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02/23/2007

バビルの塔に住んでいるのは?

映画「バベル」は、第79回アカデミー賞の作品賞、監督賞、助演女優賞、脚本賞、作曲賞、編集賞にノミネートされています。

このうち、助演女優賞にノミネートされているのが菊地凛子さんですね。

ゴールデングローブ賞作品賞受賞作「バベル」は、3大陸4言語で構成されたヒューマンドラマですが、そもそもバベルってなに? ということで、今回はこのあたりをサラッと紹介しましょう。


■ バベルとは

「バベル」とは、旧約聖書の創世記に登場する塔の名前。

「バベルの塔」のエピソードを簡略にいうとこうです。

それまで人々は同じひとつの言葉を話していました。あるとき、人々は天にまで届く塔を建てて神に近づこうとします。

これに怒った神は、人々の言葉をバラバラにして、バベルの塔の建設をできなくしたのでした。

このエピソードから、驕り高ぶった人間たちの行く末を表現する場合に「バベルの塔」が引き合いに出されることがあります。

比較的記憶が新しいところでは、六本木ヒルズに住むことが成功者の証だと刷り込まれ、こぞってヒルズ族になりたがり、そういう人たちがもてはやされ、そして一連の証券事件によって没落(?)していく様を、ある人はバベルの塔のエピソードのようだといったかもしれませんね。


■ 言葉をバラバラにした意味

言葉をバラバラにした目的のひとつは、人々を広くいろいろな土地に散らせるためでした。

「バベルの塔」は、人々が一箇所に過度に集中することによるマイナスの力を教えてくれます。

例えば、バブル経済。

資産の価格上昇がさらなる上昇をよんで投機を呼び込むという状態を、精神的な一極集中による妄信的状況としてみると、だれもかれもが価格が上昇しつづけると思い込み続けたことは、まるで天まで届く塔を作れば神に近づけると考えた人々と大差ないかのようでもあります。

みんなが「右向け進め」のときに必要なのは、左を向いている人です。さらにいいのは上を向いている人です。

右だから左。だけではなく「上」でも「下」でも「斜め右上」でもいいわけです(笑)。

一転集中は大きな力を発揮しますが、それが良い方向にあるときはいいけれども、悪い方向にあるときは、その力を止めることは難しくなります。

だから、広く全地に散らせることがリスクを減らすことになるのです。


■ バラバラだからダメではない

すべてをひとつに。一丸となって。一億一心火の玉。

ひとつの目的を達成するためにバラバラだったみんながひとつになる瞬間というものはいいものです。

でも、あくまで「瞬間」です。目的のためにひとつになる「瞬間」がいいのであって、それが継続的な時間となると「戦時一億一心火の玉」となる危険性をはらんできます。


■ 精神的支柱

バラバラのみんながひとつになるのは難しい。だから、より大きな精神的支柱をもとに、ひとつになることができます。

精神的支柱は、スローガンだったり、宗教だったり、道徳だったり、良心だったりします。


■ バビルの塔に住んでいるのは?

ところで「バベル」ときいて「バビルの塔~♪に住んでいるぅ~♪」というフレーズの歌が頭をよぎったアナタ。

それは、昭和40年代後半に放映されたテレビアニメ「バビル2世」ですね(^^)。(原作は横山光輝作の漫画)

ここでいう「バビル2世」の「バビル」とはつまり「バベル」のことを指していると考えていいでしょう。

「バビル2世」のストーリーとは、かつて地球に不時着して故郷に帰れなくなった宇宙人バビル1世がバビルの塔と三つのしもべを遺した。それを受け継いだバビル2世が、悪の超能力者と戦うというもの。

そういえば「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」に登場する塔には悪役が巣食っていましたね。

ほかに、映画「ブラザーズ・グリム」で、森の塔に住んでいたのは魔女です。

このように、漫画やアニメや童話や文学のなかにも、バベルの塔に想像のヒントを得たものをいろいろとみつけることができます。


■ その他

さてさて、映画「バベル」ははたしてアカデミー賞受賞なるか。

(映画「バベル」は、日本では2007年4月GWに公開予定です)


▼映画「バベル(BABEL)」作品レビュー
やるせなくも心の琴線に触れる物語。言葉だけがすれ違いの要因ではない。


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02/16/2007

映画「どろろ」

監督:塩田明彦
日本/2007年/138分
原作:手塚治虫『どろろ』
PG-12

統一感のないアクションシーンでわかる「線引き」のなさが特徴の、なにがしたいのか不明な、ちゃんぽん作品。総製作費20億円超の内訳表がみてみたい。あんなセットアップはいらない。せめてキャラクターに合った配役を。結局、アイドル映画か。B級モノとわりきればこれもアリ……? 劇団ひとりも出てるゾ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
戦乱の世。天下統一を願う武将・醍醐景光は、魔物四十八体を封印する地獄堂で、生まれくる我が子を捧げる代わりに巨大な力を手に入れる契約を交わす。
生まれてきた子・百鬼丸は、医師・寿海に育てられる。たがて左腕に妖刀を仕込んで青年となった百鬼丸は、体の四十八ヶ所を取り戻す旅に出る。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△百鬼丸
男性。魔物に奪われた体の四十八ヶ所を取り戻すため旅を続け
ている。

▽どろろ
女性。男装した野盗。

△醍醐景光
男性。戦国武将

△多宝丸
男性。若武者。醍醐景光の息子。

△寿海
男性。医師。百鬼丸の育ての親。

△琵琶法師
男性。妖刀を百鬼丸に授ける。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
統一感のないアクションシーンでわかる「線引き」のなさが特徴の、なにがしたいのか不明な、ちゃんぽん作品。総製作費20億円超の内訳表がみてみたい。あんなセットアップはいらない。せめてキャラクターに合った配役を。結局、アイドル映画か。B級モノとわりきればこれもアリ……? 劇団ひとりも出てるゾ。

■ 深いテーマだが……

父と子。体の四十八ヶ所を取り戻す旅=成長=人生。異形なるもの。疎外。孤独。自我の形成。自分さがし……等、といった深いテーマが満載の原作だと想像できる。それをどう活かすか? それが映画版「どろろ」の注目点だと思ったのだが……。

結論からいうと、深いテーマをバッサリ捨てて、魔物を退治するごとに体のパーツを取り戻していく、ゲーム感覚的な仕掛けのおもしろさを借りてみました、といったところ。


■ 総製作費20億円以上のわりには

安っぽい画があるのはご愛嬌か?

意図して安っぽくしているのかもしれないが、パッと見は、デパート屋上の戦隊怪獣ショーか!?と思わずにはいられないアクションシーンがあったり、CGでがんばって作りました感が出ちゃってるアクションシーンがあったりと、たくさんのアクションシーンを盛り込めば盛り込むほど、どんどんちぐはぐになっていくかのようだ。

ひとことでいえば、まとまり感(統一感)がない。

観客は作品のなるべく早い段階で「物語の約束事」を確認したがるもの。わかりやすい例(「どろろ」の内容とは関係ない)でいえば、主人公は魔法が使えるのか? ということだ。

「どこにでもいる普通の奥様。でも実は彼女は魔法使いなのでした」(←例「どろろの内容とは関係ない」)という世界観(約束事)を受け入れてもらうことがはじまりだ。

百鬼丸は失われた体の四十八ヵ所を取り戻すというのだから、魔物・妖怪といった世界観をあらかじめ受け入れた観客のみとなる。

しかし、その魔物・妖怪にしても「ゲゲゲの鬼太郎」系なのか、「ベルセルク」系なのかといった、ある程度の区分け、つまり分類上の線引きラインがどこなのかを示す必要がある。

ところが映画「どろろ」にはこの「線引き」がない。なんでもあれである。ちゃんぽんである。

そんなわけで観客は、作り手との最低限の「約束事」を確認できないまま、物語は進む。


■ あんなセットアップはいらない

醍醐景光が地獄堂で魔物たちと契約するセットアップはいらない。

なぜなら、百鬼丸が体の四十八ヶ所を魔物に奪われた理由は、作品宣伝で知らしめているからだ。「どろろ」を観にやってくる観客の多くは「すでに知っている」からだ。

さらに、作品の途中でも、醍醐景光が地獄堂で魔物たちと契約するシーンが再び登場する。観ているほうは「もう知ってるよ、わかったよ……」てなかんじである。私はあくびが何度も出てしまった。

百鬼丸が体の四十八ヶ所を魔物に奪われた理由をミステリーとして使わないならば、ストーリー内でサラッと臭わす程度でじゅうぶんだ。

人はなにか新しいこと、ワクワクドキドキするものはないかと映画館に足を運ぶ。特に冒険活劇系の作品を観るときはそうである。

百鬼丸が体の四十八ヶ所を魔物に奪われた理由は、観客に折込済みである。それは既知(すでに知っていること。すでに知られていること)であって、未知(まだ知らないこと。また、まだ知られていないこと)ではない。


■ 登場人物を楽しむだけか……

さて映画「どろろ」のみどころだが……それはズバリ! 劇団ひとりだ。とはいっても、彼の魅力の10分の1も発揮されていないが、町のチンピラ役で好演している。

町のチンピラ役といえば、たいていは名もなき若手の無名役者が演じることが多い。映画を観終わっても、誰も覚えていない。そんな役どころだ。

しかし「おや? このチンピラはどこか味があるなぁ」と思ったら、演じていたは劇団ひとりであった。彼は他の映画にもチョイ役で出演したりしているが、一瞬で雰囲気を作れる数少ない役者でもある。

ほかには、土屋アンナも自身のキャラクターを活かした(?)役どころで、目立っていた。

え? 大事な登場人物を忘れていないかって?

あぁ、妻夫木聡くんと柴咲コウさんのことね。

ふたりとも、がんばっていたように思います。(←ってそれだけかいッ(>_<))

では、少しだけ。
柴咲コウさんのどろろは、彼女のイメージと合わなくて、無理をしているようで見ていて痛々しかった。

柴咲コウさんは映画「嫌われ松子の一生」で川尻笙の連れの女性・明日香を演じていたが、それがモロにハマリ役だ。

どんな役だったかというと、昼間、荻窪あたりのラーメン店でまったりしながら「このまま笙ちゃんといたら私、ダメになっていきそうな気がする……」といった意味のことをうつろな目でつぶやいてみせたり、昼間の街の雑踏で海外ボランティア活動員になる決意して川尻笙の留守電に一方的にメッセージをふきこんでみせたりする。それが「正しい柴咲コウさんのキャスティングの仕方」である。

若手人気俳優は、起用すればいいというものではない。どう使うか、――だ。

どの役者をどう使うかについては、この作品を観て勉強しよう。

映画「嫌われ松子の一生(Memories of Matsuko)」作品レビュー
↑作家の卵役に劇団ひとりさん。彼の魅力が大いに発揮されているゾ。


■ ひとこと

ひさしぶりに辛口になってしまった(>_<)

だって20億も使うなら、もぅちょっとなんとかしてほしかったから。漫画原作を人気若手俳優使って映画にすればヒットするだろうよぉ~的な匂いがプンプンしてるぅぅ。

普段映画をあまり観ない人が、テレビドラマでお馴染みの若手俳優さんが出演しているからと久しぶりに映画館に観に行って「日本映画ってやっぱりこんなもんか」と思われたら、他のおもしろい日本映画が気の毒になってしまうだろうね。

子供向けでもないし、かといって、いい映画を見慣れている人や原作を知っている人には耐えられないものだし、いったい誰に向けて何をいいたいのかさっぱりわからない作品でした。

とにかく、劇団ひとりと土屋アンナしか覚えていられないといったかんじ。

けれど、薬師丸ひろ子 、真田広之出演、深作欣二監督の「里見八犬伝」のおもしろさを今一度思い出させてくれたよ。「里見発見伝」は1983年の作品だけど、この種の作品の中ではバツグンにおもしろいゾ。CGなんてなくたって、真田広之の気合の入ったアクションシーンは今でも記憶に残りつづけているほどですから。


デート     △ 相手に、なにも考えてないと思われるかも
フラっと    × まぁこんなもんかと思えば……
脚本勉強  × 贅肉を落すことからはじめよう
演出     × 
リアル    × 
キャラクター △ 
笑い     △ もぉ笑うしかないか……?
役者     -  妻夫木聡と柴咲コウが映ってさえいれば満足なら    


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02/15/2007

映画「墨攻」

監督:ジェィコブ・チャン
中国/日本/香港/韓国/2006年/133分

標識というおしつけがましさがほとんどない。質実剛健な作風をどう受け止めるかによって評価が分かれる。「墨守」ではなく「墨攻」となっている意味とは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
紀元前370年頃の中国春秋時代。趙軍10万が全住民4千人の梁城に攻め寄せていた。梁王は墨家に救援を求めた。やってきたのは革離ひとりだった。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△革離
墨家

△巷淹中
趙軍指揮官

▽梁適
梁王の息子

△子団
弓隊統括

▽逸悦
梁・近衛軍騎馬兵


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
標識というおしつけがましさがほとんどない、質実剛健な作風をどう受け止めるかによって評価が分かれる。「墨守」ではなく「墨攻」となっている意味とは?

■ 20秒でわかる「いきさつ」

ごく簡単に状況を説明しよう。

大国の趙の目的は燕を攻めること。そのためにはまず、趙と燕の中間にある小国・梁を攻め落とさなければならない。

趙10万の大軍にとってみれば、総住民4千人の梁城は、燕攻めへの踏み台に過ぎない。

一方、いま、まさに大軍に攻め込まれようとしている梁にとって、唯一とも思える生き残りの方法は、墨家に救援を求めることだ。

なぜなら墨家は、軍事的な側面としては、優秀な守り専門の戦闘集団だとみなされていたからだ。

しかし、援軍要請からしばらしくしても、墨家は現われない。そこで梁王は趙軍に降伏を申し入れようとする。

――と、そこへひとりの男が梁にやってきた。彼は墨家だという。

そう、救援にやってきたのはたったひとり。防衛専門の戦闘集団のはずが、やってきたのはひとりだ。いうなれば「軍団ひとり」。お笑い芸人でいうならば「劇団ひとり」みたいなものである(笑)

援軍を要請したのに、それに応じたのはひとりだけって……。
しかもやってきた墨家・革離は、梁王から墨家への援軍要請の印となる品を持ってくるのを忘れたという(これには理由がある)。

そんな間抜けに思える男がひとりやってきただけで、はたして10万の敵軍の侵略を食い止めることができるのか。

墨家は思想家なので、人々に語りかける術に長けている。人を説得する方法を知っているともいう。それで梁王は説得されて、近衛軍を除く梁軍すべての指揮権を革離に授けることにした。


■ 淡々とした物語運びがいい

「墨攻」にはおしつけがましさがほとんどない。

他の作品でありがちなのは、主人公の恋人や戦友が亡くなるときや、大事な一戦のときに、シーンを盛り上げようと大袈裟な効果音や音楽を流したり、コマ送りの画面かのようにしたりすることだ。

これらは、物語という道のいたるところに標識を立てているようなものだ。

ここで笑う。ここで悲しむ。ここでくやしがる。そしてここで泣く。

そんな標識は、おおきなお世話である。標識をつくっているヒマがあるなら、内容で観客の感情を動かすにはどうすればいいかを考えよう。

こういった手抜きともいえる「標識」を「墨攻」ではほとんど使っていない(一部アリ)。

そのため、標識に慣れた観客にとっては、物語が淡々と進んで行くかのように感じられ、おまけに墨家とはなんぞや? という説明がほとんどないので、キツネにつままれたかのようにポカンと口を半開きにしたまま観終わってしまうだろう。

だが実は、墨家とはなんぞや? という説明がほとんどないことは、物語内容と関係があるのだ。


■「標識なし」で、感じて考える

漫画の主人公にとってとてもショッキングなことが起こったとき「ガーン!」と書いて表現されることがある。

しかし現実には「ガーン!」なんて音は鳴らない。ショックを受けた本人が「ガーン!」と口に出ぜば別だが……。

「ガーン!」と書いてくれることに慣れてしまうと、ほんとうに自分がショックを受けていなくても「ガーン!」とあったらショックを受けなくてはいけないと思わせれてしまうことにもなりかねない。

これは、自分の感情を他人にコントロールされてしまい、ゆくゆくは判断までも他人に委ねてしまう危険性をはらんでいるといえよう。

標識なしの「墨攻」は、墨家である革離が梁城を守りながらも苦悩するかのように、観客もまた作品を観てどのように感じてどのように考えるかの機会を与えてくれるのであり、観客におしつけがましいことはほとんどない。

というわけで「墨攻」はおしつけがましいことが親切だと捉えている人にとっては、つまらない作品だと感じることだろう。


■ 墨家の説明がほとんどないことには意味がある

作品中に墨家についての説明がほとんどないのは、おそらく意図しているのだ。感じて考えるためには、受身だけではいけない。

必要な情報は自ら手に入れなければならない。とはいってもこれだけインターネットが普及した時代なのだから、わずかの時間で墨家について調べて、必要な知識を得ることができる。

待っている(受身)だけでは、攻め入られるだけである。

墨家は、弱小国といえども大国に攻め入られることのないよう、国内をよく治めて侵攻を断念させる努力の必要性を説く。大国の意のままに攻め入られるだけでは、小国は搾取されるだけに終わると

映画を観るとは、けっして受身だけではないのだ。観客が映画作品の良し悪しを評価するのと同時に、映画作品の側も観客の「物語を楽しむスキル」を試しているのだ。

映画を観てなにかしらを得ようと思うならば、例えるならば大国に攻め入られることのないよう、小国は自国をよく治め、大国の情報を収集して研究しなければならない。

墨家は防衛戦略・戦術・戦闘の専門集団の側面ももっていたため、その守りはたいてい「墨守」といわれるが、守るためにすべきことがすなわち「生き抜く攻め」にもなる。そんな意味でタイトルが「墨攻」になっているのだと思う。


■ ひとこと

渋めなので、いい意味で観客を選ぶ作品だ。


デート     △ 
フラっと    ○  
脚本勉強  △
演出     ◎   
リアル    ◎ 
キャラクター ○
笑い      ‐
ファミリー   ‐ 
雰囲気    ○
奥深さ    ◎
お気楽    ×


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02/02/2007

映画「ラッキーナンバー7(Lucky Number Slevin)」

監督:ポール・マクギガン
アメリカ/2006年/111分

のほほん系シットコム風な雰囲気が持ち味の、丁寧な謎解きがあるクライムサスペンス。ルーシー・リューが人懐っこくキュートに見える異色作でもある。そもそも、ユダヤ教のラビとは?

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
友人を頼ってニューヨークにやってきた青年スレヴンは強盗にあい、ギャングのボスのもとに連れて行かれ、敵対するギャングのボスの息子を殺害する「仕事」を引き受けるはめになる。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△スレヴン

△グッドキャット
殺し屋

▽リンジー
女性。

△ボス
ギャングのボス

△ラビ
ギャングのボス


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
のほほん系シットコム風な雰囲気が持ち味の、丁寧な謎解きがあるクライムサスペンス。ルーシー・リューが人懐っこくキュートに見える異色作でもある。そもそも、ユダヤ教のラビとは?

■ わかりやすく丁寧な謎解き

セットアップがいったい何をなにを表しているシーンで、それがどこにどう繋がるかを、軽く頭の体操というふうにストーリーを楽しむ。そんな作品だ。

10年近く脚本をリライトして完成したらしく、作品の冒頭からどんなシーンのどんな些細な部分にもヒントがちりばめられているということで、宝探しゲームかのように注意しながら観るのが「ラッキーナンバー7」の鑑賞法だ。

とはいっても、なにがどうなっているのかを明かす、いわゆる謎解きの部分は実に丁寧である。

もちろん、こういったクライムサスペンスという類の作品を見慣れていない方にとっては丁寧とは感じにくいかもしれないが……いや、やはり丁寧である。

この手の作品のいくつかは、過去のシーンと現在のシーンとが一見すると見分けがつかないようになっていたり、突拍子もないシーン(A)からはじめ、そのあとしばらくしてから(A)につながるシーン(B)をひょいと持ってきたりといった、観る側の物語構築・整理能力を試すかにようなものも存在する。

しかし「ラッキーナンバー7」は、そこそこクライムサスペンスを観たことがある人にとっては、ずいぶんわかりやすく親切に解説してくれるなぁと感じるだろう。

そういうわけで、よく練られた脚本ではあるけれども、クライムサスペンスとして度肝を抜かれる、というような作品ではない。

ではどこが魅力か?


■ のほほん・お気楽系?

主人公の青年スレヴンは、ニューヨークにやってきてすぐに強盗にあったのをはじめ、ギャングに連れていかれて、命の危険にさらされることにさえなる。

友人ニックだって見つからないままにもかかわらず、そのニックのアパートの隣人の女性リンジーと仲良くなって、探偵ごっこをはじめるかのようにイチャイチャする様子からは、緊張感や緊迫感はあまり伝わってこない。

それがこの作品の魅力である。

スレヴンの緊迫感の無さはストーリーを読み解く鍵(キー)でもあるのだが、ギャング、殺しといった題材を扱っていながら、どこか「ほのぼの・のほほん」とした、はじめてのデートみたいな恋愛モードさえ感じることができる。


■ シットコムかのような

のほほん系の理由は、キリリとした強い女性のイメージが強いルーシー・リューが、人懐っこいキュートな女性・リンジーを演じていることにもある。

アパートでのスレヴンとリンジーのやりとりは、どこかアメリカンドラマによくあるシットコムを彷彿とさせる。
シットコムとは、コメディのジャンルのひとつで、シチュエーション・コメディ(situation comedy)のことだ。たいていは固定の登場キャラクターたちが登場して、様々なシチュエーションに遭遇しながら、そこに笑いを取り入れたる手法を用いたもの。

ほら、スタジオ撮りがほとんどで、劇中に観客の笑い声が挿入される「フルハウス」や、「たか」がDVDのプロモーションに関わった「となりのサインフェルド」などが典型的なシットコムといわれている。

そんな雰囲気を感じながら観ていると、なぜか(笑)あのルーシー・リューがすっごくキュートにみえてくる。もちろん彼女はとても魅力的な女優さんであるが、こうした、のほほん系の初々しくも愛らしいキャラクターを演じられると、そのギャップが強調されて、これがクライムサスペンスだということを忘れてしまいそうになる。
おそらく、これは狙ってそうしているであり、この「空気」こそが作品の魅力となっている。


■「よくできたクライムサスペンス」で終わらせないために

クライムサスペンス。冷酷(そうな)殺し屋グッドキャット。

クライムサスペンスにありがちなこうした登場人物と、主人公たち(スレヴンとリンジー)の雰囲気に差があればあるほど、どこか不可思議な独特な印象を観客に与えることができる。

つまり、際立たせるにはどうするか、ということだ。

数あるクライムサスペンスのなかで目立つにはどうしたらいいか。約10年近く脚本のリライトをした目的のひとつは「よくできたクライムサスペンス」で終わらせないことだったのではないかと思う。

クライムサスペンスなんだけれども、まるでシットコムかのような空気もある。でもやはりクライムサスペンスといったところで、際立たせているのだ。


■ ラビ

ラビとはユダヤ教の指導者で、旧約聖書の研究をする知識者であり、律法学者ともいわれる。

新約聖書の4福音書では、イエス・キリストを快く思わない人々として、パリサイ派や律法学者が登場する。

これらの人々はイエス・キリストを陥れようと画策したとされている。

律法を重視するあまり、その本質をみないところを指摘されることがある、聖書に登場するパリサイ派や律法学者たち。作品中のラビも研究熱心のためか、読書台(書見台)で書物を読んでいるところで、ある人物が現われるシーンもある。

このあたりのことをふまえ、なんでギャングのボスがラビなの? というあたりを考えながら意識して観ると、より一層作品を堪能できるだろう。


■ ひとこと

ギャングや殺しといった題材がどうしてもダメな人には向かないが、脚本もよく出来ているし、かといって凝りすぎずにわかりやすく丁寧だし、のほほんとした雰囲気さえもあるので、ちょっと! ちょっと! ちょっと!(ザ・たっち)変わった雰囲気のクライムサスペンスを、という方にはおすすめだ。


デート    △
フラっと   ○
脚本勉強  ◎
演出     ○  
リアル    × 
キャラクター ◎
笑い     ○
ファミリー  ×  
雰囲気   ◎


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邦画ヒット常連の原動力はアノ若手人気女優?


邦画のシェアが洋画を上回ったとか。21年ぶり。

2006年の邦画ヒット作って?


▼邦画

1位「ゲド戦記」 76.5億円 東宝

2位「LIMIT OF LOVE/海猿」 71億円 東宝

3位「THE 有頂天ホテル」 60.8億円 東宝


おぉ! 東宝が独占ですね。

「THE 有頂天ホテル」はどうかわかりませんが(未見)、1位と2位の両作品は、物語構成や演出の面からいうとイマイチ。

ゲドは学生の習作かのようで、話題性だけですね。

▼ 『「ゲド戦記」で露呈か!ジブリの悲劇!?-宮崎駿作品群の「ムラ」のワケ-』


映画の海猿はありえない設定が多くて思わず笑っちゃいます。
でも、海猿の原作はすばらしいです。映画→ドラマ→映画というサンドイッチ型で集客した手法は成功しましたね。

「LIMIT OF LOVE 海猿」作品レビュー


ちなみに邦画の10位までのうち、8本が東宝です。「NANA2」は予想より大幅にヒットしなかった東宝ですが、東宝シンデレラガールの長澤まさみさんがいますから、しばらくは勢いがありそうですね。

▼ 「『NANA』と『下妻物語』(+「R2-D2」)に共通する大ヒットの秘密とは?」


いつの日か、内容がしっかり伴った邦画が上位を占めるようになってほしいナ。

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