映画「Sweet Rain 死神の精度」
監督:筧昌也
日本/2007年/113分
原作:伊坂幸太郎「死神の精度」
「死なない=生きること」を知らない死神が、対象の人物の才能に触れて人生をみつめる良作。光っているのは「こにたん」と「金城武」だけじゃなく他の俳優たちも。
ストーリー(概要)
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死神の千葉の仕事は、不慮の事故で亡くなる予定の人間の近くに現れ、7日間観察して「死を実行」するか「生の見送り」するかを決めること。
千葉は3つの時代でそれぞれ対象となった人間の前に現れて、その判定をする。
主な登場人物の紹介
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△千葉
死神。おだやかな性格で天然。
▽藤木一恵
OL
▽かずえ
理髪店店主。
△藤田敏之
ヤクザ
△阿久津伸二
チンピラ。藤田の舎弟。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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「死なない=生きること」を知らない死神が、対象の人物の才能に触れて人生をみつめる良作。光っているのは「こにたん」と「金城武」だけじゃなく他の俳優たちも。
■「浮いてる」死神
死神と聞けば、大きな鎌を持った骸骨というイメージを思い浮かべるでしょう。
しかし、今作の死神の外見は普通の人間と同じです。
たとえば葬儀の参列者の中に、見知らぬ人がいとしてもたいして不思議には思わないでしょう。
人生。どこでどんな人に出会い、どんなひと時を過ごしたかのすべては、故人にしかわかりません。
葬儀に見知らぬ人が参列しても、黒っぽい服装をしていれば故人となんらかの付き合いがあった人だとみなされるのが普通です。
でも、故人が亡くなる数日前からその見知らぬ人をちょくちょくみかけるようだと……。
その見知らぬ人は、もしかしたら「死神」かもしれません。
死神が現れたら近いうちに死ぬ。
そう思われているけれども、かならずしもそうともかぎりません。
死神は不慮の事故で死ぬ予定(不慮なのに予定? というツッコミは無しで)の人物の近くに現れて、その「死」を実行するか見送るかの最終判断を任されています。
とはいえ、ほとんどの場合は「実行」であるけれどれども……。
電器製品を販売している会社の苦情処理受付係の女性・藤木一恵の前にその男が現れたのは、ある雨の日でした。
主人公の死神・千葉は雨男です。いまだかつて青い空をみたことがない死神です。
千葉の口癖は「君は死ぬことについてどう思う?」というもの。
そんなことを唐突に訊かれても……。
そんなことを出会って間もない相手に尋ねるなんて、ちょっと変わっている人だと思われることでしょう。
そのとおり。変わっています。なぜなら、死神ですから。それも天然のオマケ付の死神です。
死神だから天然なのかと思いきやそうではありません。なぜなら他の死神たちはけっこう割り切って普通(?)に仕事をしているからです。
おそらく対象者に「君は死ぬことについてどう思う?」なんて尋ねません。
だだし、死神たちには共通点があります。
それは音楽が好きなこと。千葉は音楽のことを「ミュージック」と言います。ちょっと「浮いてる」言い方ですが、千葉は天然の死神ですから、そのぐらい「浮いている」ほうがいいんですね。
■ 塩忘れるな?
ラテン語で「メメント・モリ」。
塩重ぇ。塩忘れるな。
そんな訳は誤りで、より正確には「死を想え」「死を忘れるな」。
(↑またダジャレかいッ!)
キリスト教では主に、死を意識することによって生きているときによい行いをして天国に宝を蓄えるように、という意味で使われます。
つまり、人間はいつか死ぬのだから、生きている間に好き勝手思う存分楽しめ、というとらえ方をすべきではないということです。
「Sweet Rain 死神の精度」の原作は日本人作家、伊坂幸太郎の「死神の精度」です。原作者がキリスト教と関連がある人物かどうかは不明ですが、死を想うことは生を想うことでもあり「生と死は表裏一体」であることについては誰しもうなづくでしょう。
■ 数歩離れて人生をみつめる
死神の対象となる人物は、近いうちに自分が死ぬとはおもっていません。不慮の事故によって亡くなる予定だからです(不慮なのに予定ってやっぱおかしくねぇ?笑)。
私たちのうち、多くの人もそうです。
病気でもなく、自殺を考えているわけでもない自分がまさか近日中に死ぬことになるなんて思ってもいないでしょう。
でも、生きることは死を想うことと一体なわけです。
意識・無意識の違いこそあれ、人は死と隣り合わせで、死と共に歩んでいます。
人間にとってもっとも身近な死。避けられない死。
そこに焦点を合わせる作品は数多いけれども、どこかしらユーモラスでありつつ、じっくりと人生に向き合うかのような作品はまだまだ少ないですね。
「Sweet Rain 死神の精度」は死神という視点で数歩離れたところから「人生」を見つめる作品です。
■ その他
3つの時代のパートから構成されています。
主題歌を歌う歌手役でもある「こにたん」こと小西真奈美さんは、1番目のパートに出演します。
こにたんファンのハートをまずはがっちりキャッチする狙いもあるのですが、各パートの順番には意味があります。
皆さんの予想どおり3つのパートは別々の時代の別々の物語であるようで、ラストへ向かって収束していく構造になっています。
そういった物語構成法はけっしてめずらしいものではなく、どちらかといえばよくあるもの。
ですから謎解きや意外性を期待するような作品ではありません。
作品の魅力は「雰囲気」と、それを作り出す役者さんたちにあります。
こにたんのキュートさのほかに天然の死神役の金城武に注目が集まりがちですが、2番目のパートに登場するチンピラ阿久津伸二役の石田卓也さんもいい味をだしています。
阿久津と千葉がはじめて出会う土砂降りのシーンはそこらへんの漫才よりも数倍面白くて笑えます。いま思い出したただけでも笑えます(^^)。
3番目のパートで千葉は老女に会いにいきます。老女は町はずれの海沿いで、家事手伝いのロボットを使いながら理髪店を経営しています。
老女は千葉に願いことをします。ある期日に小学生の男の子たちを店にたくさん呼んでほしいというのです。
なぜ子供たちを呼んでほしいのか?
その謎の答えを知ったとき、あなたは心を揺さぶられるでしょう。
映像をみるかぎりではところどころ学園祭の劇の大道具を使ったみたい(例:ロボット充電装置)だと思われるかもしれません。でもそれはおそらく意図的でしょう。凝るべきところにはしっかり映像効果をきかせています。
そうそう「わたしって醜いですから」という藤木一恵。それに対して千葉は間近でまじまじと彼女の顔をみつめ「しっかり見えていますよ」というボケのシーン。
ボケがどうのこうのよりも、こにたんが醜いって説得力ありませんからッ!
……オホン。つい個人的な感情がこもってしまいました。
ええ、そうです。私も「こにたん」きっかけで映画館に足を運んだひとりです。
ってそれだけじゃないですよ。ストーリー構築上の着眼点とキャラクターのインナーコンフリクツ(内的葛藤)が……。って必死にフォローしようとするほど……ですよね。
「こにたん」だけでなく、出演している役者さんたちは皆どこか憎めないというかあいくるしい感じなんですよね(富司純子さんには貫禄もあります)。
「役者さんたち」と「雰囲気」を期待して観る。すると、じわぁ~と人生に思いをはせることができる。そんな作品です。
いかにもなお涙頂戴っぽくないところがいいですヨ。
ちなみに千葉の上司という黒い犬は、実際にはメス。女の子だそうです。雨にずぶ濡れのシーンがあって、風邪をひかないかと心配になってしまいました。
デート ○
フラッと ○
演出 △
キャラクター ◎
映像 ○
ボケ ○
ファミリー △
アクション -
感慨 ○
人生 ○
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