映画「フラガール」の涙がイヤラシく感じないのはなぜ?
映画「フラガール」はお涙頂戴の演出のオンパレードで辟易(ひどく迷惑してうんざりすること。嫌気がさすこと。閉口すること)したとう声もチラホラきこえるようだ。
たしかに涙を誘うシーンが連続するので、私はウルウルしっぱなしであった。
とはいえ私は、いわゆるお涙頂戴作品ではまず泣かない。
韓流映画「連理の枝」でも、職人技でんな~と感心しても泣きはしなかった。
アルタの中心で愛を叫ぶ、みたいな作品は……予告編だけでお腹一杯で観てもいない。観てもいないのだからあまり語ってはならないのでアルタの中心で~(←タイトル間違ってるヨ)についてはココまでにしよう。
「いま、会いにゆきます」は一箇所だけ澪が永瀬みどり(巧の同僚)と喫茶店で話すところで泣いた。
澪は永瀬みどりに、自分がいなくなったら巧と佑司のことをよろしくと頼むのだが、そのときの澪が流す涙……。というシーンがけっこうグッときた。
あとはSFちっくな仕掛けに思わず「こういう使い方もいいね」と思ったぐらいで泣きじゃぐるなんてことはなかった。
なんて冷たい奴だ。
と思われたかもしれないが、涙を誘う物語づくりにおいては「3つのオタスケマン」をどのくらい使っているかによってハードルが上がったり下がったりするので、あまりに低いハードルは泣くどころではなくなっ
てしまうためである。
3つのオタスケマンとは「子供、病気、死」だ。
どれかひとつだけでも観客の涙を誘うには大きな効果が期待でき、涙を誘うことはそんなに難しいことではない。
「連理の枝」「アルタの中心で愛を叫ぶ(←だからタイトル間違えてるって!)」「いま、会いにゆきます」に3つのオタスケマンのうちひとつでも当てはまるかどうか考えてみよう。
「連理の枝」……病気・死
「アルタの中心~」……病気・死
「いま、会いにゆきます」……子供・死
ちゃんと当てまっているね。
では映画「フラガール」はどうだろう?
たしかに「フラガール」でも「死」の要素が入っている。だがそれは炭鉱の落盤事故によるものである。炭鉱の仕事はいつも危険と背中合わせだ。
そういった危険を承知で炭鉱労働に従事している人々というのは涙を誘うためのオタスケマンではなく、前提だ。
それはフライトアテンダントの仕事が常に飛行機墜落の可能性をゼロにできないのと本質ではほぼ同じである。
飛行機が墜落するかもしれないということだけを切り取って涙を誘うためのオタスケマンにするのではなく、そういった可能性がゼロではないなかでいかに感動物語にするかが腕のみせどころなのだ。
なぜなら、たとえ職場が炭鉱や飛行機でなくても、どんな仕事をしていても100%安全というのはないのだから、職場によって危険度の差はあっても、そういった仕事を含めた「日常」でいかに感動を与えられるか。
涙はあくまで感動の結果として流れるものなのである。
さて炭鉱町の物語・映画「フラガール」に「3つのオタスケマン」のうちひとつでも当てはまるだろうか?
その前に、そもそもオタスケマンを使ってもいいのである。感動を与える有効なオタスケマンを使わない手はないのだから。
重要なのはオタスケマンの使い方である。
オタスケマンを使いながらも、あたかも使っていないかのようにみせることもできるのである。そういう技ができるようになると玄人だなぁと思う。
これでもかというお涙頂戴モノのイヤラシさとは、言い換えれば工夫せずにオタスケマンを素のまま使っているところからくる体臭のようなもので、そういう作品はニオうので予告編だけでもある程度はスグにわかってしまう。
話を「フラガール」に戻そう。
オタスケマンはいうつみつかっただろうか?
子供……フラガールのひとりはたしか子持ちだったなぁ。
病気……みあたらない。
死 ……炭鉱の落盤事故による死はあるが、それは先に話したとおり。
こうしてみると、あからさまな「3つのオタスケマン」は使っていないのである。
オタスケマンは涙を誘うための文字通りの「オタスケマン」だ。ということは映画「フラガール」はオタスケマンなんぞなくても、自力で涙を誘えているということだ。
これは実話を元にしているのも大きな要因だ。
実話を映画化するとたいていはあまり面白くはない。実話はその本人にとっては劇的でも、広く一般の人にとってはどうでもいい場合が多いからだ。
それに実話を元にすると、通常なら物語構築上ここで第二ターニングポイントを持ってきて、サブプロットも配置してとするところを、実話に遠慮して好き勝手に変えることもできない。したがって、あまりおもしろみのない作品になってしまうことが多い。
しかし映画「フラガール」はひとりの人間だけの実話ではない。常盤炭鉱とそこで働き、生活していたすべての人の実話である。
いったいどこまで演出しているのかはわからないが、常磐ハワイアンセンターオープンまでの苦労は実話であって、そういった大きな括りでの実話の力を上手に用いたといえよう。
実際、3つのオタスケマンを使っていないにもかかわらず「人が生きる姿」にちょいと映画的な演出(音楽付けたり編集したり)を施すことでこれほど涙を誘う作品をつくりあげてしまったのだ。
オタスケマンに頼らない、自力・自立したオトナの作品。
それが映画「フラガール」だ。
余談だが「フラガール」はアメリカ合衆国でヒットするだろう。
日本人のハワイ好きはなぜ? という問いで注目を集められそうであり、再生の物語はストーリー構築の基本として広く世界中にあるから、需要もあるというわけだ。
お笑い芸人コンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃんも、キャラクターとして目立つ。こうしたわかりやすい特徴あるキャラクターはウケる。しずちゃんのハリウッド進出もありえないことじゃぁないかもしれないぞ。
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