映画「ジャンパー(JUMPER)」
監督:ダグ・リーマン
アメリカ/2008年/88分
原作:スティーヴン・グールド『ジャンパー』
もしも「スーパー赤ん坊」が暴れたらの巻。主人公はアメリカ合衆国?「Mr.インクレディブル」と見比べるとおもしろい。
ストーリー(概要)
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普通の目立たない高校生のデヴィッドは、同級生のミリーに好意を持っていた。
ある日、凍った川に転落。気がつくと一瞬にして図書館の床にズブ濡れになって倒れていたデヴィッドは、自分が持つテレポートの能力に気がつく。
家を出たデヴィッドは能力を使って金を手に入れ、ニューヨークで気ままに暮らしていたが、そこにジャンパーを抹殺しようとする組織にメンバーが襲ってくる。
主な登場人物の紹介
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△デヴィッド・ライス
青年。世界中のどこへでも瞬間移動できるテレポーター(ジャンパー)。
▽ミリー・ハリス
デヴィッドの高校生時代の同級生。デヴィッドが想いを寄せる女性。
△ローランド・コックス
「ジャンパー」たちを悪として抹殺を使命とする組織「パラディン」の中心人物。
▽グリフィン・オコナー
青年。ジャンパーのひとり。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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もしも「スーパー赤ん坊」が暴れたらの巻。主人公はアメリカ合衆国?「Mr.インクレディブル」と見比べるとおもしろい。
■ デヴィッドはそんなに嫌味な男だろうか
「ジャンパー」公開当時の作品のレビューや感想の多くには、主人公デヴィッドの行動に共感できないという内容が目立っていた。
瞬間移動できるジャンパーの能力を使って銀行から大金を奪い、ニューヨークの高級住宅に住んで気が向いたときに行きたい場所に行って遊びまわっている男。
テレビのニュース番組で、洪水で流される車の屋根の上でどうすることもできない被災者が映し出されていても全く気にもとめない男。
高校時代に好きだった女の子に会い、彼女が学生時代に行きたがっていたイタリアのローマへファーストクラスの飛行機で連れて行き、高級ホテルに一緒に泊まってイチャつく男。
なんて自分勝手な男だ! というのがデヴィッドに対する観客の大方の感想だろう。
■ もしも宝くじが当たったら?
だが、もしも自分がジャンパーの能力を手にいれたらどうするだろう、と考えてみよう。
「ジャンパー」というのが突拍子もないと思うなら、もしも自分が年末ジャンボ宝くじに当たったらどうするかと考えてみよう。
年末ジャンボ宝くじの高額当選をはたしても数億円を手に入れることができるだけだが、ジャンパーのデヴィッドは瞬間移動をして、いつでもいくらでも大金を手に入れることができる。
金額の違いこそあれ、億という金額は自由を意味する。
■ 人がもっとも自由を実感するとき
人がもっとも自由を実感するのはどんなときか。
それは経済的不安を完全に払拭したと感じるときである。
多くの人はお金を得るために、持てる技術や時間を売る。
思い立ったときに好きな場所に行き、好きなモノを買い、食べたいものを食べることができるようになれば、まずは一通りそれをしてみたいと思うのが普通だろう。多くの人にそんな自由はないのだから。
決まった時間に決まった場所に行き、決まったことをしなければならない。それが時間を切り売りする多くの人間の現実だからだ。
宝くじであれ瞬間移動であれ、手に入れることができる億という金額は、庶民にとって「自由」を意味する。
それまで手に入れられるとは思ってもみなかった「自由」を手に入れた人間がどんな行動をとるか。
おそらくデヴィッドと同じようなことをするだろう。
デヴィッドがジャンパーの能力を使ってする行いは、だれでもするであろうことだと考えることもできる。
才能に運も含めるなら、宝くじに当たったのも運=才能であるから、自分の才能を活かしてお金を儲けようとするのは当然と考えるに違いない。
だからといってデヴィッドが銀行から大金を盗んだのは行き過ぎの行為のように感じかもしれないが、そもそも人間とは弱いものである。
「力」を持った人間はそれを使って「自由」を得る誘惑に打ち勝つことは、たいへん難しい。
インサイダー取引。横領。空出張。領収書改ざん。こんな誘惑にさえ打ち勝つのは難しいのが人間なのだ。
窮地に陥り、命の危険が目前に差し迫ったデヴィッドが「俺はだれも傷つけていないのに……(なんでこんな目にあうんだ)」といったようなことを言うシーンがある。
デヴィッドはジャンパーの能力を使うことは大きな罪とは思っていない。与えられた才能(足らんと)を活かして、ちょっとしたイタズラぐらいの軽い気持ちで銀行から大金を手に入れただけ。人を傷つけようなんて思ってない。
ところが「パラディン」のローランドは、ジャンパーの能力は人間が手に入れてはならないものであり、放っておけばやがて大きな悪となるから、いまのうちにその芽を摘んでおくのだという。
■ 歴史にみる最高権力者の呼び名
世界には様々な国がある。国によって最高権力者の呼び名はまちまちだ。
大統領。首相。書記長。議長。なかには大佐も。
ある国では大統領と首相のふたつの役職が存在する。
そして、ある時代のある国では大統領と首相を兼任する役職名がある。
それは「総統」だ。
日本で一般的に総統が使われるのは中華民国の国家元首とドイツのアドルフ・ヒトラーとイタリアのベニート・ムッソリーニ、それにスペインのフランシスコ・フランコの場合に限られる。
国家の最高指導者の地位と権力を持つ「総統」として有名なアドルフ・ヒトラー。彼の暗殺計画を題材とした手塚治虫の有名な漫画作品に「アドルフに告ぐ」があることからも、強大な力を持った人物はときに強大な悪とみなされ、恐れられ、命を狙われる。
どの時代でもどの国は地域でも、独裁者と呼ばれる者の出現と暗殺、そして次なる独裁者の出現と暗殺の繰り返しは、歴史の至るところにみることができる。
■ 自由の代償
そういうわけで強大な力を持ったジャンパーは常に暗殺の危険にさらされているのだが、デヴィッドは自分が命を狙われているとはこれっぽちも思っていない。
宝くじに当たったらどんなにすばらしいバラ色の人生が開けるだろうと多くの人は思いをはせるが、まさか宝くじが当たったら自分の命が狙われるとはなかなか考えないものだ。
お笑い芸人コンビの「カラテカ」の矢部太郎は、バラエティ番組の企画で1000万円借金したその全額の札束を透明なバッグに入れて東京の街を歩いて買い物をした。
透明バッグに入った札束は人目をひき、矢部太郎は道ですれ違う人がみんな敵にみえてきたとコメントしていた。
透明バックに札束を入れて持ち運ぶ矢部太郎が都会で買い物をするうちにどのようになっていったのか……。彼の場合はあくまで借金で1000万円なので「自由」とはいえないが、大金を得たことで周囲を見る目が変わり、身の危険を感じるようになることは、この一例をみても想像できるだろう。
■ もしも「スーパー赤ん坊」が暴れたら
デヴィッドがジャンパーの能力を自身のために使い続けるのを、仮に強大な力を持つ赤ん坊が好き勝手暴れまわっているかのように捉えると、どんなことがみえてくるだろう。
デヴィッドが幼いころに母親が家を出ていった後、父親は息子のことを心配しつつもその気持ちはうまく伝わらない。
つまり幼い頃に母親が出て行ってからというもの、デヴィッドは心の拠り所を失ったままで青年になり、自分でも認識できないほどの強大な力を手に入れた。
若いうちは自分の欲望を満たすためにジャンパーの能力を使うだけかもしれない。しかしその力が強大であるがゆえに、若いがゆえに、多くに人に危険を与える可能性が高いとして「パラディン」に追われるのだ。
これはアメリカ合衆国のことを皮肉っているようにもみえる。
世界の国々のなかでは、アメリカ合衆国は歴史が浅い。建国わずか230年ほどだ。
ウン千年の歴史を持つ国からみればまだ青年、いや赤ん坊のようなもの。
その赤ん坊が強大な力を持っているとしたら?
デヴィッドは高校生の頃にはじめて意識してジャンプするまで、クラスでも目立たない、同級生にからかわれる素朴で地味な少年だった。
それがジャンパーの力を使いこなせるようになって10年ほど経つと、小奇麗な格好で堂々として、かつて自分をからかった同級生と再会したときは、取っ組み合たり殴りあったりの喧嘩をしてみせるまでになった。
素朴で気のいい少年が力を得て小洒落た青年となって同級生と喧嘩するぐらいならカワイイが……。
母親のぬくもりをじゅうぶんに知らない屈折した感情を抱いたまま成長したアメリカ人の青年がその気持ちひとつで世界を危機に陥れる。
そんな世界の危機を救うのは「パラディン」という組織だという。「パラディン」のメンバーがどんな人種・国籍なのかはわからないが、リーダー格のローランドはどうやらアメリカ人らしい。
仮に「パラディン」がアメリカ合衆国の機関のひとつだとすると、世界の危機を救うのはやっぱりお・れ・た・ちアメリカ合衆国! ということになるだろう。
世界を危機に陥れるのもアメリカ合衆国(デヴィッド)なら、その危機を救うのもアメリカ合衆国(パラディン)というわけ。
こんなお約束の構図はアメリカ映画にはよくある。「ジャンパー」もその例にもれずというわけだ。
ちなみに、この構図をとてもわかりやく上手に描いているのがピクサーの「Mr.インクレディブル」である。
■ その他
幼い頃に出て行った母親。気持ちをうまく伝えられなかった父親と息子。
幼い頃に両親を亡くしたグリフィンと彼が大切にする金庫。
親子の絆や秘密。そして金庫。
こられを掘り下げたり上手に使ったりすればもっと心に響く作品になったことでしょう。
人間ドラマの部分はとってつけただけで、ジャンプする特殊効果の映像に力を入れ過ぎたように感じます。
極端な話、ジャンパーがジャンプするのは2,3回でもいいんです。
ジャンプできるというウソ(フィクション)を観客は受け入れているのですから、ジャンプしまくる必要はないのです。
むしろジャンプする映像が多ければ多いほど、ジャンプという特殊能力のありあがたみとインパクトはどんどん薄れていきます。
ここぞ! というギリギリのところまでジャンプを引き伸ばす。
落語でも真打ちが出るのは後のほうです。はじめは二つ目が登場して、その後にいよいよ真打登場となります。
スターウォーズのエピソード4でも、主人公がフォースを使って作戦を成功させるのはクライマックスです。
見習い同然のジェダイの騎士がフォースを習得してその力を発揮するのはクライマックスまで大事にとってあるのです。
「ジャンパー」のアイデアはいい。けれど、もう少し作り込んでほしかったな、と思います。
(三部作の構想もあるようですから、第1作は壮大な物語のはじめの部分だけなのかもしれません。)
デート △
フラッと △
演出 △
キャラクター △
笑い -
映像 ○
ファミリー -
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