映画「スパイダーマン3(SPIDER-MAN 3)」
監督:サム・ライミ
アメリカ/2007年/139分
悪役たちとピーター(善役)の境目は紙一重。だれもが持つ「弱さ」はヒーローの素質。ヒットの基本をきちんとおさえたその手法はハリー・オズボーンに表れている。シリーズを通して描かれてきた、もっとも大きな愛とは?
ストーリー(概要)
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街を守る正義のスパイダーマンとしてニューヨーク市民に愛されるようになったピーターは、そろそろ恋人のMJにポロポーズしようと計画していた。
そんな折、伯父殺しの真犯人フリント・マルコが脱獄したことを知って復讐心に駆られるピーターは、謎の黒い液状生命体にとりつかれてブラック・スパイダーマンになって活動するうちに、復讐の炎の火種をカメラマンのエディ・ブロックに飛び火させてしまう。
一時的に記憶を失っていたハリー・オズボーンはスパイダーマンへの復讐を思い起こし、ピーターを追い詰める。
さらに、人変わりしたピーターから離れていくMJ。
自分を見失っていたピーターは、ブラック・スパイダーマンのスーツを脱ごうとする。しかし復讐の連鎖によって、愛するMJは危機にさらされる。
ピーター(スパイダーマン)はMJを救うため、ふたりの敵に立ち向かう。
主な登場人物の紹介
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△ピーター・パーカー/スパイダーマン
大学生。デイリー・ビューグル紙のカメラマン。遺伝子操作されたクモに噛まれ、特殊能力を持つ。
▽MJ(メリー・ジェーン・ワトソン)
ブロードウェイ女優の卵。ピーターの最愛の女性。
△ハリー・オズボーン/ニュー・ゴブリン
大企業経営者。ピーターとMJの親友。彼の父親は、スパイダーマンと戦ったグリーン・ゴブリン。
△フリント・マルコ/サンドマン
脱獄囚。ピーターの伯父を射殺した真犯人。化学実験に巻き込まれ、砂の肉体を持つサンドマンになる。
△エディ・ブロック/ヴェノム
デイリー・ビューグル紙のカメラマン。カメラマンとしてのピーターをライバル視する。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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悪役たちとピーター(善役)の境目は紙一重。だれもが持つ「弱さ」はヒーローの素質。ヒットの基本をきちんとおさえたその手法はハリー・オズボーンに表れている。シリーズを通して描かれてきた、もっとも大きな愛とは?
■ 内輪話のようでありながら実は一般の話
スパイダーマンシリーズも今作で第3作。たいていのシリーズ化した作品がそうであるように、第1作で紹介、第2作で共感、第3作で決着というのがおおまかな流れだ。
わかりやすい例ではフジテレビ系映像作品群「海猿」がある。第1作で主人公が潜水士になるまで(紹介)、第2作の連続テレビドラマで主人公が仕事と恋に悩む(共感)、そして第3作で主人公とその恋人の仲がどうなるのかが描かれる(決着)。
だから、いわゆる三部作といわれるものでは、第3作目には描かなくてもよい部分がある。それは、主人公をとりまく状況や主人公の日常(仕事・恋)だ。
「スパイダーマン3」においてもこの基本型どおりに、第1作と第2作に登場した主要キャラクターとの関係に決着へ向けて集中している。
実はここ(第3作)で、ほんとうの手腕が問われるのだ。第1作目がヒットしたら、第2作は前作を上回るものを作らなくてはならないという緊張感と意欲の相乗効果でいいものができることがある。ターミネーターシリーズも第2作目がおもしろいのはそのためだ。
ところが第3作では主要登場人物たちにコンフリクツ(障害)を克服させて、レゾリューション(解決)へと導かなければならない。
レゾリューションの種類が主にひとつならばいくぶん楽だ。たとえば映像作品群「海猿」シリーズにおける「恋」だ。主人公・仙崎大輔と伊沢環菜の恋に決着をつける舞台をどれくらい派手にするかに尽力した結果、もぅ笑うしかないツッコミどころ満載の作品になったのが「LIMIT OF LOVE 海猿」だ。
シリーズ化した作品では、第3作に作り手の力量がモロに出てしまうという傾向がある。
「海猿」の原作はすばらしい。しかしフジテレビ系の映像作品群「海猿」はそのブランド化にはなかなかの手腕を発揮したが、作品づくりという分野では最後の第3作にモロに力量が表れてしまった。
その点を心のとめて「スパイダーマン3」を観れば、この大ヒットシリーズの第3作の決着をよくぞこの時間内に収めることができたものだと、ため息が出る。
ある人は、駆け足で詰め込みすぎだと感じるかもしれない。詰め込みすぎかどうかは、その観客の第1作と第2作の復習(復讐ではない)度合いにもよるが「詰め込み感」はシリーズ作品の第3作にはつきものなので多少は致し方ない。むしろそれを味として楽しもう。
それにしても、シリーズを通して描かれてきたことが、第3作では何倍にも膨れ上がって決着させるその手腕はまさに職人技である。
では「シリーズを通して描かれてきたこと」とはなんだろう。それはだれにも当てはまるごく一般の事柄である。
■ アナタの周りにだっている
第1作の敵グリーン・ゴブリンは軍需企業オズコープ社の創始者であり、天才科学者のノーマン・オズボーンであった。
軍の資金援助が打ち切られないようにと、自らを実験台に人体パワー増強薬を使い、その副作用で新たな人格であるグリーン・ゴブリンを誕生させた彼は、もともとは息子ハリー・オズボーンを愛し、ピーターとも良い関係だったのだ。
第2作の敵ドック・オクは天才科学者オクタヴィウスであった。
妻を愛し、人類のためにエネルギー研究を行っていたオクダヴィウスは、核融合実験の失敗を機に妻が命を落とすという悲劇に見舞われ、金属アームを持った人工知能に操られてドック・オクになった。
どちらの敵も、もとは悪い人間ではなかった。それがひとりは自分の事業の成功のために、もうひとりは自分の実験の成功のために行動したことがきっかけで、けっして悪い行いをするつもりはなかったのだが、悪の人格に支配されてしまう。
「スパイダーマン3」の敵フリント・マルコ/サンドマンはピーターの伯父を射殺した真犯人だが、彼にも事情がある。本来は悪い人間ではない。しかし家族のためにどうしても金が必要で、そのつもりはなかったのに結果的にピーター伯父を射殺してしまう。
また「スパイダーマン3」のもうひとりの敵エディ・ブロック/ヴェノムはカメラマンとして新聞社に就職したいという立身出世の夢を持っていた。そのための手段は良くないことだが、そのきっかけを与えたのはブラック・スパイダーマンとなったピーターともいえる。
企業経営者。科学者(研究者)。父親。カメラマン。
彼等は特別な人間だろうか。アナタの周りにだっている。どこにでもいる人たちだ。彼等はあるきっかけで悪の道に走りはじめてしまうのである。
そしてそれはヒーローであるピーターとて同じこと。伯父殺しの真犯人が脱獄したと知ったことがきっかけで復讐心にかられ、ブラック・マヨネーズ、いや違った、失礼。ブラック・スパイダーマンへと変貌するのだ。
■ 悪役さえもヒーローの素質を持っている
こうしてみると、歴代の悪役たちとピーター(スパイダーマン)の「弱さ」は同じである。弱さとは、環境や状況によってだれにでも生じる心の隙間とでもいおうか。
心の隙間に素早く入り込むのは、謎の黒い液状生命体。宇宙から落ちたきたこれは、たまたまたピーターのスクーターに張り付いたが、アナタのスクーターに張り付いていたかもしれないのだ。
そうはいっても、心の隙間がなければ、謎の黒い液状生命体は人の心に付け入ることはできない。
では、心の隙間を生じさせない者を主人公(ヒーロー)にすればいいのか。否。ヒーローの第1条件は共感できるキャラクターであること。
だれにでも生じる心の隙間がまったくない者は、だれにも共感されない。だれにも共感されない者はヒーローの第一条件を満たしていないのでヒーローにはなれない。だから皆と同じ「弱さ」を持ったピーターがヒーローなのだ。
それに歴代の悪役たちだって、ヒーローになり得る「弱さ」を持っていた。ヒーローの素質をだれもが持っていたが、その使い方を誤ったために悪役となってしまったのだ。
「スパイダーマン3」での「弱さ」のターニングポイントでブラック・スパイダーマンへの道を歩みはじめたピーターは、復讐の火種を撒き散らしていく。
その結果、最愛のMJを窮地に陥れることになるのだ。
■ ハリー・オズボーンが裏の主人公!?
父殺しのスパイダーマンに復讐を。これは第2作からハリー・オズボーンの心に絡み付いていたものだ。
しかし「スパイダーマン3」で短期記憶を失ったハリー・オズボーンが入院中のことである。
見舞いにきたピーターとMJが帰ったあと、看護婦に「あいつらは親友だ。親友のためなら命だってあげられる」といった意味のことをいうシーンがある。
このときのハリー・オズボーンは短期記憶を失っているので、心の隙間に入り込んだ「復讐」の支配から開放された状態だ。心の隙間という「弱さ」につけ込まれさえしなければ、もっとも大きな愛を実践する気持ちを持つことができるのだ。
聖書のヨハネによる福音書15章13節には>「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」とある。
この入院中のハリー・オズボーンのシーンによって、観客はなんとなく彼の結末を予想できるようになっている。
さて、ハリー・オズボーンはニュー・ゴブリンだが、彼は特殊能力を持ったわけではない。父親が使った人体パワー増強薬も使っていないようだ(正確にはわからないが……)人体パワー増強薬を使うと副作用で新たな人格ができるのはグリーン・ゴブリンで実証済だ。
ハリー・オズボーンは人体パワー増強薬を使わずに、父殺しのスパイダーマンへの復讐心のみで別人格を作ったといってもいい。短期記憶を失ったとき、なんとも晴れ晴ばれなスッキリしたいい顔をしていたのと比べれば、復讐心に駆り立てられたときの彼とは別人かのようである。
人体パワー増強薬を使っていないと仮定すると、超人的な動きができる機械の数々があるからといえども、スパイダーマンや他の超人的な能力を持った悪役たちと互角に戦うニュー・ゴブリンの力はどこからくるのであろうか。
ニュー・ゴブリンが活躍するのは2回だが、1回目と2回目ではその原動力が正反対である。
心の隙間という「弱さ」を起点にした2つのニュー・ゴブリンの活躍の結果は1回目と2回目ではどう違うのか。ぜひご覧いただきたいと思う。
■ 父と子
こうしたハリー・オズボーンの行動と苦悩は、父親との関係性に起因する。
作品づくりにおいて、父と子というテーマはもっともポピュラーだといえる。あの「スターウォーズ」シリーズでも使われているとおり、ヒット作の条件のうち「父と子」はとても大きなキーワードである。
スパイダーマンシリーズでは「父と子」のテーマをハリー・オズボーンが提示している。
つまり、ヒットの基本をシリーズを通してきちんとおさえているというワケである。
■ その他
大ヒットシリーズのスパイダーマンの公開はお祭りみたいなものなので、ぜひ第1作と第2作を復習(復讐ではない)してから観るといいでしょう。
サム・ライミ監督は「死霊のはらわた」「クイック&デッド」「ギフト」を手がけている。作品を観るとわかるが、彼はたいへんお茶目でありながら、たしかな職人技を持ち、さらにプロデューサーとして「THE JUON/呪怨」をヒットさせるなど、まさに多才な人物であることがうかがえる。
「スパイダーマン3」でも、彼のおちゃめぶりは発揮されていて、おもわず笑ってしまうシーンや演出はいたるところにある。
その中からひとつ、おぉ! と思ったシーンがある。
見間違えでなければ、亡くなったはずのグ天才科学者のノーマン・オズボーンらしき人物がバッチリ登場してるシーンがあるのだ。
セリフはないが、まさに画面の真ん中に登場する。悪から開放されて生まれ変わったのかもしれない、その表情は晴れやかで楽しそうであった。
私もそのシーンに気がついたとい人はいるかな? あれはノーマン・オズボーンだったよね??
デート ○
フラっと △ 前作、前々作を復習しておこう。
脚本勉強 ○
演出 ○
笑い ○ 第1作がいちばん笑える
役者 ○ キルステン・ダンストが存在感バリバリ
真面目 × 真面目に観る作品ではない


