09/13/2009

映画「オープン・ウォーター(OPEN WATER)」


■「オープン・ウォーター(OPEN WATER)」
監督:クリス・ケンティス
2004年/アメリカ/79分

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クリス・ケンティス
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低予算のインデペンデント映画ながら全米でヒットした本作は、カリブ海でスキューバ・ダイビング・ツアーに参加した夫婦が、スキューバスタッフのミスで海に取り残されるという内容で、実際に海で起こった惨事を元にしている。


CGやVFX(Visual Special Effect 主にコンピュータ・グラフックスの技術を使ったデジタル処理)は一切ナシ。


海が舞台の映画なのに、海中(水中)からのショットはナシ(たしか無かったと思う)。


海に取り残された夫婦の周りにやってくるサメの主観ショットもナシ。


海中に何がどれだけいて、それらがどのような動きをしているのかがわからない。


これが非常におそろしい。こういった恐怖はハンパではない。


観客は想像してみるだろう。自分がこの夫婦と同じ状況になったら、おそらくたまに海中を覗くだろうが、救助を待つ間のほとんどは海上に顔を出しているだろうと――。


なにか異常を感じたときだけ海中に顔をつけて確認するだろうが、あまりに状況が危機的だと、おそらくそれもままならないのではないか――。


つまり、海中からの視点(例:サメの主観ショット)というのは、リアルな恐怖に比べれば、ぬるま湯みたいなものである。


サメの主観ショットがあれば、観客はそこに映画のつくり手の意図を意識する。


演出やカット割といった「つくりもの」の介在によって、観客は心のどこかで「恐怖映画」や「パニック映画」のエンターテイメント性を意識して、安心することができる。


ところが「オープン・ウォーター」は、あえて「つくりものの介在」をゆるさない。これによって安心などこれっぽちもできないリアルな恐怖を演出している。


こういう思い切ったことができるのがインデペンデント映画の利点である。


予算面も含め、さまざまな制約があるからこそ、斬新な手法がうまれる。その好例が「オープン・ウォーター」なのだ。


はじめはスグに助けが来るとだろうと気楽に考え、冗談を言ったりしていた夫婦が、やがて喧嘩し、さらに喧嘩ができたことを幸せと痛感したあたりまでくると、観客はとてもつもない恐怖に襲われる。


世界(世間)から見捨てれたと感じる恐怖。


最愛のパートナーを失う恐怖。


時間だけが淡々と過ぎ、希望の灯火がかぎりなく小さく、弱く、消え入りそうになっていく恐怖。


人間にとってもっともおそろしいものとは?


この答えは、人間にとってもっともすばらしいものと同じである。


その答えは「現実」である。


自分の願いが叶った「現実」はすばらしいと感じ、自分の願いが叶わなかった「現実」はおそろしいと感じる。


普通の映画なら夫婦はクライマックスに救助隊に発見されてハッピーエンドだ。


しかし映画ではない現実では、行方不明のままというケースもある。


人は現実が非情でどこまでも恐ろしいものだというのを知っている。だからこそ安心を求めてつくりものの世界に浸ろうとする。その需要に応えるのがフィクションであり、その一例が映画である。


だから本来、映画は恐怖を描くにしても、リアルっぽい恐怖を借りてくるにすぎない。


ところが「オープン・ウォーター」はまさに「リアルな恐怖」そのものをズバリ描いた。


こういう思い切ったことができるのがインデペンデント映画の利点である(二度目)。


しかも全米でヒットしたというから、人は虚構の世界に安心を求める一方で、ときに「リアルな恐怖」を感じる欲求も持ち合わせていることがわかる。


このアンビバレント(相反する気持ちが同時にあるようす)な感情が、人間を人間たらしめているといえよう。


そういった意味でも深ぁ~い作品である。


ラストになにかオチがあるんじゃないかとか、救助隊に発見されるんじゃないかとか、最後の最後まで心のどこかで期待する観客を無情に突き放す。


だからこそ限定公開のインデペンデント映画ながら全米でヒットしたのだ。


ほんとうにおそろしい映画を観たいアナタに「オープン・ウォーター」をおすすめしておこう。

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08/05/2009

映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

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▼「ベンジャミン・バトン 数奇な人生
(THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON)」

監督:デヴィッド・フィンチャー
2008年/アメリカ/167分


80代のおじいちゃんで生まれ、徐々に若返っていき、赤ん坊で亡くなる男――。


ふつうの人間とは逆の人生を送る彼は、映画のタイトルにあるように数奇な運命であるようで、実はそうでもない。


たしかに見た目と体の機能はふつうの人間の逆であるが、老いて死ぬとうことについては、ふつうの人間となんら変わらないからだ。


そもそもいわゆる人物の伝記ものの作品は、主人公がたいへん有名な人物である場合がほとんだ。


大富豪ハワード・ヒューズの伝記映画「アビエイター」。


スコットランド独立の英雄ウィリアム・ウォレスの伝記映画「ブレイブハート」。


しかし、ハワード・ヒューズって誰? ウィリアム・ウォレスって誰?という人にとっては箸にも棒に掛からない。


つまり、ある分野や世界におけるこれらの著名人を知らない人にとっては、その伝記映画はたいして魅力的ではないのだ。


ところが80代のおじいちゃんで生まれ、徐々に若返っていき、赤ん坊で亡くなる男の話ときけば、だれでも「おや?」と興味をそそられる。


このようにインパクトは強大だが、オチを真っ先にバラしてしまったようなものなので、作品の内容はオチの確認作業に終始しがちになる。


そういったわけで「数奇な運命」という言葉に過度な期待をすると、けっこうな長丁場の上映時間に少々あくびが出るかもしれない。


逆にいうと、愛する人との出会いを軸に展開する本作はどこにでもいる普通の人の人生と大差ない。


大差ないからこそ、観客はベンジャミン・バトンに自身の人生を重ねることができるのだ。


この「出オチのちょっと風変わりな男」が実は自分とたいして変わらないことに気づき、作品を観ているうちにいつの間にか映画の主人公とシンクロする妙な心地よさを感じることができるなら、きっと「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を楽しめるだろう。


邦題に使われている「数奇」は、運命を意味する「数」と、食い違うを意味する「奇」の組み合わせによって「ふしあわせ」「不運」をあらわすこともある。


80代のおじいちゃんで生まれ、徐々に若返っていき、赤ん坊で亡くなる男を「ふしあわせ」と受け止め、赤ん坊で生まれ徐々に年老いておじいちゃんで亡くなる男を「しあわせ」と受け止める人がいる一方、その逆に受け止める人もいるだろう。


人生が「数奇=ふしあわせ」かどうかは、その人の生き方によって決めることができるとするならば、原題の「CURIOUS CASE」の「CURIOUS」、つまり珍しくて不思議なことはたしかだが、あくまでそれだけであり、そこに「ふしあわせ」という意味はないことに注目しようではないか。


珍しいことによって周囲に偏見の目でみられ、それを「ふしあわせ」ととらえてしまうこともあるかもしれない。しかし、珍しくて不思議なことを天からのギフトととらえ、前向きに楽しく生きることだってできるのだ。


珍しくて不思議なことを、珍しくて不思議な能力とするならば、それは「天賦の才能」ともいえよう。


天賦の才能はときに妬み嫉みの対象ともなるが、その才能を活かして人の為、そして自分の為に生きることのすばらしさも間違いなく存在する。


あなたの人生はベンジャミン・バトンに比べたら平凡におもえるかもしれない。


けれども、あなたの人生はたったひとつしかない、たいへんユニークなものなのだ。


そしてあなたがこの世に生まれてきたという不思議のなぞは、あなたが自分の人生を前向きに歩み続けることでしか解くことはできないのだ。


珍しくて不思議な人生――それは、まぎれもなくあなたの人生なのだ。


ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットのファンは必見でしょう。

▼その他の伝記映画

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映画「イーグル・アイ(EAGLE EYE)」

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▼「イーグル・アイ(EAGLE EYE)」
監督:D・J・カルーソー
2008年/アメリカ/118分
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ


ある日、コーヒーショップの店員ジェリー・ショーにかかってきた1本の電話。相手は女性の声で、FBIが迫っているから今すぐ逃げなさいという。


一方、法律事務所のパラリーガルとして働くシングルマザーのレイチェル・ホロマンにも女性の声で電話がかかってきた。指示に従わなければ8歳の息子を殺すというのだ。


日常を慎ましくも精一杯生きてきた男と女が、一本の電話によって国家の最重要指名手配犯として追われるようになるこの物語は、いわゆる「巻き込まれ型」の典型作品だ。


そういうわけで「イーグル・アイ」を観てまず思い浮かんだのが、サスペンスの集大成といわれるアルフレッド・ヒッチコック監督の「北北西に進路を取れ」だ。


「巻き込まれ型サスペンス」の傑作として広く知られている「北北西に進路を取れ」は、主人公が誰かに間違われることから事件に巻き込まれていく物語である。


「イーグル・アイ」においても平凡な暮らしをしていた青年が、いきなりだれかに間違われたかのような状況に放り出される。


ジェリーとレイチェルは次々に出される電話の指示に従うことでなんとか逃げのびることだけで精一杯だが、それでも徐々に黒幕をつきとめていく。


ジェリーとレイチェルの逃亡劇は、文字通り息をつかせぬアクションの連続である。


くやしいがスピルバーグにこういった作品を作らせたら、彼の右に出る者はそうはいない。


まして監督が「ディスタービア」のD・J・カルーソーである。「視線の交差」と「制約から救出への転換」が見事だった「ディスタービア」の監督とスピルバーグとくれば、おもしろいことは折り紙付である。


▼「ディスタービア」作品レビュー


「北北西に進路を取れ」のリメイクをしたらどうなるか? そんなことをおもって「イーグル・アイ」を観ればおもしろさが倍増するだろう。


もちろん「イーグル・アイ」を観てから「北北西に進路を取れ」を観てもいい。


両作品を観比べてみれば、物語構築の方法と手順と展開がよく似ているとがわかるだろう。


マグフィン(Maguffin:悪者が欲しがっていてヒーローが持っているもの)の用い方や、ある程度の段階で黒幕を明らかにして、クライマックスへと盛り上げていく手法など、玄人のなせる業(ワザ)だ。


さらに物語のキャラクター設定の定石「父と息子の和解」もちゃんとある。


「イーグル・アイ」を観ると、この作品にはけっしてド肝を抜かれるような奇抜さや斬新さが満載とはいえないのだが、サスペンスの基本をおさえた職人芸が物語作りのスキルとしてしっかり受け継がれるシステムがハリウッドにはあるんだな、というのが実感できる。


時代が変わり物語の題材や用いられる小道具は変わっても、物語構築の技術はしっかりと受け継がれ、どんどんブラッシュアップされていく。


だからハリウッドの映画作品は、それがヒットするかどうかは別にしても、映画作品になったものの多くは、基本となる「物語」がそこそこちゃんとしているのだ。


日本ではあまり公開されないコメディ作品や、アメリカンドラマなんかも含めてちょっとでも話題になった作品は、ちゃんとおもしろい。


「ちゃんとおもしろい」という言い方はいくらか変な感じだが、これは観客を楽しませる基礎があって、おもしろくなることにじゅうぶんうなづける構造をしているという意味である。


それができるのも、宝くじとはまったく縁遠い、安定した「物語づくりの土壌」があるからだ。


日本だと、たまにすごくおもしろいすばらしい作品がポン! とできたたりする。


でもその一方で、思わず「なんじゃこりゃぁ!」を松田優作のモノマネしざるをえないような作品がポンポンポン!と出てきたりする。


こういう状況を「宝くじ頼み」という。つまりハズレが多いのだ。


別にハリウッド映画を必要以上にヨイショするつもりはないが、ハリウッドでは映画づくりを宝くじを買うような感覚でするようなことはまずないんじゃないかとおもう。


今回の「イーグル・アイ」を観れば、ハリウッドの脚本術というのはやはりシステムとしてもきちんと機能しているんだなというのが実感できるのだ。


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映画「アイアンマン (IRON MAN)」

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▼「アイアンマン (IRON MAN)」
監督:ジョン・ファヴロー
2008年/アメリカ/125分
原作:マーベル・コミック「アイアンマン」


■ 天才発明家のトニー・スタークは軍事企業の社長で超お金持ち


武器のデモンストレーションでアフガンを訪れたトニーは、車で移動中に武装集団の攻撃を受けて拉致される。


兵器開発を強要されたトニーはひそかにパワードスーツを製作。それを使ってなんとか脱出する。


帰国したトニーは軍需産業からの撤退を発表。


さらに自らが作った武器がテロリストに横流しされていることを知る。トニーは個人で新型パワードスーツを開発し、テロリストとの戦いをはじめる。

■ どんだけ上手いねん!


はじめに言っておこう。「アイアンマン」はスゴくおもしろい。そしてとてもよくできている。


映像、ストーリー、キャラクター。どれをとってもスマート。さらに社会風刺と笑いもある。


近年「アイアンマン」ほどすんなりと映画を楽しむことができた作品はないといってもいいほどだ。


料理でいうと、濃すぎず、薄すすぎず、辛すぎず、甘すぎず、熱すぎず冷めすぎず、ボリュームもほどよい。


どんだけ上手やねん! いったい監督はだれかとおもったら「ザスーラ」の監督をしたジョン・ファヴローであった。


オバマ大統領のスピーチライターとして有名になったジョン・ファヴローとは同名だが別人の彼は、俳優としても活躍。数々の映画に出演している。


さらに米大ヒットコメディドラマ「となりのサインフェルド」にゲスト出演もしている。


「となりのサインフェルド」は日本ではほどんど知られていないが、米国でお笑いといえばこのドラマ抜きには語れないほど超人気ドラマであり、その笑いの特徴はナンセンスにあるのだが、ここではジョン・ファヴローそんな超人気コメディドラマにゲスト出演するほどの「笑い」のセンスがあることを心にとどめておいていただきたい。


その笑いのセンスが活かされたのが傑作「ザスーラ」だ。


レトロとCG映像とパラレルワールド。家族で観るなら迷わず「ザスーラ」
▼「ザスーラ(ZATHURA)」作品レビュー


そしてこの「笑い」の要素を丁度いい加減でスパイスとして加えたのが「アイアンマン」である。


こう書くとまるで「アイアンマン」がコメディかと思われるかもしれないが、そうではない。

■ 真面目過ぎないほどよいユルさ加減


真面目過ぎないほどよいユルさ加減が、全体として非常に良い効果を生んでいるのだ。


たとえばパワードスーツにしても、初期型は材料が限られていたこともあってものすごく手作り感がある。ここでいう手作り感とは、武装集団に拉致されて監視下にありながら寄せ集めの材料でなんとか作ったとう「リアリティのある手作り感」である。


そして帰国した後に作った新型パワードスーツがいくら最新の材料と機器を結集して作ったとしても、あくまでスーツであるからこれを使いこなそうとするトニーは何度も失敗を重ねる。


飛ぶどころか空中に浮くことさえうまくできない。パワーの制御とバランスをコントロールすることが難しい様子がちょっとコミカルにみえる絶妙の撮り方をしている。


また徐々にパワードスーツの扱いに慣れていくのと平行して、秘書の女性とのラブロマンスも直接的なお色気無しにもかかわらずしっかり織り込まれていく。


そもそも武器商人の映画というのは、ふつうなら米国ではタブーだ。なぜなら……こちらのレビューを読んでもらえればそのヒントを得られるだろう。


というわけで、ふつうだったら武器商人の映画というだけでリスクがあるのに、うまいこと一流のエンターテイメント娯楽作品によくぞ仕上げたと拍手をおくりたい。


それもこれも、いい意味での「ほどよいユルさ加減」を真面目にしっかり徹底しているからこそできるのだ。

■ 生身のメカ感


また、程よい匙加減としてはメカの描き方や使い方がよい例だ。


メカ映画「トランスフォーマー」が有名だが、これはちょっとやりすぎの典型例となっている。


「トランスフォーマー」のメカのCGはほんとうにスゴい。目がまわるぐらいにクルクルとめまぐるしく変形する。だが、スゴい映像だったね、のヒトコトで終わってしまう。いわゆる余韻がゼロに近いのだ。


「トランスフォーマー」のメカの映像はたしかにスゴい。パッと見は「おぉ!」となる。


映画「ファイナルファンタジー」の人間のCG映像は、当時としてはたしかにスゴい。パッと見は「おぉ!」となった。


だが、そればっかりでは観客は飽きてしまう。フカヒレスープがいくら高級料理でおいしいといっても、朝昼晩毎日ずっとフカヒレスープでは飽きてしまう、みたいなものだ。


ところが「アイアンマン」は映像がスゴいけど、どこかアナログっぽいリアリティがある。昔のアニメでいえば「サブングル」みたいな。(――ってわかりづらいか^^;)


最高のオーディオシステムで音楽を聴くのもいいが、生演奏のライブに行ったほうがワクワクした、なんて経験はないだろうか。


デジタルの音がイヤホンやヘッドホンを通して聞えてくるんじゃなく、生演奏の楽器の音が空気を伝って聞えてくる。


そんな感覚が「アイアンマン」にはある。ひとことでいえば「生身のメカ感」とでもいおうか。それができるのも、キャラクターの味付けや、物語のペースや、笑いのセンスがしっかりとかみ合っているからだ。


「アイアンマン」はラブロマンスとしても、人生のドラマとしても、メカアクションとしても楽しめる、エンターテインメント傑作である。

■ おもしろい冒険・アクション作品を見極めるヒント


ちなみに、おもしろい冒険・アクション作品を見極める指標のひとつはラブロマンスにある。


たいていの冒険・アクション作品の主人公は、ヒロインと恋に落ち、程よいあたりでベッドシーンになる。これはよくあるパターン。するとその映画作品自体もよくあるパターンのどこかで観たことがあるような冒険・アクション作品であることが多い。


ヒーローとヒロインが「いい仲」になってもベッドシーンがないどころか、キスシーンさえない作品は、不思議とかなりおもしろい冒険・アクションであることが多いようだ。


そして「アイアンマン」もこの法則(?)に当てはまるのだ。

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映画「28週後...(28 WEEKS LATER)」


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「28週後...(28 WEEKS LATER)」
監督: フアン・カルロス・フレスナディージョ
2007年/104分


ダニー・ボイル監督作「28日後...」の続編となる本作は、べらぼうに評判がいい。


あまりにヤバすぎて(いい意味で)「どのように記事にすればいいのかと思っているうちに結局書きませんでしたパターン」になってしまってはいけないと、あえて軽~いノリで紹介しますね。


真面目に(いつも真面目ですが)論じると、とてつもない分量になりそうなので……。


ご存知のようにゾンビ映画というのは多かれ少なかれ社会風刺の要素を持っています。


ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画なんかは特にその傾向が強いのは有名です。そのあたりの具体的な話は、以下のE-BOOKで解説しています。(未読の方はタカまでお便りくださいね)


●「深夜の課外授業 ゾンビでわかるアメリカ合衆国
  ~けっして日没前には読まないでください~」


「28週後...」もその例にもれず社会風刺が効いています。しかしそれは米国産ゾンビ映画とはちょっと違います。


米国産ゾンビ映画は、自国の歴史と社会を自虐的に皮肉るみたいな部分が味のひとつにもなっていますが、英国産の「28週後...」は本家(?)米国ゾンビから距離を置き、ゾンビファンだけでなく広く一般客の心を震わせつつ、軍隊や戦争、そして国家というものを風刺しています。


「28週後...」は、ある一家のおとんがおかんを救えずにひとり生き残るシーンからはじまります。


この冒頭のシーンに観客はガツーンとやられます。なぜってスペインに旅行に行ったままの子供たちを心配しながら田舎の老夫婦の家に隠れていた夫婦がゾンビたちの襲撃を受けるのですが、このときの逃亡劇がすさまじいからです。


ご存知のように最近のゾンビは猛ダッシュします。ウィルスに感染したゾンビは生者をみつけると自身の身体能力の限界などおかまいなしにフルスロットルの猛スピードで追いかけてきます。


しかもその数はどんどん増えていきます。正気のおとんはゾンビ以上のフルスロットルの猛ダッシュで逃げなければなりません。


息をもつかせぬ展開と逃亡において、このセットアップのシーン以上のものを観たことがありません(たぶん)。


なんとか生き残ったおとんは、おかんを助けることができなかった自分を赦せないまま、旅行中のために助かった子供たちと、安全宣言が出されたロンドンで再会します。


おとんは、子供たちにおかんを救えなかったと説明します。悲しみにくれる子供たちは、おかんを身近に感じられる物を手に入れようと、安全区域をそっと抜け出して自宅に戻ってしまいます。


そこで子供たちはおかんを発見するのです!


実は、おかんはウィルスに感染してもゾンビにならない抗体を持つ特別な人間(感染しても発症しない「保菌者」)だったのですが、恐怖のためかウィルス感染の副作用のためか、日常会話や日常生活はできない状態で入院(隔離)されています。


そこにおとんがやってきて、助けられなかったことをあやまって妻にキスします。


そしておとんがウィルスに感染。安全宣言が出されたロンドンにふたたびウィルスが蔓延していくのです。


やがて民間人を守るための米軍主導のNATO軍に「コード・レッド」と呼ばれる緊急事態令が発令されます。


これは、感染者も感染者から逃げる民間人も区別がつかないからみんな射殺しろ、という命令です。


このシーンは、軍隊・戦争・国家というものが本来どういうものかを風刺しています。


以上が前半部分のおおまかなあらすじです。このように、人間の心の葛藤や家族への愛、そしてウィルスへの抗体という希望の光を消えぬようにすればするほどふたたび感染が広まる様子は、観る者にいたたまれない感情を起こさせます。


あらゆる物語は、観客や読者にこの「いたたまれない」感情を起こさせせることができれば成功です。


いたたまれない感情が起こる前提条件には、登場人物への感情移入が不可欠。


このとき、観客が自然と主要な登場人物それぞれと同じ目線に合わせることができるようになっていれば大成功です。


「28週後...」では、おとんやおかんや子供たちや、また子供たちを守ろうとする大人たちのそれぞれの思いや願いが、まるで自分のことのように感じられます。


「コード・レッド」が発令されても、自身の心に正直に向かい合うNATO軍の兵士だっています。仲間(戦友)を助けたい兵士や、ウィルスの抗体が作れる可能性を秘めた子供たちを守ろうとする兵士です。


それぞれに大事なものを守ろうとする気持ちと行動が、ウィルス蔓延の可能性を秘めており、ちょっとしたきっかけで事態がどんどん悪いほうへ転がっていく「いたたまらなさ」がひしひしと伝わってきます。


「いたたまらなさ」だけではありません。


ゾンビから逃れるため、暗闇に覆われた地下鉄線路を銃の赤外線スコープを覗きながら子供を誘導して進む女性の目線の映像は、あたかも自分がその場にいるかのようであり、暗視スコープに映し出される子供が真っ暗闇の中を声の指示だけを頼りに進もうとする様子に、ただただ圧倒されます。


「いたたまらなさ」と「迫力の映像」。そして「社会風刺」。


前作「28日後...」とセット観るといいですが「28週後...」だけでも十分すごい作品なので、ぜひ観てみてください。


評判がいい理由がきっとわかりますから。


もちろん、ゾンビが出てきますからかぁなぁり血飛沫が飛び散りますし、コードレッド発令による射殺シーンもありますので、そのあたりは覚悟のほどを。


▼「28日後(28 DAYS LATER)」作品レビュー
http://plain-story.cocolog-nifty.com/ps/2004/05/2828_days_later.html


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映画「タイガーランド」


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stars戦闘シーンのない戦争映画
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「タイガーランド」
 監督:ジョエル・シューマカー


「物事は、それ自体を見せるよりも、それ事後を見せるほうが効果的な場合がある」(――3分映画のタカ――)


この格言(笑)にもあるように、これまでベトナム戦争を題材にした映画は、ベトナムでの戦争の話、もしくは米兵がアメリカ合衆国に帰国してからの話(帰還兵の苦悩)というのが多くを占めていました。


そんななか、ベトナムへ送られる兵士たちの訓練の様子を描いた作品に「フルメタル・ジャケット」があります。


海兵隊訓練キャンプでの新兵の訓練の様子が描かれるこの作品は、ベトナムへ送られるまでの訓練シーンと、訓練後に送られたベトナムでのシーンがあります。


しかし「タイガーランド」にはベトナムのシーンはありません。ベトナムから帰還した後のシーンもありません(兵士がその後どうなったか伝えきいたといったようなナレーションはあります)。


あるのは、アメリカ合衆国の国内での新兵訓練の様子と、そこで訓練を受ける新兵たちの生き様です。


新兵のボズは規律違反や問題行動が続いて小隊のお荷物のように扱われますが、彼の兵士としての技量や能力はズバ抜けており、それを他の兵士たちもわかっています。


ところがボズは反戦を口にしたり、上官の命令に逆らって突撃命令を無視させて仲間たちの命を守ろうとしたり、軍規を知りつくして兵士仲間を除隊させたりします。


なぜ、そんなボズが兵士になったのか。


ベトナム戦争当時、志願兵もいましたが、ベトナムに送られた兵士の多くは20前後の若者だったそうです。


まだ、右も左もよくわからない若者をベトナムへ送ったのです。


軍隊以外に行くあてのない新兵たちはたくさんいたことでしょう。


自分の信念、考え、意思に関係なく、兵士にならざるをえなかった若者たち。


たとえ志願兵であったとしても、志願したわけではない新兵と出会い、またボズのように公然と反戦を口にして上官に逆らう兵士と出会い、影響を受けていく若者。


それぞれの思いが交錯するも、ベトナムへ送られる日は着々と近づいてきます。


訓練場の上官はこんなふうにいいます。


おまえたちのなかには運良く他の部署に配置転換されることを期待する者もいるだろう。だがそんな甘い希望は今すぐ捨てろ。おまえたちはまちがいなくベトナムへ送られる。ここでの訓練はきびしいものだがおまえたちがベトナムから生きて帰る可能性を少しでも高めてくれるありがたいものだぞ。


逃げ道がないと感じ、追い詰められる兵士たち。高いところから飛び降て怪我をすればベトナムに行かなくて済むからと、何度も飛び降りようとするけれどもできない兵士たち。


脱走したくともできない新兵たちの間には、ボズに頼めばベトナムにいかなくて済むらしいという噂まで広がります。


軍規の抜け道を利用して仲間を除隊させることができるほどのボズですから、自分を除隊させることもできるでしょう。


ボズは脱走を試みますが、それでも軍隊に戻ってきます。


ボズの、不器用にも思える生き方。そこに当時の若者のリアルが映しだだされているともいえます。


ベトナム戦争がアメリカ合衆国にもたらした様々な影響や問題は計り知れません。


アメリカ合衆国はベトナム戦争の戦費をベトナム映画で回収したとまで言われるほど、アメリカ合衆国は実にたくさんのベトナム戦争映画を作りました。


それだけアメリカ人にとってのベトナム戦争というのは大きなものであり、アメリカ合衆国が作ったベトナム戦争映画はアメリカ人のメンタリティを理解する大きな助けになると考えていいでしょう。


そこそこの数のベトナム映画を観てきた方や、アメリカ合衆国やアメリカ人がどんな国でどんな人たちなのかを知りたいと願う人に「タイガーランド」をおすすめしておきましょう。


ふつーに映画を娯楽として楽しみたい方はこんな作品がいいですよ
http://mikkemon.seesaa.net/article/117223208.html
↑一級のアクション傑作です。超おすすめ。

ちなみに記事中で紹介した「フルメタル・ジャケット」は、ベトナム戦争映画ではめずらしく、ベトナムでの戦闘シーンがジャングルではなく市街地です。


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01/07/2009

映画「ベガスの恋に勝つルール(WHAT HAPPENS IN VEGAS)」

監督:トム・ヴォーン
アメリカ/2008年/99分

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
ラスベガスで出会い、酔って盛り上がった勢いで結婚したふたり。

翌朝、酔いがさめたふたりが結婚をなかったことにしようとした矢先、カジノで300万ドルを当てる。

ふたりは賞金をわが手に入れるためにその所有権を主張し合う。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽ジョイ
キャリアウーマン。ウォール街で働く。

△ジャック
父親が経営する工場を解雇された男。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
やんちゃ者のジャックは父親が経営する工場を解雇されちゃった。でもこれはかわいい子には旅をさせろみたいな親心から。

そうと知ってか知らずかジャックは親友の弁護士とラスベガスへGO!

ベガスで酔いつぶれイケイケフィーバー(死語?)しまくった勢いで出会ったばかりの見ず知らずの女と結婚。

相手は、フィアンセの誕生日にサプライズパーティを開くはずが、自分がみんなの前でフラれちゃうサプライズパーティになっちゃったので、気晴らしに女友達とラスベガスへやってきたジョイ。

翌朝冷静になったジャックとジョイは結婚をなかったことにしようと双方で合意するけど、その直後にスロットマシーンで300万ドルが大当たぁり~!

金の切れ目が縁切れ目の逆バージョンの「降って湧いた大金で縁ができた」ふたりは、300万ドルを差し押さえられて6ヶ月間の仮面夫婦生活がはじまります。

はじめはお金のために仕方なく表向きは仲のよい仮面夫婦を演じているんだけど、その実ふたりはいやがらせばかりをやり合っている。けれどやがてお互いに好きなり……。

そんなありがちな定番のラブストーリーなので、どういう人が観たら楽しめるかって考えてみると、やっぱり仮面夫婦役のアシュトン・カッチャーとキャメロン・ディアスのファン向けかなぁっておもう。

アシュトン・カッチャーは超イケメンなのに汚ったないアパートで気ままな独身生活を送っちゃってる。

アパートが汚くってもアシュトン・カッチャーがカッチョいいんで、ちっとも悲壮感がない。工場だって解雇された身だけど、おとんが会社社長だもん。次期社長の椅子は約束されたようなもの。解雇されたのだって、社会勉強のためと思って与えられた休暇みたいなもの。

一方のキャメロン・ディアスが演じるジョイはウォール街で働くキャリアウーマン。お金には困っていない。でもでも~金髪パープリンおバカキャラをやらせたら右に出る者なしといわれるコメディ女優キャメロン・ディアスがキャリアウーマンって設定だけで、ぜったいどっかでストレス発散しないとやっていけないでしょう! て思えちゃうよね。

その期待に応えてなのかな。フィアンセにフラれた彼女はラスベガスでバカ騒ぎ。

キャメロン・ディアスだったらラスベガスでヘベレケに酔っ払った勢いでほんとうに結婚しちゃうんじゃないかって思わせるところが監督の狙いかもね。

予想どおりのドタバタラブコメで安心して観れるから、ベガス行くヒマもお金もない代わりのちょっとした息抜きにはいい作品だと思うよ。


デート      △ お気楽でユルすぎるかも
フラッと     ○ たまたま観ちゃった、ぐらいが丁度いい
演出       △
キャラクター   ○ 主人公ふたりのファンなら
笑い       △
映像       △
ファミリー    -

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12/16/2008

映画「NEXT -ネクスト-」

B001CEIK64NEXT [DVD]
ニコラス・ケイジ, ジュリアン・ムーア, ジェシカ・ビール, トーマス・クレッチマン, リー・タマホリ
ギャガ・コミュニケーションズ 2008-10-03

by G-Tools

監督:リー・タマホリ
アメリカ/2007年/95分
原作:フィリップ・K・ディックの『ゴールデン・マン』

運命の人だと確信した彼・彼女は、なぜ去ってしまったのか。実は深イイ作品。張りぼてで肩透かしをくらわせておいて、その実アクションシーンはスリリングで迫力があり、目が離せない。せつないラブストーリーと、人間の内面と葛藤を描いたドラマでもある。「マトリックス」のネオも真っ青の「弾丸避けアクション」も披露。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
2分先の未来がみえる予知能力を持つ男・クリス・ジョンソンは運命の女性とめぐり会う。
しかし、テロリスト集団によってロサンゼルスのどこかに核爆弾が仕掛けられたことにより、FBIのカリーに捜査協力を依頼される。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△クリス・ジョンソン
ラスベガスのマジシャン。

▽カリー・フェリス
FBI捜査官

▽リズ
教師。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
運命の人だと確信した彼・彼女は、なぜ去ってしまったのか。実は深イイ作品。張りぼてで肩透かしをくらわせておいて、その実アクションシーンはスリリングで迫力があり、目が離せない。せつないラブストーリーと、人間の内面と葛藤を描いたドラマでもある。「マトリックス」のネオも真っ青の「弾丸避けアクション」も披露。

■ なぜ彼・彼女は去ってしまったのか

接点が全くないように思えるふたりが運命の出会いをした。

愛し合うふたり。

しかし、運命の出会いと思えた彼はすぐにどこかへ行ってしまった……。

あなたの人生にも、これと似たような経験がないだろうか。

出会いに運命的なものを感じて、これからずっと一緒にいたいと思った矢先に、彼・彼女がスッと消えてしまった。
今いちばん傍にいてほしいのに……。

彼・彼女は、どうしても行かなくてはならないところがあるのだという。

実は既婚者? 
実は子供がいる? 
実は膨大な借金がある?
実は大富豪の御曹司・箱入り娘で許婚がいる?
それとも、実は……宇宙人?

いろんな憶測や妄想が広がるも、たしかなことは運命の人だと確信した彼・彼女は去っていってしまったということだ。

なぜ彼・彼女は去ってしまったのか。

その答えをどしても知りたいと願ったことがあるなら「NEXT-ネクスト-」を観るといい。


■「張りぼて」は正解!

「NEXT-ネクスト-」ではテロリスト集団によってロサンゼルスのどこかに核爆弾が仕掛けられるという危機が訪れるのだが、これは米国映画の「危機のお約束」の設定としては使い古されたものだ。

「NEXT-ネクスト-」のイケてるところは、あえて使い古された設定にするのみならず、テロリスト集団になんの理念も目的も持たせないところだ。

しかも、テロリストのメンバーの誰ひとりとして、その人間ドラマを描いていないのだ。

「ただそこにある危機」とでもいうべきか。物語に必要な「危機」を、いかにもありがちな設定として使っているにすぎない。その徹底ぶりはありちな典型的なアメリカ映画のパロディのようでさえある。

FBIにしても、ロサンゼルスのどこかに核爆弾が仕掛けられているというのに、なんだかんだいいいつつもそれを阻止するための最優先事項を、ラスベガスのB級マジシャンのクリス・ジョンソンの捜索と確保にするのだ

さらにテロリスト集団も自分たちの計画(その内容と動機は一切描かれない)を阻止するであろう最大の要因はラスベガスのB級マジシャンのクリス・ジョンソンだと考え、彼の捜索と抹殺を最優先事項とする。

これらについて「リアリティが感じられない」とか「とってつけただけペラペラの張りぼて設定」だとか言う人もいるだろう。たしかにそのとおりだ。

しかし「NEXT-ネクスト-」でFBIやテロリスト集団をペラペラの張りぼてにすることは、間違っていない。

設定がペラペラの張りぼてじゃないか! とニヒルな笑いを誘っておいて肩透かしをくらわせておいて、その実アクションシーンはスリリングで迫力があり、目が離せないのだ。

このギャップはなんだろう? と目を白黒させているうちにニコラス・ケイジの哀愁漂うチャーミングな顔芸(?)にますますのめり込んでいく……。

ニコラス・ケイジ扮するクリス・ジョンソンがFBIの戦術チームの指揮を執りながら大真面目にテロリスト集団を追い詰めていけばいくほど、まるでコントのワンシーンかのように笑えて仕方がないのだ。

ニコラス・ケイジのほかに笑いを誘う要因はFBI捜査官のカリー・フェリスだ。演じるジュリアン・ムーアは演技派女優として知られている。

芝居が上手過ぎるぐらい上手なので「フォーガットン」という映画では、彼女の演技のおかげで前半はものスゴく緊張感が高まった。だが後半は「ワォ!」と映画館の椅子からズリ落ちそうになるぐらいのオチを用意してくれたことは、みなさんの記憶にも比較的新しいだろう。

「フォーガットン」を観たことがある人は、クリス・ジョンソン(ニコラス・ケイジ)と一緒に真剣な表情で真面目に捜査するカリー・フェリス(ジュリアン・ムーア)の姿がなんとも滑稽に思えてくるだろう。


■ 実は深イイ作品

なんだかようわからんけど笑える作品だ、と紹介してきたが、その反面で「NEXT-ネクスト-」はとても深イイ作品である。

「運命の人だと確信した彼・彼女は、なぜ去ってしまったのか」という問いを入り口にこの作品と付き合いはじめるならば、なんともせつないラブストーリーと、人間の内面と葛藤を描いたドラマをみせてくれるのだから。


■ 七瀬とクリスはわかりあえる同じ境遇に

「手紙を隠すならレターボックス」

隠したい「何か」を隠す場所は、探す側が「まさかここには隠すまい」と思えるところが一番みつかりにくい。

だからドラマ「七瀬ふたたび」に登場する未知能力者たちの多くは、マジックバーで働いている。

「NEXT-ネクスト-」のクリス・ジョンソンもラスベガスでマジシャンをしている。

寂れたショーにマジシャンとして出演しても、儲けはたかが知れている。それでも予知能力のことが人に知られないよう、目立たずにひっそりと生活している。

未知能力のことを隠して生きることは、とてもつない「孤独」と付き合うことを意味する。

2分先のことがわかる予知能力を使ってつぎつぎに先を見通したならば、相手はまるで自分の心の内を見透かされたと感じるだろう。

あなたが次にすることをすべてわかっている男・女が傍にいたらどうだろう?

自分のことをなにもかも見透かされていると感じたら、おそろしくてそんな男・女とは一緒にいられないと感じるにちがいない。

つまり、2分先の未来がみえるクリス・ジョンソンは、ドラマ「七瀬ふたたび」の火田七瀬と同じ境遇にあるのだ。
七瀬は相手の心が読める。それが人に知られたら、気味悪がられ、恐れられて誰も近寄ってこないだろうから、クリス・ジョンソンの境遇となんら変わらないのである。

――孤独。

だからこそ七瀬は父親以外では、手段はどうあれ自分の安全を第一に考えてくれる予知能力者の青年・岩渕恒介に深い想いを寄せるのだ。

だからこそクリス・ジョンソンは唯一、自分以外の人間の未来がみえるその女性――リズ――に会いたいと願い、会ったことも話したこともない彼女に深い想いを寄せるのだ。


■ 人生とは失敗の連続

人生は失敗の連続。しかし失敗に打ちひしがれては、先に進めない。

クリス・ジョンソンはリズを救うためにさまざまな未来を幾通りも見る。その多くが失敗(ときに死も)であるが、失敗を通してみつけた「道」を選びとって進んでいく。

リズを救うためにたくさんの未来を見て失敗を繰り返しながら進んでいくクライマックスのシーンは、ひとりの人間の人生の縮図を特殊効果映像で表現しているかのようで、スリリングでスピーディでありながらたいへん深い世界を感じさせる。

もちろん、こういったシーンでもなぜか笑えてしまうのだから、なんとも不思議な映画作品だ。


■ その他

原作がフィリップ・K・ディックだからといって、シリアスなSF作品を期待すべきではありません。

そもそもニコラス・ケイジが出演する作品は、どんな種類の映画であれ、お約束ともいうべき「楽しみ方」が存在します。

それをひとことでいうなら「ニコラス・ケイジワールド」ともいうべき「味」を堪能するのがもっとも正解に近い楽しみ方です。

どこにでもある田舎のモーテルとその周辺で2分先の未来がみえる男が繰り広げるサバイバルアクションのシーンは、迫力の映像のオンパレードでハラハラドキドキの連続。

クライマックスには「マトリックス」もネオも真っ青の「弾丸避けアクション」も披露してくれます。

どっちかっていったら「マトリックス」よりもイケてるんじゃないか。そんなふうにさえ思わせるニコラス・ケイジは、やっぱりスゴい!

「NEXT-ネクスト-」を楽しむためにはちょっとした準備運動が必要です。頭の体操をして脳のコリをほぐしておくとよいでしょう。

ニコラス・ケイジと笑いが好きなら、きっと気に入ってもらえると思います。

「NEXT-ネクスト-」のおもしろさを伝えるのはたいへんむずかしいのですが、タカはじゅうぶんに楽しませてもらいました。

ちなみにこの作品でニコラス・ケイジの奥さんが韓国人の観光客役でカメオ出演していますヨ。

デート        ○
フラッと       ○
演出         ○
キャラクター     ○
笑い         ○
映像         ○
SF超大作の期待 ×
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▼クリスマスのほんとうの意味
<あなたは他に見たことがあるだろうか?
冒頭に人名が次々につづく系図が載っている物語の本を――。>
知っているようで知らないイエス・キリストの誕生の意味についてお話しましょう。


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12/07/2008

映画「ジャンパー(JUMPER)」


監督:ダグ・リーマン
アメリカ/2008年/88分
原作:スティーヴン・グールド『ジャンパー』

もしも「スーパー赤ん坊」が暴れたらの巻。主人公はアメリカ合衆国?「Mr.インクレディブル」と見比べるとおもしろい。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
普通の目立たない高校生のデヴィッドは、同級生のミリーに好意を持っていた。

ある日、凍った川に転落。気がつくと一瞬にして図書館の床にズブ濡れになって倒れていたデヴィッドは、自分が持つテレポートの能力に気がつく。

家を出たデヴィッドは能力を使って金を手に入れ、ニューヨークで気ままに暮らしていたが、そこにジャンパーを抹殺しようとする組織にメンバーが襲ってくる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△デヴィッド・ライス
青年。世界中のどこへでも瞬間移動できるテレポーター(ジャンパー)。

▽ミリー・ハリス
デヴィッドの高校生時代の同級生。デヴィッドが想いを寄せる女性。

△ローランド・コックス
「ジャンパー」たちを悪として抹殺を使命とする組織「パラディン」の中心人物。

▽グリフィン・オコナー
青年。ジャンパーのひとり。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
もしも「スーパー赤ん坊」が暴れたらの巻。主人公はアメリカ合衆国?「Mr.インクレディブル」と見比べるとおもしろい。

■ デヴィッドはそんなに嫌味な男だろうか

「ジャンパー」公開当時の作品のレビューや感想の多くには、主人公デヴィッドの行動に共感できないという内容が目立っていた。

瞬間移動できるジャンパーの能力を使って銀行から大金を奪い、ニューヨークの高級住宅に住んで気が向いたときに行きたい場所に行って遊びまわっている男。

テレビのニュース番組で、洪水で流される車の屋根の上でどうすることもできない被災者が映し出されていても全く気にもとめない男。

高校時代に好きだった女の子に会い、彼女が学生時代に行きたがっていたイタリアのローマへファーストクラスの飛行機で連れて行き、高級ホテルに一緒に泊まってイチャつく男。

なんて自分勝手な男だ! というのがデヴィッドに対する観客の大方の感想だろう。


■ もしも宝くじが当たったら?

だが、もしも自分がジャンパーの能力を手にいれたらどうするだろう、と考えてみよう。

「ジャンパー」というのが突拍子もないと思うなら、もしも自分が年末ジャンボ宝くじに当たったらどうするかと考えてみよう。

年末ジャンボ宝くじの高額当選をはたしても数億円を手に入れることができるだけだが、ジャンパーのデヴィッドは瞬間移動をして、いつでもいくらでも大金を手に入れることができる。

金額の違いこそあれ、億という金額は自由を意味する。


■ 人がもっとも自由を実感するとき

人がもっとも自由を実感するのはどんなときか。

それは経済的不安を完全に払拭したと感じるときである。

多くの人はお金を得るために、持てる技術や時間を売る。

思い立ったときに好きな場所に行き、好きなモノを買い、食べたいものを食べることができるようになれば、まずは一通りそれをしてみたいと思うのが普通だろう。多くの人にそんな自由はないのだから。

決まった時間に決まった場所に行き、決まったことをしなければならない。それが時間を切り売りする多くの人間の現実だからだ。

宝くじであれ瞬間移動であれ、手に入れることができる億という金額は、庶民にとって「自由」を意味する。

それまで手に入れられるとは思ってもみなかった「自由」を手に入れた人間がどんな行動をとるか。

おそらくデヴィッドと同じようなことをするだろう。

デヴィッドがジャンパーの能力を使ってする行いは、だれでもするであろうことだと考えることもできる。

才能に運も含めるなら、宝くじに当たったのも運=才能であるから、自分の才能を活かしてお金を儲けようとするのは当然と考えるに違いない。

だからといってデヴィッドが銀行から大金を盗んだのは行き過ぎの行為のように感じかもしれないが、そもそも人間とは弱いものである。

「力」を持った人間はそれを使って「自由」を得る誘惑に打ち勝つことは、たいへん難しい。

インサイダー取引。横領。空出張。領収書改ざん。こんな誘惑にさえ打ち勝つのは難しいのが人間なのだ。

窮地に陥り、命の危険が目前に差し迫ったデヴィッドが「俺はだれも傷つけていないのに……(なんでこんな目にあうんだ)」といったようなことを言うシーンがある。

デヴィッドはジャンパーの能力を使うことは大きな罪とは思っていない。与えられた才能(足らんと)を活かして、ちょっとしたイタズラぐらいの軽い気持ちで銀行から大金を手に入れただけ。人を傷つけようなんて思ってない。

ところが「パラディン」のローランドは、ジャンパーの能力は人間が手に入れてはならないものであり、放っておけばやがて大きな悪となるから、いまのうちにその芽を摘んでおくのだという。


■ 歴史にみる最高権力者の呼び名

世界には様々な国がある。国によって最高権力者の呼び名はまちまちだ。

大統領。首相。書記長。議長。なかには大佐も。

ある国では大統領と首相のふたつの役職が存在する。

そして、ある時代のある国では大統領と首相を兼任する役職名がある。

それは「総統」だ。

日本で一般的に総統が使われるのは中華民国の国家元首とドイツのアドルフ・ヒトラーとイタリアのベニート・ムッソリーニ、それにスペインのフランシスコ・フランコの場合に限られる。

国家の最高指導者の地位と権力を持つ「総統」として有名なアドルフ・ヒトラー。彼の暗殺計画を題材とした手塚治虫の有名な漫画作品に「アドルフに告ぐ」があることからも、強大な力を持った人物はときに強大な悪とみなされ、恐れられ、命を狙われる。

どの時代でもどの国は地域でも、独裁者と呼ばれる者の出現と暗殺、そして次なる独裁者の出現と暗殺の繰り返しは、歴史の至るところにみることができる。


■ 自由の代償

そういうわけで強大な力を持ったジャンパーは常に暗殺の危険にさらされているのだが、デヴィッドは自分が命を狙われているとはこれっぽちも思っていない。

宝くじに当たったらどんなにすばらしいバラ色の人生が開けるだろうと多くの人は思いをはせるが、まさか宝くじが当たったら自分の命が狙われるとはなかなか考えないものだ。

お笑い芸人コンビの「カラテカ」の矢部太郎は、バラエティ番組の企画で1000万円借金したその全額の札束を透明なバッグに入れて東京の街を歩いて買い物をした。

透明バッグに入った札束は人目をひき、矢部太郎は道ですれ違う人がみんな敵にみえてきたとコメントしていた。
透明バックに札束を入れて持ち運ぶ矢部太郎が都会で買い物をするうちにどのようになっていったのか……。彼の場合はあくまで借金で1000万円なので「自由」とはいえないが、大金を得たことで周囲を見る目が変わり、身の危険を感じるようになることは、この一例をみても想像できるだろう。


■ もしも「スーパー赤ん坊」が暴れたら

デヴィッドがジャンパーの能力を自身のために使い続けるのを、仮に強大な力を持つ赤ん坊が好き勝手暴れまわっているかのように捉えると、どんなことがみえてくるだろう。

デヴィッドが幼いころに母親が家を出ていった後、父親は息子のことを心配しつつもその気持ちはうまく伝わらない。

つまり幼い頃に母親が出て行ってからというもの、デヴィッドは心の拠り所を失ったままで青年になり、自分でも認識できないほどの強大な力を手に入れた。

若いうちは自分の欲望を満たすためにジャンパーの能力を使うだけかもしれない。しかしその力が強大であるがゆえに、若いがゆえに、多くに人に危険を与える可能性が高いとして「パラディン」に追われるのだ。

これはアメリカ合衆国のことを皮肉っているようにもみえる。

世界の国々のなかでは、アメリカ合衆国は歴史が浅い。建国わずか230年ほどだ。

ウン千年の歴史を持つ国からみればまだ青年、いや赤ん坊のようなもの。

その赤ん坊が強大な力を持っているとしたら?

デヴィッドは高校生の頃にはじめて意識してジャンプするまで、クラスでも目立たない、同級生にからかわれる素朴で地味な少年だった。

それがジャンパーの力を使いこなせるようになって10年ほど経つと、小奇麗な格好で堂々として、かつて自分をからかった同級生と再会したときは、取っ組み合たり殴りあったりの喧嘩をしてみせるまでになった。

素朴で気のいい少年が力を得て小洒落た青年となって同級生と喧嘩するぐらいならカワイイが……。

母親のぬくもりをじゅうぶんに知らない屈折した感情を抱いたまま成長したアメリカ人の青年がその気持ちひとつで世界を危機に陥れる。

そんな世界の危機を救うのは「パラディン」という組織だという。「パラディン」のメンバーがどんな人種・国籍なのかはわからないが、リーダー格のローランドはどうやらアメリカ人らしい。

仮に「パラディン」がアメリカ合衆国の機関のひとつだとすると、世界の危機を救うのはやっぱりお・れ・た・ちアメリカ合衆国! ということになるだろう。

世界を危機に陥れるのもアメリカ合衆国(デヴィッド)なら、その危機を救うのもアメリカ合衆国(パラディン)というわけ。

こんなお約束の構図はアメリカ映画にはよくある。「ジャンパー」もその例にもれずというわけだ。

ちなみに、この構図をとてもわかりやく上手に描いているのがピクサーの「Mr.インクレディブル」である。


■ その他

幼い頃に出て行った母親。気持ちをうまく伝えられなかった父親と息子。

幼い頃に両親を亡くしたグリフィンと彼が大切にする金庫。

親子の絆や秘密。そして金庫。

こられを掘り下げたり上手に使ったりすればもっと心に響く作品になったことでしょう。

人間ドラマの部分はとってつけただけで、ジャンプする特殊効果の映像に力を入れ過ぎたように感じます。

極端な話、ジャンパーがジャンプするのは2,3回でもいいんです。

ジャンプできるというウソ(フィクション)を観客は受け入れているのですから、ジャンプしまくる必要はないのです。

むしろジャンプする映像が多ければ多いほど、ジャンプという特殊能力のありあがたみとインパクトはどんどん薄れていきます。

ここぞ! というギリギリのところまでジャンプを引き伸ばす。

落語でも真打ちが出るのは後のほうです。はじめは二つ目が登場して、その後にいよいよ真打登場となります。

スターウォーズのエピソード4でも、主人公がフォースを使って作戦を成功させるのはクライマックスです。

見習い同然のジェダイの騎士がフォースを習得してその力を発揮するのはクライマックスまで大事にとってあるのです。

「ジャンパー」のアイデアはいい。けれど、もう少し作り込んでほしかったな、と思います。

(三部作の構想もあるようですから、第1作は壮大な物語のはじめの部分だけなのかもしれません。)

デート      △
フラッと     △
演出       △
キャラクター   △
笑い       -
映像       ○
ファミリー    -

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11/28/2008

映画「ダイアリー・オブ・ザ・デッド(DIARY of THE DEAD)」


監督:ジョージ・A・ロメロ
アメリカ/2007年/95分

社会風刺の鬼才ジョージ・A・ロメロが放つ、主観とネットと恐怖と笑いのゾンビ四重奏作品。シニカルな笑いやコミカルな笑いもますます冴える!

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
――夜。
山奥でホラー映画を撮影していた学生のグループは、ラジオで、世界各地で死者が蘇っている、というニュースを耳にする。
学生たちはビデオカメラで撮影しながらネット上にその映像をアップしつづた……。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽デブラ

△ジェイソン

△トニー

▽トレーシー


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
社会風刺の鬼才ジョージ・A・ロメロが放つ、主観とネットと恐怖と笑いのゾンビ四重奏作品。シニカルな笑いやコミカルな笑いもますます冴える!


■ ベーシックゾンビ

1968年の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」ではじまるゾンビ映画でもっとも有名な監督といえば、もちろんジョージ・A・ロメロである。

数々のゾンビ映画を世に送り出してきた彼は、2005年の「ランド・オブ・ザ・デッド(Land of the Dead)」ではアメリカ合衆国の歴史、ヒッピー文化、中東での軍事作戦を風刺するだけでなく、道具や武器を使い、水中にも潜る「進化するゾンビ」を登場させた。

では今作「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」ではどんな新型ゾンビが登場するのか? 

そんな期待をいい意味で見事に裏切るのがこの監督の「粋」なところである。

今度のゾンビはいわば、ベーシックゾンビなのだから。

ゾンビが猛スピードでダッシュするわけでもなく、水中に潜るわけでもない。

「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」のゾンビたちと同じように、ただ生者の肉を求めてノロノロと襲ってくるゾンビなのだ。

動きがゆっくりなこともあり、今ここで起こっていることを記録しようと決意した学生たちは、襲い来るゾンビをビデオカメラで映しつづけるのである。


■ 主観撮影

学生たちの手持ちカメラで撮影される映像。

こうした主観撮影は「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や「クローバーフィールド/HAKAISHA」で注目を集めたことが比較的記憶に新しい。

「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」で特徴的なことは、学生たちは撮影した映像をウェブ上にどんどんアップしていくことだ。

だれもが手軽に撮影できて、世界中へ発信できる現在の社会を反映しているこの学生たちの行動は、ゾンビ発生・襲来という緊急事態のなかにあってもどこかしらコミカルにさえみえる。

学生たちはあたかもゾンビ発生という緊急事態を映像に収めて世界中に発信することで、有意義な行いをしている実感を得て、ますます輝いていくようでもある。

ベーシックゾンビがノロノロとした動きしかできないのをいいことに、学生仲間の女性がゾンビに追われている様子を男子学生はのんきに撮影し続ける。

「撮ってないで早く助けてよアンタッ!」みたいなことを散々女子学生に言われているのに、男子学生はぜんぜんおかまいなしでカメラを回し続けていたりする。

こうしたシニカルな笑いやコミカルな笑いをやってのけるのが、ジョージ・A・ロメロの愛嬌というかお茶目なところなのだ。


■ その他

ゾンビはいつも突然発生してあっという間に広がっていく。

それは一寸先は闇といえる現代社会の様相を呈しています。

さらに、だれでもどこでも情報を発信できる現代のネット社会による新種の恐怖をも描いています。

最後に、主観撮影はその使い方さえ間違えなければ、臨場感あふれる「画」を撮ることができますが、それとあまり意識させずにうまく使っている作品を紹介しておきましょう。

それは「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」です。


デート      ×
フラッと     △
演出       ○
キャラクター   ○
笑い       ○
映像       ○
ファミリー    ×
風刺       ◎ 
社会       ◎
ユーモア     ○


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08/29/2008

映画「ハンコック」


「ハンコック(HANCOCK)」

監督:ピーター・バーグ
アメリカ/2008年/分

スティッチと似たもの同士の、根はいい奴「ハンコック」。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
飲んだくれでの強大な力を持つハンコックは、凶悪犯を懲らしめる際に街を壊しまくるガサツな嫌われ者。
ある日偶然助けた男から、イメージチェンジによってみんなに愛されるスーパーヒーローにならないか、と話をもちかけられる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジョン・ハンコック
嫌われ者のスーパーヒーロー

△レイ・エンブリー
PRマン。

▽メアリー
レイの妻。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
スティッチと似たもの同士の、根はいい奴「ハンコック」。

■ 根はいい奴「ハンコック」

街のベンチで横になって寝ている男。どう見ても酒を飲んでベロンベロンだ。ベンチの前にある街頭テレビには、武装した強盗グループが発砲しながら車で逃走をつづけているニュースが流れている。

ベンチで寝ている男・ハンコックを男の子が起そうとする。強盗たちを退治しにいくよう促しているのだ。

ハンコックは二日酔いの頭を抱えるようにしてめんどくさそうにする。それでもベンチの下から酒瓶をひとつ掴むと、空を向かって飛び出していった。

二日酔いなのでハンコックの飛行の軌跡はあっちこっちへとフラフラする。案の定、ハイウェイの標識にブチ当り、大破した標識の破片で何台もの車が走行不能になる。

強盗たちを懲らしめたものの街は大損害を被る。ハンコックが現れるところでは破壊が起こり、人々の日常生活に支障をきたす。おかげで街の財政は危機に瀕している。

このセットアップでわかることは、たとえ飲んだくれであっても悪を懲らしめて市民を救おうとする心を持つだけでなく、そのために行動する憎めない男だということ。

ただその強大なパワーの使い方が乱雑で、その言動に品格の欠片も感じられないため、市民からは嫌われているのです。


■ 嫌われてもスーパーヒーローのワケ

強大な力。たとえば大きな権力を行使できる地位にある人(Aさん)は、一般市民の何倍、何十倍も気をつけなくてはなりません。

権力への恐れと保身の願いから、周囲の人たちはだれもAさんに意見をいわないからです。たまに言う人がいても、すぐにどこか遠くへ飛ばされてしまうなどしていろんな意味で消されてしまいます。

ハンコックのような強大な力や能力を持った人や、大きな権力を行使できる地位にある人こそ、人間性が問われるのです。

人を助けたいと願えばそれを実現する力を行使することができる一方、既得権益を守り私腹を肥やそうと願えばそれを実現する力も行使できるからです。

嫌われ者のハンコックがまがりなりにもスーパーヒーローと呼ばれるのは、そのやり方はブーイングを浴びても、人を助けたいという願いだけは持ちつづけているからなのです。


■ ハンコックとスティッチは似たもの同士

嫌われ者は愛されるキャラクターに変化する可能性を持っています。

ディズニーのアニメーション作品「リロ アンド スティッチ」のスティッチは宇宙のお尋ね者で憎まれ役でした。

追っ手から逃れて地球にやってきたスティッチはペットのふりをしてリロという女の子のそばに身を寄せることに成功します。

暴れん坊のスティッチを家族として受け入れたリロの愛によって、スティッチは徐々にみんなに愛されるキャラクターへと変化していきます。

スティッチにとってのターニングポイントがリロとの出会いであったように、ハンコックにとってのターニングポイントはレイとの出会いです。

命を助けてもらったレイは、嫌われ者のスーパーヒーローのハンコックをみんなに愛されるスーパーヒーローにする計画を立てます。

レイがなぜそんな計画を立てたのか。

PRマンという職業が彼を駆り立てたといえますが、それでも見込みのない者をPRしようとは思わないはず。

レイはみんなに嫌われているハンコックの、人を助けたいという願望を持つ「良心」の存在に気づいたからです。

リロも宇宙の暴れん坊626号にスティッチという名をつけてオハナ=家族して受け入れたのも、積み木おもちゃを作っては壊して遊ぶ様子などから、だれかとの関係を作ることができるのに孤独とさみしさによって暴れん坊になってしまったと気付いたからです。

レイはPRマンなので、ハンコックを皆に好かれるスーパーヒーローにする具体的な方法を考えます。

その計画にのることにしたハンコック。彼をその気にさせたのはレイの家族のあたたかみに触れたからです。


■ 「ハンコック」はコメディ

ここまで読むと、なんだかまじめ~な心温まる物語だと思われるかもしれません。

でも「ハンコック」はコメディです。いわゆるおバカ映画。

おバカを大真面目にやると、こういう愛すべきおバカ映画ができるのですネ。

後半の肝はレイの妻メアリーの秘密です。その秘密が明らかになると「Mr.&Mrs. スミス」のパワーアップバージョンみたいになっていきます(ちょいネタバレ)。


■ その他

ハンコックがその強大な力の使い方を適切にコントロールできなかったためにみんなの嫌われ者だったという設定は、観客に希望を持たせます。

だれでもタラント(才能や能力)を持っているとするならば、それを上手に活かすことができないために孤独やさびしさの中にあるのは、ハンコックだけではないと思えるからです。

みんなに愛されるスーパーヒーローの第一条件は、人々の共感を得る者であること。

ハンコックとは私のことだ、僕のことだ、と思える。だからハンコックは憎まれ者でもスーパーヒーローという称号を与えられているのです。

基本構造は「リロ アンド スティッチ」と同じです。スティッチのディズニーキャラクターとしての人気を考慮すれば、ハンコックが人気者になり得る可能性をどの程度持っているかは容易に想像がつくでしょう。

さまざまな映画作品で幾度も地球の危機を救ってきたウィル・スミス。ヒーローと呼ぶにふさわしい(?)人気俳優を憎まれ役のスーパーヒーローにしただけでも、あっぱれですネ。

こういう映画はポップコーンを頬張って時折それをふきだして笑いながら観るのがいいでしょう。

けっこうオモロいっスよ。


デート      ◎
フラッと     ◎
演出       ○
キャラクター   ○
笑い       ◎
映像       ○
ファミリー    ○


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06/08/2008

「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」キリスト教・聖書大解説

「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛(THE CHRONICLES OF NARNIA: PRINCE CASPIAN)」

監督:アンドリュー・アダムソン
アメリカ/2008/年150分
原作:C・S・ルイス 『ナルニア国物語(The Chronicles of Narnia)』

「信仰」の物語。ナルニア国物語のキリスト教文化を聖書のエピソードを例に大解説。アスランは姿を消したのではない。ダビデにみる物語の定石「王は帰還する」。「少年ダビデと巨人ゴリアテ」でわかるテルマール軍とナルニア軍の戦力差。カスピアンだけではない? イケメン王子は聖書の中にも登場する。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
テルマール王国で摂政ミラースによるカスピアン王子の暗殺未遂が発生。

コウネリウス博士の手引きでかろうじて暗殺を逃れたカスピアン王子は、博士から角笛を受け取って城から脱出するもミラースの部下の追っ手が迫り、とっさに角笛を吹いた。

角笛の音に呼ばれてペベンシー4兄妹が戻ってきたそこは、かつての平和で美しいナルニア国ではなかった。

ペベンシー4兄妹が王と王女になった黄金時代からすでに約1300年の時が経過しており、テルマール人によってナルニアの民は迫害され、生き残った者たちは森の奥深くに隠れ住んでいた。

ペベンシー4兄妹はやがてカスピアン王子と合流。共にミラースの軍と戦う。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ピーター・ペベンシー(一の王)
ペベンシー4兄妹の長男

△エドマンド・ペベンシー(正義王)
ペベンシー4兄妹の次男

▽スーザン・ペベンシー
ペベンシー4兄妹の長女。弓の名手。

▽ルーシー・ペベンシー
ペベンシー4兄妹の次女

-------------------
〔テルマール人(人間)〕

△カスピアン
テルマール王国の王子

△ミラース
カスピアン王子のおじ。亡き王の弟。王位を欲し、カスピアン王子の暗殺を企てる。

△コウネリウス博士
カスピアン王子の家庭教師。禁じられているナルニアの歴史を王子に伝え、角笛を渡す。

△グロゼール卿
ミラースの側近

-------------------
〔ナルニア〕

△アスラン(ライオンの姿)
ナルニアの創造主。ナルニアの民の前から姿を消して数百年経つ。

△松露とり
アナグマ。

△トランプキン(赤ドワーフ)
ペベンシー4兄弟に助けられ、行動を共にする。

△ニカブリク(黒ドワーフ)
トランプキンの親友。ナルニアのために闇の力にすがろうとする。

△アステリウス
ナルニアの戦士。セントール(半身半馬)。ナルニア軍を指揮。

△グレンストーム
ナルニアの戦士。ミノタウロス

△リーピ・チープ
ナルニアの戦士。ネズミの騎士。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
「信仰」の物語。ナルニア国物語のキリスト教文化を聖書のエピソードを例に大解説。アスランは姿を消したのではない。ダビデにみる物語の定石「王は帰還する」。「少年ダビデと巨人ゴリアテ」でわかるテルマール軍とナルニア軍の戦力差。カスピアンだけではない? イケメン王子は聖書の中にも登場する。

■ はじめに

ここでは主に、ナルニア国物語の物語を聖書のエピソードとの対比によってその魅力を浮き彫りにしようと試みます。

映画「カスピアン王子の角笛」を未見の方は、ナルニアの話なのか聖書の話なのかの区別がつきにくくなるかもしれません。

そこで以下の「単語、名称、名前」を含む文については聖書のエピソードだと見当を付けていただければと思います。

「イスラエル」「サウル」「ダビデ」「ヤコブ」「ヨセフ」
「モーセ」「ゴリアテ」「ギデオン」「ヨシュア」「バラム」
「アブサロム」「預言者サムエル」「エリコの城壁」「エデンの園」

また「カスピアン王子の角笛」のレビューの前にこちらを一読することをお勧めします。
▼「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説
  ~これを知れば7倍楽しめる~
 「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」


■ 第1章からおよそ1300年後のお話
  ~ほんとうはスーザンの角笛!?~

「カスピアン王子の角笛」の舞台となる時代は、ナルニアの歴史のどのあたりでしょうか。

映画化第1作「第1章ライオンと魔女」においてペベンシー4兄妹が衣装タンスからナルニア国にやってきて白い魔女を倒したのはナルニア暦1000年。

これによりペベンシー4兄妹はナルニアの王と王女になり、黄金時代が訪れます。

それからの後のナルニア暦1998年。テルマール人(人間)がナルニアに侵攻・征服。テルマール人によってナルニアの民は迫害され、生き残った者たちは森の奥深くに隠れ住みます。

自然や魔法の力をおそれたテルマール人は、ナルニアの歴史を語ることを禁止します。

時は流れ、ナルニアの存在はお伽話として囁かれる程度のものになっていました。

そしてテルマール人によるナルニア征服から約300年後のナルニア暦2303年。

テルマール王国でミラース摂政によるカスピアン王子の暗殺未遂が発生。カスピアン王子はコウネリウス博士の手引きでかろうじて暗殺を逃れ、博士から角笛を受け取って城から脱出します。

ほんとうにピンチのときに使ってください、と渡されたこの角笛こそ、1300年前にペベンシー4兄妹の長女スーザンがサンタクロースから贈られた「魔法の角笛」であったのです。


■ アスランの姿を見たルーシー

ナルニア国にやってきたペベンシー4兄妹たちが深い谷を挟んだ向こう側へ渡ろうと道を探しているときのことです。

ペベンシー4兄妹の末っ子ルーシーだけが、ナルニア国で数百年姿を見せないといわれるアスランの姿を、深い谷を挟んだ向こう側に見たといいます。

アスランの姿を見たその場所から谷を下って向こう側へ行こうと提案するルーシーですが、他の兄妹たちも含めて誰もその姿が見えなかったため、深い谷を避けて川の浅瀬のある場所へと迂回することになります。

思い出してください。「第1章ライオンと魔女」で衣装タンスからナルニア国にはじめてやってきたのはルーシーです。

新約聖書マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあり、15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。

そのためでしょう、ナルニア国物語においてもアスラン(イエス・キリスト・神)のことを最も慕っており、より深い絆で結ばれているとされているのはルーシーとなっています。

だからルーシーだけが深い谷を挟んだ向こう側にアスランの姿を見ることができたのです。


■ アスランは姿を消したのではない
  ~信仰~見ないで信じる者はさいわいである

ナルニアからアスランが姿を消して数百年。ナルニアの民でさえアスランの存在を実感できなくなっていた時代。
ナルニアの民はアスランが姿を消したと思っていました。けれども、アスランは姿を消したわけではないのです。
いったいどういうことなのでしょう。

それを説明するにはまず「信仰」について話さなければなりません。

新約聖書の4福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)のうちマタイ、マルコ、ヨハネそれぞれの福音書に「水上を歩く」というエピソードが記されています。

湖に漕ぎ出した舟に乗ったイエスの弟子たちに逆風が吹きつけます。一生懸命に漕いでも舟は進みません。その様子を見たイエスは、夜明けの4時頃に弟子たちのところに向かいます。

月光の中、湖の上を歩いてこちらにやってくる人影を見た弟子たちは、それを幽霊だと思って恐れます。しかしそれがイエスだとわかると、弟子のペテロは「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」と願います。

イエスに「おいでなさい」と言われたペテロは舟から降りて水の上を歩いてイエスのところに行きます。しかし風に恐れをなしておぼれかけます。

ペテロはイエスに手をつかまれて救われ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。

そしてふたりが舟に乗り込むと風はやんでしまいます。

ちなみにペベンシー4兄妹の長男ピーターは、新約聖書に登場するイエスの12弟子のひとり、ペトロ(ペテロ)に由来する英語圏の人名です。ペテロはイエスの12弟子のリーダー格で、本名はシモン。自分も水の上を歩かせてくださいとイエスにお願いしたのはこのペテロです。

水の上を歩くというのは、常識では考えられません。でもこれは、信じる者にはそれができるということを伝える「信仰」についてのエピソードなのです。

もうひとつ「信仰」に関する聖書のエピソードをご紹介しましょう。

これは、末っ子ルーシーがアスランを見たと言ったときに、それを信じることができなかった兄妹たちの様子を彷彿とさせるエピソードです。

十字架にかかり亡くなって後によみがったイエスの姿を見た弟子たちがいる一方で、未だその姿を見ていない弟子がいました。――彼の名はトマスといいます。

他の弟子たちがイエスにお会いしたと言ってもトマスは信じません。

それから8日の後、トマスを含めた弟子たちが鍵のかかった家の中にいると、イエスが姿を現して言われました。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。

トマスはイエスを見てこれに答えて言います。「わが主よ、わが神よ」。

イエスは「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」といわれました。

水の上を歩くことは普通は考えられません。でも目の前でイエスが水の上を歩くのを見たペテロは自分も歩けると信じて一歩を踏み出します。見て信じたペテロも「風」に怯えておぼれかけます。

それほど人間とは弱いもの。

まして亡くなった者が生きかえったと聞いても、それを見るまでは信じられないのは致し方ないと思われるでしょう。

でも、トマスはイエスの弟子です。イエスと共に時間を過ごし、イエスの数々の奇跡を見てきた弟子です。ナルニア国物語でいえば、かつてアスランとともに白い魔女を打ち破ってナルニア黄金時代を切り開いたペベンシー4兄妹でしょう。

そんな弟子(ペベンシー兄妹)でさえ、その姿を見るまでは信じることができなかったのです。

ナルニア暦2303年当時には、アスランの姿を見た者はルーシーだけ。その見たという話を他のペベンシー兄妹たちでさえ信じることができません。

人は目に見えないものを信じることを難しいと感じます。イスラエルの民はその歴史上、幾度も形ある物=偶像を作ってこれを拝みます。

イスラエルに王が誕生したのも、民の強い要望によるものです。他の国に王がいるように、自分たちも王がほしいと望んだのです。目に見えない神では不安で、目に見える王を欲したのです。

王の話が出ところで、次に「カスピアン王子の角笛」のストーリーから想起されるイスラエルの王についての話をしましょう。

(「アスランは姿を消したのではない」については後ほど)


■ 羊飼いの少年が巨人兵を倒す

巨人兵です。巨神兵(「風の谷のナウシカ」に登場)ではありません。

イスラエルの初代の王はサウルといいます。サウル王が神の言葉に従わなくなってきた折り、神の言葉を人間に仲介するた預言者サムエルによって次の王が選ばれます。

選ばれたといってもすぐに王になるわけではありません。選ばれた者は預言者サムエルによって頭に油を数滴落とされて神の旨(次の王となる)をそっと告げられるのです。

次の王となる少年の名をダビデといいます。彼はエッセイという人の息子で末っ子です。

ほら、ここでも末っ子が登場しましたね。旧約聖書の時代も現代の日本も、基本として長男が重んじられるのはよくあることです。

でも神のために働く者として選ばれる人たちには、次男や末っ子がけっこういました。ヤコブは双子の弟。ヨセフは12人兄弟の11番目。イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセにも兄がいました。

ナルニア国物語でもアスランと最も強い結びつきを持っているのは末っ子のルーシーですね。

話を戻しましょう。

ダビデは羊を飼っていました。いわゆる羊飼いです。ダビデの兄たちはペリシテ人の軍隊と谷を挟んで対峙するイスラエルのサウル王の軍にいました。

父のいいつけて兄たちの様子を見に行ったダビデは、敵のペリシテ軍のひとりの大男の兵士・ゴリアテがイスラエル軍に一対一の戦いを挑むのを目の当たりにします。

しかしイスラエルのサウル軍のなかに、完全武装したこの巨人に立ち向かおうという者はだれひとりいませんでした。

さて、この一対一の戦いで軍隊全体の勝敗を決めようという申し出は「カスピアン王子の角笛」では「逆」に使われています。

つまり、川を渡って進軍してきたテルマールの大軍を前に窮地に陥った少数のナルニア軍が、ルーシーを使いに立ててアスランに援軍を求めにいく間の時間稼ぎに「一対一の決闘」を申し出るところです。

聖書では敵軍(ペリシテ軍の巨人ゴリアテ)が申し出た一対一の決闘を、ナルニア国物語では自軍(ナルニア軍)が時間稼ぎのために申し出たのです。

ダビデは神が付いているのだからと、巨人ゴリアテの挑戦を受ける決心をします。ダビデはいつもの羊飼いの格好で巨人ゴリアテに挑みます。持ち物といえば小石5つと革製の投石具と羊飼い用の杖だけです。

対するゴリアテは鎧に巨大な盾に刀と槍と完全武装しています。

この二人の武装の差はそのまま、少数のナルニア軍とテルマールの大軍を、さらにその強大な軍事力を背景とした年配のミラースと、ロンドンでは学生である若いピーターとの一対一の決闘の構図を表しています。

つまり、ダビデもナルニア軍も圧倒的に不利なのです。とうてい勝ち目はないと思える状況です。

ちなみにテルマール軍に一対一の決闘を申し込みに行ったのは次男のエドマンド(正義王)です。

敵の大将ミラースと決闘するのはエドマンドではなく、その兄のピーターです。それにもかかわらず決闘の申し込みのために敵陣に行ったのはピーターよりも若いエドマンドです。

一対一の決闘の申し出があればミラースは断らないだろうという計算があるにしても、念には念を入れて年長のピーターではなく、もっと若い次男のエドモンドを申し込みに行ったのは、相手の自己顕示欲と虚栄心を突いて決闘の申し出を断らせないためであると同時に、相手を油断させる狙いもあるのです。

巨人ゴリアテもテルマール人のミラースも、その軍事力の優位性から隙が生じます。

ゴリアテはダビデを見くびり、兜のフェイスガードを使いませんでした。そのため、ダビデが投石具を使って頭上でぐるぐる回して放った小石は巨人ゴリアテの額に命中。ゴリアテはばったりと地面に倒れます。

ではナルニア軍のピーターはテルマール軍のミラースを打ち破れるのか。それは観てのお楽しみに。


■ イケメン王子といえば

カスピアン王子はイケメンですね。実は聖書にもイケメン王子が登場します。アブサロムという王子です。

テルマール人の国の王位継承者であるカスピアン王子が、身内のごたごたで城を追われることになったのと同じように、イスラエルのダビデ王の家庭にもごたごたがありました。

旧約聖書の時代、たいていは長男が家督を継ぎますが、王の場合はそのときの王が望むようにすることができました。

そのため、ダビデ王の息子たちの間に次の王にだれがなるのかという「競争心」と「ねたみ」が生まれて渦巻いていたのです

ダビデの息子たちの間でごたごたがあり、ついに兄弟間で殺人が起こります。そのため、殺人の首謀者アブサロム王子はイスラエルから逃れます。

このアブサロム王子は姿かたちが良く、長い金髪を自慢にしていました。王座への野望を強く持ち続けており、逃亡中も立派な馬車を買い、立派な身なりをして民たちに親しく話しかけ、困っている人がいれば助けて人気上昇を図ります。

テルマールのカスピアン王子はおじのミラースに暗殺されかけるのでアブサロムとは事情が違いますが、自国や自分の城から逃れなくてはならない状況になるのは同じです。イケメンであることも共通しています。そしてなにより、どちらも王座を狙っています。

カスピアン王子は正統な王位継承者のように描かれていますが、どの時代のどんな国の王家でも、だれが王にふさわしいとか、だれが正統な王位継承者かというごたごたは、よくあることです。

ダビデさえ、かつてはゴリアテを倒してイスラエルの民の英雄となったことから、サウル王に妬まれ、命の危険に晒されて逃亡したことあります。その後いろいろあってサウル王の死後にダビデはイスラエルに帰還します。

ナルニア国物語の原作者C・S・ルイスの知り合いのJ・R・R・トールキンの「指輪物語」3巻のうちのひとつが『王の帰還』というタイトルからもわかるとおり、物語の定石に「王や王子がやむをえず逃亡したら、やがては帰還する」というのがあります。

ダビデ王が逃亡して後に帰還したように、カスピアン王子も逃亡した後に帰還する。そういった定石どおりの物語構造のなかに「信仰」をテーマに数々の聖書のエピソードを散りばめた作品。それが「カスピアン王子の角笛」なのです。


■ 吹けば「何か」がおきるラッパ

カスピアン王子の角笛をラッパと置き換えてみれば、聖書にはラッパを吹いて圧倒的多数の敵を撃破したエピソードが思い当たります。

イスラエルの指導者ギデオンは、土器のつぼとたいまつと雄羊角でつくったラッパを使い、わずか300人の軍隊でミデアン人の大部隊に勝利しました。

イスラエルの指導者ヨシュアは、エリコという町の堅固な城壁を打ち破るために祭司たちを集め、そのうち7人にラッパを持たて吹かせ、そのうしろに押し黙った兵士たちを行進させて城壁の周りを回るよう指示します。

これを6日繰り返し、7日目には城壁を7回まわり、7回目にラッパが響くや兵士たちが腹の底から力強い叫び声を上げると、エリコの城壁が揺れて崩れ落ちました。

ラッパを吹けば何かが起きる。それは勝利への合図といってもいいでしょう。

そういうわけで、カスピアン王子が吹いた角笛の音はナルニアの勝利を予感させるものでもあるのですね。


■ アスランはずっとそこにいた

では最後に、アスランは姿を消したのではないというのはどういうことか、についてお話しましょう。

川を渡って進軍してきたテルマールの大軍を前に窮地に陥った少数のナルニア軍。援軍を求めに森に入ったルーシーはアスランに出会います。

けっこうあっさりアスランがみつかりましたね。

それもそのはず、ルーシーはアスランの存在をずっと信じていたからです。さらにそれまで存在を信じきれていなかった他のペベンシー兄妹たちやナルニアの戦士・民たちも、窮地に陥ってやっとアスランに頼るしかないことを悟り、その存在を強く信じるようになったからです。

「苦しいときの神頼み」とうのは人間の弱さをあわしている言葉でもあるでしょう。

それでも人間(自分)は弱いものと認識して助けを求めさえすれば、湖で溺れかけたペテロを救う手を差し伸べたイエスのように、神は助けの手を差し伸べてくださる。そんなメッセージが「カスピアン王子の角笛」には込められているのですね。

ナルニアの民がほんとうに助けを求めたとき、アスランは助けてくれます。

アスランはけっして姿を消していたわけではなく、ずっとナルニアの民の身近にいたのです。

ほんとうに追い詰められてもう駄目だと思って心から信じて助けを求めたとき、アスランの姿をみることができたのです。

次のような話をきいたことがあります。

人生という名の砂浜を振り返ったとき、一番辛く助けを必要としていた時期にひとつの足跡しかなかったのを見たある人が、神に尋ねました。「私が最も辛くて大変だったときにどうして共にいてくださらなかったのですか」――と。

すると神は、そのひとつの足跡はあなたを背負って歩いた私のものだ、と答えられました。


■ その他

他にも聖書のエピソードを彷彿とさせる箇所やキリスト教文化の片鱗がいくつもありますが、以上の大まかなところを頭の片隅に入れていただければ、きっと作品の魅力をさらに感じてもらうことができると思います。

半身半馬のナルニア戦士が登場したり、ねずみがしゃべったりと、聖書のエピソードがちりばめられれいるというわりには、そのあたりはさすがに子供騙しみたいな登場キャラクターだと思われるかもしれません。

ところが、実は聖書にも動物が話すエピソードがあります。

有名なところではエデンの園で「へび」が女にしゃべり、善悪を知る木の実を食べさせたエピソードがありますね。

ほかにも旧約聖書の民数記には占い師バラムがのった「ろば」がしゃべるエピソードがあります。静かで我慢強い「ろば」が鞭打つ主人バラムにむかって「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」と言ったとあります。

ちなみにカスピアン王子が暗殺から逃れて森を馬で走っていたときに、追っ手を確認しようと振り返り、それが原因で前方の木の枝に当たって落馬しましたね。

聖書に登場する例のイケメン王子アブサロムも森を騾馬に乗って走っているときに、垂れ下がっている樫の木の枝に突っ込み、長い髪が枝にひっかかります。騾馬はアブサロムを宙吊りにしたまま走り去ってしまいます。その後アブサロムはどうなったのかは……知りたい人は聖書を紐解いてみましょう。

さて、ファンタジー作品ときくとすぐに「子供だましだ」という人もいるかもしれませんが、有名なファンタジー作品にはたいてい、しっかりしたテーマや力強いメッセージがあります。

そういった作品は子供だましどころか、人生の教科書といってもいいでしょう。

有名ファンタジー作品にかぎらずどんな作品でも、そこから何を感じ、何を学ぶかは人それぞれです。

見ようと思わなければアスランの姿がみえないのと同じように、感じて学ぼうとしなければ作品のテーマやメッセージを知ることはできません。

もちろん、子供だましだと思って映画「ナルニア国物語」観ようと思わなければ「ナルニア国物語」は観ることができません。

あたりまえのように聞こえるでしょうが、これこそ「カスピアン王子の角笛」のメッセージなのかもしれません。

それと、軍隊の戦闘シーンが多めです。迫力がスゴいです。

聖書ときくと「許しと癒しの物語」をイメージされる人が多いかもしれません。たしかにそのとおりなのですが、それは主に新約聖書のエピソードや、イエスの例え話にその傾向が顕著にみられます。

一方の旧約聖書は戒めとそれを破った者への罰といったエピソードがけっこうあります。

旧約聖書を少しでも紐解けば、イスラエルの歴史は軍隊による戦いの歴史といってもいいことがおわかりいだけると思います。

「カスピアン王子の角笛」は、こういった聖書に記述された戦いの凄まじさといったものも併せてイメージさせるものとなっています。

親子連れでご覧になる方はそのあたりもお知りおきを。


デート      ○ イケメンはなぜか長髪。でも彼氏は短髪?
フラッと     ○ キリスト教文化関係なしでもOK。話はシンプル。
演出       ○ 
キャラクター   ○ ねずみ戦士が人気?
映像       ○ 
ファミリー    ○ 戦闘シーンが多めを知りおきを
アクション    ○ 一対一の決闘をはじめ戦闘シーンが迫力アリ
歴史       ○ 
社会       ○
文化       ◎ キリスト教文化。聖書のエピソード多数織り込み。


カスピアン王子の「もうひとつの物語」
≪ミラース王が敗れた理由は「物語力」にあった!≫


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03/04/2008

映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤(THE GOLDEN COMPASS)」

監督:クリス・ワイツ
アメリカ/2007年/112分
原作:フィリップ・プルマン『黄金の羅針盤 Northern Lights』

白クマ版「王の帰還」。「ダスト」と「真理計」が象徴するアノ木とソノ実。「ナルニア国物語」の少女とは対照的なライラ。彼女の外見のアンバランスさの意味とは? 雪を溶かすほどの熱戦「白クマ横綱決定戦!」が最大のみどころ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
すべての人間に「ダイモン」という守護精霊がいる世界。

子どもの誘拐事件が多発するイギリスで、オックスフォードの寄宿生の少女ライラの親友ロジャーが行方不明になる。

誘拐された子供たちは北の大地に連れて行かれるとの情報を得たライラの前にコールター夫人が現れ、一緒に北の地へ行こうと持ちかけられる。

コールター婦人と共に出発する直前にライラは、学寮長から黄金に輝く真理計「アレシオメーター」を手渡される。

コールター婦人としばらく生活するうちにライラは誘拐事件の首謀者を知る。それはコールター婦人だった。

ライラはコールター婦人から離れ、親友のロジャーを助けるためにジプシャン族の船で北の大地をめざす。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽ライラ・ベラクア
少女。12歳。オックスフォードの寄宿生。ダイモンはパンタライモン。

▽コールター夫人
上流階級に属する女性。教権とのコネクションを持つ。ダイモンはゴールデンモンキー。

△アスリエル卿
冒険家。学者。ライラの叔父。北の大地に空から舞い降りる「ダスト」を調査する。ダイモンはステルマリア(豹)

▽セラフィナ・ペカーラ
魔女。魔女一族の女王。ダイモンとの距離が離れても行動できる。

△リー・スコーズビー
飛行船乗り。ダイモンはヘスター。

∵イオレク・バーニソン
よろいグマ。元よろいグマの王。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
白クマ版「王の帰還」。「ダスト」と「真理計」が象徴するアノ木とソノ実。「ナルニア国物語」の少女とは対照的なライラ。彼女の外見のアンバランスさの意味とは? 雪を溶かすほどの熱戦「白クマ横綱決定戦!」が最大のみどころ。

■ 第1作の舞台とは

「ライラの冒険」シリーズは3部作から成ります。

第1作の舞台は、すべての人間に守護精霊「ダイモン」がいるパラレルワールド

第2作の舞台は、わたしたちが生きる世界。

第3作の舞台は、パラレルワールドとわたしたちが生きる世界とを行き来します。

まずは第1作「ライラの冒険 黄金の羅針盤」の世界がどのようなものかを簡単にご紹介しましょう。

私たちが生きる世界と似ているけれども、ちょっと違います。

違うのはすべての人間に「ダイモン」が付いているところです。これは守護精霊で、動物や昆虫などの生き物の姿形をしています。「ダイモン」が亡くなると、そのダイモンを持つ人間も亡くなります。他人のダイモンを許可なく触ることは無作法とされています。

ライラが生きるパラレルワールドでは教権(マジステリアム)という機関が強大な力を持っています。教権はすべての人間を支配しようとしています。

教権に対抗する勢力には大学などの教育機関、学者、ジプシャン族、魔女たちなどがいます。

そんな対抗勢力に属するアスリエル卿は北の大地で「ダスト」を発見します。

空から舞い降りる「ダスト」はダイモンを通じて人間に吸収される、とアスリエル卿は説明します。「ダスト」は異世界と通じており「ダスト」を知ることは世界の真理を知ることにつながると大学関係者や有力諸侯に呼びかけて、北の大地の探検費用を集めます。

そんなアリエル卿はライラの叔父にあたります。アリエル卿は自分が世界を飛びまわっている間はライラに危険が及ばないようオックスフォードの寄宿寮に入れています。

イギリスの上流階級の子息令嬢はオックスフォードのような全寮制の教育機関で学びますから、ライラもその例にもれず寄宿生活をおくっているというわけです。

そもそもアリエル卿が学者であることや、中世以来のヨーロッパの伝統に学問の自由があり、そこには大学の自治の観念も含まれるとされていることからも、すべての人間の支配を目指す教権からライラを守るには、両親をなくしている彼女にとっての考えられる限り安全な場所は大学なのです。

しかし大学でもライラを守りきれるとはかぎりません。有力者の圧力によってライラは大学を離れることになります。

ライラは北の大地への好奇心によってコールター夫人に付いて行くことにします。このとき大学関係者はライラの身が危険にさらされるかもしれないとわかっているにもかかわらず、コールター婦人の力に屈してしまったのです。

こうしてライラの冒険がはじまります。


■ ボイコットを呼びかけられる「ライラの冒険」

海外では「ライラの冒険」がカトリック教会や信者たちから非難されています。

子供たちに無神論を植えつけるというのがその理由です。

映画作品では宗教に関する部分を控えめにしましたが、それでも北米のカトリック連盟は「ライラの冒険」のボイコットを呼びかけています。

では「ライラの冒険」のどのあたりが問題視されているのでしょうか。

「ライタの冒険」では神や天国への反乱が重要なテーマとなっているあたりに強い非難が浴びせられています。

「ライラの冒険」第1作において神や天国を象徴するものは「教権」です。厳密には神や天国というよりも、カトリック教会ですね。

教権は強大な権力を持っており、人間が世界の真理を知ることをおそれています。なにが正しいかは教権が決める。人間は教権に従えばそれでいい。それが教権の教えとされています。

宗教にかぎらずあらゆる支配階級・支配層は情報をコントロールしようとします。一般人が知ることができる情報を制限できれば、支配に支障をきたす考えを持つ人間の出現を減らすことができると考えるからです。

さすがに現代の多くの国と地域では一般人が知り得る情報を大幅に制限することは困難ですが、世界には国民に知らされる情報が大幅に制限されている国々もあります。

そこで「ライラの冒険」では現代ではなく、古い時代が舞台となっています。馬車が走り、気球が活躍する時代が物語世界として設定されています。

支配のために必要な情報の制限を行いやすい時代背景。それがちょっと昔のイギリスというわけです。

いつの時代にも支配に屈することのない主人公が活躍する物語がつくられます。

それが庶民の願望だからです。庶民の望みを形にしたもの。それが物語の一形態なのです。

「ライラの冒険」では支配層の象徴が「教権」です。教権のモデルとなったであろうものがカトリック教会なのです。

だから海外では「ライラの冒険」がカトリック教会や信者たちから非難されているのですね。


■「ダスト」と「真理計」が象徴するもの

では具体的に「ライラの冒険」のどこがカトリック教会や信者たちに問題視されているのでしょうか。

キリスト教に関連すると思われる箇所をいくつかご紹介しましょう。

「ライラの冒険」で忘れてならないのは「真理計(アレシオメーター)」です。真理計の別名を「黄金の羅針盤」といいます。

真理計を手に入れるだけでなく真理計を読める者は、あらゆる真理を知ることができるとされます。その象徴が「ダスト」であり「ダスト」へ辿り着く道を示すであろうものが真理計です。

「ダスト」や「真理計」は聖書のなかに登場する有名なものを連想させます。それは「善悪を知る木」と「その木の実」です。

人類最初の人間はアダムという男性です。アダムはエデンの園に住んでいました。神はアダムのあばら骨を1本取って女性を創りました。それがイヴです

イヴはある日、その実をとってたべてはいけないと神にいわれていた善悪を知る木に近づきます。木にいた蛇にそそのかされ、イヴはその実を取って食べます。そしてイヴはアダムにも実を食べさせます。

実を食べたときからアダムとイヴは自分たちが裸であることに気づき、はずかしくなってそばにあった木の葉で体を隠します。

罪の結果、はずかしさを感じるようになったのです。

ちなみに、は野の生き物のなかで最も狡猾で美しい生き物でしたが、イヴをそそのかしたために地を這う生き物にされました。

このように「ダスト」と「真理計」は、善悪を知る木とその実を象徴していることはおわかりいただけたと思います。


■ ライラは女性

真理計を読む力を持つライラは少女(女性)です。女性であるライラが真理計を手に入れてそれを使い「ダスト」へ近づく。

それはまさにエデンの園のイヴが善悪の知る木に近づく様子を連想させます。

そもそもライラという女性が主人公であることがカトリック教会にとっては歓迎できないでしょう。

「ダ・ヴィンチ・コード」でも「M」、つまりマグダラのマリアという女性が重要なキーワードとなっていたことからも、カトリック教会において女性が中心となって活躍する物語というのは例外中の例外でなければならないのです。

ローマ帝国はキリスト教を弾圧していました。それにもかかわらず313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ寛容令を発してキリスト教を公認します。

なぜキリスト教を公認したのでしょうか。

なぜなら、キリスト教を弾圧するよりも公認したほうが統治しやすいと判断したからです。

ただ公認するのではなく、統治しやすいようアレンジした。そのときに女性に関する部分をごっそり抜かしたという説があります。

「ダ・ヴィンチ・コード」は謎・ミステリーという手法で聖書における女性をクローズアップします。「ナルニア国物語」は児童文学という手法で聖書における女性の偉大さを伝えようとします。

「ライラの冒険」シリーズの著者は宗教に批判的な言及があるそうです。宗教的な意図はさておいたとしても「ライラの冒険」の主人公が少女・女性というのは、それだけでもじゅうぶんにカトリック教会にとっては受け入れられないものなのでしょう。


■ ライラは少女

マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあります。また15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。

「ナルニア国物語」でナルニアに初めて足を踏み入れるのはペベンシー兄妹の末っ子の少女ルーシーです。このように「ナルニア国物語」では少女がナルニアに一歩踏み入れることから物語がはじまります。

一方「ライラの冒険」の少女ライラは幼な子ではあるけれども「ナルニア国物語」の末っ子少女ルーシーとは違います。

ライラが一歩を踏み入れようとするのは北の大地です。

北の大地には世界の真理を示す「ダスト」が舞い降りるとされています。

ダストへの道をも示すであろう真理計を使う幼な子は、神の国を受け入れるような意味での幼な子というイメージではなく、どちらかというと善悪の知る木の実をとって食べ、アダムにもその実をたべさせたイヴのイメージです。

善悪を知る木の実をたべるようアダムに言葉巧みに勧めるイヴ。そこには知略・謀略家のイメージとしての女性が重なります。

原作シェイクスピア、監督黒澤明の「蜘蛛巣城」では女性が重要な役割を担って登場します。武将が森で出会った物の怪は老婆の姿であり、また言葉巧みに武将を動かそうとする妻はもちろん女性です。

「蜘蛛巣城」でも観ることができるように、ときに女性は知略・策略をもって言葉巧みに男性を動かします。ドラマや映画の「大奥」が人気なのも、歴史は女性が動かしてきたとする話に多くの人がうなづく表れではないでしょうか。

こういった女性のイメージを12歳の少女(幼な子)に投影させたのが「ライラの冒険」です。


■ ライラの外見のアンバランスが象徴するもの

ライラは「よろいグマ」のイオレクの命を救う方策として言葉巧みに、よろいグマ同士の1対1の決闘をセッティングします。

イオレクの命を救うためといえば聞こえはいいですが、その(?)にはよろいグマの軍団を味方にしたい思惑も当然あるでしょう。

見た目は少女(幼な子)でも、ライラの知略・謀略ぶりは、知性あふれるコールター夫人を出し抜くほどです。

もう一度ライラをよく見てください。全身をみると少女(幼な子)ですね。でも、顔のアップだけをみると……大人の女性の顔立ちです。

顔だけをみると、まったくといっていいほど幼さが感じられません。ライラのダイモンの姿がまだひとつに定まらないのと対照的に、ライタの顔は大人のそれにしっかりと定まっているかのようです。

幼な子なのに幼な子ではない。幼な子の容姿は世を欺く仮の姿とでもいうのでしょうか。「幼な子」という記号を逆手に取ったかのような配役の妙というのは「ライラの冒険」がどんな物語かを象徴しているかのようでもあります。

ライラ役の少女は約1万5千人の候補者の中からライラ役に大抜てきされた新人ですが、よくぞこれほど「幼な子」と「女性」が同居した人物を選べたなと思います。

ライラが少女(幼な子)なのは「ナルニア国物語」のルーシーが少女(幼な子)なのと対照的です。

ある人々にとっては、ナルニア国(神の国)へ初めに足を踏み入れるのが少女ならいいけれども、教権(カトリック教)の支配を脅かすダストを探求する重要な鍵を握るのが少女というのはよくない。さらに主人公が女性だけでなく少女(幼な子)というのは、とうてい受け入れることはできない。

だから「ライラの冒険」は、ボイコットを呼びかけられているのですね。


■ その他

女性・幼な子のほかにも、教権に対抗する勢力に放浪の民ジプシャンや魔女たちがいます。

ジプシャン族は教権の支配から自由になろうとする、いうなれば海賊みたいなものとして描かれています。

魔女たちはそのものズバリですね。中世の魔女といえば西洋キリスト教史では有名ですね。

「ダ・ヴィンチ・コード」「ナルニア国物語」「テラビシアにかける橋」といった作品にはキリスト教文化が深く反映されていますが、知的ミステリーや冒険ファンタジーや友情物語という「体」で包まれているといっていいでしょう。

もちろん隠すために包んでいるのではなく、興味を持ってもらうため、わかりやすくするための潤滑油といった意味で包んでいるのでしょう。

ところが「ライラの冒険」は「教権」がそのものズバリ! カトリック教会を指すことは誰の目にも明らかです。

日本では冒険ファンタジーとして宣伝されている「ライラの冒険」。けれども冒険ファンタジーという「体」で包まれているとは、欧米ではいえないでしょう。

それだけストレートで、それだけ露骨なんです。包もうなんて気はさらさら無くて、開き直る以前に開いちゃってるみたいな。

ちょっとは包んでよ。ちょっとは気を使ってよ。そんな声がきこえてきそうです。

映画化にあたって宗教色はだいぶ抑えたそうですから、原作はもっと露骨なのでしょうね。

キリスト教文化的視点から観ると「ライラの冒険」はけっしてお気楽ファンタジー作品とはいえず、むしろテーマが深く、ストレートな風刺系作品です。

「ライラの冒険」を観ると、カトリック教会や信者たちから非難されるのもいたしかたないかなぁと……。

「ライラの冒険」がなぜボイコットを呼びかけられているのか。

そんなことを頭の片隅に置きならが観れば、お気楽ファンタジー以上の発見と楽しみを得られるでしょう。

みどころは、白クマさん同士の一騎打ちです。(←よろいグマと呼んでちょうだい。あらいぐまじゃないヨ。だれだ?いまラスカルとつぶやいたのは?)

王子だったクマさんが、卑劣な手を使ったライバルに負けて投げやり飲んだくれ人生、いやクマ生をおくっていたけど、ライラに出会ってもう一度王座を目指してタイマン勝負を挑む。これって白クマ版「王の帰還」みたいだゾ。

よろいが無いと「投げやりな飲んだくれのクマさん」になっちゃうって、人間でも似たようなのいそうだよネ。


デート       △ 
フラっと      × 
演出       △
キャラクター   ○
映像       ○
笑い       -
ファミリー     △ 
アクション    ○ 白クマさん横綱決定戦!
白クマドラマ   ○ 白クマ版「王の帰還」 
キリスト教文化 ○ 反キリスト教?


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02/03/2008

映画「テラビシアにかける橋(Bridge to Terabithia)」

監督:ガボア・クスポ
アメリカ/2007年/95分
原作:キャサリン・パターソン『テラビシアにかける橋』

ひとりの世界がふたりの世界になったとき、想像力の世界=王国は輝きを増す。試練を経て、受け入れる心を持ったとき、世界=王国はその全貌を露にする。「パンズ・ラビリンス」と「ネバーランド」とセットで観よう。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
姉2人と妹1人に挟まれた11歳の小学生男子のジェスは家族の中で目立たない存在であり、学校ではいじめられている。

そんなジェスの楽しみは、空想の世界をスケッチすること。

ある日ジェスは隣家に引っ越してきた同級生の女の子レスリーと知り合い、家の裏の森で一緒に想像力を働かせて遊びながら、テラビシアという名の国を建国する。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジェス・アーロンズ
男の子。小学生。

▽レスリー・バーク
女の子。小学生。転校生。ジェスの家のお隣さん。

▽エドマンズ
女性。音楽教師。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
ひとりの世界がふたりの世界になったとき、想像力の世界=王国は輝きを増す。試練を経て、受け入れる心を持ったとき、世界=王国はその全貌を露にする。「パンズ・ラビリンス」と「ネバーランド」とセットで観よう。

■ KYといわれないために

ジェスは11歳。日本でいうところの小学校高学年。おそらく小学校4、5年生ぐらいでしょう。

オママゴト遊びを真剣にするには歳が大きい。かといって冷めた目で現実だけをみつめるには歳が小さい。同室の小学校低学年の妹が寝たあとに懐中電灯の光をたよりにベッドの中でそっと空想の世界をスケッチするジェスは、少年から青年へのちょうど過渡期にいるといっていいでしょう。

そんなジェスが属するアーロンズ家はかなり困窮しています。ギリギリの生活を強いられています。

ジェスの父親は工具店の店員で、休日も出勤することにして収入を増やそうとがんばっています。家族が食べていくためにビニールハウスを作って野菜も栽培しています。

ジェスの妻は家計簿とにらめっこの毎日。靴がボロボロのジェスに、姉のお下がりの運動靴を履くように言うと、ジェスはピンクの運動靴なんて履けないと答えます。

父親は妻に、ジェスにあたらしい運動靴を買ってやるように言いますが、妻は夫にだけきこえるように小声で「そんな余裕ないわ」と伝えるのでした。父親はジェスにしばらくその運動靴で我慢するように言うしかありませんでした。

子どもの運動靴を買うのも難しい、ほんとうにギリギリの生活をしているアーロンズ家。姉たちはそんな厳しい家計を知ってか知らずか、テレビ番組のチャンネル争いに夢中になっている。

ジェスはもの静かにテレビ画面をみつけていますが、ダイニングキッチンで家計簿を前に小声でお金のことで相談している両親のほうへ、ときおりチラッと目線をやります。

控えめでおとなしいジェスは、周囲の状況をよく観察し、家計のやりくりに悩む両親の様子を感じ取っているのです。母親と父親が家計が厳しく辛い現状にありながらも家族のことを大事におもっていることを理解しています。

想像や空想というと、浮世離れした現実逃避と受け止められがちですが、かならずしもそうではありません。

周囲をよく観察し、感受性豊かに状況を把握・理解する。それには想像力が必要です。

最近は空気を読めない人のことを「KY」というらしいですね。

空気が読める人になるためには想像力を働かせなければなりません。

物事の一面だけを見るのではなく、他の面からも見ることができなければなりません。

視点というのは自分が思っている数だけではありません。自分が思う枠組みの外にも視点はあります。自分では気づかない枠組の存在を認識し、ときにはその枠組をはずしてみる。それが想像力を働かせるということなのです。

ジェスはふつうの子供ではとうてい取り外すことができない枠組を、想像力を使って取り払うことができました。

そしてある日、ジェスは自分と同じように想像力を持った少女レスリーに出会います。


■ 想像力で「世界」をつくる

ジェスが想像力を内に秘めた内蔵型に対し、レスリーは想像力を外へ放つ開放型です。

個性的なファッションで女の子たちに変わり者だという目でみられ、運動神経の良さと運動能力の高さによってかけっこで男の子たちを負かしたことで、男子たちには生意気な女だという目でみられます。

でもレスリーはそんなことは気にしません。レスリーもまた周囲の状況をよく観察して想像力を働かせることができます。そのため、転校してきて間もないにもかかわらずレスリーは、ジェスが音楽教師のエドマンズに好意を寄せていることをスグに感じ取ります。

両親の様子をしっかり見ているジェス。同じようにクラスメイトの様子をしっかり見ているレスリー。

想像力豊かな者同士というのはお互いにピンとくるんですね。

特にレスリーがスクーバダイバーをテーマとした作文を教室で発表したとき、ジェスには見えました。海の中でダイバーが吐く息がいくつもの空気の泡となって浮上していく様子がみえたのです。

想像力をかきたてる作文の朗読によって、ダイバーを取り巻く海中の様子がみえてくる。想像力を持って受け取ったジェスには、ダイバーの息の空気の泡が見えたのです。

想像力によってシンクロしたふたりが、今度は森の中に想像上の王国テラビシアを建国します。


■ ひとりの世界からふたりの世界へ

空想なんて何の役にも立たないという人がいるかもしれません。

でも、空想がなくては飛行機は存在していなかったかもしれません。

なぜって、人間は空を飛べませんから。羽が生えてもいない人間が空を飛ぶなど、そんなどうしようもないことを空想などせずにすこしは稼いでみろ。

これに近い意味のことをジェスは父親に言われます。もちろん父親は心から息子を愛しています。小学生のジェスが家族を助けるお金をすぐに稼げるわけはありません。そんなことは父親だってわかっています。でも労働収入が十分ではないために家族を養っていなかなくてはならない重圧に押しつぶされそうな日々を送らざるを得ない。そんなときにちょっとした拍子に思わず息子に八つ当たりしてしまったのです。

空想・想像は、家計の足しにお金を稼ぐことはできず、学校ではいじめられていて、どうにもならないと感じる小学生のジェスが日々を生き抜く唯一の手段だったのです。

どんなに辛くたいへんな毎日でも、空想をスケッチすることで乗り切ってきたジェス。自分だけの空想・想像の世界が、他人のレスリーと共有できると知ったジェスの喜びはいかほどだったでしょう。

だからジェスは学校から帰るとレスリーと共に毎日のように家の裏の森に行きます。


■ 境界線を越える信仰

テラビシアに入るには、小川を渡らなければなりません。

川は異世界への境界を象徴するものとしてよく登場します。

仏教では死後の世界への途中に登場する三途の川。
此岸と彼岸。この世とあの世。三途の川を渡る船にのるには六文が必要とされています。

キリスト教の聖書ではエジプトを出たイスラエルの民が渡った紅海。
イスラエルの民が奴隷として苦しめられていたエジプトの地と、乳と蜜の流れる約束のカナンの地。カナンへ向かうイスラエルの民の後方からはエジプトの軍隊が迫り、前方には紅海が行く手を阻みます。窮地に陥ったイスラエルの民が紅海を渡るには神を信じる心、すなわち信仰と祈りが必要でした。

さて「テレビシアにかける橋」の原作者はアメリカの児童文学作家キャサリン・パターソン。

原作者がどのような宗教的バックグランドをもっているかはわかりませんが、仏教かキリスト教かといったら、おそらくキリスト教系でしょう。

レスリーは川という境界上にある1本のロープを手にとります。古いロープだから危ないよ、というジェスの声にもかかわらず、ロープで川の上を行ったり来たりしてみせます。

ほら、見上げながらやると空を飛んでいるみたいだよ。

そんなふうなことをレスリーに言われたジェスは、ロープを持って川の上を行ったり来たりしてみます。

いままでの見慣れた空の風景が一変して見えたジェス。日本の歌でいうなら「上を向いて歩こう」といったところですが、ここでは「上を向いてブランコに乗ろう」といったかんじかな。

そして、レスリーがロープを使って対岸の茂みにダイブします。

茂みの中がどうなっているのかわからないのに、レスリーがダイブした先を追って、ジェスもダイブします。

こうして今まで足を踏み入れなかった小川の向こうの新世界に一歩を踏み出します。

古いロープを使って、川に落ちることを恐れずに対岸に飛び込むレスリー。それを追うジェス。どちらも信じる心がなければ新世界に足を踏み入れることはできません。信じる心=信仰をもって一歩踏み出すときに活路が開けることは、モーセに率いられたイスラエルの民が紅海を渡るエピソードをなぞらえるまでもないですね。


■ 楽園に試練がおとずれる

信じる心=信仰によって新世界に足を踏み出した二人は、想像力を働かせて自分たちの楽園をつくります。名をテラビシアとします。

厳しい現実を生き抜くには、想像力を働かせる必要があります。

想像力を働かせることができなければ、他人が作ったものにすがるしかありません。他人が提供するモデルにすがる人はそれが機能しなくなると、どうすることもできないと感じてしまいます。たとえ一時期はよくても、借り物ではイザというときに脆く、補強もできません。

もしも、テラビシア国が借り物だったら、その後訪れる試練にジェスは打ちのめされて二度と立ち上がることはできないでしょう。

試練の内容についてはネタバレになりますので伏せておきますが、信じる心=信仰と想像力によって築き上げた楽園にも試練が訪れます。

何が起こるかわからないのが人生だ。だから楽しい。生きがいがある、という人もいます。

けれど、人生にはどうしてか理由がわからない事が起きることがあります。とてもじゃないけれど乗り切れそうにない事が起きることがあります。たとえどうすることもできなかったことでも、自分のせいだとしか思えずに罪の意識に苦しむことがあります。

試練に直面した直後のジェスは現実を受け入れようとしません。いえ、受け入れられないのです。あまりにもショックが大きいためです。

けれど、想像の世界を他人と共有してテラビシア国を建国したジェスは、他人を疎外することでなく、他人を受け入れることで共に想像力をはたらかせて生きていくすばらしさを思い出します。

試練に打ちひしがれたジェスが作品のラストにどうしたか。それは観てのおたのしみに。

聖書には試練について次にような句があります。

「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」 (コリント人への第一の手紙10章13節)


■ その他

これまたいい作品です☆

いじめっ子の変化。父親と息子の和解。兄妹の和解。友情。才能の開花へのきっかけ。ほかにもたくさんの要素をよくぞこれだけ作品に込められたものだとため息が出ます。

さて、想像力が生き延びる力というのは、以下の作品と共通するメッセージです。

ぜひセットで「テラビシアにかける橋」を鑑賞することをおすすめします。

▼「パンズ・ラビリンス(PAN'S LABYRINTH)」作品レビュー

▼「ネバーランド(FINDING NEVERLAND)」作品レビュー

▽25席の妖精―「ネバーランド」―

▼「硫黄島からの手紙(Letters From Iwo Jima)」作品レビュー

ジェシーとレスリーが共にテラビシア王国を築く過程は、出会ったふたりが共に人生という国をつくっていく様子をイメージさせますね。それは人生のパートナーをみつけて結婚生活という名の王国を築き、そこに知人や友人を招き入れる。そんな人生でだれもが夢見るであろう身近な願望を扱っているから感動しやすいのですね。

タイトルは「テラビシアにかける橋」です。「テラビシアにかかる橋」ではありません。

橋をかけるかどうかはアナタ次第であり、大事なのはテレビシアに橋をかけることだというメッセージがタイトルに表れています。

レスリー役のアナ・ソフィア・ロブはどこかで観たことがあるなぁと思ったらキリスト教の知識が必須ともいえる「リーピング」でイナゴ少女(インパクト大の呼び名だ!)を演じていた少女ですね。「チャーリーとチョコレート工場」でわがままな娘役をしていたといったほうがわかりやすいかな。

▼「リーピング(THE REAPING)」作品レビュー↑「出エジプト記十の災い」「過ぎ越しの祭り」の知識がほしい「信仰の物語」。

ちなみに「テラビシア」は『ナルニア国物語』シリーズに登場する島の名からとったらしいですよ。

すでにおなじみの「ナルニア国レポート」。もう読みましたか?

ふつうに「ナルニア国物語」を観ただけでは気づかない、キリスト教の背景をがわかりやすく解説しています。

「アイ・アム・レジェンド」もそうですが、キリスト教文化をちょっとでも知って作品を観るのと、何の知識もなしに観るのとでは、作品の奥行きを楽しむことにおいて大きな差が出ます。

欧米系の作品にはたいていキリスト教文化の要素が入っていますが、それが色濃く出ている作品を観るときには、やはり基礎的なキリスト教の知識がなければ意味不明な部分というのはどうしてもできてしまいます。

もし、表面だけでなく作品の奥深いところまで作品を楽しみたいなら、知識を求めることに遠慮してはもったいないですよ。

暗闇の森をともに歩くだけのシーンで涙が溢れるワケとは?

ライオンはだれをあらわしている?

キリスト教における女性とは?

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デート      ◎ センスいいと高感度UP!
フラっと     ○ 
脚本勉強    ○ 
脚本       ◎ 
演出       ○ 
キャラクター   ◎
映像       ○ こういう視覚効果の使い方はいいですね。
お涙       ◎ 
笑い       -
ファミリー    ◎ ぜひご家族一緒に観てネ。
アクション    -

4037261405テラビシアにかける橋
キャサリン・パターソン 岡本 浜江 Katherine Paterson
偕成社 1981-01

by G-Tools

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01/19/2008

映画「AVP2 エイリアンズVS.プレデター(Aliens vs. Predator: Requiem)」

監督:コリン・ストラウス、グレッグ・ストラウス
アメリカ/2007年/94分

「ひとんちの庭先でモンスターバトル2」南極で宇宙的サバイバル合コンの後は、コロラドの田舎町でどつき合い! エイリアンとプレデターに即席の吹き替えを付けたら? と想像して楽しもう。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
南極でのエイリアンとプレデターの戦いの後、プレデターの体内からチェストバスターが誕生。
宇宙船内のプレデターを次々に殺戮する。コントロールを失った宇宙船は地球のアメリカ・コロラド州の森へ墜落。無数のエイリアンがコロラドの森や町へ飛び出していく。
その一方で、墜落した宇宙船の情報を得たエイリアン駆逐専門のプレデター「ザ・クリーナー」は地球へ向かう。
こうしてエイリアンたちとプレデターの戦いが再びはじまる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
∵エイリアン(プレデリアン)
プレデターの性質を受け継いだ新種エイリアン

∵プレデター(ザ・クリーナー)
エイリアン駆逐専門のプレデター


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
「ひとんちの庭先でモンスターバトル2」南極で宇宙的サバイバル合コンの後は、コロラドの田舎町でどつき合い! エイリアンとプレデターに即席の吹き替えを付けたら? と想像して楽しもう。

■ 天から大魔王が降ってきた!?

オラ見ただぁ。空から宇宙船が降ってきたぞぉ。「こりん星」からだれかやってきたちがいねぇ。

アレレ? ゆうこりん(テレビ朝日アナウンサー青木裕子サンのほうではない)じゃなぁいぞぉ……。

たくさんの怪物が宇宙船から出てきただぁ。


■ こりん星爆発!?

天から降ってきた宇宙船。中から出てきたのがゆうこりんやデーヴならおもしろいのに……。

ゆうこりんのこりん星キャラ。本人も最近はこのキャラを途中で投げやり気味になるようだけど、まさか、こりん星爆発! なんてことにはならないよね?

そもそもゆうこりんが……え? ゆうこりんの話じゃぁない。そんな話はオヨビでない? コリャマタ失礼しました! (植木等より)


■ ひとんちの庭先でモンスターバトル

さてさて、AVP2のレビューをしようと思ったんだけど、はっきりいって「ひとんちの庭先でモンスターバトル2」の一言で終わっちゃうのよね。

地球に宇宙船が墜落してエイリアンが人類に襲い掛かる。それを追ってプレデターがやってくる。コロラドの町(ひとんちの庭)を舞台に両者のバトルが繰り広げられる!

どんだけ~(豊田一幸)ならぬ、そんだけ~。


■ トライアングル完成せず

例によってエイリアンもプレデターもしゃべらない。エイリアン向けやプレデター向きならそれでもいいけど、地球人向けの作品だから地球語も使わなきゃっていうんで、地球の人間も登場する。

元不良の兄貴とチョイ悪弟。弟の元恋人のグラマー美人。いじめっこ系でやんちゃな同級生たち。マジメな保安官。軍人のママとその幼い娘。

ほかにも店のウェイトレスに下心アリアリの料理人オヤジなんかも出てくるけど、人間たちは勝手に襲われたり、勝手に反撃したりする。

前作「AVP」にあったような、宇宙初!プレデターと人間のタッグはみらないんだ。

エイリアンは人間を襲い。プレデターはエイリアンを狩る。人間たちは逃げ惑い、ときどき反撃。

エイリアン、プレデター、人間の三角関係にはならない。あくまでエイリアンとプレデターの戦いなんだ。

それもそのはず。だってタイトルが「AVP2」なんだから。


■ プロレスで例えると

とはいえ前作「AVP」では、路傍の石ほどの扱いもされなかった人間のひとりが参戦するというサプライズがあった。

プロレスで例えるなら、戦いはリングの中だけじゃなく、リングサイドのセコンドや放送席の解説者をも巻き込ん行われたんだね。プロレス会場全体が戦いの舞台というワケ。

だからあくまでエイリアンVSプレデターなんだけれども、そこに人間も絡んできてグッとおもしろくなったんだ。プロレス会場の観客は観ているだけじゃなくて参加している。そんなプロレス会場を1歩ひいて観ている映画の観客は、この先どうなるんだろう、と興味がわく。

ところが「AVP2」ではプロレス会場の観客は勝手に逃げ惑って騒いでいて、リング上ではレスラーたちだけで盛り上がっちゃってる。そんなプロレス会場を1歩ひいて観ている映画の観客は、歯車の噛み合わないプロレス会場の様子にしばしばあくびが出ちゃってる。


■ 前作はイメージが広がった

前作「エイリアン VS.プレデター」では人間のひとりがエイリアンとプレデターの戦いに絡んでくることで、世界が広がった。

人間世界とプレデター世界が「戦い」を通して触れ合ったその瞬間、意志の疎通が試みられた。それまでプレデターに全く気にもとめられなかった人間がエイリアンを倒したことで、ひとりの戦士として認識されるという流れがあった。そのときに、エイリアンを倒すために協力しちゃう? ってなかんじのコミュニケーションが生じたんだ。

プレデター世界と人間世界が出会った瞬間がそこにあった。

たしか「プレデター2」でも人間の男がラストにプレデターに戦士として認められシーンがあったと思う。

そして「AVP」でも戦いを通して、いわば未知との遭遇があったんだね。異世界・異文化との交流だ。

そんな交流があるとイメージが膨んでくる。例えば、プレデター世界の「戦士」の掟みたいものに接触した人間がいた。それで今度は人間世界の「愛」に触れるプレデターがいた! なぁんてことになって、プレデターのひとりが人間愛に触れて心が揺らぎ、冷酷な戦士として戦えなくなっちゃう。そんなプレデターが登場するかも! などと次回作を想像(妄想)しやすかったのが前作「AVP」だ。

「AVP」を観ていろんな想像が膨らんで書いた「南極で開催されたサバイバル合コン」に例えた「AVP」のレビューはなかなか好評だったヨ。

「エイリアン VS.プレデター(ALIEN VS.PREDATOR)(AVP)」作品レビュー


■ 意外にリアル?

人間の愛に触れたプレデターの苦悩。そんなものがあってもおもしろいかもしれない。

でも、プレデターと人間の交流による、プレデター世界の変革。そして人間世界への順化といったことになったら、ありがちなアメリカ映画になってしまうところだった。

「AVP2」では、戦いにしか意味を見出せず戦いにしか生きられないプレデターをどうすることもできない。

人間たちは襲われ、逃げ惑い、反撃してもあまり効果なく、そして同胞である人間にさえ裏切られる。

それが現実(現状)だ! とでもいわんばかりの、エイリアンやプレデターとはどこまでいっても歯車はかみ合わない。

それが逆にリアルなかんじでいいかもしれない。

宇宙は地球人(人間)の愛で変革できる。宇宙を変えられるんだ! みたいな作品だったらもぅコントにしかならないのだから……。


■ その他

戦うことしか知らない種族・宇宙人との遭遇で思い出すのは、日本のアニメ作品「超時空要塞マクロス」です。

マクロスでは地球人が宇宙人と遭遇します。宇宙人は巨人で、男と女は別々の艦に乗っています。彼ら(彼女ら)は戦うこと意外に興味も存在意義もないと思っています。

そんな宇宙人は地球人と遭遇することで文化に触れます。彼らのいうところの失われた「デ・カルチャー」は破滅をもたらすものとして宇宙人に恐れられています。

異文化の遭遇というテーマはすでに80年代にSFアニメ作品「超時空要塞マクロス」でばっちり取り上げられていたんですね。

マクロスはいま観てもじゅうぶんに見応えあります。テーマが深く、主人公の青年と同世代の恋人と年上のお姉さんとの三角関係、先輩後輩の絆、友情。そして作品中で歌手が歌を歌うなど、当時としては先進的な試みも行われてます。

マクロスにしてもガンダム(1年戦争)にしても、子供向けというより、大人向けといってもいいほど奥が深いんですね。

ガンダムでは地球連邦軍が正義でジオン公国軍が悪だといいきれない。どちらにも正義があって、その戦いで若い命が散っていく……。

ガンダム人気の秘密(でもなんでもないけど)は、奥深いテーマと立体的なキャラクターによる人間ドラマがしっかりあるところなのです。

ドラゴンボールだってスゴくおもしろいですが、強い敵が現れてそれを倒すと仲間になって、するとまたもっと強い敵が現れて……という単純明快な少年漫画の基本どおりなわけです。ピッコロはかなりいい奴(キャラ)に変化しましたが、それも基本どおりといえばその範疇です。

そういった範疇に収まりきれないマクロスやガンダム。名作といわれる所以はそのあたりにあるのです。

さて「マクロス」のスゴさをあらためて教えてくれた「AVP2」。広くおススメはできませんが、頭空っぽにモンスター同士のどつき合いを楽しみたい方や、エイリアンシリーズ・プレデターシリーズのファンの方、そしてプレデターに想像上でフキダシのセリフを付けて楽しめる方にはいいでしょう。

新種のエイリアンは風貌がプレデターに似てきたので「ドレッドヘアがプレデター」と頭の中で唱えながら見ないと、戦いの最中にどっちがどっちだかわからなくなってしまいそうです。

せめて色分けでもしてみる? 赤いエイリアンと白いプレデター。これぞ「宇宙的紅白どつき合い合戦!」なんちて。
ヤンヤヤンヤやいいながら、エイリアンとプレデターに即席の吹き替えを付ける。そんなコンテストがあったら超おもしろそうですネ☆

デート      ‐
フラっと     × シリーズのファンならいいけど 
脚本勉強    △ 
演出       △
キャラクター   ○ 定番キャラ
映像       △ 
お涙       -
笑い       ○ プレデターってなんか笑える
ファミリー    ×  
アクション    △
SF        △ SFというよりモンスターパニック

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01/15/2008

映画「ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記(NATIONAL TREASURE:BOOK OF SECRETS)」

監督:ジョン・タートルトーブ
アメリカ/2007年/124分

お気楽観光案内ビデオのようでありながら、国の宝とは何かをさりげな~く問題提起? 宝探しの暗号は余興。みどころは親子、夫婦、恋人たちの会話の掛け合いにアリ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
アメリカ大統領リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブースの日記の、失われていた数ページが発見された。

そこにはベン・ゲイツの祖先が秘密結社ゴールデン・サークル騎士団の一員としてリンカーン暗殺の指揮をとったと読み取れる記述があった。

ベン・ゲイツはゲイツ家の汚名をそそぐため、黄金都市を探し求める。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ベン・ゲイツ
冒険家。歴史学者。

▽アビゲイル・チェイス
ベンの恋人。

△ライリー・プール
ベンの相棒。凄腕ハッカー。

△パトリック・ゲイツ
ベンの父親。暗号学者。

△ジェブ・ウィルキンソン
トレジャーハンター

▽エミリー・アップルトン
ベンの母親。歴史研究者。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
お気楽観光案内ビデオのようでありながら、国の宝とは何かをさりげな~く問題提起? 宝探しの暗号は余興。みどころは親子、夫婦、恋人たちの会話の掛け合いにアリ。

■ 千円札に描かれた見知らぬ人

千円札の夏目漱石氏の顔を中央で二つ折りにする。

右顔と左顔を見比べてみよう。

片方の顔のアナタは……誰? 

実はその見慣れない顔は○○だと言われている。

思わず千円札を探したアナタ!

アナタに限らず、暗号好きな人はけっこういる。

そもそも人生は暗号に満ちているのだ(マジ?)

どうしてアナタの夫(妻)は、アナタと結婚したのだろう。

どうしてアナタの彼(彼女)は、アナタと付き合っているのだろう。

他人であった人と一緒にいる不思議。

夫(妻)、彼(彼女)との出会いにはきっと自分にとって意味があるにちがいない。そう思ったからこそ、その相手と付き合ったり、結婚したりしたのではないだろうか?

他人との出会いに、なにかしらの意味を求めずにはいられない。それが人間だ。

日記の切れ端に、なにかしら他の意味が隠されているのでないかと考えずにはいられない。それが冒険家だ。

とはいえ冒険家は、一部の特別な者を指すいい方ではない。

だれもが人生の幸せを捜し求める冒険家なのである。


■ 日本の顔は?

幸せの青い鳥は実は近くにいたとか、長い間捜し求めていたお宝は実は自分の家族だったとか、そんなオチが大半の宝探し作品群のなかで、ナショナル・トレジャーシリーズではちゃぁんと金銀宝石といった類の財宝を発見する。

さらに財宝探しの過程で父子の絆、夫婦の絆、男女の絆、相棒の絆を再確認し合う。なんとも都合のよろしいハッピーエンドへ向けてズンズンと物語が進行していく。

宝探しのための暗号は余興みたいなもので、作品を楽しむポイントは親子、夫婦、恋人たちの会話の掛け合いだ。

それができるのも、ひと癖もふた癖もあるような俳優たちが出演しているからであって、ナショナルトレジャーとはそもそも米国で活躍するこれらの俳優たちのことかもしれない。

ルーク・スカイウォーカー。ランボー。スーパーマン。スパイダーマン。

ラシュモア山に彫られた ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーン。

アメリカ合衆国を思い浮かべるとき、こうしたキャラクターや人物たちの顔が頭をよぎるのではないだろうか。

世界の人々が日本を思い浮かべるとき、はたして何が頭をよぎるだろう? 


■ その他

アビゲイル・チェイス役のダイアン・クルーガーは綺麗で色気もありますネ。

端整さでは日本のタレントでいうと加藤愛を連想させます。ダイアン・クルーガーはそれに加えて色気があるんです。そんな魅力を活かした、大統領執務室での展開はけっこう笑えます。

日本はアメリカ合衆国よりも長い歴史があるのですから、他国の人が楽しめるような歴史系謎解き作品をがんばって作れるようになると、ソフトの充実に大きく貢献できるでしょう。

どうせ日本の歴史やワビサビは外国人にやぁわかるまい。といっているようでは、いつまで経っても経済はそこそこ良くても文化やマナーは最低といわれ続けるのです。

マナーには、他人に自分のことを知ってもらう最低限のことをする、ということも含まれます。相手に自分(たち)を知ってもらうことで、どう振舞えばいいのかをお互いに知ることができるからです。

相手が何を考えているのかまったくわからなければ、不安になります。

相手にいつまでも不安な状態で居させ続けるのは失礼です。パーティに招待した客人をだれにも紹介せずに放っておくようなものです。これもマナー違反ですね。

日本で生まれ育った人たちにさえわかって受け入れられればそれでいいというだけでは、マナー意識が低いと思われてもいたし方ありません。

アメリカ合衆国の歴史は数百年と若いですが、それでも歴史や暗号を題材に楽しませながら内外にメッセージを送ろうとする。その意欲と実行力については、日本も見習ってもいいのではないでしょうか。

それから、キャラクターの顔が見えるというのは、国内外に対して象徴的に用いられる理念や目標といったものが提示されているということです。それが機能しているかどうかはともかく、すでにコントにしかなっていないとしても、形だけでもある、もしくは提示しようとしているということです。

人は理念や目標、いいかえれば希望がなくては生きにくいですから、そういう意味で「顔がみえるかどうか」は大事なのです。

顔が見えなくては、希望がなくては、目標がなくては、理念がなくては、生きる意味さえも失いかねません。

とはいえそんな小難しそうなことなど考えずに「ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記」はお気楽観光案内ビデオのつもりで笑いながら観るぐらいのほうがいいですネ。

デート      ○ 無難な選択
フラっと     △ 
脚本勉強    ○
演出       △ 
キャラクター   ○ キャラこそお宝? 
映像       △ セットの安っぽさが魅力に!?
おバカ      ○ 
笑い       ○ 
ファミリー    △ 
アクション    △ カーチェイスもあるぞ


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12/15/2007

映画「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」

監督:フランシス・ローレンス
アメリカ/2007年/100分
原作:リチャード・マシスン「地球最後の男」

【注】今回のレビューには結末が予想できる内容が含まれています。
   (ネタバラシではないが、予想しやすい内容という意味)

タイトルに込められた意味をかみしめながら、無人のNYの映像とともに主人公の境遇と使命に思いを馳せる作品。タイトルをみれば結末は容易に想像がつく、まっとうな作り。ヒネリやどんでんかえしの期待は禁物。ロバートがウィルスワクチンの研究にこだわるワケとは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
――2012年。
ウィルスにより人類が死滅した地球。
NYで相棒の犬サムと日々を生き延びるロバート・ネビルは、人類を救う道をみつけるべくひとり研究を続ける。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ロバート・ネビル
男性。軍人(中佐)。科学者。

▼サム(サマンサ)
シェパード犬。ロバート・ネビルの相棒。
--------------
▼ダーク・シーカーズ
ウィルスに感染して変異体となった元人間。紫外線に極端に弱い。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
タイトルに込められた意味をかみしめながら、無人のNYの映像とともに主人公の境遇と使命に思いを馳せる作品。タイトルをみれば結末は容易に想像がつく、まっとうな作り。ヒネリやどんでんかえしの期待は禁物。ロバートがウィルスワクチンの研究にこだわるワケとは?

■ ひとりで背負おうとする男

NYが閉鎖されようとする時、ロバートは妻と子を脱出させようとする。しかし自分はNYに留まってウィルスの感染の拡大を防ごうとする。

それから3年。

だれもいなくなったNY。

人類再生の道を探りつづける科学者のロバートは、ウィルスの発生源のNYから離れようとしない。ひとりで孤独と戦いながら、すべてをひとりで背負うかのようにワクチンの研究を続けている。

なぜひとりで? 

人類最後の人間だから? 

しかも科学者だから?


■ 生き延びたことには意味があるはず

ウィルスに免疫がある人間は約1パーセント。そのうち3年前と変わらない人間の姿でいられるのはさらに限られてくる。少なくともNYにはロバート以外の人間は皆無のようだ。

どうして自分だけがウィルスに免疫があるのか。空気感染も血液感染もしない(らしい)。

それにはきっと意味があるはず。

ウィルス発生源のNYの科学者がひとり生き残った。なぜなのか。何かの使命があるに違いない。

使命とは人類を救うことにちがいない。

そんなロバートは、誰かに似ていないだろうか。


■ 「トゥモロー・ワールド」との共通点

「アイ・アム・レジェンド」を観て思い浮かんだのは「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」の主人公の男性セオだ。

「トゥモロー・ワールド」では子供が生まれない世界が舞台。

「アイ・アム・レジェンド」ではウィルス特効薬がない世界が舞台。

どちらの世界にも共通しているのは「希望なき世界」ということだ。

そんな世界にあって、人類のとってのただひとつの希望(子供・ウィルス特効薬)を守ろう・作ろうとする男。

どちらの作品にも共通している、主人公のモデルとなっているのはイエス・キリストである。

▼「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」作品レビュー


■ なんのために?

父なる神。子なるイエス・キリスト。聖霊。

キリスト教の用語の「三位一体」でとらえるなら、子なるイエス・キリストはたったひとりで地上へ遣わされたことになる。

なんのために?

人類を救うために――。

イエスには12人の弟子がいたが、彼らは地上の人間だ。地上には地上の人間しかいない。天から遣わされたイエス・キリストはひとりだった。

イエスはひとり、荒野で40日間留まり、空腹の中でサタン(悪魔)の誘惑を受ける。これは「荒野の誘惑」といわれる新約聖書の有名なエピソードだ。なぜ荒野に?

なんのために?

人類を救うために――。

そしてゲッセマネの園。エルサレムのオリーブ山の麓にある庭園で夜、イエスは祈りを捧げていた。

なんのために?

人類を救うために――。

さて、映画の中に見ることができるキリスト教のエピソードについて度々紹介してきた本ブログの読者なら、イエスをモデルとした「トゥモロー・ワールド」のセオが作品のラストでどうなったか。またゲッセマネの園の後、イエスはどうなったかに思いをめぐらせば「アイ・アム・レジェンド」のロバートがラストにどうなるかは想像できるだろう。

ではここで、作品のタイトルに注目してみよう。


■ タイトルをみれば結末が……。

映画のタイトルは「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」

私は伝説。私は伝説になったほどの著名な人物だ。といった意味である。

では、私とは誰か?

著名で誰もが知っている人物。

本誌では「荒野の誘惑」や「ゲッセマネの園」などで説明をしたが、欧米人をはじめとするキリスト教文化圏で育った人にとっては、タイトルを見ただけで「私」とは誰のことを指すのかはすぐにわかる。

それほどわかりやすい。

だから、作品のラストを隠すまでもない。だからなのかどうかわからないが、ロバート役のウィル・スミスは来日した「アイ・アム・レジェンド」の記者会見のときに、作品の結末を漏らしてしまったとの報道があった。

ウィル・スミスにしてみれば、有名なSF作品だし、何度も映画化されているし、そもそも今回の映画作品のタイトルを見ただけで結末は誰にでも容易に想像がつくだろうから、という気持ちがあったのかもしれない。

ところが日本ではタイトルの意味なんぞ気にもとめない人も多い。結末は容易に想像つくとはいえ、主役俳優が自ら結末を漏らすのはチョイとやりすぎということで(タイトルのつけ方のほうがやりすぎかも?)スタッフが会場にいた人々に対して、結末を明かさないよう依頼することになったという。

とはいえこれも宣伝の一種なのだろう。

「結末? そんなにだいたい予想できるでしょ。でも明かさないよ」ってなもんである。これも宣伝手法のひとつといったところだ。

ちなみに「レジェンド」は、ロバートが好きなボブ・マーリィの曲名でもある。


■ ロバートがウィルスのワクチン研究にこだわるワケ

ロバートは日々ラジオ放送を流して生存者を探している。

しかし、田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないという情報を得たとき、人類はほかにだれも生き残っていないと何度も頑なに言い放つロバート。

あんなに生存者を探していたのに、いざ田舎の村にいるかもしれないという情報を得たのになぜ?

それには理由がある。ロバートの使命を理解していないと「?」でいっぱいになってしまうだろう。

ロバートは、悪の象徴であるウィルスに感染して凶暴性が著しく増したダーク・シーカーズを元の人間に戻す特効薬を作ることが自分の使命だと信じている。だから、そのためにNYに留まり続けると宣言するのだ。

なぜそこまでウィルスワクチンにこだわるのか。

答えは……もうわかるだろう。

悪(ダークシーカーズ)を清める、つまり罪を贖わなかれば人類は救われないからだ。

エデンの園でアダムとイヴが善悪を知る木の実をとって食べたそのときから、人類は労働と産みの苦しみから逃れることができない罪深い人間となった。

そんな人類を救うため、父なる神は子なるイエスを地上に遣わされた。

ダークシーカーズを放っておくことはできないのだ。凶暴性が高く、人間を襲う悪の象徴を放っておくことはできないのだ。

ダークシーカーズを放っておいては、悪に染まった人類を救えない。

人類を救う使命を追った男。

だからロバートはウィルスの発生源であるNY(地上)に留まりつづけ、ダークシーカーズ(悪に染まった人類)を救うべくワクチンの研究をつづけているのだ。


■ 世界観と哀愁

作品中の大半、ウィル・スミスはひとりだ。愛犬と話す以外は、マネキンとしゃべるフリをしてみたりもする。

犬に話しかけたりする補助はあるものの、基本は動作やしぐさや顔の表情を中心として演技しなければならない。

だれもいないNYでひとり生き残った男。撮影中は周囲にスタッフが大勢いるだろうが、作品中のNYという世界ではただひとりだ。

だれもいないNYの映像を作り出すのはスタッフの役割。

そのNYでただひとり生きる男の孤独感や哀愁を醸し出すのは俳優の役割。

世界観と哀愁。

それがこの作品のみどころだ。


■ その他

吸血鬼やゾンビみたいなものが襲ってくるサバイバル活劇と捉えるよりも、タイトルに込められた意味をかみしめながら、無人のNYの映像とともに主人公の境遇と使命に思いを馳せる作品と捉えるほうがいいでしょう。

かなりテレビで宣伝されているようなので、地球最後の男がどうなるのかが気になって期待に胸を膨らませて観にいくと、なんだか拍子抜けみたいに感じてしまうかもしれません。

実際、私の近くに座っていた若い男性客はエンドロールが流れはじめるとすぐに「これで終わり? 期待ハズレなんだけど」といったようなことを言っていました。

いったいどんなのを期待していたんじゃ?^^;

キリスト教文化にピンときた人には、ロバートのラストが予想できていたとはいえ、やはり心打たれるラストであろうと思います。

タイトルの意味をかみしめながら、伝説になった著名な人物に思いをはせるSF作品ということを頭に入れてから観にいくとよいでしょう。

ぜひ「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」とセットで観てみてくださいネ。

デート       △
フラっと      ○ 
脚本勉強    △
演出       ○
キャラクター   ○
映像       ○
笑い       -
ファミリー    -
アクション    ○
ほのぼの    ×
キリスト教文化 ○

B000KIX9BOトゥモロー・ワールド プレミアム・エディション
クライヴ・オーウェン ジュリアン・ムーア マイケル・ケイン
ポニーキャニオン 2007-03-21

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映画「ディスタービア(DISTURBIA)」

B001G9EBK4ディスタービア [DVD]
シャイア・ラブーフ, サラ・ローマー, D.J.カルーソ
角川エンタテインメント 2009-06-19

by G-Tools

監督:D・J・カルーソー
アメリカ/2007年/104分

父と息子の和解からはじまる、隣人を愛し、家族を愛する心優しい青年の青春物語。過去の作品から学び、現代的な味付けをして、アイデアを形にした作品。「視線の交差」と「制約から救出への転換」が見事。綱渡りの恋を成就させる秘訣とは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
最愛の父親を自動車事故で亡くしたケール。
教師の心無い言葉がきっかけで学校で暴力を振るってしまったケールは、裁判所から3ヶ月の自宅軟禁処分を言い渡される。
こうしてケールは、半径30メールを越えると自動的に通報される監視システムを足に装着しながら生活することになった。
テレビのニュースで赤毛の女性ばかりが行方不明になる事件を報じるなか、退屈しのぎに近所の覗き見をはじめたケールはある晩、事件の容疑者と同じ車種で、なおかつ同じ特徴を持つ車に乗って深夜に帰宅した隣家の住人ターナーと、血まみれのゴミ袋を目撃する。
ケールは友人たちと協力して隣のターナー家の覗き見をつづけることにする。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ケール
男子学生。

▽ジュリー
ケールの母親

△ターナー
男性。ケールの家の隣家の住人

▽アシュリー
女子学生。ケールの同級生。ケールの家の隣家に越してきた。

△ロニー
男子学生。ケールの同級生で親友。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
父と息子の和解からはじまる、隣人を愛し、家族を愛する心優しい青年の青春物語。過去の作品から学び、現代的な味付けをして、アイデアを形にした作品。「視線の交差」と「制約から救出への転換」が見事。綱渡りの恋を成就させる秘訣とは?

■ 物語は、終わりからはじまる

物語は終わりからはじまる?

なんのこっちゃ? と思われただろう。

どういうことかというと、ありがちな物語だとクライマックスにもってくるシーンを「ディスタービア」では冒頭(セットアップ)に持ってきているのだ。

具体的には主人公の青年ケールと、その父親との釣りのシーンだ。

これはいわゆる父親と息子の和解。べつに喧嘩しているわけではなくとも、父親と息子の関係はなんともギクシャクしているのはありがちだ。

冒頭のシーン。友人との約束よりも父親との釣りを優先させたケールに礼を言う父親。ケールも父親との釣りを楽しんでいる様子が描かれる。

和解という(雰囲気を持った)ハッピーエンドからはじまる物語。それは家族(父親)を失い、自分の道をも見失いかけている青年の再生の物語だ。


■ 止まって気づくもの

自宅軟禁で学校へも通えない。それどころか半径30メールの行動範囲しかないケールは、自宅でインターネットに接続したテレビゲームをしたり、テレビを見たりしている。

そんな日々をみかねた母親は、テレビゲームの契約を打ち切ってしまう。

暇を潰す術がなくなったと感じたケールは、自宅の周囲に目を配るようになる。すると隣人たちがどんな人たちで、どんな生活スタイルを持っているかがわかってくる。

いままで身近にありながらも気にもとめなかった世界を知ったのだ(新世界との対面)。

そして、新世界の異変に気づくまで長い時間はかからなかった。


■ 隣人を愛し、家族を愛する心優しい青年

隣人宅の異変など普通なら気づきもしない。たとえ気づいたとしても、それは他人のこと。自分に危害や迷惑が及ばないかぎり関わろうとしないのが大半だろう。

だがケールは違った。隣に越してきたキュートな女の子と積極的に関わろうとするのと平行して、殺人事件に関与しているとおぼしき隣人の中年男性にも目を光らせるのだ。

これはケールが元来、品行方正に関して問題のある人間ではなく、隣人を愛し、家族を愛する心優しい青年だからだ。

父親の死をきっかけに勉強にも身が入らず、授業中にボォーとしていることがある。そして偏見による心ない教師の言葉によって自宅軟禁処分となったケール。彼は元来、悪い人間ではない。

そんなことが身にしみるほどわかるよう、セットアップから気を使ってケールの人物像を作り上げている。そのおかげで、ティーンエイジャーの好奇心と正義感に、半径30メートルの制限というスパイスが絶妙に絡まって、観客の興味と共感を得ることに成功している。

 
■ 願望(空想・妄想)にプラスするもの

こんなのあったらいいなぁ。そんな空想(妄想)が詰め込まれている。

お隣に、美人でキュートな同年代の女の子が引っ越してきたらいいなぁ。

さらに、お隣が殺人鬼だとわかって、それを暴いて被害の拡大を防くヒーローになれたらいいなぁ。

そんな都合のいい願望が叶うワケがない。

だが、叶ってしまうのが映画だ。

とはいえ、ノーマルモードで叶えてもいまひとつおもしろくない。

そこでヒッチコックの「裏窓」を彷彿とさせる設定のために、自宅軟禁処分を受けて半径30メールの行動範囲しかない青年を登場させる。

ロケーションを限定させると同時に、恋人や友人の助けを借りることで空間的な広がりも要所要所で感じさせることができる。

それは、足首に装着させられた監視システムをはじめ、携帯電話や小型ビデオカメラをはじめとする現代的機器を使うことで可能になった。

これによって「ディスタービア」がヒッチコックの「裏窓」を真似しただけの作品ではなく、時代とアイデアという要素を加えた新たなエンターテイメント作品となったのである。


■ 見る者と見られる者

ケールは半径30メールを越えると自動的に通報される監視システムを足に装着しながら生活している。

つまり、監視されているのだ。

監視されているケールが、隣家の住人ターナーを監視する。

そしてターナーもまた、自分に注意を向ける隣人ケールとその友人に気づき、監視する。

幾重にも折り重なる「視線」が複雑に交差して物語はクライマックスへと収束されていく。

やがてケールは、自分や恋人や友人の危機を周囲に知らせるために半径30メートルの境界線の外へ出ようとする。
半径30メートルの行動範囲が「制約」から「救出」へと転換する。

ま、まいぅ~!(うまい、上手の意味)。


■ 綱渡りの恋

ケールは隣家に引っ越してきた女の子アシュリーを好きになる。

いつも彼女を見ている。そのため、彼女が家でどんなふうにすごしていて、どんな癖があって、どんなときにどんな行動をするのかを知っている。

さらに、そういった知っていることをケールはアシュリーに打ち明けて口説くのだ。

これって、ひとつ間違えばストーカーである。

ところがアシュリーはそれを、自分を深く理解してくれている最高に素敵な言葉だと感じる。

もちろんこのシーンまでに、様々な恋の下準備のシーンはある。

そうでなければ、アシュリーがケールに少しでも好意を持っていなければ、身も凍るストーカー劇になってしまう。
これをご都合主義といえばそれまでだが、現実にだって好きな人が自分のことを知っていてくれればうれしいもの。
興味がない人や関わりたくない人が自分のことを知っていたら、気持ち悪いとおもうもの。

「恋は綱渡り」(←名言?or迷言?)

でも、綱渡りの前にできることはあるはず。下準備こそ、綱渡りの恋を成就させる肝なのだ。

下準備や段取りがちゃんとできる人は、実生活でもポイントが高いだろう。映画も同じである。


■ その他

ドキドキする心臓の高まり。甘酸っぱい恋。嫉妬。友情。正義。信念。そして行動(アクション)。

過去の作品から学び、現代的な味付けをして、アイデアを形にする。

米国でヒットしたのも、じゅうぶんにうなづけますネ。

日本でも、もっともっと話題になってヒットしてもよさそうなのに……。

米国の映画にはつまらない作品も多々ありますが、それはどこの国の映画だってそうです。

でも、だからこそ「おもしろいもの」を「おもしろがれる」、つまり「楽しむスキル」のようなものはけっこう研ぎすまされているのでしょう。

その表れが「ディスタービア」の米国でのヒット、というワケ。

日本でも、たとえば「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」が大ヒットするようになれば「楽しむスキル」の上達が目にみえてきたといえるでしょう。

そんな日がくることを願いつつ、今回はここまで。

▼「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」作品レビュー

デート      ◎ 
フラっと     ◎ 
脚本勉強    ◎
演出       ○
キャラクター   ○
映像       △ 
笑い       △
ファミリー    ○ お子様向けという意味ではない
アクション    ○
ほのぼの    ×


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11/16/2007

映画「ボーン・アルティメイタム(THE BOURNE ULTIMATUM)」

監督:ポール・グリーングラス
アメリカ/2007年/115分
原作:ロバート・ラドラム『ボーン・アルティメイタム』

命がけの鬼ごっこを続けてきた超行動派漢(おとこ)の自分探しの旅がいよいよクライマックスへ。指揮官の素質と能力をも披露するボーンの男気にますます惚れこむ男女激増は間違いなし! いかにしてボーンが生まれたか。その謎がついに明らかに!

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
モスクワで生き延びたジェイソン・ボーンは、トレッドストーンの情報を集めるため、新聞記者のロスと接触する。ブラックブライヤーについて取材していたロスはすでにCIAに監視されており、ロンドンの駅でボーンと共に命を狙われる。
ブラックブライヤーの情報を得たボーンは、マドリッドやタンジールへ飛び、失った記憶を取り戻そうとする。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△デビッド・ウェブ/ジェイソン・ボーン
男性。元CIAトップエージェント。

▽パメラ・ランディ
女性。CIA局員。

▽ニッキー・パーソンズ
女性。CIAマドリッド支局員。
トレッドストーン計画では連絡・管理等のサポートを担当。

△ロス
男性。新聞記者。ブラックブライヤーについて取材する。


用語
―――――――――――――――――――――
▼トレッド・ストーン
CIAの暗殺者養成プロジェクト。
ジェイソン・ボーンはトレッド・ストーン計画が生んだ「最高傑作」とされる。
この計画に関与した人物はすでにボーンとニッキーの二人だけになっている。

▼ブラックブライヤー
CIAの暗殺者養成プロジェクト。
トレッドストーン計画が挫折した後にCIAが新たに実行してきた計画。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
命がけの鬼ごっこを続けてきた超行動派漢(おとこ)の自分探しの旅がいよいよクライマックスへ。指揮官の素質と能力をも披露するボーンの男気にますます惚れこむ男女激増は間違いなし! いかにしてボーンが生まれたか。その謎がついに明らかに!

■ 漢(おとこ)の生き方

「本気」と書いて「マジ」と読む。

「漢」と書いて「おとこ」と読む。

強烈な男気。竹を割ったような潔さ。それが「漢(おとこ)」というもの(らしい)。

ジェイソン・ボーンはまさにそんな「漢(おとこ)」だ。

最強の殺し屋をいわれながらも、ボーンは無駄な殺しはやらない。

なぜならボーンは、私利私欲のためや復讐のために行動しているわけではないからだ。

自分が何者なのか。それが知りたいだけだ。

最強の殺し屋といわれるボーンは反撃しようと思えば追手をバッタバッタとなぎたおしていくこともできる。それにもかかわらず、ひたすら追手をかわし、いたしかたないときだけ肉体と身の回りの道具を使って戦う。

雑魚(ザコ)キャラはもちろん怪我を負って動けなくなるが、死にはしない。

強い殺し屋が相手で、こちらが手を抜けば殺されてしまいそうなとき、または自分を助けてくれた誰かを守るときには全力で戦うボーン。

今作では、自分を助けれくれたニッキーの命を守るため、タンジールの街中で住居の屋根をつたって飛び、窓を突き破って(メイキング映像によるとカメラマンも役者の後を追うようにして、建物からジャンプしていた)殺し屋と壮絶な戦いを繰り広げる。

追ってきた殺し屋はかなりの強者である。CIA史上最強といわれるボーンでさえ一瞬たりとも気を抜けない相手だ。

もしもボーンが自分のことだけを考える人間だったら、ニッキーを付け狙うその殺し屋を放っておくだろう。

ところがボーンは自分が追われているにもかかわらず、危険が迫るニッキーを探して屋根から屋根へ飛びまわるのだ。

マドリッドでひさしぶりの再会したニッキーが自分を助けてくれたそれだけのために、自らの危険をかえりみずに、彼女を助けようと命をかけて戦うのだ。

なんという男気よ! ボーンこそ漢(おとこ)である。

この男気には性別関係なくますます惚れてしまうだろう。


■ ボーンは腕っぷしが強いだけではない

ロンドンの混雑した駅で、ボーンが新聞記者のロスと接触したときのことである。

駅の監視カメラやCIAの監視チームや拉致チーム、それに暗殺者から逃れるために新聞記者を誘導するボーン。

駅のどこに監視カメラがあって今どこを写していて、CIAの追手はどこにいて、今どの方向へ向かっているのか。

自分と新聞記者の両方がどの方向、どのルート、どのタイミングで、どのように動けばいいのかを瞬時に判断。プリベイトの携帯電話を使って新聞記者を誘導するボーン。

こうなるとボーンは指示を受けて任務を遂行するだけのエージェントではない。プロジェクトチームを率いて指示を出す指揮官だ。

新聞記者は恐怖のためにボーンの指示どおりに動かずに状況が悪化する。しかしボーンはあわてずに次の指示を出す。

予期せぬ状況になろうとも、次の一手を冷静かつ的確にすぐに打つボーン。

ロンドンの駅でのシーンでは、指揮官レベルの情報収集能力や状況把握能力や状況判断能力を持ち、それを元に計画、指示、実行できるオールマイティなボーンのスゴさを改めて思い知らされた。


■ 近所の兄ちゃん?

男気あふれるオールマイティな人。ふつうだったら、そんな絵に描いたような完璧人間はヒーローにはなれない。

ヒーローになるには、だれもが共感する弱さを持っていることが必要だからだ。

弱さとは、親しみやすさともいえる。

さて、ジェイソン・ボーン役のマット・デイモンは超二枚目の俳優とはいいがたい。

どちらかというと愛嬌のある、近所のお兄ちゃんといったところか。

そんな気さくなお兄ちゃんが、自分のしてきたことを振り返り、ほんとうの自分を知ろうと、ほんとうの自分を取り戻すために単身で巨大な組織に立ち向かう。その姿に多くの人は共感するにちがいない。


■ 庶民代表「ニッキーとパメラ」

観客だけでなく、劇中で敵対するキャラクターに位置づけられていたCIAエージェントや局員たちもボーンに共感するようになる。

具体的にはCIAエージェントのニッキーとCIA局員のパメラだ。

彼女たちは庶民代表である。

CIAで働く人のどこが庶民なのかという声もあろうが、ここではCIAという組織の中での位置付けという意味で考えてみよう。

まずはニッキーだ。CIAエージェントだが、トレッドストーン計画では連絡・管理等のサポートを担当していた。彼女はひとりのエージェントであるにすぎず、しかも後方支援担当者だ。

最前線で危険な任務をこなす、ジェイソン・ボーンといったエージェントとは違う。

民間企業でいえば、トップの営業さんを支援する優秀な事務員といったところか。

そしてパメラは、作戦や指示を行う指揮官だが、CIAの極秘計画などにはアクセスできないレベルの局員だ。

民間企業でいえば、幹部なのだけど、けっして最上級幹部ではない。

パメラは非常に優秀な局員なのだが、優秀すぎるからという理由なのか、強力なコネがないという理由なのか、女性だからという理由なのか、お役所なので上役に空きが出るまではどんなに優秀でも昇進を待たなければならないという理由なのか、とにもかくにも機密情報にアクセスする権限は与えられていない。

コネなしで入社してがんばり、実力で幹部になった上級管理職といったところか。

生まれながらにして次期社長(ボンボン)とか、生まれながらにして次期王様(王子)とか、そういう人たちではない。いうなれば、己の才覚と努力で実力をつけてがんばってきた庶民代表がニッキーでありパメラなのだ。

彼女たちは自分の国を、国民を守るためにCIAで働いている。ジェイソン・ボーンと関わるうちに、トレッドストーンやブラックブライヤーのことを知るにつれて、国や国民を守る人間として、そしてひとりの人間として越えてはならない境界線をしっかりと見定めて「人として」の道を歩きはじめる。

それが結果的にボーンをサポートすることになるのだ。

人が歩むべき道。それにCIA内部の人間も共感する。当然のように観客も共感する。

だからボーンはヒーローなのだ。


■ 凹むのは車体だけ

ニューヨークのシーンでは、ボーンシリーズではお約束のカーチェイスがある。

ボーンの運転技術はピカ一なのはいうまでもないが、だからといってスマートに格好よく運転しないところがイイ。

自分が何者なのかを知るという目的を持ち、降りかかる危機を切り抜けるために運転するボーン。

だから普通の運転をしない。車が衝突することを前提に運転するのだ。というよりも、相手の車に自分が乗る車を当てて活路を見い出すのだ。

これがスゴい!

高度なドライビングテクニックを持っていると、いかにリスクを少なく運転するかに尽力するのが普通だ。つまり、事故を起こさないように運転するのだ。

もちろん、通常の運転では無事故をめざすのでそれでいい。

しかしボーンを取り巻く状況は緊迫している。死と隣り合わせだ。一刻を争う事態が続いている。

活路をつくるために、必要ならば自らおもいっきり車をぶつけにいく。衝突することがわかっていれば、ある程度は心構えができる。体への衝撃を和らげるための方策(体勢)をとることもできる。

また、車をぶつけられるこを前提として運転していれば、それを意識することによって、実際にぶつけられたときの精神的なショックを緩和することもできる。

車をぶつけられて凹む車体。でもボーンはヘコたれない。それどころか自分から相手の車にぶつけて活路を見い出す。

何度ぶつけられてもボーンはギアを操り、アクセルを踏み、ハンドルを捌く。

そんなボーンの姿に、日々の生活でさまざまなダメージを負っていると感じる観客は、打たれ強くなろうと思うのを通り越して、必要なら自分から打たれてやろう、まだまだ自分はボーンに比べればほんのチョット蚊に刺されたぐらいなものだ、落ち込んでいる場合じゃないぞ。と勇気をもうらう。

tough-mindedには、現実的な、意志の固い、めそめそしないという意味がある。

自分が何者かを知るためという固い意志で、何度も追い詰められ、幾度も命を狙われてもめそめそなどせずに、現実的な方法を考え、それを実行するタフなボーン。

だからボーンはヒーローなのだ(2回目)。


■ その他

作品全体の色調というか印象がモノクロです(カラー作品ですけど)。

アメリカ映画にありがちな、お約束キャラやお約束ギャクはありません。

人気シリーズだからチョイとだけよ~んとばかりに制作者たちが自己満足で遊ぶこともなく、とこまでもストイックなシブい作りの作品となっています。

それと、ボーン以外のキャラクターもいい。

パメラは凛々しくてカッコ良いし、ニッキーはけっして美人とはいえないのだけどパメラ同様に自分で考えて判断して行動する人間として描かれています。

また、悪玉はやっぱりアイツなのだね、という王道の設定をしているのは、わかりやすくてたいへん良い。

完結編は下手に凝らずに、簡潔に悪玉を懲らしめる。

ってシメは駄洒落かいッっ!(完結と簡潔、凝らずと懲らしめる←説明したら余計寒いっス)


▼第1作「ボーン・アイデンティティー(THE BOURNE IDENTITY)」作品レビュー

▼第2作「ボーン・スプレマシー(THE BOURNE SUPREMACY)」作品レビュー


デート      ○ でも彼氏のことがショボくおもえちゃうかも
フラっと     △ 第1作、第2作を観てからにしよう 
脚本勉強    ○ 
演出       ◎ 
キャラクター   ◎ ボーンにシビれまくり
映像       ◎ 
笑い       - 
ファミリー    △ 
アクション    ◎ 

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11/15/2007

映画「バイオハザードIII(RESIDENT EVIL: EXTINCTION)」

監督:ラッセル・マルケイ
アメリカ/2007年/94分

二丁拳銃二刀使いのスーパーウーマンはついに超能力者に! 念力対決もあるゾ。ミラ本人もよぉくわかっている、最大のみどころとは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
ラクーンシティから脱出して8年。ウィルスの感染は世界中に広まり、地球は急速に砂漠化が進んでいた。
仲間から離れ、ひとりで行動していたアリスは、クレア率いる生き残りのグループに遭遇する。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽アリス
女性。アンブレラ社の元特殊工作員。

△カルロス・オリヴェイラ
男性。U.B.C.Sの元隊員。

▽クレア・レッドフィールド
女性。武装車団を率いるリーダー。

△アイザックス博士
男性。アンブレラ社の科学者。「アリス計画」の主導者。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
二丁拳銃二刀使いのスーパーウーマンはついに超能力者に! 念力対決もあるゾ。ミラ本人もよぉくわかっている、最大のみどころとは?

■ お約束のセミヌード?

バイオハザードシリーズの3作目。

シリーズモノは回を重ねるごとにつまらなくなるのが定石ですが、はたしてバイオハザードシリーズはどうかといいますと、その例にもれずといったところでしょう。

とはいえ、広いくくりでいえばゾンビ作品の系列に入りますので、バイオハザードシリーズが他のゾンビ作品と比べて何が際立っているかがおもしろさを判断する材料になります。

際立っていることは……やはりお約束のミラ・ジョヴォヴィッチのセミヌード?

とはいえ(2回目)一般的にはアリスのアクションが目玉で、アクション作品として観てほしいのでしょう。


■ わかりづらいアクションの典型に……

アクションが目玉といいたいのですが……アリスのアクションは、わかりづらいんです。

短いカットを素早くつなげてスピード感を出そうとする典型的手法が冒頭から目立ちます。

中盤になると鉈みたいなナイフをふたつ使ってゾンビを倒しはじめます。アクションは少しわかりやすくなりますが、そのぶん、スピード感はグンと落ちてしまいます。

とはいってもアクションシーンは満載ですし、普通にいえばそんなにわるくありません。

でも、ジェイソン・ボーンシリーズで魅せてくれる、訓練すれば現実に実行できるであろう激しい生身のアクションや、「300」で魅せてくれた「早回し DE スローモーション」といえる、なにが起こっているのかがしっかりわかるアクションと比べると、どうしても「旧型アクション」にみえてしまいます。


■ 最大のみどころは

アクションが見所ということになっていますが、ズバリ! ミラ・ジョヴォヴィッチのセミヌード、あ、いや彼女の姿を眺めるのがこの作品の最大の目玉です。

そのあたりをミラ本人もよぉくわかっているのでしょう、脱ぎたがりという噂も聞きますが(暑いから? ロケ地は猛暑だったとか)とにかく機会さえあればヌードを披露したい、そんな気迫が感じられます(どんな気迫やねん〔笑〕)。

ミラ・ジョヴォヴィッチの容貌には、人を魅入らせるものがあります。青い瞳と金髪。モデル出身で存在感溢れる体格。特にアジア系の人にとっては金髪に青い瞳というが強烈に感じられんですね。

ほら、日本で生まれ育った、いわゆるアジア系なんだけれども金髪にして眉毛も金色にしてる人って、アジア系だってすぐにわかっちゃうでしょ。

その最大の要因は、瞳の色なんです。

そんなわけで、特にアジア系にとっては青い瞳のミラ・ジョヴォヴィッチは魅力的に映るのでしょう。

「トゥームレイダー」シリーズのララ・クロフトを演じたアンジェリーナ・ジョリーや、「デスペラード」のアントニオ・バンデラスを眺めるかのようなつもりで観に行くのがベストな鑑賞方法ですね。


■ ゾンビ映画ウンヌンはあまり関係ナシ

アイザックス博士が開発した新世代のスーパーゾンビは走ります。でも、他のゾンビ映画で走るゾンビは登場済。

アイザックス博士が研究してる、ちょっと知能が高そうなゾンビが登場します。でも、他のゾンビ映画で登場済。

大型トラックでゾンビの群れに突っ込みます。でも、他のゾンビ映画で似たようなシーンが登場済。

ゾンビ作品は多々ありますから、やり尽くしている感は否めません。

第2作「バイオハザードII アポカリプス」あたりからはゾンビ映画というよりも、ミラ・ジョヴォヴィッチのプロモーション作品といったかんじですから、ゾンビがどうのというのはあまり関係ありません。

なぜなら、第1作「バイオハザード Resident Evil」の監督で「バイオハザードII アポカリプス」では製作と脚本を担当、「バイオハザードIII 」では脚本を担当したポール・W・S・アンダーソンとミラ・ジョヴォヴィッチは婚約中だからです。つい先日11月3日にアンダーソンの女児を出産しました。

恋人のためにがんばってつくりました! ――みたいな?

ほら、アナタだって好きな人がいたら、その彼・彼女をずぅっと見ていたいでしょ☆

だからミラ・ジョヴォヴィッチを眺めるのがベストな鑑賞方法なのです。


■ その他

世界中にウィルスが蔓延して地球は砂漠化が進行。その原因をつくったアンブレラ社は地下深くに潜っています。

アンブレラ社の中枢はどこにあるのか。どうやら意外と身近なところにあるようです。何処かは作品を観てのお楽しみに。

え? レビューがアッサリしているんじゃないかですって?

そうですねぇ、書くことがあまりないんです(笑)。

それこそがこの作品の特徴かもしれないですね。

ちなみにクレア車団がアラスカを目指して移動することには、米国の特色が色濃く反映されています。それは西部開拓時代にさかのぼる話ですが、それについてはゾンビと映画で米国を知るならもはや定番となったこのレポートでわかりますヨ。

学校では教えてくれない社会・歴史をゾンビでまなべ(真鍋?)
  ↓  ↓  ↓  ↓
▼【深夜の課外授業】ゾンビでわかるアメリカ合衆国
  ~けっして日没前には読まないでください~

昼間読もうとしてもパンズラビリンスの本のように白紙との噂も。かならず深夜に読まなきゃだめだゾ・ン・ビ(寒ッ)。

それと、バイオハザードシリーズの中では、第1作「バイオハザード Resident Evil」がズバ抜けて出来が良いですョ。
▼「バイオハザード(BIOHAZARD:RESIDENT EVIL)」作品レビュー
(けっこうホメてるなぁ↑)

そして、本編よりも予告編のほうがインパクトがあった第2作はこちら。
▼バイオハザード II アポカリプス(Resident Evil: Apocalypse)作品レビュー

デート      △ お互いにミラのファンなら
フラっと     × 
脚本勉強    △ 
演出       △ 
キャラクター   × 定番で平面的なキャラも致し方ないかな
映像       △ 
笑い       - 念力対決は笑うところ?
ファミリー    × ゾンビがうじゃうじゃですから~!
アクション    △ 冒頭アクションがわかりづらい
ノーテンキ    ○ ゾンビが出てくるだけでOKなら
ミラ        ◎ ファンなら


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10/28/2007

映画「パンズ・ラビリンス(PAN'S LABYRINTH)」

監督:ギレルモ・デル・トロ
メキシコ・スペイン・アメリカ/2006年/119分

フィクションの手法を用いて、ファンタジー世界を巧みに現実(とされる物語)世界とリンクさせることで、人が物語を必要とする理由(わけ)と意味・意義を明確にしつつ、想像力を働かせて生き抜こうとするすべての人々にエール送るかのような、力づよくもせつない真のファンタジー作品。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
1944年のスペイン内戦下。
父親を亡くし、フランコ将軍配下の軍人と再婚した母親と暮らす少女オフェリアは、屋敷の近くに迷宮を見つける。そこに足を踏み入れて出会った牧神パンに、オフェリアは地底の魔法の国のプリンセスの生まれ変わりだと告げられる。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽オフェリア
少女。父親を亡くし、臨月を迎えた母親と共に再婚相手の軍人がいる森の駐屯地へ向かう。

△ピダル
軍人。大尉。フランコ将軍配下。オフェリアの母親の再婚相手。

▽カルメン
女性。オフェリアの母親。

▽メルセデス
女性。軍の駐屯地で軍人たちの身の回りの世話をして働いている。

▼パン
迷宮の牧神。迷宮の案内役。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
フィクションの手法を用いて、ファンタジー世界を巧みに現実(とされる物語)世界とリンクさせることで、人が物語を必要とする理由(わけ)と意味・意義を明確にしつつ、想像力を働かせて生き抜こうとするすべての人々にエール送るかのような、力づよくもせつない真のファンタジー作品。

■ 人が物語を欲する理由(わけ)

世の中は物語であふれています。映画、演劇、小説、コミック、オペラ、音楽だけでなく、教育や政治にまで、あらゆる分野に物語があります。物語を欲する人々がたくさんいるからです。

どんな生き方をしたいか。どんな暮らしをしたいか。そういった生き方のモデルとしての物語を提示して、広く支持を得て票につなげようとするのが選挙演説です。選挙演説とは、物語るものといえるでしょう。そして物語に共感した人はその候補者に一票を入れるというわけです。

そうなると、いかに魅力的で、それでいて実現の可能性の高いモデル(物語)をいかに語れるかが重要となります。

そもそも人は、どんな生き方をしたいかという希望やビジョンを持たなければ、前に進むことは難しいでしょう。

たとえば、登山は頂上を目指すから足を踏み出して登りつづけられるのです。頂上があることがわかっているから、頂上を目指して登ることができるのです。

ところが、どこまで続くかわらない上り坂を、どこに頂上があるのか、さらに頂上があるかどうかもわからないままに登り続けることはたいへんな苦痛となります。

他の例でいえば、右のバケツの水を左のバケツへ移しかえるといったものがわかりやすいでしょう。

右のバケツの水を左のバケツへ移しかえる。次に左のバケツの水を右に移しかえる。それにいったいどんな意味があるの知らない・わからないままでは、その作業を続けることはたいへんな苦痛となります。

バケツの水を一滴もこぼさずに100回移しかえたら100万円!

これなら気合を入れてやる人はいるでしょう。

こうすればこうなる。という意味と意義を付加する。これが物語のひとつのカタチです。

人は物語なしには生きられません。

物語を自分で作る人もいれば、他からの借り物で済ます人もいます。それは人それぞれです。


■ オフェリアにとって必要な物語

オフェリアは少女です。臨月を迎えた母親に付いていくしか道はありません。母親が再婚した相手が冷酷な軍人でも、そこから去っていくことはできません。まだ少女だからです。

さらに、母親の出産が真近に迫っています。弟(もしくは妹)ができるのはうれしいけれど、母親が自分にあまりかまってくれなくなるのではないかという思いも、心の片隅にあるでしょう。

母親の再婚相手の軍人は、自分には全く興味がなく、跡継ぎの息子がほしいだけというのは幼いながらもわかります。

愛する人が自分からどんどん離れていってしまうのではないか。そんな不安を持っています。でも、どうすることもできない。どうしたら幸せに生きれるのか。考えても考えても突破口は見い出せません。自分の物語を見出そうとしてもできない状態です。

これはオフェリアだけでなく、世界中の子どもたちが同じような経験をしています。大人のアナタもきっと同じような経験をしたはずです。

子供は無邪気で好き勝手に遊んでのんきでいいよなぁ。なぁ~んていうオトナがたまにいますが、それは少年・少女のころのことを忘れてしまったか、思い出そうとしない人。

子ども世界がどんなに冷酷で、どんなに不自由だったか。ちょっと思い返してみれば思い当たる節はいくつもあるでしょう(もちろん、どんなにあたたかくて、どんなに自由だったかも思い出すことでしょうけれど)。

では、少女オフェリアはどうしたら生き抜くことができるでしょうか。

どうにもならない現実を生き抜く方法。それは、想像する能力を使うことです。

人は想像できます。イメージできます。

どうにもならない(と感じる)現実を生き抜くには、想像力をはたらかせて自分の物語を作り、現実の辛い部分をひとときでも忘れて和らげることで、現実と折り合いをつけるのです。別の言い方をすれば、虚構によって現実を生き抜く力を得るのです。。

子供は想像力が豊かだと言われることがあります。より正確には、想像力を働かせないことには現実を乗り越えて生き抜くことが困難だから想像力を強化するしかないということなのですね。


■ 現実とリンクするファンタジー

オフェリアは森で昆虫と出会います。出会うというのはオフェリア側の言い方であって、現実は同じような昆虫を森や部屋でみかけたにすぎません。

そしてある晩、寝室に入り込んできた昆虫に向かって本を広げ、妖精の挿絵を見せながらオフェリアは「あなたは妖精さん?」とたずねます。すると昆虫はその挿絵そっくりの妖精に姿を変えます。

またオフェリアは庭の迷宮で牧神パンに出会って、白紙の本をもらいます。それは、ひとりのときに開けば文字や絵が浮かび上がる本です。

どちらのエピソードも、オフェリアの都合のいいように起こっているようでありながら、その内容は試練となっています。

3つの試練に立ち向かい、それを克服することによって、地底の魔法の国のプリンセスとして愛する人たちと幸せに暮らせるようになる……はずでした。

しかし、牧神パンに課せられた最初の試練を乗り越え、2番目の試練にさしかかったときから狂いが生じてきます。現実の世界でも、母親が難産の末亡くなってしまいます。

悲しみと孤独に耐え切れないオフェリアは牧神パンの「最後のチャンスをあげましょう」という言葉にすがるしかありませんでした。

オフェリアにとって牧神パンの3つの試練と母親の出産はつながっています。いや、つなげているといったほうがいいでしょう。そうしなくては、とてもじゃないけれど生き抜くことはできないからです。

生き抜くために想像力を働かせ、精一杯がんばるオフェリア。それと平行して、森に隠れていた人民戦線派の残党たちとフランコ派の軍との衝突はますます激しさを増してゆくのでした。


■ 異色ファンタジーといわれる本当の理由とは?

「パンズ・ラビリンス」は異色ファンタジーだといわれます。ダークだからというのがその理由だとか。

しかし異色ファンタジーといわれる真の理由(わけ)は、現実に根ざし、現実としっかりとリンクしていることにあります。

たいていのファンタジー作品は剣と魔法の世界です。白馬に乗った王子様が悪党を倒してお姫様を救出。めでたしめでたし。

これは、マイナスの言い方をすれば現実逃避の、それを想像した人間に都合と心地が良いだけの世界です。それでもファンタジーが多くの人に受け入れられるのは、同じような現実逃避の想像を(ときに妄想ともいわれるものを)だれもがしたことがあるからです。

マーケティングの観点からいうと、より多くの人が気持ちいいだろうと想像する世界を再現すれば、それがヒットしやすいというわけです。

ところが「パンズ・ラビリンス」はフィクションの手法を用いて、ファンタジー世界を巧みに現実(とされる物語)世界とリンクさせることで、人が物語を必要とする理由(わけ)と意味・意義を明確にしつつ、想像力を働かせて生き抜こうとするすべての人々にエール送るかのような、力づよくもせつない真のファンタジー作品となっています。

こんなファンタジー作品は滅多にありません。だから異色ファンタジー作品なのです。


■ 3つの試練と禁断の……。

「3」という数字は聖書によく登場します。

・イエス誕生を祝うために遠方よりやってきた3人の博士。

・ペテロはイエスに、鶏が鳴く前に3回私を知らないというだろう、といわれます。

・十字架にかけられて亡くなったイエスが3日目によみがえった。

・ヨハネの黙示録3天使の使命

また禁断ときいて聖書の物語ですぐに思いつくのは、エデンの園にいたアダムとイヴが、神に食べてはならないと命令されていた善悪を知る木の実をとって食べたことです。

オフェリアも壁の向こう側の世界へ行き、カギを使ってある物を持ち帰る試練を与えられます。そのとき、壁の向こうの世界では何も口にしてはいけない(食べてはいけない)と言われます。

しかし、オフェリアは食卓の豪華な食事の中から、ブドウぐらいはいいだろうとそれを口にしてしまいます。すると椅子に座って動かなかった怪人怪物ペイルマンがそれをきっかけになにやら動きはじめます……。

欧米文化圏で生まれ育ったオフェリアは聖書の物語を知っているので、彼女の世界でもこのような数字と禁断の約束事が登場するのですね。

他にも、ひとつめの試練で森の太い樹木の幹の中に入っていくというのは、19世紀の古典的ホラー作品「スリーピー・ホロウの伝説」に登場する首なし騎士が樹木の中からあらわれたことを思い出させます。ジョニー・デップ主演、ティム・バートン監督作「スリーピー・ホロウ」はおもしろい作品ですので未見の人はぜひ観てネ。

オフェリアもおそらく聖書や古典作品の物語をいくらか知っていた(という設定な)のでしょう。そして当然のように、欧米の観客も知っているというわけです。


■ おちゃめな怪物。だるまさんがころんだ?

壁の向こうの世界にいる怪物ペイルマン。オフェリアがブドウを食べた瞬間に動き始めます。

さてさて、怪物ペイルマンはどうやってオフェリアのいる位置を確認するのか。その方法というか仕草というか動きがもぉたまりません(いい意味で!)。

ダーク版おちゃめな「だるまさんがころんだ」のシーンをお見逃しなく!


■ ファンタジーの真の姿をみせてくれる

オフェリアが試練を乗り越えようとする世界は、美しいものではありません。というかグロテスクなものばかりです。ふつうだったら、気持ち悪い! こわい! と嫌がりそうなものですが、オフェリアはそんなに怖がる様子もなく、試練を乗り越えるために必要なことを淡々と行おうとします。

なぜ、たいして怖がらないのでしょうか?

それは、そこがオフェリアが生き延びるために作り出した想像の世界だからです。

たいていのファンタジーは先にも書いたように、品行方正っぽい王子様と姫様が登場して悪者を成敗するという、見た目は、ほぼきれいな世界です。でも実際は、人間の想像の世界はきれいなものでしょうか。

もっと濁った、ときには悪臭を放つかのような、他人には見せられないような世界であることのほうが多いのではないでしょうか。それは、ときに悪夢ともいわれます。たいていの人は、そんな世界を持つことで、現実とのバランスを保っているのです。

だからオフェリアの世界はあのようにグロテスクでネバネバドロドロしていて、怪物も棲んでいるのです。それが当たり前だからオフェリアはたいして怖がりもしないのです。

そういうわけで、ファンタジーの真の姿を表現したかのような貴重な作品なのです。


■ その他

想像力。物語る能力。これは生き残る力です。

これについては映画「硫黄島からの手紙(Letters From Iwo Jima)」作品レビューの「生きる力」の箇所で書いたことがそのまま「パンズ・ラビリン」にもあてはまります。

▼「硫黄島からの手紙(Letters From Iwo Jima)」作品レビュー

「パンズ・ラビリンス」には残酷な描写や、グロテスク系といいましょうか綺麗とは程遠い描写がありますので、そういうのが苦手な人はお気をつけください。

私は大いにおススメします。
ハリー・ポッターシリーズやロード・オブ・ザ・リングよりもグッときましたヨ。


デート      △ 初デートでは避けたほうが無難?
フラっと     ○ 
脚本勉強    ○ 勉強になりますぅ~。
演出       ◎ 
キャラクター   ○ キャラ濃い。おちゃめなキャラも。
映像       ◎ グロテスクな世界観がたまらない。
笑い       - 怪物ペイルマンの動き方が萌え~!?
ファミリー    - 
アクション    - 
人間       ◎ 人間を描いてます
ファンタジー   ◎ 真のファンタジーやね
ほのぼの     × 皆必死やで~
お気楽      × そやから必死やて!(>_<)
生き詰まってる  ◎ 観にお行きなさい!(←釈ちゃん?)

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10/08/2007

映画「プラネット・テラー in グラインドハウス」

「プラネット・テラー in グラインドハウス
 (Robert Rodriguez's Planet Terror)」
監督:ロバート・ロドリゲス /2007年/105分

米利堅(メリケン)版「あばれはっちゃく」をご賞味あれ。「はっちゃける」ことができるのはキャラが立ってるからこそ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
細菌兵器によってゾンビが人々を襲うようになったテキサスの田舎町。
元恋人のレイと再会したダンサーのチェリーは、ゾンビに襲われながら
も生き残りの人間たちと共に戦う。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△チェリー
ダンサー

△レイ
解体屋。チェリーの元恋人。

△マルドゥーン
米軍基地部隊長

△アビー
科学者

▽ダコタ
女医

△ブロック
医師。ダコタの夫。

△ヘイグ
保安官

△JT
バーベキュー店主。ヘイグ保安官の兄。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
米利堅(メリケン)版「あばれはっちゃく」をご賞味あれ。「はっちゃける」ことができるのはキャラが立ってるからこそ。

■ グラインドハウスとは

グラインドハウスとは劇場のこと。

米国の大都市の周辺にあった劇場で、そこではインディーズ作品(低予算のB級映画)を2、3本立てで上映していた。

そんなグラインドハウスに入り浸って映画を見まくっていたクエンティン・タランティーノ監督が、ロバート・ロドリゲス監督と共に当時のグラインドハウスで上映されていた映画のエッセンスを元に作り上げたのがタランティーノの「デス・プルーフ in グラインドハウス」であり、ロドリゲスの「プラネット・テラー in グラインドハウス」である。

米国ではこれらを2本立てにしてフェイクの予告編を挟み、ひとつのグラインドハウスという作品として送り出したが、アメリカ合衆国外ではそれぞれを単独作品として編集しなおしたという。

というわけで、日本においても両作品は単独作品として上映された(2本立てではない)。


■ キャラクターを活かすとは

ゾンビとウェスタンという定番の題材に違いはあれど、折りしも「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」(以下スキヤキ)を鑑賞した後に「プラネット・テラー in グラインドハウス」(以下プラネット)を観ると、キャラクターを活かすとはどういうことかがたいへんよくわかる。

スキヤキにおける主要登場人物のひとりであるガンマンには、名前さえない。村にやってきた凄腕ガンマンは平家と源氏の間に生まれた子というバックグランドは提示されるが、それだけだ。

一方プラネットにおける主要登場人物のひとりのレイは、解体屋でチェリーの元恋人。銃の射撃は正確で、ナイフ等を使って次から次にゾンビたちを倒す。

両者とも腕が立つわけだが、なぜ凄腕なのかは語られない。

それでもレイが魅力的にみえるのは、どんな状況でもチェリーを信じ、勇気づけ、助けようとするからだ。

ほかにも女性キャラクターを比較してみよう。

スキヤキの女性キャラクター「静」は村にやってきた平家と源氏の争いのなかで片方の陣地に囲われており、夫が殺されてどうすることができないと感じている。

プラネットのチェリーにしてもゴーゴーダンサーをしているが、それを辞めて新しい自分をみつけたいと思っている。だがどうすることもできないと思っている。

どちらの女性キャラクターも現状からの打破を望みつつも、そんなことは叶わないだろうと諦めかけている。

そこにガンマンやレイが現れることで変化が生まれる。

大事なのは、その変化が観客が頷けるものでなければならないということだ。

つまり、変化するにじゅうぶんだと思えるふたりの関係を描かなくてはならないのだ。

スキヤキでは、ガンマンが現れても、静に変化を与えるに足るじゅうぶんな関係性を見出すことはできなかった。

ところがプラネットでのレイは、チェリーをゾンビの襲撃から救っただけでなく、彼女を再び助けるために危険をおかして病院までやってきた。

さらに片足を失って落ち込むチェリーを勇気づけ、共に戦っていく。こうして、いくつもの出来事を通してふたりの関係性に強い絆があることを観客に知らしめるのだ。

やがて、強い関係性によって変化していくチェリーは新しい自分に出会うのである。


■ お馬鹿に「はっちゃける」には

女医のダコタは幼い息子を連れて夫から逃れようと計画していた。

そんな、一見すると本筋とは関係ないように思える夫婦の状況も描かれる。

また、バーベキュー屋を営むJTは秘伝のソースを作ろうと日々研究を重ねている。彼の弟ヘイグは保安官で、なんだかんだいっても兄弟の絆は強い。これも一見すると本筋とは関係ないように思えるかもしれない。

だが、バーベキュー店にはレイだったりチェリーだったりダコタが付き合っている女(ダコタはレズビアン)だったりがやってくる。

やがて町がゾンビに襲われて壊滅状態になると、生き残った人間たちはJTのバーベキュー屋に集まって脱出の作戦を練ることになる。もちろんその中にはヘイグ保安官もダコタもレイもチェリーもいるというわけだ。

本筋とは関係ないと思われるキャラクターたちの状況を描きながら、実はひとつにつながっていく。ひとつにつながった時には、それぞれのキャラクターに厚みができている。言い換えればキャラクターが立体になっている。これをキャラクターが立つ、またはキャラが立つともいう。

キャラクターが立っているから、町にウィルスが蔓延してゾンビが溢れ、片足にマシンガンを装着した女性ダンサーが大活躍するお馬鹿っぷりを如何なく発揮できるのあり、それが笑いにもなる。

もしもキャラクターが平面で薄っぺらだったら、お馬鹿っぷりを発揮しようとすればするほど笑えなくなってしまう。

お馬鹿映画を作るには、実はたいへん高度で緻密な技術が必要である。スキヤキとプラネットを見比べるとはっきりと見えてくるのがそれだ。


■ その他

タランティーノが軍人役で出演しています。この人はいつ見ても映画を本当に楽しんでるってかんじですなぁ。

ゾンビが登場したり、頭や手足が吹っ飛んだりしたりするシーンがたくさんあるので、万人にはおすすめしませんが、そういったことを承知で、くだらないお馬鹿映画を楽しみたいならうってうけです。

くだらないことをやるにはものすごい根気と技術が必要で、はっちゃけることができるのはほんの一握りでしかありません。

そんな「はっちゃける」ことができる監督のひとりがロバート・ロドリゲスです。

さて、人間は無駄を楽しむことができる生き物です。無駄はエンジンでいうと潤滑油みたいなもので、それがないとスムーズに動きません。

人間は一見すると無駄に思えることを、実は欲しています。だから無駄にバイオレンスだったり、無駄にエロかったりする「くだらなさ」がたまらないと思えるからです。

なにはともあれ、米利堅(メリケン)版「あばれはっちゃく」をご賞味あれ。

私は笑いっぱなしでスた。


デート      △ 
フラっと     ○  
脚本勉強    ○ キャラクター作りが上手
演出       ○ 
キャラクター   ◎ 
映像       ○
笑い       ◎ 笑いっぱなし 
はっちゃけ    ◎
お馬鹿      ◎
アクション    ◎
ファミリー    × 
のほほん    ×
ほんわか    ×
監督ファン    ○
タランティーノ  ○ 

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09/27/2007

ファンタスティック・フォー:銀河の危機(FANTASTIC FOUR: RISE OF THE SILVER SURFER)

監督:ティム・ストーリー
アメリカ/2007年/92分

日米F4の比較でわかる、FLAME ON!で萌えろ!(←漢字違うヨ)F4、人気のワケ。普遍的な苦悩を軸にバランスのとれたキャラクター設定と配置で展開する、安定感バツグンのヒーロー物語。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
世界各国で異常気象が起きるなか、ファンタスティック・フォーのリードとスーの結婚式が執り行われようとしていた。
そのとき、銀色のサーフボードに乗る未知の生命体が現れる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△リード・リチャーズ
天才科学者。ファンタスティック・フォーの一員(実質リーダー)。体をゴムのように収縮させて自由に変化させる能力を持つ。

▽スーザン・ストーム
女性科学者。リードの婚約者。ジョニーの姉。ファンタスティック・フォーの一員。自分や相手を透明にしたり、透明バリアをはる能力を持つ。

△ジョニー・ストーム
宇宙船パイロット。スーザンの弟。ファンタスティック・フォーの一員。炎を操る。FLAME ON!のかけ声で全身を発火させて高速で飛行できる能力を持つ。その状態は「ヒューマン・トーチ」と呼ばれる。

△ベン・グリム
宇宙パイロット。ジョニーの先輩。リードの親友。ファンタスティック・フォーの一員。岩のような頑丈な体と怪力の能力を持つ。

△ビクター・バン・ドゥーム
天才科学者。ファンタスティック・フォーの宿敵。メタル状の全身と破壊光線を指先から発する能力を持つ。かつて世界征服を企むがファンタスティック・フォーに撃退された。

△ノリン・ラッド/シルバーサーファー
サーフボードに乗った銀色の生命体。彼が現れた惑星は8日で滅亡する。宇宙パワーを吸収してエネルギーに変換したり、治癒したりする能力を持つ。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
日米F4の比較でわかる、FLAME ON!で萌えろ!(←漢字違うヨ)F4、人気のワケ。普遍的な苦悩を軸にバランスのとれたキャラクター設定と配置で展開する、安定感バツグンのヒーロー物語。

■ ファンタスティック・フォーとは?

原作はマーベル・コミックの「ファンタスティック・フォー」。

宇宙実験で宇宙放射線を浴び、遺伝子が変化して超能力を持つことになった4人が結成した、非営利目的のヒーロー集団のこと。またその集団が活躍する作品のこと。以下「F4」と表記する。

ちなみに題名にフォーとあっても4作目ではない。映画2作品目である。


■ F4といえば……

多くの人々にとってF4ときいてすぐに思う浮かぶのは英徳学園高校のF4だろう。この場合のF4は「Flower 4」つまり花の四人組を名乗る道明寺司・花沢類・西門総二郎・美作あきらたち4人のことだ。

これは日本の漫画「花より男子」の登場人物たちであり、テレビドラマになってヒットしたので名前だけでも聞いたことがある人も多いだろう。

というわけで日本でF4といえば「ありえないっちゅ~の!」でお馴染みとなった牧野つくしが叫ぶ「どうみょうじ~!」こと道明寺司をはじめとする4人の男子高校生のことがまず頭に浮かぶ。

ところが米国では「スパイダーマン」「X-メン」「ハルク」でお馴染みのマーベル・コミックの作品「ファンタスティック・フォー」のことである。


■ 日米F4人気のワケ

英徳学園高校の幼馴染F4がなんだかんだいってもお互いに助け合い協力し合って牧野つくしという女生徒を守るのと同じように、マーベル・コミックのF4も親友や姉弟や恋人や同僚と様々な関係を持つ4人がお互いに助け合い協力し合って街の人々を、人類を、地球を守る。

英徳学園高校のF4は超お金持ちでいわば強者。女生徒の牧野つくしは超庶民で後に超貧乏になる弱者。望むと望まないに関わらず、財力という持って生まれた能力を使って庶民代表の牧野つくしを守りつづけていくF4に読者は拍手をおくる。だから「花より男子」は人気漫画であり、そのドラマ化作品は続編が作られるほどヒットした。

マーベル・コミックのF4も望むと望まないに関わらず宇宙放射線を浴びて超能力を得ることになる。その能力を持ったことで一変した生活に戸惑い、静かに暮らしたいと望みながらも、4人のチームワークで一般人(庶民)を守るために活動するF4に読者は拍手をおくる。だから「ファンタスティック・フォー」は人気コミックなのだ。


■ キャラクターのバランスが良い

F4は与えられた能力(タラント)に戸惑いながらもそれを活かしていく道を歩む。その4人の関係は、恋人、家族(姉弟)、友人、同僚(先輩・後輩)とバランスよく配置されている。

また紅一点のスーザンがシルバーサーファーの心をも動かす非常に重要なキャラクターとなっている。

キャラクターの性格、位置づけ、キャラクター同士の関係性。これらが幅広いために、観客の多くは登場人物のだれかに、またはその状況に共感しやすい。

たとえば、Aさんという観客はだれかの姉であり、だれかの恋人であり、だれかの友人であり、だれかの同僚である。そんなAさんはF4の置かれた状況と苦悩が身近なことのように思えるのである。


■ 普遍的な苦悩

与えれたタラント(能力)をどう活かすか。

これは人が生きるうえで、昔から苦悩しつづけてきた大きな問題だ。

聖書にはタラントの例え話があることからもわかるとおり、人は与えられたタラントに応じてそれぞれがタラントを活かさなければならず、どのように活かすのかと思い悩む。

天(神)から与えられたタラント(能力)をどう活かすか。

これは宇宙放射線を浴びて超能力を持ったF4が平穏な生活を望みながら、人類のためにその能力を活かしていく生き方にひとつの指標を与えてくれる。

どんな指標か。

それは、チームでタラント(能力)を活かすことだ。

ピクサー作品「Mr.インクレディブル」でもそうだし「X-メン」でもそうだが、ヒーローたちはその超能力のために周囲から浮いてしまう。ひとりではその能力のために弱者にもなってしまうことがある。

けれども能力を持った者たちが集まってチームで目的を達成するために動きはじめれば、その能力は最大限に活かされるのだ。

だから、まずは自分にどのような能力があるのかを見極めて、それを伸ばしていくこと。いつかチームとしてその能力が発揮されるその日まで――。

ではどうやったら自分の能力を発見できるのか。その方法はこちら。
▼『Mr.インクレディブル』が教えてくれる、子供の才能を限りなく伸ばす方法


■ その他

シルバーサーファーが現れた惑星は8日で滅亡する。これは世界が7日で作られたとする旧約聖書創世記の記述を連想させますね。

神が7日で作ったものを、8日で滅亡させるというのですから、シルバーサーファーが悪の迫る予兆として現れたことをわかりやすく提示している、というわけです。

それと、予告編でもよく流れていたジョニーの「ヒューマン・トーチ」とシルバーサーファーとのおっかけっこをはじめとする、シルバーサーバーの動きはCGならではの見所ですね。

でもCG映像はたしかにスゴいんだけれども、それよりもはやり、F4のチームワークが観ていて気持ちイイ。

F4の理想的な関係性と活躍を安心して観ていられる。

そんな安心・安定感バツグンの作品ですね。

逆にいうと、ファンタスティック・フォーが何なのかさっぱりわからない人や、とにかくビックリ・ドッキリしたい人には向きません。

前作「ファンタスティック・フォー [超能力ユニット]」を観た人にはおススメです。

それと、今をときめくジェシカ・アルバのファンは、もちろん必見ですヨ。


デート         ○ お互いにF4知ってることが前提
フラっと        × 基礎知識入れてからにしてね。 
脚本勉強      ○
演出         ○
キャラクター      ◎
映像         ◎
笑い         ○
ファミリー      ○
お初         ×
 

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08/17/2007

映画「レミーのおいしいレストラン(RATATOUILLE)」

監督:ブラッド・バード
アメリカ/2007年/120分

「魔法の鏡」職人(作家)ブラッド・バードによる「誰でも名評論家」になる方法。おいしい料理と素晴らしいCGアニメは引き立て役。すべては観客の心の中に浮かぶ「ふたつのモノ」のためにある。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
優れた臭覚と味覚を持つねずみのレミーは、シェフになることを夢見ている。
ある日、自分のヒーローである天才料理人グストーの店にたどり着いたレミーは、料理人見習いのリングイニが台無しにしかけたスープを見事に作り直す。
そのスープが客に好評で、店はひさしぶりに注目を集めるようになる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△レミー
ねずみ。優れた臭覚と味覚を持つ、料理の天才。

△リングイニ
男性。料理が苦手な見習いシェフ。

▽コレット
女性シェフ。リングイニの教育係。グストー信奉者。

△スキナー
男性。グストーの料理長。儲け第一主義。
心のこもっていない高級な料理を提供するだけの店

△イーゴ
男性。料理評論家。フランス料理界で最大の権威を持つ。

△エミール
ねずみ。レミーの兄。

△グストー
男性。天才シェフ。亡き人。ベストセラー「誰でも名シェフ」の著者。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
「魔法の鏡」職人(作家)ブラッド・バードによる「誰でも名評論家」になる方法。おいしい料理と素晴らしいCGアニメは引き立て役。すべては観客の心の中に浮かぶ「ふたつのモノ」のためにある。

■ ○○もおだてりゃ木に登る?

作品を作るのはタイヘン。評論するのはラク。

あれこれ評論するならおまえが作品を作ってミロのヴィーナス。

ホントそうですね。だから、作品を作る人と評論する人とで、どっちがスゴいかといえば、もちろん作品をつくる人です。

スゴいのは作品をつくる人だけど、作品はだれかに評価されてはじめて価値が決まる。

評価のモノサシが興行収入だったり、有名人の感想だったり、観客100人アンケートの結果だったりします。

そんなことはオマケみたいなもので、大切なのは「自分の評価のモノサシ」を持っている人がもっとも作品を楽しめるということです。

とはいっても他人の評価は気になるもの。そこで登場するのが評論家という人たちです。

Aという作品の評価は、Aという作品を観た人の数だけあります。観客ひとりひとりによって、評価というのは違います。

けれども、いち早く良い評価をたくさん集めたいというのが映画製作会社や映画宣伝会社の願いです。そのため、有名人や集客力を持つ人や権威を持つ人から良い評価を得ようと、作品づくりとは違う部分でガンバッてしまうのです。

なにをガンバるかといえば、評論家受けがいい作品をつくろうとか、評論家が機嫌よくなるよう接待しようとかガンバるわけです。

そんなふうに顔色をうかがってもらえるような、業界で最大の権威を持つ評論家ともなれば、なんだか自分が偉くて何でも思いどおりにできるような気になってしまうもの。

天才料理人グストーの著書「誰でも名シェフ」を、映画作品で言い換えれば「誰でも名評論家」ともいえるのではないでしょうか。

有名で権威あるとされる評論家の評論に振り回されることなく、自分の価値観で自分にとってすばらしい作品に出会うこと。

それが大切だということを「レミーのおいしいレストラン」は教えてくれます。

さておぼえているでしょうか。私は「夕凪の街 桜の国」のレビューで以下のように書きました。

--ここから--

映画がスクリーンに映し出す「映像」は、あたかもそれ自体が主役かのように思えるかもしれない。だがそうではない。「スクリーンの映像」は「心の中の映像・感情」のための引き立て役にすぎない。

映画という形式に限らず、あらゆる物語では、観客の心の中に映し出される「映像:感情」こそが、主役なのである。


--ここまで--
▼「夕凪の街 桜の国」作品レビュー

Aという作品を観たときに、あなたの心になかに映し出される「映像:感情」こそが主役だというわけです。

フランス料理界で最大の権威を持つ料理評論家イーゴがグストーのレストランでラタトゥイユを食べた瞬間に彼はどんな風景を見たでしょうか。そして料理を作ったシェフがレミーだと知って、どうしたでしょうか。

イーゴは一見すると悪役のようですが、そうではありません。料理を愛する気持ちはだれにも負けない。たまたまそこにフランス料理界最大の権威を得てしまったために、大好きな料理を食べて楽しむことを忘れてしまっていた、ちょっとかわいそうなふつうの人だったのです。

ちょっと忘れていただけ。だからイーゴはラタトゥイユを食べてそれを作ったのがレミーと知っても、あのような深くすばらしい評論を書けたのです。

「ブタもおだてりゃ木に登る」(←サルでは?)ともいいますが、木に登っているブタは自分がブタだとは思っていません。(ブタはかわいいですけど)。

木に登ればどこまでも続く水田を見渡すことができて気持ちがいいかもしれません。でも、水田は農家の人が作ったものです。種まきも日々の稲の世話も収穫もぜずに、木の上でごはんがうまいのまずいのと言えば、ブタのくせに、と言われてしまうでしょう。そもそもその木だって農家の人が植えたものかもしれません。

じゃぁ、おまえは何なのだといわれると、多少耳が痛いのでありますが「コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)」という欄に文字を綴ってはいても、私は評論家ではありません(まぁ好きなように呼んでもらって結構ですが……)。私はライターです。映画の記事を書けば映画ライターというわけ。

皆さんだって、たとえばブログに記事を書けばライターです。私は、多くの皆さんと同じひとりの観客であり、同じひとりのライターなのです。

ただちょっとだけ、自分の評価のモノサシらしきものを持っている、ひとりの観客でありライターというわけです。

ウェブログ(以下ブログ)が人気の時代。だれもが自分の感想・意見・評論を気軽にネットに発表できるようになって、文字通りAという作品を観た人の数だけ評価があることが「ブログに映画感想を載せる」という具体的行動によって、いっそう明確になりました。

何者にも、何事にもとらわれることなく、自分の感想や意見をあらわすことができる時代になったのです。

多くの人々は、自分と近い目線の人の「生の声」を聞きたいのです。だれかに遠慮したり、だれかをよいしょした「作られた声」は、これまで掃いて捨てるほどあったのですから、いまさらそれが増えたところでありがたみはほとんどないでしょう。

人はタダでなにかを貰えば気持ちが動くもの。ましてなにかを貰ってはなおさらのこと。

だから私は積極的には試写会にいきません(たまには行きますけどね。一般より早く観れるのはやはりうれしいもの。でも試写会で観た場合はその旨を明記している……ハズ。「かもめ食堂」は試写会で観たなぁ)。

▼「かもめ食堂」完成披露試写会の記事

たとえAという作品を観るために1円でも支払えば、あとはそれをどう評価しようとその人だけの感想・意見となります。

しかし、タダ(無料)だったり、なにかを貰ったりしたら、もうそれはその人だけの感想・意見ではありません。作品自体の内容よりも、それに付随するもの(タダで観せてくれた、金銭や物をくれた)のほうに「力点」が移ってしまうからです。

――おだてられて木に登るブタにならないよう、自戒を込めて。


■ 「魔法の鏡」職人(作家)ブラッド・バード

ブラッド・バード監督は社会派です。「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」でアメリカ社会を映し出す魔法の鏡として機能する作品を発表。

そして「レミーのおいしいレストラン」では、映画作品によって映画作品をとりまく状況を映し出す魔法の鏡を登場させるというスゴ技を披露してくれました。

▼「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」作品レビュー


■ サラッとあんなことやこんなことも入ってます

ざっと目についただけでも、人間の欲求のうち「帰属意識」「友情」「恋」「自己実現」「サバイバル」が織り込まれています。

ねずみのレミーは毎日がサバイバルです。人に姿を見られただけで追いかけまわされて死の危険に直面します。

さて、レミーの父親はねずみグループのリーダーです。レミーは優れた臭覚によって、食べ物が安全かどうかをかぎ分ける重要な役割を共同体内で与えられています。

レミーのねずみ社会での地位は悪くありません。というより、かなり良いほうでしょう。親が群れのリーダーであり、自分もみんなに必要とされているのですから(帰属意識)。

でも、レミーはシェフになりたいという願いを持っている(自己実現)。

ねずみがシェフになれるわけがないと言われるのが普通。けれどレミーはリングイニと出会うことでそのチャンスを得ます。

リングイニとの共同作戦を通して、信頼する友を得ることができます(友情)。

一方、人間のリングイニは、先輩シェフのコレットと恋に落ちます(恋)。

これだけの基本欲求をバランスよく、それでいてさりげなく的確なタイミングで織り込む技術は超一級ですね。

それがスゴいとあまり気づかれずにサラッと物語が展開していくというのが、ほんとうにスゴいんですね。

だから、作品を見終わってから「レミーのおいしいレストラン」のスゴさが後からどんどん沸いてきます。

たとえどこがどうスゴいのかをうまく説明することができないばかりでなく、スゴいとはっきり気づかなかったとしても、他の作品を観たときに、無意識のうちにも「レミーのおいしいレストラン」と比べてしまうことがあることでしょう。

そのときにハッとするわけです。レミーってスゴ! ってかんじに。

サラッとストーリーが展開しているように思えるけれど、後からジワッとくる。これもひとつの「余韻」といっていいでしょう。


■ これぞ映像革命!

ピクサーは作品ごとに大きな挑戦をしてきました。毛のある生き物を主人公とする「モンスターズ・インク」。水中の生物(魚)を主人公とする「ファインディング・ニモ」。そして、料理を題材とする「レミーのおいしいレストラン」です。

どの作品も、制作当時はCGアニメで表現することがたいへん難しいとされたキャラクターや世界観や題材を、あえて主軸にして作品を作ってきたのです。

また「Mr,インクレディブル」で垣間見せたCGとスピードの相性の良さは「カーズ」で大きく花開きました。

それが「レミーのおいしいレストラン」では料理という難しい題材で、すばしっこく動き回るねずみのスピードを見事に映像化してみせているところに繋がっているのですね。

▼「モンスターズ・インク(MONSTERS,INC.)」作品レビュー

▼「ファインディング・ニモ (FINDING NEMO)」作品れビュー


■ その他

タカはピクサー作品が好きで、よくピクサー作品をおすすめしています。

ピクサー作品は多くのことを教えてくれます。

その一部を、こんな↓レポートのカタチで紹介もしているぐらい、ピクサー作品はおすすめです。

▼『ファインディング・ニモ』が教えてくれる、わかりやすくする7つの方法』

どんなに良い作品だよといっても、アニメ作品は絶対に観ない、実写しか観ないという人もいます。

何を観て何を観ないかは人の勝手ですが、実写作品だって、最近はCGがたくさん使われていて、ほとんどCG作品みたいになっているものがあります。

そうすると、実写だからとか、アニメだからとか、そういったことに果たしてどのくれらいの意味があるのでしょうか。

高級フランス料理だからうまい。高級懐石料理だからうまい。それもあるでしょう。けれど学園祭の屋台のヤキソバだって、うまいものはうまい。

ねずみが作った料理だって、うまいものはうまい。

実写だろうとアニメだろうと、自分が観たり、自分が体験したりしなければ「自分の評価のモノサシ」を持つことはできません。「自分の評価のモノサシを持つ」とは、言い換えれば「自分の価値観を持つ」ということ。

人生を有意義に送る方法のひとつは、自分の価値観を持つことです。

そうそう「レミーのおいしいレストラン」観ていると、お腹が空きますヨ。

▼関連記事「レミー、実はしゃべる」

▼関連記事「レミーのおいしい作品づくりの秘密」

デート       ◎ レミー超カワイイ!連呼で彼女のご機嫌UP
フラっと      △ ピクサー作品だと認識して観にいこう 
脚本勉強     ◎ とうに堂々の王者の風格
演出       ○ 
キャラクター   ◎ 
映像       ◎ これがホントの映像革命
笑い       ○ 
ファミリー     ◎ 
友情       ◎
謎解き      ‐
評論家      × 耳が痛い! とはいえ評論家向けともいえる。


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08/12/2007

映画「トランスフォーマー(TRANSFORMERS)」

監督:マイケル・ベイ
アメリカ/2007年/144分

贅沢すぎる舞台を用意したお笑い劇(前半)。VFXによる映像革命に度肝抜かれるというよりも、そのシステム化された娯楽系プロパガンダ方程式と、それを映画というカタチにする膨大な資金力と実行力に度肝抜かれるといったほうがいい。女子諸君の好みには合わず、デートには向かない。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
宇宙。未知の星から、あらゆるテクノロジー機器に姿を変えられる金属生命体が地球にやってくる。力の源であるキューブをめぐり、善玉ロボットたち+人間たちと、悪玉ロボットたちが戦を繰り広げる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△サム・ウィトウィッキー
高校生。

▽ミカエラ・ペインズ
高校生。サムの同級生。

△レノックス
米陸軍大尉

-----
悪役ロボットたち↓

∴メガトロン

∴バリケード

∴スタースクリーム

∴ブラックアウト

----
善役ロボットたち↓

∵オプティマス・プライム

∵バンブルビー

∵ジャズ

∵アイアンハイド


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
贅沢すぎる舞台を用意したお笑い劇(前半)。VFXによる映像革命に度肝抜かれるというよりも、そのシステム化された娯楽系プロパガンダ方程式と、それを映画というカタチにする膨大な資金力と実行力に度肝抜かれるといったほうがいい。女子諸君の好みには合わず、デートには向かない。

■ トランスフォーマーってなに?

「アルマゲドン」「パール・ハーバー」のマイケル・ベイと、「JAWS/ジョーズ」「E.T.」「宇宙戦争」のスティーヴン・スピルバーグが組んだ夏の超大作映画として登場の「トランスフォーマー」。

トランスフォーマーは、日本のおもちゃメーカー・タカラトミーの変形ロボット玩具シリーズの名前だ。

トランスフォーマーが日本生まれの米国育ちと言われるのは、日本国内で売られていたロボットを米国で「TRANSFORMERS」として発売したところ、米国でヒットして日本に逆輸入されたことによる。

米国で有名なロボット玩具を米国で巨匠と言われる監督やプロデューサーが手を組んで作ったのが映画「トランスフォーマー」というわけだ。

だから、日本でいうところのガンダムが実写映画になったようなものだと思えばいい。けれど大きな違いがある。ガンダムでは基本的に人間が活躍するのに対し、トランスフォーマーは人間とロボットの両方が活躍する。

「トランスフォーマー」のロボットたちは生命体。人間が操縦するロボットではなく、ロボット自体が意思を持った金属生命体なのだ。


■ 既知と未知でわかる善悪の構図

日本のアニメ・機動戦士ガンダムのロボットたちはしゃべらない。人間がロボットの中に入って操縦する。ロボットはあくまで機械だ。

だから地球連邦軍とジオン公国の戦いは、人間同士の戦いである。人間は人間を知っている(哲学的な部分は抜きにして)わけだからおおまかにいえば「既知」である。

トランスフォーマーのロボットたちはしゃべる。だから地球人と地球外生命体の戦いは、地球人にとっては「未知」だ。未知なる敵との戦いである。

では「既知」と「未知」を、乗り物を例に考えてみよう。


■ 車=善

トランスフォーマーの善役ロボットたちは主に車に変形する。日常で一般人が乗る、乗用車やスポーツカーやトラックといった車だ。

乗用車やスポーツカーやトラックは身近にある。通勤通学に乗用車に乗る人もいるし、デートやドライブにスポーツカーに乗る人もいるし、。仕事でトラックに乗る人もいる。車はとても身近な機械だ。

いつも身近にあって、普段は意識していなくても、それが壊れたり無くなったりしたら、たいへん不便に感じる。どこへ行くにも一緒の相棒。それが車だ。特に一部の都市部を除いて車社会といわれる米国では(日本も同じようなものだが)そうである。

身近な相棒には親しみを感じる。自分の車に名前を付けたり、土足禁止にしたり、チューンナップを施したりする。だから善役ロボットたちの多くは車に変形するのだ。


■ 軍用乗り物=悪

一方の悪役ロボットたちは主に軍用ヘリコプターや戦闘機や戦車に変形する。

戦車が街中を走ったり、軍用ヘリコプターや戦闘機が街の上空を飛行したりというのは頻繁にあることではない。軍備の必要性の是非はさておき、軍用の乗り物は外的危機の脅威に対抗するためにある。

外敵による危機の象徴。それが軍用ヘリコプターや戦闘機や戦車だ。悪役ロボットの変形がこれらであるのは、たいへんわかりやすい善悪の区別のためである。

そうすると、比較的身近な車は「既知」で、比較的疎遠な軍用の乗り物は「未知」となる。

車に象徴される既知なる味方とともに、軍用の乗り物に象徴される未知なる敵を倒す。そんな図式となる。


■ システム化された娯楽系プロパガンダ方程式

軍用の乗り物といっても、それは悪役ロボットたちが変形したもの。いうなればニセモノである。ニセモノである未知なる敵を、ホンモノの軍用兵器で倒す。それも民間人と民間車(?)の協力を得て。

作り手にとっては、なんと理想的なプロパガンダ映画であろうか。

米軍が協力しているため、軍用兵器による派手な戦闘シーンが多い。これを米国と敵対する国に観せたなら、あんな軍隊にはとてもじゃないが敵いそうもない、と思わせることができそうだ。

街中を戦車やミサイル搭載車や兵士たちで埋め尽くして軍事パレードする必要はないのだ。娯楽映画を作って、日本をはじめとする世界各国で収益を得つつ、軍事的優位性を世界にアピールできるのだから。

おそろしいまでにシステマチックなプロパガンダ。

映画「トランスフォーマー」はVFXによる映像革命に度肝抜かれるというよりも、そのシステム化された娯楽系プロパガンダ方程式と、それを映画というカタチにする膨大な資金力と実行力に度肝抜かれるといったほうがいい。


■ 自虐風刺ネタもアリ?

トランスフォーマーのしゃべるロボットたちは「未知」だが、かといって皆が悪ではない。未知だからといって皆が悪ではないとエクスキューズするわけではないのかもしれないが、オプティマス・プライムをはじめとする善いロボットたちもいる。

とはいえ、ずいぶん都合のいい設定だ。こう考えてみよう

よく故障するけど、いつも一緒の「相棒=自分の車」がしゃべったら?

なんだかうれしく感じるだろう。

しゃべることを許された機械は、それが「身近で役に立つもの=車」なら善になり「外敵危機となるもの=軍用乗り物」なら悪になる。

もしも、その日その時がきてほしくはないと、いつも思っているもの=外敵がしゃべったら?

沈黙の恐怖もあるが、外敵が語りかけてくるというのも怖い。そのほうが直接的な恐怖と憎悪を生みやすい。

トランスフォーマーの物語世界の米国は、悪役ロボットであるメガトロンが冷凍漬けにされて動かないときは、その機械の体からあらゆるテクノロジーを吸収して米国発展のために使ってきた。都合よく利用してきたわけだ。
そして、思い通りに利用できているときは、なんともノーテンキである。

メガトロンが冷凍保存されている倉庫の職員かなにかのひとりは、このロボット(メガトロン)が我々に脅威を与えるものは思わなかった、といった意味のことを言う。

冷凍されているために動かない、しゃべらない。そういった危機の要因になるとは思えないものは大いに利用する。

ところがあるとき気がついたら動き出して、おまけにしゃべって、自分たちを危機に陥れる。危険はなく、脅威にはなり得ないと思っていたのに……! こんなに怖いものはない(だろう)。

このあたりの、米国人にとっての恐怖については、特別レポート「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」徹底解説~ハリウッドがジャパンホラーを買いたがる理由~』にもあるとおりだが、米国人に限らず身近に潜む恐怖というのはけっこう効果的だ。

ビデオテープや携帯電話の着信を恐怖の題材とした作品がヒットしたのも表面的なわかりやすい例といえよう。既にレポートを読んだ人はおわかりだろうが、深層的な例は「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」にみることができる。

そんなこんなで映画「トランスフォーマー」は風刺ちっくな部分もありつつ、日本のロボットという元ネタを使って映画をつくり、その日本でも公開して収益を上げ、しっかり世界へ向けてプロパガンダもしているチャッカリモノである。


■ その他

前半はけっこう笑いがある。こんなに愛すべきおバカ映画は、なかなか無いぞと思わせてもくれる。

それと、この作品は男子向けだ。

スティーブン・スピルバーグの映画集団ドリームワークスのアニメ作品「シュレック」でのチャーミング王子はヒーローではない。それまでのアニメの王道でいえばアングロサクソン系で金髪で若いマッチョなイケメンくんは善役ヒーローと相場が決まっていた。

ところがチャーミング王子はどちらかというと悪役だ。

映画「トランスフォーマー」でも、いわゆるイケメンくんは引き立て役になっている。活躍するのはクラスの皆から馬鹿にされているかのような、いわゆるヲタク系の青年だ。

ヲタクがカッコイイみたいな風潮が最近の米国内にあるのかどうかはわからないが、イケメンイ=善役という王道をあえて外し、さえないヲタク青年にセクシーな美女がなびくという、男心をくすぐる話になっている。

終盤はロボットの戦闘シーンが長く続くことからも、ほぼ完璧に男の子向けの作品だといっていい。

女の子が共感したり、素敵! わかるわかる! と思ったりする余地は、まず無い。

よっぽどの亭主関白系のカップルでないかぎり、デートでこの作品を選ぶのは控えたほうがよさそうだ。

映像は、細かいところは見ないでねといわんばかりの早回しっぽいロボット変形をはじめ、ちょいと早過ぎな印象を受ける。特にラストにむけてのロボットたちの格闘・戦闘シーンは映像が走り過ぎだろう。適度に息つぎできる間を入れてほしい。

私はこういった映像のスゴさ云々よりも、たとえ地味に見えても観客の心の中に浮かぶ映像を喚起する作品のほうが好みなので、作品の後半での次から次に続く市街地でのロボット戦闘シーンの連続には、とんこつラーメンの食べ過ぎて少々胸焼けするかのようであった。大好きなラーメンでも、食べすぎは……(>_<)

善役のロボットたちがカラフルで、おもちゃチックなところも愛嬌かな。

ロボット好き、軍事モノ好き、戦闘作品好きにはたまらないだろう。

小難しいことなど考えずに頭をカラッポにして観るのがちょうどいい。

とはいえ、こういうプロパガンダ作品を親子で観るのは、ちょっとした米国社会科見学のつもりならアリだが……。

親子で純粋に楽しめるという人もいるようだが、この夏に親子で観るなら「レミーのおいしいレストラン」や「夕凪の街 桜の国」を観るほうを大いにおすすめする。


タカラトミー TRANSFORMERS OFFICIAL SITE GENERATION ONE

機動戦士ガンダム公式Web


デート      × 男子向け
フラっと     × 
脚本勉強    △ 
演出       ○
役者       ○
プロパガンダ  ◎ 米国はこういうのは得意ですね
映像       ○ 早回しっぽくてよくわからないかも
笑い       ○ 前半はベタにかなり笑える
ファミリー    △ プチ社会科見学のつもりならアリかな
ロボットファン  ◎ ロボット萌ぇ~にはたまらない
しみじみ     × 
余韻       ×

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06/29/2007

映画「プレステージ(THE PRESTIGE)」

監督:クリストファー・ノーラン
アメリカ/2006年/130分
原作:クリストファー・プリースト『奇術師』

実は正統派でヒントも親切設計。監督と映画作品自体がアンジャー(グレート・ダントン)。知的好奇心をそそられたいという人にはうってつけ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
19世紀末のロンドン。奇術のライバル同士のアンジャーとボーデンは腕を競い合っていた。
そんなおり、アンジャーの妻が脱出マジックの失敗で亡くなる。アンジャーは妻の死その責任がボーデンにあるとして憎しみを募らせ、復讐を決意する。
追い詰められたボーデンもアンジャーへの憎しみを膨らませていく。
そんなある日、アンジャーの舞台で「瞬間移動」のタネを知ろうと地下へ降りたボーデンは、アンジャーの死を目撃する。
アンジャー殺しの犯人として首吊り刑を待つ身となったボーデンは、アンジャーの瞬間移動のトリックに疑問を持ちはじめる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ロバート・アンジャー(グレート・ダントン)
奇術師

△アフルレッド・ボーデン(THEプロフェッサー)
奇術師

▽オリヴィア
奇術ショーの助手

△ニコラ・ステラ
発明家


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
実は正統派でヒントも親切設計。監督と映画作品自体がアンジャー(グレート・ダントン)。知的好奇心をそそられたいという人にはうってつけ。

■ 映画とマジックは似ている

なんと申しましょう。いえ、なんとも申し上げられませぬ。なぜなら、物語の結末に触れてしまっては作品の旨みを台無しにしてしまうのですから。

それでは映画レビューにならぬではないか。はい、だから本来ならばこういった作品はレビューをしないのが正解なのでしょう。とはいいながも、それでもなにかしら書くのが誠の「記述師」でございましょう。

うぉっほん。そんな駄洒落はさておき、この作品の上映前には観客へ「オチは他の人には秘密にしてね」といったような意味のお願いがあります。

「シックス・センス」にも同じようなものがありましたね。そうすると期待するわけですよ。ラストにとんでもない衝撃的なオチがあるにちがいない――と。

よぉ~し、ならば自分がその謎をラストにさしかかる前に解いてやろうじゃないの。と意気込むわけです。しかも作品の題材が奇術とくれば、こりゃぁ相当なオチにちがいないと思う。

そんな期待を持たせるのには、意味があります。

そもそもマジック自体が「観客の期待値」の大きさにかかっているのだから、はじめにすべきことはこれからスゴいことをお目にかけますよ、といって集客すること。コレ、当然ですね。

これは一般的な映画作品にもあてはまります。人々の興味と期待を膨らませて、映画館にきてもらう。ほら、マジックも映画も似たようなところがあるのがおわかりいただけるでしょう。


■ 箱

大きな箱が登場します。これはアンジャーがアメリカで仕入れてきた新作で使う道具です。

「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」のレビューで、キャラクターという名の箱は開けないほうがいい、という話をしたのを覚えていますか?

▼「パイレーツ ワールド・エンド」宝箱は開けないほうがいいの意味

「プレステージ」では、そのものズバリ! 大きな箱が登場します。箱を作った人でさえ、いますぐ箱を破壊することを強くすすめるという、なんとも気になる箱です。

アンジャーはその箱と共にロンドンに帰国します。いったい何の箱? 舞台で使う装置が入った箱です。それで何ができるの? いままでだれも見た事のないショーをお見せできます。

実はこの箱の中の装置でなにができるかは、作品の冒頭からちゃんと目を凝らしてみていれば、ちゃぁんと提示されています。

箱の装置がなんなのかがわからないようにしているわけではありません。いやむしろ、作品の途中にある発明家ステラの1回目の実験のシーンで、箱の装置で何ができるかがピンとくるようにしてあるといってもいいでしょう。さらに2回目の実験で箱の装置で何ができるかは明らかにされます。

というわけで、箱は別に秘密でもなんでもないんですね。秘密ではないのだけれども、変わった形の大きな箱と登場が出てくると、なんだかスゴく気になる。使わずに破壊したほうがいいというオマケ付きなものだから、ますます気になる。

これが正統な箱の使い方です。秘密でもなんでもないものでも、箱に入れて工夫すれば、立派な秘密になる。それはアンジャーがマジックを華やかに演出することに優れていることと重なります。


■ 作品自体がアンジャー

ボーデンはマジックのタネを考え付く発想力に優れています。けれどもそれを魅せる工夫をすることは苦手なほう。

アンジャーはマジックを華やかに演出することに優れています。けれどもタネを考え付つくことは苦手なほう。

「プレステージ」という作品は、というかクリストファー・ノーランという監督は、ボーデン型でしょうか。それともアンジャー型でしょうか。

おそらくアンジャー型でしょう。

クリストファー・ノーラン監督の代表作に「メメント」という作品があります。数分の記憶しか維持できない男が主人公のこの作品は、時間の単位ごとに頭の中で組み立て直しながら観るという、頭の体操みたいでありつつもたいへん衝撃的な物語構成で知られた作品です。

どんな構成か。系でいえばクエンティン・タランティーノ監督作「レザボアドッグス」「パルプ・フィクション」「ジャッキー・ブラウン」またはガイ・リッチー監督作「スナッチ」といったところです。

これらの作品に共通するのは、作品中の各シーンの時間軸の使い方が「過去→未来」という一本筋ではないことです。シーンがどこにつながっているのか、過去のどのシーンなのかを見極めて頭の中で組み立てていく楽しさにあふれた作品群です。

さて「メメント」は作品内容としてはビックリネタではありませんが、オーソドックスな時間軸を逆手に取ったとでもいいましょうか、その時間軸を操る物語構築方法と撮影方法がビックリなのです。

アンジャーの普段のマジックも斬新なものではありません。マジックをタネを考えるのは得意ではないアンジャーですが、華麗なパフォーマンスで舞台を盛り上げます。だからアンジャーこと「グレート・ダントン」はロンドンで最も人気があるマジシャンのひとりとなるのです。

こうしてみると、クリストファー・ノーランという監督はアンジャー型だというのがおわかりいただけたと思います。

古今東西のさまざまな物語を研究している。だからこそ基本的な物語の型は決まった数しかないといわれながらも、どうやったら魅力的な作品にできるかを考え、物語構築方法にひねりを加えることで人々の注目を集める作品を作り出すことができる。

それがクリストファー・ノーラン監督です。

彼の作品は非常に多種多様な解釈と深読みができる。たいへん知的好奇心を刺激されます。

聖書の物語を彷彿とさせるシーンと演出がいたるところにみつけることができる「バットマン ビギンズ」が彼の監督作品というのも「なるほど!」と思われずにはいられません。

▼「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」作品レビュー

ですから「プレステージ」も、社会学や哲学といったところで非常に深い解釈ができるような匂いがします。

どんなところが? それはお話できません。なぜなら作品のラストを明かさずにはできない話になってきますので。


■ その他

映画作品の結末は誰にも言わないでください、とのことですが、結末はまぁ正統派といったかんじです。推理好きな人ならヒントがけっこう親切ですので予想できますが、それを物語構築方法で華麗にみせるといったところかな。

マジックと映画に共通する仕掛けを、マジックを題材に映画で表現するというところに意味があるので「結末言わないで云々」は、なんというかそれ自体が「仕掛け」なんですね。

なんだか、まどろっこしいかんじになってしまいましたが、知的好奇心をそそられたい、という人にはうってつけの作品です。

そうそう、基本的にSF作品です。SF作品として基本に忠実です。SFだからなんでもアリではなく、ひとつだけSFにしています。しかも間に「奇術」というクッションを挟んでSFの要素をオブラートで包んでいます。
SFだと認識していないと、期待はずれ、なんていうふうに感じてしまうかもしれません。

そのあたりが、感想の分かれ目じゃないかなぁと思います。

時間軸を操る物語構成はわかりやすい親切なものですが、過去→未来という流れの作品しか観た事がない人や「水戸黄門」系以外の作品を観ない人にとっては、少々しんどい頭の体操となってしまいかねませんのでご注意くださいませ。

普通にドラマや映画を観る人なら、ヘーキですよん。

デート     △ 
フラっと    ×
脚本勉強   △
演出      ○
笑い      ×
役者      ○
映像      -
アクション   -
ファミリー   ×
お気楽     ×
SF       ○
知的好奇心  ○

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06/20/2007

映画「アポカリプト(APOCALYPTO)」

監督:メル・ギブソン
アメリカ/2006年/117分

「いまだかつて誰も見たことのない」に偽りなし。「裏の体」で読み解ける、極めて異色で極めて現代的(脳化社会の真っ只中で渇望される「体」)な作品。普通はすることをしない姿勢に気迫アリ。残酷描写には意味がある。サバイバルと再生。水が象徴するものとは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
マヤ帝国滅亡前夜。中央アメリカのジャングル。
家族や友人たちと平穏に暮らす青年ジャガー・パウの村が、ある日マヤ帝国の傭兵団に襲われる。
妻と息子を涸井戸に隠したジャガー・パウは父親を殺され、自身は捕虜となってマヤ帝国へ連れていかれる。
干ばつを鎮めるための生贄にされる寸前で命びろいしたジャガー・パウだったが、今度は傭兵たちによる「人間狩り」の標的にされる。
負傷しながらもジャガー・パウは妻と息子を救うため、追ってくる傭兵たちを振り切って故郷の村へ向けてジャングルをひた走る。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジャガー・パウ
狩猟民族の青年。

▽セブン
ジャガー・パウの妻。

△ブランテッド
ジャガー・パウと同じ村の青年。

△ゼロ・ウルフ
マヤ帝国傭兵隊長。

△スネーク・インク
ゼロ・ウルフの息子。

△フリント・スカイ
ジャガー・パウの父親。部族長。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
「いまだかつて誰も見たことのない」に偽りなし。「裏の体」で読み解ける、極めて異色で極めて現代的(脳化社会の真っ只中で渇望される「体」)な作品。普通はすることをしない姿勢に気迫アリ。残酷描写には意味がある。サバイバルと再生。水が象徴するものとは?

■ 夜景が綺麗と感じるのはなぜ?

都会の夜景が綺麗だと感じるのはなぜ?

都会の建造物が放つ光は、人間が作り出したものだから。人間の脳が作り出した光の集合。それを見ることは脳にとってたいへん気持ちがイイのだ。

大規模な停電でも起きないかぎり、都会の夜景がいきなり消えてなくなることはありません。また、今晩と明晩で夜景の見え方が大きく変わることもありません。一度建てた建造物の位置は1日や2日では変わらないからです。

制御できるもの。ほぼ確実に予測できるもの。これらはにとって大変きもちがイイのです。

高層ビルの上層階の、夜景がみえるレストランに連れてきてもらった女性が感激する理由は、表面的には「夜景の綺麗さ」にですが、本質的には「脳の気持ちよさ」にあります。

だって、行き当たりばったりで綺麗な夜景がみえるレストランの窓際の席で食事やお酒が飲めるわけないですもん。男性が席を予約しておいてくれたこと。そこに「計画性」を感じるんですね。計画するのは「頭=脳」であって、なんとなぁく夜景が綺麗にみえるレストランに来ちゃった、なぁんてことはまずありえないんです。

「脳」によって計画されたデートで、「脳」によって作られた世界の象徴である「夜景」を見せられると、脳はたいへん気持ちがイイ。

そんなときふと想像してみる。付き合う前なら、これから付き合いはじめたら誕生日やクリスマスにはいったいどんな素敵なプランを立ててくれるのかって。さらにもしも将来結婚するとこになれば、きっとふたりの人生設計もしっかりと立ててくれるにちがいないんだろうなぁ……って。

脳が気持ち良くなって満足したら……あとは……ムフフ☆ もぉお子ちゃまは寝る時間ですヨ(笑)


■ 体

「心=脳」の対極は「体(身体)」です。

日本にかぎりませんが、エロやエッチは大盛況です。これらは時代や時期にかぎらずですので、わかりやすくするために「格闘技」をとりあげましょう。

「K-1」「PRIDE」

これら格闘技大会の主催国は日本です。なんで日本で格闘技が人気なの?

この謎を解くカギは「チラリズム」にあります。ってやっぱりエロ?

見えそうで見えない。身近なエロやエッチで「体」の表面はチラリとは見えているんだけど、裏面は見えない。特に現代日本では見えない。表があって裏がある。両面で一体。つまり表裏一体。だから表も裏も見なきゃ本質を知ったことになはならない。でも裏は見えない。

というわけで現代日本では、ほとんど見ることができない「裏の体」とはなにか?

それは――「死体」です。

死体を見たことがありますか? テレビの映像は除いて、実際にはどうですか? 動物の死骸は見たことがあるかもしれませんが(料理だって広い意味では死骸を切り刻んでいるわけですが)人間の死体を見る機会は一般的にはお葬式ぐらいでしょう。

ほかに「死」に遭遇するのは病院ぐらいでしょうか。

徹底的に「死体」を隠した社会。それが夜景に象徴される「脳にとって気持ちイイ」社会、現代日本です。

では「死」を意識さえるものとはなんでしょうか。

それは――「戦い」です。

格闘技は人間に「死」を意識させませす。しかも激しくぶつかり合うのは「体」。

徹底的に「死」を隠された現代日本において「死」を意識させる「格闘技」が盛んであることには、チラリズム論(笑)の観点からいってもおおいにうなづけるでしょう。


■ 脳化する映画

CGでどんな映像でも作れてしまう。まだ見ぬ未来の姿さえも作れる。スター・ウォーズシリーズの映像が凄いといっても、脳にとって凄いという意味ではそのとおりでしょうけれど、体にとっては全くといっていいほどパンチがないんですね。

これはスター・ウォーズシリーズに限らず、CGを多用した最近の大作の多くにいえることです。脳にとってはスゴいわけですけれども。。

そんななかでタイの格闘映画「マッハ!!!!!!(ONG-BAK)」や「トム・ヤム・クン!」は痛さが伝わるパンチの効いたアクション作品です。体を張った格闘映画ではこれ以上の作品はいまのところ思い浮かばないですね。

▼「マッハ!!!!!!(ONG-BAK)」作品レビュー

▼「トム・ヤム・クン!」作品レビュー

アメリカ映画ではCGをはじめとする特殊映像技術が盛んなため「マッハ!!!!!!(ONG-BAK)」や「トム・ヤム・クン!」といったような「体」を意識させるような作品は当分の間は作られることはないだろうと思っていました。

――ところが、できちゃいました。ギブちゃんが作っちゃったいました!


■ 変わり者? 超越者? ギブちゃん

ギブちゃんこと、メル・ギブソン監督はオーストラリア(豪)出身。「マッドマックス」シリーズでスターになりました。ほかの代表出演作に「リーサル・ウェポン」シリーズがあります。

監督業としては「顔のない天使」にはじまり「ブレイブハート」ではアカデミーの作品、監督賞を受賞しています。私財をつぎ込んで作った「パッション」は世界中で話題になってヒットしたのも記憶に新しいですね。

このように監督3作で映画づくりの才能をこれ以上ないというほどに全世界に知らしめました。そして監督第4作目が「アポカリプト」です。

豪出身とうのもあるでしょうけれど、彼の監督作品を観ればわかるように、メル・ギブソン監督はいわゆるハリウッド的なものを超越しています。

アメリカ合衆国でアクション作品をつくる場合に普通はすることをしていません。しないづくしなのです。

------------------------------------↓
・有名俳優を使わない

・作品に、いわゆる白人を登場させない

・英語・米語を使わない

・銃器を使わない
------------------------------------↑

ふつうだったら、こんなアクション映画の企画書は脚本エージェントのところへさえも届きません。

脚本やショービジネスの何もわかっていない奴だと鼻で笑われて終わりです。

でも、逆に言えば上記の項目が作品に登場する作品は、掃いて捨てるほどある、ということなのです。

-------------------------------------↓
・有名俳優を使えさえすれば集客できる(と思っている)。

・メインキャストには、いわゆる白人と黒人(アフリカンアメリカン)の二人を起用しなければヒットしない(と思っている)。

・たとえ英語圏外を舞台にした作品でも役者は全員英語(米語)を話さなければアメリカ人に観てもらえない(と思っている)

・5分に1回は銃器を使う派手なアクションシーンを入れなければ客が劇場に入らない(と思っている)。
-------------------------------------↑

メル・ギブソン監督はアメリカで多数の作品に出演してきた俳優なので、そんなことは百も承知。知っているからこそ、今のアメリカ映画には無いものがなんなのか。ほんとうに皆が観たことがものがなんなのか。だれもが本能としてもっているものがなんなのか。それらを映像化するにはどうするかをしっかりと考えたのだと思います。


■「いまだかつて誰も見たことのない」に偽りなし

電車も車も携帯電話も登場しない世界。

銃器が登場しないアクション映画。

ええ、観たことないです、そんな世界。そんな映画。

そして、こんなにも「脳」が締め出されて「体」が出ずっぱりの映画を観たことがありません。

そういう意味で、極めて異色で、極めて現代的(脳化社会の真っ只中で渇望される「体」)な作品。

こういう作品にニーズがあることを感じとって作品にしたメル・ギブソン監督。そんな彼が魅せてくれる「いまだかつて誰も見たことのないヴィジュアル」は、まさに「アポカリプト」の中にありました。


■ 眼力

役者のオーディションでは、演技の経験の有無よりも風貌や動きや内に秘めているものを重視したそうです。

そしてタカが役者さんを見て感じたのは、眼力です。

どの役者さんも眼が鋭い。演技がうまいとかいうことよりも、生命力が溢れんばかりに眼に表れている。それが。眼力の鋭さです。


■ サムライかっ!

ジャガー・パウの父親であり、部族長でもあるフリント・スカイは、他の集落の人に出合ったときに名乗ります。自分は誰でこの森でずっと猟をしてきた、といった内容を堂々と言います。

このシーンは、後にその息子であるジャガー・パウが名乗るシーンのための前フリでもあるのですが、こうした「名乗り」ってどこかで聞いたことありませんか?

日本の武士、いわゆる侍(サムライ)が戦場で敵と戦う前に「我こそは中川家の、中川家兄でござるワン!」(お笑い芸人中川家風)みたいなかんじ(?)で、とにもかくにも名乗りを上げるわけです。もちろん相手が名乗るのもちゃんと聞いて、それからいざ勝負! となります。

西欧の騎士も似たようなことをしていたんじゃないかなと思います。

ところが日本で銃器が使われるようになってからは、名乗る段取りをすっ飛ばすようになったんですね。

それまでは、戦いは戦士が行うものであり、戦士の戦いには名乗りにはじまる段取りみたいなものがありました。
ところが銃器を使うようになって、かならずしも戦士でなくても、だれでもきちんと訓練すれば、剣や弓だけの戦士を倒すことができるようになった。それにいち早く気づいて実戦に取り入れたのが幕末の長州藩の高杉晋作の奇兵隊ですね。

騎兵じゃなくて奇兵。当時の常識からいえば戦いの素人(農民や町民も含む)を集めて兵士にしたところで戦力になるはずがないと言われていた。そんな者たちの集まりは変な兵士。だから奇兵だと自分で名づけちゃうところが高杉晋作のおちゃめであっぱれなところですね。

奇兵隊は西洋式の兵法をよく取り入れて、銃隊や砲隊などで組織され、当時最新の兵器を扱って戦果を上げました。

話を戻しますが、ジャガー・パウは名乗ることで自身の立ち位置と、やるべきことをしっかりと認識して決意し、それまでとは違った行動に出ます。

さてジャガー・パウがどこで名乗るか。それは観てのお楽しみに。


■ 走れ! ジャガー・パウ

太宰治の「走れメロス」は傑作ですね。

なぜ広く人々に愛されるのか。友のためにボロボロになりながらも走りつづけるメロスに心打たれるからです。

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15章13節)

実は「アポカリプト」にもこれが使われています。ジャガー・パウと同じ村の青年ブランテッドが傭兵の矢に倒れながらも、友が逃れる隙(時間)を作ります。友とはジャガー・パウのことです。

そもそも、日常でブランテッドはジャガー・パウにからかわれていてました。ブランテッドはジャガー・パウに不満を持っていました。とはいってもそれはまるで兄弟喧嘩のようなもの。同じ村の友人として心の底では繋がっていたいたわけです。

友のために命を捨てる男。

家族を救うために傷つきながらも走り続ける男。

主人公の目的がしっかりしていて、そこに友情もある。

さらに親子(父と子)の愛情もあります。それは父フリント・スカイと息子ジャガー・パウ、さらには傭兵隊長であり父であるゼロ・ウルフとその息子スネーク・インクの関係によって描かれています。

それから姑と婿の愛情もあります。それはブランテッドと、嫁の母親の関係によって描かれています。

そのほかにも上司と部下の確執もあります。それは傭兵隊長ゼロ・ウルフと傭兵の班長(?)との関係によって描かれています。この傭兵の班長(会社でいえば主任クラス)がジャガー・パウの直接的な敵対者になって因縁の対決を観客に期待させます。

こうした関係性におけるサブ・プロットがそれぞれの登場人物の行動(アクション)の動機づけになっており、それによってストーリーを先へ推し進める効果をもたらしています。

無駄なシーンがないんですね。それは鍛え抜かれた狩猟民族の狩人ジャガー・パウの肉体かのようです。


■ 緩・転・急

作品は、大きく3つのセクションに分かれます。

-------------------------
アクト1は、ジャガー・パウの村での平穏な日々。

アクト2は、マヤ帝国傭兵団による襲撃→マヤ帝国へ連行→生贄の危機。

アクト3は、マヤ帝国からの脱出→家族を救うためにジャングルを疾走。
-------------------------

それぞれのアクトの役割は以下です。

アクト1の「緩」で、平穏で幸せな日々を提示(「転」への暗示もアリ)。

アクト2の「転」で、かけがえのないものを強調(残酷描写による)。

アクト3の「急」で、観客の本能とカタルシスを刺激&解消(アクションによる)


■ 残酷描写

「アポカリプト」には残酷描写があります。それも比較的多いほうです。

過激な映像は客寄せになるからといっても、そこまで残酷描写が必要か? という声もきかれます。

でも、作品を観ればわかりますが、残酷描写は単なる客寄せのためではありません。それには意味があります。

そもそも「アポカリプト」の物語構造はとてもシンプルです。

「外敵によって家族を危機にさらされた男が、自身のサバイバルと家族を救うために奔走する」

これだけです。では次のような作品を観たことがありますか?

「犯罪組織に家族を殺された男が、組織に復讐するために単身立ち上がる」

ほら、どこにでもあるハリウッド作品のログライン(Log line ストーリーを述べてある一文)とほとんど同じだというのがわかると思います。

でも、ストーリーラインはほぼ同じでも、主人公とそれを取り巻く環境が、危機的状況に陥る部分は全く違います。

たいていのハリウッド作品では、主人公の家族や友人や知人が傷つけられた事後のシーンを少し入れるだけにします。主人公にとって大事で身近な人たちがひどいめにあったんだな、ということが観客に伝わればいいからです。

大事なのは、主人公が悪の組織をぶっ潰す動機と理由を観客に提供すること。そのための「くだり」を丹念に描く必要はないと考えるからです。

ストーリー構築上に必要な設定という以外に意味のない残酷なシーンを詳しく描くことは、観客にっても「観たくないこと」なのだから、なおさら丹念に描く必要はないという考え方です。

観客はあくまで主人公の超人的な活躍の理由をほしがっているだけ、というわけです。

ところが「アポカリプト」では主人公の家族や友人たちが残酷に殺されるシーンがけっこうあります。

これは、作品の目的が一般的なハリウッド映画作品とは違うことを意味しています。

思い出してください。アクト2の「転」での役割を。それは、かけがえのないものを強調することです。アクト1で平穏で平和な日々を描いたのは、それがいかに大事であるか、かけがえのないものであるかを強調するためです。

たいていの作品では「アポカリプト」のアクト2に当たる部分を極力少なくします。理由は先に述べてたとおりです。ところが「アポカリプト」ではアクト2を、もういいよぉ、というぐらいに描きます。

ここには日本における格闘技の意味、つまり「生」への渇望と、かけがえのないもの(家族・友人)へのいとおしさを強調する役割があるのです。

ふつうの映画監督だったら避けて通る部分こそじっくりと描く。けっして話題づくりや客寄せだけの理由によるものではないでしょう。

皆が避けて通る部分をあえて通るには、当然ながらリスクを伴います。

想像してみてください。メル・ギブソン監督が私財をつぎ込んで作った「パッション」という作品があります。イエス・キリストが十字架にかかるまで12時間と、その復活を描くことに、いったいどれだけのリスクがあったのか。キリスト教圏でそのような作品を作るリスクとはどのようなものか――を。

どこも及び腰で資金を出したがらない。だから私財をつぎ込んだ。そこまでした伝えたかったことがある。伝えたいことを伝えるためにはどんなリスクでもとる。それがメル・ギブソン監督なのですね。

その意味に思いを馳せれば「アポカリプト」の残酷描写が必要か? とう問いの答えは出てくるでしょう。

「パッション」


■ 生きるとは? ~サバイバルと再生~

サバイバルは人間の根本欲求です。

涸井戸の底に避難したセブン(ジャガー・パウの妻)とその息子(5歳ぐらい)は。そこでただジッと助けを待っているわけではありません。

大きなお腹にふたりめの子供を宿したセブンは、涸井戸に落ちてきた動物と戦ったり、ロープを作って地上へ投げて井戸から脱出しようとしたりします。

ただ助けを待つだけではありません。「生」へと行動を起こしつづけます。ここにもアクションがあります。

さらに、大雨で涸井戸に流れ込んだ水が増えていく中では「正」への最大のアクションを起こします。

ジャガー・パウが「生」へのサバイバルを実践し、その妻のセブンが「生」への再生を実践する。

ホント、よく出来ていますヨ。

ちなみにセブンという名はおそらく、天地創造からですね。創世記によると、世界が作られた日数が6日。人も第6日めにつくられました。

7(セブン)じゃないやんか、という声がきこえてきそうですね。

創世記において神は天地創造の作業をすべて終えられ第7日に休まれました。神はその第7日を祝福して、これを聖別されました。

「聖別」された第7日。これは特別な日です。だからセブンという名には、人を含めた天地創造の「聖別」された特別な日を祝福する意味が込められているのです。だからセブンなのです。


■ 水と再生

出エジプト記に登場するモーゼはイスラエル民族の出身です。エジプト王による法律(イスラエル人に生まれる男の子はすべてナイル川に投げ込め)から逃れるため、赤ん坊のモーゼは葦で編んだかごに入れられ川に流されます。そして川に水浴びにやってきたエジプト王の娘のひとりに取り上げられるのです。

こうして「死の淵」から生き延びたモーゼは、エジプトの王子として育てられます。

サバイバルのために生まれてすぐに、エジプト王子という新たな「生」へ変換したモーゼ。それを仲介する象徴としての「川=水」。

雨水が大量に流れ込んだ井戸の底で、セブンは新たな「生」を授かります。ここにも水が「生」の象徴として用いられているのです。


■ 意味深な井戸

水つながりでもうひとつ紹介しましょう。それは井戸。

実は聖書には井戸がよく登場します。ヨセフが兄たちによってエジプト行きの商人の一隊に銀二十枚で売られてしまうところでも「穴」が登場します。

「彼を捕らえて穴に投げ入れ。その穴はからで、その中に水はなかった」(創世記37章24節)とあります。おそらくその穴は涸井戸だったのではないでしょうか。

井戸といえば映画「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」で主人公のブルースは幼い頃に古い空井戸に落ちたました。これがきっかけでバットマンが誕生します。新たな「生き方」のきっかけになったのが空井戸に落ちた体験というわけです。

▼「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」作品レビュー

「バットマン ビギンズ」

ほかにも新約聖書ヨハネによる福音書第4章5節~には有名な「ヤコブの井戸」の話があります。

イエスが弟子を連れてサマリヤのスカルという町にやってきたとき、そこにヤコブの井戸がありました。
イエスが井戸のそばにすわっていると、ひとりのサマリヤの女が水を汲みにきました。イエスはこの女に「水を飲ませてください」と言われました。そしてあなたに生ける水を与えようとも言います。

サマリヤの女にイエスは、わたしが与える水を飲む者は、いつまでもかわくことがない、といいます。

また、イエス・キリストが預言者ヨハネから洗礼を受けたのもヨルダン川です。(マタイによる福音書第3章12節~17節)。川=水ですね。

ガラリヤ湖で漁師をしていたペテロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブがイエスに声をかけらえて弟子になったとき、彼らは、正しい道を探す者を導くという意味での「人間をとる漁師」として生まれ変わりました。このときもガリラヤ湖という「水」に関連した場所が登場します。

ほかにもヨハネによる福音書第5章には、エルサレムの羊の門のそばのベテスダと呼ばれる池が登場します。その池のそばには病人たちが大ぜいからだを横たえていて、彼らは水が動くのを待っていたとあります。

時々、主の御使いが池に降りてきて水を動かした時にまっ先にはいる者は、どんな病気でもいやされたからです。ここにも病からの開放され「生」へと生まれ変わる場面に水が登場します。

このように聖書では「永遠の命にいたる水」「罪を清める水」が登場して、悪を悔い改め新たに生まれ変わるという意味で「水」が象徴的に示されています。

キリスト教会の多くの宗派の洗礼式で水が使われるのは、罪から開放された新たな生まれ変わりを表しているのですね。

さて「アポカリプト」でのジャガー・パウの村の井戸が涸井戸だったのはなぜでしょうか?

マヤ帝国のみならずジャガー・パウの村のある森の付近でも干ばつが続いていたことが予想できます。水不足だったんですね。

そんな中にあっても村には水がありました。
村の中央ぐらいにあるらしき「水貯め場」に水が貯めてあり、大事なトコロが大変なことになったブランテッドがアソコを冷やすために水貯め場に下半身を浸けるシーンがあります。

マヤ帝国では干ばつが深刻なのに対して、ジャガー・パウの村では水不足とはいえ水はある。その水にブランテッドが新たな命を象徴するオチ○チンを浸けるというのは、森と村には生命力がまだまだ溢れているってことですね。

井戸や雨や水を用いて「命」の「再生」を、肉体やアクションを用いて「命」の尊さを伝えようとしているのがとてもわかりやすいですね。


■ 走る! 走る! 走る!

アクト3は走りっぱなしです。昼も夜も追っ手は休みません。息をつかせぬ追跡劇とはまさにこれのこと。

よくぞまぁジャングルだけでこれほどハラハラドキドキさせて観客を惹きつけておけるものだと感心します。

スピード感と躍動感を出すための撮り方をメッチャ研究したんだろうなと思います。

ジャガー・パウはひたすら走ります。迫りくる脅威は追っ手の傭兵たちだけでなく、自然もです。

もし都会で「おっかけっこ」をすれば、電車や車や店を壊して派手に演出できます。でもそんなシーンはどこにでもあります。見飽きたといってもいいでしょう。派手にできるからというのは作り手側の都合であり、作り手側のマニュアルです。

電車も車も店も、追う者と追われる者以外に人も存在せずとも「おっかけっこ」はできるんだぞ。そんなことを教えてくれただけでも、脚本家志望者や演出家志望者をはじめとするあらゆるビジネス関係者にとってはありがたいことでしょう。

ちなみに日本の映画で走りまくる作品といえばサブ監督の「弾丸ランナー」ですヨ。


■ その他

マヤ帝国で全身に真っ白な人たちが労働に従事しているのは、神殿や宮殿や広場をつくるために生石灰を作っているからですね。

マヤ帝国滅亡の原因はいくつもあるそうですが、そのひとつが生石灰をつくるために森をたくさん伐採したことによる干ばつと食糧不足による帝国維持が不可能になったため、との説があります。

また、作品ではマヤ語族初期の方言であるユカテク語が使われています。ダイアログ・コーチという人が役者の発音をチェックして、かなり徹底的に作り込んだようです。

マヤ帝国の神殿も撮影のためにいたしかたない部分は差し引いても、資料を元にかなり気合を入れて作られていrんじゃないかな。もちろんマヤ帝国を生で見たことがある人なんて現代にはいませんから、それが正確なのかどうかはだれもにわかりませんが、スクリーンから滲み出る「気合い」はバシバシ感じます。

よくありがちなのはこんなの。
ここははんとなくそれっぽい古代の神殿があって、そうそう鳥居とその周りに墓地が広がっていて(←神社と寺院をごっちゃにしてない?)そこになんとなくそれっぽいサムライがいて、そうそう亀が背中に刀を背負ってて(←忍者タートルズとごっちゃにしてない?)というような、思いつきで雰囲気だけあればいいといったもの。

「アポカリプト」はそんなものと違う。真剣にマヤ帝国文化の雰囲気を伝わるよう、わからないところは想像力を働かせて作ったことがスクリーンからバシバシ感じます。

有名俳優を使わないのが尚のことよかったのでしょう。有名スターを使うとそれなりに細かい契約内容がたいへんで、ちょっとでも危険なシーンはやらないだとか、飲み物はこれじゃないとダメだとか、撮影中は有名ホテルのスィートルーム滞在じゃないとダメだとかいろいろあって、なかには演出やストーリー内容にまで注文をつけてくるスター俳優もいるかもしれません。

注文はなくても、俳優に合わせて撮影スケジュールやシーンを変更しなければならなくなる、なんてことは十分に考えられることです。

そんなことにお金と時間をとられることなく、作品の雰囲気と役柄にピッタリの人選をすることができる。有名スターを起用しないことで注目度が落ちるのではないかという一般的な心配の枠外で作られたところがイイと思います。

マヤ帝国滅亡の原因とされるものの有名なひとつをラストにサラッとだけ使っているところがまたイイですね。ありがちな作品だと、そこに焦点を当ててしまいがちですが、あくまでサラッとチラッとだけ匂わす程度にしている匙加減が絶妙です。

デートで観るのはちょっと考えたほうがいいでしょう。

残酷描写がどうしてもダメという人は無理に観にいかないように。

残酷描写を覚悟するなら、ぜひ観ていただきたい作品です。

デート     △
フラっと    ◎
脚本勉強   ◎
演出      ◎
笑い      △ジャガーとかけっこはチョイ笑いアリ
役者      ○
映像      ◎
アクション   ◎
歴史      ○
ファミリー   -R15
有名スター   ×
お気楽     ×

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06/12/2007

映画「300(スリーハンドレッド)」

監督:ザック・スナイダー
アメリカ/2007年/117分
原作:フランク・ミラー『300』

半裸に赤マントのオヤジ系マッチョ軍団が大ハッスル! 新感覚アクション「早回し DE スローモーション」にド肝抜かれろ! 個人ヒーローを否定したかのようで、そうではない。「7人の侍」級のシンプル設計でわかりやすいゾ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
紀元前480年。ペルシャ軍がギリシャに侵攻を開始。スパルタにペルシャの使者がやってきた。
服従を迫るペルシャの使者を、スパルタ王レオニダスが葬り去る。
しかし、神託と民会の賛同を得られないため軍を出動できないスパルタ王レオニダスは、スパルタ軍精鋭300の兵を率いて出立。
ギリシャ各国の部隊と合流し、テルモピュライという狭い山道でペルシャ軍を阻止すべく戦う。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△レオニダス
スパルタ王

▽ゴルゴ
スパルタ王妃

△クセルクセス
ペルシャ王

▽セロン
スパルタの政治家

△ディリオス
スパルタ戦士


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
半裸に赤マントのオヤジ系マッチョ軍団が大ハッスル! 新感覚アクション「早回し DE スローモーション」にド肝抜かれろ! 個人ヒーローを否定したかのようで、そうではない。「7人の侍」級のシンプル設計でわかりやすいゾ。

■ ファランクス(phalanx)

ファランクス(phalanx)は、古代ギリシアで用いられた重装歩兵による密集陣形のこと。

当時、最強といわれたスパルタ陸軍もファランクスを採用していた。

ファランクスで重要なのは、号令のもとに皆が同じ動きをすること。ひとりだけ勝手な動きをすることは、全体を危険にさらすことになる。

だから、ひとりのズバ抜けて強い戦士よりも、ほぼ均一な体力と強靭な体を持つある戦士が多数いたほうがよい。

これってなにかに似ていないだろうか?


■ 企業戦士

――企業戦士。

ひさしぶりに聞いたナ。と思われた方もいるだろう。

かつての優秀な企業戦士とは、いったいどんな者を想定していたのだろう?

なるべく頑丈で、なるべく文句言わずに命令に従って、なるべく会社のためにボロボロになるまで働くことに意義とプライドを持てるよう教育しやすい者がほしい。

かつて、運動部系出身の新卒者をたくさん採用したがる企業の営業部署が多かったのはそのためだ。


■ ファランクスを組めない者は……

ファランクスを組めない者は、戦士になれない。

ファランクスを組めない者は、ユニフォームを着れない。

ファランクスを組めない男は、参政権を得られない。

集団、組織、共同体のために命を落とすことこそ美徳である。

戦えない子供は谷底へ捨てろ。

7歳で母親と決別せよ。

空腹なら盗んでも生き延びろ。

情けを捨てろ、痛みを隠せ、恐怖を受け入れろ。

生き残った者だけが一人前の男になれる。

――それがスパルタ式だ。


■ タイトルの意味

「ボクは左利きなんで、右側に盾を持ちたいんですケド」

「俺は背は低いほうだが、小回りがきいて素早い攻撃がきるぞ」

こんな者は戦士として認められない。みんなと同じ体型と同じ体力と同じ動きができる者だけだ。

そんなスパルタ式は、集団・組織・共同体を強くする。

BC800年ごろからのギリシアは、そうした集団・組織・共同体の時代であった。

そんな時代では、ひとりのヒーローはいらない。集団こそがヒーローなのだ。

だから作品のタイトルが「300」という、ひとまとりまりの「数字」であり「単位」なのだ。

「ス○イダーマン」でもなければ「スー○ーマン」でもなければ、梅干食べて「スッパマン」でもない。300というひとまとりの数字がヒーローなのだ。


■ 冷戦かッ!

ギリシャ陣営 × ペルシャ陣営

ギリシャ陣営の先導はスパルタ。

これってなんだか米ソ冷戦の構図みたいだぞ。

スパルタを米国と仮定すると、テルモピュライの地でスパルタ軍と共に戦ったギリシャ各国兵はNATOで、ペルシャ軍はワルシャワ条約機構といったところか。

ペルシャ軍にヤギの道(いわゆる裏道)を知られて優位が失われたことで、ギリシャ各国兵が退却していくなか、スパルタ(歴史によると他国兵の一部も残った)が残る。このあたりまでくるとなんだか米国のイラク派兵っぽくなってくる。

そしてスパルタ軍は玉砕。

ここでの重要なポイントは、スパルタ軍がペルシャ軍に包囲されて絶体絶命の危機的状況になる直前に、スパルタ王レオニダスが、部下のスパルタ戦士・ディリオスを故郷に帰すところだ。

ディリオスは、スパルタ兵300が勇敢に戦ったことをギリシャ諸国に伝え広める使命を受けたのである。

「300」は、広く語り伝えられることで「英雄伝」となる。

これって米国がいつもやっていることじゃ? いや、米国だけではない。

全体からみれば一部だが、その一部の勇敢で犠牲的な行動が、皆を助けることになった。それを称えることで、集団・組織・共同体の団結を強めるというのは、まぁどこでにでもありそうな常套手段だ。


■ 個人ヒーローを否定したかのようで、そうではない。

今回はひとりの名前を使ったヒーローではないが、全体から見れば一部の「300」という数字がひとつの名として機能したヒーロー物語である。

アウトローをはじめとした強い個人がヒーローとして描かれてきた米国映画だが、全体からみれば一部である「300」をヒーローとして語り継がせることで、全体を鼓舞する。

こうしてみると「300」は題材はギリシャだが、やっていることはいつもの米国映画とほとんど変わりはない。
つまり、全体からみれば「300」という「個体」がアウトローとして活躍する、いつものパターンだ。その例として、ファランクス命! みたいなこと言ってるわりには、個人技のアクションシーンが目玉になっている。

もちろんそれはいい意味である。どんなに大きな戦いであっても、個々の戦いの集合であることから、全体を撮るよりも部分を撮ったほうが伝わりやすい。

体育祭での全校生徒の集合写真よりも、自分や友人が大きく写った綱引きの写真を見るほうが、思い出を鮮明に蘇らせることができるのと同じだ。

原作はフランク・ミラーのグラフィック・ノベル。漫画は風刺と相性がいいことからもわかるように、映画「300」も風刺も映像(画)も、そのあたりをちゃんと押さえているのだね。


■ 早回し DE スローモーション

スパルタがまるで米国みたいだ。というのは、実は「どぉーでもいいですよ(だいたひかる)」ってなものである。

「300」の見所は、いうまでもなくアクションだ。

なんでもかんでもCG使えばいいのではなく、世界観を生かしつつ、アクションも派手にしっかり魅せる。これがけっこう難しい。

下手な作品だと「ほら見てよ! CG使ってすごいでしょ」という制作サイドの声が画面から滲み出てしまったり、やたらカットを素早くつなげてスピード感を出そうとするも、なにが起きているんだかさっぱりわからないアクションシーンになってしまったり、といったことになる。石を投げればそんな作品に当たるご時世だ。

しかし「300」のアクションシーンでは、なにが起こっているのかが、観客にしっかりわかるように作られている。迫力とスピード感を失わずにそれができている。

最大の特徴は「早回し DE スローモーション」とでもいおうか、緩急を活かしたアクションがそれだ。これならなにがどうなっているのかバッチリ伝わる。逆に伝わりすぎてヤバい(いい意味で)映像だ。これを観ずして今後のアクションシーンは語れまい。


■ お約束を守ったシンプル設計

スパルタの神官みたいなのが数名登場する。スパルタ王でさえ、彼らに出陣のお伺いをたてなければならない。

この神官たちは金と女と地位を欲して腐敗しており、スパルタの若い女たちの中で一番の美女を連れてきて自分たちの欲望を満たしつつ、その女を通して授かるという形での、金で買える神託をもって私利私欲をこやす、百害あって一利なしという役どころだ。わかりやすくいえば既得権益にしがみついた害虫といったところか。

またスパルタの民会を牛耳る政治家のセロンも同じような役どころだ。

そんな悪役たちが障害(オブスタクル)になって、レオニダスはわずか300の兵力でペルシャの大軍を阻止するために出立しなくてはならないのだ。

このあたりも米国の議会や軍需産業云々などといろいろ解釈できそうだが、そんなことは「どぉーでもいいですよ(だいたひかる)」状態で、要はワルモノもちゃんといるゾというお約束を守ったシンプル設計だということだ。

だから小難しいことなどなぁんにも考えることなく、赤マントのマッチョ軍団がんばれッ! と声援を送るつもりで、たまにペルシャ軍のイロモノ舞台にヤンヤヤンヤといいながら観るのが正解だ。


■ その他

ペルシャ王クセルクセスの使者たちは、どこか「北斗の拳」の小ボス雑魚キャラを彷彿とさせるゾ。

クセルクセスは一見するとオシャレ系(?)井手らっきょだがレオニダスと並ぶと……デカっ!

フランク・ミラーのグラフィック・ノベルが原作の映画「シン・シティ(SIN CITY)」を観れる人なら「300」観ても大丈夫。

肉片や血飛沫が飛び散りまくりのため、観るならそこはご了承のほど。

半裸のスパルタ戦士よ、夜はマントで体を包まないと風邪ひくぞぃ。ってそもそもスパルタ兵って重装歩兵じゃなかったっけ? まいっか~♪(EAST AND×YURI)

▼映画「シン・シティ(SIN CITY)」作品レビュー


デート     △彼氏彼女の好みが同じなら
フラっと    ◎ド肝抜かれる象(パオ~ン)
脚本勉強   ○シンプルに貫かれている
演出      ○あえて史実とは違う設定もイイ
笑い      ○ペルシャ軍イロモノ部隊にツッコめ!
役者      ○マッチョさん集合!
映像      ◎クイックアンドスローの衝撃度とは!
ファミリー   ×R-15
そっち系    ◎そっちってどっちだ
ほんわか    ×
のほほん    ×
のんびり    ×もうエエわっ!


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06/11/2007

映画「ザ・シューター/極大射程(SHOOTER)」

監督:アントワーン・フークア
アメリカ/2007年/125分
原作:スティーヴン・ハンター『極大射程』

ここはいつもの定食屋。注文は「いつもの!」。同じ「いつもの」でも、味付けは違う。食べ比べてみては?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
愛犬サムとワイオミングの山奥でひっそりと暮らす、元海兵隊の狙撃兵のボブ・リー・スワガーのもとへ、ある日アイザック・ジョンソン大佐が訪れる。
大統領暗殺計画を阻止するため力を貸してほしいというのだ。
愛国心をくすぐられ、大佐の要請を受けたスワガーだったが、罠にはめられ、大統領狙撃犯として追われる身となる。
スワガーは身の潔白と復讐のために立ち上がる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ボブ・リー・スワガー
男性。元海兵隊狙撃兵。

△アイザック・ジョンソン大佐
男性。退役軍人

△ニック・メンフィス
男性。新米FBI捜査官

▽サラ
女性。スワガーの元相棒ドニーの妻。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
ここはいつもの定食屋。注文は「いつもの!」。同じ「いつもの」でも、味付けは違う。食べ比べてみては?

■ 定食屋

「らっしゃい」

「おっちゃん、いつもの!」

「あいよ、いつもの定食ね。そんでもって『ザ・シューター/極大射程』もいつもの定食ってことで。お・わ・り」
「おいおい、基本3分どころか、これじゃあ3秒もかかっていないじゃないかぁ」

「へい。なにせ、いつもの定食っスからそれ以上もそれ以下もありゃぁしねぇもんで」

「それならせめて、定食の味付けぐらい変えたらどうなんだい?」

「味付けで……? わかりやした。やってみまひょ」


■ 品書きも決まってる

ウチみたいな小さな定食屋ですとね、品書きも決まってるんでさ。A定食に、エー定食に、えー定食。

エッ? どれも同じじゃないかって? そんなこたぁないですよ。微妙に味付けが違うんですから。

どう違うのかわかるように説明しろって?

ヘイヘイ、わかりましたよ。そしたら黄門ちゃまと比べてみまひょ。


■ 味付けは真逆

ウチらの世界にもね、わるい奴ぁいるもんでさ。それもそんじょそこらのコソ泥なんていうかわいいもんじゃぁねぇ。代官様や問屋のお偉いさんが裏でつるんでやりたい放題よ。だからってどうにもなりゃぁしねぇ。わしら庶民にゃぁ手も足も出やしねぇや。

でもな、お天道様はちゃぁんと見てるんだなぁ。天下の黄門ちゃまがやってきて、わるい奴らを成敗してくれるんでさ。

ってそんなことぁあるわきゃぁない。あるわきゃぁないから黄門ちゃまは長生きなんでさ。

それで「ザ・シューター/極大射程」の……ってそういやぁ「極大射程」ってなんなのさ。それいうなら「極小射程」ってのもありか? なんだか変な感じになってきたようで……。

はいはい「極大射程」でやんしたね。「極大射程」(←それ言いたいだけやろ)でのわるい奴を成敗するのは、子連れ狼ならぬ、一匹狼の軍人はん。わしらでいうところの元お侍さん。ってことは浪人ね(丸眼鏡ガリガリ。ってそんな浪人生いまどきいまへんがな)。

こうしてみると、話の型は同じでも、亜米利加さんはいっつも一匹狼の浪人が悪い奴らをバッタバッタとこらしめるんでさ。

西部開拓、いわゆる「ふろんちあすぴりっと」いうもんがあるようで、要は自分でなんとかしまひょ、ってことなのさ。待っていてもだぁれも助けてくれん。己の力で奪い取れっちゅうことでさ。

おんなじ定食でも、味付けは真逆。

どうですかお客さん。食べ比べてみては?


■ その他

お約束の展開と「極大射程」ってセンスにも首を傾げるも、あんまり期待していないぶん、思ったよりも迫力はありやしたよ。

主人公は敵の的をはずさないのに、敵の雨あられのような弾は主人公に当たらないのもお約束でさ^^;

ちなみに、同じような型でも違う箇所があるんでさ。その違いはこれ。

・使い古された型でも、手を変え品を変えいろんな見せ方に挑戦する。

・使い古された型でも、それが使えなくなるまで使いまわす。

「ザ・シューター/極大射程」は前者で。

後者にはどんな作品が? そりゃ、いわずもがな。


デート     ×
フラっと    ○期待してないぶん拾いもん?
脚本勉強   △定番だからいいもわるいも……。
演出      △
笑い      ×
役者      △
映像      △
ファミリー   ×PG-12
ガンバリ    ○がんばってトライしてる


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05/30/2007

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド (PIRATES OF THE CARIBBEAN: AT WORLD'S END)」

監督:ゴア・ヴァービンスキー
アメリカ/2007年/170分

略奪の海賊を地でいく? 店には行列。ムードを盛り上げる音楽と内装と照明。最高の食材の味付けに、最上のひとときを期待した客のフォークを持つ手が止まった……。舞台装置や演出音楽という名のキャラクターの、予期せぬ「ひとり走り」に「ひとり遊び走り」で便乗した作り手に、観客は楽しみと大事な人とのひとときを奪略された!? これぞまさに略奪海賊の登場ナリ~。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
エリザベス・スワンとウィル・ターナーはキャプテン・バルボッサと手を組んで、キャプテン・ジャック・スパロウの救出へ向かう。
その頃、東インド会社のベケット卿がデイヴィ・ジョーンズを操り、海賊たちは滅亡の危機に瀕していた。
そこで、召集された9人の海賊たちの船団は、東インド会社ベケット卿の船団との決戦に挑むのだった。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△キャプテン・ジャック・スパロウ
海賊
 
▽エリザベス・スワン
総督の令嬢

△ウィル・ターナー
鍛冶職人

△キャプテン・バルボッサ
海賊

△デイヴィ・ジョーンズ
海底の悪霊

△ベケット卿
東インド貿易会社の権力者

▽ティア・ダルマ
ヴードゥ教の予言者


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
略奪の海賊を地でいく? 店には行列。ムードを盛り上げる音楽と内装と照明。最高の食材の味付けに、最上のひとときを期待した客のフォークを持つ手が止まった……。舞台装置や演出音楽という名のキャラクターの、予期せぬ「ひとり走り」に「ひとり遊び走り」で便乗した作り手に、観客は楽しみと大事な人とのひとときを奪略された!? これぞまさに略奪海賊の登場ナリ~。

■ 得体が知れないからいいのだが……

ジャック・スパロウの魅力は、本気なのか冗談なのかラム酒に酔っているのかわからない言動にある。

いつも適当なことを言っているようで、実はすべて計算され尽くされているのか?

そんなことを思わせる、ミステリアスなひょうきん者。それがジャック・スパロウの魅力だ。

彼の頭の中をいろいろと想像してみる。それが楽しい。そんな極上キャラクターを作ろうと思っても、なかなか作れるものではない。

そもそもパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズは、第1作目からいきなり極上キャラクターを作り上げてしまった。

もしも、意図してそのような極上キャラクターを丹念に作り上げたのだとしたら、ジャック・スパロウの魅力を台無しにしかねない、あのようなシーンは作らないだろう。


■「宝箱は開けない」がいい

もしも鍵が外れた宝箱の蓋が開いていたらどうだろう? 

中身を確認して、それで終わりだ。

宝箱は、開けないことに意義がある。

宝箱には細かい装飾が施され、厳重な鍵穴や暗号めいたダイヤル式の鍵が付いていればなお良い。

第1作でジャック・スパロウという宝箱を登場させ、第2作で装飾を施した。そして第3作の初登場シーンでいきなり宝箱の蓋を開けてしまった!


■ ジャック・スパロウの脳内視点

宝箱の蓋を開けたとはどういうことか?

それは、ジャック・スパロウの脳内世界を披露したことを意味する。

しかも、その披露の仕方がブっとんでいる。

何を考えているのかさっぱりわからないのが魅力のキャラクターだったジャック・スパロウの内側を「直接」に見せてしまったのだから。

それまで、ジャック・スパロウの言動は他の登場キャラクターと接している様子を通して描かれてきた。ジャック・スパロウと観客の間に「ひとクッション」を挟んでいたのだ。

ジャック・スパロウとその他の登場キャラクターのやりとりを観るという、第3者の視点に観客がいたわけだ。

ところが第3作でのジャック・スパロウの初登場シーンでは、クッションは挟まれない。他の登場人物はいない。いきなりジャック・スパロウと観客の二人っきりだ(観客は大勢いるけどね)。

ジャック・スパロウは観客とからむわけにいかないので、自分と話す。脳内世界をお披露目というわけだ。

パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ最大の宝箱は、いうまでもないがジャック・スパロウだ。繰り返しになるが、宝箱は最後まで開けないことに意義がある。

特に、得体の知れなさが魅力のキャラクターが宝箱である場合、開ける瞬間こそが最大の重要ポイントだ。

それにもかかわらず、第3作での初登場シーンでいきなり脳内世界を披露(宝箱を開けて)してしまったのだ。


■ 自然に想像できればそれだけでOK

「語るより見せろ」が基本の映像において、脳内世界を披露するにはそれなりの意義が必要だ。

「びっくりしたぁ~」とセリフで言わせずに、いかにしてアクションで驚いた様子を伝えるか。それに苦慮するのが映像作品の醍醐味なのだから、ジャック・スパロウの頭の中を映像化するのではなく、頭の中をイメージしやすいアクションを撮るべきなのだ。

「こんなとき、ジャック・スパロウならこう思ってこう反応するだろうな」と観客が自然と想像できてしまう。それだけで十分だ。

頭の中を披露するには物語構築上の仕掛け(意味・意義)が必要だ。たとえば映画「エターナル・サンシャイン(ETERNAL SUNSHINE OF THE SPOTLESS MIND)」のように。


■ 略奪の海賊!?

ジャック・スパロウというキャラクターは、計画的に丹念に作り上げたのではなく、ジョニー・デップの俳優としての魅力によって、制作者の予想をはるかに超えて「ひとり歩き」ならぬ「ひとり走り」した。

その走りに、制作者が「ひとり遊び走り」というかたちで便乗してしまった。観客は楽しみを奪われ、あとは長時間、椅子に座り続けるしかない。


■ ディズニーリゾートの主役は

ディズニーリゾートの主役はだれか?

ねずみ男? ねずみ女?

いえいえ、主役はアナタだ。

ディズニーリゾートに遊びに行く場合を考えてみよう。家族であれ恋人であれ友人であれ、一緒に行く人との時間を楽しいものとしたい。だからディズニーリゾートに行くのではないだろうか。

ディズニーのキャラクターたちや物語の世界観は、そのためのお膳立てにすぎない。


■ 生じたズレ

パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズは、ディズニーランドの乗り物「カリブの海賊」を元に作られた。

そもそもディズニーランドのアトラクションの多くは、作品を元にアトラクションが作られている。

たとえばディズニー映画『トイ・ストーリー』の"バズ・ライトイヤー"が活躍するアトラクションに「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」がある。

ところがパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズは、アトラクション「カリブの海賊」を元にして作られた映画作品なのだ。

ディズニーランドのアトラクションの役割と目的は、ディズニーランドを訪れた客(ゲストと呼ばれる)のための舞台装置や演出音楽に徹することにある。

だからパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズの本来の役割と目的もこれと同じである。

ディズニー作品にはもちろん主人公が登場する。だがそれは物語上の仮の主人公だ。ほんとうの主人公は観客である。

それにもかかわらず、ジャック・スパロウを演じたのが実在の俳優ジョニー・デップであるため、主人公が夢の世界を飛び出して「ひとり走り」した。

ここにズレが生じた。

主役のためにあるはずの舞台装置や演出音楽が、あたかも本当の主役であるかのように振る舞いはじめたのだ。


■ 楽しみ方

では約3時間近い第3作をどう楽しめばいいのか?

ひとつ楽しみ方をご紹介しよう。

それは、ジャックはジャックでも、猿のジャックの冒険物語として観るというものだ。彼(彼女?)は要所で必ずといっていいほど登場して、観客にヒントを与えたり、突破口を開く活躍をしたりしている。

また、鍵をくわえた犬にも注目だ。おまえはいったい何者? いや何犬? と思わずツッコんでしまうだろう。


■ その他

というわけで、パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズは第1作がいちばんおもしろい。

デートで第3作を観るくらいなら、ディズニーリゾートに行ったほうがいいゾ。

とはいえ人気シリーズの第3作なので、暇なときに携帯用座布団を持って気軽に観に行くといいだろう。

ディズニーランドの「カリブの海賊たち」の雰囲気に忠実なので、雰囲気を楽しむつもりで観にいけば期待どおりのものを得られるはずだ。

「宝箱は開けないほうがいい」の意味について、さらにわかりやすい記事はこちら

パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(PIRATES OF THE CARIBBEAN)」作品レビュー

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト(PIRATES OF THE CARIBBEAN/DEAD MAN'S CHEST)作品レビュー

デート     ×ディズニーリゾートに行ったほうがいいよ
フラっと    ×おさらいしてから観よう
脚本勉強   ×メリハリ考えよう
演出      △
笑い      ×空回り
役者      △ジョニー・デップやキーラ・ナイトレイ好きなら
映像      ○ディズニーランドの雰囲気に忠実
ファミリー   ×もぉおうちかえりたいよぉパパぁ


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05/25/2007

映画「リーピング(THE REAPING)」

監督:スティーヴン・ホプキンス
アメリカ/2007年/100分

「出エジプト記十の災い」の知識が必須の「信仰の物語」。作品の作り方としては素直。イスラエルの「過ぎ越しの祭り」の由来を知っている人はスグに観に行っても大丈夫。「いなご少女現る」って強烈コピーがたまらない(笑)。イナゴ大量発生シーンは迫力満点だ!

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
超常現象を科学的に解明する大学教授キャサリンのもとに、ある日依頼がくる。それは、ルイジアナの奥深くの小さな町ヘイブンで起こる不可解な事件を調査してほしいというものだった。
ヘイブンの町では、ひとりの男の子が死に、川の水が赤色に変わったという。
調査をはじめたキャサリンは、町の人々に忌み嫌われている少女ローレンに出会う。
町では出エジプト記の十の災いにそっくりな現象が次々に起こりはじめていた。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽キャサリン・ウィンター
大学教授。元聖職者。
 
△ダグ・ブラックウェル
ヘイブンの教師。

△ベン
キャサリンの仕事上のパートナー

▽ローレン
少女。ヘイブンの町に災いをもたらしたとして、町の人々に忌み嫌われている。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
「出エジプト記十の災い」の知識が必須の「信仰の物語」。作品の作り方としては素直。イスラエルの「過ぎ越しの祭り」の由来を知っている人はスグに観に行っても大丈夫。「いなご少女現る」って強烈コピーがたまらない(笑)。イナゴ大量発生シーンは迫力満点だ!

■ だれがエジプトを出るのか

出エジプト記の十の災いってなに? という人は頭に「?」マークばかりが浮かんでしまうと思いますので、まずは出エジプトの経緯を簡略に説明しますね。

まずは「出エジプト」。だれがエジプトを出るのかというと、イスラエルの民がエジプトを出るときのお話だから「出エジプト記」なのですね。エジプトを出てどこへいくのか、約束の地「カナン」へいくのです。

その前に、なぜイスラエルの民がエジプトにいるのかを簡単に説明しましょう。

アブラハム→イサク→ヤコブの子であるヨセフは、兄たちの怒りにふれ、商人の一隊に銀二十枚で売られてしまいます。

ちなみにこのシーンは映画「グラディエーター」で主人公マキシマスが商人隊に連れられて砂漠を進むシーンに象徴的に用いられていますね。

商人隊はエジプトへ行き、そこでヨセフは奴隷として売られます。
奴隷となったヨセフは、やがて王の夢(7年間豊作が続き、次の7年間は飢饉が続く)を解き明かします。これによってヨセフはエジプトの総理大臣になります。

夢のとおりに7年間豊作が続き、次の7年間は飢饉がつづきます。でもヨセフが王の夢を解き明かしたことによって食糧をたくさん蓄えていたエジプトには、近隣からみんなが食糧を買いにきました。

そこでヨセフを頼って、ヤコブとその息子たちの家族がやってきてエジプトのゴセンに住みつきます。

ちなみに、その過程でヨセフはかつて自分を商人隊に売った兄たちと再会するわけです。何十年もたっているわけですから兄たちはエジプトの総理大臣がまさか自分の弟だとは夢にも思わないから気づかないんです。

そこでヨセフはしばらく正体を明かさずに、兄たちの様子をみるんですね。やがて正体を明かしたヨセフは、兄たちと和解する。ここにも「赦し」が表れています。「スパイダーマン」「ゲゲゲの鬼太郎」が赦しの物語だというのはもう皆さんご存知だと思いますが、そういった「赦し」のテーマヨセフの物語にしっかりとあるのですね。


■ 葦で編んだかごに入った赤ん坊

さて、ヤコブの一族がエジプトに住み始んでから何百年もたつと、イスラエルの民は増え続け、エジプトでとてつもない数になりました。これに脅威を感じたエジプト王は、イスラエルの民を奴隷として酷使します。そして、イスラエル人に生まれる男の子はすべてナイル川に投げ込めという法律を作ります。

そんなとき生まれたイスラエル人の男の赤ちゃんは、葦で編んだかごに入れられ、川に水浴びにやってきたエジプト王の娘のひとりに取り上げられます。

こうしてなんとか命拾いした赤ん坊は、イスラエルの王子として育てられます。彼はモーセと名づけられました。

青年となったモーセがある日、馬車に乗って出かけると、ひとりのエジプト人がイスラエル人の奴隷を打ち倒すのを見て、そのエジプト人を殺します。


■ 燃えているのになくならない柴

それがきっかけで砂漠に逃れたモーセの目の前で、柴が燃えはじめます。ところが火は燃えているのに、いっこうに柴はなくなりません。そのとき火のなかから神の声がきこえ、イスラエルの民をエジプトから導き出し、アブラハムの子孫に与えると約束した地に連れて行くよう言われました。


■ 出エジプト記の十の災い

モーセがエジプトの王に話をしにいくと、王はさらにイスラエルの民に重労働を課します。事態はますます悪くなる一方です。そこで神はイスラエルの民を救うためにエジプトに災いを起こしました。

(1)ナイル川を血に変える

(2)蛙の大量発生

(3)ふよの大量発生

(4)あぶの大量発生

(5)疫病の発生

(6)腫れ物

(7)雷の発生とひょうを降らせる

(8)イナゴの大量発生

(9)三日間、闇が包み込む

(10)長子の皆殺し


■ 聖書との相違点と類似点

ヘイブンの町でも出エジプト記の十の災いと同じ現象が順番どうりに次々と起こります。

唯一違うのは(10)の長男の皆殺しですね。

聖書では長男だけですが「リーピング」では長男だけでなく長女も殺されます。

また、聖書では死の天使がエジプト中を通り、すべての家の長男が死にますが、「リーピング」では天使の役割を持った登場人物がキーになりつつも、直接的には天から降る火によって長男長女たちが焼き尽くされます。

天から降る火は、おそらく「ソドム」と「ゴモラ」に、硫黄と火が雨のように降ったのを意識してのことでしょう。

ちなみにソドムとゴモラのイメージは、映画「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」にもみることができます。聖書にはソドムとゴモラが硫黄と火によって滅ぼされたあとには「地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた」(創世記19章28節)とあります。ゴッサムシティのいたるところから垂直に高く噴き出す水蒸気の様子はこれを真似たものでしょう。

また「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」での腐敗したゴッサムシティには幾人かの正しい者がいます。レイチェル・ドッドソンやジム・ゴードン、それに旧市街の子供たちなどです。彼らは、ソドムにいた良き人・ロトの家族を象徴しています。

さらにちなみにソドムとゴモラは映画「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」においても、都市と農村の対比でキリスト教文化圏で生まれ育った人にはイメージされやすいものとなっています。


■ 過ぎ越しの祭りの由来

出エジプト記では(10)番目の災いから逃れる術があります。それは、家畜の中から健康なよい子羊か山羊を選び、それを殺してその血を家のかもいと柱にぬることです。

かもいと柱につけた血は、神に忠実であることしるしなので、死の天使が血のしるしがある家は過ぎ越してくださるのです。

こうしてイスラエルの民は10番目の災いの夜に神に守られたことを思い起こす祭りを行うのです。これがイスラエルの「過ぎ越しの祭り」です。

映画「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」には、家の扉に赤いマークをつけておくと、口に出してはならない存在(Those We Don't SpeakOf)である、村を取り囲む森に住む「彼ら」が過ぎ越してくれるという設定があります。これはもちろん出エジプトの十の災いの10番目そのまんまですね。


■ 「いなご少女現る」って!

だれがつけたキャッチコピーか知りませんが……すんごいです。

タカはこのコピーを読んだだけで、観ようと決めました!

出エジプトの十の災いを題材にしているのを知ったのは、その後です。

そのぐらいヤバい(いい意味で)コピーですネ。

イナゴの大群のシーンは圧巻です。映像技術もこうして使われると本望(?)なのではないでしょうか。


■ その他

作品としていい線いってるようですが、出エジプトの十の災いをほとんど知らない人には、恐怖の意味が不明なため、頭に「?」が浮かぶでしょう。

私は小さな頃から何度も出エジプトの十の災いの話を聞いていたので、映画とはいえ災いが映像化されていることに、なんだかゾッとしました。

十の災いを知っている人は、災いの意味を知っているわけですから、物語のオチはなんとなく予想が付きやすいでしょう。そういったところでは予想どおりというかんじですが、ワッ! とびっくりさせる細かな演出はさすが職人技というかんじでマル印です。


デート      ×抱きつくのを期待するならアリかも
フラっと     ×聖書の知識が必要
脚本勉強    △けっこう素直なオチ
演出       ○驚かせる職人技アリ
笑い       ×だけど「いなご少女」には座布団十枚!
役者       ○スワンクってやっぱり味がある
映像       ◎これぞ特殊映像技術の本領発揮!
キリスト教文化 ◎十の災いの知識が必要  
ファミリー     ×おとん、イナゴってうまいんかぁ?
キャッチフレーズ ◎「いなご少女現る」ってスゴっ!


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05/23/2007

映画「バベル(BABEL)」

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
アメリカ/2006年/143分

やるせなくも心の琴線に触れる物語。言葉だけがすれ違いの要因ではない。こういうのもたまには観ようネ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
モロッコを旅行中のアメリカ人夫婦の妻が、バスで移動中に銃撃を受けて負傷する。
アメリカ人夫婦に雇われていた子守の女性は、自分の代わりの子守が見つからないので仕方なく、子供たちを連れて息子の結婚式に出席するためメキシコへ入る。
日本の東京では、聾唖(ろうあ)の女子高生が孤独な日々を過ごしていた。彼女の父親がかつて所有していたライフルがモロッコで事件に関わったことがわかる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△リチャード
 男性。アメリカ人
 
▽スーザン
 女性。アメリカ人。リチャードの妻。

△サンチャゴ
 男性。メキシコ人。

△ヤスジロー
 男性。日本人。

▽チエコ
 女子高生。日本人。

▽アメリア
 女性。リチャード夫婦の子守。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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やるせなくも心の琴線に触れる物語。言葉だけがすれ違いの要因ではない。こういうのもたまには観ようネ。

■ 心の琴線に触れる

映画はひとときの夢を売る商売というなら、たいていの作品はなにかを忘れさせるものを題材にする。

映画館の客席に座っているときは、日常から抜け出した夢の世界にいたい。だから映画館だけではなく、ディズニーリゾートは大流行なのだ。

「バベル」はこの逆だ。

物語の登場人物たちの身に起こることは、どこまでもすれ違いで、どこまでも思い通りにはいかない。どんどん悪いほうへ転がっていく(一部心の通いはある)。

ぶっちゃけ、映画で夢のようなひと時を! と願っている人には、うってつけだ。だだし、映画で悪夢のようなひとときを! であるが……(>_<)

そんな作品、だれも観たくはないと思うだろう。

だが、どうしてこの作品はこんなに胸を打つのだろう。

それは、アナタの心の琴線に触れるものがあるからだ。

琴線に触れるとは、ここでも出たぞの「共感」を表している。


■ 一丸の意味

一丸となってがんばろう!

そんな言葉はきかれなくってもぅどれくらい経つだろう。

一丸に価値が置かれるのは、普段は個々がバラバラだからだ。バラバラだからこそ、共通の目的のもとではひとつになれるというわけだ。

ところが日本の多くの場所では、まだこの逆だと考えている部分があるようだ。

元はひとつ。いまはバラバラ。だから一丸となろう! というわけである。

ほんとうは、元はバラバラ、だからこのときばかりは一丸となろうといったところ。それは運動クラブやクラスの男子は全員丸坊主にしようという笑い話にもならない意味でのことではなく、目的のためには力をあわせようという意味だ。

とはいえ、聖書によると人類の言葉は、はじめはひとつで、あるとき神に近づこうと高い塔を建てはじめた人間に、神様が怒って人々の言葉をバラバラにしたとある。

だからバベルの塔以後、人類はその罪深さゆえに言葉が通じなくなったのだ。


■ 言葉だけがすれちがいの原因ではない

アメリカ人夫婦の妻スーザンが撃たれ、バスは近くの村に寄った。そのとき、同じバスに乗っていたアメリカ人らしき人々は、一刻も早くその場を離れたいと願った。

夫・リチャードは英語が通じる相手と口論になる。「俺たちをを置いていくな!」「いやもう限界だ! 俺たちまで危険になるからバスでこの場をいますぐに発つ」といったふうに。

言葉が通じない村のお婆さんは、スーザンを看病する。言葉は通じる通訳の青年は、リチャードに何を言われようと、できるかぎりの助けの手をさしのべる。

日本人の女子高生チエコは、仲のいい友人はいるものの、母は亡くなり、父親ともうまくいっていない。心にはぽっかりと穴があいたようになっており、聾唖のため、せっかくいい雰囲気になりかけたお気に入りの男の子には、とましいものを見るかのような目で見られる。同じ言語を使う者同士でありながら、どこまでもすれちがいが続く。


■ アメリカ人にって最恐のもの

アメリカ人にとって最恐のものは、すでにサム・ライミがみつけて作品をプロデュースしている、ハリウッド版「THE JUON/呪怨」を観ればそれは明らかだ。

つまり、右も左もわからない知らない土地で言葉も通じない、助かる方法がみつからない、そんな状況をなによりも恐れる傾向が顕著なのが、アメリカ人というのだ。

どんな外国映画であれ、英語(米語)でリメイクしてしたり、地球の隅々までどの国や地域へ行っても英語が通じると信じて英語でどこでも話しかけて英語が通じないと、シンジラレナ~イ! という顔をしたりと、世界のこまったちゃんたち、それがアメリカ人のステレオタイプだといってもいいだろう。

世界はアメリカの正義で貫かれるべきだと本気で信じている人はほとんどいないだろうが、建前としてそれは掲げておかなくてはならない。そうしないとまとまらないからだ。

だから、モロッコで撃たれ、いつまでも助けがこない状況というのは、考えたくもない最恐の事態なのだ。


■ その他

劇中の音楽が悲しさを一層かもし出している。タカは音楽がないほうがいいと思うが、雰囲気を出すには音楽は有効だ。

日本の女子高生チエコが住むのは、東京の高層マンションの最上階だ。バベルの塔の頂上を意識しての設定かな。
こういった作品はたいへん貴重なので、観るのは辛いかもしれないが、きっと心のどこかに触れるところがあるはずなので、たまにはこういう作品も観るのもいいでしょう。

観客が数人、気分が悪くなったというディスコ、いやクラブのシーンの映像は、印象に残るシーンです。

ただ、たしかに光のチカチカはすごい。でもそれがチエコの視点と心情をよく表している見どころでもあります。

デート     △ 
フラっと    △ 
脚本勉強   ○ 
演出      ○ 
笑い      × 
役者      ○ やはり菊池凛子は際立っていた。
力づよさ    ◎
貴重      ◎
やるせなさ   ◎

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05/07/2007

映画「スパイダーマン3(SPIDER-MAN 3)」

監督:サム・ライミ
アメリカ/2007年/139分

悪役たちとピーター(善役)の境目は紙一重。だれもが持つ「弱さ」はヒーローの素質。ヒットの基本をきちんとおさえたその手法はハリー・オズボーンに表れている。シリーズを通して描かれてきた、もっとも大きな愛とは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
街を守る正義のスパイダーマンとしてニューヨーク市民に愛されるようになったピーターは、そろそろ恋人のMJにポロポーズしようと計画していた。

そんな折、伯父殺しの真犯人フリント・マルコが脱獄したことを知って復讐心に駆られるピーターは、謎の黒い液状生命体にとりつかれてブラック・スパイダーマンになって活動するうちに、復讐の炎の火種をカメラマンのエディ・ブロックに飛び火させてしまう。

一時的に記憶を失っていたハリー・オズボーンはスパイダーマンへの復讐を思い起こし、ピーターを追い詰める。
さらに、人変わりしたピーターから離れていくMJ。

自分を見失っていたピーターは、ブラック・スパイダーマンのスーツを脱ごうとする。しかし復讐の連鎖によって、愛するMJは危機にさらされる。

ピーター(スパイダーマン)はMJを救うため、ふたりの敵に立ち向かう。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ピーター・パーカー/スパイダーマン
大学生。デイリー・ビューグル紙のカメラマン。遺伝子操作されたクモに噛まれ、特殊能力を持つ。

▽MJ(メリー・ジェーン・ワトソン)
ブロードウェイ女優の卵。ピーターの最愛の女性。

△ハリー・オズボーン/ニュー・ゴブリン
大企業経営者。ピーターとMJの親友。彼の父親は、スパイダーマンと戦ったグリーン・ゴブリン。

△フリント・マルコ/サンドマン
脱獄囚。ピーターの伯父を射殺した真犯人。化学実験に巻き込まれ、砂の肉体を持つサンドマンになる。

△エディ・ブロック/ヴェノム
デイリー・ビューグル紙のカメラマン。カメラマンとしてのピーターをライバル視する。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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悪役たちとピーター(善役)の境目は紙一重。だれもが持つ「弱さ」はヒーローの素質。ヒットの基本をきちんとおさえたその手法はハリー・オズボーンに表れている。シリーズを通して描かれてきた、もっとも大きな愛とは?

■ 内輪話のようでありながら実は一般の話

スパイダーマンシリーズも今作で第3作。たいていのシリーズ化した作品がそうであるように、第1作で紹介、第2作で共感、第3作で決着というのがおおまかな流れだ。

わかりやすい例ではフジテレビ系映像作品群「海猿」がある。第1作で主人公が潜水士になるまで(紹介)、第2作の連続テレビドラマで主人公が仕事と恋に悩む(共感)、そして第3作で主人公とその恋人の仲がどうなるのかが描かれる(決着)。

だから、いわゆる三部作といわれるものでは、第3作目には描かなくてもよい部分がある。それは、主人公をとりまく状況や主人公の日常(仕事・恋)だ。

「スパイダーマン3」においてもこの基本型どおりに、第1作と第2作に登場した主要キャラクターとの関係に決着へ向けて集中している。

実はここ(第3作)で、ほんとうの手腕が問われるのだ。第1作目がヒットしたら、第2作は前作を上回るものを作らなくてはならないという緊張感と意欲の相乗効果でいいものができることがある。ターミネーターシリーズも第2作目がおもしろいのはそのためだ。

ところが第3作では主要登場人物たちにコンフリクツ(障害)を克服させて、レゾリューション(解決)へと導かなければならない。

レゾリューションの種類が主にひとつならばいくぶん楽だ。たとえば映像作品群「海猿」シリーズにおける「恋」だ。主人公・仙崎大輔と伊沢環菜の恋に決着をつける舞台をどれくらい派手にするかに尽力した結果、もぅ笑うしかないツッコミどころ満載の作品になったのが「LIMIT OF LOVE 海猿」だ。

シリーズ化した作品では、第3作に作り手の力量がモロに出てしまうという傾向がある。

「海猿」の原作はすばらしい。しかしフジテレビ系の映像作品群「海猿」はそのブランド化にはなかなかの手腕を発揮したが、作品づくりという分野では最後の第3作にモロに力量が表れてしまった。

その点を心のとめて「スパイダーマン3」を観れば、この大ヒットシリーズの第3作の決着をよくぞこの時間内に収めることができたものだと、ため息が出る。

ある人は、駆け足で詰め込みすぎだと感じるかもしれない。詰め込みすぎかどうかは、その観客の第1作と第2作の復習(復讐ではない)度合いにもよるが「詰め込み感」はシリーズ作品の第3作にはつきものなので多少は致し方ない。むしろそれを味として楽しもう。

それにしても、シリーズを通して描かれてきたことが、第3作では何倍にも膨れ上がって決着させるその手腕はまさに職人技である。

では「シリーズを通して描かれてきたこと」とはなんだろう。それはだれにも当てはまるごく一般の事柄である。


■ アナタの周りにだっている

第1作の敵グリーン・ゴブリンは軍需企業オズコープ社の創始者であり、天才科学者のノーマン・オズボーンであった。

軍の資金援助が打ち切られないようにと、自らを実験台に人体パワー増強薬を使い、その副作用で新たな人格であるグリーン・ゴブリンを誕生させた彼は、もともとは息子ハリー・オズボーンを愛し、ピーターとも良い関係だったのだ。

第2作の敵ドック・オクは天才科学者オクタヴィウスであった。

妻を愛し、人類のためにエネルギー研究を行っていたオクダヴィウスは、核融合実験の失敗を機に妻が命を落とすという悲劇に見舞われ、金属アームを持った人工知能に操られてドック・オクになった。

どちらの敵も、もとは悪い人間ではなかった。それがひとりは自分の事業の成功のために、もうひとりは自分の実験の成功のために行動したことがきっかけで、けっして悪い行いをするつもりはなかったのだが、悪の人格に支配されてしまう。

「スパイダーマン3」の敵フリント・マルコ/サンドマンはピーターの伯父を射殺した真犯人だが、彼にも事情がある。本来は悪い人間ではない。しかし家族のためにどうしても金が必要で、そのつもりはなかったのに結果的にピーター伯父を射殺してしまう。

また「スパイダーマン3」のもうひとりの敵エディ・ブロック/ヴェノムはカメラマンとして新聞社に就職したいという立身出世の夢を持っていた。そのための手段は良くないことだが、そのきっかけを与えたのはブラック・スパイダーマンとなったピーターともいえる。

企業経営者。科学者(研究者)。父親。カメラマン。

彼等は特別な人間だろうか。アナタの周りにだっている。どこにでもいる人たちだ。彼等はあるきっかけで悪の道に走りはじめてしまうのである。

そしてそれはヒーローであるピーターとて同じこと。伯父殺しの真犯人が脱獄したと知ったことがきっかけで復讐心にかられ、ブラック・マヨネーズ、いや違った、失礼。ブラック・スパイダーマンへと変貌するのだ。


■ 悪役さえもヒーローの素質を持っている

こうしてみると、歴代の悪役たちとピーター(スパイダーマン)の「弱さ」は同じである。弱さとは、環境や状況によってだれにでも生じる心の隙間とでもいおうか。

心の隙間に素早く入り込むのは、謎の黒い液状生命体。宇宙から落ちたきたこれは、たまたまたピーターのスクーターに張り付いたが、アナタのスクーターに張り付いていたかもしれないのだ。

そうはいっても、心の隙間がなければ、謎の黒い液状生命体は人の心に付け入ることはできない。

では、心の隙間を生じさせない者を主人公(ヒーロー)にすればいいのか。否。ヒーローの第1条件は共感できるキャラクターであること。

だれにでも生じる心の隙間がまったくない者は、だれにも共感されない。だれにも共感されない者はヒーローの第一条件を満たしていないのでヒーローにはなれない。だから皆と同じ「弱さ」を持ったピーターがヒーローなのだ。

それに歴代の悪役たちだって、ヒーローになり得る「弱さ」を持っていた。ヒーローの素質をだれもが持っていたが、その使い方を誤ったために悪役となってしまったのだ。

「スパイダーマン3」での「弱さ」のターニングポイントでブラック・スパイダーマンへの道を歩みはじめたピーターは、復讐の火種を撒き散らしていく。

その結果、最愛のMJを窮地に陥れることになるのだ。


■ ハリー・オズボーンが裏の主人公!?

父殺しのスパイダーマンに復讐を。これは第2作からハリー・オズボーンの心に絡み付いていたものだ。

しかし「スパイダーマン3」で短期記憶を失ったハリー・オズボーンが入院中のことである。

見舞いにきたピーターとMJが帰ったあと、看護婦に「あいつらは親友だ。親友のためなら命だってあげられる」といった意味のことをいうシーンがある。

このときのハリー・オズボーンは短期記憶を失っているので、心の隙間に入り込んだ「復讐」の支配から開放された状態だ。心の隙間という「弱さ」につけ込まれさえしなければ、もっとも大きな愛を実践する気持ちを持つことができるのだ。

聖書のヨハネによる福音書15章13節には>「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」とある。

この入院中のハリー・オズボーンのシーンによって、観客はなんとなく彼の結末を予想できるようになっている。
さて、ハリー・オズボーンはニュー・ゴブリンだが、彼は特殊能力を持ったわけではない。父親が使った人体パワー増強薬も使っていないようだ(正確にはわからないが……)人体パワー増強薬を使うと副作用で新たな人格ができるのはグリーン・ゴブリンで実証済だ。

ハリー・オズボーンは人体パワー増強薬を使わずに、父殺しのスパイダーマンへの復讐心のみで別人格を作ったといってもいい。短期記憶を失ったとき、なんとも晴れ晴ばれなスッキリしたいい顔をしていたのと比べれば、復讐心に駆り立てられたときの彼とは別人かのようである。

人体パワー増強薬を使っていないと仮定すると、超人的な動きができる機械の数々があるからといえども、スパイダーマンや他の超人的な能力を持った悪役たちと互角に戦うニュー・ゴブリンの力はどこからくるのであろうか。

ニュー・ゴブリンが活躍するのは2回だが、1回目と2回目ではその原動力が正反対である。

心の隙間という「弱さ」を起点にした2つのニュー・ゴブリンの活躍の結果は1回目と2回目ではどう違うのか。ぜひご覧いただきたいと思う。


■ 父と子

こうしたハリー・オズボーンの行動と苦悩は、父親との関係性に起因する。

作品づくりにおいて、父と子というテーマはもっともポピュラーだといえる。あの「スターウォーズ」シリーズでも使われているとおり、ヒット作の条件のうち「父と子」はとても大きなキーワードである。

スパイダーマンシリーズでは「父と子」のテーマをハリー・オズボーンが提示している。

つまり、ヒットの基本をシリーズを通してきちんとおさえているというワケである。


■ その他

大ヒットシリーズのスパイダーマンの公開はお祭りみたいなものなので、ぜひ第1作と第2作を復習(復讐ではない)してから観るといいでしょう。

サム・ライミ監督は「死霊のはらわた」「クイック&デッド」「ギフト」を手がけている。作品を観るとわかるが、彼はたいへんお茶目でありながら、たしかな職人技を持ち、さらにプロデューサーとして「THE JUON/呪怨」をヒットさせるなど、まさに多才な人物であることがうかがえる。

「スパイダーマン3」でも、彼のおちゃめぶりは発揮されていて、おもわず笑ってしまうシーンや演出はいたるところにある。

その中からひとつ、おぉ! と思ったシーンがある。
見間違えでなければ、亡くなったはずのグ天才科学者のノーマン・オズボーンらしき人物がバッチリ登場してるシーンがあるのだ。

セリフはないが、まさに画面の真ん中に登場する。悪から開放されて生まれ変わったのかもしれない、その表情は晴れやかで楽しそうであった。

私もそのシーンに気がついたとい人はいるかな? あれはノーマン・オズボーンだったよね?? 


デート     ○ 
フラっと    △ 前作、前々作を復習しておこう。
脚本勉強   ○
演出      ○ 
笑い      ○ 第1作がいちばん笑える 
役者      ○ キルステン・ダンストが存在感バリバリ
真面目     × 真面目に観る作品ではない 

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04/27/2007

映画「ラブソングができるまで(MUSIC AND LYRICS)」

B001F4C6ESラブソングができるまで 特別版 [DVD]
マーク・ローレンス
ワーナー・ホーム・ビデオ 2008-10-08

by G-Tools

監督:マーク・ローレンス
アメリカ/2007年/104分

主役ふたり(アレックスとソフィー)の過去と現在が投影された歌姫コーラはキャラクター設定上ではヘルパーの役割も担っている。大仏様の内部はどうなっているかは、これを観れば鎌倉まで行かなくてもわかるかも?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
80年代に大人気だったバンド「PoP」の元ボーカルのアレックスは、同窓会や遊園地で昔のヒット曲を歌う営業を行う日々を送る。

ある日、今をときめくカリスマ歌姫コーラから新曲の依頼がくる。コーラはアレックスの大のファンだったのだ。
しかし、新曲の依頼はほかにもいくつか出しているので、アレックスの作った曲が採用されるかどうかはわからない。しかも納期は1週間ほどしかない。

さっそく作曲にとりかかるが、アレックスは作詞をしたことがない。困っていたときに、家の植物の世話係のソフィーが口ずさむ歌詞を気に入り、ふたりで新曲をつくりはじめる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△アレックス・フレッチャー
男性。歌手。80年代を制覇したニュー・ロマンティックバンド「PoP」のメンバーで2人いたボーカルのうちのひとり。

▽ソフィー・フィッシャー
女性。痩身グッズ会社勤務。ときどき鉢植え係のパートタイムジョブも。作家志望。

▽コーラ
女性。歌手。カリスマ歌姫。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
主役ふたり(アレックスとソフィー)の過去と現在が投影された歌姫コーラはキャラクター設定上ではヘルパーの役割も担っている。大仏様の内部はどうなっているかは、これを観れば鎌倉まで行かなくてもわかるかも?

■ 過去にすがる男と、夢をあきらめた女。

人気バンドのふたりいたボーカルのうちのひとりは、ソロで活躍してナイトの称号まで得て、香水販売も手がける、いわばビッグな人になった。

一方、もうひとりのボーカルだったアレックスは、学生時代の友人でもあり、バンド「PoP」のボーカル仲間でもあった友人(いまはビッグ)に出し抜かれ、俺もソロでガンガンに売れやる! と野心満々に作ったソロアルバムはまったく売れず、いまでは昔のヒット曲を同窓会や遊園地で歌う営業活動をこなす日々。その仕事もどんどん減っていく一方だ。そんなアレックスが本作の主人公のひとり。

もうひとりの主人公は作家志望のソフィーだ。
学生時代にあこがれの作家と付き合ったまではよかったものの、実は相手にフィアンセがいた!。しかもその元交際相手の作家は、ソフィーをモデルに実際とは違う悪い女というキャラクターを登場させた本を執筆してこれが大ヒット。ハリウッドで映画化もされるという。

そんな傷心ダブルパンチを浴びたソフィーは書くことに臆病になり、作家という夢への足をとめたままである。

アレックスもソフィーも、身近な友人や恋人だと思っていた相手に裏切られた過去を持つ。

それでもアレックスは歌うことをやめずにいるが、ソフィーは書くことをやめてしまっていた。

過去の栄光にすがる(ようにみえる)男と、夢をあきらめた(ようにみえる)女。

キャラクター設定はバッチリ。あとは二人を出会わせるだけ。そうすれば物語が動き出すのだ。


■ めずらしく邦題もいいカンジ

「なんじゃこりゃぁ~!」という邦題をつけている映画作品は多々ある。ところが本作品の邦題は悪くない。
というか、なかなかいい。

「ラブソングができるまで」

ラブソングとはつまり、アレックスとソフィーの愛が実るまでということであり、その過程がラブソングを作る共同作業によって表されている。

まさにラブソングとう名のふたりの愛が実るまでの紆余曲折の物語なのだ。

いいカンジの邦題の数少ない例のひとつだといっていいだろう。


■ コーラもブレイクの予感!?

アレックスとソフィーが出会うきっかけと、愛が実るまでのヘルパーの役割を果たしている歌姫コーラを演じているヘイリーベネットは、長編映画作品は初出演というが、でしゃばらすぎずに観客(特に若い女性)の心情を代弁するかのような役どころを絶妙に演じており、たいへん好感が持てる。

作品中では歌姫コーラも恋人と別れて傷心中であり、その心の内を歌にして人々に届けたい気持ちがある。それと同時に、セクシーダンスをとりいれてさらに過激にしなくちゃいけない、刺激的にしてファンを喜ばせなくちゃいけない、ファンをつなぎとめておかなくちゃいけない、ファンをもっと増やさなくちゃいけない、2位じゃなくて1位をとらなくちゃいけない、という思いに駆り立てられている。

音楽業界で生き残るためには「もっともっと」「2位より1位を」といった、いわば「イケイケドンドンコース」に乗ったら途中で降りることはできない。

コーラは自分が伝えたい気持ちと、観客が求めるものやヒット曲チャートランキングとの間のギャップに悩んでいる。それはインドの宗教に傾倒しているかのような衣装やダンスやステージセットにみてとれる。

日本の歌手・浜崎あゆみの曲でも、何処かの姫様を思わせる衣装やメイクで神話的な世界感をイメージさせるプロモーションビデオがあったようだ。

またエロチックなダンスをイケイケドンドン取り入れていかなくちゃいけない! というあたりは日本の歌手・倖田來未をイメージさせもする。

観客が求めるものを提供しようと媚を売る(またの名をサービス精神)コーラは、かつてのアレックスと同じ部分を持っている一方で、だれもが感じる心の痛みを歌うことでファンの声を代弁してひろく共感してもらうという「魂の叫び」を大事にしているところはソフィーと同じ部分を持っている。

アレックスとソフィー両者の過去・現在を体現した歌姫コーラは、先にも言ったとおりふたりの愛のきっかけと、愛の過程を描き出すヘルパーとしても機能している。

こうしてみると、歌姫コーラはたいへん難しい役どころだ。それを嫌味なくでしゃばらずにサラッと演じたるヘイリーベネットは将来の大物の予感さえもする。


■ その他

アレックスの部屋に来たソフィは毎回、脱いだコートやバッグをピアノの上に無造作に置くのだが、それをアレックスが手に取って他の場所に置くという仕草がある。

一見するとちゃらんぽらんの遊び人にみられることが多いアレックスも、ピアノを大事にしていることを、こういった仕草からうかがわせるのは、ひとつのシーンで複数の情報(会話の内容、キャラクターの性格など)を観客に与えることができる好例としてみることができる。

それから、歌姫コーラのステージセットはスゴい!

あくまでコメディだから世界三大宗教のひとつであっても目くじらは立てないだろうが、あのセットは「ありえない」からこそスゴい。

一言でいうと「鎌倉の大仏の中には何がある?」といったところか。

そうなのだ、鎌倉の大仏は、たしか10円だか30円だか払うと中に入ることがきる。中とはまさに大仏様の内部、人間でいうところのお腹というか、いわゆる内臓部分に入ることができるのだ。(もちろん拝観料は別にかかる。拝観料プラス数十円で大仏様の中に入ることができるというわけだ)。

鎌倉といえば銭洗い弁天にも足をのばしてもらいたい。トンネルを抜けて、いくつも連なった鳥居を抜けていくその道もまたいい。

銭洗い弁天に以前行ったときは、ガラス箱に入った白蛇を見たような気もする。

いつのまにか鎌倉観光案内みたいになってしまったが、デートで観るなら「ラブソングができるまで」で間違いナッシングである。

コメディとしても笑いっぱなしで、私は幾度も笑い声を出しそうになったが、観客の皆さまはお上品なのか、笑い声は聞こえなかった。きっと皆はずかしがり屋なので声を抑えて笑っていたのだろう。

キャラクター設定とキャスティング(ヒュー・グラント 、ドリュー・バリモア)をちゃんとすれば、笑いは約束されたようなもの。日本映画も目先のヒットばかりをちまちまと狙わずに「ラブソングができるまで」みたいにキャラクター設定をはじめとする基本かつお約束の職人技を使えるよう、良質お気楽エンタテインメント作品を作る訓練をしよう。きっと半世紀後にはずいぶん上手になっているにちがいない。

昭和時代を懐かしむだけの演歌ともいえるかのような映像や、勧善懲悪という継ぎ接ぎマントを羽織った庶民のガス抜き用映像を手を変え品を変えてせっせと作っている場合じゃないぞ。とはいいつつ、そんな作品は日本ではヒットする可能性が高いのだけどね。

そうそう、こういった恋愛ストーリーなら男性も楽しめるゾ。「ホリディ」がイマイチ楽しめなかった男性でも「ラブソングができるまで」なら大丈夫だろう。


デート     ◎ 最適 これなら男性も楽しめる 
フラっと    ○ たまのフラッともいいと思わせてくれる
ファミリー   ○ ちょっとオマセなお子様となら
脚本勉強   ◎ 100回観よ(ちょっと大げさ)
演出      ○ 
笑い      ◎ 最強に笑える
役者      ◎ 役者あっての作品でもある 
意外性     × 
ダンス     ○ 奥様方はヒュー・グラントの腰振りにキャー☆

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04/20/2007

映画「サンシャイン 2057(SUNSHINE)」

監督:ダニー・ボイル
アメリカ/2007年/108分

例えるなら、真田広之は100メートル競走の選手だった! マラソン競技はだれを応援すればヨカですか? 太陽のありがたみを、いま一度身近なものとして実感させなきゃ! 本編よりも、予告編のほうがいい出来だ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
2057年。人類は、消滅しつつある太陽と運命をともにしていた。

太陽を蘇らせるため人類は8名の男女を宇宙へおくる。太陽にできるかぎり近づき、太陽消滅を止める装置を投下するため、各分野から選び抜かれた8名の男女が宇宙船イカロス2号の搭乗員となったのだ。

地球を旅立って数か月。地球との交信ができなくなるエリアに入ったイカロス2号は救難信号を受信する。それは7年前に行方不明になっていたイカロス1号からのものだった。

イカロス2号は、ミッション成功の確率を上げるため、イカロス1号とのドッキングへ向けて経路を変更する。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△カネダ
イカロス2号船長。

△キャパ
物理学者。

▽コラゾン
女性。生物学者。

△メイス
エンジニア

▽キャシー
女性。操縦士。

△ハーヴェイ
通信士。

△トレイ
航海士。

△サール
精神科医


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
例えるなら、真田広之は100メートル競走の選手だった! マラソン競技はだれを応援すればヨカですか? 太陽のありがたみを、いま一度身近なものとして実感させなきゃ! 本編よりも、予告編のほうがいい出来だ。

■ モットありがたがらせてもらってヨカですか?
-------------------
気温30度以上。灼熱の砂漠を5時間歩きつづけている。足は重く、流れ落ちる汗も枯れはてた。

――水筒からは一滴のしずくも落ちてこない。

容赦なく照りつける太陽を遮るものは帽子の鍔だけだ。

このままでは一行は倒れてしまう。そこで比較的元気な青年がラクダに乗り、先にオアシスまで行って救援隊を連れて戻ってくるようにした。

一行の命を託された青年は、ラクダに乗って砂漠を進みはじめた……。
-------------------

これは「サンシャイン 2057」の内容ではないけど、もしもこんなセットアップがあったらどぅ?

ちょ~う水がほしぃ~! 水がなけりゃぁマジやばいっしょ! と思うでしょ。

日本で生まれ育った人の多くにとって、水は「湯水のように使うもの」という感覚じゃないかな。

蛇口はひねれば水がでる。最近じゃぁ水道水は飲まないって人が多いけれど、洗面や風呂や洗濯には水道水をじゃんじゃん使っているのがほとんどでしょ。

キミが心の底から水が飲みたいと思ったのはいつだったろう? 中学校のマラソン大会? とにもかくにも、水のありがたみは頭ではわかっているけど普段はたいして気にもとめない。

では、太陽は?

陽のあたらない部屋に住んでいる人にっては、洗濯物や布団を持って屋上へ行かなくちゃならないので太陽は貴重かもしれないけど、一般的には太陽は、在って当たり前のもの。

でも今や太陽は消滅の危機に瀕していて、地球は雪や氷に覆われている。というのが「サンシャイン 2057」における2057年の地球の状況なんよ。

そうならそうと、セットアップで地球のちょ~寒い凍えまくりの状況を映像で見せてくれなきゃ!

できれば、主要登場人物の知り合いが太陽消滅の影響で危険な状態にあるといったような「身近」に実感しやすい設定がほしい。

さらには「人類の運命を託された人々がはやく宇宙へ旅立ってほしいなぁ」と観客が思う「間」も用意してほしい。

たとえ話を織り交ぜてすすめよう。

ヨン様はまだ現れないのかな。はよぅ会いたいわぁ。わッ、ヨン様や☆ って違うやん。あれはヨン様の真似をした明石家さんまの「さん様」やんか。

(さん様のほうが見てみたい気がするけど)本物のヨン様はそう簡単には姿を現さないよね。ほよぉ会いたいわぁ、と思わせる「間」もきちんと用意してあげる。それがショウビジネスのお約束ってもの。

つまり、太陽のありがたみを、いま一度身近なものとして実感できて、はよぉ宇宙船が飛びたさへんかなぁ、と思う「間」を用意してほしいのよ。


■ エキスパートちゃうの~?

各分野のエキスパートに人類の運命が託された。にもかからず、航海士が針路変更に必要な計算と設定をするのを忘れてしまう。

「お菓子(300円まで)持ってくるのを忘れたぁ。ピクニックなのにぃ、もぉぉ~(>_<)」というノリのじゃないんだからさ。

もぉ~、2007年現在の定番パソコンソフトだって入力ミスがあったらプログラムが問題の箇所を指摘してくれるのにぃ(←某金融期間のCM風)2057年の宇宙船のコンピューターはよぉしゃべるのに、計算ミスのときだけダンマリだなんて!(>_<))

まぁまぁSFですから。という人もいるかもしれないけど、SFだからこそ、そういう点はだれもが納得するようにしっかり作りこなければならないよ。そうでなければSFの世界観が成立しなくなってしまうからね。

計算ミスをして他の乗組員を危険に晒したことで、精神不安定になって医務室みたいなところに収容される航海士役がアジア系なのも、欧米映画にありがちな役回りで、こういうお約束だけは守るのね、とちょっと残念。


■ だれを応援すればヨカですか?

日本で生まれ育った人々の多くは、例えるならマラソン選手カネダ船長(真田広之)の応援にやる気満々でやってきて、よ~いドン! で走りはじめたと思ったら、すぐにゴールテープが見えた!

アレレ? と思っている間にカネダ船長はゴ~ぉ~ル! なんや100メートル走やったんかぃ! そうならそうとはじめに言っといてんかぁ。

なぬ? マラソン競技はこれからだって? ほな気を取り直してカネダ船長の応援をしようかのぉ。え? カネダ船長はさっきの100メートル走で足を痛めてマラソンは棄権やて? なんやねん!(>_<)

そうなると……マラソンはだれを応援すればヨカですか……?

せめて、地球の状況を知らしめるシーンがあって、そこで乗組員のだれかの事情が少しでも描かれていれば、そのだれかをカネダ船長の代わりに応援できそうなものなのにのぉ。


■ タイヨウの魅力

テレビ東京だったと思う。深夜にマニアの方々を呼んでお話を聞くという番組がある。

ダムマニアやマンホールマニアをはじめ、様々なマニアな方々が登場する。新たな発見を提供してくれるので何気に見てしまう。

たとえばダムマニア。

ダムは見たことあるし、いろいろな形があることも知っている。ダムの建設の是非は脇に置いても、建造物としての魅力はわからないでもない。

でも、ダムマニアでははない人が、ダムマニアの方々が集まるダム座談会に参加したらどうだろう。知的好奇心が刺激されるだろうけれど、ダム話の広さと深さにどっぷり浸かって皆とその魅力を堪能することはむずかしいだろう。

太陽については、比較的多くの人が魅力を感じているだろう。しかし、毎日太陽を見ていればほかは何もなくても満足だという人はどのくらいいるだろうか。

朝日も夕日も好き。陽のあたらない場所よりも、陽のあたる場所が好き。というぐらいの魅せられ度合いでは、ちょっとついていけない。それが「サンシャイン 2057」だ。

「サンシャイン 2057」には、太陽に魅せられた人々が登場する。その魅せられ度合いを理解できる人にはおススメだ。

だから、宇宙船が出てくればOKという人でも、ちょっと方向性に違和感をおぼえるかもしれない。


■ その他

ダニー・ボイル監督は当たり外れがあるとの噂もある。「28日後... 」はなかなか良かったのだが……。

上映時間108分とけっして長いほうではないのだが、作品鑑賞中に、まだ終わらないのかな、と思ってしまった。

本編よりも、予告編のほうがいい出来だ。

宇宙船は密室だ。圧力釜効果が期待できる。

しかし、強みである圧力釜効果をほとんど活かしていない。

ならば、思いきって宇宙を題材に笑って楽しみたい。そんなアナタに超おススメなのはこちら。

▼「ギャラクシー・クエスト(Galaxy Quest)」作品レビュー

▼「ザスーラ(ZATHURA)」作品レビュー


デート     × 映画館を出たあとイマイチ盛り上がりにくい。
フラっと    × 普通ならフラッと万馬券当たるワケない……か。
ファミリー   × パパぁ、金色のお化けみたいなのはなぁに?
脚本勉強   × レビュー参照のこと
演出      × レビュー参照のこと
笑い      - 
役者      △ 飲み会。真田広之殿は一次会で帰宅しました。
宇宙      ○ 宇宙が舞台ならそれでOKなら。
太陽      ○ 
       

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04/12/2007

映画「ブラッド・ダイヤモンド(BLOOD DIAMOND)」

監督:エドワード・ズウィック
アメリカ/2006年/143分

知恵者ソロモン王。元漁師の弟子たち。憎まれ収税人マタイ。求道者と帰るべき場所。イエスとその弟子で読み解く「人間をとる漁師」の意味とは?「金とタブー」に斬り込んだきわめて稀なアメリカ映画。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
1999年。アフリカのシエラレオネは内戦が続いていた。
村が反政府軍RUFに襲撃され、家族と引き離されたメンデ族の漁師ソロモンは、ダイヤモンド採掘場で働かされているときに大粒のピンク・ダイヤモンドをみつけて地中に隠す。
それを聞きつけたダイヤの密売人アーチャーは、ソロモンに近づいてダイヤモンドを手に入れようとする。ソロモンからダイヤモンドの隠し場所を聞き出すため、アーチャーはジャーナリストのマディーの助けを必要とする。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ダニー・アーチャー
ダイヤ密売人

▽マディー・ボウエン
ジャーナリスト

△ソロモン・バンディー
漁師


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
知恵者ソロモン王。元漁師の弟子たち。憎まれ収税人マタイ。求道者と帰るべき場所。イエスとその弟子で読み解く「人間をとる漁師」の意味とは?「金とタブー」に斬り込んだきわめて稀なアメリカ映画。

■ ダイヤモンドは永遠の……紛争の種!?

宝石業界はエンタテイメント業界にとってかなりのスポンサーだという。スポンサーのご機嫌をそこなう内容の作品など、ふつうだったらだれも作りたがらない。

たいていのハリウッド映画でダイヤモンドが登場するとき、その役割は「マグフィン(Maguffin)」に限定する。マグフィンとは、悪者が欲しがっていてヒーローが持っているものを指す。

マグフィンはあくまで登場キャラクターたちが行動を起こす動機の役割というわけだ。

しかしながら「ブラッド・ダイヤモンド」では、マグフィンであることのほかにも意味がある。それは宝石業界の内幕(黒幕)に斬り込んでいるということだ。

ニコラス・ケイジ主演の映画に「ロード・オブ・ウォー(LORD OF WAR)―史上最強の武器商人と呼ばれた男―」という作品がある。これは武器ビジネスで、まさにアメリカ合衆国ならではの題材である。しかしその内容から、アメリカ国内での製作資金調達は困難だったという。なぜならアメリカ合衆国は世界最大級の武器ビジネスの当事国であるからだという。

早い話が武器ビジネスの話も宝石業界の話も、アメリカではタブーなのだ。タブーというのは、言い換えれば最も顕著にその姿の本質を表す可能性が高い題材だということだ。

題材としてはおいしい。けれどリスクはとりたくない。だから、ふつうならお気楽極楽恋愛物語(例「ホリディ」を作って無難に儲けようと考えるもの。ところが「ブラッド・ダイヤモンド」はオブラートに包んでいるとはいえ、宝石業界を題材にとりあげている。

これがどのくらいリスクがあるのか。はたまたリスクとみせかけて、実はそのほうが「おいしい」のか。そのへんのことはよくわからない。

たしかなことは、アメリカ映画では稀な題材――宝石業界を題材としているということだ。

▼「ロード・オブ・ウォー(LORD OF WAR)」作品レビュー


■ ソロモン王の知恵「赤ん坊のほんとうの母親」

主要登場キャラクターのひとりであるソロモン・バンディーについて考えてみよう。

ソロモンといえば、古代イスラエルの王で「ソロモンの栄華」として名高い。
イスラエルの王ソロモンは、神から望むものはなにかといわれ、知恵を求めた。さて、その知恵の深さを知るのにちょうどよい話がある。

ある日、ソロモン王のもとに二人の女とひとりの赤ん坊が案内されてきた。二人の女はどちらも自分こそが赤ん坊の母親だと言って争った。

そこでソロモン王は家来に刀をもってこさせ、赤ん坊を半分に切って二人に半分づつ渡しなさい、と命じた。

するとひとりの女は、赤ん坊を殺さないでその女にあげてください、と言った。

ソロモン王はそれを聞いて「切るな」と命じ、赤ん坊を生かしてくれと頼んだ女が本当の母親であることがわかったのでその女に返すように、と言った。

ソロモン王の知恵の噂は広まり、シバ(イエメン)の女王も訪ねてきてソロモン王の知恵の深さを褒めたたえたという。

「ブラッド・ダイヤモンド」のソロモンは、古代イスラエルの王ソロモンをイメージさせる名前であることから、物語構築上のキャラクターの役割では善人である。


■ いなくなった羊・なくした銀貨

聖書には「いなくなった羊」のたとえ話がある。
百匹の羊の飼い主がある夜、羊が一匹いなくなっているのに気づいた。険しい岩のひつつひとつをランプを照らして探し、迷った羊をみつけると肩にのせ、家に帰って村人と一緒に喜んでもらった。

ほかに「なくした銀貨」のたとえ話がある。
十枚の銀貨を持っている主婦が、ある日一枚なくしたことに気づいた。家の中の隅々までランプを照らして注意深く探し、なくした銀貨をみつけると友人を招いて一緒に喜んでもらった。

また本誌でも幾度となく紹介した「いなくなった息子」いわゆる「放蕩息子」のたとえ話もある。これらのたとえ話は、神は離れていった罪人を探してそれが戻ってくると、天国は喜びでいっぱいになることを教えてくれている。

ソロモン・バンディーは引き離された家族を探しだそうとする。特に、医者を目指して勉強中の息子を取り戻すべく、危険をかえりみずにどこまでも探しつづけるのである。


■ ソロモンが漁師である理由

ソロモン・バンディーは村の漁師だ。実はこの設定にも意味がある。

ある日ガラリヤ湖の岸辺を歩いていたイエスは漁師に、これからは人間をとる漁師にしてあげよう、と自分についてくるよう言った。

こうして漁師ペテロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブはイエスの弟子になった。

初期キリスト教会の重要な人物とされるイエスの12弟子。そのうちの数人は元漁師なのだ。

「いなくなった羊・なくした銀貨」そして文字どおり「いなくなった息子」を探す漁師ソロモンというキャラクター設定には、このようにキリスト教の背景を読み取ることができるのだ。

ちなみにイエスの12弟子のひとりマタイは収税人だった。ヘロデ王のために税金を集めていたので、ユダヤ人からは特に憎まれていた。

収税人はただでさえ皆から嫌われるのに、ユダヤ人からは特に憎まれているマタイ。彼は「ブラッド・ダイヤモンド」でいうと、ダイヤの密売人アーチャーだ。

収税人と漁師。ともにイエスの12弟子となった。

ダイヤの密売人と漁師。目的は違えど、共にいなくなった者をみつけるために旅をする。


■ 求道者アーチャーと人間をとる漁師

そのふたりの出会いは最悪だった。ジャーナリストのマディは記事の裏付けが必要でアーチャーに近づいた。アーチャーはそれを疎ましくおもい、距離をとろうとする。

しかし、ピンク・ダイヤモンドを手にいれるためにはジャーナリストであるマディの力が必要だ。

アーチャー、ソロモン、マディは行動を共にして徐々に信頼関係を築いていく。

そもそもアーチャーの願いは自由を得ること。それをかなえてくれるのがピンク・ダイヤモンドだ。

ピンク・ダイヤモンドを手に入れて金が手に入ったらどうするのか? 家族を持つのか? というソロモンの問いにアーチャーは、たぶんそれはない、といった意味の返事をする。

それをきいたソロモンは、理解できない、と言う。

アーチャーは自由を欲している。まずは自由を得て、その先はどうするのかわからない。たとえ話でいえば、迷える子羊だ。行くべき道を探している。求道者だ。(archer:(弓の)射手。弓術家の「弓道」とかけているわけでない)。言い換えれば、帰るべき場所を求めている。

求道者アーチャーはソロモンとマディと出会い、共に行動するうちに信頼関係を築くようになる。特にマディと心を通わせたことで、アフリカを出たあとに行くべき場所・帰るべき場所をみつけることができるようになる。

漁師ペテロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブたちは、イエスと出会い、いくべき場所・帰るべき場所を得た。そして、自分たちの他にも帰るべき道をさがしている者を探し出す方法を教えようと言われてイエスの弟子になった。

だから、人間をとる漁師にしてあげようとイエスは言われたのだ。


■ その他

武器、宝石、石油、ガス……。大金が生まれるところには紛争がおきる。古今東西どこでも例はある。

「ガリヴァー旅行記」でも馬の国では人間はおろかな生き物とされており、その理由のひとつが、泥だらけになって光る石をあさり、石がみつかるとお互いに殴り合って争いつづけるからだというのがある(記憶があいまいなため正確ではないかもしれない)。

物語構築上も「金」は強力な動機だ。なぜなら、日常のだれもが多かれ少なかれ「金」に関わっているからだ。

そもそも人間の欲求の数は大別すると、たいした数にはならない。

そのなかには「金」以外であるかのように装って欲望を扱ったほうが「金」になりやすい欲求がある。それが「恋愛」だ。

実際には「恋」にも「愛」にも「金」は関係するが、エンタテイメント作品をつくる上では「金」というキーワードを見えないようにするのもひとつの方法だ。

だから「恋愛適齢期」や「ホリディ」の登場人物たちは、売れっ子脚本家だったり、レコード会社の社長だったり、映画予告編制作会社の社長だったり、イギリスの有閑階級だったりする(中流階級も登場するが)。つまり、だれもお金には困っていない。

「金」というと下品に聞こえるかもしれないので経済と言い換えよう。

あなたが恋人に求めるものはなんだろう?
包んでくれるやさしさ、というかもしれない。しかし、乗り心地のいい高級車を持っていたほうがいいし、海外旅行にもたくさん連れて行ってほしいし、クリスマスにはブランド品のバッグもほしいし、婚約することになったらダイヤモンドの指輪がほしいと思うかもしれない。

恋人や結婚相手を選ぶ条件のひとつにはもちろん「経済力」がある。それを象徴するものが高級時計だったり高級車だったり大企業の社員だったり世田谷の一戸建てだったりする。

そういう「経済」を言いはじめたらキリがないので、登場人物たちを皆お金持ちに設定する。「経済」という要素を抜きに恋愛をはじめられる人などめったにいないのだから、これこそ「夢の恋愛物語」というわけである。だから「恋愛適齢期」や「ホリディ」はヒットする。

っていつの間にか違う作品の話になっていた。「ブラッド・ダイヤモンド」のレビューのはずだったと思ったが……。

まぁ、つまりはこういうことだ。

「金」と「タブー」。

これほど人間の欲求を表現しやすい題材はめったになく、だれもが避けてきた道を突っ走った「ブラッド・ダイヤモンド」はたいしたものである。

「ロード・オブ・ウォー(LORD OF WAR)」と併せて、きわめて稀なアメリカ映画である。

デート      ‐
フラっと     ○
脚本勉強    ○
演出       ○
笑い       -
役者       ○
おもいっきり度 ◎
貴重       ◎  

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04/04/2007

映画「ナイト ミュージアム(NIGHT AT THE MUSEUM)」

監督:ショーン・レヴィ
アメリカ/2006年/108分

歴史は夜つくられる。悪は内でつくられる。伝家の宝刀を皮肉った、家族みんなで観れる風刺的アメリカ合衆国物語。キーワードはバベルの塔とバビロン王ネブカデネザルの夢。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
息子ニッキーの期待と信頼を取り戻すために自然史博物館の夜警の仕事に就いたラリー。勤務初日の夜、博物館にひとりになったラリーは、展示物のティラノサウルス・レックスに追いかけられる。夜になると動き出すのは恐竜だけではなく、すべての展示物たちが生き返るのだった。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ラリー
自然史博物館の夜警。

△ニッキー
ラリーの息子。

△セオドア・ルーズベルト
アメリカ合衆国第26代大統領。乗馬、テニスなど、スポーツ愛好家。

△アッティラ・ザ・フン
北アジア、中央アジアの遊牧民フン族の王。

△ネアンデルタール人
原生人類ホモ・サピエンスと類人猿の中間。

△ティラノサウルス・レックス
白亜紀後期の生息した肉食恐竜。

▽サカジャウィア
女性。アメリカ先住民。アメリカ主導で最初に太平洋にたどり着いたルイス・クラーク探検隊の通訳兼ガイド。夫と、生まれたばかりの男の子と共に探検隊に同行。

△ノドジロオマキザル
中央アメリカの林に生息する猿。

△ファラオ
古代エジプトの君主。

△モアイ像
チリ領イースター島の人面型石造。

△オクタヴィウス
ローマ帝国初代皇帝。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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歴史は夜つくられる。悪は内でつくられる。伝家の宝刀を皮肉った、家族みんなで観れる風刺的アメリカ合衆国物語。キーワードはバベルの塔とバビロン王ネブカデネザルの夢。

■ 予感

理科室の人体模型と骸骨は、夜になるとランバダダンスを踊る。

そんな学校の七不思議のひとつを耳にしたことなぁい?

ナイナイ。という声もチラホラありそうだけど、動かないはずのものが動くのではないかと思ってしまうのは、人間のすばらしい能力のおかげ。

人間の能力――想像力――によって、博物館の蝋の塊をはじめすとする展示物たちが夜になると動き出すのではないかと思う。

なぜなら、たとえ成分は蝋にすぎなくても、それが人間にとって意味のある形をしていると、想像力を刺激されて物語を紡ぎだそうとするから。

でも、想像力豊かな子供や一部の大人を除き、たいていの人々は物語の予感がするだけ。

物語の先を紡ぎだすのは、映画制作者。そして……アナタなのです。


■ ラリーの決心と行動

予感ぐらいならだれでもする。
映画の内容とは関係ありませんが、例えばあの人とは恋がはじまる予感がする。と言っているだけでは、恋ははじまりません。予感がしたらそれを現実のものとするために行動しなければ!

さて、ラリーは元会社経営者。発明品をヒットさせて一儲けしようとしたけど失敗。今度こそ大当たりを! という願いを持っています。

でも職を転々とすることで、息子ニッキーの信頼を得ることが難しくなってきました。発明でヒットを飛ばす夢を完全にあきらめたわけではいけれどが、それよりも今はニッキーと会う時間を大切にしたい。そのためには引っ越さなくても済む職を得ることが必要なのです。

そこでラリーが始めた仕事が、自然史博物館の夜警です。


■ 綱渡りから、大地に足をつける歩みに

アメリカ合衆国は他の国々と比較すると歴史が浅く、1783年に独立したのでまだ200年と少しという若い国です。

アメリカ合衆国はお金持ちで、なんでもかんでも持っているように思えるけれど、欲しくてもじゅうぶんに手に入らないものがあります。

それは歴史の長さ。

とはいってもこればかりはどうしようもないですね。アメリカ合衆国は建国してまだ若いほうに属するというだけの話で、比較的新しい歴史を持っているからこそ、史跡を保存する際には有利という良い点もあるのだから、それは「いいわるい」という話でないんですね。そういえばエリス島に移民博物館があるというから、ぜひ行ってみたいですね。

それで、若い国なのでアドベンチャー作品の舞台はどうしても他国が中心となります。インディ・ジョーンズシリーズやハムナプトラシリーズやトゥーム・レイダーシリーズやパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズもそう。あとは、他国からなにかを自国へもってくるしかない。たとえばキングコングといった作品みたいに。

そんななかで特筆すべき作品が、2004年の「ナショナル・トレジャー(NATIONAL TREASURE)」です。

これは、大雑把にいえば、国内版インディがクロスワードパズルを解く宝探しゲームをするといった作品で、ニコラス・ケイジ主演で愛嬌を持たせて微妙な綱渡りをうまく最後までやり遂げた感がありますよ。

微妙な綱渡りとは、アメリカ合衆国の歴史を扱って、はたしてアドベンチャーものが成功するのか? という不安と期待が入り混じったような空気とでもいうのかな。そんな綱渡りをやってのけたという意味で特筆すべき作品といっていいよ。

▼「ナショナル・トレジャー(NATIONAL TREASURE)」作品レビュー

もっと地に足をつけて「歴史」を取り扱えないかなぁ。それも、アメリカ南北戦争やベトナム戦争をはじめとする社会派映画ではなく、家族で楽しめるエンタテインメント作品として歴史を題材にできないかなぁ。

そこで登場したのが「ナイト ミュージアム」です。


■ もっともアメリカ合衆国らしい博物館

「ナイト ミュージアム」に登場するアメリカ自然史博物館は、アメリカ合衆国だけを扱った展示内容ではありません。古代エジプトやローマ帝国やアジアの遊牧民をも含めた、さまざまな展示があります。

なんだぁ、アメリカ合衆国の歴史に限定していないじゃないか。やっぱり歴史が短いからね。と思うかもしれません。

でも、実はこの自然史博物館は、もっともアメリカ合衆国っぽいところなのです。


■ 偉人

さまざまな時代・民族・国・生き物を取りまとめる役割を担っているのが博物館の夜警。

セオドア・ルーズベルトは、夜警の新人であるラリーにこんな意味のことを言います。

この博物館のさまざまな生き物をとりまとめようとするのが博物館の夜警で、それはずいぶんと微妙な仕事(立場)だな(セリフは正確ではなく、大まかなものです)。

ふつーの人ならこんな夜警の仕事はすぐに辞めます。どうみてもふつーのお父ちゃんじゃないラリー(笑)でも、すぐに辞めようとします。なぜなら毎夜、展示物たちが好き勝手に動き回るのですから。

そのときまたセオドア・ルーズベルトは、この世の中には、生まれつきの偉人と、なりゆきの偉人がいる。いま君は偉人になるチャンスだ、みたいな意味のことを言うんですね。

偉人になるチャンスって、わかりやすくいえば君もヒーローになれるっていうこと。なんだか新兵募集のキャッチコピーみたいだね。

こんなセリフを、アメリカ合衆国第26代大統領セオドア・ルーズベルトに言わせるところが「味」のあるところかな。

どうやって偉人になるか。その方法は「力を誇示」することで、動きまわる展示物たちに言うことをきかせようとするのかな。セオドア・ルーズベルトが海軍力を背景に行った棍棒外交のように……?

いえいえ、ラリーは小道具(ラジコンカー、おもちゃの鍵束等)を使ったり、ローマ皇帝オクタヴィウスと西部開拓時代のカウボーイを話し合いで仲良くさせようと試みます。

力で言うことをきかせようとする(表向きは平和のため)方法から、話し合いの方法へ。このあたりも、表向きのアメリカ合衆国の歴史と重なっているんですね。内実はあまり変わりませんが。


■ まとめるにはやっぱり伝家の宝刀きゃない?

ラリーの方法はうまくいきそうで、うまくいかない。ではみんなをまとめるにはどうしよう。やっぱりアレしかないでしょ。というわけで用いるのが「共通の敵」です。

しかも、敵は「外」にいるのではなく「内」にいるのです(ネタばれになるので詳細省く)。

さらに、悪役が悪に手を染める動機(原因)が、博物館とその利用者にあるというのですから、なんとも風刺が効いています。

敵は内にあり、というか内でつくる。そうでないと、じぇんじぇんまとまりませんから~。ってまるで「Mr.インクレディブル」みたいですネ。

▼「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」作品レビュー

というわけで、自然史博物館で起こる出来事は、そっくりそのままアメリカ合衆国をあらわしているんですね。


■ バベルの末裔は……

神の意思に叛いたバベルの末裔は、再びひとつになることはできないのでしょうか。

いきなり映画「バベル」の話かと思われるかもしれませんが、これも「ナイト ミュージアム」に関連する話なんです。

ラリーが勤める自然史博物館の展示物たちは、それぞれ勝手に動き回って争っています。博物館はハチャメチャ状態です。それをひとつにまとめようと必死に、そしてコミカルに動き回るのがラリーです。

バベルの塔の話、またバビロンの王ネブカデネザルの夢の話によれば、人類が再びひとつにまとまることはないでしょう。


■ ネブカデネザル王の夢

バビロンのネブカデネザル王はあるとき、光り輝く巨人像の夢を見ました。
その像の頭は純金で、胸と両腕はで、腹とももは青銅。すねは。足の一部は鉄、一部は粘土です。そしてひとつの石が落ちてきて像の足に当たり、足が粉々に割れてしまいます。像はすべてこわれて塵となり、風に吹かれて跡形もなくなりました。落ちてきた石は大きくなって世界中にひろがりました。

巨人像の、金の頭はバビロンを、銀の胸と青銅の腹はメド・ペルシャとギリシャ、鉄と粘土の足はローマ帝国をあらわします。

鉄と粘土は混ざりません。つまり、強大なローマ帝国でさえも、全世界を統一することはできないということですね。

最後のローマ帝国の次に全世界に満ちる山(石)はメシアの王国を指します。イエス・キリストが登場したのはローマ時代ですね。

ローマ帝国さえ統一できなかった世界を、他のどのような国がひとつにできるのでしょうか。まして人間が作った国のうち、ローマ帝国以後の国はひとつでもネブカドネザル王の夢の巨人像にさえ登場していません。


■ 伝家の宝刀と風刺

「ナイト ミュージアム」では、伝家の宝刀「作られる悪」によって博物館がひとつにまとまり、ハッピーエンドを迎えます。

それはエンタテイメント作品であり、製作国の理念を代弁する役割もいくらか持っているからでしょう。

とはいえ、そんなお約束の展開を笑いで包み込んでエンタテイメント作品にするところが、なんとも「風刺ちっく」で洒落ているという人もいるでしょうね。

セオドア・ルーズベルトは、大統領就任式で聖書を用いずに宣誓した唯一の大統領だとか。そんな彼(といっても蝋人形ですが)が重要なキャラクターとして登場する本作は、キリスト教の文化背景が強いとされるアメリカ合衆国の近代から現代の歩みが、バベルの塔やネブカデネザル王の夢の話とは相反するかのようであると皮肉っているのかもしれませんね。

皮肉といえば先輩が新人ラリーに、夜警の仕事をうまくこなしたかったら歴史を勉強しろ、みたいなことを言ってたけど、ラリー=アメリカ合衆国ってとらえると、なかなかの皮肉ってかんじですよね。

ちなみに、ネブカドネザル王の夢の話は、旧約聖書のダニエル書2章にあります。


■ その他

歴史は夜つくられる。という格言(?)にピッタリな作品です。

そして、アメリカ合衆国の姿をコメディで学ぶよい機会ですから、子供がいる家族全員で観にいってもいいですね。

ゾンビで学びたい人はこちら。
「【深夜の課外授業】ゾンビでわかるアメリカ合衆国」

デート      ○
ファミリー    ◎
フラっと     ○
脚本勉強   ○
演出      ○
キャラクター  ○
笑い       ◎
マーケティング ○
教育       ◎

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03/30/2007

映画「ホリディ(the Holiday)」

監督:ナンシー・マイヤーズ
アメリカ/2006年/135分

ナンシー・マイヤーズ号の行き先は「乙女版ネバーランド」。女性の女性による女性のための作品。列車の事情は考慮せずにどんどん乗り換えちゃえばいいんじゃなぁ~い、みたいな。モテたい諸君は必見だョん。

ストーリー(概要)
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米国の都会で働くアマンダと、英国ののどかな田舎町にアイリスは共にクリスマス休暇前に恋の別れを告げる。気分転換にと、ふたりはホーム・エクスチェンジをする。


主な登場人物の紹介
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▽アマンダ
 映画予告編製作会社社長。

▽アイリス
 新聞社の編集者。

△グラハム
 アイリスの兄。書籍編集者。

△マイルズ
 作曲家。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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ナンシー・マイヤーズ号の行き先は「乙女版ネバーランド」。女性の女性による女性のための作品。列車の事情は考慮せずにどんどん乗り換えちゃえばいいんじゃなぁ~い、みたいな。モテたい諸君は必見だョん。

■ この列車(作品)は女性用です

この列車ナンシー・マイヤーズ号の行き先は「幸せの国」です。この列車にお乗りいただけるお客様は、以前に「恋愛適齢期」号もしくは「ハート・オブ・ウーマン」号にご乗車されてご満足いただけた方のみ、となっております。

もちろん男性がこの列車(作品)にお乗りいただいてもかまいませんが、女性用ということをじゅうぶんにご理解いただき、ご了承のうえご利用くださいますようお願い申し上げます。

松浦亜弥のものまねで有名な、まえけん(前田健)さんも、振付師KABAちゃんもどうぞお乗りくださいませ。

申し遅れました。わたくし、ナンシー・マイヤーズ号の車掌をつとめさせていただきます、なんちゃってケイト・ウィンスレットと申します。

え? 君は列車を間違えているんじゃないかですって? 2004年アメリカ・イギリス製作の映画「ネバーランド(Finding Neverland)」号の車掌じゃないかですって?

ええ、そうだったかも。今度は乙女版ネバーランドへ行く列車の車掌もすることになったんです。

どんだけネバーランド好きやねん! ですって?

おホホ。あたたかいご声援をありがとうございますぅ~。もう冷たい海水に浸かるのはごめんですから~(←タイタニック?)

さぁ、列車が出発いたしまぁす。


■ 女性の女性による女性のための

女性監督ナンシー・マイヤーズは脚本も書いています。

代表作品「恋愛適齢期」「ハート・オブ・ウーマン」でおわかりのように、女性の女性による女性のための作品を作る映画作家、それがナンシー・マイヤーズです。

もしあなたが女性、もしくは女性(乙女)の心がわかるとおっしゃるなら、作品中に繰り広げられる、いっけんすると無駄と思えるようなセリフの数々にもおおいに頷けることでしょう。


■ 女の子はいそがしいんですぅ

どこかの人気女優さんがこのようなセリフをいうTVCMを観たことありませんか?

ほんと、女の子はいそがしいですよね。(←おまえ、だれやねん笑)

失恋したら、ブリちゃんみたいに坊主にしたり、友人宅におしかけて朝までぬいぐるみコスプレ自棄酒パーティしたり、インドへサイババに会いに行ったり、実家に帰って地元の友達と夜の県道を突っ走る車にハコ乗りしたり、ペットにイグアナを飼いはじめたりしなきゃ、なんですからいそがしいですよね☆

時はちょうどホリディシーズンだったから旅に出れてよかったものの、もしも通常の時期だったら、いきなり休暇を取られて、同僚たちは迷惑したかもしれませんネ。

アマンダもアイリスも、恋に別れを告げた(告げられた)からといって二十歳ぐらいの女学生みたいに実家に帰るってわけにもいかないんです。

仕事のキャリアもそこそこあって、社会的にもそこそこの地位がある女性が実家に帰ったら、まだ独りらしいわよ、な~んて話題をご近所さんに提供するだけ。

そのあたりを今回はサッとスルーさせるために、アマンダの両親は亡くなったことになっています。

なにはともあれ、実家に帰ったのではホームドラマ色が強くなる。それは避けたい。そこで登場するのがホーム・エクスチェンジ。

これは、条件が合う者同士が一定期間、家も車も交換するというもの。

ふたりそれぞれの様子を交互に描けば、観客に飽きられにくいとの計算があるのでしょう。そのかわり、上映時間は長くなります。


■ 出かけるときはご確認を

ご乗車ありがとうございます。次の駅は~。

え? 皆様は次の駅でお乗換えになる?

そんなこといわずに終着駅までわたしにご案内させてください。なにかお気に召さないところがございましたでしょうか?

列車の運行が遅れたから? 軽食や飲み物をワゴンに載せて運んでくる乗務員の一部がイケメンじゃないから? イケメン乗務員がほかの女性客に笑顔をふりまいたておもしろくないから?

ご迷惑と失礼があったようで、たいへん申し訳ございません。以後気をつけますので、どうか終着駅までこの列車をご利用ください。

だれがなんといおうと絶対に乗り換える? もうこんな列車には乗っていられない?

皆さん「幸せの国」へはこの列車が一番早く、確実に着きますよ。

え? 皆さんの行き先はそんなところじゃないですって?

目的地は「乙女版ネバーランド」?

では皆様、次の駅で列車をお乗換えください

そうそう、ご乗車の前にはよく行き先をご確認くださいネ。


■ 列車の事情は?

みんな初めは「幸せの国」へいこうとしていたんです。でも、自分が思い描くような旅にはならないかもしれない。そんなとき、別に乗務員が自分好みのイケメンじゃなくたっていい。自分好みのイケメンが自分以外の客に笑顔をふりまいたってどうってことないと思えたなら、終着駅「幸せの国」まで列車に乗り続けることができたかもしれません。

でもアマンダもアイリスも、乗っていた列車を降り、次の列車に乗り換えます。このとき、本人たちは気づいているかどうかわかりませんが、行き先が変更してしまっているんですね。「乙女版ネバーランド」にね。

普通の作品ですと「列車の事情」が考慮されます。
変電所の落雷があって安全確認のた運行時間に少々の遅れが出たとか、乗務員採用基準にジャニーズ系しかダメよという規定はないとか、すべてのお客様に心のこもった笑顔でおもてなしするよう教育していますとか、そういったフォローがあるわけです。

列車の事情もわかる。乗客の事情もわかる。両方の気持ちがわかるから、観客はいたたまれない気持ちになって、みんなを応援したくなる。みんなとは、言い換えれば「作品」です。その作品を応援したくなるぐらいに好きになるんですね。

ところが「ホリディ」では、列車(=アマンダの元カレ。アイリスの元カレ)の事情は描かれません。アマンダとアイリスは、ぱーぺき(完璧)に恋の被害者というわけ。そうとしか受け取りようのない作り方を、あえてしているんでしょうね。

なぜなら、そのほうがウケがいいから。

男にしてみたら、ちょっとした(?)ホラーかもネ。

グラハムにしてもマイルズにしても、そんな都合のいい男は乙女版ネバーランドにしか存在しませんから~。


■ その他

モテる男。それは容姿に恵まれているからだけではない。ときには、なんであんなブ男がモテモテやねん。と思うこともあるかもしれない。

モテる男はたいてい勉強・研究している。女性が何を求めているか、を――。

だから、女性雑誌をめくり、少女漫画を読み、ときにはナンシー・マイヤーズ号にも乗る。

キャバクラのおねえちゃんだって、NO.1は毎月コロコロ変わっても、NO.2やNO.3はいつも同じ娘だったりする。容姿については、化粧やダイエットではどうにもNO.1の娘には敵わない部分がある。けれど、男を気分よくさせる術は勉強・研究・実践することができるし、それでNO.2やNO.3の座は守りとおせるのだ。

デートで「ホリディ」を観に行って、「ほんとうにいい作品だったね」などと言う彼氏だったら、ちょっと気をつけたほうがいいだろう(笑)

わたしも「いい作品だと思う」ゾ。

その意味は、男としては「ど~でもいい作品」(笑)。マーケティングやヒットやモテたいという点からは「いつもながらうまいことつくってまんなぁ~。勉強になります! っていう作品」(苦笑)。

キャメロン・ディアス 、ケイト・ウィンスレット 、ジュード・ロウ 、ジャック・ブラックのどなたかのファンなら楽しめるだろう。
(キャメロン・ディアスの「どアップ」を見ると、さすがに老けてきたかなぁと思ってしまったりもする)

作品のタイプは異なるが、なんだか似ているなぁと思い出した作品はこちら。

関連作品
▼「恋愛適齢期(SOMETHING'S GOTTA GIVE)」レビュー


■ ひとこと

「ホリディ」のレビューを書き上げてからネットでいろんなブログの感想をサッと見てまわったら、みんなけっこうベタ褒めしてますね。

「ホリディ」のいいところは、とうてい現実にはありそうもない展開とエンディング。観客(特に女性)の願望を叶えることに集中しているいるところですね。ありえない「おとぎ話」楽しむのが映画とするなら、これこそまさにうってつけの作品です。

極端な例だが、井筒監督が「ブラックホークダウン」を観て怒っていた理由のひとつは、米軍の敵やそこに住む住人たちがほとんど描かれていなかったから。つまり、アメリカ映画だから米軍の視点が多いのはいたしかたないが、その比率があまりに偏りすぎているということ。

「K-19」がすばらしいのは、アメリカ/イギリス/ドイツ映画でありながら旧ソ連の物語を、よこしまな狙いなく、人間をしっかり描いているから。(「米・ソ連」の比率うんぬんを通り越して「人間」を描いているということ)。

▼「K-19:THE WIDOWMAKER」作品レビュー

「ホリディ」の比率はどうか。ここでいう比率とは、男女の視点の比率だ。あえてどちらかに大きく偏らせている。そのほうがヒットしやすいからだ。

なにはともあれ「ホリディ」を観にいこうかどうしようかと思っているアナタ。

素直な気持ちで観にいけば、きっと満足しますよ☆


デート     ○ 彼女に合わせるなら
フラっと    ×  
脚本勉強   △
演出      △
キャラクター  × 男性キャラが薄っぺら
笑い      × 
役者      ○ 主要キャストのファンなら
マーケティング◎ 

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03/22/2007

映画「デジャヴ」

監督:トニー・スコット
アメリカ/2006年/127分

4日前へGO!! ●●●マシンは命がけ。パラレルワールドを交差させたカーチェイスシーンをテンポよく魅せる、グツグツ煮た料理みたいな作品。【注】このレビューを読むと勘のいい人はネタバレになる可能性アリ。作家・乙一の作品に似たアイデアがある。比べると、見えないものを何に設定するかで小説と映画という手法の違いが明らかになる。

ストーリー(概要)
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543名の犠牲者を出したフェリー爆破事件の特別捜査官ダグは、ひとりの女性の死体と遭遇する。フェリー爆破事件の手がかりだと直感したダグだったが、はじめて見たこの女性・クレアに見覚えがあるような気がしてならなかった。
クレアの周囲を捜査しているちに、事件の直前に彼女と接触している可能性がある人物が複数浮かんできた。そのうちのひとりは意外なことに自分(ダグ)だった……。


主な登場人物の紹介
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△ダグ・カーリン
ATF(アルコール・タバコ・火器取締局)捜査官。
フェリー爆破事件の特別捜査官。

▽クレア・クチヴァー
女性。フェリー爆破事件にまぎれるようにして発見された死体。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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4日前へGO!! ●●●マシンは命がけ。パラレルワールドを交差させたカーチェイスシーンをテンポよく魅せる、グツグツ煮た料理みたいな作品。【注】このレビューを読むと勘のいい人はネタバレになる可能性アリ。作家・乙一の作品に似たアイデアがある。比べると、見えないものを何に設定するかで小説と映画という手法の違いが明らかになる。

■ 即買い脚本

デジャヴ。
それが人に対するものであった場合、前世で恋人だったとか、仇同士だったとか。とにかくなにかの関係があったのではないかと思う。

そんなだれもが一度は経験したことがある感覚(デジャヴ)をきっかけに物語を作りあげていく作業は、とても興奮するものであると同時に、リスクもある。どんなリスクか。それは、どこかで見聞きしたことがあるような、使い古されたものになってしまうかもれないリスクだ。

事件。捜査。美女との出会い。カーチェイス。犯人との戦い。

これらはの要素はどこにでも転がっている。

プロデューサーのジェリー・ブラッカイマーのオフィスにたどり着いた脚本は、おそらく幾人ものエージェントの目を通して厳選されたものにちがいない。そんな脚本であっても、実際に採用されるのはごく一部、年に数本あるかないかだろう。まして買い付けを即断したことはほとんどないという。

しかし「デジャヴ」の脚本を受け取って48時間後にはもう買っていたそうだ。

その脚本が誕生したきっかけは、インターネットのチャットルームでのやりとりだ。脚本家がインターネットのチャットルームで、脚本化志望者とやりとりしたことがきっかけで本作のアイデアを交換して脚本を作っていったというのだ。

では「デジャヴ」のどこが魅力的なのかを私なりにお話しよう。


■ パラレルワールドのカーチェイス

カーチェイスといえばハリウッド映画の十八番だ。とうにやりつくしたようにも思えるカーチェイスシーン。そこで海外、主にヨーロッパの歴史情緒あふれる街中を小型車で走り回るという新しさを取り入れたのが「ボーン・アイデンティティ」シリーズだ。

また最近では、タイヤの軌跡が炎となってアスファルトに一本の線を残しながら街を疾走するモーターサイクル(バイク)に乗った、燃える骸骨男が悪を成敗する作品が話題だ。

では「デジャヴ」ではカーチェイスシーンをどうするのかと思ったら、なんとパラレルワールドとリンクさせるというとんでもない仕掛けを使っている。

ダグは車で犯人を追う。でも、犯人の車は存在しない。いや、存在する。ではどこに? 

実は、いわゆるパラレルワールドに存在するのだ。約4日前の同じ場所に、たしかに犯人の車が存在した。

ダグはその車を追うのだ。

なんだかよくわからない話に聞こえるかもしれない。早い話が約4日前を見ることができる装置を使って、過去の犯人の足跡をたどり、現在の潜伏先を突き止めようというわけだ。

約4日前をみることができる装置。なんと便利なんだ! と思ったが、これにはいくつか制約がある。決まった範囲しか見れなかったり、巻き戻しはできなかったり。

そんなわけで、犯人の車を追うには、カバーエリアを越えた場合には、装置の一部を乗せた車で追ってデータをメインマシンに送りつづけなければならない。

そこで犯人を追う車に乗るダグは、ヘルメット型の特殊な機械を装着する。すると目の前の小型モニタには4日前の映像が映るのだ。

4日前の雨の夜。道は暗く、見通しも悪い。

しかし、実際にダグが車を走らせているのは朝の交通ラッシュ時の道路だ。

運転しながら4日前の車を追うダグは、4日前の映像だけを見ていては運転できない。そこで、目の前の小型モニタの片方を壊して、片方の眼で現在を見て運転するのだ。

目的は4日前を走る犯人の車。だから、現在の朝の交通ラッシュでゆっくり安全運転なぞできようもない。しかも道路を逆走するので、当然のようにクラッシュの連続だ。

でもダグの乗った車は軍用車かなにかで、たいへん丈夫で、乗用車と衝突したぐらいではまだまだ走りつづけることができる。

タイム・ウィンドウ研究所の巨大モニターで映像を見ながらダグをバックアップするメンバーと無線のやりとりをしながら犯人の車を追うダグ。

こんなカーチェイスシーンをよくもまぁ思いついたものである。

しかし、日本にもこれと似たようなアイデアを持ち、それを作品にした者がいる。


■ 見えないものを表面的なものに設定すると「デジャヴ」になる。

突然の事故で記憶と左眼を失った女学生が、臓器移植手術で死者の眼球提供を受けた。しばらくして女学生は、その左眼が過去に見てきた映像の数々を断続的に見るようになる。

女学生は左眼の映像の場所を訪れる。すると、左眼が過去の映像の再生をはじめる。同じ場所だが、右眼は現在を映しだし、左眼は過去の映像を映し出す。

これは、乙一というホラー作家の作品「暗黒童話」の話である。

乙一さんは今最も才能溢れ、期待されている作家のひとりであり、映画「暗いところで待ち合わせ」の原作者でもある。

映画「暗いところで待ち合わせ」作品レビュー

乙一さんの作品は多種多様なのだが、共通していることは、情景描写が巧みということ。小説を読んでいてその物語世界を見ているかのような感覚になったり、主人公が見る左眼の映像が実際に眼に浮かんでくるかのように感じたりもする。

あらゆる物語はそうだが、特にホラーでは、普段見えないものが浮かび上がってくるところに恐怖が生まれる効果を上手に使っている。

普段は見ない人の心の闇。そこをえぐりだす作業を通して、一筋の光を射し込むこともできる(例「暗いところで待ち合わせ」)。

見ないものを見えるようにするには、小説とう手法でじっくりと描きだすのが向いているのを乙一さんの小説は教えてくる。

では映像ではどうだろう。

見えないものを心の内面・闇に設定するよりも、表面的なもの、たとえば未解決の事件を設定したほうが効果的だ。

「デジャヴ」では犯人の動機や心の闇はそんなに重要ではない。事件を解決するために、フェリーの爆破を阻止するために、明らかになっていない犯人像とその潜伏場所を特定するために映像をいかに魅力的かつ迫力のあるものとして使うかが重要だ。

その答えが、過去と現在を同時に映しながら、過去の犯人の車を、現在の車で追うダグのカーチェイスシーンなのである。


■ 4日前へGO!! ●●●マシンは命がけ

どこかで聞いたようなタイトルだ(笑)

「デジャヴ」をひとことであらわすとこんな感じだが、だれでも経験があるデジャヴで惹きつけ、テンポよいアクションシーンでグイグイ魅せるハリウッドらしい派手さが見どころである。

映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」作品レビュー


■ その他

おもしろいアイデアはないか。そのアイデアが一番「おいしく」活きるストーリーはなにか。ストーリーに興味を持ってもらえる魅力的な要素はなにか。

そんなことを寝ても覚めても考えて、数人でアイデアを交換し、脚本を作り上げていく。

たとえるならば、よい食材をみつけて、食材に合った料理を選び、最適な調理法で、何時間もグツグツ煮て作る。とても手間のかかった料理かのようだ。

アイデアを、テンポと映像でガツンと料理した作品なので、じっくりと人間の内面を描くヒューマンドラマは期待しないように。

頭の柔軟体操のつもりで観ると、素直に楽しめるだろう。

デート   ○ 程よいデートムービー
フラっと  ◎ 意外にいいやん!
脚本勉強 ○
演出    ○
キャラクター○
笑い    -
役者    ○ クレア役に大抜擢されたポーラ・パットンがいいかんじ
発想    ◎ 

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03/21/2007

映画「ラストキング・オブ・スコットランド」

監督:ケヴィン・マクドナルド
アメリカ・イギリス/2006年/125分

空のキャラクターと実在の人物をからめた、実在の人物像に迫る作品。アミン大統領役のフォレスト・ウィッテカーは本作で第79回アカデミー主演男優賞を受賞した。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
スコットランドの医学校を卒業した青年・ニコラスは、ウガンダの村の診療所で働きはじめる。時は1971年。ちょうどクーデターでオボテ政権が倒れ、アミン新大統領が誕生したばかりであった。
村へ演説にやってきたアミン大統領の怪我の手当てをしことで主治医に任命されたニコラスは、相談役・側近としてウガンダの中枢と深く関わるようになる。
反抗勢力の粛清をすすめるアミン大統領の裏の顔を知り、危険を感じて逃れようとするニコラスだったが、国外脱出が困難となる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△イディ・アミン
ウガンダ大統領。ボクサーから軍人、そして大統領になった。

△ニコラス・ギャリガン
スコットランド人の青年医師。大統領の主治医。側近。

▽ケイ・アミン
大統領夫人

△ストーン
英国高等弁務官

▽サラ・メリット
医師の妻。夫は村の診療所で働く。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
架空のキャラクターと実在の人物をからめた、実在の人物像に迫る作品。アミン大統領役のフォレスト・ウィッテカーは本作で第79回アカデミー主演男優賞を受賞した。

■ 架空のキャラクターと実在の人物

青年医師・ニコラスは、アミン大統領と交流のあった数人の欧米人をモデルにして作ったキャラクターだ。つまり、ニコラスは実在しない。

一方、アミン大統領は実在の人物だ。また、作品のラストで起きるエア・フランス機のハイジャック事件も実際の出来事である。


■ 事実は小説よりも……。

事実は小説よりも奇なり、という言い方をする人がいる。だが、ある人はこう言う。

「事実は小説よりも、つまらない」

事柄AについてA氏は「奇」だと感じたとしても、B氏も「奇」だと感じるとはかぎらない。

「奇」かどうかは、環境や心情や信念や哲学や宗教によってさまざまだからだ。

ある事柄を「奇」と感じるかどうかは「事柄との距離」に関係する。

人は自分に身近な事柄ほど大きく受け止め、たとえ他人からみえれば小さな変化でも、本人にとっては大きな変化と感じる。さらに、その変化が大きいと感じてこれを「奇」と表現することもあるだろう。

というわけで、A氏にとってどんなに「奇」または「大きな事柄」であっても、そのままでは他人に注目されにくい。

「ある人にとっての事実は小説よりもつまらない」と言う人がいるのはなぜか。それは、しょせん他人ごとだからだ。


■ あなたも持っている「能力」

どんな出来事もしょせん他人事。

しかし、私たちは他人の境遇や、他人の身に起こった出来事を見聞きして、当事者たちの心情を想像し、時には一緒に喜び、時には一緒に涙することもある。

人には能力がある。他人の気持ちを推し量り、感情移入する能力だ(以下「能力A」)。

能力Aは敏感すぎても、鈍感すぎても日常生活に支障をきたすことがある。

だから多くの人々は、能力Aをもっていても、自分を守るために敏感すぎず、鈍感すぎずの絶妙なバランスを保って生活している。

それをよく知っている小説家や映画作家は、人が持つ「能力A」をほんのちょっとだけ、己が意図する方向へ、感情という「波」を起こすべく働きかけるのだ。

感情が揺すぶられた、感動した、という作品の優れた点とはつまり、能力Aをいかに無理なくスムーズに必要なだけ発揮させるかということだ。


■ からめる手法

「ラストキング・オブ・スコットランド」は、実在の大統領の人物像をどのように描くかにかかっている。

言い換えれば、いかに人々の「能力A」を発揮させるかにかかっている。

そのための仕掛けが、架空のキャラクターと実在の人物をからめて物語ることなのだ。

実際の出来事をなぞっただけでは、他人の注目を集めつづけることは難しい。そこで、実在したこと、実際に起こったことに注目してもらうためにフィクションを使ったのだ。

そのため、より幅広い多くに人に観てもらえるようドラマ性のあるサスペンス作品となっている。

物語の力はその使い方によっていかようにもなる。

「ラストキング・オブ・スコットランド」は物語の力が存分に発揮された作品だ。どのような使い方で、どのような効果をもたらすのか。その答えはあなたが作品を観てみつけてほしい。


■ その他

「ホテル・ルワンダ」という作品がある。日本でもたいそう話題になった作品だ。

「たか」が観に行った渋谷の映画館は「ここは集会室か!」というぐらいの広さの劇場で、昼に整理券を受け取って、陽が沈みかけた頃にやっと観はじめることができた。満席で前方の席にやたら座高が高い客がいて観にくかった。

それでも連日のようにわんさかとその劇場へ「ホテル・ルワンダ」を観にくる客は絶えなかったようだ。

では「ラストキング・オブ・スコットランド」はどうだろう。わざわざ渋谷の小さな映画館まで行って整理券を受け取り、上映回まで何時間も待つ必要はない。関東地方だけでも20近い映画館で上映しているからだ。

「ホテル・ルワンダ」のときのような、ネットを中心とした口コミをはじめとするムーブメントみたいなものは「ラストキング・オブ・スコットランド」ではあまりないようだ。

ネットでもなんでも使って、多くの人に観てもらいたい作品を口コミで広げるのもいい。だが「ホテル・ルワンダ」であれだけ盛り上げた、または盛り上がった人たちは、いったいどこへいってしまったのだろう。

もちろん「ホテル・ルワンダ」は多くの人に観てもらいたい作品だ。
「ホテル・ルワンダ」とは手法は違えども「ラストキング・オブ・スコットランド」も、当事者である実在の人物像に迫るという道を選んだ作品だ。

話題になっているから観るというのもひとつの「きっかけ」だが、たとえテレビCMもたいして放映していなくても、たとえネットで盛り上がっていなくても「これは!」という作品を嗅ぎ分ける「臭覚」を持てれば、宣伝や広告やブームに必要以上に振り回されることなく、いい作品に出会うことができるだろう。

ちなみに、アミン大統領役のフォレスト・ウィッテカーは本作で第79回アカデミー主演男優賞を受賞した。

▼「ホテル・ルワンダ」作品レビュー

デート   - 
フラっと  ◎
脚本勉強 ○
演出    ○
キャラクター◎
笑い    -
役者    ◎

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02/02/2007

映画「ラッキーナンバー7(Lucky Number Slevin)」

監督:ポール・マクギガン
アメリカ/2006年/111分

のほほん系シットコム風な雰囲気が持ち味の、丁寧な謎解きがあるクライムサスペンス。ルーシー・リューが人懐っこくキュートに見える異色作でもある。そもそも、ユダヤ教のラビとは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
友人を頼ってニューヨークにやってきた青年スレヴンは強盗にあい、ギャングのボスのもとに連れて行かれ、敵対するギャングのボスの息子を殺害する「仕事」を引き受けるはめになる。


主な登場人物の紹介
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△スレヴン

△グッドキャット
殺し屋

▽リンジー
女性。

△ボス
ギャングのボス

△ラビ
ギャングのボス


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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のほほん系シットコム風な雰囲気が持ち味の、丁寧な謎解きがあるクライムサスペンス。ルーシー・リューが人懐っこくキュートに見える異色作でもある。そもそも、ユダヤ教のラビとは?

■ わかりやすく丁寧な謎解き

セットアップがいったい何をなにを表しているシーンで、それがどこにどう繋がるかを、軽く頭の体操というふうにストーリーを楽しむ。そんな作品だ。

10年近く脚本をリライトして完成したらしく、作品の冒頭からどんなシーンのどんな些細な部分にもヒントがちりばめられているということで、宝探しゲームかのように注意しながら観るのが「ラッキーナンバー7」の鑑賞法だ。

とはいっても、なにがどうなっているのかを明かす、いわゆる謎解きの部分は実に丁寧である。

もちろん、こういったクライムサスペンスという類の作品を見慣れていない方にとっては丁寧とは感じにくいかもしれないが……いや、やはり丁寧である。

この手の作品のいくつかは、過去のシーンと現在のシーンとが一見すると見分けがつかないようになっていたり、突拍子もないシーン(A)からはじめ、そのあとしばらくしてから(A)につながるシーン(B)をひょいと持ってきたりといった、観る側の物語構築・整理能力を試すかにようなものも存在する。

しかし「ラッキーナンバー7」は、そこそこクライムサスペンスを観たことがある人にとっては、ずいぶんわかりやすく親切に解説してくれるなぁと感じるだろう。

そういうわけで、よく練られた脚本ではあるけれども、クライムサスペンスとして度肝を抜かれる、というような作品ではない。

ではどこが魅力か?


■ のほほん・お気楽系?

主人公の青年スレヴンは、ニューヨークにやってきてすぐに強盗にあったのをはじめ、ギャングに連れていかれて、命の危険にさらされることにさえなる。

友人ニックだって見つからないままにもかかわらず、そのニックのアパートの隣人の女性リンジーと仲良くなって、探偵ごっこをはじめるかのようにイチャイチャする様子からは、緊張感や緊迫感はあまり伝わってこない。

それがこの作品の魅力である。

スレヴンの緊迫感の無さはストーリーを読み解く鍵(キー)でもあるのだが、ギャング、殺しといった題材を扱っていながら、どこか「ほのぼの・のほほん」とした、はじめてのデートみたいな恋愛モードさえ感じることができる。


■ シットコムかのような

のほほん系の理由は、キリリとした強い女性のイメージが強いルーシー・リューが、人懐っこいキュートな女性・リンジーを演じていることにもある。

アパートでのスレヴンとリンジーのやりとりは、どこかアメリカンドラマによくあるシットコムを彷彿とさせる。
シットコムとは、コメディのジャンルのひとつで、シチュエーション・コメディ(situation comedy)のことだ。たいていは固定の登場キャラクターたちが登場して、様々なシチュエーションに遭遇しながら、そこに笑いを取り入れたる手法を用いたもの。

ほら、スタジオ撮りがほとんどで、劇中に観客の笑い声が挿入される「フルハウス」や、「たか」がDVDのプロモーションに関わった「となりのサインフェルド」などが典型的なシットコムといわれている。

そんな雰囲気を感じながら観ていると、なぜか(笑)あのルーシー・リューがすっごくキュートにみえてくる。もちろん彼女はとても魅力的な女優さんであるが、こうした、のほほん系の初々しくも愛らしいキャラクターを演じられると、そのギャップが強調されて、これがクライムサスペンスだということを忘れてしまいそうになる。
おそらく、これは狙ってそうしているであり、この「空気」こそが作品の魅力となっている。


■「よくできたクライムサスペンス」で終わらせないために

クライムサスペンス。冷酷(そうな)殺し屋グッドキャット。

クライムサスペンスにありがちなこうした登場人物と、主人公たち(スレヴンとリンジー)の雰囲気に差があればあるほど、どこか不可思議な独特な印象を観客に与えることができる。

つまり、際立たせるにはどうするか、ということだ。

数あるクライムサスペンスのなかで目立つにはどうしたらいいか。約10年近く脚本のリライトをした目的のひとつは「よくできたクライムサスペンス」で終わらせないことだったのではないかと思う。

クライムサスペンスなんだけれども、まるでシットコムかのような空気もある。でもやはりクライムサスペンスといったところで、際立たせているのだ。


■ ラビ

ラビとはユダヤ教の指導者で、旧約聖書の研究をする知識者であり、律法学者ともいわれる。

新約聖書の4福音書では、イエス・キリストを快く思わない人々として、パリサイ派や律法学者が登場する。

これらの人々はイエス・キリストを陥れようと画策したとされている。

律法を重視するあまり、その本質をみないところを指摘されることがある、聖書に登場するパリサイ派や律法学者たち。作品中のラビも研究熱心のためか、読書台(書見台)で書物を読んでいるところで、ある人物が現われるシーンもある。

このあたりのことをふまえ、なんでギャングのボスがラビなの? というあたりを考えながら意識して観ると、より一層作品を堪能できるだろう。


■ ひとこと

ギャングや殺しといった題材がどうしてもダメな人には向かないが、脚本もよく出来ているし、かといって凝りすぎずにわかりやすく丁寧だし、のほほんとした雰囲気さえもあるので、ちょっと! ちょっと! ちょっと!(ザ・たっち)変わった雰囲気のクライムサスペンスを、という方にはおすすめだ。


デート    △
フラっと   ○
脚本勉強  ◎
演出     ○  
リアル    × 
キャラクター ◎
笑い     ○
ファミリー  ×  
雰囲気   ◎


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01/26/2007

映画「リトル・ミス・サンシャイン(LITTLE MISS SUNSHINE)」

映画「リトル・ミス・サンシャイン(LITTLE MISS SUNSHINE)」
監督:ジョナサン・デイトン 、ヴァレリー・ファリス
アメリカ/2006年/100分

深い愛と笑いで織り成す、家族の再生物語。食卓が物語る家族の姿。深い愛と笑いの関係。家族みんなの願いとは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
美少女コンテストの地方大会で繰上げ優勝した少女オリーヴとその家族が決勝大会が行われる会場へ長距離ドライブに出る。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽オリーヴ
女の子。美少女コンテスト地方大会2位。繰上げで1位に。

△リチャード
オリーヴの父親。フーヴァー家の長。独自の成功論を作り上げ、本の出版に奔走する。

▽シェリル
オリーヴの母親。

△フランク
オリーヴの伯父。プルースト研究者。ゲイ。

△ドウェーン
オリーヴの兄。ニーチェに心酔して沈黙の誓いを実行中で空軍パイロット志望。

△祖父
オリーヴの祖父。薬物中毒で福祉施設を追い出される。

コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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深い愛と笑いで織り成す、家族の再生物語。食卓が物語る家族の姿。深い愛と笑いの関係。家族みんなの願いとは?

■ 何気ない食卓

ある家族の夕食。
どこにでもある、ごくありふれた日常の時間で退屈だと思うかもしれません。でも、食卓こそ最も興味深いのです。

映画やドラマや小説でよく食卓のシーンがあるのは、それが便利で重要だから。

家族が食卓につき、食事をする。一見すると動きが乏しいように思える食卓シーンは、家族構成からキャラクターの性格、位置関係、夢、希望、苦手なものまで、あらゆる要素を観客に伝えることができんです。だからよく食卓のシーンが使われます。

沈黙の誓いをたててしゃべらない息子を立派だと皮肉る父親リチャード。

またチキンか! と夕食にケチをつけ、ゲイを見下すかのようなことを言う祖父。

自分は高名なプルースト学者だが愛に破れ自殺を図ったと少女に話してきかせるフランク。

フーヴァー家の現状が一目瞭然。もうハチャメチャな食卓ですね。

そんな家族のもとに、オリーヴが美少女コンテストの地方大会で、繰上げで1位になり、本大会への出場権を獲得したとの連絡が届きます。

そこで、一家揃って車でコンテスト会場まで行くことになったのです。


■ 深い愛と笑いの関係

レストランでも車の中でも、フーヴァー一家はそれぞれに勝手なことを言います。それは会話というより、無駄話に近いでしょう。

だれかが何かを言う度に、車の中でだれかが気分を悪くしたり、だれかが絶望したり。さらに車も故障したり。
それまで糸一本でかろうじてぶら下がっていた「家族」に次々に悪い知らせが届き、ますます状況は悪い方向へ。

そんな様子を観ておもしろいの? って思うかもしれませんが、これがおもしろいんですヨ。でもそのおもしろさは、人の不幸は蜜の味とかそういうネガティブなおもしろさ(?)とは違うんです。

みんな自分勝手で、なにひとつうまくいかないけれど、それでもオリーヴを決勝大会へ出場させるという共通の目的がある。みんなオリーヴが好きで、自分では気付いていないかもれないけれど、ほんとうは家族みんなが好き。それがしっかい根底にあるから、どんな不幸と思えることが起きても、それが笑いに転化されるんですね。

深い愛と笑いの関係。これがこの作品の一番のセールスポイントです。


■ 家族みんなの願いとは

ジョン・ベネちゃん事件により、アメリカ合衆国で美少女コンテストに熱中する親子たちの様子は日本でも度々紹介されるようになりました。

美少女コンテストの本大会ともなれば、その熱の入れようはたいへんなものだと想像できます。

けれどもフーヴァー一家は、本会場へオリーヴを連れて行くことに一生懸命で、審査時の立ち振る舞いやダンスについては、他の出場者家族ほど熱心ではないようです。なぜなら、会場で披露するダンスの振り付けをみてくれているのはおじいちゃん(グランパ)だけというのですから。

ふつうなら、美少女コンテストに夢中になりすぎた家族の可笑しさというのを全面に出していきそうなところを、あえて外しています。

美少女コンテストに出場するのだけれど、家族はバラバラで一家がひとつになって美少女コンテストで優勝を目指すというのではなく、目的はオリーヴの願いを叶えるため。

なんといってもオリーヴが美少女コンテストの本大会に出場することをたいへん喜んでいるからです。だから本大会に出場させたい。けっして美少女コンテストで優勝することが家族みんなの目的ではないんですね。

オリーヴの気持ちや願いを叶えることが第一なのです。オリーヴの願いを叶えることが唯一、家族みんなの願いでもあるのです。

だから、美少女コンテストへの長い道のりで数々の不幸とおもえることが起こっても、それが笑いになるんです。心が暖まるエピソードになるのです。

日本にかつてあったといわれるお受験(いまもあるのかな)。子供のためといいつつ、名門校に入学させること以外に価値観をもてない親たちの、笑えない有様とはまったく違いますね。

作品のはじめの夕食のシーンをよぉく観てください。美少女コンテスト本大会出場権を獲得したとの知らせを受けてたとき、家族が見守るなか父リチャードはオリーヴに、本大会に出場したいかと尋ねます。

このシーンでわかることは、バラバラな家族の唯一ともいえる願いがオリーヴの願いを叶えるこということ。

そして、オリーヴの願いを叶えたいと思っているなら、他の家族の願いだって叶えたいと心の奥底では思っているであろうことが観客に予感させる。だからこそ、ハチャメチャなフーヴァー一家を応援したくなる。

ほら、作品のはじめの食卓シーンで観客のハートはすでにガッチリと鷲づかみされているんですね。

だから食卓シーンは重要で興味深いのです。


■ ひとこと

旅の途中、ガスステーションにオリーヴがおいてきぼりにされてしまいます。でもオリーヴは不安そうな顔をみせることなく笑顔で待っているんです。そこへフーヴァー一家が乗った車が戻ってきます。

オリーヴは家族を信頼して安心しているのですね☆ 

デート    ◎
フラっと   ◎ 
脚本勉強  ◎
演出     ◎ 
リアル    ○ 
キャラクター ○
笑い     ◎
心      ◎   


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12/30/2006

映画「硫黄島からの手紙(Letters From Iwo Jima)」

監督:クリント・イーストウッド
アメリカ/2006年/141分

クリント・イーストウッド監督が歳を重ねるごとにますます輝きを増すのはなぜか? 生きる力、物語る力に答えがある。「ヒーローとは?」にひとつの答えも提示されている。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
第2次大戦中の1944年6月。陸軍中将の栗林忠道が指揮官として硫黄島にやってくる。アメリカ合衆国をよく知っている彼は、実践的・具体的な作戦を立てる。


主な登場人物の紹介
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△栗林忠道
陸軍中将

▽西郷
兵卒


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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クリント・イーストウッド監督が歳を重ねるごとにますます輝きを増すのはなぜか? 生きる力、物語る力に答えがある。「ヒーローとは?」にひとつの答えも提示されている。

■ 奇跡(に近い)に感謝しよう

物語る力。それは強力だ。

Aという国が描く物語内では、B国は如何様にも描かれる。

そうしたB国の描かれようが広まってしまったら、B国は自ら物語を作らなければ自国の観られ方を修正することは困難だ。

いったいどこの国のだれが、自腹を切ってかつて敵国だった側の視点に立った物語を作ると思うのか。しかも、相手国を悪者と決め付けた一方的な描き方をせずにだ。――ふつうはありえない。

ところが稀にこんな作品も現われる。

「K-19:THE WIDOWMAKER」(作品レビュー)という作品だ。詳細は作品レビューを読まれたし。

そして今回、ほんとうに稀な作品と出会うことができた。

クリント・イーストウッド監督作「硫黄島からの手紙」である。

この作品では、日本人は日本語を話す。あたりまえかと思うかもしれないが、いわゆるハリウッド産で、アメリカ合衆国以外の国を舞台とした作品であっても、登場人物はたいてい英語を話す。

フランス国王万歳! なんていうシーンでも英語である(笑)。

アメリカ人というのは、よっぽど字幕を読むことが苦手らしい。なんでも楽をしようとする。そんな声もある。

ところが「硫黄島からの手紙」では、日本人は日本語を話し、アメリカ人は英語(米語)を話す。

そして、かつての敵国の軍人たちを、自国の軍人たちとなんらかわらない、ひとりの人間として描く。

これは奇跡に近い。

本来ならば「硫黄島からの手紙」のような、日本側の視点に立った作品、しかもお涙頂戴に特化した演歌ではない、世界へ語りかける戦争映画は、日本が作らなくてはならない。

それなのに、なんとアメリカ人が作ってくれたのである。

こんなことってあるんのだね……。


■ 手紙

第二次大戦中の日本軍の兵隊たちは皆、玉砕の覚悟でお国のために潔く死んでいった、そういう軍国教育を施されていたのだとよくいわれている。

そういう一面もあったろうが、皆がそうではないのではないか。

どんな状況にあっても、たとえ周りのみんなが右向け右でも、なかには正面を向いていた人もいたかもしれない。空を見上げていた人もいたかもしれない。

硫黄島の浜辺で「おれたち、墓穴掘ってるのかな」と思いながら、こんな島はアメ公にくれてやればいいんだよ、とつぶやくように言う西郷。

彼のような日本兵が登場する第二次大戦時の戦争映画を観たことがあるだろうか?

当時の日本だと真っ先に非国民と非難されるであろうことをつぶやく西郷を作品の主要な登場人物に設定していることから、この作品は日本の軍人たちは皆「万歳して玉砕する野蛮でクレイジーなイエローモンキーだ」だというくくり方をぜず、彼らも自分たちと同じ人間だというメッセージが込められていることは、作品の冒頭での西郷の様子をみればよくわかるだろう。

それは、日本人士官の西がアメリカ人の若いアメリカ海兵隊員を捕虜にして手当てさせたシーンに最もよく表れている。

日本軍の士官である西は金メダリストでアメリカ人とも親交があった。その彼が英語で捕虜に話し掛け、故郷の話をする。翌日、捕虜は負傷のために死んでいたが、傍らに手紙を見つける。

それは捕虜のアメリカ兵の母親が息子に宛てた手紙だった。

手紙を日本語に訳して読み上げる西。それを聞いている日本兵たち。彼らは鬼畜米英と教えられていた敵兵も、自分たちと同じように家族がいて、なんら自分たちを変わらないことを知る。

アメリカ兵の母親の手紙には、どんな状況にあっても、あなたが正しいと思うことをしなさい、といった意味のことが書いてあった。

西郷をはじめとする日本兵たちはこの手紙に心を打たれるのである。

とくに西郷は、軍国主義に染まった状況下にあって、判断を他に委ねることなく、生きて家族のもとへ帰ることを願う。そのために直属の上官には非国民だと目をつけられ、損な役回りをいつもいいつけらてきた。

そんな西郷にとって、このアメリカ兵の母親の手紙の内容は、自分の生き方を肯定してもらえたかのようで心強く感じたことだろう。

日本兵であれアメリカ兵であれ、だれかの息子であり、だれかの父親であり、だれかの友人であり、だれかの大事な人である。そして誰かが帰りを待っている。

そのことが見えなくなってしまう状況はなにも第二次大戦時の硫黄島だけではない。
現代のスポーツチームにだって、一般企業にだってある。

学生リーグ優勝のために肩を壊すまで投げつづけざるをえない状況に追い込まれ、投げられなくなり選手生命を絶たれた元野球選手。

売り上げアップのために終電まで残業を続け、ときには会社で朝を迎えて一週間家族の顔を見れない状況に追い込まれ、体調を崩して職と健康を失った元会社員。

その時やその場の状況に呑まれることなく、自分にとってなにが大事なのかをしっかり持って、自分が正しいと思うことする。そんなあたりまえのことができる者こそ監督が描きたかったものではないだろうか。


■ 生きる力

栗林中将は家族に宛てた手紙の中で、実際の硫黄島の状況とは異なる、ほのぼのとした近況を絵を描いたり文章を書いている。

本土に送られるときは検閲があるので、詳しい状況などは書けないのだろうが、自分が元気でいることを家族に伝えようと、物語っているのだ。

物語る能力。これは生き残る力だ。

だれしも、今は辛くてもいつかはよくなるという思いがなくては先に進む意欲が湧かないものだ。

明日は、来月は、来年はきっとよくなる。よくなるイメージを描き、それにむかって現実での課題をひとつづつやり遂げていく。

よくなるイメージとは、ときに「希望」ともいわれる。

希望を作り出すのは想像力だ。想像力は物語る力だ。物語る力は生きる力だ。

クリント・イーストウッド監督が歳を重ねるごとにますます輝きを増すのは、彼が映画を撮りつづけ、物語続けているからだ。

物語りつづけることで、生きる力に溢れているからだ。

どんな状況下にあっても、自分の正しいことをして、生きて帰るイメージを抱きつづける。それが輝きつづける方法だ。


■ ヒーロー

5日で終わると考えた硫黄島の戦い。それを36日間守った日本軍の指揮官・栗林中将。彼は欧米への留学経験もあり、知識も行動力もあった。

では、彼はヒーローか。

彼はヒーローであってヒーローではない。

それはどういうことか?

そもそも、いわゆる戦争映画に描かれるヒーローというのは、プロパガンダに最も利用されるもののひとつだ。

「硫黄島からの手紙」では、戦争映画にありがちな、兵隊たちの活躍は描かれない。観客にカタルシスをもたらすかのような攻撃シーンや作戦の成功といったものは無い。

5日で終わると考えられていた硫黄島の戦いを、36日間守った栗林中将は、兵士たちに洞窟を掘らせて地中で指揮しようにも、戦況報告は滞り、命令・伝令は届かず、部下を失い、戦況が悪化するのをくいとめることはできない。

一方、名も無き一兵卒の西郷は、敵に向かって銃弾を発するどころか、銃を構えたシーンさえほとんどない。発砲したシーンといえば射撃の練習で的を外して上官に怒られたときぐらいだ。

戦闘前はひたすら穴掘り。戦闘中は機関銃の弾を運ぶ。

そして、生きて愛する家族のもとへ帰りたいと願う。そんなひとりの青年だ。

栗林中将も西郷も、いわゆるプロパガンダ戦争映画のヒーローとは全く違う。そういうヒーローではない。

しかし、ヒーローなのだ。

栗林中将と西郷は、自分の価値観や考えをもって、生き残るイメージ=希望を抱きつづけた。

これこそ真のヒーローなのである。


■ 生還してからはじまる

国を想い、家族を想う気持ちは同じでも、生きようとする者と、死のうとする者がいる。

日本兵のなかの主要なキャラクターの中で、硫黄島の戦いを生き残った者がふたりいる。

ひとりは軍国主義に染まり、死に場所を求めて彷徨っていた。

ひとりは軍国主義に染まることなく、生きようとしていた。

同じ生き残りであっても、両者はまったく違う。

ほんとうの彼らの物語は、硫黄島から生還してからはじまるのだ。「父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)」がそうであったように……。

しかし「硫黄島からの手紙」は硫黄島の戦いが終結したところで終わる。硫黄島から生還してからの物語をつくるのは、観客であるということだ。これを「余韻を残す」ともいう。

「父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)」作品レビュー


■ ひとこと

久しぶりに裕木奈江を見た。はじめ、それが彼女だとわからなかった。西郷の妻役であった。ということは西郷演じる二宮和也の妻という設定だ。

こりゃぁかなりの姉さん女房ですな。

そもそもパン屋の旦那で女房がいて子供もうまれる(うまれた)という西郷役が二宮和也というのは、ヒゲを生やしてみても、ちょっと若すぎるかんじはあった。欧米人が観たらますます日本人は童顔だと思われるだろうな。
しかし、評判どおり二宮和也の演技はなかなかよかった。

日本人ならなおさら必見の作品だ。

デート    △
フラっと   ○
脚本勉強  ○
演出     ○
リアル    ○
キャラクター ○
笑い     ―
ファン    ○


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12/14/2006

映画「007/カジノ・ロワイヤル(Casino Royale)」

監督:マーティン・キャンベル
アメリカ/2006年/144分

自信過剰でお間抜けでおちゃめでガッツがあってスマートで。放っておけない、やんちゃ坊主。それが新生ボンドの魅力。正しい金庫破り(型破り)の方法とは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
英国諜報部MI6スパイ「00」になったジェームズ・ボンドが、国際テロ組織の壊滅に任務につく。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジェームズ・ボンド
男性。英国諜報部MI6のスパイ。

▽ヴェスパー・リンド
女性。財務省職員。

△ル・シッフル
テロ組織の資金洗浄を行う。

△マティス
MI6の地域担当エージェント。連絡係。

▽M
イギリス諜報機関MI6のトップ


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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自信過剰でお間抜けでおちゃめでガッツがあってスマートで。放っておけない、やんちゃ坊主。それが新生ボンドの魅力。正しい金庫破り(型破り)の方法とは?

■ はじめて物語

007シリーズはいくつか観たことがあるが、どれを観たのかはっきり思い出せない。

それぞれに特徴があるのだが、ひとことでいえば「007」シリーズのどれか、で片付けられる。そんなかんじである。

たとえ007シリーズ作品をひとつも観たことがない人でも007という単語は聞いたことがあるだろう。007シリーズというぐらいだら、人気があると予想できることだろう。

例えるならガンダムだ。
ガンダムと名がつくシリーズはたくさんあるが、ガンダムの魅力を知るには、その原点となる、いわゆる1年戦争を描いたファーストガンダムを観ることからはじめなくてはならない。

これと同じように、007という言葉を聞いたことがある人は、その主人公ジェームズ・ボンドが「00(ダブルオー)」になってはじめての任務、いうなれば「ファースト007)を観ることからはじめてはいかがだろう。
さて、ジェームズ・ボンドがはじめて人を殺したときとはいったいどんなだったか?

あのジェームズ・ボンドのことだから、任務のためなら冷酷かつさぞかしスタイリッシュに遂行したのではないかと思う人も多いだろう(殺人にスタイリッシュもなにもないが…まぁ映画なので)。

ところがスタイリッシュどころか泥仕合の様相を呈している。そこが今作の「味」である。


■ 肉体アクションから知的駆け引きへ

身のこなしが曲芸師のように軽い組織の下っ端。それを追い詰めるボンド。体を張った肉体派アクションを魅せるボンド。

さらに空港で敵を追いかけるボンドの活躍も、スパイというよりも特殊部隊の一員といったかんじだ。

まずはこうした肉体派のアクションシーンで、型破りなボンドを披露。それからカジノでの息詰まるポーカー勝負へ。

肉体アクションから知的駆け引きへ。

そうした流れのなかで明らかになるボンドの性格とは?


■ 人間味溢れるボンド

冷静で、マジモードの恋愛をすることはない。そんなイメージがあったボンドだけど、今回は違う。

組織の下っ端を追い詰めるのに夢中で監視カメラに気づかずにばっちり写っちゃったり、マジモードの恋愛にハマり、なったばかりの「00」を引退する決意をしたり、高額資金を賭けたポーカーゲームに負けてマジヤバモードになったり……。

だれも知らないはずのMの自宅をつきとめて、彼女専用のパソコンを通じてデータを入手するという、まるで新入社員が部長宅に勝手におじゃまして高級ワインを飲みながら、帰宅した上司に向かって、庶務課のY子ちゃんとのデート見ましたよ~だから今後ともいろいろ俺のために便宜図ってね、といわんばかりの高慢さ。

ポーカー勝負の会場にやってきたときも、どうぜ正体はバレてるだろうと、堂々とジェームズ・ボンドと名乗る大胆さ。

自信過剰でお間抜けでおちゃめでガッツがあってスマートで。

放っておけない、やんちゃ坊主。

それが新生ボンドの魅力である。


■ 隣人

マット・デイモン主演の「ボーン・アイデンティティー」とその続編「ボーン・スプレマシー」を思い出してほしい。

これらスパイ映画も、冷酷なスパイが活躍するだけだったらヒットはしなかっただろう。記憶を無くした優秀なスパイが、悩み苦しみながらアイデンンティティを求めて活躍する姿に、観客は冷酷非情なスパイのイメージとはかけはなれた「身近さ」を感じることができた。だからヒットしたのだ。

「007/カジノ・ロワイヤル」もジェームズ・ボンドを、スーパーマンではなく、身近な隣人のひとりと感じることができる作品となっている。


■ 型破りのために

例えば金庫破り。

金庫破り犯がやっと金庫の鍵を開錠したと思ったら、なんと施錠してしまった。 
実は金庫の鍵は、はじめから開いていたのだ!

なーんてオチは、仕掛けとしてはOKだとしても、キャラクターづくりにおいてはNGだ。

キャラクター作りにおいては、金庫の扉は閉じられて鍵がかかっていなければならない。

つまり、キャラクター作りにおいては、金庫破りのために、金庫の扉は閉じられて鍵がかかっていなければならないのだ。

ここでいう金庫の鍵がかかっている状態というのは、シリーズによって観客の脳裏に刻まれたジェームズ・ボンドのイメージだ。

イメージがしっかり出来上がっていること。それが金庫に鍵がかかっている状態だ。

「鍵がかかっている金庫」という「型」を破る、その金庫破りこそ、6代目新生ボンドである。

「型破りの新生ジェームズ・ボンド」が生まれたのは、偶然で運がよかったからではない。007シリーズがあるからこそ、なのだ。

これが正しい型破りの方法である。


■ ひとこと

そういえば少し前に、MI6のサイトと新聞広告で人材を募集していたとか。

君もスパイになれる……かも。


ファミリー  -
デート    ○
フラっと  ○
脚本勉強  ◎
演出    ○
リアル   -
キャラクター◎
笑い    -
ファン    ◎

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11/25/2006

映画「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」

監督:アルフォンソ・キュアロン
アメリカ・イギリス/2006年/109分
原作:P・D・ジェイムズ『人類の子供たち』

目線カメラとワンショット(長回し)が冴え、一瞬で作品世界へ観客をひき込ませる映像密度の濃さがたまらない。セオがサンダルを履く意味とは? キーが妊娠を明かすのはなぜ牛舎なのか? ヒントはイエスと「人類の救い」。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
人類には18年間子供が生まれていない西暦2027年。イギリスのエネルギー省で働くセオはある日、地下組織FISHに拉致され、元妻で組織のリーダーのジュリアンから、女性・キーのために政府の通行証を手配するよう求められる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△セオ
男性。エネルギー省の官僚。

▽ジュアリン
女性。セオの元妻。地下組織FISHのリーダー。

△ジャスパー
男性。セオの友人。

▽キー
女性。妊婦。

▽ジュアリン
女性。セオの元妻。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
目線カメラとワンショット(長回し)が冴え、一瞬で作品世界へ観客をひき込ませる映像密度の濃さがたまらない。セオがサンダルを履く意味とは? キーが妊娠を明かすのはなぜ牛舎なのか? ヒントはイエスと「人類の救い」。

■「金の卵」「よい大学よい会社」の嘘がバレたあと

希望が見出せない時代。
それは西暦2027年でなく、現在でも同じような状況だともいえる。

特に日本社会では、組織や集団が人々に見せつづけてきた「夢と希望」が嘘であることがもうずいぶん前にバレてしまった。

例えば1960年代の東北の田舎の中学校教師が、どうやって東京の会社のことを知ることができただろうと考えてみよう。

中学を卒業して東京の会社に労働者として就職して辛い仕事でも一生懸命真面目に働けば、やがては報われてよい暮らしができるというならば、なぜその教師は東北の田舎町で安月給の教師を続けているのか?

その教師は東京にあるいくつもの会社のことをどのくらい知っていたのか。おそらく、なんにも知らなかったのだろう。

当時、都会では安い賃金で使える労働者を大量に必要としていた。

そこで、きみたちには光り輝く将来という「夢と希望」がある、といいきかせて、田舎から多くの中卒や高卒の人間を「金の卵」をもてはやして都会へ連れてきた。まるでハーメルンの笛吹きのように。

田舎の次男坊、三男坊や、女子(おなご)は、都会へ働きに出なければ食い扶持がなかった等、さまざまな事情があっただろう。

そういった経済的な事情はもちろんだが、ここでは「夢と希望」に焦点を絞ることにする。

他人が用意した「夢と希望」に乗るのはある意味で楽である。その「夢と希望」がより大きいと感じるところが提供してくれたものであればあるほど、確実で確かなものだと思えるからだ。

1960年代の東北の田舎の中学生や高校生にとっての、より大きく確実だと思える人とはだれであったか。おそらく学校の先生だろう。学校の先生のいうことに間違いはないと、中学生や高校生だけでなく、現在よりもはるかに多くの親も信じていたのではないか。

1960年代に限らずとも、偏差値の高い大学へ入り、有名な大手企業に入りさえすれば輝ける未来があると親も教師も言いつづけ、信じつづけた時代のことは、今となっては笑い話にもならない昔話が「金の卵」ともてはやされた時代と比べても、本質では大差はない。

組織や集団が提供した「夢と希望」が嘘であるとバレてからもう随分経つが、未だ個人で「夢と希望」を見出せるようにはなっていない。

なぜなら、個人で「夢と希望」を見出す作業をやりつづけてこなかったからだ。

30年間車で送り迎えしてもらっていた人が、明日から自分で運転しろと言われても、すぐには運転できない。30年の間に、車の運転技術と交通法規を学んでおき、運転免許を取得しておいたならば、明日から初心者マークを付けて運転することはできる。それでも運転初心者ならのだから、熟練運転手になるにはそれなりの時間がかかることからも容易に想像することができるだろう。


■ SFの使い方

個人の希望を見出せない男がいる。

彼の名はセオ。エネルギー省に勤める彼は、この18年間人類に赤ん坊が誕生ていない西暦2027年のイギリスで、街の皆が世界最年少の青年(18歳)がファンに殺されたというニュース映像に衝撃を受けて呆然と立ち尽くすなか、コーヒーを買ってさっさと店を後にする。

人類に子供が生まれない「希望のなさ」以前に、セオは自分の「希望」を見出せないでいる。

希望なき主人公の世界に観客を引き入れる仕掛け。それが18年間人類に赤ん坊が誕生していない「希望なき」世界というSFだ。

SFはそれ自体が目的になってはおもしろくない。あくまで、ある事柄を鮮明に映し出す「鏡」の役割を担うのがSFである。

くしくも作品内で、妊婦キーを送り届ける行き先であるヒューマン・プロジェクトと連絡をとることができる、ただひとりの者を「鏡」と呼んでいるのは、世界の姿を映し出すのは「SFという鏡」だということを暗示している。

SFという鏡に何を映したいのか。それは「希望」だ。


■ 焦点

親子の愛を扱った「フライトプラン(FLIGHTPLAN)」では子供を題材としたいた。しかし、その強引な舞台設定と展開にアメリカ合衆国の風刺作かと思わせる作風に「希望」という焦点がブレてしまった。

「フライトプラン(FLIGHTPLAN)」作品レビュー

一方「トゥモロー・ワールド」では、18年間にわたり人類に子供が授からない近未来というSF設定によって、しっかりと「希望」に焦点が合っている。


■ ヒーロー

「トゥモロー・ワールド」は「子供を題材とするので、ならば主人公は母親の女性かというとそうではない。セオという男性が主人公だ。彼には守るべきわが子はもういないが、他人の子供をヒューマン・プロジェクトまで送り届けようと命をかける男。それがセオだ。

セオにもかつて子供がいたというバックグランドはある。しかしわが子を失い、愛する妻とも別れて、活動家としての信念さえも忘れたかのように公務員として希望なく毎日を過ごすセオ。

武術が得意なわけでもなく、武器を自由自在に扱うわけでもない、靴だってビーチサンダルだったりするセオ。地下組織と政府軍との戦闘状態に突入した収容所の市街地で戦火のなかでキーとその赤ん坊を守ろうとするセオ。

自分の希望も見出せない男が、丸腰で靴さえも満足に手に入られないなかで他人の赤ん坊を守ろうとする。なぜなら赤ん坊は「希望」の象徴であり、セオ(人類)が生きるための「希望」だからだ。

セオこそヒーローである。


■ 映像

地下組織と政府軍とが戦闘を繰り広げる市街地での8分強のワンショット映像がある。

単純に入って、カットの数が多ければ多いほど撮影は比較的ラクになる。細切れなカットをいくつも撮っておき、あとで編集すれば幾通りものシーンを作れるからだ。それに、アクションシーンでは特に細かいカットを短い時間内にいくつも使えば、スピード感を出せる。

大雑把にいえば、カットが多いほど、いろんな意味でごまかしがきくのだ。

8分強のワンショット。いわゆる長回し。それもアクションを多用する戦闘シーンだ。俳優、監督、スタッフといったあらゆる人たちがひとつにならなければできないのがワンショットである。

ある作品を観る際、どのくらいの長さのワンショットが使われているかで、監督と俳優とスタッフの心意気と技量を計ることができる。

大概、難しいワンショット(長回し)を使っている作品は評判もいい。たとえばタイのアクション映画「トム・ヤム・クン!」には主人公が4階建てのセットを1階から順に上の階へ向かって登り、せまり来る敵を倒していく4分長回しワンカットがある。

「トム・ヤム・クン!」作品レビュー

では、市街戦のアクションを8分強のワンショットで、というのはどうだろう。

これがいかにスゴイことかは観てもらわなければわからない。


■ 目線カメラ

登場キャラクターたちと同じ視線に据えた手持ちカメラによる目線の映像が多用されている。

これによって、物語内の出来事を観る「観客」の位置から、一瞬で作品内のキャラクターと同じ目線の位置まで引きずり込まれることになる。

観客は傍観者ではいられないのだ。

車で移動中に暴徒達に襲われるシーンや、例の8分強の市街戦のシーンで、主人公は銃を持って戦わずに、妊婦キーやその赤ん坊を守ろうと行動する。

戦闘現場に遭遇したらほとんどの人は逃げ惑うことしかできないだろう。そういった普通のひとりの目線としてカメラがあり、そこに守るべき人が存在することで、戦火のなかを必死に移動するセオと同じ目線でその場にいるかのような感覚に陥る。

こういったドキュメンタリータッチの映像がこの作品の最も特徴的な点だ。


■ イエス

キーが農場の牛舎で妊娠していることを明かし、セオがそれに衝撃を受けるシーンは、イエス・キリストが馬屋で誕生した際に、お祝いに駆けつけた羊飼いたちと3人の博士たちの様子もこんなふうだったのかと思わせる。
なぜ牛舎なのか。おそらく、馬屋だとおこがましいので牛舎にしたといったところだろうか。

セオが靴ではなくサンダルを選んで履くのは、イエス・キリストの時代の日常の履物であったサンダルによるものだろう。イエス・キリストはサンダルを履いて歩き、人間を救うために地上を歩きつづけた。セオもまたサンダルを履き、人類を救う希望であるキーを守るのだ。

またセオは元活動家というが、武器を使わない。武器に手を触れようともしない。攻撃さえしない(車のドアを開けて襲いくる相手にぶつけるぐらいなもの)。収容所に自ら入るときも、兵士の物取りに腕時計を盗られるときに、キーを見失しなわないように急いでいた理由もあるが、自ら腕時計を外して渡す。

そしてラスト、人類の救いの象徴のキーとその赤子を守り通し、安全な場所まで連れてきたセオ。彼は人類を救うために最後はどうなったか。セオの行いは、イエスの生涯を思わせるようになっているのだ。


■ ひとこと

イギリスの名所・土地・ロケ地に詳しい人が観れば、いろいろと趣向を凝らした演出を堪能できるようだ。

西暦2027年の近未来が舞台だが、そこに映し出される出来事や問題や情勢は、現在と変っていないところがあるばかりか、人類の歴史が繰り返されていることを示している。

ファミリー  -
デート   △
フラっと  ○
脚本勉強 △
演出    ◎
リアル   ○
人間ドラマ ○
社会    ○
笑い    -   
映像    ◎  

4150766177トゥモロー・ワールド
P.D. ジェイムズ P.D. James 青木 久惠
早川書房 2006-10

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11/03/2006

映画「父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)」

監督:クリント・イーストウッド
アメリカ/2006年/132分
原作:ジェイムズ・ブラッドリー『硫黄島の星条旗』

アメリカ映画を読み解く最重要キーワード「ヒーロー」を題材に、プロパガンダに利用するために「英雄にされた」若者たちの姿を冷静に力強く描いた力作。プロパガンダによく利用される戦争映画の構造と内幕を、戦争映画で浮き彫りにした手法がズバ抜けている。日米双方それぞれを一作品ずつ描くという、イーストウッドにしかできないであろう二部作の第一作。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
第2次世界大戦期の硫黄島の戦い。
摺鉢山に星条旗を掲げた米軍兵士たちの写真を使い、米国はこのときの兵士たちを帰国させ、アメリカ合衆国の国民たちの士気を高め、国債を買わせるために彼らを英雄に仕立て上げる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジョン・“ドク”・ブラッドリー
衛生下士官

△レイニー・ギャグノン
伝令兵

△アイラ・ヘイズ
海兵


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
アメリカ映画を読み解く最重要キーワード「ヒーロー」を題材に、プロパガンダに利用するために「英雄にされた」若者たちの姿を冷静に力強く描いた力作。プロパガンダによく利用される戦争映画の構造と内幕を、戦争映画で浮き彫りにした手法がズバ抜けている。日米双方それぞれを一作品ずつ描くという、イーストウッドにしかできないであろう二部作の第一作。

■ 題材と内容が絶妙にマッチしている

映画はプロパガンダによく利用される。
たとえば、アメリカ合衆国は軍事行動の節目に必ずといっていいほど戦争映画を製作する。映画『ティアーズ・オブ・ザ・サン』(2003年 アントワーン・フークア監督)は、典型的なアメリカ合衆国万歳プロパガンダ映画だ。

これはナイジェリアでクーデターが起こり、米海軍特殊部隊の大尉がアメリカ人の救出任務を遂行するとい
った内容の作品であり、こういった作品の役割は、その映画の製作国の行動(軍事行動)を正当化し、観客(国民)の支持と協力を獲得することにある。

そのため(方法)には英雄・ヒーロー(方法)が必要だ。『ティアーズ・オブ・ザ・サン』では米海軍特殊部隊の大尉はヒーローとして描かれていることからもわかるように、ヒーローとプロパガンダは常にコンビで使われると考えてもいい。つまり、目的と方法の二つを揃えることが典型的なプロパガンダ映画を作るうえでの基本なのでる。

目的のために作られるヒーロー。それが戦争映画の典型であり、その構造を物語の力でわかりやすく、戦争映画の体裁で描いているのが「父親たちの星条旗」なのである。

題材(戦争映画・ヒーロー)と内容(ヒーローの作り方)を、戦争映画で描いるところに、この作品の監督クリント・イーストウッドの凄さの一端が垣間見れるのだ。


■ ハリウッドはヒーローを描きつづけてきた

ハリウッド映画の歴史とは、ヒーローの歴史といってもいい。各時代を象徴するのは映画で描かれてきたヒーローたちだ。

ヒーローには正統派ヒーローとアンチ正統派ヒーローがある。

くしくもイタリアに招かれて撮った「荒野の用心棒」にはじまるマカロニウェスタンの主人公であり、アンチヒーローのひとつの形として70年代にヒットした人気シリーズ「ダーティー・ハリー」の主人公(ハリー・キャラハン役)でもあるの人物こそ「父親たちの星条旗」の監督を務めるクリント・イーストウッドである。

彼の俳優とてのキャリアと「ヒーロー」は切っても切り離せない関係にある。それがよく表れているのがアカデミー作品・監督賞を受賞した「許されざる者」である。

この作品に登場する町の実力者の保安官ビル(ビルときいて思い出す大統領はだれか考えてみよう)は、はたしてヒーローなのか。許されざる者とはいったい誰のことなのか。映画制作・公開当時のアメリカ合衆国の政治と
重ね合わせてみれば、イーストウッドがいうところの「ヒーロー」誰なのか、ヒーローのフリをしている者はだれなのかが浮かび上がってくるだろう。


■ マイノリティや弱者とされる者たち

イーストウッドが制作に関わった作品の主人公はたいていマイノリティや弱者や裏社会の住人たちとされる人々だ。

「許されざる者」の主人公は引退した老人。

「ミリオンダラー・ベイビー」の主人公はアイリッシュ系の年老いた名トレーナー30歳を超えたアイリッシュ系の女性ボクサー。

「目撃」の主人公はプロの泥棒。

そして「父親たちの星条旗」の主人公は一兵士、それも伝令係ネイティブアメリカン(インディアン)居留区出身の兵士だ。

マイノリティや弱者とされる人々の生き様を、中立的な視点で冷静かつ力強く描いてきたイーストウッド監督が、ヒーローと最も相性がいいといえる戦争映画を作った。それが「父親たちの星条旗」なのである。


■ 硫黄島二部作の意味とは

「父親たちの星条旗」は二部作のうちのひとつで、アメリカ合衆国側の視点による作品だ。そして後に公開される「硫黄島からの手紙」は日本側の視点による作品である。

アメリカ合衆国と日本のふたつの視点でそれぞれに作品を作り、二部作とするというのは、普通はまず無い。
先にもふれたように、戦争映画の典型はプロパガンダに利用される性格を持っているからだ。稀に相手国の視点を持った作品「(例「K-19」)が作られることもあるが、それは特別である。

映画「「K-19:THE WIDOWMAKER」作品レビュー

井筒監督が「ブラックホーク・ダウン」を観て、もうこの監督の作品は観たくない、と言った意味のことを言った理由は、アメリカ軍と敵対するソマリア側の兵士や住人たちの様子が全くといいほど描かれていなかったことによる。

このように、プロパガンダ映画の視点はひとつ、というのが常識である。

ところがイーストウッドの戦争映画は硫黄島の戦闘を中心に日米双方の視点からそれぞれを描く二部作だ。これだけでイーストウッドのことを全く知らない人でも、この二部作が普通のプロパガンダ映画でないことはわかるだろう。

そう、普通ではないのである。

プロパガンダ映画を題材にして、作られたヒーローを描き、それぞれの視点による作品をひとつづつ作り、しっかりと双方の視点を取りれる。いわば「ドキュメンタリーとしての映画」の究極形ともいえるのが硫黄島二部作なのだ。

二部作というのはほんとうにスゴいことだ。相手国に配慮したというレベルではない。まるまる1作品を相手国の視点用に作ったのだ。それは「配慮しているというポーズ」にすぎない幾多の作品群との違いをより鮮明に浮き彫りにする。これこそがイーストウッド作品の醍醐味である。


■ 歴史は歴史家によって作られる

歴史とは勝者の歴史である。

戦いに勝った側が自分たちの都合のいいように書いたものが残り、それが歴史となっていく。
無数の出来事の中から、その時代の権力者が選び書かせたものが「歴史」となって残るという言い方もできる。

硫黄島に上陸したアメリカ軍が摺鉢山の頂上の勝利の象徴として星条旗を掲げる。そのときに撮られた有名な写真は、実は星条旗を掲げ代えたときのものである。しかも星条旗を掲げて戦闘が終結したわけではなく、その後も戦闘は続いていたのだ。

しかしながら、この一枚の写真によって勝利のイメージが増幅され、やがてそれが歴史の一部となっていく。まさに、歴史はそれを記す歴史家という名の政治家によって作られていく様子が力強くも冷静に描かれているのである。


■ ひとこと

クリント・イーストウッドがハリウッドで異色ながらも今では巨匠とさえ言われ、高い評価を得ているのも、その監督作を観れば、きっとあなたも「なるほど」と頷けるにちがいない。

歴史・映画というものの姿を、ヒーローを題材に私たちに見せてくれる、ほかではまずお目にかかれない作品、それが「父親たちの星条旗」だ。

ちなみに硫黄島は東京都である。現在は一般人は立ち入りできないという。

ファミリー  -
デート    -
フラっと    ○
脚本勉強  ○
演出     ◎
リアル    ◎
人間ドラマ ◎
社会     ◎

4167651173硫黄島の星条旗
ジェイムズ ブラッドリー ロン パワーズ James Bradley
文藝春秋 2002-02

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10/20/2006

映画「16ブロック(16BLOCKS)」

監督:リチャード・ドナー
アメリカ/2006年/101分

愛されるダメおやじといえばこの人。ヒーローの条件を満たしたバディ(相棒)作品。ふたりの対比で浮き彫りになる、願いを実現する方法とは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
夜勤明けの刑事が残業を言い渡される。留置所から16ブロック離れた裁判所まで証人護送の任務を言い渡されたのだ。その道中で証人を狙う一味に襲撃される。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジャック・モーズリー
NY市警刑事

△エディ・バンガー
証人

△フランク・ニュージェント
NY市警刑事。ジャックの元相棒。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
愛されるダメおやじといえばこの人。ヒーローの条件を満たしたバディ(相棒)作品。ふたりの対比で浮き彫りになる、願いを実現する方法とは?

■ 16ブロックって、どのくらいの距離?

ニューヨークの1ブロックのストリートとストリートの間は約80メートル。16ブロックでは約1.6キロメートルになる。

その約1.6Kmの距離を車で証人を裁判所まで護送する。

残業2時間もつければじゅうぶんな任務だ。明日は遅出でいいから。といった意味のことをいわれてしぶしぶ引き受けた刑事。

彼がこの物語の主人公ジャック・モーズリーだ。


■ 愛される「ダメおやじ」といえば

二日酔いで顔色が悪く、足が不自由な男。NY市警の刑事とはいえ、どうみても第一線を退いている。
それがどこでわかるか?

それはセットアップでわかる。

あるアパートの一室に突入したチームが室内で死体を発見する。――さて、制服組が来るまで誰かに現場にいてもらわなくちゃぁならない。

そこで「だれか暇な奴呼んで制服組がくるまでアパートにいさせろ」といった意味のセリフのあとに登場するのが、この物語の主人公ジャック・モーズリーである。

アパートにやってきたジャックは同僚たちが引上げてひとりになると、キッチンの戸棚を開けて酒のビンを取り出し、持っていたコーヒーカップかなにかに酒を注ぐ。これ、一応カモフラージュですな。

勤務中なので制服組がきたときに酒ビンを抱えて待っているわけにもいかないので、コーヒーカップの中に酒を注いで、アパートのソファーに座って新聞かなにかを広げ、読むわけでもなくまどろんでいる。というかそこが地下鉄のベンチかなにかだったら、ぱっと見は酔っ払いが座っているかのようである。

これが主人公の初登場シーンである。

こんな、おもいっきりダメおやじな役どころが妙に板についているのはブルース・ウィリスだ。


■ ヒーローの条件

二日酔いで希望を見出せず、証人護送中に車を停めて酒を買いに店に寄り道するジャック。これのどこがヒーローだ? とあなたは思うかもしれない。

しかし、こんな酔いつぶれ寸前のジャックでも証人エディの命を救う。

お! 意外といい奴かもしれない。

ふとそんなことを思わせるのだが、実のところジャックは、はじめはただの正義感からエディを救ったわけではない。

そして証人エディも、根っからの善人ではないということが徐々に明らかになっていく。

つまり、メインキャラクターの2人はけっして品行方正の模範的な人間ではないのだ。

これがヒーローの条件である。

これを聖書のエピソードで説明しよう。

律法学者やパリサイ派たちが、姦通の現場で捕らえた女をイエスのもとに連れて来た。そして、モーセの律法によるとこういう女は石で打ち殺せと命じていますがあなたはどうお考えになりますか、といった意味にことを言った。

するとイエスはかがみ込みんで地面に何かを書きはじめられた。地面に書かれたものを見ると、ひとりまたひとりとその場を去って、とうとうだれも女を咎めようとする者はいなくなった。
〈新約聖書ヨハネによる福音書第8章1-11節〉

つまり、いままで一度も罪を犯したことがない者はいないということだ。

証人エディは善人のように見えるが、かといって罪を犯したことがない完璧な人間ではない。

だがエディはどんな状況になろうともけっして希望を捨てない。ケーキ屋を開くという夢を、どんなときもケーキのレシピが書かれたノートを持ち歩くことでそれを表している。

一方ジャックは、二日酔いでフラフラになり希望を見出せないでいるが、どんな状況になろうともエディを助けようとする。
すべての希望を失った男が最後に見出した「救い」を求めるかのように。それはまるで助けられているのがジャックのほうであるかのようだ。

ひとりは「希望」を持っており、ひとりは「救い」を求めている。

「希望」と「救い」。
多くに人はこれらを追い求める。その代表選手がエディとジャックなのである。

だから2人はヒーローなのだ。


■ ジャックはなぜエディを助けたか

動機がしっかりしてしなければどんなストーリーも成り立たない。

ジブリ映画「ゲド戦記」でいえば、アレンがなぜ国を出て旅立ったのか? に映画を見終わったときにはそれなりの答えがわかるようになってるかどうか?

映画を観終わったときに、この答えが明確に観客にわかるようになっていれば、レゾリュ―ション(解決)となる。

解決→スッキリ→満足度高し。

こうなれば良いのだが、はたしてジブリ映画「ゲド戦記」はどうだったろう。

さて、ジャックはなぜエディを助けたのか。動機は?

これがジャックが再生してくストーリーの核になる部分であり、ストーリー前へ推し進める原動力である。


■ 動機がサスペンス

ジャックがエディを助けた動機はなにか? これがサスペンスである。

サスペンスとは宙吊り。宙吊りになったままの未解決な問題があると、人は気がかりで不安になる。その問題を解決したいと思う。

その思いを持続させつづけることとはすなわち、物語の世界に引き止めておくことであり、この手法が「サスペンス」だ。

サスペンスとして機能するジャックの動機が、襲撃団からエディを守るという行動(アクション)を起こさせ、ストーリーをパワフルに前へ前へと推し進める。

そして作品の後半でジャックの動機が明らかになったとき、酒びたりだったジャックの心境・心情を想像して観客は深く共感するのだ。


■ 越えてはならない一線

ストーリーの後半に、同僚のバックアップが命ともいえる職業環境にあって、ジャックが同僚を敵に回してまでエディの命を守ろうとするのはなぜか?

それは、たとえ二日酔いのダメおやじであっても、人間としての一番大事なものをまだ失ってはいないからである。

人には越えてはならない一線というものがある。

まともな環境下であったり、まともな状態でひとりであったりした場合はけっして越えないこの一線も、特殊な環境下にあったり、異常な状態の集団のなかにあった場合には感覚が麻痺してこの一線さえもみえなくなってしまう。

酒に溺れ、いつも二日酔いに近い状態であってもジャックはまだこの一線を越えてはいなかったのだ。

だからこそジャックとエディは(ストーリー構築・設定上の)バディ(相棒)となることができたのだ。


■ 願いを現実する方法

おしゃべり男と寡黙な男。バディ(相棒)モノの作品にはありがちな設定だ。

それにしてもエディはよくしゃべる。どんなピンチな状況になっても、ずっとしゃべっている。英語の発音はお世辞にもいいとはいえず聞き取りにくい部分もあるが、英語のネイティブであれば普通に聞き取れるだろう。

このしゃべり方はアメリカ社会での出世は難しいと思わさせるものだが、エディはケーキ屋を開く夢を語りつづける。そしてどんなときもケーキのレシピが書かれたノートを持ち歩いている。

そしてエディはジャックに何度も尋ねる。誕生日のケーキにはなんと書いてほしいか?

言葉には力がある。

願いを言葉にする。人に話す。紙に書く。願いを他人と共有するよう努める。

すると、言葉が現実になる。

人間の世界は言葉で成り立っているからだ。

とはいえ、ほんとうに願いの実現に向けて行動している者でなければ「言霊」の力ともいえる言葉の効用は望めない。安酒場で女のコを口説き落とそうと、心にもない夢を語ってみせるポーズには言葉の力は宿らないのである。

エディは数時間の間に何度も命の危険にさらされながらも、ケーキ屋を開く夢を語り続ける。やがてその力はジャックにも伝わる。

それはエディのケーキレシピ本を落としてしまったのをジャックが拾ってあげるさりげないシーンによってわかる。どこにそのシーンがあるか? しっかり観てみつけてみよう。


■ ひとこと

こういった種類の作品は、ある人々にとっては見るに耐えないものだ。

しかし、見るに耐えないと感じるのはまだ「越えてはならない一線を越えていない」証である。だから最もジャックに共感する観客層かもしれない。

すでに一線を越えてしまった者は、まともな感覚が麻痺してしまっているので、なんにも感じない。

そういった意味で「16ブロック」を観てどう感じたかをそれとなく聞いてみると、その人の人間性の一端が見えてくるのである。

ちなみに「16BLOCKS」。末尾に「S」が付く。複数である。

こんなにシンプルなタイトルでも、邦題にすると「16ブロック」となり、数の概念が無くなる。

これが英語の世界と日本語の世界の違いである。

ちなみにシャマラン監督の邦題「サイン」も、「SIGNS」だ。

そうそう、ジャック・モーズリー役のブルース・ウィルスは左利きなんだな。

ファミリー  -
デート     △
フラっと    ◎
脚本勉強  ○
演出     ○
笑い     -
リアル    ○(集団における人間心理)
人間ドラマ ◎
社会     ◎
感覚麻痺  ×


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09/21/2006

X-MEN:ファイナル ディシジョン(X-MEN: THE LAST STAND)

監督:ブレット・ラトナー
アメリカ/2006年/105分

まるで余分な脂肪が全く無い一流のスポーツ選手が最高の技術と技を披露してくれるかのような美しさのある、ミュータントであるアナタの生き方の琴線に触れる、遠いようで身近な作品。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
ミュータントの能力を消し去る新薬「キュア」が開発され、ラザーフッドが人間と対立する。
X-MENのメンバーたちは人間との共存のために戦う。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ウルヴァリン
男性。驚異的な治癒能力と超人的な五感を持つ。体内には地上最硬の金属であるアダマンチウム製の巨大な爪がある。

▽ストーム
女性。天候や気象現象を操る。

▽ジーン(フェニックス)
女性。テレパシーと念力の能力を持つ。

▽エグゼビア(プロフェッサーX)
男性。X-MENのリーダー。テレパシー能力を持つ。

△マグニートー
男性。ブラザーフッドのリーダー。金属を操る能力を持つ。

△マッコイ博士
ミュータント省長官。科学者。

△リーチ
少年。ミュータントのパワーを封じ込める能力を持つ。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
まるで余分な脂肪が全く無い一流のスポーツ選手が最高の技術と技を披露してくれるかのような美しさのある、ミュータントであるアナタの生き方の琴線に触れる、遠いようで身近な作品。

■ 105分にまとめた手腕に拍手

X-MENシリーズ第3弾ということで上映時間は長めになるのだろうと思っていたのが、わずか105分。それにもかかわらず、新たなミュータントも登場している。

いったいどうやったら個々の登場人物を描くのだろうと思うが、そこがこのシリーズのあっぱれなところである。

余分な贅肉をきっちりなくしたかのように、簡潔かつ十分にバックグランドが想像できるキャラクター紹介。これがストーリーと連動している様はまさに「機能美」とでもいえるような美しさを漂わせている。


■ 美しい作品

おそらくだれもこの作品を「美しい」とは形容していないだろうが、ストーリーづくりにおけるキャラクターの配置と役割には、まるで余分な脂肪が全く無い一流のスポーツ選手が最高の技術と技を披露してくれるかのような美しさがある。


■ 個性・タラントの活かし方

ミュータントたちはその特殊能力ゆえに人間たちに忌み嫌われ、恐れられている。

特殊能力とは言い換えれば、個性であったりタラントであったりする。

聖書には、人にはそれぞれに応じてタラントが与えれており、タラントを活かすようにという「タラントのたとえ話」がある。

ではどのようにタラントを活かせばよいのか。

X-MENたちは人間との平和共存のためにタラントを活かそうとする。
ブラザーフッドたちはミュータントたちのためにタラントを活かそうとする。

こうした2極のタラントの活かし方のなかにあって、主人公ウルヴァリンは記憶を一部失っている。自分の過去を知るためにとりあえずX-MEN側にいるのである。

こうした主人公の立ち位置は、単純な2極化の構図を避けてストーリーに深みを与えている。

はじめは自分のルーツを探す旅の途中であった主人公ウルヴァリンが、自分探しの旅を通してX-MENとして活躍するその姿に、観客は自分を重ね合わせることができるのだ。


■ 遠いようで身近な作品~ミュータントはあなた~

作品に登場するミュータントは、遠い世界の特殊な者ではなく、実はあなたのことである。

あなたの個性。

あなたの得意なもの。

あなたのタレント。

それをどう活かすか。

生きていくうえで誰もが直面する問題をウルヴァリンをはじめとするミュータントたちに重ね合わせて観ることができる、遠いようで身近な作品、それがX-MENシリーズなのである。


■ ひとこと

X-MENシリーズ(1と2)をしっかりおさらいしてから観たほうが楽しめる。

せめてX-MEN2をおさらいしておこう。

登場キャラクターが多いにもかかわらず、どこにも手抜きがないどころか、しっかりとストーリーに溶け込ませている。

これだけの数のキャラクターを投入しながらも違和感なくスッと観れるとうのは、実はたいへんスゴいことなのだ。

とはいっても、橋を浮かせたり、炎を操ったり、壁をすり抜けたり、空を飛んで雷を落したりといった能力の約束事を、ありえねぇ~! と思う方には向かない。

逆にいえば、個性・タレントをわかりやすく強調した形としてのミュータント能力という約束事さえ受け入れることができれば、きっとあなたも楽しめることだろう。

ストーム役のハル・ベリーはますます若々しく色気が出ている。彼女は歳をとらないかのようである。
今作では回転しながら空を飛んだりアクションシーンもあったりと、X-MENのリーダー的存在として大活躍するので彼女のファンは必見である。

俳優    ◎
ファミリー ○
デート   ◎
フラっと  ◎
脚本勉強 ◎
演出    ◎
笑い    ○
リアル   -
謎解き   -
人間ドラマ ◎
社会    ◎

B0000A59TNX-MEN 1&2 DVDダブルパック
マイケル・ドアティ ダン・ハリス ブライアン・シンガー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2003-09-12

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08/28/2006

スーパーマン リターンズ(SUPERMAN RETURNS)

監督:ブライアン・シンガー
アメリカ/2006年/154分

「赤マントの全身タイツ男 病院に担ぎ込まれる」の巻。父と子。ルーツ探し。新秩序の台頭の恐怖。アメリカ合衆国がよくわかる作品。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
故郷のクリプトン星を探して宇宙へ旅立ったスーパーマンが5年ぶりに地球に戻ってくると、かつての恋人ロイスは婚約しており、子供もいた。
そんななか、宿敵レックス・ルーサーが動きはじめる。
世界を救うためスーパーマンが立ち上がる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△スーパーマン
 クリプトン星の生き残り。

△ロイス
女性。新聞記者。スーパーマンの元恋人。

△レックス・ルーサー
男性。新秩序確立を目指す。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
「赤マントの全身タイツ男 病院に担ぎ込まれる」の巻。父と子。ルーツ探し。新秩序の台頭の恐怖。アメリカ合衆国がよくわかる作品。

■ 父と子

スーパーマンはクリプトン星の唯一の生き残りです。クリプトン星の消滅のときに赤ん坊だったスーパーマンは父によって地球へ送られます。

父にとってはかけがえないのない唯一の息子を地球に遣わしたのです。

この設定はほぼそのまま聖書と同じですね。

父なる神が、子なるイエスを地上に遣わされたというものです。

人間を救うために地上に遣わされたイエスも苦悩して父なる神に祈ります(ゲッセマネの園での祈り)。

またイエスは荒野で40日40家断食して悪魔による誘惑にあいます(マタイによる福音書第4章1節~11節)。
聖書によると、神の子であるイエスは数々の奇跡を行いましたが、様々な試練にあわれて苦悩もしたのです。

スーパーマンは透視能力や怪力や空を飛ぶ能力などを持ったいわば超人ですが、自分のルーツを探したり、地球でどう生きるか、何をすべきかを考え・悩みます。

これは人間だれしもあることですが、特に様々な民族やコミュニティから成るアメリカ国民は、自分のルーツ探しというものにたいへん高い興味と関心を持っているといいます。

故郷のクリプトン星を探しに宇宙へ旅に出たことからわかることは、地球にあって異星人であるスーパーマンではるけれども、その気質や行動においてはアメリカ国民に近いものがあるこということです。

アメリカ国民的要素を併せ持ったスーパーマンは一度に無数の声・音を同時に聞き分ける能力もあります。自分の生き方に悩みつつも、助けを求める声を放っておくことはできないと助けに世界を飛び回ります。こうした行動はアメリカ合衆国の国際社会での振る舞いを表現しているといっていいでしょう。


■ 人は何によっていきるか

荒野で断食中に、空腹ならば石をパンに変えればいいと誘惑者に言われたイエスは「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」(新約聖書マタイによる福音書第4章4節)と言いました。

さて、超能力を持ったスーパーマンの地球での生活はバラ色かというと、そうでもありません。

5年ぶりに地球に戻ってみると、変わらないと思っていたものまで変ってしまっていました。結婚して主婦するなんて考えられないと言っていた元恋人ロイスが、社内の同僚と婚約して男の子まで誕生していたのです。

常人にはできないことができるスーパーマンでも、愛する人との関係はなかなか思い通りにはできないのです。スーパーマンは地球でどう生きるべきかを悩みます。

どんなに高い能力を持っていたとしても、スーパーマンは何によって生きるのか。そして私は、あなたは何よって生きるのか。

これが「スーパーマンリターンズ」のテーマであり、観客への問いかけです。


■ ヒーローを必要としていない?

なぜいまスーパーマンなのでしょうか?

スーパーマンをアメリカ合衆国と例えてみると、世界はもうスーパーマンを必要としていないのでしょうか?

こんな疑問をアメリカ国民の多くが持っているからこそ、今も世界はスーパーマンのようなヒーロー=強いアメリカ合衆国を必要としているのだという物語で皆を鼓舞したいし、そういう話をアメリカ国民も求めている。だからこそ、いまスーパーマンなのですね。


■ 自虐コントネタを真面目に

悪役レックス・ルーサーが海上に新たな大陸を出現させて、これまであった大陸を沈めてしまおうというのは、早い話が新しい勢力地図を作るということです。これを阻止するのがスーパーマンですね。

新秩序の出現。
従来の秩序を守る側にとっては、事の善悪は関係なく、問題・驚異なのは新秩序の台頭です。

悪役がアメリカ合衆国の海岸線の一部を沈めることで、それまでタダ同然だった土地に新たな付加価値をつけて金儲けしようとしたぐらいの規模なら、スーパーマンの程よい活躍の場ができるといったものです。

しかし今回、レックス・ルーサーが作り出そうとしていい新しい土地は「島」とった規模ではなく「大陸」の規模です。

大陸ともなれば、それは新秩序の誕生を意味します。しかもそれを作り出す元のクリスタルは、そもそもスーパーマンが地球にもたらしたものです。

レックス・ルーサーは、土地を作り出すクリスタルの存在を知らなければ、そもそもクリスタルが存在しなければ、大陸を出現させるという壮大(?)な計画を実行しようとまではしないでしょう。悪役といえども、頭脳明晰という設定ですからね。

レックス・ルーサーが世界を少し乱す程度の小悪党であるうちは、たまにスーパーマンに懲らしめられるぐらいでちょうど良かったのです。

なぜなら、世界が危機に陥らなければ、だれも助けを求めないので、スーパーマンの活躍の場もないのですから。

5年ぶりに帰ってきたスーパーマンが、墜落していく飛行機を救って野球場に不時着させることに成功したとき、球場の観客は大きな拍手で彼の帰還を称えます。

たしかに飛行機の惨事を引き起こした原因を作り出したのはレックスルーサーなのですが……。でもね、惨事の大元へとさかのぼって考えてみると、彼がスーパーマンのクリスタルを手に入れなければこの惨事は起きなかったのです。

スーパーマンがもたらした「力の元=クリスタル」を小悪党が手に入れたことで、もっと大きな悪事を引き起こし、それをスーパーマンが退治する。すると、やはり世界はスーパーマンを必要としているのだ、と声高らかにいう。

世界最大の武器輸出大国が世界に火種を撒き散らし、それを正義の名のもとに火消しに世界を飛び回る。そんな、どこかのお国そのままといったようにもみえますね。

こんな自虐コントみたいなネタを、けっこう真面目に表立ってやっているのが「スーパーマンリターンズ」なのです。

では、表があれば裏があるということで、裏でいうとどんな作品が?

実は有名なアニメショーン作品がこういった意味で「スーパーマン」と表裏一体なんですね。

で、それはどんなアニメ作品か?

これについては長くなりそうなのでまたの機会に。


■ スーパーマンを知っている人向き

スーパーマン? 
それってペンギン村の梅干大好きなコスプレおじさんのことでしょ。

スーパーマン? 
それって「Mr.インクレディブル」でおっきなマントを羽織って空を飛んでいたスーパーヒーローが飛行機のエンジンにマントが絡まって亡くなったっていう話の、その元になったヒーローのことでしょ。

こんな認識を持っている方は、いきなり「スーパーマンリターンズ」を観にいってもイマイチ盛り上がらないでしょう。

「スーパーマン」シリーズを全く観ていないならば「赤マントの全身タイツ男が病院に担ぎ込まれた154分にわたる物話」ときいたならば、それってどうなの? と思ってしまうかもしれませんね。

とはいえ、ペンギン村のスッパマンを知っているアナタは、もちろんスーパーマンもよぉ~く知っているでしょうけれど(笑)


■ ひとこと

「赤マントの全身タイツ男 病院に担ぎ込まれる」

「入院中のスーパーマンはナースコールを押すのか」

「ナースが脱がす!?スーパーマンの全身タイツ」

こんなキャッチフレーズなら、もっとお客さんを呼べそうですネ。


俳優ファン △
ファミリー △ 
デート   △
フラっと  △
脚本勉強 ○
演出    ○
笑い    ◎ 笑える目線で見ればかなり笑える
リアル   - 風刺ならマル。 
謎解き   - 
人間ドラマ ○ スーパーマンですが……。
社会    ◎ 
CG     ○    


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08/02/2006

「幸せのポートレート(THE FAMILY STONE)」

監督:トーマス・ベズーチャ
アメリカ/2005年/103分

笑い、涙、シリアスありのメリハリの良い、女性限定ではないファミリードラマ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
ニューヨークのキャリアウーマンであるメレディスはクリスマス休暇を恋人の実家(ストーン家)で過ごすことになる。
しかしストーン一家になかなか馴染めず、なにをしても浮いて空回りする。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△メレディス
ニューヨークのキャリアウーマン。

▽シビル
エヴァレットの母親。

△エヴェレット
男性。メレディスの恋人。

△ベン
映画編集者

△サッド
聾者。ゲイ

▽エイミー
末娘

コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
笑い、涙、シリアスありのメリハリの良い、女性限定ではないファミリードラマ。

■ 男性でも楽しめる

作品タイトルと簡単な映画紹介文を読むと、あぁよくありがちな女性向け作品だな、と男性は思うかもしれない。

しかし女性に限らず男性でもじゅうぶんに楽しめる作品だ。

なぜなら、作品がだれにも媚びを売っていないからだ。

大抵の女性向けと言われる作品は、当然のように女性に受け入れられなくてはならないので、女性心というか乙女心にドンピシャリなキャラクターを主人公にして、一部の女性にとって居心地にいい作品を作り出すことに力を注ぐ。(例「アメリ」「かもめ食堂」)

「幸せのポートレート」はそのタイトルからして、そういった女性向け作品と同じ匂いを感じてしまうかもしれない。だがそうではない。

女性からみてもちょっと空回りしている主人公は、けっしてはじめから観客に受け入れられやすいキャラクターとはいえない。


■ 愛されない主人公?

主人公のメレディスはニューヨークのキャリアウーマンで、マナーもしっかりしているのだが、ストーン家の面々には好かれない。

ストーン家は養子をもらったりゲイを受け入れたりとリベラルでだれに対してもオープンな家庭を自負しているが、息子が連れてきたメレディスだけは、表面上は歓迎しても心から受け入れようとはしない。

ストーン家の顔ともいうべき母親のシビルは特に息子のエヴェレットがメレディスと結婚することに反対だ。

聾唖者のサッドを養子にしてたり、その彼のパートナーであるアフリカンアメリカンの男性を家族として受け入れたりしているシビルが、なぜキャリアウーマンで世間的には非のうちどころのないメレディスを受け入れられないのか。

そこにはある理由がある。

このあたりのシビルの事情の用い方に抑制が効いているのである。


■ いかにもお涙頂戴にしない巧さ

シビルの事情というのは、ともすればついつい観客の涙を誘おうと大げさにしてしまいがちだ。

たとえば、ほれ泣け、ほれ笑え、ほれ悲しめ、と何度も言われたとししたら、もそんな気持ちになるどころかかえって冷めてしまうことがあるだろう。

某韓流ドラマや映画におけるお約束の●●のように、作品を劇的にするために登場人物が次から次に●●に冒されいく、もしくは交通事故にあってしまうというのは、それがお約束だから。

観客や視聴者もそれを覚悟の上で観ているのだからまぁいいのだろうけれど、一般の観客にとっては「またか……」と思われしまうのはいたしかたない。

ところが「幸せのポートレート」では、シビルの事情はお約束ではない。あくまで、シビルがメレディスを受け入れられない動機のひとつなのだ。

これは、この作品が「女性向けというお約束」に終始するものではないこととも相まって、観客に好印象を残す要因にもなっている。


■ 笑いは「間」をつくる

家族を題材とした作品ではとくに、要所にコミカルなシーンを入れやすい。

そもそも笑いという「間」は家族(家庭)を舞台とした喜劇とは相性がいい。作品のテンポをコントロールする「間」を笑いが作り出してくれるため、微妙な家族間の関係や雰囲気を「間」で描き出しやすいからだ。

本作でも笑いのシーンが「間」をつくって和ませてもくれる。


■ クリスマスシーズンと家族

な家族(家庭)を一年で最も意識するのがアメリカ合衆国ではクリスマスだという。

日本に生まれ育った若い人のなかには、恋人と過ごせないクリスマスは惨めだという思いがあるという。

クリスマスに恋人と過ごさなければ!という思いはホテル業界が仕組んだキャンペーンだという説もあるとかないとか……。

クリスマス休暇は家族で過ごすという習慣が根付いているアメリカ合衆国において、家族を題材とした作品の時期設定がクリスマスシーズンというのはど真ん中ストライクなのだ。

そういうわけで本作は恋人限定のクリスマスストーリーではない。家族の物語なのだ。


■ ひとこと

はじめはストーン家の家族構成がわかりづらいかもしれない。しかしリベラルな家庭というキーワードを知っていればすぐにわかるようになる。

後半は多少ドタバタして(ほんとうにキッチンでドタバタするシーンがあってなかなイイ)そういうまとまり方はちょっとくるしい気もしたが、ありきたりな定番ハッピーエンドな収まり方をしていないのが「味」ともいえる。

いまのところ日比谷のシャンテ シネでしか上映していないようだが、多少時間をやりくりしても観にいく価値はじゅうぶんにある作品だ(夏シーズンの映画作品では他に評判のいいおすすめ作品が比較的少ないように思えるので)

作品内容とは関係ないが、それにしてもシャンテ シネは作品上映前の、他の映画関連の予告編上映時間が長い。たっぷり20分ぐらいはあるんじゃないだろうか。もしくはそれ以上か。予告編を観るのが辛くなるぐらいに多いような気がする。

単館系映画館はCMを入れないと運営がたいへんかもれないが、いつものことながらチト長い。近所の高級志向珈琲店のCMなどは地元の雰囲気が漂っていてなかなかなのだが……。

俳優ファン  ○ 「SEX AND THE CITY」のジェシカ・パーカー出演
ファミリー   ○
デート    ◎
フラっと   ○
脚本勉強  ○
演出     ○
笑い     ○ 
リアル     △
謎解き    - 
人間ドラマ  ◎
社会     ◎

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07/26/2006

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
(PIRATES OF THE CARIBBEAN/DEAD MAN'S CHEST)

監督:ゴア・ヴァービンスキー
アメリカ/2006年/151分

ジャック・スパロウが活躍する世界観を楽しむ作品。間延び感はあるが、笑いのコネタが満載で大冒険活劇の名に偽りナシ!

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
ウィル・ターナーとエリザベス・スワンは結婚式の日に海賊ジャック・スパロウ逃亡を助けたとして投獄される。
ウィルはエリザベスを救うため、ジャック・スパロウが持つ携帯コンパス(羅針盤)を手に入れるため旅立つ。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジャック・スパロウ
海賊船ブラックパール号の船長。

△ウィル・ターナー
鍛冶屋。

▽エリザベス・スワン
総督の令嬢。ウィルターナーの婚約者。

△デービー・ジョーンズ
幽霊船“フライング・ダッチマン”の船長。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
ジャック・スパロウが活躍する世界観を楽しむ作品。間延び感はあるが、笑いのコネタが満載で大冒険活劇の名に偽りナシ!

■「ジャック・スパロウわーるど」全開

2作目となる今作のはじめのジャック・スパロウ登場シーン。棺おけから出た手、そして顔を出したジャック・スパロウの姿に観客から思わず「オォ」という声が漏れた。

これがちょいと昔の劇場なら「いよっ!まってましたスパロウちゃん!」なんて掛け声が出るのだろうけれど、主役の登場シーンで客席から思わず声が出るというのは、ファンがたくさん観にきていたとうこと。

そのなかのひとりに私がいたことはいうまでもない。

早い話がこの第2作におけるジャック・スパロウ初登場シーンだけでファンはとりあえずOKなのだ。あとはこの作品世界をまるでディズニーアトラクションに参加するかのごとく楽しばいい。そんな作品である。


■ ちょっと間延び

いろんなところで言われてることだが、上映時間がちと長い。151分である。見せ場はたくさんあって大冒険活劇の名に相応しい作品なのだが、抑揚のテンポがいまいちだ。

もしもジャック・スパロウわーるどに入り込めなかったならば、途中で少し間延び感を味わうかもしれない。

本作は第3作へつづく「つなぎ」的な要素もあるわけで、程ほどの盛上がりをみせつつ、次へつなげる余韻を残して観客に先を期待させなければならないために、船でいえば沖に出ずに陸地に沿って浅瀬に気をつけながら航行をつづける巧みな航海技術を要する微妙な匙加減が必要である。

そのあたりを考慮すれば、ちょっとした間延び感さえも長い航海をたっぷり楽しめるというお得な要素と思えばそれもまた楽しいだろう。


■ 笑いのコネタが満載

どんなシーンも笑いのネタが豊富に散りばめられている。楽しみながら演じて(つくって)いる様子が伝わってくる。客席からも幾度も笑い声が上がった。

ちなみに2人組み(コンビ)で登場する海賊は映画によく使われるキャラクターの使用方法で、2人の掛け合いで場を和ませつつテンポも調整する役割を持っている。
こうしたコンビの元はといえば、黒澤明の「隠し砦の3悪人」の2人組みの農民だ。これからヒントを得てジョージ・ルーカスが作ったのが「スター・ウォーズ」シリーズにC3POR2‐D2というわけである。


■ ひとこと

第1作「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」と密接にリンクした内容になっているので、話の流れや登場キャラクターなどを忘れてしまっているともったいない。

ぜひ、第1作を観て間をあけずに観にいこう。

ジャック・スパロウというキャラクターがお気に入りなら楽しめること間違いなしだ。

作品世界の雰囲気を楽しむという性格の作品なので、全くの予備知識なしで観にいくような作品ではない。

エリザベス・スワン役のキーラ・ナイトレイはさすが旬の女優、紅一点輝いているゾ。


俳優ファン  ◎
ファミリー   ○
デート    ◎
フラっと   △ 
脚本勉強   △
演出     ○
笑い     ◎
リアル     -
謎解き    -
人間ドラマ  -
社会     -
アクション  ◎
世界観    ◎
キャラクター ◎

「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(PIRATES OF THE CARIBBEAN)」作品レビュー

海賊ジャック・スパロウ役のジョニー・デップの主な出演作の紹介とインタビュー内容はこちら

▼前作はこちら↓

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07/24/2006

ワンマンバンド(One Man Band)

監督:マーク・アンドリュース

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
願いごとをしようとコインを一枚持ってやってきた少女・ティッピーは、広場にいたストリートミュージシャンの演奏に気を惹かれる。
ふたりのストリートミュージシャン(ワンマンバンド)はティッピーの持つコインをめぐって演奏対決を繰り広げる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ベース
ストリートミュージシャン。打楽器と吹奏楽器中心のワンマンバンド。

△トレブル
ストリートミュージシャン。新入り。弦楽器中心のワンマンバンド。

▽ティッピー
少女。広場の噴水に願いごとをしようとコインを一枚持ってやってくる。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
一般的な意味でのワンマンバンドとは大道芸の一種で、ひとりで多くの楽器を同時に演奏するパフォーマンスです。
「ワンマンバンド」は映画「カーズ(CARS)」で同時上映される短編映画です。

この短い作品に込めれたメッセージは「カーズ」のテーマやメッセージをギュッと凝縮したものとなっています。長編(「カーズ」)と短編(「ワンマンバンド」)は共通したテーマやメッセージを持っているのです。


■ どこで1番になるの?

「カーズ」の冒頭では、主人公ライトニング・マックィーンがレースで1位になろうと、がむしゃらにがんばっていました。でも、レースで1位になることよりも大事なものをみつけた彼は王者にはなりませんでした。

レースで1位にならなライトニング・マックィーンみんなから尊敬され愛されるヒーローになることができたのです。

「ワンマンバンド」では、ふたりのストリートミュージシャンが、少女ティッピーのもつ一枚のコインを得るために演奏で競い合います。ふたりとも多くの楽器で音楽を奏でることができますが、その目的はコインです。一枚のコインを得るためにがむしゃらにがんばって演奏します。


■ こう考えてみよう

こう考えてみましょう。
ストリートミュージシャンは映像制作会社。楽器は映像表現技術、ここではCGとします。そして楽器の数や種類はCGをはじめとするビジュアルエフェクト技術の数々とします。

多くの楽器(CG技術)を駆使して次から次にライバルと競い合ってがむしゃらに演奏(CG作品制作)するワンマンバンドがいるとします。

コイン1枚というご褒美をめぐって過熱する演奏(CG作品制作)対決がはじまります。対決は激しさを増し、ついにはふたりのワンマンバンドが同時に演奏(作品制作)をはじめます。

すると演奏(CG作品)は騒音(駄作)へと変わり、おもわず両耳をふさぐ少女ティッピー。……すると小さな手からこぼれたコインは地面に落ちてコロコロと転がっていきます……。


■ 少女ティッピーの願いはなんだろう

CGという新しい表現技術を手に入れ、年々高性能になっていくコンピュータによって、それまで不可能とされていた映像をつくれるようなるにつれて、我先に最新のCG技術を使って作品を作りつづけてきたCG業界(みたいなもの)の有様を風刺的にあらわしたワンマンバンドの対決は、観客(少女ティッピー)がはたして何を求めているのかを読み取る作業を忘れているのでないかという大事なことに気づかせてくれます。

そもそも、少女ティッピーは1枚のコインをもって広場になにをするためにやってきたのでしょうか。

ストリートミュージシャンの演奏を聴きにきたのではありません。広場の噴水にコインを投げ入れて願い事をしようとやってきたのです。

少女ティッピーの願いごとはなんなのかと想像することもなしに、コイン目当てに少女の気を惹くために演奏合戦を繰り広げるワンマンバンドの姿はあなたの目にどのように映るでしょう。


■ ちょっとした演奏なら誰でもできる

少女ティッピーは小さな弦楽器のひとつを手にとると、さっさとチューニングを済ませてすぐに演奏をはじめます。なかなかの腕前です。すると見知らぬ通りすがりの人がコインがぎっしりと入った袋をドサッと置いていきます。

これはシャレのきいたシーンですね。

楽器の演奏、つまりCGを使った映像制作はパソコンとCGソフトさえあれば小さな子供だってはじめられます。

子供が作ったにしてはスゴい! 未来のCG作家現る! な~んてとりあげられて、それを観た投資家が融資してくれるなんてちょっとアリそうと思わせるところがシャレてますね。


■ 結婚式で例えるなら

どっさりとたくさんのコインを手に入れた少女ティッピーが2枚のコインをちらつかせてワンマンバンドたちの注意を惹き付けます。

はたしてワンマンバンドたちは念願のコインを手に入れることができるのか。

そして作品のラストシーンでワンマンバンドたちがとった行動こそが、結婚式で例えるならケーキ乳頭(ナイナイ岡村さんのギャク)、あ、いやケーキ入刀(はじめての共同作業)です。

ワンマンでがむしゃらに演奏(CG)技術を競い合ってきたきた者同士のはじめての共同作業とは?

それは作品を観てのおたのしみ。

ひとついえることは、とってもオチャメで、江戸っ子でいうなら「粋」な風刺画といったところです。


■「ワンマンバンド」のメッセージとは?

「ワンマンバンド」という作品を、CG作品として作る。これこそピクサーのメッセージなのです。

CG技術(多数の楽器と演奏技術)をがむしゃらに競い合って一枚のコイン(数字上だけの作品順位トップ)を手に入れる競争を続けていくことの滑稽さをCG作品で描いたピクサーの思いやメッセージはどんなものなのでしょうか。

それは、ストーリーの重要性です。

ピクサーの作品づくりでは通常、台本や絵コンテを作成しながらはじめにストーリーを組み立てます。ピクサーがひとつの作品を完成させる期間は4年間。そのうち半分の2年間をストーリーとキャラクターづくりに費やすといいます。

作品のはじめにするのはストーリーづくりです。それも2年。

「ワンマンバンド」のメッセージとはズバリこれです。

「ピクサーはCG屋ではない。ストーリーテラーである」

そしてこのメッセージをCGを使った物語で伝えていることが、作ればヒット!の常勝軍ピクサーのチョットばかり、いや、かなり超越しちゃった感アリのオチャメさも忘れない貫禄といったところなのですネ。

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07/19/2006

カーズ(CARS)

監督:ジョン・ラセター
アメリカ/2006年/122分

テーマ・メッセージ選びの段階ですでに成功の常勝軍ピクサー(ディズニーに買収された)貫禄の一品。無意識レベルの観客の願望を読み取って解消するヒアリング能力の高さとそれを形にする最適任スタジオがどこかを知らしめ、CGとスピードのマッチングの良さも見事に披露している。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
ピストン・カップ史上最年少優勝をめざして人気沸騰中の若きレーサーであるライトニング・マックィーンはある日、ルート66号線沿いの地図から消えた田舎町ラジエイター・スプリングスに迷い込む。
街のみんなと触れ合ううちにライトニング・マックィーンは人生で(車生)で大事なものに気づく。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ライトニング・マックィーン
レーシングカー。ルーキー・レーサー。

△メーター
レッカー車

▽サリー
2002年型ポルシェ911。弁護士。

△ドック・ハドソン
1951年型ハドソン・ホーネット。町医者。修理工場経営。

△チック・ヒックス
ベテラン・レーサー。万年2位。姑息な手を使って上位を狙う。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
テーマ・メッセージ選びの段階ですでに成功の常勝軍ピクサー(ディズニーに買収された)貫禄の一品。無意識レベルの観客の願望を読み取って解消するヒアリング能力の高さとそれを形にする最適任スタジオがどこかを知らしめ、CGとスピードのマッチングの良さも見事に披露している。

■ 徹底した車社会

本作には人間が登場しない。人間に限らず、他の動物も登場しない。徹底した車社会になっている点はあっぱれだ。

「ファインディング・ニモ」は海の生物を中心としていたが、それでもやはり人間が少し登場した。ニモが人間のダイバーにとらわれたという設定のため、どうしても人間が登場するシーンが必要だったわけだが、人間が少しでも登場することで観客の視点がたとえ一瞬でも魚から人間に移ってしまうのは、まるで夢の世界から現実の世界へ引き戻されてしまうかのようでちょっぴり残念だった。

しかし「カーズ」には人間は登場しない。登場するのは車だけである。にもかからわらず車の種類というのはたくさんあり、車ほどキャラクターを反映するものもほかにない。


■ どんな車に乗っているか?

車を買う場合を想像してもらいたい。たとえ買わなくても、どんな車を運転したいか(乗りたいか)と想像してほしい。

それはあなたが他人からどのように見られたいかを反映している。

特に田舎では、どんな車に乗っているかは、ファッションの一部にとどまらず、その人物の性格や考え方といった内面をも他人にイメージさせる重要な要素となっている場合が少くない。

いわゆる都会の、車をあまり利用しない地域や状況においては、車にとってかわるものはファッションだったり携帯電話だったりする。

都会に限ったことではないかもしれないが、特に若者の会話においてはどんな携帯電話を使っているかが話題になることが多い。

新しいモデルが出るごとに機種変更をしたり、2つも3つも携帯電話を持っていたりする人もめずらしくない。

わたしは携帯電話は基本的に使えればいいと思っているので、機械の調子が悪くでもならない限り同じ機種を使いつづるようにしているが、都会に住む比較的若い人たちの会話には携帯電話の品番(型番?)がたくさん登場する。さらに新しい機能についてあれやこれやと皆とても詳しい。

それってそんなに熱心に話すこと……? と思ってしまうあたりがもうアダルト(?)なのかもしれないが、もしかしたら当り障りの無い話題で会話のとっかかりをつかもうとしているだけなのかもしれない。そう、一昔前のプロ野球の話題をすればよかった古きよき(?)時代のように……(笑)。

アメリカ合衆国はよく車社会といわれるが、もしろん車をもっていない人もたくさんいる。しかし車はアメリカ合衆国にかぎらず、それに乗る人の生活水準と趣味を最もよく表す記号として使われている。こんなにキャラター付けがしやすい記号もないだろう。

というわけで、車というキャラクターが登場する世界で繰り広げられる「カーズ」はCGやアニメーションにおいて重要なキャラクターという面でたいへん優位であるといえよう。


■ CGとスピードのマッチングの良さ

主人公はライトニング・マックィーンはレーシングカーだ。当然、レースシーンがある。そこで描かれるのはスピードである。

前作「Mr.インクレディブル」は「カーズ」の監督とは違う人が監督した作品だが、そこに登場した少年ダッシュは、時速300kmで走り抜けるスーパー・ランナーで、自分の走りのあまりの早さに、自分でも気がつかなかった能力を発見してしまうほどだった。

ほかにも「Mr.インクレディブル」ではミサイルをかわそうとする飛行機のシーンがスピード感に溢れていた。

このことから、ピクサーはかなり早い段階からCGとスピードの相性の良さに着目していたようだ。その集大成が「カーズ」なのである。

「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」作品レビュー


■ お初? 悪役登場!

これまでのピクサー作品には単純な悪役はあまりいなかった。
「Mr.インクレディブル」の悪役シンドロム(バディ・パイン)でさえ、元スーパー・ヒーローオタクで発明好きな少年がちょっとした心の傷を負ったがためというものであった。単純な悪役ではなく、見方を変えれば悪役とはいえない事情をもっていたともいえる。

しかし「カーズ」におけるベテランレーサーのチック・ヒックスは、車体をぶつけるなど、ありとあらゆる姑息な手を使ってもレースで優勝しようという悪役として登場する。

しかしながらここでもヒッチ・ヒックスはほんとうに悪い奴なのかという問いが浮かぶが、かならずしもそうともいいきれない。レースにかぎらずどんなスポーツであれ、あらゆる手をつかって勝とうとするのが普通だからだ。勝つための方法が、人の見方によては「姑息」と映ることもあるということだ。

カーレースをはじめとするスポーツの現場ではチック・ヒックスみたいなのはあたりまえだとすると、ではありきたりな悪役を登場させるわけとはなんだろうか?


■ 常勝軍だからこそのメッセージ(一部ネタバレあり)

チック・ヒックスみたいな奴がゴロゴロいる社会で必死に1位になることがそれほど大事なのか? いいや、1位になることよりも大事なことがあるんだよ。

そんなメッセージが込められている「カーズ」は、作った作品すべてがヒットしている常勝軍ピクサー(ディズニー/ピクサー)だからこそいえることなのだ。

ライトニング・マックィーンにしたって、若くてルーキーだが走りの才能があってレースで優勝できる実力があるとだれもが認めるからこそ、1位にこだわらなかったことでヒーローになれたのだ。

1位になれる実力がある、もしくは1位になったことがあるからこそいえること。それが1位になることよりも大事なことがあるというメッセージなのだ。

このメッセージを伝えるのにピクサーほど適任はいない。テーマ・メッセージ選びの段階ですでに成功している。これぞ常勝軍の貫禄である。

大金はむなしい。と大金持ちが言ったとしても庶民はお金がほしいもの。なぜならそんな大金を持ったことがないからだ。

たぶんこれからも大金など手にすることはない。ならば、大金はむなしいと大金持ちが言ってくれることで、大金を持ったことがなくこれからも持つことが無いであろう自分が「大金を持つ」という叶わぬ度99パーセントの「しがらみ(別名は『夢』)からひとときでも自由にさせてくれたらいいなぁという庶民の無意識レベルの願望を見事に聞き入れた内容でもある。観客の願望をよく知っているのである。

もちろん、自分の価値観を持って周囲の家族や友人を大事にすることのすばらしさを伝えていることにはかわりない。

ちなみのこのメッセージは同時上映の短編作「ワンマンバンド」の根底にも含まれている。

「ワンマンバンド(One Man Band)」 作品レビュー


■ 期待が大きすぎるのか……。

「カーズ」は他のピクサー作品にもれず、たいへん完成度が高い。独走状態である。――それ故に、大きな期待を寄せてしまう。

例えるなら、毎日最高級の大トロを食べつづけて、おいしいものの感覚がちょっとおかしくなってしまったかのようなものである。

つまり、とてもよく出来た作品にもかかわらず、もうひとつ何かがほしかったようなに思えてしまうのだ。

それは、若くて勢いがある新人レーサーだが友人もサポートクルーもいない主人公が、田舎町で素朴でいい車たちに出会って変化するというのは、いかにも予定調和と感じてしまうということだ。ってそれはゼイタクというものである。

ありがちな話というのはそれだけみんなに愛されているということだから、あとはそれをどのように描くかが大事だ。その点「カーズ」は車を主人公にしてきれいなCGで物語ってくれた。それだけで充分すぎる程である。


■ 友人(友車)ができるまで

物語のはじめにライトニング・マックィーンが唯一、友達と思っていたのは電話でしか話したことがなかったエージェントだ。エージェントが自分に親身になってくれているように感じたライトニング・マックィーンだったが、それは彼が金ヅルだからだ。

利害関係だって立派な「関係」だが、友人関係とは違う。ライトニング・マックィーンはラジエイター・スプリングスでメーターという友人(友車)を得る。やがてメーターだけでなく街の車たちみんなが友人(友車)になるのだ。


■ ひとこと

一見すると子供向けではないようで、実は「大人が楽しめて子供にも観せたい」と思わせるところがほんとうにウマイなぁと思う。

大人が見ても楽しめる作品というよりも「子供が見ても楽しめる大人向け作品という売り方」が一歩も二歩も先を行く独走状態の秘訣というかんじでニクイところだ(^^)


おすすめレビュー
京の昼寝~♪さんの「『カーズ』(字幕版)」
マックィーンとドッグ・ハドソンとの関係について、ハドソンの声を担当したポール・ニューマンを中心に書かれています。

俳優ファン ◎ 声優が豪勢
ファミリー  ○
デート    ○
フラっと   ◎
脚本勉強  ○
演出     ◎ 
笑い     ○
リアル    - 車が喋ってますから!
謎解き    - 
人間ドラマ - 車社会ですから!
社会     ○ 
CG      ◎  

ピクサー関連作品レビュー

○「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」レビュー

○「ファインディング・ニモ (FINDING NEMO)」レビュー

○「モンスターズ・インク(MONSTERS,INC.)」レビュー

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07/14/2006

サイレントヒル(SILENT HILL)

監督:クリストフ・ガンズ
アメリカ・日本・カナダ・フランス/2006年/126分
ホラーアドベンチャービデオ(テレビ)ゲーム『サイレントヒル』の映画化作品

じわじわと忍び寄る、人間の弱さを負の側面から炙り出す恐怖を効果的なビジュアルエフェクトで描いた上質ホラー作品。ダーク・ナース集団との「サバイバルdeだるまさんがころんだ」は手に汗握るゾ。ホラーが苦手でなければ観逃すな!

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
少女シャロンはときおり悪夢に魘され、幾度もサイレントヒルの名を口にする。そこで母親ローズはウェストバージニア州の街サイレントヒルにシャロンを連れて行く。町の入り口で自動車事故にあい、ローズはシャロンを見失う。
ローズは娘シャロンを探して、現在も地下火災が続いて廃墟となったといわれるサイレントヒル内を捜索する。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽ローズ
女性。シャロンの母親。

▽シャロン
少女。ローズの娘(養女)。

▽アレッサ
謎の少女。シャロンとは瓜二つ。

▽シビル
女性。警官。

△クリストファー
男性。ローズの夫。

△グッチ
男性。刑事。

▽クリスタベラ
女性。サイレントヒルの権力者。狂信的宗教団体のリーダー。

▽ダリア
女性。サイレントヒルを徘徊する。住人から忌み嫌われている。

▽アンナ
女性。サイレントヒルの住人。

--------------------------
▲レッド・ピラミッド
三角形の頭を持つ。巨大な剣で破壊の限りを尽くす。

▲グレイ・チャイルド
幼児のような風貌。集団で襲い掛かる。

▲アームレス
顔と腕がなく、強力な酸を放出する。

▲ジャニター
ミイラ化した元小学校清掃員。闇に包まれると動き出す。

▼ダーク・ナース
顔のない元ナースたち。光に反応して動く。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
じわじわと忍び寄る、人間の弱さを負の側面から炙り出す恐怖を効果的なビジュアルエフェクトで描いた上質ホラー作品。ダーク・ナース集団との「サバイバルdeだるまさんがころんだ」は手に汗握るゾ。ホラーが苦手でなければ観逃すな!

■ ビジュアルエフェクト

サイレントヒルを闇が包み込んでいくときの、まるで建物の壁が焼け落ちて朽ちていくかのようなビジュアルエフェクトの使い方がいい。ゲーム版の雰囲気や世界観とてもよく表現している。

ここでひとつ大事なことをおさらいしておこう。
ビジュアルエフェクトの基本は、なにかを表現するために用いられる補助的なものである。ビジュアルエフェクト自体が目的になってはならない。

なぜなら、ビジュアルエフェクトが主目的になった作品が向いている方向は観客ではなく、制作者になりがちだからだ。

この点において「サイレントヒル」はきちんと観客のほうを向いている。ビジュアルエフェクトはサイレントヒルという場所とそこを闇が包み込む際の様子を表現する方法のひとつとして用いられているのであり、ビジュアルエフェクト自体が主役ではないからだ。

因みにビジュアルエフェクト・CG自体が目的になっているかのような印象を与える作品の例としては「ローレライ」がある。

「ローレライ(LORELEI)」作品レビュー

さらにビジュアルエフェクト・CGの用い方にもおおまかに2つの方向性がある。

ひとつは新たな世界観や独自の世界観を表現するために使うもの
(例)「嫌われ松子の一生(Memories of Matsuko)」作品レビュー

もうひとつは過去の現象・時代を再現するために使うもの
(例) 「ALWAYS 三丁目の夕日」作品レビュー


■ 主人公~母親~

ビデオ(テレビ)ゲーム版では父親が主人公だったはずだ。しかし映画化にあたり、母親を主人公へと変更している。

聖書には「いなくなった羊」を探す羊飼いのたとえ話があるので、愛する子を探すのは父親でも違和感はさほどないが、やはり欧米にかぎらずアジアでも母親の深い愛というのは共感を得やすい。

たとえ父親から母親に主人公が変更になったとしても、キャラクターの能力には大差はない。というのは「サイレントヒル」の主人公はスーパーヒーローでもなければ、特別な能力を持つ者でもない、普通の人間なのだ。

PS版「サイレントヒル」の主人公の父親の体力は人並みで、しばらく走ればハァハァと息を切らす。舞台がアメリカ合衆国とはいえ銃器の扱いには慣れておらず、拳銃を手に入れても、射撃の訓練をしたことがないであろうことから至近距離でしか威力を発揮しない。戦うよりも危険を回避して娘を探し回るといった、一般人そのままのキャラクターが主人公なのだ。(ちなみに映画版「サイレントヒル」のローズが使う武器というアイテムはジッポと小さなナイフぐらいなものである)

そんな頼りになりそうもない主人公でいいものかと思われるかもしれない。だが子を想う親の愛はなによりも強いというではないか。たとえその子(シャロン)が養女であったとしてもだ。

そもそも観客は自分との共通点を全く見つけられないような主人公には感情移入しにくいものだ。「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公だって、魔法もできないし、剣術だってほとんどできない。それは多くの観客と共通する点だ。


■ 恐怖の対象はなにか

人々が何を恐れているのかを知れば、その社会・時代を最もよく知ることができる。そういった意味で、ホラーというのは風刺と相性がいい。

例えば68年の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』における恐怖の対象とはヒッピーであったともいえよう。恐怖の対象はアメリカ国外の脅威ではなく、自国内の若者=ヒッピーという得体の知れない不気味な存在がいつの間にかジワジワと自分のテリトリーを侵蝕していくかのような不安感を見事に映像化したもの、それがゾンビ映画だったわけだ。詳細はこちらのレポートをどうぞ。

【深夜の課外授業】ゾンビでわかるアメリカ合衆国
  ~けっして日没前には読まないでください~

さて今作「サイレントヒル」での恐怖とはなにか。それは「盲信」である。

信じるものがあるのはいいことだが、それに頼りすぎると自らの判判断力を鈍らせることになる。人は弱いものである。判断と決断を信頼できるだれかに委ねることができるというのはとてもでもある。

明日からなにをするか自分で決めなければならないとなったらどうだろ? 普段からしたかったことを喜んでしても、数週間後にはやり尽くしてしまう。たとえ世界中を旅しても1年もあれば十分だ。

明日なにをするか自分できめなければならないのは実はけっこう辛い。明日はあれをしなければならないと決まっているのは実はなのだ。

1ケ月も好きな事をしていたら、あなたはふと思う。明日も明後日も、来週も再来週も、何をやるかを誰かに決めてもらえたらどんなにいいことか――と。

●●さえ信じてそれの指示の従っていればよいと、己の判断と決断をすべて誰かに委ねてしまいたいと思う、そんなあま~い誘惑から逃れることはなかなか難しい。

サイレントヒルの住人たちの大多数がクリスタベラが率いる盲信的宗教団体にすがるのは、闇から逃れて助かりたい願いの根底に、そもそもこのあま~い誘惑に打ち勝つ事ができないからだ。

盲信的団体運営のために必要なこと、それは差別である。なにか(だれか)を差別することで、差別から逃れた者に優越感と感謝と安心の気持ち持たせることで結束を保つのだ。

映画「サイレンヒル」で差別の対象とされたのは少女アレッサであるが、作品の肝の部分なので詳細は書かない。

さて結束において「内部における区別」よりも強力な効力が期待できるのは「外敵の設定」である。外なる敵に対抗する為に内なる敵とも手を結ぶなんてことはありがちだ。

ということで、集団・組織の運営には欠かせないものが内においては差別であり、外においては外敵なのである。

そして差別と外敵を利用する集団・組織は、個人プレーを嫌う。

「集団・組織 × 個人」といった構図で読み解くとわかりやすい。

主人公ローズがサイレントヒルでひとりで娘・シャロンを探すのも、女性警官シビルがたいていは相棒とコンビを組んで仕事するにもかかわらずひとりで動いているのも、謎の少女アレッサがいつもひとりで姿をあらわすのも、ダリアがサイレントヒルの住人たちから忌み嫌われてひとりでいるのも、こられはすべてクリスタベラ率いる妄信的宗教団体との対比を明確にすることで、作品における恐怖=盲信を浮き彫りにするためである。


■ じっくりじわじわと浸透していく恐怖

じわじわと忍び寄る恐怖。人間の弱さを負の側面から炙り出した恐怖。これが「サイレントヒル」の恐怖だ。

逆にいえば、遊園地のビックリお化け屋敷みたいな仕掛けや演出はしていない。

「ブギーマン」にみるように、ホラーにはデートムービーという需要に合致する「ワーキャー絶叫ショッキングホラー」というジャンルがある。

「ブギーマン(BOOGEYMAN)」作品レビュー

「サイレントヒル」はホラーだが「ブギーマン」とは種類が違うホラーなのだ。

お化けで怖がらせようというのもでもなく、ビックリドッキリ演出で怖がらせようというのでもない。

人間の弱さを負の側面から炙り出す恐怖を、サイレントヒルという街を舞台に、じっくりとじわじわと侵食してくるかのように味わえるホラーなのである。


■ ひとこと

監督は「ジェヴォーダンの獣(2001)」のクリストフ・ガンズ。独特の映像センスで世界観を構築できる監督だ。アクションや格闘技が好きな方には特に「ジェヴォーダンの獣(2001)」はおすすめだ。

「サイレントヒル」は品質がいい。ビジュアルエフェクトの使い方も絶妙だし、作品世界の雰囲気をしっかり醸し出しているし、恐怖の題材・テーマも明確だ。

光に反応するダーク・ナース集団との「だるまさんがころんだ」みたいなシーンも手に汗握る。ダークナースってネーミングもいいし、その動きがえぐい!

レッド・ピラミッドの巨大な剣で襲い掛かってくる迫力もすごいゾ。

サイレンの使い方は日本映画「サイレン」よりも格段に身震いができる使い方をしている。

「サイレン FORBIDDEN SIREN」作品レビュー

ゲーム版でもそうだが、闇に包まれたときにのバックミュージックというか効果音が映画でも使われていて、なんともいたたまれない恐怖感を煽っている。

エグイ系の描写があるのでそういうのが苦手な人には向かないが、かなりの上質ホラー作品なので、普段ホラー作品にあまり縁がないという方も、夏なのでおもいきって観にいってみよう。おすすめだ。

繰り返しになるが「サイレントヒル」はワーキャーと盛り上がれるデートムービーとしてのホラーではないので、はじめてのデートで観るのはやめておこう(デート相手がゲーム版「サイレントヒル」のファンならば別だが)。

ちなみに建物の名前などがホラー関連のものになっているそうで、あなたは気づいたかな?
どこにどんな名前が? はこちら↓をどうぞ。
arudenteな米さんの「サイレントヒル」

おすすめレビュー
映画をささえに生きるさんの「サイレントヒル」
↑風刺的なところと、恐怖の根源についてとても深くわかりやすく書いてあります。ぜひ読んでみて。

俳優ファン  ○
ファミリー   ‐
デート    × デート用ホラーではない
フラっと   ◎ 
脚本勉強  ◎
笑い     -
リアル    - 
謎解き    ○
人間ドラマ ○ 人間の弱さ
社会     ◎ 風刺
映像     ◎ 造形・美術・映像が上手
世界観   ◎ 


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07/13/2006

M:i:III

監督:J・J・エイブラムス
アメリカ/2006年/126分

トム・クルーズブランドの「M:i:III」というテーマパークを楽しみに行くという感覚で安心して観れるスパイアクション娯楽大作。マグフィンの用い方がちょこっと風刺ちっく。制限時間で盛り上げる手法は基本テクとしてぜひ勉強しよう。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
現場を離れ、訓練教官をしているイーサンは看護士のジュリアと婚約中に、かつての教え子の救出作戦チームのリーダーになるよう招集がかかる。
やがてブローカーのディヴィアンとの戦いで最愛のジュリアを誘拐されたイーサン。救出のために与えられたのは48時間。
イーサンはジュリアを救うため、とうてい不可能と思えるような困難なミッションに挑む。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△イーサン・ハント
IMFエージェント(スパイ)。スパイチームのリーダー。

△オーウェン・ディヴィアン
武器・情報ブローカー。

△ルーサー
IMFエージェント(スパイ)。イーサンのパートナー。メカ担当。

▽ゼーン
IMFエージェント(スパイ)。女性。武器担当。

△デクラン
IMFエージェント(スパイ)。乗り物担当。

▽ジュリア
看護士。女性。イーサンのフィアンセ(妻)

△ブラッセル
IMF組織の指揮官。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
トム・クルーズブランドの「M:i:III」というテーマパークを楽しみに行くという感覚で安心して観れるスパイアクション娯楽大作。マグフィンの用い方がちょこっと風刺ちっく。制限時間で盛り上げる手法は基本テクとしてぜひ勉強しよう。

■ マグフィン(Maguffin)

マグフィンとは、悪者が欲しがっていてヒーローが持っているものをさす。

たとえば『ギャラクシー・クエスト(Galaxy Quest)』(ディーン・パリソット監督/1999年/アメリカ/102分』)では、マグフィンは「オメガ13」として使われている。「オメガ13」はテレビシリーズで最後の切り札として使われるものの名前。それがなんなのか、俳優たちもよくわかっておらず、敵(サリス)は「オメガ13」というものがあることを知る。強力な武器だろうと思い、手に入れようとするのだ。

▽「ギャラクシー・クエスト(Galaxy Quest)」作品レビュー

これと似たようなものが『M:i:III』にも登場する。それは「ラビットフット」だ。『M:i:III』における「マグフィン」=「ラビットフット」がなんなのかは観客に明らかにされない。主人公イーサンにさえもだ。

まぁとにかく重要なアイテムという設定なのであるが、それをみつけないと恋人を救うことができないので、イーサンはがんばって「ラビットフッド」を手に入れるのである。

映画ではいちおうラビットフットとされる「モノ」は登場するが、それがなんなのかわからないという意味では、実は存在しないかもしれない名前だけの「モノ」と仮に受け止めてみよう。するとその「モノ」は時と場合によっては様々な名前で呼ばれることに気づく。――忠誠心、信仰、愛といったものだ。

または「ラビットフット」というモノが実際に存在するかどうは別として、そう呼ばれるモノがきっかけでイーサンとディヴィアンは派手にドンパチするのであってあくまで「きっかけ」とも受け取れる。


■ ちょっと違う味のハリウッド娯楽大作

一般的なハリウッドアクション映画では「ラビットフット」に相当するものがなんなのかを観客に明示する。それは核の原料になるものだったり、人類を危険に晒すウィルスだったり、といったぐあいだ。

しかし「M:i:III」では明らかにされず、ただ「ラビットフット」という名前が出る。先にも書いたように、いちおうラビットフットとされる「モノ」は登場するが、それがなんなのかはわからない。

つまり、ラビットフットが何なのかはたいして重要ではないのだ。核の原料でもウィルスでもいい。重要なのは内容ではなく「レビッドフット」という名前=言葉だけである。

作品中の悪黒幕(悪役)のセリフにぜひ注目していただきたい。そこに、ラビットフットの存在意義の一端が語られている。

というわけで、一般的なハリウッド娯楽映画とはチョット違う味を感じてもらえるはずだ。それをひとことでいうなら「ちょこっとアメリカ合衆国を風刺」といったところか。


■ ちょっと違うのはトム・クルーズだから

作品のプロデューサーはポーラ・ワグナーとトム・クルーズ。制作はクルーズ/ワグナー・プロダクションとなっている。

というわけでトム・クルーズはただの役者として参加しているのではない。

「M:i:III」はトム様によるトム様プロデュース主演の「トム様ブランド映画」といってもいい。

トム・クルーズは自分がいいとおもったものは海外の作品でも買い付けしてリメイクしてみたり(スペイン映画『オープン・ユア・アイズ』をリメイクした『バニラスカイ』)、外国を舞台にした作品を制作したり(『ラストサムライ』)と、自らの価値観を持って作品づくりをしている。

アクション娯楽作品をつくっても、他の一般的なハリウッド映画とチョット違うのは、やはり自分の価値観を持っているからだ。他の映画製作者たちだって己の価値観を持っているだろうが、トム・クルーズが独特だとされる一因は、彼が宗教団体(と認めていない国もある)「サイエントロジー」の会員ということにも関係がありそうだ。

「ラスト・サムライ (THE LAST SAMURAI)」作品レビュー


■ 制限時間で盛り上げる

サッカーは前半45分、後半45分の計90分だ(アディショナルタイムや延長戦の場合もあるが)。

時間が限られているからこそ緊張感が高まるのだ。

一方、野球は9回までいくら時間がかかろうがOKだ。60分で終われるかもしれないし、6時間で終わるかもしれない。1球を投げる間隔にどれくらい時間をかけるのかは投手のペース次第だ。

どちらのスポーツにも魅力はあるが、あるイベントを盛り上げようとおもったら、制限時間を設けるのはとても有効だ。

「M:i:III」においても、イーサンがフィアンセ(妻になる)のジュリアを救出するために与えられた猶予は48時間である。制限時間内に「ラビットフット」を手に入れなくてならない。

制限時間は他にも巧みに使われている。電気ショック装置の充電時間(30秒程)だったり、蘇生するまでの時間だったり。

どの制限時間も単独で用いられているのではなく、他のイベント(ヘリコプターチェイスや銃撃戦)とセットになっている。ハラハラドキドキ感を盛り上げるこの種の手法はたいへん勉強になるので、ぜひ日本の映画制作でも使ってみるとよい。

日本映画「戦国自衛隊1549」の見せ場になっていない「見せ場」は、作り手に盛り上げる気はそもそもないのでは?と思わずにはいられない。そもそもハリウッド映画と比べてはいけないのだろうけれど……。

「戦国自衛隊1549」作品レビュー


■ 自分で任務を作り出すイーサン

今回イーサンは、最愛のジュリア救出のために自らミッションを設定し、作戦を練り、行動する。

IMFエージェントであるイーサンは通常ならば与えらたミッションを遂行するだけだが、はじめのエージェント救出作戦以外は、なんとイーサン自らミッションを設定するのである。

最愛の人・ジュリアとの出会いで、与えられたミッションをこなすだけでなく、自らの価値観と規範と信念と目的をもって行動する人間味溢れるキャラクターへとイーサンが変化していく「成長の物語」にもなっているのだ。


■ ひとこと

スパイアクション娯楽大作であり、トム・クルーズブランドの「M:i:III」というテーマパークを楽しみに行くという感覚で安心して観れるデートムービーとしてもイイ感じである。

しかし、相変わらずといういうべきか、暴力シーンは多い。まぁハリウッドアクション映画の一般的なレヴェルといえばそれまでだが……。

おすすめレビュー
(タイトルが決まらないブログ)さんの「MI3(ミッションインポッシブル3) レビュー」
 ↑「微妙」なワケを的確にレビューされてます。そうそう、そうなんだよね、と思わずうなずいちゃいました。

俳優ファン  ◎
ファミリー   -
デート    ◎
フラっと   ◎
脚本勉強  △
演出     ◎ 
笑い     -
リアル    -
謎解き    -
人間ドラマ △
社会     ○ 米国風刺として
アクション  ◎ トム本人がんばってます!  

▽おすすめレビュー
(タイトルが決まらないブログ)さんの「MI3(ミッションインポッシブル3) レビュー」
↑「微妙」なワケを的確にレビューされてます。そうそう、そうなんだよね、と思わずうなずいちゃいました。


▽関連作品

B000EPFQ5Uミッション:インポッシブル
ダニー・エルフマン ブライアン・デ・パルマ トム・クルーズ
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2006-04-21

by G-Tools
B000EPFQ64M:I-2(ミッション:インポッシブル2)
ブルース・ゲラー ジョン・ウー トム・クルーズ
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2006-04-21

by G-Tools

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06/22/2006

ステイ(STAY)

監督:マーク・フォースター
アメリカ/2005年/101分

ラストにグッとくる、感動を呼び起こす装置としてイリュージョンを使った作品。ズボン丈が短かったり、双子や三つ子がよく出現するのにも意味がある。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
精神科医サムの患者ヘンリーは21歳の誕生日の真夜中に自殺すると予告して姿を消した。
サムは残された3日間、ヘンリーを探す。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△サム・フォスター
 男性(精神科医)

△ライラ 
 女性(画家)

△ヘンリー・レサム
 男性。学生。美術専攻。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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ラストにグッとくる、感動を呼び起こす装置としてイリュージョンを使った作品。ズボン丈が短かったり、双子や三つ子がよく出現するのにも意味がある。

■ なかなか直球(正直)

この種の作品はなにを語ってもネタバレになってしまうので、深いことは書けない。

ではどこから「ステイ」の魅力を語ろうか。ということで宣伝文句からいこうと思う。

「ステイ」は「感動のイリュージョン・スリラー」と宣伝している。これはなかなか直球というか正直だ。

イリュージョンとは幻影・幻想。その名のとおり、作品の約8~9割ほどは幻影・幻想としか思えないような映像が淡々と続く。

そこでこう考えてみよう。
アナタはあるショーを見に行く。そのショーがマジックショーだとわかって観るのと、マジックショーだとは知らずに観るのとではショーの楽しみ方や満足度が違ってくるにちがいない。

これを「ステイ」と「ジャケット」とを比較することでご説明しよう。


■ 注目すべきは「予告」

「ジェケット」を読み解く有力な説に「死人の見た夢の話だった」というのがある。
これについては以下の関連記事を参照願いたい。

目からウロコの「ジャケット」解説

マニア向け? 謎解きのスッキリ感を得にくい「ジャケット」

とはいえ、これはひとつの説であって、その「夢度合い」については観る者によって変化する。これは作り手が、観客がいかようにも解釈ができるようあえて「あいまい」な表現をしている箇所が多々あるためで、鑑賞後の推測・会話の楽しみを提供しているといえよう。

そして、今回注目していただきたいのは予告である。

「ジェケット」の宣伝では「未来と過去を行き来しながら繰り広げる予測不可能な物語」とある。これを読んですぐに思い浮かぶのはタイムリップだ。

しかしながら、人間の意識もまた未来と過去を行き来する。すると、過去という記憶と未来への願望を織り交ぜてあたかもタイムスリップ作品かのように観客に思わせて如何様にも解釈ができるように作ったのが「ジャケット」といえるのである。

一方「ステイ」の宣伝には先ほども触れたように「感動のイリュージョン・スリラー」とある。イリュージョンと言い切っている。

「ジャケット」がミスリードを仕掛けるかのようにタイムスリップを匂わせたのとは正反対に、はじめから「イリュージョン」だと宣言・予告しているのだ。

「ジャケット」の予告 → タイムスリップを匂わせる

「ステイ」の予告   → イリュージョンだとはっきりいう

なんのショーだかはっきりとはわからずに観るか、マジックショーだとわかって観るか。
もちろんそれぞれの楽しみ方はある。

(そういえば物語中においてもヘンリーは自分の自殺を予告する)


■ あなたはどっち派?

「ジャケット」と「ステイ」。両作品を理解するポイントは「イリュージョンの使い方」にある。

「ジャケット」はイリュージョン自体を謎に設定するという使い方をした。

「ステイ」は感動を呼び起こす装置としてイリュージョンを使った。

・イリュージョンだとバレないようにする隠れマジシャン。

・イリュージョンで観客を楽しませるマジシャン。

さて、あなたはどちらのマジシャンのショーを観たいだろうか?


■ ひとこと

観客に謎解きを委ねるという性格の作品に「隠された記憶」がある。これは、はっきりと観客の解釈に委ねるとしている作品である。

観る人の数だけストーリーが存在するという意味ではどんな映画作品であれ、解釈は観客に委ねられているのであるが「ジャケット」と「ステイ」の比較に限って言えば、解釈を委ねる前の根本となる前提に違いがある。

例えるならば、マジシャンであること、イリュージョンであることをショーの前に知らせるのかどうか、ということだ。

マジックショーならばその内容を楽しめばいい。

ショー自体が謎ならば、ショーの正体をめぐってあれこれ想像を膨らませて楽しめばいい。

「ジェケット」と「ステイ」。どちらが好きかといえば、個人的には感動を呼び起こす装置としてイリュージョンを使った「ステイ」だ。

それは「the EYE」(←パート1)が感動を描くためにホラーの手法を使ったのと同じように、「ステイ」が手段としてイリュージョンを用いることで、描きたい・提供したい・体験してもらいたいものは「感動」であるというところが私好みだからである。

さて「ステイ」を観ている最中に思ったことがある。

サムのズボンの裾が短いのは、それってオシャレ? 

双子や三つ子がよく出てくるのはなぜ?

サムとヘンリーが瞬間移動した?

これらにもちゃんと意味があるのでお見逃しのないように。

「隠された記憶」作品レビュー

「the EYE」作品レビュー


俳優ファン ◎
ファミリー -
デート    ○
フラっと   ◎
脚本勉強  △
笑い     -
リアル追求 -
謎解き    ◎
人間ドラマ  ◎
社会     ○
アクション  -

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06/17/2006

インサイド・マン(INSIDE MAN)

監督:スパイク・リー
アメリカ/2006年/128分

引っ張り(宙吊り=サスペンス)力がスゴい! 変遷する人種問題。旨い汁を吸う者とは? アメリカ社会を映す縮図の風刺作品。


ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
マンハッタンの銀行で人質をとった立てこもり事件が発生。NY市警のフレイジャーは犯人と交渉を試みるが失態を晒して担当を外される。
しかし、犯人たちの巧妙なトリックの一部に気づいたフレイジャーは事件解決による自身の出世を目論む。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ダルトン・ラッセル
 銀行襲撃犯。

△フレイジャー
 NY市警刑事

▽マデリン・ホワイト
 女性。弁護士。

△アーサー・ケイス
 マンハッタン信託銀行取締役会長


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
引っ張り(宙吊り=サスペンス)力がスゴい! 変遷する人種問題。旨い汁を吸う者とは? アメリカ社会を映す縮図の風刺作品。

■ 銀行強盗の美学

死傷者を出さずに1セントも盗らない。銀行からなにも盗っていないのだから銀行強盗とはいえないかもしれな
い銀行襲撃を扱った今作は、エンタメだけど一般的なエンタメじゃぁないんです。

有名俳優さんが出演しているので大味なエンタメ系クライムサスペンスかと思うかもしれませんが、どちらかというと映画好きや人種問題に関心がある(風)の方々がアメリカ社会の縮図にも似た作品内容にニンマリしちゃうような種類のエンタメ作品なんです。


■ 際立つサスペンス

古今東西、映画の題材としてよく描かれてきた銀行強盗には「頭脳」と「スマートさ」が求めれました。だれに求めらたかっていうと、脚本家や監督や演出家といった作り手のほうにです。

銀行という「場所」と、立てこもりという「時間」を限定する題材に「交渉という駆け引き」が加わったのが銀行強盗の典型です。「インサイド・マン」ではこのほかに「犯人の動機という謎」を全面に押し出すことで「サスペンス=謎を知りたいという願望を宙吊りの状態にさせておく」を盛り上げています。


■ 金と出世。旨い汁を吸うには?

大韓民国の恋人たちには、いくつもの記念日があるそうです。

ふたりが付き合いはじめてから22日目、100日目、1000日目といった日にはイベントがあり、他にもバレンタインデー、ホワイトデーの他にも毎月イベントがあります。ダイアリーディ、ローズディ、キスディ、ハグデー……。

イベント毎に物を贈りあったり、どこかへ行ったり、食べたり飲んだり。

イベントが多ければ多いほど費用がかかります。恋人とのイベントにお金を惜しむのは相手への愛情が薄いからだと思われないよう、特に男性はせっせとイベントにお金を使うことでしょう。

たとえ「恋人」というふたりの関係においても、そこにイベントを設定すればお金の流れが生じます。恋人たちの記念日というイベントならまだかわいいものですが、もっと大きくお金の流れを変えて自分のほうへ入ってくるようにするには、大きなイベントが起きたときに素早く動いて自分の畑に水が沢山入ってくるようにしなければなりません。

さらに、イベンドが起こるのを待っているだけではなく、場合によっては自分で大きなイベントを起こしたり、起こるようテコ入れをすることも必要です。

マンハッタン信託銀行取締役会長のケイスは自分の銀行が襲撃されたことを知ると、凄腕で名を馳せるホワイト弁護士に連絡をとります。公になっては困る、ある物を守りたいう願いを叶えるためです。

ケイスはどうやってマンハッタン信託銀行を興したのか? 

これが今作の重要なメッセージのひとつです。


■ ひとこと

特徴は「人種問題」「旨い汁を吸う者」。

人種問題では、変遷する人種偏見(アラブ系)の有様が、開放された人質のアラブ系の男性にみてとれます。

そのあたりはホワイト役のジョディ・フォスターが主演した「フライトプラン」でも、乗客のアラブ系男性が誘拐犯だと決めつけられるシーンがありましたね。

▽「フライトプラン(FLIGHTPLAN)」作品レビュー

有名俳優が出演しているけど、気軽なデートムービーのつもりで観るような作品じゃぁありません。

かといっておもしろくないかというと、そんなことはありません。

犯人たちはどうやって銀行を出るの? 犯人の目的は? 動機は?

そういうのが気になってしかたなくって、作品に釘付けになることでしょう。

ひとことでいうと、アメリカ社会を映す縮図の風刺作品です。

俳優ファン ◎
ファミリー -
デート    -
フラっと   ○
脚本勉強  ○
笑い     △
リアル追求 △
謎解き    ◎
人間ドラマ  △
社会     ◎
アクション  -

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06/14/2006

トランスポーター2(THE TRANSPORTER 2)

監督:ルイ・レテリエ
フランス・アメリカ/2005年/88分

アクション映画(西欧)最新作決定版(ちなみに東洋は「トムヤムクン」)。今度は陸海空すべて制覇だ!

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
マイアミにやってきた運び屋のフランクは、裕福な一家の少年ジャックの送り迎えの仕事をしている。
ある日、少年ジャックが誘拐される。フランクは約束を果たすため、少年ジャックの救出に奔走する。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△フランク
 運び屋

△ジャック
 6歳の少年

▽オードリー
 ジャックの母親

▽ローラ 
 殺し屋

△タルコーニ
 警部


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
アクション映画(西欧)最新作決定版(ちなみに東洋は「トムヤムクン」)。今度は陸海空すべて制覇だ!

■ 今回の依頼は?

運び屋――。それは世間一般でいいますところの運送業者と申し上げたいところですが、訳有りの品を依頼人の希望通りに届ける、いわゆる「運び屋」であります。そのフランクが欧州から亜米利加のマイアミにやってきて臨時で受けた仕事というのがジャック少年の送迎運転手の職でありました。

普段はこの種の仕事は受けないのだ。というフランク運転手でありますが、その表情にはどこか観る者を和ませてくれる雰囲気が何処かしら漂っております。それは安全・確実に送り届ける依頼品が6歳の少年であるからやも知れません。

このジャックという少年。送迎にやって来た自動車に素早く乗り込むやいなや、なぞなぞだして! とおねだりするほどフランク運転手を慕っているようであります。

フランク運転手のほうはといいますと、ジャックに乗車の決まり事を今一度確認させつつも、お望みどうりになぞなぞ遊びに興じながら依頼品を時間どうりに送り届けるべく彼の住む豪邸へと一路自動車を走らせるのでありました。


■ 海を越えて相棒がやってきた!

前作「トランスポーター」において成り行き上で関わることになったとはいえ、うら若き女性を助けたフランク運転手。

今回もすっかりジャック少年と心打ち解けている様子であった、その矢先の出来事でありました。

なんと! ジャック少年が悪者一味に誘拐されたのであります!

ジャック少年を救出すべく孤軍奮闘するフランク運転手。

いよっ! 一匹狼! と声援を送りたいところではありますが、今回は少しばかり勝手が違うようであります。

実のところ今回は一匹狼では無いのです。遠く仏蘭西から亜米利加のマイアミへ遊びにやって来た、前作に登場したタルコーニ警部が、ジャック少年救出を情報面で支援することになるのです。


■ 高度な運転技術と華麗な格闘技術を惜しげも無く披露

主人公が運転士でありますから、その運転技術に定評があるのは御尤であります。しかし乍このフランク運転手、前職は特殊部隊かどこかの隊長をしていた経歴の持ち主で、その身体能力の高さと俊敏かつ強力な運動神経と類稀なる格闘センスと技術を持っている凄腕なのでありました。

それが如何なく発揮されるのが悪者一味との決闘であります。

悪者一味はジャック少年の誘拐という目的のためには手段を選ばぬ悪党揃いでありまして、至極当然のように銃器によって武装しており、時と場合と場所を構わず派手に発砲します故、建物に過大な損害が生じ、幾度もフランク運転手の身に危険が迫るのです。

しかしながら娯楽活動劇のお約束とでもいいましょう、主人公に弾は当たらず(多少の掠り傷有り)、更にフランク運転手の自動車に仕掛けれた爆弾も超人的運転技術によって取り外しに成功。絶体絶命の境地から見事に脱するのであります。

そんなご都合主義の無茶苦茶な解決方法が有るものか! と腹を立てては勿体無ぉ御座います。皆々様方御忙しい中、御時間を工面なさって活動写真を観にいらしたですから、奇想天外摩訶不思議な現象・事象を殊更可笑しく楽しむのが清く正しい鑑賞法というもの。

さぁ、肩の力を程良く抜いてフランク運転手の活躍に心躍らせ共に応援せようではありませぬか。


■ ひとこと

フランク運転手は劇中で銃を手にしても一発も発砲しない事にご注目いただきましょう。

(一回も銃を使わない主人公が登場する西部劇に「無法の拳銃」(1959)というのも御座います)

「トランスポーター2」は、お気楽にご鑑賞いただければきっと程良い御満足を得られることで御座いましょう。

▼前作「トランスポーター(LE TRANSPORTEUR)」作品レビュー

俳優ファン ○
ファミリー -
デート    ◎
フラっと   ○
脚本勉強  △
笑い     ○
リアル追求 -
謎解き    -
人間ドラマ △
社会     -
アクション  ◎

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06/09/2006

ブギーマン(BOOGEYMAN)

監督:スティーヴン・ケイ
アメリカ/2005年/90分

映画マーケティングでヒットを飛ばすプロデューサー、サム・ライミ製作のショッキングホラー。ホラーとデートムービーの組み合わせが米でヒットの秘訣。押し入れ文化と直球恋愛モノが主流の日本ではヒットは難しい。需要と供給、マーケティング、アメリカ合衆国、演出法、カメラワーク、笑いが大いに勉強になる。ぜひ「呪怨シリーズ」「輪廻」とセットで鑑賞しよう。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
15年前の夜。幼い子供だったティムは自室のクローゼットから出現した怪物ブギーマンに父親をさらわれる。
それ以来クローゼット恐怖症になったティムだったが、青年となった彼は編集者として仕事も順調で、結婚を考える恋人もいる。
ある感謝祭のホリディシーズンに母親が亡くなり、田舎に戻ったティムは怪物ブギーマンと対峙する。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ティム
 20代男性。編集者。

▽ジェシカ
 ティムの恋人。

∇ブギーマン
 アメリカにおいて有名な想像上の化け物(お化け)
 『ハロウィン』シリーズの殺人鬼とは関係ナシ。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
映画マーケティングでヒットを飛ばすプロデューサー、サム・ライミ製作のショッキングホラー。ホラーとデートムービーの組み合わせが米でヒットの秘訣。押し入れ文化と直球恋愛モノが主流の日本ではヒットは難しい。需要と供給、マーケティング、アメリカ合衆国、演出法、カメラワーク、笑いが大いに勉強になる。ぜひ「呪怨シリーズ」「輪廻」とセットで鑑賞しよう。

■ 万人にウケるように作るとモンスターズインクになるネタ

クローゼットやベッド下に潜んでいるかもしれないお化けのことをアメリカ合衆国ではたいてい「ブギーマン」と呼んでいるそうです。

子供がいうことをきかないと親は「ブギーマンがやってくるゾ」と言ってよい子になるよう諭すような使い方をされるのが一般的らしく、それは日本の東北・秋田県の地方でいうところの、わるい子はいねか~、でおなじみの「なまはげ」みたいなものと思えば近いかもしれません。

「なまはげ」は年末や陽暦一月一五日あたりに出現すると決まっていますが、ブギーマンはいつ現われるかわかりません。

部屋のクローゼットの扉が少し開いていることに気づいてしまったら、いつブギーマンが現われてもおかしくないのです。

似たような話をどこかで聞いた(観た)ことはありませんか?

そう、ピクサーの『モンスターズインク』です。子供部屋のクローゼットからモンスターが現われるというあのヒットCGアニメーション作品です。子供の悲鳴をエネルギーとして採取するという会社の成績トップ社員が主人公のこの作品も、ブギーマンという下地があるからこそあんなにヒットしたのかもしれませんね。


 日本ではウケにくいショッキングホラーと思えるが、
   実は日本とは相性がいい。

子供の頃、自分の部屋にクローゼットがあったという人は手ぇあげて!

兄弟(姉妹)一緒の部屋でした。
クローゼットってなぁに?

そんな声も聞こえてきそうです。

最近でこそウォークインクローゼットなんて言葉が聞かれるようになったけど、そもそも日本の収納といえば押入れですよ!

押し入れはたいてい上下二段にわかれています。だから大人が立った状態で中に入ることはできませ~ん。上段か下段に座るようにして入り込むしかないのですから。

そういうわけで押し入れのなかにいるかもしれないと想像できるものといえば座敷わらし黒猫ドラえもんぐらいなもの。

清水崇監督作品「呪怨」で、はじめに押入れにいたのは猫でしたね。そして押し入れから天井裏に入ったところに死体があったはず。

とはいっても日本の現代一般住宅は欧米の家に比べると小さいので、ウサギ小屋と比喩される日本住宅自体をクローゼットと捉えてみましょう。すると「呪怨」に登場した日本家屋自体がブギーマンが潜んでいるクローゼットと考えることもできるわけです。

クローゼットからやってくるブギーマンによって人が消える(さらわれる)のは、四谷怪談の「仏壇返し」を連想させますね。


■ 「呪怨」でわかる、理不尽な恐怖。

「ブギーマン」では、主人公ティムに関わる人は次から次にブギーマンに襲われていきます。子供の頃からブギーマンの話は知っていても、べつに作り話でしょ、ぐらいにしか思っていなかった人たちでも、ティムの知り合いというだけで襲われていくのです。

「呪怨」では、ある一軒家に足を踏み入れた人はだれでも幽霊に遭遇(襲われる)します。

両作品とも、お化けに襲われる所以(理由)が見当たらないのです。ここに、アメリカンホラーに共通する「恐怖」の根本があります。

なぜ自分が襲われければならないのか。これこそが「恐怖」の根本なわけです。

得たいの知れない理解不能なもの=恐怖なのです。

ということで、ブギーマンが何者なのか、どこから来て、どうしてクローゼットベッド下から現われて人を襲うのかは明らかになりません。それでいいのです、なぜなら「恐怖」=「理不尽」なのですから。


■ 映画マーケティングとデートムービー

デートで観るならどんな映画?

教科書的な答えをするなら、最近の日本映画では「LIMIT OFLOVE 海猿」。韓流でいうなら「連理の枝」。デートだから恋愛映画というのは定番ですが、どうやらアメリカ合衆国では他に「ワーキャー絶叫ショッキングホラー」というのがデートムービーとして堂々たる地位を得ているようです。

デートでホラーを観る目的はズバリ、盛り上がるため。

恋愛で盛り上がるのは当人たちにまかせておいて、2人の話題を活発にしたり、テンションを盛り上げたりして楽しませる映画という意味でのデートムービーというジャンルにホラーという枠がアメリカ合衆国にはあることを「ブギーマン」は教えてくれます。

よく考えてみましょう。公園にひとりで散歩に行ったアナタは、ベンチに座って抱き合ってイチャイチャしている熱々カップルが目にとまります。それを見てあなたは心の底からうれしいですか? 恋や愛情のボルテージが上がりますか?

テレビの旅番組でタレントが高級ステーキを食べているを見て、自分も食べたいとは思うかもしれませんが、他人が食べているのを見てあなたは心の底からうれしいですか?

公園の熱々カップルも、高級ステーキを食べるタレントも、あなたにとってはしょせん他人です。

ではスクリーンの中の俳優さんが恋をしてやがて結ばれる。こんな恋愛してみたいなぁと思っても、それはしょせん映画の中のお話であり、他人事です。

「恋愛はスクリーンの中でするもんじゃない。君の隣の彼・彼女とするものだ!」(なんちゃって織田クン)

そうです! 恋愛は自分達がするものです。デートするふたりが映画に求めるものは、彼・彼女との時間を盛り上げてくれるものです。

映画を観てワーキャーいって楽しむ。そして観終わった後には、まるで手をつないで一緒にお化け屋敷を体験した達成感を得られるかのような体験を提供するのがデートムービーの役割のひとつなのです。

また、デートムービーにはビックリ箱効果だけでなく、笑いの要素も必要です。笑いは「隙間」に生まれます。日常=常識をズラした隙間に生まれる脳の働き。それが笑いです。

恋愛においては、ふたりの関係に生じる隙間をすこしづつ埋めていく作業によって愛情が育まれていきます。もし、相手が完璧な人間だったら? ふたりの関係にはじめから隙間などないとしたらどうでしょう?

自分は必要とされていないし、相手を必要ともしていないと感じてしまうことでしょう。そうなれば、ふたりが一緒にいる利点・理由はなくなってしまいます。

もっと単純にいっても、映画のなかにツッコみどころがあれば、観終わったあとにふたりでシーンのボケをツッコんで盛り上がれるという効果もありますよね。

では、デートというシチュエーションにおける「需要」に対して確実・丁寧な仕事ぶりで作品を「供給」できる有能なマーケッターともいえる人物とはいったいどんな人物なのでしょう。

▼関連記事
アメリカ合衆国でなぜヒットしたか?
「みんなでワイワイ―『THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)』―」


■ サム・ライミという有能なプロデューサー(マーケッター)

「ブギーマン」の製作は、ホラー専門レーベルの「ゴーストハウス・ピクチャーズ」です。「ゴースト・ハウスピクチャーズ」は清水崇監督の『呪怨』をリメイクしたハリウッド版「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」をおくり出したところです。このレーベルの第二弾作品が「ブギーマン」なのです。

製作は『死霊のはらわた』でデビューした『スパイダーマン』の監督サム・ライミさん。彼は「呪怨」をたいそう気に入って日本人監督の清水崇さんにハリウッド版を作らせて全米NO.1ヒットさせました。

「呪怨」の演出法は「ブギーマン」にも共通しています。それはお化け屋敷的ドッキリ法ともいえるものですが、こうした演出法の集大成として「ブギーマン」はたいへん勉強になる作品です。

出るぞ出るぞ、という緊張感をあおる方法。
ビックリさせる方法。
ドキドキさせるカメラワーク法。
どれもたいへん上手です。洗練されたプロの職人技がキラリ☆と光っております。

考えもみてください。マーケティングと演出が上手でなければ、一軒家とクローゼット(とベッド下)だけで作った映画『ブギーマン』で初登場1位のヒットを記録することはできなかったでしょう。

あなたは家の押し入れだけで全米NO.1作品を撮れますか?


■ ひとこと

「呪怨」シリーズおよび「輪廻」と、「ブギーマン」とをセットで観ることで「空間と時間」の使い方がレーベルとしての作品の特色となっているのがよくわかります。

ちなみに清水崇監督のスゴさは、サム・ライミさんと共通するびっくり箱お化け屋敷の演出に加えて、そこにストーリー性を融合させているところです。それがよくわかるのが「輪廻」という作品です。

そもそもサム・ライミさんは、おそらくとても「おちゃめ」な方だと思います。マーケティングがしっかりできて、演出が巧くて、笑いもできるおちゃめな人。それは監督した『スパイダーマン』の大ヒットで証明されていますね。

恐怖と笑いは表裏一体。そこにマーケティングという視点・感覚を持ったサム・ライミさんは私のお気に入りの監督さんのひとりです。

でも、日本ではクローゼット文化に馴染みが薄いことや、デートムービーとしてのホラーの認知度・利用度がアメリカ合衆国に比べると低いことから、日本でのヒットは難しいでしょう。

サム・ライミさんの監督作品や製作作品を観ることは、アメリカ合衆国というマーケットをよりよく知るよい勉強になります

映画を通して社会を知るのは、映画を楽しむ醍醐味のひとつです。まさにそのよき例となるのがサム・ライミという人物なのです。

今回は映画作品というより、サム・ライミさんについてのレポートみたくなりましたね^_^;

そうそうサム・ライミ監督作『死霊のはらわた』は笑えますヨ!


▼サム・ライミ関連(監督もしくは製作、ほか影響を与えた)作品レビューの一覧

「ザ・ギフト(The Gift)」

「ダークマン(DARKMAN)」

「スパイダーマン2(SPIDER-MAN2)」

「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」

「輪廻」


俳優ファン   -
ファミリー   -
デート     ◎
フラっと    ○
脚本勉強    ○
笑い      ◎
リアル追求   -
謎解き     -
人間ドラマ   △
社会      ○
センス     ◎
演出      ◎
マーケティング ◎

「ブギーマン」のレーベルの前作が「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」です。

ですから「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」と「ブギーマン」には恐怖の元ネタとビックリ演出において類似点があります。

サム・ライミさんがなぜ日本映画「呪怨」を気に入ってリメイクさせてアメリカ合衆国で「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」を公開させたのか。

その秘密は「ブギーマン」を観て、このレビューを読めばだいたいわかります。

もっとくわしくはっきりと知りたいという方はこちらのレポートをお読みください。

「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」徹底解説
  ~ハリウッドがジャパンホラーを買いたがる理由~
 

これを読めば清水崇「輪廻」のスゴさを理解する助けにもなりますヨ。


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06/06/2006

ジャケット(THE JACKET)

監督:ジョン・メイバリー
アメリカ・ドイツ/2005年/103分

過去の無い男が未来を生きる生まれ変わりの物語。例えるなら、デザイン画も素材もけっしてわるくないが裁縫職人がまだ修行中、といった印象。


ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
1992年。湾岸戦争で頭部を負傷したジャックは、記憶障害のために殺人事件に巻き込まれたことで精神病院に送られる。
そこで受けた実験的治療法の最中に、15年後の2007年ににタイムスリップした彼は自分の死を知り、その原因を突き止めようとする。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジャック
 退役軍人。

▽ジャッキー
 1992年にジャックが会った少女。
 2007年には、ウェイトレスをする若い女性。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
過去の無い男が未来を生きる生まれ変わりの物語。例えるなら、デザイン画も素材もけっしてわるくないが裁縫職人がまだ修行中、といった印象。

■プレミスは魅力的だが……。

死んだことがある人の言葉を、目の前にいる死んだ本人から聞いたことはあるだろうか?

早い話が死人と会話したことがあるかということだ。

主人公が捜し求めるものが自分の死因だというのはありえなさそうであるが、それに近いことはある。

自分はいつ運命の人とめぐり会うのか。いつ結婚するのかというのは占い師に訊きたいことの上位にあがることからもわかるように、自分について知りたいことをあげていけば、いつしかたどり着くこと。それは自分がいつどのように死ぬのかということだ。

そんな誰しも少しは興味ある事柄をプレミスにしたまでは良かった。

Premise:(ストーリーが発展していくための基礎となるアイデア)


■SFだからといってなんでもアリにはならない

SFだからタイムマシンが存在したっていい。しかし、人間関係を何でもアリにしてはマズい。SFのウソはあくまで時代設定や状況設定やモノ設定に限られるべきだ。

人間の「気持」ちにウソがあるとSFのウソさえ台無しになってしまう。


■ウソが通用しない、人間の気持ちの部分に「?」がある

幼い子供の頃に数回会っただけのオジさん(お兄さん)のことを覚えているだけでなく、その死因を調べているというのは、いくらなんでもありえなく思えてしまう。

この会った回数についてもタイムトラベルのパラドックスによって変動するので曖昧になるのだが、なんにせよ、幼い頃に数回会っただけの相手が15年後に現れてわずかの間一緒にいただけで、もう愛し合ってしまうのである。
実際の日常では惹かれあう2人に時間は関係ないともいえるかもしれない。だが映画ではそうはいかない。ふたりが惹かれあうきっかけと過程をちゃんと描かなければ観客は納得(感情移入)できないからだ。

ジャックの死因というミステリーよりも、ふたりがなぜ惹かれあったのかのほうがミステリーに思えてしまうのだ。


■ 過去の無い男が未来を生きる生まれ変わりの物語

ジャックについては湾岸戦争に兵士として派遣されていたことぐらいしか情報がない。

ジャックがどのあたりの階級の兵士だったのかはよくわからない。
例えばベトナム戦争におけるアメリカ軍では若い10代後半の兵卒が多かったという。

国にいても良い待遇の仕事にありつけない若者の多くが兵士として最前線に送られるというのは、はおそらく湾岸戦争でもあったことだろう。

士官でもなさそうなジャックも、そうした多勢の例にもれず、どこにでもいる若者だったのだ。いうなれば、特に他人に語れるほどの人生を歩んできたわけでもない、どこにでもいるごくありがちなアメリカの若者のひとりであったということだ。

過去が語られない、過去のない男が未来において、たとえ未来では自分は既に死んでいようとも、新たな一歩を踏み出そうとする、ひとりの名もなき(厳密には名前はあるが)男の生まれ変わりの話なのである。

それは、大多数の人々のことであり、わたしやあなたのことかもしれない。


■ ひとこと

いろいろ見たり読んだり聞いたりする、若くて好奇心旺盛な者は次から次に「こんなんあったらおもろくない?」とアイデアがいくらでも浮かんでくる。

そこから先は、これはおもしろいかも! というアイデアを形にするセンス技術があるかないか、が分かれ道となる。

「ジャケット」については、魅力的なアイデアが浮かんだのはいいがそれを形にする技術がもうあと2,3歩といったところだ。

センスはけっしてわるくない。俳優たちだって今一番COOLな面々だ。

タイムトラベル作品が好きな方。
アイデアはあるがどのように形にすればいいのかと考えている方。
脚本を勉強している方。
こういった人はそれぞれに楽しめるだろう。

例えるなら、デザイン画も素材もけっしてわるくないが裁縫職人がまだ修行中、といった印象の作品である。

俳優ファン ◎
ファミリー  ×
デート    △
フラっと   ◎
脚本勉強 ◎
笑い     -
リアル追求 -
謎解き   △
人間ドラマ ×
社会     △
センス   ○

▼関連記事
目からウロコの「ジャケット」解説

マニア向け? 謎解きのスッキリ感を得にくい「ジャケット」


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解説~これを知れば7倍楽しめる~


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05/08/2006

ニュー・ワールド(The NEW WORLD)

監督:テレンス・マリック
アメリカ/2005年/135分

映像が綺麗な環境ビデオみたいな……。意気込まずにゆったりしっとり観ましょう。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
1607年。英国船が北アメリカ・ヴァージニアに上陸する。
英国人ジョン・スミス大尉はネイティブアメリカンの族長の娘・ポカホンタスと恋に落ちる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジョン・スミス
男性。大尉。

▽ポカホンタス
女性。ネイティブアメリカンの族長の娘。

△ジョン・ロルフ
男性。イギリス紳士。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
映像が綺麗な環境ビデオみたいな……。意気込まずにゆったりしっとり観ましょう。

■ ヒーリングビデオ?

水面に映った森の木々。美しくも物悲しい映像の数々が観客のまぶたを重たくしていき……。

英国の入植者とネイティブアメリカンとの戦闘シーンもあるのだけど、まるで環境ビデオやヒーリングビデオを見たかのようです。


■ 偶然の一致? チラシの構図

「ニュー・ワールド」と「LIMIT OF LOVE 海猿」のチラシの絵がとてもよく似ています。

どちらも向かって左側に男性、右側に女性。両者が向き合い、おでこをつき合わせて、男性が女性の手または腕に触れているという構図です。

構図は似ていますが、内容としてはどちらかというと「ニューワールド」は恋愛モノで「「LIMIT OF LOVE 海猿」は海洋アクションです。

たまたま偶然に似たような構図になったのかな。
だからとーした、と言われるとどうもないのだけど……。


■ ポカホンタス

ポカホンタスの話は、入植者側に都合のいいように作られたものだという説があります。

歴史とは勝者がつくるもの。

三国志のラストで魏が勝つのも、三国を統一したのが魏(→西晋)だから。
ところが蜀が三国を統一したとする書物もあるとか。

勝者が自分の都合のいいように書き記して、敗者の記録を抹消した。そして残ったものが勝者の書→それが歴史というもの。

ポカホンタスというネイティブアメリカンの娘が英国入植者の男性と恋に落ちて……という話がもしも作り話だったとしたら、ロマンスを作り上げて美談にすると都合がいい人たちがいたということでしょう。


■ ひとこと

今回はレビューが短いって?
それこそがもっともよくこの作品を表しているのですヨ。

つまり、物語はよく知られたもの(ポカホンタスがスミスを救った)がすべてなのであまり懲りようがないのです。
凝るとしたら、監督さんが「シン・レッド・ライン」を撮った人なので、映像や音楽に凝っていいます。
そのあたりを承知したうえで、あまり意気込まずに観るとよいでしょう。


俳優ファン △
ファミリー  -
デート    △
フラっと   △
脚本勉強  -
笑い     ×
リアル追求 -
謎解き   ×
人間ドラマ △ 
社会     △
映像     ○


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05/03/2006

隠された記憶

監督:ミヒャエル・ハネケ
フランス・オーストリア・ドイツ・イタリア/2005年/119分

人が人であるための過程=人生の時間と機会を提供する作品。「楽(ラク)」を「楽しい」と感じるならばツマラナく、「楽(ラク)」を「ツマラナイ」と感じるならばこの上なく堪能できる。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
フランスの中産階級でインテリのジョルジュの元に送り主不明のビデオテープが届く。ビデオテープにはジョルジュの家が延々と映っている。
次々と送られ来るビデオテープによってジョルジュは記憶の奥に隠した、幼い頃の記憶から逃れられなくななっていく。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジョルジュ
男性。テレビ局キャスター

△アン
女性。出版社に勤める。ジョルジュの妻。

△ピエロ
少年。ジョルジュの息子。

△マジッド
ジョルジュが子供の頃、同じ家にいた同年代の男。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
人が人であるための過程=人生の時間と機会を提供する作品。「楽(ラク)」を「楽しい」と感じるならばツマラナく、「楽(ラク)」を「ツマラナイ」と感じるならばこの上なく堪能できる。


■ 映画とは?

映画とはなんだろう?

映画をなぜ見るのか?

その答えは映画に限らず小説でも同じだ。つまり「それを読んだり観たりする人の数だけ答えがある」ということだ。

例えば友人と映画を観たとしよう。
映画を見終わったあとで、あのシーンで私はこう思った。でも友人は違うように感じた。そういった会話をすることで、様々な見方を楽しむ。それが映画の楽しみ方のひとつだ。

付き合い始めのカップルが映画を観るのはどうしてだろうか?

映画を観て感じた事をお互いに話し合うことで、お互いをより深く知り合うためだ。


■「AはBである」は絶対か?

AはBであるという性格の映画に慣らされた人にとって「隠された記憶」はツマラナイという言葉で片付けてしまうことだろう。

「隠された記憶」楽ではないからだ。他の言葉でいうならば親切ではないからだ。

多くの映画では、ここでは怖がってね、ここでは笑ってね、ここでは泣いてね、と誘導してくれる。どのように誘導されるのか。それは、音楽や効果音によってだ。

作品の重要なアイテムや登場人物はなにかを、カメラが教えてくれる。つまり、カメラが動いたり、ズームしたりしてヒントとなるアイテムや登場人物を目立たせるのだ。

だから観客は音楽・効果音とカメラに頼りっきりで映画を観ることになる。ほらここで泣くんだよ、という誘導によって涙を流す。そんな映画がはびこっている。

ここは泣くところと提供されたシーンが、あまりにもベタな誘導を行っているとシラけてしまって、逆に笑えることがある。

韓流悲恋作品を家でDVDで観てゲラゲラ笑っている人もけっこういるんじゃないかと思う。もし、韓流悲恋作品をカップルで観に行って彼女が泣いているのに、彼氏が大爆笑していたらどうだろう?

感情のスイッチがお互いに別のところに付いていることがわかったので別れて、もっと気の合うベターな相手にめぐりあうことができるかもしれない。

話を戻せば、AがBであると決めている作品に慣れてしまうと、だれかの思う壺夫くんと思う壺子ちゃんになりやすいのである。

音楽も効果音もカメラも自己主張しない「隠された記憶」の監督が投げかけるテーマのひとつはこのあたりにあるのだと思う。


■ 緊張感

長回しワンカットを多様しながら、これほどの緊張感を持たせるのは天才のなしうる技といってもいい。
これができる日本人監督ですぐに思う浮かぶのは北野武監督だ。

何気ないどこにでもある日常の風景に緊張感を持たせることがでるか。これができるかできないかで監督の力量がわかってしまうものである。


■ 人生はなぞなぞ

ある人はいう。

人はどこからきてどこへいくのか。人はなぜ生まれてきたのか。

人はその答えをみつけようとする。それが人生だ――と。

たとえばこう思ったとしよう。なぜAさんは毎日蝶ネクタイをつけて会社にいくのか。そんな疑問が浮かび、あれこれ答えを考えてみる。やがて蝶ネクタイのなぞが解けたとき、アナタはAさんについてひとつ知るのである。

ある事柄や人について「なぜ?」と疑問が浮かぶ。それを解こうと調べたり、話したり、考えをめぐらしたりする。その答えはさまざまだ。だがひとつ確かなことがある。それは、答えへ至る過程を通して、人は対象の事柄や人をより深く知ることができるということだ。

なぞに出会い、それを解こうとする作業は、物事や人に関わる作業である。これをコミュニケーションという。

もし、なんの疑問も抱かずに、決まったことを決まったように作業するだけの毎日だったら?

もし、アナタが新しく車を買うとしたら、どんな車がいいだろう?
動けばいいだけなら、どの車でもいい。でもアナタはきっと、運転することが楽しくなるような車を買うだろう。人や物の移動という目的だけでなく、その車に乗っていることに満足するような意味を求めるのが人間だからだ。

聖句に「人はパンだけで生きるものではなく(マタイ伝4章4節)」「人はパンだけでは生きず(申命記8章3節)」とある。

謎はそれ自体を解くこと以外に、その謎の背景に思いをめぐらすことによって深い洞察力を養い、自分が生きる世界やコミュニティや他人に対する理解を深めていくのである。こうしたコミュニケーションによって己をも知っていく、それが人生のひとつの形である。

「隠された記憶」は観客が謎を解くという作品だ。人が人であるための過程=人生の時間と機会を提供する作品なのだ。


■ ひとこと

衝撃のラストカットという宣伝がされているので、ウォーリーを探せ! じゃないが注意深く観てみよう。
しかし、ラストカットでなにかに気がついたとしても、それがすべての謎を解いてくれる万能の魔法のカギではない。

ラストですべての謎解きは行われない。観客に解釈を委ねているのである。これこそ映画の本来の姿でもある。

もしあなたが「隠された記憶」を観てツマラナイと感じるようなら「決められていることによって楽」をしている部分があるのかもしれない。

「楽(ラク)」を「楽しい」と感じるなら「隠された記憶」はツマラナイだろう。

「楽(ラク)」を「ツマラナイ」と感じるならば「隠された記憶」はこの上なく堪能できるだろう。

「ALWAYS三丁目の夕日」「水戸黄門」「インディペンデンス・ディ」といった類の作品が大好きでたまらないという方は観ないほうがいい。わけがわからないからと映画を記憶から消して、まったく無駄な119分間を過ごしたと感じるだろうから。
 
俳優ファン ◎
ファミリー  -
デート    -
フラっと   -
脚本勉強  ◎
笑い     -
リアル追求 ◎
謎解き   ◎
人間ドラマ ◎ 
社会     ◎

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アスランは誰を表している? 暗闇の森をアスランと共に歩くだけのシーンの意味とは?
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04/07/2006

DOOM ドゥーム

監督:アンジェイ・バートコウィアク
チェコ/アメリカ/2005年/104分
原作:FPS(一人称型シューティング)ゲーム『DOOM』

特色の一人称シューティングシーンを取り入れた、ザ・ロック様ウハウハモードで暴れまくりの巻。日本人の扱われ方は「ダイ・ハード」から変化ナシ。こうなりゃ「エイリアン」でも「バイオハザード」でもなんでもいっか(笑)

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
火星にある考古学・遺伝子を扱う、ユニオン宇宙社オルドゥヴァイ研究所から救護要請連絡を受け、カリフォルニア海兵隊RTTS(緊急対応戦略部隊)チーム8名が「アーク」を使って派遣される。
研究所に到着した海兵隊RTTS(緊急対応戦略部隊)チームは、謎の生命体が襲われる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△サージ
 海兵隊RTTS(緊急対応戦略部隊)チーム隊長

△リーパー
 海兵隊RTTS(緊急対応戦略部隊)チーム隊員

△サマンサ
 火星勤務のリーパーの姉

--------
▽アーク
 火星の古代都市への通路


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
特色の一人称シューティングシーンを取り入れた、ザ・ロック様ウハウハモードで暴れまくりの巻。日本人の扱われ方は「ダイ・ハード」から変化ナシ。こうなりゃ「エイリアン」でも「バイオハザード」でもなんでもいっか(笑)

■ 原作ゲーム「DOOM」を楽しむ映画

ゲーム「DOOM」の世界観を楽しむ映画とはいえ、一人称シューティングゲームといわれる「DOOM」をプレイしたことがなくても鑑賞OKだ。

なぜなら、もともとこういったSFホラー的な作品のストーリーは単純明快だから。

謎の生命体=クリーチャーが現れた! 救援部隊を派遣せよ!

これだけ聞いたら「エイリアン2」だと思っても致し方ない。

研究所で異変が起きた! 特殊部隊を派遣せよ!

これだと「バイオハザード」といったところだ。

というわけで、クリーチャーが出てくるSFバトルアクションという意味ではどれも大差はない。


■ 特徴は一人称シューティング再現シーン

ゲーム「DOOM」の特徴と同じ、一人称の視点によるシューティングシーンがこの作品の見所だ。

つまり、モニタがプレイヤーの目となって、一人称の視点で進んでいき、クリーチャーを倒すといったゲームの特徴を、映画のシーンのなかにも取り込んでいるのだ。

これについては、映画ではちょっと新鮮であり、このシーンを観るためだけに劇場に足を運ぶゲームファンもいるという。


■ ウハウハモードのザ・ロック様

海兵隊RTTS(緊急対応戦略部隊)チームの隊長サージ役は、プロレスラーで『スコーピオン・キング』に主演したザ・ロックである。

彼がバカでかい新型銃(まるで布団を丸めて抱えているかのよう)をうれしそうに持ってウハウハモードになっている様子は、なんともバカげていてご愛嬌だ。

こういったおバカっぽいキャラクターを安心して任せられる役者はそうはいない。この点、ザ・ロック様ならば安心だ。


■ 登場人物を換えれば「バイオハザード」

RTTSメンバーのなかには『バイオハザード/アポカリプス』に出演した俳優もいるからというわけではないが、研究所で謎の生命体が!(バイオハザードの大半はゾンビだが)というあたりはもろに「バイオハザード」シリーズと重なる。

だが、ザ・ロックが登場することで、原作ゲームと同じく「アメリカ産」であることをより強調しているといえよう。


■ 東洋・日系・日本人の描かれ方

RTTSメンバーのなかに、明らかに日系人っぽい者がいる。彼は火星にやってすぐに、アーク(地球のネバダ砂漠から火星の古代都市への通路)の警備にひとり残される。

その後、謎の生命体に「あっさりばっさり」首を切られて絶命する。

もう毎度のことではあるが、東洋系、とくに日系や日本人の描かれ方や扱われ方はこんなもんである。

たとえば「ダイ・ハード」では、日系企業かなにかが所有する高層ビルに犯人グループがやってきて、日本人の社長を殺すシーンがある。注目すべきはその殺され方である。

私の記憶ではたしか、銃で頭を撃たれるのだが、それによって頭がグシャと吹っ飛ばされるのだ。もちろんその直接的なシーンは避けて、吹っ飛んではじけた血飛沫のみが映されるのだが……。

その一方で悪役のボスの頭に銃弾が額に命中しても頭は弾き飛ばされず、血もほとんど出ずに、ビルから落ちていく。悪役のボスでさえその最期は血がひかえめで、落ちていく様によってその死体さえも観客の目から隠されていくのである。

映画「DOOM」の、悪役でもないRTTSの東洋系メンバーは、まったく活躍するチャンスもなく、やたら長い名前を名乗っただけのセリフだけで、クリーチャーによってあっけなく首をちょん切られてしまうのだ。しかも、頭のない死体はちゃんと残って横たわったままだ。

たとえ悪役であっても、映画で頭を銃で吹っ飛ばされるといえば、東洋系や日系や日本人のほかにはゾンビぐらいなものである。

ところがそのゾンビみたいなクリーチャーに首をちょん切られてしまうのが、東洋系・日系・日本人なのである。

まぁ「ダイ・ハード」にかぎらず「ジャパンバッシング」で自国民のカズ抜きをするというのはハリウッド映画にはよくあることだが「DOOM」を観て、あいかわらずだなぁといった印象を抱かずにはいられなかった。


■ ひとこと

「エイリアン」や「バイオハザード」といったSF作品が好きなら観てもいいだろう。
お互いに思いやる姉弟という設定は意外と新鮮かもしれない。


俳優ファン ○ ザ・ロック様、暴れまくるの巻
ファミリー  × 
デート    × 
フラっと   △
脚本勉強 △ 
笑い    ◎ 笑って観るっきゃないでしょ
リアル追求× そのバカでかい筒はなぁに? え? 新型銃?
謎解き   × 
人間ドラマ × 
社会    △ 東洋・日系・日本人の描き方で観るアメリカ社会? 


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04/03/2006

サウンド・オブ・サンダー(A SOUND OF THUNDER)

監督:ピーター・ハイアムズ
ドイツ/アメリカ/2004年/102分
原作:レイ・ブラッドベリ 短編「いかずちの音」

例えるなら、ジグザグで、ところどころ補修が必要なレールが敷かれた炭鉱の中をトロッコで走りきった、職人技が光るイケてるB級テイストなタイムトラベル作品。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
2055年。タイムサファリ社に勤めるトラヴィスは自分の研究をするために金持ちのタイムトラベルの引率役をしている。
タイムトラベルの内容は、白亜紀で恐竜狩りをするというもの。
あるタイムトラベルで、客のひとりが白亜紀で蝶を踏んでしまう。これによって生態系の進化に変化が生じ、2055年の世界に押し寄せるタイムウェーブ(進化の波)による人類の退化・滅亡が迫ってくる。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△トラヴィス・ライヤー
 男性。博士。

△ソニア・ランド
 女性。タイムマシンの開発設計者。

△チャールズ・ハットン
 タイムサファリ社社長

コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
例えるなら、ジグザグで、ところどころ補修が必要なレールが敷かれた炭鉱の中をトロッコで走りきった、職人技が光るイケてるB級テイストなタイムトラベル作品。

■ B級感がたまらない

アクション超大作。
なぁ~んて宣伝もされているようだけど、そのつもりで観にいくと「うたの会」にギターを持って来ちゃったみたいになってしまうかも。

つまり、B級映画の雰囲気がプンプンなんです。

たしかに制作費は100億近いですが、倒産や災害に見舞われ、完成するかどうか危ぶまれていた作品でもあるそうです。だから制作費のうちの何割かは復興・調整費みたいなものに使われたのかなと思います。

さて、どのあたりがB級感なのでしょう。

これはもう雰囲気で感じてもらうしかないといえばそれまでだけど、たとえばイメージでいうと昔にこんなシーンをみたことがないですか?

車に乗った二人。運転席と助手席の二人が話しながら車が動いている。その背景(車の窓の外)との組み合わせが特撮バレバレだよ~、みたいな。

もちろん「サウンド・オブ・サンダー」はCG、VFX等の最新技術を使っているのだけど、その使い方に「味」があるんです。これはおそらく職人監督で有名なピーター・ハイアムズによる、意図的なものだろうと思います。

倒産、災害に見舞われたこともあり、あえてというか狙って「B級テイストでいこう!」というあたりでしょうか。

■ B級で正解

B級(感)ですがなにか……?

「県庁の星」に出てくるセリフではないけど、作品を観ているうちにこのB級感がだんだん心地よくなってきます

つまりB級(感)なのに凝ってるなぁ~と思えるようになるんです。

超大作だと思って観ると、ちょっと期待はずれ。でも、はじめからB級だと思って観ると、アラ意外とがんばってるじゃないの~☆となるというわけ。

■ バイオハザードとジュラシックパークを足してタイムマシンで割った

なにかに雰囲気が似ていると思ったら、ビデオゲーム(テレビゲーム)のバイオハザードシリーズに近いものを感じました。

また、タイムウェーブ(進化の波)によって生態系が変化して現れた恐竜と猛獣の合わさったみたいな生き物や怪鳥が主人公たちを襲うシーンは、ジュラシックパークみたいです。

■ 商売人と憎まれ役

タイムトラベル事業で儲けているタイムサファリ社のハットン社長は商売人です。

予期せぬトラブルで金持ちの客が怒ったときも、うまいこと言って客を「英雄気分」にさせてその場を収めます。

ハットン社長はキャラクター設定では憎まれ役ですが、商売人としては「したたか」ですね。

ちなみに「サウンド・オブ・サンダー」という性格の作品では明確な敵は存在しません。でも、どんな作品でも憎まれ役が必要です。その役割を担っているのは、ハットン社長よりも、政府から監督役としてタイムサファリ社に派遣されている役人です。

私腹を肥やすために職務を怠ったり、世界が危機に陥っているのに自分の老後の心配をしたり。世界が無くなれば君の老後もないというようなことを言われてやっと行動したり、といった典型的な憎まれ役として役人が登場します。
このあたりは古今東西、どこも同じなんでしょうね。

■ ひとこと

B級感が漂うからつまらないか? というとそんなことはありません。

職人気質を感じさせる手腕が発揮されているので、ちゃんと最後まで観ることができます。

たとえば、まっすぐに敷かれたレールをグリーン車に乗って行くのは簡単ですが、ジグザグで、ところどころ補修が必要なレールをトロッコに乗って行くのは大変です。

グリーン車の座席に優雅に座った主人公がコーヒーを飲んだり雑誌をめくったりするのを観るのと、炭鉱の中をジェットコースターのように右へ左へ上へ下へ走るトロッコに乗る主人公を観るのと、あなたならどっちを観たいですか?

私はグリーン車みたいな作品(例「デイ・アフター・トゥモロー)はあまり観たくありません(「デイ~」は観ましたが……)。

なぜなら、結末がある程度わかっているのはしょうがないとしても、展開や演出になにもドキドキするものがないからです(私にとって)。

それはまるで「水戸黄門」や「豊臣秀吉」を観ているかのようです。どちらも内容・結末を知っていますから。

そんなわけで、アクション超大作=水戸黄門のつもりで観に行くとハズします。

そもそもアクション超大作という宣伝じゃなく、他の切り口で宣伝すればいいのに……。

「ナルニア国物語」でもそうでしたが、日本での宣伝は過去の有名作品を暗に引き合いに出してそれと同等のスケール・おもしろさだから観て! という方法を使うことこが多いようですね。

具体的には「ナルニア国物語」は「ロード・オブ・ザ・リング」と並べるといったかんじです。

皆さんはもうご存知にように「ナルニア国物語」の本質のかなりの部分にはキリスト教文化があります。日本では馴染みが薄いと考えてか、このあたりのことはまったくといっていいほど日本での宣伝には使われませんでした。
そこには、映画作品の本質(の一部でも)きちんと伝えようという気持ちは感じられません。

過去のヒット作の傘の下に少しでも入ってその恩恵を受けたい。そんな小手先の楽な道を選べば、期待とは違った作品だったので残念、という感想を観客に持たれてしまうのです。

映画はマッチングが重要です。観客の興味・好みに合った作品を観てもらう。それが大事です。

というわけで「アクション超大作」というフレーズに惑わされないようにしましょう。
程よく肩の力を抜いて観れば、その職人気質の作りと雰囲気のある作品は、程よい満足感を与えてくれることでしょう。

俳優ファン ○
ファミリー  △
デート    ○
フラっと   ◎
脚本勉強  ◎ 
笑い     ○
リアル追求 ×
謎解き    △
人間ドラマ △ 
社会     ○

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03/31/2006

マンダレイ(MANDERLAY)

監督:ラース・フォン・トリアー
デンマーク/スウェーデン/オランダ/フランス/ドイツ/アメリカ/
2005年/139分

たとえ女芸人「だいたひかる」のネタ、○○だと思うのはわたしだけ?を学習したとしても、振りはじめた旗を降ろせない愚かさと滑稽さを、成長する主人公を通して描くアメリカ3部作の第2作。骨太でパンチの効いた作品で見応え度120パーセント!

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
1933年。アメリカ合衆国南部のアラバマ州。ギャングの一団が車を連ねて移動中、マンダレイという名の農園の前で一休みする。そこへアフリカンアメリカンの女性が助けを求めてやってきた。ギャングのボスの娘で理想主義で正義感の強いグレースは、70年前に終わっているはずの奴隷制度が存続してるのを目の当たりにする。そこでグレースは「ドッグウィル」で学ん得た力を用いて「マンダレイ」に自由をもたらそうとする。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△グレース
 若い女性

△ウィレルム 
 お喋り黒人

△ティモシー
 誇り高き黒人

△グレースの父
 マフィアのボス

△女主人
 マンダレイ農園の女主人

コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
たとえ女芸人「だいたひかる」のネタ、○○だと思うのはわたしだけ?を学習したとしても、振りはじめた旗を降ろせない愚かさと滑稽さを、成長する主人公を通して描くアメリカ3部作の第2作。骨太でパンチの効いた作品で見応え度120パーセント!

■ シンプルゆえに力強く効果的なセット

体育館みたいなところに家や道を示す白い線を引いただけ。
まるで小さな子供が大きな紙の上に街の図を描いてミニカーを走らせて遊ぶ様子を思い起こさせるその空間で役者たちが見えないドアを開けたり花壇に花を植えたりしながら進む物語があった。

――「ドッグウィル」。

ニコール・キッドマンが主演したこの作品はナレーションを多用した演出と小説風の章立て構成とで独特の雰囲気を醸し出した話題作だ。
派手なCGシーンや有名地でのロケが当たり前になった映画のなかにあって「ドッグウィル」のシンプルがゆえに想像力をかきたてられる映像の新鮮さは、観客の多くに強烈な印象を与えた。

その続編がこの「マンダレイ」である。

「アメリカ3部作」の第2作目にあたるこの作品の舞台はアメリカ合衆国南部のアラバマ州の「マンダレイ」という農園が舞台だ。

マンダレイでは70年前に終わっているはずの奴隷制度が存続しているのを目の当たりにしたグレースは「ドッグウィル」で学ん得た力を用いて「マンダレイ」に自由をもたらそうとするのである。

■ 良き人の「正義」とは?

良き信仰をもった良き人が力をもったら?

「the EYE」のレビューで使った例えた話に「車を持てば幸せか?」というのがある。

たとえば、車がない生活を想像してみよう。
自分が生活している圏内(村、町)に車がないという人は世界にたくさんいる。
たしかに車は便利だ。たくさんの荷物を運べるし、遠くに早く移動することもできる。だが車がないからといって不幸とは限らない。車がなくても馬があるとしよう。住んでいる地域は山岳地帯で、人々は猟で生活している。車が通れる道はない。車を持っていても走らせる道はない。走らせるためには山の木々を切り倒して道を舗装しなければならない。車のエンジン音で獲物が逃げてしまう。
そうなると、車を持っていることがはたして幸せだろうか。

つまり、車を持っているから幸せという考えはひとつの見方にすぎないのだ。

さて、女芸人「だいたひかる」のネタではないが、

たまたま通りかかっただけの、よく知らない村に車(という名の正義)があれば便利(良い)と思うのはもしかしたらわたしだけ…?
 
とふと思ってみるぐらいの想像力があればどうだろうというのが「マンダレイ」の肝である。

善意ある「力」を持った善人が空回りすることほど困ったものはない。なぜなら「あの人は悪気はないのよ」と言われたら「そうですか」としかいえなくなるだろう。それは「まぁ子供のいたずらですから」と言われるのに近い。

子供が玩具の刀で斬りつけてきたら、斬られたフリをして一緒に遊ぶことはできるが、本物の刀や、バスーカ砲(「天才たけしの元気が出るテレビ」の高田純次の寝起きバズーカではない)でも持ち出されたときには、どうにもやっかいだ、どころの話ではない。

「やんちゃ」の域をとうに超えた子供をいったいだれが監督・子守り・躾るのか。

ひとりで「やんちゃッ子」をしていた子供が、やがて「数」という力に目覚めた少年となってグループを作る。集まってカードゲームをするだけでは物足りないのでバイクに乗ってツーリングをしてみる。田舎道をのんびり走るよりも夜中に街中を大きな音をたてて走るほうを好み、己の正義を貫くために全国制覇を目指す。

全国制覇の方法は、格闘ビデオゲームで全国チャンピオンを決める。というのであればまだいいが、そうもいかずに木刀の登場となる。

やがて木刀からやがてもっと強力な武器へと変わっていくと……。

こうして発生する少年グループ同士の対立と、それを抑えるグループも、基本となるやり方はみな同じだ。つまり、より大きな強い力を使おうとするのである。

少年グループAのヘッド(頭)の言う事も、少年グループBのヘッドの言う事も、少年グループを抑えようとするグループのヘッド(頭)の言う事も、それぞれにとっての「正義」に過ぎない。

たとえこのことに気付いたヘッド(頭)がいたとしても、全国制覇の旗をおろすわけにはいかない。なぜなら旗をおろせば、ただでさえ勝手なことばかりして手に余るメンバーたちを統率できなくなるからだ。旗を掲げているかぎりは、対立グループを意識してたとえ一時期であっても統率がとれるからだ。

旗を掲げつづけるために必要なのは、作られた「正義」と、より強い「力」だ。

たとえ本人さえその「正義」なんぞこれっぽちも信じていなくても、この「正義が世界を救う」という旗を振りつづけなければならなくなるのである。

さて「マンダレイ」における真の善人とは誰だろうか。
おそらくそれに最も近いのは女主人かもしれない。
そしてグレースもその可能性を秘めているといっていいだろう。なぜなら彼女はまだ若く、成長途中なのだから。

■ 社会の姿を表す「ママの法律」

社会で楽に生きるための秘訣が「ママの法律」に記されてる。

それは「役割」に関するものだ。

それぞれが自分に与えられた役割(父親、母親、上司、部下、子供等)を演じることによって、社会に参加する。役割という仮面を時と場所によっていくつも付け替えることで、社会と折り合いをつけながらお互いに楽に生きていく。その方法が「ママの法律」の本に記されているのである。

■ ひとこと

139分。
上映時間だけみると長く思うだろうが、まったく飽きさせない展開でこれほど集中して映画を観たのはずいぶんと久しぶりであった。

セットは「ドッグウィル」よりも増えて高低の空間的広がりも感じさせるようになった。

それでも、はじめて観る人には衝撃的であろう。

「マンダレイ」を観る前にぜひ「ドッグウィル」を観ておこう。なぜなら「マンダレイ」はアメリカ3部作の第2作目だからだ。

第1作「ドッグヴィル(DOGVILLE)」作品レビュー

骨太でパンチの効いた作品に出会いたいならぜひ観るといい。

「マンダレイ」とセットで観たら意外と面白い組み合わせになる作品は「フライトプラン」だ。

「フライトプラン」作品レビュー

俳優ファン ○ 
ファミリー  ×
デート    × 
フラっと   ◎ 
脚本勉強  ◎ 
笑い     ○ もう笑うしかないという観方も
リアル追求 ◎ 風刺
謎解き    ○
人間ドラマ ◎ 
社会     ◎

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03/17/2006

ヒストリー・オブ・バイオレンス(A HISTORY OF VIOLENCE)

監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
アメリカ・カナダ/2005年/96分
原作:『A HISTORY OF VIOLENCE』(ジョン・ワグナー作 ヴィンス・ロック画)

放蕩息子をモチーフに「愛」を描くサスペンスミステリー。家族や友から離れた者が再び戻ってきたとき、それを受け入れることができるか。ヴィゴ・モーテンセンの演技が凄い。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
米インディアナ州の田舎町。ある晩、トムが経営するダイナー(食堂)が拳銃を持った二人組みの強盗に襲われる。
素早い身のこなしで強盗を倒し、店の従業員と客を救ったトムは、一躍全米のヒーローとなる。
そんなある日、店に男がやってきた。男はトムをジョーイと呼び、一家につきまとうようになる。
やがて家族に危機が迫り、トムの妻エデが夫の過去を知ったとき、それまで愛と信頼に包まれていた家族の暮らしが崩れていく。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△トム・ストール
 男性。田舎町のダイナーのオーナー

△エディ・ストール
 女性。トムの妻。弁護士。

△カール・フォガティ
 男性。マフィアの構成員

△リーチー・キューザック
 男性。マフィアのボス。

△ジャック・ストール
 少年。トムの息子。

△サラ・ストール
 少女。トムの娘。

コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
放蕩息子をモチーフに「愛」を描くサスペンスミステリー。家族や友から離れた者が再び戻ってきたとき、それを受け入れることができるか。ヴィゴ・モーテンセンの演技が凄い。

■ 巧みなセットアップ

作品の冒頭、男二人がモーテルを出発する長回しのシーンがある。
ひとりの男は、ダルそうにこんな意味のことを言う。
「こんな毎日にマジでうんざりだぜ」。
もうひとりの男は、おれだってそうだ、といったふうに答える。

このセットアップの冒頭シーンで読み取るべきキーワードはこれだ。

「田舎(中西部のインディアナ州)」「暑い」「田舎を点々とする毎日にうんざり」

つまり、男二人は毎日にうんざりしているということだ。これは主人公トムの過去の心情の一部をあらわしてるといっていいだろう。
昔はこの男たちとたいして変わらない心情で毎日を過ごしていた男が、その後どうなったのか。それを観客に予測させる予告編の役割をも持っているのがこのセットアップ(冒頭シーン)なのである。

■ 故障中の車はトムの心情を表す

トムは自分の車が調子悪いので、妻に車で職場(ダイナー)まで送ってくれと頼む。妻はもちろんよと答えて仲良く出勤する。
トムが住む町はインディアナ州の田舎町だ。当然のように車はひとり一台ないことには不便である。

アメリカ合衆国は車社会だからアメリカ人はみな車を持っていると思いがちだが、もちろん車を持っていない人もたくさんいる。だがアメリカ合衆国に限らず日本でも、一部の都市部を除くほとんどの地域では車がないと不便だ。とくに田舎では車は下駄代わりである。

というわけで、トムには自分専用の古いピックアップトラックみたいな車があるのだが、エンジンの調子が悪いらしく故障中だ。すぐにでも直せばいいのだが、トムは急いで直そうとはしていないようだ。いざとなれば歩いて職場までいけるし(おそらく徒歩1~2時間程)、とりあえずは愛する妻の車に乗せてもらえばいい。

つまり、トムは自分の家と職場のある街へ行き来できればそれでいいのだ。ほかにどこへ行く予定もないし、ほかのどこかへいくつもりもない。これはトムがこの街で愛する家族と共に素朴でも幸せな生活をいつまでも続けたいという思いを表しているのである。

また、ダイナーにいたトムが胸騒ぎがして家族を守るために急いで家に戻る際、怪我をした足で家まで走るのだ。。車が使えないから走るしかないのだが、このシーンはトムがいかに家族を大事に思っているかを動き(アクション)で表現する演出効果を狙ったものだろう。

しかも、走って家についてからの演出もしっかりしている。街からずっと必死に走ってきたので、汗だくなだけでなく、呼吸がゼィゼィとなってうなく話せない。それでも家族の安全を確認して事情を説明しようとするのだが、呼吸が苦しくてソファに座ったまましばらくはまともに話せない有様なのだ。

そんなになりながらも必死に走りつづけて(足を怪我しているのに)帰ってきたトムの姿に、観客は過去の冷酷な男から家族思いの男にほんとうに変わったことをいつのまにか受け入れてしまうのである。これはリアルかつ感情移入というダブルの効果がある演出法である。

ちなみにトムは自分の車をいつ使うのか。それは自分の過去に立ち向かうべく出発するときに使うことになるのである。

■ 10代の頃に出会いたかった

トムと妻のエディの夫婦関係はとても良好だ。ふたりはいわゆる「ラブラブ」である。
エディはトムに、あなたと10代の頃に出会いたかった、という意味のことを言う。これは、いったいいままであなたはどこにいたのよ、もっと早く私をみつけて早くから私の側にいてくれたらよかったのに(実際は10代の頃には出会えなかったのだが)、という英語の授業の仮定法の例文に出てきそうな心情をあらわしたセリフがある。

エディにとってトムとのマッチングは最高なので、出会いというタイミングがもっと早かったら最高の日々をもっと早くから送ることができたのに、という思いが詰まったこの言葉は、二人の愛の深さと相性の良さを観客に素早く感じ取ってもらう言葉の演出だ。

そしてこのセリフのあと、二人の子供の「おかん」であるエディは、ハイスクール時代のチアガールの衣装を着て夫の前に登場するのである。
こうしてセリフ(言葉)とアクション(行動)でて夫婦の仲の良さを知らせると同時に1回目のセックスシーンによって、後の2回目のセックスシーンとの対比を通して夫婦関係の変化を表現する布石にもなっているのである。

■ 過去を知っても受け入れられるか~放蕩息子の例え~

田舎町ではトムはみんなから慕われる良き人である。ダイナーで強盗を倒して従業員と客を救ったことで、ヒーローとしてますます町の人々に愛されるようになる(店のお客も増えた)。

しかし、トムがかつて強盗やマフィアだったとしら?
たとえそれが過去のことであり、今は良き父であり良き夫であったとしても、妻は彼を受けれることができるのか。
さて、新約聖書にはキリスト教圏で生まれ育った者は一度は聞く放蕩息子のたとえ話がある。(ルカによる福音書第15章11節~32節)

-------------------------------------
あるところに二人の兄弟がいた。弟が父親から財産の半分をもらうと遠いところに行って放蕩に身を持ちくずして財産を使い果たしてしまった。飢饉が襲って食べることにも窮して豚の世話人になり、豚の餌で腹を満たしたいと思うほどになって本心に立ち返り、父の元に戻り、雇い人のひとりと同様にしてもらう決心をする。
父はまだ遠く離れているのに彼をみとめ、走り寄ってその首を抱いて接吻した。こうして盛大に祝宴がはじまったのであった。

-------------------------------------

「放蕩(Prodigal)」には、むだづかいする、浪費するといった意味のほかに「家族や友から離れていたものが戻ってくる」という意味がある。

妻エディが出会ったトムは良き人だったが、実は過去にマフィアの一員だったことがわかる。

放蕩息子の話では、父親は神をあらわし、放蕩息子は人間をあらわす。エディは人間なので「放蕩息子の話」での父親のようにまだ遠くに離れている息子(トム)をみとめ、走り寄ることはできない。

作品のラストシーン。ダイニングのテーブルで夕食をとるエディ、息子ジャック、娘サラ。そこへ戻ってきたトムが家に入ってくる。
果たしてジャックは、サラは、そしてエディは、自分の過去に立ち向って後に家に戻ってきたトムを受け入れることができるのか。

監督らしいというべきなのか、ありきたりなハリウッド映画のエンディングとは違うものとなっている。

夕食。父親がかえってくる。この何気ない日常のシーンをじっくと観せてくれる作品はなかなかない。
派手な映像ばかりが映画ではない。何気ない日常のふとしたシーンをいかに劇的にできるか。それが映画の醍醐味である。

ちなみに、何気ない日常のシーンを小道具を用いて劇的する試みがみられる作品はこちら。
(だたし、この↓作品の効果は、頭で考えた仕掛けの粋を出てはいない)

「愛してる、愛してない...(A la folie…pas du tout…)」作品レビュー

■ ひとこと

主人公トム・ストール役の俳優は『ロード・オブ・ザ・リング』で正義の勇者アラゴルン役だったヴィゴ・モーテンセンだ。
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」での彼を観ていると、真の役者とはこういうものか! と鳥肌が立つすごい演技をしている。トムの表情とジョーイの表情。こういった変化の演じ分けが見どころである。

俳優ファン ◎エド・ハリス、ウィリアム・ハートも出演
ファミリー  ×
デート    ×
フラっと   ○  
脚本勉強  ◎ラストシーンのつくりかたに真鍋(学べ) 
笑い     × 
リアル追求 ○ 
謎解き   △
人間ドラマ ◎ 

▼おすすめレビュー
クローネンバーグ監督の特徴と、父と息子の描写について知りたいならこちら↓
「ラムの大通り」さんの『『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

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03/10/2006

ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女

監督:アンドリュー・アダムソン
アメリカ/200年/140分
原作:C.S.ルイス「ナルニア国ものがたり」

聖書のエピソードが豊富にちりばめられた物語。イエス。ピーター(使徒ペテロ)。善悪を知る木の実。裏切りのユダ。エソウとヤコブ。ゲッセマネの園。マグダラのマリア等。これらを知らないでも楽しめるが、知っていればさらに楽しめる。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
第二次大戦中のイギリス。ペベンシー家の4兄妹は田舎へ疎開する。
疎開先の屋敷の部屋にある大きな衣装箪笥はナルニア国に繋がっていた。
ナルニアは偉大な王アスランが去り、白い魔女の支配によって百年の冬が続いていた。ナルニアの住人は古い予言を信じて4人の人間が現れ、再び春が訪れるのを待っていた。
衣装箪笥からナルニアにやってきたペベンシー兄妹はアスランと共にナルニアに春をもたらす。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ピーター
 ペベンシー家の長男《英雄王》

△エドマンド
 次男《正義王》

△スーザン
 長女《優しの君》

△ルーシー
 次女《頼もしの君》

△アスラン
 ナルニア最初の王

△白い魔女
 ナルニアを支配する女王

コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
聖書のエピソードが豊富にちりばめられた物語。イエス。ピーター(使徒ペテロ)。善悪を知る木の実。裏切りのユダ。エソウとヤコブ。ゲッセマネの園。マグダラのマリア等。これらを知らないでも楽しめるが、知っていればさらに楽しめる。

■ ナルニア国物語とキリスト教

「ナルニア国物語」キリスト教的(聖書)な観方ができるのは有名です。作品の中に聖書のエピソードがちりばめらています。いえ、聖書の物語そのまんまと言ってもいいかもしれません。

ですが、日本公開にあたってはではこのあたりことを全くといっていいほど宣伝に使っていません。
日本ではおそらくキリスト教との関連を意図的に排除した宣伝をしているのでしょう。

欧米ならばキリスト教徒やその文化を持つ人々に向けてキャンペーンを行い、劇場に足を運んでもらうということもしているかもしれませんが、日本では他のファンタジー系の作品、例えば「ロード・オブ・ザ・リング」等のブームに乗せて、特殊メイクやSFX、VFXを前面に押し出してファンタジーワールドを強調した宣伝にしたようです。(ちなみに「ナルニア国物語の原作者と「ロード・オブ・ザ・リング」の原作者は友人同士です)

そのため「ナルニア国物語」をふつうのファンタジー物語として認識さてている方が多いでしょう。聖書のことを全く知らなくてもファンタジー作品として楽しめるようになっていますのでご心配なく。

もちろん、キリスト教文化を知っている方や、聖書に馴染みのある方は、あらゆるシーンが聖書と重なっているのがとてもわかりやすく描かれていますので一層「ナルニア国物語」を楽しめることでしょう。

では、どこがキリスト教と関係しているとみてとれるのでしょう。

それについての詳しいことは無料レポートにまとめましたので「ナルニア国物語」のキリスト教的な意味や背景を知ってさらに作品をたのしみたい方はぜひダウンロードしてお読みください。

▼無料レポート
「ナルニア国物語」に秘められたキリスト教文化を大解説
~これを知れば7倍楽しめる~

聖書について知りたい方はこちら

「ナルニア国物語」のほかに、キリスト教文化や聖書の予備知識があるとより一層楽しめる映画作品はこちら。

アフリカのロトともいえる男の物語。
「ホテル・ルワンダ(HOTEL RWANDA)」

雷ではじまるサウロの回心。ルターの修道士の誓い。
「宇宙戦争(WAR OF THE WORLDS)」

ノアの箱舟。ヨセフの物語。
「サハラ 死の砂漠を脱出せよ(SAHARA)」

ソドムとゴモラ。ロト。タラントのたとえ。ヤコブの井戸。
「バットマン ビギンズ(BATMAN BEGINS)」

ロンギヌスの槍。ヨハネの黙示録。ルシファー。蛇。蝿(虫)。
「コンスタンティン(CONSTANTINE)」

信仰。長血(病気)をわずらっている女。
「ポーラー・エクスプレス(THE POLAR EXPRESS)」

過越し。ノアの箱舟。アダムとイヴ。ソドムとゴモラ。ロトの救出。
「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」

他にも映画にみる聖書・キリスト教文化はいろいろあります

俳優ファン △
ファミリー  ◎ 
デート    ◎ 
フラっと   ○  
脚本勉強  ○ 
笑い     × 
リアル追求 △ 
謎解き   ×
人間ドラマ ◎ 

▼おすすめレビュー
『映画をささえに生きる』さん「ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女」

「ナルニア国ものがたり」全7冊セット 美装ケース入り 「ナルニア国ものがたり」全7冊セット 美装ケース入り
C.S. Lewis C.S.ルイス 瀬田 貞二

ゲド戦記全6冊セット The Dark Is Rising Sequence/Silver on the Tree/the Grey King/Greenwitch/the Dark Is Rising/over Sea, Under Stone 床下の小人たち The Chronicles Of Narnia The Screwtape Letters: With Screwtape Proposes a Toast (The C.S. Lewis Signature Classics)

by G-Tools

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02/13/2006

ホテル・ルワンダ(HOTEL RWANDA)」

監督:テリー・ジョージ
イギリス・イタリア・南アフリカ/2004年/122分

●ひとりの男が家族を守る「アフリカのロト」ともいえる人間ドラマ

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
1994年ルワンダ。首都キガリ。高級ホテル「ミル・コリン・ホテル」の支配人ポールは、内紛による大量虐殺の危機から人々を救う。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ポール・ルセサバギナ
 高級ホテルの支配人

△タチアナ・ルセサバギナ
 ポールの妻

△オリバー大佐
 国連軍大佐

コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
ひとりの男が家族を守る「アフリカのロト」ともいえる人間ドラマ

■ 人間ドラマ

この作品は、ルワンダのフツ族とツチ族の内紛によって起こった虐殺のなかにあって、ひとりのホテル支配人の行動が1200人もの命を救った内容の人間ドラマです。

フツ族とツチ族の対立の原因のいくつかは、第1次世界大戦後の戦後処理とそれに伴う植民地統治の政策によるところが大きいのですが、そのあたりの歴史的な背景を詳しく知らなくても、だれでもわかるようにやさしく丁寧にストーリーの進行と共にわかりように作られています。

歴史ものという性格の作品ではなく、あくまでひとりの男が家族を守る物語なのです。

■ 「アフリカのシンドラー」「アフリカのロト」

4つ星ホテル支配人ポールは自分を頼ってやってきた人々を見捨てることができずにホテルに迎え入れます。少数ではありますが国連軍兵士がガードする高級ホテルにはフツ族の民兵もうかつに手出しができませんが、それも微妙な情勢のなかで綱渡りのような情勢でそうなっているだけで、民兵がなだれ込んで来るのは時間の問題ともいる状況です。

フツ族民兵のリーダーからは、ホテルにいる裏切り者を渡せば身内だけは助けてやるといわれますが、ポールはホテルにやってきた人たちを守ろうと知恵を絞って奔走します。

さて、旧約聖書ソドムとゴモラという街が登場します。悪がはびこったため、その街に10人の良き人がいたら滅ぼさないと約束された神は、良き人ロトの家に天使2人を遣わします。

ロトは旅人に扮した天使たちを自分の家でもてなしますが、街の住人が大勢、旅人を出せ乱暴してやる、と言って押し寄せてきます。それでもロトは旅人をかくまうのです。

ロトにとってははじめて会った旅人にすぎないにもかかわらず(もちろん天使だとも知りません)それでも良き人ロトは旅人を守ろうとしたのです。
そこで天使たちはロトの家族を連れ出して街を離れさせます。街から逃げていくその背後では天からの火によって街は焼かれてていきました。

高級ホテルの支配人ポールは、自分の家族を守るだけで精一杯です。しかし、ポールを頼ってやってくる近所の人たち、そしてホテルに避難してくる人々を見捨てることはできませんでした。その結果1200人もの人々の命を救うことになったのです。

ポールは「アフリカのシンドラー」とも言われていますが、その行いからは「アフリカのロト」とも言えます。

■ 賢く機転が利いて優秀とはどういうこかを教えてくれる

支配人ポールはホテルマンとして培った話術と物資調達の顔の広さと機転行動力によって1200名もの人々を救いました。国の有力者に付け届けをして顔を広げたり、高級な酒や葉巻を手配して客をもてなしたりしていたポールは、虐殺の危険にさらされている人たちを守るために本国のホテル経営者に電話をかけたり、「物」や「金」を渡して軍人にホテルをガードしてもらったりします。

武力を持たないポールはあらゆる手段を使って家族を、そしてホテルの人々を助けようとします。

商売人のたくましさと、人間としての大切なものを併せ持った主人公ポールが多くの観客に応援されることには十分にうなづけます。

■ ひとこと

この作品、渋谷の上映館が大盛況のため、一度目に訪れたときは観れませんでした。

その一週間後にやっと観ることができましが、それでも上映開始2時間以上前に受付をして整理番号をもらわなければなりませんでした。

渋谷の上映館は座席数120ぐらいですから(会議室ぐらいの広さ?)。

実は2月4日あたりから上映館が拡大して、ウチの近所でも観れるようにっていたんですよね。

もし他の上映館で観ることにしたら、混み混み渋谷で前の座席の人の頭(よッ! 座高チャンピオン!(>_<))なんて気にせずに観れただろうに……。

でも、すでに渋谷上映館の名前が入った前売り券を買ってしまっていたので、渋谷以外でも上映館ができたのわかっていたましたが、たまには若者の街もいいかなと……。

おそるべし渋谷!
昔は人の数なんてたいして気にならなかったのに、人混みがすごかった!
(最近は電車の乗り換えや車で通り過ぎるだけでしたから)

映画館も混み混み。評判がいい作品だからなおさら。

ひさしぶりに他人の座高が気になりながら映画を観ました。(懐かしい感覚!)

∇「~族」という呼称は、わかりやすくするために使用しました。

俳優ファン  △ 
ファミリー  △
デート    △
フラっと    △
脚本勉強  ○
笑い     ×
リアル追求 ○
謎解き    ×
人間ドラマ  ◎  

∇無料レポート限定配布中

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02/05/2006

フライトプラン(FLIGHTPLAN)

監督:ロベルト・シュヴェンケ
アメリカ/2005年/98分

サスペンスと女優が目玉。後味の悪さは一級。文字通りのハリウッド版「劇団ひとり」? 実は風刺作品か?


ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
夫の死を悲しむカイルは6歳の娘と共に、夫の棺を載せた最新型エアジェットでベルリンからニューヨークへ向かう。
高度一万メートルの上空でカイルの娘が姿を消す。だれひとりとして娘の姿を見ていないと言うが、カイルは機内を探しまわる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△カイル
 女性。航空機設計士。

△ジュリア
 少女。6歳。カイルの娘。

△カーソン
 男性。航空保安官。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
サスペンスと女優が目玉。後味の悪さは一級。文字通りのハリウッド版「劇団ひとり」? 実は風刺作品か?

〈注:ちょっとネタバレしてます〉

■ 迷える羊のたとえ話

カイルはいなくなった娘ジュリアを探します。たとえ飛行機の乗員・乗客のだれもジュリアを見ていないと言っても、カイルはいなくなった娘を探します。

さて、新約聖書のルカによる福音書15章1節~7節に「迷える羊」のたとえ話があります。

これは、百匹の羊を持っている者がそのうちの一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまで探し歩き、見つけたならば喜んでそれを自分の肩に乗せて家に帰ってきて友人や隣人を呼び集めて一緒に喜んでもらうでしょう、というお話です。

このたとえ話では、羊飼いはイエス、迷子の羊は創り主から離れてしまった人のことを表しています。

99匹の羊と1匹の羊ではどちらを取るべきでしょう?
たいていの人は99匹でしょう。

実は、羊は弱くて臆病ですが、群れを作っているときは弱い羊を中心に円を作り、体が大きく強い羊が外側をかためます。そのため群れを作っている99匹の羊は外敵に襲われる危険は小さいのです。


■「飛行機の乗客は400名以上」と「娘ジュリアひとり」

カイルは機内を探し回ります。客室だけでなく、貨物室や、家でいうなら天井裏や床下に入り込んで探します。当然、ひとりの乗客であるカイルがそんなところまで入り込むのは、当人だけでなく他の乗客の安全にかかわることです。そのためなのでしょう、カイルの職業が航空機設計士となっています。

航空設計士であり搭乗しているエアジェットを設計したうちのひとりであるカイルは、機内のどこをどういじれば機体にどのような影響が及ぶのかを熟知しています。

機長はカイルひとりの行動が他の乗客すべてを危険にさらしていると言います。たしかにそのとおりです。ですがカイルはカイルなりに、自分が機内の隅々まで探しまわっても乗客400名以上が危険にさらされる危険度は低いと思っているようです。

航空機の専門家であるカイルの、このような「読み」は航空機という機械については当たっているのでしょう。しかし航空機については専門家でも、人間については素人です(普通の人と同じです)。


■ 母子の愛に素直に感情移入しにくい理由は……。

娘を探すことに一生懸命のカイルは、乗客のひとりが娘を誘拐したに違いないといいます。その乗客のひとりとはアラブ系の男性です。問題の時刻にはホテルにいたというこの男性は、見せる義務はないにもかかわらずホテルの領収書を見せてあげますが、他の乗客たちの疑いの目に晒されます。

また、カイルは操作盤をいじってすべての客席の酸素マスクを放出させたり、機内の電気を消したりします。
これらの行いがたとえ航空機の飛行に支障がなくても、乗客にしてみればもうパニック状態です。心臓の弱い人はそれだけで心臓発作を起こすかもしれません。興奮した乗客が暴れだすかもしれません。

たとえ航空機に問題はなくても、人間には大問題なのです。

そういった意味で、一見すると聖書の「迷える羊」を彷彿とさせながらも、他の乗客のことなど気にかけていないことが浮き彫りになってしまっています。

いなくなった娘を探すためということでかなり大目にみたとしても、他の人を陥れたり、危険にさらしたりする主人公を応援することはかなり難しいでしょう。


■ ペイオフが解消されない

ハリウッドの脚本術のひとつに「フォーシャドゥイングとペイオフ」というものがあります。フォーシャドゥイングとは、出来事をセットアップするために使われる視覚的手がかりやダイアローグ、もしくは後のストーリーでペイオフされる情報のことをいいます。

つまり「前フリ」があって「オチ」がある、といったようなものだと思ってください。

さて、これをふまえたうえで次の2点について「なるほど」と観客がうなずくようにはなっていません。

・なぜカイルの家族でなくてはならなかったのか

・なぜアラブ系男性は誘拐犯だと決めつけられたのか

例えば推理小説にはミスリードというものがよく使われます。これは、読み手の視点を核心からそらすために作り手が仕掛けるトラップみたいなものです。ミスリードは、謎が解けたあとに観客が納得できる程度のものでなければなりません。

ミスリードがあまりに幼稚だったり、突拍子もないものだったり、そもそもミスリードとして成立していないようなものだったりしたら、推理作品とは認めてもらえません。

「フライトプラン」はアクション・サスペンスと銘打っていますから厳密にはミステリーではないとはいえ、ミスリードがとってつけた程度のもので、作品を見終わってもしっくりしないものとなっています。


■「サスペンス」と「女優」が目玉

サスペンスとは「宙吊り」にすること。謎を提示して観客が答えを知りたいと思わせつづけることで作品への興味を繋ぎとめておくことです。そういう意味でのサスペンスは成功しています。

主人公カイル役には2度のオスカー受賞女優であるジョディ・フォスター。3年ぶりの主演作品です。

しかし「サスペンス」と「女優」が目玉の今作は、他の要素がおざなり(その場かぎりのいいかげんに物事をすませること。はいいかげんだけど、とりあえず行動を起こします)となっているといえます。


■ 実は風刺作品?

ベルリン発ニューヨーク行のエアジェット。ヨーロッパからアメリカ大陸に向かう飛行機です。故郷に戻るカイルはアメリカ人という設定です。

国際線ですから様々な国籍・人種・民族の方々が搭乗しています。そんな密室(圧力鍋効果がある)のなかでアメリカ人であるカイルが乗客をパニックに陥れてもなりふりかまわずに己の目的を果たすために突き進む姿は、観客に「とある国」の姿を思い起こさせます。それはまるで文字通りのハリウッド版「劇団ひとり」と例えることもできます。

「航空機」を「世界」と捉えてみると、ひとりの信念・正義のために他の人々の間に亀裂が生じたり、危険が及んだりする世界の縮図が描かれているようでもあります。

やがてサスペンスの宙吊りの糸がプツンと切れたとき、人々を危険に陥れるのは「航空機」という「世界自身」だという、なんの解決にもならないオチとなっています。

航空機という名の世界をいかに安全に平和に運行させるか? という課題に対して、世界を否定してしまったのではもうどうすることもできません(これなら宇宙人のほうがまだマシだった?)。

有名な「迷える羊」をモチーフに母子の愛を描いていそうで、実は「迷える羊」での99匹の安全を思うあたりを捻じ曲げているかのような作り方はマイナスですね。

それは「母子の愛」という名のガラスを曇らせているかのようで、観終わったときの後味の悪さは一級です。


■ ひとこと

乗客・乗員の誰かが娘ジュリアを見ていたら? 
カイルが機内で眠らなかったら?

このような疑問が浮かんでもそれを解決する答えは用意されていません。ミステリー作品として捉えてしまうと、ご都合主義のひとりよがりな作品という印象を抱くでしょう。

これは風刺作品なの? と思ってしまいますが、どうやらそんなつもりで作った作品ではないところが怖いところですね。

ラストでカイルは自信満々で、大仕事をやり切った感を猛アピールしまくりますが、その態度こそが問題なのでは? と思わずにはいられなくなる方も多いのではないでしょうか。

やはり風刺作品なのか……?

飛行機マニアにはたまらんです。


俳優ファン 向  ジョディ・フォスターが3年ぶりの映画主演
ファミリー  △  「ザスーラ」を観ましょう
デート    不向 主人公の行動に共感できるか否かで大論争に? 
フラっと   △  フラッと観るぐらいがちょうどいいかも
脚本勉強  △  ミスリードの破綻が招く結果を真鍋(学べ)
笑い     △  ここまでくるともう笑うしかない?
リアル追求 向  ハリウッド史上最大級の巨大セットで撮影
謎解き   不向 ミステリーファンにそっぽ向かれまっせ
人間ドラマ 不向 ひとり舞台  


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01/27/2006

スタンドアップ(North Country)

監督:ニキ・カーロ
アメリカ/2005年/124分

人生を描く骨太硬派作品。父と娘。母と息子。シングルマザーがけっしてめずらしくないコミュニティにあって、主人公ジョージーが10代でシングルマザーとして子供を産んで育てる決心した真の意味を知ったとき「感動」という波が押し寄せる。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
北ミネソタ。シングルマザーとなった女性が鉱山で働きはじめる。男性社員たちからいやがらせを受けるが、娘として、母として、そしてひとりの人間として立ち上がる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジョージー
 女性。2児の母親。

△グローリー
 女性。ジョージーの友人。仕事の同僚。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
人生を描く硬派作品。父と娘。母と息子。シングルマザーがけっしてめずらしくないコミュニティにあって、主人公ジョージーが10代でシングルマザーとして子供を産んで育てる決心した真の意味を知ったとき「感動」という波が押し寄せる。


■ キリスト教とシングルマザー

ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)から逃れて二人の子供を連れて北ミネソタの故郷に戻ってきたジョージーが地元の教会に足を運ぶシーンがあります。会堂の椅子に座っているジョージーのほうを年配の女性がチラチラと視線をやります。ジョージーの目のまわりは黒くなっていて、殴られたであろうことは想像がつきます。年配の女性の視線はいわゆる「出戻り」を見る「世間の目」というものですね。

そして教会では聖体拝領らしきことが行われています。ということは、おそらくそこはキリスト教のカトリック教会なのでしょう。ミネソタ州民の多くはプロテスタントですが、カトリックのコミュニティに属する人々も一定数います。

ジョージーの実家が属するのはこうしたカトリックのコミュニティです。
そして「アメリカの冷蔵庫」の異名があるほど寒いミネソタ州の北部のこの町は、鉄鋼業で成り立っています。

つまり、町の人々の多くはカトリックで、炭鉱関連の仕事をしているのです。こうした狭いコミュニティの中にあってジョージーがシングルマザーであるのはカトリック社会ではけっしてめずらしくありません。

なぜならカトリックは中絶反対の立場をとっているからです(ちなみにブッシュ大統領もカトリックなのでこの立場です)。

■ 父と娘

ジョージーは10代でシングルマザーとなりました。シングルマザー自体はカトリックコミュニティではけっしてめずらしくないのですが、そうはいっても父親がだれかもわからない子供を産んだのですから、父親としては悲しさを通り越して怒りに近い、どうにもやり場のないような感情が沸き起こります。

実は10代でシングルマザーになったというところが作品の肝なのですが、これによってジョージーは父親とうまくいっていません。

父親にとってれば、出戻ってきた娘が今度は自分と同じ職場の炭鉱で働くと言い出したのです。町の唯一の産業といっていい炭鉱は男達の職場であり、仕事によって支えられる男のプライドの唯一の拠り所でもあります。

作品の中でこんなかんじのセリフがあります。女には仕事がなくても子供という生きがいがあるが、男から仕事をとったら何も残らない――。炭鉱がすべてといっていい町にあって炭鉱で働くことは男にとってそれがすべてといっていいでしょう。

その男の領域(と男たちは思っている)に自分の娘が入ってきたのです。男性社員(労働者)たちからいやがらせを受ける娘の姿を見なければならない父親の気持ちを想像するのは容易ではありません。


■ 子供を産んだ真の意味

10代で妊娠したジョージーは、その経緯からすれば(詳細は省く)普通ならば産みたくないと思うでしょう。そにもかかわらず産んだのはなぜか。一般的な見方でいうなら、ジョージーの家族はカトリックコミュニティに属しているのだから(カトリックは中絶反対の立場)産んだ、というように周りからは思われることでしょう。

つまり、父親が誰かもわからないにもかからず、ジョージーの家族はカトリックだから、その宗教的立場から娘に中絶させることはできなかったので産ませた、というように思われているということです。

しかし、ジョージーは妊娠しているときにふと気づくのです。その「気づき」によって子供を産んで一緒に生きていくことを決心するのです。

この流れが映画の中で明らかになったとき、寒空の中、いなくなった息子を家の外で待つジョージーの姿にあなたは涙せずにはいられないでしょう。


■ ほんのちょっと想像してみるだけで感情が動く

作品を観ながら明らかになってくる父と娘の関係。そして母と息子の関係。それをふまえてジョージーの気持ちをちょっと想像してみるだけで、こみあげてくる感情があります。これを「感動」というのでしょう。


■ 夫婦愛とは?

ジョージーの女友達のグローリーは炭鉱で働き、組合の役員もしています。男達も彼女のことを認めて一目置いています。そんな彼女は病気になり、やがてほとんど動けなくなります。

グローリーの夫は腰を痛めたために炭鉱を辞めて家にいます。炭鉱がすべての町で、炭鉱で働けない男は自尊心をどう保てばいいのか。自分が働けないときも妻は大型トラックの運転手をしながら組合の役員としても活躍していました。並大抵の男だったら自尊心が保てずにアルコールに逃げて荒れるかもしれません。しかしグリーリーの夫は1日の大半を地下室で古い腕時計を修理して過ごしています。

やがてグローリーの病気が進行して彼女が動けなくなってきたとき、夫がごく自然に妻にキスをするシーンがあります。それをジョージーがそっと垣間見るというシーンです。

このシーンに「夫婦愛とは?」の答えが詰っているように思いました。


■ 白人社会はアメリカ合衆国を風刺?

ミネソタ州の人口における人種の割合では約9割近くが白人(ドイツ系と北欧系)です。
白人社会の中の男優位社会とくれば、これはアメリカ合衆国のことを暗示しているようでもあります。

アメリカ合衆国の主要なポストで優位にいるのはいわゆるワスプ(WASP)といわれるアングロサクソン、プロテスタント・ドイツ系です。

マイノリティがマジョリティに屈することなく立ち向かうというのは物語の典型のひとつでもあります。


■ ひとこと

原題は『North Country』
ハワイ州とアラスカ州を除いたアメリカ合衆国の48州のなかで最も北にあるのがこの作品の舞台のミネソタ州です。炭鉱の町はミネソタ州の中でも北部に位置します。

そういえばミネソタ州出身のコーエン兄弟の作品「ファーゴ」でも雪に覆われた北国が舞台でした(ファーゴはノースダコダ州の都市)。

ジョージー役のシャーリーズ・セロンは幼い頃、酒癖の悪い父親の家庭内暴力にあっていたそうです。そして彼女の母親が父親を射殺する悲劇が起きています(母親は正当防衛が認められた)。夫の暴力のために二人の子供を連れて家を出て故郷に帰ってきたジョージーとは偶然なのかつながるところがありますね。

「女性」がテーマの映画というよりも、人が生きていく様をみせてくる硬派な作品です。

はじめは、なんてひどいお父ちゃんなんでしょう! と思いましたが、作品の終わり頃にはお父ちゃんが映っただけで涙です。

性別問わず、オススメです! 

俳優ファン 向  オスカー女優のシャーリーズ・セロンが炭鉱労働者に!
ファミリー  △  ある程度の歳になった子にはぜひ観てもらいたい  
デート    △  女友達グローリーの夫婦愛にグッときます。
フラっと   向  フラッとこの作品に出会えたことに感謝しなきゃ
脚本勉強  向  人間を描くとはどういうことかを教えてくれる
笑い     不向 硬派な作品です。
リアル追求 向   実を元にしています。炭鉱の様子はリアル。
謎解き    △  シングルマザーになった経緯がミステリー
人間ドラマ 向  人間を描いている


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大ヒットにはワケがある! 『NANA』大ヒットの秘密を解き明かす特別緊急レポート!
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12/26/2005

ロード・オブ・ウォー(LORD OF WAR)―史上最強の武器商人と呼ばれた男―

監督:アンドリュー・ニコル
アメリカ/2005年/122分

しっかりエンタメしてる異色の人間ドラマ。そこでしか作れない題材を扱った本作は、まさに映画の醍醐味。こんな作品はありそうで滅多にない。


ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
ウクライナ出身でニューヨークのブライトン・ビーチで食堂を営む一家の長男・ユーリーはある日、ロシアンギャングの銃撃戦を目撃したことを契機に、武器の売買をはじめる。世界情勢を追い風に、商才を活かして世界中の政府や武装勢力を相手に商売する。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ユーリー・オルロフ
 男性。ウクライナ出身のアメリカ人。武器商人。
 年間取扱高60億ドル(US 推定) 年収9800万ドル(US 推定)

△ジャック・バレンタイン
 男性。インターポール刑事

△ヴィタリー・オルロフ 
 男性。ユーリーの弟。兄と組んで武器商人となる。

△エヴァ・フォンテーン
 女性。グラビアモデル。ユーリーの妻。

△シメオン・ワイズ
 男性。武器商人。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
しっかりエンタメしてる異色の人間ドラマ。そこでしか作れない題材を扱った本作は、まさに映画の醍醐味。こんな作品はありそうで滅多にない。

■ しっかりちゃっかりエンタテイメント

現在でも活動を続ける実在の武器商人をモデルに作り上げた主人公ユーリーの物語。とくれば、たいていは人物伝みたくなって、その生い立ちからエピソードをなぞっていくという構成になりがち。そういった、例えば実在の人物伝というのは、事実を元にしているために、あまり脚色できない場合があります。

本人にとっては劇的でも、他人からみればたいしたことないというのはよくあることです。そのため、事実を元にした作品は、はたしてどこまで脚色するか(できるか)がポイントです。

あまり演出しすぎてもいけないし、かといって事実のままでは映画作品としてはメリハリに欠けて観客のあくびを誘います。

主人公ユーリーは実在の武器商人をモデルに作り上げたキャラクターです。ユーリーみたいな武器商人はいるのですが、ユーリーと全く同じ、つまりユーリー本人は実在しません。――これがいいのです。

いろいろな武器商人をモデルに作り上げたユーリーというキャラクターを主人公にすることで、しっかり演出できます。観客を飽きさせないエンタテイメント作品にすることができるのです。

武器商人の話なのに、エンタテイメントなんて不謹慎な。

こう思われる方がいるかもしれません。でも、映画は観てもらわなければはじまりません。
最近のアメリカ合衆国や日本では、コメディやアニメ作品がヒットしています。これは多くの人が現実の問題から目をそらしたいと思っている雰囲気をよく表しています。そんなご時世にあって、武器商人にスポットを当てた作品は、アメリカ合衆国内で制作資金を調達することは困難であり、アメリカ合衆国以外からの資金調達で映画を完成させたそうです。

まずは観てもらう。そのためにはエンタテイメントでなければならないのです。エンタテイメントという手段で観客に楽しんでもらいながら、なにかひとつでも考えさせるものがあるかないか、それがポイントです。


■ ハッタリの効用

ユーリーは想いを寄せる人を口説くために、島のホテルを貸切り、グラビアモデルの彼女に架空の仕事を依頼します。さらにレンタルのチャーター機に即席で文字をペイントをしてもらい、自家用飛行機を持っているフリをします。

結婚してからの生活も、いい部屋に住み、いい家財道具を集めます。それは当時のユーリーにとっては現実の収入以上の、いわば「地に足のついていない暮らし」でした。
しかし、その「ハッタリ」を続けていくうちに、ビジネスはどんどん軌道にのって大きくなり、いつしか「ハッタリ」の暮らしに追いつき、追い越しさえします。

どうしてもほしいものがあるなら、自分には無理だと言ってすぐにあきらめずに、はじめはハッタリでもいいからやれることをやる。

ハッタリを続けているうちに、虚像と現実の間が狭まってきて、いつしかその差は限りなくゼロへ近づきます。

これを言い換えれば「なりたい自分をイメージしてそれに近づくよう行動する」といえるでしょう。

だれでもはじめは、現実の自分と理想とする自分の間にはギャップがあります。そのギャップを埋めるのはハッタリでもあってもいいのです。いや、むしろもっとハッタリの効用に気づいて利用すべきなのです。


■ 才覚があると信じてる男  
          才覚がないと痛感する女

ユーリーはなぜ武器商人となり、この仕事を続けるのか。その理由のひとつは、ユーリーは自分に商売の才覚があると信じているからです。才覚があるからこそ、そんどん取引相手が増えて収入も増えていったのです。

一方ユーリーの妻エヴァは、グラビアモデルから女優へ転身を試みます。しかしオーディションにはなかなか受かりません。そのうち絵を描いて画家を志望します。しかし絵はほとんど売れません。そうこうするうちにも、歳だけは確実にとっていきます。

エヴァは、自分には才覚・才能が何もないと痛感します。あるのは綺麗な容姿だけ。もちろん生まれも育ちも才能の内といえば、すごい才能(綺麗な容姿)を持っているのですが、生まれたときから容姿が優れていると言われて育ったエヴァにとっては、綺麗な容姿はあってあたりまえのものであり、それ以外のものを得ようとがんばります。

女優や画家になる才覚・才能がないとわかっても、良き妻、良き母としてあたたかい家庭を持ちたいという思いだけは大事にしたい。でも夫のユーリーは仕事で海外を飛び回っているためにあまり家にいない。

そもそもエヴァは仕事の内容をあえて夫に尋ねませんでした。なぜなら、夫の仕事がなにか危険を伴うものではないかと薄々感じながらも、家庭を大事にさえしてくれれば、自分の最低限の願い(暖かい家庭を持つこと)はかなえられるからです。

でも、夫のほんとうの仕事内容を知ったとき、なんの才覚もない自分だけど、人としての過ちは犯したくないとといった意味のことを夫に言います。


■ 「利」を大きくするには

妻の一言は、さすがのユーリーにも効きました。それからしばらくユーリーは武器商売をやめて、まっとうな商売をします。

世界各国を飛び回るユーリーは、武器以外の品で商売をすることもできました。実際の武器商人でも、武器だけを扱うというケースは稀で、たいてい他の多くの取り扱い品目のなかのひとつとして武器も扱うというのが武器商人の典型だそうです。

というわけでユーリーは武器以外の品目を扱って商売をします。しかし武器を扱うよりも売り上げは格段に落ちます。

いろいろな国の様々な裏側を知っているユーリーは、やろうと思えばまっとうな品で商売ができるし、そこそこ儲けることができます。でも「利」が少ない。なぜなら、武器以外の領域は既に進出しているライバルが多すぎるからです。

これはどんな商売にも当てはまりますね。すでに競合相手がたくさんいるところよりも、競合相手が少ないほうがいい。それでいてビジネスチャンスがごろごろしている分野がいい。さらに時代の潮流を見極めて身軽にすばやく動いた者には「利」があるのです。


■ 商売のネタにはけっして介入しない

ユーリーは世界のどんな紛争地域に出かけても必ずネクタイとスーツ姿です。まわりがみんな軍服を着ていても、ゲリラ風の格好をしている人たちがいても、ひとりだけスーツ姿のユーリー。

これは、けっして戦いの現場には介入しないという心がけでもあります。
武器商人をしているのだから戦いに関わっているのですが「戦いの現場」には介入しないのです。あくまでビジネスとして武器を扱っているというスタンスなのです。

この点は、ビジネスにおいては学べるところですね。

ネクタイとスーツ姿同士で商売をするのではライバルが多すぎる。しかもスーツ姿の世界の商売の現場に、自分もスーツ姿で介入してしまっています。商売の現場にどっぷり浸かってしまうと、なかなかおいしい「穴場」はみつけにくくなるし、なにより的確に情勢を見極めることが難しくなります。

スーツ姿(自分)+ スーツ姿(取引先)+ スーツ姿の世界(商売分野) = うまみが少ない

一方、ユーリーはどうでしょう。

スーツ姿(自分)× 軍人、ゲリラ、政府 × 戦争、紛争(商売分野) = うまみが多い

ユーリーはネクタイとスーツ姿で商売の現場に介入することなく、ライバルの少ない分野で、現場の情報と世界情勢に常にアンテナを張りつつ情報を収集して、己の才覚を最大限活かして商売をします。

ユーリーがどんなときもネクタイとスーツ姿なのにはちゃんと「意味」があるのです。


■ そこでしか作れない作品

武器ビジネスの話。これは、まさにアメリカ合衆国ならではの題材です。しかしその内容から、アメリカ国内での製作資金調達は困難だったそうです。
それはなぜなのか。
それは、映画を観ればわかります。


■ ひとこと

本来なら憎まれ役となるような設定の主人公を演じさせたらニコラス・ケイジの右に出る者はそうはいないでしょう。
「マッチスティック・メン(MATCHSTICK MEN)」作品レビュー
では詐欺師の役でした。そして今度は武器商人の役。
ほんとうに個性豊かな俳優さんですね。

久しぶりにしっかりエンタメもしてる骨太作品に出会えました。

こういう作品はありそうでなかなかありません。
ぜひ多くの人に観てもらいたいですね。

俳優ファン  向  ニコラス・ケイジの魅力全開
ファミリー   △  R-15なんで。お子様と観るのはムリです。
デート     不向 人間ドラマだが、愛のハッピーエンドではない
フラっと    △  フラッと観ようとは思わないでしょ。
脚本勉強  向  ちっかりちゃっかりエンタメ方法を真鍋(学べ) 
笑い     不向 ケイジ観ただけでクスッとなる人は笑える
リアル追求 向  エンタメの比率が高いが、部分的にリアルらしい
謎解き    △  そういう性格の作品ではない
人間ドラマ  向  ユーリーとその家族の物語です。


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12/17/2005

ザスーラ(ZATHURA)

監督:ジョン・ファブロー
アメリカ/2005年/110分

B00174W9D4ザスーラ [DVD]
ジョシュ・ハッチャーソン (千葉皓敬), ジョナ・ボボ (海鋒拓也), ダックス・シェパード (咲野俊介), ジョン・ファブロー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2008-06-25

by G-Tools

レトロとCG映像とパラレルワールド。同じような気分にあって同じような題材を使ってもこれほどの違いが!「ALWAYS 三丁目の夕日」との比較でみえてくる日米の大きな違いとは? たとえ後ろ向きに転んだように見えても、タダでは起きない「ど根性」を堪能しよう。家族で観るなら迷わず「ザスーラ」!


ストーリー(概要)