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02/18/2008

映画「KIDS」

監督:荻島達也
日本/2007年/109分
原作:乙一『傷 -KIZ/KIDS-』(「失はれる物語」「きみにしか聞こえない」角川文庫収録)

原作の良さに映画化が追いつけていないのに、けっこうイイ作品にみえるのは、原作がスゴすぎるから。頼むからフツーにカレーを作ってMr.オクレ。再びもったいないお化けが! ホントウにもったいない……。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
工場で働くタケオは、街の食堂で不思議な能力を持つアサトと出会う。
食堂の店員シオも含めた3人は仲良くなるが、アサトの能力をめぐってそれぞれに変化が起き、試練が立ちふさがる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△アサト
男性。

△タケオ
男性。工場の工員。

▽シホ
女性。アメリカンダイナーの店員。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
原作の良さに映画化が追いつけていないのに、けっこうイイ作品にみえるのは、原作がスゴすぎるから。頼むからフツーにカレーを作ってMr.オクレ。再びもったいないお化けが! ホントウにもったいない……。

■ 翻訳家になろう

乙一さんの『傷 -KIZ/KIDS-』を読んだのはいつだったろう。原作の細部は思い出せない。

しかし短編にもかかわらず、いや短編だからこそ凝縮された内容とテーマの深さをヒシヒシと感じたことだけは覚えている。

その『傷 -KIZ/KIDS-』の映画化ときいて、今度こそは! と期待した。

というのは、あの映画作品を思い出したからだ。

乙一さん原作というすばらしいモノのみならず、成海璃子さんという魅力的な女優さんをキャスティング、さらには主題歌にDREAMS COME TRUEという好材料が揃ったにもかかわず、それらの魅力を映像でじゅうぶんに発揮できなかった映画「きみにしか聞こえない」を思い出したからだ。

誤解のないようにいっておきたいが、映画「きみにしか聞こえない」はいい作品だ。観ようかどうか迷っている人がいたら、ぜひ観るようオススメする。

とはいえ、小説と映画では表現形式が違うことを改めて意識させられたのが映画「きみにしか聞こえない」だ。

優れた原作小説を映画化するとは、表現形式の違いをしっかりとふまえたうえで本質を正確に伝えることが大事だ。言葉でいうところの翻訳作業が必要なのだ。

直訳ならだれでもできる。大事なのは翻訳元言語のいわんとする本質を、翻訳先言語できちんと伝えることだ。

元言語→●→先言語

この「●」の部分が翻訳作業である。翻訳ではたしかな技術を持った翻訳家が必要だ。

原作小説→●→映画

この場合の「●」部分はいうまでもなく監督だ。原作小説がある作品を映画化する場合、監督は小説と映画の間を取り持つ、いわば優れた翻訳家にならなければならない。

カレーライスをつくるとしよう。だれが作ってもけっこうおいしくできるのがカレーライスだ。

普通に作りさえすれば、ふつうにおいしい。いや、かなりおいしいカレーライスができるだろう。

もしも、なんじゃこりゃぁぁ、というカレーライスが出来上がったら、逆に聞いてみたい。どうやったらカレーライスでこんな味になるのか? ――と。

新鮮な野菜。高級肉。大好評ロングセラーのカレー粉。炊きたてふっくらご飯。

これらをどうやったらこんな味(あんな味)にできるのか。

原作はすばらしい。キャスティングもすばらしい。主題歌だってイイ。

これらをどうやったらこんな作品(あんな作品)にできるのか――。


■ だれでもカレーならおいしく作れそうなものだが

誤解のないようにいっておきたいが「KIDS」はいい作品だ。小池徹平くんと玉木宏くんが出演とあって、劇場も制服姿の学生や大学生ぐらいのワカモノがけっこうたくさん観にきていた。

それはけっしてアイドルを「見たい」だけでなく、作品を「観たい」という思いがあってのことだろう。そうでなければ、劇場を後にする観客たちの、あのような満足気な空気を感じられないだろう(←KYじゃないといいたい?)。

だからこそだ。

だからこそ、フツーにカレーライスを作りさえすればなぁ、と思わずにはいられない。

フツーにとはいえ、どんな作品を作るにせよ知的・肉体的にもたいへんな労力を要する。作品を作るだけでもスゴいことだ。だからけっしてフツーではないのだが、作品を作ろうとする人はどんなたいへんな労力も覚悟の上で挑むのであろうから、あえてフツーにという言葉を使わせてもらおう。

そんなこんなで、フツーにカレーライスを作ってくれればいいのだが……この監督……もしかして、天然なのか?


■ 天然なのか?

天然の監督がもっとも威力を発揮できる分野がある。

それは、おバカ作品だ。

天才とは究極の天然ともいわれる。天然はけっして悪いことではない。むしろ、一般人が喉から手が出るほどほしくても手に入らないものだ。

最近になって天然(天才)監督ではないかといわれはじめたのが映画「XX エクスクロス 魔境伝説」の監督だ。

それはさておき「KIDS」の監督は、映画「きみにしか聞こえない」の監督でもある。

映画「きみにしか聞こえない」では、映像の特性をよぉくわかっているかのような演出を施してみたりする一方で、せっかく映像の特性を活かせるところなのにそれをまったく使わなかったりもする。観ているほうとしては頭の中が「??????」でいっぱいになってしまった。

映画「きみにしか聞こえない」を観ている最中は、もしかしたらとんでもない演出を用意しているのでは? とも思ったが、なぁんにもなかった。ならばそれまでの意味不明に思える部分は、特になにも考えていなかったのかと思わずにはいられない。

――天然なのか?

いや、ちょっと慣れていないだけ。もしくはたまたま制作関係者のだれも指摘してくれなかっただけ。そう思いたかった。

そして今回も乙一作品を映画化する監督に選ばれたということで、原作者乙一さんは映画「きみにしか聞こえない」を観ただろうから、それなりの映像化作品としては満足されているのかもしれない。

とはいえひとりの観客としては、もう少しなんとかできたんじゃないかと思ったのが映画「きみにしか聞こえない」であった。


■ そのわざとらしさはなに? 

では次に映画「KIDS」について。

映画「KIDS」は、全体的にはいい意味でフツーに撮っている。だが、やはり気になる点はある。2つに絞って話そう。

ひとつは音楽。

作品のセットアップ。アサトはさびれた工場地帯にほどちかい道を走っている路線バスに乗っている。タケオは廃材置き場のような場所で街のゴロツキと喧嘩をはじめる。

そんな映像に「スタンド・バイ・ミー」の曲が流れる。

物語の主要登場キャラクターのシホが働く店がアメリカンダイナーとはいえ、なぜスタンド・バイ・ミーなのか?

「KIDS」の主なロケ地は千葉・木更津。

さびれた街の象徴として木更津でロケします。はいどうぞ。そんなやり取りがあったかどうかはわからないが「木更津キャッツアイ」をはじめ「気志団」などで文化活動(?)に積極的な姿勢を見せている木更津には、いい味わいがある。

その味を、なぜメリケンの歌で薄めてしまうのか?

原作に登場するのがアメリカンダイナーかどうかは忘れてしまったが、たとえそうだとしてもせっかくの木更津の味を無理矢理気味にメリケンの田舎の味にしまうかのようで、たいへんもったいない。

日本のちょっと(?)さびれた風景をしっかり描くことで、主人公たち、とくにタケオの心の風景を浮き彫りにすることができたのに……。

ふたつめは演出。

例によって原作はどうだったか忘れてしまったが、映画でタケオがアサトの不思議な能力に気づくきっかけが、塩の小瓶を念力で引き寄せるというものだ。

ちょっと手を伸ばせば届く塩の小瓶を、わざわざ念力を使ってテーブル上を滑らせるアサト。

フツーなら、どうしてもあとほんのちょっとだけ届かないから、だれにも気づかれないように念力を使うのを、偶然タケオに見られたとするのがよくある。

ほんのちょっとだけでいい。「どうしても届かない状況」を作ってほしかった。

ほかにもこんなシーンがある。

人の気配がまったくない住宅地の、長い間だれにも利用されずにゴミが散乱して草も伸び放題の荒れ果てた公園をきれいに掃除し終わったアサトとタケオとシホ。満足気に公園をみつめる3人。

そこへ「今だ!」と待ち構えていたかのように子供たちが、わぁ~いきれいな公園だぁ~、といったふうに喜んで遊具で遊びはじめる。

そのわざとらしさはなに? 

せめて、主要キャラクターの誰かが通勤・通学などの帰り道に子供の楽しそうな声がしてふとみると、例の公園で子供たちが遊んでいた、ぐらいのシーンを別に用意してはどうだろう。

ほかにもこんなシーンがある。

タケオがアサトに、子供のころに親父に付けられたアイロンの火傷痕が肩の後ろにあると話すシーンがある。ひと通りその話が終わると、アサトがふざけた様子を装ってその火傷痕にタッチする。

シーンが切り替わって翌朝。タケオは朝の着替えのときに、鏡に映った自分の肩にあるはずの火傷痕が消えていることに気づく。

いやいやいや。火傷の痕が消えていることに気づくのは、フツーにもうひとつふたつシーンをはさんだ後にしてはどうだろう。そうすれば場面転換に使えるから、わざとらしくなくスムーズに物語をつなげていくことができると思うのだが……。

公園に駆け寄って遊ぶ子供たちにしても、火傷の痕が消えていることに気づくタケオにしても、わざとらしさが出てしまっている。

そんなわざとらしさは、フツーに取り除くことができる。

それをしていないのは、フツーなら特別にワケや狙いがある場合に限られる。だが、結論からいえばそんな特別なワケや狙いはなかった……!

またしても頭の中に「?????」が浮かぶ。

監督はテレビの演出家出身らしいから、小説や映画では勝手が違うのかもしれない。

そうだとしても監督は映画「きみにしか聞こえない」を撮って何を得た(学習した)のだろう?

せめて、天然でなければ怠慢か、と思われないことを願う次第である。

映画「きみにしか聞こえない」にしても今回の映画「KIDS」にしても、F1に例えるなら、こんな会話が聞こえてきそうだ。

最高の整備チームスタッフをそろえたF1カーのドライバーが「ひとりじゃ運転できない」と言う。

「ラリーカーじゃないんだから、助手席もないし、ナビゲーター乗せるわけにもいかないからひとりで運転しろよ」

「できましぇん」

よくよくきいたら仮免中だっていうじゃないか。

「オイオイ。芸人じゃないんだから、笑えんよ。おいだれか、フツーのF1ドライバーを手配してくれ。フツーに運転できるならテストドライバーだっていいぞ」


■ 原作のスゴさ 

アサトは特別な能力を持っている。物体を動かすことができるという能力だ。

それを応用すると、人の傷を移動させることができる。それは外傷としての傷を引き受けるだけなく、傷に付随する心の傷をも受け止めることを意味する。

タケオの肩の火傷痕は、ただの火傷ではない。父親に受けた虐待の痕である。それでも父親を憎むことはできずにむしろ……という心の葛藤を含んだ父親とのつながりがその傷痕に込めらている。

だからタケオは火傷痕をアサトが取り除いたと知ったとき、怒ったのだ。

それでもタケオはアサトが自分が背負ってきた傷を肩代わりしようとしてくれたことに、心のどこかではうれしくも感じていた。

だからタケオは後にボロボロになった瀕死の状態のアサトに、負傷したうちの半分をよこせと言ったのだ。

傷を分かち合うことは、他人の傷に深く関わることを意味する。

そこにはリスクがつきまとう。だれも他人の傷をいくらかでも背負おうとはしないもの。

なぜなら、他人の傷を背負うことで、自分が傷つくことがあるからだ。

深く心が傷ついたアサトは、死にたいと願う。それでもただ死ぬではなく、死ぬなら他人の傷をできるだけ背負って死にたいと願う。そうして瀕死の重傷を負うアサト。

そこにタケオが駆けつける。かつてアサトが自分の火傷という心の傷を癒そうとしてくれた。だからタケオは、今度はアサトの傷の半分を引き受けようと申し出る。

こうして、お互い友によって生きる道をみつけたふたり。

はっきりいって、ちょっとやそっと物語づくりを勉強したからといって、こんな短編は書けない。技術がスゴいことはいうまでもないが、もちろん技術だけでは無理だ。そこに「魂」が入っていなければ書けない作品である。


■ その他

もったいない――。原作も配役もいいのに、ホントウにもったいない。

またしても、もったいないオバケが出てしまいました。

原作小説が深すぎるのかもしれません。深すぎるがゆえに、原作が良ければ良いほどに映画化は難しいのだから、なるべく厳しいようなことは書きたくはないのですが、たぶんそこそこフツーにちゃんとやればそんなもんフツーにおいしいカレーライスできるでしょ、ってなカンジなのでちょっと(カレーだけに)辛口にしました。

ジャガイモの芽をきちんと取る。ジャガイモを均等の大きさに切る。その程度のことを当たり前にちゃんとやるだけでいいんです。そうやってフツーに作ればおいしいカレーライスができるのは間違いないんだからサ。

父と息子。母と息子。友情。恋。

傷つけ合い、傷を分かち合う、人間の弱さと強さ。

切なさの達人と言われる原作者乙一さんは、人間の負の部分もしっかりと見据え、計り知れないあたたかさで包み込む。だから、ホラーでも切なさを醸し出せるのですね。というかホラーだからこそというのが正確かもしれないですね。

「KIDS」も、ある意味で『Yeah! めっちゃホリディ』(松浦亜弥)ならぬ「めっちゃホラー」ですから!

繰り返しますが映画「KIDS」はけっこうイイ作品ですヨ。小池徹平くんも玉木宏くんも栗山千明さんも適役だと思います。主題歌も耳に残りやすいイイ曲ですね。ロケ地も今をときめく(?)木更津です(病院の屋上のシーン。あれは木更津市役所の屋上ですね)。

ワカモノ向け映画というと、なにかと東京を舞台としたおしゃれ風な作品にしたがたるところを、いい意味でビミョーな辺りを舞台にするのはGOODですね。

なぜって、日本の9割以上は田舎ですから。身近なところにこそドラマがある。

アメリカ映画だって、田舎を舞台にした映画作品に名作が多いのはそのためです。

ちなみに、乙一さん原作小説の映画化作品では「暗いところで待ち合わせ」が特にオススメです。
(「↑田中麗奈さんが主演だからでしょ」「ギグッ。てそれだけじゃないよー」)


映画「きみにしか聞こえない」作品レビューもったいないお化け一族総出じゃ。

▼映画「暗いところで待ち合わせ」作品レビュー他者とのコミュニケーションを欲する者たちが「変化という恐怖」に立ち向かい、一歩を踏み出す物語。常人では考えつかない設定と、それを形にする技術と勢いに原作者のホンモノの力量さえ感じる。


デート      ○ 
フラっと     ○ 
原作       ◎ 
演出       △ チョイとわざとらしさが目立つ
キャラクター   ○ 栗山さんはマスクしても美人
映像       △ 
お涙       ◎ 
笑い       - 
ファミリー    -
アクション    △
人間ドラマ    ◎


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02/09/2008

「テラビシアにかける橋」キリスト教大解説

「テラビシアにかける橋」を観ると、そこからキリスト教のメッセージをいくつも読み取ることができます。

原作者のキャサリン・パターソンは、キリスト教への強い信仰を持ったクリスチャンの児童文学者です。

なるほど! 

だから「テラビシアにかける橋」はいくつもの聖書のエピソードを彷彿とさせるのですね。

そう思いつつ映画「テラビシアにかける橋」を思い返してみると、作品に込められたキリスト教のメッセージがさらに明白に浮かびあがってきました。

そこで「テラビシアにかける橋」に込められたキリスト教のメッセージをわかりやすくまとめたレポートを作成しました。

レポートのタイトルはズバリこれ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  日本国内ではだれも教えてくれない!?

▼「テラビシアにかける橋」キリスト教大解説
  ~探検隊と祭司でわかるメッセージとは?~
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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レポートをPDFファイルにてお送りします。

キリスト教の背景が色濃く入った作品であっても、日本国内で宣伝されるときは、キリスト教のキの字も出てこないのはよくあること。

宗教的要素を出すことを避けたいのかもしれませんが、作品の背景の基礎を少しも知らせずに観てくださいと宣伝するのは、10の機能のうち3つの機能しか明示されていない説明書だけで、電気製品を買えといっているようなものではないでしょうか。

「ダ・ヴィンチ・コード」はキリスト教文化が題材になっていることは日本でも知らされていましたが「ナルニア国物語」は「ロード・オブ・ザ・リング」の姉妹作みたいな宣伝しかされていなかったと思います。

あれほどキリスト教のエピソードがわかりやすいまでにちりばめられていた「ナルニア国物語」でさえそうなのですから「テラビシアにかける橋」ではキリスト教のキの字も出てこないのはいたしかたないのかもしれません。

でも、ぜひ本誌のみなさんは「テラビシアにかける橋」に込められたキリスト教のメッセージを知ってもらえたらと思います。

物語の力で子供たちに聖書のメッセージを伝えようとしたであろう作者の気持ちが伝わってくる「テラビシアにかける橋」を、ぜひあなたにも存分に堪能していただきたい。


このページをごらんの方には特典として、テラビシアレポートのほかに、以下のレポートの中から【1点】も特別にお付けします。

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02/06/2008

映画「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」

監督:北村拓司
日本/2007年/109分
原作:滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』

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魂の叫びを聞き取れるかどうかが分かれ道の現代版青春物語。心の内に秘められた葛藤をビジュアル化。耳を澄ませばきっと聞こえるはず。キミはシンクロできるか。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
高校生の山本陽介はある日、公園にひとりでいる女子高生雪崎絵理に出会う。すると天からチェーンソー男が降ってくる。絵理とチェーンソー男は超人的な身体能力で死闘を繰り広げる。陽介は毎夜、チェーンソー男と戦う絵理に付き添うことにする。

主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△山本陽介
男子高校生。寮生活をするふつうの高校生。

▽雪崎絵理
女子高校生。毎夜チェーンソー男と戦う。

▽渡辺
男子高校生。陽介の友人。

△能登
男子高校生。陽介の友人。バイク事故で亡くなった。

∵チェーンソー男
チェーンソーを持った大柄の男。毎夜、雪崎絵理の前に現れ、死闘を繰り広げる。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
魂の叫びを聞き取れるかどうかが分かれ道の現代版青春物語。心の内に秘められた葛藤をビジュアル化。耳を澄ませばきっと聞こえるはず。キミはシンクロできるか。 

■ ある教師のヒトリゴト

私は高校教師。(森田童子「ぼくたちの失敗」が頭の中で流れたキミはおそらくR35世代)

担任のクラスの生徒たちもそうだが、最近のワカモノはどうにもやりにくい。

昔はわかりやすかった。教師に突っかかってくるような骨のある熱~いワカモノがいたからだ。

ところが最近のワカモノは叱っても、場合によっては叱る前から空気を察して「すみません」とすぐに謝る。反抗どころか弁解しようとさえしない。そんなことをしても無駄だとわかっているから、何を言ってものらりくらりと受け流す。そんなヤツラばかりだ。

山本陽介。

この生徒もいまどきのワカモノらしく、呼び出して説教しようにも暖簾に腕押しだ。
仲のよかった友人の能登がバイク事故死したことだって、山本にショックを与えただろう。だから多少のやんちゃぶりはわからんでもない。俺だって若いときは無茶もしたさ。バイクが好きで今でも乗ってる。もちろん安全運転でな。
とはいえ山本は下宿先の学生寮にはいつもおらず、噂では毎夜のように他校の女子生徒と出歩いているらしい。

ほんまに最近のワカモノは何を考えてるんやら……。いうてもわるい輩やないんやけどな……。


■ ある男子高校生のヒトリゴト(1)

写真、絵描き、小説、バンド活動、作曲。

どれをやっても中途半場。いろいろと手を出してみても、そこそこやるとわかっちまう。自分にはたいした才能もないってことが――。

どこかに自分の居場所があると信じたい。だからいろんなものに挑戦する。挑戦すればするほど、あれもダメ、これもダメと現実を突きつけられる。それでもやりつづけるしかない。止まってしまうのがこわいから。


■ ある男子高校生のヒトリゴト(2)

なんだかわからねぇけど、俺は焦ってる。

高級肉をいくら万引きしたところで、能登との距離は縮まらねぇ。

そんなことはわかってる。けれど、なにかをしてなくちゃ気がおかしくなりそうだ。

能登の野郎。俺より先に逝っちまいやがって。完全に先を越された。死んじまったら追いつけねぇじゃねぇか。

それにしてもあの絵理ってコ。カワいかったな。

絵理ちゃんはひとりで必死に戦っていた。毎晩ひとりで。1ヶ月前からずっとだ。

俺はやっとみつけたんだ。能登に追いつく方法を。能登を追い越す方法を。

ひとりで戦う女の子を助ける。最高に格好よく意味のあることをして死ねたら、能登を越えられる。

だから俺は今晩も絵理ちゃんと共にいる。どこまでも一緒に戦うぞ。


■ ある女子高校生のヒトリゴト

毎夜、ひとりで戦ってきた。

彼が現れたときには、邪魔しないでって思った。

けれど、いつの間にか彼……山本陽介がいてくれるだけで、夜を乗り切れるようになった。

陽介がいなかったら、きっと私はずっと前に朝日を見ることはできなくなっていたかもしれない。

けれど、陽介が離れて行ってしまう。

陽介にはひとりで戦って勝つと強がってみせたけど、きっと今夜でわたしの戦いは終わる……。


■ シンクロ

毎夜、ふたりは思い出の地をめぐります。公園。プール。水族館。遊園地。時代劇テーマパーク……。

楽しい思い出が蘇ると同時に、それが二度と手に入らないという現実を突きつけられるたびに絵理は、生きる希望を見出せないまま迫りくる衝動との戦いを余儀なくされます。

あの日から毎夜、孤独な戦いを続けてきた絵理。ひとりで戦いつづけなくてはならないと思っていた。そこへ陽介が現れます。

陽介もまた、ひとりで戦いつづけていました。

絵理の戦いは生死を賭けたものです。陽介の戦いも生死を賭けたものです。

今夜死ぬかもしれない。明日をどう迎えたらいいのか。そんな思いでひとりで毎日を過ごしてきたふたり。

だからふたりはシンクロします。

もし、ある教師がふたりを見かけたら「こんな夜更けにふたりでおる。青春やなぁ。ってあの若い男のほうはウチの生徒やないか。なんや毎夜他校の女子生徒と逢引してるって噂はホンマやったんか」と思うかもしれません。

端から見れば夜の公園でなにをするわけでもなくふたりでいるワカモノ。そんな景色はありがち。そんな景色の数だけ戦いが行われています。

将来の不安。自分の居場所。愛する者を失った悲しみ。生きる意味……迫りくる苦悩という敵に押しつぶされそうになりながら日々戦いつづけています。

今夜で終わりにしよう。

そう思いながら毎日をなんとか生き抜いている若者たち。

彼らは特別ではありません。どこにでもいる普通の若者なのです。


■ ベースがあるのでぶっ飛べる

若者だったころの気持ちを忘れてしまった人には、当然ながらシンクロしません。

なんでチェーンソー男が空から降ってくんねん。なんでチェーンソー男と絵理は超人的な身体能力発揮して戦ってんねん。わけわからん。そう思ってはシンクロできません。

でも、若者や若者だった頃を思い出せる人は、チェーンソー男との死闘が何を表しているのかすぐにわかります。

若者の心の葛藤や心の叫びをチェーンソー男との戦いを通して描き出す発想は、あっぱれなぶっ飛び具合でGOODです。

題名に「ネガティブ」とありますね。人間の頭の中って若者にかぎらずたいていネガティブ思考になりがちです。みんなネガティブ。だからといってネガティブな内容をそのまま作品化してもますます暗く内(INにIN)に入っていきがち。

そういう作品が持てはやされた時代もありました。私小説が人気だったときみたいに。いえむしろ現代のほうが私小説は人気かもしれません。

若者の心境を綴ったとされるケータイ小説が次々にヒットする時代ですから。

「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」の原作は小説です。現代の私小説でもありますが、心境を表現するためにチェーンソー男を登場させるところに妙味があります。

チェーンソー男といえばジェイソン。毎夜現るというと、夢に出てくるフレディが思い起こされます。また、雪が降ると時間と空間が止まった異次元世界になるかのようなところは漫画「ウィングマン」(桂正和)で登場人物がディメンジョンパワーで異次元空間を作るところを彷彿とさせます。

いろいろな作品からヒント得て、戦いをどんなビジュアルで表現するか考えた。その結果、かなりぶっ飛んだ設定にしています。

これは若者の心の葛藤を、陽介の男性担任教師の視点を挟んで、ありがちな日常の風景と対比させるためにぶっ飛んでみせているのですね。

どこにでもある日常がしっかりとベースにある。だからチェーンソー男が空から降ってくるビジュアルでも、シンクロできる人にはかえってピンとくる、という仕掛けなのです。


■ 耳を澄ませば

若者の心の叫び。魂の叫び。

昔はバンドしたり、ツッパリしたり、大学に集まって機動隊とおしくらまんじゅうしたりと、たいへんわかりやすかった。

でも現代は特に若者の声を聞きとりづらいと感じる人たちが増えてきたのは間違いなさそうです。

……耳を澄ましてみてください。

ちょっと耳を傾けてみるだけで、若者や若者だった頃の心を持っている人の心の叫びは聞こえてくるはずです。

空からチェーンソー男が降ってきて女子高校生と戦う? 意味不明だな……と処理してしまっては時代の声は聞きとれません。

最近のワカモノはのらりくらりと覇気がなく何を考えているのかさっぱりわからんと感じるのもいたしかたないかもしれません。

現代は多種多様の分野に枝分かれして、昔ほどストレートでわかりやすくはありませんから。

現代の若者は、群れて暴走をしたり、みんなでおしくらまんじゅうをしたりといった「集団ごっこ」をほとんどしません。

個々で戦っているのです。それにシンクロするのはひとりやふたりぐらいかもしれません。集団といえるものまで大きくなれる時代ではないのです。

個々で戦うのは、昔の集団よりもたいへんかもしれません。集団であれば、それに容易に気づいた大人たちがそれとなく不安や葛藤を解消する助け船を出してくれます。

ところが現代は個々で戦わなければなりません。だから、ひとりひとりの心の叫びにそっと耳を傾けてください。

そうやってたとえひとりでもシンクロすればふたりになります。たとえふたりだけでも、乗り越えられる強さを最近のワカモノは持っていますから。


■ 実は真っ直ぐわかりやすい

あらゆる物語の主人公は葛藤を通して成長します。

葛藤こそがキャラクターに深みを与え、立体的にします。

まさに、葛藤と戦う主人公たち。

「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」はシンクロできない人に与えてしまいかねない「わかりにくさ」と反比例しているかのように物語の大通りをわかりやすく真っ直ぐに突き進んでいます。


■ その他

特殊映像効果もけっこうありますよ。

プールでの戦いのシーンの水の描写がみどころかな。

それと、セットアップがいいですね。

アレレ劇場間違えちゃったかな、と一瞬思っちゃいましたヨ。そんなちょっとしたハズし具合もわるくないですよ。むしろ惹きつける小技としてオモシロイ。

戦う女子高校生役の関めぐみさんは、どうしても「モー娘。」初期の頃の飯田佳織さんに見えてしまいます。関さんも飯田さんもただの美人さんではなく、得たいの知れないインパクトがあります。そうでなければ飯田佳織さんはとんねるずのタカさんに「ジェイソン」なんておいしい呼び名を付けてもらえなかったでしょう。

そうそう、飯田佳織さんは男児を出産されたそうですね。おめでとうございます☆

映画作品としてはもうひとつふたつ物語を煮詰めてグツグツさせてほしいですが、わるくないですよ。原作がいいからでしょうか「気持ち」が伝わってきます。

アクションだけを期待して観にいくと(アクションシーンもがんばってますが)ちょっと違うなぁと感じるでしょう。

これは青春物語です。

だれもが苦悩するあの頃のお話です。

青春作品は、多少無理をしてでもシンクロしなければ楽しめません。

たとえば、少年・少女の心を持って素直な気持ちで「現役」の空想に共振できればその波にノレる青春物語といえばこれです。
▼「キャッチ ア ウェーブ(CATCH A WAVE)」作品レビュー

そうそう、タイトルが長いカタカナで一度見ただけでは正確に言えないので何度も音読したくなるのがまたいいですネ。
ほら、チェーンソーの、えっとネガティブなんだけどハッピーみたいな作品あったやん。

なーんやそれ! と気になるでしょ☆


デート      ○ 若者(と若者の心を忘れない人)向き
フラっと     △ 
脚本勉強    ○ 
脚本       △ 主人公と能登との関係が描ききれてない
演出       ○ セットアップは意外性アリ
キャラクター   △ 130R板尾さんに味アリ
映像       ○ 
お涙       ○ 感受性による
笑い       △ 
ファミリー    -
アクション    △ アクション作品じゃないけどイイ線いってる
シンクロ     ○ きみはシンクロできるか
青春       ◎


▼原作 

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)
滝本 竜彦

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02/03/2008

映画「テラビシアにかける橋(Bridge to Terabithia)」

監督:ガボア・クスポ
アメリカ/2007年/95分
原作:キャサリン・パターソン『テラビシアにかける橋』

ひとりの世界がふたりの世界になったとき、想像力の世界=王国は輝きを増す。試練を経て、受け入れる心を持ったとき、世界=王国はその全貌を露にする。「パンズ・ラビリンス」と「ネバーランド」とセットで観よう。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
姉2人と妹1人に挟まれた11歳の小学生男子のジェスは家族の中で目立たない存在であり、学校ではいじめられている。

そんなジェスの楽しみは、空想の世界をスケッチすること。

ある日ジェスは隣家に引っ越してきた同級生の女の子レスリーと知り合い、家の裏の森で一緒に想像力を働かせて遊びながら、テラビシアという名の国を建国する。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ジェス・アーロンズ
男の子。小学生。

▽レスリー・バーク
女の子。小学生。転校生。ジェスの家のお隣さん。

▽エドマンズ
女性。音楽教師。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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ひとりの世界がふたりの世界になったとき、想像力の世界=王国は輝きを増す。試練を経て、受け入れる心を持ったとき、世界=王国はその全貌を露にする。「パンズ・ラビリンス」と「ネバーランド」とセットで観よう。

■ KYといわれないために

ジェスは11歳。日本でいうところの小学校高学年。おそらく小学校4、5年生ぐらいでしょう。

オママゴト遊びを真剣にするには歳が大きい。かといって冷めた目で現実だけをみつめるには歳が小さい。同室の小学校低学年の妹が寝たあとに懐中電灯の光をたよりにベッドの中でそっと空想の世界をスケッチするジェスは、少年から青年へのちょうど過渡期にいるといっていいでしょう。

そんなジェスが属するアーロンズ家はかなり困窮しています。ギリギリの生活を強いられています。

ジェスの父親は工具店の店員で、休日も出勤することにして収入を増やそうとがんばっています。家族が食べていくためにビニールハウスを作って野菜も栽培しています。

ジェスの妻は家計簿とにらめっこの毎日。靴がボロボロのジェスに、姉のお下がりの運動靴を履くように言うと、ジェスはピンクの運動靴なんて履けないと答えます。

父親は妻に、ジェスにあたらしい運動靴を買ってやるように言いますが、妻は夫にだけきこえるように小声で「そんな余裕ないわ」と伝えるのでした。父親はジェスにしばらくその運動靴で我慢するように言うしかありませんでした。

子どもの運動靴を買うのも難しい、ほんとうにギリギリの生活をしているアーロンズ家。姉たちはそんな厳しい家計を知ってか知らずか、テレビ番組のチャンネル争いに夢中になっている。

ジェスはもの静かにテレビ画面をみつけていますが、ダイニングキッチンで家計簿を前に小声でお金のことで相談している両親のほうへ、ときおりチラッと目線をやります。

控えめでおとなしいジェスは、周囲の状況をよく観察し、家計のやりくりに悩む両親の様子を感じ取っているのです。母親と父親が家計が厳しく辛い現状にありながらも家族のことを大事におもっていることを理解しています。

想像や空想というと、浮世離れした現実逃避と受け止められがちですが、かならずしもそうではありません。

周囲をよく観察し、感受性豊かに状況を把握・理解する。それには想像力が必要です。

最近は空気を読めない人のことを「KY」というらしいですね。

空気が読める人になるためには想像力を働かせなければなりません。

物事の一面だけを見るのではなく、他の面からも見ることができなければなりません。

視点というのは自分が思っている数だけではありません。自分が思う枠組みの外にも視点はあります。自分では気づかない枠組の存在を認識し、ときにはその枠組をはずしてみる。それが想像力を働かせるということなのです。

ジェスはふつうの子供ではとうてい取り外すことができない枠組を、想像力を使って取り払うことができました。

そしてある日、ジェスは自分と同じように想像力を持った少女レスリーに出会います。


■ 想像力で「世界」をつくる

ジェスが想像力を内に秘めた内蔵型に対し、レスリーは想像力を外へ放つ開放型です。

個性的なファッションで女の子たちに変わり者だという目でみられ、運動神経の良さと運動能力の高さによってかけっこで男の子たちを負かしたことで、男子たちには生意気な女だという目でみられます。

でもレスリーはそんなことは気にしません。レスリーもまた周囲の状況をよく観察して想像力を働かせることができます。そのため、転校してきて間もないにもかかわらずレスリーは、ジェスが音楽教師のエドマンズに好意を寄せていることをスグに感じ取ります。

両親の様子をしっかり見ているジェス。同じようにクラスメイトの様子をしっかり見ているレスリー。

想像力豊かな者同士というのはお互いにピンとくるんですね。

特にレスリーがスクーバダイバーをテーマとした作文を教室で発表したとき、ジェスには見えました。海の中でダイバーが吐く息がいくつもの空気の泡となって浮上していく様子がみえたのです。

想像力をかきたてる作文の朗読によって、ダイバーを取り巻く海中の様子がみえてくる。想像力を持って受け取ったジェスには、ダイバーの息の空気の泡が見えたのです。

想像力によってシンクロしたふたりが、今度は森の中に想像上の王国テラビシアを建国します。


■ ひとりの世界からふたりの世界へ

空想なんて何の役にも立たないという人がいるかもしれません。

でも、空想がなくては飛行機は存在していなかったかもしれません。

なぜって、人間は空を飛べませんから。羽が生えてもいない人間が空を飛ぶなど、そんなどうしようもないことを空想などせずにすこしは稼いでみろ。

これに近い意味のことをジェスは父親に言われます。もちろん父親は心から息子を愛しています。小学生のジェスが家族を助けるお金をすぐに稼げるわけはありません。そんなことは父親だってわかっています。でも労働収入が十分ではないために家族を養っていなかなくてはならない重圧に押しつぶされそうな日々を送らざるを得ない。そんなときにちょっとした拍子に思わず息子に八つ当たりしてしまったのです。

空想・想像は、家計の足しにお金を稼ぐことはできず、学校ではいじめられていて、どうにもならないと感じる小学生のジェスが日々を生き抜く唯一の手段だったのです。

どんなに辛くたいへんな毎日でも、空想をスケッチすることで乗り切ってきたジェス。自分だけの空想・想像の世界が、他人のレスリーと共有できると知ったジェスの喜びはいかほどだったでしょう。

だからジェスは学校から帰るとレスリーと共に毎日のように家の裏の森に行きます。


■ 境界線を越える信仰

テラビシアに入るには、小川を渡らなければなりません。

川は異世界への境界を象徴するものとしてよく登場します。

仏教では死後の世界への途中に登場する三途の川。
此岸と彼岸。この世とあの世。三途の川を渡る船にのるには六文が必要とされています。

キリスト教の聖書ではエジプトを出たイスラエルの民が渡った紅海。
イスラエルの民が奴隷として苦しめられていたエジプトの地と、乳と蜜の流れる約束のカナンの地。カナンへ向かうイスラエルの民の後方からはエジプトの軍隊が迫り、前方には紅海が行く手を阻みます。窮地に陥ったイスラエルの民が紅海を渡るには神を信じる心、すなわち信仰と祈りが必要でした。

さて「テレビシアにかける橋」の原作者はアメリカの児童文学作家キャサリン・パターソン。

原作者がどのような宗教的バックグランドをもっているかはわかりませんが、仏教かキリスト教かといったら、おそらくキリスト教系でしょう。

レスリーは川という境界上にある1本のロープを手にとります。古いロープだから危ないよ、というジェスの声にもかかわらず、ロープで川の上を行ったり来たりしてみせます。

ほら、見上げながらやると空を飛んでいるみたいだよ。

そんなふうなことをレスリーに言われたジェスは、ロープを持って川の上を行ったり来たりしてみます。

いままでの見慣れた空の風景が一変して見えたジェス。日本の歌でいうなら「上を向いて歩こう」といったところですが、ここでは「上を向いてブランコに乗ろう」といったかんじかな。

そして、レスリーがロープを使って対岸の茂みにダイブします。

茂みの中がどうなっているのかわからないのに、レスリーがダイブした先を追って、ジェスもダイブします。

こうして今まで足を踏み入れなかった小川の向こうの新世界に一歩を踏み出します。

古いロープを使って、川に落ちることを恐れずに対岸に飛び込むレスリー。それを追うジェス。どちらも信じる心がなければ新世界に足を踏み入れることはできません。信じる心=信仰をもって一歩踏み出すときに活路が開けることは、モーセに率いられたイスラエルの民が紅海を渡るエピソードをなぞらえるまでもないですね。


■ 楽園に試練がおとずれる

信じる心=信仰によって新世界に足を踏み出した二人は、想像力を働かせて自分たちの楽園をつくります。名をテラビシアとします。

厳しい現実を生き抜くには、想像力を働かせる必要があります。

想像力を働かせることができなければ、他人が作ったものにすがるしかありません。他人が提供するモデルにすがる人はそれが機能しなくなると、どうすることもできないと感じてしまいます。たとえ一時期はよくても、借り物ではイザというときに脆く、補強もできません。

もしも、テラビシア国が借り物だったら、その後訪れる試練にジェスは打ちのめされて二度と立ち上がることはできないでしょう。

試練の内容についてはネタバレになりますので伏せておきますが、信じる心=信仰と想像力によって築き上げた楽園にも試練が訪れます。

何が起こるかわからないのが人生だ。だから楽しい。生きがいがある、という人もいます。

けれど、人生にはどうしてか理由がわからない事が起きることがあります。とてもじゃないけれど乗り切れそうにない事が起きることがあります。たとえどうすることもできなかったことでも、自分のせいだとしか思えずに罪の意識に苦しむことがあります。

試練に直面した直後のジェスは現実を受け入れようとしません。いえ、受け入れられないのです。あまりにもショックが大きいためです。

けれど、想像の世界を他人と共有してテラビシア国を建国したジェスは、他人を疎外することでなく、他人を受け入れることで共に想像力をはたらかせて生きていくすばらしさを思い出します。

試練に打ちひしがれたジェスが作品のラストにどうしたか。それは観てのおたのしみに。

聖書には試練について次にような句があります。

「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」 (コリント人への第一の手紙10章13節)


■ その他

これまたいい作品です☆

いじめっ子の変化。父親と息子の和解。兄妹の和解。友情。才能の開花へのきっかけ。ほかにもたくさんの要素をよくぞこれだけ作品に込められたものだとため息が出ます。

さて、想像力が生き延びる力というのは、以下の作品と共通するメッセージです。

ぜひセットで「テラビシアにかける橋」を鑑賞することをおすすめします。

▼「パンズ・ラビリンス(PAN'S LABYRINTH)」作品レビュー

▼「ネバーランド(FINDING NEVERLAND)」作品レビュー

▽25席の妖精―「ネバーランド」―

▼「硫黄島からの手紙(Letters From Iwo Jima)」作品レビュー

ジェシーとレスリーが共にテラビシア王国を築く過程は、出会ったふたりが共に人生という国をつくっていく様子をイメージさせますね。それは人生のパートナーをみつけて結婚生活という名の王国を築き、そこに知人や友人を招き入れる。そんな人生でだれもが夢見るであろう身近な願望を扱っているから感動しやすいのですね。

タイトルは「テラビシアにかける橋」です。「テラビシアにかかる橋」ではありません。

橋をかけるかどうかはアナタ次第であり、大事なのはテレビシアに橋をかけることだというメッセージがタイトルに表れています。

レスリー役のアナ・ソフィア・ロブはどこかで観たことがあるなぁと思ったらキリスト教の知識が必須ともいえる「リーピング」でイナゴ少女(インパクト大の呼び名だ!)を演じていた少女ですね。「チャーリーとチョコレート工場」でわがままな娘役をしていたといったほうがわかりやすいかな。

▼「リーピング(THE REAPING)」作品レビュー↑「出エジプト記十の災い」「過ぎ越しの祭り」の知識がほしい「信仰の物語」。

ちなみに「テラビシア」は『ナルニア国物語』シリーズに登場する島の名からとったらしいですよ。

すでにおなじみの「ナルニア国レポート」。もう読みましたか?

ふつうに「ナルニア国物語」を観ただけでは気づかない、キリスト教の背景をがわかりやすく解説しています。

「アイ・アム・レジェンド」もそうですが、キリスト教文化をちょっとでも知って作品を観るのと、何の知識もなしに観るのとでは、作品の奥行きを楽しむことにおいて大きな差が出ます。

欧米系の作品にはたいていキリスト教文化の要素が入っていますが、それが色濃く出ている作品を観るときには、やはり基礎的なキリスト教の知識がなければ意味不明な部分というのはどうしてもできてしまいます。

もし、表面だけでなく作品の奥深いところまで作品を楽しみたいなら、知識を求めることに遠慮してはもったいないですよ。

暗闇の森をともに歩くだけのシーンで涙が溢れるワケとは?

ライオンはだれをあらわしている?

キリスト教における女性とは?

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笑い       -
ファミリー    ◎ ぜひご家族一緒に観てネ。
アクション    -

4037261405テラビシアにかける橋
キャサリン・パターソン 岡本 浜江 Katherine Paterson
偕成社 1981-01

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