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01/31/2008

幕末志士 美男子コンテスト開催!?


乙女淑女の皆様。おまたせいたしました。

幕末志士の美男子コンテストを開催します!


●エントリーナンバー1番。沖田総司クン。

幕末志士の中で美男子といってまず名が挙がるのは新撰組一番隊隊長の沖田総司クンです。

長身で美男子。それでいて子供っぽいところがあった彼は、年下男子好きにはたまりませんネ。

でもでも、ある説では沖田総司くんは今でいうような美男子ではなかったとも。背が高めの愛嬌ある少年っぽい雰囲気のお兄ちゃんだったのではないか、というのがその説。

アラ残念。でもそういう子も嫌いじゃないわよ~(お姉ェキャラ?)


●エントリーナンバー2番。土方歳三クン。

ドカタっていうぐらいだからマッチョ系で体を動かすことが大好きな運動系さわやか男子に違いないワ。

いいえ。土方と書いてヒジカタと読みます。たしかに多摩で石田散薬の行商をやっていたときはおなごにモテモテでたいへんだったみたい。

でも新撰組ではNO.2の副長として近藤サンを盛り立てる女房役、いまでいう官房長官みたいな位置にいた人なの。

でも実は、新撰組の実権を握って実務をこなしていたのは土方歳三クンだと言われてるのよ。

情報を集めて戦略を練り、厳しい局中法度を定めて新撰組を大きくしていったのは土方クンあってこそ、というのが有力説ね。

土方クンは鳥羽・伏見の戦いの前から、近代軍備の必要性を痛感していたらしいの。

新撰組といえば人斬り集団と言われて、なにかっていうとすぐに刀を振りかざしていたイメージだけど、土方さんはこれからは刀じゃダメだと考えていたってわけ。

鳥羽・伏見の戦いの後、江戸へ。旧幕府脱走軍と合流して会津など東北で歴戦。

榎本武揚っていう旧幕軍の海軍の親玉と一緒に蝦夷地へ。蝦夷地って北海道ね。そうよ大泉洋の地元! その函館五稜郭での戦いで戦死……。

五稜郭の頃にはフランス式軍装に身を包んでいて、いわゆる私たちがイメージする新撰組隊士の服装とはかけ離れた格好だったの。

とはいえ京都時代だって新撰組幹部は私服が多かったっていうけどね。

そんなトシ(馴れ馴れしい呼び方)は甘いマスクなんだけと男気が醸し出ているような、なかなかの男前よ。

函館にて撮られたといわれる写真がコチラ


●エントリーナンバー3番。桂小五郎(木戸孝允)クン

桂クンなの? それとも木戸クンなの? どっちがエントリーされたのよ?

どっちもよ。そもそも二人は同一人物。桂小五郎クンが改名して木戸孝允クンになったの。

京都で新撰組や見回り組から身を隠して活動してたときには、橋の下で寝起きして、まさかそんな男が長州の桂小五郎とは思われないように変装したり、ときには女装もしていたりしたらしいのよ。

女装してバレないって、よっぽど肌が綺麗か、繊細そうな顔をしてなきゃ無理よね。

そういうことから考えても桂小五郎クンはいい素材を持っていたのねきっと。

でも、犬猿の仲だった薩摩への恨みつらみを語りだすと延々と止まらなかったというから、意外とネチネチ系の優柔不断男だったのかも。

そうはいってもけっこう男前だと思わない?


幕末志士美男子コンテストのグランプリを選ぶのはあなた。

といいたいところだけど、グランプリはもう決まってるの。

グランプリは……馬庭実行クン。

それってエントリーされていない人じゃないの!

だって、新撰組隊士の馬庭実行クンってカワユス系美男子なんだもん。

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さて、馬庭実行とは誰なのか? そんな新撰組隊士はいたかな? 

それもそのはず、小池一夫原作漫画「赤い鳩 アピル」に登場するキャラクターだからだ。

この漫画。たいへん興味深い。

新撰組隊士の馬庭実行は外国人宣教師ヘボン(ヘボン式ローマ字で有名)に出会う。そして日本と古代ユダヤを結ぶ接点をめぐる旅に出ることになる。

失われたユダヤの部族が海を渡り日本にやってきていたのではないかという説がある。

ヘブライ語と日本語には同じ発音で同じ意味の単語がいくつもあるという。

幕末とユダヤ。

なんとも知的好奇心をそそられるではないか!☆

もしも「LOOSER」がお気に召してもらえたなら。

もしも幕末の歴史に興味があるなら。

もしもユダヤと日本の関係に興味があるなら。

「赤い鳩 アピル」はきっとその期待を裏切らないだろう。

4883156370赤い鳩(アピル) (1)
小池 一夫 池上 遼一
スタジオ・シップ 1995-02

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01/23/2008

演劇「LOOSER~失い続けてしまうアルバム~」

脚本・演出:森崎博之 
出演:TEAM-NACS(森崎博之、安田顕、大泉洋、佐藤重幸、音尾琢真)

新撰組なんて知らなくても幕末青春群像劇にどっぷりハマれる傑作。幕末ヲタも喜ぶ新解釈も織り込まれ、両者を楽しませるバランス感覚があっぱれ☆想像力を形にするとはこのこと。大泉洋の演劇人姿をこれにみよ!


ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
むか~しむか~し、京都でおっかけっこがありました。

おっかけるほうが新撰組で、おっかけられるほうが長州藩士。

現代の若者がタイムスリップして京都のおっかけっこに参加します。

はじめは新撰組の隊士として(組員じゃないよ)。

次に長州藩士として。

おっかけっこはやがて最大のヤマ場、池田屋襲撃事件へ。

さてさて、どうなる?


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△佐藤重幸。
現代人。30歳男。
タイムスリップ先の京都ではサンナンさん、またはヨシダくんと呼ばれる。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
新撰組なんて知らなくても幕末青春群像劇にどっぷりハマれる傑作。幕末ヲタも喜ぶ新解釈も織り込まれ、両者を楽しませるバランス感覚があっぱれ☆想像力を形にするとはこのこと。大泉洋の演劇人姿をこれにみよ!

■ TEAM-NACSとは

TEAM-NACSとは5人組の演劇ユニットのこと。北海学園大学演劇研究会出身の5人、森崎博之、安田顕、大泉洋、佐藤重幸、音尾琢真から成る。

全国に広く名前が知られている大泉洋が所属する演劇ユニットしてTEAM-NACSという名前はどこかで耳にしたことがある人も多いだろう。

地元北海道で公演をしてきた彼らの初の東京公演。そこで大好評だったのが「LOOSER~失い続けてしまうアルバム~」だ。

え? そもそも大泉洋を知らない?

北海道テレビの深夜番組「水曜どうでしょう」の人。映画「ゲゲゲの鬼太郎」でねずみ男役の人。ドラマ「暴れん坊ママ」で上戸彩の夫役の人。アニメ「千と千尋の神隠し」の番台の蛙役等々。メディアを問わず超売れっ子俳優だ。

そんな大泉洋の原点ともいえる演劇ユニットの代表作ともいわれる「LOOSER~失い続けてしまうアルバム~」(以下「LOOSER」)とはどんな話なのか。


■ 幕末青春群像劇

「LOOSER」は幕末青春群像劇だ。

群像劇といっても出演者数は5人。新撰組の面々と長州藩士を中心とする面々が登場する。5人で間に合うのか? 間に合うはずがないのだが、そこはうまくやっている。

着物の上着をサッと裏返して色を変えることにより新撰組隊士と長州藩士を素早く演じわけている。演劇はテンポが命だから衣装替に何度も時間をかけるわけにはいかない。演劇ならではの工夫だ。

群像劇を5人で。しかもひとりはタイムトラベラーの現代人だ。

現代で平凡な日々を憂いながら過ごす、どこにでもいるような30男の佐藤重幸が幕末動乱の京都にタイムスリップ。そこで佐藤はなぜか新撰組の面々に「サンナンさん」と呼ばれる。


■ サンナンさんってだれ?

「サンナンさん」とは山南敬助のこと。陸奥国仙台藩出身で新撰組総長・副長。新撰組局長の近藤勇とは、多摩の天然理心流剣術道場試衛館時代からの仲。つまり、新撰組の中核にいる大幹部である。

そんな山南敬助は、とても謎の多い人物だ。

世にいう新撰組とは、近藤勇をトップとする多摩試衛館派が実権を握ったときからを指すことが多い。近藤派が実権を握ることになった契機の事件が「芹沢の暗殺」である。

要は近藤派が、悪評高く邪魔者となっていた芹沢を暗殺して芹沢派を壊滅させ、新撰組の実権を得た事件で、そこから新撰組が名を上げる活躍をしていくことになるのだが、なぜか芹沢暗殺以後の山南敬助の記録はほとんどないという。

新撰組で一番有名な出来事の「池田屋襲撃事件」にも山南敬助の名はない。

次にその名が登場するのは、新撰組脱走。そして切腹においてである。

山南敬助は。小野派一刀流の免許皆伝。後に北辰一刀流・千葉周作の門人になる。剣の腕がたち、学識もあり、周囲の人たちから慕われ、とても人柄がよく、隊士たちにも信頼されていたという。

隊内では年下の一番隊隊長・沖田総司をかわいがっていた。沖田も山南を慕い、ふたりはたいへん仲がよかったという。

壬生狼と陰口を言われた新撰組を人斬り集団だと嫌う人の中にも山南敬助の悪口を言う人はあまりいない。そもそも剣を振るった記録はあるにはあるが、総長や副長でありながらその活動記録が少なく、謎多き人物だ。

サンナンさんと呼ばれた佐藤は新撰組の山南敬助として近藤や土方や沖田たちと出会い、新撰組の考えや思いに触れる。

こうして現代に戻ってきた佐藤は、ふたたび幕末の京都にタイムスリップする。

すると今度は「ヨシダくん」と呼ばれる。


■ ヨシダくんってだれ?

ヨシダくんとは吉田稔麿(よしだ としまろ)のこと。長州藩の活動家。吉田松陰の松下村塾に入門。松陰門下の三秀のひとりとされる(他に久坂玄瑞、高杉晋作)。のち高杉晋作の創設した奇兵隊に参加。

いわば長州藩の活動家の中核人物である。

吉田稔麿は新撰組の池田屋襲撃で討ち死にするのだが、そのときのいきさつについては諸説がある。

長州藩邸にいた吉田稔麿は池田屋襲撃の知らせをうけて駆けつけたとするもの。

池田屋にいた吉田稔麿たちが襲撃を受け、事態を長州藩邸に知らせに走ったが、幕府と表立って問題を起こせないと判断した長州藩邸は門を閉ざし、吉田稔麿は門前で自刃したとするもの。

池田屋にいた吉田稔麿がいったん席を外してふたたび戻ってくると新撰組に襲撃されていて、自らも奮闘して討ち死にしたとするもの。

このように池田屋事件のときの吉田稔麿の行動には諸説があって謎が多い。


■ 名も無き男

幕末の新撰組と聞いてすぐに思い浮かぶのは近藤勇や土方歳三であって、サンナンさんこと山南敬助ではない。

山南敬助は池田屋襲撃事件でも名前すら登場しない。のちに新撰組を脱走。切腹して亡くなる。

新撰組の大幹部であったにもかかわらず、ほとんどの人は山南敬助のことを知らない。

幕末の長州藩の吉田と聞いてすぐに思い浮かぶのは吉田松陰。ヨシダくんこと吉田稔麿ではない。

吉田稔麿は新撰組の池田屋襲撃で討ち死にする。もしも生き残っていたら、明治新政府で要職についていたことは間違いないにもかかわらず、ほとんどの人は吉田稔麿のことを知らない。

幕末という時代を熱く生きたそんな男たちも、今では名も無き男――。


■ 学校の教科書には載っていない

サンナンさん(山南敬助)にしろヨシダくん(吉田稔麿)にしろ、その行動に謎が多い。そしてどちらも歴史に名を残していない。

もちろん幕末史には名を残しているが、一般的には無名といっていいだろう。

新撰組隊士といえば近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八。

長州藩士といえば桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、伊藤俊輔(博文)、山縣狂介(有朋)。

サンナンさんやヨシダくんの名は学校の教科書には登場しない。

名も無き(に等しい)男の生き様。それは現代で平凡な日々を憂いながら過ごす、どこにでもいるような30男の佐藤重幸の目にどのように映ったか。

現代では名も無き男であっても、幕末という時代をあれほど熱く己の信念を貫いて生き抜いた男たちに出会った佐藤重幸。

彼がタイムスリップした幕末で、あの池田屋でどんな行動をとったのか。それによって幕府転覆・新政府樹立への道の大きな一歩を踏み出したあの幕末史最大の出来事にどのように関係したのか。

そしてもうひとつ。今度は学校の教科書に必ず登場する幕末最大の功労者にして最も有名な人物、坂本龍馬とは何だったのか? を考えてみよう。


■ 坂本龍馬とは何だったのか?

坂本龍馬とは、一般的には土佐藩出身の幕末の政治家、実業家といわれている。

子供の頃は泣き虫で甘えん坊。北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟の千葉定吉道場に入門。北辰一刀流免許皆伝。

土佐勤王党に加盟。のち脱藩。千葉道場に身を寄せ、幕府政事総裁職の松平春嶽の紹介で幕臣勝海舟の弟子になる。

勝の神戸海軍操練所の塾頭になるも、禁門の変により海軍塾は弾圧を受け、龍馬は大阪の薩摩藩邸に身を寄せる。

のち長崎で亀山社中(のちの海援隊)を組織。物産や武器の貿易を行い、薩長同盟締結に大きな役割を果たす。

船中八策を策定して大政奉還実現を促す。のち、京都の近江屋で襲撃され、亡くなる。


■ 名が有りすぎる男

幕末といえばこの人! というほど有名な坂本龍馬。

幕末の大きな出来事や事件の裏には坂本龍馬の名がたびたび登場する。

土佐藩の商家の家に生まれ、金で買った郷士の身分では藩政に参加できるわけもなく(当時の土佐藩は侍の身分であっても激しい差別があった)脱藩して江戸の道場に身を寄せていた。そんな浪人が幕府政事総裁職の松平春嶽の紹介で幕臣勝海舟の弟子になる。

そんなアホな! どこの馬の骨ともわから奴にうちの娘をやれるか! ではないが、どこの脱藩浪士ともわからんようなたいして財力もない若造が神戸海軍操練所の塾頭になったり、薩摩藩の西郷隆盛の計らいで船を持てるようになり、日本初の株式会社亀山社中を作って武器を長州へ運んだりできるものか! と思う人がいたって不思議はない。

さらに犬猿の仲の薩摩と長州が手を結ぶきっかけを作ったり、幕府に大政奉還させる原案の船中八策をつくったりと、ちょいと活躍しすぎではあるまいか、ぐらいは思う人がいたって不思議ではない。

なにせ当時の幕府が考える浪人対策は、暇そうで放っておいたら面倒起こしそうな浪人を集めて将軍警護の名目でなんかやらせたらエエやん。ぐらいなものである(将軍警護の名目で集められた浪士隊の一部がのちの新撰組になった)。浪人なんて厄介者は都合のいいように使い捨てたらエエがな(なんで江戸幕府が関西弁?笑)ぐらいなものであり、ひとりの浪人にすぎない坂本龍馬がそんな活躍をするなんてどうにも都合が良さ過ぎやしませんか、と勘ぐる人がいてむしろ普通だ。

そう考えると、こんな疑問が浮かぶ。

――ほんとうに坂本龍馬という男は存在したのか?

そこにおもしろい作品をつくるヒントを拾った男がいる。

考えてもみよ。明治新政府の樹立後に幕末動乱期の裏事情を詮索されたくない人々が、さまざまな出来事や事件はある男が成し遂げたことにしてしまえば都合が良かった、と考えられないだろうか。

その男の名として「坂本龍馬」がひとり歩きしたのではないか。

そもそも日本初の株式会社設立者といえば聞こえはいいが、幕末期において亀山社中が担った大きな業績は情報の伝達速度を加速させたことと、武器の密輸である。戦いに情報は欠かせないし、武器も必要だ。表向きは政治家や実業家となっているが、武器ブローカーの親玉や闇の武器商人というのも坂本龍馬の肩書きである。

薩摩がイギリスといった欧米列強国から買った武器を、亀山社中という別組織(会社)を通して、いわば闇・裏ルートで長州に届ける。藩は自分の手を汚したくないので裏の道を使った。その裏のヨゴレ仕事をしたのが亀山社中だったわけである。

薩摩・長州をはじめとする新政府関係者にとっては都合のいい人物。それが坂本龍馬だ。なぜなら上記の理由で用済みになったかのように、明治改元の1868年の一年前、大政奉還・王政復古があった1867年に坂本龍馬は京都の近江屋で何者かに襲撃されて亡くなったことになっているからだ。いまだに誰が襲撃したのかはっきりわかっていない。

坂本龍馬はそれ以前もなんどか襲われているが、北辰一刀流の免許皆伝の腕を持ちながら、剣を抜いて人を斬ったことがないとされる。寺田屋で襲撃された際は主に銃で反撃して左手の親指を負傷したとされる。屋内では太刀は不利というのはわかるが、ほぼだれも坂本龍馬と真剣を交えたことがないというのも不思議だ。

そもそも坂本龍馬は同郷土佐の刺客・岡田以蔵や、薩摩の人斬り半次郎ともいわれた桐野利秋に護衛されたことがあるとされる。北辰一刀流の免許皆伝者が剣も抜かず、腕の立つ護衛を連れているときもあったというのだから、いくら京都で新撰組や見回り組に目をつけられていたとはいえ、なんとも謎が多い人物である。

さらに当時は写真は普及しておらず、写真や動画が普及した現代よりも人物を特定するのは困難だったことからも、新撰組隊士たちが坂本龍馬だと思っていた人物と、長州藩士たちが坂本龍馬だと思っていた人物がはたして同一人物だったのかは定かではない、と思わせもする。

そのあたりにおもしろい作品をつくるヒントを拾った男がいる。(スゴい着眼点だ!)


■ 名も無き男と名が有りすぎる男

どの時代もヒーローを必要とする。

映画「父親たちの星条旗」では、たまたま星条旗を2度目に立てた際に写真に写っていた者だけでなく、本当は写っていない者まで英雄にされた男たちの苦悩の日々を描いた作品だ。

時代はヒーローを必要とするといえば聞こえはいいが、要は時の支配者層・権力者が民衆を鼓舞するために象徴となる英雄を作りあげる必要があったということだ。それは今もたいして変わらない。

だから「坂本龍馬とは何だったのか」と書いたのだ。坂本龍馬とはどんな人物だったのか、ではない。

坂本龍馬に関するこれまで書いてきたこと、そういったことすべては「LOOSER」が教えてくれた。このレビューは「LOOSER」による坂本龍馬研究、幕末歴史新解釈の一部を文字のカタチで紹介したに過ぎない。

しかも、このレビューみたいにダラダラと新撰組がどうの長州藩がどうのとせずに、笑いと涙で楽しませつつやってのけてしまう。それが「LOOSER」だ。

そんな「LOOSER」の脚本を書いた男。名も無き男たちと、名が有りすぎる男のそれぞれに、おもしろい作品をつくるヒントを得た男。――それが森崎博之氏だ。


■ TEAM-NACSのチカラ

名も無き男、山南敬助と吉田稔麿。

名が有りすぎる男、坂本龍馬。

彼らを通して、時代を行き来して、人生という動乱を必死に駆け抜けた男たちを描いた「LOOSER」。

私がここまでダラダラと書きつらねてきたことを、もっとわかりやすく、もっと楽しく、涙と笑いと感動の演劇というカタチにしたTEAM-NACS。

その秘めたる(秘めてない?)チカラは計り知れない。


■ その他

幕末の話はとても興味深いんだけど、イザ鎌倉! じゃなくてイザ幕末モノってなると、尊皇攘夷派が長州が薩摩が公武合体がどうのこうのってワケワカんなくなりがち。

幕末の歴史が好きな人ほど、イザ幕末作品をつくるとなるとマニアにしかウケないモノを作ってしまいがち。

その点で「LOOSER」の脚本・演出を担当した森崎博之さんは、新撰組のファンだったわけでも歴史ヲタクだったわけでもなく、演劇の題材として魅力的なものとして、歴史を題材にするにあたって新撰組の本を読みまくったといいます。

はじめに手に取ったのが司馬遼太郎氏の歴史小説「燃えよ剣」。新撰組副長土方歳三が主人公の物語です。

幕末って難しそうなワケわからない用語がたくさん出てきて読みにくいんだろうなぁとページをめくると、多摩で薬屋をしていた土方歳三がどんだけ女たらしだったかみたいな話がつづくので、おもしろがって読み進めることができたそうです。

幕末の難しそうな話をどうやったら広くみんなに楽しみながら知ってもらえるか。

さらに、一般的に知られている物語の謎の部分に想像力を働かせ、新たな歴史解釈を織り込むことで幕末歴史ファンの知的好奇心をも刺激する。

私はずぅっと、幕末を題材とした魅力的な作品ができないものかと願っていましたが、映画ではなく演劇の世界にそれはありました!

幕末歴史好きな人ほど「LOOSER」の着眼点の良さとそれをカタチにする歴史勉強量の多さと、ヲタに走らずにだれもが楽しめる物語づくりのバランス感覚の良さに感心し、歴史新解釈のおもしろさを堪能できるでしょう。

もちろん、幕末ってなに? っていう人でもじゅうぶんに楽しめるようにできています。

両者を満足させる匙加減がうますぎる! 

ひさしぶりに、たいへんおもしろい作品を観させてもらいました☆

大泉洋さんがさらにカッコよくみえるゾ。

デート      ○ 
フラっと     ○ 
脚本勉強    ◎ 
脚本       ◎ 
演出       ○ 
キャラクター   ○ 
映像       - 
お涙       ○ 
笑い       ○ 
ファミリー    - 
アクション    -
挑戦       ◎ 
大泉洋ファン  ◎
知的好奇心   ◎
歴史ファン    ◎

B00030609CLOOSER 失い続けてしまうアルバム
TEAM-NACS 森崎博之 安田顕
アミューズソフトエンタテインメント 2004-12-24

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01/20/2008

映画「銀色のシーズン」

監督:羽住英一郎
日本/2007年/108分

ホイチョイのスゴさをあらためて認識させる作品。牧場の魚もおだてりゃ雪山滑る!? 漠然とした題名で30点取り損ねてる。赤点突破の攻略法を活用しよう。挑戦する箇所や焦点がズレてるゾ。ひとりだけ光ってる田中麗奈さんはゴーグル必須のまぶしさ。でも、もっと輝けたハズ。もったいナイ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
スキー客が減った白馬・桃山町営スキー場で、雪山の何でも屋をやっている若い男3人。

好き放題やっている彼らは地元住民たちからは雪山のバカ3人組といわている。

町営スキー場再興のための雪山ウェディングのプロジェクト第1号として、3日後の結婚式の準備で桃山町営スキー場にやってきた花嫁の綾瀬七海は全くスキーができない。

そこで七海は銀にスキーレッスンをしてもらうことにする。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△城山銀
雪山のなんでも屋。元モーグル全日本エース。

▽綾瀬七海
花嫁。三日後の雪山での結婚式のために、城山銀にスキーレッスンを頼む。

△小鳩祐次
城山銀の友人。元競技スキー選手。世界中の階段の手摺をスキーで滑ることが目標。

△神沼次郎
城山銀の友人。川をスキーで横断することが目標。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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ホイチョイのスゴさをあらためて認識させる作品。牧場の魚もおだてりゃ雪山滑る!? 漠然とした題名で30点取り損ねてる。赤点突破の攻略法を活用しよう。挑戦する箇所や焦点がズレてるゾ。ひとりだけ光ってる田中麗奈さんはゴーグル必須のまぶしさ。でも、もっと輝けたハズ。もったいナイ。

■ アノ名作に挑戦?

「銀色のシーズン」のテーマは挑戦だそうです。

自然環境の厳しい雪山で撮影したり、10トントラック7000台分の雪で撮影用モーグルコースを設営したり、ハリウッドの空中移動撮影カメラを使った「スパイダーカム」クルーが日本映画に初参加したりしたのだとか。

でも、ほんとうの挑戦はこういったことではありません。

では何に挑戦したか。日本映画のアノ名作に挑戦したのです。


■ 題名を聞いただけでヤバイっス☆

「私をスキーに連れてって」

これは1987年公開の、ホイチョイ・プロダクションズ3部作の第1作でスキーブームの火付け役となった作品です。

題名を聞いただけで、ユーミン(松任谷由実)の「サーフ天国、スキー天国」「BLIZZARD」が頭の中に流れ、車の運転前には地面をさわり「凍ってるね」といわずにいられない。写真を撮るときは「とりあえず」と言ってシャッターをきる。久しぶりにスキー場に行ってゲレンデで友人とはぐれて携帯電話がつながらないと「だめだ、あいつら山向こうだよ」といってしまう。

遠距離恋愛をする決心をして告白のために新幹線や車に乗ったら「5時間かけてフラれに行くんじゃバカだよな」とつぶやかずにはいられない。

10代20代の皆様のなかには、私がなぁにを言っているのかサッパリわからん、という人もいらっしゃるでしょう。

でも、30オーバーの方々は、うんうんと頷いているのでは?

さて、数々の名セリフを残した「私をスキーに連れてって」の題名に注目しましょう。

はい、これから今日の大事なポイントをいいます。試験に出ますからしっかり聞いてくださいね(先生キャラ?)


■ 赤点突破の攻略法

情景がイメージしやすく、リアクションしやすい題名をつける。

はい、これだけ抑えればヒット確率3割増しは間違いなし!

試験でこれだけ書ければ30点もらえます。ほか3割30点分はしっかり自分で勉強してください。そうすれば我が校の赤点ライン60点は余裕を持って超えられます。

挑戦するっていうなら、せめて赤点突破を目指さないといけませんよ。みんなやればできる子なんだから、もらえるポイントはしっかりもらっておく。コレ大事です。


■ 30点ちゃっかりしっかりゲットしなきゃ!

「私をスキーに連れてって」

は~い☆喜んで☆

スキー行くならやっぱ4WDだよね。宿はゲレンデ前のプリンスホテルを予約しなきゃ。あと、防水カメラに無線機も用意してと。出発前はユーミンのカセットテープを車のカセットデッキにかけていざ出発!

ちなみに無線とは、ここではアマチュア無線のこと。免許が必要でほかに開局手続きも必要。電磁層に反射して電波を飛ばすため、地球の裏側とも交信できる。「私をスキーに連れてって」に登場したのはパーソナル無線だったのか、そのあたりはよくわかりません。

さらにちなみにカセットテープとは、MD、CDより以前に流行していたオーディオ用磁気記録テープ媒体の規格のの俗称のこと。

スキーに行くなら4WDで、泊まるならプリンスホテルっていうのは映画「わたしをスキーに連れてって」公開とヒットによってできた流行を通り越して、ひとつのお約束となりました。

映画の題名を聞いた(見た)だけで、情景がイメージしやすく、好きな女の子にそんなこと言われたら喜んで連れていってあげちゃうよ、とリアクションをとりやすい。

題名だけで3割30点をチャッカリシッカリ取っちゃってるのが、よぉ~くわかりますネ。


■ ある男女の会話

銀色のシーズンって知ってる?

未来人とか宇宙人とかの衣装やろ? 

それいうなら銀色の「ジーンズ」でしょ!

そうそう、ブルーでもブラックでもない、シルバーのGパンやろ?

Gパンって……。せめてジーンズっていってよ。できればデニムっていってほしいわ。

銀色のGパンを履くと超人になる変身ヒーロー作品なんやな。

違うよぉ。銀色のシーズン。つまり、一面雪景色のウィンターシーズンのこと。スキーやスノボができるシーズンのことよ。

あぁ、そなんや。で、その雪の季節がどないしたって?

えっと、ウィンターシーズンでお客が減った白馬の桃山町営スキー場がもう一度町を盛り上げようと雪山ウェディングを企画して、それでそのスキー場にはバカやってる男3人組がいてさ、そのうちふたりは元競技スキー選手なんだけど、そこに結婚3日前の花嫁がきて……。

「フラガール」みたいな地元復興の感動ドラマなんやな。

違うよぉ。あ、でもそうともいえるかな。でも、主人公たちが華麗なスキーテクニックをみせてくれるのよ。

スポーツ競技アクションなんやな。

違うよぅ。あ、でもそうともいえるかな。でも、結婚前のヒロインが登場するのよ。

結婚前の花嫁に手ぇ出したらアカンやろ。不倫予備軍養成所なんやな。

違うよぅ。あ、でも結果的にそうなるかな。でも、そこにはちょっとした仕掛けというかサプライズがあるのよ。

略奪愛のドロドロ不倫ものなんやな。

だぁかぁらぁ。違うってば! 銀くんがさ、瑛太くんがカッコいいんだってば。

あぁ~いったい何やねん。そんなことより腹減ったわ。なんか食いにいこか。


■ 漠然としている

「銀色のシーズン」という題名からはこんな男女の会話がイメージできますが、それはまさのこの作品のわかりづらさを表しています。

早い話が漠然としているんですね。地域復興感動ドラマなのか、スポ根アクションなのか、恋愛ドラマなのか。題名からイメージできるのは、冬とか雪ぐらいのもの。もしかしたら奇抜なGパンをイメージしてしまうかも。

「私をスキーに連れてって」という題名からは、冬の雪山ゲレンデが主な舞台で、そこに女の子が登場して、おそらく男性にスキーに連れてってといってるぐらいだから、ふたりの関係はいいカンジなんじゃないのぉ~、とイメージが広がります。

スキー場を舞台とした恋愛物語だというのがスグにピンときますね。

題名だけで3割30点チャッカリシッカリ稼いでいるというのは、こういう意味なのです。


■ 必要なリアル

SF作品だって、ひとつのウソをつくために他は徹底してリアルにするもの。

都合良すぎでも、それが恋愛モノなら観客も大目にみてくれます。

でもね。砲台かっ! っていう装置で巨大花火ロケットを撃って雪崩起こしたり(そもそも勝手に雪崩起こしちゃアカンやろ)、悪天候で雪山に取り残された白いロングコートを着た七海を、上空からパラグライダーで降りてきた銀がピンポイントで見つけたり……。せめて、一生懸命に七海を探すシーンをいくつか入れてほしいナ。

探しても探してもみつからない。でも、ちょっとしたキッカケで偶然に七海がみつかった! そんな些細な偶然なら観客だって大歓迎です。

それなのに、悪天候のなか雪山で白いコートを着て横たわる七海を上空からイキナリみつけて降りてくるって。手抜き通り越してこれヤバイっしょ(わるい意味で)。


■ バカさ加減がむずかしい

銀をはじめとする雪山の3人組は、スキー場のレストハウスの屋根をスキー板で滑ったり、パラグライダーで上空から大量の「なんでも屋」のビラを配ったり、道路の上空をスキーで飛んで走行中の車に急ブレーキかけさせたり、町中の手摺をスキー板で滑ったり、滑走禁止コースの看板をスキー板で蹴り飛ばして(当たっちゃっただけ?)滑ったり、スキー場で金持ちそうな人をターゲットに当り屋をしたりと、やんちゃの域を通り越してもはや悪質な犯罪行為を繰り返しています。

そんな銀たちならず者たちを、町民たち(時代劇みたいな呼び方だにゃ?)は大目にみています。その理由は町の人々と銀との両方にある「甘え」に基づくものでした。

そのあたりの話をすると長くなりますのでやめておきますが、同じバカをするにも加減というものが必要です。

「私をスキーに連れてって」では、若者たちのグループの皆はいわゆるサラリーマンです。医者もいますが、ほとんどが会社などに勤めている人たちで、冬に休みがあればすぐにスキーに行っちゃうスキーバカ(ほめ言葉)です。

ゲレンデではトレイン走行(最近みないね)したり、多少スピードを出して滑ったりしてるぐらいなもの。唯一といっていいルール破りは、春まで滑走禁止で夜もダメな志賀万座ルートにやむをえない(と思える)事情で突入したこと。
ほかに車でスキー場をカッ飛ばして走行するイケナイシーンもちょいとありますが、基本的に緊急事態(物語におけるヤマ場)でなければ、皆スキー場のルールや人間としてのルールを守って雪山で楽しんでいる若者たちでありました。

観客としても、なんかいいネ、と思えるやんちゃぶり。それを青春といいます。

しか~し「銀色のシーズン」の銀くんたちの好き勝手し放題の有様は、青春ちゃいますもん。それに、銀たちのバカやってる理由が「甘え」って……気持ちはわからないでもありませんが、チョット主人公を応援しずらいデスね。


■ 無理やり青春か

世界中の階段の手摺をスキーで滑るぞ。川をスキーで横断するぞ。

どちらも無意味っていえばそのとおり。でもそもそもスキーだってゴンドラやリフトで上へ行って滑って降りてきて、またゴンドラやリフトに乗ってまた滑って降りてきて……の繰り返し。

無意味の範疇でいえば、同じようなものです。

無意味こそ人生。無意味こそ青春。

そこで青春の象徴の、仲間とワイワイ騒ぐシーンがあります。

金儲けのために温泉を掘り当てようと雪の地面に鍬みたいのを入れたら液体が頭上高く吹き上がります。

わぁー! わぁー! やったぁ掘り当てたぁ! とシャワーを浴びるようにずぶ濡れになって喜び合う男たち。でも待って。冷てぇぞ。これって水じゃん(出た東京・横浜弁?)

――無理やり青春。……寒っ。風邪ひくぞぃ。

観客は、かぁなぁり置いてきぼりをくらいます。


■ 挑戦する箇所や焦点がズレてる!?

監督は「LIMIT OF LOVE 海猿」でヒットを飛ばし、その勢いにのって今度は山猿だぁ! と意気込んで、名作「私をスキーに連れてって」に挑戦したのでしょう。

結果は「銀色のシーズン」を見てもらえれば一目瞭然です。

ヒットして資金が増えてズレちゃたんですね。なにがズレたかというと、挑戦するためにやるべきことの焦点がズレちゃったんです。きっと。

自然環境の厳しい雪山で撮影というのは、雪山を舞台にした作品ですからそういうものです。

熱帯雨林のジャングルを舞台にした作品だったら、暑いジャングルで撮影といわれればそういうものです。

だから場所は気候は別にしても、10トントラック7000台分の雪で撮影用モーグルコースを設営したり、ハリウッドの空中移動撮影カメラを使った「スパイダーカム」クルーが日本映画に初参加したりというのは、金をかけたというのであって、挑戦ではありません。

挑戦というのは、名作「私をスキーに連れてって」を研究して物語をしっかりつくることです。フィクションの割合とリアルさの割合を検証する。観客に納得してもらえるような登場人物の内的葛藤を絵(画)で表現し、それを克服するプロットをつくる。物語展開のテンポを調整し、粋な演出を施す等々。ほかにもやることはいっぱいあります。

ピクサーは作品をつくるのに、その多くをキャラクターづくりとストーリーの検証に費やすといいます。

名作に挑戦するには、そういった物語づくりに精を出さなければなりません。お金を費やすのは、物語づくりの結果として必要だということで、それを挑戦とはいいません。

挑戦したといえるレベルにあるかないかは「銀色のシーズン」を観た観客が判断することですが、タカは作品を観て、挑戦する箇所や焦点がズレていると思いました。

ちなみに同じ監督作の「海猿 ウミザル」はなかなかよかったです。それもそのはず、原作漫画がすばらしいからですね。

そのすばらしい原作漫画があったにもかかわらず同じ監督作「LIMIT OF LOVE 海猿」をコントにしてしまったのはスゴい!(皮肉ですヨ)。

それでも「海猿ブランド」のおかげで「LIMIT OF LOVE 海猿」はかなりヒットしました。

じゃぁ今度はオリジナルストーリーでやってやろうじゃないの。やるならあの名作に挑戦しておもいっきりぶつけてやろうよ。

――で、ぶつかってどうなったかは、観てのおたのしみ。

牧場の魚もおだてりゃ雪山滑る!?


■ 最大にして唯一(といっていい)のすばらしいみどころ

田中麗奈さんを観にいく。そのためだけにあってもいいと思える作品です。

もしも綾瀬七海役が他の女優だったら。いったい何を期待して観にいけばいいのかわからなくなってしまうでしょう。
3日後に結婚式をひかえた花嫁役の田中麗奈さんの出番が多いのがいいですね。

温泉入浴シーンがある(ナヌッ!)。雪山に映える白いコート姿がある。もちろんスキーウェア姿もある。彼女がスクリーンに映っただけで画面が華やかになり、深みも出る。

そんな魅力的な女優さんだからこそ、もしも物語がもっとしっかりしていたら? もしもヒロイン田中麗奈バージョンの「私をスキーに連れてって」があったら? もしも彼女が水着にきがえたら?(笑)と考えると、もっともっと魅力的な作品にできたであろうに。田中麗奈さんをせっかくキャスティングしたのに、もったいナイ。

そもそも七海は、かなり不安定な精神状態にあった超お騒がせなキャラクターとも受け止められられかねない設定になっています。

きれいでかわいい人じゃなかったら、現実ならいくら事情が事情でもブーブー非難ゴーゴーですよ。そんな中途半場な役どころになってしまったのも、俳優の魅力を活かせない力量の表れなのでしょう。

けれど、そんなの関係ねぇとばかりに田中麗奈さんは魅力的でしたけどネ。

ちなみに田中麗奈さんの魅力を堪能できるのがコチラ。どちらもオススメです。

「夕凪の街 桜の国」作品レビュー

「暗いところで待ち合わせ」作品レビュー


■ その他

普通に観れば、そこそこ楽しめる作品です。

欲をいえば、雪山が舞台とはいえ要所で雪山をはずしてくるテクニックやセンスがほしいですね。

「私をスキーに連れてって」のセットアップはたしか会社のオフィス。隠れるようにスキー板を持って出勤する主人公が現れるところだったように思います(違ったかな?)。ほかにもスキー場ではないシーンが挟み込まれていました。

あえて雪山以外のシーンを入れれば、ゲレンデの雰囲気を際立たせて、ストーリー展開にもメリハリを出せます。空間的な奥行きも出せます。

そんな技術やセンスが「銀色のシーズン」には見当たらない。

「銀色のシーズン」の狙いや、やりたいことはなんとなく伝わってきます。

スノボじゃなくてあえてスキーっていうのも、意気込みを感じます。

でも、元競技スキー選手の小鳩祐次のエピソードも知りきれトンボだし、銀と七海の心の交流を描くシーンも停滞気味だし。

記憶に残るシーンやセリフや音楽(曲)がないんですよね。

こうしたい、ああしたいという気持ちはあるんでしょうけれど、それが空回りしている印象を受けました。

お金のかけ方はオトナレベルでも、物語のつくり方は映画研究会の習作ガクセイレベルですね。

また辛口になってるぅ。

それもしかたないか。あの名作に挑戦しようっていうんだから。ハードルは当然高くなりますヨ。

もしか、あの名作に挑戦する気はまったくなかったらチンプンカンプンなレビューになってしまいますが、スノボじゃなくてスキーをメインにした雪山青春モノとくれば、あの名作を思い出さずにはいらませんよね。

「私をスキーに連れてって」をもう一度観たくなったちゃったナ。指で作ったピストルでバーン! で優(原田知世)の気持ちを表現する演出。ニクイですねぇ。実生活でもされてみたいですなぁ。

ホイチョイ・プロダクションズがなぜ映画作品を立て続けに量産しないのか。なぜなら、良作をつくろうと思ったら、ストーリーづくりにある程度の時間がかかるからです。

ホイチョイのスゴさをあらためて認識させられました。


〈ホイチョイ関連作品〉

▼「私をスキーに連れてって」

▼「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」作品レビュー
題名だけで60点超えてるヨ!


デート      × 彼氏が田中麗奈に夢中になってしまう(>_<)
フラっと     × 物足りない
脚本勉強    ○ よい教材に。名作と比較しよう。
脚本       × 
演出       × 
キャラクター   × パンチがほしい
映像       △ 
お涙       △ 
笑い       △ 
ファミリー    × 
アクション    △
挑戦       × 挑戦箇所がズレてる
田中麗奈ファン ○ もっと活かせるハズ

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01/19/2008

映画「武士の一分」

監督:山田洋次
日本/2006年/121分
原作:藤沢周平『盲目剣谺返し』(『隠し剣秋風抄』収録)

またまた出た! 骨抜き侍見参! 真タイトルは「怨み屋本店復讐編」!? 似てそうで本質が違う「モンテ・クリスト伯」と観比べよう。名作と一般作・駄作との違いとは? めざせ100作! ガス抜き用水戸黄門系作品。っていうてる場合か(笑)テレビ時代劇でじゅうぶん。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
海坂藩の下級武士である三村新之丞は気のすすまない毒見役をしている。
そんなある日、貝の毒にあたって失明する。

道場を開く夢を絶たれ、絶望に打ちひしがれるも、妻・加世の支えで生きる気力を取り戻す新之丞。

そんな折り、加世と番頭・島田藤弥との不貞を知る。さらに島田が卑怯な手を使ったことが判明し、新之丞は武士の一分をもって島田に果たし合いを挑む。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△三村新之丞
海坂藩の下級武士(30石)。藩主の毒見役。剣術は城下の木部道場の免許皆伝の腕前。
 
▽加世
三村新之丞の妻

△島田藤弥
海坂藩番頭。三村新之丞の上司。剣の使い手。

△徳平
三村新之丞に仕える中間。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
またまた出た! 骨抜き侍見参! 真タイトルは「怨み屋本店復讐編」!? 似てそうで本質が違う「モンテ・クリスト伯」と観比べよう。名作と一般作・駄作との違いとは? めざせ100作! ガス抜き用水戸黄門系作品。っていうてる場合か(笑)テレビ時代劇でじゅうぶん。

■ 不運な男

剣の腕がたち、勉学も秀才。そんでもって男前。

能力は高くとも一族・親戚に有力武士がいないため30石取りの平侍。

そんな三村新之丞のお役目は藩主の毒見役。台所の隣の部屋で殿様に出される料理の毒見をする日々だ。

自分の能力を活かせる仕事がしたいと思いつつも、どうでもいいような、つまらないと感じる仕事をしなければならない。

新之丞は思う(たぶん)。――おれはなんと不運な男よ。

とはいえ愛する妻もいるし、早く隠居して、剣の腕を活かせることをしたい。暮らしは厳しくなるかもしれないが妻の加世と助け合って自分の道場を持ちたい。そんな夢を持っていた。

その新之丞が毒見で貝の毒にあたって失明する。

同僚たちはいう。――三村殿はなんと不運な男よ。

不運な男(女)……それって僕(私)のこと? と観客は思わずにはいられない。

傍から見ればなんとラッキーで幸せな人だと思われていても、当の本人は「自分はなんて不運なんだ」と思っていることはよくある。

ラッキーかアンラッキーかは当人の感じ方次第だからだ。


■ 限りなく高くできるハードル

そもそも人間は幸せのハードルをいくらでも高くできる。

一流ブランドバッグを10個しかもっていない。最低でも50個持っていなければ不幸だと思えば、その人は自分はなんと不幸だろうと思っている。

50個持っても、次には100個持たなければ幸せではないと思いはじめる。

不幸や不運を考えはじめたらキリがない。

50石取りの平侍。お役目は単調。やりがいを感じない。自分の能力を活かせる仕事をしたい。だが、それができずにいる。

それは三村新之丞だけのことではない。多くに観客にあてはまることだ。

観客は新之丞の境遇に自分を容易に重ね合わせることができる。

そこへ、貝の毒にあたるというさらなる不運が襲う! 


■ 似ているが本質は違う「モンテ・クリスト伯」

貝の毒で失明して絶望した新之丞に自害を思いとどまらせたのは妻・加世の存在だ。

その加世が番頭・島田藤弥に騙され、弄ばれた。

新之丞は武士の一分をもって島田藤弥に果し合いを挑む。

果し合いを挑むといえば格好いいが、要するに復讐である。

これに似ているが本質は違う話に「モンテ・クリスト伯」がある。

「モンテ・クリスト伯」の悪役的な役割をもつキャラクターのフェルナンは伯爵子息だが長男ではない。爵位を正式に継ぐことはできず、愛する女・メルセデスも手に入れることができない。

フェルナンは愛する人を手に入れたいと思いながら、現状ではかなわぬ愛の悲しみはやがて友人エドモンへの憎しみに変わっていく。

フェルナンの√二乗、って違った。フェルナンの事情だってわからんでもない。

一方の主人公エドモンは愛する人メルセデスを取り戻したい(=自分を取り戻すため)。愛を失ったことで、愛を奪った者=フェルナンへの憎しみが生じる。

フェルナンとエドモンは、どちらも愛の力で動いている。違うのはその作用の方向であり、たどり着くのはかつての友人への憎しみの感情だ。

元友人同士。愛の力によって引き裂かれ、憎しみが生じる。

フェルナンとエドモン。どちらの気持ちも理解できるからこそ観客はいたたまれない。物語はエドモン(モンテ・クリスト伯)寄りで進むので、感情移入の割合は主人公側が大きくなるが、仇役のフェルナンだって只の悪者とは思えない。それが「モンテ・クリスト伯」が名作といわれる所以のひとつだ。

では「武士の一分」はどうか。

主人公・三村新之丞はもちろん愛の力で生きる気力をとりもどしたのだが、その愛の源である妻の加世を離縁する。

侍の風習や当時の考え方や武士の面子、愛してるが故にとはいえ、愛する人を遠ざけてしまう。

仇役の島田藤弥はどうか? 島田の事情だってわからんでもないと思えるだろうか?

そもそも、島田の事情なんて描かれない。加世が新之丞に嫁ぐ前からの知り合いで、今でいえば学生時代に学校の帰り道で見かけて一方的に恋心を抱いた島田。その後、親や親戚のコネで入社して重役に。部下の妻となった加世の不運に、権力をチラつかせて付け込んで手篭めにしてしまおう、イヒヒッ。

ってそんな男にいったい誰が、島田の事情だってわからんでもない、と思えるだろうか?

はじめから、島田の事情を描こうなんて気はさらさらないのだ。悪役が必要なだけ。復讐すべき相手を作り上げただけである。

悪役がいると楽だ。悪としての存在があれば、主人公はそれを倒すことだけに専念すればいい。だが、楽であるかわりに、深みはなくなる。

物語には悪役が必要な場合がある。とはいえ、悪役にも事情があるところをいかに丹念に巧く織り交ぜるか。それが名作と一般作・駄作との違いだ。

だから「武士の一分」は「モンテ・クリスト伯」と似ているようで、全く違う。

「モンテ・クリスト伯」作品レビュー

次に「復讐」について考えてみよう。


■ 武士道とは? そんなのわかるワケねぇ!?

武士道とは? 

現代に生きる日本人だって、それにはっきり答えられる人は少ない。なんとなく武士の精神、侍の気質といったものがぼんやりと浮かぶぐらいだ。

「武士の一分」といわれれば「あぁそういうことね」となんとなぁ~くうなづいてしまう。

では「武士の一分」とはなんなのか。それは新之丞の行動から推測するしかない。

新之丞がしたのは愛する人を遠ざけて、怨む相手に復讐したことだ。

新之丞はこんな意味のことをいっている。「島田に俺の怨みの一太刀をあびせてやりたいんだ」(台詞は正確ではありません)

はっきり「怨み」といっている。

やったことは「怨みによる復讐」。それを「武士の一分」という、なんとなく格好よさげで致し方ない事のように思わせる言葉にすりかえてみせる。

作品のタイトルが「怨みます。復讐します」「怨み屋本店復讐編」だったらどうだろう? それじゃぁ格好つかない。そこで「武士の一分」ときた。どうなんだ? このタイトル……。


■ げにおそろしきは……いつのまにか骨抜きに

「モンテ・クリスト伯」は憎悪にとりつかれそうなった男が寸でのところでとどまり、再び愛に生きようとする話だ。
「武士の一分」は、怨みと復讐にとりつかれた男の話だ。

「スパイダーマンシリーズ」や「ゲゲゲの鬼太郎」が復讐を重要なキーワードに新時代のヒーローを必死に描こうとしているのと正反対に「武士の一分」は実直なまでに庶民のガズ抜き用水戸黄門系作品の道を忠実に歩んでいる。

日本にかぎらず復讐モノは庶民の願望を形にしたポピュラーなもので、古今東西で娯楽としての需要がある。

日本では平日の夕方や毎週どこかの曜日のゴールデンタイムに「水戸黄門」を放映しつづけているのがその証だ。いうなれば鉄板である。

そんな鉄板作品があったっていい。だが、そういうガス抜き用鉄板作品は、それが「ガス抜き用鉄板作品」だとはっきりその姿を晒していなければいけない。

「武士の一分」は、ヘタこくと「愛のすばらしさを謳う感動作品」と思われてしまいそうである。

なぜなら、日本で生まれ育った人たちの涙腺を刺激するツボを知り尽くし、最も効果的にツボを押す技術を持ったベテラン職人が監督だからだ。

この監督にかかったら、どんな日本人も骨抜きにされてしまう。例えるなら歴代にわたり宮廷に仕える特別な専属料理人みたいなものだ。この料理人は王のために料理をつくるのではなく、庶民にどんな料理を作ってやればいいかを知り尽くしていて、庶民のために料理をつくる。たとえ王が交代しても、この専属料理人がいればしばらく国は安泰だと思わせられる。そんな料理人だ。そうこうしている間に国の政治は腐敗しつづけ、気がついたときには手のつけようがない状態になってしまった……なんてことにも。

げにおそろしきは……本質を巧みな技ですりかえようとすること。そしていつのまにか骨抜きにされてしまうことかもしれない。


■ その他

これもヤバイ(上記の意味で)。

「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」「武士の一分」……。

このまま100作めざすのかな?

キムタクは三村新之丞役が一番合っているようにみえました。

一番合っている役がコレって! キムタク主演の「HERO」も似たようなものだし、彼は新時代のヒーローにはなれそうにありませんね……。

「武士の一分」を観終わって、あぁスッキリしたぁ、といって3歩あるくと、さて何食べようかな、と切り替えが早くて済みます。

「モンテ・クリスト伯」を観終わると……深いのぉ、といろいろ思いをめぐらして考えさせられる。これを「余韻が残る」といいます。

私は日本人ですから「武士の一分」を観ているときはけっこうハマッてるんですヨ。だからこそオソロシくもなる。

観終わると、マジこれ(パリコレではない)ヤバイっしょ。ってことになる。だってこういうのは、平日の夕方や週に1度、テレビでさんざん放映してるやん。そんなの皆わかってる。まぁたまにはいっか。っていいながら映画でも同じことずぅっとやっていくつもり……なんだろうなぁ。その予算の10分の1でもいいから若手監督に与えて好きにやらせてあげてほしいナ。

テレビ時代劇でじゅうぶん間に合って……というか間に合わせてほしいものデス。

デート      △ 
フラっと     △ 
脚本勉強    × パターンはどれも同じ
演出       ◎ 職人技アリ
キャラクター   ○ 定番キャラ
映像       ○
お約束      ◎ 
安心       ◎ 期待どおり予定どおりで安心
お涙       ○ 狙いすぎちゃう?
おバカ      × まじめ
笑い       △ チョイあり
ファミリー    - 
アクション    ○ 
ワクワク     × お約束の展開
びっくり     × 
余韻       ×
時代       × 時代劇だけに時代におもいっきり逆行!?
ガス抜き用   ◎

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映画「AVP2 エイリアンズVS.プレデター(Aliens vs. Predator: Requiem)」

監督:コリン・ストラウス、グレッグ・ストラウス
アメリカ/2007年/94分

「ひとんちの庭先でモンスターバトル2」南極で宇宙的サバイバル合コンの後は、コロラドの田舎町でどつき合い! エイリアンとプレデターに即席の吹き替えを付けたら? と想像して楽しもう。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
南極でのエイリアンとプレデターの戦いの後、プレデターの体内からチェストバスターが誕生。
宇宙船内のプレデターを次々に殺戮する。コントロールを失った宇宙船は地球のアメリカ・コロラド州の森へ墜落。無数のエイリアンがコロラドの森や町へ飛び出していく。
その一方で、墜落した宇宙船の情報を得たエイリアン駆逐専門のプレデター「ザ・クリーナー」は地球へ向かう。
こうしてエイリアンたちとプレデターの戦いが再びはじまる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
∵エイリアン(プレデリアン)
プレデターの性質を受け継いだ新種エイリアン

∵プレデター(ザ・クリーナー)
エイリアン駆逐専門のプレデター


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
「ひとんちの庭先でモンスターバトル2」南極で宇宙的サバイバル合コンの後は、コロラドの田舎町でどつき合い! エイリアンとプレデターに即席の吹き替えを付けたら? と想像して楽しもう。

■ 天から大魔王が降ってきた!?

オラ見ただぁ。空から宇宙船が降ってきたぞぉ。「こりん星」からだれかやってきたちがいねぇ。

アレレ? ゆうこりん(テレビ朝日アナウンサー青木裕子サンのほうではない)じゃなぁいぞぉ……。

たくさんの怪物が宇宙船から出てきただぁ。


■ こりん星爆発!?

天から降ってきた宇宙船。中から出てきたのがゆうこりんやデーヴならおもしろいのに……。

ゆうこりんのこりん星キャラ。本人も最近はこのキャラを途中で投げやり気味になるようだけど、まさか、こりん星爆発! なんてことにはならないよね?

そもそもゆうこりんが……え? ゆうこりんの話じゃぁない。そんな話はオヨビでない? コリャマタ失礼しました! (植木等より)


■ ひとんちの庭先でモンスターバトル

さてさて、AVP2のレビューをしようと思ったんだけど、はっきりいって「ひとんちの庭先でモンスターバトル2」の一言で終わっちゃうのよね。

地球に宇宙船が墜落してエイリアンが人類に襲い掛かる。それを追ってプレデターがやってくる。コロラドの町(ひとんちの庭)を舞台に両者のバトルが繰り広げられる!

どんだけ~(豊田一幸)ならぬ、そんだけ~。


■ トライアングル完成せず

例によってエイリアンもプレデターもしゃべらない。エイリアン向けやプレデター向きならそれでもいいけど、地球人向けの作品だから地球語も使わなきゃっていうんで、地球の人間も登場する。

元不良の兄貴とチョイ悪弟。弟の元恋人のグラマー美人。いじめっこ系でやんちゃな同級生たち。マジメな保安官。軍人のママとその幼い娘。

ほかにも店のウェイトレスに下心アリアリの料理人オヤジなんかも出てくるけど、人間たちは勝手に襲われたり、勝手に反撃したりする。

前作「AVP」にあったような、宇宙初!プレデターと人間のタッグはみらないんだ。

エイリアンは人間を襲い。プレデターはエイリアンを狩る。人間たちは逃げ惑い、ときどき反撃。

エイリアン、プレデター、人間の三角関係にはならない。あくまでエイリアンとプレデターの戦いなんだ。

それもそのはず。だってタイトルが「AVP2」なんだから。


■ プロレスで例えると

とはいえ前作「AVP」では、路傍の石ほどの扱いもされなかった人間のひとりが参戦するというサプライズがあった。

プロレスで例えるなら、戦いはリングの中だけじゃなく、リングサイドのセコンドや放送席の解説者をも巻き込ん行われたんだね。プロレス会場全体が戦いの舞台というワケ。

だからあくまでエイリアンVSプレデターなんだけれども、そこに人間も絡んできてグッとおもしろくなったんだ。プロレス会場の観客は観ているだけじゃなくて参加している。そんなプロレス会場を1歩ひいて観ている映画の観客は、この先どうなるんだろう、と興味がわく。

ところが「AVP2」ではプロレス会場の観客は勝手に逃げ惑って騒いでいて、リング上ではレスラーたちだけで盛り上がっちゃってる。そんなプロレス会場を1歩ひいて観ている映画の観客は、歯車の噛み合わないプロレス会場の様子にしばしばあくびが出ちゃってる。


■ 前作はイメージが広がった

前作「エイリアン VS.プレデター」では人間のひとりがエイリアンとプレデターの戦いに絡んでくることで、世界が広がった。

人間世界とプレデター世界が「戦い」を通して触れ合ったその瞬間、意志の疎通が試みられた。それまでプレデターに全く気にもとめられなかった人間がエイリアンを倒したことで、ひとりの戦士として認識されるという流れがあった。そのときに、エイリアンを倒すために協力しちゃう? ってなかんじのコミュニケーションが生じたんだ。

プレデター世界と人間世界が出会った瞬間がそこにあった。

たしか「プレデター2」でも人間の男がラストにプレデターに戦士として認められシーンがあったと思う。

そして「AVP」でも戦いを通して、いわば未知との遭遇があったんだね。異世界・異文化との交流だ。

そんな交流があるとイメージが膨んでくる。例えば、プレデター世界の「戦士」の掟みたいものに接触した人間がいた。それで今度は人間世界の「愛」に触れるプレデターがいた! なぁんてことになって、プレデターのひとりが人間愛に触れて心が揺らぎ、冷酷な戦士として戦えなくなっちゃう。そんなプレデターが登場するかも! などと次回作を想像(妄想)しやすかったのが前作「AVP」だ。

「AVP」を観ていろんな想像が膨らんで書いた「南極で開催されたサバイバル合コン」に例えた「AVP」のレビューはなかなか好評だったヨ。

「エイリアン VS.プレデター(ALIEN VS.PREDATOR)(AVP)」作品レビュー


■ 意外にリアル?

人間の愛に触れたプレデターの苦悩。そんなものがあってもおもしろいかもしれない。

でも、プレデターと人間の交流による、プレデター世界の変革。そして人間世界への順化といったことになったら、ありがちなアメリカ映画になってしまうところだった。

「AVP2」では、戦いにしか意味を見出せず戦いにしか生きられないプレデターをどうすることもできない。

人間たちは襲われ、逃げ惑い、反撃してもあまり効果なく、そして同胞である人間にさえ裏切られる。

それが現実(現状)だ! とでもいわんばかりの、エイリアンやプレデターとはどこまでいっても歯車はかみ合わない。

それが逆にリアルなかんじでいいかもしれない。

宇宙は地球人(人間)の愛で変革できる。宇宙を変えられるんだ! みたいな作品だったらもぅコントにしかならないのだから……。


■ その他

戦うことしか知らない種族・宇宙人との遭遇で思い出すのは、日本のアニメ作品「超時空要塞マクロス」です。

マクロスでは地球人が宇宙人と遭遇します。宇宙人は巨人で、男と女は別々の艦に乗っています。彼ら(彼女ら)は戦うこと意外に興味も存在意義もないと思っています。

そんな宇宙人は地球人と遭遇することで文化に触れます。彼らのいうところの失われた「デ・カルチャー」は破滅をもたらすものとして宇宙人に恐れられています。

異文化の遭遇というテーマはすでに80年代にSFアニメ作品「超時空要塞マクロス」でばっちり取り上げられていたんですね。

マクロスはいま観てもじゅうぶんに見応えあります。テーマが深く、主人公の青年と同世代の恋人と年上のお姉さんとの三角関係、先輩後輩の絆、友情。そして作品中で歌手が歌を歌うなど、当時としては先進的な試みも行われてます。

マクロスにしてもガンダム(1年戦争)にしても、子供向けというより、大人向けといってもいいほど奥が深いんですね。

ガンダムでは地球連邦軍が正義でジオン公国軍が悪だといいきれない。どちらにも正義があって、その戦いで若い命が散っていく……。

ガンダム人気の秘密(でもなんでもないけど)は、奥深いテーマと立体的なキャラクターによる人間ドラマがしっかりあるところなのです。

ドラゴンボールだってスゴくおもしろいですが、強い敵が現れてそれを倒すと仲間になって、するとまたもっと強い敵が現れて……という単純明快な少年漫画の基本どおりなわけです。ピッコロはかなりいい奴(キャラ)に変化しましたが、それも基本どおりといえばその範疇です。

そういった範疇に収まりきれないマクロスやガンダム。名作といわれる所以はそのあたりにあるのです。

さて「マクロス」のスゴさをあらためて教えてくれた「AVP2」。広くおススメはできませんが、頭空っぽにモンスター同士のどつき合いを楽しみたい方や、エイリアンシリーズ・プレデターシリーズのファンの方、そしてプレデターに想像上でフキダシのセリフを付けて楽しめる方にはいいでしょう。

新種のエイリアンは風貌がプレデターに似てきたので「ドレッドヘアがプレデター」と頭の中で唱えながら見ないと、戦いの最中にどっちがどっちだかわからなくなってしまいそうです。

せめて色分けでもしてみる? 赤いエイリアンと白いプレデター。これぞ「宇宙的紅白どつき合い合戦!」なんちて。
ヤンヤヤンヤやいいながら、エイリアンとプレデターに即席の吹き替えを付ける。そんなコンテストがあったら超おもしろそうですネ☆

デート      ‐
フラっと     × シリーズのファンならいいけど 
脚本勉強    △ 
演出       △
キャラクター   ○ 定番キャラ
映像       △ 
お涙       -
笑い       ○ プレデターってなんか笑える
ファミリー    ×  
アクション    △
SF        △ SFというよりモンスターパニック

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01/15/2008

映画「ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記(NATIONAL TREASURE:BOOK OF SECRETS)」

監督:ジョン・タートルトーブ
アメリカ/2007年/124分

お気楽観光案内ビデオのようでありながら、国の宝とは何かをさりげな~く問題提起? 宝探しの暗号は余興。みどころは親子、夫婦、恋人たちの会話の掛け合いにアリ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
アメリカ大統領リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブースの日記の、失われていた数ページが発見された。

そこにはベン・ゲイツの祖先が秘密結社ゴールデン・サークル騎士団の一員としてリンカーン暗殺の指揮をとったと読み取れる記述があった。

ベン・ゲイツはゲイツ家の汚名をそそぐため、黄金都市を探し求める。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ベン・ゲイツ
冒険家。歴史学者。

▽アビゲイル・チェイス
ベンの恋人。

△ライリー・プール
ベンの相棒。凄腕ハッカー。

△パトリック・ゲイツ
ベンの父親。暗号学者。

△ジェブ・ウィルキンソン
トレジャーハンター

▽エミリー・アップルトン
ベンの母親。歴史研究者。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
――――――――――――――――――――――
お気楽観光案内ビデオのようでありながら、国の宝とは何かをさりげな~く問題提起? 宝探しの暗号は余興。みどころは親子、夫婦、恋人たちの会話の掛け合いにアリ。

■ 千円札に描かれた見知らぬ人

千円札の夏目漱石氏の顔を中央で二つ折りにする。

右顔と左顔を見比べてみよう。

片方の顔のアナタは……誰? 

実はその見慣れない顔は○○だと言われている。

思わず千円札を探したアナタ!

アナタに限らず、暗号好きな人はけっこういる。

そもそも人生は暗号に満ちているのだ(マジ?)

どうしてアナタの夫(妻)は、アナタと結婚したのだろう。

どうしてアナタの彼(彼女)は、アナタと付き合っているのだろう。

他人であった人と一緒にいる不思議。

夫(妻)、彼(彼女)との出会いにはきっと自分にとって意味があるにちがいない。そう思ったからこそ、その相手と付き合ったり、結婚したりしたのではないだろうか?

他人との出会いに、なにかしらの意味を求めずにはいられない。それが人間だ。

日記の切れ端に、なにかしら他の意味が隠されているのでないかと考えずにはいられない。それが冒険家だ。

とはいえ冒険家は、一部の特別な者を指すいい方ではない。

だれもが人生の幸せを捜し求める冒険家なのである。


■ 日本の顔は?

幸せの青い鳥は実は近くにいたとか、長い間捜し求めていたお宝は実は自分の家族だったとか、そんなオチが大半の宝探し作品群のなかで、ナショナル・トレジャーシリーズではちゃぁんと金銀宝石といった類の財宝を発見する。

さらに財宝探しの過程で父子の絆、夫婦の絆、男女の絆、相棒の絆を再確認し合う。なんとも都合のよろしいハッピーエンドへ向けてズンズンと物語が進行していく。

宝探しのための暗号は余興みたいなもので、作品を楽しむポイントは親子、夫婦、恋人たちの会話の掛け合いだ。

それができるのも、ひと癖もふた癖もあるような俳優たちが出演しているからであって、ナショナルトレジャーとはそもそも米国で活躍するこれらの俳優たちのことかもしれない。

ルーク・スカイウォーカー。ランボー。スーパーマン。スパイダーマン。

ラシュモア山に彫られた ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーン。

アメリカ合衆国を思い浮かべるとき、こうしたキャラクターや人物たちの顔が頭をよぎるのではないだろうか。

世界の人々が日本を思い浮かべるとき、はたして何が頭をよぎるだろう? 


■ その他

アビゲイル・チェイス役のダイアン・クルーガーは綺麗で色気もありますネ。

端整さでは日本のタレントでいうと加藤愛を連想させます。ダイアン・クルーガーはそれに加えて色気があるんです。そんな魅力を活かした、大統領執務室での展開はけっこう笑えます。

日本はアメリカ合衆国よりも長い歴史があるのですから、他国の人が楽しめるような歴史系謎解き作品をがんばって作れるようになると、ソフトの充実に大きく貢献できるでしょう。

どうせ日本の歴史やワビサビは外国人にやぁわかるまい。といっているようでは、いつまで経っても経済はそこそこ良くても文化やマナーは最低といわれ続けるのです。

マナーには、他人に自分のことを知ってもらう最低限のことをする、ということも含まれます。相手に自分(たち)を知ってもらうことで、どう振舞えばいいのかをお互いに知ることができるからです。

相手が何を考えているのかまったくわからなければ、不安になります。

相手にいつまでも不安な状態で居させ続けるのは失礼です。パーティに招待した客人をだれにも紹介せずに放っておくようなものです。これもマナー違反ですね。

日本で生まれ育った人たちにさえわかって受け入れられればそれでいいというだけでは、マナー意識が低いと思われてもいたし方ありません。

アメリカ合衆国の歴史は数百年と若いですが、それでも歴史や暗号を題材に楽しませながら内外にメッセージを送ろうとする。その意欲と実行力については、日本も見習ってもいいのではないでしょうか。

それから、キャラクターの顔が見えるというのは、国内外に対して象徴的に用いられる理念や目標といったものが提示されているということです。それが機能しているかどうかはともかく、すでにコントにしかなっていないとしても、形だけでもある、もしくは提示しようとしているということです。

人は理念や目標、いいかえれば希望がなくては生きにくいですから、そういう意味で「顔がみえるかどうか」は大事なのです。

顔が見えなくては、希望がなくては、目標がなくては、理念がなくては、生きる意味さえも失いかねません。

とはいえそんな小難しそうなことなど考えずに「ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記」はお気楽観光案内ビデオのつもりで笑いながら観るぐらいのほうがいいですネ。

デート      ○ 無難な選択
フラっと     △ 
脚本勉強    ○
演出       △ 
キャラクター   ○ キャラこそお宝? 
映像       △ セットの安っぽさが魅力に!?
おバカ      ○ 
笑い       ○ 
ファミリー    △ 
アクション    △ カーチェイスもあるぞ


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「アイ・アム・レジェンド」をキリスト教で読み解く~主人公の一見すると不可解に思える反応のワケ~

映画「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」作品レビュー


「アイ・アム・レジェンド」を既に観た人も増えてきただろう。そこで今回は主人公の科学者ロバート・ネビルの、一見すると不可解に思える反応について詳しくお話しよう。

作品中で、田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないという情報を得たときのロバートのリアクションが意味不明に感じた人も多いという。

ロバートは毎日、すべてのラジオ放送周波数からメッセージを流している。生存者がいたら食糧と安全を保障しようという内容のものだ。

自分は毎日昼間の決まった時間に決まった場所(埠頭)にいるから、この放送を聞いた生存者はそこに来てくれとラジオを通して呼びかけつづけている。

それにもかかわらずだ。

それにもかかわらず、ロバートは実際に生存者に出会って(ネタバレっス)、田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないという情報を教えてもらっても、せっかくの料理を台無しにして思わず相手が身の危険を感じる程までに、人類はほかにだれも生き残っていないと何度も頑なに言い放つロバートであった。

あんなに生存者を心待ちにしていたのに、なんでそんなに頑なに? 

その謎に思えるリアクションのワケがわからないと、ワケわからなくなってしまうワケである(←ダジャレ?)。


■ ふたつの意味

まずは「人類はだれも生き残っていない」の意味について考えてみよう。

この言葉には、ふたつの意味がある。

ひとつは、ロバートの愛する家族が亡くなってしまったことを指す。

人は自分と自分をとりまく人々ともう会えない状況になると、たとえ他にたくさんの人々がいたとしても「自分と自分を取り巻く世界」が無くなってしまったように感じることがある。

自分を取り巻く世界の住人の中でも、最も大事でかけがえなのないもの。それは家族である。

愛する家族を失ったロバートは、自分と自分を取り巻く世界の中心=家族=人類はだれも生き残っていないと言っているのだ。

もうひとつは、人類は人類でも、善なる人類はだれも生き残っていないということを指す。

気をつけてもらいたいのは、紫外線に極端に弱いダーク・シーカーズ以外の、生き残りが善なる人間という意味ではないところだ。

たとえウィルスに感染していない人間(生き残り)がいたとしても、それが善なる人間ではない。

性善説や性悪説というとわかりやすいかもしれないが、聖書によるとエデンの園でアダムとイヴが善悪を知る木の実をとって食べたそのときから、人類は労働と産みの苦しみと死から逃れることができない罪深い人間となった。

つまり、エデンの園をアダムとイヴが追放されたそのときから、人類は罪に染まった悪人ととらえることができる。すると、人は生まれながらにして罪深い生き物ということになる。


■ 人類が救われる方法

そんな罪深い人間が救われる方法はないのか。

ひとつだけある。

それは犠牲を捧げること。

旧約聖書には祭壇で羊を神に捧げる話がよく登場する。羊を、罪を購う犠牲として捧げたのである。

そんななかでも、犠牲を捧げる有名な話がこれだ。

アブラハムは息子のイサクをとてもかわいがった。ところがある日、神はアブラハムに息子のイサクを遠くに山に連れて行き、私に犠牲として捧げるよういった。

アブラハムは山の頂で祭壇をつくり、イサクをそこにのせると、ナイフを手にとり突き刺さそうとした。

その瞬間、その子を傷つけてはいけないという神の声がした。

これは神がアブラハムに、彼の信仰が本物かどうかの試練を与えたという話である。

愛するわが子を犠牲に捧げなくてはならないアブラハムは、山への道中はどんなに辛かったろう。

イサクは助かった。しかし子なるイエスを人類の罪のために地上に遣わして犠牲にした神の愛は、はかりようもなく深いことがアブラハムとイサクのエピソードからも想像できるだろう。

さて、罪の赦しを得るために犠牲を捧げるといった、旧約聖書の時代に行われていたのは、主に羊を犠牲として捧げるというものだった。

これは、あるときから必要がなくなる。

あるときとは、イエス・キリストの十字架である。

イエスが人類の罪のために十字架にかけられたことによって、人類が救われる道が開けたのだ。


■ 絶望の暗闇に一筋の光

エデンの園をアダムとイヴが追放されたそのときから、人類は深い絶望の中にあった。

だが、一筋に光が射し込んだ。

光とは、人類の罪を購うために子を地上に使わすという神の言葉だ。

絶望の中にある唯一の希望。

それが人類を救う使命を持ったイエス・キリストなのである。

だからキリスト教ではイエスの誕生を祝うのだ。

というわけで、夜景の綺麗なレストランやホテルでカップルがイチャつくのがクリスマスだと思わされてきたのは、ごく一部なのだ。

米国では多くの人がホリディシーズンは家族で過ごす。もしもホリディシーズンに彼の家族の家に招待されたら、それは家族も同然ということ。婚約間近かそれに近い、将来家族の一員になってほしい相手だと思われていると思っていいだろう。

映画「幸せのポートレート(the family stone)」は、クリスマス休暇に彼の家の招待されたキャリアウーマンの話で、ファミリードラマとして性別問わず楽しめるようになっている。

ほかに女性向け作品では「ホリディ」もまさにこのシーズンの話だ。


■ だれも生き残っていない、のほんとうの意味

さて、イエスが地上に遣わされた使命は人類を罪の淵から救うこと。イエスの時代にも地上には人間はたくさんいたが、罪に染まっている人間しかいなかった。

エデンの園で生活していたアダムとイヴのような人間はひとりもいない。皆、エデンの園を追放されたあとの人間たちだ。

では、ロバートをイエスだとしてみよう。

ロバートが、人類(善なる人間)は(エデンの園追放以来)ほかにだれも生き残っていない、と何度も頑なに言い放った意味がご理解いただけたと思う。

ロバートは自分が人類を救うワクチンを開発しなければならないという強い使命感を持って、ひとりで黙々と研究を続けているのは、自分がウィルスに象徴される罪深い人類を救う者だと信じている、または思い込んでいるからである。

長い間、相棒のサムはいたけれど、人間は自分ひとりでずっと夜はダーク・シーカーズ襲撃の恐怖に耐えて生き延びてきたロバート。

ウィルスの発生源のNYにいた科学者で軍人の彼は、ウィルスに免疫がある自分が生き残った意味を探し求めていた。

そんななかで、自分がウィルスに対して免疫がある意味を模索しつづけていた。そしてたどりついた「使命」――。

自分には「使命」がある。そう思わずにはとてもひとりでは生きていけない。いわば、自分の存在理由と生きる意味を「使命」という形に昇華した。

または「使命」に取り込まれたとでもいおうか、強い自己暗示に近いような状態にロバートはなっていたのかもしれない。


■ 相棒を失う

ロバートには相棒がいる。サムだ。

サムの正式名はサマンサ。男じゃなく、たぶん女の子なのかもしれない。

そんなサムもウィルスに空気感染はしないが、噛まれて感染してしまう。すると主人のロバートに襲い掛かろうと豹変してしまうのだ。

さて、人類を救うために地上に遣わされたイエスは、たったひとりでその使命を果たさなければならなかった。とはいえイエスには12人の弟子がいた。

しかし、弟子たちのリーダー格のペテロ(ペトロ)でさえ、死の恐怖からイエスのことを知らないと言ってしまった。

それは、弟子ユダの裏切りによってゲッセマネの園で捕らわれたイエスが心配でたまらないペテロは、捕らわれているところ(大祭司カヤパの家)まで行き、中庭の真ん中にたかれた火にあたる人々のなかに紛れ込んで座っていたときのことである。

ある女中が、この人もイエスと一緒にいた、と言う。ペテロはそれを打ち消して、わたしはその人を知らない、と言った。

その後、同じようなことがもう2回あり、3回目も知らないとペテロが言い終わらないうちに鶏が鳴いた。

実は、事前にペテロはイエスにこう言われていたのだ。「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」――と。

ペテロはこの言葉を思い出して、外へ出て激しく泣いた。

悪(の象徴)のウィルスや死の恐怖にとらわれた生き物は、裏切りの行動をとってしまう。たとえそれが犬の相棒だろうと、弟子であろうと――。それほど人間とは弱いものであることを教えてくれる。

相棒のサムがウィルスに感染して豹変していく。それでもロバートは使命を果たすためにひとりになっても研究を続けていかなくてはならない様は、弟子のユダの裏切りによってゲッセマネの園以降に弟子たちから離れ、ひとりで十字架にかからなくてはならくなったイエスを連想させもする。

ちなみにサマンサがメス犬だとすると、人間では女性ということになる。

ある説によると、イエスの最も身近にいた人物はペテロでもヨハネでもなく、マグダラのマリアだったいう。

彼女は聖書に登場する女性でり、諸説あるが中にはイエスの妻だったのではないかという声もある。

実は、聖書において女性は重要な場面にしばしば登場する。

そのあたりを題材にした有名な作品が「ダ・ヴィンチ・コード」だったのは比較的記憶に新しい。

この詳細は以下のレポートに。


■ 誘惑

田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないから一緒に行こうと誘われたロバートは、人類はほかにだれも生き残っていないと言ってNYを離れようとしない。

夜はダーク・シーカーズの襲撃に備えて恐怖の中でNYでひとりでいるより、田舎へ行って生き残りの人々と一緒に暮らしたほうが安全で安心できるにちがいない。だれだってそう思うだろう。

NYにひとりで居続けるより、田舎へ行って生き残りの人々と生活したほうが楽に違いない。

なんとも甘い誘惑であろう。誘惑という言い方は適切ではないかもしれない。

しかし、罪深い人類を救うという使命からしてみれば、その使命から逃れる甘い誘惑ということになる。

新約聖書にはイエスが荒野で40日間断食されたエピソードが登場する。

空腹のときにサタン(悪魔)が現れ、神の子なら石をパンに変えて食べればいいと誘惑する。

それにたいしてイエスは、人はパンだけで生きるものではない、と言ってサタンを退けた。

聖書には「滅びに至る門は大きく、その道は広い」とあることからも、楽な道への誘惑に打ち勝つことは人間にはたいへん難しいことを教えてくれる。

田舎に行って生き残りの人々と生活したほうがどんなに楽だろう。ロバートだって普通ならならそうしたいと思ったハズだ。

しかし、自分には使命がある。それを成し遂げるには、楽(に思える)な道を選択することはできないのである。

だからロバートは頑なにNYにとどまって研究を続けようとするのだ。


■ その他

聖書には「3」という数字がよく登場します。

イエス誕生を祝いにかけつけた3人の博士。

十字架にかかって3日目によみがえったイエス。

「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」

ヨハネの黙示録3天使の使命(週末・世の終わりについての預言)

数字に注目して映画を観て「3」や「7」という数字がちりばめられていたら、キリスト教となにかしらの関連のあるバッググラウンドを持ったストーリーなのかもしれないな、思ってみるのもいいでしょう。新しい発見があるかもしれませんヨ。

「アイ・アム・レジェンド」は題名からしてもそうだし、内容にしてもストレートすぎるぐらいにキリスト教のテーマや題材を使っているので、ちょっとヒネリがないといえるかも。

ヒネリがないとは、主人公ロバートの最期に象徴されていますね。

自分が犠牲になることで人類を救う伝説となった。

イエスになぞらえたそのままの最期をロバートが迎えるからです。

なんというか「アイ・アム・レジェンド」はちょっと気恥ずかしくなるようなストレートでそのまんまな作りでありました。

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