映画「KIDS」
監督:荻島達也
日本/2007年/109分
原作:乙一『傷 -KIZ/KIDS-』(「失はれる物語」「きみにしか聞こえない」角川文庫収録)
原作の良さに映画化が追いつけていないのに、けっこうイイ作品にみえるのは、原作がスゴすぎるから。頼むからフツーにカレーを作ってMr.オクレ。再びもったいないお化けが! ホントウにもったいない……。
ストーリー(概要)
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工場で働くタケオは、街の食堂で不思議な能力を持つアサトと出会う。
食堂の店員シオも含めた3人は仲良くなるが、アサトの能力をめぐってそれぞれに変化が起き、試練が立ちふさがる。
主な登場人物の紹介
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△アサト
男性。
△タケオ
男性。工場の工員。
▽シホ
女性。アメリカンダイナーの店員。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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原作の良さに映画化が追いつけていないのに、けっこうイイ作品にみえるのは、原作がスゴすぎるから。頼むからフツーにカレーを作ってMr.オクレ。再びもったいないお化けが! ホントウにもったいない……。
■ 翻訳家になろう
乙一さんの『傷 -KIZ/KIDS-』を読んだのはいつだったろう。原作の細部は思い出せない。
しかし短編にもかかわらず、いや短編だからこそ凝縮された内容とテーマの深さをヒシヒシと感じたことだけは覚えている。
その『傷 -KIZ/KIDS-』の映画化ときいて、今度こそは! と期待した。
というのは、あの映画作品を思い出したからだ。
乙一さん原作というすばらしいモノのみならず、成海璃子さんという魅力的な女優さんをキャスティング、さらには主題歌にDREAMS COME TRUEという好材料が揃ったにもかかわず、それらの魅力を映像でじゅうぶんに発揮できなかった映画「きみにしか聞こえない」を思い出したからだ。
誤解のないようにいっておきたいが、映画「きみにしか聞こえない」はいい作品だ。観ようかどうか迷っている人がいたら、ぜひ観るようオススメする。
とはいえ、小説と映画では表現形式が違うことを改めて意識させられたのが映画「きみにしか聞こえない」だ。
優れた原作小説を映画化するとは、表現形式の違いをしっかりとふまえたうえで本質を正確に伝えることが大事だ。言葉でいうところの翻訳作業が必要なのだ。
直訳ならだれでもできる。大事なのは翻訳元言語のいわんとする本質を、翻訳先言語できちんと伝えることだ。
元言語→●→先言語
この「●」の部分が翻訳作業である。翻訳ではたしかな技術を持った翻訳家が必要だ。
原作小説→●→映画
この場合の「●」部分はいうまでもなく監督だ。原作小説がある作品を映画化する場合、監督は小説と映画の間を取り持つ、いわば優れた翻訳家にならなければならない。
カレーライスをつくるとしよう。だれが作ってもけっこうおいしくできるのがカレーライスだ。
普通に作りさえすれば、ふつうにおいしい。いや、かなりおいしいカレーライスができるだろう。
もしも、なんじゃこりゃぁぁ、というカレーライスが出来上がったら、逆に聞いてみたい。どうやったらカレーライスでこんな味になるのか? ――と。
新鮮な野菜。高級肉。大好評ロングセラーのカレー粉。炊きたてふっくらご飯。
これらをどうやったらこんな味(あんな味)にできるのか。
原作はすばらしい。キャスティングもすばらしい。主題歌だってイイ。
これらをどうやったらこんな作品(あんな作品)にできるのか――。
■ だれでもカレーならおいしく作れそうなものだが
誤解のないようにいっておきたいが「KIDS」はいい作品だ。小池徹平くんと玉木宏くんが出演とあって、劇場も制服姿の学生や大学生ぐらいのワカモノがけっこうたくさん観にきていた。
それはけっしてアイドルを「見たい」だけでなく、作品を「観たい」という思いがあってのことだろう。そうでなければ、劇場を後にする観客たちの、あのような満足気な空気を感じられないだろう(←KYじゃないといいたい?)。
だからこそだ。
だからこそ、フツーにカレーライスを作りさえすればなぁ、と思わずにはいられない。
フツーにとはいえ、どんな作品を作るにせよ知的・肉体的にもたいへんな労力を要する。作品を作るだけでもスゴいことだ。だからけっしてフツーではないのだが、作品を作ろうとする人はどんなたいへんな労力も覚悟の上で挑むのであろうから、あえてフツーにという言葉を使わせてもらおう。
そんなこんなで、フツーにカレーライスを作ってくれればいいのだが……この監督……もしかして、天然なのか?
■ 天然なのか?
天然の監督がもっとも威力を発揮できる分野がある。
それは、おバカ作品だ。
天才とは究極の天然ともいわれる。天然はけっして悪いことではない。むしろ、一般人が喉から手が出るほどほしくても手に入らないものだ。
最近になって天然(天才)監督ではないかといわれはじめたのが映画「XX エクスクロス 魔境伝説」の監督だ。
それはさておき「KIDS」の監督は、映画「きみにしか聞こえない」の監督でもある。
映画「きみにしか聞こえない」では、映像の特性をよぉくわかっているかのような演出を施してみたりする一方で、せっかく映像の特性を活かせるところなのにそれをまったく使わなかったりもする。観ているほうとしては頭の中が「??????」でいっぱいになってしまった。
映画「きみにしか聞こえない」を観ている最中は、もしかしたらとんでもない演出を用意しているのでは? とも思ったが、なぁんにもなかった。ならばそれまでの意味不明に思える部分は、特になにも考えていなかったのかと思わずにはいられない。
――天然なのか?
いや、ちょっと慣れていないだけ。もしくはたまたま制作関係者のだれも指摘してくれなかっただけ。そう思いたかった。
そして今回も乙一作品を映画化する監督に選ばれたということで、原作者乙一さんは映画「きみにしか聞こえない」を観ただろうから、それなりの映像化作品としては満足されているのかもしれない。
とはいえひとりの観客としては、もう少しなんとかできたんじゃないかと思ったのが映画「きみにしか聞こえない」であった。
■ そのわざとらしさはなに?
では次に映画「KIDS」について。
映画「KIDS」は、全体的にはいい意味でフツーに撮っている。だが、やはり気になる点はある。2つに絞って話そう。
ひとつは音楽。
作品のセットアップ。アサトはさびれた工場地帯にほどちかい道を走っている路線バスに乗っている。タケオは廃材置き場のような場所で街のゴロツキと喧嘩をはじめる。
そんな映像に「スタンド・バイ・ミー」の曲が流れる。
物語の主要登場キャラクターのシホが働く店がアメリカンダイナーとはいえ、なぜスタンド・バイ・ミーなのか?
「KIDS」の主なロケ地は千葉・木更津。
さびれた街の象徴として木更津でロケします。はいどうぞ。そんなやり取りがあったかどうかはわからないが「木更津キャッツアイ」をはじめ「気志団」などで文化活動(?)に積極的な姿勢を見せている木更津には、いい味わいがある。
その味を、なぜメリケンの歌で薄めてしまうのか?
原作に登場するのがアメリカンダイナーかどうかは忘れてしまったが、たとえそうだとしてもせっかくの木更津の味を無理矢理気味にメリケンの田舎の味にしまうかのようで、たいへんもったいない。
日本のちょっと(?)さびれた風景をしっかり描くことで、主人公たち、とくにタケオの心の風景を浮き彫りにすることができたのに……。
ふたつめは演出。
例によって原作はどうだったか忘れてしまったが、映画でタケオがアサトの不思議な能力に気づくきっかけが、塩の小瓶を念力で引き寄せるというものだ。
ちょっと手を伸ばせば届く塩の小瓶を、わざわざ念力を使ってテーブル上を滑らせるアサト。
フツーなら、どうしてもあとほんのちょっとだけ届かないから、だれにも気づかれないように念力を使うのを、偶然タケオに見られたとするのがよくある。
ほんのちょっとだけでいい。「どうしても届かない状況」を作ってほしかった。
ほかにもこんなシーンがある。
人の気配がまったくない住宅地の、長い間だれにも利用されずにゴミが散乱して草も伸び放題の荒れ果てた公園をきれいに掃除し終わったアサトとタケオとシホ。満足気に公園をみつめる3人。
そこへ「今だ!」と待ち構えていたかのように子供たちが、わぁ~いきれいな公園だぁ~、といったふうに喜んで遊具で遊びはじめる。
そのわざとらしさはなに?
せめて、主要キャラクターの誰かが通勤・通学などの帰り道に子供の楽しそうな声がしてふとみると、例の公園で子供たちが遊んでいた、ぐらいのシーンを別に用意してはどうだろう。
ほかにもこんなシーンがある。
タケオがアサトに、子供のころに親父に付けられたアイロンの火傷痕が肩の後ろにあると話すシーンがある。ひと通りその話が終わると、アサトがふざけた様子を装ってその火傷痕にタッチする。
シーンが切り替わって翌朝。タケオは朝の着替えのときに、鏡に映った自分の肩にあるはずの火傷痕が消えていることに気づく。
いやいやいや。火傷の痕が消えていることに気づくのは、フツーにもうひとつふたつシーンをはさんだ後にしてはどうだろう。そうすれば場面転換に使えるから、わざとらしくなくスムーズに物語をつなげていくことができると思うのだが……。
公園に駆け寄って遊ぶ子供たちにしても、火傷の痕が消えていることに気づくタケオにしても、わざとらしさが出てしまっている。
そんなわざとらしさは、フツーに取り除くことができる。
それをしていないのは、フツーなら特別にワケや狙いがある場合に限られる。だが、結論からいえばそんな特別なワケや狙いはなかった……!
またしても頭の中に「?????」が浮かぶ。
監督はテレビの演出家出身らしいから、小説や映画では勝手が違うのかもしれない。
そうだとしても監督は映画「きみにしか聞こえない」を撮って何を得た(学習した)のだろう?
せめて、天然でなければ怠慢か、と思われないことを願う次第である。
映画「きみにしか聞こえない」にしても今回の映画「KIDS」にしても、F1に例えるなら、こんな会話が聞こえてきそうだ。
最高の整備チームスタッフをそろえたF1カーのドライバーが「ひとりじゃ運転できない」と言う。
「ラリーカーじゃないんだから、助手席もないし、ナビゲーター乗せるわけにもいかないからひとりで運転しろよ」
「できましぇん」
よくよくきいたら仮免中だっていうじゃないか。
「オイオイ。芸人じゃないんだから、笑えんよ。おいだれか、フツーのF1ドライバーを手配してくれ。フツーに運転できるならテストドライバーだっていいぞ」
■ 原作のスゴさ
アサトは特別な能力を持っている。物体を動かすことができるという能力だ。
それを応用すると、人の傷を移動させることができる。それは外傷としての傷を引き受けるだけなく、傷に付随する心の傷をも受け止めることを意味する。
タケオの肩の火傷痕は、ただの火傷ではない。父親に受けた虐待の痕である。それでも父親を憎むことはできずにむしろ……という心の葛藤を含んだ父親とのつながりがその傷痕に込めらている。
だからタケオは火傷痕をアサトが取り除いたと知ったとき、怒ったのだ。
それでもタケオはアサトが自分が背負ってきた傷を肩代わりしようとしてくれたことに、心のどこかではうれしくも感じていた。
だからタケオは後にボロボロになった瀕死の状態のアサトに、負傷したうちの半分をよこせと言ったのだ。
傷を分かち合うことは、他人の傷に深く関わることを意味する。
そこにはリスクがつきまとう。だれも他人の傷をいくらかでも背負おうとはしないもの。
なぜなら、他人の傷を背負うことで、自分が傷つくことがあるからだ。
深く心が傷ついたアサトは、死にたいと願う。それでもただ死ぬではなく、死ぬなら他人の傷をできるだけ背負って死にたいと願う。そうして瀕死の重傷を負うアサト。
そこにタケオが駆けつける。かつてアサトが自分の火傷という心の傷を癒そうとしてくれた。だからタケオは、今度はアサトの傷の半分を引き受けようと申し出る。
こうして、お互い友によって生きる道をみつけたふたり。
はっきりいって、ちょっとやそっと物語づくりを勉強したからといって、こんな短編は書けない。技術がスゴいことはいうまでもないが、もちろん技術だけでは無理だ。そこに「魂」が入っていなければ書けない作品である。
■ その他
もったいない――。原作も配役もいいのに、ホントウにもったいない。
またしても、もったいないオバケが出てしまいました。
原作小説が深すぎるのかもしれません。深すぎるがゆえに、原作が良ければ良いほどに映画化は難しいのだから、なるべく厳しいようなことは書きたくはないのですが、たぶんそこそこフツーにちゃんとやればそんなもんフツーにおいしいカレーライスできるでしょ、ってなカンジなのでちょっと(カレーだけに)辛口にしました。
ジャガイモの芽をきちんと取る。ジャガイモを均等の大きさに切る。その程度のことを当たり前にちゃんとやるだけでいいんです。そうやってフツーに作ればおいしいカレーライスができるのは間違いないんだからサ。
父と息子。母と息子。友情。恋。
傷つけ合い、傷を分かち合う、人間の弱さと強さ。
切なさの達人と言われる原作者乙一さんは、人間の負の部分もしっかりと見据え、計り知れないあたたかさで包み込む。だから、ホラーでも切なさを醸し出せるのですね。というかホラーだからこそというのが正確かもしれないですね。
「KIDS」も、ある意味で『Yeah! めっちゃホリディ』(松浦亜弥)ならぬ「めっちゃホラー」ですから!
繰り返しますが映画「KIDS」はけっこうイイ作品ですヨ。小池徹平くんも玉木宏くんも栗山千明さんも適役だと思います。主題歌も耳に残りやすいイイ曲ですね。ロケ地も今をときめく(?)木更津です(病院の屋上のシーン。あれは木更津市役所の屋上ですね)。
ワカモノ向け映画というと、なにかと東京を舞台としたおしゃれ風な作品にしたがたるところを、いい意味でビミョーな辺りを舞台にするのはGOODですね。
なぜって、日本の9割以上は田舎ですから。身近なところにこそドラマがある。
アメリカ映画だって、田舎を舞台にした映画作品に名作が多いのはそのためです。
ちなみに、乙一さん原作小説の映画化作品では「暗いところで待ち合わせ」が特にオススメです。
(「↑田中麗奈さんが主演だからでしょ」「ギグッ。てそれだけじゃないよー」)
▼映画「きみにしか聞こえない」作品レビューもったいないお化け一族総出じゃ。
▼映画「暗いところで待ち合わせ」作品レビュー他者とのコミュニケーションを欲する者たちが「変化という恐怖」に立ち向かい、一歩を踏み出す物語。常人では考えつかない設定と、それを形にする技術と勢いに原作者のホンモノの力量さえ感じる。
デート ○
フラっと ○
原作 ◎
演出 △ チョイとわざとらしさが目立つ
キャラクター ○ 栗山さんはマスクしても美人
映像 △
お涙 ◎
笑い -
ファミリー -
アクション △
人間ドラマ ◎
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