« July 2007 | Main | September 2007 »

08/31/2007

鎖国といえば小説「五分後の世界」


「ベクシル 2077 日本鎖国」が公開中。

▼「ベクシル 2077 日本鎖国」作品レビュー

日本鎖国で思い浮かぶのが村上龍「五分後の世界」「ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界〈2〉」です。

日本が太平洋戦争で降伏せずに地下に潜り、アンダーグラウンドとして世界屈指の軍隊を持つ国になっているという設定の物語。

冒頭からグイグイと物語世界へ引き込まれ、圧倒的な描写力と緻密な世界観に一度読み始めたら終わるまでページをめくる手が止まらりません。

村上龍氏の作品は、たいていものすごく読みやすいんです。だからサラサラと読めてしまう。だから紙面を文字で埋め尽くすような真っ黒いページが多いにもかかわず、意外とスッと読めてしまう。

これは文章が恐ろしく上手なだけでなく、物語る力が本物であり、なおかつ資料を集め徹底的に研究してつくりあげる作家体力が尋常ではないためにできるのでしょう。

ものすごい作業量をものすごい集中力でこなす。この人ほどエネルギー消費量が多い人はそうはいないんじゃないかと思います。

20万人ほどに減った日本国民がアンダーグランドでどんな生活をしているのか。

なぜアンダーグラウンド兵士が少数なのに最強といわれているのか。

夏休み(そんなのないよ~という人も含めて)に、本の一冊も読まなかったなぁというお方がいたら、読んでみてはいかがでしょう。

村上龍氏の作品のなかでも代表作といわれるほど気合入りまくりの作品です。

4877284443五分後の世界
村上 龍
幻冬舎 1997-04

by G-Tools
4877281088ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界〈2〉
村上 龍
幻冬舎 1996-04

by G-Tools

| | Comments (5) | TrackBack (0)

映画「ベクシル 2077 日本鎖国」

監督:曽利文彦
日本/2007年/109分

監督への道。ふたりのCG職人が歩む道でわかる「ベクシル」というソフトの成り立ちと歩む方向。だから曽利文彦氏は監督なのだ。国内の評価?「そんなの関係ねぇ(小島よしお)」とばかりに世界への道を歩いていってほしい。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
バイオテクノジーとロボット産業でハイテク技術大国となった日本は世界市場を独占。やがてハイテク技術が規制の対象になると日本は国連を脱退して鎖国をはじめた。
それから10年の間、日本人どころか日本国土の本当の姿を見た者はひとりもいない。
そして2077年。米国特殊部隊SWORD所属の女性兵士ベクシルは、日本への潜入作戦に加わる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽ベクシル
女性兵士。米国特殊部隊SWORD所属

△レオン
男性。軍人。米国特殊部隊SWORDのリーダーで中佐。鎖国前の日本で対テロ部隊を指揮。ベクシルの恋人。

▽マリア
女性。日本に潜入したベクシルを助ける。かつて日本でレオンとも面識がある。

△サイトウ
大和重鉱総務局長

△キサラギ
大和重鉱社長


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
監督への道。ふたりのCG職人が歩む道でわかる「ベクシル」というソフトの成り立ちと歩む方向。だから曽利文彦氏は監督なのだ。国内の評価?「そんなの関係ねぇ(小島よしお)」とばかりに世界への道を歩いていってほしい。

■ 監督――それには意味がある

監督の曽利文彦氏は映画「ピンポン」で長編デビューしたCG・VFX(Visual Special Effect 主にコンピュータ・グラフックスの技術を使ったデジタル処理技術)職人。根っからの映像屋だ。映画「タイタニック」にCGアニメーターとして参加もしている。ほかにも原作がある映画「APPLESEED アップルシード」をプロデュースした。

▼「アップルシード(APPLESEED)」作品レビュー

そんな映像職人の曽利文彦監督が今度はオリジナル作品を作った。それが「ベクシル」だ。

こうなると、もうただの映像職人ではない。――監督だ。

なぜ、監督であることをわざわざ強調するのか。それには意味がある。


■ ふたりのCG・VFX職人の歩む道(山崎貴氏の場合)

日本の代表的なCG・VFX(以下CGとする)職人というと、たいていふたりの名が挙がる。

ひとりは山崎貴氏。

伊丹十三監督作品「大病人」「静かな生活」などでSFXをを担当。「ジュブナイル」で映画監督デビュー。「リターナー」そして「ALWAYS 三丁目の夕日」で日本アカデミー賞の最優秀賞発表において13部門中の12部門で最優秀賞を獲得。これによって日本を代表する映画監督になったとされる。

ちょっと待ったぁ~!

おぉ~と、ちょっと待っただぁ!(「なるとん紅鯨団より。とんねるずの貴さん)

すくなくとも、私には山崎貴氏は生粋のCG職人にみえる。

「ALWAYS 三丁目の夕日」において昭和30年代の町並みや建物のミニチュア、それに住宅、商店などのセットとCGを組み合わせたあの映像はなかなかものだった。

だが、監督ではない(と思うヨ)。

山崎貴氏の作品ではたいてい「脚本・監督・VFX 山崎貴」とクレジットされている。これを見ると「脚本・監督もですからね」と必死にアピールしているように見えてしまう。よほど「ただのCG屋」だと思われたくないのかな、と妙な勘ぐりをさせてしまう、そんなクレジットだ。

私は世界で日本映画が広く見られるようになってもらいたいと思っている。だから映像技術を持った山崎貴氏にはある程度注目していた。

「Returner リターナー」は散々だったが、それは致し方ない。はじめは真似ばかりでも、そこで試行錯誤を重ねていけば、きっと世界に見せれる日本のソフトを作れる日がくるだろうと思っていたからだ。

だからこそ「Returner リターナー」のレビューはずいぶんと辛辣な内容になったが、それもこれも次回作への期待度の高さゆえの応援歌であった。

▼「Returner リターナー」作品レビュー

すくなくとも「Returner リターナー」は、なんとかしてソフトを作れるようになろうともがく、がむしゃらな姿があった。

しかし、残念なことに第3作「ALWAYS 三丁目の夕日」で山崎貴氏にはソフトを作るつもりは無く、CG職人として生きるかたい決意をしたことがわかった。なにを目指して何になるかは人それぞれなのでそれまでだが、残念に思う。

このあたりのことは長くなるので、以下のレビューにて。

▼「ALWAYS 三丁目の夕日」作品レビュー

「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいな作品があってもいい。なんとなっくジーンとくるシーンもあった。何度も笑った。なにより、マーケティングのツボはうまいこと抑えているなぁと感心した。

だが、テレビに例えるならスカパーの水戸黄門チャンネルみたいなところで一部マニア向けに放送でもしていてくればよかったのに、地上波のゴールデンタイムで放送してしまった。

それがおかしいことだという一部の声さえかき消されているも同然の状況にこそ、閉塞する現代日本が象徴的に表れている。そういう意味では、製作者の意図とはかけ離れているが、極めて風刺的な様相を呈した作品、それが2丁目だか1丁目だかの朝日だか木漏れ日だかである。

とにもかくにも山崎貴氏は世界へ向けて発信できるソフトを作る道とは真逆へ歩きだしてしまった。いや、猛スピードで走りだしてしまった。それが残念だ。


■ ふたりのCG・VFX職人の歩む道(曽利文彦監督の場合)

もうひとりは曽利文彦監督。

先にも話した(書いた)とおり、曽利文彦監督はCG畑を歩いてきて実写「ピンポン」で監督デビューした。

実写映画であったのが重要なポイントだ。実写とCGの融合という作業を通して曽利文彦監督はずっと考えていたのだろう。

実写でできること。CGでできること。そのふたつを考え続けてきたのだ。

そうでなければ「ベクシル」は撮れない。

それは日本に潜入したベクシルが見た東京のシーンに表れている。

そもそもCGは、ロボットや乗り物といったメカや、ビルや巨大建築物といった建物と相性がいい。もちろん「ベクシル」にも飛行機やロボットやファイタースーツといったCGと相性のいいものが登場する。

しかし、実はCGと相性が悪いものがかなりの割合で登場する。それはベクシルが見た東京のシーンだ。ネタバレになってしまうので控えようと思ったが、作品の予告でもたしか東京の町の様子の映像が流れていたのでまぁいいだろう(予告などで東京の様子を明らかにしないほうが宣伝効果はより高かったと思うがそれは置いておこう)。

とにもかくにも、その東京のシーンは、太平洋戦争後間もない日本の町の様子に似ている。寄せ集めの廃材で作った屋台で人々が食事をし、台風がきたら吹き飛ばされそうな平屋の家々で人々は生活している。

それは、ロボット、メカ、ビルといったものとは正反対のアナログ世界とでもいおうか。

CGが苦手とするアナログな題材を、あえてフルCGで描き出す。そんなことしないで得意なところだけCGで作ればいいと思いがちだが、それは職人の発想と感覚と判断だ。

得意なところだけをCGで作っても、それはCG技術の見本市にすぎない

そうではなく、あくまで作品を、物語を、ソフトを世界中の人々に観てもらうために、あえて不得意とされる部分もフルCGで描いている。

CGという、一見すると冷たく無機質な印象を与えがちな技術を用いて、人間らしく生きようと一生懸命に生きようと人々が生活する町――東京――を描いた。ここに、物語の伝えたい事柄とCG技術の融合が図られたのだ。

東京のシーンがあることで、曽利文彦監督がCG技術を使って描きたい(伝えたい)ものが「人間」だというのがわかる。

伝えたいものがあるとはつまり、物語ることであり、ソフトを作ることであり、作品を撮り、映画を作ることである。

だから曽利文彦氏は監督なのだ。優秀なCG職人であると同時に、映画監督なのだ。

だから、世界へ向けて発信するソフトを作るんだ。という揺るぎない意志と、はかりしれない研究と試行錯誤の数々を乗り越えてきたことが、スクリーンからあふれてくる。

そういえば、戦後すぐあたり(「ベクシル」)と昭和30年代(「ALWAYS 三丁目の夕日」)という年代のズレはあるとはいえ、同じく戦後日本の東京を再現したかのような映像を作っても、こうも進む道が違っているのはたいへん興味深く思う。

昔を美化して懐かしむ人々と、たとえヒトのかけらしか残っていなくても最期までヒトらしく生きようとする人々との、いったいどちらが「人間」を描こうとしているかは一目瞭然である。


■ リアルすぎず。デフォルメアニメすぎず

3Dライブアニメという映像表現技術を使って作られているため、登場キャラクターの動きもたいへんナチュラルにみえる。

けれども、顔はどちらかというとアニメちっくである。

これはおそらく狙ってそうしたのだろう。「アップルシード(APPLESEED)」(プロデュース)のときもそうだったが、登場キャラクターの顔はリアルすぎないようになっている。

やはり、リアルすぎるとかえって気持ち悪く感じることがあるからだろう。そんなにリアルにしたいなら、実在の俳優を使えばエエやん、といわれればそれまでだからだ。

そもそもスクウェア(現スクウェア・エニックス)の映画「ファイナルファンタジー」で フルCGでなんでも描けばいいってものではないというのは、記録的な大コケによって、たいへん高価な教材となった教えてくれたのだから、フルCG作品での登場キャラクターの顔をどうするかは大きな悩みどころだったわけだ。

リアルすぎず。デフォルメアニメすぎず。なかなかいいあんばいだと思うゾ。


■ シンプルさで惹きつける

近未来。10年間鎖国してきた日本はどうなってる?

どうなってるか見たい、知りたい、行ってみたい(?)。――と思う仕掛け。これでつかみはOK。CGだからマニア向けと思って食わず嫌いになっている人を少しでも振り向かせたい。なるべくたくさんの人に観てもらいたいという願いがうかがえる。

ただでさえマニア向けと思われがちなCG系作品なのだから「シンプル」であることは観客層の限定を避けるうえで大いに意味がある。

それなのに、たしか予告などで東京の様子をチラッと明らかにしていたと思うのだが、それがもったいない。宝箱は開けないほうがいいのだから。

チラっと見せて興味をあおるのも手だが、ベールに包まれていたほうが興味や期待はより大きく膨らむ。そのぶん、期待していたものと違えば評価もさまざまになるが、それは致し方ないこと。ここは一発勝負! をしてほしかった。


■ その他

巨大生物といったらいいのか、いろんな物体(ガラクタ)が寄せ集まり、長い筒のような形になって他の金属片などを追いかけて食らい、同化しようとする「ジャグ」というものが登場する。

生物風な肉付け(目、口など)はなされていないのが、かえって不気味だ。まるで意志を失った物体が集団で動くものを襲って取り込んでいくというのは、ゾンビを連想させた。

米国のゾンビが、当時のヒッピー文化に対する年配者たちの反応を表していたことは有名だが「ベクシル」における「ジャグ」が日本の何を表しているかを考えてみると、なんともゾッとするホラーにもなるかもしれない。そいういうあたりも日本社会の縮図を垣間見せるという意味で、ソフトとして機能するようになっている。

ちなみにゾンビが当時のヒッピー文化に対する年配者たちの反応を表しているとはどういうことか? これについてはこちらに書いてある。

▼【深夜の課外授業】ゾンビでわかるアメリカ合衆国

それと、私が観たのは日本語版で、字幕版があるのかどうかわからないが、米国特殊部隊員のベクシルは米国人同士で話すときも日本語を話した。東京で出会ったマリアと話すときも日本語だ。

ベクシルが日本語を話せる設定だとしても、米国人同士で話すときは英語で話して字幕を付けてほしかった。こういう細部は意外と大事。

だが「そんなの関係ねぇ(小島よしお)」といってしまいたいほど「ベクシル」にはチャレンジ精神と意欲に満ち溢れている。

ただしストーリーには「奥深さ」と「熱い想い」はあるものの、それを形にするストーリー構築技術がいま一歩ならぬ、いま数歩ほしい。つまり、ストーリーの魅せ方がこれからといったところだ。それは数を重ねていけばうまくなっていくので心配ないだろう。

そもそも、世界が注目するCG・アニメといった分野でソフトを作り出そうという意志と行動だけでもアッパレである。

世界は日本の何に注目するか。なんだかんだいってニンジャ、ゲイシャ、アニメ、ジャパンマネーといったところがリアルなところだ。だから、まずはそういった分野を利用しておもいっきり目立つしかない。話はそれからであるのに「ベクシル」はソフトを作ろうと、CGもストーリーも同時進行で作ろうとした。

その姿勢と行動力だけで、アッパレ3つ! である。

それに脚本には「半田はるか/曽利文彦」のふたりがクレジットされている。少なくとも、ひとりだけでやろうとせず、たとえふたりでも複数の目で脚本を作り上げていこうという姿勢があるようなので、次回作にも期待が持てる。

ちなみに声優として参加の松雪泰子さんは、声だけでも存在感バリバリですな。

「ベクシル」は日本映画では数少ない、世界へ向けて発信できるソフトだ。

世界を意識しているので、日本国内では「?」となってしまうだろう。それは致し方ない。世界へ出て行くときは、国内ではたいていそんなもんである。

国内の評価? それこそ「そんなの関係ねぇ(小島よしお)」とばかりに世界への道を歩いていってほしい。そうすればいずれ国内の評価もそれに続いていくだろう。

曽利文彦監督をおおいに応援したい。


デート       △
フラっと      ◎ 
脚本勉強     △ 
演出       ○ 
キャラクター   △ 
映像       ◎ 
笑い       - 
ファミリー    - 
友情       ○
謎解き      ‐
意欲       ◎
チャレンジ    ◎
将来性      ◎


| | Comments (1) | TrackBack (8)

08/22/2007

レミーのおいしい作品づくりの秘密


ピクサーがなぜヒット作品を出しつづけることができるのか。

その理由のひとつは、徹底したストーリーづくりにあります。

ピクサーでは、ひとつの作品について2年をストリーづくりに費やすそうです。

CG技術の高さが目立ちがちなピクサーですが、ただのCG職人の集団ではありません。

物語をつくる工房、のようなところといったらいいのでしょうか。

物語ありきで、それに最適なCG技術を使う。

だから、ピクサー作品の質は高く、ヒットを続けているのですね。

では具体的にどういったところが上手なのか。ストーリーづくりにおいてどういったところがしっかりしているのでしょうか。


 人間と動物の関係

ピクサー作品の多くは、人間以外の生き物やモノが主人公であることが多いですね。

おもちゃの人形。モンスター。魚。車。

人間以外が主人公の作品にも、人間が登場することがあります。

しかし、登場する人間は子どもだけだったり、大人は声だけだったり、大人の体の一部がチラッと映るだけだったりします。

これは意図してそうしているのでしょう。

主人公を中心とした世界を軸に物語を展開する場合、異質な世界はあくまで異質のままにしておく必要があります。

これには、物語世界の雰囲気の統一感を保つ目的があるとともに、観客の視点を主人公の世界につなぎとめておく役割もあるためです。

「ファインティング・ニモ」にも人間が登場しますが、それはニモが父親と再会する障害(オブスタクル)のひとつの役割しか持たせていません。人間の内面には踏み込んでいないのです。

それは魚のニモの物語だからです。ニモが父親と再会するための物語だからです。

だから、人間の内面を描く必要はないのです。

これまでのピクサー作品の基本では、どちらかの世界を中心に描きはじめたら、もう一方の異質な世界へは深く入り込みませんでした。

魚の世界を描いたら、人間の世界に深く入り込まない。

おもちゃの人形の世界を描いたら、人間の世界に深く入り込まない。

しかし、表面的には人間の世界を描いていないようで、作品を見終わってみると、それはけっして魚だけの世界でもなく、おもちゃの人形だけでなく、まさに人間の世界を描いていることに気づく、という仕掛けになっています。

「人間以外の生き物やモノを主人公に描きながら作品としては人間を描く」というスゴ技を披露してきたのがピクサー作品だというわけです。


■ ふたりの事情と内面

さて「レミーのおいしいレストラン」では、ねずみのレミーと、人間のリングイニのふたりの事情と内面が描かれます。

これはスゴいことです。

物語世界の統一感を保ちつつ、観客の視点を「ねずみ世界」と「人間世界」との間をブラブラと浮遊させることなく、共に自然にリンクさせている。

これをサラッとやっているところが、ほんとうにスゴい!

こんなスゴ技ができるのは、やはり 「魔法の鏡」職人(作家)ブラッド・バードだからなのでしょう。

Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」を作るために、外部から招き入れられた新しい監督、それがブラッド・バードです。

皆さんご存知のように「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」はそれまでのピクサー作品とはちょっと雰囲気が違います。まず、人間が主人公です。厳密にはスーパーヒーローですが、基本は人間です。

そして「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」のアクション描写もどちらかというと過激なほうで、上映時間も過去最長です。

そんなブラッド・バード監督は「レミーのおいしいレストラン」で作品づくりでは明確に分けられるふたつの世界(ねずみ世界と人間世界)を同時に描くというスゴ技を披露してみせたのです。

お・そ・る・べ・し。ブラッド・バード監督。


■ 異なる世界を同時に描く方法

では、どうやってふたつの異なる世界を同時に描くことができたのでしょうか。

その鍵は「レミーのしゃべり」「動き」にあります。

レミーはねずみ世界ではしゃべります。でも、レミーは人間世界ではしゃべりません。

レミーは人間の言うことを理解しますが、人間の言葉はしゃべらないのです。

さらにレミーは四本足でも二本足でも歩きます。ねずみらしい動き(四本足歩行)をすると同時に、ねずみらしくない動き(二本足歩行)もします。

このようにレミーの「しゃべり」と「動き」は、双方の世界の中間にあります。双方の世界の橋渡しができる位置にあるのです。


■ エッジに立つ新ヒーロー

橋渡しができる位置で活動するためには、自身が所属する集団や共同体の「エッジ(ふち。へり。端)」にいる必要があります。

レミーはその優れた臭覚によって食べ物の良し悪しを判定する重要な役割を持っていました。それに父親はねずみのリーダーです。

ねずみだけど、ねずみ界のサラブレッド。ねずみ界の王子みたいなものです。

自分たちを危険な目にあわせる人間と関わるなんて考えられない。人間は敵だとあらためて教えられるレミーですが、それでも良い人間だっている! とリングイニと協力して料理を作ります。

共同体の中心にいながら、エッジに立ち、敵対するふたつの世界の橋渡しをする。

ほら、聖書の出エジプト記のモーゼだって、エジプト王子として育てられましたが、リーダーとしてイスラエルの民と共に約束の地・カナンへ旅立ったのと似ていますね。

これは偶然ではなく、当然のようにキリスト教文化を物語づくりの要素として研究して活かしているからでしょう。

なにはともあれ、レミーは新時代のヒーロー像なのですね。

「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」でそのものズバリのスーパーヒーローを描いた監督が、今度は料理を題材にヒーローを描いたのです。

▼「レミーのおいしいレストラン(RATATOUILLE)」作品レビュー

▼「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」作品レビュー

▼関連記事「レミー、実はしゃべる」

| | Comments (2) | TrackBack (0)

08/17/2007

映画「レミーのおいしいレストラン(RATATOUILLE)」

監督:ブラッド・バード
アメリカ/2007年/120分

「魔法の鏡」職人(作家)ブラッド・バードによる「誰でも名評論家」になる方法。おいしい料理と素晴らしいCGアニメは引き立て役。すべては観客の心の中に浮かぶ「ふたつのモノ」のためにある。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
優れた臭覚と味覚を持つねずみのレミーは、シェフになることを夢見ている。
ある日、自分のヒーローである天才料理人グストーの店にたどり着いたレミーは、料理人見習いのリングイニが台無しにしかけたスープを見事に作り直す。
そのスープが客に好評で、店はひさしぶりに注目を集めるようになる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△レミー
ねずみ。優れた臭覚と味覚を持つ、料理の天才。

△リングイニ
男性。料理が苦手な見習いシェフ。

▽コレット
女性シェフ。リングイニの教育係。グストー信奉者。

△スキナー
男性。グストーの料理長。儲け第一主義。
心のこもっていない高級な料理を提供するだけの店

△イーゴ
男性。料理評論家。フランス料理界で最大の権威を持つ。

△エミール
ねずみ。レミーの兄。

△グストー
男性。天才シェフ。亡き人。ベストセラー「誰でも名シェフ」の著者。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
「魔法の鏡」職人(作家)ブラッド・バードによる「誰でも名評論家」になる方法。おいしい料理と素晴らしいCGアニメは引き立て役。すべては観客の心の中に浮かぶ「ふたつのモノ」のためにある。

■ ○○もおだてりゃ木に登る?

作品を作るのはタイヘン。評論するのはラク。

あれこれ評論するならおまえが作品を作ってミロのヴィーナス。

ホントそうですね。だから、作品を作る人と評論する人とで、どっちがスゴいかといえば、もちろん作品をつくる人です。

スゴいのは作品をつくる人だけど、作品はだれかに評価されてはじめて価値が決まる。

評価のモノサシが興行収入だったり、有名人の感想だったり、観客100人アンケートの結果だったりします。

そんなことはオマケみたいなもので、大切なのは「自分の評価のモノサシ」を持っている人がもっとも作品を楽しめるということです。

とはいっても他人の評価は気になるもの。そこで登場するのが評論家という人たちです。

Aという作品の評価は、Aという作品を観た人の数だけあります。観客ひとりひとりによって、評価というのは違います。

けれども、いち早く良い評価をたくさん集めたいというのが映画製作会社や映画宣伝会社の願いです。そのため、有名人や集客力を持つ人や権威を持つ人から良い評価を得ようと、作品づくりとは違う部分でガンバッてしまうのです。

なにをガンバるかといえば、評論家受けがいい作品をつくろうとか、評論家が機嫌よくなるよう接待しようとかガンバるわけです。

そんなふうに顔色をうかがってもらえるような、業界で最大の権威を持つ評論家ともなれば、なんだか自分が偉くて何でも思いどおりにできるような気になってしまうもの。

天才料理人グストーの著書「誰でも名シェフ」を、映画作品で言い換えれば「誰でも名評論家」ともいえるのではないでしょうか。

有名で権威あるとされる評論家の評論に振り回されることなく、自分の価値観で自分にとってすばらしい作品に出会うこと。

それが大切だということを「レミーのおいしいレストラン」は教えてくれます。

さておぼえているでしょうか。私は「夕凪の街 桜の国」のレビューで以下のように書きました。

--ここから--

映画がスクリーンに映し出す「映像」は、あたかもそれ自体が主役かのように思えるかもしれない。だがそうではない。「スクリーンの映像」は「心の中の映像・感情」のための引き立て役にすぎない。

映画という形式に限らず、あらゆる物語では、観客の心の中に映し出される「映像:感情」こそが、主役なのである。


--ここまで--
▼「夕凪の街 桜の国」作品レビュー

Aという作品を観たときに、あなたの心になかに映し出される「映像:感情」こそが主役だというわけです。

フランス料理界で最大の権威を持つ料理評論家イーゴがグストーのレストランでラタトゥイユを食べた瞬間に彼はどんな風景を見たでしょうか。そして料理を作ったシェフがレミーだと知って、どうしたでしょうか。

イーゴは一見すると悪役のようですが、そうではありません。料理を愛する気持ちはだれにも負けない。たまたまそこにフランス料理界最大の権威を得てしまったために、大好きな料理を食べて楽しむことを忘れてしまっていた、ちょっとかわいそうなふつうの人だったのです。

ちょっと忘れていただけ。だからイーゴはラタトゥイユを食べてそれを作ったのがレミーと知っても、あのような深くすばらしい評論を書けたのです。

「ブタもおだてりゃ木に登る」(←サルでは?)ともいいますが、木に登っているブタは自分がブタだとは思っていません。(ブタはかわいいですけど)。

木に登ればどこまでも続く水田を見渡すことができて気持ちがいいかもしれません。でも、水田は農家の人が作ったものです。種まきも日々の稲の世話も収穫もぜずに、木の上でごはんがうまいのまずいのと言えば、ブタのくせに、と言われてしまうでしょう。そもそもその木だって農家の人が植えたものかもしれません。

じゃぁ、おまえは何なのだといわれると、多少耳が痛いのでありますが「コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)」という欄に文字を綴ってはいても、私は評論家ではありません(まぁ好きなように呼んでもらって結構ですが……)。私はライターです。映画の記事を書けば映画ライターというわけ。

皆さんだって、たとえばブログに記事を書けばライターです。私は、多くの皆さんと同じひとりの観客であり、同じひとりのライターなのです。

ただちょっとだけ、自分の評価のモノサシらしきものを持っている、ひとりの観客でありライターというわけです。

ウェブログ(以下ブログ)が人気の時代。だれもが自分の感想・意見・評論を気軽にネットに発表できるようになって、文字通りAという作品を観た人の数だけ評価があることが「ブログに映画感想を載せる」という具体的行動によって、いっそう明確になりました。

何者にも、何事にもとらわれることなく、自分の感想や意見をあらわすことができる時代になったのです。

多くの人々は、自分と近い目線の人の「生の声」を聞きたいのです。だれかに遠慮したり、だれかをよいしょした「作られた声」は、これまで掃いて捨てるほどあったのですから、いまさらそれが増えたところでありがたみはほとんどないでしょう。

人はタダでなにかを貰えば気持ちが動くもの。ましてなにかを貰ってはなおさらのこと。

だから私は積極的には試写会にいきません(たまには行きますけどね。一般より早く観れるのはやはりうれしいもの。でも試写会で観た場合はその旨を明記している……ハズ。「かもめ食堂」は試写会で観たなぁ)。

▼「かもめ食堂」完成披露試写会の記事

たとえAという作品を観るために1円でも支払えば、あとはそれをどう評価しようとその人だけの感想・意見となります。

しかし、タダ(無料)だったり、なにかを貰ったりしたら、もうそれはその人だけの感想・意見ではありません。作品自体の内容よりも、それに付随するもの(タダで観せてくれた、金銭や物をくれた)のほうに「力点」が移ってしまうからです。

――おだてられて木に登るブタにならないよう、自戒を込めて。


■ 「魔法の鏡」職人(作家)ブラッド・バード

ブラッド・バード監督は社会派です。「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」でアメリカ社会を映し出す魔法の鏡として機能する作品を発表。

そして「レミーのおいしいレストラン」では、映画作品によって映画作品をとりまく状況を映し出す魔法の鏡を登場させるというスゴ技を披露してくれました。

▼「Mr.インクレディブル(THE INCREDIBLES)」作品レビュー


■ サラッとあんなことやこんなことも入ってます

ざっと目についただけでも、人間の欲求のうち「帰属意識」「友情」「恋」「自己実現」「サバイバル」が織り込まれています。

ねずみのレミーは毎日がサバイバルです。人に姿を見られただけで追いかけまわされて死の危険に直面します。

さて、レミーの父親はねずみグループのリーダーです。レミーは優れた臭覚によって、食べ物が安全かどうかをかぎ分ける重要な役割を共同体内で与えられています。

レミーのねずみ社会での地位は悪くありません。というより、かなり良いほうでしょう。親が群れのリーダーであり、自分もみんなに必要とされているのですから(帰属意識)。

でも、レミーはシェフになりたいという願いを持っている(自己実現)。

ねずみがシェフになれるわけがないと言われるのが普通。けれどレミーはリングイニと出会うことでそのチャンスを得ます。

リングイニとの共同作戦を通して、信頼する友を得ることができます(友情)。

一方、人間のリングイニは、先輩シェフのコレットと恋に落ちます(恋)。

これだけの基本欲求をバランスよく、それでいてさりげなく的確なタイミングで織り込む技術は超一級ですね。

それがスゴいとあまり気づかれずにサラッと物語が展開していくというのが、ほんとうにスゴいんですね。

だから、作品を見終わってから「レミーのおいしいレストラン」のスゴさが後からどんどん沸いてきます。

たとえどこがどうスゴいのかをうまく説明することができないばかりでなく、スゴいとはっきり気づかなかったとしても、他の作品を観たときに、無意識のうちにも「レミーのおいしいレストラン」と比べてしまうことがあることでしょう。

そのときにハッとするわけです。レミーってスゴ! ってかんじに。

サラッとストーリーが展開しているように思えるけれど、後からジワッとくる。これもひとつの「余韻」といっていいでしょう。


■ これぞ映像革命!

ピクサーは作品ごとに大きな挑戦をしてきました。毛のある生き物を主人公とする「モンスターズ・インク」。水中の生物(魚)を主人公とする「ファインディング・ニモ」。そして、料理を題材とする「レミーのおいしいレストラン」です。

どの作品も、制作当時はCGアニメで表現することがたいへん難しいとされたキャラクターや世界観や題材を、あえて主軸にして作品を作ってきたのです。

また「Mr,インクレディブル」で垣間見せたCGとスピードの相性の良さは「カーズ」で大きく花開きました。

それが「レミーのおいしいレストラン」では料理という難しい題材で、すばしっこく動き回るねずみのスピードを見事に映像化してみせているところに繋がっているのですね。

▼「モンスターズ・インク(MONSTERS,INC.)」作品レビュー

▼「ファインディング・ニモ (FINDING NEMO)」作品れビュー


■ その他

タカはピクサー作品が好きで、よくピクサー作品をおすすめしています。

ピクサー作品は多くのことを教えてくれます。

その一部を、こんな↓レポートのカタチで紹介もしているぐらい、ピクサー作品はおすすめです。

▼『ファインディング・ニモ』が教えてくれる、わかりやすくする7つの方法』

どんなに良い作品だよといっても、アニメ作品は絶対に観ない、実写しか観ないという人もいます。

何を観て何を観ないかは人の勝手ですが、実写作品だって、最近はCGがたくさん使われていて、ほとんどCG作品みたいになっているものがあります。

そうすると、実写だからとか、アニメだからとか、そういったことに果たしてどのくれらいの意味があるのでしょうか。

高級フランス料理だからうまい。高級懐石料理だからうまい。それもあるでしょう。けれど学園祭の屋台のヤキソバだって、うまいものはうまい。

ねずみが作った料理だって、うまいものはうまい。

実写だろうとアニメだろうと、自分が観たり、自分が体験したりしなければ「自分の評価のモノサシ」を持つことはできません。「自分の評価のモノサシを持つ」とは、言い換えれば「自分の価値観を持つ」ということ。

人生を有意義に送る方法のひとつは、自分の価値観を持つことです。

そうそう「レミーのおいしいレストラン」観ていると、お腹が空きますヨ。

▼関連記事「レミー、実はしゃべる」

▼関連記事「レミーのおいしい作品づくりの秘密」

デート       ◎ レミー超カワイイ!連呼で彼女のご機嫌UP
フラっと      △ ピクサー作品だと認識して観にいこう 
脚本勉強     ◎ とうに堂々の王者の風格
演出       ○ 
キャラクター   ◎ 
映像       ◎ これがホントの映像革命
笑い       ○ 
ファミリー     ◎ 
友情       ◎
謎解き      ‐
評論家      × 耳が痛い! とはいえ評論家向けともいえる。


| | Comments (0) | TrackBack (8)

08/15/2007

レミー、実はしゃべる


ピクサー作品「レミーのおいしいレストラン」

ねずみのレミーは、従来のディズニー作品のキャラクターの多くが二足歩行するのとは違い、ほんとうのねずみと同じように動きます。

けれども、実は二足歩行もします。

なぜ二足歩行をするかを、レミー自身が他のねずみに説明するシーンがあります。

前足を清潔にすることで食べ物をおいしく安全に食べるためだというのです。また、手に入れた食料を清潔に運ぶこともできるから。

二足歩行にはちゃんと理由がある。食料を清潔に保ち、おいしいものを食べたいという願いをもったねずみというキャラクター設定をしっかりしたものにする役割がそこには込められているんですね。


さて、レミー自身が他のねずみに説明するということは、レミーは実はしゃべれるんです。

でもそれは同じねずみ同士の場合だけです。

レミーは人間の言葉を理解するけれど、人間の言葉を話すことことはできません。

このあたりの絶妙なさじ加減が、レミーのおかれた状況を的確に観客に知らせることを可能にしています。

登場キャラクターが人間と動物の両方いる場合は、動物はしゃべらない設定にするんだけれども、動物同士(ねずみ同士)はあたりまえにしゃべる。

そうすると観客は、ねずみ社会の事情もわかる一方で、人間(リングイニ)の事情もわかる。

双方の事情がわかるのは観客のみ。

すべて知っているからこそハラハラドキドキする。

その設定が巧みなんですね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

08/12/2007

映画「トランスフォーマー(TRANSFORMERS)」

監督:マイケル・ベイ
アメリカ/2007年/144分

贅沢すぎる舞台を用意したお笑い劇(前半)。VFXによる映像革命に度肝抜かれるというよりも、そのシステム化された娯楽系プロパガンダ方程式と、それを映画というカタチにする膨大な資金力と実行力に度肝抜かれるといったほうがいい。女子諸君の好みには合わず、デートには向かない。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
宇宙。未知の星から、あらゆるテクノロジー機器に姿を変えられる金属生命体が地球にやってくる。力の源であるキューブをめぐり、善玉ロボットたち+人間たちと、悪玉ロボットたちが戦を繰り広げる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△サム・ウィトウィッキー
高校生。

▽ミカエラ・ペインズ
高校生。サムの同級生。

△レノックス
米陸軍大尉

-----
悪役ロボットたち↓

∴メガトロン

∴バリケード

∴スタースクリーム

∴ブラックアウト

----
善役ロボットたち↓

∵オプティマス・プライム

∵バンブルビー

∵ジャズ

∵アイアンハイド


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
贅沢すぎる舞台を用意したお笑い劇(前半)。VFXによる映像革命に度肝抜かれるというよりも、そのシステム化された娯楽系プロパガンダ方程式と、それを映画というカタチにする膨大な資金力と実行力に度肝抜かれるといったほうがいい。女子諸君の好みには合わず、デートには向かない。

■ トランスフォーマーってなに?

「アルマゲドン」「パール・ハーバー」のマイケル・ベイと、「JAWS/ジョーズ」「E.T.」「宇宙戦争」のスティーヴン・スピルバーグが組んだ夏の超大作映画として登場の「トランスフォーマー」。

トランスフォーマーは、日本のおもちゃメーカー・タカラトミーの変形ロボット玩具シリーズの名前だ。

トランスフォーマーが日本生まれの米国育ちと言われるのは、日本国内で売られていたロボットを米国で「TRANSFORMERS」として発売したところ、米国でヒットして日本に逆輸入されたことによる。

米国で有名なロボット玩具を米国で巨匠と言われる監督やプロデューサーが手を組んで作ったのが映画「トランスフォーマー」というわけだ。

だから、日本でいうところのガンダムが実写映画になったようなものだと思えばいい。けれど大きな違いがある。ガンダムでは基本的に人間が活躍するのに対し、トランスフォーマーは人間とロボットの両方が活躍する。

「トランスフォーマー」のロボットたちは生命体。人間が操縦するロボットではなく、ロボット自体が意思を持った金属生命体なのだ。


■ 既知と未知でわかる善悪の構図

日本のアニメ・機動戦士ガンダムのロボットたちはしゃべらない。人間がロボットの中に入って操縦する。ロボットはあくまで機械だ。

だから地球連邦軍とジオン公国の戦いは、人間同士の戦いである。人間は人間を知っている(哲学的な部分は抜きにして)わけだからおおまかにいえば「既知」である。

トランスフォーマーのロボットたちはしゃべる。だから地球人と地球外生命体の戦いは、地球人にとっては「未知」だ。未知なる敵との戦いである。

では「既知」と「未知」を、乗り物を例に考えてみよう。


■ 車=善

トランスフォーマーの善役ロボットたちは主に車に変形する。日常で一般人が乗る、乗用車やスポーツカーやトラックといった車だ。

乗用車やスポーツカーやトラックは身近にある。通勤通学に乗用車に乗る人もいるし、デートやドライブにスポーツカーに乗る人もいるし、。仕事でトラックに乗る人もいる。車はとても身近な機械だ。

いつも身近にあって、普段は意識していなくても、それが壊れたり無くなったりしたら、たいへん不便に感じる。どこへ行くにも一緒の相棒。それが車だ。特に一部の都市部を除いて車社会といわれる米国では(日本も同じようなものだが)そうである。

身近な相棒には親しみを感じる。自分の車に名前を付けたり、土足禁止にしたり、チューンナップを施したりする。だから善役ロボットたちの多くは車に変形するのだ。


■ 軍用乗り物=悪

一方の悪役ロボットたちは主に軍用ヘリコプターや戦闘機や戦車に変形する。

戦車が街中を走ったり、軍用ヘリコプターや戦闘機が街の上空を飛行したりというのは頻繁にあることではない。軍備の必要性の是非はさておき、軍用の乗り物は外的危機の脅威に対抗するためにある。

外敵による危機の象徴。それが軍用ヘリコプターや戦闘機や戦車だ。悪役ロボットの変形がこれらであるのは、たいへんわかりやすい善悪の区別のためである。

そうすると、比較的身近な車は「既知」で、比較的疎遠な軍用の乗り物は「未知」となる。

車に象徴される既知なる味方とともに、軍用の乗り物に象徴される未知なる敵を倒す。そんな図式となる。


■ システム化された娯楽系プロパガンダ方程式

軍用の乗り物といっても、それは悪役ロボットたちが変形したもの。いうなればニセモノである。ニセモノである未知なる敵を、ホンモノの軍用兵器で倒す。それも民間人と民間車(?)の協力を得て。

作り手にとっては、なんと理想的なプロパガンダ映画であろうか。

米軍が協力しているため、軍用兵器による派手な戦闘シーンが多い。これを米国と敵対する国に観せたなら、あんな軍隊にはとてもじゃないが敵いそうもない、と思わせることができそうだ。

街中を戦車やミサイル搭載車や兵士たちで埋め尽くして軍事パレードする必要はないのだ。娯楽映画を作って、日本をはじめとする世界各国で収益を得つつ、軍事的優位性を世界にアピールできるのだから。

おそろしいまでにシステマチックなプロパガンダ。

映画「トランスフォーマー」はVFXによる映像革命に度肝抜かれるというよりも、そのシステム化された娯楽系プロパガンダ方程式と、それを映画というカタチにする膨大な資金力と実行力に度肝抜かれるといったほうがいい。


■ 自虐風刺ネタもアリ?

トランスフォーマーのしゃべるロボットたちは「未知」だが、かといって皆が悪ではない。未知だからといって皆が悪ではないとエクスキューズするわけではないのかもしれないが、オプティマス・プライムをはじめとする善いロボットたちもいる。

とはいえ、ずいぶん都合のいい設定だ。こう考えてみよう

よく故障するけど、いつも一緒の「相棒=自分の車」がしゃべったら?

なんだかうれしく感じるだろう。

しゃべることを許された機械は、それが「身近で役に立つもの=車」なら善になり「外敵危機となるもの=軍用乗り物」なら悪になる。

もしも、その日その時がきてほしくはないと、いつも思っているもの=外敵がしゃべったら?

沈黙の恐怖もあるが、外敵が語りかけてくるというのも怖い。そのほうが直接的な恐怖と憎悪を生みやすい。

トランスフォーマーの物語世界の米国は、悪役ロボットであるメガトロンが冷凍漬けにされて動かないときは、その機械の体からあらゆるテクノロジーを吸収して米国発展のために使ってきた。都合よく利用してきたわけだ。
そして、思い通りに利用できているときは、なんともノーテンキである。

メガトロンが冷凍保存されている倉庫の職員かなにかのひとりは、このロボット(メガトロン)が我々に脅威を与えるものは思わなかった、といった意味のことを言う。

冷凍されているために動かない、しゃべらない。そういった危機の要因になるとは思えないものは大いに利用する。

ところがあるとき気がついたら動き出して、おまけにしゃべって、自分たちを危機に陥れる。危険はなく、脅威にはなり得ないと思っていたのに……! こんなに怖いものはない(だろう)。

このあたりの、米国人にとっての恐怖については、特別レポート「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」徹底解説~ハリウッドがジャパンホラーを買いたがる理由~』にもあるとおりだが、米国人に限らず身近に潜む恐怖というのはけっこう効果的だ。

ビデオテープや携帯電話の着信を恐怖の題材とした作品がヒットしたのも表面的なわかりやすい例といえよう。既にレポートを読んだ人はおわかりだろうが、深層的な例は「THE JUON/呪怨(THE GRUDGE)」にみることができる。

そんなこんなで映画「トランスフォーマー」は風刺ちっくな部分もありつつ、日本のロボットという元ネタを使って映画をつくり、その日本でも公開して収益を上げ、しっかり世界へ向けてプロパガンダもしているチャッカリモノである。


■ その他

前半はけっこう笑いがある。こんなに愛すべきおバカ映画は、なかなか無いぞと思わせてもくれる。

それと、この作品は男子向けだ。

スティーブン・スピルバーグの映画集団ドリームワークスのアニメ作品「シュレック」でのチャーミング王子はヒーローではない。それまでのアニメの王道でいえばアングロサクソン系で金髪で若いマッチョなイケメンくんは善役ヒーローと相場が決まっていた。

ところがチャーミング王子はどちらかというと悪役だ。

映画「トランスフォーマー」でも、いわゆるイケメンくんは引き立て役になっている。活躍するのはクラスの皆から馬鹿にされているかのような、いわゆるヲタク系の青年だ。

ヲタクがカッコイイみたいな風潮が最近の米国内にあるのかどうかはわからないが、イケメンイ=善役という王道をあえて外し、さえないヲタク青年にセクシーな美女がなびくという、男心をくすぐる話になっている。

終盤はロボットの戦闘シーンが長く続くことからも、ほぼ完璧に男の子向けの作品だといっていい。

女の子が共感したり、素敵! わかるわかる! と思ったりする余地は、まず無い。

よっぽどの亭主関白系のカップルでないかぎり、デートでこの作品を選ぶのは控えたほうがよさそうだ。

映像は、細かいところは見ないでねといわんばかりの早回しっぽいロボット変形をはじめ、ちょいと早過ぎな印象を受ける。特にラストにむけてのロボットたちの格闘・戦闘シーンは映像が走り過ぎだろう。適度に息つぎできる間を入れてほしい。

私はこういった映像のスゴさ云々よりも、たとえ地味に見えても観客の心の中に浮かぶ映像を喚起する作品のほうが好みなので、作品の後半での次から次に続く市街地でのロボット戦闘シーンの連続には、とんこつラーメンの食べ過ぎて少々胸焼けするかのようであった。大好きなラーメンでも、食べすぎは……(>_<)

善役のロボットたちがカラフルで、おもちゃチックなところも愛嬌かな。

ロボット好き、軍事モノ好き、戦闘作品好きにはたまらないだろう。

小難しいことなど考えずに頭をカラッポにして観るのがちょうどいい。

とはいえ、こういうプロパガンダ作品を親子で観るのは、ちょっとした米国社会科見学のつもりならアリだが……。

親子で純粋に楽しめるという人もいるようだが、この夏に親子で観るなら「レミーのおいしいレストラン」や「夕凪の街 桜の国」を観るほうを大いにおすすめする。


タカラトミー TRANSFORMERS OFFICIAL SITE GENERATION ONE

機動戦士ガンダム公式Web


デート      × 男子向け
フラっと     × 
脚本勉強    △ 
演出       ○
役者       ○
プロパガンダ  ◎ 米国はこういうのは得意ですね
映像       ○ 早回しっぽくてよくわからないかも
笑い       ○ 前半はベタにかなり笑える
ファミリー    △ プチ社会科見学のつもりならアリかな
ロボットファン  ◎ ロボット萌ぇ~にはたまらない
しみじみ     × 
余韻       ×

| | Comments (3) | TrackBack (7)

08/03/2007

映画「夕凪の街 桜の国」

夕凪の街 桜の国 [DVD]夕凪の街 桜の国 [DVD]

東北新社 2008-03-28
売り上げランキング : 1892

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


監督:佐々部清
日本/2007年/118分
原作:こうの史代『夕凪の街 桜の国』

「夕凪の街 桜の国」を観た人は、親しい人や大事な人にこの作品のことを伝えずにはいられないだろう。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
昭和33年。広島市街。
原爆投下から13年。平野皆実は職場の同僚・打越豊と相思相愛だが、被爆体験の心の傷によって愛を受け入れられない。それでも打越豊は平野皆実をやさしく包み込む。しかし、平野皆実の体には原爆症の症状が出はじめていた。

平成19年夏。東京。
最近、退職してしばらくした父親・石川旭がふいに外出したり、長距離電話をかけたりすることがある。そんなある晩、父親が何もいわずに家を出ていこうとしているのに気づいた七波は、そのあとを追う。
駅でそっと父親を見張る七波の前に、小学生の頃の同級生・利根東子が現れ、共に後を追うことにする。こうしてたどり着いたのは広島だった。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽石川七波
女性。石川旭の長女。

△石川凪生
男性。七波の弟。医者の卵。

▽利根東子
女性。看護士。七波の元同級生。凪生の恋人。

▽平野皆実
女性。広島市街で建築事務所に勤務。

△打越豊
男性。平野皆実の職場の同僚。

△石川旭
男性。平野皆実の弟。幼少期に茨城に疎開。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
「夕凪の街 桜の国」を観た人は、親しい人や大事な人にこの作品のことを伝えずにはいられないだろう。

■ ふたつの時代は繋がっている

この物語の時代は大きく2つに分けられる。

ひとつは昭和33年の広島。原爆が投下されてから13年。

もうひとつは平成19年の東京。広島に原爆が投下されてから約60年ほど経った、それも東京の地。

どちらも原爆投下から時間が経っている。一方は場所も違う。

しかしながらどちらの時代も原爆による傷の中にある。


■ 昭和33年 広島

昭和33年の広島に暮らす平野皆実は市街の建築事務所で事務の仕事をしている。同僚の女性たちと洋服のおしゃべりをしたり、同僚の男性・打越豊に好意を持ったりと、ごくふつうの日常をおくっているようにみえる。

しかし、5人家族だった平野家は、原爆投下により父親と妹を失っていた。末の弟は茨城に疎開させたまま向こうで暮らしている。

母親とふたりで住む平野皆実は、自分の幸せへ一歩踏み出そうとすると、原爆投下で亡くなった妹を思い出し、自分だけが幸せになってはいけない思いに押しつぶされそうになる。

そんな平野皆実を打越豊はやさしく包み込んでくれる。しかし、平野皆実の体には原爆症の症状が出はじめており、日に日に弱っていくのだった。


■ 平成19年 東京(広島)夏

平成19年の東京に暮らす石川凪生は医者の卵としてがんばっている。彼は喘息持ちだが、それが原爆の後遺症
に関連するものなのかどうかはわからない。恋人の利根東子の家族からは、被爆者の末裔であることを理由に交際を反対されている。

七波と凪生の祖母の平野フジミは、年老いてから亡くなった。それも原爆の後遺症が関連しているのかどうかは誰も何も言おうとはしなかった。

七波と凪生の母親(太田京花)は、団地の自宅で血を吐いて倒れ、亡くなった。

石川七波は、小さな頃からお転婆で健康そのものだ。


■ 人々の日常に浮かび上がってくるもの

平成19年の東京での石川家の日常。

昭和33年の広島での平野家の日常。

双方は繋がっている。

約60年前の原爆投下と現在(平成19年夏)の東京では、時代も場所もかけ離れているかのように思えるかもしれない。

しかしそうではないんだということを私たちに語りかけてくれる。

日常の中にこそドラマがある。人々の日常に浮かび上がってくるもの。日本でしか描き出せないそれを、世界中の人々に観てもらいたい。


■ 映像における主役とは

昭和20年の原爆投下時の広島市街を再現した映像はない。当時の様子を語るシーンでは、数枚から数十枚の絵が使われている。

厳密には平野皆実が幼い妹を背負って歩き続けるシーンがあるが、それもスポットライトで二人だけを照らしたかのようなものだ。

これは、意図して原爆投下時の広島市街を再現しないのだろう。昭和33年の広島でも、平成19年の広島でも、原爆投下当時の跡は見えにくくなっている。そしてそれは人の記憶からも薄れていきつつある。

しかし、昭和33年であれ平成19年であれ、原爆投下による傷は消えることなく続いている。それを伝えるたに、あえて原爆投下時の広島市街を再現したシーンを作らなかったのだろう。

映画は映像作品だ。CG技術が発達した現代なれば、作ろうと思えば原爆投下時の広島市街のシーンを作ることはできる。だがそれをせずに、昭和33年と平成19年というふたつの時代を生きるふたりの女性の視点を通して、それぞれの時代においても、傷と共に生きる人間の姿を映し出している。

映画は映像作品ゆえに、なにを撮って、なにをスクリーンに映し出すのか、それによって観客の心の中になにを映し出してもらいたいのか、ということを特に意識する必要がある。

映画がスクリーンに映し出す「映像」は、あたかもそれ自体が主役かのように思えるかもしれない。だがそうではない。「スクリーンの映像」は「心の中の映像・感情」のための引き立て役にすぎない。

映画という形式に限らず、あらゆる物語では、観客の心の中に映し出される「映像:感情」こそが、主役なのである。

こんなことをいうと、映画ではなく小説を読んだほうがいいという人もいるかもしれない。しかし、だからこそ、あえて映像作品で「心の中の映像・感情」を作り出そうとする。そこに映画の醍醐味があるのだ。


■ その他

家族愛、きょうだい愛、男女の恋愛。

そういった、人の日常を、日本でしか描けないもので、現在へ繋がるふたつの時代で描出す「夕凪の街 桜の国」を、この夏にぜひ観ていただきたい。

すこし前に「1年に1度でいい。とにかく観てほしい。ただひと言、そういえる作品に出会いたい」と書いて「しゃべれども しゃべれども」という作品をレビューしたばかりだ。それからそんなに経っていないうちに、また同じように言える作品に出会えるとは……。

ほんとうに心に響く作品は、観ているといつの間にか涙が出てくるもの。「泣かそうという商業的意図、つまり、いかにもなお涙頂戴狙い」などとは無縁だ。

昭和33年の東京を舞台にした。CGをたくさん使って「泣かそうという商業意図」だけで作ったかのような作品がある。2丁目だか3丁目だかの朝日だか夕日だか。そんなタイトルの作品だ。そういう作品があってもかまわない。だがそれが第29回日本アカデミー賞を受賞したときいて涙した。嘆かわしさから出る涙だ。

昭和33年の東京の町並みをノスタルジィで涙を誘うためだけに再現することにCG技術を使っている場合ではない。

昭和33年の広島を、日本を含む世界の人々へ伝えるメッセージのために再現することにCG技術を使う。そういう使い方がいい。

日本アカデミー賞なんて世界のだれも注目してくれないかもしれない。それでもなかには、日本人はどんな作品で世界に何を伝えたいのかを知りたくて受賞作に目を通してみようと思う人がひとりでもいるかもしれない。そのひとりはたいへん貴重である。

「夕凪の街 桜の国」をそのひとりに観てもらえるよう、少しでも力になれればと願う。

もちろん日本で生まれ育った方にも、ひとりでも多く観てもらいたい。

こういうときこそ、メルマガを発行していて(ブログをやっていて)よかったと思うことはない。わずか数千名にしか届けられないと言う人もいるかもしれない。しかし、現代では口コミほど大きな力を持つものも、なかなか無い。

アナタが「夕凪の街 桜の国」を観て感じたことを、あなたの家族、友人、知人に伝えてほしい。

とはいえ、私がとやかく言わなくても「夕凪の街 桜の国」を観た人は、親しい人や大事な人にこの作品のことを伝えずにはいられないだろう。


1945年(昭和20年)8月6日 広島市に原子爆弾投下

1945年(昭和20年)8月9日 長崎市に原子爆弾投下


▼広島平和記念資料館 WEB SITE

▼長崎原爆資料館

デート     ○
フラっと    ◎
脚本勉強   ○
演出      ○
役者      ◎
映像      ○
ファミリー   ○
独自      ◎
力強さ     ◎

4575297445夕凪の街桜の国
こうの 史代
双葉社 2004-10

by G-Tools

| | Comments (2) | TrackBack (14)

« July 2007 | Main | September 2007 »