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無限地獄から抜け出す『ゴースト・プロトコル』


▼「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」

監督:ブラッド・バード
アメリカ/2011年/132分


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■ 無限地獄から抜け出す『ゴースト・プロトコル』


ブラッド・バードといえば『Mr.インクレディブル』でピクサー作品ではほぼはじめて人間(より正確にはスーパーヒーロー)を主要キャラに物語をつくりあげ、『レミーのおいしいレストラン』では人間(見習いシェフ)を主要キャラにしたことで知られる人物であり、新しい風を取り込みつつブランドやそれまでの作品群の流れを損なわずに更なる魅力を付加できる監督である。


そんな彼が監督を務めた『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』においても、トム・クルーズ演じるイーサン・ハントが活躍する人気アクション・シリーズの雰囲気を継承しつつ、観客が求めるものに集中した作品づくりに職人魂をヒシヒシと感じることができる。


実写映画の監督は初めてだというが、しっかりした技術があるなら、どこでも活躍できる見本として最適な作品となっている。


さて観客は「ミッション:インポッシブル」シリーズに何を求めるのか?


ひとことでいうなら、アクションだ。イーサン・ハントが完遂不可能と思える任務に大胆なアクションで果敢に挑んでいくその姿を観たいのである。


しかも、もう若いとはお世辞にもいえないトム・クルーズというスーパースターのおっちゃんがバリバリのアクションに体当たりで挑むというのだから、アクション作品なのに若者だけでなく、日々がんばっている中高年層にもダイレクトにアピールできる作品となっている。


今回の作品では、組織からのバックアップを受けられずに限られた物資と人員でこれまた完遂不可能と思える任務に身を投じることになるイーサン・ハント。


例によって冒頭からラストまでアクションづくしなのだが、そのなかでも地味なようで注目すべきは砂嵐のなかでの追跡シーンだ。


街全体を覆いつくすかのような砂嵐が迫り来るなか、人々は近くの建物内に避難しようとする。しかしイーサンはその流れに逆行して外へ駆け出し猛然と男を追う。


なにせものすごい砂嵐なものだから、すぐに数メートル先もみえなくなる。わずかにみえる相手の背中を見失うまいとほぼ視界ゼロのなか走り続ける。


もう見失ったとおもいきや、今度は携帯型端末装置で相手の位置を探る。近くにいることはわかっても周囲は砂で何もみえない。ふと、相手の位置を示す表示がなぜかどんどん迫ってきて……。


アクションシーンはどれだけ派手にできるかということばかりに意識がいってしまいがち。けれどもお金をかけて大掛かりにすればするほどそんなスケールアップには終わりがない。


これは人間の欲望のようなものである。やっと手に入れても、少しするとまた物足りなくなる。もっともっとほしい……。


このとき自分で工夫して何を作り出す楽しさを知った者は、この「もっともっとほしい無限地獄」から抜け出せる。


ハリウッドの大作アクション映画ともなれば派手なアクションはあってあたりまえだという観客の期待はもちろんある。それに応えつつも、しっかりと裏切るとなお良い。


裏切るとはまさに砂嵐での追跡シーンだ。ふたりの登場人物が走るだけでこれほどドキドキさせるのは、もっともっとの無限地獄だけではいけないことをしっかりわかっているだけでなく、その対策をしっかり講じているからこそできる技である。


とはいっても砂嵐での追跡シーンでも車を使った派手さはもちろんあるのだけど、そこへ至る道のりにしっかりとふたりの人間が走る(追いかけっこ)という前フリがある。


結局のところ、派手なシーンの連続であればあるほど観終わった後には漠然とした印象しか残らないことがあるだろう。人間の心の深いところをじっくり描くという種類の作品ではないのだから、大掛かりで派手とはいえ結果的に単調な印象になりやすいアクションシーンでどれだけ温度差をつけられるかが勝負となる。


温度差とは、ここでいうところの「アクションなのにアクションを砂嵐で見せない(見えにくくする)演出」である。


ストリップだってはじめから全部脱いでいたらショーにならない。宝箱だってはじめからふたが全開だったらチラッと中が空なのを確認してそれまでである。


スゴいものならなら尚更に、それがどれだけスゴいかを伝える工夫をしなければならないのだ。


ちなみにこれは魅力的なタイトルを作成する極意にも共通するものだ。魅力的な内容を伝えるには、それが知られるようタイトルもまた魅力的でなければならない。

魅力的なタイトルをつくる方法はこちらにて
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さて、もっとわかりやすくいうと、料理が立派でおいしいなら、それに合った器も用意すべきだというもの。


どんな料理でも同じような皿に載せて出そうというのが「見出し」であるならば、その一方で料理に合わせて器を選び、視覚でも味わえるようもっと料理がおいしく食べてもらえるようセッティングするのが「タイトル」である。


そしてこの魅力的なタイトル作りと同じようなことを『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』では砂嵐の追跡シーンでしっかり行っているのである。


いわゆる高層ビルでのアクションシーンというおいしい料理があるのは宣伝等で観客の多くは知っているのだから、本編ではそういった派手なアクションシーンがもっと映えるよう、料理を盛る器にも配慮して、もっともおいしく料理がいただけるよう細部までしっかり手を抜かない。


これが職人の技であり、プロというものである。


「見出し」と「タイトル」の例でいうなら、そこそこ気のきく人やちょと練習した人なら誰でも「見出し」は作れるが、「タイトル」はそうはいかない。料理をおいしく提供する器にも配慮してはじめてできるのが「タイトル」であり、それは訓練で磨かれた技を駆使するプロと素人の違いがもっとも顕著に表れる分野でもある。


ブラッドバード監督はまちがいなく、料理に合わせてその器まで提供できるプロなのだ。


「見出し」しか作れないと使える範囲はごく基本的な部分に限定される一方でタイトル作成のプロは広くあらゆる分野でその技術を発揮できるのと同じように、ブラッドバード監督もアニメーションだけでなく実写においても当然のように高い技術を駆使して魅力的な作品をつくることができているのである。


ふつうなら高層ビルの外壁に張り付いたアクションシーンを目玉に紹介されることが多い作品だが、あえてアクション映画なのにそのアクションが見えにくい砂嵐のシーンにフォーカスして作品の魅力を伝えることができたなら幸いである。


レビューの終わりに『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』を象徴する小道具を紹介しておこう。


それはゴーグルだ。


大事な取引で相手の懐からゴーグルが出てきたら……きっと相手は只者ではない。


そんな教訓(?)が得られること間違いなしの作品である。


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