映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤(THE GOLDEN COMPASS)」
監督:クリス・ワイツ
アメリカ/2007年/112分
原作:フィリップ・プルマン『黄金の羅針盤 Northern Lights』
白クマ版「王の帰還」。「ダスト」と「真理計」が象徴するアノ木とソノ実。「ナルニア国物語」の少女とは対照的なライラ。彼女の外見のアンバランスさの意味とは? 雪を溶かすほどの熱戦「白クマ横綱決定戦!」が最大のみどころ。
ストーリー(概要)
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すべての人間に「ダイモン」という守護精霊がいる世界。
子どもの誘拐事件が多発するイギリスで、オックスフォードの寄宿生の少女ライラの親友ロジャーが行方不明になる。
誘拐された子供たちは北の大地に連れて行かれるとの情報を得たライラの前にコールター夫人が現れ、一緒に北の地へ行こうと持ちかけられる。
コールター婦人と共に出発する直前にライラは、学寮長から黄金に輝く真理計「アレシオメーター」を手渡される。
コールター婦人としばらく生活するうちにライラは誘拐事件の首謀者を知る。それはコールター婦人だった。
ライラはコールター婦人から離れ、親友のロジャーを助けるためにジプシャン族の船で北の大地をめざす。
主な登場人物の紹介
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▽ライラ・ベラクア
少女。12歳。オックスフォードの寄宿生。ダイモンはパンタライモン。
▽コールター夫人
上流階級に属する女性。教権とのコネクションを持つ。ダイモンはゴールデンモンキー。
△アスリエル卿
冒険家。学者。ライラの叔父。北の大地に空から舞い降りる「ダスト」を調査する。ダイモンはステルマリア(豹)
▽セラフィナ・ペカーラ
魔女。魔女一族の女王。ダイモンとの距離が離れても行動できる。
△リー・スコーズビー
飛行船乗り。ダイモンはヘスター。
∵イオレク・バーニソン
よろいグマ。元よろいグマの王。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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白クマ版「王の帰還」。「ダスト」と「真理計」が象徴するアノ木とソノ実。「ナルニア国物語」の少女とは対照的なライラ。彼女の外見のアンバランスさの意味とは? 雪を溶かすほどの熱戦「白クマ横綱決定戦!」が最大のみどころ。
■ 第1作の舞台とは
「ライラの冒険」シリーズは3部作から成ります。
第1作の舞台は、すべての人間に守護精霊「ダイモン」がいるパラレルワールド。
第2作の舞台は、わたしたちが生きる世界。
第3作の舞台は、パラレルワールドとわたしたちが生きる世界とを行き来します。
まずは第1作「ライラの冒険 黄金の羅針盤」の世界がどのようなものかを簡単にご紹介しましょう。
私たちが生きる世界と似ているけれども、ちょっと違います。
違うのはすべての人間に「ダイモン」が付いているところです。これは守護精霊で、動物や昆虫などの生き物の姿形をしています。「ダイモン」が亡くなると、そのダイモンを持つ人間も亡くなります。他人のダイモンを許可なく触ることは無作法とされています。
ライラが生きるパラレルワールドでは教権(マジステリアム)という機関が強大な力を持っています。教権はすべての人間を支配しようとしています。
教権に対抗する勢力には大学などの教育機関、学者、ジプシャン族、魔女たちなどがいます。
そんな対抗勢力に属するアスリエル卿は北の大地で「ダスト」を発見します。
空から舞い降りる「ダスト」はダイモンを通じて人間に吸収される、とアスリエル卿は説明します。「ダスト」は異世界と通じており「ダスト」を知ることは世界の真理を知ることにつながると大学関係者や有力諸侯に呼びかけて、北の大地の探検費用を集めます。
そんなアリエル卿はライラの叔父にあたります。アリエル卿は自分が世界を飛びまわっている間はライラに危険が及ばないようオックスフォードの寄宿寮に入れています。
イギリスの上流階級の子息令嬢はオックスフォードのような全寮制の教育機関で学びますから、ライラもその例にもれず寄宿生活をおくっているというわけです。
そもそもアリエル卿が学者であることや、中世以来のヨーロッパの伝統に学問の自由があり、そこには大学の自治の観念も含まれるとされていることからも、すべての人間の支配を目指す教権からライラを守るには、両親をなくしている彼女にとっての考えられる限り安全な場所は大学なのです。
しかし大学でもライラを守りきれるとはかぎりません。有力者の圧力によってライラは大学を離れることになります。
ライラは北の大地への好奇心によってコールター夫人に付いて行くことにします。このとき大学関係者はライラの身が危険にさらされるかもしれないとわかっているにもかかわらず、コールター婦人の力に屈してしまったのです。
こうしてライラの冒険がはじまります。
■ ボイコットを呼びかけられる「ライラの冒険」
海外では「ライラの冒険」がカトリック教会や信者たちから非難されています。
子供たちに無神論を植えつけるというのがその理由です。
映画作品では宗教に関する部分を控えめにしましたが、それでも北米のカトリック連盟は「ライラの冒険」のボイコットを呼びかけています。
では「ライラの冒険」のどのあたりが問題視されているのでしょうか。
「ライタの冒険」では神や天国への反乱が重要なテーマとなっているあたりに強い非難が浴びせられています。
「ライラの冒険」第1作において神や天国を象徴するものは「教権」です。厳密には神や天国というよりも、カトリック教会ですね。
教権は強大な権力を持っており、人間が世界の真理を知ることをおそれています。なにが正しいかは教権が決める。人間は教権に従えばそれでいい。それが教権の教えとされています。
宗教にかぎらずあらゆる支配階級・支配層は情報をコントロールしようとします。一般人が知ることができる情報を制限できれば、支配に支障をきたす考えを持つ人間の出現を減らすことができると考えるからです。
さすがに現代の多くの国と地域では一般人が知り得る情報を大幅に制限することは困難ですが、世界には国民に知らされる情報が大幅に制限されている国々もあります。
そこで「ライラの冒険」では現代ではなく、古い時代が舞台となっています。馬車が走り、気球が活躍する時代が物語世界として設定されています。
支配のために必要な情報の制限を行いやすい時代背景。それがちょっと昔のイギリスというわけです。
いつの時代にも支配に屈することのない主人公が活躍する物語がつくられます。
それが庶民の願望だからです。庶民の望みを形にしたもの。それが物語の一形態なのです。
「ライラの冒険」では支配層の象徴が「教権」です。教権のモデルとなったであろうものがカトリック教会なのです。
だから海外では「ライラの冒険」がカトリック教会や信者たちから非難されているのですね。
■「ダスト」と「真理計」が象徴するもの
では具体的に「ライラの冒険」のどこがカトリック教会や信者たちに問題視されているのでしょうか。
キリスト教に関連すると思われる箇所をいくつかご紹介しましょう。
「ライラの冒険」で忘れてならないのは「真理計(アレシオメーター)」です。真理計の別名を「黄金の羅針盤」といいます。
真理計を手に入れるだけでなく真理計を読める者は、あらゆる真理を知ることができるとされます。その象徴が「ダスト」であり「ダスト」へ辿り着く道を示すであろうものが真理計です。
「ダスト」や「真理計」は聖書のなかに登場する有名なものを連想させます。それは「善悪を知る木」と「その木の実」です。
人類最初の人間はアダムという男性です。アダムはエデンの園に住んでいました。神はアダムのあばら骨を1本取って女性を創りました。それがイヴです
イヴはある日、その実をとってたべてはいけないと神にいわれていた善悪を知る木に近づきます。木にいた蛇にそそのかされ、イヴはその実を取って食べます。そしてイヴはアダムにも実を食べさせます。
実を食べたときからアダムとイヴは自分たちが裸であることに気づき、はずかしくなってそばにあった木の葉で体を隠します。
罪の結果、はずかしさを感じるようになったのです。
ちなみに、蛇は野の生き物のなかで最も狡猾で美しい生き物でしたが、イヴをそそのかしたために地を這う生き物にされました。
このように「ダスト」と「真理計」は、善悪を知る木とその実を象徴していることはおわかりいただけたと思います。
■ ライラは女性
真理計を読む力を持つライラは少女(女性)です。女性であるライラが真理計を手に入れてそれを使い「ダスト」へ近づく。
それはまさにエデンの園のイヴが善悪の知る木に近づく様子を連想させます。
そもそもライラという女性が主人公であることがカトリック教会にとっては歓迎できないでしょう。
「ダ・ヴィンチ・コード」でも「M」、つまりマグダラのマリアという女性が重要なキーワードとなっていたことからも、カトリック教会において女性が中心となって活躍する物語というのは例外中の例外でなければならないのです。
ローマ帝国はキリスト教を弾圧していました。それにもかかわらず313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ寛容令を発してキリスト教を公認します。
なぜキリスト教を公認したのでしょうか。
なぜなら、キリスト教を弾圧するよりも公認したほうが統治しやすいと判断したからです。
ただ公認するのではなく、統治しやすいようアレンジした。そのときに女性に関する部分をごっそり抜かしたという説があります。
「ダ・ヴィンチ・コード」は謎・ミステリーという手法で聖書における女性をクローズアップします。「ナルニア国物語」は児童文学という手法で聖書における女性の偉大さを伝えようとします。
「ライラの冒険」シリーズの著者は宗教に批判的な言及があるそうです。宗教的な意図はさておいたとしても「ライラの冒険」の主人公が少女・女性というのは、それだけでもじゅうぶんにカトリック教会にとっては受け入れられないものなのでしょう。
■ ライラは少女
マルコによる福音書10章13節には「神の国は、このような者(幼な子)の国である」とあります。また15節には「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とあります。
「ナルニア国物語」でナルニアに初めて足を踏み入れるのはペベンシー兄妹の末っ子の少女ルーシーです。このように「ナルニア国物語」では少女がナルニアに一歩踏み入れることから物語がはじまります。
一方「ライラの冒険」の少女ライラは幼な子ではあるけれども「ナルニア国物語」の末っ子少女ルーシーとは違います。
ライラが一歩を踏み入れようとするのは北の大地です。
北の大地には世界の真理を示す「ダスト」が舞い降りるとされています。
ダストへの道をも示すであろう真理計を使う幼な子は、神の国を受け入れるような意味での幼な子というイメージではなく、どちらかというと善悪の知る木の実をとって食べ、アダムにもその実をたべさせたイヴのイメージです。
善悪を知る木の実をたべるようアダムに言葉巧みに勧めるイヴ。そこには知略・謀略家のイメージとしての女性が重なります。
原作シェイクスピア、監督黒澤明の「蜘蛛巣城」では女性が重要な役割を担って登場します。武将が森で出会った物の怪は老婆の姿であり、また言葉巧みに武将を動かそうとする妻はもちろん女性です。
「蜘蛛巣城」でも観ることができるように、ときに女性は知略・策略をもって言葉巧みに男性を動かします。ドラマや映画の「大奥」が人気なのも、歴史は女性が動かしてきたとする話に多くの人がうなづく表れではないでしょうか。
こういった女性のイメージを12歳の少女(幼な子)に投影させたのが「ライラの冒険」です。
■ ライラの外見のアンバランスが象徴するもの
ライラは「よろいグマ」のイオレクの命を救う方策として言葉巧みに、よろいグマ同士の1対1の決闘をセッティングします。
イオレクの命を救うためといえば聞こえはいいですが、その裏(?)にはよろいグマの軍団を味方にしたい思惑も当然あるでしょう。
見た目は少女(幼な子)でも、ライラの知略・謀略ぶりは、知性あふれるコールター夫人を出し抜くほどです。
もう一度ライラをよく見てください。全身をみると少女(幼な子)ですね。でも、顔のアップだけをみると……大人の女性の顔立ちです。
顔だけをみると、まったくといっていいほど幼さが感じられません。ライラのダイモンの姿がまだひとつに定まらないのと対照的に、ライタの顔は大人のそれにしっかりと定まっているかのようです。
幼な子なのに幼な子ではない。幼な子の容姿は世を欺く仮の姿とでもいうのでしょうか。「幼な子」という記号を逆手に取ったかのような配役の妙というのは「ライラの冒険」がどんな物語かを象徴しているかのようでもあります。
ライラ役の少女は約1万5千人の候補者の中からライラ役に大抜てきされた新人ですが、よくぞこれほど「幼な子」と「女性」が同居した人物を選べたなと思います。
ライラが少女(幼な子)なのは「ナルニア国物語」のルーシーが少女(幼な子)なのと対照的です。
ある人々にとっては、ナルニア国(神の国)へ初めに足を踏み入れるのが少女ならいいけれども、教権(カトリック教)の支配を脅かすダストを探求する重要な鍵を握るのが少女というのはよくない。さらに主人公が女性だけでなく少女(幼な子)というのは、とうてい受け入れることはできない。
だから「ライラの冒険」は、ボイコットを呼びかけられているのですね。
■ その他
女性・幼な子のほかにも、教権に対抗する勢力に放浪の民ジプシャンや魔女たちがいます。
ジプシャン族は教権の支配から自由になろうとする、いうなれば海賊みたいなものとして描かれています。
魔女たちはそのものズバリですね。中世の魔女といえば西洋キリスト教史では有名ですね。
「ダ・ヴィンチ・コード」「ナルニア国物語」「テラビシアにかける橋」といった作品にはキリスト教文化が深く反映されていますが、知的ミステリーや冒険ファンタジーや友情物語という「体」で包まれているといっていいでしょう。
もちろん隠すために包んでいるのではなく、興味を持ってもらうため、わかりやすくするための潤滑油といった意味で包んでいるのでしょう。
ところが「ライラの冒険」は「教権」がそのものズバリ! カトリック教会を指すことは誰の目にも明らかです。
日本では冒険ファンタジーとして宣伝されている「ライラの冒険」。けれども冒険ファンタジーという「体」で包まれているとは、欧米ではいえないでしょう。
それだけストレートで、それだけ露骨なんです。包もうなんて気はさらさら無くて、開き直る以前に開いちゃってるみたいな。
ちょっとは包んでよ。ちょっとは気を使ってよ。そんな声がきこえてきそうです。
映画化にあたって宗教色はだいぶ抑えたそうですから、原作はもっと露骨なのでしょうね。
キリスト教文化的視点から観ると「ライラの冒険」はけっしてお気楽ファンタジー作品とはいえず、むしろテーマが深く、ストレートな風刺系作品です。
「ライラの冒険」を観ると、カトリック教会や信者たちから非難されるのもいたしかたないかなぁと……。
「ライラの冒険」がなぜボイコットを呼びかけられているのか。
そんなことを頭の片隅に置きならが観れば、お気楽ファンタジー以上の発見と楽しみを得られるでしょう。
みどころは、白クマさん同士の一騎打ちです。(←よろいグマと呼んでちょうだい。あらいぐまじゃないヨ。だれだ?いまラスカルとつぶやいたのは?)
王子だったクマさんが、卑劣な手を使ったライバルに負けて投げやり飲んだくれ人生、いやクマ生をおくっていたけど、ライラに出会ってもう一度王座を目指してタイマン勝負を挑む。これって白クマ版「王の帰還」みたいだゾ。
よろいが無いと「投げやりな飲んだくれのクマさん」になっちゃうって、人間でも似たようなのいそうだよネ。
デート △
フラっと ×
演出 △
キャラクター ○
映像 ○
笑い -
ファミリー △
アクション ○ 白クマさん横綱決定戦!
白クマドラマ ○ 白クマ版「王の帰還」
キリスト教文化 ○ 反キリスト教?
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