニラの町を、路地裏を走り回り、狭い道をバイクで駆け抜ける。


ボーンシリーズといえば車でのチェイスシーンが特徴でしたが、今回はバイクです。車ならつぶかっても周囲の壁が衝撃をある程度和らげてくれますから、自ら当てに行って活路を見い出すことができます。


ボーンはこの戦法を積極的に使って車と自身の身をボロボロにしながらもあえてぶるけることで幾度も道を切り開いてきました。


思い出してください。第2作「ボーン・スプレマシー」の冒頭でボーンとマリーは車に乗っていて刺客に狙撃されます。弾は愛するマリーに当たり……。


ボーンは車で愛する人(マリー)と出会い(第1作「ボーン・アイデンティティー」)、車で愛する人(マリー)を失います(第2作「ボーン・スプレマシー」)。


一方で「ボーン・レガシー」のマニラではバイクに乗ります。車ではありませんから自ら当てにいくことはできません。まして守るべき女性科学者マルタと二人乗りですから無茶はできない(とはいえ普通からしたら無茶な走りをしてますけどね……)。


ボーンとは戦い方が違うんですね。ボーンは頭脳明晰で常に先を読み、自ら仕掛けていく戦いで生き残る。


アーロンは本作ではとりあえず逃れる。追跡チームの裏をかくこともありますが、あくまで生き残るために必死に行動する。


ボーン3部作を観た人は、こうした対比をしながら観るのもいいですね。


さて逃れ者のふたり(アーロンとマルタ)が宿泊した安宿の部屋には追跡チームへ向けて、次のようなメッセージが残されていました。


「NO MORE(もう追ってくるな)」


追いつづけるとどうなるか。それは作品の冒頭部分にあたる極寒の山中で執拗にアーロンを追ってきた狼とのシーンにアーロンのスタンスが垣間見れます。


この部分はボーンと共通していますね。ボーンも第1作のラストと第2作の冒頭ではほんとうの自分を模索し自身の記憶を探りながらも、インドのゴアでマリーと静かに暮らしていました。


刺客が来なければ、ボーンはふたたびCIAの前に姿を現さなかったかもしれません。でも追ってきた。


追ってこなければストーリーは進展しないのですが、主人公のスタンスとして「NO MORE(もう追ってくるな)」といのはやはり大事です。


秘密などを知っている(とみなされる)、または存在自体がやっかいだとされるから追われ、そのためにCIAといった組織と戦うのがアーロンやボーンです。


一方で組織から使い捨てられた個人は、よほどの人物でないかぎり追われませんから戦う相手が違います。


普通の人なら、肩書きがなくなっても歩けるようになるための自身との戦いがメインになるでしょう。ただしそれでは「画」的には地味なので映画では敵対するものを用意してアクションとサスペンスを取り入れるというわけです。


戦いは誰にでもある。その表現のひとつがボーンシリーズであり「ボーン・レガシー」なのです。


この作品の特にいいところは、マニラでのバイクチェイスのラストシーンです。マルタは守られるだけの存在ではなく、ちゃんとアーロンの助けにもなっている。ふたりがお互いに助け合っているということが具体的なアクションでわかるようになっています。


それにしても証拠隠滅のために冷静かつ着実に全プログラムの抹消を命じるリック・バイヤー(エドワード・ノートン)はおそろしく適役ですね。


ストーリーのテンポもアクションのテンポもいいので上映時間の割りにけっこうあっとう間にも感じられます。


観ないという選択に理由が見当たらない。


早い話がオススメです。

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07/09/2012

戦う白雪姫!映画「スノーホワイト」


▼「スノーホワイト(SNOW WHITE AND THE HUNTSMAN)」

監督:ルパート・サンダーズ
アメリカ/2012年/127分


観たかったのはこれだ! と思わせてくれた本作品は、斬新な映像と新展開を加味したのみならず、それらが物語という箱にスッときれいに収まっていくその様子は実に気持ちのいいものである。


スノーホワイト。いわゆる白雪姫の童話といえば誰もが知っている物語だ。


だれもが知っているからこそ「おいしい」のは、なにも映画の場合だけではない。


どんな商売であれ、だれもが知っていて誰もがずっと利用するような商品やサービスには、それだけ固定ファン・客がいるといういことだから成功の可能性はじゅうぶんにある。


もしも誰も見たことも使ったこともない商品やサービスを作り出したとしてもすぐには売れないだろう。まずはその価値を実感してもらわなければ財布の紐をゆるめることはしないからだ。


白雪姫なら誰もが知っている。題材としては申し分ない。ならば、考えるべきは「どう表現するか」である。


従来のまま観客のイメージどおりの白雪姫の物語を旬な俳優たちでリメイクしたところで、それら出演スターらのファンである観客以外にアピールできるところはほとんどない。つまり、単純なリメイク作品ということになる。


これをニュースに例えるならば、「見出し」と「タイトル」の違いである。


新聞に代表されるような見出しは、記事内容をなるべく過不足なく読者に伝えるよう作成する。だから(記事内容にもよるが)基本として誰が作ってもほぼ同じようなものになりがちだ。


むしろ機械が作ってもいい場合があり、そのほうがいいというケースもある。白雪姫でいうなら、単純なリメイク作品である。


一方で、ウェブ(モバイル含む)のニュースサイトでのタイトルは、話題(記事内容)の魅力を引き出してそれが広く知られるきっかけが提供できるよう作成する。白雪姫でいうなら、斬新な映像と新展開といったところである。


タイトルも「表現」できるところに特徴と利点があり、映画などのリメイク作品も基本は同じである。


もしもその「表現」が観客の好みに合えば、これほどおいしい作品もそうはない。


白雪姫が毒リンゴを食べるところをイメージしてほしい。童話のなかでの白雪姫がリンゴを口にするそれとはまったく違うシーンに、きっとあなたは心をグッと鷲づかみにされることだろう。


そして毒リンゴを食べた白雪姫がキスで目覚めるシーン。そこでもちょとした工夫がされている。「そうくるか!なるほど」とニクいかんじなのである。


お姫様と耳にすれば、上品でおしとやかのイメージがあるが、本作品ではまさに「戦う白雪姫」!


「ワイルドだろぉ~」と言いそうな(言ってないよ)この白雪姫をぜひご覧あれ。

スノーホワイト役のクリステン・スチュワートもいいし、継母ラヴェンナ役のシャーリーズ・セロンがこれまた「美」に関してこれほど適役もいないと思わせる変化の数々をみせてくれるこれは、いい意味で安心して楽しめる作品である。

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