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映画「暗いところで待ち合わせ」

監督:天願大介監督
日本/2006年/129分
原作:乙一『暗いところで待ち合わせ』

他者とのコミュニケーションを欲する者たちが「変化という恐怖」に立ち向かい、一歩を踏み出す物語。常人では考えつかない設定と、それを形にする技術と勢いに原作者のホンモノの力量さえ感じる。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
交通事故で徐々に視力を失ったミチルは、父親を亡くしてから駅のプラットホームを見下ろす高台の一軒家に独り暮らしをしている。
ある日、駅のプラットホームから男性が転落。電車に轢かれて死亡する。
同じ日、ミチルの家に青年が忍び込み、息をひそめて暮らし始める。青年は転落死した男性の職場の同僚アキヒロであり、転落死に関係するとみられて追われていた。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽本間ミチル
女性。交通事故で視力を失う。父親が他界し、ひとり暮らし。

△大石アキヒロ
男性。日本と中国のハーフ。幼い頃は中国で育ち、その後日本にやってきた。印刷工場で働く。

▽カズエ
女性。ミチルの親友。

△松永トシオ
男性。アキヒロの職場の先輩。

▽ハルミ
女性。ミチルの近所に住む。イタリアンレストランの店員。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
他者とのコミュニケーションを欲する者たちが「変化という恐怖」に立ち向かい、一歩を踏み出す物語。常人では考えつかない設定と、それを形にする技術と勢いに原作者のホンモノの力量さえ感じる。

■ 出会い系!?

出会い系。
そう聞くと、イマドキのあやしげな印象を受けるかもしれない。だが、物語というものは、主人公がだれかと出会うことではじまるのだ。

両親は離婚。交通事故で視力を失い、一緒に暮らしていた最愛の父親も他界したミチルは、駅のプラットホームを見下ろせる高台の一軒家で独り暮らしをしている。

点字の勉強をはじめて徐々に読めるようになってきたミチルだが、杖を使ってひとりで外出しようとはせず家で一日を過ごす事がほとんどだ。

パソコンは苦手で、家では家事をしたり、ピアノを弾いたり、テレビの音声を聞いたりして過ごしている。

おそらく、子供の頃からどちらかというとひとりでいることが多かったであろうミチルにも友人がいる。カズエだ。彼女は活発なイマドキの女の子。ミチルとは正反対のようだが、それだからこそお互いに無いものを持っているふたりは親友として付き合ってきた。

そのカズエと一緒に外出する以外はいつも家にいるミチルには、出会いは訪れようもない。
このように、一度大きく出会いようがないとうところまで振り子を振っておく。

そしてもしそこに出会いを作ることができれば、振り子は反対方向へ大きく動かせる。

物語を推し進める力とは、たとえるならば振り子をどれくらい大きく振ることができるかにかかっている。
だから、振り子をいかに大きく振るか。これに苦心するのだ。

振り子に勢いをつけるきっかけ。それが出会いだ。
たとえばミチルの出会いの相手が、親友カズエの知り合いだったり、いつも食料品や日用品を配達してくれる店の青年であったり、郵便配達員の青年だったりした場合は、いかにもありきたりだ。

ところがこの作品では、普通の出会いとはいえないちょっと変わった『出会い』をさせる。

それは、近くの駅での転落死亡事故・事件の容疑者が家に忍び込んでくるというものだ。


■ グランドホテル型のひとつ

ミチルの生活圏、具体的には家という場所に、なんらかの目的を持ったアキヒロが入ってくる。アキヒロの出現によってその場所にかかわる者に変化が起きる。これはいわば、グランドホテル型である。


■バックグランドを交互に描く

はじめにミチルを紹介。その次にアキヒロを紹介。

作品の前半をこのようにふたつに分けて、それぞれの状況を描いている。ミチルとアキヒロの両方のバックグランドがほぼわかった観客は、ふたりの共通点にすぐに気づくだろう。


■ おひとりさま

ふたりの共通点とはなんだろう。

皆さんは「おひとりさま」というのをきいたことがるだろうか。

これは劇団ひとりをターゲットとした……いや違った。失礼。これは「ひとり」をターゲットとしたマーケティングのひとつである。
おひとり様用「鍋セット」。おひとり様用「ひとりで参加する旅行」。おひとりさま用「ひとりで行くいきつけ
のバー特集」等々。

仕事やプライベートの人間関係のしがらみから、ひとときでも離れてホッと一息入れたい。そんなおひとりさまになれる時間を持つことがステイタスとしてマーケットを広げようという狙いは、マーケティングとしてはおもしろいかもしれない。

おひとりさまがなんとなくカッコよく感じたり、おひとりさまの時間を持つことの有意義さを云々したりというおひとりさまマーケットの根本には、前提として「おひとりではない」というのがある。会社の同僚、仕事仲間、友人、知人・家族などがいることが前提だ。

だがミチルとアキヒロは、まずは前提として「おひとりさま」であるかのように描かれる。

ミチルは一見するとひとりを望んだわけではないようにおもえる。カズエほど活発ではないにしても、目が見えれば外出もするだろうし、学校や仕事をして知り合いや友人も増やすだろう。

だが視力を失い、父親を失ったためにひとりになった。だからミチルはひとりを選んだわけではなく、仕方なくそうなったのだと思える。

しかし実際は、心配してくれる親戚もいるし、ひとりでも外出するよう勧める親友カズエもいるのでひとりではないのだが、ミチルは親類たちに、自分はひとりで暮らすと言ったり、カズエに外出するのは怖いしみんなの迷惑になるから家にいると言ったりする。

一方アキヒロも一見するとひとりを望んだわけではないようにも思える。日本人と中国人とのハーフで、幼い頃は中国で育ったアキヒロは、印刷工場の同僚ともコミュニケーションがうまくいかない。だからアキヒロはひとりをえらんだわけではなく、仕方なくそうなったのだと思える。

しかし実際は、アキヒロは職場の同僚に幾度となく飲みに誘われたりしている。その度に、今夜はちょっと用事があるからと遠まわしに断るのはいいほうで、ときにはまるっきり無視するかのような態度をとることもある。

こうしてみると、ミチルもアキヒロも、一般的な人たちに比べればひとりになりがちな環境にあったが、そのような状況にあっての選択と行動は、ひとりという孤独へ向かうものであった。

これがミチルとアキヒロの共通点である。


■ 経験とイメージのデフレスパイラル

杖を使って外出すれば、慣れていないために他の通行人や車などに迷惑がかかる。自分の身も危険になる。実際に、ひとりで外出したときには、車のクラクションにさらされて身動きがとれなかったり、走ってきた自転車にぶつけられそうになったりした。だからひとりで外出しない。

会社の同僚と飲みに行っても、中国人とのハーフということでばかにされたりからかわれたりしそうだ。実際、高校時代に学校でうまくいかずに、問題を起こしてしまったこともあった。だから仕事場の同僚に飲みに誘われても断る。

どちらも、負の体験によって、正の未来をイメージしにくくなっている様子がうかがえる。

体格や体力の違いによって、同じスポーツをする場合でも他人と自分では条件が違う。Aくんは50メートルほどボールを蹴れたとしても、Bくんは10メートルしかボールを蹴れないことがある。

練習や体調によって飛距離は変わってくるものだが、ボールをうまく蹴れないはじめの頃に、蹴れない理由(体力がAくんより劣る、身長がAくんより低い等)だけを意識すると、練習をする気力をなくしてしまう。

実はこういうときこそチャンスなのだ。
Aくんと比較することでBくんは自分に必要なものや、自分に向いているものを探るチャンスができるからだ。

ボールの蹴り方を練習したり、ボールを蹴るよりも手でとる練習をしたりすることで、Bくんの得意なプレーがみつかるチャンスなのだ。

ミチルは目が見えないとは思えないほど上手に料理を作ることができる。
アキヒロは丁寧で真面目な仕事ぶりで、後輩の面倒を見る立場にもある。

良いところ、得意なところはたくさんある。それにもかかわらず、うまくボールが蹴れなかった(例)という負の経験が、今度もうまくボールが蹴れないだろうという負のイメージを抱かせ、ボールを蹴る練習をする意欲を無くさせてしまう。

こういった状態はだれにも起こりうることだ。経験とイメージのデフレスパイラルに陥ったときに、身近な人のサポートがあれば、そこから抜け出す事ができる。

ミチルにとっては父親。アキヒロにとっては電話で話す母親。
どちらも身近にいたが、いまは遠くにいる。

アキヒロはたまに電話ボックスで母親とおぼしき人と電話で話している。原作を読んでいないので詳細はわからないが、このシーンをみたとき、もしかしたら電話は繋がっていないのかもしれないとも思った。

ミチルが、亡くなった父親の部屋の机の引出しの中の点字カードを指先で読みながら涙するかのように、アキヒロは電話ボックスで遠くの母親と話す。たとえ電話が繋がっていなかったとしても、身近な理解者のサポートを必要としていることはひしひしと伝わってくる。


■似たもの同士

このようにみてくると、ミチルとアキヒロは似たもの同士だというのがよくわかる。境遇は違えども、ふたりには以上のような共通点がある。

そして最大の共通点は「ひとりという孤独」に慣れてしまっていることだ。

だれかと繋がっている気持ちがあれば、たとえひとりでいても、本人は孤独を感じない。ところがミチルもアキヒロも、ひとりで生きていくんだ! と気負い、ある時期からはひとりで生きてきた(と思っている)。

カズエはこんな意味のことを言う。

――わたし、ミチルにはかなわない。だって一日中家でなにもしないでいられるミチルはすごい。自分にはぜったいできないから。(セリフは正確ではありません)

ミチルは家でなにもしていないわけではないが、すくなくともカズエにはそうみえるのだ。

おそらくミチルは視力が弱くなってきたときから、やがてひとりで生きてかなくちゃならないんだという気持ちを持ちつづけてきたのだろう。

ひとりで生きていく強さを求めていたかもしれない。そして、強さをもたらすものが何なのかを知った。


■ 孤独という強さ

孤独は時に力になる。
なにかをしようとおもえば、ある程度の孤独は覚悟しなければならない。

たとえば大学受験で志望校に合格しようとすれば、友達と遊びにいく時間を減らして、ひとりで勉強する時間を増やさなければならない。

ひとりになる。孤独になる。これを上手にできないと、予備校に通って予備校生同士ワイワイやっているうちに受験日になり、結局志望校に合格できなかったということにもなりかねない。

予備校に通っていることと、勉強することは同じではない。ひとりでどれだけ充実した勉強ができるか。それが重要だ。

多くの人は、仲間と思える人たちと一緒にいることを望む。だれかと一緒にいればさびしくないし、安心だ。
だから人は、孤独が必要なときも、ついだれかと一緒にいることを望む。

みんなと一緒にいつづけるには、みんなと一緒であると思えなくてはならならいと感じる。ほんとうはみんなと同じである必要はないのだが、自分だけが他の人と違うことを「浮いている」と定義して恐れるようになる。

ひとりで生きていくと決めたアキヒロは、職場の同僚たちから「浮いている」と思われることをなんとも思っていない。孤独は強さを与えてくれるし、なにより孤独に慣れてしまった。

だからこそ、はじめのうちは同僚に飲みに誘われても、今夜はちょっと用事が、と一応理由をつけて断っていたのが、そのうちあからさまに聞こえないかのように無視するようになったのだ。

ミチルも孤独の力を知りつつも、それに慣れてしまった。だから親友カズエの、ひとりでも外出するようにという勧めを、理由をつけて断るのだ。


■ 分身

カズエはそんなミチルを一度突き放す。そんなカズエ冷たい人のようにも思えるが、親友だからこそ、ミチルをおもえばこその気持ちの表れなのだ。

実はカズエにとても似た役割を持つキャラクターがいる。それはアキヒロの職場の先輩・松永トシオだ。

アキヒロは松永トシオに職場でいやがらせを受けており、親友とは真逆なようにも思えるだろう。

しかし、物語における設定上の役割では、ミチルの親友カズエと同じ役割を持っている。

職場でアキヒロにいやがせをする松永トシオ。彼がアキヒロにこんな意味のことを言うシーンがある。

――おまえ、だれも信用していなんだろう? かわいそうな奴だな。(セリフは正確ではありません)

世の中には信用するには値しない人もいる。けれど、まずは自分がだれかに信用されるよう努める。そうそれば信用できる相手にめぐり会えるかもしれない。

松永トシオは同僚によく声をかけている。態度も大きく、他人からみれば印象がいいとはいえないが、他の同僚達にくらべれば年齢もかなり上であるから、自分から声をかけてコミュニケーションをとっている。

いつまでもこんなところでくすぶっていられないよな。といった意味のことを言って、今度海外で事業を興すという松永トシオは、具体的に事業をおこす準備をしているようにはみえず、その容姿の良さや、事業話で景気のよさそうなことを匂わせて幾人もの女性と付き合ったり別れたりを繰り返している。

そんな松永トシオは、アキヒロに自分の姿をみたのだ。
工場の職場は、本来自分がいる場所ではないと思い、いつか海外で事業を、と言ってみせるものの、ここから抜け出す一歩が踏み出せず、女遊びの日々。

それは電車のガード下の安酒場で一杯やりながら、会社の愚痴の合間に、いつかいざとなればデカイことをやってやるぞ、ともう何十年もいいつづけているかのようだ。

そんな自分と同じようなものを、同僚を避けるようにひとりの殻に閉じこもって外に一歩を踏み出そうとしな
いアキヒロに感じたのだ。だからアキヒロをみるとイライラした。まるで自分を見ているかのようであったから。

自分の分身かのようなアキヒロを無視することができなかった。だからアキヒロにいやがらせをした。

一方、カズエは大きな家に生まれ、自由奔放で活発な女の子だが、ひとつのことをやりつづける根気もなく、いっそ結婚しちゃえば楽よね~とも思っている。孤独と向き合ってこれを力として用い、有意義な人生を送ろうという一歩が踏み出せないでいる。

孤独の力を使いこなしているかのようなミチルに嫉妬さえおぼえるカズエは、ミチルに自分の姿をみたのだ。だからこそ、ひとりで外出する練習さえしようとしないミチルを何度も外へ連れ出してみたり、何度も外へ出る練習をするよう促したのだ。

ミチルは家にひとりでいる時間が多いからといって、他人とのコミュニケーションを拒んでいるわけではない。いやむしろコミュニケーションをとりたいと望んでいる。だからこそ杖を取ってひとりで外へ出てみたのだが、なかなかうまく歩けない。その体験から負のデフレスパイラルに陥ってますます外へ出たくない。それはそのままカズエの生き方にもあてはまるのだ。

だからこそカズエはミチルにひとりで外出するよう強く勧める。それをミチルが強く断った時、カズエは一度突き放す。なぜならミチルのことは他人事ではなく、自分の事でもあると感じているからだ。

カズエの突き放し方は他人からみるととても冷たいように見えるのだが、そこには他人事ではない深い思いがあ
るのである。


■ 言葉によらない関係づくり

手紙。はがき。電子メール。歌。

どれも言葉でできている。

言葉はいつも私達の生活の身近なものであり、ときに言葉に傷つけられ、ときに言葉に勇気づけられる。

しかし、小説という言葉で作り上げる作品において、言葉を使わないでふたりが関係を作り上げていくという設定を思いついた作家がいる。

乙一である。

言葉以外ならスポーツを通してだとか、なにかの活動を一緒に行うことで関係を作り上げていくことを思いつくのがふつうだ。

ところが乙一さんは同じ家の同じ屋根の下、全くの他人がひとことも言葉を交わすことなく暮らす状況を作った。
目の不自由が住む家に忍び込んで住み着く男。これだけ聞いたら、身も凍るホラーだ。

ところが乙一さんは、ひとりで生きてきた、似たもの同士のふたりを同じ家で無言で同居させることによってホラーな設定ながらも奇妙な心の交流物語をつくりだした。

まさに脱帽ものである。

人は愛する人を失ったとき涙する。それは、もう愛する人が作り出す空気を感じることができないからだ。

小説や映画でも基本は同じだ。物語の力を使って、いかに愛される「空気」を作り出せるか。

ひとことも言葉を交わさないミチルとアキヒロという状況設定によって「空気」を作り出した乙一さん。その設定を考え付いただけでもすごい。だが思いついたり、考えついたりするだけなら100人に1人ぐらいはけっこうするものだ。

乙一さんがすごいのは、それを物語にしたところだ。思いつく(考え付く)センスと柔軟な思考と、思いつきを形にする技術と勢い。このふたつが揃う人はめったにいない。


■ 恐怖

ミチルとアキヒロにかぎらず、カズエも松永トシオにも共通することがある。

それは「恐怖」だ。

なにに対する恐怖か。――変わることへの恐怖である。

他者とコミュニケーションしたい者たちが、自分の殻を打ち破って一歩踏み出すことへの恐怖。

これはだれにでも経験があることだろうし、だれにでも訪れるであろう感情でもある。

ホラーというジャンルほど人間の感情を描きやすいものはないともいわれる。私もそのとおりだと思う。

ホラーが描き出すもの、それは私たち人間のだれにもある感情だったり、社会の有り様だったりする。

だから私はホラー作品はけっこう好きだ。


■ 光

クライマックスで、ミチルが命の危険に晒されてピンチに陥ったときのこと。
ミチルの視界にボワァとひとすじの光が差し込む。それはわずかな間のわずかな光だが、ミチルが新たに手に入れようとしている未来への光を象徴しているかのようだ。


■ ひとこと

ミチル役の田中麗奈さんがとてもいい。作品の前半で、父親の葬儀にきた母親を自宅の窓から何度も呼ぶシーンがジーンとくる。

田舎の駅。家。工場。

どこにでもある3つの場所で、これほど奥深い作品が作れるとは、原作者の力量はホンモノだ(とかいいつつ原作は未読)。

作品のクライマックスでミチルが謎解きをしたシーンは金田一くんみたいだな、と思ったが、ミステリーの仕掛けだけで終わらせることなく、きちんと謎解きをしたところは好感が持てる(といっても謎解きは基本。だがそれさえしていない作品もある…それはこちら

また、登場人物たちに幸せが訪れたとは一概にいえないエンディングが絶妙だ。

アキヒロは殺人事件の容疑は晴れたが、だからといってヒーローになったわけでもない。むしろ、ますますよくない噂が広まってしまった。

ミチルにしても視力が回復したわけでもないし、すぐにひとりで外出できるようになったわけでもない。

それでも、ミチルとアキヒロはともに一歩を踏み出したのだ。一歩を踏み出す変化への恐怖をともに克服したのだ。

この先のふたりの歩みを知りたいと思わせる余韻を残したエンディングもなかなかうまい。

5分に一度派手なイベントが起こらないと退屈して寝てしまう人や、映画はなにも考えずにぼけぇ~と頭をカラにして笑って観れればいいという人にはまったく向かない。

観ているときも、観終わったあとも、深くいろいろと考えさせてくれる作品だ。

ファミリー -
デート   ○ラブストーリーでもある
フラっと  ◎予備知識なしで観たほうが意外にいいかも
脚本勉強 ◎原作者のセンスと技術はなかなか真似できないが参考に
演出    ○
リアル   △
人間ドラマ ◎
社会    ○
笑い    ―
俳優    ◎佐藤浩市の作業着姿は貴重

4344402146暗いところで待ち合わせ
乙一
幻冬舎 2002-04

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