映画「どろろ」
監督:塩田明彦
日本/2007年/138分
原作:手塚治虫『どろろ』
PG-12
統一感のないアクションシーンでわかる「線引き」のなさが特徴の、なにがしたいのか不明な、ちゃんぽん作品。総製作費20億円超の内訳表がみてみたい。あんなセットアップはいらない。せめてキャラクターに合った配役を。結局、アイドル映画か。B級モノとわりきればこれもアリ……? 劇団ひとりも出てるゾ。
ストーリー(概要)
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戦乱の世。天下統一を願う武将・醍醐景光は、魔物四十八体を封印する地獄堂で、生まれくる我が子を捧げる代わりに巨大な力を手に入れる契約を交わす。
生まれてきた子・百鬼丸は、医師・寿海に育てられる。たがて左腕に妖刀を仕込んで青年となった百鬼丸は、体の四十八ヶ所を取り戻す旅に出る。
主な登場人物の紹介
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△百鬼丸
男性。魔物に奪われた体の四十八ヶ所を取り戻すため旅を続け
ている。
▽どろろ
女性。男装した野盗。
△醍醐景光
男性。戦国武将
△多宝丸
男性。若武者。醍醐景光の息子。
△寿海
男性。医師。百鬼丸の育ての親。
△琵琶法師
男性。妖刀を百鬼丸に授ける。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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統一感のないアクションシーンでわかる「線引き」のなさが特徴の、なにがしたいのか不明な、ちゃんぽん作品。総製作費20億円超の内訳表がみてみたい。あんなセットアップはいらない。せめてキャラクターに合った配役を。結局、アイドル映画か。B級モノとわりきればこれもアリ……? 劇団ひとりも出てるゾ。
■ 深いテーマだが……
父と子。体の四十八ヶ所を取り戻す旅=成長=人生。異形なるもの。疎外。孤独。自我の形成。自分さがし……等、といった深いテーマが満載の原作だと想像できる。それをどう活かすか? それが映画版「どろろ」の注目点だと思ったのだが……。
結論からいうと、深いテーマをバッサリ捨てて、魔物を退治するごとに体のパーツを取り戻していく、ゲーム感覚的な仕掛けのおもしろさを借りてみました、といったところ。
■ 総製作費20億円以上のわりには
安っぽい画があるのはご愛嬌か?
意図して安っぽくしているのかもしれないが、パッと見は、デパート屋上の戦隊怪獣ショーか!?と思わずにはいられないアクションシーンがあったり、CGでがんばって作りました感が出ちゃってるアクションシーンがあったりと、たくさんのアクションシーンを盛り込めば盛り込むほど、どんどんちぐはぐになっていくかのようだ。
ひとことでいえば、まとまり感(統一感)がない。
観客は作品のなるべく早い段階で「物語の約束事」を確認したがるもの。わかりやすい例(「どろろ」の内容とは関係ない)でいえば、主人公は魔法が使えるのか? ということだ。
「どこにでもいる普通の奥様。でも実は彼女は魔法使いなのでした」(←例「どろろの内容とは関係ない」)という世界観(約束事)を受け入れてもらうことがはじまりだ。
百鬼丸は失われた体の四十八ヵ所を取り戻すというのだから、魔物・妖怪といった世界観をあらかじめ受け入れた観客のみとなる。
しかし、その魔物・妖怪にしても「ゲゲゲの鬼太郎」系なのか、「ベルセルク」系なのかといった、ある程度の区分け、つまり分類上の線引きラインがどこなのかを示す必要がある。
ところが映画「どろろ」にはこの「線引き」がない。なんでもあれである。ちゃんぽんである。
そんなわけで観客は、作り手との最低限の「約束事」を確認できないまま、物語は進む。
■ あんなセットアップはいらない
醍醐景光が地獄堂で魔物たちと契約するセットアップはいらない。
なぜなら、百鬼丸が体の四十八ヶ所を魔物に奪われた理由は、作品宣伝で知らしめているからだ。「どろろ」を観にやってくる観客の多くは「すでに知っている」からだ。
さらに、作品の途中でも、醍醐景光が地獄堂で魔物たちと契約するシーンが再び登場する。観ているほうは「もう知ってるよ、わかったよ……」てなかんじである。私はあくびが何度も出てしまった。
百鬼丸が体の四十八ヶ所を魔物に奪われた理由をミステリーとして使わないならば、ストーリー内でサラッと臭わす程度でじゅうぶんだ。
人はなにか新しいこと、ワクワクドキドキするものはないかと映画館に足を運ぶ。特に冒険活劇系の作品を観るときはそうである。
百鬼丸が体の四十八ヶ所を魔物に奪われた理由は、観客に折込済みである。それは既知(すでに知っていること。すでに知られていること)であって、未知(まだ知らないこと。また、まだ知られていないこと)ではない。
■ 登場人物を楽しむだけか……
さて映画「どろろ」のみどころだが……それはズバリ! 劇団ひとりだ。とはいっても、彼の魅力の10分の1も発揮されていないが、町のチンピラ役で好演している。
町のチンピラ役といえば、たいていは名もなき若手の無名役者が演じることが多い。映画を観終わっても、誰も覚えていない。そんな役どころだ。
しかし「おや? このチンピラはどこか味があるなぁ」と思ったら、演じていたは劇団ひとりであった。彼は他の映画にもチョイ役で出演したりしているが、一瞬で雰囲気を作れる数少ない役者でもある。
ほかには、土屋アンナも自身のキャラクターを活かした(?)役どころで、目立っていた。
え? 大事な登場人物を忘れていないかって?
あぁ、妻夫木聡くんと柴咲コウさんのことね。
ふたりとも、がんばっていたように思います。(←ってそれだけかいッ(>_<))
では、少しだけ。
柴咲コウさんのどろろは、彼女のイメージと合わなくて、無理をしているようで見ていて痛々しかった。
柴咲コウさんは映画「嫌われ松子の一生」で川尻笙の連れの女性・明日香を演じていたが、それがモロにハマリ役だ。
どんな役だったかというと、昼間、荻窪あたりのラーメン店でまったりしながら「このまま笙ちゃんといたら私、ダメになっていきそうな気がする……」といった意味のことをうつろな目でつぶやいてみせたり、昼間の街の雑踏で海外ボランティア活動員になる決意して川尻笙の留守電に一方的にメッセージをふきこんでみせたりする。それが「正しい柴咲コウさんのキャスティングの仕方」である。
若手人気俳優は、起用すればいいというものではない。どう使うか、――だ。
どの役者をどう使うかについては、この作品を観て勉強しよう。
映画「嫌われ松子の一生(Memories of Matsuko)」作品レビュー
↑作家の卵役に劇団ひとりさん。彼の魅力が大いに発揮されているゾ。
■ ひとこと
ひさしぶりに辛口になってしまった(>_<)
だって20億も使うなら、もぅちょっとなんとかしてほしかったから。漫画原作を人気若手俳優使って映画にすればヒットするだろうよぉ~的な匂いがプンプンしてるぅぅ。
普段映画をあまり観ない人が、テレビドラマでお馴染みの若手俳優さんが出演しているからと久しぶりに映画館に観に行って「日本映画ってやっぱりこんなもんか」と思われたら、他のおもしろい日本映画が気の毒になってしまうだろうね。
子供向けでもないし、かといって、いい映画を見慣れている人や原作を知っている人には耐えられないものだし、いったい誰に向けて何をいいたいのかさっぱりわからない作品でした。
とにかく、劇団ひとりと土屋アンナしか覚えていられないといったかんじ。
けれど、薬師丸ひろ子 、真田広之出演、深作欣二監督の「里見八犬伝」のおもしろさを今一度思い出させてくれたよ。「里見発見伝」は1983年の作品だけど、この種の作品の中ではバツグンにおもしろいゾ。CGなんてなくたって、真田広之の気合の入ったアクションシーンは今でも記憶に残りつづけているほどですから。
デート △ 相手に、なにも考えてないと思われるかも
フラっと × まぁこんなもんかと思えば……
脚本勉強 × 贅肉を落すことからはじめよう
演出 ×
リアル ×
キャラクター △
笑い △ もぉ笑うしかないか……?
役者 - 妻夫木聡と柴咲コウが映ってさえいれば満足なら