ランド・オブ・ザ・デッド(Land of the Dead)
![]() | ランド・オブ・ザ・デッド [DVD] ジョージ・A・ロメロ ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2006-09-21 by G-Tools |
ジョージ・A・ロメロ監督/アメリカ/2005年/93分
時代がやっと追いついてきたヒッピーな生き方と、これ以上ない絶好の舞台でアメリカ社会と世界の中のアメリカを映し出す社会派風刺ホラー。進化するゾンビは水中から出現する!
物語の紹介
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死者が蘇り生者に襲いかかって肉を食らいはじめてからしばらく後、金持ちの支配階級はゾンビが入ってこれないよう川に挟まれた地域の超高層ビル(フィドラーズ・グリーン)で昔と変わらない贅沢な生活をおくっていた。
陸続きの場所は高圧電流によるフェンスで仕切り、私設軍隊を配置してゾンビの侵入を防いでいた。場所を追われた貧困層の住人たちはタワーの周りにひしめき合うように暮らしている。
危険地帯から食糧や物資を調達する傭兵グループのリーダーであるライリーには計画があった。金を貯めて脱出用の車を買い、塀のない自由な世界を求めて北のカナダ方面へいくというものだ。
一方ライリーの部下チョロは権力者カウフマンに取り入って上流階級の仲間入りを願うが断られる。そこで装甲車デッド・リコニング(死の報い)号を奪ってカウフマンに金を要求する。
ライリーはチェロが奪った装甲車を取り戻すべく、またゾンビに襲われる街の人々を救うべく、そして自らの自由の旅立ちのために相棒チャーリーと連れのスラックと共に奔走する。
主な登場人物の紹介
―――――――――――――――――――――
△ライリー
傭兵グループのリーダー。
△カウフマン
金持ち支配階級の長。権力者。
フィドラーズ・グリーン(超高層タワー)のペントハウスに住む。
△チョロ
傭兵部隊メンバー。ライリーの部下。
△スラック
娼婦。
△チャーリー
ライリーの右腕。相棒。狙撃の名手。
△ビッグ・ダディ
ゾンビたちのリーダー
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▽デッド・リコニング(死の報い)号
装甲車。重火器を備える。傭兵グループが使う車。
ゾンビが溢れる危険地帯から食糧や物資を調達するために使う。
▽フィドラーズ・グリーン
超高層タワー。金持ちの支配階級が住む。
コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見) ※注 ネタバレあり
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時代がやっと追いついてきたヒッピーな生き方と、これ以上ない絶好の舞台でアメリカ社会と世界の中のアメリカを映し出す社会派風刺ホラー。進化するゾンビは水中から出現する!
‡ ホラーの巨匠ジョージ・A・ロメロ監督作品 ‡
68年のジョージ・A・ロメロ監督『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』はその後のゾンビ映画の原点だ。その後『ゾンビ』(78)『死霊のえじき』(85)と制作してから20年ぶりにロメロ監督が撮った作品、それが『ランド・オブ・ザ・デッド』だ。
ロメロ監督は単なるホラー監督ではなく、人間社会をゾンビという題材による圧力釜効果で社会の縮図を浮き彫りにする風刺作家である。そうした社会派の視点をもった彼の作品は高い評価を受けている。
‡ 古今東西 ~人間社会のカタチ~ ‡
富裕層と貧困層、支配階級と被支配階級、搾取する者と搾取される者。これらはどの時代や地域にもみられる人間社会の構図の例である。
ライリーは傭兵グループのリーダーだ。傭兵の仕事はゾンビが徘徊する危険地帯にある食糧や物資をかき集めてくること。そのために使う、重火器を装備したデカい装甲車を設計したのもライリーだ。
フィドラーズ・グリーン(高層ビル)に住む支配階級は私設軍隊を持っている。しかし物資調達という危険な仕事には軍隊を使わない。使い捨ての傭兵を使うのだ。
例えばイラクには傭兵がいる。いわゆる戦争請負い人だ。元軍人や特殊部隊経験者や軍事訓練経験者から成る傭兵部隊は、危険地域での物資運搬車両の護衛といった仕事などを請負っている。傭兵が使われる主な理由は、たとえ傭兵に死傷者が出たとしても正規軍の負傷者リストには影響がないためだ。
さて、傭兵を3年務めたチョロは葉巻と酒をみやげに権力者カウフマンを訪ねる。金も貯まってきたからそろそろ上流社会が住む場所に家を持ちたいというのだ。しかしそれには理事会と資格委員会の承認が必要だからすぐには無理だと断るカウフマンであった。
例えば古代ローマ帝国の市民権を持つ者は特権階級であった。ローマ市民には皇帝からパンと見世物が約束されていた。見世物があるコロッセウムでは、グラウンドに近くて観やすい席から順に、階級ごとに明確な席割りが行われていた。
ローマ帝国の辺境で防人(国境警備兵)をウン十年務めるとローマ市民権が与えられるといった制度は、辛く厳しい兵役を真面目に務めさせるには抜群の効果があったという。
似たようなものに『アイランド(THE ISLAND)』(作品レビュー )に登場する抽選会がある。これは宝くじみたいなもので、抽選(宝くじ)に当たった者はバラ色の生活が約束されているという夢を見させつづけることで、現実の問題に目を向けさせないようにしている、というものだ(身近なものに「水戸黄門」がある。これはお上が悪を成敗してくれるという娯楽作品と銘打った、庶民のガス抜きのために時の支配者が利用する典型例のひとつである。また広い意味では野球などのスポーツ競技もあてはまる場合がある)。
宝クジが当たるかどうかは運だと言われればそれまでだし、市民権を得られる要件を満たしても理事会と資格委員会の承認が得られないのだ、時代の変化に伴って制度が変わったのだから仕方がないといわれればどうしようもない。
そうしたことが傭兵チョロと権力者カウフマンのやりとりの中に凝縮されているのだ。
‡ アメリカ合衆国の歩みと重ねて ‡
アメリカ合衆国の発展の歴史は、西部開拓の歴史といってもいいだろう。フロンティアスピリットによる国土拡張とはつまり、西部への土地開拓であると同時に原住民の土地を奪うことでもあった。
『ランド・オブ・ザ・デット』においても金持ちの支配階級が住みやすいよう、もともと住んでいた住人を追い出して高層ビルに住むあたりは、かつてアメリカ合衆国がネイティブアメリカンの土地を奪い、保留地を与えたことを風刺しているという観方もできる。
また、カウフマンによって都合のいいように3年間使われ、使いづらくなったら用ナシとされてしまう傭兵グループメンバーのチョロが、装甲車を奪って敵対するようになるあたりは、米国とアフガニスタンとの関係に類似点をみつけることができある。かつてアフガニスタンに軍事介入したソ連軍に対抗するゲリラ活動を支援していた国のひとつが米国であり、ゲリラ戦術を教えたり施設や武器を提供していた。そこで訓練を受けた者たちの多くが、やがてテロ活動で米国を攻撃するようになったのだ。
‡ 戦闘ではなく殺戮 ‡
作品の冒頭、傭兵グループがデッド・リコニング(死の報い)号に乗って食糧や物資を調達に行くシーン。疾走する装甲車からマシンガンで道路のさまようゾンビたちを次々にハチの巣のように撃ちまくるのを観た登場人物のひとりのセリフにこんなのがある――「これは戦闘じゃなく殺戮だ」
米軍の戦闘の典型はハイテク機器を装備した戦闘機や戦車で、豊富な弾薬を使って敵を一掃するというものだ。ベトナム戦争映画では、ライフルを持った狙撃兵ひとりを、飛行機による爆弾投下で攻撃するというシーンがある。
ソマリアのアディード将軍を拉致する米軍の作戦行動を描いたリドリー・スコット監督作品『ブラックホーク・ダウン』。この戦闘での米軍の戦死者は18名。ソマリア民兵側の戦死者は約1000名。
『ランド・オブ・ザ・デッド』冒頭の食糧物資調達作戦のシーンは、ロメロ監督の目に映った米軍の戦闘とはどのようなものなのかを表わしているのではないだろうか。
‡ 学習・進化するゾンビ ‡
ゾンビは普段は生きているときの習慣に従って同じ動作を繰り返している。草刈機を使うゾンビ、楽器を演奏するゾンビ、ガソリンスタンドで給油する仕草をするゾンビ。ひとたび生者をみつけると、生肉を食らうために襲うのだ。そしてどのゾンビも花火に見とれる。夜空に花火が上がってる間はすべての動作をやめてぼぉ~と空を眺めるのだ。
大きな音と光。きれいな模様で人々の目をひきつける花火は、生きているときと同様にゾンビの目をもひきつけるのだ。
そんななかで1体のゾンビだけは花火に見とれることなく目の前の状況を見極めようとする。花火という「まやかし」の術にひっかかることなく、物事をしっかりと見極めようとするのだ。危険を仲間に知らせもするこの一風変わったガソリンスタンドの店員であったであろうゾンビ=ビッグダディは、道具や武器を使うことを覚え、ゾンビには未知の世界だった水にも飛び込んでみせる。そのシーンはまるではじめて海水で芋を洗って食べた幸島の猿を彷彿とさせる。
こうしたゾンビの変化にいち早く気づいたライリーはチョロやカウフマンに、やつらは今までとは違うぞと教えるのだが、全く聞く耳を持たない。
欲望のままに行動する強暴な脳ナシに過ぎない奴等がどうした?
そんなカウフマンだが、ビッグダディのそれまでのゾンビとは全く違った道具を使った方法で吹っ飛ばされることになる。
68年の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』以来、他の監督による様々なゾンビ映画が制作された。ある作品では猛烈なスピードで走るゾンビも登場した。だがロメロ監督の作品には「特別なゾンビ」が登場するのが特徴だ。例えば85年の『死霊のえじき』には研究用のゾンビが登場する。このゾンビは直接的に生者の肉を食らおうとする行動は抑えられており、作品のクライマックスのあたりでは銃を使うのだ。このように既に85年の作品でゾンビの進化は暗示されていたのである。『ランド・オブ・ザ・リビングデッド』ではこの進化をさらに明確に打ち出したのだ。
‡ ヒッピーとゾンビ ‡
米国の67年はサマー・オブ・ラブと呼ばれ、ヒッピー・ムーブメントがピークに達した年だ。翌68年の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』は、当時のヒッピー文化に対する年配者たちの反応を風刺的に描いているともいえる。ヒッピーに対する当時の一般的な観方とは、既成の社会体制や価値観を否定して脱社会的行動をとる若者たち、といったところだ。
68年の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』は、国外の脅威ではなく、自国内の若者=ヒッピーという得体の知れない不気味な存在がいつの間にかジワジワと自分のテリトリーを侵蝕していくかのような不安感を見事に映像化したものといえよう。
人間=年配者。ヒッピー=ゾンビ。こういった基本構図が、新作『ランド・オブ・ザ・デッド』においては変化している。つまり、ゾンビ=ヒッピーであると同時に、ゾンビを倒す側の傭兵ライリーも自分を信じ、自分の生き方を肯定し、自由と隣人を愛して、自らの道を探す〈ヒッピー〉なのだ。
さらに新作『ランド・オブ・ザ・デッド』では米国内だけではなく、世界における米国の姿を風刺している。
ちなみにゾンビたちが花火に見とれている間に傭兵グループが食糧や物資を運び出すあたりは、ヒッピーが平和と愛の象徴として花で身を飾ったことからフラワー・チルドレンと呼ばれていたことによるものだろう。
そしてクライマックスを迎えた後に必要なくなった花火を夜空に打ち上げながら走るデッド・リコニング(死の報い)号は、ステレオタイプの古めかしいヒッピー像はもう存在しないことを象徴している。
‡ アメリカ合衆国の新たな理想像を体現する主人公ライリー ‡
傭兵グループのリーダであるライリーは最小の損害で食糧・物資調達を行うことを目指している。たとえ権力者カウフマンに使われている身とはいえ、生きている人々のために食糧や物資を調達することは必要な仕事であり、いつしか塀の外の世界で自由に生きるために脱出用の車を持つために金も貯めている。
どうすればより良い社会にすることができるか。なんのために危険な仕事をしているのか。そんな状況の中でも唯一正しいと思えることは、仲間を救うこと。相棒のチャーリーだったり、街に住む人々だったり、とにかく生きている者を救うことだ。
そしてライリーは管理された塀の中にいることよりも、自由という理想を追い求めて移動しようとする。西部開拓時代と違うのは、たとえ移動(旅)を続けても約束の地、安住の地があるとはだれも言わないし、みつからないかもしれないということだ。
こうすれば幸せになれるというモデルはすでにない。いうなれば、いまも生きていることこそが幸せなのだ。それでもライリーは北へ行こうとしている。
やがて支配階級が崩壊してゾンビの襲撃が去ったとき、生き残った人々から一緒に街を再建しようと誘われたライリーはそれを断り、デッド・リコニング(死の報い)号で北へ旅立つことにする(定着よりも移動。農耕よりも狩猟)。
そのとき、街を去るゾンビのリーダーであるビッグダディを仕留める機会が巡ってくる。しかしライリーは「奴も行く場所を探している。俺と一緒だ」といってそれを見送るのだ。
これは、欲望のままに行動する単純でバカで強暴な対象としてゾンビを排除するのではなく、今までとは明かに違った進化したリビングデッドとして捉え、仲間に危険が及ばないかぎりはとりあえず干渉ぜずにそっとしておき、己の道を信じて標識も地図もない道を歩きはじめるライリーに新しいヒーロー像を投影しているとみてとれよう。
‡ 見た目だけで決めない ‡
見た目は大事だ。ある程度の歳になったら自分の外見に自覚と責任を持たなければならない、とはどこかの著名人の言葉だったとおもうが、そんなことは皆わかっているもので、それぞれ自分の容姿に気を使ったり、外見をうまく利用して生きているものだ。
そうはいっても、ある人のファッションがどうにも理解できない場合にこれを不可解で不気味なものとして忌み嫌うことだけは避けなければならない。それぞれのバックグランド、趣味、考え方、生き方を理解しようと努め、お互いに尊重する気持が必要だ。
ライリーの相棒チャーリーがはじめて登場するシーンがある。ゾンビたちから逃れてきたライリーたちの背後数メートルに、すぅっと立っている者がいる。傭兵グループのひとりがとっさに銃を構えた。なぜなら相手の顔の半分の皮膚が皺だらけで片目はほとんど開いていないため、暗がりではゾンビに見えたのだ。しかしそれはチャーリーだった。ライリーが心配で追いかけてきたのだ。
チャーリーは火事にあったところをライリーに救われたのだという。顔の傷跡はそのときの火傷によるものだ。
チャーリーは古いライフル銃を愛用しているが、狙撃の腕は確かで、ライリーと組んで幾多の危機をくぐり抜けてきた。どんなときもライリーを信頼して仲間を助ける、信頼できる頼もしいキャラクターだ。
チャーリーの外見を火傷の負傷としたキャラクター設定は、ゾンビが登場する作品のなかでその存在感を際立たせ、外見だけで判断すべきではないというメッセージを含めている。
‡ 水陸両用ゾンビ ‡
ゾンビのリーダー、ビッグダディが川に飛び込んだが浮かんでこない! だいじょうぶか? 溺れたのか? ちょっと心配したものの、よく考えたら彼等はもう死んでいる……byケンシロウ(笑)(「北斗の拳」より)
水の中から現れるゾンビ集団のチラシやポスターは当たりですね。
新ゾンビの特徴を上手に表現しています。
ゾンビ映画の巨匠ロメロ監督最新作。必見でしょ。
≪ゾンビ関連映画作品レビュー≫
▽ 「28日後(28 DAYS LATER)」 (←ダッシュするゾンビが登場)
▽ 「ドーン・オブ・ザ・デッド(DAWN OF THE DEAD)」
▽ 「バイオハザード(BIOHAZARD:RESIDENT EVIL)」
▽ 「バイオハザード II アポカリプス(Resident Evil: Apocalypse)」
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Comments
花火にもそういう意味があったのですね!
洞察力の鋭さに頭が下がる思いです・・・
Posted by: kossy | 08/29/2005 20:55
TBありがとうございますm(_ _)m
近年は、Jホラーの影響で女性幽霊モノ
が主流になっていたホラー映画界にメス
を入れるべく、ジョージ・A・ロメロが立ち上
がりましたね♪
昨年の「ドーン・オブ・~」では、ダッシュ
するゾンビを見せられ、今回の作品では、
智恵を身につけるゾンビ!いやいや、これ
だけでも嬉しい設定。
人間側にも貧富の差からくる争いが起こ
っているのも見所でしたよね~。
Posted by: たましょく | 08/30/2005 11:27
>kossyさん
コメントありがとうございます。
花火、きれいでしたね。ゾンビが花火を見上げるところがなんとも愛嬌あるようにも見えました。
Posted by: わかスト@管理人たか | 08/30/2005 18:23
>たましょくさん
コメントありがとうございます。
たしかに女性幽霊が登場する作品が多いですね。
ダッシュゾンビもかなりインパクトありましたネ。
Posted by: わかスト@管理人たか | 08/30/2005 18:34
This piece of writing presents clear idea for the new people of blogging, that really how to do blogging.
Posted by: best dating sites | 01/16/2015 08:52