05/01/2012

映画「バトルシップ(BATTLESHIP)」

▼「バトルシップ(BATTLESHIP)」

監督:ピーター・バーグ
アメリカ/2012年/130分


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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■ 彼女のパパに結婚の許しを…エイリアンのオマケ付き
  帰れなくなったゲスト 暴れるの巻
  ~ゲスト招きました。来ました。家に帰れなくなって暴れました~


アメリカや日本など数カ国の艦船がハワイに集まって大規模な合同軍事演習を行う最中、エイリアンの宇宙船が飛来してさぁ大変。そんな話です。


さてこのお話はB級ドラマ感がハンパない。いい意味でチープな青春ドラマに、ありがちなスポーツ(バスケやアメフト)の部分を海軍とエイリアンに置き換えたと考えるとわかりやすい。


女の子だぁい好きダメダメ兄ぃちゃんの典型であるアレックスは、バーで美女をナンパ。口説き落とすために大迷惑な騒ぎを起こす。


その甲斐あって美女(サム)のハートをゲット。でも彼女はアレックスの兄の上司の娘だった。


その兄というのがアメリカ海軍の軍人で、アレックスはその兄のすすめで入隊。新人将校としてハワイの軍事演習に参加することになる。


アレックスは恋人サムとの結婚の許しを得たい。そこで演習中に海軍提督でもあるサムの父親に挨拶しようと試みるのだが……。


ありがちな青春ドラマの筋書きそのままであるが、これがこの作品の味である。


超まじめに世界を救おうというようなガチガチな話ではないのがいい。青春ドラマでのヒーロー像を海軍とエイリアンで派手にやっちゃおうよ!みたいなかんじでそういう意図が理解できて素直にそれにのっかることができれば、これはこれでなかなか楽しめる。


恋人の父親に認められるためがんばる青年アレックスのはっちゃけ青春物語なのだ。


ではエイリアンとの艦船バトルがどうなのかというと、これはけっこうちゃんと考えられている。


エイリアン側と地球側の艦船の戦闘力や武器とに圧倒的な差があるわけではなく、ガッツとチームワークで「なんとかなる」あたりまでほどよく調整している。


なにせ地球にやってきたエイリアンは先遣隊または偵察隊といったようなもので、しかも大気圏突入時でヘマをやったのか船体にかなりの損傷を受けているようだ。


とりあえず仲間の母船らしきところへSOS信号を送りたいのだが、通信装置が破壊されたようでそれができない。


そこでハワイの一角にバリアを張って、母船への連絡手段構築のための時間稼ぎのようなことをする。


このバリアの中に偶然入りこんだのがアレックスが乗船する艦船をふくめて3隻ほど。そこにはナガタ艦長(浅野忠信)の日本の自衛艦もある。


レーダーの類が使えないので昔ながらの方法とガッツでエイリアンの艦船と戦わなくてはならない。


こういった場所と戦い方に制約をもたせたところが「一本!」と思わずいいたくなるところだ。


ドラえもんだって原則として1話では1つのアイテムしかポケットから出さない。「制約なきところにドラマなし」は物語づくりの基本だからだ。


基本をおさえた青春映画。エイリアンのオマケ付き。といっても迫力満点の海戦シーンはちゃんとある。


海上ではアレックスやナガタ艦長が、陸上では恋人サムとリハビリ中の兵士や研究者がそれぞれ奮戦するシーンの振り分けもしっかりできていて、まるで物語づくりの教科書に載っていそうな具体例みたいだ。


以上をざっくりまとまると、青春ドラマも艦船の戦闘シーンもいわゆる男性向けだ。


艦船大好き男子が思わずニヤッっとしちゃいそうなツボをおさえた作品である。


私はこういうのは嫌いじゃない。いや、けっこう好きかも。


デートなら「今日は彼氏の好み中心で」と割り切れる貴女ならこの作品を選んでもOKだ。


ノリと勢いと、ちょっとした機転とチームワークがあればなんとかなるぞ! みたいなところがたまらない「バトルシップ」。多少のおバカっぷりは愛嬌である。


ちなみにアレックスがサムのために閉店後のコンビニに侵入するシーンは、どこぞで実際にあった事件の防犯カメラ映像(日本のテレビ番組でも放映されていた)にそっくりだった。もしかしたら実際の映像の一部をうまく編集して使っているのかもしれい。パロディなのかな。ほんとうにそっくりだったな。


それにしても、劇場はアツい男どもばかりであった……。(俺もか 笑)


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02/09/2012

無限地獄から抜け出す『ゴースト・プロトコル』


▼「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」

監督:ブラッド・バード
アメリカ/2011年/132分


コメント・レビュー(Comments・Review)(論評、批評、意見)
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■ 無限地獄から抜け出す『ゴースト・プロトコル』


ブラッド・バードといえば『Mr.インクレディブル』でピクサー作品ではほぼはじめて人間(より正確にはスーパーヒーロー)を主要キャラに物語をつくりあげ、『レミーのおいしいレストラン』では人間(見習いシェフ)を主要キャラにしたことで知られる人物であり、新しい風を取り込みつつブランドやそれまでの作品群の流れを損なわずに更なる魅力を付加できる監督である。


そんな彼が監督を務めた『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』においても、トム・クルーズ演じるイーサン・ハントが活躍する人気アクション・シリーズの雰囲気を継承しつつ、観客が求めるものに集中した作品づくりに職人魂をヒシヒシと感じることができる。


実写映画の監督は初めてだというが、しっかりした技術があるなら、どこでも活躍できる見本として最適な作品となっている。


さて観客は「ミッション:インポッシブル」シリーズに何を求めるのか?


ひとことでいうなら、アクションだ。イーサン・ハントが完遂不可能と思える任務に大胆なアクションで果敢に挑んでいくその姿を観たいのである。


しかも、もう若いとはお世辞にもいえないトム・クルーズというスーパースターのおっちゃんがバリバリのアクションに体当たりで挑むというのだから、アクション作品なのに若者だけでなく、日々がんばっている中高年層にもダイレクトにアピールできる作品となっている。


今回の作品では、組織からのバックアップを受けられずに限られた物資と人員でこれまた完遂不可能と思える任務に身を投じることになるイーサン・ハント。


例によって冒頭からラストまでアクションづくしなのだが、そのなかでも地味なようで注目すべきは砂嵐のなかでの追跡シーンだ。


街全体を覆いつくすかのような砂嵐が迫り来るなか、人々は近くの建物内に避難しようとする。しかしイーサンはその流れに逆行して外へ駆け出し猛然と男を追う。


なにせものすごい砂嵐なものだから、すぐに数メートル先もみえなくなる。わずかにみえる相手の背中を見失うまいとほぼ視界ゼロのなか走り続ける。


もう見失ったとおもいきや、今度は携帯型端末装置で相手の位置を探る。近くにいることはわかっても周囲は砂で何もみえない。ふと、相手の位置を示す表示がなぜかどんどん迫ってきて……。


アクションシーンはどれだけ派手にできるかということばかりに意識がいってしまいがち。けれどもお金をかけて大掛かりにすればするほどそんなスケールアップには終わりがない。


これは人間の欲望のようなものである。やっと手に入れても、少しするとまた物足りなくなる。もっともっとほしい……。


このとき自分で工夫して何を作り出す楽しさを知った者は、この「もっともっとほしい無限地獄」から抜け出せる。


ハリウッドの大作アクション映画ともなれば派手なアクションはあってあたりまえだという観客の期待はもちろんある。それに応えつつも、しっかりと裏切るとなお良い。


裏切るとはまさに砂嵐での追跡シーンだ。ふたりの登場人物が走るだけでこれほどドキドキさせるのは、もっともっとの無限地獄だけではいけないことをしっかりわかっているだけでなく、その対策をしっかり講じているからこそできる技である。


とはいっても砂嵐での追跡シーンでも車を使った派手さはもちろんあるのだけど、そこへ至る道のりにしっかりとふたりの人間が走る(追いかけっこ)という前フリがある。


結局のところ、派手なシーンの連続であればあるほど観終わった後には漠然とした印象しか残らないことがあるだろう。人間の心の深いところをじっくり描くという種類の作品ではないのだから、大掛かりで派手とはいえ結果的に単調な印象になりやすいアクションシーンでどれだけ温度差をつけられるかが勝負となる。


温度差とは、ここでいうところの「アクションなのにアクションを砂嵐で見せない(見えにくくする)演出」である。


ストリップだってはじめから全部脱いでいたらショーにならない。宝箱だってはじめからふたが全開だったらチラッと中が空なのを確認してそれまでである。


スゴいものならなら尚更に、それがどれだけスゴいかを伝える工夫をしなければならないのだ。


ちなみにこれは魅力的なタイトルを作成する極意にも共通するものだ。魅力的な内容を伝えるには、それが知られるようタイトルもまた魅力的でなければならない。

魅力的なタイトルをつくる方法はこちらにて
▼日本語メルマガ「わかりやすい日本語で(Plain Japanese)」


さて、もっとわかりやすくいうと、料理が立派でおいしいなら、それに合った器も用意すべきだというもの。


どんな料理でも同じような皿に載せて出そうというのが「見出し」であるならば、その一方で料理に合わせて器を選び、視覚でも味わえるようもっと料理がおいしく食べてもらえるようセッティングするのが「タイトル」である。


そしてこの魅力的なタイトル作りと同じようなことを『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』では砂嵐の追跡シーンでしっかり行っているのである。


いわゆる高層ビルでのアクションシーンというおいしい料理があるのは宣伝等で観客の多くは知っているのだから、本編ではそういった派手なアクションシーンがもっと映えるよう、料理を盛る器にも配慮して、もっともおいしく料理がいただけるよう細部までしっかり手を抜かない。


これが職人の技であり、プロというものである。


「見出し」と「タイトル」の例でいうなら、そこそこ気のきく人やちょと練習した人なら誰でも「見出し」は作れるが、「タイトル」はそうはいかない。料理をおいしく提供する器にも配慮してはじめてできるのが「タイトル」であり、それは訓練で磨かれた技を駆使するプロと素人の違いがもっとも顕著に表れる分野でもある。


ブラッドバード監督はまちがいなく、料理に合わせてその器まで提供できるプロなのだ。


「見出し」しか作れないと使える範囲はごく基本的な部分に限定される一方でタイトル作成のプロは広くあらゆる分野でその技術を発揮できるのと同じように、ブラッドバード監督もアニメーションだけでなく実写においても当然のように高い技術を駆使して魅力的な作品をつくることができているのである。


ふつうなら高層ビルの外壁に張り付いたアクションシーンを目玉に紹介されることが多い作品だが、あえてアクション映画なのにそのアクションが見えにくい砂嵐のシーンにフォーカスして作品の魅力を伝えることができたなら幸いである。


レビューの終わりに『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』を象徴する小道具を紹介しておこう。


それはゴーグルだ。


大事な取引で相手の懐からゴーグルが出てきたら……きっと相手は只者ではない。


そんな教訓(?)が得られること間違いなしの作品である。

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01/01/2012

映画「借りぐらしのアリエッティ」

監督:米林宏昌
日本/2010年/94分
原作:メアリー・ノートン『床下の小人たち』


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「人間に見られてはいけない。」  (引用: 『借りぐらしのアリエッティ』公式サイト


見られちゃいけない? でも、やっぱり見られちゃうんでしょ? 


開かずの金庫があれば、開けてみたいと思うもの。だから見られちゃいけないという設定(金庫を置いたら)をしたら、当然のように見られちゃう(金庫が破られる)であろうことを観客は期待します。


そうすると、見られちゃうまでどうやって観客を引っ張るかが大事なポイントとなります。そのテクニックをみてみましょう。


作品の冒頭。病気療養のために、母親が育った古い屋敷にやってき少年・翔。到着してすぐに庭で小人らしきものを目撃した……かもしれない。そんなシーンがあります。


いきなり見られちゃった? ……かもしれないで留めておくのが大事なポイントですね。


小人の少女・アリエッティは、葉に隠れていたから人間には見られていない、と言うけれど観客は翔が「見た」であろうと思うわけです。


冒頭でいきなり、見れたかもしれない、というように、観客の好奇心をあおるチラ見せがあります。これはなかなかの技ですね。


ほかに注目すべきは、物語の前半の早い段階で人間である翔の事情よりも、まずは小人であるアリエッティの生活や事情の詳細が描かれる点です。


これは「人間に見られてはいけない」というキャッチコピーであらかじめ観客の視点を小人側にに合わせておいたからこそできるものです。


もしも「人間に見られてはいけない。」というキャッチコピーがなかったならば、物語の冒頭から前半においては、普通は人間側の視点で描かれるでしょう。だって観客の多くは人間だから(小人もいるかもしれませんが…)。


あくまで小人側から描くことで、人間に見られる決定的瞬間に至るまでじゅうぶんに観客の興味を引きつけつつ、本来はよくわかっているはずの「人間」のほうをミステリー仕立てにできています。


その様子を盛り立てるのが「狩り」です。物語の早い段階で小人・アリエッティの事情を伝え、続けて彼らの「狩り」の様子が緊張感いっぱいに描かれているのです。


狩りとは、小人たちが人間から必要なものだけをそっと借りてくることをいいます。もちろんこれは「狩り」と「借り」がかかっています。


「狩り」には14歳のアリエッティがはじめて参加することになります。このときの父親と母親の会話に、アリエッティも14歳になったのだからこれからはひとりで生きていく術が必要だ、みたいなやりとりがあります。


これはまるで宮崎駿が、米林宏昌監督といった比較的若い世代に今後の作品づくりを期待するかのようなところを彷彿とさせるセリフでもありますね。


されはさておき、こうしてアリエッティは初めての狩りに父親とふたりで夜中に出発します。


ちなみに父・ポッドは口数が少なく、必要なことしかしゃべりません。冷たいわけではなく、アリエッティや妻にやさしいことばをかけることもある。これも宮崎駿をイメージさせる部分かもしれませんね。


そんな父とふたりでの、初めての「狩り」。観客のだれも見たことがないと思えるような小人の大冒険。そしてもちろん、人間に見られてはいけない……。


――でも、当然のようにこの狩りの途中で人間・翔にバッチリ見られてしまいます。


ここまで一気に物語を進めていくテンポの良さはいったいどこで身につけたのだろうと思えるほどですね。


そして人間にバッチリ見られてしまった後に物語の前面に押し出されるのが……「葛藤」です。

■「葛藤」が物語に活力を与える


物語の登場キャラが魅力的かつ立体的であるために必要なこと。それは変化。


物語のはじめと終わりとでは、登場キャラの内面の変化が行動となって表れるのが良い作品の典型です。


変化→行動→結果こそが、作品のエンディングに観客の心に響く余韻を残せる作品にできるかどうかを大きく左右します。


変化をもたらすためには、安定したままではいけません。不安定にしなければなりません。


不安定にするためには「葛藤」が有効です。葛藤の典型的な例には父と子の関係があります。「スターウォーズ」シリーズがその最たるものですね。


「借りぐらしのアリエッティ」では葛藤を生じさせるために、ぱっと見はおなじ世代の少女・アリエッティと少年・翔のふたりに、滅びゆく種族(小人)と、ますます増え続ける種族(人間)との対比や対立といった構造にしていますね。


ここで、ふたりの会話でのお互いの立場に注目してみましょう。


一見するとやさしい翔は、アリエッティに、君たちは滅び行く種族だ、といったように言います。


ずいぶん冷たい言葉のように感じされるそれは、翔が自分に対して言っているとも考えられます。なぜなら彼は近日中に心臓に関する手術を受ける予定で、それが困難なものであると自覚しているからです。


そもそもアリエッティも翔も、年齢からすれば普通だったらまさに「これから」なわけです。


でもお互いに事情があって未来がないかもしれないと感じてもいる。それでもアリエッティは、だからこそ精一杯生き抜いてやると血気盛んです。なぜなら、小人という種族は消え行くかもしれなくても、アリエッティ自身は14歳であり、若さと活力がみなぎっているから。


一方の翔は人間という種族はまだまだ増えていくかもしれなくても、自身は体の調子がよくはないために、血気盛んというわけにはいかない。


ただ、困難であろう手術が成功して元気になれる可能性が全くないないわけじゃないようです。調子が優れないために前向きな気持ちになりにくく、また周囲に彼を精神的にサポートする者(人間)があまりいないことなどから、生きる希望の灯火が消えつつある。


そんなふたりが出会い、対立することでお互いに変化が生まれる。その変化が観客にもわかりやすいよう、アリエッティに対するネコの態度に変化をつけるなど、なかなか細かいアシストもしていますね。


また、変化はふたりだけに生じたものではありません。アリエッティの父ポッドにしても、足を怪我するなど徐々に老いを感じつつも、家族のために住み慣れた家を離れる準備を着々と進めていきます。


母ホミリーにしても、心配性で住み慣れた家を離れたいとは思わないものの、娘のため、夫のため、なんだかんだ言いつつも家族と新天地へと旅立ちます。


これは小人の少年・スピラーに出会ったことで、まだ自分たちと同じ種族がほかにもどこかで生活していることを知って希望を持てたことも大きいのでしょう。


葛藤を通して変化し、その結果として長年住み慣れた家を離れ、新たに旅立つシーンで終わる本作品は、北野武監督の『キッズ・リターン』を思い出させます。


いろいろあったけど、まだ終わっちゃいない。これからだ! という自身を鼓舞するかのようなメッセージですね。


そういった意味で『借りぐらしのアリエッティ』は、まるで宮崎駿のリハビリのようでもあります。

■ やればできるじゃないか


それにしても原作が良いのだろうと思いますが、たとえそうであってもその良い原作を選び取るセンス(何十年も前に企画していたものらしい)もいいですね。


脚本は宮崎駿氏だそうですから、物語に思い入れ過ぎずに素直にやりさえすれば、観客に広く受け入れられやすい作品を作れることを改めて知らしめましたね。


これにはちょっとホッとしました。というのは、宮崎駿監督作品のいくつかは、おそらく本人の思い入れや力(りき)が入りすぎてけっこうはチャメチャになってしまった作品がいくつかあるからです。


また、比較的若い監督に作品を作らせても『ゲド戦記』のように、物語づくりのノウハウを伝えることをしてこなかったのか、またはしようとしないのか? と首を傾げたくなるような例があったからです。


▽関連記事
『ゲド戦記』で露呈か!ジブリの悲劇?
~宮崎駿作品群の「ムラ」のワケ~ver3.0

賛否両論の理由がピクサー短編作品との比較で明らかに!?


まぁ親子(父と子)っていうのはいろいろと難しいところもあるのでしょうけれど『ゲド戦記』でいろいろと学んだのでしょう。もしそうなら『ゲド戦記』にもそれなりの意味があったのではないでしょうか。


あえてエラそうに言えば「やればできるじゃないか」といったかんじです。


より正確には、やればかなりできるじゃないか、ですね。


ジブリ作品には(個人的には)アタリとハズレが大きいですが、宮崎駿個人の天才的(?)才能だけに頼ることなく、それなりの人物なら誰でもヒット作を作れる物語づくりのノウハウの蓄積と若手監督などの育成に今後も力を注いでいってもえたらいいなと思います。


そんなわけで個人的には、ちょっとホッとした作品でした。


<ブブリ関連作品>

▼「ゲド戦記」作品レビュー
  スタジオジブリの「悲劇」を露呈しつつも、名前・言葉・言霊の題
  材が興味深い。必要なのはストーリーづくりのノウハウ。

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  まんまキリスト教の影響受けまくりのド真ん中直球勝負作。
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▼「千と千尋の神隠し」作品レビュー

▼「ハウルの動く城」作品レビュー

原作:メアリー・ノートン『床下の小人たち』

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