自分がわかっていることは他人もわかっている?
そんなことはありませんよね。
例えば東京のJR山の手線(東京の都心部を円状に走るJR線)の駅名をすべて言え
る人がいるとしましょう。その人にとっては渋谷駅から浜松町、東京方面行きの
山の手線に乗って一駅目はなんという名前の駅(恵比寿)かはすぐにわかります。
でも、今日はじめて東京にやってきた人々のすべてが渋谷の次の駅が恵比寿駅だ
とわかっているわけではありません。
なんだか当たり前の話をしているようですが、これはとても大事なんです。
他の例でお話しましょう。
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タケシ君(としておきましょう)が友人のコウイチ君の家にはじめて遊びに行き
ました。2階にあるコウイチ君の部屋に入り、いつも学校で話題にしているテレ
ビゲームのサッカーゲームをしてしばらく遊んだ後、タケシ君はソワソワしはじ
めました。サッカーゲームはちょうど試合が盛りあがっています。でも、タケ
シ君は「タイム!」と言って立ち上がりました。
タケシ君 「トイレいきたい」
コウイチ君「はやく行ってきな。1階だよ」
タケシ君は階段を駆け下りると、廊下の突き当たりの左右にそれぞれ扉をみつけ
ました。我慢はもうかぎりなく限界に近い状態です。タケシ君にはどちらの扉も
同じに見えました。自分の家のトイレは廊下の左側なので、考える暇もなくタケ
シ君は左側の扉のノブに手をかけました。
扉にはカギが掛かっていました。タケシ君は扉をノックしました。反応がありま
せん。もう我慢も限界ギリギリです。今度は激しく何度もノックしました。扉の
向こうで人が暴れている音が聞こえました。そして奇声も聞こえます!
慌てた様子で2階からコウイチ君が降りてました。
「たいへんだぁ! あいつが目を覚ましちゃったぁ!」
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実は、トイレは廊下の突き当たりの右側でした。コウイチ君にとっては自分の家
であり、毎日トイレを使っているので、トイレの場所を間違えるはずはありませ
ん。そういうわけなので、「トイレは1階だよ」と教えてあげただけで、充分だ
と思ったのです。
タケシ君とコウイチ君それぞれにとって「わかっていること」や「知っているこ
と」と、どちらか一方だけが「わかっていること」や「知っていること」を明確
に意識することが必要です。
二人にとって「わかっていること」はサッカーゲームの内容や遊び方です。これ
はあらかじめ学校で何度も話題になっているので、はじめて二人がゲームで対戦
することになっても、すぐにゲームを楽しむことができたのです。
一方、どちらか一方だけが「わかっていること」は、コウイチ君の家のトイレの
場所です。ほんとうならコウイチ君はもっと詳しくトイレの場所を説明してあげ
たことでしょう(例「トイレは1階の廊下の突き当たりの右側だよ」)。でも、
サッカーゲームで盛りあがっていた途中だったので、コウイチ君は、タケシ君が
トイレをすぐに済ませてきてゲームを再開させたいという思いから、つい説明不
足になってしまったのかもしれません。
このように、他の何かに気を取られているときや、忙しいときなどは特に説明が
省略されてしまいやすくなります。忙しいときなどこそ、詳しい説明が必要なの
です。
人は自分にとってあたりまえと思えることを省略する傾向があります。なぜなら
自分がわかりきったことを繰り返すのは面倒だと思うからです。
●映画作品「ファインディング・ニモ」(※1)を例にみてみましょう。
マーリンは人間のダイバーにさらわれた息子のニモを探しています。いろいろな
魚に出会う度に、息子がさらわれたことを説明します。それを聞く度にドリーも
「まぁ大変!」といったかんじで驚きます。なぜならドリーは物忘れがひどくて、
マーリンとの旅の目的(ニモを探し出すこと)をすぐに忘れてしまうからです。
マーリンにとってみれば相棒のドリーにまで幾度も説明しなくてはならないので、
なんだか面倒に思ったりもします。
「物忘れがひどいドリー」という設定にした利点は、作品にユーモアのセンスを
持たせことができるということです。そして、わかりやすさの点から利点という
ことを言うと、観客を迷わせなずに目標に向かってしっかり誘導することができ
るということです。
マーリンは、相棒のドリー相手にさえ、幾度も「息子のニモがさらわれたので助
けたい」ということを説明します。これは、観客に主人公たち(マーリンとドリ
ー)の目的をはっきり印象づける効果があります。そうすることで、サメに襲わ
れたり、深海魚に襲われたり、クラゲに刺されたりといろいろな障害に遇いなが
らも「旅の目的」=「さらわれたニモを探し出す」を明確にすることができるの
です。
マーリン自身も、幾度も「息子がさらわれたんだ」と説明することで、大きな障
害に遇っても、強い信念でニモを探し出す勇気と力を湧き上がらせているといえ
るでしょう。
たとえ自分にとってわかりきっていることでも、幾度も丁寧に説明することで、
対象を注意深くみつめ、自分がこれからやろうとしていることを明確にすること
ができます。あとは明確な目的(目標)を達成するためになにをすればよいかを
見極めて、必要なことを確実に実行していけばよいのです。
マーリンは幾度も自分にとってわかりきったこと(息子のニモがさられた)を説
明することで、目的に向かって自分を奮い立たせ、困難を乗り越えてニモの元へ
向かうのです。
(ちなみに、タケシ君がノックした扉の部屋にはリスザルが飼われていたそうで
す。いたずら好きのリスザルは、このときちょうどお昼寝時間で、カギがかかっ
た部屋にいたのでした。)
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※1「ファインディング・ニモ (FINDING NEMO)」
アンドリュー・スタントン監督/ジョン・ラセッター製作総指揮/2003年/
アメリカ/101分。
オーストラリア・グレートバリアリーフ。魚(カクレクマノミ)の子供
(ニモ)が人間にさらわれる。父(マーリン)はニモを探しに冒険に旅立つ。
∇「ファインディング・ニモ」竹書房・ピクサー文庫
∇ 「ファインディング・ニモ (FINDING NEMO)」 ←映画作品レビュー
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∇参考・用語引用図書
「ストーリーアナリスト」
1999フィルム アンド メディア研究所 愛育社
「ハリウッド・リライティング・バイブル」
2000 フィルム アンド メディア研究所 愛育社
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∇書籍紹介
わかりやすい文を書くために参考になる書籍を以下に紹介します。
「理科系の作文技術」 木下 是雄 (著) 中公新書
「日本語の作文技術」 本多勝一(著) 朝日文庫
「日本語で生きるとは」 片岡 義男 (著) 筑摩書房
「日本語の外へ」 片岡 義男 (著) 角川文庫
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