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映画「硫黄島からの手紙(Letters From Iwo Jima)」

監督:クリント・イーストウッド
アメリカ/2006年/141分

クリント・イーストウッド監督が歳を重ねるごとにますます輝きを増すのはなぜか? 生きる力、物語る力に答えがある。「ヒーローとは?」にひとつの答えも提示されている。

ストーリー(概要)
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第2次大戦中の1944年6月。陸軍中将の栗林忠道が指揮官として硫黄島にやってくる。アメリカ合衆国をよく知っている彼は、実践的・具体的な作戦を立てる。


主な登場人物の紹介
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△栗林忠道
陸軍中将

▽西郷
兵卒


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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クリント・イーストウッド監督が歳を重ねるごとにますます輝きを増すのはなぜか? 生きる力、物語る力に答えがある。「ヒーローとは?」にひとつの答えも提示されている。

■ 奇跡(に近い)に感謝しよう

物語る力。それは強力だ。

Aという国が描く物語内では、B国は如何様にも描かれる。

そうしたB国の描かれようが広まってしまったら、B国は自ら物語を作らなければ自国の観られ方を修正することは困難だ。

いったいどこの国のだれが、自腹を切ってかつて敵国だった側の視点に立った物語を作ると思うのか。しかも、相手国を悪者と決め付けた一方的な描き方をせずにだ。――ふつうはありえない。

ところが稀にこんな作品も現われる。

「K-19:THE WIDOWMAKER」(作品レビュー)という作品だ。詳細は作品レビューを読まれたし。

そして今回、ほんとうに稀な作品と出会うことができた。

クリント・イーストウッド監督作「硫黄島からの手紙」である。

この作品では、日本人は日本語を話す。あたりまえかと思うかもしれないが、いわゆるハリウッド産で、アメリカ合衆国以外の国を舞台とした作品であっても、登場人物はたいてい英語を話す。

フランス国王万歳! なんていうシーンでも英語である(笑)。

アメリカ人というのは、よっぽど字幕を読むことが苦手らしい。なんでも楽をしようとする。そんな声もある。

ところが「硫黄島からの手紙」では、日本人は日本語を話し、アメリカ人は英語(米語)を話す。

そして、かつての敵国の軍人たちを、自国の軍人たちとなんらかわらない、ひとりの人間として描く。

これは奇跡に近い。

本来ならば「硫黄島からの手紙」のような、日本側の視点に立った作品、しかもお涙頂戴に特化した演歌ではない、世界へ語りかける戦争映画は、日本が作らなくてはならない。

それなのに、なんとアメリカ人が作ってくれたのである。

こんなことってあるんのだね……。


■ 手紙

第二次大戦中の日本軍の兵隊たちは皆、玉砕の覚悟でお国のために潔く死んでいった、そういう軍国教育を施されていたのだとよくいわれている。

そういう一面もあったろうが、皆がそうではないのではないか。

どんな状況にあっても、たとえ周りのみんなが右向け右でも、なかには正面を向いていた人もいたかもしれない。空を見上げていた人もいたかもしれない。

硫黄島の浜辺で「おれたち、墓穴掘ってるのかな」と思いながら、こんな島はアメ公にくれてやればいいんだよ、とつぶやくように言う西郷。

彼のような日本兵が登場する第二次大戦時の戦争映画を観たことがあるだろうか?

当時の日本だと真っ先に非国民と非難されるであろうことをつぶやく西郷を作品の主要な登場人物に設定していることから、この作品は日本の軍人たちは皆「万歳して玉砕する野蛮でクレイジーなイエローモンキーだ」だというくくり方をぜず、彼らも自分たちと同じ人間だというメッセージが込められていることは、作品の冒頭での西郷の様子をみればよくわかるだろう。

それは、日本人士官の西がアメリカ人の若いアメリカ海兵隊員を捕虜にして手当てさせたシーンに最もよく表れている。

日本軍の士官である西は金メダリストでアメリカ人とも親交があった。その彼が英語で捕虜に話し掛け、故郷の話をする。翌日、捕虜は負傷のために死んでいたが、傍らに手紙を見つける。

それは捕虜のアメリカ兵の母親が息子に宛てた手紙だった。

手紙を日本語に訳して読み上げる西。それを聞いている日本兵たち。彼らは鬼畜米英と教えられていた敵兵も、自分たちと同じように家族がいて、なんら自分たちを変わらないことを知る。

アメリカ兵の母親の手紙には、どんな状況にあっても、あなたが正しいと思うことをしなさい、といった意味のことが書いてあった。

西郷をはじめとする日本兵たちはこの手紙に心を打たれるのである。

とくに西郷は、軍国主義に染まった状況下にあって、判断を他に委ねることなく、生きて家族のもとへ帰ることを願う。そのために直属の上官には非国民だと目をつけられ、損な役回りをいつもいいつけらてきた。

そんな西郷にとって、このアメリカ兵の母親の手紙の内容は、自分の生き方を肯定してもらえたかのようで心強く感じたことだろう。

日本兵であれアメリカ兵であれ、だれかの息子であり、だれかの父親であり、だれかの友人であり、だれかの大事な人である。そして誰かが帰りを待っている。

そのことが見えなくなってしまう状況はなにも第二次大戦時の硫黄島だけではない。
現代のスポーツチームにだって、一般企業にだってある。

学生リーグ優勝のために肩を壊すまで投げつづけざるをえない状況に追い込まれ、投げられなくなり選手生命を絶たれた元野球選手。

売り上げアップのために終電まで残業を続け、ときには会社で朝を迎えて一週間家族の顔を見れない状況に追い込まれ、体調を崩して職と健康を失った元会社員。

その時やその場の状況に呑まれることなく、自分にとってなにが大事なのかをしっかり持って、自分が正しいと思うことする。そんなあたりまえのことができる者こそ監督が描きたかったものではないだろうか。


■ 生きる力

栗林中将は家族に宛てた手紙の中で、実際の硫黄島の状況とは異なる、ほのぼのとした近況を絵を描いたり文章を書いている。

本土に送られるときは検閲があるので、詳しい状況などは書けないのだろうが、自分が元気でいることを家族に伝えようと、物語っているのだ。

物語る能力。これは生き残る力だ。

だれしも、今は辛くてもいつかはよくなるという思いがなくては先に進む意欲が湧かないものだ。

明日は、来月は、来年はきっとよくなる。よくなるイメージを描き、それにむかって現実での課題をひとつづつやり遂げていく。

よくなるイメージとは、ときに「希望」ともいわれる。

希望を作り出すのは想像力だ。想像力は物語る力だ。物語る力は生きる力だ。

クリント・イーストウッド監督が歳を重ねるごとにますます輝きを増すのは、彼が映画を撮りつづけ、物語続けているからだ。

物語りつづけることで、生きる力に溢れているからだ。

どんな状況下にあっても、自分の正しいことをして、生きて帰るイメージを抱きつづける。それが輝きつづける方法だ。


■ ヒーロー

5日で終わると考えた硫黄島の戦い。それを36日間守った日本軍の指揮官・栗林中将。彼は欧米への留学経験もあり、知識も行動力もあった。

では、彼はヒーローか。

彼はヒーローであってヒーローではない。

それはどういうことか?

そもそも、いわゆる戦争映画に描かれるヒーローというのは、プロパガンダに最も利用されるもののひとつだ。

「硫黄島からの手紙」では、戦争映画にありがちな、兵隊たちの活躍は描かれない。観客にカタルシスをもたらすかのような攻撃シーンや作戦の成功といったものは無い。

5日で終わると考えられていた硫黄島の戦いを、36日間守った栗林中将は、兵士たちに洞窟を掘らせて地中で指揮しようにも、戦況報告は滞り、命令・伝令は届かず、部下を失い、戦況が悪化するのをくいとめることはできない。

一方、名も無き一兵卒の西郷は、敵に向かって銃弾を発するどころか、銃を構えたシーンさえほとんどない。発砲したシーンといえば射撃の練習で的を外して上官に怒られたときぐらいだ。

戦闘前はひたすら穴掘り。戦闘中は機関銃の弾を運ぶ。

そして、生きて愛する家族のもとへ帰りたいと願う。そんなひとりの青年だ。

栗林中将も西郷も、いわゆるプロパガンダ戦争映画のヒーローとは全く違う。そういうヒーローではない。

しかし、ヒーローなのだ。

栗林中将と西郷は、自分の価値観や考えをもって、生き残るイメージ=希望を抱きつづけた。

これこそ真のヒーローなのである。


■ 生還してからはじまる

国を想い、家族を想う気持ちは同じでも、生きようとする者と、死のうとする者がいる。

日本兵のなかの主要なキャラクターの中で、硫黄島の戦いを生き残った者がふたりいる。

ひとりは軍国主義に染まり、死に場所を求めて彷徨っていた。

ひとりは軍国主義に染まることなく、生きようとしていた。

同じ生き残りであっても、両者はまったく違う。

ほんとうの彼らの物語は、硫黄島から生還してからはじまるのだ。「父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)」がそうであったように……。

しかし「硫黄島からの手紙」は硫黄島の戦いが終結したところで終わる。硫黄島から生還してからの物語をつくるのは、観客であるということだ。これを「余韻を残す」ともいう。

「父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)」作品レビュー


■ ひとこと

久しぶりに裕木奈江を見た。はじめ、それが彼女だとわからなかった。西郷の妻役であった。ということは西郷演じる二宮和也の妻という設定だ。

こりゃぁかなりの姉さん女房ですな。

そもそもパン屋の旦那で女房がいて子供もうまれる(うまれた)という西郷役が二宮和也というのは、ヒゲを生やしてみても、ちょっと若すぎるかんじはあった。欧米人が観たらますます日本人は童顔だと思われるだろうな。
しかし、評判どおり二宮和也の演技はなかなかよかった。

日本人ならなおさら必見の作品だ。

デート    △
フラっと   ○
脚本勉強  ○
演出     ○
リアル    ○
キャラクター ○
笑い     ―
ファン    ○



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