映画「DEATH NOTE デスノート the Last name」
監督:金子修介
日本/2006年/140分
原作:大場つぐみ 作画:小畑健 『DEATH NOTE』
Lの成長と、父子の愛と、究極の愛・自己犠牲の物語。コンソメ味のポテトチップには意味が2つある。重要なのは2つめの意味。ヒントは甘~いお菓子にアリ。変化したLの目的とは? 原作はいいのだろう。だが監督は単に「萌え」なシーンが撮りたかっただけと思われてもいたしかたない。
ストーリー(概要)
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デスノートを手にしたライトは、恋人の死をきっかけにキラ事件捜査本部に乗り込む。
すでに捜査本部入りしていた名探偵Lはライトを受け入れつつ、キラとの頭脳戦を繰り広げる。
主な登場人物の紹介
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△夜神月(やがみライト)/キラ
男性。大学生。デスノートを拾う。
△L/竜崎
男性。キラを追い詰める名探偵。
△夜神総一郎
男性。キラ事件捜査本部長。夜神月の父親。
▽弥海砂(あまねミサ)/第2のキラ
女性。アイドル。
▽高田清美/第3のキラ
女性。さくらテレビ局報道アンカーウーマン
▲リューク
死神
▲レム
死神
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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Lの成長と、父子の愛と、究極の愛・自己犠牲の物語。コンソメ味のポテトチップには意味が2つある。重要なのは2つめの意味。ヒントは甘~いお菓子にアリ。変化したLの目的とは? 原作はいいのだろう。だが監督は単に「萌え」なシーンが撮りたかっただけと思われてもいたしかたない。
■ はじめに
前編のレビューでも書いたが、私は原作を読んでいない。そのため、映画作品としてレビューする。また、少しネタバレもある(結末が予測できそうな文が一部あるといった程度だが)。以上2点をご了承いただきます。
▼映画「DEATH NOTE デスノート 前編」作品レビュー
↑レビューをサッと読み返してみると、これを数日前に書いた時点では、夜神月(ライト)を主人公として、これにいかに感情移入できるか? を中心に考察していたのがわかる。しかしこの時点で私は「デスノート」シリーズのより魅力的な「みかた」を見つけられないでいたこともわかる。
これが映画制作側による「映画のみかた」の発見を楽しんでもらうための意図した仕掛けだとしたらあっぱれだが、おそらく原作にその要素が入っていたに過ぎないのではないか。
まずは「より魅力的なみかた」とはなんなのかをご説明しよう。
■ 父と息子の物語
古今東西、あらゆる物語によく登場するのは「父と息子」のテーマだ。オイディプス王からスターウォーズシリーズ、その他多くの物語において「父と息子」は重要なキーワードとして登場する。
L(竜崎)は親というものを知らないという。執事のような役割をしているワタリという年配の男性といつも一緒にいる。Lの身の上は明らかにされないので、おそらくLはワタリを家族のように大事に思いながら、ふたりで生活してきたのだろう。
では、ワタリはLにとっての父親か?
いやそうではない。あくまでLはワタリの家族のように思っていたということであり、そもそもLは親を知らず、家族がどんなのかも知らないのだから、父親がどんなものかもわからずにいた。
そんななか、キラ事件によってLが出会ったのが捜査本部長の夜神総一郎だ。
Lの年齢はわからないが、おそらく彼の父親ぐらいの年齢であろう夜神総一郎は、はじめはLの捜査方法に己の信念と相容れないものを感じながらも、捜査のために彼の力を借りることにした。
だが前編において、やがて捜査が行き詰まり、捜査本部とLの間の信頼関係が崩壊しそうになる。それはLがパソコンを通じて語るだけで、皆の前に姿を現していないからという理由によるものだ。
そこでLは捜査本部員たちと顔を合わせる。これがLと夜神総一郎の初顔合わせだ。
メール → 出会い
なんだか出会い系みたいな流れがイマドキっぽいゾ。
■ きっかけは毛布
前編の内容を思い出してみよう。
Lの捜査と推理によってキラの可能性が最も高い者として浮上したのが夜神月(ライト)だ。そこで彼の家での生活を徹底的に監視することにする。こうして他の捜査員からみれば執拗と思えるほどにLはライトに注目する。
それはなぜか?
もちろんLの推理によるとライトが最もキラの可能性が高いからだ。だがそれだけではない。なぜなら、ライトの父親が夜神総一郎だからだ。
夜神総一郎は自分の息子がキラではないと信じて、自分の家のいたるところに隠しカメラとマイクを仕掛けることを了承する。
父親が子を信じる姿にいくばくかの嫉妬に似た感情を感じていたことも、執拗と思えるほどにLがライトを監視する理由の一部になっていたと思う。
そして寝る間も惜しんで監視モニターに食い入るように見入るLがふと眠りに落ちたとき、それに気づいた夜神総一郎はそっとLの肩に毛布をかけてあげるのだ。
息子(ライト)を信じている父親は、息子を追い詰めようとしている相手(L)にさえ、そっと毛布をかける。
それができるのも、夜神総一郎はライトのことを信用しているからだ。
繰り返しになるが、他の捜査員からみれば執拗と思えるほどにライトに注目する。それはなぜか?
ライトが最もキラの可能性が高いからという理由に加え、はじめは夜神総一郎とライトの親子の愛に嫉妬していたのかもしれない。
Lは類まれなる分析・推理能力と世界の捜査員を動かせる力も持っている。おそらくLは、ライトも自分と同じくらいの能力があると評価しているはずだ。しかしライトが持ってい自分が持っていないものがある。それは親子の愛だ。
はじめは心の片隅にあった、親子愛への欲求と嫉妬。
しかし、毛布をかけてもらったことをきっかけに、父親の息子(ライト)への深い愛に触れたLに、変化が訪れるのだ。
■ Lの変化
Lはいつもお菓子を食べている。他の捜査員にはお菓子を分けることはせず、ひたすらひとりで食べている。しかし、一度だけLはケーキの串刺しを人に差し出したことある。
その相手は夜神総一郎だ。ケーキの串刺しを受け取った夜神総一郎は甘いものが苦手なのか、それを部下の捜査員にあげてしまう。なにはともあれ、串刺しケーキの贈呈が、Lの変化の兆しである。
次に最も重要なLの変化を紹介しよう。
前編のクライマックス。Lは部屋を出て、事件が起きた美術館に姿を現す。いつも自分が食べている甘~いお菓子ではなく、コンソメ味のポテトチップをかじりながら。
Lとライトの初対面のシーンである。
これが映画「デスノート」シリーズ(といっても前編・後編のみだが)で最も重要なシーンだ。すべてはこのシーンのためにあるといってもいい。コンソメ味のポテトチップには意味が2つある。その前にLの行動について考えてみよう。
Lはこれまで自分の家や部屋から出ることはなかったはずだ。世界中の捜査員を使って情報を集め、それを元に分析・推理して世界中の難事件を解決してきたLは、これまでは部屋の外に出る必要がなかったし、本人も外出は苦手なようで、おそらくほとんど外出することはなかったのではないか。
仮にLを「ひきこもり」としてみよう。
外出。ひきこもりにとってこれが意味することとは?
ひきこもりなんて遠い見知らぬ他人の問題、というわけでもない。仮に、ここにAさんがいたとしよう。Aさんの1週間はざっとこんなかんじだ。
日曜は、昼はパチンコ。夜は友人と行きつけの飲み屋で一杯。
月曜~金曜は、昼は会社に出勤。夜はたまに同僚と会社近くの飲み屋で一杯。
土曜は、昼は近所の打ちっぱなしのゴルフ練習場へ。夜は家で晩酌。
こんな1週間が1年、3年、5年、10年と続く。
決まった場所と自宅を行き来する毎日。同じ点を結んだ線をグルグル。
給料は月給30万円。
ある、ひきこもりとされるBさんは、自宅と近所のコンビニ数軒を行き来する毎日。3ヶ月に一度は大好きな沖縄にスクーバダイビングに行く。同じ点を結んだ線をグルグル。稼ぎはネットビジネスと株で月平均300万円
さて「同じ点を結んだ線をグルグル」ということでは、どちらが「ひきこもり」だろうか。
Lが部屋を出て美術館に姿を現したのは「同じ点を結んだ線をグルグル」の外へ出たことを意味する。
Aさんは自分の1週間の枠外に出なくても、だれにも文句をいわれることはない。だれもAさんをひきこもりとはいわないし、少しは外の空気を吸って他の世界を見ること必要よ、なんてことも言われることはない。
Lも世界中の難事件を解決しているのだから、だれも彼に甘いものを控えて外に出て運動しなさいとはいわない。
それにもかかわらず、Lはいつも自分が食べている甘~いお菓子を持たずに、コンソメ味のポテトチップスを持って「外」へ出たのだ。
さきほど、コンソメ味のポテトチップには意味が2つあると書いた。ひとつめの意味はだれにでもすぐわかるであろう。そう「君のトリックに使われた物がコンソメ味のポテトシップスだということはわかっているぞ」というLからライトへの暗黙のメッセージだ。
まぁあれだけバレバレの使い方をしているだから、Lでなくてもすぐにわかる。だからコンソメ味のポテトチップスのひとつめにはたいした意味はない。あるとすれば、ふたつめの意味を御膳たてするスターターのようなものである。
まさに前編の最後に、Lが変化したことを表して、後編への期待感を膨らませる、そんな重要な役割を担っているのがコンソメ味のポテトチップスのふたつめの意味と役割のうちの前半分なのである。
Lとライトの初対面のシーン。そこには親子愛に触れたことによるLの変化が顕著に表れているのである。
それで、肝心の、コンソメ味のポテトチップスのふたつめの意味の後ろ半分の役割とは?
その前に、なぜLはいつもお菓子を食べているのかを考えてみよう。
■ 甘~いお菓子の意味
Lはメッチャ甘いお菓子をいつも食べている。ケーキの串刺しを甘いタレに漬けてベロベロ。砂糖がいっぱい入った紅茶をズルズル。
甘いものという嗜好品に象徴されるものは何だろう。
心理学的にいうなら、それには意味があり、それにはなにかしらの症状名があるのではないか。
皆から愛されるスーパースターだが、タバコがやめられない(http://fm7.biz/8tr)アルコールを絶てない、といった話はどこかできいたことがあるだろう。
偏愛・嗜好に裏には、満たされぬ欲望と不安があるのだと思う。
Lの場合は親・家族の愛情を知りたいと願い、欲している。その表れが甘いお菓子という記号で表されていたと見てとれる。
■ キャラクターが活きるとは?
Lが外出するようになった。これがどれだけ重要か。
第2のキラは顔を見ただけで死に至らしめることができるとわかっているにもかかわらず、Lはライトが通っている大学に姿を現す。
もちろん、顔が見られないよう万全の対策で(笑)。
Lが大学にやってくる。このシーンが一番おもしろかった。私にとっては。
たか的に楽しめたのは、キャラクター作りの効用だ。
よく、キャラクターがしっかり構築されていれば、彼らは勝手にしゃべって勝手に動き出すと言われる。
こんなときあのキャラクターだったらこんなリアクションをとるにちがいないと観客(読者)がイメージできたとき、キャラクターが一人歩きを始めたといっていい。
そうなれば、あとは物語の筋を大まかに決めるだけで、ある程度物語が進んでいく。
そんな様子を楽しめるがのが、Lが大学に現れるシーンだ。
万が一にも第二のキラに顔を見られないよう「万全の対策」をとったL。ネタバレはなるべくしない方針なので「万全の対策」と表現しているが、そこには「笑い」がある。
この「万全の対策」効果によって、劇場は笑いに包まれ、一番盛り上がった。
さて大学にやってきたLはいつものキャンディーを持っている。外に出るようになってまだ日が浅いLにとって、人が多い大学に行くというのはかなりのストレスだったにちがいない。いつもの甘いお菓子・キャンディーは、小さな子供がぬいぐるみを持つかのように、Lの緊張を和らげるお守りの効果があるに違いない。
そしてライトとのキャラクターの対比で、キャンディーを持ったLの「万全の対策」の効果が増幅され、結果として劇場は大爆笑に近い状況になった。
この「笑い」はキャラクターが活きた瞬間を象徴している。
そしてここに、コンソメ味のポテトチップスのふたつめの意味と役割が明らかになった。
外出が苦手なLが、お守り代わりにお菓子を持っているとするならば、前編の最後に家を出て美術館に現れたLは、できることならいつものキャンディーを持ちたいはずだ。
しかしお守りともいえるキャンディーを持たずに、コンソメ味のポテトチップスを持った。そこにLの決心の大きさと変化が集約されているのだ。
■ デスノートの正しいみかた
正しいみかたといっても、映画はそれを観た人の数だけ物語があるのだが、より楽しめるみかたというのがある。
結論からいうと「デスノート」は「Lの物語」だ。
ライトを中心として、ライトの視点に立って物語が進行するように見せておきながら、実は原作者が描きたいのはLにちがいない。
だからこそ、一見すると主人公だと思えるライトの、キラとしての行動に駆り立てる事情が描かれていないのだ。
ここで、物語に登場する悪者の、一般的な描かれ方を思い出してみよう。
悪者は悪者として描かれる。もし、悪者の事情を描けば、善と悪という強力な構図を崩しかねない。そのため、必要なキャラクターとして悪者が登場する際には、悪役に同情しそうなエピソードや事情はあえて描かないのだ。
映画「デスノート」では、はじめはライトの視点で物語が進行する。そのため、観客はライトを主人公として捉え、彼に感情移入するための「事情」を知ろうとする。まさに私が前編で試みたように。しかしライトの「事情」は描かれない。
第二のキラことミサの事情(バックグラウンド)は提示されるのに、第一のキラことライトの事情(バックグランド)は提示されないのは意味がある。
つまり、ミスリーディング、いわば「引っ掛け」である。作品のエンドクレジットでもたしかライト役の藤原竜也さんが一番はじめにクレジットされるので、当然のようにライトが主人公だと思う。たしかしライトは主人公ではあるのだが、おそらく原作者が描きたいことを担っているのは松山ケンイチさん演じるLである。
ほんとうの主人公はLである。
原作はどうだかわからないが、Lの心情を彼の内語に頼らずに、あくまでキラとの攻防を通して、内面の成長を行動(アクション・美術館へいく・大学へいく)を通して描いているのである。
Lの成長とはなにか?
それこそ、冒頭にいうとおり「父親との遭遇」による変化である。
■ 変化するLの目的
ほんとうの親子ではないが、Lは夜神総一郎を父親とみるようになっていた。それは最後のLの決断によってわかる。
夜神総一郎の父親としての深い愛を垣間見たとき、Lは彼を助けよと決心する。夜神総一郎を助けるとはすなわち、彼の息子であるライトを救うことでもある。
だからある時期からLの目的は変化する。キラ事件を解決することから、夜神親(父)子を救うことに変化するのだ。
親というものを知りません。といった意味のことをLがいうシーンがある。Lは自分に親(父)の愛を教えてくれた夜神親(父)子を救いたいと思っていた。そのために自分の……。
これこそ究極の愛の形である。
これは、死神レムとミサの関係にもみることができる。いつもそばにいて見守っている者。それがたとえ死神でも、そこに自己犠牲の愛がある。
死神の自己犠牲の愛さえも予測して利用するライトも、さすがにLの愛は予測できなかった。
「デスノート」は親子の愛の物語である。
■ 「特殊能力と頭脳戦」の百貨店といえば
「特殊能力と頭脳戦」でいうなら、荒木飛呂彦氏の漫画「ジョジョの奇妙な冒険」というスゴい作品があるので、それと比べてしまうと不利かなと思う。
「ジョジョの奇妙な冒険」パート1、パート2に登場した特殊能力「波紋」は衝撃的であった。その後パート3で、波紋は「幽波紋(スタンド)」となった。
スタンド能力者たちの戦いは、どんでんかえしの連続であり「特殊能力と頭脳戦」の百貨店だ。
「ジョジョの奇妙な冒険」と「デスノート」には共通点がある。
○ジョナサン・ジョースターとDIOの対決。ジョースター家とDIO。特殊能力「波紋」「幽波紋(スタンド)」
○夜神月とLの対決。夜神家とL。特殊能力「デスノート」
「特殊能力と頭脳戦」が好みの方は「ジョジョの奇妙な冒険」を読んでみてはいかがだろう。私のおススメはパート1、2,3、それにパート5だ。
■ ひとこと
監督よ、アンカーウーマン高田清美役の片瀬片瀬那奈さんのセクシーショットの演出に、やたらと力を入れていないかぁい?
高田清美のセクシーショットには物語構築上の意味はない。そもそも自宅の部屋であんな格好をしている人はまずいないので、ただのサービスショットか、単に監督の趣味・好みだろう。
ミサ役の戸田恵梨香さんや、高田清美のライバルのキャスター役の上原さくらさんのシーンも足を強調した撮り方をしている。これでは物語構築上たいして意味もなくそこだけ気合を入れて「浮かせて」しまう。ロマンポルノ出身というから、なるほど上戸彩を撮るのは楽しかったことだろう。だからといって、デスノートという作品にその特技を活かしても意味はないどころか、内容と関係ないところに注目を集めてしまい、足だけに、作品の足を引っ張ることになる。
まぁ、皆さんもそうだと思うが、私もきれいな女の人は好きだから、まんざらでもないが、もっとほかに演出するところがあるのでは? 優香や上戸彩のプロモーションビデを撮っているほうが本人もノリノリなんじゃないだろうか。
ちなみに優香の役者としての可能性と力量がぞんぶんに発揮されているのは「輪廻」だ。
そうそう「デスノート」の映像化なら、連続ドラマがちょうどいい。
映画では細部がおろそかになりがちなので辻褄が合わなくなることも増える。連続ドラマで引っ張って回数を重ねるほうが向いているだろう。
私も日テレで前編が放映されなかったら、後編を映画館で観ることはなかっただろう。
日テレの宣伝にまんまとのせられたわけである。
デスノートが父子の物語であったことがわかり、原作への興味が沸いたのでそれはそれでよしというところか。
デスノートは、「父」との遭遇、葛藤、親の愛に触れ、愛に応える。そんな父子の成長と愛の物語である。
ファミリー △ 親子愛の物語だが描き方が子供にはどうなのかな。
デート - お互いに作品が好きなら
フラっと △ やはり原作読んだほうがいいのか
脚本勉強 × なかだるみ感アリ
演出 × 女の子を撮るときだけ力が入ってるやん
リアル × ひとりごとの多い人はレムと会話してる?
人間ドラマ △ L/竜崎視点なら
社会 ×
笑い ○ 意外性を突いた笑いはなかなか
ヒット性 ○ こういうのがウケる時代なのだね
話題性 ○ 話のネタにはなる
父子愛 ◎
▼関連記事
ついに出た!飛び級の変化球―映画「デスノート」―
こちら↓はオススメレビュー
Kinetic Visionさんの「DEATH NOTE デスノート the Last name」
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ひさしぶりに長いレビューになった。
ほんとうはほかにも名前や、兄弟と父親の関係でカインとアベルやエソウとヤコブのエピソードも紹介したかったが、それはまたの機会としよう。
いつ、思い立ったときにブログの記事にするかわからないし、もしかしたらメルマガのほうにUPするかもしれない。
サイドバーを見てもらうとわかるように、映画のメルマガを発行してる。本ブログにUPしない記事も、メルマガに掲載されることもあるし、本メルマガにUPされる記事も、まず先にメルマガに掲載されることがほとんどだ。
同じタイトルの記事でも、メルマガとブログでは一部加筆・編集していることがある。
映画メルマガ発行しています。
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Comments
TBどうもでした~
なるほど、「父性」と言う見方もありますね。
おっしゃるとおり、この映画の展開はやはりLが主導権を握っていたんだと思います。
屋外に出なかったLが「外に出た」と言うのは非常に大きな意味を持つんだろうなと思っていました。やはりあの大学のシーンは面白かったし、ミサミサへの近づき方など、Lの「意外な」行動に驚かされます。そしてそれはそのままラストに繋がるんですね。
「意外」と思うのは、やはり映画を通してLの表面の特異なキャラに注目させ、人物像にほとんど触れていないからなんでしょうね。
Posted by: カオリ | 11/05/2006 13:49
>カオリさん
コメントありがとうございます。
大学のシーンではグッと観客のハートをキャッチしてましたね。Lの身の上が語らえないのでかえって想像が膨らんで、それでいてあのキャラクターですから、バックグランドを描かないほうが人気がでるというのもあるという良い例ですね☆
またよろしくです。
Posted by: わかスト@管理人たか | 11/07/2006 22:00
「父と子」の推察、お見事です。
これからはたかさまのことを「L」と呼ばせてください(笑)。
後編でなぜLが主人公になったのか、非常に低レベルの邪推ですが・・・
特徴付ける設定が「字が下手」という以外は皆無に等しくイジリ甲斐がないライトというキャラそのものにも問題はあるんですけど、見ていてとても疲れる藤原くんの演技は、撮ってる人もやはり疲れさせる。前編の撮影監督が亡くなったのもきっとその疲れのせいです。
それに懲りたので、後編は松山くんにいろいろやらせることで疲労を笑いに転化させ、フトモモを前面に出すことで元気を回復したい、長生きしたい。
そうやって撮っていたら、あら不思議、Lのほうが目立ってしまった。
うーん、Lにもたかさまにも遠く及ばず、ミサミサ並みの推理力だ(笑)。
てなわけで、TBありがとうございました。
Posted by: にら | 11/08/2006 17:46
>にらさん
こんにちは。コメントありがとうございます。なんちゃって「L」のたかです(笑い)。
後編のほうがセクシーショットや笑いなど、意外な要素が入っているのがかえって味になってよかったのかもしれないですネ。ライトとLは実はお笑いコンビだった!というDVDドラマがあったら、売れまくりの予感が…! にらさんの推理はナイスですよ☆
Posted by: わかスト@管理人たか | 11/23/2006 11:34
はじめまして。
私は原作ファンなので、原作を読んだことがない方が書く映画デスノートの感想を、とても興味深く拝見しました。
あ! 私と同じことを思っている! と思うところもあったり、そういう見方もありかぁ、と驚くところもあり。非常に面白かったです。
「Lの成長物語」というのは、目からウロコという感じで、すごく納得しました。
ところで、原作に興味を持っておられるところに水を差すようで申し訳ないのですが、おそらく原作者は、Lを描きたいわけでも、親子愛を描きたかったわけでもないと思います。
その理由は究極のネタバレになるので省きますが、原作はかなり、湿っぽさを意図的に排除した作品で、あくまでエンターテイメントとして、「頭脳戦」の面白さを追求したものであり、正義も悪も、愛も情も、作品中に存在はしていますが、その「頭脳戦」を面白くする単なる脇役に過ぎません。
映画で描かれたさまざまな人間ドラマは、監督の加えたエッセンスではないかと思います。
私は原作では月(ライト)ファンでしたが、映画ではすっかりLファンです。
そのくらい、力を入れてこの映画監督はLのことを描き出していると思います。(ついでに女性の足も。監督は足フェチだと公言しておられる方ですから。)
ですので、人間ドラマや月の過去を期待して原作を読むと、ちょっと拍子抜けしてしまうかもしれません。(月の犯罪を犯す理由には、私なりに理解はできるのですが。いやもちろん同調はできません)
でも、だからといって原作を読まないのはもったいないと思います。
漫画を読んで、何を楽しむかは個々人の自由で、私に偉そうなことを言う権利はありませんが、「デスノート」は是非読むべきです!
結局、言いたいことはそれだけです(笑)
Posted by: 夜 | 05/11/2007 00:33
そこまで考えて観るものですか?映画って・・。
原作者も監督もレビューに書かれているようなことは考えてないんじゃ・・って単純に思いました。
よく出来た話だなと思うし、映画もよく出来ていると思いました。あれこれ考える必要はないと思います。
Posted by: とおりすがり | 01/22/2011 00:03
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