09/11/2007

ピクサーのスゴさの秘密

「レミーのおいしいレストラン」がCGアニメーションとしてヒットしつづけているのはなぜか。

今回はCGアニメーションに焦点を絞って考えてみよう。

そもそも、ピクサー作品のCGアニメーションがスゴいというときの「スゴさ」とは何だろう?

ピクサーはこれまで、CGでは難しいとされる対象をあえて描いてきた。毛におおわれた生き物、水。

そして「レミーのおいしいレストラン」では料理を題材に描いた。だからスゴいといえば全くそのとおりなのだが、実はもっと重要な点をうまくやりとげている。

重要な点とは「人間」である。

高度なCGアニメーション技術があるからといってすぐに人間を登場させなかったことが重要であり、成功の要因だ。

たいていのCGアニメーション作品の場合、はじめから人間を登場させて「CGアニメーションの底無し沼」にハマってしまう。

人間をCGで描く意味と必要という名の沼にハマると、抜け出そうともがけばもがくほど深く沈んでいく。スクエア(現スクエアエニックス)が映画「ファイナルファンタジー」深い底まで落ちて浮かんでこれなかったようにである。

ところがピクサーの初期作品は人間以外を主人公にして、必要ならば人間も少し登場させてきた。そして徐々にスーパーヒーローや料理人へと、CGアニメーションで登場させるキャラクターにおける人間の比率を増やしてきたのだ

さらに最新作「レミーのおいしいレストラン」でさえ、主人公はねずみのレミーと人間のリングイニのふたりだ。まだ人間だけが主人公とまでにはしていない。

これがピクサーのうまいところである。

モンスターやおもちゃや魚を主人公にして「人間」を描きつつ「レミーのおいしいレストラン」では、さりげな~く主人公のひとりを人間にしている。

こうして、例の沼にハマることなく、人間をサラっと主人公にできているのだ。

ハマるとわかっている沼は避けてとおる。

あたりまえといえばそれまでのことを確実に行ってきた。それができるスゴさがピクサーにはあるということだ。

▼映画「レミーのおいしいレストラン(RATATOUILLE)」 作品レビュー


さて「ベクシル」はチャレンジ精神にあふれる作品だが、やはりこれも人間の顔をどのように表現するかで苦悩している様子がうかがえる。

技術的にはリアルな顔にすることができるのだが、あえて2Dちっくな、いうなれば従来のアニメちっくな「絵」に近いものとしている。

「CGアニメーションの底無し沼」があることはわかっているのだから、あえて無視するかのような態度もとってみるという、いい意味でのいやらしさ、もときには必要だ。

「ベクシル」は真面目に頑張っているのでぜひとも応援したいが、真面目におちゃらけてみるのもどうだろうか。新しい発見があるかもしれないゾ。

▼映画「ベクシル」作品レビュー

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08/22/2007

レミーのおいしい作品づくりの秘密


ピクサーがなぜヒット作品を出しつづけることができるのか。

その理由のひとつは、徹底したストーリーづくりにあります。

ピクサーでは、ひとつの作品について2年をストリーづくりに費やすそうです。

CG技術の高さが目立ちがちなピクサーですが、ただのCG職人の集団ではありません。

物語をつくる工房、のようなところといったらいいのでしょうか。

物語ありきで、それに最適なCG技術を使う。

だから、ピクサー作品の質は高く、ヒットを続けているのですね。

では具体的にどういったところが上手なのか。ストーリーづくりにおいてどういったところがしっかりしているのでしょうか。


 人間と動物の関係

ピクサー作品の多くは、人間以外の生き物やモノが主人公であることが多いですね。

おもちゃの人形。モンスター。魚。車。

人間以外が主人公の作品にも、人間が登場することがあります。

しかし、登場する人間は子どもだけだったり、大人は声だけだったり、大人の体の一部がチラッと映るだけだったりします。

これは意図してそうしているのでしょう。

主人公を中心とした世界を軸に物語を展開する場合、異質な世界はあくまで異質のままにしておく必要があります。

これには、物語世界の雰囲気の統一感を保つ目的があるとともに、観客の視点を主人公の世界につなぎとめておく役割もあるためです。

「ファインティング・ニモ」にも人間が登場しますが、それはニモが父親と再会する障害(オブスタクル)のひとつの役割しか持たせていません。人間の内面には踏み込んでいないのです。

それは魚のニモの物語だからです。ニモが父親と再会するための物語だからです。

だから、人間の内面を描く必要はないのです。

これまでのピクサー作品の基本では、どちらかの世界を中心に描きはじめたら、もう一方の異質な世界へは深く入り込みませんでした。

魚の世界を描いたら、人間の世界に深く入り込まない。

おもちゃの人形の世界を描いたら、人間の世界に深く入り込まない。

しかし、表面的には人間の世界を描いていないようで、作品を見終わってみると、それはけっして魚だけの世界でもなく、おもちゃの人形だけでなく、まさに人間の世界を描いていることに気づく、という仕掛けになっています。

「人間以外の生き物やモノを主人公に描きながら作品としては人間を描く」というスゴ技を披露してきたのがピクサー作品だというわけです。


■ ふたりの事情と内面

さて「レミーのおいしいレストラン」では、ねずみのレミーと、人間のリングイニのふたりの事情と内面が描かれます。

これはスゴいことです。

物語世界の統一感を保ちつつ、観客の視点を「ねずみ世界」と「人間世界」との間をブラブラと浮遊させることなく、共に自然にリンクさせている。

これをサラッとやっているところが、ほんとうにスゴい!

こんなスゴ技ができるのは、やはり 「魔法の鏡」職人(作家)ブラッド・バードだからなのでしょう。

Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」を作るために、外部から招き入れられた新しい監督、それがブラッド・バードです。

皆さんご存知のように「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」はそれまでのピクサー作品とはちょっと雰囲気が違います。まず、人間が主人公です。厳密にはスーパーヒーローですが、基本は人間です。

そして「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」のアクション描写もどちらかというと過激なほうで、上映時間も過去最長です。

そんなブラッド・バード監督は「レミーのおいしいレストラン」で作品づくりでは明確に分けられるふたつの世界(ねずみ世界と人間世界)を同時に描くというスゴ技を披露してみせたのです。

お・そ・る・べ・し。ブラッド・バード監督。


■ 異なる世界を同時に描く方法

では、どうやってふたつの異なる世界を同時に描くことができたのでしょうか。

その鍵は「レミーのしゃべり」「動き」にあります。

レミーはねずみ世界ではしゃべります。でも、レミーは人間世界ではしゃべりません。

レミーは人間の言うことを理解しますが、人間の言葉はしゃべらないのです。

さらにレミーは四本足でも二本足でも歩きます。ねずみらしい動き(四本足歩行)をすると同時に、ねずみらしくない動き(二本足歩行)もします。

このようにレミーの「しゃべり」と「動き」は、双方の世界の中間にあります。双方の世界の橋渡しができる位置にあるのです。


■ エッジに立つ新ヒーロー

橋渡しができる位置で活動するためには、自身が所属する集団や共同体の「エッジ(ふち。へり。端)」にいる必要があります。

レミーはその優れた臭覚によって食べ物の良し悪しを判定する重要な役割を持っていました。それに父親はねずみのリーダーです。

ねずみだけど、ねずみ界のサラブレッド。ねずみ界の王子みたいなものです。

自分たちを危険な目にあわせる人間と関わるなんて考えられない。人間は敵だとあらためて教えられるレミーですが、それでも良い人間だっている! とリングイニと協力して料理を作ります。

共同体の中心にいながら、エッジに立ち、敵対するふたつの世界の橋渡しをする。

ほら、聖書の出エジプト記のモーゼだって、エジプト王子として育てられましたが、リーダーとしてイスラエルの民と共に約束の地・カナンへ旅立ったのと似ていますね。

これは偶然ではなく、当然のようにキリスト教文化を物語づくりの要素として研究して活かしているからでしょう。

なにはともあれ、レミーは新時代のヒーロー像なのですね。

「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」でそのものズバリのスーパーヒーローを描いた監督が、今度は料理を題材にヒーローを描いたのです。

▼「レミーのおいしいレストラン(RATATOUILLE)」作品レビュー

▼「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」作品レビュー

▼関連記事「レミー、実はしゃべる」

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08/15/2007

レミー、実はしゃべる


ピクサー作品「レミーのおいしいレストラン」

ねずみのレミーは、従来のディズニー作品のキャラクターの多くが二足歩行するのとは違い、ほんとうのねずみと同じように動きます。

けれども、実は二足歩行もします。

なぜ二足歩行をするかを、レミー自身が他のねずみに説明するシーンがあります。

前足を清潔にすることで食べ物をおいしく安全に食べるためだというのです。また、手に入れた食料を清潔に運ぶこともできるから。

二足歩行にはちゃんと理由がある。食料を清潔に保ち、おいしいものを食べたいという願いをもったねずみというキャラクター設定をしっかりしたものにする役割がそこには込められているんですね。


さて、レミー自身が他のねずみに説明するということは、レミーは実はしゃべれるんです。

でもそれは同じねずみ同士の場合だけです。

レミーは人間の言葉を理解するけれど、人間の言葉を話すことことはできません。

このあたりの絶妙なさじ加減が、レミーのおかれた状況を的確に観客に知らせることを可能にしています。

登場キャラクターが人間と動物の両方いる場合は、動物はしゃべらない設定にするんだけれども、動物同士(ねずみ同士)はあたりまえにしゃべる。

そうすると観客は、ねずみ社会の事情もわかる一方で、人間(リングイニ)の事情もわかる。

双方の事情がわかるのは観客のみ。

すべて知っているからこそハラハラドキドキする。

その設定が巧みなんですね。

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07/12/2007

おもいっきりのよさのある「ダイ・ハード4.0」


ダイ・ハードシリーズはすべて観ているハズ。

「1」はビル。「2」は空港。「3」はニューヨークだったよね?

なかでもやはり「1」が一番印象に残っている。日本人経営ビルの社長らしき日本人だけが頭を吹っ飛ばされたから。派手な血が飛び散っていたよ。悪役だって頭は吹っ飛ばされなかったのにねぇ。

それを観たとき、アメリカ人のなかには日本人嫌いってけっこういるのね、と思ったように記憶している。

「1」なんて今観るとブルース・ウィルスが若い。当たり前か。髪の毛もけっこうあって、あんた誰? って思うぐらい。

それにしてもここ数年で殺し屋役がこれ以上ないほどハマリ役になったブルース・ウィルス。たとえ殺し屋じゃなくても、ワルっぽいけど善役というダークヒーローが似合う俳優といったら彼というまでになった。

そんなダークヒーローのブルース・ウィルスの魅力を堪能できるのがコレだ。

「16ブロック(16BLOCKS)」作品レビュー


話を「ダイ・ハード4.0」に戻そう。

観客がダイ・ハードシリーズに求めるもの。それは派手なアクション。それだけだ。

それをよぉくわかっているのだろう。「ダイ・ハード4.0」はひたすらアクションの連続だ。

主人公のキャラクター設定はもぉじゅうぶんすぎるほどできている。やることといえばアクションしかない。

だから悪玉キャラも、アクションのためのお約束にすぎないのでシンプルだ。無駄に悪役を凝らない。無駄に人間ドラマを作ろうとしない。

アクション、アクション、アクション。

ここまで割り切っていれば、おもいっきりのよさというもの。

「ダイ・ハード4.0」のなかのアクションシーンひとつを目玉にして、他のアクション作品が作れてしまう。そんな派手なアクションシーンがいくつも続く。

これを独壇場というのだろう。金のかかる派手なアクションと撮らせたらハリウッドにかなうところは到底ないと思わせるのに、これ以上の作品はない。


ジャッキー・チェンの娯楽アクション作品はそれなりにいいが、気合を入れて撮ったアクションシーンをカメラワークを変えたり、ストップモーションにしたりして、何度も「巻き戻し再生」みたくしている作品があったと思う。

どうだ、すごいアクションシーンだろう? といわんばかりである。

スタント無しはたしかにスゴいが、それはまれるで友人宅に遊びに行ったときに、ホームビデオカメラで撮った友人の息子・娘の幼稚園の運動会映像を30分以上観させられるようなものである。

5分なら笑顔で付き合えるが、10分以上は家族や親族でもないかぎり、ハッキリいって誰だって辛いだろう。

そういった「どうだすごいだろう」的な編集を「ダイ・ハード4.0」はやっていない。

金があるがゆえの余裕ともいえる、おいしいところをスキップで軽快に飛ばしていく編集には、爽快感さえある。

どんな作品も、作り手側の自意識が出てしまっては観客はゲンナリする。

自意識との戦い。それが作品づくりの基本だ。

そんな視点から「ダイ・ハード4.0」を観ると、すがすがしくおもいっきりのいい作品、ということができる。

頭をカラッポにしてアクションを存分に楽しむ。そういう作品にはなかなか出会えるものではないのだから、こういうときは素直に楽しんだほうがいい。

とはいっても、見終わったら何も残らないのはご承知のほどを。


ちなみに私は、アクション映画なら「アポカリプト」のほうをおすすめする。

▼「アポカリプト(APOCALYPTO)」作品レビュー


ダイ・ハードダイ・ハード
ブルース・ウィリス ジョン・マクティアナン ボニー・ベデリア

ダイ・ハード2 ダイ・ハード3 守護神 ナイト ミュージアム (2枚組特別編) ディパーテッド (期間限定版)

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B000PAU2PI16ブロック
ブルース・ウィリス リチャード・ドナー モス・デフ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2007-06-27

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06/08/2007

「パイレーツ ワールド・エンド」宝箱は開けないほうがいいの意味


「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」作品レビューで、宝箱は開けないほうがいい、という話をしました。

▼「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」作品レビュー

そのあたりについてもう少し掘り下げてみましょう。


まず「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」を、CGアニメにして宝箱を閉じたままにすれば良かったのでしょうか?

ジョニー・デップという実在の俳優がジャック・スパロウを演じないほうがよかったのでしょうか?


できれば実在の俳優さんではなくCGやアニメーションのほうがいいと思います。

でも、ジョニー・デップ以上にうまくジャック・スパロウを演じれる俳優さんはなかなかいないと思いますヨ。

というか、ジョニー・デップが良過ぎるんですね。キャラクターの魅力を開花させる才能に溢れた俳優さんであるがゆえに、他のキャラクターのみならず、物語自体をも飛び越えちゃうみたいな。

それは俳優さんがいけないのではなくて、脚本家や演出家や監督などがうまく舵取りをしていくべきなのですが「ワールド・エンド」ではジャック・スパロウというキャラクターに「ワル乗り」しちゃったようにおもいます。

まぁ、作ればヒット間違いなしという状況では、多少遊んでもいいかな、ぐらいの感覚でいたのが、いつの間にか観客との距離がどんどん開いて行ったのかな、と推測できます。


いい映画=ヒット作とするならば、ジョニー・デップ出演の実写映画でいいと思います。ただ、キャラクターの脳内世界をあのような形で披露した意味が「ワル乗り」以外に見当たらないのが残念ですが……。

いい映画=心を揺さぶる、感動作とするならば、CGでもアニメでも実写でもなんでもいいとおもいます。ただ、ディズニーリゾートの雰囲気に合うようにするなら、CGやアニメのほうが良いと思います。


ですがディズニーアニメは最近イマイチなようで、アニメだけでなく、積極的に実写映画の製作にも取り組んでいるようです。

「ホーンテッドマンション」(2003年)

「ナショナル・トレジャー」(2004年)

「ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女」(2005年)

それにフジテレビ製作の『南極物語』のリメイク作品「南極物語 EightBelow」なんかも手がけてますね。

おそらくディズニー的にはアニメーションだけでなく、実写でもヒットの実績をガンガン作っていきたい(CGはピクサーの独壇場だし。それにピクサーはもうディズニーだから)その願いが見事に実ったのがパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズというわけで、うれしくって☆つい遊び過ぎちゃったのかもしれませんね。


いい作品=感動作ということでは「リロ・アンド・スティッチ Lilo & Stitch」が参考になります。

▼「リロ・アンド・スティッチ Lilo & Stitch」作品レビュー

スティッチは宇宙のならず者・おたずね者です。宇宙の海賊といってもいいですね。

一匹狼。アウトロー。ワルモノ。

でもスティッチは大人気です。私もスティッチのストラップやぬいぐるみならほしいくらいです(笑)。

海賊(ワルモノ)だからダメということはなく、たとえワルモノとされるキャラクターであっても、他のキャラクターとの出会いを通して変化していく、その物語の過程で感情移入してもらえれば、いい作品になるのではないでしょうか。

スティッチはしゃべりません。もちろんスティッチの脳内世界も映像化されません。でも、観客はいつしかスティッチの気持ちが手に取るようにわかるような気がしてくる。

「スティッチの気持ち」という宝箱は、観客がいつの間にか開けている。

制作者側が宝箱を開けてみせるのではなく、観客がいつの間にか宝箱を開けているのがいい。

それが「宝箱は開けないほうがいい」の意味です。


いかがでしたか? 

ジャック・スパロウというキャラクターの人気の秘密は「ダメ親父」じゃないかなと思います。

ハードディスクレコーダーでテレビ番組の予約操作ができない親父。

燃えるゴミと燃えないゴミの区別がつかない親父。

ブロッコリーを買ってきてと頼むと、カリフラワーを買ってくる親父。

休みの日はパチンコ以外にすることがないように見える父親。

そんな頼りないと思えるダメ親父でも、いざ家族旅行となったら渋滞の高速道路で皆が寝ているなか、ひとりハンドルを握りつづけるその後姿に、ふと頼もしさを感じたりもする。

ジャック・スパロウもいつもはラム酒に酔っ払っているようで、剣術はけっこう達者で、ちょいと機転をきかせてウィルターナーとふたりで出港準備を済ませた船をまんまといただいちゃう(第1作より)。

ほんといいかげんで、なにを考えているんだかわからない奴なんだけど、ほんとうはちゃぁんと考えていて、いざとなったら頼もしい。

そんな「愛すべきダメ親父」の片鱗をジャック・スパロウに垣間見た観客は、彼に頼もしさを感じるのです。

ところが第3作では「愛すべきダメ親父」であろうと確信していた観客の期待を裏切り、ただのいきあたりばったりのおかしな奴、というキャラクターにしてしまった。すくなくともそう見えてしまう。

あぁ、なんともったいないことか!

もったいないお化けが出る象(ぱおぉ~ん)←もうヤケクソ^^;

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06/07/2007

レミーのおいしいキャラクター設定

ピクサーの最新作「レミーのおいしいレストラン」の予告編はもう観ましたか?

7月28日公開予定なので、そろそろ予告編のバージョンも増えてきて、いろんな映画館で目にすることも多くなってきたでしょう。

「レミーのおいしいレストラン」の監督はブラッド・バード。「Mr.インクレディブル」や「アイアン・ジャイアント」の監督です。

実は「Mr.インクレディブル」は、すごい風刺作品です。なんの風刺か?

いうまでもなくアメリカ合衆国の風刺です。しかも風刺といわれなければ、そうとは気づかないで、お気楽エンタテイメント作品として観ることでもできます。

「アイアン・ジャイアント」もそうですが、子供向け作品のようでありながら、風刺作品でもある。だから大人が観てもおもしろい。

子供も大人も楽しめる作品を撮る監督、それがブラッド・バードなんですね。

彼は「Mr.インクレディブル」を撮るために外部からピクサーにやってきました。

「Mr.インクレディブル」はピクサーにとって記念すべき作品です。

なぜなら「Mr.インクレディブル」はピクサー初の人間(スーパー・ヒーロー)が主人公の作品だからです。

「Mr.インクレディブル」以前のピクサー作品はモンスターや魚などが主人公でした。

だから「Mr.インクレディブル」はそれまでのピクサー作品とはちょっと雰囲気が違います。アクション描写もどちらかというと過激なほう。上映時間も過去最長です。

そんな監督のことだから「レミーのおいしいレストラン」も、子供向け限定のお料理作品じゃないことは容易に想像できます。


さて「レミーのおいしいレストラン」について、ひとつおもしろいことがわかりました。

それは、ねずみのレミーの設定です。

レミーは食べ物にたいへん興味を持っていて、愛読書は天才シェフ著の「誰でも名シェフ」です。

でも「ねずみ」なんですね。ここまでは皆さんもご存知でしょう。

今回のポイントは、レミーのデザインです。

当初、レミーは二本足で立って歩く設定だった。けれども「ネズミを人間のように描くのは間違い」として設定を変更したそうです。

ディズニーの動物キャラクターの多くは二足歩行です。ミッキやミニーが四つん這いでディズニーリゾート内を動き回っていたらどう?

ちょっとホラーちっくかもしれないですね^^;

だからディズニーのキャラクターの多くは二足歩行。つまり人間のように描かれることが多いんですね。

ところがレミーはちゃんとねずみっぽい動きをする。というかねずみと同じように動きます(予告編を観るかぎりいわゆるねずみの動きをする)。

さすがピクサーの異端児(←勝手に異端児扱い^^;)ブラッド・バード監督。

新しい風を受け入れ、日々おもしいものを作ろうとするピクサーの社風も感じます。

そしてもうひとつ、レミーの設定でおもしろいことがあります。

レミーは人間の言語を理解するけれども、話すことはできません。

これはたいへん興味深いですね。

ねずみがベラベラしゃべったら、ちょっと雰囲気が違ってきます。

まるでドリームワークスの「シュレックシリーズ」みたいになっちゃうでしょう。

しゃべる動物キャラというのも魅力的ですが、観客の心の中で作られるキャラクターというのは、なるべく内面を見せないほうがいいんです。

登場キャラクターが人間の場合は、しゃべらないわけにはいかないので、キャラクターの内語(思っていること。漫画でいうところの点線のフキダシ)やナレーションをなるべく使わずに、観客にキャラクターの心情を想像してもらう工夫をします。

登場キャラクターが動物だけの場合は、人間の言葉をしゃべります。

でも登場キャラクターが人間と動物の両方いる場合は、動物はしゃべらない設定にします。

すると、観客は動物の心情を推測しようとします。

観客が動物キャラクターの心情を想像できるようになれば、愛されるキャラクターの確立となります。

ブラッド・バード監督は、どうしたら観客に受け入れられるキャラクターをつくりあげることができるかを、ちゃんと考えているんですね。

だからレミーは人間の言語を理解するけれども、話すことはできないのです。

このあたりの基本事項をあえて外しているのがドリームワークスのシュレックシリーズですね。

基本事項さえわかっていれば、それを守ろうとも破ろうとも、意図的にできるわけです。

なんとなく動物キャラがしゃべるとか、なんとなく動物だからしゃべらないとか、そういうことではダメなんですね。

ちゃぁんとわかっててやってる。それが大事です。

▼「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」作品レビュー


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04/13/2007

ポール・ヴァーホーヴェン監督の力作!


「ブラックブック(ZWARTBOEK/BLACK BOOK)」


第二次世界大戦ナチス・ドイツ占領下のオランダを舞台として、家族をナチスに殺されたユダヤ人女性歌手の復讐を描く作品。


「インビジブル(2000)」「スターシップ・トゥルーパーズ(1997)」のポール・ヴァーホーヴェン監督作品だ。


オランダ/ドイツ/イギリス/ベルギーが制作とのことで、かなりの制作費がかかったとおもわれる気合の入った作品となっている。


戦時下の過酷な状況を舞台とした作品では、主人公のサバイバルが焦点となっている場合が多い。生き延びるだけでも奇跡であった当時の状況下を描いた作品に「戦場のピアニスト」や「シンドラーのリスト」や「トンネル」などがある。

▼「戦場のピアニスト(THE PIANIST)」作品レビュー


「ブラックブック」はもちろんサバイバルが基本だが、さらに家族ナチスに殺されたユダヤ人女性歌手が復讐のためにナチスの将校に近づくのだ。


オランダのレジスタンスを中心にユダヤ人女性を描いた本作品は、息をつかせぬ展開とペースで上映時間144分という長さをまったく感じさせない。


たとえば「これは観なければならないものだ」といわれると、作品のつくりはどうあれ、姿勢を正してちゃんと観なければならないもの、という捉え方をしてしまいがちだ。


だから作り手のほうも、観てもらうために必要なことがじゅうぶんでないまま作品を完成させてしまうことがある。ほんとうに多くの人々に観てもらいたい、伝えたいメッセージを持っていればいるものほど、観てもらうための方策・方法がじゅうぶんに練られることがないままに作品づくりが進行してまうことがあるのだ。


「これはたとえ長くつまらなく思えてもちゃんと観なければならない」と言われたら、観る前から身構えてしまう。そうなっては作品のメッセージを受け止めることは難しくなる。


これを「伝えたいことが重要であればあるほど相手に伝わりづらくなるデフレスパイラル」とでも名づけようか。


こうしたデフレスパイラルに陥っている作品はけっこう多い。


しかし「ブラックブック」にその心配は無用だ。


「ブラックブック」は戦時下を扱った作品でありながら、観客をひきつけて物語を観せつづける工夫と意欲にみなぎっているからだ。

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04/06/2007

燃える骸骨に萌える

「ゴーストライダー」


ニコラス・ケイジ主演とくれば観ないわけにはいかない。


ノリノリで観にいったのは公開してすぐだった。レビューを書こうとお思っていたが、自分が楽しみすぎてクールにレビューできそうもないのでしばらく頭の中に寝かせておいた。


だが、いくらたってもゴーストライダー熱は炎のように燃えあがる一方なので、サラッと気軽にコメントしておこうと思う。


燃える骸骨がハーレーに乗って悪を成敗!


そう聞いただけでもぉ最高ぉー☆と思った方は最高に楽しめる作品だ。


コミックが原作ということで、深読みすればいろいろ深いのだろうけれど、またアメリカ映画史観とかそのあたりを掘り下げる要素は随所にいろいろありそうだが、そんなことはカッと飛ばして、ニコラス・ケイジが脚色したと思われるキャラクターの色付けを大口あけて笑って楽しめば吉幾三である。


色付けしたのはおそらく、主人公が「猿大好き」なところ。


なぜかニコラス・ケイジ演じる主人公はテレビに猿が映っていると、ほんとうに楽しそうな顔をして画面に夢中になる。


そんな、なんだか意味はよぅわからんが思わずニヤリとしてしまう味付けをさせたらニコラス・ケイジは天下一武道会優勝だ(なんじゃそりゃ)。


作品の見どころは、高層ビルの外壁を垂直に上方向にバイクで登ってい
き、屋上でヘリコプターと綱引き。それが終わったら屋上からバイクで飛び出してポーズ! ――と、ふたたびビルの外壁を真下に下りていくシーンだ。


もちろんこのとき、バイクの運転者の頭は炎に包まれた骸骨だ。


そのシーンを観てみたいとちょっぴりでも思ったなら、アナタはこの作品と相性がいいにちがいない。


こんな作品を観ると、アメリカ人はほんとうに一匹狼のアウトローが活躍するヒーローものが好きなんだなぁと思う。


細かい仕草にまで配慮して笑いを取ろうと、ニコラス・ケイジがめっちゃ楽しんで演じているんだなぁと思わずにはいられない「ゴーストライダー」。


敵キャラが意外とあっさり倒れていくのもお約束のご愛嬌。


カウボーイとバイカーの併走シーンは、映画ファンには嬉涙ものだろう。

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03/04/2007

第79回アカデミー賞 菊地凛子さん受賞ならず

第79回アカデミー賞が発表されました。


「バベル」で助演女優賞にノミネートされていた菊地凛子さんは受賞ならず。


助演女優賞は「ドリームガールズ」のジェニファー・ハドソンさんでした。


また「硫黄島からの手紙」は音響編集賞のみの受賞。


そして今回は、やっとマーティン・スコセッシ監督が「ディパーテッド」で監督賞を受賞、ほか作品賞、脚色賞、編集賞と計4部門を受賞しました。


関連記事

▼バビルの塔に住んでいるのは?

▼「硫黄島からの手紙(Letters From Iwo Jima)」作品レビュー

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02/02/2007

邦画ヒット常連の原動力はアノ若手人気女優?


邦画のシェアが洋画を上回ったとか。21年ぶり。

2006年の邦画ヒット作って?


▼邦画

1位「ゲド戦記」 76.5億円 東宝

2位「LIMIT OF LOVE/海猿」 71億円 東宝

3位「THE 有頂天ホテル」 60.8億円 東宝


おぉ! 東宝が独占ですね。

「THE 有頂天ホテル」はどうかわかりませんが(未見)、1位と2位の両作品は、物語構成や演出の面からいうとイマイチ。

ゲドは学生の習作かのようで、話題性だけですね。

▼ 『「ゲド戦記」で露呈か!ジブリの悲劇!?-宮崎駿作品群の「ムラ」のワケ-』


映画の海猿はありえない設定が多くて思わず笑っちゃいます。
でも、海猿の原作はすばらしいです。映画→ドラマ→映画というサンドイッチ型で集客した手法は成功しましたね。

「LIMIT OF LOVE 海猿」作品レビュー


ちなみに邦画の10位までのうち、8本が東宝です。「NANA2」は予想より大幅にヒットしなかった東宝ですが、東宝シンデレラガールの長澤まさみさんがいますから、しばらくは勢いがありそうですね。

▼ 「『NANA』と『下妻物語』(+「R2-D2」)に共通する大ヒットの秘密とは?」


いつの日か、内容がしっかり伴った邦画が上位を占めるようになってほしいナ。

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11/11/2006

ライトとLの「光と影」―映画「デスノート」-

■ 名前~ライトとは~

夜神月と書いて「やがみライト」と読ませる。

MOONではなくライト。その意味とはなんだろう?

犯罪のない理想の新世界づくりを目指すライトは「right」=正しいことをしていると確信している。

そしてライトは偏差値が高いとされる大学に通う優等生であり、学生ながらすでに司法試験に合格している。

家は大金持ちではないがライトは公務員の父を持ち、長男である。さらにイケメン(とされる)だ。

世間一般からみて、陽のあたる場所で光り輝いている青年。それがライト=「light」である。「light」には知識や才能の意味もある。

しかしながら、ライトが活躍したいと思っている場には、父によってまだ早すぎるという理由で立たせてもらえない。

ライトはわかりやすい形で父と喧嘩することはない。わかったよ父さん、といったかんじで父の言うとおりにするポーズをとるライト。

そこには、古今東西の物語に見ることができる「父との葛藤」がみてとれる。

そんなわけでライトはいまだ、捜査の世界では陽の光を浴びたことがないのである。


■ 名前~Lとは~

ではL(竜崎)はどうだろう?

Lとはすなわち「light」とするならば、その意味とはなんだろう?

名探偵として犯罪捜査をしているぐらいだから、犯罪のない社会を良しとする考えはライトと同じだろう。

通称「L」とされるその理由は、難事件という問題の解明のために事実を発見するという意味での「light」からLと名乗っているのか?

世界中の捜査員を使うことができ、最新(と思われる)の捜査電子機器を揃え、高級ホテル暮らしもできて自前の捜査本部の施設も持てるLは、おそらく超の付くお金持ちだろう。

世界中の難事件を解決し、世界中を捜査するための指示を出すことができる「力」を持っているLは、捜査の世界では陽の当たる場所にいる。

しかし親というものを知らないというLは、ほとんど外出することはなく、室内でお菓子を食べながら情報収集と分析と推理をする毎日らしく、ファッションにもこだわらずにいつもだいたい同じ洋服を着ている。

そしてライトの大学に姿をあらわしたときは、ミサに「この人なんかキモこわぁい」といった意味のことを言われてしまう。

彼が名探偵だと知らない一般の人々からすれば、いまだ陽の光を見たことがないかのように見られてしまうのがLなのだ。


■ ライトとL~表裏一体~

ライトもLも犯罪のない社会を目指し、己の知識と才能と分析能力で事件の謎を解くカギを発見するという意味での「light」では同じだ。

ふたりは年齢もほぼ同じであり、同じ性別である。

いわばライトとLは表裏一体なのである。

なぜなら、光は影があるからこそ存在し、影は光があるからこそ存在するからである。


■ ライトにとっての「光」

ライトは少しでも早く自分が活躍できる場がほしいと願っていた。しかし活躍の場を獲得するよりも以前に、自分が活躍する場の理想と現実、そして限界を知る。

そんなときデスノートを手に入れたライトは、絶望から希望へ一気にメーターが振切れたのだ。

ライトはデスノートを手に入れるまでは、自分には光が当っていないと感じていた。光が当る素質と才能を持っているのに、光が当っていない自分を「影」の状態だと思っていた。

だからデスノートを手に入れたとき、新世界を作る「光」になれると思ったのだ。


■ Lにとっての「光」

Lにとっての光とはなんだろう。

捜査の世界で「光」を浴びるLはそれで満たされていたかというと、そうでもない。

過度な甘党でいつもお菓子や甘い飲み物を摂取しているLは、コンピュータに囲まれた部屋でひとり黙々と捜査を続けてきた。

そんなときLはキラ事件を通して、諦めかけていた家族という「光」を垣間見たのだ。具体的には夜神総一郎との出会いがすなわち「光」である。

夜神総一郎との出会いにより、Lにとっての新世界の「光」は日に日に輝きを増していった。


■ 映画「デスノート」のラストのワケ

だが、ライトとLは表裏一体である。

光が消えれば影も消える。影がなくては光もない。

だから、ふたりのラストはあのようになったのだ。


■ キャラクターの作り方

前回の映画「DEATH NOTE デスノート the Last name」レビューでは、Lを中心に取り上げて、Lの成長物語であると書いた。

そのもうひとつの意味は、ライトを仮に「light」とした場合に見えてくる、ライトとLの両者の物語という意味でもあったのだが、実は前号の発行後に、読者のCYDERさんからのメールをいただいた。

そこにはこうあった。

気づいたのですが、デスノートが[L]の物語だとおっしゃるんで気づい たんですけど、[L]も[夜神ライト(L) Light]も両方Lですよね。コイン の表と裏なんじゃないでしょうか?トトロの五月とメイ(May)のように。 湯婆婆と銭婆婆のように。


そのとおりである。
ジブリ作品におけるキャラクターの表裏一体の例までも付けてあり、なるほど☆と思った。

ちなんみにCYDERさんのブログはこちら。

CYDER's"The Movie Lover"


CYDERさんが言うように、ライトとLは表裏一体である。ひとりの人間の表と裏だ。

それをふたつのキャラクターに分けて、それぞれの影の部分を増幅させ、そこに一筋の光を差し込むことで、物語がはじまるきっかけを与えた。

このようにひとりの人間の光と影を設定して、それぞれにひとつのキャラクターを作り、お互いにライバル関係にする手法は、物語をわかりやすく、かつ躍動的にする効果がある。

ジブリキャラクターの他に、例えば「機動戦士ガンダム」のアムロとシャアも全く違うキャラクターのようでありながら、実はひとつのキャラクターの光と影を分けたものとみてとれる。

詳細説明は省くが、アムロもシャアも核(コア)の部分では似たものを持っていたことはララァの出現と死によってわかりやすく提示されている。ガンダム1年戦争を観たことがある方々はあとでそのあたりを思い出してみるといいだろう。


■ ヒットの秘訣は「ひとクッション」

「名前」を知る・知られることについては、日本には「言霊」という言葉があることからもわかるように、名前を知ることは、古来より「力」を得る方法のひとつとされていたことがうかがわれる。

そもそも言霊とは、古代日本で言葉に宿っていると信じられていた不思議な力のことをいう。

ある言葉を発すると、その言葉のとおりになるというのは、現代でも目標を掲げてそれを毎日口に出して言うことで目標達成を願うという行為にみることができる。

相手の本当の名前を知るということは、相手を意のままに操ることもできるということにもなるというわけだ。

では、ある名前を思い出していただきたい。その名はハイタカ。

そう、映画「ゲド戦記」のゲドが使う通称名である。「ゲド戦記」でも名前が重要な要素として使われていたが、その使い方が映画「ゲド戦記」ではもう一歩、二歩であった。

その点、一見すると「名前の効用・言霊」という題材を使っていないよにみせて、ひとクッション入れて巧みに使っているのが「デスノート」である。

ひとクッションとはアイテムとしてのデスノートだ。

顔を見れば本名と余命がわかるという「死神の目」によってデスノートに名前を書かれた者は……。

いやはや、原作者は「名前」を題材にすごいアイテムをよくぞ思い付いたものだなぁと思う。


■ ひとこと

映画「DEATH NOTE デスノート the Last name」のオープニング週末の興行成績が出た。

今年公開された邦画の1位を記録。公開初日の11月3日から5日までに97万人を動員。興収は12億円を突破したという。

頭ひとつもふたつも出たフジテレビの大捜査線関連シリーズがドル箱ならぬ円箱になったので、いまやどこのテレビ局も映画でヒットを飛ばすことに躍起になっている。

日本テレビはヒットのために映画の前編と後編の公開時期を近づけた。

この方法に賛否両論あるが、ヒットはした。

そのあたりのことはこちら↓

ついに出た!飛び級の変化球―映画「デスノート」―


その他関連記事

映画「DEATH NOTE デスノート 前編」作品レビュー

映画「DEATH NOTE デスノート the Last name」作品レビュー
 

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10/29/2006

青春映画のつくりかた―未来へ?過去へ?―


映画「夜のピクニック」のレビューを読み返してみると、あまり誉めていないような印象を受けた方もいらっしゃったかと思う。

だが、私の個人的な感想としては、とてもよかった。

私は青春映画が好きであるからいくらかは甘い評価になりがちかもしれないが、どんな作品のレビューでもなるべく客観的な視点も入れつつ書くので、あのようビューになったのだ。


■ 現役とOB

さて、青春映画というお題で考察するために、同じジャンルの映画「キャッチ ア ウェーブ(CATCH A WAVE)」≪監督:高橋伸之 日本/2006年/116分 原作・脚本:豊田和真「キャッチ ア ウェーブ」(角川学芸出版)≫と比べてみよう。

映画「キャッチ ア ウェーブ(CATCH A WAVE)」作品レビュー

「キャッチ ア ウェーブ」の原作は、原作者の豊田さんが高校1年の夏に書き上げた同名小説である。

ちなに豊田さんは映画『サイン』を観て将来は映画監督になろうと決めたそうだが、まずは原作かなということで小説を書いたという。

男子高校生が夢に描いた青春の1ページがぎっしりと詰まっているのが「キャッチ ア ウェーブ」である。

そこには現役高校生でしか書けないものがある。現役の力に反応した「青春」を共有する読者・観客は彼の作品を応援したくなる。それほど夢・願望をストーレートに描いている作品なのである。

つまり、男子高校生の夢を想像力と物語構築力をもって(荒削りだがそれも青春というテーマにがっちり合致〈笑〉している)作りあげたのが「キャッチ ア ウェーブ」なのである。

もちろん私もそういった男の子の溢れる空想・想像を物語という形にする気合と実行力はとても好きである。

一方映画「夜のピクニック」の原作は、恩田陸さんの同名小説である。恩田陸さんは女性で、実際に歩行祭のようなことが行われていた(いる?)と噂の茨城の高等学校の出身らしい。

とういわけで「夜のピクニック」は実際の行事を元に、そこに女性の目線での想像力を働かせて作った作品といえよう。


■ どんな「感情」が提供されるか


男性目線の「キャッチ ア ウェーブ」は、実際にはまぁ言わないだろうと思わせるセリフが多い。まるで青春ドラマのワンシーンかのような言い回しがほとんどである。

これに対し「夜のピクニック」では、実際の会話に近いかのように思わせるセリフが多い。それがよく活かされていると思ったのは映画のはじめのほうの、歩行祭の出発地点に甲田貴子がやってきたときの長回しのシーンにみてとれる。

まるで映画「スネークアイズ」の冒頭の長回しを思わせるそのワンカットでは、出発地点に到着した甲田貴子の目線を軸に、同級生達が出発前のひとときを思い思いに過ごしている様子が描かれる。そのときの生徒達の振る舞いと会話が普通っぽいのだ。

こういった冒頭の長回しによって「そうそう、学生のときにこんな会話よくしていたよね」という思いと共に、あたかも自分が映画の登場人物のひとりになったかのように歩行祭に参加するかのような気持ちにさせてくれるのである。

では、2作品の比較をまとめよう。

●「キャッチ ア ウェーブ」は想像力を最大限に発揮してより多くの人々の願望・希望という感情を提供する。

●「夜のピクニック」は現実を元に実際に近いセリフを多用して、ほろ切ないノスタルジックな気持ちという感情を提供する。


題材は同じ「青春」でも、一方は「願望」という感情を売り、もう一方は「ノスタルジック」という感情を売る。


■ 方向性―過去と未来―

「キャッチ ア ウェーブ」の豊田和真さんは1988年生まれ。豊田さんが高校1年の夏に書き上げた小説が「キャッチ ア ウェーブ」である。

高校1年の夏。いままさに高校生活がはじまったばかりの夏に書いたのだ。この意味するところはとてもつもなく大きい。いまはじまったばかりの現在進行形の「青春」のなかから生まれた青春小説の矢印は「未来という願望」に向かっているのだ。


「夜のピクニック」の恩田陸さんは1964年生まれ。恩田陸さんが「夜のピクニック」をいつ書いたのかはわからないが、おそらく高校を卒業していくらか経ってからのことだろう。そうでなければ、あのようなほろ
切ないノスタルジックな感情を、狙いすましたかのように呼び起こさせせることはなかなか難しい。なぜなら「青春」と「ノスタルジー」は同居しにくいからだ。

まぁ青春作品といわれているものの大半はおじさんやおばさんが書いているのだから、過去を振り返って自分の青春時代に思いを馳せつつ、資料を集め、想像力を働かせて書くというのがほとんだ。

過ぎ去りし「青春」を振り返って生まれた青春小説の矢印は「過去という記憶」に向かっている。


■ マーケティングの甲斐も宣伝で……。

小説「キャッチ ア ウェーブ」と、第2回本屋大賞を受賞した小説「夜のピクニック」とでは発行部数はどちらがどのくらい多いのだろうか?

おそらく「夜のピクニック」のほうが多いのではいか。

なぜなら「キャッチ ア ウェーブ」にド真ん中の読者層は若者たち(特に男)であり、彼らは小説を読むよりも自分たちの青春を謳歌している最中だからだ。それでも小説が注目されたのは、そういった男の若者の願望がよくわかるおじさんたちの心をも掴んだからである。

「夜のピクニック」にド真中の読者層は20代後半から30代後半といったあたりであろう。彼ら(彼女ら)は、小説を読むことで過ぎ去りし「青春」を追体験して、なつかしくも切ないあの「感情」をほしいと願ったのだ。

本のヒットという点では、そのターゲット絞込みと需要の点において「夜のピクニック」は心憎いほどに上手だ。

本一冊読む時間はなんとか見つけることができて、本一冊買うぐらいの余裕はもちろんあって、かつては10代だった人たちの数というは、現役高校生よりもずっと多いのだから……。

このようにちゃんと研究して上手に書いた「夜のピクニック」も、映画化による宣伝段階でネタバレされてしまうというのは、ほんとうにもったいないなぁと思う。

宣伝担当は恩田陸さんにどんな顔をして会うことができるのだろう。もちろん、宣伝段階でのネタバレを恩田陸さんが了承していのかどうか、そのあたりのことはまったく不明なのだが……。


■ 実はしたたか?

この点においては映画「サイン」を観て映画監督になろうと決めた「キャッチ ア ウェーブ」豊田和真さんのほうが、作品の内容と題材と宣伝については長けていると想像することができる。

「キャッチ ア ウェーブ」の登場人物のひとりである、サーフボードショップの店長役はあらかじめ竹中直人をイメージして書いたというし、一見すると荒削りなところも「青春」というテーマに合致させるためにあえてそうしたかのようにも受け取れる部分がある。

なにせ豊田和真さんは、宣伝のほうが面白いのではいかと思わせるあのM・ナイト・シャマラン監督作品を観て映画監督になろうと決めたのだ。それも「サイン」である。

「サイン」については賛否両論で、これについて語り始めると長くなるのでここではやめておくが、とにもかくにも、作品のプロデュースまで含めた点では豊田和真さんのほうが気を使っている様子がうかがえる。


■ ひとこと

どちらの作品も(たかは映画しか観ていない)青春作品としておすすめできるので、ぜひ両作品を見比べてほしい。

青春系作品における「現役」の力と重要性は、いわゆる少女漫画の作者が10代に近い年齢層であることが多いことからもわかるだろう。

現役だから、現役(とそれに近い層)にしかウケないわけではない。
現役+工夫をすれば、OBのノスタルジィ狙いの作品よりも大きくヒットする可能性はじゅうぶんすぎる程ある。

がんばれ現役生!

ってどこかの予備校の宣伝フレーズみたいになってしまった(笑)

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10/13/2006

ゲド戦記の「?」―物語世界における出来事の意味―


ジブリ映画「ゲド戦記」にこんなシーンがある。


ハイタカが町の武器屋かなにかで、店員と話している。


そこへ背後から魔法使いクモの手下の男が近づいてきてハイタカに声をかける。


手下の男はハイタカを探しているため、とりあえず魔法使い風の格好をしている人に声をかけて回っているのだ。


背後から声をかけられたハイタカが振り返ると、ハイタカの顔が変化している。さっきまで武器屋の店員と話していたいつもの顔ではなく、魔法かなにかで別人の顔に変わっているのだ。


探している男ではないと判断した、クモの手下の男が去っていくと、ハイタカが武器屋の店員のほうに向き直る。――と、そのときは元のハイタカの顔に戻っているのである。


しかし、武器屋の店員は「あ、あんたいったい……」みたいなかんじで驚いてみせる。


さて、武器屋の店員はいったい何に驚いたのだろうか?


カメラワークとしては、だいたい以下のようだったと思う。

○武器屋の店員と話すハイタカの顔を映す。
 
  ↓

○背後から近づいてきたクモの手下の男を声をかける。

  ↓

○振り返るとハイタカとは別人の顔になっている。

  ↓

○クモの手下が去る。

  ↓

○武器屋の店員のほうへ向き直ると、元のハイタカの顔が映る。


つまり、観客にはハイタカが自分の身元がバレないようクモの手下にだけ別人の顔をつくってみせた(おそらく魔法によって)ことがわかる。


しかし、武器屋の店員にとってみれば、ハイタカはクモの手下の男と話すために向こうに顔をやって、またこちらに顔を戻したというただそれだけのことである。


ということは武器屋の店員が見ることができたハイタカの顔はひとつ(1種類)であったはずだ。


それにもかかわらず、ハイタカの顔が変化したことに驚いているかのようなリアクションをした武器屋の店員のカットには、きっとなにかの仕掛けがあるのか。はたまた私が気付かなかったショットがあったのかと思っていた。


この点についてジブリ映画「ゲド戦記」を観た知り合いとたまたまこの話になったところ、その知り合いも同じように思っていたことがわかった。


そもそもあのシーンは観客が驚くべきところを、驚きようがないキャラクターが驚いてみせてしまっているのではないか。


仮に武器屋がハイタカの顔の変化を知ることができる状況にあったとしても、わざとらしくビックリするのはいかがなものか。


物語づくりの基本テクニックとしては、キャラクターがビックリしたことを「びっくりした」とセリフにしてしまっては台無しになるので、例えば持っていた物を落す、といったアクションで驚いたことを表現する。


ところがジブリ映画「ゲド戦記」の武器屋の店員がびっくりしてみせたところは、観客に驚いて欲しいという作り手の気持ちが出てしまっている。


その気持ちはわからないでもないが、観客の「驚き」という楽しみを取ってしまうかのようで、たいへんもったいない。


そもそも武器屋の店員はハイタカの顔が変化したことを見ていないのだから一体なにを驚いているのかと、一部の観客に不思議に思われてしまっていては「ハイタカの顔変化」というネタの効果が薄れてしまう。


ネタの効果とは「驚き」であるが、顔変化の前フリもなくいきなり顔変化したので、たぶん魔法で都合よく顔を変えたのだろう、と観客は思う程度でそもそも驚きには至らない。


大抵のストーリー作りでは、顔を変える能力だけを持つ者Aがいて、そのAが重要な場面でその能力を活かすシーンを作ることで、観客に小さなカタルシスを与える。

「X-MEN ファイナルデジション」でいうと、壁をすり抜けられる少女がその能力を使ってどんな活躍をするのか、といったところだ。

「X-MEN:ファイナル ディシジョン(X-MEN: THE LAST STAND)」作品レビュー


一瞬で顔を変える(または壁をすり抜ける)という「ありえない魔法(能力)」に一連の流れを付けて「ありえない世界」においても、ある一定の制限(Aというキャラクターは顔を変化させるというひとつの能力しかない。または壁をすり抜けるというひとつの能力しかない)があることを示すことによって、観客に物語世界の枠組みを捉えさせることができるのだが、はたしてジブリ映画「ゲド戦記」ではこの効用を意識しているのだろうか。


ちょっと想像してみよう。もしも物語世界に枠組みがなかったら?


魔法使いだからなんでもできるなら、どんな物語構築上の障害を設定しても、どうぜ魔法でどうにでもるんでしょ、と観客に思われたらおもしろみはなくなってしまう。


「ドラえもん」が1話で1個のアイテムしかポケットから出さないのはこのためである。ひとつのアイテムにはひとつの効果がある。1話でいくつもアイテムが登場してはストーリーが破綻してしまうからだ。


そのためドラえもんの映画では、ストーリーを用意して、その目的を果たす為に複数のアイテムを使うという手法を使っている。


ハイタカは大賢人だという。それがどのくらいすごい魔法使いなのか詳細はわからないが、その呼ばれ方からしておそらく使えない魔法はないというぐらいの大魔法使いなのだろう。


では「ロード・オブ・ザ・リング」の魔法使いがあまり魔法を使わずに、その杖で敵をバンバン叩いていたのはなぜか?


魔法ばかりを使っていたのでは、物語世界の枠組みが薄れるからだ。


さてさてジブリ映画「ゲド戦記」のハイタカ顔変化のシーン。武器屋の店員がハイタカの顔変化を知るカットを私が見逃してしまっただけなのだろうか?


こうった「?」のシーンは、推理モノにはよく使われる。


例えば先日、日本テレビで放送された「名探偵コナン」実写版「工藤新一への挑戦状―さよならまでの序章―」では、バスガイドの西田麻衣(水川あさみ)のセリフに「?」というのがあった。


もちろんこの場合はその「?」が重要な手がかりになっていた。


つまり、観客に「?」と思われる部分があるとすれば、そこには必ず意味がなくてはならないのである。


物語世界では意味もなく雨は降らないのである。雨が降るには必ずなにかの意味がある(主人公の心情を表す。足跡を消す……等々)。


ジブリ映画「ゲド戦記」のハイタカ顔変化のシーン。
そこにはいったいどんな秘密(意味)が隠されているのだろうか?なにかがあるにちがいない。なにせ天下のジブリ作品なのだから……。


(ひとりごと)
名探偵コナン」実写版「工藤新一への挑戦状―さよならまでの序章―」の毛利蘭役の娘。アニメ版と全くイメージが合致しなかったな。ヒロイン役はかなり重要だし、ほかにもっと適任な娘はいくらでもいそうだけど。力ある事務所の強力プッシュで配役が決まったのか? と妙な想像をかきたてられてしまった。

「名探偵コナン」実写版「工藤新一への挑戦状―さよならまでの序章―」は名探偵コナンシリーズの物語がはじまるよりも以前のエピソードだよ。だから工藤新一が高校生の姿であり、まだ江戸川コナンくんではないのだ。


ジブリ映画「ゲド戦記」作品レビュー


ゲド戦記考察~脚本講座の生徒でもふつうはこうする~

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10/09/2006

最適な伝える方法とは~「フラガール」~

人に何かを伝える方法はいろいろある。


映画「フラガール」にこんなシーンがある。


福島県いわき市の炭鉱町にフラを教えるためにやってきたダンス教師・平山まどかが、いろいろあって常磐ハワイアンセンターオープンを目前に町を去ろうと夜の駅にやってきて、発車を待つ電車の座席に座っているときのことである。


その駅へ、教え子のフラガールたちが走ってやってきくる。平山まどかが乗っている電車が止まっているプラットホームの向かいのプラットホームに駆け込んできた教え子たちは、すぐに線路を渡って先生もとへ行こうとする。先生に町を離れることを思いとどまってもらうためだ。


しかしフラガールのリーダー・紀美子はその場のプラットホームにとどまって、向こう側の列車の中にいる先生にむかってフラを踊り始める。


実はかつてフラのフリは手話のようなものであり相手を大事に想う気持ちをダンスで表したものだという教えを受けていたのだ。


そこで紀美子はフラを踊ることで先生・平山まどかを大事に想う気持ちと自分たちのもとを去らないでほしいという願いを届けようとしたのだ。


すぐに線路を渡って先生の近くへ行こうとする気持ちもわかるが、先生から教えてもらったフラでメッセージを伝える紀美子のこの選択は、相手にとってどうしたら最もよく伝わるかをよく考えた結果による行動なのだ。


★ダンスも手話もコミュニケーションの手段であるから、相手や状況によってそれらを使い分けよう。


★ひとつの手段にこだわる必要はありません。


B000GLKMU6フラガール
ジェイク・シマブクロ サントラ ナレオ
ソニーミュージックエンタテインメント 2006-08-23

by G-Tools


4840115982フラガール
白石 まみ
メディアファクトリー 2006-08

by G-Tools

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10/07/2006

円周率と映画のみかた


突然ですが、円周率をどのくらい言えますか? 


3.14159……


円周率暗唱の世界記録を持つ千葉県の男性が記録更新に挑み、これまでの記録をおよそ1万6,000けた更新する10万けたで記録を更新しました。


記録更新にかかったのはなんと16時間以上。3人の立会人が間違いがないかチェックしました。


スゴすぎます。


記録を更新した男性はうれしそうにビールを飲んでいました。


どうやったらそんなに覚えられるのかとの問いに男性は、円周率の数字が私には物語になって見えるといったようなふうに答えていました。


ただの数字の羅列だったらとても覚えきれません。皆さんも電話番号やなにかの暗証番号をなにかの単語やイメージになぞらえて覚えていませんか?


番号を思い出すときにイメージして思い出した状況を単語に変換し、その単語から語呂合わせで数字にたどり着く。


これをもっと広がていけば、単語 → イメージ → ストーリーとなるのです。


一見するとバラバラにみえる物事にも、組み合わせてイメージすることでひとつの筋ができます。


この筋をストーリーといってもいいでしょう。


ストーリーを形作る能力というのは重要です。


あなたが生まれてきた意味を、あなた自身が作り上げることができるかどうかで、人生は大きく違ってくるからです。


なんだかデカイ話になってきたなぁと思った方へ。


実は、これは映画ヒットの秘訣でもあるんですよ。


「あなたが生まれてきた意味を~」云々。というのはいわば「自分さがし」です。
だれしも自分が生まれてきた意味を求めて苦悩・葛藤するときってあるものです。だから共感できる。だから需要がある。自分の物語をすぐに作り上げることが難しいと思っている人にはドンぴしゃりな題材なのです。


だから映画において「自分さがし」というのはたいへんおいしいキーワードなんです。


「めぐりあう時間たち(The Hours)」(作品レビュー)なんて、このキーワードを上手に用いていますよ。


さて、今回はたまたまストーリーを形づくる能力の表れとして円周率の暗唱をご紹介しました。


生命の誕生、成長といった流れにまつわる、一見するとバラバラにみえる出来事や事柄についても、自分でイメージして組み立てることができれば、人生の意味というストーリーをつくり上げることができます。


おそらく、円周率の暗唱記録を更新した男性は、自らのストーリーもまた作り上げることができるでしょう。


だからこそ、記録更新の後のビールをあんなにおいしそうに飲んでいたのです。


では、自分で自分のストーリーを作れない人はどうするのか?


実は自分でストーリーを作れない人というのはけっこういます。


そこで、そういった人々にストーリーを提供する人もいます。それはどんな人?


もう皆さんには察しがついているでしょう。


そうです。政治家や作家や映画制作者です。


政治家は、理想の国家、政治、生活というストーリーを説いて人々の支持を集めます。


作家は、小説という物語世界に読者を取り込みます。


映画製作者は、映画という物語世界に観客を取り込みます。


他人に物語を提供できるというのはたいへんな「力」なのです。


自分のストーリーを作れない・持てない人は、他人がつくったストーリーを選ぶことはできますが、それはあくまで受身です。


一方、ストーリーを提供できる人は自分の都合のいいストーリーを相手に与えることができます。(はたらきかけ、アクション)


自分でストーリーを作ることはけっこう大変だといって、だれかが提供してくれるストーリーをもらいつづけていては、いつまで経っても自分のストーリーを作ることはできません。


これは映画のみかたを考えるうえでとても大事なことです。


どうして幼い子どもは毎晩寝る前に同じ絵本を読んでくれとせがむのか?


どうしてハリウッドは映画産業が盛んなのか?


どうして日本の映画産業も勢いづいてきいたのか?


その答えを考えてみることであなたの映画のみかたが明らかになります。


あなたはストーリーを作れる人ですか? 


それともストーリーをもらい続ける人ですか?

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10/03/2006

映画「タイヨウのうた」はお涙頂戴モノではない


オタスケマンの病気を使っているから映画「タイヨウのうた」はお涙頂戴モノかというと、そうではありません。


映画「タイヨウのうた」は、サラっと音楽系青春恋愛物語です。


さらに薫ちゃんと幸治くんの恋愛物語というのではなく、薫ちゃんをとりまく家族・友人・恋人の「愛の輪」の物語といったほうがいいのです。


つまり、病気というオタスケマンで泣かそうなんてはじめから考えていないようなのです。


これが意外性となってかえって好印象ですね。


私は、お涙頂戴モノなんだろうなぁと思いつつも、音楽という題材と岸谷五郎というキーワードに惹かれて観に行きました。


しかしそこに、オタスケマンを使ったお涙頂戴モノのイヤラシさはありませんでした。


いくら病気という設定だからといってずっと泣いているわけにもいきません。XPという設定の雨音薫が毎日泣き暮らしているだけなのを観るのは観客にとっては辛いものだからです。


観客は、雨音薫が好きな歌を歌いつづけ、恋もして精一杯生きる姿を観たいのです。


泣いてばかりの、泣かしてやろうという匂いプンプンだったら観客は離れていってしまうでしょう。


もちろん、オタスケマンを使いまくりのひたすら泣かしてくれマーケットというのもあるので、それにマッチした作品も作られています。「アルタの中心で愛を叫ぶ(←タイトル違うっしょ)」みたいに。


ひたすら泣かしてくれマーケットだけを狙うのも戦略ですが、私は幅広い層に観てもらいやすい映画「タイヨウのうた」や映画「フラガール」のほうが好感が持てますね。


★ 涙が目的ではなく、感動の結果として涙が出るというのが望ましい。


映画「タイヨウのうた」作品レビュー

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10/02/2006

映画「フラガール」の涙がイヤラシく感じないのはなぜ?

映画「フラガール」はお涙頂戴の演出のオンパレードで辟易(ひどく迷惑してうんざりすること。嫌気がさすこと。閉口すること)したとう声もチラホラきこえるようだ。


たしかに涙を誘うシーンが連続するので、私はウルウルしっぱなしであった。


とはいえ私は、いわゆるお涙頂戴作品ではまず泣かない。


韓流映画「連理の枝」でも、職人技でんな~と感心しても泣きはしなかった。


アルタの中心で愛を叫ぶ、みたいな作品は……予告編だけでお腹一杯で観てもいない。観てもいないのだからあまり語ってはならないのでアルタの中心で~(←タイトル間違ってるヨ)についてはココまでにしよう。


「いま、会いにゆきます」は一箇所だけ澪が永瀬みどり(巧の同僚)と喫茶店で話すところで泣いた。


澪は永瀬みどりに、自分がいなくなったら巧と佑司のことをよろしくと頼むのだが、そのときの澪が流す涙……。というシーンがけっこうグッときた。


あとはSFちっくな仕掛けに思わず「こういう使い方もいいね」と思ったぐらいで泣きじゃぐるなんてことはなかった。


なんて冷たい奴だ。


と思われたかもしれないが、涙を誘う物語づくりにおいては「3つのオタスケマン」をどのくらい使っているかによってハードルが上がったり下がったりするので、あまりに低いハードルは泣くどころではなくなっ
てしまうためである。


3つのオタスケマンとは「子供、病気、死」だ。


どれかひとつだけでも観客の涙を誘うには大きな効果が期待でき、涙を誘うことはそんなに難しいことではない。


「連理の枝」「アルタの中心で愛を叫ぶ(←だからタイトル間違えてるって!)」「いま、会いにゆきます」に3つのオタスケマンのうちひとつでも当てはまるかどうか考えてみよう。


「連理の枝」……病気・死

「アルタの中心~」……病気・死

「いま、会いにゆきます」……子供・死


ちゃんと当てまっているね。


では映画「フラガール」はどうだろう?

たしかに「フラガール」でも「死」の要素が入っている。だがそれは炭鉱の落盤事故によるものである。炭鉱の仕事はいつも危険と背中合わせだ。


そういった危険を承知で炭鉱労働に従事している人々というのは涙を誘うためのオタスケマンではなく、前提だ。


それはフライトアテンダントの仕事が常に飛行機墜落の可能性をゼロにできないのと本質ではほぼ同じである。


飛行機が墜落するかもしれないということだけを切り取って涙を誘うためのオタスケマンにするのではなく、そういった可能性がゼロではないなかでいかに感動物語にするかが腕のみせどころなのだ。


なぜなら、たとえ職場が炭鉱や飛行機でなくても、どんな仕事をしていても100%安全というのはないのだから、職場によって危険度の差はあっても、そういった仕事を含めた「日常」でいかに感動を与えられるか。


涙はあくまで感動の結果として流れるものなのである。


さて炭鉱町の物語・映画「フラガール」に「3つのオタスケマン」のうちひとつでも当てはまるだろうか?


その前に、そもそもオタスケマンを使ってもいいのである。感動を与える有効なオタスケマンを使わない手はないのだから。


重要なのはオタスケマンの使い方である。
オタスケマンを使いながらも、あたかも使っていないかのようにみせることもできるのである。そういう技ができるようになると玄人だなぁと思う。

これでもかというお涙頂戴モノのイヤラシさとは、言い換えれば工夫せずにオタスケマンを素のまま使っているところからくる体臭のようなもので、そういう作品はニオうので予告編だけでもある程度はスグにわかってしまう。


話を「フラガール」に戻そう。
オタスケマンはいうつみつかっただろうか?


子供……フラガールのひとりはたしか子持ちだったなぁ。

病気……みあたらない。

死 ……炭鉱の落盤事故による死はあるが、それは先に話したとおり。


こうしてみると、あからさまな「3つのオタスケマン」は使っていないのである。


オタスケマンは涙を誘うための文字通りの「オタスケマン」だ。ということは映画「フラガール」はオタスケマンなんぞなくても、自力で涙を誘えているということだ。


これは実話を元にしているのも大きな要因だ。


実話を映画化するとたいていはあまり面白くはない。実話はその本人にとっては劇的でも、広く一般の人にとってはどうでもいい場合が多いからだ。


それに実話を元にすると、通常なら物語構築上ここで第二ターニングポイントを持ってきて、サブプロットも配置してとするところを、実話に遠慮して好き勝手に変えることもできない。したがって、あまりおもしろみのない作品になってしまうことが多い。


しかし映画「フラガール」はひとりの人間だけの実話ではない。常盤炭鉱とそこで働き、生活していたすべての人の実話である。


いったいどこまで演出しているのかはわからないが、常磐ハワイアンセンターオープンまでの苦労は実話であって、そういった大きな括りでの実話の力を上手に用いたといえよう。


実際、3つのオタスケマンを使っていないにもかかわらず「人が生きる姿」にちょいと映画的な演出(音楽付けたり編集したり)を施すことでこれほど涙を誘う作品をつくりあげてしまったのだ。


オタスケマンに頼らない、自力・自立したオトナの作品。


それが映画「フラガール」だ。


余談だが「フラガール」はアメリカ合衆国でヒットするだろう。


日本人のハワイ好きはなぜ? という問いで注目を集められそうであり、再生の物語はストーリー構築の基本として広く世界中にあるから、需要もあるというわけだ。


お笑い芸人コンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃんも、キャラクターとして目立つ。こうしたわかりやすい特徴あるキャラクターはウケる。しずちゃんのハリウッド進出もありえないことじゃぁないかもしれないぞ。

▼スパリゾートハワイアンズ

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09/25/2006

YUI新曲は「タイヨウのうた」あの夏を振り返る孝治の目線

「タイヨウのうた」

映画とドラマと、どちらがいい?

私は、映画のほうが断然よかったです。

映画「タイヨウのうた」は、なんといってもキャスティングがよい☆

シンガーソングライターYUIが主人公で、そのお父ちゃんが岸谷五郎。

このふたりの配役でとりあえずOKですが、やはり主人公は歌をうたう役どころですから、曲が大事です。


ということで、映画での雨音薫役のYUIさんが新曲を出しました。

「I remember you」という曲です。

私は初回限定盤(DVD付)を求めてひさしぶりにCDショップへ。

1店めは通常盤しかなく、後日2店目(新宿タワーレコード)でやっとみつけました。特設コーナーには通常盤しかみあたらず、あいうえお順の棚でやっと初回限定盤をみつけました(3枚あった)。

なぜ初回限定盤なのか?

YUIさんの熱心なファンだから?

まぁ結果的にはそうなってしまいそうではありますが、なんといってもDVDが主な目的です。

初回限定盤のみ『I remember you』のビデオクリップが収録されています。

1曲のみのビデオクリップですが、制作は映画「タイヨウのうた」の小泉監督が手がけていて、映画の舞台と同じ鎌倉で撮影しています。

窓からそっと毎日、バス停の孝治くんを見ていたあの家のバルコニーとおぼしきところでタイヨウをいっぱいに浴びたYUIさんが歌っています。

海が見える道。浜辺。サーフボード。そしてタイヨウ。

映画ではタイヨウにあたることができなかった雨音薫=YUIが陽の光を浴びて歌うその曲の歌詞は、あの夏を振り返る孝治くんの心情を綴ったものであるように思います。

秋になるこの時期にまさにぴったりの、あの夏を思いつつの孝治の心情を歌いあげるかのようなYUIさんは、ひとことでいうとオーラがありますね。

俳優として映画「タイヨウのうた」に出演していたときもそうでしたが、YUIさんは雰囲気を醸し出せる人です。

人はそれをオーラと呼んだりもしますが、YUIさんはもちろん曲でも、というか曲ではさらにグッと雰囲気を醸し出せるだけでなく「世界」をつくり出せるんです。

世界を作り出せる人はほかにわかりやすい例では?

同世代の、歌手ではなく俳優でいうとほかにすぐに思い浮かぶのは長澤まさみさんぐらいですね。

たかは音楽のことははっきりいってよくわかりませんが、映画のにおいや俳優のオーラみたいなものを感じ取るミョ~な自信はあります。

YUIさんは本物です。

「タイヨウのうた」関連CDでは、おそらくドラマ版「タイヨウのうた」での雨音薫役の沢尻エリカさんが歌うCDのほうが売れているのでしょう。

YUIさんはデビュー曲が月9ドラマ「不機嫌なジーン」で主題歌となって知名度が上がり、セカンドシングルの「Tomorrow'sway」は映画『HINOKIOヒ
ノキオ』のために書き下ろしたということで、新人としては異例の活躍をしてきました。

でも、曲がすぐにものすごく売れるというわけではないようです。

つまり、パッと出てササ~と消えるのではないということです。

YUIさんからは、ジワジワと長く歌える本物のシンガーソングライターの肝っ玉雰囲気オーラがバシバシと伝わってきます。

曲だけで人に絵(画)を見せることができるだけでなく、心の琴線に触れる稀有な才能を持った方ですね。

一方、沢尻エリカさんの歌は、役者としては上手なのでしょう。若くて勢いもありますから華やかです。

って「タイヨウのうた」という性質の作品の歌で「華やか」というのはちょっと合いません。

若くて綺麗で旬であればあるほど「タイヨウのうた」の雨音薫という役柄とはかけはなれていく……。


●旬でそこそこ上手にスマートに華やかに歌う沢尻エリカ。

●魂を震わせて芯の強さを垣間見せつつも切なく歌うYUI。


YUIの曲と沢尻エリカの曲とを比べてしまうと、その違いがはっきり表れます。

Sony Musicさんは人材発掘には確かな目を持っているようですね。

新人としては異例の活躍をする場を用意しながら、いま一歩ブレイクしないのは、YUIが本物である証でもあります。

本物はすぐに大衆ウケしません。ジワリジワリとくるんです。

映画「タイヨウのうた」を観て気に入った方は『I remember you』のビデオクリップも観るといいですよ。

『I remember you』

あの夏の後。切なくなりつつも力の湧いてくる、いい曲です。

「Good-bye days」のアコースティックバージョンも収録されています。

たかは「Good-bye days」もすきですが『I remember you』のほうがよりいっそうグッときました。

B000HOJSPCI remember you (初回限定盤)(DVD付)
YUI northa+
ソニーミュージックエンタテインメント 2006-09-20

by G-Tools

映画「タイヨウのうた」作品レビュー

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09/02/2006

ゲド戦記考察~脚本講座の生徒でもふつうはこうする~

「ゲド戦記(TALES from EARTHSEA)」作品レビュー

さて、評判がイマイチな「ゲド戦記」だが、その原因にてついては↑のレビューで書いた。

ダメだしをするだけなら簡単なので、今回はもう一歩踏み込んで、どうすればもう少し良くなるのかを考えていきたいと思う。

題して『脚本講座の生徒でもふつうはこうする』!

と張り切ってみたものの……いかん。「ゲド戦記」を観てからもうだいぶ経っているので、細部まで思いだせないかもしれない(^_^;)

ということで、思いついたことから書いていこうと思う。


■ アレンの旅立ち。

作品の冒頭、父王を刺したアレンはすぐに旅に出ている。って早ッ!

思い出してほしい。スターウォーズシリーズエピソード4でルークは田舎の星で叔父夫婦と暮らしている。

すぐにでも冒険に出たいと思っているが、なかなかそんなチャンスがない。

ロボットを買ったことがきっかけでオビ=ワンに出会い、やっとのことでレイア姫救出のために星を出ることができる。

スターウォーズシリーズが古今東西の神話の形式を取り入れているのは有名だ。ということは、あらゆる神話・物語の基本においては、主人公はすぐには旅立たないのである。

すぐにでも旅立ちたいと思っていても、なんらかの設定上の障害(コンフリクツ)があってそうもいかない。

そこへ外部からってきたある人物がきっかけで、障害(コンフリクト)またはカセといわれるものを取りはらい、やっと主人公が旅立つ。

このように、旅立つまでをきちんと描かなくてはならないのだ。なぜなら、主人公がなぜ旅に出たいと思っているのか、旅にでてどうするのかがわからなければ観客は主人公を応援できないからだ。

主人公が旅立つ動機と目的をはっきりさせて、それがいかに大事かを伝え、旅立つ前の困難を一緒に乗り切って魅せる(魅力的にみせるの意味)ことで観客は主人公を応援したいと思うのだ。

これを観客による主人公への感情移入という。

○アレンがなぜ旅立たったのか(動機)。

○アレンはどこへなにをしにいここうとしているのか(目的)。

まずはこれをじっくり描くべきなのだ。


■ やさしさをにじませる

クライマックスで少女テルーは、魔法使いクモ(いわゆる悪役)に、闇は闇に帰れ、といった意味のことをいう。

これには驚いた!

思い出してほしい。私が大好きな「千と千尋の神隠し」で千となった千尋が油屋で働いているとき、フラッと現れたカオナシに千はなんと言ったかを。

油屋の縁側の外の庭にぼぉ~と立っていて一向に中に入る様子を見せないカオナシに向かって、あっちへ行けよ、なんてことは千は言わなかったはずだ。

ここ、開けておきますね。

といった意味のことを言って、縁側の扉を開けたままにして自分の仕事に戻ったはずだ。すなわち【受け入れた】のである。

「ハウルの動く城」で魔法をかけれておばあさんになってしまったソフィーがハウルの動く城にやってきたとき、ハウルはソフィーを追い返しただろうか。

いやそんなことはない。ソフィーはカルシファーとうまく話をつけて火を使えるようにして卵とベーコンを焼いてみせた。それがきっかけで動く城の掃除や食事づくりなどをするようになったのだ。

ハウルもカルシファーも、ハウルの動く城の住人はソフィーに出て行けなんてことはいわずに受け入れたのである。
そしてソフィー自身も、荒地の魔女を受け入れて世話をしたのだ。

闇は闇に帰れ。

このセリフを聞いたときに、これはマズいぞ、と思った。
なぜなら、たとえ悪役でもこれを受け入れることで主人公の成長が描けるのに、これをバッサリ切り捨ててしまったのでは、さてほかにどのように成長を描くとっておきのものがあるものやら、と思ったからだ。

実際には「とっておきのもの」は見当たらなかったわけだが……。

悪役はあくまで主人公を引き立たせるためにあるのであって、悪は悪として叩き潰すだけでは物語に奥行きは出せない。

ぜひ受け入れる姿勢と心意気を示してほしかった。


■ 脚本講座の生徒でもふつうはこうする

この際、原作「ゲド戦記」は棚に上げて、脚本講座の生徒でもふつうはこうするというのを提示してみることにする。


好き勝手やっているやんちゃ兄王子(長男・主人公)
弟王子がすこぶるまじめで人望も厚く次期王にとの声が多い。そのためやんちゃ兄王子は弟王子を憎んでいる。

 ↓

遊びたくて、一旗上げたくて無理を言って父王の財産を分けてもらい旅立つ兄王子。

 ↓

分けてもらった財産で傭兵団を作り、父王の名を借りずに自分の名を上げようとする。しかし腕は立つが野心が強くて部下の信頼を得られず、大事な戦で部下の裏切りにあって敗戦。やがて資金が尽き、傭兵団は消滅する。

 ↓

傭兵団でやんちゃしたツケで首に懸賞金をかけられてひとり逃げる日々。
やがて食べるものにも困り、奴隷になる。

 ↓

奴隷の漕ぎ手として商船に乗り込まされた主人公は、それまで偏見を持っていた異国の青年奴隷に助けられ、危険が伴ったいくつもの航海を乗り切る。

 ↓

ある航海で嵐にあい、船もろとも置き去りにされそうになったところで異国の青年奴隷と力を合わせて奴隷見張員から鍵を奪い自由の身になる。このとき他の奴隷も解放する。船は沈没。嵐の海を生き延びて島へ漂着。

 ↓

生き残った元奴隷たちと共に島で暮らす。共同作業を通して異国人への偏見をなくし、友人を得る。島の娘と恋に落ち、愛情を育む。
友情と愛情を得た主人公は、遠い噂で弟王子が戦地で窮地に陥っていることを知る。

 ↓

元奴隷で友人になった者のなかには元軍人や没落貴族がいた。そこで船を調達して没落貴族の隠し財産がある島へいき、資金を手に入れ、元軍人たちが声をかけて集めた猛者たちと共に義勇軍を結成する。

 ↓

義勇軍を率いた兄王子は、弟王子を救うべく救援に向かう。

 ↓

弟王子の軍を助け、大勝利を収める義勇軍。
助けてくれた義勇軍の長が兄王子だと知った弟王子は、たいそう喜んで駆け寄る。
するとかつてのやんちゃ兄王子(主人公)は弟王子の足元にひざまづいてこう言う。
「自分は勝手に国を出た身。あなたの家来にしてください」
すると弟王はこう答えた。「父は1年前に亡くなりました」
そして主人公を立たせてその手を高く掲げる。「わが兄、わが国王に祝福を!万歳!」


タイトルは「王の帰還」。

っておもいっきりパクリではないか!(笑)

そもそも「ゲド戦記」と関係ない話になっているではないか。

タイトルだけではない。この展開は主に3つの有名な物語の要素をふんだんに取り入れている。

ひとつは「ベン・ハー」。さらに「グラディエーター」

「グラディエーター」は「ベン・ハー」を研究して、ほかに旧約聖書のヨセフの物語なども取り入れた作品であることはピンとくる作品だ。

そして3つめは「放蕩息子の話」である。

「いなくなった息子」ともいわれるこの物語は、新約聖書のルカによる福音書第15章にある。
こちらは弟息子が主人公だ。彼は財産を分けてもらって町に行き、さんざん遊んでいたらお金がなくなり、友達もいなくなり、飢饉になって豚の世話人になった。
お腹が空いて豚の餌を食べたいと思ったときにようやく我にかえり、父の家に帰って使用人として使ってもらおうと出発する。
父は、息子がまだずっと遠くにいるのにその姿をみとめ、走って迎えにいって、帰ってきた息子のために祝宴を開いた。

こういった有名な物語をつなぎ合わせてサッと思いつくまでに書き出してみたのだが、いかがだっただろうか?

ほかにも奴隷となった主人公が、それまで偏見を持っていた異国の青年に助けられて友人になるというのはエドワード・ノートン、エドワード・ファーロング出演の映画「アメリカンヒストリーX」に似たようなプロットがあるのを思い出したので取り入れてみた次第である。


■「ゲド戦記」でわかること

思いつきでサッと書いてみたこの物語は、ちょっとでも脚本を読んだことがる人なら、いやちょっとした映画好きならだれでも思いつくことだ。

まして、ヒット作をいくつも制作しているスタジオがこうした物語構築上のお約束(基本形)を全くといっていいほど無視するとは、普通ならば考えられないことだ。

あるとすれば、とんでもないドンデン返しのためにあえて基本をすっ飛ばしたと考えるしかないのだが……どうもそうでもないらしい。これはスタジオジブリの悲劇といってもいいのではないか。

スタジオジブリに必要なこと。
それは、優秀なアニメーターという腕のいい職人さんたちが存分に力を発揮できる環境を未来にわたって構築していくことを、いますぐにでもはじめることだ。

「ゲド戦記」を観て切にそう思った次第である。

ご静聴ありがとうございました。

清きクリックあんどダウンロードを!(笑)


「ゲド戦記」で露呈か!ジブリの悲劇!?-宮崎駿作品群の「ムラ」のワケ- ver2.0

私が作ったレポート。今回の内容をプラスして分量がアップしたver2.0となってリニューアル。旧バージョンをまだ読んでいない方はどうぞ。


■その他「ゲド戦記」関連レポート

「ゲド戦記」の心理学

名前にまつわる部分を、精神科医樺沢紫苑さんが徹底解明している。名前・言霊に関する記述がたいへん詳細で豊富。スタジオジブリ映画「ゲド戦記」関連で最強のレポートだ。ここまで書かれちゃもうこっちは書くことないよーってなぐらい濃い内容である。さらにビジネスにも応用できる話も付いているぞ。

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08/24/2006

「サイン」考察


M・ナイト・シャマラン監督の作品は、予告編だけで作品をぜひ観てみたいと思わせることにかけては凄腕のコピーライター100人が考えまくって搾り出したコピー以上の「惹きつける」匂いを放っている。


映画の宣伝を観ただけで、どうしても謎が知りたくて、その作品を観ないではおけない、そんな気にさせる才能を持っているのがM・ナイト・シャマラン監督なのである。


「サイン」公開当時、作品を観た観客の多くは、期待はずれだった、という感想を持つ人が多かったようだ。


こういった感想で明らかになったのは多くの観客が「期待していた」ということだ。


ご期待ください。と口で言うのは簡単だが、ほんとうに期待させる「仕込み」ができる才能と、宣伝の巧みさは見事である。


では、予告編・宣伝・マーケティングが上手いだけかというと、そうでもない。


作品づくりにおける手法と作品内容のが絶妙にリンクしたかのような通好みなところも見せてくれているのだ。


それに、M・ナイト・シャマラン監督の作品にはキリスト教文化が根底にあることが多い。


「サイン」における、もっともキリスト教文化的な部分とは?


それは「偶然」と「信念」である。


この世のどんな出来事も、一見するとバラバラにみえる事柄も、すべては神のご計画のうちである。という考え。


この考えが根底にあると、一見すると理解不能な数々の出来事も、それにはきっとなにかしらの意味があるのだと思えるのである。


これは映画の作品づくりなどのストーリー構築にも当てはまる。


物語内においては、すべてのシーン、すべてのセリフ、すべてのアクションは、なにかしらの意味があるように作られている。


なにひとつ意味がない箇所があったなら、それが作品をつまらなくしてる要因だと考えてまず間違いない。


一見すると意味のない、偶然の積み重ね。そこに作品を完成させるという確固たる「信念」が存在するとき、偶然がやがて必然へと変わることで、観客に「解決」というカタルシスを与えることができるのである。


映画や漫画などの物語づくりと、偶然・信念とはけっこう相性がいい。


そういった作り手側の面白さを、キリスト教文化的な要素とからめてくるあたりに、M・ナイト・シャマラン監督がマニア受けしやすい要因があるのだと思う。


信念は、ときとして「信仰」とも呼ばれる。


キリスト教的な要素がより色濃く出た、M・ナイト・シャマラン監督作品には「ヴィレッジ(THE VILLAGE)」がある。

これについてはまたの機会にお話することにしよう。

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08/23/2006

XPとは~「タイヨウのうた」~


XP(色素性乾皮症)とは~タイヨウのうたの真実~


映画とドラマになった「タイヨウのうた」で主人公・雨音薫の病名がXPと呼ばれるものです。


映画やドラマの中では、登場人物がXPについて簡略な説明をするセリフがあるのですが、より正確な情報というのは提示されていなかったと思います。


映画やドラマ内もしくは前後に、XPについての正確な情報を提示・提供するのが良いと思うのですが、ドラマ版での始まりか終わりかに、実際のXPとは異なる部分があります、といったような意味内容の一文が表示されているまでとなっているようです。


では、XPとはより正確にはどのようなものなのでしょうか。


「タイヨウのうた」によってXPが広く知られるきっかけになりました。これを補完する、より正確な情報があったほうがいいと思っていた矢先に、このレポートをみつけました。


XP(色素性乾皮症)とは~タイヨウのうたの真実~


このレポートと共に、映画・ドラマ「タイヨウのうた」をご覧になるとよいでしょう。

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08/21/2006

「ラブ★コン」ウェンツ瑛士出演シーン

「ラブ★コン(LOVELY COMPLEX)」作品レビュー

映画「ラブ☆コン」には、WaTの小池撤平クンの相方のウェンツ瑛士クンがチョットだけ出演しているのですが、それがどこだか分った方はいますか?

エンドロールにウェンツくんの名前が出たとき、観客席からは「え?どこに出てたの?」とざわざわしていました。

私もどこにウェンツくんが出ていたのかわかりませんでした。

音楽番組「HEY!HEY!HEY!」に出演したWaTの話によると、マイティ部応援団の一員として、バスケット対決の応援シーンにちょっとだけ出演しているとのことで、その映像をテレビで見ました。

う~む。あれはちょっと気づきませんね~。

ウェンツくんご本人も自分の出演シーンがどこか見逃したといってましたから(^_^)


それはそうと「ラブ☆コン」での小池徹平クンをはじめ、藤澤恵麻ちゃんら出演者たちのファッションがかわいいですね。

最近の高校生はみんな、あんなにおしゃれなのか!☆と思ってしまうほどです。(主人公を演じたふたりのタレントさんは撮影当時にすでに成人だったそうですが)


さて、この頃は漫画原作からヒット作へ。という流れが定着しましたね。

「ラブ☆コン」の原作も中原アヤ『ラブ★コン』集英社「別冊マーガレット」連載ということで、当然のように原作漫画のファンも多数映画を観にいき、その結果評判がいいというのは、原作ファンもけっこう納得の出来ということなのですね。

わたしは原作は未読なので、映画を観たら原作も読んでみたくなりました。

ほかに「のだめカンタービレ」という漫画もたいへん評判がよく、テレビドラマ化されるそうで、ぜひ読んでおきたいですね。


原作漫画たいてい時間がとれたときにまとめて漫画喫茶で読みます。最近の漫画喫茶は個室化が進んで、古くからの漫画喫茶が改装してリニューアルオープンしているところもあります。

古いほうがお得な料金設定があったのに、リニューアルしたらちょっと料金設定が高めになった。な~んてこともありますが、店側としては時間単価を上げてなるべく長居してもらいたいのだからいろいろと大変ですね。

改装した漫画喫茶の多くは、個室を増やして、靴を脱いで利用する方式にしているようです。日本で生まれ育った人の多くは、靴をぬぐとなんとな~くまったりモードになって腰を据えてしまいがち。

なかには座敷の個室もあって、自宅の和室でくつろぐ感覚になれるところもありますね。なかなか上手な作戦ですね。

漫画喫茶に行ったことない人は、はじめはちょっと気後れするかもしれません。でも一度利用すると、ちょっとした空き時間に使えるのでけっこう便利ですよ。

漫画だけでなく、ネットも雑誌もあります。漫画喫茶で仮眠している人もいますから、使い方はいろいろですね。

以前わたしが行った漫画喫茶で「逆境ナイン」が見当たらなかったので店員さんに訊いたら、まだ入荷していないとこのことでした。

そこで違う漫画本を読み始めて20分ほどしたら、さっきの店員さんが笑顔でやってきました。さきほどはなかった漫画本を手に持ってきたくれのです。

なんと! すぐに近くの本屋に行ってわたしが尋ねた漫画本を買ってきてくれのです!

もしかしたら、以前から入荷予定の漫画本だったのかもしれませんが、お客さんの希望にすぐに応えてくれるフットワークの軽さには驚きました。

そんなこともあり、その店を贔屓にしていたのですが、残念ながらしばらくして閉店してしまいました。

店内もきれいで店員さんもしっかりしていて、けっこうお気にいりだったんですけどね。

みなさんも、行きつけのバーじゃないですが、お気に入りの漫画喫茶があるとなにかと便利ですよ。

24時間営業のところもあります。そういえばタレントの若槻千夏ちゃんは、漫画大好きでかつて漫画喫茶からグラビアの仕事に出かけて、仕事が終わったら漫画喫茶に帰ってくるという生活を一時期していたそうです。

ご飯食べれるしシャワーあるしで、仕事から漫画喫茶に帰ってくると店員さんから「おかえりなさい」と言われたそうです^^;

それってメイド喫茶のさきがけみたいな☆

じっくり漫画を読みたいときはお店によってはお得な「○時間パック」というのがあるので、事前にネットで調べていくといいですよ。

暑い日中はじっくり読書やインターネット。涼しい夕方からは運動や散歩と、お盆休みもメリハリつけて楽しく過ごしましょう。

一度利用してみたいけど......という方は、漫画喫茶ってどんなところか勉強(笑)してからのほうがいいでしょう。

漫画喫茶を120%楽しむための超裏技!!

漫画喫茶をよく利用する人も、あなたの知らない使い方を発見するかもしれませんよ。


そうそう、漫画喫茶(ネットカフェ)を利用するのはなにも漫画やネットで遊ぶ人だけなく、株取引をしている人もいますね。

最近はネットトレーディングが流行りですから。

『株式投資を始めて90日で1人前のトレーダーになれる方法!』

株式投資の基本がわかりやすく書かれています。
まずは株ってなんにゃ? という初心者の方が一読するといいですョ。

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08/18/2006

暑く寝苦しい夜のお供に

お盆休みもほぼ終わり、暑い日が続いています。

暑く寝苦しい夜のお供といえばホラーです。

思い出すなぁ。夜中に部屋を暗くしてヘッドホンでプレイしたゲーム「かまいたちの夜」

突然の悲鳴に思わずビクっとなりました!^_^;

ゲームだけじゃなく、もちろんホラー映画だけじゃなく、どんな映画でも自宅でひとりで観るときは自分に合ったヘッドホンがあると何倍も作品を、そして寝苦しい夜をも楽しめます。

え? どうしても夜中にひとりヘッドホンをして心臓が止まるほど怖い思いをしたい?

あなたもチャレンジャーですね。
では「the EYE」ならきっと涼しい夜を過ごせるはずですよ。

○「the EYE」作品レビュー


そうそう、暑くて寝苦しい夜に最良パートナーになる、あなたに最適なヘッドホンをこちらでぜひみつけましょうね。

涼しくなりすぎて夜中に眠れなくなったら……とっておきの読み物を……

【深夜の課外授業】ゾンビでわかるアメリカ合衆国~けっして日没前には読まないでください~

あ、夜が明けてきたら読まないでね。くれぐれも!深夜によろしく。


それでも眠れないアナタには特別にこちらもご用意しました。

『「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」徹底解説~ハリウッドがジャパンホラーを買いたがる理由~』


そえから、私の無料レポートのレビュー集はこちらです。
おすすめのレポートばかりを集めました。

タダで手に入る!お得で便利に使える無料レポート集

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07/23/2006

『LIMIT OF LOVE 海猿』2種類の涙

映画『LIMIT OF LOVE 海猿』がニューヨークで上映されて、船がまさに転覆しようとしているなかで主役の男性が携帯電話を使って恋人にプロポーズするシーンで爆笑をさそったそうです。

さて「ねるとん告白タイム効果でわかる、海猿人気の秘密」の記事でも触れましたが、「LIMIT OF LOVE 海猿」を単体の映画作品として観ると、ストーリー構築や演出に限っていえば、お世辞にも上手とはいえません。

それにもかかわらず日本中が涙した……いや観客の多くが涙したのはなぜでしょうか。……ニューヨークでは爆笑したというのに。

その秘密を解く鍵は「親密度」と「感情移入」です。

はじめて会う知らない人よりも、何度も会っているよく知っている人のほうが親近感がわくのと同じことが映像作品にも当てはまるのです。

日本では「海猿シリーズ」といわれるだけあって、原作漫画、映画、テレビドラマと様々な形で観客・読者と接してきた「海猿」は、日本人にとっては見知らぬ外国人ではなく親しいご近所さんだと思える存在になっていたのです。

一方、ニューヨークの多くの人々にとって「海猿」との出会いは、ほとんどが「はじめまして」だったと考えられます。

これは、映画単体でみればコントにしかなりえないような内容で「爆笑涙必至」

でも、漫画・映画・ドラマといった一連の流れに乗った人々には「感動涙必至」になるというわかりやすい例になっています。

「笑い」と「涙」。

笑いすぎると涙が出てくることがありますよね。「海猿」はいちげんさんには笑いを提供し、常連さんには涙を提供するふたつの楽しみ方ができるようになっているのです。ってこれは狙ってそうしたのかな?

映画『LIMIT OF LOVE 海猿』を単体として観ると、コントしか思えない内容ですので、おそらく狙ってそうしたのでしょう。

個人的には第1作の映画「海猿」のほうが断然好きです。若者のひと夏の恋物語といったかんじで抑えた地味さ加減が絶妙だったから。

連続ドラマを挟んだ第3作『LIMIT OF LOVE 海猿』はお金も話題も集まったからちょっと遊んじゃえ! というような愛嬌あるワルガキくんがイタズラを思いついたて頬を緩ませる、そんなニオイがしました。

ツッコんで笑って涙するか、信頼の物語(友情・愛)に涙するか。

あなたはどちらの楽しみ方をしたかな?☆ 

『LIMIT OF LOVE 海猿』作品レビュー

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07/21/2006

海賊ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)がついにやってきた!

「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」がいよいよ7月22日から公開です。

一足早く観た友人の話では、はやく次がみたい~! という終わりかただそうです。

第3作目へのつなぎ的なつくりなのかともちょっと思ったりもしますが、すでに「ジャック・スパロウわーるど」にハマっているわたくし「たか」としては、パイレーツ・オブ・カリビアンの世界観を堪能できると思うだけでドキドキです。

え? もっとクールに観て、客観的なレビューを書けって?

いつもそのつもりですが、やはり好きな作品の続編ということで楽しみなのです。

前作を観ていない方はぜひ観てから。観たひともぜひおさらいしてから劇場にいくほうがよいそうですよ。


第1作目のレビューはこちら↓

「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(PIRATES OF THE CARIBBEAN)」作品レビュー


「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズはなんといっても海賊ジャック・スパロウのキャラクターが立っています。

ジャック・スパロウ役のジョニー・デップは先日、来日しましたね。そのときはたしか平日だったと思うのですが、空港にはたくさんのファンがつめかけました。

ジョニー・デップってだれだっけ? というアナタ。

彼は元々ロック歌手を目指していたんだけど、やがて「ある人」の紹介でニコラス・ケイジに会ったことがきっかけで俳優業もするようになったのです。

こんにちの俳優ジョニー・デップがあるのもその「ある人」のおかげかもしれないですね。――で、その「ある人」ってだぁれ?

その謎が明らかになるっているのはこちら→ジョニー・デップの主な出演作の紹介とインタビュー内容もあります。


さぁこれでジョニー・デップのおさらいは完了!

あとは「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」をおもいっきり楽しみましょう!

ちなみにディズニーリゾートがある舞浜駅、のすぐ隣にあるイクスピアリでは、いたるところに「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」のオブジェがあります。

広場のステージ上にはなんと宝箱が!

さすが日本のディズニーリゾートに一番近いところにある映画館が入っている施設ですネ。

観る前からテンションがあがりまくりになることはまちがいなしです。

たかも早く観たいです!☆

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07/14/2006

W杯ジダン頭突きと映画「隠された記憶」

W杯決勝戦。フランス × イタリア。


ジダン選手がイタリアのマテラッツィ選手に頭突きしたことでクローズアップされたのが「移民」です。


アルジェリアはフランスの旧植民地であることからも、フランスにはアルジェリアからの移民が数多くいます。


移民や難民を積極的に受け入れてきたフランスは、サッカーフランス代表選手にも移民2世、3世がいます。


ジダン選手はアルジェリア移民二世です。また、アンリも移民の子です。


フランスでは過去に、経済格差・貧困・差別によって移民の若者を中心とした暴動が起きたことがあります。


アルジェリア移民2世のジダンがサッカーで活躍すればするほど移民たちは喜びます。


ジダンは移民たちの希望の星であり、フランスの人種・民族政策の成功の象徴にもなっているのです。


こういった背景が、ジダンがフランスで英雄となった理由のひとつでもあります。


サッカーの試合、とくにW杯には各国の歴史背景が様々に反映されます。


今回の「頭突き」によって、フランスでの暴動以外では、日本ではあまりクローズアップされることが少なかった移民問題に注目が集まりました。


サッカーを観ることで見えてくるもの。今回は移民問題ですが、こういったことは映画にもリンクします。


フランスのアルジェリア移民が重要な鍵となる映画作品に『隠された記憶』 (監督:ミヒャエル・ハネケ/2005 / フランス、オーストリア、ドイツ、イタリア) があります。


『隠された記憶』は観客に楽をさせてはくれませんが、その観方や読み取り方の多様性を楽しめる作品です。


物事を読み解く鍵――今回でいうところのフランスのアルジェリア移民――は、いたるところにあります。サッカーや映画を観ることは娯楽だけではなく、広い知識と様々な視点を得る絶好の機会でもあります。


サッカーから学ぶこと、そしてジダンから教わることはまだまたくさんありそうですね。

『隠された記憶』作品レビュー

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07/07/2006

音で楽しむ作品群


『バイオハザード』『サイレントヒル』『かもめ食堂』の意外な共通項とは?


まず『かもめ食堂』で印象的だったのは余計な音楽を使っていないことだ。


セリフのない部分に音楽を流してなんとなく間を埋めるというのは映画によくあることだが『かもめ食堂』にはセリフ意外の音――生活音がある。


食堂で働く店員の靴音だったり調理の音だったり合気道のすり足の音だったり。


足音というのは印象的だ。


大理石の床に響くハイヒールの音。


夏祭りの神社へ急ぐ下駄の音。


水溜りを駆け抜ける長靴の音。


どれも頭の中にその音を鮮明に思い描くことができるだろう。


頭に思い描ける音を効果的に映像作品に取り入れることができたなら、音楽に頼らずとも印象深い作品に仕上げることができる。『かもめ食堂』がそうであるように。


テレビゲーム(ビデオゲーム)ソフト『バイオハザード』シリーズで印象的なのはゾンビではなくだ。


ゾンビという題材は使い古されたもので、作品の世界観も主にアメリカ中西部の架空の町を舞台としており、ソフトの発売当初はさておき目新しさはない。


それにもかかわらず『バイオハザード』が記憶に残るのは、その雰囲気を醸し出すが耳の奥に残っているからだ。


アスファルトを歩く音。


木の床を歩く音。


草むらを歩く音。


下水道を歩く音。


階段を上る音。


鉄はしごを下る音。


地面の状況によってさまざに変化する足音は、ほとんど音楽がない作品世界において絶えず自分がプレイするキャラクターが発する音を耳にする数少ない音だ。


そしてあるとき、自分(が操作するキャラクター)意外の「なにか」が動く音や、うめき声が聞こえる。


自分以外の、自然現象(雨.風等)以外の音だと認識した瞬間に訪れるいいようのない緊張感こそ『バイオハザード』シリーズを楽しむ醍醐味なのである。


さて、7月8日より公開予定の映画『サイレントヒル』は、全世界で530万本を売り上げた人気テレビゲーム(ビデオゲーム)を原案とする作品だ。


題名からもわかるように音に特徴がある。深い霧に包まれたサイレントヒルは視界がほとんどきかず、静けさに包まれている。


PS版のパート1のゲーム『サイレントヒル』ではたしか(記憶が確かならば)主人公は男性で、ゲームの冒頭に携帯ラジオを手に入れる。


視界の悪い街中をあるくうちに、ラジオに雑音が入ることがある。雑音がひときわ大きくなると……。


こういった音によって恐怖を煽る仕掛けが施されたこのゲームは、制限された視覚によって敏感にならざるをえない聴覚を刺激して作品に緊張感を持たせ、独特の世界観をもたせている。


もうひとつ「サウンドノベル」というゲームジャンルがある。有名なところでは『かまいたちの夜』がある。


電気を消した部屋でひとりヘッドホンを装着してゲームスタート。一通りのエンディングまで約2時間じっくりと作品世界に浸れると好評だった作品だ。


吹雪にみまわれた山のペンション。ふいに響きわたる悲鳴。


作品の世界観を作り上げ、観客にそこへ入ってもらうときに重要なのは「音」である。


映画館が暗いのはなぜか。映写機によってスクリーンに映像を映し出すため。


それもあるが、作品世界にどっぷりと浸かってもらうためにスクリーンに映し出されるもの以外をシャットダウンするためでもある。


さらに「音」である。最近は音響設備が整った映画館も増えたので「音」によってより一層世界観を堪能してもらえる効果を期待できるのである。


もしあなたが自宅で映像作品(ゲームや映画)を存分に楽しみたいなら、音によりいっそうの注意を払ってほしい。


たとえ小さな画面サイズにテレビであったとしても、奮発して大画面薄型テレビを購入したとしても、自宅の地下室などに防音設備がなければ大音量で映像作品を楽しむことはなかなか難しいだろう。


そんなときでも、部屋の証明を落としてヘッドホンをすれば、いままで以上に作品世界に入り込んで楽しむことができるのである。


ヘッドホンひとつで作品の印象もずいぶん変るものだ。


できれば耳がすっぽり入るヘッドホンで気持ち良く鑑賞してもらいたい。


ヘッドホンで映画を楽しむ
お気に入りのヘッドホンがみつかる。
映画や音楽を一層楽しめるヘッドホンがきっとある。
モニタ用ヘッドホン。携帯電話用ヘッドホン。
インナーイヤーヘッドホン。巻き取りヘッドホン。
折りたたみヘッドホン等各種。

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06/18/2006

マニア向け?謎解きのスッキリ感を得にくい「ジャケット」

「ジャケット」作品レビュー

さて、記事「目からウロコの『ジャケット』解説」において「シカゴ発 映画の精神医学」さんによれば、タイム・スリップという先入観を持たずに、死人の見た夢だと解釈すれば自然で首尾一貫している、というのを紹介した。

なるほど夢だとわかれば「ジャケット」はとてもよくできた非常におもしろい作品だという評価・感想になる。

つまり、作品を楽しむキーワードに気づくと、断然おもしろくなるということだ。

しかし「ジャケット」を一見すると、なんだかよくわからない作品という感想を持つ者が多いようだ。よくわからない部分をあれやこれやと考えはじめると、特に違和感を覚えるのは唐突に主人公たち(ジャックとジャッキーが)が愛し合ってしまうところだ。

なぜだろうと一生懸命に謎を解こうとがんばって考えれば考えるほど、仮説を立てれば立てるほど、次から次に辻褄の合わないことが起きてお手上げだと思いはじめる。

例えば、謎を解こうといろいろ考えていけばいくほど不可解な状況が次から次に起きて収拾がつかないのではないかという絶妙なタイミングに謎が明らかになる作品に「アイデンティティ」がある。

▼ 「アイデンティティー」

では「ジャケット」においては謎が解けるように丁寧に作られているかというと、そうでもない。

結局「ジャケット」は主人公の夢の話だとわかった者だけがそこそこ楽しめる作品なのだ。

実は「ジャケット」はこんな楽しみ方があるのだ、というのが口コミでじわじわと広がっていく頃には上映は打ち切られてしまった後の祭り、というかんじで日本でもあまり話題にならなかった。

つまり、明確な謎解きの楽しみが提供されないので、観客の多くに「?」という感想を持たれてしまうのだ。

タイムスリップでなく夢であった、ということに気づいたならば、物語の辻褄が合うので「なるほど!」と思う。しかし、結局はいわゆる「夢オチ」である。

小説作法や脚本作法の基本に、夢オチは避ける、というのがある。

どんなにすばらしい作品であっても、物語の終わりに「いろいろあったけどこれはすべて主人公の夢のお話でした」となれば、ドリフじゃなくてもズッコケるしかない。

そういった意味で、映画のヒットという視点から「ジャケット」を観るならば、成功には程遠い。

夢だと気づけた者には謎を解いた達成感という楽しみがある。しかしながら多くの人々が映画を観る動機の大部分は、ただ楽しみたいと思っているのであるから、謎解きという楽しみを広くわかりやすく提供してあげていないという意味で、やはり「ジャケット」はマニア向けといわざるを得ない。

「ジャケット」は、懲りすぎると観客が付いてこない(これない)作品例だ。

「謎」が重要な作品では「しかるべきタイミングでわかりやすい謎解き」がされることがヒットの秘訣である。


○謎を明確に解き明かす     → 広く一般のヒット狙い

○謎のヒントを提示してそのまま → マニア狙い


タブーの「夢オチ」に挑んだという意味では、チャレンジャー精神溢れる作品である。


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06/15/2006

目からウロコの「ジャケット」解説

「ジャケット」作品レビュー

本ブログでも紹介した「ジャケット」。

デザイン画も素材もけっしてわるくないが裁縫職人がまだ修行中、といった印象。という見出しではじまるレビューを書いたのだが、その後、とある記事を読んでハッ! とさせられた。

その記事とは、本誌もたいへんお世話になっているメールマガジン「シカゴ発 映画の精神医学」さんの記事「精神医学の目 ジャケットの心理学」である。

「シカゴ発 映画の精神医学」さんによれば、タイム・スリップという先入観を持たずに、死人の見た夢だと解釈すれば自然で首尾一貫しているというのである。


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 そしてこの「ジャケット」は、ジッャクが死んだ後に見た夢、あるいは死の間際、または死を前にして見た夢と考えられる。
(メールマガジン「シカゴ発 映画の精神医学」2005年6月15日発行号「精神医学の目 ジャケットの心理学」より引用)
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なるほど! と思わず唸ってしまった。

たしかに夢と解釈すればすべてが納得でき、「ジャケット」が実はスゴい作品だということが明らかになるのだ。

私は映画の記事を書くとき、なるべく他の人のレビューは読まないようにしている。書くまえに多くのレビューを読むと、そこに書かれている解釈・感想に少なからずも影響を受けてしまい、自分が感じたり思ったり考えたりすることが疎かになってしまいがちだからだ。

そういうわけで、レビューを書いてから他の人々の記事を読むことが多い。そのほうがさまざまな解釈や感想を楽しむことができるからだ。

しかしながらどの作品も基本情報ぐらいは目を通す。「ジャケット」もそんなかんじで目を通していたはずだが、タイム・スリップという言葉にいつのまにかどっぷり浸かってしまっていた!

タイム・スリップものだと思われるであろうことが制作者の狙いだとしたれ、まんまとそれにはまってしまったのである。

多少言い訳がましくなるが、本ブログ(メルマガ)の特徴はヒット分析・物語分析・キリスト教文化の3本柱である。そのため、どうしたらより多くの観客に受け入れられるか→ヒットするか、ということを念頭に置いて映画を観てレビューを書いている。

すると「ジャケット」が多くの観客にタイム・スリップものと分類された時点で、高い評判を得ることはむずかしくなる。タイム・スリップものという先入観から自由になれた者だがけが作品のすばらしさを堪能できる、というのが制作側の狙いだとすれば、はじめら大ヒットは狙っていなかったのか、という疑問が起こる。

いやそうではなくて、タイム・スリップという先入観にとらわれなかった者による口コミによってじわじわとヒットしていく、というのが狙いだったのかもしれない。

しかしながら私も含めタイム・スリップという先入観にとらわれたままの観客がほとんどだったので、あまりヒットしなかったようである。

「シカゴ発 映画の精神医学」さんの記事では、名前に関する解説や主人公の生年月日などに聖書的な解釈ができることをとてもわかりやすく解説されている。

聖書的な解釈については本来なら本ブログ(メルマガ)ご紹介できれば良かったのだが、残念ながらそこまで気がつかなかった。まんまとタイム・スリップという先入観にとらわれてしまった次第である(-_-;) 
これに懲りずに今後とも本ブログ(メルマガ)宜しくお願いしたい次第である。


「シカゴ発 映画の精神医学」さんは、シカゴ在住の精神科医さんの発行するメルマガである。メルマガ界でも有名な方で、すでにご存知の方も多いと思う。

アメリカ合衆国の生の情報と精神医学・心理学的解説は実にスリリングかつ知的好奇心を刺激させられる。
その「シカゴ発 映画の精神医学」さんの人気レポートがこちら↓

▼無料レポート

映画「ダ・ヴィンチ・コード」公開記念 ダ・ヴィンチの性格から分析するモナ・リザの謎


▼メールマガジン
シカゴ発 映画の精神医学

いまなら最新号のバックナンバーで「精神医学の目 ジャケットの心理学」が読めるはずだ。(2006.6.15現在)
メルマガの読者登録も忘れずにしておこう!(いうまでもないが私も読者である)


ちなみに「目からウロコが落ちる」とは、なかなか解けずに悩んでいた問題を解決する発端・糸口がつかめることをいう。

実はこの言い方は、新約聖書の使徒行伝第9章18節にあるサウロ(パウロ)の回心の話からきている。

ローマ市民権を持ち、キリスト教徒迫害の急先鋒として活動していたサウロ(パウロ)はある日、迫害をしようと出かけた途中で天からの光に照らされて目が見えなくなってしまう。

従者に手をひかれてたどり着いた、とあるキリスト教徒の家で再び目がみえるようにしてもらうのだ。

これによってサウロ(パウロ)は誤りを覚って、それ以後キリスト教の伝道者になる。

迫害者から伝道者へとなった契機が「目からウロコが落ちる」という言葉の由来になっているのである。

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05/07/2006

海猿に協力の稀有なフェリー会社

人気漫画「海猿」の実写版となる『LIMIT OF LOVE 海猿』は、第3作目にあたる。

第1作は「海猿」。第2作は連続テレビドラマ。そして第3作が「LIMIT OF LOVE 海猿」。

第1作以前に幾度がスペシャルドラマ化されていたような気もするが、フジテレビと東宝を中心とした伊藤英明、加藤愛主演の「海猿」は、映画2本によって真中のドラマを挟む、いわばサンドイッチ型だ。これは、日本ではおそらくはじめての試みではないだろうか。

第1作、第2作と実写シリーズはすべて観ているが、実はレビューはひとつも書いていない。

映画・ドラマなどの映像作品を観ても、様々な事情でレビューが書けない場合がある。

(1)時間がない。
(2)書くつもりでいたが、いつの間にか書かずにそのまま。
(3)レビューを書くまでもない作品
(4)書きたくて仕方ないが、書きたいことがたくさんありすぎて書けない(未完のまま)

ざっとあげた以上の理由のうちで「海猿」シリーズについては(4)が当てはまる。

「海猿」について書くなら、ぜひとも原作をすべて読んでからと思いつつ、3巻ぐらいまでしか読んでいない……。

そしてなにより「海猿」シリーズがとても好きなので、クールな視点で作品のレビューを書くことができないと感じてしまうのだ。

第1作にしろ、第2作の連続ドラマにしても、見入るではなく「魅入って」しまうので、なにを書いてもベタ誉めになってしまうような気がする。

主演のふたり、伊藤英明と加藤愛がお気に入りの俳優だというのもある。

なんにせよ、単純にとても好きな作品なのだ。

そんなシリーズ第3作の『LIMIT OF LOVE 海猿』はなんと海洋映画である。もともと主人公が海上保安官なのだから海洋モノなのはあたりまえなのだが、水を扱う実写作品というのはそれなりに気合が必要なのだ。

ハリウッド映画でもそうだが、水を扱う作品はそれだけ製作費がかさむ。撮影には危険が伴うため、いろいろな保険代も高くなる。セットも大掛かりなものにならざるを得ない傾向がある。

なぜなら、船が襲撃されたり沈んだりする作品に喜んで自社の船を使っていいといってくれる船関連会社をみつけるのが困難だからだ。海難事故・事件などといった、会社のイメージダウンになるのではないかと船会社が危惧するからだ。

そのため本物の船をつかって撮影できないので、船の実寸大のセットを作る。そしてCGと組み合わせるということになる。セット、CG、俳優と撮影にかかる保険。どれも費用がかかるものばかりだ。

ならば『LIMIT OF LOVE 海猿』で使われる大型フェリーはすべてセットか、というとそうではない。なんと実際のフェリーを使って撮影されているというのだ。

沈没することがわかっている映画の撮影に自社の船を使うことを承諾する船会社などあるわけがないと思うものだが、なんと日本にはあったのだ!

それは宮崎カーフェリー株式会社である。

撮影に船を使わせてほしいという依頼の電話を受けた宮崎カーフェリーの女性社員はOKと返事をしたという。
撮影スタッフが、映画では船は沈没しますがほんとうにいいんですか?と念を押してもその女性社員はOKと返事した。当然のように上司には反対されたが、結果的には宮崎カーフェリーの船が撮影に使われることになったのだ。

女性社員はなぜOKを出したのか。
なぜって彼女は主演の伊藤英明のファンだからと笑顔で答えた。

さて、宮崎カーフェリーが運航するフェリーは「みやざきエキスプレス」と「おおさかエキスプレス」の2隻。
どちらも全長170メートル。総トン数約10,000トン。まさに大型フェリーだ。

はじめに『LIMIT OF LOVE 海猿』でフェリーが使われると聞いてとき、もっと小さなカーフェリーだと思った。
本州と四国を結ぶ瀬戸内海を行き来するカーフェリーぐらいかなと思ったのだ。

だが、スケールが違った!

宮崎カーフェリーはどのくらい大きいのか。

神奈川県の久里浜と千葉県の金里を結ぶ東京湾フェリー株式会社の東京湾を横断するフェリーに乗った事がある。東京湾フェリーのフェリー3隻は全長約80メートル。総トン数が3000トン前後だ。
港で次から次に車を積み込んでいく様子を見ていると、予想以上に多くの車を載せることができるのがわかる。

東京と伊豆の島々を結ぶ東海汽船の船「かめりあ丸」と「さるびあ丸」は全長約100メートル。総トン数4000~500
0トンである。
たしか「さるびあ丸」は夏には東京湾納涼船にも使われる船だが、どちらにしてもかなり大きな船である。

しかし宮崎カーフェリーは、こららの船をはるかにしのぐ10,000トン級の船である。

スケールの大きさからしても、じゅうぶんに海洋大作といえるのだ。

「海猿」シリーズは、原作、映画、連続ドラマがあるため、作り手も観客もキャラクターの性格をよく知っている。

主人公仙崎が潜水士になる訓練プログラムに参加して、街で環菜と出会うところから知っている観客は、登場人物の成長と共に作品を観つづけてきた。

第3作を観る観客のほとんどはいわば仙崎と環菜の応援団員なのだ。

もちろん、はじめて「海猿」シリーズを観る人にもわかるように作られているにちがいない。

なんとも観るのがたのしみな一本だ。

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05/04/2006

KID「4秒殺KO」とミヒャエル・ハネケ「隠された記憶」

HERO’S2006 

山本“KID”徳郁 × 宮田和幸

4秒……。

開始ゴング直後、KIDが猛ダッシュ。二段モーションジャンピングキックで左ひざが宮田を直撃!

KIDと宮田は共にレスリング出身。相手の得意な戦い方と動き方をお互いに熟知していたにちがいない。

「タックルで来るのは分かっていた。跳べば相手の前から消えることになると思った。ジャンプ力と瞬発力は誰にも負けないからね」(山本“KID”徳郁談)

体格では宮田に劣るKID。テイクダウンされれば不利になる可能性がほかのどの選手よりも高いことはじゅうぶんするぎるほどわかっていたはずだ。

同じレスリング出身だからといって、なにもレスリングにこだわる必要はない。相手がタックルでくるとわかっているなら、それに対して有効な手を使えばいい。

じゃんけんで相手がチョキを出すことがわかっているなら、グーを出せばいいだけのこと。
そう考えると至極当たり前でシンプルだ。

しかしこの作戦を考えて実行するのは並大抵のことではない。

ところがKIDは相手の強み(タックル)こそ、相手の最大の弱点になりうる可能性があり、たとえヒザが当たらなくてプレッシャーにはなるという作戦を立て、実行し、そして見事に成功した。

KIDはその格闘センスの良さと驚異の当てカンの良さで知られているが、クレバーな格闘家の中でも際立って明晰な分析力と判断力を持っている。そしてなによりそれを実行できる強靭な肉体と反射神経がある。

KIDを映画監督で例えるなら、ミヒャエル・ハネケ監督だ。

現在、渋谷ユーロスペースで公開中の「隠された記憶」の監督である。

いわゆる典型的なハリウッド映画の手法に慣らされた観客にしてみれば「隠された記憶」はまるでKIDのようだ。

ありきたりの映画は音楽や効果音やカメラワークで場面を盛り上げる。
さぁここで笑って。さぁここで泣いて。さぁここでハラハラドキドキして――といったように。

これに対して「隠された記憶」では音楽や効果音は一切ない。カメラさえも必要以上には動かない。

ハリウッドに代表される多くの映画が、音楽や効果音やカメラワークで観客の感情の起伏をコントロールしようとするのはわかりきっている。ならばあえてそれらを用いないことで、観客に驚きと言い知れぬ緊張感を与えることに成功している作品。それが「隠された記憶」だ。

レスリング出身同士の寝技はどうなる? KID得意の打撃は?

そんな観客の予想と期待を、ゴング開始猛ダッシュでジャンピングキック!左ひざ直撃。その間4秒!

こんな結末をいったいだれが予想できたろう。

レスリングや打撃という「方法」にこだわっていた観客は、4秒という「時間」に圧倒された。

KID対宮田戦の「4秒」と「隠された記憶」をセットで観てほしい。

試合後に「ヤバイ、カッコよすぎる俺」と微笑むKIDと、映画作品の裏でしてやったりと笑むミヒャエル・ハネケ監督の顔が浮かんでくるはずだ。

「隠された記憶」作品レビュー

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02/06/2006

子供の才能を伸ばす「Mr.インクレディブル」

インクレディブル一家はそれぞれに特殊能力を持っています。

Mr.インクレディブルは怪力。

エラスティガールは伸縮自在のボディ(漫画「ワンピース」のルフィみたいな、もしくは「怪物くん」の伸びる手足)。

ヴァイオレットは特殊バリアーと透明になれるボディ。

ダッシュは目にもとまらぬ動き。

それぞれの能力を活かして家族というチームワークで危機を乗り越えるのです。


なにもインクレディブル一家の一員でなくても、どんな家族の誰にでもそれぞれに能力があります。

スケートが上手。サッカーが上手。ピアノ演奏が上手。絵を描くのが上手……等。

なかには同じような能力を持った人が他にいるかもしれません。

でも、能力をいち早くみつけて、伸ばし、その人にあった最も良い組み合わせ(マッチング)で活用することができれば、他の誰にも真似できない「才能」となります。

まずはどんな才能があるのかをみつけることです。


幸いみなさんはピクサーの映画作品「Mr.インクレディブル」をご覧になったことがあるか、もしくは興味を持っていいますね。

「Mr.インクレディブル」には人生・社会について多くのことを物語の形式を用いて私たちに教えてくれます。


「Mr.インクレディブル」はアメリカ社会を映す鏡にもなっています。

スーパー・ヒーローを(世襲の特権階級)と捉えてみると、一般人のシンドロムは発明した機械(テクノロジー)を信じ、自らの才覚で道を切り開いていくフロンティアスピリットをも併せ持った、アメリカ合衆国の建前を具現化したキャラクターだと言えます。

このように社会について知ることもできると同時に、ヴァイオレットやダッシュがどのようにして自分の能力を発揮して、与えられた才能を活かしていくことができるのかを知ることもできるのです。

「Mr.インクレディブル」――奥が深い作品です。

子供の才能を伸ばす、についてはこちらにまとめておきましたのでどうぞ。


無料レポートダウンロードはこちらから↓

『Mr.インクレディブル』が教えてくれる、子供の才能を限りなく伸ばす方法

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08/24/2005

「スターウォーズ」と「NANA」に共通する人気の秘密

「スターウォーズ」シリーズに登場するロボットのR2-D2と「NANA」に登場する二十歳の奈々(ハチ)。

ストーリーにおける両者のキャラクター設定の位置には共通するものがあります。


○どちらも主人公ではない

「スターウォーズ」シリーズに登場するR2-D2は、主人公を支援するサポーティングキャラクターです。

漫画「NANA」(原作:矢沢あい)の奈々(ハチ)は主人公のひとりですが、実はもうひとりのナナとふたりで「NANA」なのです。そういう意味では、奈々(ハチ)ひとりが主人公ではありません。


○どちらも「特別」ではない

R2-D2はジェダイの騎士ではありません。量産型ロボットのうちの1体です。エピソード3では、同じ型の他のロボットも登場して、ジェダイの騎士が乗る宇宙戦闘機に同乗しますが、グリーバス将軍率いる分離主義勢力軍の攻撃によって壊されてしまいます。R2-D2もこれと同じ攻撃によって危機に陥るのですが、電気ショック攻撃(?)で反撃して撃退します。ここで抑えておきたいポイントは、性能・スペックといったものは他の同型ロボットと同じということです。

奈々(ハチ)は普通の女の子です。地方の街に生まれ、高校を卒業してアルバイトをしてお金を貯めます。東京の大学に進学した彼氏を追って上京するためです。

「上京」ときくと、京都の寺を思い浮かべてしまいますが、たいていの人にとってはもちろん東京を思い浮かべるものでしょう。「上京」という言葉には憧れと不安が入り混じった特別な感情が含まれるものだとよく言われます。
そんな上京を夢見る奈々(ハチ)はどこにでもいる普通の女の子です。


○どちらにも、メインキャラクターを支える重要な役割がある

R2-D2はジェダイの騎士に信頼されています。なぜなら、彼等は数々の困難を一緒に乗り越えてきたからです。R2-D2はジェダイがピンチに陥ったときには、船のコンピュータにアクセスして艦内の情報を送ったり、機械を作動させたりストップさせたりしてサポートします。さらにエピソード6では重要拠点基地の入り口のドアロックを解除するという大役を見事に果たしたのもR2-D2です。
R2-D2はジェダイの騎士をサポートするという大きな役割を果しているのです。

奈々(ハチ)はナナのバンド活動のお手伝いをします。というよりもナナの生き方を応援するのです。なぜなら奈々(ハチ)は自分がもっていないもの(目標・夢=バンドで成功する)を持ち、それに向かってがんばるナナの生き方に感銘したからです。

ナナは奈々に「ハチ」とあだ名をつけてペットのように付き合っています。ナナは一見するとクールビューティーですが、実はすっごく相手を束縛したいタイプの女の子です。それは、だれかに愛されたい、いつもだれかに一緒にいてほしいという強い願望の裏返しでもあります。そういうわけでナナは奈々(ハチ)なしには生きられないと感じて、なんとかして奈々(ハチ)を身近につなぎとめておこうとします。

このように、奈々(ハチ)はナナのバンド活動という目標・夢をサポートすると同時に、傷つきやすいナナをやさしく包み込んであげてもいるのです。


○サポーティングキャラクターに自分を重ね合わせる

あなたはジェダイの騎士のような、いわゆる超能力を持った戦士(騎士)ですか?

だれになんと言われようと自分の目標を持ち、成功する保障のない道を、たとえひとりでも歩んでいく勇気と行動力がありますか? 
目標を達成するために、慣れ親しんだ故郷と仲のよい友人たちと別れ、ギター片手にひとりで東京行きの汽車(←雰囲気ある言葉でしょ?)に乗れますか?

ジェダイの騎士のように活躍したい! 
ナナみたいに自分の目標・夢に向かって歩き出したい!

そんな願望を持ちつつも、ジェダイやナナみたいにはできない。そんな人でも、彼等の目標・夢・活動をサポートすることはできるかもしれません。

友人を一生懸命サポートするR2-D2と奈々(ハチ)になら、自分を重ね合わせやすいはずです。


だれかのためにできること――。

ジェダイの騎士といえども、人間(宇宙人)です。バンドのカリスマボーカルのナナといえども、ひとりの女の子です。時には悩み、迷い、窮地に陥ります。そんな彼等をサポートするR2-D2と奈々(ハチ)こそ、アナタにとっての真のヒーロー(ヒロイン)なのです。


〈関連記事〉

「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」R2-D2にフォーカスした作品レビュー

冷と熱のシフト・ヒロインの作り方―「NANA」―

「NANA」映画レビュー


∇無料レポート
「『ファインディング・ニモ』が教えてくれる、わかりやすくする7つの方法」


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矢沢 あい

Nana (12) NANA7.8―ナナ&ハチPremium fan book! NANA 13 (13) Paradise kiss (3) Paradise kiss (4)

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07/15/2005

映画にみるアフリカ

2005年はアフリカをはじめとする世界の貧困問題や環境問題を話し合う大きな会議が3つあります。

G8サミット、国連総会、WTOです。

さて、映画作品にも世界の貧困や危機を扱った作品があります。
そんなかなで、アフリカを扱った作品をご紹介しましょう。

「サハラ 死の砂漠を脱出せよ(SAHARA)」 作品レビュー
信仰によって箱舟を探す者・ダーク(ノア)と、民を救うために井戸で命を危険に晒して生き延びた者・エヴァ(ヨセフ)。ふたりは共に力を合わせてアフリカの人々と海の生物たちを救う物語。

お気楽娯楽作品だと思われている方も多いでしょう。たしかにそのとおりなのですが、実はアフリカ問題にも触れているのです。


だれかに伝えたいメッセージがある。
メッセージによってひとりでも多くの人に行動を促がしたい。

そんなとき役に立つのは「物語の力」です。

映画を観て楽しんでもらう。さらに世界の問題にも目を向けてもらう。

観客は楽しむために映画を観ます。楽しめて、さらにひとつでも「ためになる」ことがあればうれしいもの。

そして「自分のためになる」ことに加えて「だれかのためになる」ことができたら……?

映画を観ることは決して受身ではありません。観る、楽しむ、学ぶといった能動的なものなのです。

映画を観ることは、さらにもう一歩踏み出すきっかけでもあります。観て楽しんで学んだことを通して、だれかのために、助けを必要としている人のために一歩を踏み出すこと――映画はそのきっかけなのです。


もうひとつ、アフリカ問題を扱った映画作品をご紹介しましょう。

∇ 「ザ・インタープリター(THE INTERPRETER)」作品レビュー
愛する人を失い、川の両岸にそれぞれ立つふたりが、復讐と悲しみの渦の中で苦しみもがきながらも、やがて同じ岸に立つまでの物語。


映画を観て、どんな一歩を踏み出せるのか。
ここにひとつの答えがあります。

世界の貧困をなくすために、あなたにできることがあります。

ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン

ほっとけない 世界のまずしさ

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04/03/2005

潜水艦映画「眼下の敵」のちょっとありえない話

眼下の敵
ロバート・ミッチャム ディック・パウエル クルト・ユルゲンス アル・ヘディソン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2004-01-23


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前回の「K-19の原子炉のしくみ」につづいて、今回は潜水艦映画「眼下の敵」のちょっとありえない話をご紹介します。

在日米軍ラジオ放送のAFN(American Forces Network)の天気予報では
atugi,mostly sunny,High 55 degrees~といったようなかんじで流れます。

え? 最高気温が55度! ちょっと軽めのサウナ状態じゃないか。って一瞬思いますが、あちらは華氏を使うんですね。暑いのか寒いのか全然ピンときません。日本では摂氏を使いますから。

さて、艦船ではどんな単位を使うのでしょう。

潜水艦映画「眼下の敵」ではわかりやすくするために実際とは違う単位を使っているそうです。

艦船専門家の川村庸也氏に解説していただきましょう。

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駆逐艦長が投下する爆雷の爆発深度をセットし、潜水艦がこれを逃れるため懸命に深度を変えるのですが、これがスリル満点の場面となっています。ところが、ドイツはメートルを使い、アメリカはフィートを使います。それでは面白い話にならないので、映画ではアメリカ海軍もメートルを使っており、これは絶対にありえないことなのです。

アメリカ海軍は縦の距離(飛行機の高度、潜水艦の深度)にはフィートを使い、平らな距離(砲撃の目標、僚艦との間の距離など)にはヤードを使い、銃砲の口径にはインチを使うなど、ややこやしい所です。これは全部ドイツも、旧帝国海軍もメートル法でやれたのです。

単位の話は海上自衛隊はほぼ米海軍と同じで、艦砲もスケールはヤードとなっており、珍しくはないでしょう。そのほか海底にあるものについては、尋(Fathom)という単位があります。

アメリカやイギリスにいて、困るのは温度で、連中は体温にまで華氏を使うので、さっぱりピンと来ません。病院で、熱があるぞ、105度だ。などといわれてもさっぱり分からないのです。もちろん体温計も華氏ばかりです。

やはり、映画史上でもっとも傑作の潜水艦映画は「海の牙」でしょう。1946年にできたフランス映画ですが、IX型U-ボートの本物を使っています。これはフランス人はフランス語、ドイツ人はドイツ語を使っており、ナチの幹部とドイツ人の艦長がクルーに秘密がばれないようにフランス語で話をするという、巧みな設定です。

最近「ミッドウェー」の英語版を見ましたが、山本司令長官と参謀たちが英語で話をしているというのには、酷い違和感を感じました。三船敏郎は英語は話さない筈なので、吹き替えでしょう。日本語版ではもちろんこれは日本語だったのでしょうね。
                                         (文:川村庸也氏)
***************************************************************************

メートルは日本人にも馴染み深いです。

なるほど、アメフトでは平らな距離なのでヤードを使っているのですね。

よく耳にするフィートやヤード。どこがどう違うの? ということになるとよくわからなかったのですが、こうして解説してもらうとすっきりしますね。


ちなみに「K-19」の原作者ハッチハウゼン大佐の次回作は、第2次大戦時のドイツ豪華船ブレーメンの話だそうです。
「K-19」作品レビュー


「海の牙」は未見です。観なきゃ☆

海の牙 (トールケース仕様)
アンリ・アルカン ルネ・クレマン ミシェル・オークレール マルセル・ダリオ
アイ・ヴィー・シー 2003-04-25


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03/28/2005

「K-19」原子炉のしくみ

最近は「ローレライ」が観客動員で好調なようです。
「ローレライ」レビュー」を読んでもらえればわかりますが、この作品は
潜水艦という題材を使った作品というだけで、いわゆる潜水艦映画とい
うジャンルではくくれません。

そこで、もっとリアルな、硬派な潜水艦映画を観たい、知りたいという
方におすすめなのは「K-19:THE WIDOWMAKER」です。どんな作品かにつ
いてはK‐19作品レビューをどうぞ。

さて「K‐19」のどこがリアルなのか。
原作者のハクソーゼン元大佐(ご本人は「ハッチハウゼン」と英語式に発
音されているとのこと)は「”K19”は実話であるので、”レッドオクトー
バー”よりも優れている」と評価なさっているそうです。

「K‐19」は原子力潜水艦です。艦内の原子炉で事故が起き、乗組員たち
がまさに身を危険にさらして必死で放射能漏れを直そうとします。

そもそも原子炉には事故に対処する装置は付いてなかったのでしょうか。
これについて、「艦船」誌に寄稿なさっている艦船専門家の川村庸也さ
んに技術的なお話を聞かせていただいたので、以下にご紹介します。


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私は1997年に、ロシア原子力砕氷船「ソヴィエツキー・ソユーズ」号で
ムルマンスクから北極点(北緯90度)まで航海しましたが、しょっちゅ
う機関室に下りて、原子炉の操作を見ておりました。K-19の映画の通り、
小さなガラス窓から原子炉を覗くのですが、出力の上げ下げは中性子を
吸収するコントロール棒を上げ下げすることによって行います。映画で
もこれを一杯に下げて、出力を抑えようとするのですが、冷却水のパイ
プが漏洩し、出力が下がらない所がよく映っていました。

私は1970年頃、東京のIHIで原子力船「むつ」を建造中に見学し、原子
炉の中に入りました。
そのときにその真上に大きなタンクがあって、これにボロン(ホウ素)
を入れるということでした。ホウ素は中性子を吸収するので、K-19のよ
うな事態が起きると、これからホウ素を注入し、一発で原子の火を消す
ことができます。
エンジニアにこの船の生涯で、これを使うことが一度もないことを願っ
ているのでしょう?と尋ねたら、彼はその通りですと答えました。
                             (文:川村庸也)さん
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作品を見たときは、乗組員が危険をおかして原子炉のなかに入ってい
いかなければならないほど深刻な事故が起きたのだと思いました。実際
に深刻な事故なのですが、「むつ」にあるようなタンクが「K-19」には
なぜなかったのか。置くスペースがなかったのか、予算に関係するため
なのか。

「K-19」は艦船専門家の川村さんによれば「技術的には極めて優れた出
来で、文句のつけようもありません」とのこと。

まさにリアルな潜水艦映画を観たい、知りたいという方は「K-19」をご
覧になることをお勧めします。

ほかに潜水艦映画で好評なのは「眼下の敵」。
実はこの作品にははいへんな「ありえない」があるそうです。ヒントは
駆逐艦が爆発深度をセットし、潜水艦が逃れるために深度をかえるシー
ンにあります。
これについては次回にご紹介します。

技術的なお話をしていただいた艦船専門家の川村庸也さんの
「原子力砕氷船による北極点航海記」は「世界の艦船」誌にあります。
ほかにも世界で初めて敵艦を沈めた南軍潜水艦「ハンリー」の訪問記
や、ハワイ島にキャプテンクックが最期を遂げた場所を訪れた紀行文
もございます。

K-19
ハリソン・フォード キャスリン・ビグロー リーアム・ニーソン ピーター・サースガード
ポニーキャニオン 2003-07-02


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K‐19
ピーター ハクソーゼン Peter Huchthausen 楠木 成文
角川書店 2002-11


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眼下の敵
ロバート・ミッチャム ディック・パウエル クルト・ユルゲンス アル・ヘディソン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2004-01-23


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