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09/29/2006

映画「フラガール(HULA GIRL)」

監督:李相日
日本/2006年/120分

現代を有利に生きる「シフト」を厳しくも暖かいやさしさで包んで描く、二極分化の両サイドにマッチさせる題材選びがあっぱれな一作。海外ヒットも間違いなし。影の主役「シフトする吉本紀夫」の胸中を想像せよ。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
昭和40年。
福島県いわき市の常盤炭鉱も、他の炭鉱の例にもれず閉山へ向けて加速していた。石炭から石油へのエネルギー革命が押し進んできたためだ。

そこで炭鉱会社は豊富な温泉資源を有効利用しようと、レジャー施設・常磐ハワイアンセンター建設の構想を打ち立てる。

炭鉱町の娘・早苗は自分の道を切り開くためにダンサー募集に幼馴染の紀美子を誘って応募する。

都会から呼び寄せられたダンサー教師・平山まどかのもと、フラガールになるべく数々の困難を乗り越えて練習し、常磐ハワイアンセンターオープン初日を迎える。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
▽平山まどか
SKD(松竹歌劇団)出身のダンサー。炭鉱の娘にフラを教える。

△谷川洋二郎
炭鉱夫。谷川家長男。紀美子の兄。

▽谷川紀美子
フラガールのリーダー。谷川家の長女。洋二郎の妹。

▽熊野小百合
フラガール。炭鉱夫の娘。

△吉本紀夫
元炭鉱夫。ハワイアンセンター計画の担当部長。

▽谷川千代
炭鉱で働く。洋二郎と紀美子の母親。婦人会会長。

▽早苗
谷川紀美子の幼馴染。紀美子をフラガールになるよう誘う。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
現代を有利に生きる「シフト」を厳しくも暖かいやさしさで包んで描く、二極分化の両サイドにマッチさせる題材選びがあっぱれな一作。海外ヒットも間違いなし。影の主役「シフトする吉本紀夫」の胸中を想像せよ。

■ 一山一家と谷川千代

一山一家。炭鉱会社の施設の壁にかかった額縁に入った言葉である。父親の代からも含めて炭鉱で働く者にとっては、炭鉱がすべてだ。

炭鉱の仕事は想像をはるかにしのぐほどキツイ仕事だ。

作業服だけでなく顔を真っ黒にした炭鉱夫たちがトロッコ列車で移動する様子や、女性の谷川千代がシャベルで石炭や砂利などを仕分けするような作業の様子は、炭鉱の仕事がいかにたいへんかを垣間見させてくれる。

炭鉱の落盤事故で夫を亡くした谷川千代。婦人会会長であり炭鉱で働く彼女にとって炭鉱は人生のすべてであり、女は夫のために歯をくいしばってツライ仕事をして生きる、を信条としている。

といよりもそういった生き方しか知らず、そういった生き方しかできないと思っている。
そのため、腰を振ってヘラヘラ笑うフラをする娘の紀美子を許すことができないのだ。

しかし、やがて彼女は気づく。
女が生きるとは、歯をくいしばって辛いことをするだけでなくてもいい。
人に笑顔を与える仕事をするという生き方もあってもいいのではないか――と。


■ シフトのむずかしさ

映画は感情を売る商売ともいえる。

感情ほど人を支配しているものもそうそうない。

頭ではわかっていても、気持ちがそうもいかない。という経験を誰しも持っているだろう。

炭鉱会社はハワイアンセンター建設計画を発動。それもまだ炭鉱が操業しているときからだ。

会社はだれものものか。株主のものである。そのため利益を上げる必要がある。だから炭鉱が閉山の危機にあるならば、ほかに利益を上げられるものをはじめなけらばならない。当然である。

だからといってこれが冷淡かというとそうではない。

私は以前、常磐ハワイアンセンターオープンまでを紹介するテレビ番組を観た。それによると会社も炭鉱で働く者たちが食べていけるようにと、ハワイアンセンターの従業員を炭鉱町の人間を使うよう努力したとあった。

会社は株主と炭鉱で働く者のことを考えてすでにシフトしたのである。

なかなかシフトできないのは人間のほうである。なぜなら「感情」があるからだ。

何十年も続いてきた事が無くなるとイメージするのは難しい。まして生活のすべてである炭鉱が閉山するというのは考えたくもないことだ。

いままでが大変であればあるほどその場所への思い入れは強い。炭鉱で命を落とした身内がいればなおさらである。

観客も人間なので(あたりまえか)、こうした炭鉱の旧派閥の気持ちがよくわかる。

かつて終身雇用制が機能していた過ぎ去りし昔を経験している者にとっては、会社こそが世界のすべてであり、会社員でさえあれば何も心配はない、と思って生きてきたのだから。

そういった古き時代を知っている者は炭鉱町の旧派閥の気持ちが痛いほどわかる。その一方で、炭鉱が閉山になったら食べていくことができないこともよくわかっている(つもり)。

食べていくために、生きていくために、ハワイアンセンターで働きはじめた新派閥の人間の気持ちも痛いほどわかる。


■ 影の主役 吉本紀夫

ここに、炭鉱町で生きていくためのシフトをだれよりもはやく成し遂げた男がいる。ハワイアンセンターの部長・吉本紀夫だ。

旧派閥の炭鉱夫たちからすれば、吉本紀夫は裏切り者の象徴である。

だが吉本紀夫だって元炭鉱夫の誇りがある。それはアロハシャツを着ても、その上から作業着を羽織ることからもわかる。

炭鉱夫の気持ちも持ちつつも、ハワイアンセンター成功たのめに尽力する、時代に対応できる(シフト)能力を持った象徴的な人物が吉本紀夫なのだ。

平山まどかや谷川紀美子に注目が集まりがちだが、影の主役は吉本紀夫なのである。


■ 両サイドにマッチする稀有な作品

最近の「日本映画マップ」に顕著なのは二極分化である。

(A)なにかを忘れさせるもの(例:昭和30年代を舞台に懐かしさを売る)

(B)未来へのモデルを提示させるもの(予感含)

どちらが現代日本でヒットしやすいかといえば、いうまでもなく(A)だ。

大雑把にいうと(A)の層は炭鉱の旧派閥で、(B)は炭鉱の新派閥である。

時代の変化のなかで、感情のためにシフトできないでいる(A)の気持ちも汲みつつ、裏切り者と言われながらもシフトしたフラガールをはじめとするハワイアンセンター従業員たち(B)をも描いた今作は、二極分化における双方の層をも観客に取り込めるたいへんめずらしい作品である。

こんな作品も、作ろうと思って行動すればできるんだな。と感心してしまった次第である。


■ 観客は平山まどかと共に炭鉱町へ

舞台は福島県のいわき市。
ほとんどの人(観客)にとってはあまり馴染みのがない土地である。まして昭和40年。ハワイアンセンターができるよりも以前は、常盤炭鉱に行く人は、炭鉱関係者がほとんどだった。

そんな映画の舞台に観客を誘導するにはどうしたらいいか?

観客と同じ目線の登場人物を配置すればいいのだ。それがSKD(松竹歌劇団)出身のダンサー・平山まどかである。

この手法は「グランドホテル型」と呼ばれる。これは場所を限定し、主人公があるその場所にやってくる型であり、一般には群像劇の手法とされている。

群像劇としては今一歩踏み込んでキャラクターたちを描ききれてはいないが、観客をいわき市へといざなう役割はじゅうぶんに果たしている。

例えば映画「バイオハザード(BIOHAZARD:RESIDENT EVIL)」での主人公アリスの記憶喪失という仕掛けを用いることによって、観客と主人公が同時進行で情報を得ていくことができたことを思い出してほしい。

こうした主人公と同じ情報量の登場人物(主役が望ましい)を配置することで「バイオハザード(BIOHAZARD:RESIDENT EVIL)」においてはゲームをプレイしたこがない人でもスムーズに作品世界に入って来れるようにしているのである。

「フラガール」において、これと同じ効用を持つキャラクターが平山まどかである。

観客は平山まどかと同じ「よそ者」として炭鉱の町へやってくるが、フラ練習生と共に困難を乗り越えていくうちに徐々に炭鉱という世界を理解していき、そこで起こる出来事をまるでわが事のように感じることができるようになっているのだ。


■ 方言

舞台は福島県のいわき市なので方言がある。登場人物たちも皆(平山まどか他一部を除く)方言を使う。

「フラガール」は日本映画なので、日本の映画館では字幕が付かない。ということは方言に慣れないとはじめのうちはうまくセリフを聞き取れないのだ。

これがとてもいい。

ハリウッド映画に慣れてしまうと、英語のほかに字幕があるのでつい視覚に頼りがちになる。

そこへきて「フラガール」の多くの登場人物が話す言葉は、日本語を話す人にとっても日本語なのに聞き取りにくい。

でも注意深く聞き取ろうとすればだいたいの意味はわかる。それでも早口のセリフはなに言ってるかわからない。

これがいいのだ。

実際、都会から来た平山まどかとハワイアンセンターの吉本部長との飲み屋のシーンで、吉本部長の早口の方言のために何を言っているのかわからないのに、平山まどかはそこに吉本部長(影の主役)の熱い思いを感じ取ることができた様子が描かれている。

方言はダサい。と思うかもしれないが、そんなことはない。もし福島の人たちが「○○じゃん」や「○○でんねん」なんてしゃべっていたらどうだろうか?

その土地で暮らす人々の生活様式や考えや感情をよく表すものは方言である。

ハリウッドには、日本式でいうところの「方言担当者」がいるという。アメリカ合衆国は広く、多種多様な民族の集まりなので、○○系アメリカ人といった設定の場合に、どのような言葉、発音、アクセントで話すのかをレクチャーする専門職があるという。(そのわりには外国を舞台にした映画ではだれもかれも英語を話すとんでも作品を量産しているが……)

「フラガール」も、はじめは方言でわかりづらい。

しかしこれはおそらくわざとそうしているのだろう。観客を平山まどかと同じ状況にするためにわざと方言を全面に出し、聞き取る努力を促すことによって作品世界へ観客のほうから入ってくるよう仕向けていると同時に、炭鉱町とそこで生きる人々の雰囲気を醸し出す効果も狙っているのだと思う。

しっかりと基本がなっているのである。


■ ひとこと

常磐ハワイアンセンターは現在「スパリゾートハワイアンズ」という名称になっている。

「フラガール」は米アカデミー外国語映画賞の日本代表になった。

物語構築的にみてもたいへんよくできている。どのあたりが? ということを書くと長くなるので今回は見送るが、ハリウッドでのリメイク話がきているらしいから、広くヒットを狙える題材とストーリー構築なのは観てもらえばだれでもわかるだろう。

人気急上昇成長株で話題の蒼井優さんを、ほぼはじめてしっかり観たが、彼女もよい役者さんである。観るたびに表情や雰囲気を変えられる幅の広さがある。

私は「フラガール」を観て何度も泣いた。

いかにもお涙頂戴モノと感じればそれまでだが、こういった泣かせ方ならガンガンやってもいい。

実話を元にしていうるだけあって、涙の演出を多少過剰にしてもいやらしさがない。

特に平山まどかが炭鉱町を離れようと夜の駅に止った電車に乗り込んだシーンで、フラガールたちが彼女を引きとめようとプラットホームに駆け込んできたところが泣ける。

フラガールたちはプラットホームに並んで、電車の中の平山まどかに向かって教えてもらったフラを踊り、メッセージを手話で伝えるという教えをフラを踊ってみせるところがグッとくる。

ほかにもお涙頂戴演出は満載だが、いやらしさをほとんど感じないので普段あまり泣かない人でもけっこう泣けるんじゃないだろうか。

いやはや、いい作品を観せていただきました。ありがとう☆


俳優    ◎
ファミリー ◎
デート   ◎
フラっと  ◎
脚本勉強 ◎
演出    ○
笑い    △
リアル   ◎
人間ドラマ ◎
社会    ◎

スパリゾートハワイアンズ

B000GLKMU6フラガール
ジェイク・シマブクロ サントラ ナレオ
ソニーミュージックエンタテインメント 2006-08-23

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4840115982フラガール
白石 まみ
メディアファクトリー 2006-08

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09/25/2006

YUI新曲は「タイヨウのうた」あの夏を振り返る孝治の目線

「タイヨウのうた」

映画とドラマと、どちらがいい?

私は、映画のほうが断然よかったです。

映画「タイヨウのうた」は、なんといってもキャスティングがよい☆

シンガーソングライターYUIが主人公で、そのお父ちゃんが岸谷五郎。

このふたりの配役でとりあえずOKですが、やはり主人公は歌をうたう役どころですから、曲が大事です。


ということで、映画での雨音薫役のYUIさんが新曲を出しました。

「I remember you」という曲です。

私は初回限定盤(DVD付)を求めてひさしぶりにCDショップへ。

1店めは通常盤しかなく、後日2店目(新宿タワーレコード)でやっとみつけました。特設コーナーには通常盤しかみあたらず、あいうえお順の棚でやっと初回限定盤をみつけました(3枚あった)。

なぜ初回限定盤なのか?

YUIさんの熱心なファンだから?

まぁ結果的にはそうなってしまいそうではありますが、なんといってもDVDが主な目的です。

初回限定盤のみ『I remember you』のビデオクリップが収録されています。

1曲のみのビデオクリップですが、制作は映画「タイヨウのうた」の小泉監督が手がけていて、映画の舞台と同じ鎌倉で撮影しています。

窓からそっと毎日、バス停の孝治くんを見ていたあの家のバルコニーとおぼしきところでタイヨウをいっぱいに浴びたYUIさんが歌っています。

海が見える道。浜辺。サーフボード。そしてタイヨウ。

映画ではタイヨウにあたることができなかった雨音薫=YUIが陽の光を浴びて歌うその曲の歌詞は、あの夏を振り返る孝治くんの心情を綴ったものであるように思います。

秋になるこの時期にまさにぴったりの、あの夏を思いつつの孝治の心情を歌いあげるかのようなYUIさんは、ひとことでいうとオーラがありますね。

俳優として映画「タイヨウのうた」に出演していたときもそうでしたが、YUIさんは雰囲気を醸し出せる人です。

人はそれをオーラと呼んだりもしますが、YUIさんはもちろん曲でも、というか曲ではさらにグッと雰囲気を醸し出せるだけでなく「世界」をつくり出せるんです。

世界を作り出せる人はほかにわかりやすい例では?

同世代の、歌手ではなく俳優でいうとほかにすぐに思い浮かぶのは長澤まさみさんぐらいですね。

たかは音楽のことははっきりいってよくわかりませんが、映画のにおいや俳優のオーラみたいなものを感じ取るミョ~な自信はあります。

YUIさんは本物です。

「タイヨウのうた」関連CDでは、おそらくドラマ版「タイヨウのうた」での雨音薫役の沢尻エリカさんが歌うCDのほうが売れているのでしょう。

YUIさんはデビュー曲が月9ドラマ「不機嫌なジーン」で主題歌となって知名度が上がり、セカンドシングルの「Tomorrow'sway」は映画『HINOKIOヒ
ノキオ』のために書き下ろしたということで、新人としては異例の活躍をしてきました。

でも、曲がすぐにものすごく売れるというわけではないようです。

つまり、パッと出てササ~と消えるのではないということです。

YUIさんからは、ジワジワと長く歌える本物のシンガーソングライターの肝っ玉雰囲気オーラがバシバシと伝わってきます。

曲だけで人に絵(画)を見せることができるだけでなく、心の琴線に触れる稀有な才能を持った方ですね。

一方、沢尻エリカさんの歌は、役者としては上手なのでしょう。若くて勢いもありますから華やかです。

って「タイヨウのうた」という性質の作品の歌で「華やか」というのはちょっと合いません。

若くて綺麗で旬であればあるほど「タイヨウのうた」の雨音薫という役柄とはかけはなれていく……。


●旬でそこそこ上手にスマートに華やかに歌う沢尻エリカ。

●魂を震わせて芯の強さを垣間見せつつも切なく歌うYUI。


YUIの曲と沢尻エリカの曲とを比べてしまうと、その違いがはっきり表れます。

Sony Musicさんは人材発掘には確かな目を持っているようですね。

新人としては異例の活躍をする場を用意しながら、いま一歩ブレイクしないのは、YUIが本物である証でもあります。

本物はすぐに大衆ウケしません。ジワリジワリとくるんです。

映画「タイヨウのうた」を観て気に入った方は『I remember you』のビデオクリップも観るといいですよ。

『I remember you』

あの夏の後。切なくなりつつも力の湧いてくる、いい曲です。

「Good-bye days」のアコースティックバージョンも収録されています。

たかは「Good-bye days」もすきですが『I remember you』のほうがよりいっそうグッときました。

B000HOJSPCI remember you (初回限定盤)(DVD付)
YUI northa+
ソニーミュージックエンタテインメント 2006-09-20

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映画「タイヨウのうた」作品レビュー

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09/21/2006

X-MEN:ファイナル ディシジョン(X-MEN: THE LAST STAND)

監督:ブレット・ラトナー
アメリカ/2006年/105分

まるで余分な脂肪が全く無い一流のスポーツ選手が最高の技術と技を披露してくれるかのような美しさのある、ミュータントであるアナタの生き方の琴線に触れる、遠いようで身近な作品。

ストーリー(概要)
―――――――――――――――――――――
ミュータントの能力を消し去る新薬「キュア」が開発され、ラザーフッドが人間と対立する。
X-MENのメンバーたちは人間との共存のために戦う。


主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ウルヴァリン
男性。驚異的な治癒能力と超人的な五感を持つ。体内には地上最硬の金属であるアダマンチウム製の巨大な爪がある。

▽ストーム
女性。天候や気象現象を操る。

▽ジーン(フェニックス)
女性。テレパシーと念力の能力を持つ。

▽エグゼビア(プロフェッサーX)
男性。X-MENのリーダー。テレパシー能力を持つ。

△マグニートー
男性。ブラザーフッドのリーダー。金属を操る能力を持つ。

△マッコイ博士
ミュータント省長官。科学者。

△リーチ
少年。ミュータントのパワーを封じ込める能力を持つ。


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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まるで余分な脂肪が全く無い一流のスポーツ選手が最高の技術と技を披露してくれるかのような美しさのある、ミュータントであるアナタの生き方の琴線に触れる、遠いようで身近な作品。

■ 105分にまとめた手腕に拍手

X-MENシリーズ第3弾ということで上映時間は長めになるのだろうと思っていたのが、わずか105分。それにもかかわらず、新たなミュータントも登場している。

いったいどうやったら個々の登場人物を描くのだろうと思うが、そこがこのシリーズのあっぱれなところである。

余分な贅肉をきっちりなくしたかのように、簡潔かつ十分にバックグランドが想像できるキャラクター紹介。これがストーリーと連動している様はまさに「機能美」とでもいえるような美しさを漂わせている。


■ 美しい作品

おそらくだれもこの作品を「美しい」とは形容していないだろうが、ストーリーづくりにおけるキャラクターの配置と役割には、まるで余分な脂肪が全く無い一流のスポーツ選手が最高の技術と技を披露してくれるかのような美しさがある。


■ 個性・タラントの活かし方

ミュータントたちはその特殊能力ゆえに人間たちに忌み嫌われ、恐れられている。

特殊能力とは言い換えれば、個性であったりタラントであったりする。

聖書には、人にはそれぞれに応じてタラントが与えれており、タラントを活かすようにという「タラントのたとえ話」がある。

ではどのようにタラントを活かせばよいのか。

X-MENたちは人間との平和共存のためにタラントを活かそうとする。
ブラザーフッドたちはミュータントたちのためにタラントを活かそうとする。

こうした2極のタラントの活かし方のなかにあって、主人公ウルヴァリンは記憶を一部失っている。自分の過去を知るためにとりあえずX-MEN側にいるのである。

こうした主人公の立ち位置は、単純な2極化の構図を避けてストーリーに深みを与えている。

はじめは自分のルーツを探す旅の途中であった主人公ウルヴァリンが、自分探しの旅を通してX-MENとして活躍するその姿に、観客は自分を重ね合わせることができるのだ。


■ 遠いようで身近な作品~ミュータントはあなた~

作品に登場するミュータントは、遠い世界の特殊な者ではなく、実はあなたのことである。

あなたの個性。

あなたの得意なもの。

あなたのタレント。

それをどう活かすか。

生きていくうえで誰もが直面する問題をウルヴァリンをはじめとするミュータントたちに重ね合わせて観ることができる、遠いようで身近な作品、それがX-MENシリーズなのである。


■ ひとこと

X-MENシリーズ(1と2)をしっかりおさらいしてから観たほうが楽しめる。

せめてX-MEN2をおさらいしておこう。

登場キャラクターが多いにもかかわらず、どこにも手抜きがないどころか、しっかりとストーリーに溶け込ませている。

これだけの数のキャラクターを投入しながらも違和感なくスッと観れるとうのは、実はたいへんスゴいことなのだ。

とはいっても、橋を浮かせたり、炎を操ったり、壁をすり抜けたり、空を飛んで雷を落したりといった能力の約束事を、ありえねぇ~! と思う方には向かない。

逆にいえば、個性・タレントをわかりやすく強調した形としてのミュータント能力という約束事さえ受け入れることができれば、きっとあなたも楽しめることだろう。

ストーム役のハル・ベリーはますます若々しく色気が出ている。彼女は歳をとらないかのようである。
今作では回転しながら空を飛んだりアクションシーンもあったりと、X-MENのリーダー的存在として大活躍するので彼女のファンは必見である。

俳優    ◎
ファミリー ○
デート   ◎
フラっと  ◎
脚本勉強 ◎
演出    ◎
笑い    ○
リアル   -
謎解き   -
人間ドラマ ◎
社会    ◎

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マイケル・ドアティ ダン・ハリス ブライアン・シンガー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2003-09-12

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09/16/2006

ドラマ「下北サンデーズ」だれをターゲットにした?

テレビ朝日のドラマ「下北サンデーズ」(原作:石田衣良『下北サンデーズ』幻冬舎)が放送終了した。


全10話の予定が、シンクロナイズドスイミングの放送のため1話繰上げで打ち切りとなったとしている。


――が、視聴率が良ければそんなことはしないだろうから(最終公演、つまり最終回の視聴率は6.3%)、一般的に見ても資料率低迷の影響だと推測される。


そんな全9話になった「下北サンデーズ」をすべて観たという方はいらっしゃるだろうか。


私は第1話だけを見逃しただけで、ほかはすべて観た。


はじめてこのドラマを観たときの感想は、題材(下北沢・演劇)がマニアックで、キャラクターが濃い味で、ノリにくいといったものだった。


早い話が深夜向きだと感じた。深夜枠、例えば23時台や0時台に30分から40分ほどの尺のドラマならば、一部のコアなファンを獲得できたかもしれない。


しかしゴールデンタイムであの作風はツライ。


たかはなんとな~く観つづけているうちに、これをゴールデンで放送する思い切ったジャレンジ精神が、回が重ねるごとにいったいどうなっていくのかちょっぴり興味が出てきて「下北サンデーズ」を観つづけた。


結論からいうと、どうにもならなかった。


ゴールデンらしからぬノリと雰囲気は新鮮味があってよかったが、なぜ下北沢なのか、なぜ演劇なのか、がイマイチ伝わってこなかった。


下北沢がワカモノに人気がある街だから。原作が売れっ子作家の小説だから。そこで上戸彩と藤井フミヤをキャスティングして、勢いだけで走り出してしまったかのようだ。


そもそも、下北沢はなぜ人気があるのだろう。


地方在住の中高生のなかには、吉祥寺、三軒茶屋、下北沢という街に憧れをもっている者がすくなくないという。


ではそれらの街に行ってなにがしたいのかというと、ある地方在住の少女は下北沢に行って道端のガードレールかなにかに一日中腰掛けて道ゆく人々をを眺めているだけで、あぁここが私の居場所なんだなぁ、とホッとするのだというのをテレビのインタビューかなにかで見たことがある。


それって街のホットステーション? 


ならば下北沢でなくても、地元にもあるかもしれないぞ(笑)


なぜ下北沢の道端でホッとするのか。それは使い古された言い方をするならば「カタログ文化の申し子」とでもいえよう。


テレビや雑誌でいつも見ている下北沢は、たとえそこに1度も行ったことがなくても、よく知っている馴染みの場所に思えてしまう。


テレビでよく見る芸能人を街で見かけておもわず親しげに話し掛けたAさん。芸能人にしてみれば、当然にAさんのことなど知らない。


これと同じことが下北沢にも当てはまる。
下北沢という街はAさんのことなど知らないが、Aさんは下北沢をよく知っていて(と思っている)、親しみを持っている。


では、なぜ地方のワカモノは下北沢に憧れを持つのだろうか。


自分の地元が、自分がよく見るテレビや雑誌にとりあげられることはめったにないが、下北沢はよくとりあげられる。


つまり、自分の地元にはないものが下北沢にはあるというわけだ。


地元になくて下北沢にあるもの。それが何なのか。


具体的なものである必要はない。地元ではない、他人がうらやむ場所や雰囲気に自分も参加できていると感じるだけで充足感を得られるのである。


だから、下北沢にやってきた地方のワカモノはそこでなにをするわけでもなく街をブラブラする。それでいいのだ。なぜなら彼ら(彼女ら)は、なにかをするために下北沢にやってきたのではなく、下北沢という街にいることが目的なのだから。


それは、ひとむかしもふたむかしまえの「アメリカ合衆国に行ってきました。ニューヨークに住んでいました」というだけで「おぉ!」と思われたあの感覚とたいして変らない。


ニューヨークに、東京に、下北沢にいるだけで自分がなにかすごいことをしている、すごい状況にいると感じることができる。これはある意味で特権である。


ニューヨークで、東京で、下北沢で生まれ育った人にとっては、その街は日常である。


ニューヨークにいるから、東京にいるから、下北沢にいるから、ということは日常であって、そこに特別な意味を見出すことはない。


しかし地方・地元を持つ者は、地方・地元との比較・対比によって下北沢で過ごす時間を特別なものとすることができる。


だから「下北沢でなにもする必要はない」のである。ましてけっしてもうワカモノとはいえない者が貧乏をしながら演劇を続ける苦労話なんぞに、地方のワカモノは興味がないどころか、そういうものはなるべく見たくはないのだ。


カタログ文化で醸成された、自分によって居心地のいい場所に、泥臭く貧乏く、まるで地元の共同体を彷彿とさせるかのような小さな劇団という集団生活なんぞを混ぜたくはないのである。


六本木や銀座で派手な暮らしをすることははじめからあきらめているが、下北沢あたりの雰囲気を味わいながらまったりのんびりと暮らしたい(とはいっても下北沢あたりは家賃高いゾ)。


そんな夢の世界に、貧乏やしがらみのある小さな共同体はいらないのである。


では、都市部に生まれ育った人たちにとって下北沢はどうかというと、夜遅くまで営業している飲み屋が多いといった利用価値としての評価が多い。


ではでは、下北沢あたりで実際に演劇をしている人たちにとってはどうか。


ドラマのように本多劇場で芝居をできる劇団はそうそうないだろうし、芝居をすればするほど金がかかる。そんな状況をおもしろおかしくテレビドラマ化されたところで、あまりいい気はしないだろう。


小劇団で演劇をするというのは、ある意味お金と時間をかけた趣味ともいえる。趣味についてとやかく言う人はいないのだし、好きでやっていて本人が満足ならそれでいいのである。


趣味の基本は自己満足や自己完結なので、趣味という枠の外のことについては、はっきり言ってどうでもいいのである。


さて、以上のように考察してみてふと思う。


「下北サンデーズ」はいったいだれが観ればいいのだろうか?


テレビドラマ好きだろうか?
しかし、主人公里中ゆいかはテレビドラマというメジャーの世界を選ばずに、劇団というマイナーの世界に戻っていった。


テレビドラマを否定したのである。そして戻っていた先は劇団という小さな世界。


これではテレビドラマ好きな人は、まるで自分を否定されたかのように感じてしまうだろうし「下北サンデーズ」というテレビドラマを作ってるあなたたちは、こうしたテレビドラマの世界の描かれ方が笑いにもなっていないことについてどう思っているのか、自分たちの仕事に誇りはないの? と首を傾げてしまうだろう。


また、夢をかなえるとか夢をあきらめないとか、そういったありきたりなフレーズがたくさん使われた「下北サンデーズ」だが「夢」という言葉さえ連呼しておけばワカモノ向きでいいだろうという安易さが露骨に出てしまったところもイマドキのワカモノを小馬鹿にしているのではいかと思われるリスクがある。


かわいいアイドルとして人気の上戸彩も、前髪そろえたおかっぱ頭にジャージ姿が多い。それもまたかわいいといえばかわいいが、やはりアイドルが綺麗でかわいい服で登場するシーンをある程度用意しておいたほうがいい。


ということで、いったいだれがどこをどう楽しめばいいのかさっぱりわからないドラマになってしまった。


こういったハチャメチャ破滅系とでもいうドラマの味は、深夜でこそ味わい深くなる。


深夜向けのドラマをあえてゴールデンにもってきたところに何か秘策があるのかもと思ったが、どうやらノープランだったようである……。


それで「下北サンデーズ」から学べることはなにかといえば、それは日本のほとんどのワカモノは地方在住であり、進学や就職を機会に都会にやってくるという点をあらためて認識することだ。


地方のワカモノが「カタログ文化」によって地元との対比でで思い描くまだ見ぬ世界(例:ニューヨーク、東京、下北沢)でどうしたいのか? を読み取ることができれば、あとはそれに合致するものをチラ見(下北沢で演劇をみせる必要はない。だた道端に座らせる)させるだけでいいのだ。


ニーズを読み違えるな、ということである。


≪ひとりごと≫
こんな記事を書けるネタを提供してくれたし、個人的にはけっこう楽しめたぞ「下北サンデーズ」!

ちなみに私は駅前劇場では観劇したことがある。劇団新感線の若手の役者さん(中谷さとみ・タイソン大屋)を中心としたユニットの演劇を観た。

そうえば「下北サンデーズ」には劇団新線の所属俳優・古田新太さんが、サンデーズにスタジオを貸しているオーナー・下馬伸朗役で出演していたなぁ。

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09/08/2006

東宝の「ラフ」もジャニーズも使ってるアノ手法


映画「ラフ(ROUGH)」は東宝シンデレラガールの長澤まさみ主演の青春アイドル映画である。


「タッチ」「ラフ」とあだち充原作漫画の実写化作品でヒロインを演じた長澤まさみ。


というよりも、長澤まさみをより一層いかに魅力的に撮るかを中心に考えて作っているように感じるのが「タッチ」「ラフ」といった東宝作品群なのである。


長澤まさみの女優としての輝きはホンモノで、たとえ脚本や演出がグダグダであっても、主演女優の魅力でそんなことはたいしたことではないと思わせてしまうほどの魅力が彼女にはある。


そもども映画「ラフ」は、映画「タッチ」に比べればたいそう脚本や演出が良くなった。


それでも、長澤まさみという女優の魅力が突出している、長澤まさみによる長澤まさみのための長澤まさみを観にいく作品には違いない。

ならば長澤まさみだけを撮りつづけていればいいかというと、そうでもない。


今は命綱ともいえる長澤まさみの魅力を最大限にスクリーンいっぱいに表現しようとしつつも、受け継ぐもの、つまり次のスターを育てていかなければならない。


ジャニーズでいえば、有名人気アイドルグループの後ろで踊るジャニーズジュニアである。


先輩たちのステージのバックダンサーとして登場させ、メインのアイドルグループを目当てでやってきたファンたちの目にそれとなく触れさせることで、次のアイドルグループ誕生への布石をうっているのだ。


これと似たことを「ラフ」でもやっている。


それは第6回東宝シンデレラの黒瀬真奈美の登場である。彼女は「ラフ」で主人公達が寄宿する上鷺寮の寮母の娘・東海林緑という役で出演している。


絵が好きで寮の庭でいつもラフデッサンをしていていて、これが「ラフ」というタイトルの意味を観客に伝える役目を果たしている。


たいてい帽子を被って寮の庭の一角で静かにラフデッサンをしている東海林緑は、ふとしたときに主人公二ノ宮亜美の表情の変化をズバっといい当てる。


二ノ宮亜美が自分の気持ちを自分ではっきりと認識するきっかけになるこの短いけれどポイントを抑えたこのシーンに黒瀬真奈美を配置しているところが、新たなヒロイン誕生への布石なのである。


特に帽子を被らせているのがいい。
彼女が寮の庭にいつもいるので帽子を被ることに違和感を感じさせずに、観客にこの娘をもっとよく顔を見たい!と思わせる「じらし効果」があるからだ。


観客は長澤まさみを見にきたのであるが、いつのまにか庭の女の子もちょっと気になってくる。


そして作品のエンドロールが流れた後のオマケシーンでは、東海林緑が高校に入学して、寮母である母親に自分の晴れの制服姿を披露する。


もちろんこのときは帽子を被っておらず、いつも庭に座ってしずかにしていた東海林緑が寮の庭にいる母親にむかって笑顔で走ってくるのだ。


こういったシーンを最後に入れていることこそ、東宝がシンデレラガールを育てることにたいへん熱心であることがうかがいしれる。


長澤まさみという女優が注目され、すばらしいと絶賛されればされるほど、人気が出れば出るほど不安になるのものだ。


もし長澤まさみがいなくなったら? 


芸能界を引退してしまったら?
 

どんなに順風満帆でも、次の手はしっかりうっておく。


ジャニーズがよく使うこの手法をぜひ活用しよう。


「ラフ(ROUGH)」作品レビュー


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09/02/2006

ゲド戦記考察~脚本講座の生徒でもふつうはこうする~

「ゲド戦記(TALES from EARTHSEA)」作品レビュー

さて、評判がイマイチな「ゲド戦記」だが、その原因にてついては↑のレビューで書いた。

ダメだしをするだけなら簡単なので、今回はもう一歩踏み込んで、どうすればもう少し良くなるのかを考えていきたいと思う。

題して『脚本講座の生徒でもふつうはこうする』!

と張り切ってみたものの……いかん。「ゲド戦記」を観てからもうだいぶ経っているので、細部まで思いだせないかもしれない(^_^;)

ということで、思いついたことから書いていこうと思う。


■ アレンの旅立ち。

作品の冒頭、父王を刺したアレンはすぐに旅に出ている。って早ッ!

思い出してほしい。スターウォーズシリーズエピソード4でルークは田舎の星で叔父夫婦と暮らしている。

すぐにでも冒険に出たいと思っているが、なかなかそんなチャンスがない。

ロボットを買ったことがきっかけでオビ=ワンに出会い、やっとのことでレイア姫救出のために星を出ることができる。

スターウォーズシリーズが古今東西の神話の形式を取り入れているのは有名だ。ということは、あらゆる神話・物語の基本においては、主人公はすぐには旅立たないのである。

すぐにでも旅立ちたいと思っていても、なんらかの設定上の障害(コンフリクツ)があってそうもいかない。

そこへ外部からってきたある人物がきっかけで、障害(コンフリクト)またはカセといわれるものを取りはらい、やっと主人公が旅立つ。

このように、旅立つまでをきちんと描かなくてはならないのだ。なぜなら、主人公がなぜ旅に出たいと思っているのか、旅にでてどうするのかがわからなければ観客は主人公を応援できないからだ。

主人公が旅立つ動機と目的をはっきりさせて、それがいかに大事かを伝え、旅立つ前の困難を一緒に乗り切って魅せる(魅力的にみせるの意味)ことで観客は主人公を応援したいと思うのだ。

これを観客による主人公への感情移入という。

○アレンがなぜ旅立たったのか(動機)。

○アレンはどこへなにをしにいここうとしているのか(目的)。

まずはこれをじっくり描くべきなのだ。


■ やさしさをにじませる

クライマックスで少女テルーは、魔法使いクモ(いわゆる悪役)に、闇は闇に帰れ、といった意味のことをいう。

これには驚いた!

思い出してほしい。私が大好きな「千と千尋の神隠し」で千となった千尋が油屋で働いているとき、フラッと現れたカオナシに千はなんと言ったかを。

油屋の縁側の外の庭にぼぉ~と立っていて一向に中に入る様子を見せないカオナシに向かって、あっちへ行けよ、なんてことは千は言わなかったはずだ。

ここ、開けておきますね。

といった意味のことを言って、縁側の扉を開けたままにして自分の仕事に戻ったはずだ。すなわち【受け入れた】のである。

「ハウルの動く城」で魔法をかけれておばあさんになってしまったソフィーがハウルの動く城にやってきたとき、ハウルはソフィーを追い返しただろうか。

いやそんなことはない。ソフィーはカルシファーとうまく話をつけて火を使えるようにして卵とベーコンを焼いてみせた。それがきっかけで動く城の掃除や食事づくりなどをするようになったのだ。

ハウルもカルシファーも、ハウルの動く城の住人はソフィーに出て行けなんてことはいわずに受け入れたのである。
そしてソフィー自身も、荒地の魔女を受け入れて世話をしたのだ。

闇は闇に帰れ。

このセリフを聞いたときに、これはマズいぞ、と思った。
なぜなら、たとえ悪役でもこれを受け入れることで主人公の成長が描けるのに、これをバッサリ切り捨ててしまったのでは、さてほかにどのように成長を描くとっておきのものがあるものやら、と思ったからだ。

実際には「とっておきのもの」は見当たらなかったわけだが……。

悪役はあくまで主人公を引き立たせるためにあるのであって、悪は悪として叩き潰すだけでは物語に奥行きは出せない。

ぜひ受け入れる姿勢と心意気を示してほしかった。


■ 脚本講座の生徒でもふつうはこうする

この際、原作「ゲド戦記」は棚に上げて、脚本講座の生徒でもふつうはこうするというのを提示してみることにする。


好き勝手やっているやんちゃ兄王子(長男・主人公)
弟王子がすこぶるまじめで人望も厚く次期王にとの声が多い。そのためやんちゃ兄王子は弟王子を憎んでいる。

 ↓

遊びたくて、一旗上げたくて無理を言って父王の財産を分けてもらい旅立つ兄王子。

 ↓

分けてもらった財産で傭兵団を作り、父王の名を借りずに自分の名を上げようとする。しかし腕は立つが野心が強くて部下の信頼を得られず、大事な戦で部下の裏切りにあって敗戦。やがて資金が尽き、傭兵団は消滅する。

 ↓

傭兵団でやんちゃしたツケで首に懸賞金をかけられてひとり逃げる日々。
やがて食べるものにも困り、奴隷になる。

 ↓

奴隷の漕ぎ手として商船に乗り込まされた主人公は、それまで偏見を持っていた異国の青年奴隷に助けられ、危険が伴ったいくつもの航海を乗り切る。

 ↓

ある航海で嵐にあい、船もろとも置き去りにされそうになったところで異国の青年奴隷と力を合わせて奴隷見張員から鍵を奪い自由の身になる。このとき他の奴隷も解放する。船は沈没。嵐の海を生き延びて島へ漂着。

 ↓

生き残った元奴隷たちと共に島で暮らす。共同作業を通して異国人への偏見をなくし、友人を得る。島の娘と恋に落ち、愛情を育む。
友情と愛情を得た主人公は、遠い噂で弟王子が戦地で窮地に陥っていることを知る。

 ↓

元奴隷で友人になった者のなかには元軍人や没落貴族がいた。そこで船を調達して没落貴族の隠し財産がある島へいき、資金を手に入れ、元軍人たちが声をかけて集めた猛者たちと共に義勇軍を結成する。

 ↓

義勇軍を率いた兄王子は、弟王子を救うべく救援に向かう。

 ↓

弟王子の軍を助け、大勝利を収める義勇軍。
助けてくれた義勇軍の長が兄王子だと知った弟王子は、たいそう喜んで駆け寄る。
するとかつてのやんちゃ兄王子(主人公)は弟王子の足元にひざまづいてこう言う。
「自分は勝手に国を出た身。あなたの家来にしてください」
すると弟王はこう答えた。「父は1年前に亡くなりました」
そして主人公を立たせてその手を高く掲げる。「わが兄、わが国王に祝福を!万歳!」


タイトルは「王の帰還」。

っておもいっきりパクリではないか!(笑)

そもそも「ゲド戦記」と関係ない話になっているではないか。

タイトルだけではない。この展開は主に3つの有名な物語の要素をふんだんに取り入れている。

ひとつは「ベン・ハー」。さらに「グラディエーター」

「グラディエーター」は「ベン・ハー」を研究して、ほかに旧約聖書のヨセフの物語なども取り入れた作品であることはピンとくる作品だ。

そして3つめは「放蕩息子の話」である。

「いなくなった息子」ともいわれるこの物語は、新約聖書のルカによる福音書第15章にある。
こちらは弟息子が主人公だ。彼は財産を分けてもらって町に行き、さんざん遊んでいたらお金がなくなり、友達もいなくなり、飢饉になって豚の世話人になった。
お腹が空いて豚の餌を食べたいと思ったときにようやく我にかえり、父の家に帰って使用人として使ってもらおうと出発する。
父は、息子がまだずっと遠くにいるのにその姿をみとめ、走って迎えにいって、帰ってきた息子のために祝宴を開いた。

こういった有名な物語をつなぎ合わせてサッと思いつくまでに書き出してみたのだが、いかがだっただろうか?

ほかにも奴隷となった主人公が、それまで偏見を持っていた異国の青年に助けられて友人になるというのはエドワード・ノートン、エドワード・ファーロング出演の映画「アメリカンヒストリーX」に似たようなプロットがあるのを思い出したので取り入れてみた次第である。


■「ゲド戦記」でわかること

思いつきでサッと書いてみた「脚本講座の生徒でもふつうはこうする」は、ちょっとでも脚本を読んだことがる人なら、いやちょっとした映画好きならだれでも思いつくことだ。

まして、ヒット作をいくつも制作しているスタジオがこうした物語構築上のお約束(基本形)を全くといっていいほど無視するとは、普通ならば考えられないことだ。

あるとすれば、とんでもないドンデン返しのためにあえて基本をすっ飛ばしたと考えるしかないのだが……どうもそうでもないらしい。これはスタジオジブリの悲劇といってもいいのではないか。

スタジオジブリに必要なこと。
それは、優秀なアニメーターという腕のいい職人さんたちが存分に力を発揮できる環境を未来にわたって構築していくことを、いますぐにでもはじめることだ。

「ゲド戦記」を観て切にそう思った次第である。

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