映画「夕凪の街 桜の国」
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監督:佐々部清
日本/2007年/118分
原作:こうの史代『夕凪の街 桜の国』
「夕凪の街 桜の国」を観た人は、親しい人や大事な人にこの作品のことを伝えずにはいられないだろう。
ストーリー(概要)
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昭和33年。広島市街。
原爆投下から13年。平野皆実は職場の同僚・打越豊と相思相愛だが、被爆体験の心の傷によって愛を受け入れられない。それでも打越豊は平野皆実をやさしく包み込む。しかし、平野皆実の体には原爆症の症状が出はじめていた。
平成19年夏。東京。
最近、退職してしばらくした父親・石川旭がふいに外出したり、長距離電話をかけたりすることがある。そんなある晩、父親が何もいわずに家を出ていこうとしているのに気づいた七波は、そのあとを追う。
駅でそっと父親を見張る七波の前に、小学生の頃の同級生・利根東子が現れ、共に後を追うことにする。こうしてたどり着いたのは広島だった。
主な登場人物の紹介
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▽石川七波
女性。石川旭の長女。
△石川凪生
男性。七波の弟。医者の卵。
▽利根東子
女性。看護士。七波の元同級生。凪生の恋人。
▽平野皆実
女性。広島市街で建築事務所に勤務。
△打越豊
男性。平野皆実の職場の同僚。
△石川旭
男性。平野皆実の弟。幼少期に茨城に疎開。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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「夕凪の街 桜の国」を観た人は、親しい人や大事な人にこの作品のことを伝えずにはいられないだろう。
■ ふたつの時代は繋がっている
この物語の時代は大きく2つに分けられる。
ひとつは昭和33年の広島。原爆が投下されてから13年。
もうひとつは平成19年の東京。広島に原爆が投下されてから約60年ほど経った、それも東京の地。
どちらも原爆投下から時間が経っている。一方は場所も違う。
しかしながらどちらの時代も原爆による傷の中にある。
■ 昭和33年 広島
昭和33年の広島に暮らす平野皆実は市街の建築事務所で事務の仕事をしている。同僚の女性たちと洋服のおしゃべりをしたり、同僚の男性・打越豊に好意を持ったりと、ごくふつうの日常をおくっているようにみえる。
しかし、5人家族だった平野家は、原爆投下により父親と妹を失っていた。末の弟は茨城に疎開させたまま向こうで暮らしている。
母親とふたりで住む平野皆実は、自分の幸せへ一歩踏み出そうとすると、原爆投下で亡くなった妹を思い出し、自分だけが幸せになってはいけない思いに押しつぶされそうになる。
そんな平野皆実を打越豊はやさしく包み込んでくれる。しかし、平野皆実の体には原爆症の症状が出はじめており、日に日に弱っていくのだった。
■ 平成19年 東京(広島)夏
平成19年の東京に暮らす石川凪生は医者の卵としてがんばっている。彼は喘息持ちだが、それが原爆の後遺症
に関連するものなのかどうかはわからない。恋人の利根東子の家族からは、被爆者の末裔であることを理由に交際を反対されている。
七波と凪生の祖母の平野フジミは、年老いてから亡くなった。それも原爆の後遺症が関連しているのかどうかは誰も何も言おうとはしなかった。
七波と凪生の母親(太田京花)は、団地の自宅で血を吐いて倒れ、亡くなった。
石川七波は、小さな頃からお転婆で健康そのものだ。
■ 人々の日常に浮かび上がってくるもの
平成19年の東京での石川家の日常。
昭和33年の広島での平野家の日常。
双方は繋がっている。
約60年前の原爆投下と現在(平成19年夏)の東京では、時代も場所もかけ離れているかのように思えるかもしれない。
しかしそうではないんだということを私たちに語りかけてくれる。
日常の中にこそドラマがある。人々の日常に浮かび上がってくるもの。日本でしか描き出せないそれを、世界中の人々に観てもらいたい。
■ 映像における主役とは
昭和20年の原爆投下時の広島市街を再現した映像はない。当時の様子を語るシーンでは、数枚から数十枚の絵が使われている。
厳密には平野皆実が幼い妹を背負って歩き続けるシーンがあるが、それもスポットライトで二人だけを照らしたかのようなものだ。
これは、意図して原爆投下時の広島市街を再現しないのだろう。昭和33年の広島でも、平成19年の広島でも、原爆投下当時の跡は見えにくくなっている。そしてそれは人の記憶からも薄れていきつつある。
しかし、昭和33年であれ平成19年であれ、原爆投下による傷は消えることなく続いている。それを伝えるたに、あえて原爆投下時の広島市街を再現したシーンを作らなかったのだろう。
映画は映像作品だ。CG技術が発達した現代なれば、作ろうと思えば原爆投下時の広島市街のシーンを作ることはできる。だがそれをせずに、昭和33年と平成19年というふたつの時代を生きるふたりの女性の視点を通して、それぞれの時代においても、傷と共に生きる人間の姿を映し出している。
映画は映像作品ゆえに、なにを撮って、なにをスクリーンに映し出すのか、それによって観客の心の中になにを映し出してもらいたいのか、ということを特に意識する必要がある。
映画がスクリーンに映し出す「映像」は、あたかもそれ自体が主役かのように思えるかもしれない。だがそうではない。「スクリーンの映像」は「心の中の映像・感情」のための引き立て役にすぎない。
映画という形式に限らず、あらゆる物語では、観客の心の中に映し出される「映像:感情」こそが、主役なのである。
こんなことをいうと、映画ではなく小説を読んだほうがいいという人もいるかもしれない。しかし、だからこそ、あえて映像作品で「心の中の映像・感情」を作り出そうとする。そこに映画の醍醐味があるのだ。
■ その他
家族愛、きょうだい愛、男女の恋愛。
そういった、人の日常を、日本でしか描けないもので、現在へ繋がるふたつの時代で描出す「夕凪の街 桜の国」を、この夏にぜひ観ていただきたい。
すこし前に「1年に1度でいい。とにかく観てほしい。ただひと言、そういえる作品に出会いたい」と書いて「しゃべれども しゃべれども」という作品をレビューしたばかりだ。それからそんなに経っていないうちに、また同じように言える作品に出会えるとは……。
ほんとうに心に響く作品は、観ているといつの間にか涙が出てくるもの。「泣かそうという商業的意図、つまり、いかにもなお涙頂戴狙い」などとは無縁だ。
昭和33年の東京を舞台にした。CGをたくさん使って「泣かそうという商業意図」だけで作ったかのような作品がある。2丁目だか3丁目だかの朝日だか夕日だか。そんなタイトルの作品だ。そういう作品があってもかまわない。だがそれが第29回日本アカデミー賞を受賞したときいて涙した。嘆かわしさから出る涙だ。
昭和33年の東京の町並みをノスタルジィで涙を誘うためだけに再現することにCG技術を使っている場合ではない。
昭和33年の広島を、日本を含む世界の人々へ伝えるメッセージのために再現することにCG技術を使う。そういう使い方がいい。
日本アカデミー賞なんて世界のだれも注目してくれないかもしれない。それでもなかには、日本人はどんな作品で世界に何を伝えたいのかを知りたくて受賞作に目を通してみようと思う人がひとりでもいるかもしれない。そのひとりはたいへん貴重である。
「夕凪の街 桜の国」をそのひとりに観てもらえるよう、少しでも力になれればと願う。
もちろん日本で生まれ育った方にも、ひとりでも多く観てもらいたい。
こういうときこそ、メルマガを発行していて(ブログをやっていて)よかったと思うことはない。わずか数千名にしか届けられないと言う人もいるかもしれない。しかし、現代では口コミほど大きな力を持つものも、なかなか無い。
アナタが「夕凪の街 桜の国」を観て感じたことを、あなたの家族、友人、知人に伝えてほしい。
とはいえ、私がとやかく言わなくても「夕凪の街 桜の国」を観た人は、親しい人や大事な人にこの作品のことを伝えずにはいられないだろう。
1945年(昭和20年)8月6日 広島市に原子爆弾投下
1945年(昭和20年)8月9日 長崎市に原子爆弾投下
デート ○
フラっと ◎
脚本勉強 ○
演出 ○
役者 ◎
映像 ○
ファミリー ○
独自 ◎
力強さ ◎
![]() | 夕凪の街桜の国 こうの 史代 双葉社 2004-10 by G-Tools |