映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド (PIRATES OF THE CARIBBEAN: AT WORLD'S END)」
監督:ゴア・ヴァービンスキー
アメリカ/2007年/170分
略奪の海賊を地でいく? 店には行列。ムードを盛り上げる音楽と内装と照明。最高の食材の味付けに、最上のひとときを期待した客のフォークを持つ手が止まった……。舞台装置や演出音楽という名のキャラクターの、予期せぬ「ひとり走り」に「ひとり遊び走り」で便乗した作り手に、観客は楽しみと大事な人とのひとときを奪略された!? これぞまさに略奪海賊の登場ナリ~。
ストーリー(概要)
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エリザベス・スワンとウィル・ターナーはキャプテン・バルボッサと手を組んで、キャプテン・ジャック・スパロウの救出へ向かう。
その頃、東インド会社のベケット卿がデイヴィ・ジョーンズを操り、海賊たちは滅亡の危機に瀕していた。
そこで、召集された9人の海賊たちの船団は、東インド会社ベケット卿の船団との決戦に挑むのだった。
主な登場人物の紹介
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△キャプテン・ジャック・スパロウ
海賊
▽エリザベス・スワン
総督の令嬢
△ウィル・ターナー
鍛冶職人
△キャプテン・バルボッサ
海賊
△デイヴィ・ジョーンズ
海底の悪霊
△ベケット卿
東インド貿易会社の権力者
▽ティア・ダルマ
ヴードゥ教の予言者
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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略奪の海賊を地でいく? 店には行列。ムードを盛り上げる音楽と内装と照明。最高の食材の味付けに、最上のひとときを期待した客のフォークを持つ手が止まった……。舞台装置や演出音楽という名のキャラクターの、予期せぬ「ひとり走り」に「ひとり遊び走り」で便乗した作り手に、観客は楽しみと大事な人とのひとときを奪略された!? これぞまさに略奪海賊の登場ナリ~。
■ 得体が知れないからいいのだが……
ジャック・スパロウの魅力は、本気なのか冗談なのかラム酒に酔っているのかわからない言動にある。
いつも適当なことを言っているようで、実はすべて計算され尽くされているのか?
そんなことを思わせる、ミステリアスなひょうきん者。それがジャック・スパロウの魅力だ。
彼の頭の中をいろいろと想像してみる。それが楽しい。そんな極上キャラクターを作ろうと思っても、なかなか作れるものではない。
そもそもパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズは、第1作目からいきなり極上キャラクターを作り上げてしまった。
もしも、意図してそのような極上キャラクターを丹念に作り上げたのだとしたら、ジャック・スパロウの魅力を台無しにしかねない、あのようなシーンは作らないだろう。
■「宝箱は開けない」がいい
もしも鍵が外れた宝箱の蓋が開いていたらどうだろう?
中身を確認して、それで終わりだ。
宝箱は、開けないことに意義がある。
宝箱には細かい装飾が施され、厳重な鍵穴や暗号めいたダイヤル式の鍵が付いていればなお良い。
第1作でジャック・スパロウという宝箱を登場させ、第2作で装飾を施した。そして第3作の初登場シーンでいきなり宝箱の蓋を開けてしまった!
■ ジャック・スパロウの脳内視点
宝箱の蓋を開けたとはどういうことか?
それは、ジャック・スパロウの脳内世界を披露したことを意味する。
しかも、その披露の仕方がブっとんでいる。
何を考えているのかさっぱりわからないのが魅力のキャラクターだったジャック・スパロウの内側を「直接」に見せてしまったのだから。
それまで、ジャック・スパロウの言動は他の登場キャラクターと接している様子を通して描かれてきた。ジャック・スパロウと観客の間に「ひとクッション」を挟んでいたのだ。
ジャック・スパロウとその他の登場キャラクターのやりとりを観るという、第3者の視点に観客がいたわけだ。
ところが第3作でのジャック・スパロウの初登場シーンでは、クッションは挟まれない。他の登場人物はいない。いきなりジャック・スパロウと観客の二人っきりだ(観客は大勢いるけどね)。
ジャック・スパロウは観客とからむわけにいかないので、自分と話す。脳内世界をお披露目というわけだ。
パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ最大の宝箱は、いうまでもないがジャック・スパロウだ。繰り返しになるが、宝箱は最後まで開けないことに意義がある。
特に、得体の知れなさが魅力のキャラクターが宝箱である場合、開ける瞬間こそが最大の重要ポイントだ。
それにもかかわらず、第3作での初登場シーンでいきなり脳内世界を披露(宝箱を開けて)してしまったのだ。
■ 自然に想像できればそれだけでOK
「語るより見せろ」が基本の映像において、脳内世界を披露するにはそれなりの意義が必要だ。
「びっくりしたぁ~」とセリフで言わせずに、いかにしてアクションで驚いた様子を伝えるか。それに苦慮するのが映像作品の醍醐味なのだから、ジャック・スパロウの頭の中を映像化するのではなく、頭の中をイメージしやすいアクションを撮るべきなのだ。
「こんなとき、ジャック・スパロウならこう思ってこう反応するだろうな」と観客が自然と想像できてしまう。それだけで十分だ。
頭の中を披露するには物語構築上の仕掛け(意味・意義)が必要だ。たとえば映画「エターナル・サンシャイン(ETERNAL SUNSHINE OF THE SPOTLESS MIND)」のように。
■ 略奪の海賊!?
ジャック・スパロウというキャラクターは、計画的に丹念に作り上げたのではなく、ジョニー・デップの俳優としての魅力によって、制作者の予想をはるかに超えて「ひとり歩き」ならぬ「ひとり走り」した。
その走りに、制作者が「ひとり遊び走り」というかたちで便乗してしまった。観客は楽しみを奪われ、あとは長時間、椅子に座り続けるしかない。
■ ディズニーリゾートの主役は
ディズニーリゾートの主役はだれか?
ねずみ男? ねずみ女?
いえいえ、主役はアナタだ。
ディズニーリゾートに遊びに行く場合を考えてみよう。家族であれ恋人であれ友人であれ、一緒に行く人との時間を楽しいものとしたい。だからディズニーリゾートに行くのではないだろうか。
ディズニーのキャラクターたちや物語の世界観は、そのためのお膳立てにすぎない。
■ 生じたズレ
パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズは、ディズニーランドの乗り物「カリブの海賊」を元に作られた。
そもそもディズニーランドのアトラクションの多くは、作品を元にアトラクションが作られている。
たとえばディズニー映画『トイ・ストーリー』の"バズ・ライトイヤー"が活躍するアトラクションに「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」がある。
ところがパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズは、アトラクション「カリブの海賊」を元にして作られた映画作品なのだ。
ディズニーランドのアトラクションの役割と目的は、ディズニーランドを訪れた客(ゲストと呼ばれる)のための舞台装置や演出音楽に徹することにある。
だからパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズの本来の役割と目的もこれと同じである。
ディズニー作品にはもちろん主人公が登場する。だがそれは物語上の仮の主人公だ。ほんとうの主人公は観客である。
それにもかかわらず、ジャック・スパロウを演じたのが実在の俳優ジョニー・デップであるため、主人公が夢の世界を飛び出して「ひとり走り」した。
ここにズレが生じた。
主役のためにあるはずの舞台装置や演出音楽が、あたかも本当の主役であるかのように振る舞いはじめたのだ。
■ 楽しみ方
では約3時間近い第3作をどう楽しめばいいのか?
ひとつ楽しみ方をご紹介しよう。
それは、ジャックはジャックでも、猿のジャックの冒険物語として観るというものだ。彼(彼女?)は要所で必ずといっていいほど登場して、観客にヒントを与えたり、突破口を開く活躍をしたりしている。
また、鍵をくわえた犬にも注目だ。おまえはいったい何者? いや何犬? と思わずツッコんでしまうだろう。
■ その他
というわけで、パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズは第1作がいちばんおもしろい。
デートで第3作を観るくらいなら、ディズニーリゾートに行ったほうがいいゾ。
とはいえ人気シリーズの第3作なので、暇なときに携帯用座布団を持って気軽に観に行くといいだろう。
ディズニーランドの「カリブの海賊たち」の雰囲気に忠実なので、雰囲気を楽しむつもりで観にいけば期待どおりのものを得られるはずだ。
「宝箱は開けないほうがいい」の意味について、さらにわかりやすい記事はこちら
▼パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(PIRATES OF THE CARIBBEAN)」作品レビュー
▼パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト(PIRATES OF THE CARIBBEAN/DEAD MAN'S CHEST)作品レビュー
デート ×ディズニーリゾートに行ったほうがいいよ
フラっと ×おさらいしてから観よう
脚本勉強 ×メリハリ考えよう
演出 △
笑い ×空回り
役者 △ジョニー・デップやキーラ・ナイトレイ好きなら
映像 ○ディズニーランドの雰囲気に忠実
ファミリー ×もぉおうちかえりたいよぉパパぁ