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タイムマシン(THE TIME MACHINE)

cover
サイモン・ウェルズ監督/2002年/アメリカ
原作:H・G・ウェルズ『タイムマシン』(1895)

●過去と未来。時空の旅をするロードムービー

〔1〕プレミス(Premise)
   ストーリーが発展していくための基礎となるアイデア

―――――――――――――――――――――
愛する人を取り戻すためタイムマシンを発明した男が、運命を変える方法を求
めて時空の旅に出る。


〔2〕ストーリー(Story)簡略に
―――――――――――――――――――――
1899年、冬のニューヨーク。科学者のアレクサンダーは恋人のエマにプロポー
ズする。その直後、エマは強盗に殺されてしまう。アレクサンダーは研究に没
頭して、4年かけてタイムマシンを完成させる。過去に戻ってエマを救おうと
するが、うまくいかない。死という運命は変えられないのか? と答えを求め
て未来へ旅する。
 

〔3〕Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△アレクサンダー・ハーデゲン
 科学者。大学で教鞭をとっている。

△エマ
 アレクサンダーの恋人

△マーラ
 アレクサンダーが80万年後の未来で出会う、イーロイ族の女性

△ウーバー・モーロック
 モーロック族の首領

△ケイレン
 マーラの弟

△デイビット・フィルビー博士
 アレクサンダーの親友

△ウィチット婦人 
 アレクサンダーが下宿している部屋の女家主

△ボックス
 2030年のニューヨーク科学博物館の案内・データベースプログラム。
 ホログラムで人間の姿で現れる。


〔4〕・1 ターニング・ポイント
―――――――――――――――――――――
アレクサンダーがプロポーズした直後、エマが強盗に撃たれて息を引きとる。
新しい決定
⇒アレクサンダーは以前から続けていたタイムマシンの研究に没頭する。
 
新しい出来事が展開する
⇒タイムマシンの完成。過去へいく。

セントラル・クエスチョン
⇒恋人の死という運命を変えることができるのか。

主人公の内面・性格等
⇒愛する人を想う気持の強さ。


[4]・2 第2ターニング・ポイント
―――――――――――――――――――――
2037年ニューヨーク。巨大隕石が地球に落ちてきた影響で、タイムマシンに乗
ったアレクサンダーは意識を失う。その間、タイムマシンがはるか未来へ……。
 
新しい方向へ
⇒はるか未来(80万年後)へ。

セントラル・クエスチョン
⇒80万年後の未来では、死という運命を変えることができるのか。

主人公の危険度
⇒想像もできない80万年後の未来ではなにが起きるか予測できない。

新しい舞台
⇒セントラル・クエスチョンに対する答えを求めるのに、新しい舞台(80万年
 後の未来世界)へ移動することで、新たな視点を得る。


〔5〕Comments(論評、批評、意見)
―――――――――――――――――――――
過去と未来。時空の旅をするロードムービー。

どのような旅か?――時空の旅である。
動機は?     ――愛する人を取り戻したい。
目的は?     ――過去に戻り、愛する人を救う。
貫通行動は?  ――死という運命を変えられるのか答えを求める。

〈哲学/態度〉
アレクサンダーは科学者である。科学者としてタイムマシンの研究をしながら、
大学で教鞭をとっている。研究熱心なため、身なりにかまわず、友達も少ない。
そんなアレクサンダーのことを深く理解してくれる女性がエマだ。エマが亡く
なったことで、アレクサンダーはタイムマシンの研究に没頭する。アレクサン
ダーの行動はエマを深く愛する心をよく表している。
 
エマはアレクサンダーからもらった婚約指輪を守ろうとして強盗に撃たれて息
を引き取る。エマがいかにアレクサンダーを深く理解し、愛していたかをよく
表している。
 
エマが息を引き取るというターニング・ポイントが、アレクサンダーとエマの
キャラクターと、二人の関係性を紹介している。それと同時に、たいへんな研
究と労力を必要とするであろう研究が成功したこと(タイムマシンが完成した
こと)に充分な説明を与えている。

主人公に共感を得る(ダイアニサイアック Daionysiac)ということでは、だれ
でも過去に戻ってやり直したい事や取り戻したい時間や人や事柄があるだろう。
それと同時に、だれでも現在の自分を肯定したい気持があるため、過去にした
選択や下した決定を間違いだったとは思いたくない。そうした過去を否定する
ことは、現在の自分を否定することにつながると考えるからだ。

たいていの人間には、過去に戻りたい気持と、過去には戻りたくないという相
反する気持がある。このうち、過去に戻ってやり直したい事がある人は、アレ
クサンダーの行動に共感する。過去に戻っても死という運命は変えられなかっ
たアレクサンダーは、未来に答えを求める。

過去を変える方法を探し求めて未来へ旅するアレクサンダーが、80万年後の未
来で、マーラに会い、モーロック族と遭遇して、新たな一歩を踏み出す。こう
したアレクサンダーの姿は、過去をみつめ、受けとめながらも、未来をどう生
きるのか、未来にどのような可能性があるのかは、その人の意思決定と行動に
あるというメッセージを示している。

「タイムマシン」の大事なポイントは、めざす方向は未来である、ということ
である。
アレクサンダーがタイムマシンを完成させて過去に行った目的は、エマを取り
戻すことだった。エマとともに生きていくためだった。つまり、アレクササン
ダーはエマと暮らす未来のために過去へ旅したのだ。めざす方向はエマとの未
来である。このポイントが映画がヒットした最大の要因だろう。
 
現代日本では「先が見えない不安におおわれた」とよく聞くが、1899年のニュ
ーヨークに住む科学者であっても、未来のことはわからない。エマと結婚して
もその先に何があるかはわからない。研究がうまくいくかどうかはわからない
し、結婚生活がうまくいくかもわからない。だがこうしたことはあたりまえの
ことで、だからこそ、研究がうまくいくようたくさんの本を読んだり実験をし
たり、結婚生活がうまくいくよう夫婦で助け合って生きていこうとするのだ。

未来がどうなるのか決めるのは自分の意思決定と行動である。というメッセー
ジがあるからこそ、H・G・ウェルズの『タイムマシン』はサイエンス・フィ
クションの傑作として長いあいだ世界中の人々に読まれてきたのだ。

最近増えてきた、昭和30年代日本の町や村を再現したテーマパーク等の盛況は
興味深い。現代日本でなにがヒットするかということを表す一例だ。たとえ昭
和30年代を実体験していない子供たちでも、もの心ついたときから日本で生活
してきたなら懐かしさを感じるだろう。子供の親もそうであり、またその親の
親(子供からみると祖父、祖母)は実体験があるのでなおさら懐かしい。
 
こうした過去へのタイムトラベルと、「タイムマシン」との違いは、一方は
「未来」をめざし、一方は「過去」をめざしているというこだ。

たとえタイムマシンがなくても、だれしも過去の記憶をたどることことはある
だろう。未来を思い描くこともあるだろう。未来に夢や希望を持とうとしない
人たちは過去の記憶をたどることで満足する。過去の記憶で満足すれば、未来
はいらない。
今までは個人のレベルで過去へ旅していたが、、テーマパークという「場」が
できて大盛況だという。
過去をふり返るのは必要なことだ。過去をしっかりとみつめ、検証することは、
未来に向かって進むための自分の意思決定と行動に必要な材料になるからだ。

過去へ行ったきり戻ってこない作品は現代日本ではヒットする可能性が高い。
過去へ行って、そこから必要な材料を得て考え、未来へ向かってゆく作品は
世界中でヒットする可能性が高い。

「タイムマシン」は未来(夢・希望)の物語だ。
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タイムマシン
H.G. ウェルズ H.G. Wells 金原 瑞人
岩波書店
2000-11


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∇参考・用語引用図書 
「ストーリーアナリスト」 
1999フィルム アンド メディア研究所 愛育社
「ハリウッド・リライティング・バイブル」 
2000 フィルム アンド メディア研究所 愛育社
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