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12/23/2006

小説「「夏と花火と私の死体」乙一

■ 力ある作品の見極め方

物語世界においては、そこで起こるどんな些細な事柄も、季節や天気にさえ、ただなんとなくそうなったということはひとつもないようにしなければならない。

つまり、物語世界での出来事にはすべて意味があるのだ。

現実には、無意味と思えることは多々ある。無意味や無駄こそ人生だ、という人もいる。

その一方で、日々の出来事にはかならず原因・理由があるはずという考え方を持つ人がいる。彼らには「願望」がある。

どんな願望か?

それは「脳にとって気持ち良くしたいという願望」だ。

人の脳は、世の中の出来事を情報として取り込む際に、そららに原因・結果という処理を施し、整理整頓して脳内に区分けされた格納庫に収めようとする。

なぜそうしようとするのか?

なぜなら、出来事を「原因→結果→格納」と処理することは、脳にとって気持ち良いからだ。

朝の通勤ラッシュを想像してみるといい。
仮に、家から会社までの経路を毎朝同じとしよう。

同じ道を通って同じ駅を利用して同じ改札口を通って同じ電車の同じ車両の同じ椅子に座って同じ駅で降りて同じコンビニに寄って同じものを買って同じ会社に到着して同じ椅子座り同じ机に向かって先週と同じ仕事をする。
同じであっても、それを何年・何十年と続けられるのは、それが脳にとって気持ちいいからだ。

予測できる未来。予想できてそのとおりになる毎日というのは、脳の処理としては理想だ。

もしも、いつもの朝の通勤ラッシュ時に、先生に引率された小学生の団体や、大きな荷物を持った年配者に遭遇したらどうだろう? 迷惑そうな顔をしてしまうかもしれない。

なぜなら、小学生の団体や、大きな荷物を持った年配者は予測不能な動きをすることがあると考えるからだ。

そういった点で、東京駅はまさに予測不能な駅といえよう。地方からやってきたビジネスマンや旅行者や修学旅行生などで混雑する駅構内は、だれがどのような動きをするのかを予想・予測するのは困難だ。

予想・予測ができない状態は、出来事の処理がスムーズに行われない状態であり、脳はこれを嫌う。


何が起こるかわからない状態を「自然」とするならば「自然」の対極にあるのが「脳」だ。

現実の本来の世界は「自然」である。ところが「脳」は「自然」を嫌い、自分にとって気持ちいい状態を好む。こうして「自然」を切り開いて予測・予想可能な領域を広げてきた。それが人間社会=脳社会だ。

日本の都会といわれる場所の木々はどこにあるか。道路沿いの街路樹と公園という名で区切られたわずかなスペースにだけ存在する。

電車は定刻どおりに運行され、そのダイヤが乱れると人々は迷惑そうな顔をする。ダイヤの乱れの原因は落雷だったり人身事故だったりといった「天候」や「人」という名の「自然」だ。


さて、人は脳にとって気持ちいいことを良いことを好む。

では、脳にとって最高の状態とは?

脳にとって最高の状態を作りあげる脳内作業の最も緻密で高度な処理を要求される作業のいくつかは「世界構築」と「執筆」である。

自然界において「約束」という言葉を使うことによって構築されたのが「人間社会」である。「約束」を人間たちで共有するために人はそれを書き記す。これが「世界構築」と「執筆」である。

人間の行いにおいて最も緻密で高度な技術が要求される「世界構築」と「執筆」。それを行っているのが物語作家だ。

物語作家のうち、最も直接的にこの作業を行っているが小説家である。

脳にとって気持ち良い世界の集大成の「小説」を書く能力があるかどうか。それを見極めるのが新人小説賞だ。

小説を書く能力とはつまり、物語をつくる能力、さらには脳にとって気持ち良い状態(脳内世界)をつくる能力があるか、ということだ。

というわけで、小説原稿を読んでまずチェックするのは、脳がよりスムーズに処理できるかどうか、ということになる。

物語世界の中で、意味もなく雨が降り出したり、意味もなく主人公が犯人探しをはじめたり、意味もなく登場人物が死んだりしたら、脳はそれを処理できない。

脳が処理できない世界とはつまり現実であり、人はそんな現実を嫌というほど味わっている。

脳が処理しやすいようにするためには、現実の不可解な事柄・現象を解き明かそうと脳をフル稼働させなければならない。

たいていの人はそんな面倒なことはしない。たとえ真面目にそれを行おうとする人がいたとしても、その作業はとても大変なので、その負担が疲労となって蓄積し、やがては身体を蝕んでしまう。

こうして、真面目で律儀な人ほど日常生活や仕事で負担(ストレス)をかかえ、体調不良となる。

だから、現実の、不可解と思える事柄や現象を、脳がスムーズに処理できるよう取り組むことをせずに「なんだかよくわらないもの」として放り投げ、忌み嫌い避けようとする。

これが思考停止・相互不理解・排斥へ至る過程の一端である。

脳は、人は理解できないものを理解しようとするよりも「なんだかよくわからないもの」として避けるほうが楽だと考える。

「なんだかわからないもの」の存在は脳にとって負担であるからそれを怖れるようになる。怖れからくる脅えは周囲に伝染し、やがて形となってあらわれる。それは「いじめ」ともいわれることがある。

そもそも人が小説を読む目的は、脳を気持ち良い状態にすることだ。わかりやすくいうと、ただ単に楽しみたいだけである。

脳にとって最高の状態とは?

――自然という現実からかけ離れた「脳世界」にどっぷり浸かることである。

だから新人小説賞の選考では、小説世界に脳が処理できない「無駄」がないかどうかをチェックする。

脳を気持ち良くする作業は、脳を気持ち良くしてもらう受身とは正反対の資質と訓練がなくてはできない作業だ。

こうした作業は脳を酷使する。だから一般人はそれに絶えられずに「無駄」が沢山できる。

新人小説賞の応募作の中から、そのような「無駄」がなるべく少ない作品を選んでいく作業が最終選考までのおおまかな目的だ。

とはいっても一般公募による新人小説賞の場合、受賞作においてもある程度の無駄は致し方ない。無駄が許容範囲であり、そのほかにその書き手の持ち味の片鱗さえみつけられれば喜んで受賞作アリとするだろう。

ちなみに私が脚本や小説原稿のチェックの依頼を受けると「無駄」がどれだけ少ないかを意識してみている。

しかし一般の人でも、特に意識しなくても脚本や小説原稿を読めばすぐにわかる。それがなぜ、どれだけ「無駄」な部分かというのをはっきり認識することはできなくても、なんとなく疑問が残ったり、なんとなくひっかかる部分がある、といったかんじですぐにわかるものだ。

大事なことは、書き手の持ち味の片鱗を見つけることだ。無駄を切り詰める作業は訓練すればある程度できるようになるので、あとからでもどうにもでもなる。


さて以上のことをふまえたうえで映画「暗いところで待ち合わせ」の原作者・乙一さんの小説デビュー作「夏と花火と私の死体」を読んでみると、驚くべきことに無駄がない。

「夏と花火と私の死体」で1996年に第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞した乙一さんは当時17歳だったという。執筆当時は16歳であったと思う。

基本として、年齢と物語構築力の関係は「無し」だ。

例えるならば、60歳だからといってスキーが上手とは限らないことは理解できるだろう。
60歳でスキーが上手ならば、おそらくその人は若い頃からスキーをしていたのだ。

60歳でスキー歴3年と、20歳でスキー歴10年。

はたしてスキーが上手なのはどちだだろう。素質や練習内容の濃さにもよるが、一概に20歳でスキー歴10年のほうが上手だろう。

年齢と物語る力は関係ないのだが、それにしても17歳でこの無駄のなさというのは、インパクトが強い。

観客の関心を宙吊り状態にしておくサスペンス。

物語るテンポ。

どちらも、例えるならば無駄な贅肉が一切ない均整な肉体かのようだ。

そしてなにより特筆すべきは、その語り口である。

視点が死体でありつつも全知全能の視点を含んでいるという、なんとも奇妙な語り口。

「暗いところで待ち合わせ」の、ひとつ屋根の下で一言も言葉を交わさないふたりが同居する、なんとも奇妙な生活。

なんか変。いや、かなり変。だけどイイかんじの変。

無駄がないだけでもスゴいが、それだけではない。――「変」という味を持っている。

物語る視点が死体でありつつも全知全能の視点を含んでいる、なんていうのは、それこそなんとな~くできるものでは決してない。

なるべくしてなった「変」こそ、乙一さんが類稀なるストーリー作家である証なのだ。

4087471985夏と花火と私の死体
乙一
集英社 2000-05

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