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12/15/2007

映画「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」

監督:フランシス・ローレンス
アメリカ/2007年/100分
原作:リチャード・マシスン「地球最後の男」

【注】今回のレビューには結末が予想できる内容が含まれています。
   (ネタバラシではないが、予想しやすい内容という意味)

タイトルに込められた意味をかみしめながら、無人のNYの映像とともに主人公の境遇と使命に思いを馳せる作品。タイトルをみれば結末は容易に想像がつく、まっとうな作り。ヒネリやどんでんかえしの期待は禁物。ロバートがウィルスワクチンの研究にこだわるワケとは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
――2012年。
ウィルスにより人類が死滅した地球。
NYで相棒の犬サムと日々を生き延びるロバート・ネビルは、人類を救う道をみつけるべくひとり研究を続ける。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ロバート・ネビル
男性。軍人(中佐)。科学者。

▼サム(サマンサ)
シェパード犬。ロバート・ネビルの相棒。
--------------
▼ダーク・シーカーズ
ウィルスに感染して変異体となった元人間。紫外線に極端に弱い。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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タイトルに込められた意味をかみしめながら、無人のNYの映像とともに主人公の境遇と使命に思いを馳せる作品。タイトルをみれば結末は容易に想像がつく、まっとうな作り。ヒネリやどんでんかえしの期待は禁物。ロバートがウィルスワクチンの研究にこだわるワケとは?

■ ひとりで背負おうとする男

NYが閉鎖されようとする時、ロバートは妻と子を脱出させようとする。しかし自分はNYに留まってウィルスの感染の拡大を防ごうとする。

それから3年。

だれもいなくなったNY。

人類再生の道を探りつづける科学者のロバートは、ウィルスの発生源のNYから離れようとしない。ひとりで孤独と戦いながら、すべてをひとりで背負うかのようにワクチンの研究を続けている。

なぜひとりで? 

人類最後の人間だから? 

しかも科学者だから?


■ 生き延びたことには意味があるはず

ウィルスに免疫がある人間は約1パーセント。そのうち3年前と変わらない人間の姿でいられるのはさらに限られてくる。少なくともNYにはロバート以外の人間は皆無のようだ。

どうして自分だけがウィルスに免疫があるのか。空気感染も血液感染もしない(らしい)。

それにはきっと意味があるはず。

ウィルス発生源のNYの科学者がひとり生き残った。なぜなのか。何かの使命があるに違いない。

使命とは人類を救うことにちがいない。

そんなロバートは、誰かに似ていないだろうか。


■ 「トゥモロー・ワールド」との共通点

「アイ・アム・レジェンド」を観て思い浮かんだのは「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」の主人公の男性セオだ。

「トゥモロー・ワールド」では子供が生まれない世界が舞台。

「アイ・アム・レジェンド」ではウィルス特効薬がない世界が舞台。

どちらの世界にも共通しているのは「希望なき世界」ということだ。

そんな世界にあって、人類のとってのただひとつの希望(子供・ウィルス特効薬)を守ろう・作ろうとする男。

どちらの作品にも共通している、主人公のモデルとなっているのはイエス・キリストである。

▼「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」作品レビュー


■ なんのために?

父なる神。子なるイエス・キリスト。聖霊。

キリスト教の用語の「三位一体」でとらえるなら、子なるイエス・キリストはたったひとりで地上へ遣わされたことになる。

なんのために?

人類を救うために――。

イエスには12人の弟子がいたが、彼らは地上の人間だ。地上には地上の人間しかいない。天から遣わされたイエス・キリストはひとりだった。

イエスはひとり、荒野で40日間留まり、空腹の中でサタン(悪魔)の誘惑を受ける。これは「荒野の誘惑」といわれる新約聖書の有名なエピソードだ。なぜ荒野に?

なんのために?

人類を救うために――。

そしてゲッセマネの園。エルサレムのオリーブ山の麓にある庭園で夜、イエスは祈りを捧げていた。

なんのために?

人類を救うために――。

さて、映画の中に見ることができるキリスト教のエピソードについて度々紹介してきた本ブログの読者なら、イエスをモデルとした「トゥモロー・ワールド」のセオが作品のラストでどうなったか。またゲッセマネの園の後、イエスはどうなったかに思いをめぐらせば「アイ・アム・レジェンド」のロバートがラストにどうなるかは想像できるだろう。

ではここで、作品のタイトルに注目してみよう。


■ タイトルをみれば結末が……。

映画のタイトルは「アイ・アム・レジェンド(I AM LEGEND)」

私は伝説。私は伝説になったほどの著名な人物だ。といった意味である。

では、私とは誰か?

著名で誰もが知っている人物。

本誌では「荒野の誘惑」や「ゲッセマネの園」などで説明をしたが、欧米人をはじめとするキリスト教文化圏で育った人にとっては、タイトルを見ただけで「私」とは誰のことを指すのかはすぐにわかる。

それほどわかりやすい。

だから、作品のラストを隠すまでもない。だからなのかどうかわからないが、ロバート役のウィル・スミスは来日した「アイ・アム・レジェンド」の記者会見のときに、作品の結末を漏らしてしまったとの報道があった。

ウィル・スミスにしてみれば、有名なSF作品だし、何度も映画化されているし、そもそも今回の映画作品のタイトルを見ただけで結末は誰にでも容易に想像がつくだろうから、という気持ちがあったのかもしれない。

ところが日本ではタイトルの意味なんぞ気にもとめない人も多い。結末は容易に想像つくとはいえ、主役俳優が自ら結末を漏らすのはチョイとやりすぎということで(タイトルのつけ方のほうがやりすぎかも?)スタッフが会場にいた人々に対して、結末を明かさないよう依頼することになったという。

とはいえこれも宣伝の一種なのだろう。

「結末? そんなにだいたい予想できるでしょ。でも明かさないよ」ってなもんである。これも宣伝手法のひとつといったところだ。

ちなみに「レジェンド」は、ロバートが好きなボブ・マーリィの曲名でもある。


■ ロバートがウィルスのワクチン研究にこだわるワケ

ロバートは日々ラジオ放送を流して生存者を探している。

しかし、田舎の村に生存者が集まって生活しているかもしれないという情報を得たとき、人類はほかにだれも生き残っていないと何度も頑なに言い放つロバート。

あんなに生存者を探していたのに、いざ田舎の村にいるかもしれないという情報を得たのになぜ?

それには理由がある。ロバートの使命を理解していないと「?」でいっぱいになってしまうだろう。

ロバートは、悪の象徴であるウィルスに感染して凶暴性が著しく増したダーク・シーカーズを元の人間に戻す特効薬を作ることが自分の使命だと信じている。だから、そのためにNYに留まり続けると宣言するのだ。

なぜそこまでウィルスワクチンにこだわるのか。

答えは……もうわかるだろう。

悪(ダークシーカーズ)を清める、つまり罪を贖わなかれば人類は救われないからだ。

エデンの園でアダムとイヴが善悪を知る木の実をとって食べたそのときから、人類は労働と産みの苦しみから逃れることができない罪深い人間となった。

そんな人類を救うため、父なる神は子なるイエスを地上に遣わされた。

ダークシーカーズを放っておくことはできないのだ。凶暴性が高く、人間を襲う悪の象徴を放っておくことはできないのだ。

ダークシーカーズを放っておいては、悪に染まった人類を救えない。

人類を救う使命を追った男。

だからロバートはウィルスの発生源であるNY(地上)に留まりつづけ、ダークシーカーズ(悪に染まった人類)を救うべくワクチンの研究をつづけているのだ。


■ 世界観と哀愁

作品中の大半、ウィル・スミスはひとりだ。愛犬と話す以外は、マネキンとしゃべるフリをしてみたりもする。

犬に話しかけたりする補助はあるものの、基本は動作やしぐさや顔の表情を中心として演技しなければならない。

だれもいないNYでひとり生き残った男。撮影中は周囲にスタッフが大勢いるだろうが、作品中のNYという世界ではただひとりだ。

だれもいないNYの映像を作り出すのはスタッフの役割。

そのNYでただひとり生きる男の孤独感や哀愁を醸し出すのは俳優の役割。

世界観と哀愁。

それがこの作品のみどころだ。


■ その他

吸血鬼やゾンビみたいなものが襲ってくるサバイバル活劇と捉えるよりも、タイトルに込められた意味をかみしめながら、無人のNYの映像とともに主人公の境遇と使命に思いを馳せる作品と捉えるほうがいいでしょう。

かなりテレビで宣伝されているようなので、地球最後の男がどうなるのかが気になって期待に胸を膨らませて観にいくと、なんだか拍子抜けみたいに感じてしまうかもしれません。

実際、私の近くに座っていた若い男性客はエンドロールが流れはじめるとすぐに「これで終わり? 期待ハズレなんだけど」といったようなことを言っていました。

いったいどんなのを期待していたんじゃ?^^;

キリスト教文化にピンときた人には、ロバートのラストが予想できていたとはいえ、やはり心打たれるラストであろうと思います。

タイトルの意味をかみしめながら、伝説になった著名な人物に思いをはせるSF作品ということを頭に入れてから観にいくとよいでしょう。

ぜひ「トゥモロー・ワールド(The Children of Men)」とセットで観てみてくださいネ。

デート       △
フラっと      ○ 
脚本勉強    △
演出       ○
キャラクター   ○
映像       ○
笑い       -
ファミリー    -
アクション    ○
ほのぼの    ×
キリスト教文化 ○

B000KIX9BOトゥモロー・ワールド プレミアム・エディション
クライヴ・オーウェン ジュリアン・ムーア マイケル・ケイン
ポニーキャニオン 2007-03-21

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映画「ディスタービア(DISTURBIA)」

B001G9EBK4ディスタービア [DVD]
シャイア・ラブーフ, サラ・ローマー, D.J.カルーソ
角川エンタテインメント 2009-06-19

by G-Tools

監督:D・J・カルーソー
アメリカ/2007年/104分

父と息子の和解からはじまる、隣人を愛し、家族を愛する心優しい青年の青春物語。過去の作品から学び、現代的な味付けをして、アイデアを形にした作品。「視線の交差」と「制約から救出への転換」が見事。綱渡りの恋を成就させる秘訣とは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
最愛の父親を自動車事故で亡くしたケール。
教師の心無い言葉がきっかけで学校で暴力を振るってしまったケールは、裁判所から3ヶ月の自宅軟禁処分を言い渡される。
こうしてケールは、半径30メールを越えると自動的に通報される監視システムを足に装着しながら生活することになった。
テレビのニュースで赤毛の女性ばかりが行方不明になる事件を報じるなか、退屈しのぎに近所の覗き見をはじめたケールはある晩、事件の容疑者と同じ車種で、なおかつ同じ特徴を持つ車に乗って深夜に帰宅した隣家の住人ターナーと、血まみれのゴミ袋を目撃する。
ケールは友人たちと協力して隣のターナー家の覗き見をつづけることにする。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ケール
男子学生。

▽ジュリー
ケールの母親

△ターナー
男性。ケールの家の隣家の住人

▽アシュリー
女子学生。ケールの同級生。ケールの家の隣家に越してきた。

△ロニー
男子学生。ケールの同級生で親友。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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父と息子の和解からはじまる、隣人を愛し、家族を愛する心優しい青年の青春物語。過去の作品から学び、現代的な味付けをして、アイデアを形にした作品。「視線の交差」と「制約から救出への転換」が見事。綱渡りの恋を成就させる秘訣とは?

■ 物語は、終わりからはじまる

物語は終わりからはじまる?

なんのこっちゃ? と思われただろう。

どういうことかというと、ありがちな物語だとクライマックスにもってくるシーンを「ディスタービア」では冒頭(セットアップ)に持ってきているのだ。

具体的には主人公の青年ケールと、その父親との釣りのシーンだ。

これはいわゆる父親と息子の和解。べつに喧嘩しているわけではなくとも、父親と息子の関係はなんともギクシャクしているのはありがちだ。

冒頭のシーン。友人との約束よりも父親との釣りを優先させたケールに礼を言う父親。ケールも父親との釣りを楽しんでいる様子が描かれる。

和解という(雰囲気を持った)ハッピーエンドからはじまる物語。それは家族(父親)を失い、自分の道をも見失いかけている青年の再生の物語だ。


■ 止まって気づくもの

自宅軟禁で学校へも通えない。それどころか半径30メールの行動範囲しかないケールは、自宅でインターネットに接続したテレビゲームをしたり、テレビを見たりしている。

そんな日々をみかねた母親は、テレビゲームの契約を打ち切ってしまう。

暇を潰す術がなくなったと感じたケールは、自宅の周囲に目を配るようになる。すると隣人たちがどんな人たちで、どんな生活スタイルを持っているかがわかってくる。

いままで身近にありながらも気にもとめなかった世界を知ったのだ(新世界との対面)。

そして、新世界の異変に気づくまで長い時間はかからなかった。


■ 隣人を愛し、家族を愛する心優しい青年

隣人宅の異変など普通なら気づきもしない。たとえ気づいたとしても、それは他人のこと。自分に危害や迷惑が及ばないかぎり関わろうとしないのが大半だろう。

だがケールは違った。隣に越してきたキュートな女の子と積極的に関わろうとするのと平行して、殺人事件に関与しているとおぼしき隣人の中年男性にも目を光らせるのだ。

これはケールが元来、品行方正に関して問題のある人間ではなく、隣人を愛し、家族を愛する心優しい青年だからだ。

父親の死をきっかけに勉強にも身が入らず、授業中にボォーとしていることがある。そして偏見による心ない教師の言葉によって自宅軟禁処分となったケール。彼は元来、悪い人間ではない。

そんなことが身にしみるほどわかるよう、セットアップから気を使ってケールの人物像を作り上げている。そのおかげで、ティーンエイジャーの好奇心と正義感に、半径30メートルの制限というスパイスが絶妙に絡まって、観客の興味と共感を得ることに成功している。

 
■ 願望(空想・妄想)にプラスするもの

こんなのあったらいいなぁ。そんな空想(妄想)が詰め込まれている。

お隣に、美人でキュートな同年代の女の子が引っ越してきたらいいなぁ。

さらに、お隣が殺人鬼だとわかって、それを暴いて被害の拡大を防くヒーローになれたらいいなぁ。

そんな都合のいい願望が叶うワケがない。

だが、叶ってしまうのが映画だ。

とはいえ、ノーマルモードで叶えてもいまひとつおもしろくない。

そこでヒッチコックの「裏窓」を彷彿とさせる設定のために、自宅軟禁処分を受けて半径30メールの行動範囲しかない青年を登場させる。

ロケーションを限定させると同時に、恋人や友人の助けを借りることで空間的な広がりも要所要所で感じさせることができる。

それは、足首に装着させられた監視システムをはじめ、携帯電話や小型ビデオカメラをはじめとする現代的機器を使うことで可能になった。

これによって「ディスタービア」がヒッチコックの「裏窓」を真似しただけの作品ではなく、時代とアイデアという要素を加えた新たなエンターテイメント作品となったのである。


■ 見る者と見られる者

ケールは半径30メールを越えると自動的に通報される監視システムを足に装着しながら生活している。

つまり、監視されているのだ。

監視されているケールが、隣家の住人ターナーを監視する。

そしてターナーもまた、自分に注意を向ける隣人ケールとその友人に気づき、監視する。

幾重にも折り重なる「視線」が複雑に交差して物語はクライマックスへと収束されていく。

やがてケールは、自分や恋人や友人の危機を周囲に知らせるために半径30メートルの境界線の外へ出ようとする。
半径30メートルの行動範囲が「制約」から「救出」へと転換する。

ま、まいぅ~!(うまい、上手の意味)。


■ 綱渡りの恋

ケールは隣家に引っ越してきた女の子アシュリーを好きになる。

いつも彼女を見ている。そのため、彼女が家でどんなふうにすごしていて、どんな癖があって、どんなときにどんな行動をするのかを知っている。

さらに、そういった知っていることをケールはアシュリーに打ち明けて口説くのだ。

これって、ひとつ間違えばストーカーである。

ところがアシュリーはそれを、自分を深く理解してくれている最高に素敵な言葉だと感じる。

もちろんこのシーンまでに、様々な恋の下準備のシーンはある。

そうでなければ、アシュリーがケールに少しでも好意を持っていなければ、身も凍るストーカー劇になってしまう。
これをご都合主義といえばそれまでだが、現実にだって好きな人が自分のことを知っていてくれればうれしいもの。
興味がない人や関わりたくない人が自分のことを知っていたら、気持ち悪いとおもうもの。

「恋は綱渡り」(←名言?or迷言?)

でも、綱渡りの前にできることはあるはず。下準備こそ、綱渡りの恋を成就させる肝なのだ。

下準備や段取りがちゃんとできる人は、実生活でもポイントが高いだろう。映画も同じである。


■ その他

ドキドキする心臓の高まり。甘酸っぱい恋。嫉妬。友情。正義。信念。そして行動(アクション)。

過去の作品から学び、現代的な味付けをして、アイデアを形にする。

米国でヒットしたのも、じゅうぶんにうなづけますネ。

日本でも、もっともっと話題になってヒットしてもよさそうなのに……。

米国の映画にはつまらない作品も多々ありますが、それはどこの国の映画だってそうです。

でも、だからこそ「おもしろいもの」を「おもしろがれる」、つまり「楽しむスキル」のようなものはけっこう研ぎすまされているのでしょう。

その表れが「ディスタービア」の米国でのヒット、というワケ。

日本でも、たとえば「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」が大ヒットするようになれば「楽しむスキル」の上達が目にみえてきたといえるでしょう。

そんな日がくることを願いつつ、今回はここまで。

▼「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」作品レビュー

デート      ◎ 
フラっと     ◎ 
脚本勉強    ◎
演出       ○
キャラクター   ○
映像       △ 
笑い       △
ファミリー    ○ お子様向けという意味ではない
アクション    ○
ほのぼの    ×


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