映画「ガチ☆ボーイ」
監督:小泉徳宏
日本/2007年/120分
原作:モダンスイマーズ「五十嵐伝 ~五十嵐ハ燃エテイルカ~」(作・演出:蓬莱竜太)
☆青春はガチンコだ☆欲をいえば優等生的で上手な出来を突き抜ける、いい意味での灰汁がほしい。人生はプロレス。ときにガチでいこう!チャットモンチーの主題歌がすばらしい。
ストーリー(概要)
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ひと眠りすると目が覚めていたときのことをほとんど忘れてしまう高次脳機能障害を負った青年・五十嵐良一が、大学のプロレス研究会に入部する。
プロレスの段取りを覚えられない五十嵐は、デビュー戦でガチンコ(本気で戦う)に突入。それが観客に大ウケして、五十嵐(マリリン仮面)は人気レスラーになる。
主な登場人物の紹介
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△五十嵐良一(マリリン仮面)
大学生。
▽朝岡麻子
大学生。プロレス研究会マネージャー。
△奥寺千尋(レッドタイフーン)
大学生。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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☆青春はガチンコだ☆欲をいえば優等生的で上手な出来を突き抜ける、いい意味での灰汁がほしい。人生はプロレス。ときにガチでいこう!チャットモンチーの主題歌がすばらしい。
■ 青春世代による青春映画
青春映画の多くはオジさんやオバさんが作っている。
ところが「ガチ☆ボーイ」の小泉徳宏監督は1980年生まれ。主演の佐藤隆太と同い年の27歳。脚本家も30代前半だ。
青春を10代後半から20代に特有のものとするなら、ドンピシャリの青春映画をつくれるとみられているのが小泉監督というわけだ。
小泉徳宏監督といえば「タイヨウのうた」で劇場長編映画デビューした若手監督だ。作品の主要登場人物と歳が近いためか、彼が撮る青春映画はナチュラルな作風という印象がある。
自分たちの世代の話という感覚で映画をつくるので、肩肘張らずに青春の1ページを自然に切り取ってみせることができるのだろう。
いうまでもないが映画はつくりものだ。だが「つくりもの感」が出すぎるとワザとらしくなる。
だから、オジさんやオバさんが観客に自然だと感じてもらえるよう苦心するよりも、青春そのものである若いスタッフが映画をつくるほうが、より自然に近くなるというわけだ。
青春の中の青春。それを得意とするのが小泉監督だ。
■ 身体は記憶する
記憶の積み重ねによって、人は生きている実感を得る。
写真を撮ったり、写真アルバムをつくったり、ブログ記事を更新したりすること。それらは自分が生きてきた「記憶」を「記録」によって補完する作業でもある。
ひと眠りすると、目が覚めていたときの記憶をほとんどを失う五十嵐は、生きている実感を得ることができないと感じる。
そこでプロレスにのめり込む。たとえ記憶には残らなくても、プロレスで受けた傷や全身の筋肉痛は、自分が生きてきた証になるからだ。
「メメント」の主人公レナードは10分しか記憶が保てない。ポラロイド写真を撮ってメモを書き込み、追っている事件の大事な事柄を自分の身体にタトゥーで彫り込んでいる。
「ガチ☆ボーイ」の五十嵐も「メメント」のレナードも、一番確実なのは自身の身体に刻み込むものだというのを実感しているのだ。
歳をとってからスキーをはじめても、うまく滑れるようにはなかなかならない。もしも若いときにスキーが滑れるようになっていれば、歳をとってからもそこそこ滑れる。
このように、身体は慣れ親しんだ動きを記憶しているのだ。
身体に記憶させるものが多ければ多いほど、記憶の量は増える。脳に刻まれる記憶は、記憶違いや記憶の薄れなどによよってときに「ウソをつく」が、身体の記憶は驚くほど正直だ。
だから五十嵐はプロレスをつづけるのだ。
■ ガリガリ五十嵐は日本の姿?
現代日本社会は「身体」を感じることが難しい。日本のみならず、世界中の映画の世界でもCG技術を用いてどんなアクションシーンもコンピューターで作れてしまうことから「身体」を感じる作品はますます少なくなっている。
コンピューターを駆使した、脳にとって気持ちいい映画作品といえば「スター・ウォーズ」シリーズだが、マヤ文明を題材に身体を感じさせる映画作品といえば「アポカリプト」だ。
世界の国々の人々にとっての日本は、アキハバラに代表される電脳社会をイメージを喚起する。「脳で作り出した世界」を想像させる。
しかし日本も「アポカリプト」といった、身体を感じさせる作品をつくりだせる可能性がある。なぜなら、脳に支配された社会の特徴が日本には顕著だからだ。
その特徴とは、脳に支配された反動による「身体への渇望」である。
日本はいまや格闘技大国といわれている。世界中の格闘家たちが日本の格闘技トーナメントでの優勝をめざす。
五十嵐もまた、身長はそこそこあるものの、その身体はガリガリだ。とてもプロレスをやるような身体にはみえない。それにもかかわらず、マリリン仮面としてリングに上がり、体格のいいプロレスラーを相手に戦う姿に、現代日本の姿が重なるかのようだ。
■ 人生はプロレス。ときにガチでいこう!
ストーリーアナリシス(物語分析)や物語構造がどうのという話をしている割には、いままでほとんど語らなかったことがある。
それはプロレスだ。
プロレスの歴史はけっこう複雑なので詳細は避けるが、たとえばアメリカのプロレス団体のWWEは、シナリオがあのショープロレスであり、物語に重点が置かれれいるといっていい。
WWEほどまでとはいかなくても、日本でプロレスというときは、学生プロレスもふくめて段取りがあるのが基本だ。つまりガチンコではない。
「ガチ☆ボーイ」のプロレス研究会もガチンコではない。安全第一をモットーにしているので、レスラーたちには段取りをきっちり覚えてもらわなくてはならない。
仮にプロレスを人生に例えてみよう。
人生には段取りがある。みんなが段取りを守ることで社会が存続していく。だがときに段取りに縛られるあまりに、自分らしさを見失ってしまうことがある。
ときにはガチでいこう!
たとえそれにリスクがあるとしても、ときに人はリスクを承知で「愛すべきバカ」をしたくなるもの。そんなバカをすることを「青春を謳歌する」ともいう。
段取りを覚えようとしても覚えられない五十嵐(マリリン仮面)は、青春を謳歌しようにもなかなかできない観客たちに代わって、ひたむきにガチでリングに上がる。
毎日を生きた証を筋肉痛や傷として身体に刻み、たとえ自分の記憶に残らなくても他人の記憶に残る男になる五十嵐(マリリン仮面)は、こうしてヒーローになるのだ。
■ その他
親子、仲間、恋愛、青春、笑い、汗、涙。……よくまとまっているなぁ。上手だわ、コレ。
期待を裏切らない。でも、できることなら期待を裏切ってほしかった。
組み合わせは上手だけど、どこかで観たことがあるシーンを上手につなぎ合わせたようでもある。
欲をいえば、優等生的で上手な出来を突き破るような、いい意味での灰汁がほしい。
なにをどこまで期待するかは人によってだけど、予告編を見て予想したとおりのままを好印象として良しとするか、またはもうひと味ほしいと思うか。
私は佐藤隆太くんがお気に入りの俳優なのでけっこう楽しめた。けれど、もしも主人公が他の俳優さんだったらどうだろうと思ってしまう。
それに、テレビのスペシャルドラマでこれが放映されていたら、もっと満足度は高くなっていたと思う。
記憶を題材にした物語はたくさんあるなかで「記憶」と「青春」と「プロレス(身体)」という組み合わせは、なかなかグー!(エド・はるみ)。
「タイヨウのうた」とは違って「キャラクターが作られすぎた感」があるのは、プロレス研究会のマネージャー役のサエコさんの演技に顕著に出ている。
観ているこっちがハズカしくなる演技だが、男はああいうキャラクターに弱いんだよね。それを見透かすかのような素振りの演技を得意とするサエコさん。ハズカシさが青春につきものだとしたら……。サエコさんは青春映画に貢献しているということになる。
青春ばんざい!(なんのこっちゃ)。
おっと。書き忘れるところだった。主題歌はチャットモンチーの「ヒラヒラヒラク秘密の扉」。
この曲を小耳に挟むどころか、この局が小耳に突き刺さり、さらに佐藤隆太くんが主演と小耳に挟んで、映画を観にいく決心をした。
それほど耳に残る曲だ。もしかしたら作品よりも主題歌のほうがインパクトが強いかもしれない。
映画を観て作品レビューをいろいろ書いていると、映画の予告編や作品の冒頭を観ただけで、なんとなくだけど「これはスゴいぞ」というオーラのようなものを感じとれるようになる。
音楽でもそういうことがあるもので、チャットモンチーはすでに人気のガールズロックバンドだけど、彼女らの曲には、JUDY ANDMARYの曲をはじめて聴いたときのようなオーラを感じるヨ。
主題歌に惹かれて映画を観にいくのは稀だけど、それもまたいいものだネ。
デート ○ 無難
フラッと ○ めっけもん
演出 △
キャラクター △
映像 △
笑い △ 程よいがキレはイマイチ
ファミリー △
アクション ○
青春 ○ 青春の教科書みたい
主題歌 ◎ チャットモンチーはホンモノ!
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